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雑誌周辺文化研究互助

貧困魔境伝ヒヤパカ - あとがき

小田急線沿いの郊外に引っ越した。
ある夕方妻と二人で薬師池公園という所に行った。

バスが通っているはずなのだが、野津田車庫とか淵野辺とか境川団地とか、聞いた事もない行き先を掲げたバスが次々に来て、どれがその公園に行くのかわからない。案の定乗り間違えて、目的地から2キロも離れたバス停で降りた。いかにも郊外という景色で、山や畑の間に大きな団地が点在している。

公園は森に囲まれた谷あいにあった。神社や、江戸時代の農家などがあり、蜩がやかましいほど鳴いていた。大きな池には驚くほどたくさん亀と鯉がいた。妻が橋の上から煎餅を投げ与えると、水面がもり上がるぐらい寄って来る。亀にやろうとするのだが、亀は鈍いのでほとんど鯉に食われてしまった。その公園の近くにダリヤ園というのがあったが、妻が疲れたのでそのまま帰りのバスに乗った。

バスは何度も同じような団地の中をぬけて行った。箱のような棟が規則正しく並んでおり、その中で一きわ高いのが給水塔であった。コンクリート製の巨大な塔で、縦に三つ小さな窓が穿ってある。真っ赤な夕空を背景に、黒々とそびえるその姿は、まるで地獄の獄吏のようだ。この巨人はこの団地にすべからく水を供給し、人々はみなそれを飲んで生きているんだなあと思った。

しかし団地というものは大体どこでも同じようなものだ。
アパート、植え込み、駐車場、スーパー、給水塔、その上に取りつけられたスピーカーから流れる夕焼け小焼けのオルゴール。

私は子供の頃三重県四日市々の団地に住んでいたが、今窓から見える光景と少しも違わなかった。立ち話しているおばさん達や、自転車で帰る子供達、こういうものも、何かしらあらかじめ用意され、団地に備え付けてある付属品のようだ。ずっと向こうまで並んだ棟のどこかに、かつて住んでいた室があるような気がして、「ああもう帰らなくちゃ」と一人言を言った。

あの頃通っていた幼稚園には牧師の先生がいた。
先生が語るところによると、神様というのはどっかすごく高い所にいて、常にすべての人の一挙手一投足をごらんになっておられるそうだ。その言葉から私がイメージした神のイメージは給水塔であった。

なぜなら幼児だった自分にとって団地は世界のすべてであったし、その一番の高みにあって、一切を見下ろしているのは給水塔であったからだ。

 

山野一『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)所載

山野一『混沌大陸パンゲア』解説/大塚恭司(TVディレクター)

混沌大陸パンゲア』解説/大塚恭司(TVディレクター)
 
数年前、私は山野氏の前作『ヒヤパカ』と前々作『四丁目の夕日』を本屋で立ち読みしたことによって、それまでの人生で最長にして最悪の欝病から電撃的に解放された経験を持つ。

私は元来躁欝病質で、過去に何度も舞上がりと落ち込みを繰り返してきたが、他人の作った物がそのキッカケになったのは、後にも先にもそれが唯一の経験である。したがって、私にとって山野氏の作品群は特別な意味を持っている。

私の欝病の症状は、認識と感覚の世界においてトンネルに入った様な状態に陥いるというのが最も大きな特徴である。つまり、あらゆる事物から、何ら抽象的概念を受け取る事が出来なくなるという症状に、或る日突然襲われるのである。

何を見ても美しいとも醜いとも感じない。驚きもなければ、落嘆も無い。好きだという感覚も一切湧かないし、嫌いという感覚も湧かない。その他どんな種類の抽象的感覚も、外界の事物から一切認識出来なくなってしまうのである。大抵の場合、ある時期が過ぎれば発病した時と同様に、突然その症状から解放される。しかし、その時の欝病の状態は、それ以前とは訳が違っていた。その様な症状が丸三年近くも続いていたのである。

そんな時期に出会った山野氏の作品群は、それらが持つ抽象性の圧倒的力強さと鋭さで、私を幽閉する認識と感覚のトンネルに穴を開けた。

レトリックのうまさだけが評価され氾濫する世の中で、山野氏の作品はいかに最短距離で本質に到達するかという事に賭けている。そして「自分が面白い」と思う感覚に忠実である事に微塵の揺らぎも無い。

そんな姿勢で描かれた作品は、病的な感覚麻痺状態に陥った人間に対しても、なおも感じさせるだけの力を持っているのだ。

作品その物の面白さと、その様な作品が存在する事自体に感動した私は、部屋に戻ってからもその二冊を何度も何度も繰り返して読み、数時間に渡って大爆笑した。その大爆笑発作が過ぎ去った時、私を取り巻いていたトンネルは完全に破壊され、跡形もなく消滅していた。

処女短編集『夢の島で逢いましょう』では混沌としていた作風が、第二作『四丁目の夕日』で確立され、第三作『ヒヤパカ』では「最短距離で本質に到達する」という抽象性における特質が見事に開花し、それは驚異的な完成度を持つ作品集に仕上がっている。

今回の最新作『混沌大陸・パンゲア』は、その名の通りもう一度混沌とした世界に立ち返っている様にも見受けられ、それは山野氏が作家として螺旋状に進化していく一過程の様で興味深い。異色の作品を創り出す氏だが、作家としての進化は、非常にシンプルで正統な道を歩んでいるのかも知れない。

或る作風で驚異的完成度の域に到達した作家が、その後抽象性においてどんなひろがりを見せていくのか?『パンゲア』は、その可能性を暗示する過渡期の作品集であり、それ自体の作品としての面白さと同時に、作家山野一の今後をゾクゾクする程期待させる物になっている。

ブラフばかりで構築された世界。そしてブラフばかりで構築された人々の世界観。自分の世界観があまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。山野作品は、その唾棄すべき世界観を一気にクラッシュしてくれる。

私はいつも枕元に四冊の山野作品を並べ、繰り返し読んでいる。しかし、それは決してキリスト教徒における聖書の様な物ではない。私は毎回ゲタゲタと声を出して下品に笑う。するとパンチパーマをかけた心の中のもう一人の自分が叫び出すのだ。

「だからやっば、山野一の漫画が一番おもしれえっつってっぴゃー」と……

※この文章は93年刊行の『混沌大陸パンゲア』(青林堂)より転載いたしました。

山野一「食えませんから」(ガロ1993年6月号)

 

自分が初めてガロに投稿したのは83年だからもう今年で漫画家生活10年になる。

しかし偉そーに漫画家と言っても始めの2年は掲載してくれたのはガロだけ、よって収入はゼロ、アルバイトで飢えをしのいでいた。世間ではこーゆー人の事を漫画家とは言うまい。初めて単行本が出て印税というものを受け取った時は思わず目頭が熱くなった、あんまり安くて。それも旋盤工の月給程度の金額を御丁寧にも5分割で払って下さるのだ。商品としての自分の漫画の価値がいかに低いものであるかという事をつくづく思い知らされた。

それからSM誌とか土方向けエロ本なんかに描くようになりアルバイトをやめる。ところが不愉快な労働から解放され、やれ嬉しやと思ったのもつかの間、この手の零細雑誌はすぐ廃刊してしまうため、たちまち窮乏する。

家賃2万風呂無し共同便所の殺風景な四畳半。

あるのは醤油で煮しめたようなふとんと殺風景なスチール机だけ。ふとんは学生時代友人から貰ったもので、机はその友人と2人で大学から盗んだ物だった(真昼間に堂々と運び出したら別に誰にも見咎められなかった)。ガスや電話(漫画家の命綱)も止められ、コーヒーのお湯は電気炊飯器で沸かしていた。今思えばよく生きて来られたものだと自分でも感心するぐらい。

そんな荒廃した生活で自分は身も心も腐りはてていたが、どんなに惨めだろーが、どんなに落ちぶれ果てよーが、二度と再び働きに出るよーな事はすまい、ほんの少しでも世間の方々のお役に立つよーな事はやるまいと秘かに心に誓っていた。そんな心がけのせいであろうか、その後もこの世界ではひたすら冷遇され続けた。

自分の能力のうち評価されたのは多少絵が描けるという一点だけで、注文が来るのは明るいお色気物とかほのぼのサラリーマン漫画とか自分の性質とは縁もゆかりもないものばかりであった。

2、3年前ギガという漫画誌が創刊され、そこにルーキーリーグなる企画があった。数十人の新人漫画家が、秋元康とか高橋源一郎とかどーでもいーよーなやつらの審査の元、勝ちぬき戦をやるというバカバカしい物であった。本物の新人ばかりだと内容が希薄になるので誰も知らないよーなプロが何割かヤラセで雇われており、その一人が自分であった。

担当編集者が 「ウチはねえ、まともな商業誌ですから、ガロとかに描いてるよーなのは困りますから、なんかエッチな女子高生物とかそーゆのを描いて下さいよ」と言うのでその通りの物を描いてやった。完全になめられてるなァと思いつつもギャラの小銭が欲しかったのだ。結果はわずか2回戦でブザマに敗退した。

グランドチャンピオンという漫画誌の編集はめずらしく理解があり、最低限の規制はあるもののほとんど自由にやらせてくれた。うんうんここはいい会社じゃわいと思っていっしょうけんめい描いていたところたったの7回で打ち切りになった。7回すべてが読者の不人気投票No.1であったそーな。まあこの手の話を挙げれば枚挙にいとまがない。

自分の友人(日雇いガードマン32才)はこう言った。

「仕事とはそもそも不愉快なものだ。味あわされた苦痛や屈辱、そーゆーものの代価としてわずかな銭を受け取るのだ。」けだし事実であろう。そう思えば諦めもつくし何かこう安らかな気持ちになる。個人的な実感としてはガロで描き続けていた事はペルーの通貨を貯金していたよーなものであった。それなりの満足があるにはあるが、他所のどこへ持って行っても通用しなかったし、時にはマイナスにすらなった。

ガロというのは何でも描かせてくれるがそれで食っていくのは不可能。普通の雑誌は拘束されるが金はもらえる。

これから投稿して漫画家になろうというよーな人は、好むと好まざるに関わらずこの両極の間のどこかに自分の位置を見つけていかざるをえないという事を知っておいて損はないだろうと思う。

青林堂『月刊漫画ガロ』1993年6月号「特集・新人漫画大行進」203頁より転載)

鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?

鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?

若者のファッションや音楽において「渋谷系」というジャンルが席巻したように、若者カルチャー界で今、急速にその足場を固めつつあるのが「鬼畜系」だ。死体写真やフリークス写真に軽~いノリの文章*1を添え、ハードなスカトロなどの変態の世界を嬉々として笑い飛ばす。さらにドラッグやレイプ、幼児買春といった犯罪行為の情報も満載。このタブーなき欲望追求カルチャーは一体どこへ向かうのか?

①鬼と畜生

②残酷な行いをするもの。恩義を知らぬもの

「鬼畜」を広辞苑で引くとこんな解説が出ている。

ここ1年で「鬼畜系」なる新たなカルチャー・ジャンルが確立しつつあるが、ここで言う「鬼畜系」とは、広辞苑で言うところの②、すなわち、モラルや法にとらわれず、欲望に忠実になって、徹底的に下品で、残酷なものを楽しんじゃおうというスタンスだ。

まず死体写真ブームから発展した悪趣味本ブームの流れとモンド・カルチャーの脱力感が合流*2。そこに過激な企画モノAVの変態性が吸収され、さらにドラッグ、レイプ、幼児買春などの犯罪情報が合体した──

「鬼畜系」誕生のプロセスをごくごく簡単に言うと、こんな感じだろうか。

インターネットの大ブームにより、過激なアンダーグラウンド情報が容易に入手できるようになったのも、この流れを加速させた要因だろう。

「鬼畜系」の“取扱品目”の中には、大昔から「変態」と呼ばれるジャンルとして存在していたものも少なくない。スカトロやロリコンなどはまさしくそうだし、また、死体写真やフリークス写真だって昔からあった。が、「鬼畜系」という言葉によって、それら“専門店”が集まって、「危ないもの、下品なものの明るく楽しい総合デパート」と化した。

以前ならマニア向けの専門店にひっそりと置かれていたはずの情報が、一般書店で堂々と平積みされるようになったのだ。「鬼畜系」はそれまで日本に蔓延していた、妙に気取った、表面的かつ潔癖症的な“トレンディ文化”に辟易していた人々の支持を得た。モラルも法も超えて、人間の醜悪な欲望をムキ出しにする試みは魅力的で、何より怖いもの見たさの好奇心を満足させてくれる。

しかしここにきて、その一部に「人が嫌悪感を抱きそうなものならなんでもアリ」*3といったノリが生まれ、「嫌悪感を与えること」が目的化してしまったようにすら見える。その結果、露悪趣味のみならず、「レイプ犯の嬉々とした手記」(本物かどうかは別問題)や「幼児買春の“レア情報”」などの、どうもついていけないものも入りはじめた。

こうした情報を発信する側は本当はどこまで鬼畜なのか?

また受け手はどうとらえているのか?

彼らの、道徳も法も飛び越えたところにあるであろう、“独自の倫理観”を探ってみることにした。(SPA!編集部)

 

「鬼畜系」メディアの人々が語る独自の倫理観

良識派の一般人”ならイヤ~な気持ちになること必至の情報を嬉々として表現する[鬼畜系]メディアの表現者たち。果たして彼らの倫理観とはいかなるものなのか?

もともと、閉ざされたマニア空間で流通していた鬼畜系メディア。しかし、現在は同人誌的なワクを超えて広く世に出回り、一般的な道徳観念や法的抑止力とは無縁な欲望を吐き出している。SPA!だって表現の自由に与するメディア。別に世の良識派宮崎勤事件を引き合いに出して糾弾するようなことをする気は毛頭ないけれど、彼ら鬼畜系メディアの表現者たちの倫理観がどんなものなのか、率直に聞いてみたい。

たとえばロリコン・メディア。同好の士がSMに興じようが、スカトロ晩餐会を催そうが勝手だ。が、合意の成立しないイタイケな少女を性のはけ口にするロリコンの世界は、堕ちていくほどに寒々しい鬼畜感に満ちてくる。

「僕が小説の読者に対して言ってるのは、あくまで妄想だけなんだってこと。もし実践してしまったら、後に残るのは多分、空しさだけだろう、と。その意味で僕がやっていることは妄想として止めておくためのツール作り。風通しをよくするための、ね」

ロリコン雑誌、ビデオの編集者で、ロリータ小説家でもある斉田石也氏はこう語る。しかし、ナボコフのような小説世界ならいざ知らず、性欲処理の“ツール”を作るために実際に10歳前後の少女を脱がして被写体にすることを自身でどう感じているのか。生け贄的に商品化するのは必要悪か?

「必要悪というか……難しいところですね。現場では単なる商品として扱っていますよ。でも、商品として扱うのが鬼畜だとしたら、大人のAVだってそうでしょ」

斉田氏には中学3年の子供がいるという。「男の子です。もし、女の子だったら、今の自分はないと思いますよ。やっぱり良心の呵責みたいなものもあるだろうし、女の子を商品として見られなくなるだろうと思いますよ。この業界、よくいるんですよ。女の子が生まれて足を洗っちゃう人がね」

 

記事が鬼畜的な願望の代償行為になる。

コンビニでも売っているジャンクNEWSマガジン『BUBKA』。モンド・カルチャーが満載されてる中に、“ホンモノ”のレイプ魔のインタビュー記事がサラリと載っていたりする。恍惚とした語り口、具体的な実行データ。ピカレスクでは片付けられない鬼畜臭が漂う。

「言葉やイメージで認識していても、具体的にどういうものかわからないことってありますよね。それを見せようというのが雑誌のコンセプトです。レイプ記事にしても、レイプの実態を加害者の側と被害者の側から見せて、男と女が持っているレイプ願望の認識のズレを浮き上がらせるのが目的」

と、編集長の寺島知裕氏。

寺島氏個人にとっての倫理観のボーダーは、他者を精神的、肉体的に傷つけないことだという。

「レイプがよいものだとは絶対に言ってないし、そもそもレイプに対しての評価自体を下していません。犯罪を助長すると言われると困りますが、要するに事実を伝える報道ですよ。逆に典型的なレイプ犯の実像を出すことで、自分に都合のいいようにしか考えない男のレイプ願望を女性にわかってほしいし、読んで自己防衛に役立ててほしい。男性読者には記事が代償行為、疑似体験として受け入れられる部分もあると思いますよ」

KUKIデジタルの鬼畜系CD-ROM、「餓鬼」レーベルの制作スタッフからも同様の声が聞こえてきた。

ガス抜きですよ。殴りたいけど殴れない人たちのためのバーチャルリアリティ。鬼畜的なことをやるなと言う気はないけど、鬼畜的な題材を使った作品を見ることで、満足してそれで終わってほしいですね」(チーフプロデューサー・山本雅弘氏)

 

鬼畜表現の行間を読んでほしい。

多くの鬼畜系メディアの表現者たちは、ブームの以前から個々のジャンルを追い続けてきた。先の斉田氏は十数年も前からその世界の住人だった。

今のロリコンマニアが全ていわゆる鬼畜と言えるかというとそうじゃない。ごく一部の、タイに幼女買春ツアーに行くような人たちだけですよ、鬼畜なのは。でも今のブームの中で純粋なロリコンマニアまで、そう思われてしまう。仕方ないことですけどね

と、斉田氏は言う。

鬼畜系という文化的なジャンルが新たにできつつある中で“先住人”たちも自然、そのワクの中にくくられていく。

V&Rプランニング代表、安達かおる氏も『デスファイル』などの死体ビデオを、早くから制作していた先住人の一人だ。

「5~6年前、僕が『ジャンク』という死体物の劇場映画を作った当時は、人間の死を語ることがタブー視されていた時代です。そういう法律じゃない部分で隠されなきゃいけないモノにすごく興味があった。たとえば、ベトナム戦争で死んでいく兵士を、なぜ教育上よくないとか気持ち悪いからと覆い隠さなければならないのか。死を直視して初めて生が浮き上がると思うんですよ。そういう発想でやってきた。だから、本当は僕の作品を見て、目を覆って吐いてほしい。これでオナニーされたらたまんない(笑い)。今の鬼畜ブームは僕なりに意図していた方向とは多少違ってきている気がする」

死に限らず、タブーに隠された人間の本能を描くことが安達氏の“快楽”でありライフワークだ。

「人がどう思うかはあまり問題じゃなくて、あくまで自分が興味のある世界を描いているだけ。でも、仕事を離れれば人が不快と思うことはやりたくないし、恥ずかしいくらいモラリストですよ」

社会が覆い隠すタブーを暴くという意味では、特殊漫画家の根本敬氏も鬼畜ブームのはるか以前からイカれた人たちの顔や動きに視点を置いた作品を作ってきた。

「別に見世物にしている意識はないよ。本当なら自分たちだけで楽しんでいればいいんだろうけど、その楽しさの奥にある良さも悪さも表現したいって欲求が、モノを作っている人間にはあるんだよ

昔からあった自分の作品が現在の鬼畜ブームの中にカテゴライズされるのはどう思う?

