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花輪和一インタビュー(ガロ1992年5月号)

花輪和一インタビュー(出典元:ガロ1992年5月号)

親の呪縛

──ガロ以外にも持ち込みをしたんですか?

花輪:当時池袋の印刷屋に勤めていてね、合間をみてはペン画のイラストを少年画報社なんかによく持ち込んでましたよ。でも「ダメ、ダメ」って言われて…。そんな時、たまたま近所の貸本屋でガロを立ち読みしていたら、そこにつげさんの『李さん一家』が載っていてね。あれはペン画みたいな漫画でしょ。漫画っていったら手塚治虫みたいな絵じゃないとダメだって、自分で思い込んでいたから。だからつげさんの漫画を見た時に、「あっ、こういう絵で描いてもいいんだ」って思ってね。じゃあ、自分もガロに描いてみよう、と思ったんです。

 

──それで、初期の漫画は、エログロナンセンスという言葉でもって、よく取り上げられましたね。

花輪:うん、そう。あの頃漫画を描くにはエログロが当たり前だと思っていたんですよ。何かそれらしいこと描かなきゃいけない、と思うとついエログロになってしまう。それにあの頃は明治時代の毒婦なんかが面白くて、そういうのばかり描いていたな。好きだったんだね(笑)。

 

──池袋から上野に移り住んでから、ずいぶん不忍池を散歩していたような事を書いていましたね。池のカメを捕まえて甲羅に何か描いていた、とか……。漫画を描いたり不忍池に行ったり、毎日そんなふうな暮らしだったんですね。

花輪:うーん、だからあの頃は眠っていたんですよ。精神状態がね。眠っていたんだけれどそれに気付いていなかった。こういうもんだろうって。心なんか問題にしていなかったから。きっと子どもだったんだよね。もう現実のつらい事は一切拒否して、誤魔化して、それでカメと遊んでいたんですよ(笑)。

 

──それでは、花輪さんを眠りから醒めさせた原因は何だったのですか?

花輪:やっぱり母親の死だね、死んでからバーっと一気に出たわけ。あの時は本当に自分が分からなくなっちゃったね。それまでは本当に夢うつつで生きてきたから、人生全部ドブに捨てた感じ。それをお袋の死で初めて気が付いてさ、自分は一体何だったってね。俺が3、4歳の頃、お袋が再婚したんですね。その義理の父が大嫌いだった。すごく嫌いだった。

丸尾:夜中に茶碗は投げる、暴れては鍋は投げる、そういう人だったんでしょ。

花輪:そう、もう地獄ね、アウシュビッツ収容所の記録フィルム見てさ「ああ、これって俺の家と同じじゃないか」って思ったもの(笑)。ものすごく恐かったし。

丸尾:そりゃ恐いでしょ。暴力ふるうんだもの。

花輪:いやそうじゃなくて、もっと何か違う恐さがあったの。

丸尾:あっ、要するにヨソの人っていう感じがあったんじゃないの。

花輪:そう、だからヨソの人だけれどヨソの人ではない。

丸尾:そういうヨソの人が家に入って来ているから違和感を感じたんでしょ。その人が隣りに住んでいれば全然恐くないけど、血の繋がりもないのに突然家の中に入ってきて、それを父親としてみなきゃいけない。なんでこの人が父親なんだって思っちゃうよね。だから違和感から恐怖感が生まれて、話もしたくなくなる。

花輪:そうそう。もう家に入るのが嫌なんですよ(笑)。一緒にいると、外に行きたいんだけれど出られない。スッて行くと悪いんじゃないかと思ってね。それでいろいろ考えて自分で無理矢理用事を作って「俺はその用事をするんだからオヤジの前から消えてもいいんだ」って自分に言い聞かせて外に出る。だから、義理のオヤジには憎しみと呪いを感じていたね。俺は本当に呪っていたね。もう呪って呪って呪い抜いた。「アレは死ね!! この世から消えろ!!」ってさ。もう、ありとあらゆるオヤジの残酷な死に様を思い描いてさ、汗びっしょりかいて「アイツは死ね!!」って思ってた。

 

葛藤のタマモノ

──花輪さんの漫画にはよく“極楽”という言葉が出てきますよね。主人公が「しあわせになりたい、しあわせになりたい」っていうところがありましたでしょ。

花輪:結局、しあわせってどういう事なのか分からないんですよ。

あるがままに生きるのが幸せだ、平々凡々と質素に生きる、そういうふうになればね、性格的にね、山奥の辺鄙なところに嫁にいって、そこで小さな畑を一所懸命耕して、あまり外にも出ずにおばあさんになっちゃって、でも「ああいい人生だった」って死ぬ人いっぱいいるでしょ。そういう人って凄いなあ、と思うね。「私は幸せだった、本当に楽しかった」と思える。ああいう人になれればいいなあ、と思いますよ。

ずっと抑圧されて抑圧されて、それでオヤジの事が大嫌いで……。そんな現実から目を伏せていたんでしょうね。だから眠ったままだった。そして、お袋が死んだとき、それがきっかけでね、「ああ、現実ってこんなに凄いんだ」って改めて思いましたよ。いかに自分が幼かったか。子どもだったてね。

 

──強烈な体験をされてきたんですね。でも、眠りからさめて、いろいろ葛藤はあるでしょうけれど、以前と比べると、少しは気持ちも代わりました?

花輪:うん、そうですね、なんていうか、子供の頃から共生依存があったんですね。要するに、自分の中に憎しみを取り込んでしまって、だから自分自身も憎かったんでしょ。自分自身に自信が持てない。劣等感、自己無価値感…。そういう悪いことだけを考えていたんです。だから、ずーっとボンヤリ生きてきたという事じゃないですか。

他人の服を着てずっと人生を歩いてきたような、そんな感じです。それに気づいたときには、もう取り返しがつかない。自分の人生が失敗だった、という思いで、すいぶん悩みましたけれどね。

 

──数珠を握りしめながら津軽海峡を渡って北海道に行ったのも、その頃だったんですね。

花輪:そう、津軽海峡を渡れば救われるというか、業が取れると思いました(笑)。

 

──まだ葛藤は激しかったんですね。

花輪:だって苦しいから逃れたんだもの。まだ凄い抑圧はあったし……。だから渡れたんだろうね。「東京でもラクに生きられるんだ」って分かればさ。葛藤とね、あと不安感。一番心の底にあったものはそれだね。

 

──でも、北海道に渡ってから漫画の中に、地獄、極楽、宇宙やお経などもよく出てくるようになりましたよね。そういう世界が。

花輪:それは葛藤のタマモノですね。

 

──そんな世界になってきてから、よく子どもが描かれていますね。

花輪:自分の心の中にはすごく、ああいう子どもの部分ってあるんですよ。自分でも分かるのかね。そのたび「ああ大人になりたい」と思っているんだけれど(笑)。

 

──花輪さん自信が投影されているんですね。

花輪:うん、そうですね。だから描きやすいんじゃないのかな。自分の心の中に子どもの部分がいっぱいあってさ、大人になれない部分が。やっぱり徐々に階段を登るようにして大人になっていくでしょ。でも、そうじゃなかった。

 

──でも、花輪さんの描く子どもは、すごく逞しいですね。

花輪:きっと、そうなればいいなあ、と思っているからですよ。

 

ほかのマンガ家

──花輪さんも丸尾さんも、描きあがった原稿を見ると、隅から隅まで描き込んであって、ものすごい時間がかかりますよね。

丸尾:あれは要するに空間恐怖症なんですよ。画面に白いところがあれば効果的だって分かっているんだけれど、白い部分があると不安になってくる(笑)。とにかく絵が四角く閉じ込められていないと安心しないんだよね。

花輪:あ、そうそう、ガロに描いているころ、枠の中に吹き出しがあるでしょ。あれが何か邪魔でさ。全部絵を描きたいと思っていた。

丸尾:なんかそれをさ、職人根性とかサービス精神とか解釈するんだけれど、そうじゃないんだよね。ただの空間恐怖症。楳図かずおとかギーガーなんかもそうじゃないかな。


──じゃあ、白っぽいところが多い人のマンガなんか見るとダメ?
丸尾:いや、自分には描けないからいいな、と思いますよ(笑)。


──他人のマンガなんかは、どういうふうに見ていますか。

花輪:ぱんこちゃんは面白いですね。少女の感性で描いていて。

丸尾:僕は山田花子さんが好きだね。女の人のマンガでは一番好きなんだよね。

花輪:あと、根本敬さんの村田藤吉さん好きですね。それに根本さんのマンガに出てくる小さいメガネをかけたオヤジ。全然怖いものなしでしょ。憧れますね。ああいう感じ(笑)。


──花輪さんは、確か吉田戦車さんも好きだったんですよね。『伝染るんです』なんか。

花輪:そうそう。あれ。モロに俺の事描いているような気がするよね。包帯少年って出てくるでしょ。あれなんか感情移入できる(笑)。

丸尾:斎藤さんは?カブト虫の。すぐ泣いてブーンって飛んで行くやつ。

花輪:ああ、あれは凄く理解できるよ。のどちんこの見える泣き方が凄く気持ちいいというかさ、思い切り泣いてくれて嬉しいよね(笑)。あのマンガはスーパーで立ち読みして、いつも笑っていたよ。全部理解できちゃうんだもの(笑)

 

『月刊漫画ガロ』1992年5月号所載

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ねこぢるインタビュー「ゲームの世界に生まれたかった」(ガロ1992年6月号)

ねこぢるインタビュー
ゲームの世界に生まれたかった

(出典元:ガロ1992年6月号)

──本誌で好評連載中の「ねこぢるうどん」。作者である、ねこぢること山野夫人と山野一氏にインタビュー。山野氏の「ねこぢるうどん」への関り方や発想の源、そして山野漫画の基盤を語る。


青林堂オリジナル版『ねこぢるうどん』表紙)

 

──『ねこぢるうどん』を始めた切掛というのは。

山野 僕の漫画の手伝いをやりたいと、いつも言ってたんですが、絵のタッチが全然違うんで、絵に合ったストーリーを創ったんです。

 

──では、山野一で描いている漫画と『ねこぢるうどん』の原作は、別個の物として考えているんですか。

山野ねこぢるうどん』はもう完璧にねこぢるの物だから、気に入らないと言われればネームを書き直したりしています。絵は何とか描けるんですが、漫画の形に体裁を整える作業が出来無いんで、僕が手伝っている様なものです。

 

──構成を山野さんが。

山野 コマ割とかが、苦手なんです。元々紙にイタズラ描きをしていた様なものだから。たまに僕の考えも入ったりする事もありますが、これならいいという物であれば入れてます、ダメな物も結構多いけど(笑)。“ねこさいばんの巻”は、僕の原作なんですが、嫌われてますね(笑)。

ねこぢる ネコだけでも十分幼稚なのに、その上虫まで出てくると、幼稚すぎる感じがしたから(笑)。

 

──主人公がネコというのは?

