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今こそ「鬼畜」になれ! 「アングラ/サブカル」が必要なわけ(村崎百郎)

今こそ「鬼畜」になれ!

「アングラ/サブカル」が必要なわけ

談=村崎百郎

構成=STUDIO VOICE


なぜ「アングラ/サブカル」なのか? あるいは、「腑抜けたブタ」どもへ!

アングラ/サブカル的な文化に対する欲望を持つかどうかというのは個人の問題であって、世代や年代の問題ではないと思う。求めるか求めないか。そこでハッキリと分かれてしまう。求めない人間は、基本的に全てに対して批判精神が脆弱な人間であって、普通にマスメディアから受け取る娯楽や文化で充分に満足してしまっている。下らないお笑いタレントのバラエティを見て満足なわけでしょ? まあ、昔はとんねるずからこっちの世界に入ってきたという人たちがいてびっくりしたこともあるけど(笑)。

要するに現状に満足できない人間がアングラ/サブカルを求めるんだよね。アングラ指向そのものが「自分をとりまく日常や現実に対する異議申し立て」なんだから、必然的にそういう人間は反体制的・反社会的な反骨性質を持つことになる。80~90年代のアングラ・カルチャーを見ればわかるけどね。

ところが今はみんな飼い慣らされちゃってるよね。結局、反抗しなくてもアングラ/サブカル的なものに触れることが出来る世界になってしまったということなんでしょ? とにかく、まともな知識欲と好奇心を持っている人間なら、絶対に現状で満足するわけがないんだよ。逆に言うと、アングラ/サブカルが衰退した(境界線があやふやでメジャーとサブカルの区別がつかなくなった現状も含む)ということは、現状に満足して何もしない腑抜けたブタが増えたという、体制にとって実に都合の良い状態になったということだよね。

 

「アングラ/サブカル」は消滅したのか? あるいは、きっかけとしての「サブカル雑誌」

きっかけはなんでもいいんだよ。中世ドイツの神秘家ヤコブベーメは、25歳の時に錫器に反射する光を見てはじめて世界の神秘に気づいて、以後昼は靴職人をしながら夜はカバラの秘儀を学び、大宇宙の神秘に近づいたんだから。でもかつては、「アングラ雑誌」や「サブカル雑誌」がそういうきっかけやとば口になっていたんだよね。雑誌を読むということが、単なる暇つぶしではすまされないという時があるんだよね。『血と薔薇』『牧神』『月下の一群』『パイディア』『幻想と怪奇』『迷宮』『思潮』『レヴ』『幻想文学』などの幻想文学関係はもちろん70~80年代の『遊』の存在と影響力は大きかったし(80年代ニューアカブームのインフラを築いた)、70後半~80年代の『夜想』もそうだし(現在復刊中)、『メディテーション』『現代詩手帖』『ユリイカ』『現代思想』『イマーゴ』などあげれば沢山ある。『季刊NW-SF』『パピエ・コレ』とか武邑先生の『デコード』ってのもあったね。いまだにグレードアップしてがんばってんのが『トーキングヘッズ』とか……。きっかけはいつの時代も、ちょっと探せばどこにでも転がってたんだよ。それに気づいて追及するかどうかは各人次第だったわけで。今は、出版点数そのものは増えてるはずなのに、そうしたアングラ/サブカル雑誌がほどんどないことも一つの特徴だね。

そうすると、ネット社会の到来とともにサブカルもアングラもなくなったという話になるわけでしょう? 別になくなったわけではなく、膨大な情報の洪水の中に埋没したというだけで、目覚めて求める人間の数や割合はそれほど昔と変わらないのが現状じゃないかな。だから、いろんな意味で過渡期なんだろうね。せっかく誰もが手軽にネットを利用できる時代になったのに、人間そのものが進化する傾向はまだまだ見られない。膨大な情報群の前でとまどっていて、どうしていいのか分からずにいるサルのごとき人類の姿がイメージとして浮かぶだけ(笑)。雑誌とか本とかが一冊も無くて、もう一生部屋の中に籠もって過ごせるだけの情報がネットに転がっているのもかかわらず、そこから目を瞠むるような新しいものが出てきているわけではない。みんな情報にくっついてるだけで精一杯なんだよね。

 

ネットと「言語ウィルス」あるいは、「引きこもり」はキッチリ引きこもれ!

時代が平和でヌルくなっているだけに、孤立感や漠然とした存在の不安みたいなもんだけは大きく膨れ上がっていって、わけのわからない不安につつまれる。自分はこれでいいのか? みんなは……どうなんだろう? とか。そこで、2ちゃんねるのようなメディアに群がる人間が増えるわけ。アレは自分に自信のない、漠然とした不安をかかえた人間には、何かを確かめたような気になって安心できる便利なもので、人生に何の目的も目標も持たない暇な人間が時間をつぶすには格好のメディアなわけだから。

だから、2ちゃんに代表されるものこそ、バロウズの言ってた「言語ウィルス」が悪意をもって活発な活動を展開する拠点だと思うんだよね。「言語ウィルス」はひたすら言語を消費させればいいんだから。そこにはただ消耗しかない。だからオレはあまり入れ込めないんだよね。単に生存時間を削られているだけ、って感じがするでしょ? バカが使ったらネットに使われているだけになるんだよ。ネットはニュースや調べモノをする時だけに有効な「道具」であって、自分に関して言えば、いまでもネットを利用してる時間は読書時間よりも短いね。ネット・サーフィンってのもそもそも「電脳ゴミ漁り」なんだけど、現実のゴミ漁りが好きなオレにはやっぱりバーチャルのゴミ漁りは物足りなくて現実に夜中に外を徘徊してゴミを漁る方が好きです(笑)。昔に比べれば、知識の採取はネットのおかげで格段に時間短縮できるようになったんだから、今の若いヤツらは昔の若者よりもスマートで、昔の若者以上のことはできて当然って気がするんだけど、現状見ててもそこまで上手くやってるヤツらってのはあんまり見えてこないね。これからなんだろうと期待してんだけどまだみたいで残念だよ。だいたい、今言われている引きこもりだって、引きこもりでもなんでもないだろ。引きこもるんなら完全に情報を遮断して孤立した状態でひたすら考え続けたら、それはそれで成熟につながるんだと思うけど、中途半端にネットに繋がっているから社会に繋がっているような錯覚を起こすんだよ。それでは何も生まれない。

 

「鬼畜系」は如何にして生まれたか? あるいは、「激動」の90年代

90年代と、00年代に入ってからの文化の区別があんまりつかないでしょ? 世紀末的なものが一掃されたかというとそういうこともないし。ただ、どんどん多くの若い人が育ってきているのは事実。累積してきた過去のアングラ/サブカル物件も増えてきて、それをどんな順番で体験するかで見方も評価も完全に変わってくるだろうね。たとえばファミレスのBGMで流れてきたツェッペリンを聞いた女子高生が「なによこれ! B'zの丸パクリじゃないのよ!」と憤るような事態がそこかしこで見られるようになるわけです。「最低な連中がいるな!」って(笑)。でもそれはしようがない。そういう子たちにとっては、先に聞いた方がオリジナルなんだから、時間軸自体がぐちゃぐちゃになってるんだよね。60年代のアングラもアングラに見えなかったりして。情報量が多すぎると、ないのと同じ状態になるんだよね。そもそも人間は年を経るに従って精神の状態も変化するわけで、そうすると世界の捉え方そのものは変わっていくから年齢毎の真理があるはずなんだよ。だからオレ自身は年代で区切って考えることがないし、文化運動は年代で区切るんじゃなくて個人の意識の問題として区切られるべきだと思う。

でも振り返ってみれば昭和が終わったのは89年だけど、それをみんながちゃんと実感したのは90年代に入ってからでしょ? バブル崩壊と95年のオウム事件阪神大震災という大きな「激動」も一応みんなが経験したわけで、それがアングラにも反映されて10年は食えたって感じだよね(笑)。

当時、ペヨトル工房をやめて、フラフラしてたとこに青山正明から「新雑誌をやるんで」と声をかけられて、彼らが「ごきげん&ハッピー系」を念頭に置いて作っていたさわやかな麻薬雑誌に、ゲスで下品で暗黒文化を無理矢理ねじこんで、気づくと、読むとイヤな気持ちになる雑誌にしてた(笑)。しまいにゃ「鬼畜系」ってキャッチ・コピーまでつけて出させたのが『危ない1号』。

あの頃は記名じゃない記事も書きまくってて、2号目なんて鬼畜記事の三分の一くらいはオレが書いてた。あと、酒鬼薔薇事件というのもあったけど、酒鬼薔薇は『危ない1号』の創刊号を読んでるんだよ。オレの犬肉喰いの記事も読んでるね。酒鬼薔薇が出した年賀状のイラストっていうのが、『危ない1号』の裏表紙に使われたLSDの紙パケのイラストの模写だったから。

賛否両論あったけど『危ない1号』は一応受けて、雑誌も売れて抗議も殺到。おかげで「鬼畜系編集者」の烙印を押された青山が鬱になって、この件も彼の自殺を早めた大きな要因だって、青山の周辺からはずいぶん恨まれました。謝って許されることじゃないから謝らないけどね。今でも悪かったとは思ってるよ。青山の名誉のためにも言っとくけど、青山は鬼畜とは対極にある本当に優しくて親切な良い人でした。彼の雑誌を「鬼畜系」にねじまげてしまったのは全てオレのせいです。他の連中に罪はありません。

考えてみると、80年代前半、藤原新也の『東京漂流』とか『メメント・モリ』が出た頃に死体ブームが起こったんだよね。都市があまりにキレイになってしまい死=死体が見えなくなったという事に対するアンチみたいなものだったんだけど、その後に屍体写真集『SCENE』や『夜想』の屍体特集が同時発生的に出た。『危ない1号』はそういう系譜を継ぐ存在だったんだろうね。

 

鬼畜とは何か? あるいはよりよい世界のために!

白状すると80年代の広告ブームの時にコピーライターになろうと宣伝会議の講座を受講してて(笑)、そこでいろんなコピーを作りながら自分が過激なキャッチ・コピーを作るのだけは得意だって自覚してたんですよ。だから暗黒文化を総称するような言葉で「鬼畜系」ってのはすぐにできた。ここまで流通するとは思ってなかったけど、作った手前と責任上、死ぬまで「鬼畜ライター」は名乗り続けますよ。「鬼畜ライター」なんてオレひとりだったしね(笑)。

だいたい、オレの定義する「鬼畜」っていうのは、人非人的な行為っていう意味だけではなく、より本質的なところで言えば、「他人に一切配慮せず自分の好きなことを貫く」っていう意味なんだよ。それが「鬼畜」の完成型だと思うし、それが社会的に見て良いことか悪いことかなんていうのはオレの知ったこっちゃねえよ、っていう。人間は二タイプしかいなくて、次の世代にいろんなものを手渡ししてゆくために存在している人間と、そこからいきなりジャンプして強烈な発明なりコトを起こす人間とに明確に分かれてる。

一歩先に進めるヤツらというのは、どう考えても周りの迷惑なんか考えず好きなことやったヤツらばかりだよ。そういう意味でも死ぬまで鬼畜でありたいと思うんだよね。だから、オレの言う「反・鬼畜」っていうのは、まわりに気を使ってまわりと同じ様なことをするヤツら。たとえば、巨大掲示板でみんなが悪口を言っている中で、一緒になって悪口を言うのは鬼畜じゃなかったりするんだよね。とにかく心がけているのが「他人の為には生きたくない」っていうこと。限られた生存時間なんだからさ。本当にみんながいちばんやりたいことをストレートに目指したら、今よりずっとましな世界が来るんじゃないかなって思うね。「やりたいこと」ってのが殺しでもなんでもいいんだけどさ。

だから今でも、というより今だからこそ、「鬼畜」であることが必要なんだよ。まわりの人間に律儀につきあったりせず、自分の好きなことだけを追求しろって言いたいね。これだけ情報にアクセスしやすくなったんだしさ。

(所載:『スタジオボイス』2006年12月号「90年代カルチャー」完全マニュアル)

 

 

大学生ビジネスジの間にロリコン趣味が激増! 慶大のキャンパス誌やアングラ誌には“狙われた”美少女のあどけない笑顔が!

慶大のキャンパス誌やアングラ誌には“狙われた”美少女のあどけない笑顔が!

大学生ビジネスジの間にロリコン趣味が激増!

所載:『週刊宝石』2号(1981年10月24日発行/光文社)



その道の雑誌が何10万部というベストセラーになり、ときには“直接行動”による犯罪もおきているという現実。ロリータコンプレックス―その心理構造にひそんでいるものは何か。

「最近、3才になったばかりのウチの娘のワレメ部分をしみみと眺めたんですが、清らかなもんですね。5年前に結婚した女房のなんか、不潔というよりも、凄味がありますからね。世の中、SMだとか、ホモ、レズなんてのが横行すると、清純なものに憧れる気持ちが生じろんじゃないでしょうか」(34才、証券会社勤務)「いやァ、ヌード劇場やビニ本で大股開きを見すぎたせいか、もうゲップが出る感じだね。少女もののヌードは、あの可憐さが決め手だと思うな。顔も可憐だし、水蜜桃を思わせるワレメも可憐だ」(26才、フリーデザィナー)

というしたいで、このところ少女ヌードの人気が高まってきている。

一昨年出版され、実に25万部が売れた『ヨーロッパの小さな妖精たち』(世文社刊)の人気は、ヘアーのないワレメチャンがばっちり撮れている物珍しさからと思ったら、その前にも『リトルプリテンダー』(ミリオン出版刊)が20万部も売れていた。いや、今年4月、11才の双子の女の子をモデルにした『ロマンス』(竹書房刊)が25万部売れている。

 

小6美少女との接近レポート

何10万部というのは、写真集の実売部数としては大変な数字なのである。

単なる物珍しさだけではないのだ。

あるビニ本屋の主人の証言──「セーラー服シリーズがさっぱり売れなくなりましたね。いま売れているのは少女もの、いわゆるチャイルド・ポルノです。いやいや、年輩者だけではなくて、若い人たちが買っていくんですよ」

性的嗜好の面で、何か異変が起こっている。

ロリータ・コンプレックス、略して「ロリコン」。ウラジミル・ナボコフの小説『ロリータ』から発生した言葉である。中年男が美少女を追いかけまわすという“少女願望(崇拝)”がこの小説のテーマだ。

慶応大学の学生たちが編集発行している『突然変異』なる季刊誌を覗いてみると、仰天させられる。同誌は週刊誌サイズ、68ページ、340円。公称発行部数3万。〈脳細胞爆裂マガジン〉と銘うつ同誌の『寄生虫ナウい飼い方』『射精レポート」などという記事にまじって、『六年四組学級新聞』なるページがあり、その中の〈私たち奴隷志願コーナー〉には、小学生の女の子たちからの“投書”が掲載されている。

「とても好きなんです。大きなお兄ちゃんたちについてくのが。くすぐったくされるのはいやじゃないけど。痛いのはいや」(8才・未生理)

「もしお望みならお兄ちゃんの見ている前でオシッコだってしちゃうわ」(11才・生理済・上付・カズノコ天井)

「身体は十分発達していますので、あとは心の問題。君のお母さんのためだぞ。といえば、ふるえながら従います」(12才・生理済・恥毛有)などなど―。

とても少女たちからの本物の投書とは信じられないが、幼女に対する大学生たちの並々ならぬ関心がうかがえようというものだ。

また、「突然変異VSピチピチロリータ」なるページは、同誌の編集スタッフ3人が、スタッフの1人の母校(小学校)を訪問した模様のくわしいレポートである。

そのレポートによれば、「慶応大学心理学研究室」を名乗って恩師に面会した結果、「慶応大学のお兄さんがみんなに質問があるそうです。話しかけられたら、ちゃんと答えてあげましょう」なるアナウンスを休みに流してもらうことに成功。「美人小六生」2人と放課後に会う約束をする。(大学生が小学生を“美人”と形容したことがかつてあったろうか!)