「仮に嫌だと思っても、嫌だと言っちゃいけないんだ。何だかんだ言っても、それでイベントやったり本書いたりしてお金を稼いでるんだから。これが俺の倫理観だな。たまたま鬼畜ってものが、経済原則の中にはまっただけのことだよ

鬼畜メディアの表現者たちに共通するのは、自分たちが表現したいことを忠実に表現してきたということだ。根本氏は鬼畜メディアの表現者の立場をこう代弁する。

鬼畜文化圏にある人たちはたまたま鬼畜ってことに折り合いをつけてるだけのこと。何でもそうだけど、問題はその表現の行間を読める人間と読めない人間がいるってことなんだよ

では、鬼畜メディアの情報を受け取る側は、表現者の行間をどれほど読み取っているのだろうか。

 

鬼畜系消費者の奇妙な優越感

鬼畜系の商品は実際にはどんな人たちが購入して、どう受け止められているのだろうか? 彼らの生の声を拾った。

 

まずは、死体ビデオなどを数多く扱っている“鬼畜系ショップ”にどんなお客さんが来るのか、見に行った。驚いたのは5分ほどの間に2組もの若いカップルが来たことだ。図式は同じで、女が死体ビデオなどを手に取りキャーキャーと気味悪がり、男が毅然とした態度で「こういうモノから目を背けてはいけない理由」を説くのだ。

男「オマエだって交通事故に遭ったらこうなるんだぜ。世の中ってこういうもの見せないようにばっかりするけど、間違ってるよな

」女「えー、でもわざわざ見なくてもいいじゃん……」

男「わかってねえな~、これを見た後に焼き肉をガンガン食えてこそ、正しい人間ってるんなんだよ」

女「えー、ヤダ~」

……。この男、鬼畜を気取ってやがる。男の“論理”は鬼畜系文化人の間でさんざん言い尽くされた鬼畜論理の“定番”である。オシャレで表面的なトレンディ文化の対極にある、人間の醜悪な欲望を直視し、世の中が「見ないようにしている」ことの偽善性を笑う。それ自体はSPA!も支持したいるのだ。だが、この男は致命的な過ちを犯している。やっぱり露悪趣味的なるのは「見たい人だけが見ればいい」のだ。わざわざ写真などで見なくても、自らの欲望や偽善性と向き合うことはできるのだから。もっと純粋な好奇心だけでいいハズなのだ。

こうした鬼畜系文化人の論理を浅~く受け売りして鬼畜を気取る「鬼畜バカ」とでも呼ぶべき人が、昨今の鬼畜ブームで増えたのだろうか? SPA!は、手当たり次第に“鬼畜系商品”を持っているという人たちの話を聞いてみた。

時々死体写真やフリークス写真が掲載されている程度で、鬼畜というよりはモンド・カルチャー色の強い『GON』や『BUBKA』の読者は「下らなくて面白いじゃん」「怖いもの見たさで見ちゃう」という以上の言葉を語る人はほとんどいなかった。

だが、実際に死体ビデオを持っていたり、より残酷さを楽しむニュアンスの強い雑誌・書籍購読者の一部に“鬼畜文化バカ”が存在していた。彼らの言葉からは、「自分たちは人間の欲深さや偽善性を見据えた深い人間」との意識がうかがえる。そして鬼畜文化から目を背ける人間を“偽善的モラリスト”として小バカにする空気が充満していた。

SPA!が残酷なものを気持ち悪がれば悪がるほど、彼らの目は爛々と輝き出す。言ってる内容には賛同したいんだけど、その優越感に満ちた視線がSPA!をイヤ~な気持ちにさせてくれた。

トレンディでスカした文化を否定する彼らが、結果的にトレンドになり、なおかつ“鬼畜気取り”のスカした人々になってしまっているというのは、なんとも不思議な現象である。

 

鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方(青山正明×村崎百郎

極悪非道な鬼畜情報を提供しながら、なぜか東大の講義にまで招かれる立派な文化人となった2人が、欲望カルチャーの功罪を語る

 

───ゴミ漁りをテーマに東大の教壇に立った村崎さんに続き、ついに“元ジャンキー”の青山さんまで呼ばれて、お2人とももうすっかり文化人ですね。

 

青山:なんか間違ってるよね(笑い)。

 

───何の話をしたんですか?

 

村崎:極めて特殊な分野の、専門的な話だよ。俺も学生に交じって青山の講義を聴いてたんだけど、妙だったなー。『危ない1号』を教材として机に広げてる学生とかいてさあ(笑い)。

 

青山:危ない1号』ってね、最初は「全国のゲス野郎に捧ぐ」みたいな触れこみで創刊したんだけど、2巻目を作る際「鬼畜カルチャー入門」みたいなキャッチをつけたらどうかって、村崎に言われたんだよね。だから、そういう刺激的なフレーズがひとり歩きし出したという感じかなあ。そういう意味では、鬼畜の言い出しっぺは村崎だから。

 

村崎:俺はさ、もともと感情が壊れてるところがあって、他人なんて勝手に不幸にでもどーにでもなればいいって日頃から思ってたんで、自分のことを鬼畜呼ばわりしてるんだけどさ、そういう意味では青山は全然鬼畜じゃないよ。差別とか変態をも扱いましょうっていう、ものすごい平等主義者だよ。

 

青山:村崎にとっての鬼畜みたいな意味で僕のポリシーを言うと、「世の中、いろんな面白いコトがあるよ」って、そういう多様性の部分を見せたいだけなんだよね。

 

───それにしても“鬼畜”な表現や趣味がこんなに注目されちゃうのって、不思議じゃありません?

 

青山:ドラッグや死体や奇形といったキワい対象に関する興味って、僕は学生の頃からあったわけで、昔からそういう企画はやってたんですよ。だけど一部の物好きを除いて、そんなにはウケなかった。媒体だってエロ本の記事ページ程度だったし。ところがいつの間にか、ドラッグや死体や奇形みたいな話題を受け入れる土壌が時代的に育っていたんですね。10年前に『危ない1号』を出したとしても、これほど売れたとは思えないもの。

 

学校に「道徳」の授業はあっても「悪徳」はないから

村崎:俺が思うのはね、その原因のひとつには戦後民主教育という一種の洗脳から国民がようやく覚めてきたんじゃないの。つまり、「人は正しく生きるのが正しい」のでなく「やりたいことをやるのが正しい」っていうことに気づいたわけ。それに、学校って世の中のイイことしか教えないでしょ。「道徳」の授業はあっても「悪徳」の授業はないからな。

 

青山:村崎の言う「正しいことは信用できない」っていうのは、僕の場合「みんながやってること」なんだよね。高校、大学行って企業入って嫁さんもらって子供作って……そういう強迫観念や規範でもって、これまでの日本人は動かされていた。だけどそういう枠に沿って世間体つくろって生きてても、ちっとも楽しくないことに少しずつ気づきはじめ、実際にそれを口に出せるようになってきたわけ。

だけど僕が一方で強調したいのは、鬼畜行為も含めた、いわゆる快楽全般には必ずリスクがつきものだということね。僕の得意分野のクスリ関係でいえばそれは副作用。陽があれば陰があるように、何事にも汚い部分があるんだけど、そっちの側面って通常のメディアであまり取り上げられないんだよ。

 

村崎:でも俺は自分が正しいコトを言ってるなんて、これっぽっちも思ってないからね。俺のぶつけた悪意の中から、逆に善なるものを連想するのも勝手だし、俺の言い草を鵜呑みにして悪事に走ったって、俺は責任なんて取らねえよっていうか、そもそも他人のことなんか心配しちゃいねえ!っていうのが鬼畜の基本なんだよ。

 

青山:でもね、僕としては、たとえば奇形の写真を掲載するのって、それは悪意とは違って「世の中イロイロだよ」っていうことの証しなんだよ。可愛い赤ちゃんもいれば、奇形の子供だっていて、そういう事態に直面している親もいる。そういう負の可能性って、ともかく伏せられちゃうからね。

 

快楽に含まれているリスクを知ってほしい。

───しかし作り手側にはそういうバランス感覚があっても、読者の数が予想以上に増えてしまえば、そこまで行間を読めない人間も、当然出てくるのでは? 無根拠に「こういうヒドい話を面白がるのがカッコイイ」っていうノリだって出てきません?

 

青山:だけどね、道徳に違反することを続けていれば、ヤケドすることが身をもってわかる。逆に言えば活字読んでそれで満足してたら、本当のリスクも快楽の部分もわかんないですよ。火があって熱いから触れちゃダメって言われて、触れられない人はイイけど、僕なんかはとりあえず触れるタチだから(笑い)。火だるまになって死んだらオシマイだけど、とりあえず先陣を切って触った、その結果報告の集積だから、読者の誰もが安易に真似するとは思えない。

 

村崎:それはそうだよな。

 

青山:ただね、これ言ったらミもフタもないんだけど、今流行ってるいわゆる“鬼畜”カルチャーって、僕はもう10年以上つきあってきたので、自分の中では実はもう飽きちゃってるのね。だから読者もボクらの本の話を読んで、面白がって中には実際にヤッちゃうヤツも出てくるかもしれないけど、それだってずっと追いかけていたら、いずれ飽きますよ。さもなくば自分がひどい思いをするとかね。そこまでいって自分も傷を負ったら、次の展開を各自考えてくれればいい。

 

村崎:まずは『危ない1号』を読んで、世の中はいい連中ばかりじゃないんだ、俺らみたいな腐った人間もいっぱいいるんだっていう人間理解を深めるといいんじゃねえか。

 

青山:たとえば村崎のゴミ漁りの本読んだら、ちょっとゴミ出すの気をつけなきゃなって思うでしょ。

 

村崎:俺の知り合いに、あの本読んですぐにシュレッダー買ったヤツがいたぜ(笑い)。

 

青山:村崎みたいにメディア上で鬼畜な話をしてサービスしてくれるヤツとはまったく違う場所で、法の目をかいくぐって正体もバラさず日夜他人に危害を加えている“実践派”の鬼畜だっているわけ。だから、そういうマジなヤツらが読者ヅラしてどんどん集まってこられると、やっぱりしんどい(笑い)。やったら必ずやり返されますからね。

 

───今の鬼畜ブームは、露悪趣味的なものとホンモノの極悪人志向が混然一体となってるから、読者がもし即物的な反応を示したら怖いですよね?