山野 ネコしか描けないんだよね(笑)。元々イタズラ描きで描いてたのがネコなんですよ。だから理由とか、意味なんて無いんです。

青林堂オリジナル版『ねこぢるうどん2』口絵)

 

──では、人物等は山野さんが描かれてるのですか?

山野 キャラクター、背景等のデザインで、若干アドバイスする事はありますが、実際に描くのは彼女です。

 

──“ねこぢる”というペンネームには、何か由来があるのですか。

ねこぢる 昔、二人で汁っていう言葉はキタナイなんて冗談で言っているうちに、自然に生まれたんです。

山野 “犬汁”とかね。オレンジジュースって言うと綺麗だけど“オレンジ汁”と言うとキタナイ感じでしょ(笑)。

 

── 一番気に入っている作品は何ですか。

ねこぢる “大魔導師の巻”です。これは自分から魔術師が出てくる話を創って欲しいと頼んだ位で。

山野 結末は、家も家族も捨ててサーカスに付いて何処かに行っちゃうほうがいいと言われたんですが、そうすると次の話が創れなくなってしまうんで(笑)、家族の元に留まらせました。






(月刊『ガロ』1991年4月号より山野一ねこぢるねこぢるうどん/大魔導師の巻』)

 

──“山のかみさまの巻”にも、ドーガ様の様なキャラクターが出て来ますね

山野 全く同じ顔で衣裳だけ違うんですけど(笑)、これも魔術師というか、超能力者が出てくる話を創ってくれというリクエストがあったもので。

ねこぢる “大魔導師ドーガ”というキャラクターは、『ファイナルファンタジー3』だったかな、それそのものが出てくるゲームがあるんです。下僕の様なネコちゃん達を従えていて、カッコイイんですよ(笑)。

山野 僕はやって無いから分からないんですが、彼女はゲームに入り込むとボロボロ泣いてたりしますよ(笑)。ファミコンのロールプレイングのゲームが好きで、それに入っちゃうと、中々仕事をやってくれないんです(笑)。一日二十時間位やってても平気で、ゲームの世界に生まれれば良かったなんて言ってるくらいなんです。

ねこぢるファイナルファンタジー』とは別のゲームなんですが、自分の為に命を捧げてくれるというのに凄く感動しちゃって、知らないうちに涙が出てきた。

山野 でもゲームソフトが子供に及ぼす影響は漫画の比じゃないですね、多分。表面上は勇気だとか冒険だとか謳ってますが、あんな有害な物は無いと思いますね(笑)。人間を虜にするだけの魅力を持ってますから。




(月刊『ガロ』1992年6月号「特集/ねこぢる」より山野一ねこぢるねこぢるうどん/山のかみさまの巻②』)

 

──自分達の漫画をゲームに出来たら、なんて思いますか。

山野 大変そうだけど、面白そうですね。世界そのものを創れますからね、こぢんまりとした世界の雛型かもしれませんが。ゲームをやっていると、ゲームと現実世界を重ねちゃうところがありますよね。ゲームの中のキャラクターが、そのプログラマーを知る事が絶対不可能な様に、現実の世界で動かされている我々人間がこの世界そのものをプログラムした創造主というか、神の様な者を認知する事が不可能であるみたいな、そんな馬鹿な事を考え出しちゃうんですよ。

 

──漫画家も紙の上での創造主になれますよね。

ねこぢる 自分はユーザー的な立場で見ているのが楽しいんだと思う。

 

──以前、ねこぢるさんの見た夢が題材になっている話もあるとお聞きしましたが、夢の話はよく使われるんですか。

山野 漫画の全てでは無いけど、何本か混ってます。とりとめの無い話を、後ろで話してたりするのを書き留めて、漫画にしたりする事もあります。

 

──日常話している中で、何か面白い事があるとメモして置くんですか。

山野 そうですね、見た夢の事とかよく話しますが、夢ってどんどん流れて行くから首尾一貫してないでしょ。そのままだと余りにも散漫になるので、漫画の形に多少は脚色してますけど。訳の分からないイメージみたいな物を無理矢理漫画にした事もあります。

 

──夢以外に作品の題材となっている物はありますか。

山野 大体、描き始める一時間位前に話を創るんですよ。だからその時偶然思いついた事をパッと描いてしまうんで、根がどこだったかなんて、ハッキリしない事が多いですね。

 

──では、潜在意識が描かせている様な処があるんでしょうか。夢ってそういうものですよね、『ねこぢるうどん』を読むと、悪い夢を見ていて、ハッと目覚めた様な気持ちになる事がありますけど。

山野 そんな上等な物じゃ無いですね(笑)。バタバタした中で描いてますから首尾一貫して無い事が多いんでしょう。

 

──漫画の中で、ネコ姉弟の子供らしさがリアルに描かれていると思うのですが、実際に子供の頃の体験等が、題材になっていたりするんですか。

山野 ソーセージの話(かわらの子の巻)は、そうだよね。

ねこぢる 幼稚園の時、親戚の家に遊びに行ったら、その家の前に住んでいるビンボー臭い子供が(笑)「一緒に遊んでくれたら、ソーセージあげる」って言ったんです。自分はそれまで真赤なソーセージを見た事も食べた事も無くて、何だかよく分から無いけど貰おうとしたら、いとこに「そういう物は、食べると体に毒だから。」って止められました。

(月刊『ガロ』1992年2・3月号より山野一ねこぢるねこぢるうどん/かわらの子の巻』)

 

──よく背景に描かれている、電信柱のある一本道や、工場や石油タンクなんかはお二人が子供の頃に見た原風景なんですか。

山野 原風景なんて立派な物じゃないですけど(笑)、石油タンクは僕の方ですね、四日市だったんで。非道い所でしたよ(笑)、ひたすらタンクだのパイプだのが入り乱れてる様な。毎日川の色が変わるんですよ、繊維の染物工場があって、その日に染める色で川の色が決まっちゃうんです。緑色の川とか、赤い色の川とか、日野日出志さんの漫画の様な世界でしたね。






日野日出志『地獄の子守唄』より)

 

──畸形の魚が上がったりしたんですか。

山野 いたでしょうね。釣とかしなかったんで分からなかったけど(笑)。コンビナートからかなり離れた海水浴場でも、タールの様な物が浮いてるんです。泳いでるとそれが肌に付いたりして、ギトギトでちょっとやそっとでは取れないんですよ。僕の親父は公害をタレ流す方だったんです、三菱化成という所に勤めていて、そこの環境課に居たんですよ。そこへ“団結”なんて書いてあるハチマキを絞めた住民が山の様に訪れると、曖昧な笑いを浮かべながらお茶を濁す様な役目だったんです(笑)。

それで、僕の小学校の担任が…これが日教組の豚みたいなオールドミスで、ひどい喘息持ちなんですよ。こいつが公害反対住民同盟の運動員で、まだわけもわからない子供に企業がいかにひどい犯罪を犯しているかという事を述べたてるんですよ。ゲホゲホあさましい程せきして油汗ダラダラ流しながら…。だから子供ながらに教室で肩身が狭いったらない(笑)。それで、親父がローカルのTVに出てたりするのを観て、当時は純真な子供でしたからイヤな物を感じましたけど、今はなんとも思わないですね。

 

── 一番先頭に立って、交渉を受ける立場だったんですか。

山野 そうですね。コンビナート関係の従業員とかは、実際喘息を持っていても届け出をするとマズいんですよ。そこに勤めている人だけが行く喘息の診療所があって、そこから至近距離に直径が10m以上で、曇りの日には先端が雲に隠れる様な巨大な煙突があるんです。先からモウモウと煙が出ているのを見て、ここでは雲を製造しているのかと思いましたね(笑)。幼稚園に入る前位の時でしたが。

 

──メルヘンですね。

山野 嫌なメルヘンですけどね(笑)。
しばらくしてから、余り空気が悪いんで郊外へ引越しましたけど。コンビナートのすぐ近くだと非道いみたいで、体育館の窓ガラスが二重になっていて、エアクリーナーをかけないと子供が運動出来無いんです。表に出て「ワー」なんて走ると、バッタリ倒れたりするんですよ(笑)。走るとイヤな空気を思いきり吸い込みますから。

 

──ねこぢるさんの子供の頃の環境は、どんな所でしたか。

山野 普通の所だよね。埼玉県の住宅地みたいな所で、近くに団地があって、何でこんな所に住んでるんだろうと思ったって言ってたよね(笑)。

ねこぢる どうしてこういう所に人が住んでるのか理解出来無かった。自分は普通の一建家に住んでたんですけど、近くに公団住宅みたいな二階建ての建物が一杯並んでる、迷路の様な団地があったんです。団地って必ず公園が付いてますよね、それが楽しくていつもそこで遊んでたんですけど、お父さんに、自分もこういう所に住みたいと言ったら、エラく怒られました。

 