やがて、大学生と女子小学生との間に交わされた会話が紹介されているが、その内容は他愛ない。が、レポートの結びの文章にぎょっとさせられる。

「会話の最中、私は確かに見た西村が勃起しているのを…….私は確かに見た。中田が勃起しているのを……そして、はっきりと感じとる事ができた。私の物も見事に勃起しているを……」(西村、平田はレポーターと同行した編集部員)

さて、編集スタッフのQクン(慶応大法学部)はロリコン型の男子学生についてこう語る。「やっぱり、受験戦争の弊害の1つじゃないでしょうか。なんせ、受験、受験で同年代の女の子と接触することなく、いざキャンバスに立ってみると、自分は派手にアイシャドウや口紅を塗りたくったお色気過剰の女子学生に囲まれているんだから。対等に勝負する気力を持てないんですよ」

ザコンで受験生時代をくぐり抜けたすえ、ロリコンに取りつかれる──ということらしい。

いまや、女子中・高生の売春なんて珍しくもない。アルバイトに女子中・高生の家庭教師なんかやっていると、セックス相談なんか受けたりしてタジタジとなる。

とどのつまり、安心してお付合い願えるのは小学生の女の子ということになるのか。

Qクンも女子小学生と付き合ったことがある。その体験談──「その女の子を映画に連れて行った帰り、友達のアバートに寄ったんです。安アパートでね。

トイレは共同なんですよ。友達は無精なヤツで、部屋の隅にオマルを置いていた。しばらく女の子をまじえて3人でお喋りをしてたんですが、急に女の子が立ちあがってオマルにまたがって、下着をおろしてオシッコをするんです。そして、終るとティッシュペーパーでシッカリと拭いてねえ。その悪びれない仕草に、ひどく感動させられたなあ」

Qクンは大学1年のときに同年代の女性と恋愛をした。ところが半年ほどで手ひどくふられて、それ以来、ロリコン志向に変じたという。

女子大生といえば、アルバイトにホステスをやるぐらいは、いまや当たり前みたいなもの。ノーパン喫茶ビニ本のモデルにも活発に進出。その活躍ぶり、ズッコケぶりは目ざましいが、それに反して、男子学生のほうはイジケた感じで精彩に欠けるのはどうしたことだろう。

 

“幼女体験”の告白集も…

しかし、小学生の女の子と他愛ない話を交わしながら勃起したり、オシッコのあとのティッシュペーパーに感動したりしている程度なら罪はない。が、ロリコンがそれ以上には発展しないという保証はないのである。

最近の少女誘拐事件"を2つ──。

9月23日、東京・赤羽署は、北区赤羽2丁目の無職・川崎博(56才)を誘拐容疑で逮捕。

川崎は、自宅近くの西友ストアのアイスクリーム売場付近で遊んでいた小学4年のA子ちゃんとB子ちゃんの2人に対して、「警察の者だけど、こんな所で遊んでいちゃいけないよ」と声をかけ、近くの赤羽公園へ連れて行った。途中でB子ちゃんを帰したが、A子ちゃんを近くの赤羽スカイハイツ4階の踊り場へ運れこみ、いきなり抱きあげた。A子ちゃんはびっくりして泣き出したため、何もしないで家に帰した。

取調べに対して川崎は、「可愛かったので遊んでやろうと思っただけです」と言っており、同じアパートの住人も、川崎の部屋からよく女の子のキャアキャア騒ぐ声が聞こえていたというから、本当に「遊んでやるつもり」だけだったのかもしれない。

赤羽署には、今年に入ってから「子どもが見知らぬ男に連れて歩かれた」という訴えが6件もあり、ロリコン男は川崎のほかにもいるかもしれないのである。

もう1つの事件は大阪である。北大阪一帯で小学5、6年生の女の子計5人にイタズラしていた男が、8月3日、豊中署に捕まっている。

男は豊中市新千里南町に住む工員、谷口彰一(22才)

同日午後2時すぎ、買い物帰りの小学4年生C子ちゃんに話しかけながら一緒に歩き、C子ちゃんの家に家族がいないのを知ると、あがりこんだ。家の中で、C子ちゃんを押し倒してキスしたり、指でタッチしたり。そこへ家族が帰宅したので谷口は逃げ出した。家族の通報で駆けつけたパトカーに谷口は逮捕されている。

自供によれば、2年前谷口は梅田のゲームセンターで知り合った男に同い年の女性を紹介され、その日のうちに女性のアバートに行ったが、イザというときになって、興奮しすぎたために勃起せず不成功に終わり、女性にののしられた。そのショックから女性恐怖症に陥り、幼女に目を向けるようになったという。

こうなってくると、最近の男性はイジケてる、だらしがないと、眠ってばかりもいられなくなってくるのである。

実際に、幼女へのイタズラ事件はふえているし、ロリコンを取材しているうちに、この型の男性が意外に多くひそんでいるのに驚かされた。

季刊のロリコン雑誌まで発行されていた。『少女趣味』がそれで、一昨年秋に創刊号が出ている。A5判、102ページ、千200円。発行所は、主としてビニ本を編集制作しているバオ企画。バォ企画の代表取締役・小松真美さんの弁は──

「少女への憧れや好奇心は、男なら誰でもが心の中に秘めているものです。その憧れや好奇心を満たそうというのが『少女趣味』の編集方針で、あくまで道徳的なペースを踏み外さない範囲で、というのが編集部の姿勢です」

そのうえ、この雑誌の読者の集まりが月1回開かれているという。会の名称は『清遊会』というんだそうだ。

それにしても、ロリコン男ばかりが一堂に会して“実践”には及ばず「話をするだけで満足」(小松さん)とは、いったいどういうことなのか。不思議というより、無気味な光景ではなかろうか。

しかし『少女趣味』は実際にページを繰ってみても、この程度なら問題のない内容だといえるかも知れない。

ロリコンを取材しているうちに、もっとハードな内容の雑誌『PEPI』(フランス語で「少女」の意味)にぶつかった。

この雑誌は、季刊。A5判、50ページの薄さだが、他段は1万円。

「一部の雑誌に広告を出して、いまのところ通信販売していますが、いや、反響はすごいもんです」

編集発行人の中崎至さんは、そういって胸をそらした。

この中崎さんに会うまでに、かなり骨が折れた。雑誌は、郵便局止めで現金を送ると、すぐ手に入ったが、発行所は印刷されていないからである。

むろん、取締当局の目を気にしてのことだろう。それだけに、中身はかなりどぎつい。

たとえば。〈幼女を快感に導く愛撫のコツ〉……これは、幼稚園児や小学校の女性を相手にした、いわゆるペッティングのテクニックの解説である。

〈成人男性と幼女の性交について〉……ラーゲ研究である。『レボートルーム』なるベージの『私の幼女体験』にはつぎのような記述がある。

〈……パンツを脱がした股の間に手を入れました。稚ないそこの手ざわり! 私はそっとこすってやりました。すると、女の子がビクッとしたのです。「感じたんだな」

そう思うと私はものすごく興済して来ました。

……中略……

快感の吐息です。私はもう夢中でした。急いでズボンの××××を降しました。コチコチになったものを出すなり、私は××になって、スカートをまくった女の子の真白いお尻の方から××××ました……〉

こんなに露骨に幼女姦を描写し、そのテクニックを指導までしている雑誌は、まず本邦初といえるだろう。

しかし、その犯罪性について中崎さんはこう釈明する。

「古来、幼女愛(中崎さんは口リコンとは言わない)は男性の心の奥にずっと潜んでいるものですからね。だから、幼女愛を犯罪の臭いのするものと決めつけて、何でもかんでも押えようとするのではなく、今後は現実の幼女愛をどう満たしていくかを考えるほうが必要だし、賢明なことじゃないかな」

 

80年代、90年代はロリコン時代か?

果たしてそうだろうか。中崎さんのいうように、幼女姦はすべての男性が心に秘めた験望なのだろうか。

こころみに『PEPI』を何人かの男性に読んでもらったところ、不安を訴える人が多かった。なかには、こういう人も──。「これに目を通したら、久しぶりに公憤を覚えたな」改めて説明するまでもなく、刑法では13才未満の子どもに猥せつな行為をするのを禁じ(第一七六条)、むろん13才に満たない女の子との性行為を、たとえ合意であっても強姦とみなすと規定(第一七七条)している。

中崎さんによれば、幼女愛の強い男性には2つのタイプがあるという。1つは、女遊びに飽きてしまったタイプ。いわば、遊び尽くして悪趣味に走るタイプで、これは年輩者に多い。

もう1つは「性格的に成人した女性より幼女が好き」というタイプで、こちらはオールドからヤングまで、年齢は幅広い。

「つまり、精神的に男になり切っていないわけで、だから、成熟した女が怖いんです」

そうなると、受験戦争に打ちひしがれて、精神的な面での男の発育が遅れた大学生やビジネスマンに、後者のタイプの幼女愛がふえるのは必然的と中崎さんは断じるのである。

何しろ、男子大学生の70㌫かまでがマザーコンプレックスに陥っている、という調査結果もある当節のことだ。

「80年代、90年代は、ロリコン時代」という中崎さんの観測どおりにならなければよいが。また、当局がヘアーの取り締まりにばかり固執し、反動的に幼女のワレメチャン満載の印刷物の氾濫を招き、それがロリコンの助長につながらなければよいが──。

 

創刊したばかりの『週刊宝石』の2号に掲載された「大学生・ビジネスマンの間に、幼女性愛趣味が激増!!」は、少女写真集『リトルプリテンダー』『ヨーロッパの小さな妖精たち』などが20万部以上を売り上げているのを見て書かれた記事のようだが、そこに『突然変異』編集部員のQ君(仮名)がロリコンになった由来が書かれている。曰く「Qクンは大学1年のときに同年代の女性と恋愛をした。ところが半年ほどで手ひどくふられて、それ以来、ロリコン志向に変じたという」。これが本当かどうかはさておき、当時は女子大生ブームで、それに対するカウンター的な意味合いもあったのかもしれない。(ばるぼら

ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者! 青山正明の世界 第4回 - WEBスナイパー

 

六年四組学級新聞「無能ライターインタビュー」青山正明

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生け贄『週刊宝石』ライター・亀山洋一

インタビュアー本誌編集部・大塚雅美

 所載:突然変異社『突然変異』第3号(1981年12月24日発行)

O どうもお久しぶりです。

K いやあ、どうも。この前は『週刊宝石』創刊2号の「大学生ビジネスマンの間に『ロリコン趣味』が激増!」なんて下らない記事に協力してもらって助かったよ。何せネタが尽きておまんまの喰いあげになるところだったからね。

O ええ。あの記事では、いちおう私がインタビューされたわけですが、今日は逆にこちらがインタビューをお願いしたわけです。ネタをもらった人間を平気で揶揄できるフリーライターというのは、いったいどんな人種なんだろうかと……。

K 何でも遠慮なく聞いていいからね。

O はい。それにしても、このところ週刊誌にやたら書き散らしているフリーライターの記事を見ていて、しきりに感心するのですが、どうやったら人間ああも無能になりきれるものなんでしょうか?

K ま、それはね。大部分のフリーライターなんつうのは私みたく無能なわけよ。毎晩、各界の名士や雑誌の編集者なんかと飲み歩いてコネつけるのが勢いっぱいで、もともと記事を書けるだけの頭なんてないんだね。自分のアタマ使うのは、飲み屋で芸やらされるときくらいなもんで、イザ記事となったらアマチュアのもっと頭いいのを借りてきて、それをパズルのように組み立てて作文するだけなんよ。無能と阿呆を飼い殺しにできる世界ってメジャーしかないもんね。要するにフリーライターなんていうのは、才能なんてなくてもできるわけよ。

O そういう寄生虫のような生活態度を理想としておられるわけですね。

K ま、そうだね。100円ライター集団作った慶應の佐桑徹なんてのもこのクチね。自分に才能ないから、アイディア持ってる学生かき集めて、それで記事を書こうと。

O ええ。100円ライターは『突然変異』をネタにしてかなり書いているようですね。『中大パンチ』とか、『噂の真相』とか。彼らは、『突然変異』の発行が慶應大学のジャーナリズム研究会だと思い込んでるようですが、アレは創刊号の形式的な発行元でしかありませんからね。そういう事実経過さえ調べずに書いてる。

K ハハハ。それは僕にしたって同じよ。

O ところで佐桑さんは最近どうしておられるのですか?

K ああ。あの男は本質的にハエとかゴキブリといった類いの人間なわけよ。この春経団連に就職したが、えらく暇らしくて、学生にたかってはライターやってるようね。

O ところで、亀山さんの書いた『週刊宝石』の記事は、扉の写真からして『突然変異』の写真の無断転載ですね。メジャーは意外と平気でそういうことやる?

K いやあ、相手をみてやるわけでね。大物にタテつくと、僕みたく才能のないライターは、すぐ食えなくなる。

O ははあ、フリーライターというのは、そういう、いっけん古そうでNOWい道徳感とかポリシーを持っているわけですね。そういえば、私のところに来た『アングル』の野沢淳なんていう好きものライターも、取材と偽って輸入したエロ雑誌のカタログを騙しとりましたからね。

K とにかく、僕なんかポリシーとか視点の新しさなんて一切ないわけよ。編集者に媚売って仕事もらって、他人にはモノ書きや、とえばってればいいわけだからね。

O しかし、人間がそこまで阿呆になりきるには、余程の鋭い精神力が必要とされるんじゃないですか?

K いやあ、自慢じゃないけど昔からこうだからねえ。

O 今日はどうもありがとうございました。

 

亀山洋一 自宅電話番号 ●●●―●●●●(※本誌は修正なし)

 

『突然変異』は当時の『週刊宝石』でも紹介されたことがある。1981年後半といえば世間はロリコン・ブームに突入していた時期で、『突然変異』もロリコン現象の一つとして扱われていたのだ。問題の10/24号の「大学生・ビジネスマンの間に、幼女性愛趣味が激増!!」という記事では、他にもロリコン雑誌の『少女趣味』や、伝説のロリータ同人誌『PEPI』が紹介されており、ロリコン趣味のウジウジした大学生集団のように書かれた『突然変異』側は、11月15日発行の3号で、抗議として取材記者の名前と電話番号を誌上で暴露した。

ロリコン雑誌扱いにうんざりした『突然変異』は、以後少女ネタを扱うのをやめるが、そのロリコン記事をきっかけに、青山正明に転機が訪れる。2号に掲載されたロリータ記事「6年4組学級新聞」を見た白夜書房の編集者から連絡があり、執筆依頼をされたのである。こうして同年12月の『ヘイ!バディ』誌の「少女の時代」特集に「HOW TO LOLITA」を寄稿、商業誌デビューを飾った。この記事の受けが良かったのか、以降82年2月号から、『突然変異』のスタッフと共同で「6年4組学級新聞」の連載を『ヘイ!バディ』誌上で始めることになる。(ばるぼら

ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者! 青山正明の世界 第4回 - WEBスナイパー

若者を覆う“ロリコンブーム”の仕掛人 (高取英)

若者を覆う“ロリコンブーム”の仕掛人

高取英(マンガ評論家)

ロリコン学生の殆どが童貞

現在、青少年の間に、〈ロリコン〉が流行しているという。

ウラジミール・ナボコフの小説「ロリータ」が発表されて以来、ロリータ・コンプレックという言葉が心理学上、ひとつの性的傾向を示すものとして定着した。一九五五年に出版されたナボヨフの小説「ロリータ」は、中年男・ハンバート・ハンバートが、十二歳の美少女、ロリータの性の魅力におばれていく作品である。

現在、日本の青少年の間にブームをよんでいるロリコンは、この小説のように、中年男が少女を抱くといったものではない。もっとソフトなブームであり、実際には、「二次元コンプレックス」と呼ばれるように、ほんものの少女ではなく、写真やマンガなどの、美少女を愛する傾向を指している。

ロリコンという言葉を翻訳するなら、美少女嗜好、美少女偏愛、といったところになる。もちろん、ブームをささえているのは、幻想としての少女であり、現実的にいえば、オナペットの対象でしかない。写真や、アニメ、マンガなどの美少女に対するプラトニック・ラブが、現在の青少年の間に流行するロリコンである。

すなわち、はやりのロリコンとは、観念であり、ゲームの要素を多分に含んだものなのである

今年の五月に発刊された『ロリコン大全集』(群雄社出版・発行/都市と生活社・発売)は、ロリコンブームの青少年たちのための集大成ともいえる単行本で、初版二万三千部は完売し、現在、四万部まで版を重ねている。

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ロリコンブームの中心人物で後に出家した蛭児神建が責任編集・監修という名目だが、実質的には群雄社川本耕次小形克宏によって編集された。「いまやロリコンの時代だからよ〜、その決定版を出そうってのよ。『ロリコン大全集』だ!!」(川本耕次

この本は、八〇年から八一年にかけて自動販売機の雑誌『少女アリス』の編集長だった川本耕次氏(二十九歳)が編集したものである。

『少女アリス』の初代編集長は、当時アリス出版の社長でもあった小向一実氏であった。ほどなくして、編集長となった川本耕次氏は、みのり出版で『官能劇画』『月刊Peke』の編集を担当していた編集者である。

ロリコン大全集』は、その川本耕次氏がロリコン本の集大成をはかったものである。

彼は、マンガ誌編集時代に知っていた吾妻ひでお氏にエロティックな美少女マンガを描かせることに成功した。

吾妻ひでお氏は、一部に熱狂的なファンをもつ、教祖であり、SFの星雲賞をマンガ部門で受賞しているマンガ家である。林寛子アグネス・チャンのファンであつた吾妻ひでお氏は、『少女アリス』に美少女マンガを連載し、ロリコンマンガファンに熱烈な支持を受けることとなったのである。

川本氏は語る。

吾妻さんだけじゃなく、藤子不二雄手塚治虫も優秀なマンガ家は、ロリコン気質をもっています。マンガはモラトリアムなんです。みんな大人になりたくないから、今の若者はマンガを読み続けるんです。マンガマニアモラトリアム人間だから、彼らにとってSEX、イコール、ロリコンなんです。大学生は、入学した時はマザコンで、卒業した時はロリコンになります。小さい時から男女共学で育ってきたために、同世代の女にあこがれを持てないんですね。男女共学をやっていると、図々しい女性たちに幻滅しちゃうわけです。ロリコン学生のほとんどが童貞です。女は現実的だから永久就職(結婚)を求めるけれど、男はロマンチックになっていくんで、実際にはSEXできない小学生を夢として求めるようになるんですね

一九四八年に男女共学制が実施された時、男子生徒たちは、あこがれの女子生徒と机を並べることに胸をときめかせたという。石坂洋次郎は、『青い山脈』の中で、恋文事件を描き、ほほえましい男女共学のエピソードを小説にしている。

〽若く明るい歌声に雪崩も消える花も咲く、の主題歌は、時を経て、舟木一夫の「高校三年生」によって〽僕らフォークダンスの手を取れば甘く匂うよ黒髪が、と歌われた。

映画「育い山脈」では、「僕は、新子さんが好きだ―ッ」と叫ぶ男子生徒の心情の告白に、新子も「私も六助さんが好きよ―ッ」と山に向かって叫ぶ、こだまが描かれていた。

一九六三年に公開された映画「高校三年生」では倉石功と姿美千子による高校生が、河原でキスをするシーンが描かれていた。

男女共学による恋愛の讃歌は、このあたりまでである。

一九七三年に、中学三年生の山口百恵は、〽あなたが望むなら、私、何をされてもいいわ、と歌い、「青い果実」の欲望をストレートに表現した。同世代の男子生徒たちが、もし、受験戦争に押しひしがれ、男女交際すらうまくいかなくなっていったとすれば、それとは逆に、山口百恵は、処女を恥とし、性ヘの冒険へと翔んでいく女生徒たちの心理を代表的に歌っていたと考えられる。〽あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ、と「ひと夏の経験」で歌った山口百恵は、やがて、〽くせが違う、汗が運う、愛が違う、きき腕違う、ごめんね去年のひとと、また比べている。(「イミテーション・ゴールド」)〽気分次第で抱くだけ抱いて、女はいつも待ってるなんて、坊や、一体何を教わってきたの(「ブレイパックPARTⅡ」)と歌うようになっていく。

