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雑誌周辺文化研究互助

幻の漫画雑誌『Peke』休刊のお知らせ(Peke 1979年2月号 編集後記)

幻の漫画雑誌『Peke』


1978年晩夏から1979年初頭まで半年間だけあった漫画誌『Peke』(みのり書房)。廃刊号では『COM』を大特集しながら自らも幻の雑誌となった。

全国のマンガファン諾君! とりわけペケに結集する戦斗的愛読者諸君!! 今や70年代を終わろうとするに当たって、我々は諸君に対し、熱い友情と連帯のメッセージを送りたいと考える!!

──追悼の文章は、やはりこう始めるべきであろう。

「プリティ・プリティ」がつぶれ、続いて、三流SF誌、「ペケ」が今、つぶれようとしている。「ガロ」は相変わらず、気息奄奄だし、売れた! といわれる「JUN」だってコミック感としては、果たしてどうなのか怪しまれている。「COM」の廃刊に始まる70年代は、その「COM」つぶしの張本人と噂の高い西崎義展の「ヤマト」によって幕を降ろそうとしている。

青年劇画は、その後退戦を三流エロ劇画のゲットーのなかて果敢に戦っているが、今や警視庁が正面切って介入を開始した。

これはどういうことなのか70年代初頭、垣間見えた、「ぼくら」のまんがの敗北につく敗北の過程ではないのか!?「ペケ」の編集者は若い。「COM」世代の人間である。「マガジン」「ジャンプ」「チャンピオン」の既成まんがにあき足らず、一定の枠の内とはいえ、「ペケ」は自ら信じるまんがを求めて動いていたはずだ。「プリティ・プリティ」にしても、編集の意図はどうあれ、作家たちは、同人誌の隆盛という状況を反映して選ばれていただろう。その二誌がつぶれた!

まんがはクラス・マガジンを拒否したのである。このことを再度確認しておく。三流SF誌「ペケ」は、まんがにおける「奇想天外」「SFマガジン」の位置を占めようとした。だが、売れなかった。作家のせい、作品のせいとはあえて云うまい。現実の発行部数は、最低限は維持していたのだから。まんがの状況そのもの=まんがに対する資本の要求が、少数読者対象のアソビをゆるさなかったのだ。「ペケ」は、何よりも、百万二百万と回らなければまんが雑誌てないような現在の状況への突出としてあった。二万でも三万でもまんがであることを突きつけようとした。「ペケ」の価値はそこにしかない。それが敗れた。

我々はそれをこう総括しなければならない。それはCOMの縮少された再現であったと。「ぼくら」のまんがの再度の敗北であったと。

今日、まんが状況は、二つの頂点によって形成されている。(松田さんゴメンナサイ)

一方の極に樹村みのりをたてる。もう一方にさいとうたかををたてる。

樹村みのりとは、時代を生きていく一人の人間としての「生きて在る」ことへの様々な想いを、「問いかけ」として描き続ける作家である。その下に、萩尾望都以下の少女まんがの革新者たちが続く。少女まんがはぼくらの「生」をその基底におくことで変化した。

あえて云えば、少女まんがの70年代とは、貸本まんがの再来であり、青年まんがの内的なゲリラ戦であった。

少女まんがの裾野(火山灰の裾野)はさらに拡がり、同人誌を突き破り、三流エロ劇画へと潜っていく。

三流エロ劇画に「想い」はきれいすぎることばかもしれない。だが、ひたすらエロに走る彼らの営為は、決して娯楽に解消されることはない筈だ。エロを求めさせる、欲望もまた、ギリギリに押しつめられた「生」のエネルギーの別名ではないか。幻想とは、きれいであるとは限らない。三流エロ劇画の、女体ののたうちに、とびちる愛液にこそ女への怨みにも似たドロドロとした叫びをきくことができよう。それもまた想いだ。

少女まんがにおいて、読者は、描き込まれたものの中に作者を見つけ出す。一人の人間を見つけ出す。共感し、連帯する。三流劇画も同じだ。個としての作者はいない。だが、エロを求め、エロへと走らせる乾いた情念の存在を、しっかりとつかみとる。作品の中に、明らかに人間が生きていると感じることで、樹村みのり──三流劇画のラインは貫かれる。それは現実への否定的な契機であり、まんがに内包されていた、拒否の叫びである。

否定されるものとして、まんががその発生から備えていた対抗世界としての盾を、このラインは様々な形て突きつけてくる。まんがを描くこと自体が、現実への反対の表明であり、この現実にいつまでも語られてはいまい、という意志の宣言であった。

我々がまんがを選びとったということは、まんがが我々を育くんできた歴史の他に、我々がまんがを育くんできたのだ、という自負もある。70年、COMに、少女まんがに青年まんがに、その選択の跡は、くっきりと残されている。「巨人の星」の攻勢にもめげず、我々は「あしたのジョー」を、数々のものとして選びとった。救いあげたといってもいい。我々は、個が作品の中に入った時、それが擬制へと堕すると、直観的に知っていただろう。我々が求めていたのは、分析でも、告発でもなく、我々が生きのびていくための根拠であり、共に在ることの、確認であった。

それが、運動としてのまんがである。表現としてのまんがである。表現とは、個の内部の表白ではない。永島慎二にもはや用はない。

我々の表現とは、我々は、我々のものとしてのまんがにこだわりつづけることの表明でしかない。まんがが、不気味に動き続けるものであり、マネによって簡単に手に入るものであり、作家と読者がぎわめて近く、共に在るものである限り、まんががまんがである限り、我々はこだわり続ける。互いにそのことを確認し合い、読みとりあうことでまんがは成立してきた。

だが、一方で、まんがはマスプロダクションでもある。「想い」というごく私的なものが、まさしくマスプロダクションの内部に息づいてしまうこと、これがまんがの頂点でもあるだろう。音楽が、映画が似たようなことをする。しかし、まんが程には、それらのメディアが、受け手の内部に多様な反響をひびかせることはない。作品が作品であることを超え出て、受け手内部に確固たる世界を形成することはない。まんがは、作品でとどまりはしない。受け手の想像力が作品を媒介に、そのまわりに、種々雑多な神話的体系を生み出していくのだ。まんがは受け継がれていく。肯定と否定の交互にくり返される律動の中に、現実への反逆を培っていく。まんがの面白さとは、そこなのだ。

マスプロダクションのまんがを支配するのは、だが、こうしたまんがではない。さいとうたかおを頂点とするビッグコミック以下、多数の二流三流劇画誌、少年誌、少女誌の主流といわれる作品群。「一般性、娯楽性」を軸とするエンターテイメントのまんがは、そんな私的な思い入れは排除してある。現在、それはますます強化され、80年代に向けての主流になろうとしている。安定した技量、明確な物語、肯定しやすい世界観、“のたり松太郎”は確かに面白い。“浮浪雲”に感じ入ることもあるだろう。だが、あえて云えば、そうしたものの面白さを肯定するとは、現実を仕方のないものとして引き受けてしまうことでしかない。

SFまんがが、今日、きわめて重要な位置を占めねばならないのは、SFこそが、私的な想いを宇宙へととびたたせ、広大な時空への想いと結合させて、その巨大なゲームの視野から現実をうつからだ。個の想いを世界へと展開させた一つの例として手塚治虫がまんがにとって巨大な意味を持つのも、手塚治虫ただ一人が、まんがを、私的時空連続体としての力を充分知った上で、造りあげているからだ。松本零士と異なり、我々は手塚治虫に「個」を見ることはない。人間の息吹を感じることはない。ひたすら、「個」をのみ込み、拡がっていく巨大な誘惑としての世界があるばかりだ。

手塚治虫は例でしかない。まんがとは、我々にとって動いていくもの、激しく変化していくもの、常に否定するものであり、現実にNON!をつきつけるものである。それが、商業資本のただ中にあるからこそまんがはまんがなのだ。

つめる!(いい気分ですネ! 中島さん!)

今やまんがの戦場は商業誌へと戻らねばならない。まんがをついに捉えきれなかった齋藤次郎は、“だっくす”78年12月号て敗北宣言を出した。放っておけばよい。勝手に「弓子」や「みのり」をもてあそばせておけ! 重要なのは、同じく“だっくす”の中島梓だ。まさしく、まんが読者は、現在共闘を迫られているのだ! その共闘の軸に“だっくす”がなれるはずのないことは、斎藤次郎に対して、何の表明もしないことで明白だ。マニア向けにターゲットをしぼり、マニア向けの”情報”で作家の人気に寄りかかって売ろうとする“だっくす”に何がやれるというはずはない。

共闘の軸はない。そのことをはっきり知った上で、我々は危機の時代へと臨まねばならぬ。状況を見すえ、戦略をたて、まんがを、我々のまんがを断固として打ち進めねばならない。

読者諸君! まんがは、資本の論理によって支配されていることを忘れるな! まんがを擁護するとは、資本の論理の内部から、それを打ち果てさせること以外にない!

24年組を断固支持せよ!

三流エロ劇画を読み続けよ

評論家共をブチノメセ!!

まんがをまんがとして、求め続けよ!!

紙数がつきた。我々がまんがをあくまでも求め続ける限り、まんがを読みぬく限り、「ペケ」は幻になることはない。

さらば「ペケ」

その墓碑銘は、まんがへの戰いによって刻まれるのだ!!!

By バイ・バーディ

 

編集後記(川本耕次

☆今年の冬は寒くて長くなりそうな冬です。

大予言。これから漫画界は低迷期をむかえます。「出せば売れる」我が世の春をうたっていた少女漫画界も、萩尾・竹宮を喰いツブした後の新人がロクでもない連中ばかりでは維持できないだろうし、例によってマイナー作家の松本零士しかスターのいない少年漫画界では、ジャンプ以外には面白い雑誌はないし、三流劇画は清水おさむ次第でしょう。ガンバレ清水おさむ! 石井隆を越えられるのはキミだけだ!