 

青山:たしかにそのへんはこんがらがってるよね。だけどね、強い刺激を求める気持ち、変わったものが見たいという思い自体はもともと誰にでもあるんですよ。ただ今って、活字や映像メディアのみならず、パソコンネットをはじめ情報をダイレクトに入手する手段が急増しちゃったでしょう。昔、僕が現役だった時代だったら、死体ビデオ1本入手するにしても海外まで行ったり相当苦労したのに、今ではそういう専門店が都内にあってカネ払えば誰でも見れる。これはもう情報のエスカレーションの上では仕方のないことですよ。特にウチが率先して扇動しているわけじゃないんだけどなあ。

 

村崎:いやいや一般大衆の皆さんは、みーんな青山が率先してるものだって思いこんでるって(笑い)。

 

青山:なんか村崎の口車に乗せられたのかもしれないなあ。でも真面目な話、テレビや週刊誌といった大手メディアにしても鬼畜な話題ってどんどん取り上げはじめているでしょ。その行きつく先は、僕にもわからないですよ。とにかく『危ない1号』が予想以上に売れてしまっている現状には、正直なところ戸惑ってます。でも読者って案外すぐ飽きちゃうからね。

 

村崎:そうしたら今度は、思いっきり道徳に走りゃいいんだ。新しい状況ができるためには、とことん現状の腐敗を加速させるのもひとつの手だっていうのが、俺のモットーだからな。一度堕ちる所まで堕ちなけりゃ誰も反省しねえよ。

 

青山:闇の中にドップリ耽溺したら、その反動で絶対にまっとうなことや明るい方向に行きたがる効果ってあると思う。『危ない1号』読んでボランティアに目覚めた人とか(笑い)、いやそういう読者も出てきてほしいってことを想定して作っているんですよ、ホントに。

 

SPA! 1996年12月11日号所収

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“[鬼畜]たちの倫理観”と題した鬼畜大特集。
ロリータ小説家の斉田石也、V&Rプランニング代表の安達かおる、『BUBKA』編集長・寺島知裕、KUKIの鬼畜レーベル餓鬼の山本雅弘特殊漫画家の根本敬らにコメントを求め、ショップ「バロック」周辺のお客さんに質問し、『FBI心理分析官』著者のロバート・K・レスラー、『すばらしき痴呆老人の世界』著者の直崎人士、横丁の性科学者こと松沢呉一らが鬼畜ブームに一言呈し、シメは青山正明村崎百郎の対談「鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方」。
 
当時、両者とも東京大学駒場キャンパスで講義するほど注目を浴びており(岡田斗司夫氏のゼミ「国際おたく大学/おたく文化論」)、それの記念なのか東大前で撮影した写真が掲載されている。(この文章は以下のウェブサイトより転載された)

*1:それまで『夜想』などが死体特集を組むにしても、どこか素人にはわかりにくい学術的、フェチ的、専門的な解説がなされることが多かった(例外として1981年に創刊され、1985年に無事廃刊した白夜書房のスーパー変態マガジン『Billy』が掲載していた死体写真のキャプションはどれも最高にふざけていた。これに不満を感じた死体写真家の釣崎清隆は自身が海外で撮影してきた死体写真の解説を『TOO NEGATIVE』『世紀末倶楽部』などで真面目に行っている)。これに不満を持った『危ない1号』初代編集長の青山正明は同誌で「中学生にも分かるような文章」でドラッグやフリークスなどの記事を掲載する方針を取っていた。ちなみに青山は『世紀末倶楽部』(1996年9月)2号のインタビュー「ゲス、クズ、ダメ人間の現人神・『危ない1号』の編集長 青山正明氏に聞く!」で以下のように答えている。

せっかく面白いテーマを扱ってるのに、ペヨトル工房の本や『スタジオボイス』とか『スイッチ』って、言葉でも記述でもスカシちゃって、気取っちゃって、インテリっぽく書いちゃってるから読んでも面白くない。結局、読者に伝わって来ないから、おもしろそうだなって買った人でも全部は読まない。それじゃ意味がない。カルトムービーにしてもフリークスやゲイを扱った海外小説の紹介にしても、気取って紹介してたら面白さは伝わりにくい。面白い物を面白いよって伝えるためには、わかりやすい言葉で語らないといけないなっていうのは感じてましたね。

*2:扶桑社『SPA!』1995年9月20日号特集「最低・最悪 モンド・カルチャーの正体」参照。

*3:根本敬いうところの「悪い悪趣味」のこと。アスペクト編『村崎百郎の本』所載の根本敬インタビュー参照。

百恵ちゃんゴミ箱あさり事件で有名になった自動販売機ポルノ雑誌『Jam』の編集長が明かすその秘密―わしらのフリークランド

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 自動販売機雑誌 JAM 佐内順一郎

わしらのフリークランド

『Jam』って雑誌知ってる? 百恵ちゃんゴミあさり事件で有名になった自販機雑誌の帝王!とまではいかないけれど熱狂的なファンを持つ雑誌のニュー・ウェイヴ。その若き編集長(25)が公開する『Jam』のすべて!

百恵ちゃんありがとう!

『微笑』の記者がジャム出版(エルシー企画という出版社内に『Jam』専門の出版社を発足させた)に取材に来たのは創刊号が出て2ヶ月ほどしてからだったと思う。一目見て下等物件だと判る男が二人やって来て、具体的なゴミあさりの方法、山口百恵の家をどうやって調べたのか、企画の意図は、Jamとはどのような方針にもとづいて作っているのか、などを聞くので、僕としては初めからこの手の記者を信用する気にはなれず、どのような記事を書かれてもかまわない、と覚悟した上ですべて本当のことをしゃべった

相手は「できうる限り『Jam』の新しいこころみを紹介していくような形で面白い記事を書きますから……」とかなんとか言って、気持ちの悪いニヤニヤ笑いを浮かべて帰っていった。今でもハッキリ覚えているのは彼らの「モモエに関するネタを載せれば確実に売れますんで……」という言葉である。

そしてどのような記事ができあがったかは『微笑』五月二六日号をお読みになれば分かる。「前代未聞!アングラ雑誌が百恵宅のゴミを集め堂々とグラビア公開あまりの手口にファン、関係者は“やりすぎだ!”と」というサブ・タイトルで正に「微笑ならでは」のものだった。かなりドートク的に非難されちゃったもんね。


祥伝社刊『微笑』1979年5月26日号所載)

だけどぼくたちにとってこの記事はとても有効なものだった。というのは、その後この記事を読んで創刊号の申し込み、新聞、雑誌などの取材、定期購読申し込みなどが次々と舞い込んだからだ。

百恵ちゃんどうもありがとう。

ところが馬鹿な読者がいるもので、この企画を連載にしろなんて言っている。山口百恵の使用済ナプキンをグラビアで大衆の面前に公開してしまった今、これ以上何を見せろというのだろう。極致は一回きりでいいのだ。

なお、ゴミあさりページの最後に小さな活字で山口百恵のゴミをプレゼントします、と書いたところ、数名の青少年から申し込みがあったことを付け加えておく。

 

 

『Jam』を始めるまで

世の中には、自分の好き勝手に仕事をさせてくれる場所というものが、まだ残っていた。

今からちょうど一年前、町で一冊のオールカラー・ポルノ雑誌を拾ったぼくは、その中に少女が素肌にパンティー・ストッキングをつけた美しい写真を見つけた。これがフェティッシュの極地で、何とも言えない傑作写真だった。

ぼくはさっそく発行元のエルシー企画に電話をし、こういうフェティッシュ写真のいっぱい載っている本は他にありませんかとたずね、ついでに自分は大学をやめて今好きなことをやって過ごしています、それに友だちとミニコミのようなもの出していますのでよかったら送りますから読んでください……などと話したのだった。

結局一度遊びに来てくださいということになり、こうしてエルシー企画とのつき合いが始まったわけだ。ある場所から違った場所への展出は、だいたいこうしたたわいもないきっかけから始まるものだろう。

初めてエルシー企画に行った日の夜、正確には新宿の飲み屋「池林坊」にて第一回目の企画が決まり、『スキャンダル』という雑誌の中の八ページを「Xランド独立記念版」とすることになった*1

『宝島』誌上ですでに有名な隅田川乱一君と二人でその八ページを作り上げ、それを渡した段階で次号の『スキャンダル』を新雑誌『Xマガジン』として一冊引き受けることに決定。

年明けて一月、特集ドラッグと銘打った今では幻の雑誌『Xマガジン』が発売された。内容はドラッグ・ソング訳詞、笑いガスの実験、実際には存在しない本の書評、不可解SF小説、インタビュー、それに後にマスコミをわかせた芸能人ゴミあさりの第一回「かたせ梨乃の巻」があった。

現在この『Xマガジン』はぼくの手元にも5冊しか残ってない。噂ではかなりのプレミアが付いて売買されているという。

現在の『Jam』はさらにこれを新雑誌として創刊したもので、正式には『Xマガジン Jam』という。

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●Jamの前身=X magazine

 

オーナーと会社のことなど

オーナーはエルシー企画という自動販売機ポルノ雑誌専門の制作会社の社長*2で、とにかく「口は出さないから何でも好きなことをやっていいよ」という恐ろしく太っ腹な人で、実際おなかが太く、ときどきカメラマンに変身して女の子の股間を撮りまくったりする人です。

今のところ『Jam』に関しては、どんなに馬鹿ばかしく、過激な記事を載せても文句を言われたことはありません。本人は三〇そこそこのくせして「Jamなんて読んでも全然わからんもんね、わ。」なーんて言っております。

会社は池袋にあり、毎月『Jam』とか『メッセージ』などの実話誌と呼ばれる月刊誌を五、六冊と、「悶絶トルコ壺洗い」などというとてつもないタイトルをつけて売るグラフ誌と呼ばれるオールカラー六四ページの本を四、五冊作っています。

これだけたくさん出しておきながら、販売に関してはまた別の会社*3があって全国の自動販売機に入れているため、あまり儲からないようです。

有名な亀和田武さんの存在で名をはせたアリス出版も、同じグループの制作会社です。

毎月たくさんのポルノ雑誌が自動販売機で売られていますが、よく売れているのはエルシー企画の『メッセージ』『少女激写』、アリス出版の『ガール&ガール』、土曜出版の『告白人』などですが、売上げは毎月かなりの変動があります。

自動販売機のばあい表紙しか見えないので、たまたま表紙にエロチックな女の子が出てる奴が売れてしまう、ということもあるようです。けれども『Jam』については毎月毎月ビリから数えた方が早いという現状です。(それでも公称一〇万部だから凄いでしょ)

エルシー企画で出している実話誌のほとんどが外注による制作で(社員でない人が作る)だから僕たち『Jam』のスタッフもエルシー企画の社員ではありません。ジャム出版というのはエルシーの中の三軍会社で、隅のほうで小さくなってポルノ雑誌とはとても言えないような『Jam』を作っているわけです。(社長註:その割にはでかいツラしてメシ食ったりソファーで寝たりしてるじゃねーか、バーロー‼︎)

(自販機本では「もう書店では文化は買えない」など編集者によるアジ風自社広告が、いやがおうにも目を引かされた。ただしアリス出版とエルシー企画の二社に限っての話)

 

これがジャムの主力メンバーだ!