〈16歳は体験エイジ〉と女子高生向けの雑誌が書くのに比し、男子生徒たちは、恋もできず、オナペット(「二次元コンプレックス」)に耽溺していったのだろう。

ロリコンブームを語る時、伊藤つかさ松本伊代までも含んで、マスコミはロリコンと称する。しかし、大学生が高校生のスターをあこがれとするのは極めて普通である。

ハイティーン・アイドル歌手の続出と、それに対するあこがれは、大学生や高校生をを市場とする音楽産業の戦略であり、ごく自然である。むしろ、大学生になっても、童貞のままである学生が増加し、彼らが現実に同世代の女子大生と性的な交際をせず、アイドル歌手に夢中であるという、一世代上から見れば幼児的な面がクローズアップされるべきである。

すなわち、学園闘争以後、レジャーランド化した大学で、受験勉強に力をそそぎ、肉体は大人だが、観念は子供の学生たちの〈遊戯〉のひとつが、京大のセーラー服研究会や、早稲田大学の董貞同盟などである

 

オナペット文化の産物

青少年たちがロリコンになっていったとすれば、その原因は、彼らの〈幼児化―大人になりたくない〉とするモラトリアムと、オナニー無害論の普及にある。

七〇年代、半ばより『GORO』の篠山紀信による「激写」がヒットし、『週刊ブレイボーイ』や『平凡パンチ』がますます、ビンナップ(オナベット)雑誌化をはかり、果てはビニ本の登場に至った。「女の口説き方」を特集し、実践と理論を掲載した雑誌が、ビンナップ化していくのは、オナベットの提供のためである。

大学生や高校生の性は一部を除けば解放されてはいない。圧倒的に童貞が増加しつつある。これとは逆に、女子大生、女子高生たちの性の実践と理論化が進み、彼女たちは、「やさしさの世代」の童貞を軽蔑し、中年や一部の性的にオープンな同世代に走るようになった。ロリコンとは、性の体験前で踏みとどまる青少年たちの、オナペット文化の産物なのである。

この過程を図式化すれば、以下のようになる。

 

60年代前半

男はプロに学ぶ 女は処女尊重

60年代後半

男はオナニー無害論が普及し、合言葉は、「オナニーからセックスヘ」

女は恋愛からセックスヘ

70年代前半

男は同棲から結婚へ 女は、婚前交渉が常識化し、処女は恥だと考える

70年代後半

男はオナニーのみの童貞派が増加し、一部のみがんばる

女は、中年がステキと考え、アマチュアのセックステクニックが「婦人誌」によリプロ化

80年代前半

男は、オナニー雑誌、ビニ本に走り、ロリコン青年出現

女は、女子大生がビニ本モデルやノーバン喫茶で働くのが平気。性はますますエスカレート〈16歳は体験エイジ〉とハイティーンを誌がかく。

 

オナペットは、あくまでも、あこがれの対象であり、幻想のものである。空想の中で、自由自在なボーズを描くことが可能なものとは、現実の女性ではない。

現実の大人の女性たちに失望した青少年たちは、処女頭望の人も含めて、女子小学生ヘと対象を移動し、ロリコンとなっていったのである。

 

元祖としての「アリスブーム」

ロリコンブームに先んじて七〇年前後に、アリスブームがあった。

テニスンのイラストで知られる「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の作者であるルイス・キャロル(1832 - 1898)は、本名、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンで数学の教授であった。彼は、「ロリータ」のハンバートのように、想いをとげることが出来ず、アリスのモデルだった少女に恋し結婚を申し込み、拒まれている。ルイス・キャロルは、また、少女たちを写真に撮ることに熱中し、ヌードにして撮影もしていたと伝えられている。

このルイス・キャロルこそ、今のロリコン青年たちの元祖だったといえるだろう。

現在、編集プロダクション・カマル社の代表である桑原茂夫氏(二十九歳)は、七〇年前後に、ルイス・キャロルの少女写真を掲載した『別冊現代詩手帖 ルイス・キャロルの世界』(思潮社)を編集し、八歳の少女サマンサをモデルにした沢渡朔の写真集『少女アリス』(河出書房新社)を編集した。『少女アリス』には少女の「ワレメ」を隠すことのないヌード写真も掲載され、今では、ロリコンのバイブルと呼ばれている。

桑原茂夫氏は、次のように語る。

ルイス・キャロルを編集していて、種村季弘さんにドイツの雑誌『DU』の中に、キャロルの少女写真があるのを見せられ、オヤッと思ったのが、きっかけです。中学生の時に少女雑誌のモデルで、パレリーナのコスチュームをしていた自鳥みずえのファンだったんです。こうした傾向は、みんな、持っているんじゃないかな。アリスに関しては、性的なものがなくて、性的な感覚を呼びおこすものだったが、今のロリコンブームってのは、幼女を触りたいというか、直接的すぎて、抵抗がありますね。モデルのサマンサは、最近、来日したんだけど、公にはしなかったんです。美少女は、謎の少女のままでそっとしておきたいし、ロリコンブームにはのせたくないからです」

『少女仮面』『少女都市』といった少女ものと呼ばれる戯曲を書き、つげ義春のマンガの少女を「笑わぬオカッパの少女論」として特異な少女論を展開して唐十郎は、「少年は海を前に、あらゆる冒険を夢想するのに、少女は喫茶店のTOILEの汚物缶のフタを開け、人生の終わりを覗いてしまう」(『少女仮面』あとがき)と書いている。

その『少女仮画』の編集者でもある桑原氏はいう。

「みんなバラバラで、似たようなことをやっていたんだね。当時は、少女コンプレックスなんていってたね」

 

三流劇画誌に美少女路線登場

桑原茂夫氏が中心となったアリスブームは直接的には、ロリコンブームに引きつがれなかった。アリスブームが〈文学〉であったのに対し、ロリコンブームは、〈まんが〉のイメージが強いからである。しかし、六九年*1、桑原氏が、「少女コンプレックス」の集大成として編集した『少女』(河出書房新社)を、『漫画エロジェニカ』(海潮社・六九年*2六月号)が、ロリータ・コンプレックスという言葉を使い、その後のロリコン・ブームを予見する形で紹介した。

「イメージの冒険14『少女』―謎とエロスの妖精―」(河出書房新社)〈1200円〉が出版された。これは、シリーズとして、『地図』『絵本』『文学』に続く第4弾である。

とりわけ、今回は、慢性的ロリータコンプレックスが増殖しつつある、わが日本列島の状況を照射するすばらしき『少女』特集である。(略)

なにしろ当代日本列島の少女病患者である鬼才たちが論じる好エッセイにくわえて、少女絵、少女写真、少女映画が溝載されたこの奇書は、時、同じくして発行された篠山紀信の『135人の女ともだち』(小学館)が、アッとおどろくベストセラーになるのに比して、深く静かにロングセラーとして伝染病化している」

この記事は、ロリコンブームを病いとしてとらえている。いうまでもなく、「ロリコン」「ビョーキ」と二つの言葉が流行語となっていく前兆であり、冗談半分の書き方である。

アリスブームの仕掛人の桑原茂夫氏と、エロ劇画誌でロリコン路線をいちはやくとりいれる『漫画エロジエニカ』とは、こうして連らなっていたのである。

『漫画エロジェニカ』は、エロ劇画誌の中でどこよりも早く「美少女路線」をとり、性の対象として、少女にターゲットをしぼっていった。少女姦を描いた主な執筆者は、中島史雄村祖俊一ダーティ松本といったマンガ家たちであるが、現在、ロリコンまんが家と称さる谷口敬氏がこの雑誌からデビューしている。

吾妻ひでお氏に次いで、ロリコンまんがの帝王といわれる内山亜紀氏の描くキャラクターは、美少女というよりも、美幼女である。エロ劇画誌で執筆していた内山氏は『少年チャンピオン』に「あんどろトリオ」を連載し、ロリコンに市民権を与えたまんが家と称されている。彼は、幼女のおむつプレイやSMプレイを、少年誌『少年チャンピオン』でも、ポルテージをおとすことなく描いてみせ、少年たちに人気を呼んだ。これは、永井豪の『ハレンチ学園」以来、少年たちも、性的好奇心が強くなっていたことの証明である。

吾妻氏の描く少女たちがアリス(少女処女)的であるのに比し、内山氏の描く幼女は、ロリータ(少女娼婦)的である。

 

少女マンガを読むオトコのコ

ロリコンブームを層として、もっとも担ったのは、マンガの同人誌(ファンジン)である。

原丸太氏によれば、日本最初のロリコン・ファンジンは、ロリコン文芸誌を名乗った『愛栗鼠/アリス』(七八年十二月創刊号)であり、ブームの引き金となったのは、七九年四月から八一年四月まで続いたロリコンマンガ誌『シベール』である。

以後、ロリコン同人誌は続出し、マンガ同人誌の即売会であるコミック・マーケットに二十~三十誌が登場するようになる。ロリコン・マンガ同人誌のいくつかがエロスの対象としたものは、アニメの『ルバン三世』に登場する美少女クラリスや、同じくアニメの『未来少年コナン』に登場する美少女ヒルダなどである。

ロリコンブームのひとつをささえていたのは、こうしたアニメ世代の青少年(中には少女もいた)であり、もうひとつは、少女マンガを読む青少年であった。少女マンガを青少年が熱心に読むようになったのは、「花の二十四年組」と呼ばれる昭和二十四年生まれのマンガ家である萩尾望都大島弓子竹宮恵子山岸涼子たちが七〇年前後に秀れた作品を産みだした頃からだが、ロリコンの青少年たちは、『ポーの一族』(萩尾望都)の美少女メリーベルや、『綿の国星』(大島弓子)の美少女(猫である〉須和野チビ猫なども、あこがれの対象としている。

ロリコン同人誌には、そうしたアニメ、少女まんが、少女趣味(オトメチック)、エロまんがなどの要素が入りまじった、様々なものが続出したのである。

これらロリコン系ファンジンの中心となっている人々の多くは、大学生ぐらいの年齢である。いくつかのグループは、大学の漫研やアニメ研の、一種のダミー団体できえある。

現在のいわゆるロリコン・ファンジン・ブームは、少年・少女・成人向けとオールマイティーの人気マンガ家吾妻ひでお(前出)の力による所が大きく、同氏の影響がさらに『シベール』を媒介として一般に広まったと思うべきであろう。

そしてこのブームをきっかけとして、マンガ、ファンジンにおける性表現のタブーが打ち砕かれ、これにエロチック漫画(いわゆるエロ劇画、三流劇画)出身の内山亜紀(野口正之)などの影響も加わって、今や一種のなだれ状態にあるようである。

「東京におけるロリコン系ファンジン・ブームは1981年夏に一つのピークを迎えた」(「ロリコン・ファンジンの諸相」原丸太)

同人誌『幼女嗜好』(八〇年九月創刊)の、蛭児神建氏は、幼女姦や幼女SMを描くイラストレーターである。彼は、同人誌の販売を行なうコミック・マーケットで、ハンチング、サングラス、マスクで顔を隠し、コートで身をつつむ、不思議なスタイルで登場した。まんがのキャラクターに仮装して、若者が歩く、カーニバルの要素もあるコミック・マーケットで、蛭児神氏は、変質犯罪者ルックスでロリコンマニアのスタアとなったのである。

もちろん、これも「変質犯罪者」ごっこであり、ゲームなのである。

「まあ、なんて言うか、初めは悪い冗談でしてね。このカッコして会場の隅の方から『ニーサン、ニーサン、おもしろい同人誌あるんですがね』と……これがかなりうけましてね。」

蛭児神建氏は『ふゅ―じょんぶろだくと』八一年十月号のインタビューでそう答えている。彼は、成人女性に魅力を感じない理由として、「母性に対する嫌悪と言うんでしょうか」と答え、「少女とは守りたい存在であり、また襲わなければいけない存在である……」と語っているが、もちろん、それは、イラストの上であり、空想の凌辱者にすぎない。

彼は、『ロリコン大全集』の責任・監修者として名を出しているが、キャラクターとしての人気が買われたためであって、実際は川本耕次氏が編集した。

 

変態派、実践派は邪道?

少女写真集は、すでに五十種類は出版されている。沢渡朔の『少女アリス』以後、最も評価の高いものは、山本隆夫写真による『リトルプリテンダー・小さなおすまし屋さんたち』(ミリオン出版)がある。これは五人の少女たちを様々なポーズで撮ったもので、七万部売れたといわれている。ロリコンブームの直前のことである。

十万部以上売れたといわれているのが会田我路写真による『ロマンス』(竹書房)である。その他の写真集にもいえることだが、こうした写真集の購入者は、いわゆるロリコン青少年に限らず、ふつうの大人も多いと考えられることである。すなわち、大人の女性ではスミを入れなければならない部分も、少女モデルはその必要がないために大人の女性の代償としてそれらを求めるのであろう。

「『もっとポーズを露骨にしろ…』『ワレメちゃんをカットするな!』という人はたぶんロリコンではありません。ロリコンの人はそんな風に考えず『別にヌードでなくて良いからもっとかわいい子を載せろ』とか『化粧なんかしなくてよい』『ヌードよリフリルの付いた服の方がマシ』など、裸ということはそれほど重要ではないのです」(『美少女写真集コレクションーロリコンは裸にこだわらず』ムツ・カツハシ)

もちろん、どんな世界にも過激派が存在する。「あらゆるタブーに挑戦」することを主旨とした同人誌『突然変異』がそれである。

慶応大学の学生が中心となったこの同人誌は石原裕次郎の死亡記事や、面白主義的反原理研の記事などを掲載していたが、「六年四組学級新聞」として、「村田恭子ちゃんのブルマから恥毛が!?」などと、ロリコン記事も掲載していた。そのうち、『ヘイ!バデイー』(白夜書房)に「六年四組学級新聞」連載し始め、女子中学生に声をかけ、変に思われ、母親に通報され、お叱りをうけるわ、『ロリコン白書』(白夜書房)に書いた記事で刑法百七十五条に触れ、警視庁に警告を受けるなど、少々、心やさしきロリコン青年から逸脱している。

この『突然変異』は、マスコミがロリコンブームを取り上げる時、「ヘンタイ」だの「ビョーキ」だのとレッテルをはる時のかっこうの材料にされていて、テレビ朝日の「トゥナイト」でも、その点をクローズアップされた苦い経験をもっている。

ロリコンは、大別して①最も多い観念派=吾妻いでおの美少女ファンたち他、②変態派=幼女のスードを親に許可なく撮るアングラ『ベピ』の会のメンバー、③実践派=ロマン・ボランスキーの少女姦のように、犯罪に結びつくもの、に分れる。この他に売らんかなのロリコン写真集や少女ビニ本を作る金もうけ派もいる。

もちろん、『突然変異』とて、実践派ではない。しかし、多くの心やさしきロリコン青少年たちが、変態派や実践派が存在するために、世間の蔑みの目を気にしていることは事実のようである。

また、妄想として最も過激なロリコンには天使(聖なる者=少女)破壊願望が潜んでいると思われる。

 

ロリコン大学生の行く末は

ロリコンブームは、写真集、イラスト、まんが同人誌、エロ劇画誌などが混然となったものである。

八二年になって、エロ劇画家と同人誌のマンガ家とが共に執筆するロリコン専門誌『レモン・ピープル』(あまとりあ社)が創刊され、近藤昌良氏の少女写真などをメインにするなどロリコン色の強かったエログラフ誌『ヘイ!バディー』が五月号より〈愛しのロリコン誌〉とサブタイトルをいれた。しかし、『レモン・ピープル』は、部数が伸びず、頁数を増やし、豪華本となってマニアのための雑誌に変更するというし、『ヘイ!バディー』は、ロリコン誌と銘うった号の売れ行きが、かんばしくなく、〈愛しのロリコン誌〉のキャッチフレーズを今ではやめている。

再び、“静か”になっていくようである。出版社は、次のブームをさがして暗中模索している。しかし、美少女嗜好者たちがいなくなることはないだろう。ロマンテイックでセンチメンタルな若者たちがなくならない限り。

『ヘイ!バディー』の編集長高桑常寿氏(二十七歳)はいう。

ロリコンブームは、女子大生が強くなって女子高生にも幻想がなくなったことが大きいでしょうね。『ヘイ!バディー』を直接会社に買いにくる人は、学校の先生風のおとなしい人で、教え子の写真を見せるんですね、小学生は可愛いいと思いましたよ。マンガ同人誌『シベール』にかいていた人も中学校の美術の先生だって聞いてますね」

ロリコンブームを担った多くの青少年たちは、現実に少女姦を実行した映画監督のロマン・ボランスイーではなく、少女ロリータの媚態におばれたハンバード・ハンバードでもなく、少女アリスを抱くことが出来ず、少女写真撮影に熱中し、一生童貞だったといわれるルイス・キャロルに近かったのである。

所載:『創』1982年12月号

*1:七九年の誤記かと思われる。

*2:七九年の誤記かと思われる。

70年代の自販機本から、90年代のデジタル系アンダーグラウンドまで!(青山正明×永山薫)

70年代の自販機本から、90年代のデジタル系アンダーグラウンドまで!

アンダーグラウンドでいこう! 自販機本からハッカー系まで(青山正明×永山薫

宝島社『別冊宝島345 雑誌狂時代!』1997年11月15日発行

 

──今回は、いわゆるアングラ系の雑誌の流れみたいなものを振り返ってみたいんですが…。

 

青山:あんまり昔のこと覚えてないんだけど、面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』*1の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と変物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』*2の1号目を作ったんです。

 

永山:高杉弾に原稿依頼をして断わられたという(笑)。

 

青山:メジャーでいうと、工作舎が『遊』*3を出してて、みんなああいうアカデミックなものも面白いんじゃないか、と思い始めてた。フーコー面白いんじゃないか、とかね。その流れをエロ本もかぶってましたね。

 

永山:当時のカウンターカルチャーとかサブカルチャーとか、そのあたりっていうのは『宝島』がある程度押さえてたんだけど、そこに納まりきれない部分が自販機本なんかに噴出してたみたいなところがあった。実際、山崎春美*4なんかにしても、オレなんかにしてもそうだけど、自販機本と『宝島』と両方で書いてたライター、多かったですね。

 

70年代末、『宝島』から自販機本へ!?