☆PEKEは、そうした低迷期をむかえる漫画界に対するインパクト雑誌になれるはずだった──ということだけは最後に言っておきましょう。

さべあのまは少女漫画の世界を変えうる実力と魅力を持っているし、ああいう作家を見過ごしてきた漫画界はバカだ!としか言いようがないし、他の作家についても同じです。

☆リトルプリテンダーというロ●ータポルノの写真集がでてます。1●才くらいの少女が一糸まとわず、ワ●メちゃんさえむき出して…早く発禁になれ! 悪い子のロリコンマニアの男の子たちへ、おすすめ品です。ミリオン出版。千円。しかし世紀末ですなあ……。

☆いろいろ事情がありまして、みのり書房からさよならする予定てす。僕の寒くて長い冬がはじまります。そのうち読者の方とどこかの街角で出逢う事もあるでしょう。

☆近いうちに身銭をはたいてさべあのまの単行本を作ります。PEKEが送り出した唯一の新人。漫画界を変革しうる大型作家。「漫画新批評大系」という雑誌で連載もはじめるし、(5号、173ページ参照)彼女はますますがんばってくれるでしょう。OUTやだっくすに広告を出す予定でおりますので、出たら買って下さい。全作品未発表作です。(わっはは! 宣伝してもた)

☆というわけで、読者のみなさん、PEKEを買い続けてくれてありがとう。まだまだやり残した事はいっぱいあるような気もしますが、また言い足りない事もあるような気もするのですが、とりあえずはさようなら。これからはOUTをせっせと買ってやって下さい。何はともあれ、PEKEはこれで終りです。奇想天外のように復刊したり、幻想と怪奇のように復刊を予定して出なかったりする事はなく、おそらくもう二度と出る事はないでしょう。

…………さようなら。川本耕次

☆冷たい雨が降っています。冬の雨はつらい。濡れないですむならそれが一番いいけれど、今の僕はかなりぐっしょりと濡れているみたいだ。

人生を第三者としての立場で見るならば、一方でひとりの人間が勝ち、ひとりの人間が負ける、その一瞬が一番、面白い。残酷な言い方だけど面白いと言う。僕がスポーツ。その中でも、とりわけボクシングが好きなのも敗者と勝者、光と影のおりなす風景が僕自身の内部を写しだしてくれるからだ。ボクサーにとって勝つことは宿命。呆けた表情を浮かべてキャンバスに沈んて行く男を目にするたびにそう思う。負けた惨めさを償えるのは勝つことだけだ。女でもなく酒でもない。ひたすらカをたくわえることだ。ワンツーストレートの当て方。ウィーピング。ダッキング。軽ろやかなフットワーク。強靱な肉体。……。そして待つのだ。そうしたら、いつかきっと狙いすましたカウンターパンチが当ることだってある。

☆読者の皆さんには申し訳ないんだけど、6冊のペケを創ってくれた人達にこの場を借りてお礼を言いたいと思います。

関先生、どうも御苦労様、また麻雀やりましょう。

桑田先生、いつかお話して下さった先生のライフワークの完成お待ちしてます。

坂口先生、もっとたくさん漫画書いて下さい。

さべあさん、僕はあなたのファンです。

竹中先生、来年は先生の時代です。

日野先生、Bun(ブン)でガンバッテ下さい。

野口君、絵はもっとゆっくり書くように、絵を早く書く人とプロレスを八百長だという人は信用できないのだ。

吾妻先生、ロリコン少年の劣情をさらに刺激して下さい

いしかわ先生、ドラゴンは僕のヒーローです。

えびな先生、大学は卒業したのですか。

ひお先生、OUTでまた特集やります。

牧村先生、なかよしの漫画家さんを紹介して下さい。

絵でいえば佐藤まり子先生が好きてす。

めるちゃん、官能劇画の表紙書いて下さい。

それから、迷宮‘78の人達、深光君に水谷さん、いしいひさいち先生、柳沢健二先生、柳村亜樹先生、飯田耕一郎先生

どうもありがとうございました。そして何よりもペケを愛読して下さった読者の皆さんどうもありがとう。(一億人のお友達大山金太)

♡ペケ最終号記念プレゼント

スター☆シマックの関あきら先生の提供により、ペケも最終号にして、やっと大々的に読者プレゼントを実施します。内容はティーム・コスモカ・プロダクツ発行の『SOl』3をな、なんと50冊。関先生のサイン入り、シマックポスターを5名様にドカン、ドカンとパラッ、パラッとプレゼントしちゃうのだ。応募要領はペケ最終号で良かったもの三つとどうしようもなかったものを書いて、東京都文京区湯島1-10-4○○ビル2Fペケ残務整理ソルOrシマック係まで送って下さい。郵便番号は一一三です。

 

JUNEとPeke(米沢嘉博

最初の二年間ほどのコミケットの盛り上りと成長は、萩尾、竹宮、大島などの花の24年組少女マンガのブームと重なった為だった。古いタイプ、つまり『COM』世代の創作は退潮傾向にあり、少女マンガが圧到的に強かった時代だ。それに拍車をかけたのが、『漫画新批評大系』連載のホモパロディ巨編『ポルの一族』、ヘトガー・マラン・ジンガルベル・マホービンが折りなす狂気の変態世界は、少女たちを熱狂させ、ホモ・パロディを続出させることになる。また、コミケットを中心に、アニメ、少女マンガ、ロック、絵画、SF等に影響を受けた新しい感性の描き手達も登場していた。さべあのまめるへんめーかー高野文子高橋葉介柴門ふみ湯田伸子、etc。つまり、ようやっと、コミケットという場はプロダムとは違った世界を展開し始めようとしていたのだ。そして、それをすくいあげようという若い編集者も出てきていた。マルイの頃から集会に参加していた佐川氏、板橋あたりからスタッフとなっていた川本耕次氏。佐川氏は、半年かかって社長をくどきおとし、新雑誌創刊にこぎつける。なにしろ、毎朝毎朝、社長の机の上に新しい同人誌を置いての攻勢だったらしい。新雑誌は、美少年をテーマにした『JUN』。やがてタイトルは『JUNE』に変更となる。川本氏は、三流劇画特集の取材時のコネを生かしてみのり書房に入社し、どういう甘言をろうしたのか、マンガ雑誌をまもなく創刊させることになる。三流SFマンガ誌『Peke』がそれだ。共に78年の夏のことだ。同時期には『プリティプリティ』『はーい』が創刊されており『奇想天外』の“SFマンガ特集号”も出ていた。時代がそういった波にのりつつあったのかもしれない。つまり、メディアのニューウェーブだ。この二誌は半年ほどで休刊となり、いわゆる“ぼくらのマンガ”は敗退することになるのだが、それから数年後『JUNE』は復活し、『Peke』も『コミックアゲイン』と名を変え再生、ニューウェーブ・ブームを巻き起していく。

コミックマーケット準備会『コミックマーケット30’sファイル青林工藝舎 2005年7月 90頁(初出:米沢嘉博「夢の記憶 記憶の夢─コミケット私史─」の中「JUNEとPEKE」『コミケット年鑑'84』コミケット準備会 1985年8月 148頁)

三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンス・ニューウェーヴが残したもの(1982年時点から見たニューウェーブ漫画の黄昏)

月刊『宝島』臨時増刊号『マンガ宝島』JICC出版局 1982年2月

三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンスが残したもの―『アリス』『エロジェニカ』『大快楽』はニューウェーブを起用した

北崎正人

劇画アリス』『漫画エロジェニカ』が78年三流劇画ブームを荷なった劇画誌である。三流劇画誌の中で他のエロ劇画誌とこの2誌は、違った点があった。『劇画アリス』は表2で編集長自ら写真を掲載し、「劇画に愛を」などと、強烈なアピールをする点がそうであり、『エロジェニカ』は、『ガロ』のみで有名だった川崎ゆきおを起用する点である。この2つが、凡百のエロ劇画誌の中から、この2誌を、マンガマニアが注目することになった遠因で、あろう。『劇画アリス』の若い編集長の写真は、〈エロ劇画誌というものは、スケベな中年男が、スケベな変態マンガ家に描かせてつくっているものだ〉という、誤まったイメージを一掃するのに役立ち、『エロジェニカ』が川崎ゆきおを起用したことは、エロ劇画だけではなく、『ガロ』というマイナーな、マンガ誌に理解のある編集者もいるというマンガ・ファンにはうれしい事件であったのである。

マンガ・マニア「迷宮」が発行する『漫画新批評大系』で、三流劇画の特集が組まれたのは、77年のことである。やがで、その「迷宮」の司会によって『漫画エロジェニカ』『劇画アリス』『官能劇画』の編集長座談会が78年春『プレイガイドジャーナル』に掲載されることになった。いわゆる〈三流劇画ムーブメント〉は、この座談会を契機として始まった。

今、考えると〈三流劇画ムーブメント〉とは、日陰の存在であったエロ劇画にスポットライトを浴びせるマスコミ戦略のことを指していたといっていいだろう。言葉を変えれば、マンガ界のゲットーに市民権を与えることである。そして、〈三流劇画ムーブメント〉はそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもなかった。まして、「劇画全共闘」などという愚かなレッテルは、誰がいったかは知らないが、ただの錯覚に過ぎなかったのである。

『報知新聞』が『劇画アリス』をとりあげ『日刊ゲンダイ』『夕刊フジ』が『漫画エロジェニカ』をとりあげその後78年9月に『11PM』が三流劇画の特集を組んだ。そして、『11PM』に出演したエロ劇画家4名のうち、中島史雄小多魔若史清水おさむ3名までが、『エロジェニカ』の執筆者であったことと、編集者の発言が、当局を刺激したために『エロジェニカ』は、ダーティ松本以下5名の作品によって78年、11月号が劇画史上初の発禁の栄誉を荷なうことになったのである。

また『別冊新評』が、当時、最も人気の高かったエロ劇画家「石井隆の世界」を出版し、続いて、79年初春に、「三流劇画の世界」を出版した。〈三流劇画ムーブメント〉は、ここで終止符をうったといってよい。

エロ劇画誌の中で突出した『漫画エロジェニカ』は、その後、いしかわじゅんを起用し「愛国」を掲載し、『劇画アリス』は吾妻ひでお起用し、「不条理日記」を連載する。この頃より、2誌は、エロ劇画誌というよりも、ニューウェーブといわれる作家に執筆を依頼することが多くなっていくのである。

それは、エロ劇画誌の中で『アリス』『エロジェニカ』とセットで〈御三家〉と呼ばれたもう一誌の『大快楽』が、ニューウェーブと呼ばれた、ひさうちみちお宮西計三平口広美を起用し、79年に名作を掲載する頃と一致した時期であった。『劇画アリス』は編集長が交代し、奧平イラ、まついなつきを起用し、『エロジェニカ』は、柴門ふみ鵠沼かを、まっいなつき、山田双葉を起用していくのである。

〈三流劇画ムーブメント〉の頃から、吾妻ひでおいしかわじゅん、その他ニューウェーブ系の作家たちが名作を生む時期までを総称して〈エロ劇画ルネッサンスと呼ぶ。

この3誌がニューウェーブ系の作家を起用する背景には、『大快楽』が『ガロ』の新人に注目した点と、『アリス』の編集に「迷宮」のメンバーが参画した点、『エロジェニカ』が、少年誌『ペケ』(『コミックアゲイン』)と交流があった点があげられるだろう。この3誌ともが、エロ劇画は、エロ劇画家が描けばよいという凡百のエロ劇画誌の持つ固定観念から自由な編集方針を持っていたのである。

劇画アリス』はまた、SF、ロックに理解があったために、平岡正明の他、鏡明征木高司などのコラムを掲載していた。

『エロジェニカ』は少女マンガに理解があったために、少女マンガ論を掲載し、マンガ作品に美少女路線をしき、ロリコン・ブームの先駆ともなっていた。コラムも、プロレス論(流山児祥)、SF論(岸田理生)、ロック論(平井玄)と、なかなかユニークなものであった。