──(笑)。漫画の中で、お父さんが無職で焼酎を飲んでゴロゴロしているという設定は、どこから出てきたんですか。

山野 僕らの家は、普通の家庭だったんですが、ねこぢるが小学校の頃、そういう家庭の子の家に届け物をしたんだっけ。

ねこぢる 同じクラスに登校拒否の子がいて、家がすぐ近くだったから、担任に手紙とかを渡しに行く様に頼まれて。〇〇子っていうんだけど「〇〇子さーん」て呼んでもアパートのドアの入口の所に居るのに、居留守使って出なかったりするんで、凄くイヤだった。仕様が無いから手紙を床の上に投げて置いてきたりした(笑)。その子は貧乏のクセに、体だけデカくて、小学五年の時に皆から「体は中二、頭は小二」て言われてて(笑)。学校にも、お母さんのワンピースにお父さんの菱形のワンポイントの付いた紺の靴下をはいて来る様な子で、皆から馬鹿にされてた。

(『BUBKA』1998年1月号より『たみこ』)

 

──そういった変な人には出会う機会が多いんですか。

山野 何か呼ぶ物があるんでしょうかね。ねこぢる新宿駅に立っていた時、雑踏のずっと向こうにいる浮浪者が、ニコニコしながら手を振ってるらしいんですよ。どう考えても自分に振っているとしか思えないらしくてね。

ねこぢる 働いてた時、帰りにいつも頭の足りなそうな人がバス停で後ろに並んでて。

山野 2、3mの間を行ったり来たりするのを、繰り返す人がいたんだよね。

ねこぢる その時、雨が降ってきたから折り畳み傘を広げようとしたんですけど、カサッて音がするとその音に敏感に反応してクルッと180度向きを変えるんです(笑)。

山野 直線的な動きをする人なんだよね。
勤め先の倉庫の大家さんの息子もオカシかったんだっけ。

ねこぢる パジャマ姿でいきなり降りて来て「ラジオが壊れた」とか「誰かが盗聴してる」とか言い出したりして(笑)。

山野 親が「そんな事してると、また病院に送るぞ」とか言うんだっけ。親の暖みとか全然感じられませんね、もう厄介者としか思ってない様な感じだね。

ねこぢる パートのおばさんが「病院にいると、色々覚えてくるのよねェ」なんて、こっちが聴いてなくても話したくてウズウズしてる感じで話しかけてくるんです。「性の事とか古株の人が教えるらしいのよねェ」とか、嬉しそうに話してた。

 

──子供の頃から身近にいたんですか、例えば“きよしちゃん”みたいな子供とか。

山野 本当にきよしちゃんという子がいて、体を動かさないと知能発達しないんで、よく近所の暇なおばさん連中が手伝いに借り出されて、陽気なリズムに合わせてお一、二、一、二て体操してましたけど。

 

──山野さんの漫画にも、ねこぢるさんの漫画にも、そういう人はよく出てきますね。

山野 面白いと思っているから描いているだけなんです(笑)。人間のムチャクチャな状況を傍から見てるのは好きですが、その只中に放り込まれるのはゴメンですね(笑)。

 

──そういう部分での共通性はありますけど、先程、山野さんは自分の漫画と『ねこぢるうどん』は全く別の物だと言われましたが、ねこぢるさんの漫画をどうご覧になっていますか。

山野 僕は人に嫌われる漫画ばかり描いてますけど、それよりはちょっと人に読まれ易いかな、という気はします。

 

──ねこぢるさんは山野さんの漫画をどうご覧になっていますか。

山野 イヤな漫画だと思ってたよね(笑)。

ねこぢる 『四丁目の夕日』はちょっとマニアックすぎて好きじゃないかな、貧乏人の話が嫌いっていうのもあるけど。『人間ポンプ』とか『ビーバーになった男』(※青林堂刊『ヒヤパカ』に収録)とか、スコンって抜けた感じでセリフ廻しのいいヤツが好きかな。映画なんかだと割と後味の悪い方が好きなんですけど、例えばクローネンバーグの『ブルード』とか観た後、凄くイヤな気持ちが残るんですが好きなんですよね。でも『四丁目の夕日』は余り好きじゃないなァ…(笑)。

(月刊『ガロ』1986年6月号より山野一『四丁目の夕日』扉)

 


山野一『貧困魔境伝ヒヤパカ』所載『人間ポンプ』)

 


山野一『貧困魔境伝ヒヤパカ』所載『ビーバーになった男』)

 

──『四丁目の夕日』から『ヒヤパカ』になって、山野さんの絵は随分変わりましたね。

山野 ああ、絵は節操無く変えていきますね、担当の編集者の言われるままに(笑)。

青林堂オリジナル版『貧困魔境伝ヒヤパカ』表紙)

 

──抵抗は無いんですか。

山野 最初のうちは、なんとか背景だけでもという感じで、控え目な態度で抵抗してたんですが(笑)、その内力尽きた感じになって今では何でも言われるままにやってます。もしラブコメ描けと言われたら描きますよ(笑)。根本敬さんの様な強靭な精神は僕には無かったんですね(笑)。今はもうエロ本関係でも、そんなに自由に描かせてくれませんから兎に角絵を明るくして、高校生が読んで抜けなきゃダメなんです。理解ある様な態度を示している所でも、取り敢えず最低限可愛い女の子を出して、セックスシーンがあって、それでまぁ余った部分で山野さんらしさを出して貰えればなんて(笑)、そんな体のいい話無いですよね(笑)。

 

──山野さんの漫画で一貫しているのは、悲惨で本当に救いようが無いんだけど、それを笑える感じにしていますよね。

山野 僕の場合、先月号の花輪和一さんの様に心の奥底にある根深い葛藤の様な物を作品の中でどう解消していくかという様な深刻な描き方をしていなくて、こう言っては失礼かもしれませんが、根本さんと似たスタンスで描いているつもりなんです。自分は笑える作品を描いてるつもりで、自分の中で悲惨な事と可笑しい事にそれ程距離を感じないんです。むしろ同じ位に思ってますね。



山野一『貧困魔境伝ヒヤパカ』所載『荒野のハリガネムシ』)

 

──言うならば、笑いの質ですね。

山野 そうですね、自分で楽しんで描いてるんです。飲み屋で気心の知れた連中と話している様な事を描いてますから、なんの制約もなければ、ずっとああいう漫画を描き続けていると思います。漫画が生活の手段で無かった頃は良かったんですけど今は編集の意向とかで、タイプの違ったのを描いてますけど。

 

──山野さんの漫画は登場人物の全てに救いが無いですよね。

山野 加害者も被害者も一様に不幸だという(笑)。

 

──支配者と被支配者がハッキリと分かれていますよね。『四丁目の夕日』に“世の中には奉仕する者とされる者との二種類の人間がいて、それは地下鉄の駅の様に明確に区切られている”というセリフがありましたが。

山野 惨めな境遇にある者が、幸福になるなんて絶対に許せないですよね(笑)。正しくないですよ。僕は正しい漫画を描いているのにな(笑)。理不尽な差別を受けて、皆から嫌われ蔑まれている者が爽やかな幸福を手に入れるなんて誰も納得しませんよ。

 

──その考え方は、何時頃から固まったものなんですか。

山野 何時頃からなんでしょうね、世間で誰からも“コイツは駄目な奴なんだ、自分がどう転んでもコイツ以下の人間には成ら無いんだ”って思われている様な者が幸福に成るのは、人間が生理的に一番我慢出来無い事なんじゃないかと思うんです(笑)。何か自分の拠り所というか、“支え”が無くなりますよね。

 

──そういった考え方が基本になっているんですか。

山野 『四丁目の夕日』を描いている時、あの頃は貧乏だったし、決して幸福な状況では無かったんですが、ナチの共産党嫌いってありますよね、自分が貧乏にもかかわらず貧乏が許せないという、それに似ているのかもしれませんね。この世の中を動かしているシステムの様な物に、生まれた時点で無理矢理適応せざるをえない訳ですよね、それが不条理な物であると認めつつも何とか適応しているにもかかわらず、正論なんかを言い出す奴がいると、納得出来無いんですよ。労働者が惨めな住宅に住んで、貧しい物を喰って、という状況を強いられている様な社会構造が間違っているなんて言い出す事事態が、何かおかしいんじゃないかと思うんです。別にしっかりした理論の裏付けがある訳でも無いんですが、体質的にそうなんですね、もう、根付いているというか。

 

──…直感で。

山野 ええ、納得出来無いシステムで、自分に不本意な地位しか与えられてないという事に甘んじているにもかかわらず、労働運動をする……まあ、今は賃上運動ですけど、そういう事に納得出来無いんですよ。徒党を組んで権利を主張するとか大嫌いなんです。労働者とか、日教組の教師とか大嫌いでしたね。

 

──山野さんは、学生時代に三畳の部屋に住んでいた事があるそうですね。

山野 それは納得出来るんです。
ヒンズー教徒では無いですが、神に与えられた地位でいくら自分が納得出来なくても、それに耐え続けるしかないという考えがあるのかもしれませんね。

 

──運命には逆らわない主義なんですか。

山野 というよりも、運命からは逃れられないという所がありますね。

 

──自分でも逃れようとは思わないんですか。

山野 上手く言葉では説明出来無いけど、自分が幸福に成るという気が全然しないんです。

 

──流れに身を任せる、という感じですね。ところでねこぢるさんは、今後の『ねこぢるうどん』の展開をどうお考えですか。

ねこぢる 自分は向上心が無いし、イヤな事があるとすぐ拒否するんで、今は仕事があるから続けてますけど、無くなったらキッパリやめられます。一時は、このまま続ける必要も無いんじゃないかと思ってました(笑)。

 

──今でもやめたいと思ってるんですか。

ねこぢる 一生懸命がんばります(笑)。

 

1992年4月2日
文責●ガロ編集部


『月刊漫画ガロ』1992年6月号所載

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※このインタビューは『ガロ』1992年6月号「特集/ねこぢる」からの引用です。この号に掲載されていたねこぢるの顔写真などは生前の本人と山野一氏の意志を尊重して再録しませんでした。