青山:『宝島』も76~77年くらいにマリファナ特集*5やったりとかして、飛ばしてたんだけど、やっぱりだんだん商業路線になっていって、そこで押さえきれないものが出てきた。それが自販機本、エロ本に流れていったんですね。そのときやっぱり中核でいちばん面白かったのが、群雄社が出してた『ジャム』と『ヘヴン』。『ヘヴン』は、羽良多平吉*6さんがアートディレクターで、ビジュアル的にもカッコイイっていうのがあった。音楽情報も入ってたし、エロ情報も入ってたしで、もうごちゃ混ぜ。『ジャム』でいちばん話題になったのはやっぱり山口百恵のゴミ箱あさりですよね。かたせ梨乃のもやってたな。

 

永山:かたせ梨乃なんてやってたっけ?

 

青山:やってました。でっかいタンポンとか出てきて、体でかいからやっぱりタンポンもでかいなって、山口百恵のほうは確か妹の学校のテストの破ったヤツが入ってて、10点とか、20点とか、それぐらいだったの。それとか、痔の人の肛門の写真のアップをズラーッと並べたり。とにかくグロを思いっ切りやって、そこに思想、カルチャーが入って、エロが入って、薬物が入って、当時はインディーズの走りの時代でもあったから、ナゴムとかそこらへんも出てきてた。

 

永山:だから、エロ本が解放区になってたんだね。写真ページでとりあえずエロやれば、一色活版ページは何やってもいい、と。

 

青山:それがそのまま『ヘイ!バディー』とか『ビリー』*7とかにつながっていった。

 

同じ白夜系でもビミョーに違う

 

白夜書房刊『Billy』『Hey!Buddy』/ともに1985年廃刊)

──白夜書房系でいえば、その頃、『ニューセルフ』とか『ウイークエンドスーパー』*8とかもありましたよね。

 

青山:そのへんの末井さん*9が作ったものって、僕はよく見てなかったんですよね。

 

永山:僕も青山くんもそうなんだけど、そういう意味ではエロ本のメインストリームからちょっとズレてたから

 

青山:『ニューセルフ』とか『写真時代』とか、確かにすごかったんだろうけど、出てくる人が大物じゃないですか。赤瀬川原平さんとか、南伸坊さんとか。僕らはどっちかっていうと『ビリー』『バディ』にくっついてたから。

 

永山:同じ白夜系でも、末井班と中沢班ではかなりノリが違ってたよね。重複してるライターもいたんだけどね。

 

青山:『バディー』は元アイドル系のエロ雑誌だったのが、ロリコンブームの先駆けでそっちのほうにいっちゃって。『ビリー』も最初はカルチャー色が強くて…。

 

永山:インタビュー雑誌みたいなヤツじゃなかったっけ?

 

青山:そうですね。もともとB5判くらいの。それで、全然売れなくて、リニューアルしてA4のエロ本になった。

 

永山:最初に『ビリー』をああいうふうにアブノーマルにリニューアルしたのが小林小太郎。だからあの人が実質的に変態版『ビリー』の初代編集長みたいな感じになりますね。

 

青山:それで獣姦ものやったり、スカトロやったりして、さんざん怒られて(笑)。

 

永山:小林さんはのちに叶夢書房に移って、『TOO NEGATIVE』*10を作る。

 

青山:そうですね。で、内紛があってスタッフ全員引き連れて吐夢から出て、「NGギャラリー」*11というのを作って。そこでいろんなアングラな商品売ったりとかして、今はコビー雑誌の『ウルトラネガティブ』を作ってる。

 

エロ本はあんまり目立っちゃダメ!?

永山:『ビリー』がすごかったのはコンテキストさえ変えちゃえば文化になるようなことを、文化にしないでやってたっていうこと。それがやっぱり面白いと思うんですよ。そのへんが『バディ』とは違うところで、『バディ』は完全にゴールデン街文化。高取英さんとか、流山児祥さんとか…。

 

青山:そのへんの人たちが関わって、結構硬派なエロとか、ネタとかもやってたけど、主導はロリコン。それで8万部までいきましたからね。ただ、『ビリー』にしても『バディ』にしても、失敗したのは、A4のグラフ誌であんなことやっちゃったっていう。やっぱり目立ちますからね。目立つところに置かれちゃうし。それで当局に怒られてつぶれたっていう。それをうまくやったのが三和出版で、いま出てる『お尻倶楽部』*12とか、あの手の本は小さいA5の判型で出てる。A5だったらある程度許されるんですよね。置かれる場所も限定されるし。

 

モノクロページのコラムはほとんど放し飼い状態だった

永山:当時『ビリー』のあとを継いたのが『クラッシュ』だっけ。『ビリー』『ビリーボーイ』ときて、『クラッシュ』。だんだん情報誌性が出てきたんだよね。それと、AVに関しては白夜が『ビデオ・ザ・ワールド』*13を出して。

 

青山:『ビデオ・ザ・ワールド』も初期の頃は僕にも原橋書かせてくれて、死体写真とか載せたんですよ。そしたら読者からクレームがひどくて。「なんでエロ本買って興奮しようと思ってんのに死体写真なんか載せるんだ」って。

 

永山:モノクロページのコラムは、ほとんど放し飼い状態で、解剖ビデオとか出てましたよね。

 

青山:A4グラフ誌で当局に目をつけられて、過激なことができなくなったっていうのと、エロの流れとして、エログロナンセンスの受け皿であったエロ本一色ページというのもだんだん美少女路線、カタログ情報路線に押されていって、そういう情報を扱う本がなくなっちゃったっていうのが80年代半ば。エログロナンセンスアンダーグラウンドみたいなもののブランクの時期が数年続いた。そこからまたポツポツと、『アリスクラブ』*14のようなロリコン誌が出たり、さっきの三和出版の『お尻倶楽部』みたいなスカトロ雑誌なんかが90年代になってパッと出てくる。そういうふうにエログロ路線っていうのは、80年代終わりくらいからA5判の形で復興し始めましたよね。だけど、そのなかでカルチャー絡みのものとか、ドラッグ絡みのものとか、へんてこ情報っていうのはあまりなかった。

 

不毛の80年代後半から90年代へ…死体とか奇形とか、もう飽きちゃってあまり関心ないね

永山:それで『危ない1号』*15につながっていくわけね。

(世間に衝撃を与えた青山正明氏編集の『危ない1号』)

 

青山:『危ない1号』とか、子供向けではあるけど、その前に出た『GON!*16。『GON!』が出て、『BUBKA*17が出て、おかしな情報がそういうものに集約されていったという…

 

永山:そういう流れありますね。あと、最近の白夜でいえば、不良雑誌がありますよね。『BURST』*18っていうのが。あれはすごく面白いですね。

 

青山:あれはヘンでいいですね。サイケデリックの特集号は買いましたよ。かつてのアングラ精神を受け継いでるっていうか、いま本で買えるもので面白いものというと、やっぱり『GON!』『BUBKA』『BURST』ということになるかな。

 

──『危ない1号』は?

 

青山:あれは自分が関心持ってるテーマでメジャーには取り上げられないエグイものを、ずっとやっていこうかなっていうんで出したもので。ただ、やっぱり売れる部分っていうのは必要だから、死体とか奇形とか、あそこらへんに逃げはしたんだけど、でも、そんなものちょっと見れば飽きちゃうし、もうあまり関心ない。今後の方向というか、やりたいところっていうのはコミュニケーションと精神世界ですね。精神病の原因の9割以上はコミュニケーションの問題なんです。あと、不倫の問題とか、セックスレスとか、そういうことにもコミュニケーションの間題が噴出してる。

 

素人がエログロを実践する時代

永山:不倫っていえば、僕らとは全然関係ないところで、スワッピング雑誌とか一時ガーッと出てきましたよね。『スウィンガー』とか『アップル通信』とか。あと、投稿写真のブームっていうのがあって、『投稿写真』とか『熱烈投稿』*19とか、これもいろいろ出てる。

 

青山:投稿も最初は普通のハダカだったりセックスしてるところだったのが、そこにピアスが絡んできたり、ウンコが絡んできたりして、だんだんマニアックになってますよね。そのへんはつまり素人参加なんだけど、そういうところにエログロが面白い展開として現われてますね。結局、今あるエログロって、さっきの『GON!』とか『BUBKA』みたいなガキ向けに流れるか、もしくはエロの投稿方面ですよね。本当にコアとして面白いエログロっていうのが、やっぱり出てない。

 

永山:『危ない1号』だけなんじゃない?(笑)

 

青山:『危ない1号』はそれを目指してはいるんですけどね。立場的には、僕は今は「元編集長」なんで……。

 

永山:オレなんか勝手に決めつけちゃうんだけど、今の若い敏感な連中っていうのは、『クイックジャパン*20読みながら、『危ない1号』出るのを待ってるっていう感じなんじゃないかな。

 

青山:『クイックジャパン』は、作ってる編集者にこだわりがありますからね。ただ、あれもなんていうか、ある意味、発掘本みたいなとこがありますよね。

 

永山:だから今は『お宝ガールズ*21みたいな“お宝ブーム”になってるでしょう。全般にそうなんですけど、ここ何年かずーっとみんな後ろ向きになってて。

 

青山:それはありますね。新しいものが出ない。だけど、細分化されてるなかで個別に見ていくと、たとえばテクノ系の音楽情報誌なんだけど、『ラウド』『エレキング』『リミックス』あたりは面白い。行間から読み取れるカルチャーは、『GON!』や『BUBKA』より先いってる。あと、薬物関係ではミニコミレベルではあるけれど『オルタード・ディメンション』と、コミケで売ってるんだけど『ミラクルファーマシー』(注・扱ってるのは合法モノのみ)。この2つがイケてるな、と。ホントにアングラではあるけれども。

 

細分化の時代にあえて総合誌を―今はテクノ系音楽情報誌や薬物関係のミニコミに面白いものが

──『突然変異』の時代は、この手の細分化されたものってあったんですか?

 

青山:なかったですよね。やっぱり総合誌志向で。薬も載るし、芸能人ネタも載るし、エロも載るしっていう。

 

永山:だから、もっとはっきりいえば雑誌志向なんですよ。結局、“雑誌を作りたい”みたいな衝動が先にあったような気がするんですよ。当時のミニコミ誌、アングラ誌っていうのは。

 

青山:『中大パンチ*22とか。

 

永山:『月刊太腿』*23とか。いろいろあったよね。

 

青山:だから、僕たちが80年代に送り手として、エロとかグロとか、ドラッグものとか、ヘンな思想とかっていうのを、エロ本なりビデオ雑誌なりでガンガンやってた頃に受け手だった73年前後生まれの連中が、いま送り手になりつつある。そういう連中を全部引き連れたうえで、やっぱり総合誌というものが望まれるっていうか、そういうものを出したいなっていう時代ではありますよね。

 

永山:それはわかるんだけど、でも総合誌っていう発想自体が売れないものになってきている。

 

青山:確かにコンピュータ好きなヤツはコンビュータの本買うし、音楽好きなヤツは音楽の本買うし、両方好きなヤツは両方買うんですよね。総合誌だと食い足りないっていう感じになっちゃうから。

 

永山:だからこれまでも大手が、夢よ再びという感じで何度、何十億もかけてグラフ系の出したりしてるけど、たいていみんな失敗してますよ。そうじゃなくてみんな何を買うかというと、『広告批評』とか、いや、あれはもう流行りじゃないか。『放送批評』とか、『散歩の達人』とかさ。そういうのを買うんですよ*24

 

青山:『ニャン2』*25買ってセンズリこいて、『世紀末倶楽部』*26死体写真と奇形児見て、薬物情報が知りたければ『オルタード・ディメンション』か『ミラクルファーマシー』買って、という形で細分化しちゃってるから。

 

ネットワークの可能性と限界―アングラ系総合誌の役割を今はウェブが果たしている

永山:だから、まとめて総合にする必要はないんだけど、その中核になるような雑誌が欲しいっていうのはありますね。その中核になって、たとえば薬だったらこれを読め、みたいな。その役割をいま果たしているのが、やっぱりネットワーク、ウェブのほうだと思うんだけど。ただ、ウェブっていうのは全読者に対して開かれてるわけじゃなくて、ハードを持ってる人に限定されちゃうっていうのが弱みですよね。そこにたどり着けない人のほうが多いという。

 

青山:そういう意味では、情報は情報としてあるとしても、モノを所有するという欲求自体はあると思うんですよ。本の体裁でもビデオの体裁でも、やっぱり形あるものへのこだわりっていうのは消えないと思う。だから、テクノ専門誌があれば、スカトロとか投稿写真誌がある。『GON!』みたいなヘンテコ情報もある、というふうに分散してるけれど、友達とかへンなもの好きなヤツに訊くと、全部買ってたりするんですよ。だったら、そういうものをひとまとめにした中核になるものが出てきてもおかしくはないな、と。

 

永山:でもそうなるとまた、いい気持ちになろうと思って買ったのに死体の写真なんか載せやがって、とかいうクレームが出るんだよね。オレは純粋に音楽を楽しみたいだけなのに、クスリなんて邪なものが出てるのはけしからんとかさ。出てきますよ。

 

青山:まあね。でも、『ゲームウララ』*27とかやってたクーロン黒沢なんて、さっき言った73年前後生まれの連中のコアになってもよかったんだけどね。『イソターネット』*28とか、面白いことやってたんだけど、いろいろ事情があって、やめちゃった。とにかく核になるにはGON!』とか、『BUBKA』とか、『BURST』とか、まだヤワすぎる。もっと熱くなってほしいな、っていう。

 

永山:一つには流通の問題というのもあるんですけどね。

 

自販機本はなぜ消えたのか?

──流通といえば、昔の自販機本って、なんでなくなっちゃったんですかね?

 

永山:やっぱり当局の締めつけが厳しかったんじゃないですか。「エロ自販機追放」っていう。

 

青山:子供が買えちゃうってところで非難浴びたっていうのと、買うまで内容が見れないというんで、表紙だけ見栄えよくして中身はスカってのが結構あったから。そこに普通の書店で『ビリー』とか『バディ』とか、すごいのが出てきちやったら、なにも危険を冒してまで自販機で買わなくても、ということになりますよね。

 

永山:でも、いろいろあったよね。『EVE*29とかさ。コレって自販機末期の本だけど、結構面白かったんですよ。編集長の原田さんってのが面白い人で、幻の名盤解放同照とか、あの辺ともつきあいがあってさ。湯浅(学)さんとか、根本敬とか、そういう人たちが描いてたりしてね。蛭子(能収)さんとかが描いてたり、結構、『ガロ』系の人たちもいて面白かったな。このへんがヘンなもの系自販機本の最後じゃないかな。

 

 

『ガロ』もやっぱりもったいないといえばもったいないよね

青山:そういえば『ガロ』*30なんて、結構文章ページも充実してるし、核になってもいい本だったという気もするんですけどね。

 

永山:昔からある意味で空白期があまりないですね、あそこは。

 

青山:ずっとマイナーのまま貫き通してますよね。

 

永山:マイナーのカルチャーでずっときてて、そこからいろんな人が出てきたわけだから、もったいないといえばもったいない。ただ、こういう言い方はなんだけれども、歴史的使命っていうか、そういうのは終わっちゃってたっていうのはあるよね。

 

青山:ずっとマイナーできて面白かったっていえば、ペヨトル工房がありますね。『夜想*31とか『銀星倶楽部*32とか。

 

──南原企画*33とかもありました。

 

永山:『月ノ光』とか『牧歌メロン』*34とかね。

 

青山:僕なんかは、南原企画はちよっとマイナーすぎてついていけない。僕の好みでいうと、『ガロ』はマイナーだけど面白い。でも、『月ノ光』や『牧歌メロン』はつまらない。面白みがない。

 

永山:だから、あのへんの流れっていうのは、やおい系なんですよ。やおいっていうのはなかなか男には理解できないんです。

 

青山:ペヨトルの社長さんって、演劇が好きらしくて、そのへんコアにしてサブカル全般を扱ってた。でも当たった特集は『怪物・時型』と『屍体』ぐらいかな?