その『エロジェニカ』と『大快楽』がケンカを始めたのが79年の秋のことである。流山児祥が『大快楽』の板坂剛を路上でKOするまでに論争はエスカレートするのであるが、これは、元全共闘とインチキ全共闘の戦いという60年代末期の香りがするいさましいものでもあった。そして、『劇画アリス』の元編集者が、やはりインチキ全共闘だと路呈するオマケまでついたのである。

『エロジェニカ』と『大快楽』の対立は、マニアの間では、少女マンガに理解のある『COM』派と、劇画主流の『ガロ』派の宿命の対決と呼ばれましたが、本当は、『大快楽』の冗談の度が過ぎたための偶発だったのだろう。

79年(引用者注:正確には80年)劇画アリス』は休刊となり、80年に『大快楽』の編集者は退社し、『エロニェニカ』は出版社がつぶれ、3誌の輝ける時期は終った。

そしてエロ劇画誌はエロ劇画家とニューウェーブ系のマンガ家が並んでかくことはなくなり、ロリコンの星内山亜紀谷口敬たちがどこまで名作を生むかを除いて、再び活気を喪いつつある。

エロ劇画ルネッサンスの名作は、その後、ブロンズ社、けいせい出版、久保書店などの単行本に収録されているが、当時の3誌は今では幻になってしまったのである。


ニューコミック派宣言 ニューウェーブ”から“ロリコン” “中道定着路線”、そして“ニューコミック”へ…

村上知彦

ニューウェーヴ」とは何だったのだろう。名付けられたブームのひとつにすぎなかったのか、それとも、やはり何事かが始まりつつあったのだろうか。

ぼくは今「ニューウェーブ」について、過去形で語っている。「二ューウェーブ」という言葉で語れるものについては、もはや過ぎ去った出来事のようにぼくは感じている。青年まんがと少女まんがと同人誌の結合として始まった「ニューウェーブ」は、それが少年まんがを欠落させていたゆえに、結局はメジャー雑誌の再編過程のなかに、個々の作家が召換されてゆくという結果を迎えており「漫金超」や「マンガ奇想天外」といった、時代を象徴する雑誌を生みはしたが、それらももはや創刊当初のようなインパクトはない。“波”は、たしかに去ったのだ。

ブームとしての「ニューウェーブ」は、すでに「ロリコン」へとその姿を変えている。その中にも、「ニューウェーブ」の影響は、たしかに流れこんでいるものの、それはすでに総体として質的な変化をとげてしまっているものだ。

「二ューウェーブ」とは、波であり流れであった。とすれば、それが向かっている方向こそが問題であったのだ。うねりの大小は、たかだか一時的な現象にすぎない。その波がいったいどこへ向かうのか、果たしてたどり着くことが可能なのか、そのためには何を、どうすればよいのか、それだけをほくらは問題にすべきだったのだ。

現状を分析する。1981年は分裂の年だった。まんが専門誌「ぱふ」の1ヵ月にわたる休刊と、そこからの「ふゅーじょんぷろだくと」の分裂。批評同人誌「漫画新批評大系」の80年2月発行14号から、81年12月発行15号まで一年間の空白と、その発行母体“迷宮”のメンバーが主要に担っていた同人誌即売会“コミック・マーケット”の分裂。その間、批評をもっぱら担っていたのは、ほとんど「マンガ奇想天外」1誌という有様だったが、その「マンガ奇想天外」も、SF誌「奇想天外」の休刊で奇想天外社危機説がささやかれる中、前途は決して明るくないし、「漫金超」は年4回発行を達成できないまま、部数が伸び悩んでいる状態だ。そこへ一周遅れで「マンガ宝島」が一参戦するわけだが、状況は大差ないだろうというのが率直な予想だ。

一方、78年末あたりで出揃ったメジャー系の「ニューウェーブ色」の強い新雑誌群も、模索期を終えてほぼ自らの位置を見定めた。その位置を一言で言ってしまえば、中道定着路線”である。「ニューウェーブ」でも人気のないものにはさっさと見切りをつけ、人気のあるものは、正面に押し出して売ってゆく。そして大半は、既成の作家、作品で埋めてゆくという方向である。ここでは「ニューウェーブ」は「ちょっと格好のいいキャッチフレーズ」といった扱いを受けている。「ギャルズコミック」「ヤングマガジン」「少年少女SFマンガ競作大全集」が生き残り、「ポップコーン」が「ジャストコミック」に変わり、「カスタムコミック」が縮小、「アクションデラックス」「ビッグゴールド」が撤退して行った経緯に、それは如実に現れている。「プチフラワー」が頑張っているのが不思議なくらいだ。

それらメジャーの「中道定着路線」に対し「ニューウェーブ」は何ら有効な対処ができなかった。阻止することはできなくても、利用することぐらいはできたはずである。メジャーに対する一定程度の影響力、発言力を保持することで、一種の二重権力状態をつくりだすひとつのチャンスを、ぼくらは逸してしまったのだ。その結果その後の旧雑誌の露骨な右寄り再編と、かっての「ニューウェーブ」がそれに、意識的と無意識的とにかかわらず、協力されられてゆくさまを、手をこまねいて見ているしかなくなってしまったのである。

ロリコン」ブームは、エロ劇画、少女まんが、アニメ、同人誌などの要素が混然一体となった、「ニューウェーブ色」の強いブームである。本来ならば、三流劇画が領導し、同人誌が補完して、他の全ジャンルに影響を及ぼしていたかもしれないブームである。それが結局のところ、あだち克(原文ママ)作品の売り上げに奉仕させられている。

あるいは、集英社鳥山明の「Dr.スランプ」を森永と原発のCMに売り渡すのを、ほくらはちょっとしたら、阻止できていたかもしれないと思うと、悔しさはかくせない。チャンネルゼロでは、今、いしいひさいちをモデルケースに、キャラクターの自主管理を考えているところだ。うまくいけば、他の作家にも声をかけようと思っている。すでに後手に回っている感はなきにしもあらずだが、手をこまねいているわけにはいかないのだ。

『波』は去った。残されたものは何か。幾人かの作家と、向かうべき方向への確信。とりあえず控えめに、それだけを言っておこうと思う。

大友克洋高野文子ひさうちみちお宮西計三吾妻ひでお高橋葉介さべあのま柴門ふみ近藤ようこ高橋留美子吉田秋生森脇真末味川崎ゆきおいしいひさいち、その他何人かの作家たち。彼らが示したのは、まんがは変わることができるという事実だった。それも、個々の作品ばかりではなく、誌者、出版、すべてを含めた状況全体として、まだまだまんがは変わらねばならないし、未知へ向って踏みだしつづけねばならないのだ。

再び現れようとしている亡霊、既知を粉砕せよ!

“波は去った。ひきしおに流されず、ふみとどまること。

その先に「ニューコミック」はみえるか?

米沢嘉博「ロリコンブームに物もうす──そりゃカワイイ女の子は好きさ。でも、ちょっと考えてくれ──ファッションとしてのロリコンなんて歪んでると思わないか」(月刊OUT 1982年4月号)

隆盛するロリコンブーム(二次元コンプレックス)に警鐘を鳴らす故・米沢嘉博の記事。最下段にそれまでの流れも概説。


 
ロリコンブームに物もうす by 米沢嘉博

みのり書房月刊OUT』1982年4月号

今、世の中はロリコンブームの絶頂期。そして、マスコミはこのロリコンブームに乗じていろいろ考えているらしい。しかし、ちょっと待て、ロリコンが大手を振って歩き始めるなんておかしんじゃないか、と米沢嘉博氏。

世にロリコンと病気を広めた人と言われる米沢氏が今度はゆがんだ方向に走りつつある今のブームの姿勢を問う!

 

美少女キャラはうれしいが

少女マンガに少女が出てくるのは当たり前だと思うし、少年マンガでも、ほとんど少年が主人公だから、相手役として少女が出てくるのが当然。もちろん、アニメだってほとんどが子供向きに作られてるから、少年少女が主人公であることは、まったく当然なわけだ。つまり、マンガとかアニメとかは、誰がなんと言おうと、少年・少女の世界なのだ。

どうしたって、アニメやマンガでは少年・少女が中心となる。で、その少年や少女は魅力的であるにこしたことはない。いやいや、パロティでもなければ、ヒーロー、ヒロインはできるだけたくさんの人間が魅力的と思う像で創ろうとするだろう。こうして、アニメやマンガには、カッコいい魅力的ヒーローがあふれるわけだし、ヒロインはかわいく美しく描かれるというわけだ。なんの話かって? 要するにマンガやアニメの中にかわいい自分好みの女の子像を発見することはたやすいってこと。同じく、理想のヒーロー像を見つけることもたやすい。現実に目を向けてみりゃ、それはものすごく難しいだろう。周囲を見回しゃブスにブ男。だったらマンガやアニメの中の、理想的二次元の恋人に目を向けてた方が精神衛生上いいのかもしれない。

少女マンガが魅力的少年を主人公に描きだした方が早かったようだけど、少年マンガも魅力的少女を前面に押しだしてきた。女の子が、オスカーとかジルベールと言いだしゃ、男の子だって負けてはいられない。というわけで少年マンガの美少女達ってのか注目されはじめたんだ。パンチラのいずみちやんとか「翔んだカップル」のケイちゃんとかがはしりだろう。

そんで、マンガの美少女見てカワイイーとか言ってたんだけど、これにくっついたのが「ロリコン」って言葉。中年男が幼い少女に魅了されてしまう「ロリータ・コンプレックス」とは全く違う意味で、「ロリコン」は動き始めちゃったようだ。マンガやアニメの中の美少女を「カワイイー」って言うたけで「おまえはロリコンだ!」と言われるようになってしまった。

だって、マンガとかアニメに描かれてるカワイイ少女ってのは、カワイクみんなに愛されるように描こうって意図で描かれてるんだから、それをたくさんの人間が「カワイイー」と思うってのは、作者の狙いがあたっただけであって、ケッコーとしか言えないような気がする。作者が「かあいいんだん」と思って描いた女の子を、みんながかわいいと思ったら、それは作者の力量や波長であって、読者のせいでもなんでもない。

かわいい女の子見てるのは気持ちいいし、マンガやアニメでもかわいく思える美少女が出てれば、そりゃうれしい。別にそういった傾向は歓迎されこそすれ、悪いことは全くない。女の子の絵姿やキャラクター作りに創り手が力を入れることは正しいと思う。

でも、それに身も心も入れこんでしまうとか、ロリコン遊びに熱中してしまうのは、ちいっとばかり問題かもしれない。なぜなら、しょせん、彼女達は作品の中でしか生きていないのだから。それもかろうじてである。

 

疑似体験を重くするなんて

で、問題があるとしたら、たぶん作品の読み方や読まれ方かもしれないと思うのだ。あるいは、それはマンガやアニメにとどまらぬ世界の読み方、読まれ方まで広がる読者の、認識、生き方の問題かもしれない。