 

あとがき/山野一

山野一『貧困魔境伝ヒヤパカ』あとがき)

小田急線沿いの郊外に引っ越した。
ある夕方妻と二人で薬師池公園という所に行った。

バスが通っているはずなのだが、野津田車庫とか淵野辺とか境川団地とか、聞いた事もない行き先を掲げたバスが次々に来て、どれがその公園に行くのかわからない。案の定乗り間違えて、目的地から2キロも離れたバス停で降りた。いかにも郊外という景色で、山や畑の間に大きな団地が点在している。

公園は森に囲まれた谷あいにあった。神社や、江戸時代の農家などがあり、蜩がやかましいほど鳴いていた。大きな池には驚くほどたくさん亀と鯉がいた。妻が橋の上から煎餅を投げ与えると、水面がもり上がるぐらい寄って来る。亀にやろうとするのだが、亀は鈍いのでほとんど鯉に食われてしまった。その公園の近くにダリヤ園というのがあったが、妻が疲れたのでそのまま帰りのバスに乗った。

バスは何度も同じような団地の中をぬけて行った。箱のような棟が規則正しく並んでおり、その中で一きわ高いのが給水塔であった。コンクリート製の巨大な塔で、縦に三つ小さな窓が穿ってある。真っ赤な夕空を背景に、黒々とそびえるその姿は、まるで地獄の獄吏のようだ。この巨人はこの団地にすべからく水を供給し、人々はみなそれを飲んで生きているんだなあと思った。

しかし団地というものは大体どこでも同じようなものだ。
アパート、植え込み、駐車場、スーパー、給水塔、その上に取りつけられたスピーカーから流れる夕焼け小焼けのオルゴール。

私は子供の頃三重県四日市々の団地に住んでいたが、今窓から見える光景と少しも違わなかった。立ち話しているおばさん達や、自転車で帰る子供達、こういうものも、何かしらあらかじめ用意され、団地に備え付けてある付属品のようだ。ずっと向こうまで並んだ棟のどこかに、かつて住んでいた室があるような気がして、「ああもう帰らなくちゃ」と一人言を言った。

あの頃通っていた幼稚園には牧師の先生がいた。
先生が語るところによると、神様というのはどっかすごく高い所にいて、常にすべての人の一挙手一投足をごらんになっておられるそうだ。その言葉から私がイメージした神のイメージは給水塔であった。

なぜなら幼児だった自分にとって団地は世界のすべてであったし、その一番の高みにあって、一切を見下ろしているのは給水塔であったからだ。


山野一『貧困魔境伝ヒヤパカ』所載『のうしんぼう』)

トランスパーソナル心理学の現状と限界/果たして理論は禅を超えられるのか?(青山正明著『危ない1号』第4巻 特集/青山正明全仕事)

トランスパーソナル心理学の現状と限界/果たして理論は禅を超えられるのか?

青山正明

すべては絶頂体験から始まった

かつて、心理学には二つの大きな流れがあった。ひとつは個々の無意識に分け入って、そこに病根を求めるフロイト精神分析。もうひとつは、人間のあらゆる行動と思考を、外界からの<刺激>に基づく<反応>の集積としてとらえる行動主義心理学である。

ところが、1930年代になると、こうした二大潮流に対し疑問を投げかける専門家が現れ始める。その代表格が、アメリカの心理学者マズロー(1908〜1970)だ。

マズローはこう主張する。「無意識の発見が進化論、特殊相対整理論と並ぶ偉大な業績であることは間違いない。しかし、残念なことにフロイトは無意識の病的な部分にばかり着目し、健康的な側面を全く無視してしまった」。

同時に彼は、行動主義についても、「人間特有の能力である良心や罪の意識、理想、ユーモア等を充分に説明できない」と、否定的な見解を表明した。

右の反省点に立った上で、マズローが提案したのが、“第3の心理学”、人間性心理学である。

早速、マズローは研究に取りかかった。対象としたのは心身ともに健康で、世間的に成功者と見なされた人たちである。臨床の不足は、アンケート調査で補った。結果、彼ら“自己実現”を果たした人々に、共通する心的現象が認められることが分かった。マズローは、それを絶頂体験(至高体験)と名づける。

絶頂体験というのは、スポーツをした後、仕事が上手く片づいたとき、お気に入りの音楽を聴いているときなどに突然襲ってくる、束の間の、それでいてとてつもなく強烈な幸福感を指す。そして、マズローによれば、自己実現の度合いが高まるほど、人は頻繁に“絶頂体験”を体験するらしい。

ともあれ、彼がその著作の中で説いた絶頂体験は、あくまで自然発生を待つ、という類の偶発的現象でしかなかった。これをして、マズローの限界と指摘する向きもある。しかし、それはマズローの身体的疲弊に基づく研究続行の限界であり、決して絶頂体験理論そのものの限界ではない。そう、論文にこそまとめられていないものの、晩年のマズローは、絶頂体験を意識的に呼び起こし、それによって自己実現を達成させる“第4の心理学”を打ち立てるべきだと発言しているのだ。

そんな彼の意向を受け、大衆レベルで絶頂体験の積極的意味づけを試みたのがご存知コリン・ウィルソンであり(71年の著書『至高体験』)、それとは別に学問の分野で継承・発展を企図したのが、チェコスロバキア生まれの精神病理学者スタニスラフ・グロフ(1931〜)である。

TP心理学の成立

LSDを用い独自に人間心理の研究をしていたグロフは、自分の構築しつつある理論がマズローのそれとほとんど同じであることを知り、彼との接触を図った。

至高体験にあって、人は過去の体験や記憶だけでは説明のつかない情報をしばしば知覚する。ということは、つまり人間には、個の意識を超えた“統一知識”が存在するのでは……。意気投合したマズローとグロフは話し合いを重ねた末、68年、“第4の心理学”を「トランスパーソナル心理学」と呼ぶことで合意に達する。トランスパーソナルとは、個と個をつなぐ、あるいは個を超えた、と言う意味だ。

と、ここでひとつ、問題というか、いたって素朴な疑問を提示しておこう。

自己実現のレベルが高い人ほど、絶頂体験の頻度が高い──。これは分かる。が、果たしてその逆が成立するのだろうか。仮に何らかの意識変容装置(メカあるいは薬物)や訓練法が開発されて絶頂体験の増大が可能になったとしても、それが直接、自己実現を促すというのはあまりに短絡的な発想のように思えてならない。もし絶頂体験が仏教の“悟り”と同等の心的現象を指すのであれば、まだ納得の余地はある。しかし、人間性心理学でいう絶頂体験は、それを感得した人間の意識ばかりか人生をも変えてしまうほどのダイナミズムを持たない。

マズローの著作を読むと、絶頂体験とは、誰も1度や2度は体験したことのあるちょっとした幸福感をも含む、極めて広い概念用語なのだ。もしかすると、意識的に絶頂体験を積み重ねていけば、いつの日か悟りに達するのかもしれないが、この点に関しては、理論的にも臨床的にも未だ証明はなされていない。

臨床医グロフのあがき

「絶頂体験→自己実現」と、成り立ちからして飛躍の観が拭えないTP心理学ではあるけれど、「人生を豊かにする糧として人間心理への積極的テコ入れを図ろう」と言う姿勢は、大いに評価すべきだと思う。

TP心理学の最大の目的は、矮小な自我や近視眼的な自己実現を超越し、より広大かつ普遍的なレベルを目指して意識を“進化”させることにある。従って、旧来の心理学とは異なり、理解より“気づき”、理論より“体験や修行”を重視する傾向がある。ヨーガ、仏教思想、スーフィズム等々、東洋の神秘思想を精力的に取り入れているのは、そのような理由による。

さて、TP心理学が登場するまでの概略はこのくらいにして、次に、TP心理学の初期の枠組み、要するに今現在進行中であるTP心理学の方向づけを行ったふたりの功労者、スタニスラフ・グロフとケン・ウィルバーの研究成果、業績について触れてみよう。

グロフは、TP心理学の臨床面を支える重要人物である。
30余年にわたる臨床実験から、彼は、それぞれの人間が全宇宙ないし全存在に関する情報をも内包しているのだ、という結論を導き出した。この結論自体、疑問視せざるをえないのだが、まあ、それは無視して話を先に進めると、臨床医の立場からグロフは、TP心理学にふたつの業績を残したとされる。

子宮内の至福から、孤立の恐怖へ。グロフは、母親と<一体>となっていた胎児が、産道を通って外界へと放出され、母親と<分離>されるまでの過程を4つの段階に分け、それを「基本的分娩前後のマトリックス」=BPMと名づけた。そうして彼は、BPMのプロセスが、誕生後の人間にどれほど深刻な影響を与えるのかを証明したのだった。また、BPMの悪影響を取り払う方法として、グロフは、長時間にわたる深呼吸によって無意識に巣くうBPM(ブロック)を顕在化、それらを様々なボディ・ワークにて消滅させる「ホロトロピック・セラピー」を考案した。

こうしてみると確かにグロフは、偉大な学者である。何よりも、役に立つ心理学を生み出さんとする心意気が素晴らしい。しかし、である。よくよく考えればBPMプロセスはフロイトの「幼児体験とトラウマ」を押し進めただけという気がするし、ホロトロピック・セラピーにしても、その原型はハタ・ヨーガのプラーナヤーマ(呼吸法)。フロイト理論とヨーガのごく限られた行法を結び付け、「個を超えられますよ」と言われても、おいそれとはうなずけない。

絶頂体験なら喚起できるだろうが、どう考えてもこれで“悟り”は得られまい。言い忘れたが、マズローと違って、グロフは、一過性の絶頂体験にはあまり重きを置いていない。彼がなさんとしているのは、日常意識を統一意識のレベルに変容すること、すなわち“悟り”の短期実現なのである。が、正直、今の時点では、ホロトロピック・セラピーはまだ、TM瞑想のレベルにも達していない。