 

デジタル系アングラ雑誌の可能性

永山:あと、パソコン系、ゲーム系でもヘンなのありますよね。さっきの『ゲームウララ』もそうだけど、ちょっとハッカー入ってるようなやつ。『ハグニュース』*35とか。どっちもつぶれちゃって、もうないけど。

 

青山:結局いまコアなのが、音楽でいえばロックからテクノになってるみたいに、紙媒体が電子メディアになってきて、そのなかから『ゲームウララ』とかが出てくるんだけど、速度が追いつかないでつぶれちゃうっていう。

 

永山:コンピュータ系だと、カウンターカルチャー色の強いところで、『GURU』*36とか、『デジタルボーイ』*37なんていうのもありましたね。つぶれましたけど。あと、その前にマック系の雑誌で、『マックブロス』*38っていうのが出てて、あれも非常にムチャクチャやってたんだけど、つぶれました。

 

青山:コンピュータ系のやつが、出て、すぐつぶれちゃうっていうのは核になるヤツがいないからじゃないかな。面白い情報を売れる方向に持っていって、なおかつ雑誌媒体として客ウケするところまで考えられる修練を積んだ人。そういう編集者が上にひとりいれば違うと思うんだけど。コンピュータ系の人ってみんな若いから、たとえば30代くらいの人で経験ある人をひとり据えて、『バグニュース』なり『デジタルボーイ』なりを作れば、もっとそれなりになった気がするんですけどね。

 

永山:そういう人はやっぱりあんまり雑誌なんてやらないんじゃない? そういうカリスマ性のある人は、編集者じゃなくてアーティストになっちゃったりとかさ。

 

青山:全部たばねると面白いですね。僕らと、さっきも言った73年前後生まれのコンピュータエイジのヤツらと、さらにその下の酒鬼薔薇の世代。その3世代が連動して、モノを作り出せば、結構面白いものができそうな気がしますけどね。

 

*1:『ジャム』『ヘヴン』

高杉弾山崎春美の自販機本。内容については本文にあるとおり、『ジャム』をリニューアルしたのが『ヘヴン』である。

*2:『突然変異』

青山氏が学生時代に作っていた変態的ミニコミ。キャッチコピーは「脳細胞爆裂マガジン」(3号目からはベーバードラッグ)。表紙イラストを霜田恵美子が書いていたりするのが妙。

*3:『遊』

工作舎発行、松岡正剛編集のヘンな雑誌。

*4:山崎春美

『ヘヴン』のスタッフ。高杉弾とともにその筋で名を馳せた。ロフトプラスワントークに出演したとか。

*5:『宝島』も75~76年くらいにマリファナ特集やったりとか

正確には、75年10月号「マリワナについて陽気に考えよう」。P6参照。

*6:羽良多平古

こだわりのグラフィックデザイナー。「はらだ」ではなく「はらた」と読む。『ジャム』のデザインの一部、『ヘヴン』のアートディレクションを担当していた。

*7:『ヘイ!バディー』とか『ビリー』

前者は80~85年、白夜書房から発行されていたロリコン雑誌。『写真時代』の人脈から高取英南伸坊高杉弾なども執筆していた。後者『ビリー』は「スーパー変態マガジン」というキャッチコピーどおり、スカトロ、フリークス、死体写真など、なんでもアリの困った雑誌。

*8:

『ニューセルフ』とか『ウイークエンドスーパー』

白夜書房発行の伝説のエロ&サブカル誌。今や古本屋で2~3万の値がつくとのウワサ。

*9:末井さん

『ニューセルフ』『ウイークエンドスーパー』『写真時代』『パチンコ必勝ガイド』などを作った末井昭氏のこと。P224参照。

*10:『TOO NEGATIVE』

アート系エログロ雑誌。ボンデージ、フリークス、死体写真までてんこ盛り。

*11:NGギャラリー

『TOO NEGATIVE』の世界を立体化したギャラリー&ショップ。

*12:『お尻倶楽部』

ウンコ大好きなスカトロ雑誌。ほかに『ベビーフェイス』、オシッコ大好きな人には『聖永クラブ』なんてのもある。

*13:『ビデオ・ザ・ワールド』

数あるAV誌のなかでも、バツグンの批評性を備えていた雑誌。

*14:『アリスクラブ』

白夜書房から出ている美少女ロリコン誌。80年代半ばに『アリスくらぶ』というマニアックなロリコンマンガ(ひろもりしのぶ藤原カムイらが描いていた)が出ているが、それとは別物、ロリコンマニアのバイブルである。

*15:『危ない1号』

かつて青山正明が編集長を務めていたデータハウス発行のバッドテイスト雑誌。現在2号目まで発売中。

*16:GON!

ミリオン出版発行の「世紀末B級ニュースマガジン」。編集長は元『ディーンズロード』の比嘉健二氏。P229参照。

*17:BUBKA

GON!』のマネッコ雑誌として創刊。しかし徐々にスタイルを変え、現在ではお宝メインの“ヘンなもの雑誌”に。コアマガジン白夜書房の関連会社)発行。

*18:『BURST』

「本邦初のタトゥー&ストリートマガジン」と発打たれたハイテンションかつディープな不良カルチャー雑誌。

*19:『投稿写真』とか『熱烈投稿』

この2はまだおとなしいほうで、せいぜいアイドルのパンチラや、女子トイレ盗撮、恋人写真くらい。『アップル写真館』とか過激なものになると、ナンパハメ撮り、野外露出、SM調教など治外法権状態に。

*20:クイックジャパン

太田出版発行のサブカル雑誌。かつて飛鳥新社で『磯の毛の謎』を大ヒットさせた赤田祐一氏が編集長。ちなみに表紙デザインは『ヘヴン』と同じ羽良田平吉氏。

*21:お宝ガールズ

アイドルや女優の売れなかった頃のレアな写真(もちろん水着やヌード)を発掘する雑誌。類似誌もたくさん出ている。コアマガジン発行。

*22:『中大パンチ

中央大学に昔あったミニコミ誌。えのきどいちろう氏らが作っていた。P27参照。

*23:『月刊太腿』

同じく中大で杉森昌武氏が作っていたミニコミ誌。

*24:広告批評』P114参照

『放送批評』行政通信発行

散歩の達人』P246参照

*25:『ニャン2』

正式名称は『ニャン2倶楽部Z』。現在最も鬼畜なノリのエロ系投稿写真誌。

*26:『世紀末倶楽郎』

ここ2~3年流行の悪趣味本の一つ。1号目の特集はチャールズ・マンソンシャロン・テート殺人事件。発行はまたまたコアマガジン。アングラはコアマガジンに限る?

*27:『ゲームウララ』

コアマガジンから発行されていたゲーム雑誌。といってもフツーのゲーム紹介とかじゃなくて、裏ソフトとか非合法ネタ満載。いわばゲーム『ラジオライフ』。

*28:『イソターネット』

インターネットの誤植ではなくてクーロン黒沢が主宰していたホームページ。

*29:『EVE』

ピストン原田氏が編集長を務めたカルトな自販機本。ガロ系の人のほか、桜沢エリカとか霜田恵美子とかも執筆していた。

*30:『ガロ』

いろいろあってとうとうつぶれた。合掌。P200参照

*31:夜想

オシャレでグロテスクな世紀末、といった趣の特集本。『劇場・観客』『上海』『飽食』などといったマニアックな特集を連発。

*32:銀星倶楽部

夜想イラストレイテッド」と銘打たれた『夜想』の別冊。丸尾末広吉田光彦山田章博花輪和一といった“いかにも”な人たちが執筆していた。

*33:南原企画

オシャレでグロテスクな世紀末、といった趣の特集本。『劇場・観客』『上海』『飽食』などといったマニアックな特集を連発。

*34:『月ノ光』とか『牧歌メロン』

少年とかレトロとか、なんかそういうものがこちゃ混ぜになった雑誌。『月光』→『月ノ光』→『牧歌メロン』と出世魚のように名前を変えた。『秘密結社』『拷問と刑罰』『未来帝国・満州の興亡』などという特集があった。

*35:『バグニュース』

かつてのコンピュータオタクたちのバイブル。

*36:『GURU』

とてもパソコンとは思えないサブカルコラム満載の雑誌だった。P204参照

*37:『デジタルボーイ』

ハッカー&サブカル風味のコンビュータ・カルチャー誌。

*38:『マックブロス』

技術評論社から出ていたマック情報誌。なんかか妙なテイストがあった。技術評論社というのは、名前からしてカタいイメージがあるが、『AVクリップ』とか『東京オタッキースポット』とかときどきヘンな本を出す。

『ヘイ!バディー』編集長が語る「少女写真講座」

以下の文章は80年代の少女雑誌*1に掲載された少女写真講座である。

現在では不適切な表現も使われているが資料的観点や筆者のオリジナリティを尊重し、そのまま再録した。

白夜書房『Billy』1981年6月創刊号所載「少女の時代」第1回。のちに同社発行の『Hey!Buddy』が少女雑誌化したことで連載はそちらに移籍する。なお撮影者の高桑常寿は同誌編集長で、後に少女写真から足を洗い、1991年よりアフリカ人ミュージシャンのポートレート写真を撮影することが現在まで続くライフワークとなる)

 

ロリコン写真術講座・少女写真とはエロ写真のことだ

文と写真/本誌編集長・高桑常寿

これは本誌編集長であり一方「少女の時代」を本誌連載中の高桑氏の独断的少女写真論だ。軟弱ロリコン写真青年よ。少女写真のあり方を再考せよ!

自分の撮り方にあくまでもこだわれ! などと挑発してみたりして......。しかしそうなのだ、犯罪写真だろうと、パンチラ写真だろうと、始めるなら最後まで完徹すべきである。信念を持って少女写真と取り組むべし。

 

 

少女写真とはエロ写真の事である。そのエロとは極私的なものである。

しかしそれはロリコンムックにあるような割れ目が写っていなくては何のインパクトも持ち得ない少女ヌードや、パンチラを強調するためにワザと顔をカットした写真や、尻と足の線をきれいに見せるために広角レンズでそのアップを狙った写真等が、スケベでオナニーの対象として実用できるからと言うわけではない。

それは単にスケベな写真ではあるが、エロではない。単に盗み撮りであり、単にモデルを使ったヌード撮影にすぎない。エロとはもっと極私的であり、その手ざわりが伝わってくるべきものである。

写真機を通して少女と正面から向き合う。写真機を向けた瞬間に僕とすれ違う、少女の残酷にも成長し続ける肉体自体がエロなのだ。僕はその肉体を写真機で切り盗ればいい。切り盗られるものは、少女の肉体なのか、それとも僕の時間なのか、それは知らない。知らなくてもいい。だがその傷口が、少女写真―エロ写真として痛みのように定着される。その痛みがエロと感じられ、そうして写された、少女と撮影するものとの関係が透けて見えるような写真がエロ写真と呼ばれるにふさわしい。

何もこれは少女写真に限った話ではない。物を撮るにしろ、少女以外の人物を撮るにしろ、撮影する者と撮影される者との関係がエロであり、その関係が何らかの形で見る者を打つ写真がエロ写真だ。撮影する者とされる者との関係は、芸術でもなんでもなく商業主義でもない。もちろん写真を見る者に対するサービス精神は忘れてはならないが、僕には少女といかに関わって写真を撮るかという意識のあり方の方が、少女写真を撮る者にとって、はるかに重要に思われてならない。

何やら荒木経惟氏がずっと言い続けている「写真とはエロである」という主張を、少女写真について言い替えただけのような形になってしまったが、要するにそういう事なのだ。

荒木氏は廃刊になった『絶体絶命』や、今人気の『写真時代』等に少女写真を発表しているが、氏の写真の中でも、少女写真と妻である陽子さんの写真を、僕が特に愛するのは、撮影する者とされる者との関係があらわに写真に表れているからだ。

荒木氏は、林静一氏との対談(『少女』河出書房新社に収められる)の中で次のように語っている。

「私の一種の口説きっていうのは、どういうところを見てどういうところを撮っているかっていうことを的確に教える、シャッター音を聞かせることなんだ。たとえば、あそこから見てれば私のパンツ見えちゃうんじゃないかしらってあたりからカシーンと押す。上に登って跳んでごらんてっていうときは、登ったところを撮るんじゃなくて、降りるところを撮る。そうすると、何を撮ってるのかわかってくるわけ、このおじちゃんいやらしいって。少女の場合は音で、それを連続的にやっていってわからせる。そのとき、嫌がったり、逆に開き直ってくるという女の本性を表すんだね。たとえば、学校で決められた黒い水着を持って一緒に海へいった子がいるんだ。夏の終わりの海は人がいないから、秘密めいた場所、となると、女はカンがいいから“二人だけの空間だ”というふうになるわけね。そこには一種の警戒心と同時に開放的な気分もある。そこからはじまるんだ。」

この荒木氏の語りは何もパンツを撮る方法を語っているのではなく、少女を撮るときの少女と荒木氏の関係のあり方を語っている。少女をどういうふうに撮っているかをわからせて撮る、と荒木氏は言っているのだ。

荒木氏の場合は、事前に少女を撮るという了解を得て撮影に出かけている。だが、スナップの時に少女との関係を作るためにはどうしたらよいのか。それは簡単である。隠し撮りをしなければよい。「あなたを撮ってますよ」という撮り方をすればよい。少女が自分が撮られていると意識できる位置から写真機を向ければよい。それを意識した時に少女から伝わってくる感情、それは驚きであったり、はにかみであったり、喜びであったり、あるいは拒否であったりするが、それに撮る者が反応すればいい。シャッターを押せばいい。それが撮る者と撮られる者の関係である。

少女ヌードもいいし、隠し撮りのパンチラにも存在価値はある。それを撮ることにエロを感じて撮り続けている人も、それはそれなりの写真であるのだから、否定はしない。撮り続けるべきだと思う。いや、僕はそうした、両面に定着されたエロ、撮る者と撮られる者の関係性のないスケベ写真を好んで見る。そうした写真を見たいという欲望は大きい。だが、自分自身で撮ろうとは思わない。ヌードを撮るにしても、割れ目が見えなければ何のショックもないような写真を撮ろうとは思わない。

 

エロ写真=少女写真にはいわゆる技術など必要ない。必要なのはその意気込みだけである。

僕が少女写真を撮り始めるきっかけを作ってくれたのは、倉田和彦というカメラマンだった。倉田氏と始めて(原文ママ)会ったのは四年近く前になる。東京のあるビニ本製作会社に彼と僕は相前後して入社したのだった

それまで彼は京都に住み、ずっと少女のスナップを撮り続けていて、膨大な量のベタと紙焼きを持っていた。「京都新聞には競技会や運動会の案内が出ているから、それを調べて日曜になると自転車で走りまわって撮るんだ」と言って、山と積まれた写真を見せてくれた。ブルマーからすらりとした足を出した少女、体操競技用のレオタードがはちきれんばかりの少女。競泳用の透けるような水着に身を包んだ少女、制服を着て電話をかけながら写真機をいぶかしげに見つめている少女などなどなど、僕はそれらに完全に圧倒されてしまった。そして彼は言った。

ブルマー写真はエロ写真の原点だ」

何がなんだかわからぬうちに、僕は85ミリを付けた一眼レフを買っていた。彼の写真には少女と彼との関係がはっきりと写しこまれていた。だからこそ僕が圧倒されたのだ、と今にして思う。彼の少女写真=エロ写真だったのだ。エロ写真は感動的なのだ!! と言ってもいいのではないかしらん。

エロ写真にはいわゆる技術なんて必要ない。少女写真を撮り始めた僕に当時技術があったわけでもなく、今もそうである。いいなァと思えるものがエロ写真=少女写真であるというだけの事だ。そういう感情が引き起こされる写真は、撮る者と撮られる者との関係が透けて見える。

だいたい今の写真機は、いわゆるバカチョンをはじめとして、一眼レフまで、シャッターを押せば写ってしまう。被写体さえあれば写真機のほうで写真を撮ってくれるのだ。だから技術に関しては写真機に任せっぱなしで一向に差し障りない。それでも不安だという向きは、その辺の本屋でよく見かける「スナップ撮影方入門」とか「ポートレート入門」とかをちょっと立ち読みするくらいで十分だ。

それよりも撮る以前の意識の問題の方がクローズアップされるべきだ。その前にももう一度断っておくが、以下にのべる少女写真=エロ写真とは、少女と撮る者との関係が透けて見えるような写真のことである。

エロ写真を撮るためにはやはり「エロ写真を撮りたい。ボッキする写真を撮りたい」という止めがたい欲望をふくらませなければならない。少女にエロを感じるヘンタイにならなければならない。少女にエロを感じるという事は、ヘンタイに他ならない。それを肝に命じなくてはいけない。ロリコンってやはりヘンタイなのだ。自分はヘンタイなのだという罪の意識を持たねばならない。そういう意識を持たないロリコン写真青年が多すぎる。

そういう青年は一度少女に「ヘンタイ」と呼ばれてみるべきである。彼女らは残酷である。その眼は冷徹にロリコンを見すえている。「チカン」「ヘンタイ」等は彼女らの口ぐせである。それに恥じ入ってしまうようなロリコン青年は、少女写真など写そうと思わない方がいいだろう。それに快感を覚え、「ヘンタイ」と呼ばれるたびに、快感に身をわななかせて射精するというのも問題があるが......。

 

エロ写真にはエロ写真の規則が存在する。その第一条件は美少女であることだ。

ところでエロ写真にはいわゆる技術は必要ないと書いたが、エロ写真にはエロ写真の規則みたいなものが厳然と存在する。エロ写真は、実用に耐えなくてはならないのだ。写真をみながらマスターベーションにいそしむ、それがエロ写真の持つ効用であり、それが最低条件なのだ。芸術ではないのだ。その条件を満たすために、少女写真においてどうすればよいのだろうか。まず被写体―少女探しである。写真は写真機とフィルムがあれば写るものではない。街に出かけて行って被写体―少女を探さねばならない。写真はここから始まるのだ。それからである。被写体の条件探しは。

その条件とはまず顔である。何がなんでも第一に顔がよくなければならない。今まで書いてきた「少女」とは「美少女」以外の何ものでもない。ブスは「少女」とは言わないのだ。だからブスが写っている写真は「少女写真」とは言わないのだ。いくらスタイルが良く、その姿態がなまめかしくてもブスが写っている写真でマスをかこうという気になるか? 雑誌のグラビアの例を出さなくても、それは自明の事だ。

そして顔の写っていない写真も「少女写真」とは呼び難い。耳のアップだけでマスがかけるか!? 尻のアップだけでマスがかけるか!? 指先のアップだけでマスがかけるか!? それはフェチシズムでしかない。ロリコンはフェチとは対照的な位置にあるヘンタイなのだ。フェチで実用を行うのは他の人種にまかせておけばいい。ロリコンとは「この少女はこうするとどういう表情をするのだろうか?」と想像力をカキたてて実用を行う人種なのだ。

第二には少女の服装である。

これは肌の露出が多いほうがいいに決まっているし、ゆったりとしているより、体にフィットしているほうがいい。そしてブルマーがいい。これは説明するまでの事もないだろう。肌や体の線が露出するほど想像力を働かせる部分が少なくはなるが、刺激は大きくなるのだから。そうした意味では、コート、マフラー、手袋といったヨロイが登場する冬は最悪の条件である。

第三には少女の動きである。

少女が左を向いて直立しているとする。撮影しようとするものは少女にとって右横にいるわけである。その時少女が一歩足を前に出すとする。それは右足か左足かのどちらかであるわけだが、どちらの足を踏み出した時にシャッターを押すかという問題でもある。笑ってはいけない。これが大きな問題なのだ。