マンガやアニメってなんだろう。ジャーナリスティックに言やあ、大衆工ンターテインメントってことになるだろうけど、それじゃ何も言ったことにならない。ぼくらにとって、いや、読者にとってマンガやアニメってなんだろう? このへんから始めるべきだろう。

それはどんなにしたって、疑似世界でありフィクション(創り物)である。いかに現実を写し、リアルに事を進めようとし、どのように感動しその世界にひたり込もうと、現実には何処にもない虚構の世界である。

マンガやアニメを見ることによってほくらが味わう体験は、疑似体験でしかない。その昂奮や感動、笑いは紙やブラウン管の上にのみ存在する異世界の中だけのものなんだ。フィクションってのは、もともとそういうものだった。創りあげられた世界の中で、主人公に感情移入して、冒険や闘いや恋を楽しみ、共感し感動する。

それは、生きていくことが大事であるというあんまし面白くもない日常の中に居る者にとって、しばし日常を忘れ別の世界に生きる楽しみを与えたわけだ。大衆エンターテインメントと呼ばれるものは、みんなこうした要素を持っている。気分をリフレッシュさせ今一度日常の中で生きていこうとするためにフィクションは力を持っていた。

もちろんそれだけじゃない。今ある世界を別の目で眺めるためにも、異世界体験ってのは力を持っている。ユートピアをフィクションで体験したら、その後自分の住む現実の姿みたいなものを考え始めるだろうし、生き地獄を見たら、こういう世界には住みたくないと思うだろう。

銀幕の美しい恋人達に溜息をついたら、そんな恋にあこがれるだろう。が、いかに日常的な世界で話が展開しようと、リアルなディテールが備わっていようと、創り物の世界であることはまちがいない。だって、送り出す方ってのは、受け手を感動させ昂奮させ、魅了させるための「物」を創りだしているのだからだ。

そんなことはわかってるって? でも、なんかいつの間にかフィクションの疑似体験と本当の体験ってのの重みの差がなくなりつつあるような気がするんだ。フィクションの感動を自分の物にするのはいいんだけれど、その感動や気持ち良さの方をつい優先させようとしているような気がしてしまう。

ここで最初の方に話は戻るんだけど、つまり同じことで、フィクションの中の少年や少女の方が、かわいくってカッコ良くって気持ちいいからって、そっちの方を大事にしすぎるのは、やばいかもしれないってこと。

そりゃあ、女の子はカワイイ方かいいし、気持ちのいいことの方が好きなのも当然だし、感動し昂奮できる体験の方がステキだってことはわかってる。けど、体で感じるのと頭でわかるのって、同じ次元で比べるものじゃないと思う。フィジカル、フィジカル……って歌い出すつもりはないけど、アニメやマンガの体験は疑似体験であり、そこに描かれてるキャラクターは何処にもいないってことは、言うまでもないフィクションを楽しむための大前提だろう。

世の中には暗い人と明るい人しかいないそうだけれど、暗いってのは、重い、難しい、しんどいってのも含まれてるようだ。で、明るいというのは、「あ、軽い」のことらしい。──なんのことはない。これすなわち、現実とフィクションの関係そのものなんだ。日常は暗くって、疑似体験は明るい。もしかしたら、そんなのわかってるかもしれない。

けど、フィクション世界ってのはそんなに大切に守るべきなのだろうか。日常だってすてたもんじゃないし、それに、案外この安穏とした日常もあやふやなものかもしれない。日常があって初めて、疑似世界とか異世界とかが言ってられるのだ。

 

社会や世界にもう少し目を

で、まあ、マンガとかアニメとかTVとかの疑似体験を大切にして生きていくことを否定するわけじゃないけど、なんかカプセルの中にとじ込もってるような気がするのだ。人とのつきあい方とか、世界との関係とかいったメンドイ事は外にはじきとばされて、自分の気にいったもんだけで、自分のカプセルの中に入ってるなんてことになりかねない。

──いかん、ロリコンから話がはずれてしまった。えーと、マンガやアニメの中に自分好みの美少女見つけるのはケッコー。それをネタにして、ヌードにしたりパロティにしたりしてのも、面白ければケッコー。別に誰に文句言われるスジアイもない。そんな楽しみ方ができるのがマンガやアニメの強みなんだし、同人活動の楽しみでもあるんだからだ。

でも、今のブームと言われるロリコンは、なんかちょっと違うような気がしてしまうのだ。こんなに明るく健康的に「わたしはロリコンですよーっ」と言えるのがまずおかしいと思う。だって、「ロリコン」てのは誉め言葉でもなけりゃ、偉いわけでもない。本来ならケーベツされかねないはずなんだ。

ただの生身の美少女ならまだ構わない。四十、五十になった中年の場合だと機会的に問題はあるかもしれないけど、まあいいだろう。でも、マンガやアニメに登場する絵、記号としての美少女に血道をあげてることを、大きな声でいえるわけがないじゃない。そのキャラに美しさやかわいさを見つけた自分の気持ちを大切にするってのはまだ話がわかるけど、単なる絵やキャラそのものを偏愛の対象にするのは、こりゃやっぱり「恥ずかしい」ことだ。ましてやそれを広言するなんて。

さらには、ロリコンじゃない者を排撃するという逆差別や、ロリコン仲間で「自分はいかにロリコンであるか」を証明するためにエスカレートしていくってのは、やっぱり、「ちょっと待て!」と言いたくなる。

「こんなのが好きなんて、あなたロリコンの気があるでしょう」

「い、いや、そんなことはないですよ」

―これが普通の対応である。いわゆる美少女願望やロリコン傾向があることは悪いことでもなんでもない。それをマンガやアニメの中で楽しむこともままあることだ。

ロリコンブームにのって、女の子がかわいくなるのもいいことだし、少女そのものをテーマとしたマンガやアニメが登場することも好ましい。で、読者が自らの中に、そういった物にあこがれる自分を発見することも、自分を知るにはいいことだろう。

そこから生まれてくる遊びも、もしかしたらすごい可能性を持っているかもしれない。──ただ、遊びをエスカレートさせ、ロリコンに強くこだわろうとするならば、趣味やファッションを通り越して、かなりゆがんだものになっていくだろう。それでなくても、ファッションとしてのロリコンとは、ゆがんだ状況を思わせるのだ。

自分を対象化できる視点を持たぬままの、自己の視点は、そのまま世界対自己という関係をキャンセルしてカプセルに退避することだ。カプセリズムの時代とは、未成熱の個人主義の時代のことだ。

簡単に言やあ、もうちょっと社会とか世界かに目を向けて、知ることで自分ってのは何かっていう、永年の人類の宿題を自分なりに考えていく必要があるんじゃないかってこと。そうでなきゃ、人とうまくつきあえなくなっちゃうし、現実と折り合いもつけられなくなる。自分の住んでいる日常がひどくなれば、妄想してるヒマもフィクションを楽しんでることもできなくなってしまう。そういうわけだ。

 

ロリコンブームの流れと現状

ロリータ・コンプレックスという言葉が最初に流行ったのは、60年代半ば頃だ。アメリカで精神分析用語のひとつとして定着し、二、三年遅れで日本でも使われるようになる。
72年には『エウロペ・12歳の神話』(剣持加津夫)が出、少女ヌード写真集の先がけとなり評判ともなるが、これを受け継ぐものはなかった。が、一部でルイス・キャロル再評価と共に「アリス」の小ブームが起こる。沢渡朔の『少女アリス』という写真集がでたのもこの頃だ。

そして、78年『リトルプリテンダー』という少女ヌードのムック本が、爆発的な売れ方をし、この流行に便乗した少女写真集が、続々と現れることになる。79年にはアリス出版という自販本出版社から専門誌(?)『少女アリス』が創刊され、次の年には吾妻ひでおの「純文学シリーズ」が連載されることになる。また、この年アリス出版の『グルーピー』では“アリス特集”を行っている。

コミケットを中心とする同人誌界では、『幼女嗜好』『シベール』といった同人誌が、どちらかというなら細々と売られていた。しかし、この年、つまり80年には、野口正之(内山亜紀)が三流劇画界中心に売れ出していた。『エロジェニカ』等も美少女中心に傾きつつあった。

前年から引き続いて吾妻ひでおの人気は高まりつつあったし、少年マンガ週刊誌でもかわいい女の子が登場するマンガは増えつつあった。『少年サンデー』路線がもっとも顕著だった。

80年暮れ『OUT』の「病気の人のためのマンガ考現学」で「ロリータコンプレックス」が取りあげられ、それは冬のコミケットでの『シベール』の異常人気へなだれ込んでいく。この時にやはり『クラリスマガジン』が評判を呼ぶことになる。──すべては、80年のうちに用意されていたようだ。

もちろんアニメファンの間でのクラリス、ラナ人気*1も忘れてはならないし、アニパロでの美少女キャラの登場も増えつつあった。マンガ、アニメファンの割合が女性中心から少しずつ男性を増やしつつあったことも理由かもしれない。

そして、81年同人誌界中心に「ロリコン」のブームが起こっていく。春、夏とコミケットではロリコンをねらった同人誌が急増し、男性ファンが増える。『OUT』『アニメック』といったファン雑誌も美少女キャラをとりあげることが多くなり、「ロリコン」という言葉が少なくともマンガ・アニメファンの間では一般的な言葉となっていくのである。

一方、あだち充が『みゆき』を中心として人気が高まり、高橋留美子細野不二彦、柴田昌宏といった、かわいい少女を描くマンガ家も人気を得てい三流劇画誌の中でも美少女やロリータを銘打った雑誌が登場する。内山亜紀作品を掲載する雑誌が増え、『ヤングキッス』等も創刊される。

マンガ情報誌『ふゅーじょんぷろだくと』が「特集・ロリータ/美少女」を行ったのは、81年10月のことだ。美少女キャラ、ロリコン同人誌マップ座談会etc.を内容とするこの特集号は、評判を呼び、“ロリコン”という言葉は前にも増してあっちゃこっちゃを飛び回り始める。

すでに「ロリータコンプレックス」という本来の言葉を離れて、実に軽くも華やかに「ロリコン」という新語は生きている。TVや週刊誌に「ロリコン」が取りあげられ、81年の風俗ということで「朝日新聞」はロリコン族の出現を書きとどめた。

こういったブーム的現象は82年になっても衰えるようすはなく、『レモンピーブル』(あまとりあ社)という、ロリコンマンガ誌の創刊をうながし、さらには大手出版社にまで波及しようとしている。その第一弾が徳間書店発行による『アップル・パイ』だ。
マンガ・アニメファンの新しい「お遊び」的なものから、商業ベースへの取り込みは、いったいどうなっていくかわからないが、ついに『少年チャンピオン』に登場した内山亜紀の『あんどろトロオ』は人気投票第一位であると聞いた。それにつれて、彼の単行本も次々と増刷ということになり始めたらしい。

あだち充の単行本も相変わらず、すこい売れゆきという、マンガ、アニメ界に起こった“ロリコンブーム”は、美少女キャラクターの再評価でもあったわけだし、男性ファンの復権も意味していた。作品の中に登場する美少女の魅力が注目されるようになったことは少年マンガにとって決して悪いことではないだろう。