まず隅田川乱一君。

彼は学生時代からの仲間で、永年印籠(いんろう)の研究をしています。いまだにその正体がはっきりせず、最近では『宝島』のほか『本の雑誌』などにもオティズムやプロレスの話を書いていますが年齢はわかりません。

次に山崎春美君。

彼は現在、工作舎という出版社に修行に行っていますが、目の下にクマを作ってニヤニヤ笑いながらロックの話をしてくれます。『Jam』では主に音楽ページと小説を担当していて、打ち合わせで会うと作業服を着てときどき体をケイレンさせたりする面白い子供です。

次に高杉弾君。

この人は1号から5号までいますが、どれも大した違いはないみたいです。どうも大した才能はなさそうで、普段はいつも放心していますが、締め切りが迫ると突然思い出したように「自分と他人の区別がつかない」「いつか夢で見たあの素晴らしい場所」等のコピーを考えついてくれます。巻頭のヌード写真のコピーと、「バッド・トリップ」というコラムその他を書いています。

そして僕は佐内順一郎といって、いちおう編集長の役目をしていますが、生まれつき頭がパーなので何をやってもうまく行きません。その上最近被害妄想が強く、道を歩いていると向こうから来る女の子にいきなりぶんなぐられるんじゃないかとか、『Jam』が発禁になってオマワリさんに棒をお尻の穴に突っ込まれるんじゃないかとかがとても心配です。ヌード写真のディレクションや図版集め、レイアウトや原稿取りやオナニーなどをしています。

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●編集長近影

 

企画をどーやってたてるか

まず月の初めに四人の編集者が集まって企画会議をやります。会議といっても、渋谷の喫茶店でお茶を飲むだけの話ですが、だいたいこの席で、殆どの企画が決まってしまう……などということは絶対にありません。たいてい一人は来ないし、ひどい時はぼく一人で企画会議をします。こういう時のために佐内順一郎は1号から3号までいるのです。

うまく四人が集まったときは最近聴いたレコードの話、それに本や映画や人物について、横浜の中華街にホステスが全員オシのバーがあるとか、どこそこのカメラマンはモデルの女の子を手ごめにしているとか、オナニーというものがあるのにセックスなどをする人の気がしれないとか、NHKにフリーメースンが出て恐ろしいことをしゃべったとか、まあ、そんな話をしていますが、たまには存在学とか禅とダダについてとか、神秘学がどーしたとかロバート・フリップやイーノが今何をしようとしているかとか、工作舎の話とかもします。

だいたいこれが編集の第一段階で、これらの話の中で面白そうな所をぼくがピック・アップしておくわけです。そして後日「幼稚園とうんことオカルティズムの問題をポルノ雑誌風にナニしてもらいたいんじゃがのう、ワシとしちゃー」かなんか言って人に頼むわけです。

こんなふーに書くと、何かとっても安易に作っているように感じられるかもしれませんが、決してそのようなことはありません。

有名な隅田川乱一君も言っているように、現代において、霊的な衝動というものはこのように奇形的な感性を通じて表出して来るのであって、時代の裂け目へのアプローチは尋常な手続きからは決して始まらないのです。

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●企画会議中のスタッフ

 

盗難事件

八月一二日、エルシー企画のカメラマンと新宿歌舞伎町の喫茶店「マジソン」でおしゃべりをしている間にイスの横に置いておいた手さげ紙袋を盗まれてしまった。

それにはJam第七号の原稿とレイアウトの他、カメラに時計にダイヤモンドの指輪、それに現金が四〇万円にマリファナが七キロ、ヘロインが二キロにピストル2挺、ダイナマイトが6本入っていたので警察にもとどけるわけに行かず、ほとほと困ってしまった。

 

股間にジャムをぬるのはいーです

表紙、巻頭巻末カラーなどのモデル撮影は、締め切りが中身のページよりだいぶ早いので大変です。わがJamには岡克巳という天才的な才能を持った変態カメラマンが付いているので質的には毎号自信を持ってお送りしていますが、モデルはとなるとなかなかむずかしい問題です。

こうした業界向けのモデルクラブがいくつかあり、それらのリストを見て決めるバアイもありますし、エルシー企画専属の撮影会社にいるモデルを使うときもあります。なにしろJamの場合、よそでは見れないようなハードな物を撮ることがありますので、そういうときはモデルをさがすのが大変です。

『ヤングレディー』かなんかの広告を見て来たモデル志望の女の子には、パンティは取りたくないとか、ひどいのになると顔が写ったら困るとか言う子がいますが、それでは撮影にならないわけで、そういう子はパスします。

逆に初めての撮影のときから何のためらいもなくパッパッパと脱いじゃう子もいて、だいたいこちらの方が多いようですね。

よくヌード写真のカメラマンなんてえのは脱がせたモデルはみんなヤッちやうんだぜ、なーんてことをいいますが、あれはウソです。本当にウソです。そんなことはありません。まあ、中にはそういうことをする人がいるかもしれませんが、ジャム出版、エルシー企画周辺にはそういう人はいません。

撮影のやり方というのは単純で、ある雑誌の巻頭カラー八ページなら八ページ分の企画、設定などを編集者が考え、それを発注書にしてカメラ部に渡すわけです。だいたいJamの場合、表紙、巻頭、巻末と三回の撮影が行われます。

とにかく一番苦労するのは、ポルノのパターンなんて、とっくに出つくしているわけで、いかに新手を考えるかということです。

僕の面白美学によると、女の子の股間にジャムをぬりたくるのは面白いけれども、ジャム、山芋を突っ込んだり、サラミソーセージを入れたりするのは猥褻でも何でもない‼︎ そーゆーのはダサい!

あと巻末については毎月フェティッシュ風接写写真でやっていますが、これが大好評で、特に八月、九月に発売された号の巻末はかつてどの雑誌もやらなかったというものです。何かポルノの新手があったら教えてください。

 

『Jam』ひん出用語一覧
真実、八百長、禅、幻想、奇形、神様、天皇、コンセプチアル、官能、愛、夢、オマンコ、狂気、肛門、芸術、乾電池、オナニー、幻覚、山口百恵竹下景子、フェティッシュ、天才、快感、クァイカン、冗談、月、外科病院、暗号、アナーキスト、物質、変態、あれ、ダダ、暴力、サイケデリック、馬鹿、百姓、中卒、東北、興奮、主婦、霊的衝動、革命、プラスチック、深夜、星、存在学、脳みそ、タンポン、足の裏、問答、くそ、原爆、テロ。

 

工作舎のこと

スタッフの一人が工作舎の遊塾生であることや、『遊』の特別組本(は組)に原稿を書いていることもあって、工作舎とは仲よくしています。図版や原稿を回してもらったり、工作舎のスタッフに原稿を頼むこともあります。

『遊』は第Ⅰ期の頃から見ていて、Jam創刊に大きな影響を受けてます。最近組本などで聖俗革命(アンシャンレジューム)を謳っているようですが、Jamでは工作舎とは別のアプローチで聖俗革命を起こして行きたいと思っています。

 

X-LAND

XランドというのはJam創刊の三か月前に『スキャンダル』誌上で独立を宣言したコンセプチアル国家です。

生活に夢を持たない人々のための国境も、法律も、制度もない、いってみれば、ただ革命だけを求める超デタラメ国家なのです。

ただ宮内庁というのがあり、天皇がいます。今上天皇は第三代目ですが、それが誰なのかは誰も知りません。毎月Jamの一六ページを占めるXランドの最後のページに、天皇から国民ヘの求愛のメッセージが載っています。

他には情報ページ、写真、Xボーイ・エキスプレス、インタビュー、レコード紹介、書評、市民の声などがあります。

 

まわりのイカレた人たち

Jamの原稿は前にあげた四人の他、工作舎の後藤君、中島君。大阪に住んでいる坂口君、この人はサイケデリック・ミュージックにやたら詳しく、今度アメリカに行ったので、その話を連載する予定。あと吉祥寺の「マイナー」関係の人たち、漫画は『ガロ』編集長の渡辺和博さんと、天才と言われる蛭子能収さんに頼んでいます。

渡辺和博、通称ナベゾ氏はセックスの一回性と子供の性生活、それにナチズム的ラリパッパ主義に燃えるオートバイ少年で、はっきり言えば、かなりの変態です。

あと表2と裏表紙をやっているのは『ダヴレクシー』というシャレた雑誌で世間をアッと言わせた羽良多平吉さんで、抜群の虹色感覚を見せてくれます。

それに「ウィークエンド・スーパー」のセルフ出版の人たち、天像儀館のお芝居の戯曲やプロレスで有名な変態坊主の上杉清文さん、イラストレーターの南伸坊さん、京都でマリファナ裁判をしている現代の仙人、芥川耿さん、神道ヨジレ派で現在失踪中の八木真一郎君、「迷宮」の武田さん、武邑さんなどなど、つき合っている人たちは限りなくいるのです。

まあ、どの人をとってみても一筋縄ではいかない変態ばかりで、Jamが日本一面白いと言われるのも当然のことでしょう、なはははは。




 

Jamに関する噂

●編集後記は誰が書いてもいいらしい。この前、編集長が喫茶店でとなりの女の子に頼んでいるのを見た。

●Xランドの天皇というのは若い女で、月に一回全員が渋谷の貸ビルの地下に集まって秘密の儀式をするらしい。

●Jamのバックナンバーは総て売り切れで一冊も返本がない。何か秘密の念力をかけているところを見た奴がいる。

●高円寺付近ではJamが異常な人気で、発売日に自動販売機の前に並ばないと買えない。

山口百恵ホリプロがゴミあさり記事に対する報復を密かに画策しているらしい。

●今年いっぱいで休刊になるという話を編集長から聞いた。

●2千万の金をつんで大原麗子を巻頭カラーで脱がせる交渉に成功したらしい。休刊号でハデにやると豪語している。

●次号はいよいよ大場久美子のゴミあさりをやる。

 