右足を踏み出した時に見えるものは、尻の割れ目である。その小さな尻の愛らしさには目を瞠る。

左足を一歩前に踏み出した時はどうか。見えるのはマタグラである。ショートパンツをはいていれば、その継ぎ目がツルリと輝く割れ目にくい込んでいるいるかもしれない。巻きスカートの時には、スカートから白い太腿が見え隠れしているかもしれない。

だったらどうするか? 答えは自明であろう。

お尻の割れ目にも未練は残るが、エロ写真の原点は何といってもマタグラなのだ。左足を踏み出した時にこそ、ためらわずシャッターを押すべきである。だがここでも忘れてはならない。必ず少女の顔も入れて写す事を。(おわり)

*1:所載:白夜書房『ヘイ!バディー』1983年11月増刊号『ロリコンランド3』(850円)pp.46-48(引用者が確認したのはテキストデータのみで掲載写真は1982年3月に徳間書店から出版された『アニメージュ増刊 アップル・パイ 美少女まんが大全集』より再録した)

死体写真やマニュアルによって浮かび上がる“死のリアリティ”願望(1993年の死体ブームをめぐるレポート)

死体写真やマニュアルによって浮かび上がる“死のリアリティ”願望

“死の書”ブームは精神世界の行き着く先か。

所載:『アクロス』1994年2・3月合併号

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岡崎京子リバーズ・エッジ』(宝島社「CUTY」連載中)より。「自分が生きてるのか死んでるのかいつも分からないでいるけど/この死体を見ると勇気が出るんだ」

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エイズ患者の死を正面から使ったベネトン・92年の広告。いち早く“タブー”を破り、日本だけでなく各国で論議的になった。

時代は、世紀末であるらしい。この時期になると、死の臭いが濃厚となり、終末論的なムードが盛り上がるのが歴史の常である。エイズというこれまで人類が経験したこともなかつた新しい病の流行が世紀末という空気に拍車をかけているということもあるだろう。例えば、“死"をテーマにした書籍が売れ筋であるのも、“世紀末”の反映であると、とりあえず短絡してみたい。

代表的なものは表に挙げた通りである。

〈93年に出た、“死“をテーマにした本9冊〉

●布施英利「死体を探せ! バーチャル・リアリティ時代の死体」法蔵館

美術評論家であり解剖学者でもある著者が、死体をめぐつて、自らの経験やメディアなど様々な角度からの考察を展開する。

 

●布施英利「図説・死体論」法蔵館

「死体を探せ!」のビジュアル版。一見キワモノ的な写真集といった感じだが、構成が緻密で、自然と“読む"ことを促される。

 

鶴見済完全自殺マニュアル太田出版

文字通り“完璧”を目指した自殺の手引書。弱者への同情が行間にほの見える。全て自分のこととして書いたと著者は語ってくれた。

 

河邑厚徳・林由香里「チベット死者の書 仏典に利められた死と転生」NHK出版

アメリカン・ドラッグカルチャーと「死者の書」が出会ってから、エイズ末期

患者の死の床に至るまでの過程が興味深い。

 

●式田和子「死ぬまでになすべきこと」主婦の友社

主婦向け投稿誌の編集長だから書けた、等身大の“老い”と“死”のマニュアル本。淡々とした筆致に、宗教書にはない感動がある。

 

渡辺格「なぜ、死ぬか」同文書院

日本における分子生物学の草分けが、“死”という現象について語る。冒頭の自身の死への恐怖についての赤裸々な告白がいい。

 

青木新門納棺夫日記」桂書院

富山で発刊され、全国的なベストセラーに。納棺人という死者に接する職業の

著者が“死”を見つめ続けた思索の書である。

 

山口椿「死の舞踏」青弓社

“死"をめぐるエッセイといった趣だが、殺人や自殺の現場とおぼしき写真に吸い寄せられる。死者の、静謐な息づかいが聞こえる。

 

●小池寿子「屍体狩り」白水社

ョーロッパの中世美術から煙草のマークまで、死の図像を題材に綴られたエッセイ集。著者は「死の舞踏学会」唯一の東洋人会員である。

これ以外に、脳死、臓器移植、ホスピスターミナルケア臨死体験などに関するものを含めるとかなりのものになる。“死”をテーマにしたコーナーまで設けている書店もある。医療の現場からアートの領域にわたって、これほど広範囲からのアプローチで死が語られたことがかつてあっただろうか。過去、死を扱った本のジャンルを見ればわかるように、これまで死は、宗教的・哲学的・観念的なものとして語られてきた。人間にとってこれはど普遍的で、誰もが必ず体験するとても具体的な現象が、きわめて高踏的で難解で、それこそ日常から遊離したものとして捉えられてきたフシがある

ところが現在は、死に対するアプローチが多様であるばかりでなく、ある種の傾向として、死を、即物的かつ具体的なものとして見つめ、等身大の平易な言葉で語ろうとする志向が読み取れる。よリダイレクトに直接的な体験として認識しろと促す書物が多いことに気づかされる。それはしばしば死体写真集やマニユアルといった、これまでにない体裁をとったりする。

例えば表に挙げた『死ぬまでになすべきこと』は、「老いるとは尿瓶の助けを借りること」という章に始まり、遺産相続、老人ホーム、墓、献体と、死ぬまでのプロセスで知っておくと便利な情報を集めたマニュアル集だ。そこには“神話”もなければ“ロマン”もない。現代の“死”のありようが、明快に提示されている。今まで“尿瓶”といったきわめてリアルなものを起点に“死”が語られたことがあっただろうか。

現在の死には、もはや高尚な“哲学”は必要ない。あるがままに見つめ、それをどう受けとめるか。考え選択するのはその人の自由だ。そのような“実践の書”をいくつか取り上げ、そこに語られた“死”のあり方を見てみたい。

 

布施英利著『死体を深せ!』『図説・死体論』

(死体標本や解割の光景など、ギヨンとするようなビジュアルに添えられた文は至ってシンブルだ。それが一層、死体そのものを際立たせる)

論考を中心としたテキスト版『死体を探せ!』と、そのビジユアル版『図説・死体論』の2冊が対になった書物である。後者のあとがきの中で著者の布施英利氏は次のように述べている。「(死体写真や絵を)じっと見つめてほしい。見つめているうちに図版が語りかけてくる声が聞こえてくるだろう。その声(それこそが死体論なのだ)に耳を傾けてはしい。(略)現代を、都市を救うのは、死体だ。死体こそ、これから僕たちが生きるうえでもっとも大切な『思想』なのだ」

布施氏のこうした姿勢は、ビジュアル版だけでなく、『死体を探せ!』とも共通している。すなわち、著者は“モノ”でもなく“人間”でもない“死体”をあるがままに直視し、日常に取り込むことによって、今世紀初頭より隠蔽されてきたところの“死”(フィリップ・アリエス『死と歴史』)を、現代という時空間に復権させようと試ているのだ。“死体”の“思想”を語るのではく、“死体”そのものが“思想”であるとする直裁な主張がある。

『死体を探せ!』には、著者の自殺死体目撃談から、解剖学、図像学、歴史、アート、犯罪、メデイア論、都市論などの様々な視点から“死体”にまつわるいろいろな事象が語られている。その根底に流れているのは解剖学者として日々死体に向き合い、解剖という「肉体労働」を通して培われた「健全な」認識である。80年代初頭、藤原新也がインドで撮影した、犬に食べられる人の死体の写真が話題になったが、ちょうど藤原がインドという“自然”が剥き出しの場所で“死体”という“思想”を獲得したように、著者も解剖学を通して藤原と同じ“思想”を得たということであろう。

死体に接するようになって「精神が“健康”になったかもしれない。思想上の変化はない」と答えてくれた著者だが、“死体”を通して現代人(とりわけ日本人)が「健全」さを回復することこそこの本の著者のメッセージだと理解した。

この国に欠けているものは『死体感覚』にほかならない。日本の『都市』は、死体に代表されるような『自然』をひたすら排除する。それを私たちは『脳化』と呼んでいる。脳化都市では『自然』は実体を失い、電子の映像などとなって氾濫する

そこで“自然”を取り戻すために、「プラスティネーション」と呼ばれる技法で処理された死体写真に親しむことが有効であるとする主張がなされる。死体写真といい、加工された死体標本といい、キワモノ的な嗜好と混同されてしまう危険があるのだが、著者はそこにはっきリ一線を引く。ホラービデオなどに代表されるその手の表現は、“死”や“死体”を直視しない人々の幻想の産物だというのだ。研究室にある標本を見て、「『キヤーキヤー騒いでいる』のは、たいてい『見ていない人』だ」という著者の主張は、死に関するテーマヘのマスメディアの反応にそのままあてはめて考えることができるだろう。

88年の連続幼女誘拐殺人事件の容疑者が好んだとされるスプラッタービデオなどのソフトを総称して著者は「電子の幽霊」と呼ぶ。なるほど、「脳化都市」をイメージ化すれば、さながらM容疑者のおびただしい数のビデオテープに囲まれた部屋ということになるであろうか。

「電子の幽霊」が経験として不十分なのはわかる。しかしそれらのキワモノ的なメディアと、加工された死体標本や死体写真集との決定的な差異を説明することは、今のところ困難だと言わざるを得ない。現代の都市に“自然”を取り戻すには、まだまだ様々なかたちの“死体”が必要だということだろうか。

(※書名のない引用は全て『死体を探せ!』より)

 

鶴見済著『完全自殺マニュアル

青木ヶ原の自殺者の遺品から見つかり話題になった『完全自殺マニュアル』。テレビを始めマスコミの反応は、概ね“マニュアル”という表層部分を字義通りにとらえた批判的なトーンのものだった)

有害図書」の指定をめぐって論議されたり、各メデイアにも大々的に取り上げられ、昨年大変話題になった本の1冊である。ちなみに前述の布施英利氏はこの本についてこうコメントしている。

「かつて『死体は語る』という本がベストセラーになったが『完全自殺マニユアル』もそれと同じで、いかに死んだか(死ぬか)ということがポイントになっている。僕の本は(死因はともかく)死んでしまった後の死体を扱っている。別の主題だ。/あまり指摘されないが『完全自殺マニユアル』が売れたのは、彼に文才があるからだと思う」

確かに“死”と向き合うベクトルに違いはあるだろう。『自殺マニユアル』は“死”(あるいは自殺)そのものを問題にしない。“死”を一つの事象としてカッコに括り、「コトバによる自殺装置」と帯にあるように、一粒の毒薬として読者に提示する。それをどう使うかは読者の自由なのだ。しかしその毒薬を手にとって見ているうちに、死がきわめて身近なものとして感じられるようになる。隠蔽されたはずの“死”がリアルに立ち上がってくるのだ。つまり“死”を直視するべし、と啓発する点では布施氏の著作と共通するものがあると言えるのではないだろうか。

文才について言えば、彼のドライで時折ブラックユーモアを感じさせる文体は、著者がよく読んだという初期の村上春樹を紡彿とさせる。民族学者の大月隆寛は、書評で「80年代ニヒリズムの影」を指摘している.(「ダカーポ」12月15日号)。

今から11年前に刊行された『自殺 もっとも安楽に死ねる方法』(1983年)というフランス人の書いた本の翻訳が『自殺マニュアル』を書くヒントになったというが、実際この本、自殺論とぃった社会学的な考察が主で、自殺の手引きの部分は巻末に申し訳程度にあるだけなのだ。必要なのは分析ではない。「今必要なのは、自殺を実践に移すためのテキストだ」(序文)。そしてより徹底して実用的な本書が出来上がったというわけである。

著者は学生時代、人並みにニューアカの洗礼を受けたと語る。「現代思想をやってないと話が通じないって感じでしたからね。だけど今から考えると、あれは何だったんだろうなって思いますね。結局答えはなかったじゃないか。ただの言葉の遊びじゃなかったのかって」

“言葉”や“思想”や“分析”では、最早インパクトを与えないのではないかという疑間があったに違いない。読者に直接作用するマニユアルという形態が最も有効なのではないのかと(この点は初期の山崎浩一に影響を受けたという)。

著者が、主にテレビなどの取材を受けた際、「なぜ若者は自殺に走るのか」といったような質問が一番多かったそうだ。あるいは、このての本を書いたことに対する社会的責任を問うような糾弾調のものもあったという。やはりお茶の間では、いまだに

“自殺”=“不健全” “反社会的"という図式から離れられないということだろうか。しかし一方、実際、読者からの反応は、「生きる勇気がわいた」的な感想も少なくなかったという。逆説的に心の支えとなりうる本書は、著者が狙った通り、生きているのか死んでいるのかわからない「延々」と続く退屈な日常に風穴を開けることにいくらか成功したと言えるのではないか

 

河邑厚徳・林由香里著『チベット死者の書』(バルド・トドゥル)

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8、9世紀にインドの僧によって 書かれた「死者の書」は現在も読まれている。チベット(上)だけでなく、アメリカ(下)ではエイズやガンで死に瀕した人達の心の支えとなっている。

昨年の9月23・24日、2日間にわたって放映されて大反響を呼んだ、NHKスペシャルのタイアツプ本である。著者は番組を制作したプロデユーサーの河邑厚徳氏。河邑氏が1981年に制作した番組に『ドキュメント・がん宣告』がある。今から14年前のこの番組が、『チベット死者の書』を企画するに至る出発点となったと氏は語る。

『がん宣告』は、一人の会社員ががんを宣告され、聞病の末亡くなるまでを記録したドキュメンタリーである。まだ告知も一般的ではなかった時代にあって、ドキュメントという形式で、人が死にゆく様を扱ったのはきわめて異例であり、衝撃的だ。日常の中の等身大の“死”を、真正面から取り上げたのは、おそらくテレビ史上初の試みであったろう。

「この番組の取材中、末期のがん患者の苦脳を目の当りにして、結局最後は苦しんで死んでいくわけですけど、すごく救いがない感じがしたんですね。スタツフもみんなノイローゼみたいになっちやつて。僕自身、人の死の最期の姿がとても悲惨なものに感じたんです」

本来、人は家で死んでゆくものだったのが、1977年より病院で死ぬ人の数がそれを上回るようになる(91年で、75.9%の人が病院で死んでいる)。“死”が日常から消えてしまう時期であり、もちろん“死”などもないに等しい時代だった。河邑氏は番組終了後、もっと違う死に方はないものかと考えるようになる。そしてこの時期、インドヘ取材に行くチャンスがめぐってくる。

藤原新也さんの写真と同じように、ガンジス川で大に食われる赤ん坊の遺体を見たんです。一応撮影もしましたけど。死が当たり前のようにあるインドで、病院で死んでいった彼とはまた違う“死”に触れて、心の重荷が降りたという感じでした。それですべてが終わりじゃないという、輪廻転生の世界が、インドでは現実のものとしてあったんです」

『がん宣告』の後に“死”を扱うとしたら、次のステップを表現したかった。それが西チベットのラダックで、死者を送るために現在も用いられている経典、「チベット死者の書」をテーマにした番組に結実したというわけだ。

この番組で画期的だったのは、死体が頻繁に登場したという点である。『がん宣告』ではラストに主人公の死の直後の映像が象徴的に一瞬使われていたに過ぎず、当時テレビではそれが限界であった。その点で時代の変化を感じさせると河邑氏は言う。

もう一つ印象的だったのは、ラダックで死後行われる儀式が、ただの“未開の地の奇妙な風習”といった風にならないように、アメリカのダイイング・プロジエクトを紹介したことである。サンフランンスコのホスピスの現場で、実際に「チベツト死者の書」を用いている現状は、これが現代においても有用な実践の書であることを証明している。

この経典には死後、人が遭遇するであろうこと、そしてどうすればよいかという「安らかに死ぬための技術」が詳細に記されている。エイズ高齢化社会の到来を契機に、この“究極の実用書”が脚光を浴びたのは、偶然でない。「死者の書」は、“死”が隠蔽された時代において、直接体験的に死と向き合うための手引きとして有効なガイドだということができるだろう。

この番組の反響から、今後マスメデイアが“死”を取り上げていく機会が多くなっていく予感がある。

 

「ゴタクはもう聞き飽きた」(『完全自殺マニュアル』より)

布施英利氏は、「チベット死者の書」にある死後に人間が見る様々な光明をテレビの光になぞらえている。また鶴見済氏も「テレビを消したあとの、あの奇妙な暗さを覚醒させる」のが本の狙いだといっている。そしてNHK版『チベット死者の書』の共著者である林由香里氏は、自分たちの世代は“体験”を奪われた世代であり、「ブラウン管を突き抜けると別世界が広がるという幻想があって、パッと死ぬとその瞬間に別世界が開けて、そこに希望を見出すというようなところはあるかもしヤしない」と言う。

1960年代に生まれたこの3人が、いずれも死について語るときにテレビの体験を持ち出しているのが興味深い。彼らは生まれたときからテレビがあったメデイア世代であり、“死”の存在しない「電脳都市」に育った世代である。だからホラーなどのキワモノに対する抵抗のなさがエスカレートして、現在、“死”をダイレクトに即物的に見つめようとする志向が生じたのか。あるいは高度成長によって崩壊してしまった、本来“死”を支えたはずの村落共同体的な共同幻想の代わりに、自分達の手によって“死”を再構築しようとする意志が芽生え

たのか。理由づけはいくらでもできるだろう。しかし、「ゴタクはもう問き飽きた」のである。例えば『自殺マニュアル』の序文にあるように「身ぶるいするような日常生活」のグロテスクさと、そこから脱するための最後の自由としての自殺というような考え方は、大江健三の『われらの時代』などですでに取り上げられているテーマだ。事実“死”は普遍的なテーマであるし、時代的な問題というよりも、それを取り上げ扱う感性の質の問題なのかもしれない。

取材に際しても、『死体を探せ!』と『完全自殺マニユアル』の著者は、共に安易な世代論や解釈を婉曲に拒んでいるように感じられた。それは無理もないだろう。しかし、臓器移植、脳死ホスピスなどの医療の現場からの要請によって、あるいは高齢化社会の到来によつて、我々が否応なく“死”に直面せぎるを得ないであろう現実を、彼らが鋭敏に感じ取っていることは間違いないようである。