ただ、アニメキャラの中に新しい美少女キャラが見当たらないという現状。さらにかわいい女の子とエロを出せばうけるというテクニックの定着。それはどちらにしても、未来にとって明るい材料ではない。

ロリコンという言葉は一人歩きをしはじめたその時から、本来の意味での「病気」であることをやめ、「趣味の傾向」みたいなものになってしまったようだ。さらには遊びの「道具」にだ。そうでなければ、ブームにはならなかったことは言うまでもない。──みんな失われた言葉を捜している……。

*1:東京ムービー新社ルパン三世 カリオストロの城』のヒロインがクラリス日本アニメーション未来少年コナン』のヒロインがラナ。ともに宮崎駿キャラ。当時、吾妻ひでおさえぐさじゅんなどがパロディ風に描いたりしたこともあって、マニア的な人気を得た。またラナ人気やヒルダ人気はクラリスの流れでの再発見でもあったようだ。

米沢嘉博「同人誌エトセトラ」第1回「シベール神話の誕生」




米沢嘉博阿島俊名義で『レモンピープル』創刊号(1982年2月号)から休刊号(1998年11月号)まで18年間にわたり計187回連載していた同人誌紹介記事。創刊当初の題は「ロリコン同人誌ピックアップ」。'82年12月号のリニューアルから「同人誌エトセトラ」に改題。雑誌の性格上男性向け作品を中心としながら全ジャンルを対象とし、時には漫画同人誌の歴史にまでも言及した。休刊6年後の'04年9月、久保書店から350頁超の大著『漫画同人誌エトセトラ'82~'98』として単行本化された。記念すべき連載第1回目には『シベール』が取り上げられている。




漫画同人誌エトセトラ'82~'98―状況論とレビューで読むおたく史

イントロダクション

この本が何であるかの説明と購読のおすすめ

本邦初のロリコンマンガ誌として『レモンピープル』は81年12月に創刊された。それは同時に同人誌の描き手を中心にしたエロチックコミック雑誌のスタートを意味していた。この雑誌で創刊号より連載がスタートした同人誌レビュー「同人誌ピックアップ」は、10回の1頁連載を経て、中とじから平とじに変わった同誌で「同人誌エトセトラ」というタイトルで再スタートを切った。そして98年10月に同誌が休刊するまで、計187回、連載され、20年近くに渡る同人誌の動きを、状況論、事件報告、レビューによってリアルタイムでレポートするという結果になった。

今はプロ作家になった描き手たちの同人誌時代が紹介されているだけでなく、千冊以上に及ぶ同人誌の記録はここにしかない。この本では、この「同人誌エトセトラ」をすべて収録し、年毎にまとめることで、同人誌の流れをレビューと共に読めるようにした。さらに、連載中に何回か試みられた「同人誌の歴史」の部分を取り出し、新たに書き下ろす形で80年までのマンガ同人誌の歴史を序章として収め、連載終了以後の99~04年までの同人誌の大きな流れを巻末の方にまとめてある。明治期から現在までのマンガ同人誌の通史としても、この本は読むことができるはずである。

頁数や構成の関係もあって、連載時のものから図版を省いた部分、単なるアイサツやイベントのお知らせ、次号予告など削ったところもあるが、明らかな間違い以外は書き直していない。予想や未来の不安については当たったところもはずれたところもあるが、それも、その時々のレポートとして読んでもらえればいいだろう。今となっては説明をつけなければ解らない固有名詞、語句については年毎に脚注という形で補足説明してある。

この本は、貴重な記録であると同時に、そのボリュームとカバーされた時代によって二度と書かれることのない一冊であることはまちがいない。同人誌研究の資料としてだけでなく、マンガのもう一つの歴史を書いた本として、様々な発見のための本として、手元に置かれることをお勧めしたい。

阿島俊(米沢嘉博

「美少女」たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル」を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ。

「美少女」たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル』を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ。

米沢嘉博

所載『朝日ジャーナル1984年5月14日号

二年ほど前に話題になった「ロリコンブーム」が実は、マンガ・アニメ同人誌界に端を発していたととは、あまり知られていない。「ロリコン」といっても、じつは美少女をキーワードとする新しい感覚の少年マンガのことだった。SFアニメ、テレビ特撮物などに育てられた若い世代の描き手たちが、生み出したそれは、パロディ的であり、アニメ的であり、必ず、といっていいほど「美少女」が登場した。そういったものを、半ば冗談でくくったネーミングが「ロリコンマンガ」であったわけだ。

この同人誌界でのブームは、やがて「ロリコンマンガ誌」なる商業誌を生み出すことになる。いちはやく創刊されたのが久保書店の『レモンピープル』。一人か二人のプロ以外はすべて同人誌作家いう誌面づくりは、ファン雑誌的側面が強い新しい発表の場として歓迎されていった。もちろん「エロ」の部分が部数を支えていたことはまちがいない。

やがて『プチアップルパイ』(徳間書店)が同じようなスタイルで創刊され、『漫画ブリッコ』(白夜書房)も同様の路線に方針を変更する。新人が中心なので原稿料が安い、という面でのメリットがあったことも見逃せない。しかし、なんといっても、商業誌を成立させるだけの数のマニアがいたことが驚きだ。

昨年秋ごろからこれらの雑誌は部数を伸ばし始めていると聞く。海のものとも山のものともつかぬ無名の新人たちのマンガで理められた雑誌が、数万部という数で定着してしまったのだ。

こうなると似たような企画が次々と出てくるのは当然で、同人誌のマンガだけを集めた『美少女同人誌アンソロジー』(白夜書房)といった単行本が出たり、季刊ムック的な形で『マルガリータ』(笠倉出版)が創刊されたりした。そして、五月には、新雑誌『レモンコミック』も創刊される勢いなのだ。

これら「ロリコンマンガ誌」はかつてマンガマニア相手に出ていた『COM』、あるいは『ガロ』といった雑誌の今ふうの展開としてあるように思えてならない。

マンガは常に大部数のメジャー誌と少部数のマイナー出版の並列という形で続いてきた。つまり少年月刊誌と貸本単行本であり、マンガ週刊誌とマニア誌といった形でである。そうして、マイナーの部分は、用意された「未来」という意味をこれまで持ってきた。

ロリコンマンガまた、そういったものであるのかもしれない。確かに、描き手と読者の距離の近さという一点において、それらのマンガはもっとも先を走っている。

テクニック、ストーリー展開、構成力といった面ではベテランたちにかなわないものの、感性、ファッション性、といった部分ではまちがいなく勝っているのだ。それはマンガに身をさらす時に味わえる「心地良さ」を保証するものでもある。すでにこれらの雑誌からメジャー誌へ移行していった新人も多い。耽美的な世界を描く千之ナイフ、エロ度で人気の高いみやすのんき、それに大友克洋高野文子の中間にあるようなスタイルの藤原カムイなどがそうだ。(嘉)

亀和田武『劇画アリス』+高取英『漫画エロジェニカ』+川本耕次『官能劇画』+迷宮'78編集部「座談会:三流劇画バトルロイヤル」(プレイガイドジャーナル 1978年8月号 特集・ぼくたちのまんが その3 君は三流劇画を見たか 迷宮'78編集)

君は三流劇画を見たか

迷宮'78編集


所載:雑誌『プレイガイドジャーナル』1978年8月号「特集・ぼくたちのまんが その3 君は三流劇画を見たか 迷宮'78編集」

青年まんがという言葉がある。この言葉はそれまで少年まんがのワクの中でしか発揮されていなかったまんがのエネルギーをすくい上げ、更に拡大した場所でそのエネルギーを解放するための言葉だった。けれども実際のところはそれが本来持っていた可能性をどんどんとり落し、社会の常識に自らを合わせてゆく過程を踏むことによってでしか定着してはいかなかった。そして確立したヒエラルキーの中で一流御三家(ビッグ・アクション・ヤンコミ)から二流劇画(ゴラク・週漫etc.)は全く沈潜し熱を無くしてしまっている。

毎週毎週ぼくらの前に送り届けられてくるのは、ベルトコンベヤーに乗っかった500円の定食でしかない。まんがを主食としてきたぼくらとしては、たとえ定食ではあれ食べてしまうのだけれど、いいかげん同じ味には飽き飽きしてしまうし、少女まんがの砂糖菓子やプリンアラモードの最初の新鮮さも薄れかかっている。

まんが総状況の沈滞のさなかに、エロという囲い込みのなかで各々の個を爆発させている三流劇画は、ぼくらの前に毎週送られてくる気の抜けたエンターティンメントよりは余程面白い。所詮三流とか、どうせエロまんがなんていう声も聞こえるけれど、ひと昔前はまんが総体が表現の世界での三流だったし、数年前までは少女まんがも三流のなかのそのまたゲットーだったことを思い出そう。読む読まないはそれぞれの勝手なのだけれど、エロだから読まないなんて偏見はそろそろ捨て去って、まんがはエロも描き得るのだし、それもまたぼくらのまんがだという認識を持ってもいい頃だろう。高宮成河

 

座談会三流劇画バトルロイヤル

選手紹介

亀和田武劇画アリス代表)〈亀〉

自動販売機でしか買えない雑誌の編集者。檸檬社にて『漫画大快楽』『漫画バンバン』の編集に参加、一時代を築く。その後アリス出版に移籍、毎号話題を呼ぶ表紙裏のアジテーションによって知られる。最近号では遂に本人の写真が登場、賛否両論を巻き起こし、名実ともに自動販売機の顔となっている。29才。

高取英(漫画エロジェニカ代表)〈取〉

この道に入って一年有余、『エロジェニカ』編集主任となって独自路線をとり、発行部数を飛躍的に伸ばす。同誌の“コーヒータイム”では少女マンガ論も書き一部マニアの注目を得る。最近、中島史雄に大阪に帰ってお見合いをした話を描かれてクサッており、名実ともに三流劇画の顔となっている。26才。

川本耕次(官能劇画代表)〈川〉

学生時代からの三流マニア、はずみがついて三流劇画の編集を業とするようになる。『官能劇画』の編集を半年やり、現在『Peke』という三流SF少年誌を発行するためにとびまわっている。三流劇画共斗会ギの中央執行委員。本人も劇画を描き、三流劇画の顔になりたがっている。

レフェリー 迷宮'78

葉月了〈葉〉=亜庭じゅん

相田洋〈相〉=米沢嘉博

高宮成河〈宮〉

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取:そいでさ、入ったときに今の先輩が教えてくれたワケ、うちは中年のオジサマ向けにつくるんだからとか、或いは肉体労働者のトラックの運ちゃん向けとか、そういう感じでネと云うワケよ。ところがねオレはさ、予備校時代に、女がいないときに予備校まで行かずにスタンドに行ってエロまんが読んでね、ワーとしてたワケ。そうすると全然ちがうワケよね、もともとぼくのまわりの編集者ってのは年齢層ももっと巾(はば)広くやってたんだけども、ぼくはこれはもう性の失業者である若い連中向けにやるんだって形で今みたいにやったら、それが何となくあたったってとこ。

川:それは要するにね編集者の方でもね、内容の良し悪しじゃないワケね、はっきり云って載せる規準がさ、この人は原稿オトシたことがないとか、そういうごくつまんない理由で選んじゃう。

亀:そう、要するにポリシーが無いのね。

川:雑誌をする上での編集方針がないワケ。

亀:これは売れるんじゃないかという形で編集者が持ってる規準ってのは実にアイマイでね。

川:要するに今まで築かれてきたものがその中心になってるから、たとえば表紙にみずいろ使って売れると、みずいろ出せば売れるといった......