第八号制作過程

あああ、企画が全然出ねえじゃねえか、ばーろー!少しはマジメに考えろちゅーとるのが判らんかこのっ!ばば、ばか、そんな話が雑誌に載せられるわけねーだろーが・あ、汚ねえなあ、よせ!やめろ!脱ぐなっ、こんなところで脱ぐなってば・そうそうおちついて、さてそれでは何か面白い話はないですか?どうでしょうか・うん、うん、それいってみよーか、キミ書く?え、書きたくない?なにっ、そうゆー話はお前が書かなきゃ他に書く奴いねーだろーが、ばーろー‼︎ あ、わかった、わかったから脱がないで、お願い困ったもんだねぇ、こう原稿が遅いとねぇ、印刷屋に渡すのあさってだよ、あさって・うわぁ、もう時間がない時間が、さっきの図版どこいった?それじゃないよ、どこいった、ないない、それじゃないちゅーとるのに、もうっ・うわっ、このレイアウト間違っとるやないか、くそくそくそ、うわあ、時間がない時間がない時間がない時間がないそう、そのポーズ、そのまま動かないでね、はい、きれいだよ、バシャッ、うん、いいなぁ実に美しい!はい今度はお尻の穴に指入れてみよーか、え、恥ずかしい?そんなことないでしょ、きれーだよ、うん、いい写真が撮れるからね、はいいってみよう、そうそうもっとグィッと、はい、そこでもだえる!バシャッ・もしもし二〇字の八六行で書いてね、あしたの朝取りに行くからね、書いてなかったらひどいよホントに・うわぁ、ねむいねむいねむいねむいその辺にある雑誌の写真ぶち込んどけ、そうそう・うわぁ、きたねぇ字だなぁ、読めねーじゃねーか・よ、よせ、そんなとこさわるな、気持ちわるいなぁ、あ、また安田*4がするどい目で虚空をにらんでる!もしもし、え、まだ書いてない?あした入稿だよ、あんた判ってるの?少しは責任感じなさいよあんた・あ、あ、ねむいねむいねむい、ヒロポン打ってヒロポン!はい、どうしたの?原稿なくした?あっそう、え、なに原稿なくした?この野郎ぶんなぐるよ、しまいにははい、どうも毎度遅くなりまして、どうもあいすみません、よろしくお願いします、はいはいどうも・ふう、ねむいねむい、やっと終わったばーろー、このぉ、こんな汚ねえ色出しやがって、どんな機械使ってんのお宅?あ、ここんとこ指定と違うだろ、これ、直しとかないとぶんなぐるよ本当に・あ、ここも違うじゃねーか、しっかりやってくれよねワシラ道楽でJam作ってるんだから、仕事でやってんなら多少間違えたっていいけどね、なんたって道楽なんだから……

 

今後の秘密計画

これだけ中身の濃い雑誌が八号も続けば当然ネタがなくなる──と思ったら大間違い。いよいよ日本初のストーンド・マガジンに向かって大刷新をしていくつもりだ。企画としてはデボラ・ハリーをカバー・ガールにする。竹下景子の陰毛丸出し写真をやばい部分にすぐはがれるシールをはって出す。中央線沿線の一般書店売りを開始する。ロサンゼルスの書店にも置く。ロスの『WET』と特約をむすぶ──などが上がっている。

 

読者いろいろ

エルシー企画のジャム編集部で仕事をしていると、よく読者の人から電話がかかって来ます。

「ああ、あのあの、ぼぼく、あの見えてるやつが欲しいんですけど、いえあの、編集の人ですか、ええとあの……ガチャ」

「もしもし………………毛の見えるやつないですか………………修正してないやつ見たいんですけど………………ガチャ」

「あうあう、あう、あのうモデルの人とおまんこしたいんですけど……紹介してくれませんか……………おまんこおまんこガチャ」

「あ〜〜、あぁ、あああ〜〜、ガチャ」

だいたいこういうのがほとんどです。

あと通信販売でポルノを申し込んでくる人がたくさんいますので発送係の社員は大変です。中には一冊千円の本をいっぺんに一〇冊も申し込んでくる人がいます。

Jamの記事に興味を持っている人はたいてい編集部まで遊びに来てくれます。そういう時は忙しいのも忘れて話し込んでしまいますが、おしゃべりの中からアイデアが生まれることも多いのです。

『Jam』のファンに中央線沿線の人が多いのはなぜでしょうか。

今のところお手紙や電話の様子から見て、『Jam』という雑誌を誤解している人が多いようです。『Jam』は決して単にムチャクチャな雑誌ではないのです。

 

あなたにもできる簡単な『Jam』の作り方

①まず果物屋でイチゴを買ってきて砂糖を加え、すりつぶて煮つめます。

②新聞の記事をバラバラに切り離して放り投げ、適当に拾い集めて文章をつなぎ合わせます。

③今までに読んだ本の中で気に入っている文章を抜き書きします。

④写真集、雑誌などから気に入った写真を切り取ります。

⑤④の写真にできるだけ写真の内容と違う文章を考えて付けます。

⑥ポルノ雑誌の中からできるだけイヤラシい写真を選んで切り取ります。

⑦友達に話してあげたいような話や、面白い本の紹介、実際には存在しないレコードや映画の感想などを書いて情報ページを作ります。

⑧ゴミの回収日に人の家のゴミをあさって写真をとります。

⑨⑧で集めたゴミの中から出て来た手紙と、自分で作り上げた人様の手紙とを合わせて読者欄を作ります。

⑩自分が天皇になって読者へのメッセージを書きます。

⑪きのう見た夢を文章に書きなおします。

⑫もう一人の自分をつくって対談します。

⑬自分の性生活を告白します。

⑭『ガロ』という漫画雑誌の中から気に入ったものを選びます。

⑮編集後記と次回予告を書きます。

⑯それらを全部まとめ、一冊にとじ、表紙と裏表紙にクレヨンで絵を描きます。

⑰これらを大きめのナベに入れ、①でできたイチゴジャムを冷蔵庫から出して上からたっぷりかけます。

⑱紙にジャムが十分しみ込んだら火を付け、煮つめます。

⑲これでおいしいイチゴJamのできあがり。

※注意──あまり煮すぎますと、せっかく書いた字が読めなくなるので気をつけましょう。

 

X−LAND 天皇より宝島読者へ求愛のメッセージ

Jam創刊からもう7ヶ月が過ぎて、七〇年代も終わろうとしている。いよいよ世の中は放心状態の度合を強くしているみたい。手垢のついた愛という言葉、死んでしまったと思ったサイケデリックという言葉が今こそ甦る時じゃないかしら。

私はXランドの天皇。「わからない」ということと、「抱かれること」が大好きな、観念の子よ。今、大切なのは目醒めることだと思うの。起きてて見る夢のほうがずっと面白いと思わない?

もしJamを読んで私たちの宇宙にバイブレートできたら、お手紙をください。

〒170 東京都豊島区西池袋〇の〇の〇
日東ビル3F ジャム出版・経由
Xランド宮内庁

 

JICC出版局『宝島』1979年12月号所載

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★ジャムってロックの雑誌*5があるけどこれはまた別のジャム。頁をあけると女の陰部にジャムべっとりというカラー・グラビアがあったりする自動販売機雑誌なのだ。山口百恵家のゴミをあさって、使用済ナプキンとか、妹の二八点の歴史のテストを発掘したりして、一躍、勇名をはせた。

ところが、その正体は……というか、表紙とグラビアにはさまれた中味は、大パンク大会。表紙にオナニー&メディテーションなんてあるのもおかしい。編集後記を他の雑誌の編集者が書いたり、日本のパンク・バンドの写真がメチャクチャ入れ違っていたり(わざとやった嫌がらせか?)、とにかく筋金入りのパンク。音楽傾向もどパンクで、ディヴォとか、ペル・ユビュをサイケデリックの構造を盗用した姑息な連中とこきおろす文章ものっていて、ススんでる。

「JAM」ジャム出版 三〇〇円

(東京都豊島区西池袋〇・〇・〇 日東ビル3FB)

※1980年頃『宝島』に載った『Jam』の紹介文より

 

広告──吉祥寺マイナー

コンサート、イベント、舞踏、映写会、パーティー、個展、etc…50人規模の催事に最適。国鉄中央線(井の頭線吉祥寺駅1分。

店主のグチ

毎日苦情が殺到している。音量と振動の苦情、通路のゴミ、すいがら、空カン等….

ビル中からものすごい眼で見られてるんだぞ!

最近は1日に10回も廊下を掃く。

友禅、エジンバラ、ダービー、メロウハワイの皆様方、いつも大変御迷惑をおかけして申しわけありません。マイナーの佐藤という人は本当は生真面目で義理堅い人なんです。ただ気が小さいだけで悪気なんて全々無いのです。

またアンプがとんだ。スピーカー代4万円、ついこの間はシンバルが次々と割れていって計6万円、いったいだれが払うと思っているのでしょう。いつも知らない間に壊れてしまう。

電気代未納分80万円、ワァーッ!

佐藤氏の率るSighing・P・Orchestraは本当はパンクなんてだいっきらいっ!フリージャズの人、マイナーを使ってね。

80年9月28日にマイナーは突然ぶっつぶれませり。合掌。

 

解説──パンクマガジン『Jam』の神話

所収『Spectator』Vol.39(構成:赤田祐一

七九年の象徴的な出来事として、『Jam(ジャム)』という同年三月エルシー企画から出版された「伝説の自販機本」の創刊を取りあげたいと思います。

「自販機本」とは、アリス出版、エルシー企画、アップル社、土曜漫画等の出版社が出版していた成人向けの娯楽読み物雑誌、いわゆるエロ本のことです。「本」と書きましたが実態は中綴じの雑誌で、おおかたは六十四ページ前後、カラーグラビアには大股開きのきわどいヌードを載せ、女性の性体験告白記事あり、性の事件簿あり、官能小説ありと、バラエティに富んだ内容でした。(中略)

当時、エロメディアは、世の中に「不足」していました。ビニール本やアダルトビデオの登場するまで、エロ本は、一定分量エロ要素が載ってるというだけで、内容は問われることなく、大半が「つくれば売れた」のです。

「エロさえ載せておけば、何をやってもいい」ということでこの世界に入ってきた若い編集者たちは、インチキな「性告白記事」だけ載せるのではなく、思い切った画像表現(女性器の接写、ストーリー性のあるポルノ、レイアウトや製版上の実験など)、水準の高い活字表現(パロディ、ブラックジョーク、劇画・音楽などサブカルチャーの評論など)を載せはじめました。