「地球上のどの民族も、かつてはメメント・モリ(死を想え)を出発点として独自の精神文化を作り出して」(『チベット死者の書』)きたのだ。そして現代の社会において、“死”は日常から隔離され、隠蔽されてしまった。時折偶然その“断片"を目撃する程度である。“死”が隔離されることに比例して、我々の“生”もまた希薄なものとなってくる。“生”も“死”も宙づりにされてしまう。そちらの方がむしろ異常な事態なのだ。

そこで、自分自身の手になる“死”(自殺)を通して、あるいは具体的な“死体”を通してそれを実感するしかない。それが今現在の「メメント・モリ」だし、新たな精神文化のありようなのだ。できれば見ないで済ませたい、としてタブー視してきた死を直視する、という流れが生まれてきたのは、現代日本人の精神が成熟に向かいつつある現れなのだと考えられないだろうか。

 

関連リンク

 

因果者列伝・村崎百郎インタビュー(月刊漫画『ガロ』1993年10月号「特集・根本敬や幻の名盤解放同盟」題して「夜、因果者の夜」から)

因果者列伝・村崎百郎インタビュー(工員/江戸川区/O製作所勤務・30歳)

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青林堂『月刊漫画ガロ』1993年10月号「特集・根本敬幻の名盤解放同盟」題して「夜、因果者の夜」

根本敬は言った。「去年初めて神(天・自然)のお導きで村崎さんに会った時、「今だから言えるけど、俺は昔下着泥棒やら強姦やらさんざんやったモンです。」とか、「今でもアパートの住民のゴミを盗んで定期的に調べているんです」等々の話を聞き、初対面ながら「この男は信用できる!」と確信した。

信じられる男の発する熱に、因果者の誠を感じた。自ら進んで業を背負いつづけるものにこそ真理の光を見るのだ。よしこの人の湖に飛び込もう。幻の名盤解放同盟は思った。

■雪焼けした女の健康美

生まれは北海道、わりとまともな町で育ったんだけど、オヤジが公務員で転勤が多くてね、小三くらいの時に過疎の村へ引っ越した。そこが物凄いところでね、村ってのはすごく陰湿なんだ、貧しくて、人の成功はねたむしな、ほんとに狭くて、プライバシーなんかねえんだよ、電話が一応通ってたんだけど、回線が少ないんだかなんだか、受話器を取るとよその家の会話が筒抜けなんだよ。親機と子機みたいに(笑)どこの家の誰が、どういう服着て、どういう飯食って、どういう糞してるか、下手すっと肛門のシワの数まで知ってンだよ(笑)。そういうとこだから、オレはヨソモノだろ、いじめられる対象でしかないわけ。とても言葉では言い尽くせないようないじめを受けたね。村じゃもうクラス全員が敵なんだよ。「オレだけはおまえの友達だ」っていうような顔をして近寄ってきても、二人しか知らないはずのことがクラス全員に知れ渡ってたり、だから(在日)朝鮮人の気持ちとかすごいよく分かるんだよ。ケンカするにも「負けたら生きて行けない」みたいな感じだろ。そりゃケンカも強くなるよ、やり返さねえとこっちが殺されンだから。ヨソモノに対しては思いきり冷たいんだけど、村ってのは妙な共同体意識みたいなモンがあるんだよ。学校焼いちゃったのがいたんだよ。みんな犯人知ってるんだ。下手すると通りの犬まで知ってるってくらいなのにみんな隠すんだよ、警察にばれたりしたらソイツの一生終りだろ。そういう時はかばい合うんだな。オレみたいにとことんいじめを受けたヤツって二通りに分かれるんだ、世の中が嫌になって自殺するタイプと、アレイスター・クロウリーみたいに世界そのものを憎み出すタイプ、オレは後者の方でね。友達が誰もいなくて完全に孤立してたから、よく一人で海とか山をさまよったね、山奥の誰もいないところで何時間もポーッとつっ立ってたりした。耳を研ぎ済ましてると、変な声とか、何キロも先で雪が降ってる音とか聞こえてくるようになるんだよ。

 

■歴史とは性交の具現なり。

小学校の時、日本が実は戦争に負けてたっていうのを知ったのはショックだったね。ジイちゃんに聞かされて、人生における最初の痛恨事だったよ、あれは「丸」なんかみながら軍歌見えたりしてたもんな。でも、従軍慰安婦問題にしてもそうだけど、ああいうのを知っても別にショックじゃねえんだよ、戦争に強姦はつきもんだろ。占領後の強姦とかがあったからこそ、日本軍は強かったんじゃないかね。だからオレは兵隊が強姦してたってより、戦争に負けてたって事の方がショックだったね、負けたのになんで平和なんだろう。周りはノウノウとしてるんだろうって不思議でならなかった。

小学校五年の夏に海で溺れかけたんだよ。話せば長くなるからはしょるけど、所謂神秘体験をしたわけよ。見ちゃったんだ。どうして助かったか分かんないんだけど、それからだね。凶悪になったのは(笑)。いろんな制約が全部無くなっちゃったんだよな。「人生において、やっちゃいけないなんてことは実は何もないんだ」ってことに気付いたわけだ、やっぱり一回死にかけると「もういつ死んでもいいんだ、後の人生は余録だ」って思うだろ。ホント、やっちゃいけないこととか、超えちゃいけない一線なんてのは実はねえんだよ、(マイクに向かって)オマエ分かってるか? 殺人だってなんだって、人間ってのは生き物殺さなきゃ生きて行けねえんだよ、魚殺すのと人殺すのとどこが違うんだよ。

 

■若きナウマン象は美しく青白きメロディに憑かれた

オレの戦法ってのは、自分がドロドロになりながら相手もそれに引きずり込むっていう最悪のモンでね、いつのまにか体格も良くなってたな、大勢にやられても、その夜一人々々の家へバット持って復讐に行くんだよ。家族団欒のところに、団欒ってのが狙い目なんだ(笑)。寝てる時でもなんでも、玄関破って入ってったから、キチガイって言われてたね。

中学のとき、下級生で気に入らないヤツがいてね、そいつが盲腸にかかったんだよ、退院してた日にシメるわけ(笑)。道で待ち伏せて、思いっき腹にケリ入れるんだよな(笑)。それだけならまだいいんだけど、それに加えて言葉で痛めつけるわけ。うずくまってるところを。自分が言葉でいじめられたから、相手にも言葉でいじめるんだよ、アレはちょっと悪いことしたね(笑)。一度ズタズタにして、泣きながら家に帰ってく奴を先回りしてそいつン家の前でもう一回ぶん殴ったりたこともあったな(笑)。高校進学率は五割以下だったな、もう最低レベルのバカばっかり、小六でかけ算九九が言えねえようなヤツラばっかりなんだよ。高校も近くにあったのはどうしようもないバカ学校で、五教科百点満点でトータル百二十点も取れば合格。一枚科三十点も取りゃ合格なんだよ。英語はみんな零点だから、実質的には四教科各々三十点で合格か(笑)だって文盲がいるんだよ。三十くらいの漁師だったけど。

 

■愛と平和の調べは己が手でのみ作られる

性の目覚めも特殊だったな、田舎のガキってのはみんな結構、親のセックスとか見ちゃったりするんだけど、オレはなかったな。海辺の町だから夏になると観光客が来るんだよ。海水浴に、そういうヤツが文化を持ってくるわけ、つまり、海岸に打ち上げられたり、捨てられたエロ本からそういう情報が入ってくる。で、観光客ってのは都会からやって来て、大自然の中でやっぱり一発キメたくなるモンだろ。使ってないトンネルなんかのところでやってたりするんだよ。だから「岬にカンコーが来てるぞ」っていうとみんなで見に行くんだな、ところがアイツらバカだから見つかっちゃうんだ(笑)。小学五年ぐらいの時、たまたまSM誌を拾ったんだな、これでオレの性的嗜好は決まったね(笑)。今でもそこに入ってた小説のストーリーは克明に覚えてるよ。起承転結の見事な非常にできのいい作品で、それからは町に出るたびにSM誌買い漁ってた。グラサンかけて。もうセックス・イコールSMになったわけだ。

同級生の山田ってのが結構いいオンナだったんだけど、高校卒業する頃には三千円で売春しててよ、三千円で売春して、その金でクルマの免許取ったんだよ、乗らせちゃ乗ってたわけだ(笑)。近くの農業高校では相場が一回五百円ってのがあったけど、とんでもないオンナばっかり(笑)百円でも御免だっていう。

 

■植物図鑑に舌打ちするベジタリアン女と動物図鑑がズリネタの獣姦症男が出会って恋の花咲く。

クマが出るんだよな、ヒグマ。春先ンなると山菜採りなんかが襲われるんだ。毎年何人かクマに殺されてるんだよ。同じクラスの奈美子って女のオフクロも裏山でクマに殺されたんだけど、そういう体験して大きくなったとき、例えばの話、ボーイフレンドにクマのねいぐるみプレゼントされたりしたらどうすンだろな(笑)。クラスの中で七、八人は片親だったり、両方いなかったりだったな。漁師とか土方が多かったから、事故とかヤクザに刺されたりで死ぬのもいたしな。

ヒグマ撃ちの後藤ってオヤジがいてよ、毎年何頭かしとめるんだけど、コイツの持ってるのが村田銃なんだよ。先込めの火縄銃。何でそんなの持ってんのか分かんねえんだけど(笑)。村の英雄で、そこン家に行くとクマが軒下にぶら下がってンだよ。火縄銃だからもう一発勝負だな。失敗したら死ぬわけだよ。クマってのは目をにらむと襲ってこねえんだ。だから目をそらさないで出来るだけ近付いて、眉間を狙うんだな。他の部分の毛皮に傷が付くと安くなるから。子グマを動物園に売ったりもしてた。そいつがある冬の朝、自殺こいたんだ。田んぼの真中で、雪が真っ白く積もってる田んぼの真中まで歩いてって、村田銃の銃口を口に入れて引金引いたんだな。田宮二郎とおンなじよ(笑)。雪の中に真っ赤な花咲かせて、まるで日野日出志のマンガだよ(笑)。みんなで「クマのたたりじゃねえか」って噂したんだけど。

 

■出し入れの関係代名詞は餅つきペッタンの水平線の向こうに見える自分自身の尻の動き

高校ン時は空手やってたな。一意専心ってヤツ。空手を志したきっかけは強姦目的(笑)。もう悪の権化だね。よくテレビなんかで、悪党がオンナに中段突き一発かまして気絶させるってのがあったろ、あれを見て「いける」と思ったんだよな、ありとあらゆる悪いことをしてやろうと思ってたから、人間の、ホントに最低の醜い姿を知ってこそ、その美しさも分かるんじゃねえかっていう気持ちがあってね、でも結局、強姦はやってないんだ。何でか解る? オレはその後のフォローもちゃんとしてるからさ、初めはアレでも、フォローさえすればそりゃ必ずしも強姦とはいえねえんだ。

人生最大の痛恨事ってのが初体験なんだけと、つまんなかったんだよ、きっきも言ったけど、初めに目覚めたのがSMだよ、セックスに対して過大な期待があったんだな、擦り切れるほどオナニーしてたし、ヤカンに水を入れてカリの先に引っかけて、勃起力を鍛えてたんだよ(笑)。そしたら鋼のようなチンコになっちゃったんだな、全然良くなかったんだ。「オレはこんなものに夢を持ってたのか」って、例えようもない喪失感を持ったわけだよ。悩んだね。それでもっと数をこなせば分かるんじゃないかとか、オンナによって色々違うかも知れないと思って色んなオンナとやりまくったわけよ、狂ったように。

オンナとしけ込んでハメ狂ってる時にじいちゃんが死んだんだよ。葬式に出る時間が惜しくて、オンナとやってたんだよ、勉学が忙しいって言ってセックス覚えたての頃は、一日三回はやってたから一年で千回はやったね、それとは別にセンズリもやってたからな。その時のオンナはデバカだったんだけど、そいつの寮に夏中居座ってよ、寮を占領して(笑)。中には一回家にオレを上げてしまったためにその後四年間住まれちゃったってオンナもいたよ(笑)。オレ両腕に傷があるんだけど、これヒステリーのオンナにやられたんだよ。ヒステリー起こすといつも腕を押さえるんだけど、そうするとオンナに引っ掻かれるんだよ。いつもおんなじ場所だからいつまでたっても傷が直らなくて、とうとう消えなくなってな。でもこの傷がオンナに付けられた傷だって見破ったヤツがいたよ。板橋の工場に流れてた奴で「分かる?」って言ったらソイツが「オンナに付けられた傷は消えねえんだよ」って(笑)。

オンナっていうのは、誰でも自分だけの宝みたいなモノを持ってるんだよな。それは例えばアイドルであったり、ミュージシャンだったりするけど、今でいえばエックスとか色々あるだろ。それについて理解を示してやったりするとコロッと引っかかるんだな、「ワタシのことを分かってくれる」って。で、オレは相手が心の扉をほんの少しでも開けるやクイッとチンポをネジリ込んじゃうんだよ。逆に別れるときは、オンナの好きなものをけなしゃいいんだ。楽なモンだよ(笑)。それでも駄目ならそいつの三代前まで遡ってひい婆ァちゃんから始まって、犬猫に至るまで一晩かけて微底的にある事ない事こきおろすワケよ。そこまでやればほとんどのオンナは「もうやめて」つって発狂するわけよ。不通の人間社会にゃ言っちゃいけねぇって事があるけど、そこをいやと言うほど責める訳だもんな。

 

■血と汗と唾と叫び声と透明ちん汁。

やるときは、早くイカないコツってのがあるんだよ。やってる時に親指で踏んばると早くイッちゃうんだな。やってみな。あと人に聞いた話なんだけど、オンナとつき合ってて、やる時は、月に一、二度はコンドームなしでナマでやったほうがいいんだってな、「そうするとオンナは変るよ」って言われたんだけど、アレホントかね、色っぽくなるって言うんだけど。

どんな美人でもずっと一緒にいると飽きるモンだよな、二年も住んでりゃ近親相姦みたいなモンだよ。そうなっちゃうともうやる気も起こらなくなるから、紙袋を頭からかぶせてエロ本見ながらやるんだよ、エロ小説の時もある。でも、動くから活字だと読みにくいんだよな、まあ、もちろん相手には分かんないように縛ってからやるけど(笑)。昔の殿様なんか城下のオンナの初夜権を持ってたりしたろ。オレの好きな話で、そういう殿様はブスでも頭から袋かぶせてやったっていうのがあるんだけど(笑)。エレベーターの中でオンナを押し倒したこともあったな、人が来て結局出来なかったんだけど、大体、会った瞬間に分かるんだよな。「このオンナとはやるな」ってのが、「このオンナを押し倒ねえとオレの人生は先に進まない」みたいな。例えば不良同士で会った瞬間にムシが好かねえってのがあるだろ「コイツとはいつかやるな」という。あれと同じだよ。オレの場合、ムシが好かねえと思った瞬間に手が出るんだな、自転車のハンドル持って後輪で殴るって攻撃が得意だったね。

 

■森羅万象ことごとく我に帰れ

ものすごい執念深いんだよ、オレ、マムシの百倍は執念深いね(笑)。オレの好きな話にこういうのがあるんだけど、南米かどっかの。隣どうしの家で、樽かなんかが風で転がって片方の家の囲いを壊したと。それが元でケンカが始まって、隣どうしで代々ケンカが続くわけだ。ある時、片方の家からものすごく強い男が出て、もう片方の家は全然かなわなくなったと、そうすると弱い方は奴隷のように暮らすしかないわけだよ。でもいくら強いヤツでも年を取るだろ。人間、寿命ってモンがあるから。で、五十年、六十年ジッと耐えてヨボヨボになったところを狙って殺すと、その話を聞いたときは「これだ」と思ったね(笑)。まだ子供の頃だけど、オレも何か恨みを持ってもその場では絶対仕返ししないんだよ二年、三年待って、それからアクション起こすから。ホントに、まずソイツと親友になっちゃって、その後で裏切るとかな。恥辱を受けたりすることが生きるエネルギーになってンだよ(笑)復活こそ我が命(笑)。

東京に出てきたのは十八の時か。そン時オレすごいカッコしてたんだよ。部屋借りようとして不動産屋行って、アパート紹介してもらったわけだ。電話で大家と話したときは感じ良かったんだけど、実際に行ってみたら大家がオレの顔見るなり、「もう決まっちゃいました」って。オレは「そうなんですか」ってその場は引き下がるわけ。それからそこ行くんで一万以上金使ったよ。それも二年くらい経ってから。そこに通い詰めてね、ありとあらゆる嫌がらせをしたね。だから人には親切にした方がいいよ(笑)。ホント。どんなヤツがいるか分かんねえんだから。

引越しのバイトしてた時に、ある店の前にちょっと荷物置いたら、そこのババアにイチャモンつけられてね。それも住所と店の名前はしっかり控えて、後で嫌がらせしたね(笑)。そこの近所の家に電話をかけて「あそこの店のモノですが、もうすぐクビになるんですあそこのババアお宅の悪口言ってますよ」とか、税務署に「あそこ随分脱税してるみたいですよ」とか。しかし、何年も前に一回怒ったばっかりにこんな仕打ちを受けるなんて……想像もつかねえだろうな(笑)。だからオレはその場で負けようが何しようがイイんだよ。ただ、オレは嫌なことも忘れないけど親切にされたらそれは一生忘れないよ。情、さ。そういう部分はちゃんとスジ通すよ。それが間違いだっていうのは自分自身気づいてるけど、間違いだからやめるって気はないね。結果的にそれで地獄に落ちても悔いはないと思ってるから。

ガキが大きくなるの待ってるヤツもいるな。基本的にガキには手を出さないんだけど、中学生ぐらいになれば体格は一人前だろ。ある日、自分の息子がボコボコにぶん殴られて帰ってきたらやっぱりショックだもんな、直接本人を責めるより、ソイツの愛しているものをぶっ壊す方がダメージでかいだろ。