ミクスチャー心理学

TP心理学最高の理論家と称されるケン・ウィルバー。彼が打ち出した理論では、「意識のスペクトル論」と「アートマン・プロジェクト」が有名だ。

人の意識は7つの段階(スペクトル)に分類され、精神分析は自我のレベル、道教は統一意識のレベルといった具合に、ひと口に“意識の治療及び進化”と言っても、セラピーによって作用する意識のレベルは異なる──。「意識のスペクトル論」は、宗教を含めた諸セラピーの有効性を意識のレベルによって分類した画期的な理論である。しかしながら、意識の7つの段階というのは、ヨーガの7つのチャクラ、カバラにある創世の7日間、あるいはグルジェフの7つのセンター等々、ありふれた雛形というギミック感がつきまとう。

いまひとつのアートマン・プロジェクトは、意識は進化し、最終的には森羅万象合一したアートマン(真我)へと至るのでは、という仮説である。悟り=真我を意識の到達点とするのはグロフと全く同じなのだが、残念ながらウィルバーは、それを成し遂げるためのノウハウには言及していない。「将来、人類は意識の梯子を上り詰め、悟りに達する」これは理論と言うより、単なる願望である。

グロフ然り、ウィルバー然り。TP心理学者は現在、何とか“悟りの秘薬”を調合しようと、学際的見地から、すなわち大脳生理学、分子生物学、免疫学等々、ありとあらゆる分野の新たな研究成果を投入しつつ、古今東西の心身修養テクニックのミクスチャー実験を行っている最中である。この言わば“新旧セラピーのごった煮”から、いつの日か“悟りの秘薬”が生まれることを信じて……。

TP心理学の限界と禅

悟りを追い求めるグロフとウィルバー。TP心理学では悟りを“統一意識”と呼ぶ。その名の通り、統一意識は諸々の事象を無分別に受け入れる心を意味する。

光と闇、善と悪、生と死、快楽と苦悩、味方と敵、表と裏……。人はかような二元論に固執し、それらの片方のみ──光・善・快楽・味方・表──の増大を望む。が、これは、明らかに世の実相と矛盾する。なぜなら、闇のないところに光はなく、裏がなくてはまた表も存在しえないからだ。そうした観点に立ち、二元論を排して、全てをセットで受容しようというのが悟りの境地、TP心理学の提唱する統一意識の実現である(ウィルバー著『無境界』に詳述)。

TP心理学は、人をして統一意識を目覚めさせる理論と実践方法を模索している。しかし、理論面にしても実践面にしても、確たる成果は未だ提出されていない。実のところ、グロフにしてもウィルバーにしても、「テキスト化できるような理論や技法を編み出すのはしょせん不可能」と思っている嫌いがあるのだ。

グロフは「ホロトロピック・セラピーの原理」なる論文の中で、「“危機”こそ最大の成長の機会である」との旨を記している。「極限の“危機”を経ずして統一意識を目覚めさせることはできない」。TP心理学を日本に紹介した吉福伸逸氏も、昨年2月、ハワイで会ったとき、そう語っていた。ウィルバーは自分の理論が仮説であることを認めているし、また、彼が「意識のスペクトル論」の手本としたグルジェフ(意識の振動帯域論)も、「“危機”こそが意識レベルを上げる唯一無二の触媒である」と常々語っていた。

そう、TP心理学者は皆、「悟り=統一意識実現の“鍵”」が「心身の“危機”状況」にあることを認めながら、そこに踏み込めずに、理論やテクニックの創世にかかずらわっているのだ。

怪我、病、口喧嘩、離婚、愛する者の死、借金、失業。等々──。言うまでもなく、“危機状況”の内容は個々人によって異なる。ゆえに、「危機の発現」は、普遍性を重んずる学術理論やシステム化されたボディワークには馴染まなない。「危機の実現」=「悟りの発現」は、その多様さ、不合理さゆえに、学問となることをかたくなに拒み続ける。

真理の周縁を、永久にグルグル回り続けるTP心理学──。
と、僕が思うに、現段階で、個々人に相応しい“危機”を誘発しうるのは、禅において他にないのではあるまいか。

唐代末期の高名な禅匠、雲門はその師、睦州(ぼくじゅう)に片脚を折られ、不具者になったことによって初めて悟りを得た。同じく唐代の僧、臨済は「喝(かつ)」という叫びで、数多くの弟子たちを瞬時に悟りへと導いた。例を挙げていくと切りがないのだが、「危機」と「悟り」を不可分と見なす禅では、人の数だけ「危機」=「悟りの源」があるとし、その誘発方法も千差万別。極端な話“死ぬ”ことでしか悟りに到達しえない者もいる、と禅は説く。おお、コワッ……。禅問答に代表されるように、禅の技法が合理精神と合致しないのは当然なのである。あまつさえ、二元論の徹底的排除を根本原理とする禅にあっては、「問う者」と「答える者」の分離さえも否定する。これを精神科の領域でたとえるなら、「医師」と「患者」、「セラピスト」と「患者」との区別さえ無意味ということになる。つまり、悟りへと至る道筋は、問う者自らが見出さなくてはならないのだ。

あっ、ちょっと難しくなっちゃったな……。

鈴木大拙曰く。「禅は、この世で最も非合理で、想像を絶するものである」「内臓を九転させるほどの苦痛と葛藤を経てこそ、はじめて内なる不純物が一掃され、人は全く新しい人生観をもって生まれ変わる」(『禅の意味』56年より)。
統一意識=悟りに達するためには、人は先に挙げたように、個々人によって異なるその人なりの「危機状況=どん底体験」を経験しなくてはならない。そして目下のところ、個々人に適した危機を誘発せしめるシステムは、禅(非システム)以外に見当たらず、ありとあらゆるTP心理学の研究は、禅を組織化しようとするパラドクシカルな目論見に過ぎない。しかしながら、禅は全くもって理論や合理に馴染まない──。これがTP心理学、そして悟りに関する僕の見解である。ぶっちゃけた話、グロフやウィルバーの理論的限界は、彼らにとっての個人的な「危機」であり、読者(患者や被験者)ではなく、彼ら自身を悟りへと導く灯火なのである。

ってことですが、とりあえず期待はしてます、TP心理学。“死”をも肯定する禅は、やっぱ恐いもん……。

 

『危ない1号第4巻 特集/青山正明全仕事

「Flesh Paper【肉新聞】No.133」より

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青山 正明

日本の編集者・ライター。鬼畜系ムック『危ない1号』編集長。ドラッグ、ロリコン、スカトロ、フリークスからカルトムービー、テクノ、辺境音楽、異端思想、精神世界まで幅広くアングラシーンを論ずる鬼畜系文筆家の草分け的存在。ドラッグに関する文章を書いた日本人ライターの中では、実践に基づいた記述と薬学的記述において特異であり快楽主義者を標榜していた。2001年6月17日に神奈川県横須賀市の自宅で縊死。40歳没。

イメージの治癒力──「諦観」と「リズム」でハイな毎日を(青山正明絶筆遺稿)

イメージの治癒力──「諦観」と「リズム」でハイな毎日を

青山正明

現在では、アジアの一部地域、南米や南太平洋の島々、東欧圏等にわずかに存在するにすぎないシャーマン。彼女たちが(シャーマンのほとんどは女性)、独自の方法で多くの人々の心身の病を治したという事例は、文化人類学マイケル・ハーナーをはじめ、医学を含む様々な学際的研究者たちの調査によって、数え切れないほど報告されている。

が、薬草使用にせよ、身体接触にせよ、シャーマンが患者に対して行う施術のほとんどは、今日の医学的知識や技術から見れば、“治療”ではなく“儀式”であって、そんな単なる“おまじないごと”で病気が治ってしまうというのは、説明不可能というか、あり得ないことなのだ。

しかし、事実は事実、シャーマンは先進諸国の医者たちとほぼ同じレベルの治療実績を上げている。ただし、これこそが重要なポイントなのだが、シャーマンがその治癒能力を発揮できる対象(患者)は、そのシャーマンのパワーを心の底から信じている閉ざされた共同体の住民に限定されるということ。これが何を意味するのかというと、神への信仰にも似た、シャーマンに対する絶対的信頼感があってはじめて、治療は成立するのである。

不安、失望、無気力、不信感といったペシミスティックな心が病気を引き起こし、希望、信頼感、絶対に治るといったオプティミスティックな心は病気を退け、癒す。

こういった「心の在り方」と「病気」との深い関係は、西洋社会でも長らく医療の常識・基盤になっていた。15世紀から16世紀に活躍し“医科学の祖”と呼ばれ、酸化鉄、銅といった金属化合物を初めて医薬品として使用したスイスのパラケルススでさえ、一貫して「治療における患者の想像力」の重要性を力説してたのだ。

ところが、17世紀になって“近代哲学の祖”であるデカルトが二元論を提唱したのを機に、「心」と「肉体」とは全くの別物として考えられるようになり、「心=イメージ」は医学の中核の地位を失ってしまう。そして、医者は「心の在り方」を無視して、まるで機械でも取り扱うように患者の「肉体/症状」のみに治療の重きを置くようになった。しかし、今世紀の半ば頃から、分子生物学オステオパシー(骨療法)、精神神経免疫学等々の研究者たちによって、このような二元的アプローチでは病気は治らないことが明らかになり、治療における「イメージ」の重要性が再び見直されるようになりはじめた。

例を挙げていくと切りがないので、ひとつ「プラシーボ効果」なるものを取り上げて説明してみるとしよう。プラシーボとは、「自分を喜ばせる」というラテン語に由来し、現在では、その症状に対して全く利き目のない乳糖等を含む「ニセ薬」を指して言う。ジェローム・フランクの調査によれば、プラシーボは、あらゆる薬物療法、外科的治療の治癒率とほぼ変わらぬ30%から70%の治療実績を上げるものと報告している。また、映画『ジュラシック・パーク』や、TVシリーズ『ER』の原作者として知られるマイケル・クライトンハーバード大学医学部在籍中に、心臓病患者の80%は悲観的心理状態が原因で、楽観的心的状態を引き起こすことによって治ることを発見し、その医療功績を認められている。