そんな数ある自販機雑誌のなか、アバンギャルドなおもしろさ、きわどさで群を抜いていたのが『Jam』でした。

創刊号で山口百恵の家から出たゴミを漁ってきて誌面掲載して、大きな非難と反響を巻き起こしたことで「伝説の雑誌」とされていますが、実はこの雑誌の白眉は活字の部分でした。プロレス、神秘主義、フリーミュージックなど、異色の記事を載せていました。また、(これは当時も禁じられたことだったのですが)著作権くそくらえとばかりに、『Jam』は海外の雑誌などからおもしろそうな記事や写真をバンバン盗んできてページを構成していて、全く「やりたい放題」です。そんなことから当時、自動販売機の雑誌の世界でひそかにビッグバンが起きていたのではないかということを以前から常々考えていました。

もっともラディカルなものは、サブカルチャーの底辺から生まれるというのが、私の基本的な考えです。大手資本はブームを待ち、そのカルチャーを水増しして取り入れ、牙を抜いて、大量販売します。ただし『Jam』のおもしろさはおそらくメジャーには消費されないでしょうし、最後まで理解されないでしょう。なぜなら表現の根底に、跳ねあがりものたちの消そうとしても消せない「毒」と「抵抗精神」があるからです。

私は、過剰な除菌やデオドラントの健康志向は、生きものとして、衰微のあらわれではないかと考えています。少々の毒、もしくは異物をも受け入れられることが、人間および社会の健康の証ではないかという立場に立つ人間です。

社会の常識や良識は往々にして生きる力や自由を押さえつけようとし、独創的に生きようとする人たちをLINEから排除したり冷笑を浴びせたりするような傾向がありますが、これに対抗するにはある程度の「毒」と言う思想が不可欠ではないでしょうか。

*1:「Xランド独立記念版」は高杉弾隅田川乱一コンビが、商業出版として初めてこしらえた八ページ。内容は独立宣言、架空のヒットチャート、Xインタビュー、ロックアルバム紹介、小説など。『Xマガジン』~『Jam』の原型となりました。

*2:社長=明石賢生(あかし・けんせい)

出版界に数々の伝説を遺し、1996年急逝。金は持ってる者が払う」「金は出すが口は出さない」が信条の、とにかく太っ腹な経営者だったと伝えられています。なおカメラマンとしての名義は武蔵野大門を用いました。ちなみに高杉弾明石賢生が武蔵野大門名義で撮った接写ヌードに衝撃を受けてエルシー企画と関わりを持ちます。こうして生まれたのが『X-magazine』『Jam』『HEAVEN』でした。

逸話ですが、明石の右腕として活躍した謎の歌人にして編集局長のSこと佐山哲郎は、あのスタジオジブリ製作の長編アニメ映画コクリコ坂から』の原作者でもあります。佐山氏は70年代から官能小説から少女漫画の原作まで幅広い執筆活動を行っていましたが、生家が寺院だったことから本業は住職のお坊さんです。また日本初のロリコン同人誌を出した蛭児神建(ひるこがみ・けん)も過去に出家してお坊さんになっており、エルシー企画のライバル企業と目された、アリス出版の創業者である小向一實(こむかい・かずみ)は業界引退後、名の知られた備前焼陶芸家になりました。こう振れ幅が大きい異能たちが当時のエロ本界に一極集中していたのもまた、この業界が活気と才能と可能性に満ちあふれた“出版界の特異点だったということを再認識させられます。

なお明石賢生のインタビューが、白夜書房発行のスーパー変態マガジン『Billy』1982年2月号に掲載されており、こちらの記事は山崎春美スーパー変態インタビュー「ウンチでビルが建った!? 群雄社代表取締役 明石賢生」を参照してください。

*3:東京雑誌販売(=東雑)のこと。設立倒産年月日共に不詳。アリス出版およびエルシー企画の親会社的存在で自販機本の総元締めにあたる。実業家の中島規美敏が、おつまみ用の自販機を見て「ここにエロ本を入れたら儲かるのでは?」と閃き起業したとされています。

*4:安田邦也。エルシー企画→アリス出版→群雄社→VIP→アトラス21と明石賢生が関わった全ての会社を渡り歩いた唯一の編集者。太田出版発行のサブカルチャー雑誌『Quick Japan』15号にインタビューが掲載

*5:新興音楽出版社(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)発行の音楽雑誌『ジャム』のこと。

新人類世代の閉塞 サブカルチャーのカリスマたちの自殺/世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感

新人類世代の閉塞
サブカルチャーのカリスマたちの自殺
 
60年代生まれ。高度経済成長の真っただ中で育ってきた「おたく」。ライフスタイルを生み出した世代である。いま、彼らにとって、生きにくい時が訪れているようだ。なぜ死を選ばねばならなかったのか。
 
41歳の引きこもり死。そう呼んでもいいような、終わり方だった。今年6月17日、神奈川県の自宅で首つり自殺をした青山正明さんの死を知り、多くの出版関係者が驚きを隠さなかった。青山さんは慶応大学法学部を卒業後、精神世界、クスリの裏情報や音楽のディープな記事を得意とするライターとして、また裏サブカルチャームックの編集者として知られていたが、去年あたりから母親と暮らす実家からあまり出ることもなくなり、仕事もほとんどしなくなってしまったという。

新人類的サブカルチャーのある一面を象徴するような生き方をした青山さんが、なぜこうした形で生を絶ったのか?くしくも彼が編集したムックに漫画を描き、単行本に推薦文を寄せたこともある漫画家ねこぢるは98年、31歳で自殺。

さらに同じねこぢるの本の推薦文を書いたXJAPANのhideも98年に33歳で自殺した。いずれも60年代生まれで、高度経済成長時代に子供時代を送り、バブル期に社会に出て「次世代型」と注目を集めた新人類世代だ。

戦後の混乱期に生まれた団塊の世代は、政治や大学組織など「社会体制」へのアンチムーブメントとして学生運動にのめり込んだ。
 
その下の新人類世代は既成の「モラル」や「常識」を、ずらしたり逆転させたりするツールとしてサブカルチャーを作り出した。この動きは性や生、精神世界など多分野にわたり、「おたく」という特有のライフスタイルを生む。
 
80、90年代に世に出たサブカル系雑誌は、常に時代の「半歩」先を目指し、世相の根っ子への挑戦に満ちていた。
 
○社会と適応困難な自分
ねこぢるの作品もカワイイ猫のキャラクターとは裏腹に子供の無垢な眼で人間の残酷さ、狂気を深く抉るもので、一般受けする漫画というより、むしろ好き嫌いの分かれるカルト的な人気漫画だったが、こうした志向性ゆえに新人類世代は社会生活と馴染み難く、「生き辛い」という感覚を持つ人もまた多い。
 
一流大出身で、アンダーグラウンドの世界のカリスマ的存在でもあった青山さんの自殺は、新人類世代の突き当たっている閉塞を象徴しているようにも思える。

4年前、AERAの取材のために新宿で会った時、長髪の彼は細い身体の背を少し丸め、礼儀正しい物腰で喫茶店に現れた。そこで彼が話してくれたのは、社会と適応が困難な自分に悩む繊細な彼自身の人間像だ。
 
子供時代は成績のいい優等生だったが、高校に入るとハードポルノを海外から個人通販で手に入れるようになる。そして大学時代は新聞紙面で叩かれるような猟奇趣味のエログロ・ミニコミを発行した。学歴エリートという顔とは裏腹なもう一つの顔が、彼の名を出版界で広めた。

そして編集・ライターの仕事では、彼が寄稿していた雑誌の性格から「鬼畜系」と呼ばれるアンモラルな世界の住人と見られ、大手マスコミ紙上でも「世の中を駄目にする」とバッシングを受けた。
 
○「癒し系」で行く矢先
が、もっとも彼の葛藤の種になったのは、少女を欲望の視線で見てしまう性的な歪みだった。心の擦れ違いから最初の妻とは心ならずも破局を迎え、大きなダメージを受ける。
 
「自分の頭で考えていた自己像と、現実の自分がかけ離れていることが、ロリコンになった一番の理由だと思う。妻とやり直したかったから修復するために努力したが、ある日、突然『あなたが嫌な理由』と紙に個条書きにして、出て行ってしまった」
 
クスリ関係のムック出版と前後して、麻薬所持で逮捕。結局、執行猶予で終わったが、仕事仲間の編集者、木村重樹さんによると、「このあたりから仕事の打ち合わせにこられなくなるなど、引きこもりに近い状態が始まっていた」という。
 
そして2番目の妻は、「自分が保護して面倒をみないとだめになる」というタイプの女性を選んだが、彼は実家に戻ってしまい、その後、破局を迎えた。
 
昨年は雑誌に精神免疫学や仏教的「諦観」などの上に立つ「幸福論」を寄稿し、「鬼畜系にもう新鮮さはない。これからは『癒し系』、『悟り』で行くといっていた矢先の死だった」(木村さん)という。
 
どちらかと言えば人間関係などに気を使いすぎるほどの繊細さと、「鬼畜系」のイメージとのギャップ。音楽や精神世界の知識は膨大に持っていながら、現実に手掛けていた仕事とのギャップ。学生時代から抱いていた自己像と現実の落差は、ついに解決できなかったようだ。
 
○影を潜めるサブカル色
青山さんを裏カルチャー界のカリスマにしていたアンモラルな遊び思想は、新人類世代がバブル期に咲かせたサブカルチャーの流れの上にあるが、その後は彼の精神性や遊びの部分が抜け落ちた、エログロの部分ばかりが「商品」として模倣されていった嫌いが否めない。
 
さらにこの新人類カルチャーは不況や社会の生活保守回帰という志向の変化などに圧迫され、いまや閉塞的な状態となっている。それが最も顕著に表れているのは出版界だろう。
 
最初にこの流れを作ったのは、宝島社の「別冊宝島」シリーズだ。80年に発売され、その後、驚異的なロングセラーとなった「別冊宝島・精神世界マップ」をはじめ、「トランスフォーメーション・ワークブック」「気」「現代思想」など精神世界ものでヒットを飛ばし、やがて「クスリ」「セックス」を経て、90年代には「死体」「悪趣味」「自殺」「サイコパスなどアンモラル系へ走っていく。
 