前、越してさ、夜その辺徘徊してたら犬に吠えられたんだよ。頭来てよ。でも顔につながれてるものに手を出すのはフェアじゃねえだろ。そのかわり深夜そこの家に行くんだよ。そうするとイヌは吠えるだろ、オレはすぐ走って隠れるわけ、あんまり自分の家のイヌが吠えれば飼い主は怒るだろ。イヌに「うるせえ」って。オレは何度もそれを繰り返して(笑)。そうすると回りの家にもすごい迷惑かかるだろ。犬の立場はどんどん悪くなるわけだ。「あの犬また吠えて」ってかわいそうにな(笑)。そういうオレの恨みの念が強かったからか、すぐそばで殺人事件があったんだよな。その犬のとこ行く時、いつも通ってた私道の真横、七年位前かな、家が皆東大で、ジイさん名誉教授で大学入れない孫がいて、そいつに刺されたって事件。あの家もよくそこの犬の鳴き声聞いてたはずで、オレのせいもあったのかも知れねえな(笑)。でもそういうひどいことをすればするほど、オレみたいなヤツが他にもいるかも知れないっていう恐怖感も感じるんだよ。だから一つ言っときたいのは、オレは人の何十倍も臆病なんだよ。臆病だからこそ、相手を執ように責めるんだな。それは後で復讐されるのが恐くてたまンないからなんだよ。

 

■天の羽衣をまとった漬物石が座るところ泉湧く

アパート入ったら入ったで、一ヶ月くらいは住人のゴミ漁りを欠かさなかったね。だって回りにどんなヤツが住んでるか不安だろ。そうすると「今、上にいる浜田ってヤツは一昨年の十二月にバイクの事故にあって、それが元で会社もやめて彼女とも別れた」とか「さらにSMマニアで女王様雑誌を毎月買ってる」とかいうことまで全部分かるんだよ、収入から勤め先、電話番号まで、だから自分の名前の入ってるものなんか簡単に捨てるモンじゃないよ、ホントにどういうヤツいるか分かんねえんだから(笑)。

寺山じゃないけど、よく夜道を徘徊したりしたね、新宿、早稲田、神楽坂界隈はよく歩いてたよ。ゴミの山からよくエロ本を漁ってた。部屋にものすごい数のエロ本がたまってたよ。もうエロ本の海(笑)。首までエロ本につかっちゃって、捨てるのももったいなくてね。捨てて誰かに拾われるのもシャクだし。だから捨てるときは小便かけて捨ててた(笑)。イヤなヤツだよな(笑)。ゴミもいつも拾ってると外見で大体何が入ってるか分かるようになるんだな。エロ本捨てるヤツって決まって袋を密封するんだよ。ガムテープで貼って。だから持った時の重さで「SM誌だな」とか「これは写真集」とか分かるんだよ。同じエロ本何度も拾ったりしてな(笑)。古本屋に売って結構金になってた。ゴミの中に『ウイークエンドスーパー』や『HEAVEN』『Jam』なんかがあるとちょっと嬉しいんだよな。パイプ拾ったこともあったよ。夜中に徘徊してると当然オマワリの不審尋問受けるんだけど、コンビニの袋に何か入れて持ち歩いてると何も言われないんだよ。夜中に何も持たないでうろついてるのはやっぱり怪しいもんな。だからオレ、エロ本は金出して買ったことないね。オンナとやる時も買うくらいなら強姦した方がいいと思ってるから(笑)。金出してやるのはオレのプライドが許さない(笑)。

 

■夕日に向かって走ったら製粉工場

パイトは大体、主任とか社長ぶん殴ってやめてたな。東京に出て来てから半年ぐらいはメチャクチャだったね。二十前までは何やっても名前が出ないと思ったから、一通りのことはやらなきゃって気持ちはあったね。

板橋の製粉工場でパイトしてたんだけど、週給制だったんだよ。そういうとこって流れモノがいっぱい来るんだよな。新潟出身の鈴木ってヤツがいたんだけど、当時二十九だったかな、田舎から出てきてるから、「都会のモンにだまされるか」って靴下の中に金を入れてるようなヤツで趣味も全くないんだよ。だいたいああいう所に流れて来るヤツって趣味がなくって、部屋へ帰って野球見て寝ちゃうようなのばっか、でも鈴木はそんなこともしないの、話題なくって、天気の話繰り返すしかないんだよ。それがある時、故郷に新幹線が通るってんで鈴木が一念発起して上越新幹線の駅名全部暗記してよ。それから、顔会わせると、そればっかり繰り返すんだよ、上野、○○、○○ってさ。

こういう工場の休み時間なんていうとみんなもうエロ話しかしないんだよな。たまに勘違いして本読んでるヤツなんかがいるんだけと、かえって下品なんだよ。TPOをわきまえろってンだよ。南方帰りっていうオヤジもいたな。戦争で二万人だか送られて六人しか生き残らなかった中の一人だって言うんだよ。そうなっちゃうともう何にも恐くねえんだな。なにしろ人の肉まで食っちゃったって言うんだから。人の肉食うと体中熱くなるんだってな。そんな人だからヤクザなんか全然恐くねえんだよ。「クギ一本あれば人は殺せる」って言うんだな、ホントに世の中にはそういう人もいるんだから、回りに気を使って礼儀正しく生きてた方がいいよ(笑)。

工場に「荒川少年強姦団」みたいなのがいたんだよ。族アガリの連中で、すごい礼儀正しいし仕事はマジメなんだけど、小学校五年で輪姦してンだよ(笑)。エロ本とか見る前に、もうハメちゃうんだよ。下町のガキで、中学の頃から族に入って特攻隊長とかやってたようなヤツラだから。それでいてオフクロには弱かったりして。すごいワルなんだけど、無邪気でさばさばした連中でな。でもアイツラってマンガ読まねえのな。『ビーパップ』とか、ああいうマンガはやっぱり頭ン中で考えたモンだろ。コイツらのナンパ方法ってのが面白い。気に入ったオンナが歩いてると自転車でぶつかってくンだよ(笑)。で、倒れた女のとこ寄ってって「ゴメン、お詫びしたいからお茶でも」って(笑)。で、やっちゃうんだよ。もう一つ、「土手マン」ってのがあるんだけど、オンナをだまして車に乗っけて、荒川の土手に連れてくるわけだ。あそこってのはもう無法地帯で、夜なんか何があるか分かんねえらしいんだよ、地元のヤツでも夜は出歩かないようなトコ。そこにきて「ヤラセロ」って言うわけ。「やらせなきゃここに放っぽって行くぞ」って(笑)

コイツラで「中森明菜強姦計画」ってのがあったらしいんだよ。「アキナと一発キメるんだったら二、三年くらってもいい」ってヤツラなんだから「車を捕まえたら回りを取り囲んで一人ずつやろう」って(笑)。結局やンなかったけどその理由が「スケジュールが分かんないから」だって(笑)。もうしようがねえよな(笑)。

もう悪いことばっかりやってるんだけど、妙に情にモロイとこもあってな、フィリピンパブなんかのオンナに本気で惚れちゃったりするんだよ。やっぱり日本のオンナって生意気だろ。東南アジアのオンナの方が何にも知らない分、素直だもんな。だから国際結婚したヤツもいたよ。アレ大変なんだよ。偽装結婚じゃないって証明するために何度も外務省に足運ばなきゃなンないしな。だからそういう部分はマジメなんだよ。純愛コイてるんだから、真剣な顔して「英語教えてくれ」って来たりしてな、小五でマワしたとは思えねえよな(笑)。

 

■屋根も壁も無いメリオ

メリオってヤツがいたな。高校時代にバイクの事故で首がめり込む程の怪我して、記憶を失っちゃったんだよ。首がめり込んだから、みんなから「メリオ」って呼ばれてたんだけど(笑)。もう記憶がないし、テレビの歌番組ぐらいしか楽しみがないんだよな。あとエロビデオ。でもエロビデオを借りに行っても、ものすごいケチで選ぶのに二時間ぐらいかかるんだよな(笑)。体もちょっと動かなくなってるんだよ。やっぱりちょっとトロくて、いつまで経っても製粉の機械の操作が覚えられないんだよな。それでいて、人が真面目に働いてる横で下らないダジャレとかちっとも似てねえ芸能人のモノマネやったりするんだよ(笑)。悩みのねえヤツ(笑)。性欲もストレートで、エロ本とか見せると途端にボッキするんだよな。横で見てると「ムクムクムクーッ」って(笑)。初体験は池袋のソープ行ったらしいんだけど、話聞くとどうもスマタでやられたらしいんだよな。本人はアナルだって言うんだけど、「ヌルヌルしてた」とか変なこと言うんだよ(笑)。その話聞いて、みんな「こりゃスマタだな」と思うんだけど、メリオにはそうは言わねえんだよな、夢を壊しちゃいけないと思うから(笑)。そういう思いやりはあったね(笑)。だって何ヵ月も前から情報誌買って、ネエちゃんから値段から全部チェックして、やっとボーナスもらってソープ行くようなヤツだよ。そりゃ言えないよな。カラオケに行きゃ、そこのオンナに惚れ込んで仕事中に工場から電話かけるしね。後ろでガチャコンガチャコンいってるとこで(笑)。でも店には一度しか行ってないんだよ。ケチなヤツでき、コイツがある日、腕マクラして寝てたら血の流れが悪くなって、片腕の神経が死にかけちゃったんだよ(笑)。で、片腕がロクに動かなくなっちゃった。アレはかわいそうだったな。

 

■休息無き肉体の赤痢菌がエイズ菌にお早うと大声で挨拶

原田くんっていう、水産高校出身で、土木会社で現場監督やってたヤツがいたんだけど、資格試験目指して、夜学に通いながら昼は工場でバイトしてたんだよ。一緒に工場のフロ入ったらすごいんだよ。夏なんか傷だらけで。どうしたのか聞いたら、ヤクザに、割ったビールビンで腹かき回されたって。ポディビルとか空手やったりして体はたくましいし、勉強もものすごいするんだよ。

現場監督時代に結構ヤクザの嫌がらせを受けたりしたらしいんだけど、現場の交差点の真中にトラック止めてそのまま逃げたりするらしいんだよな。気に食わない現場に日本刀もって殴り込んできたり(笑)。ある日作業員が斬られたんだって、作業員は「もう死んだ」と思ったろうな。そしたらそれが実は峰打ちで、ヤクザのジョークだった(笑)。作業員も色んなヤツがいて、異常に働くヤツがいたらしいんだよ。休み時間も取らずに、なんでかと思ったら便所でシャフ打ってたって(笑)。すぐクビにしたって言ってたけど(笑)。トラックの運ちゃんとかシャブやってるの多いだろ。それでガンガン働いて日本のGNPだいぶあがってると思うけどな。

ソイツのアパートに六、七十のバアさんがいたんだよ。そのバアさんに十歳ぐらい歳下の愛人がいて昼間っからハメ狂うらしいんだな。その声がアバート中響き渡るようなものすごいモンで、再現してくれたんだけど。「ダッメーッ!ダメダメダメ、ダメーッ!」って木造二階のアバートにこだまするんだって、たまにソイツの部屋にも差入れに来たりしたらしいんだよな。老人の性ってのはあるんだよ(笑)。ソイツに聞いたんだけど、漁師ってのは仲間ウチでホモが発覚したりすると海に投げ込まれても文句言えないんだってね。遠洋漁業なんかにずっと出てて、ホモがいたらちょっとな(笑)。軍隊にしても、そういうのがいたら収拾つかなくなっちゃうもんな。

警備員のバイトしてたことがあるんだけと、工務警備の方、トラックの運ちゃんってのはイイ味出してるオヤジが結構いてね。競馬オヤジとか、搬入搬出で待ってる時に話かけてくるんだよ。「にいちゃん、競馬やんないの?」とか。そういうオヤジって言うことがデカイんだよな。「オレは九レースまでで二百万勝ってても次のレースに全部ぶち込む。それが男ってモンよ」とか、結構うたうんだよ。トラックっていっても二トントラックのオヤジだよ。四トンや七トンじゃなくて結職情けねえヤツ(笑)。

現場の休み時間っていうと、みんなで集まって、当然のようにエロ話に花が咲くんだけど(笑)。社員旅行でコンパニオンを呼んだらしいんだよな。コンバニオンってのは望まれればいやらしいことはするけど、膣にだけは入れさせないらしいね。それ以外だったら何してもいいって言われてできる限りのことは全部したっていうオヤジがいたけど(笑)。

 

■突出したヌメリとツヤの持主

大学の友達は結構豪快なのがいたね。高校時代に本屋で万引して、それを売った金でソープばっかり行ってたヤツとかね。ソープ行けるくらいの金額分、いっぺんに万引するんだからハンパじゃないよ。コート着て行ってやるんだけど、全集の端から端まで万引したんじゃねえかっていう(笑)。ソイツは大学時代、傷痍軍人ルポルタージュかなんかやったんだよ。上野のヤツはみんなニセモノだったって(笑)。そういうヤツらと一緒に身障者の差別標語みたいなものを作ってたね。そういう思考ってみんな口には出さなくても持ってるものだろ。それをあえて口に出してみる。みんな笑ってるんだけど、実は心の中で泣いてるんだよな。どん底っていうか、底辺の奥の奥まで堕ちなきゃ、上の世界も視られないんだよ。身をもってドボンと下まで沈まなくちゃ、そういう覚悟がなくちゃいけねえと思う。

「逆さ十文字キリ揉み」っていうへんなオナニーの技を使ってるヤツがいたな。手を交差して、小指でカリをしこくらしいんだけど、あんなので気持ちいいのかね(笑)。鏡を二枚使って、片方に自分のモノを写して、もう片方にそれを反射させて、鏡に写った自分のものをなめるっていうのもあったな。「なめられてるような気持ちになる」って言うんだけど(笑)。

 

■納豆の中にニシキ蛇のうろこの見える朝を迎えて

オレ、喜怒哀楽って言葉が大嫌いなんだよな、人間の感情ってもっと複雑なモンだろ。言葉で表現できない感情もあるはずだよ。普通のマンガでつまんないのは、善いモンと悪モンがステロタイプ化されちゃってるだろ。現実はそんなもんじゃないよな。悪党でも家ではいいオヤジだったり、普良な顔してても、裏じゃとんでもないことやってたりするだろ。そういうマンガばっかり読んでちゃ、想像力の欠如した人間しか生まれないよな。ある一つの事象を見ても、それに対する精神のリアクションってのは無限にあるだろ。いいオンナを見れば、純粋に「ああ、キレイだな」と思う半面「ねえちゃん、一発やらせろよ」って考えも起こるもんだよな。それはどっちが正しくてどっちが悪いってモンじゃなくて、両方とも真実なんだよ。

エロ本とかエロビデオが性犯罪を助長するとか言うヤツがいるだろ。あんなの絶対嘘だよな。そんなものがなくたってやるヤツはやるよ。逆にそういうモノでズリセンかけば、とりあえずその場は収まるだろ。「裏のネエちゃん犯してやる」って計画立てて、「やるっていってもいきなり入口の所で出しちゃ悪いから、一発抜いてから行こう」と思って一発出せばその場は収まっちゃうんだよ、「ああ、オレは何を考えていたんだ」って(笑)。

アメリカなんかでよく猟奇的な事件が起こったりするだろ、地下室に何年も開じ込められたり、そういう事件を聞くと、今、全米でどのくらいの人間が監禁されてるのかとか考えるよな。実は日本にもいるんだろうな、いたる所に何か感じるんだよ。解るんだよオレには、

頭ン中が時々ラジオになるんだよな、周囲数キロ四方の音がいっぺんに聞こえることがあンだよ。三浦百恵を襲ったヤツがいたろ。アレも聞こえたな、電波が来るんだよ、「神の声が聞こえる」って教祖になるようなヤツもいるけどな(笑)。聞こえてくることを真に受けてるとそうなるンだよ。聞こえること自体は必ずしも狂ってるとは言えねえと思う。でも、それに耳貸す様になったら、オシマイ。キチガイになるんだ。

オレの所にも色ンな奴から来るけど、オレは相手にしないね、前どっかで浮浪者が小学生殺した事件があったろ。「水道の蛇口ひねったら命令が来た」って、全然不思議じゃねえもの、オレにすればP・K・ディックっていただろ。SF小説家の。アレもヘンな声がよく聞こえたりしたらしいけど、やっぱり幼児期に虐待を受けてたんだ。

 

■名も知らぬ花の香りの行方

二十五、六歳になった頃、欲とか、悪への指向性みたいなものが一気に失せちゃったんだよな。「もうやってられねえや」と思って。サルじゃねえんだから、早くスケベオヤジになりたいね。女子社員のケツを自然に触れるような。こないだセクハラで訴えられた熊本市議かなんかいただろ、胸まさぐった。ちょっと打たれるモノがあるよ。

誰にも話したことなかったんだけど、昭和天皇崩御された時、実はオレの夢枕に立たれたことがあったんだよ。で「私のことを思いやるように他人にも接しない」って仰って涙が出たね。実際そうなんだよ、皇太子と雅子さんの報道見てもすごいだろ。みんな気を使ってよ。特定の個人にそれだけ気を使うんだから、他人にもそれだけ気を使って碁らせば、世の中もっと争いは減るはずだよな。あんまり恐れ多い話だから今まで人に言えなかったんだけど。でもホントそうだよ。思い出すだけで衿を正したくなるね。その時はさすがに、しばらく復讐も忘れようかと思った程だったから(笑)。それから多少、落ち着いたところはあるね。だから、ホントに他人の立場になってモノ考えれば、世の中の争いことはなくなるはずなんだよ。それはみんなに分かって欲しいね。

何しろ俺みたいなちょっとした恨みを十年二十年単位で復讐しようなんているんだからね、充分想像力を働かせて欲しいな。結局想像力が働かないと目の前の現実に百%占領されちまうんだよ。現実を変革するのは一重に想像力の力にかかってるってワケさ。

■1993年8月9日・新宿滝沢にて