全:ハハハ

川:いやだけどこれホントなんだよ。だってここんとこ『官能劇画』の表紙みんなピンクだもん。

葉:映画のタイトルでも、黄赤以外は使っちゃいけないってところがあるから。

取:『アリス』の表紙ってのは、筆者名もなければスタイルもない。一種の革命だな。

葉:編集長で売ってるみたいな...

取:あの表2がスゴイね、映画芸術の最後のページの板坂剛みたいで。

葉:で、読者対象としては若い層をねらうという。

宮:つまり今まで云われてきたような、ウチは工員さんやトラックの運ちゃん相手やからというところからもう一歩踏み出して……

取:いや、トラックの運ちゃんも工員さんもオジさまも、どんどんいるんだけども、十八から二五までに焦点を絞ってる。まあ要するにマスターベーションの素材になるようなもの、そういう形でやってる。だから予備校生あたりから、『エロジュニカ』読んでね、どれどれを読んで3回、どれどれを読んで4回って風に来ると、ああヤッタ!!って思うね。逆に云えばつまり性的に飢えててうまく女をひっかけることができない、そういう連中にとってね、エロ劇画ってのはマスターベーションやって欲望を沈静させることによって休制の安全弁になってる面と古びた秩序だった連中にとって眉をしかめさせるような形で体制に対して、バンとストレートになってくる面と、両刃の剣だと思うんだよ。そのへんがむずかしいワケ。

亀:まさにそれは両方あると思うんですよね。

取:それでね、一番やったと思うのはね、中学生が多分学校あたりへ持ってったんだろうな。40名くらいの規模でね、パパ、ママあたりから全く同じ文面でドサッと手紙が来た。

亀:それはありますな。全く同じ文面で来るんですよ。

取:ちゃんと裏に名前書いてあるんだよね。

川:あれは共産党が裏で糸引いてんだからね。

取:ああ、ホント!

全:なになに? それ

川:あのね、石子順石子順

葉:なに! あれ!

取:石子順って代々木なの?

川:あいつがね、裏でね、そういうやつを組織して、要するに子供のマンガをどうするとかさああいう感じで、そういうのをつくって俗悪まんが追放みたいな形でやるワケよ。かたっぱしから……。

宮:ホンマにやってるの?

川:やってるのかたっぱしから目についたやつね、要するに下書きがあるワケよ。おそらく石子あたりが書いてるんじゃないの。それを回してね、それを手書きで書いて、最後に自分の名前を書いて送るワケ。

相:不幸の手紙みたいだな。

宮:そうすると、サンプルみたいなもんはあるワケね、もはや。

川:だってサンプルがないと同じ文にはならないでしょ。それでね、『コミックギャング』にも一回来たんだ。

宮:『ギャング』に! 何がアカン云うとんのやろ。

川:何がいけないんだかどうかわかんない。多分劇画であることがいけないんだよ。何がいけないかっていうと要するにエロだとか何とかじゃなくて、漫画じゃそれほどさわがないのに何で劇画だけさわぐのかっていうと劇画であることがいけないの。

取:ただもう『少年マガジン』にしろ『少年ジャンプ』にしろエロ度ってのはすごいもんね、昔に比べれば。

川:ところがさ、『少年マガジン』では許されても劇画誌では許されないというのもあるワケ。たとえばいまウチ(みのり書房)で出してる『OUT』って雑誌でさ、オメコとオコメをとり違えたようなこの地球をどうするんだみたいなセリフがあったワケよ。それも30級か40級ぐらいのでっかい写植だったんだけど全然問題にならなかったワケ。劇画誌だったら呼ばれるよ。

亀:文学雑誌でオマンコと云っても、実話誌だったらいけないというのは実に屈辱的なんだけど。

川:だからそういう一見セックスを装ってる雑誌ってのは表現の上ですごい制約を受けてる。

葉:セックスを装うこと、それ自体が体制からいえばもうペケだから。

亀:そういうのに関連してね、漫画家と話してて頭にくるのはやっぱりね、最近ちょっと違ってきたんだけど、はくはやっぱり少年まんがを書きたいんだけどって云うんだよね。で、こいつは何てイヤな野郎なんだろうってね、そいつの品性を疑ってしまうってところがあるのね。

川:小多魔若史って知ってますか、そういうまんが家がいるんだけど、もと『ジャンプ』の専属でアシスタントやってたんだけど。

相:柳沢きみおのところかな。

川:ええ、それであまり安い専属料で縛られるのがイヤだってんでとびだして、いまエロまんがを描いてるんだけど、彼に会わせると逆なのが、オレはもう絶対に少年まんがは描かんぞ。もうエロマンガだけで生きてやるんだ、エロマンガだったら少年誌に描いてやってもいいけどそれ以外だったら描かないって。

亀:ああ、それは見識ですな。

取:ダーティ松本もね、百万積まれてもオレは『ビッグコミック』には描かない、そういうのが居るんだよ、やっぱり。

川:村祖(俊一)もそこまで言わなきゃダメだと思うけどね。

亀:だから、そういう、ホントに腰をおちつけてエロをやるってヤツが出てこないとダメだね。

取:あの村祖氏は弁護するけど彼は『ビッグコミック』にも描くし、『少年マガジン』にも描くし、『エロジェニカ』にも描く。そういうのもいなくちゃ。たいてい『ビッグコミック』に行っちゃうと描かないんだけど。

相:羽中ルイはどうですか。

取:あれは『漫画ジョー』の専属。

亀:あいつも、よく「ホントはぼく少年まんがが描きたい」と云ってたんだけど。でも、あいつのは、あいつのエロまんがからにじみ出てくるのがあってね。

取:羽中ルイってのは詩人なのね。高校の時に詩集を出して、今でも書いてる。それでね、彼の高校時代ってのがおもしろいのね。詩と暴力なの、ボクシング3年間やった、まさにけんかエレジーなの。新宿でヤーさんとやったこともあるし。で、その暴力のシーンにちょっと少女を出してさ、誌のポエジーを漂わせてグッと伸びたワケ。

亀:あいつは精神的にはホモなんだよね。檸檬社にいたときに遅くなって、駅がとなりの駅なのね。帰りがいっしょになったら、ボクの家に寄ってくださいっていうんだよ。で、歩きながらボクは昔ボクシングをやって右手だけで他の男を扱えますよみたいなことをね。

全:ギャハハハ

亀:ああイヤだなあって。

全:ハハハハ

亀:で、夜中歩いて、もうスグなのね、歩いて来ませんかとかね。何となくコワくてね。

取:だからその暴力性っての、アレがあったからさァ、ボクシング漫画描きませんかって云ったら、「あしたのジョー」の余韻がまだある。それが消えるころ、やってみたいって云ってたね。

亀:昔描いていたアレ、異常なね、正常なセックス一切やらなかった。どういうのかっていと、カッターナイフでふとももをパーッと切って、それをインサートするとか、それからあとね、女が2人でレズやってると、そこに突然怪人がやってきて、それがフンドシ一丁で、それが女の子に何かやるのかなって思うと、女の子の性器を握力でえぐり取って、これが悪いんだって叫んで読者の方に向って肉塊を投げつるのね

全:ギャハハハ

取:全裸描かないもんね。

宮:三流劇画ってのは不適応者の群れやな。

川:そうよ、その代表が清水おさむだけど。

亀:檸檬社にいたときに担当したけど、巻頭2色から始まるのね。リンゴを男が食べてるの、少女にむりやり浣腸して、バカバカバカッて出たやつを。それを茶色で描いてあってね、ああウンコがおいしいよ、おいしいよって食べてるの。それを見たオレの上の編集長が、「亀和田君、これはマズい。これは茶色で描いてあるからだ。白く直してくれ。そうすればオシッコに見えるかもしれない」って。

全:ギャハハハハ

川:確かに一種変質狂的なところはあるよ。だから飽きもせずああいう話ばっかし描けるワケでね。

宮:でもないと思うよ。ワリと醒めちゃってね、逆手にとっているところはかなりあるはずやけどね。

相:描いているうちに醒めてくる。

宮:三流劇画が面白いっていうのは、その逆手のとり方がおもしろいってのもかなりあるはず。で、ただ単に裸の女ばっかり出てきても、何ともないもんね。ぼくはどういうか読者としては、面白いマンガを読みたいだけやねんけども、少年まんがも面白いりゃいいと、少女まんがも三流劇画も、あれもこれも含めて全部ぼくらのまんがであると。
で、三流劇画としては、ぼくらのまんがという中で今後どんな風にがんばっていってくれるのかという、そこらへんを聞きたいワケ。

亀:ぼくらだってね、ヘタすると『ヤンコミ』になりかねないってところはあってね、そこらへんは、厳に戒めているんだけども。だからアレやりたいとか何かアレしたいと思っても、どうしてもあの『ヤンコミ』の読者ロビーに集中的に現れている傾向ってのは普段に出てくるんじゃないかって気がして、それで、あっちに行くんじゃなくてここで踏んばるってのはね、エロ劇画をエロ劇画たらしめるってことで、やっぱりそこで頑張ってるってことだね 

全 ………

相:高取さんは?

取:だから、あの結局、何ていうのかな、『ガロ』なんかはね30代40代の人向きねってのがね逆にあるの。で、ウチは川崎ゆきおを『ガロ』の更に『ガロ』的なホノボノシリーズで、それで『ビッグコミック』の村祖も使ってそれでボク、少女マンガ家にエロ描かせたいってのが願望でね。で、そのへんが全部バーと出てきたらもう『ビッグコミック』も『少年サンデー』もないんだって感じでね、そんな作家いないかなあ?