まさに時代と共に走ってきたこのシリーズが、新人類サブカルチャーの普及に果たしてきた役割は大きいが、最近はサブカルチャー色は全くと言っていいほど影を潜め、英語、パソコン、ダイエット、ビジネスものなどの実利的な特集や、「別冊宝島Real」としての権力内幕ものなどが主流となって、大きな様変わりを見せている。
 
別冊宝島で「死体の本」を手掛けた井野大介さんは、「当時は編集者がテーマのラインナップを決めていたが、今はマーケティング的なリサーチで営業サイドから決まるケースもかなり多い」という。
 
会社の規模が大きくなったため商品としての確実性が重視されるようになったことに加え、不況も影響しているようだ。直接、面識はなかった青山さんの死については、「確かにああいう形でサブカルどっぷりの人たちは、今、息苦しそうだなと感じますね」とショックを隠さない。
 
一方、青山さんも愛読していたねこぢるの自殺の直接の理由は謎だが、最後の単行本となった『ぢるぢる日記』に夫の漫画家、山野一氏が、こう追悼文を寄せている。

「……『波長』の合わない人と会うことは、彼女にとって苦痛で、それが極端な場合には、精神的にも肉体的にもかなりのダメージを受けていたようです……(中略)……しだいにテクノやトランスの、神経質な音の世界に沈潜することにしか、安住の場所を見いだせなくなっていきました……」
 
「ガロ」で担当編集をしていた高市真紀さん(青林工藝舍)によると、「外にはほとんど出ず、喫茶店も嫌いで、原稿はいつも自宅に取りに行っていた。お世辞や社交辞令には、かなり敏感に反応してしまい、世間づきあいは苦手だったが、漫画家だった私の姉が自殺したときは『後追いするのでは』と心配して、親身に話を聞いてくれた」とあまり知られていない横顔を語る。
 
編集者やマスコミ関係者とも、限られたごく一部の気の合う人間とだけ付き合う、内向的な性格ながら、親しくなると「家へ遊びにおいで」と誘ってくれる。そんなねこぢるに「心を見抜かれそうでこわい」と緊張していた高市さんに「大丈夫、緊張しないで」と声をかけてくれる、繊細過ぎるほどの優しさもあったという。
 
○思想への昇華に弱み

93年に発売された鶴見済氏の『完全自殺マニュアル』が100万部を超えるベストセラーになったのも、こうした「社会の中で生きる意欲を感じにくい」という世代の感性ゆえだろう。
 
鶴見氏も新人類的サブカルチャーのカリスマの一人だったが、全国8県で「有害図書」に指定されたうえ、東京都でも今年7月「青少年健全育成条例」に抵触する「不健全図書」扱いとなった。続く『人格改造マニュアル』も、有害図書指定の動きがあり、規制の網はますます厳しくなっている。

ここ数年は消費動向も変化してきた。30~40代夫婦もペット、ガーデニング、リゾート、パソコンなど生活・情報志向になり、出版・メディア界のサブカルチャー色を圧迫する傾向にある。新人類が始めたサブカルチャーは、むしろその下の団塊ジュニア世代に、ネットなど水面下で受け継がれている形だ。

新人類世代はサブカルチャーを「居場所」として発掘した最初の世代ではあるが、それを哲学や思想にまで昇華しようとする動きが少ないことが最大の弱みだろう。過渡期の徒花で終わるか、オリジナルの何かを遺産として残すのか。まさに新人類よ、何処へ行く、である。(ジャーナリスト・速水由紀子
 
所収アエラ』2001年11月19日号

 <訂正>『完全自殺マニュアル』が、東京都でも「『青少年健全育成条例』に抵触する『不健全図書』扱いとなった」とあるのは、「『不健全図書』に指定されていない」の誤りでした。
 
世紀末カルチャー
残虐趣味が埋める失われた現実感
 
以前なら「忌諱に触れる」とされたはずの嗜好が、 日々の生活にまぎれ、若い女性らの心をも掴んでいる。現実感と規範を失いつつある社会が、その裏に透けて見える。都内に本部を置くレンタルビデオの大手チェーンは、五月に予定していた犯罪映画キャンペーンを取りやめた。
 
取り上げた新着ビデオ三本のなかに、「土師淳君を殺した犯人が、影響を受けた可能性がある」と、捜査本部に名指しされた映画「フェティッシュ」が含まれていたからだ。富豪夫人ばかりを狙って斬首する連続殺人犯が登場するところが、淳君殺害を思わせると、リストにあがったらしい。
 
この作品は、殺人鬼と殺人オタクを題材にした、Q・タランティーノ製作総指揮のブラックコメディー。流血の場面は多いが、設定も筋書きも現実離れしていて、犯行の参考になるかどうか疑問ではある。
 
○増える女性のファン
巻き毛、白い肌、赤い唇と、白雪姫のような風貌のヒロインは、小さいころから異常に犯罪に興味を示し、テレビの犯罪番組チェックや新聞記事のスクラップを欠かさない。長じて、マイアミにある民間の殺人現場処理会社に就職し、ひょんなことから連続殺人鬼と対決するはめになる――。
 
「内容はホラーといったものではありませんが、時期が時期だけに目立つところに置くのはまずいだろうと……」チェーン店の本部も、当惑気味だ。この時期、「殺人オタク」「斬首」といったキーワードが、すべて「酒鬼薔薇聖斗」に結びついてしまう。
 
しかし、いまや映画、音楽、美術、コミックなどサブカルチャーの世界で、「死体」や「殺人」は、欠かせない要素だ。女の子のファンも、増えている。専門学校に通うイクミさん(一八)のお気に入りの映画は、米国の殺人鬼エド・ケインをモデルにした「悪魔のいけにえ」。殺人現場や手術の場面などが載っている雑誌を見ると、つい買ってしまう。「血がぐちゃぐちゃっていう感じが、いい」とにかく、寄生虫とか、へんな触感のおもちゃ、へんな漫画と、「気持ち悪いけど気持ちいい」ものに目がないという。
 
美大生のルミさん(二一)は、数年前、ナチ収容所の写真展を見てショックを受け、人体解剖図や死体の写真を集めたり、それをモチーフに絵を描いたりするようになった。
 
○不確実な生きる実感
ルミさんは、太りたくないと、思春期に入るころからダイエットを続けてきた。いまもTシャツの上から肩やあばら骨を確認できるほど、痩せている。からだは軽く、汗なんかもあまりかかず、というのが理想だった。その一方で「生きてるって感じ」を求めていた。
 
「わたしも、ほんとに死んじゃうのかな」と、軽く手首にカミソリをあてたことも何度かある。 親戚の葬式には出たことがあるが、人の死体をじかに見たことはなかった。死体写真をつぶさに見たり描いたりしていると、自分も肉体をもつ人間なんだ、という実感がわいてくる。「現実に、直前まで生きてた人が、肉の塊になってる。それって、すごく不思議じゃありませんか」
 
「死体」や「殺人」がもて囃されるようになったのは、九〇年代に入ってからのこと。 美女の死体が象徴的に扱われるデビッド・リンチ監督の「ツイン・ピークス」がブームになり、死体や死をイメージした美術写真が人気を集め、タレントの小泉今日子さんが写真集の中で死体に扮したり。
 
書籍では、ロバート・K・レスラーの犯罪心理シリーズの存在が大きい。九四年に出版され、百万部を超えるベストセラーになった『FBI心理分析官』(早川書房)は、日本の書籍では見られなかったような生々しい事件現場などの写真を収録。翌九五年からは殺人百科『週刊マーダー・ケース・ブック』の刊行も始まった。
 
こうした本や映画の背景には、八〇年代に入って、米国で連続殺人犯(シリアル・キラー)が続出し、彼らの出版した自伝がベストセラーになったり、サインが売りに出されたりという、現実の裏打ちがある。
 
加えてインターネットの普及で、海外発信のきわどい画像が手軽に取り出せるようになり、日本では主に自動販売機などで売られていた「悪趣味」分野の本も、一般の書店に並ぶようになった。
 
その代表格ともいえる『危ない1号』(データハウス)シリーズは、「鬼畜系カルチャー入門講座」と銘打ち、ドラッグから盗聴までの「あぶない」ネタを網羅している。編集長の青山正明さんによると、読者層は男女半々。
 
「殺人&死体」は、特集の中でも反響の大きい項目の一つというが、青山さんには、いま一つもの足りなさが残る。「目で見て明らかに分かるグロテスクさに人気が集中している。表層的な露悪趣味に、終始しているんじゃないか」
 
「猟奇犯罪研究家」を自称し、海外の連続殺人事件に詳しい翻訳家の柳下毅一郎さんも、「ブーム」に複雑な面持ちだ。「死体も殺人鬼も刺激物として喜んでいる連中が大勢いて、それを説教する人も、自制が働く人もいない。ああいうのは、まっとうな人間がやることじゃないという“つつしみ”が、八〇年代以降、なくなった」と、嘆く。
 
○力を失った社会的規範
佐川一政さんのトークショーなどに集まる観客には、二つのタイプがあるという。一つは、「佐川くん」を通じて人間の心理の深淵を覗き、自分の自我を確立したいといったタイプ。もう一方は、「へんなもの」が目的になっている人々。後者は十代、二十代が多く、最近、とみに増えているという。彼らの口癖は「窮屈な社会からはみ出した存在になりたい」。
 
悪趣味というカルチャーに走ることでしか、自分の存在を確認できない人々だ。酒鬼薔薇聖斗は、「殺人」が自身の「趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある」と、している。彼は、この種の「鬼畜」カルチャーの申し子なのだろうか。
 
上智大学福島章教授(犯罪心理・精神医学)は、こうした文化と犯罪を直接的に結びつけ、排除するような動きが生まれるのを危惧する。人間には暴力性が潜んでおり、それを道徳で抑えている。映画やテレビの暴力には、浄化作用がある、というのが教授の考えだ。「個人的には、あんまり気持ちいいとは思いませんがね」(編集部 高橋淳子)
 
所収『アエラ』1997年6月23日号
 

マンガ狂い咲き かわいくってざんこくな本棚のペットねこぢるの飼い方/鬼畜なねこちゃんの何かがわかる本/特集ねこぢるマンガの生態(BUBKA1998年1月号)

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