と、長々と「心=イメージ」が「肉体/疾病」に及ぼす影響を記してきたが、肯定的なイメージが、肉体にとどまらず、心の状態にも大きく作用することも、ここ最近になって立証、見直されるようになってきた。

“多幸感”や“快感”で心を満たす、ハイな気分で一生を送る方法は色々ある。趣味や娯楽活動、スポーツに打ち込む、知恵を絞って大金を手にする、努力の甲斐あって意中の人と恋愛関係が成立する、等々。しかしながら、努力やら能力やら勤勉やらが報われにくくなっている今の世襲制階級社会において、こうした回りくどい方法を取っても、それが成就する確率は非常に低い。が、だからといって、合法・非合法を問わず、向精神作用を有する物質を摂取してハイになるというのも、有効な手段でないばかりか、最終的には不安、鬱、混乱といった由々しき精神状態をもたらしてしまう。

なぜかと言うと、いわゆるドラッグを鍵に例えるなら、人間の脳内には、その鍵とピッタリ一致する鍵穴(レセプター)が存在する。鍵が鍵穴にはめ込まれて、人ははじめてハイを体験するのであるが、こうした行為を続けていくと、レセプターは次第に消耗/減少していき、いくらドラッグの量をふやそうがトベなくなるばかりか、レセプターの消耗/減少によって、前述したような精神状態の悪化をもたらしてしまう。

と、ここで特筆すべきは、ドラッグ(鍵)とピッタリ一致するレセプター(鍵穴)脳内に存在するという事実だ。つまり、このことは元来、人の脳や免疫系が、ドラッグと同じ物質(神経ペプチド/化学伝達物質)を自ら生み出していることを意味するのだ。しかも、こうした内因性ドラッグは、レセプターを破壊することもほとんどなく、トビはドラッグと同じにして、なおかつ安全という嬉しい性質を持っている。

では、内因性ドラッグを分泌させ、脳内や免疫系、全身のあらゆる細胞に働きかけ「ハイ」になるにはどうすればいいのだろう。

それは、今まで長々と記してきた「心=イメージ」と「肉体/疾病」の関係と同じく、常にオプティミスティックなイメージを思い描くようにすること、と言いたいところだが、しかし、そこには落とし穴がある。前論を全面否定してしまうようで何だが、希望、願望、信頼感といった楽観的なイメージは、換言すれば“欲望”であり、それが上手く達成されなかったときには、功を奏しないばかりか、かえって悪い精神状態を引き起こしてしまう。そこで、大切なのが、仏教に由来する概念、“諦観”という心の持ち方である。諦観とは、「あきらめる」という意味と共に、「悟る」という意味を持つ。

挫折・絶望と表裏一体である欲望を捨て去り、信じる者は救われる的なオプティミスティックな「イメージ」にも固執することなく、諦観の心──「あるがままを受け入れる」「足ることを知る」といった「イメージ」を常に持つようにして生きる。

そうすれば、必要に応じて「なすべきこと」が頭に思い浮かぶようになるし、また「ハイの状態」もその人の現在の精神状態や置かれた境遇に応じて、自然ともたらされるようになる。

この「オプティミスティックなイメージ」に代わり「諦観のイメージ」を持つことと、もうひとつ大切な概念というか思想に──「リズム」があるのだが、紙数にも限りがあるし、読者の皆さんに欲求不満を与えるようで申し訳ないのだが、ここでは、その一端をちょっと紹介するにとどめておこう。

映画『レナードの朝』の原作者として知られ、昨年『色のない島へ』が邦訳刊行された、アメリカの脳外科医オリヴァー・サックス。彼は日常生活もロクにできない精神薄弱児を対象に、こんな実験をした。

精神薄弱児にコーヒーをスプーンですくって、カップに入れ、そこにお湯を注いで、かき回すといった行為をさせた。その際、1、2、3、4等のリズム(掛け声なり手拍子なり)に合わせて行わせたところ、それまで自力でできなかった、こうした行動ができるようになったというのだ。これは生活全般にも言えることで、毎日決まりきった生活パターン(時間や内容)を心掛けるようにすると、これまた「ハイ」がもたらされる。日常生活にうんざり、刺激を求めて「リズム」を崩すと、却ってロクなことはないのである。テクノも「リズム」重視だしネ。

簡単な紹介になってしまったが、「イメージ=諦観」と「リズム」、このふたつのキーワードに着目することが、「幸福な人生」を送る鍵となり、また「安全かつ良質なハイ」をもたらすうえで重要であることを、各自、心に深く刻み込んでいただきたい。

さらなる、研究成果については、またいつか系統的な書物としてまとめられるよう、40歳にして、学習の毎日を送る青山でありましたぁ。

青山正明 

1960年横須賀生まれ。『危ない1号』編集長、『危ない薬』『アダルトグッズ完全使用マニアル』(いずれもデータハウス)『表も裏もまるかじりタイ極楽ガイド』(宝島社)著者。

カルトムービーやテクノから異端思想、精神世界、そしてロリコン、ドラッグ、変態までディープシーンを広く論ずる鬼畜系文筆家の草分け的存在。

慶応大学在学中に幻の鬼畜カルトミニコミ誌『突然変異』を編集。ロリータや障害者、皇室まで幅広く扱う同誌は熱狂的な支持者を獲得したが、1982年朝日新聞を中心に、椎名誠等々の文化人に「日本を駄目にした元凶」「こんな雑誌けしからん、世の中から追放しろ!」とマスメディアから袋叩きに遭い、ついにどこの書店も置いてくれなくなり、あえなく廃刊。

その後、白夜書房入魂の伝説的ロリコン総合誌『ヘイ!バディー』や三和出版の『サバド』、特殊海外旅行誌『エキセントリック』などの創刊と廃刊に立ち会う。

1995年『危ない1号』を創刊、その年『大麻取締法』により逮捕される。

1996年1月10日、新宿ロフトプラスワンで行われたトークイベント“鬼畜ナイト”は保釈出所したばかりの青山氏を励ます会と言うことで、日本中から鬼畜系あやしげな人たちが30人以上パネラーとして駆けつけた、たとえば村崎百郎や柳下毅一朗、根本敬石丸元章諸氏等が実に「危ないトークショー」を開催。

この伝説の一夜は満員の怪しげな観客とともに次の日の朝6時まで繰り広げられた。その日の一日のトークの内容がデーターハウスより『鬼畜ナイト』として出版され7万部を記録する。

1999年夏、青山氏のライフワークであった過去数十年の貴重な原稿を厳選しまとめ上げた『危ない1号・第4巻』にて完結、廃刊になる。

「やりたかった事はやり尽くした!」との結論があって、天才編集者青山氏は裏社会から表社会に、影から光りに転向を決意。「神なき時代の神=思想」の創造をもくろみつつ、精神神経免疫学、分子栄養学、禅等々を学ぶ。

この遺稿は『BURST』2000年9月号に掲載された。

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解説──天災編集者・青山正明の世界

ばるぼら

青山による書き下ろしの論考『イメージの治癒力──「諦観」と「リズム」でハイな毎日を』は、精神世界への傾倒をにおわせる、いつになく難解な文章だった。

シャーマンの治療とプラシーボ効果デカルトによって切り離された心と体などの話題から始まり、人はもともとドラッグを受け入れる鍵穴(レセプター)を持っている、人間が分泌する内因性ドラッグでハイになるには「諦念」と「リズム」が重要である、「イメージ=諦観」はあきらめと悟りである、毎日同じ生活を繰り返す「リズム」によって人はハイになる……など、青山が模索していた次のステージの片鱗として興味深い内容ではあるのだが、『危ない1号』で見られたハッピーな文体とは違っていた。

この論考と、インタビューで語っていた「今は次の段階に行く充電期間……これからは“癒し”の時代だと思ってるんですけどね。まだ勉強不足と言うところがあって、近い将来そういう本を作れればいいな〜って……」という発言だけでは推測が難しいが、ドラッグと同じだけの幸福感を得られる合法な手段は、もはや精神の安定と充実にしか活路が見い出せなかったのかもしれない。この前後にビデオ紹介コラムなどを書いていたとの情報もあるが、名前を出したオフィシャルな原稿は、結果的にこれが最後のものとなる。

『Crash』1996年3月号掲載の『フレッシュ・ペーパー』最終回では、青山がこれまでの連載を振りかって分析し、ドラッグは最初から書き続けているが、その他の傾向として「ギャグ/グロテスクもの」「ホラー映画」「心理学/思想ネタ」の3つのテーマをあげている。しかしこれら「エロ/グロ/ナンセンス」については「もう飽きた」とのことらしく、今後はプロデュース&編集をメインに活動を続けるという宣言がある。

僕自身は、ドラッグ体験のさらに次のレベル「イメージ&リズム」を基調とした「死ぬまでハイでいられる思想(気づき)」の創造を評論なりエッセイなり小説なりで追及・展開していく心づもりです。

既成の宗教や思想、心理学、それから大脳分子生化学に遺伝子研究と、学際的な探求が要求されるのでかなり時間はかかると思いますが、「エクスタシー思想」の考案こそが僕に課せられた使命だと思ってますんで(俺って、もしかして狂ってる?)、まあ、気長に、そして大いに期待して下さい。 

 青山が追求してきたのはまさに「暇つぶし」であり、その重要なファクターが「快楽」だった。暇つぶしのためにドラッグをやり、テイストレスなジョークネタを探し、ホラー映画を観て、テクノにハマる。しかし逮捕をきっかけに大きな割合を占めていたドラッグについて大っぴらに語れなくなったゆえに、別の快楽を探すことになった青山は、その行く末を人間の精神性と身体性(イメージ&リズム)に定める。

しかしその快楽を分かりやすく伝える言葉を見つけないまま、逝ってしまった。もしかしたらこれらではドラッグを超える快楽は得られないと気付いてしまったのかもしれない、とも考えられるが、答えは永遠にわからない。