相:いないんじゃないんですか。

取:いや竹宮恵子だってスゴいよ。少女まんがでさァ、全裸を描いてる、チンポも描いてんだから、ああいう人も居るわな、確かに。

葉:でもあれは男見たってどうにもならない。

取:いや、あれは男が見るから興奮するの、

宮:わしゃ、なんじゃこんなもんちゅうて、はるけどね。

亀:この前ね、仲間と話したんだけど、ポルノグラフィというか、あの商品化してるね、そういうのってのは他の表現とは全く違ってね、こちらの方に芸術表現ってのがあってね、芸術表現ってのはどういうものかっていうと、かなりすぐれたものであると読者なりそれを見てる者が何ていうかな、無化されてゆくという風なね。ポルノグラフィっていうかそういうものは、自分自身をどんどん際立たせてしまう。いやが応でもいきり立ってしまうようなね。だから全然別のものなんだね、芸術表現と。―いつ聞いてもポルノも芸術だみたいなね、そこらへんが中途半減なのね。

宮:新人編集者としては。

川:全般的に見てこれから難しいんじゃないかって気がするんだけど。つまり作家なんだね。

宮:その作家の絶対数の不足みたいなもん。

亀:ありますね。羽中ルイなんかが出てからもう2年ぐらい。

川:だからエロが描けるというね。そういう人が少ないワケ。たとえば能条純一とか清水おさむとかね、一種際立って変な意味で面白いとか、あのへんはもうある程度わかって、もう先が見えた。それをあとから受けついでゆくという…...。

亀:だからそれをどういくかというと、ここに来て非常に意を強くするんだけど、要するに三流劇画で、エロ劇画誌でね、3つか4つ頑張ってるところがあると何とかなるんじゃないかっところがあるのね

川:あとそれとね、読者が居れば何とかなるという面もある。読者がいるとね、わりと作家もノリやすいでしょ。みんなが手さぐりで歩いてる状態のなかで作家にやれってのもムリだ、みたいな。

取:あのサ、飢えて劇画だ、みたいなヤツが今わりと落ってると思んだけどさ、名古屋かどこかで中卒だと思うけど、上役がおまえ何をアホなことやってるっていうと、イヤぼくはマンガ家になるんですみたいなね。で、、東京へ出てしまうと何かやっぱし食えるのね。

亀:みんなオレたちと同じ年代で家(ウチ)建てるんだよね。だから書いといて下さいよ、三流劇画も家が建ちますって。

川:いや三流劇画だから家が建つんだよ。一人で月に三百枚こなせるのは三流劇画しかないよ。

亀:あがた有為が家建てた、清水おさむが家建てた。

取:清水おさむはマンション。

亀:あっそう。

取:だから当時まだこんなにパッとなってなくてさ、みんな貧乏しながら描いててさ、でもちよっと新人が持ち込みに行けばね、ふっと大丈夫だみたいなね。みんな大学行くようになって自宅あたりで描いてて、でさ、成り上がってさ、化けてさ。そういうのって減ってきてるんだ。

亀:それでさ、ホント驚くんだけど実にまあみんな極貧のなかからアレしてるワケね。

取:だからハングリーハングリー

亀:オレと同じ世代なんだけれどものすごく多いのね、あがた有為もそうだし、飯田(耕一郎)くんの私生活なんてちょっとすごいのだからね、何なんだろうと思うんだけど、それでまたヘタな大学生なんかよりみんな実に教養があってね、あれはもうびっくりする。それで、飯田くんもそうだけれど、あがた有為なんてね市場かなんかで働きながらそれでもう夜フラーと疲れてね、ああオレはここで埋もれてゆくんだろうかなんてね。
取:清水おさむの場合はね、大金持ちの地主の息子であるという締めつけがイヤで家出したんだけどさ。

川:そういうスゴイ純情な人なんじゃないかという気がしたけど、それがこう、なんかイビツな人間になっているっていう、またこのへんがおもしろいんだけど。

亀:それから、アレ(本の雑誌)にも書いたんだけど、批評をもっと活性化しなくちゃいけない。

取:どうしてあの少女マンガを読んでる連中が、野郎、村上知彦

全:ハハハハ

葉:出てくるなァ。

宮:本気にようなり切らんところがあってね、いつも醒めてんねん。

取:川本三郎は劇画をやるけどもわかってないな。川本三郎はオレは悩んでるからね。川本三郎清水あきら、あの二人だね。

取:詩人はダメですよ。

亀:だからそれはホント『漫画主義』の連中にも限界感じちゃうのは、どうしたってその昔、美術青年たちというか、その人たちがジャズの批評をしてたときがあったでしょう。やっぱりあのジャズのそういうパワーと対応し得るような批評じゃなくてやっぱり美術青年としてしか語れないというようなところがあって、劇画のああいうのに見合う評論や方法がまだこうちゃんとできていないというところがあるね。そうするとやっぱり権藤晋高野慎三)とかあそこらへんの、まあ良心的な人なんだけどね、アレ見ても、「稚拙な線にこめられた真摯さに注目」とかね。

葉:そう、そんな風になっちゃう。

亀:セコイんだよね、こちらにしてみれば冗談じゃねえよってのがあってね、ああいうことしかできないっていうのは、やっぱり……

川:読んでないからじゃないかな。権藤晋に会ってね、話したんだけどぜんぜん三流劇画知らなかったよ。

亀:それからやっぱり、あれはね。あれは何か云っちゃ悪いけど頭悪いんじゃないかって。あれはつまり理論として構築するのを怠ってる、放棄してるんだよね。

葉:いままでのところ、いいとこ感覚だけで書いているみたいなとこあるからね。

川:要するに、石井隆しか語られないということがね、みたいな一番いけないと思うよ確かに石井隆ぐらいかもしれないけど、あれははっきり云って特殊な例だと思うから。

亀:しかしやっぱり天才ってのはスゴくって、つまり閉じた状況を打ち破るには20人の亜流が出てもしょうがなくって、天才によってそれが打ち破られるというのがあってね。石井隆一人が出てきたおかげでエロ劇画全部が変わっちゃったってのがあるでしょ。榊まさるが20人出てきたってああはならなかった。だからあれは石井隆一人でああなっちゃったということになるとやっぱりあと何年か天才を待つというね、アレもあるわけで、今から天才の出現を予想してそのための場ってのを確保していないといけないんだし、オレも割とチャランポランなんだけど、そこらへんはしっかりやろうと思ってる。しかし今ある劇画状況とね、それを取り巻く評論というのはちょっとひどいんじゃないか。

川:ま、現実問題として評論も含めてね、読者という存在が確立してないでしょ。いるのかいないかわかんない状況だもの。

亀:こういうところにでも来ない限り読者には会えない。

全:ギャハハハ

取:イヤ、あの、電話でデートってのをやったらバンバン来るんだよネ。

亀:そういうアレでもないと出てこないからね。例えば『大快楽』でもね、モデルのパンティプレゼントってやるでしょ。あれはいっぱい来るんだってね。それ以外の投書ってのは全然来ないしさ、たとえばよく読者欄とかやってるでしょ。あれが全部インチキなの。

取:うちは全部ホント、うちは人気投票で、一部マニアがドーっと来て、20通最低来んの、毎月ね。それで、今度大人のオモチャプレゼントやったら、マニアじゃないスケベー派がバッと。

全:ワハハ

取:そらもう、全然…。

川:でもまあ、『エロジェニカ』だけが例外で、後はほとんどインチキだ。名前見てりゃわかる。

亀:だからぼくは『大快楽』にいた時はせっせといつもお便り書いてた。

全:ホホー

亀:それで最終シメまぎわになると、おまえ半分書けよっていってね。

相:そういった意味じゃ、『エロジェニカ』ってのは、ある程度読者状況つくってるみたいなところが。

取:つくってる。だいたい読者にちよっと会いたいってのがあるからね、願望として。

相:いわゆる『ヤンコミ』読者ロビー……

取:いや、あんな頭でっかちのバカはねェ、あんまりいないわ。

亀:いや、アレは結局、『ヤンコミ』ってのは、確かにオレも買うとね、まっ先にまず石井隆の「天使のはらわた」と「読(ドク)ロ」を読んでしまうんだけどね。「読ロ」を読むたびにまたハラがたったりね、いやーな気持になったりね。

取:この前の読者にさ、『漫画マガジン』と『エロジュニカ』おもしろいって、ちょこっと書いてあってさ、ヒョッとしたらもうまずいのかもしれないって思いだしてね。

亀:そう云えば、清水おさむが二、三日前に会社に来た時に、あの人もアハハなんてやっててね、「エロジェニカにアリスのことが書いてありましたよ」って…

全:ワハハハ

宮:新しいものを作ろうと思ってね、それがまたそっちの方へミーハーが寄って来てね、それをまたダメにして、という状況はいつもある訳で、それをどうかいくぐっていくかが…。

亀:そうですね、確かに具体的な読者とね、こう会うっていのはもちろんすごいインパクトあるだろうし、つまるところはこちらでね、まちがっててもかまわないから、独断でもかまわないから、やっぱりポリシーを持って読者層を設定していくという以外には、結局は、最後に拠るべきところはないだろうって気がするんですけどね。どっちみちいろんなデータでちゃんと資料分析をもしやったとしてもそこから抜けおちてくる部分ってものすごくあるはずですね。こうなったら俺はこれでやってんだという以外は結局ないんじゃないかって気がするワケですね。

 


三流劇画作家 フォーカス・イン

伊集院乱丸

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ダーティ松本

『ハンター』『悦楽号』を中心に久保書店から「内の奴隷人形」「狂った微惑人形」の単行本がでている。「ダーティハリー」からとったペン・ネームのほかに、“劇画変態魔” “劇画屠殺人” “劇画淫殺魔”とも名のり、その名に恥じず男たちはピストルとペニスで暴力的に犯しまくり、女は快楽の遊具として徹底的に凌辱されつくされる。とくに、アヌス責め、サンドイッチ責めのすさまじさは、まさにスーパー・バイオレンスの世界だ。

 

清水おさむ

『アリス』『エロジェニカ』『コマンチ』などで活躍中。上下ともざわざわまつげのきつい眼の髪の長い女を主人公としたストーリィで、作品中一回は必ず、首がとび、胴がとび、内蔵がドバーッととびだす凄惨をきわめるシーンを描かずにはいられない作家。それも、見開きでみせる残酷シーンや愛液ダラダラシーンのド迫力でせまり狂う。また、淫靡や破滅にむかってつきすすんでいく女主人公のいさぎよいハゲシさがとにかくスゴイの一言。

 

村祖俊一

『エロジュニカ』『快楽セブン』のほか、〈鳴神俊〉のペン・ネームで『ビッグコミック』『少年マガジン』にも描く。エロ劇画特有の”きたなさ”がなく、犯される女やSMで責められる女は、つねにリンとした美しさをたたえている。とりわけ『エロジェニカ』の〈娼婦マリー〉のプライドの高さは、自分を軽蔑した女学生をヤク中にして売りとばすほど残酷。いわく「私の気も分るだろうさ。てめえのオマン●で客を取ってみりゃあ……」


あがた有為

『大快楽』『コマンチ』『アダムズ』『オリンピア』『アリス』と、いろいろなところに描きまくっているエロ劇画きっての売れっ子。女性も女学生、人妻、OLと多彩で、みなグラマーな肢体。話としては、強姦、SM、レズとなんでもあるが、とくに刺青ものが異色であり、また老人に犯されるといった話は、エロ劇画のなかでも珍しい。たぶん、男に犯されかかったら、さしたる抵抗もせずに体を開いてしまう従順さがウケてる理由だろう。