2001年6月17日、青山正明は神奈川県の自宅で首を吊って、自殺した。

 

参考文献

『BURST』2000年9月号(コアマガジン

帰って来た?天才編集者 青山正明インタビュー

ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第22回 - WEBスナイパー

ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第55回 青山正明と「Flesh Paper」/『Crash』編(11) - WEBスナイパー

吉永嘉明『自殺されちゃった僕』解説◎春日武彦「掟破り、ということ」

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吉永嘉明『自殺されちゃった僕』

解説──掟破り、ということ

春日武彦

自分にとって大切な人が、しかも妻を含めて、次々にこの世を去って行ったとしたら、これはかなりのダメージを心に受けることだろう。おまけにその死が若過ぎ、自殺であったとなると。

そんな事態になったら、おそらく自分が何か不吉なものや禍々しいものを発散しているかのように感じるのではないだろうか。死の縁をわざわざ歩きたがるような人を、向こう側へ突き落としてしまうような邪(よこしま)な要素を自分が備えていると感じるのではないだろうか。あるいは、自分が不幸を招き寄せる体質なのではないか、と。普通、こんな目に遭う人物なんて、滅多にいないのだから。

実は不幸の理由をわたしは知っている。本文を読み進めるうちに、すぐに思い当たった。簡単な話である。著者(以下、Yと略す)がこんな運命に陥ることになったのは、わたしのせいなのである。わたしはYと一面識もない。共通の知人も(たぶん)いない。すなわちYと当方とは接点がない。ただしこちらは彼の仕事を知っている。彼が作った『危ない1号』を読んでいるからである。当時勤めていた精神病院の医局に、なぜかこれが転がっていたので、好奇心半分に手に取ってみたのである。そしてクズみたいな本だと思った。志が低く、屈折した思い上がりが充満し、反社会的であることを自由や純粋さと履き違えているようなゴミ雑誌であった。プライドばかりが高く、しかし才能は乏しく、責任転嫁の得意な薄汚い若者の苛立ちに迎合するような安っぽい雑誌であると思った。おぞましいことこの上ない。洒落にもならないチープ感と虚勢とが、下卑たオーラとなって頁のあいだから悪臭のように漂い出てくるかの如きであった。

こんなものを作ったり書いたりする奴は、品性下劣な人間であると心の底から思った。わたしは、たまらなく不快であった。冗談抜きで、こんな本を作った奴に災いあれと呪ったのである。本気で、不幸が襲いかかりますようにと念じたのであった。
触るのも汚らわしいようなウンコ本であるから、呪いを掛けたあとはさっさと記憶から消し去るように心掛けた。そうしておよそ十年が経ち、わたしは自分の呪いが本当に効力を発揮していたことを知ったのである。したがってYの不幸はわたしの力に依るものであるが、さらに遡って考えれば、彼の不幸は自業自得なのである。わたしは彼に同情をする気はない。ついでながら、テクノ/トランスも大嫌いである。

Yの周囲にいて、早々と彼岸へと旅立ってしまった三人は、共通したトーンを備えている。なるほどYから見れば、才能をきらめかせ、強烈な個性に彩られ、衆愚に迎合しない気骨を持ち、けれどもきわめて繊細で傷つきやすい魂の持主たちということになるのだろう。所詮、澁澤龍彦を読むことで自分の精神が高貴であると自分に言い聞かせているようなレベルであろうと、やはり眩しい存在ということだったのであろう。サラリーマンを、その画一的なスーツ姿ゆえに内面もまた唾棄に値すると決めつけるような類の底の浅い精神性しか持ち合わせていなくとも、ランボオの末裔みたいに映ったのであろう。

彼らは、死に魅惑されていた。たとえ死を恐れようと、それ以上に死へ惹きつけられてた。なぜ死は魅力的なのか。最強のカードであり、多くの人たちをうろたえさせるからである。ただし、死は誰にでも訪れる。死なない人間はいない。死は月並みであり、たとえどんな死に方をしようと「死」そのものは凡庸である。どうして気取った人たち、自らを精神的な貴族と任じているような人たちは、かくも凡庸なものに固執するのか。そもそも死は生理現象の一環であり、そうした意味では汗や口臭や垢や便の仲間なのである。そんなものを特別扱いする心情が分からない。

自殺をする人たちを観察していると、彼らの動機は結局のところ二つであることが分かってくる。すなわち、《逆上》と《うんざり》である。前者は頭に血が上った状態で衝動的に行われる。後者は、この世の中や人間そのものや自分自身に心底幻滅した挙句の行為である。したがって両者が合体することもある。

彼ら三名は(そしてYも)、実家の家族内に歪(いびつ)な心性が潜在し、そうした家庭で育ったことによって、自分だけではコントロールのつけようがない怒りや自己嫌悪や空虚感を自身に内包してしまった気配がある。そのような観点からは、彼らは生まれながらの被害者的な側面もあるのかもしれない。傲慢さや傍若無人なトーンの背後には、深い「よるべなさ」や違和感や絶望感が潜んでいたに違いない。彼らは認めたがらないだろうけれど、家族への反感や怒りと同時にそのような感情を持ってしまった自分に対して罪悪感を覚え、それがために自身を持て余してしまう部分があったのかもしれない。

死は凡庸である。だからこそ、彼らは死に寄り添うとき、本音の部分において寛げたのではないのか。なぜなら、もはや虚勢を張らなくても良いのだから。誰にとっても前代未聞であるのに、呆れるばかりに退屈なしろものが死なのである。自分自身を持て余し、特別であろうとすることに疲れたとき、究極の凡庸に飛び込んでみたくなるのも無理からぬ話なのかもしれない。

ところでYは、物故した三名に比べれば遥かに凡俗である。だからこそ、コンビニで働いてでもこうして生きながらえている。凡庸さは生を肯定したがると同時に、死が凡庸の極みであるという事実はまことに興味深いが、Yがその両極をバランス良く携えていたからこそ、精神的に不安定な三人は彼の周囲に集まって来たのだろう。実際、Yはろくでもない本を作りジャンキーになりかけているボンクラであるが、優しい。善意があり、誠意がある。ウエットで、(気恥ずかしい位に)ロマンチストである。『危ない1号』と、本書から窺えるYの人柄とはしばしば繋がり難いように思えてしまう。だがその奇妙な併存の加減こそが、三名にとって気の休まる存在だったということなのだろう。

Yは、案外と不器用で立ち回りの下手な人物に感じられる。まあ小賢しい男であったならば三名は直感的に毛嫌いしたに違いないし、わたしから呪いを掛けられるような隙も見せなかったであろう。本書のような情けない物語を綴ったりもするまい。彼の人柄ゆえに三人は近付いてきて、やがて彼らは《逆上》だか《うんざり》だかで自壊していった。おそらくYの存在が少しばかり自壊の速度を遅らせ、才能を発揮させる触媒として作用したことだろう。だが結局は死へと突入し、Yはどこかでそれが自分の責任であるかのように感じている。それは錯覚である。Yに悪い部分はない。問題があるとしたら、中途半端な鬼畜編集者であったがゆえにゴミ雑誌を世に出し、読者であるわたしから呪われてしまったことだけであろう。

本書は、いったいどのように読まれるべきなのか。背徳風味のボリス・ヴィアン的な青春物語としてか。パーソナリティーに問題を抱えた人たちの症例報告か。ある種のカルチャーにおいてはスターであった人たちにまつわる内幕話か。それとも、愛する人たちを失った男による慟哭の手記か。

そのどれであっても、本書は詰めが甘く「ぬるい」。正直なところ、金を取って他人に読ませる水準の文章なのだろうかと首を傾げたくなる。Yはドラッグで脳が萎縮しているのではないか。それとも、もともと駄目人間なのか。たぶん、両方とも正解のような気がする。ただし、注目すべきはこの本に限っては卑しげな雰囲気がないことであろう。自己憐憫にふけっていても、泣き言を述べていても、苦笑したくなるようなつまらぬ正論を語っていても、とにかく無防備で正直である。本文にこんな箇所がある。

本書の原稿のダイジェスト版をある出版社の女性編集者に見せたことがある。彼女は「私は早紀さんを知りません。そういう他人の立場から言うと、この原稿に書かれている早紀さんを好きにはなれないですね。オヤジに依存しバブルに踊り、生きにくくなったら死んじゃう。はっきり言って同情できません」

わたしも女性編集者と同意見である。しかしYは記す、「女性編集者が冷静でいられるのは『愛』がないからだ」と。

ここで愛を持ち出してしまったら、もはや「ああそうですか」としか答えようがないではないか。まともな物書きであったなら、愛などという身も蓋もない言葉は持ち出すまい。あの三人が死という「掟破り」を持ち出したように、Yは愛という「掟破り」ですべてを肯定しようとする。そのなりふり構わぬところに、本書の意味はあるのかもしれない。言い換えれば、愛の無力さと盲目ぶりとがここに描かれているということになろうか。そのように考えてみれば、なるほど本書には予想以上の価値があるのかもしれない、『危ない1号』とは違って。

────精神科医

 

※この文章は2008年刊行の幻冬舎アウトロー文庫版より転載いたしました。

吉永嘉明

 

1962年東京生まれ。明治大学文学部卒。バブル期に就職を迎え、出版界に入る。以来、ずっとフリーで雑誌・書籍の編集に従事。バブル末期には雑誌編集の傍ら就職情報誌や企業案内パンフレットなどを手がけ、「出版バブル」を体験する。海外取材雑誌『エキセントリック』編集部を経て、サブカルで勢いがあった頃の『別冊宝島』で編集・ライターをするようになる。95年~97年、雑誌形式のムック『危ない1号』(データハウス)の編集に従事。著書に『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社幻冬舎アウトロー文庫)『タイ〔極楽〕ガイド』『ハワイ〔極楽〕ガイド』(共に宝島社文庫)など、編・著書に『アダルトグッズ完全使用マニュアル』『危ない1号』(共にデータハウス)『サイケデリック&トランス』(コアマガジン)など多数。近年、編集より執筆の仕事に重きをおくようになる。

眼孔姦にまつわる話──鬼畜系キャンパスマガジン『突然変異』にルーツを見る

突然変異社『突然変異Vol.3/1981年11月15日発行

お年始ボランティアの薦め(奥中亜紀)

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お年始ボランティアの薦め/奥中亜紀

1. 一年をふりかえって(新年への決意)

“完全参加と平等”をテーマに健常者と障害者が、がっちりとスクラム*1を押し進めてきた国際障害者年(IYDP*2)も残すところ一ヶ月あまりとなった。

一体自分は、この一年、障害者のために何をしただろうかと、心を痛めている向きも少なくないと思う。しかし、実行は伴わずとも「ともに生きる」ことなら、あなたにとってこの一年は、決っして無為なものとはならなかったはずだ。そして来年こそは実践に移そうと固く心に誓っていることだろう。

そんな心ある読者のために先人の貴重な体験談を随所に織り交ぜながらサリ・マイ(手短か)にではあるが、「お年始ボランティア」なるものを理解する上で、何かヒントとなる様なものを記してみたい。

 

2.いきなり具体例

いきなり、具体例としてある少年の体験談を挙げよう。
「ポクは、今年女子大の3年になる目の不自由な女の人をお年始しました。彼女は身寄りがないのか独り暮らしでしたが、あらかじめ彼女の大学の点字同好会を通して紹介してもらっていたので快く招き入れてくれました。」

 自らをラジオ・ピョンヤン日本語放送第2プログラム*3の熱心なリスナーと語る外国人の少年は、流暢な日本語でとつとつと語ってくれた。

 「持参のきんとんを差し出すと、まあ、きんとんには目がないのよ*4と言うおねえさんのパヤイ基本的に目がないんじゃないですかと言ったら表情が曇ったんですけどやがて互いにうちとけてかるたとりでもしようかということになりました。結果はポクの完勝でした。だっておねえさんたら一枚もとれないんだもの あはははは……」

 ここで急に少年は神妙な顔つきとなり、こう語を継いだ。

「その時なんです。ポクの心に住む悪魔が頭をもたげたのは。その、なんてゆーか、ポクは普段から、直腸ガンで今にも死にそうなおじいさんの人工肛門にチンポをぶっこんだらどんなに気持ちイイだろう、なんてよく考えるんですけども、このおねえさんのカラッポの眼窩だったら気持ちイさはその比ではないんじゃないかって思ったんです。

ズム!と彼女の左の眼窩にチンポを突っ込むでしょ。

そうすんと、やがて涙液で潤ってくる。まつ毛の微妙な感触と眼輪筋など眼筋の著しい収縮に耐えられなくなってものの一分も経たぬうち、ポクは奥歯をくいしばりながら気をやってしまう。

眼窩に満ち満ちたアポロンの子らは、暗黒の洞窟からの出口を求めて彷徨する。あるものは視束管から頭蓋腔内にあふれだし、果てしなきニューロンの海へと、あてどない船旅にでる。

またあるものは鼻涙管に楽園へのとばロを求め、鼻腔に下り、前鼻孔よりいったん外界をかいま見てから彼女のうす紅の唇に吸い取られ、あますことなく嚥下される。

せんぶ飲んじゃったの、との彼女をおもんばかるポクの言葉にこっくりとうなずき、“おのどが焼けそう…”と右の眼窩を涙でいっぱいにする彼女だが、その間もポクの手指は、あふれんぱかりの涙をたたえた右の眼窩を休むことなく、優しくくじり続ける。

ああ、しどろなる情交の極北にあらわる、ろうそくの炎にも似た安定して不安定な、この、あえかな光は一体なんだろう。一体、このあえかな光は、あえかな光は……」

 虚空の一点をにらんだきり、もはやいくら言葉をかけても何の反応も示さなくなった彼を鉄格子の向こうに残し、私はゆっくりと立ち去るのだった。

 まあ、つまり少年は、単に気ィが狂ったというだけで実際にやったかやらなかったかは、誰にもわからない、ということだ*5。よろしく。

読者諸兄には、少年の当初の心構えのみを見習って頂きたい。

そりゃあ誰だって12歳ぐらいで、毛もそぞろのメクラの少女を地下室で秘かに飼ってみたい、なんちゅーことは考えることだが、それを実行するのとグッとこらえるとでは決定的な差異があり、その差異というのは、伊藤つかさ*6とオメコするのを想像してセンズるのと、本当に伊藤つかさとオメコするのとぐらいの差異である。

(中略)

さて、そろそろこのへんで、一応の総括を試みたい。

その前に、まず注意事項から。盲人用信号が赤のとき、あらかじめ用意したカセットテープレコーダーで“通りゃんせ”*7のメロディーを流す「ああ、人類愛の土俵際!自然淘汰ゲーム」は危険につき、絶対しないこと。手短かな人と動物園に行った折、手長猿は絶対目に触れさせぬこと。以上の二点を厳守し、誠心誠意「ともに生きる」ことを心がけよう。常に恵まれない人々とフィフティ・フィフティな間柄で接する気持ちを、我々は忘れてはならないのだ。

最後に結びの言葉として、国際障害者年のテーマを記す。

────完全参加と平等────

…この記事は80年代の伝説的なキャンパスマガジン『突然変異』からの転載です。f:id:kougasetumei:20170910163348p:plain特殊性癖『眼孔姦』早い話がアレを眼にブチ込むってだけのプレイです。

人間「穴」さえあれば、という妄想力の可能性を感じさせる実にヤなプレイです。生身の人間でやったら普通に死ぬので、二次元ありきの鬼畜系特殊性癖に留まってますが、現実のAVでも「眼射」くらいは一応あります。まあ、くれぐれも眼孔姦は死姦の内に留めておきたいですね。

さて白状すると自分は眼孔姦のプレイ内容が特殊すぎて“性的な意味”での興味は全然ありません。そもそも眼孔姦は世界的な普遍性を持ち合わせてるものなのか、それとも日本人という変態民族が築き上げたマイナーな性癖なのか、これもよく分からない

そもそも何故この話題を取り上げてるかと云うと、たまたま手に取った80年代の変態ミニコミ誌『突然変異 Vol.3』(突然変異社/脳細胞爆裂マガジン)に眼孔姦をテーマにしたレポートがあったからです。

自分はこの『突然変異』に掲載されていた眼孔姦をネタにしたルポ記事を読んで、眼孔姦なんてしょせんオタク文化特有のニッチな特殊性癖だろうという偏見から、変態の権威である歴史的なミニコミ誌でも取り上げられるほどの実は普遍的な特殊性癖(?)ではないかと視点が変わっていった訳です。

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突然変異』といえばロリコンやドラッグなど鬼畜系の権威として知られる故・青山正明が編集に参加していたことで知られる慶応大学初のキャンパスマガジンで変態と知性が交錯する、日本一IQの高いトンデモマガジンでした。

しかし81年8月、『突然変異』に嫌悪感を抱いた椎名誠朝日新聞紙上で「ゴミ雑誌、ゴキブリ雑誌。バイキンをまき散らすだけの雑誌」「書店はもっと中身をきちんと見て扱った方がいい」と糾弾し、それが要因となって僅か4号で廃刊してしまいます*8

さて、この元祖(?)眼孔姦記事ですが、精神身体障害者をネタにする時点で不謹慎極まりないんですけど、まあ内容がとにかく酷い(笑)そして背徳的な感じがエロくもあります。元々眼孔姦なんて特殊性癖は日本の変態オタク文化(特にネット文化圏)が産み落とした新手の性癖だと勝手に認識してましたけど、実は35年以上前に、しかも慶応のキャンパスマガジンがやってたというのは、眼孔姦の歴史(?)を覆す新事実ではないでしょうか?

もしかしたら海外のSM小説にも眼孔姦のルーツがあるのかもしれないですが、埒があかないので、ひとまず終了──。

*1:むろん健常者は、障害者に対し、ある程度の手加減をしなければ怪我をする。

*2:IYDP=International Year of Disabled Persons

*3:ちなみに第1プロは日本人向け放送。

*4:事実きんとんは眼を有しないので少年の誤解かと思われる。

*5:犯らないことにしておけば無難である。

*6:今年の冬には聖子なみの人気になっていると思われる。

*7:「……帰りはコワイ~……」という歌詞が“不安を与える”とのことで、現在、改訂の動きがある。

*8:『突然変異』3号の編集後記より「予定より一ヶ月以上も発行の遅れたことをお詫びします。つまらない問題を抱えてしまい、雑誌作りの方に手がまわらなかったのです。椎名誠という前頭葉に蛆虫をわかしたネズミが血迷ったためです。オドシや抗議の電話が殺到しました。本誌はまだ体制の整っていないミニコミですので廃刊に追い込まれなかったことが不思議なくらいでした(引用者注:結局4号目を最後に廃刊)。『突然変異』に制裁を加えるとミニコミ界の独裁者気どりでいきまく椎名誠氏に言っておきます。朝日新開の権威を貸りて、『突然変異』を書店から閉め出そうとしたあなたは、同じミニコミを作っている人間とは信じられません。雑誌に対して、好き嫌いを明確にすることはいくらやってもかまいませんが、しかしあなたはその域を明らかに超えています。精薄児を笑いものにしているというのも所詮あなたの悪意的解釈に止まっているのですから。もっとも笑いの対象にしていると取られても、いっこうにかまいません。何も知恵連れの子供たちを特別視することはないと思っています。むしろあなたの方にこそ差別意識があると感じます。権威の頂点に立つ天皇も、弱者である精薄児も同じレベルでチャカしているわけで、そこには差別意識はないとハツキリ言っておきます。すべてを同等と考える上で、これは一つの試みである筈です。あなたが『良識』を振り回すなら、こちらにもこちらの『良識』があるのです

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