土屋慎吾

豊満な肉体をもてあました女学生や若妻が、中年のおじさんにネチネチいじめられ、しだいに発情していくというのがテーマで、そのいじめられ方がいかにも中年的で、恥ずかしいポーズをとらせたりしてジラすのが、ウケている。それに女の恥じらい含んだ悶えの描写がうまく、とくに半開きの唇、きつく閉じられた目というのが、なんともエロ劇画的で読者の欲情をさそう。『大快楽』の女体シリーズや『アリス』などで活躍中。

 

玄海つとむ

『大快楽』『アリス』などに描いている。その描写のボルテージもかなりだが、なによりストーリィやネームがしっかりしているのがよい。お得意のテーマは、継母いじめで、女として対等になった娘と養母が、口きたなくののしりあい、恨みあい、男をそそのかして犯しあうといった女同士のみにくいあらそいを繰り広げるといったもの。そして、眼のまわりの黒い女というのが、いかにも気が強く淫乱なふんいきで、テーマにピッタリ。

 

羽中ルイ

『ジョース』『コマンチ』『アリス』『大快楽』と多誌に描く売れっ子。女学生を主人公にしたものが専門。すっきりした線で描かれた女学生が、SEXをおそれつつも、しだいに欲しがっていくというストーリィだが、その反応のクールさが独特のリリシズムを出しており、官能詩人と呼ばれるゆえんとなっている。とりわけ得意なオナニーシーンやレズシーンの透明感は、少女の三白眼とあいまってきれいで淫靡なエロチシズムを感じさせる。


中島史雄

『エロジェニカ』中心だが、『スカット』『オリンピア』にも無く、かの『COM』出身で一時真崎守のアシスタントも経験。レモン・セックスと、いうだけあって少女ものであり、とくに美少女マヤと女教師とのレズビアンを扱った『紫瞬記』シリーズは、ほかのレズもののようなグチュグチュ・シーンがないだけ異彩を放つ。ゆがんだ少女の顔を妙になまめかしく描くことで、ロリータ・コンプレックス読者の劣情をもよおさせる

 

飯田耕一郎

『COM』などの編集人をへて、漫画家となる。『アリス』『大快楽』『官能時代』などのほかに〈耕一郎〉のペン・ネームでギャグをもこなす。おもに女の娘のひとりごとを中心にすすめられるストーリーは、特有のだるいムードをたたえており、ある意味で少女まんが的だ。迫力ある描写で読者をひきつける作家というよりも、ふんいきで酔わせる作家である。とにかく、味のある絶妙なタッチで描かれた少女がなんともカワユイ。


宮西計三

『アリス』『アダムズ』『ドッキリ号』『増刊ヤングコミック』で活躍。巻末の2色ページが多く、大胆な構図とフランス劇画調の洗練されたグロテスクな絵柄で、妖しく美しいファンタジィが素晴らしい。なかでも、眼、舌、汗、衣服のしわなどの気持ちわるいまでの描写のセンスは一見にあたいする。ホモ、女装願望、人形愛など。アブノーマルなテーマのものや、『夢想家ピッピュ』にみられるチャイルドポルノ的な作品がある。

三流劇画ブームの頃/高取英(元『漫画エロジェニカ』編集長)

三バカ劇画ブーム

高取英(元『漫画エロジェニカ』編集長)

『漫画エロジェニカ』(海潮社)1978年11月号が発禁となってから20年の歳月が流れた。それを記念して何か書けとダーティ松本氏がいうのでこれを書く。

当時、『漫画エロジェニカ』は、『漫画大快楽』(檸檬社)そして、自販機本の『劇画アリス』とともに人気のエロ劇画誌で「三流劇画ブーム」などと呼ばれていた。『エロジェニカ』11万部、『大快楽』7万部、『劇画アリス』3万部だったので部数ではダントツのエロ劇画誌であった。『エロトピア』は隔月誌で三誌は月刊誌、つまり、月刊エロ劇画誌のブームだったのである。
『エロジェニカ』のレギュラー執筆陣は、ダーテイ・松本、中島史雄村祖俊一清水おさむ小多魔若史などで、みな個性的でパワフルな劇画家たちであった。

なぜ、ブームになったのかは詳しくは書かない。まだ『ヤング・ジャンプ』も『ヤング・マガジン』もなかった時代、個性的なマンガ家のそろったエロ劇画誌が、『ヤング・コミック』で人気のエロ劇画家・石井隆に続いて注目されたのである。そう、まず石井隆のブームがあった。彼もエロ劇画誌出身であったところから、ブームが始まるきっかけとなったのである。

正確にいうと、78年、話題になったのは『漫画エロジェニカ』と『劇画アリス』で79年になって、『漫画大快楽』が、ひさうちみちお、平ロ広美など『ガロ』出身の漫画家によって話題となる。エロ劇画+ニューウェーブ系の力である。『エロジェニカ』はすでに76年より『ガロ』の川崎ゆきおの連載を続けていて、79年には、いしかわじゅん柴門ふみ、山田双葉(のちに、作家山田詠美)、まついなつきが登場する。『アリス』は、吾妻ひでお、奥平イラ、まついなつきとやはり、ニューウェーブ系を起用していた。

要するに、三誌ともエロ劇画の業界のルール(エロ劇画家以外は掲載しない)を逸脱していたのである。ちゃんとしたエロ劇画誌は当時はむしろ『劇画悦楽号』(サン出版)、『漫画ハンター』(久保書店)の方であった。こちらが本来の主流で、ブームの三誌は邪道であった。それが証拠に、三誌の編集者はその後流転の人生を歩むが、『悦楽号』の櫻木徹郎編集長も、『ハンター』の久保直樹編集長もその後も、立派に業界の主流を担って今も同社に健在である。

ま、三誌は、実は三バカ大将みたいなものだったのだ。

何が三バカといって、編集者がである。そのトップは「俺は全共闘くずれのエロ本屋」だぜ」と出き、表紙に自ら上半身ヌード写真を掲載した『劇画アリス』の亀和田武であった。

その次は、俺だろう。トップでもいいが、ここは先生に敬意(笑)をはらうしかない。そして『大快楽』の小谷哲と、菅野邦明のコンビが三番目だな。二人で一誌だったから*1。三バカだからルールを無視してアホができた(こういうことも理解できずに当時、ブームに嫉妬していた遠山企画*2の塩山ナントカという現在、編プロ・まんが屋の編集者が、エロ劇画のその頃についてようやく最近、出いているが、乗り遅れたさらにバカもいたのかと感動的である)。

おっと、脱線してはいけない。『漫画エロジェニカ』の発禁について書いておかなくてはならない。78年、話題だったのは『漫画エロジェニカ』と『劇画アリス』、部数はダントツで『漫画エロジェニカ』、しかも、TV『11PM』が特集を組み、出席したマンガ家・あがた有為(大快楽に執筆)以外、中島史雄小多魔若史村祖俊一、他計5名、『エロジェニカ』の執筆者で、編集者は、俺と『アリス』の亀和田、そして『官能劇画』の岡村氏など。文句なしに『エロジェニカ』が目立ってしまったのだ。

というわけだ。問題となった劇画作品は、ダーティ・松本の「堕天使たちの狂宴」がダントツ。これは当局がそういったのだから、そうなのだろう。他の4名・4作品は、とばっちりみたいなものだった。

しかし、実は『漫画エロジェニカ』78年10月号の方がすごかったはず。というのは、TVに出ると何かあるというのは、ストリッパーの一条さゆり(やはり『11PM』に出演したところ、引退興行であるにもかかわらず摘発)で証明されていたので、11月号は、やんわりとマンガ家たちはかくように編集部にいわれていたからだ。ダーティ・松本はそれを無視した。

発禁で喜んだのは、上層部と営業部で、「万歳! これで本が売れる!」といったのだから、たいした商魂だった。12月号は、その通りで、12万部ほど刷って、95%が売れた。
面白かったのは、その12月号、11月号発禁の時、すでに刷り上がっていて、連続発禁になると雑誌は亡くなるということで、アルバイトをやとってスミ塗りとあいなった。

「なぁーんだ。写真集かとおもったら、マンガかァ」

と失望の声を上げたアルバイターがいた。ビニ本もない時代、修整前のグラビアが見えると思ったのだとか。夜、スミ塗りをしていたが、12万部は、計算すると、一週間かかる数。しょうがないので、刷り直しになった。

この時、『朝日新聞』は、コラム「青鉛筆」でやや好意的にとりあげたが、『週刊朝日』の穴吹史士記者は、トク名のコラムで、デタラメな記事をかきちらした。いわく、読者の大半は小学生とか、印刷は刑務所だとか(印刷は大日本印刷だった)。

この人、後に、新右翼の野村修介が、「風の会」という団体名で参議院選挙に出馬した時、「虱の会」とカラかったイラストを『週刊明日』に載せ、つるし上げをくらった。その時は、『週刊朝日』の編集長だったのだ。

ああ、やっぱり、こういうことをしでかすのか、と思った。

そのずっと前に、朝日新聞社に他の用でいった時に、蹴りを入れようと思ったら、留守だった。あの時、いれば、少しは身にこたえ、そうしたこともなかったかもしれないが…。

ま、アホのまわりも、アホだったわけだ。また、「三流劇画ブーム」は、劇画全共闘とも一部マスコミなどに書かれたが、これはそもそもは、三流劇画共闘会議という個人ペンネームを、『官能劇画』の川本耕次が使ったのが誤解されたものだ。そういうことも調べず、呉智英は、後に「劇画全共闘」という言葉を批判し、また亀和田武がそうした言葉を使った(ほんとは、使ってはいない)と思いこんで批判している。アホのまわりも、二回いうことないか。

それでも、劇画全共闘という言葉に感動した読者もいたらしく、後に出会った。しょうがないな。

そうだ。発禁の時、裁判を期待するむきもあったが、実は、俺は正式には編集長ではなかったのだ。編集・発行人は、あくまでも当時の社長であって、そうしたことは社長が決めることだったのだ。

社長は、発禁の時、週刊誌の取材に「遠いところで革命とつながっている」とコメントしたのだから、やっぱ、アホだったかも。60年安保くずれのサヨクだった。

澁澤龍彦の『悪徳の栄え』も、ストリッパーの一条さゆりも、有罪なら『漫画エロジェニカ』も有罪。それでよか。

それにしても、初代『エロジェニカ』編集長は、元全共闘(日大)、主流のS編集長も元全共闘と、なんだか元全共闘が多かったね。

それも世代のせいだろう。マンガ評論も書く呉智英早大)も、マンガ家の夏目房之介(青学)も、サン出版の櫻木編集長のそばでエロ劇面誌の編集をしていた作家の関川夏央上智)も元全共闘だ。

サン出版の櫻木編集長は、ダーティ・松本の発禁となった「堕天使たちの狂宴」をすぐに単行本にしてしまった。修整してあるので大丈夫と思ったとか。修整してあっても発禁になったことを知らなかったのだ。そんなアホな。

そうそう、忘れてはいけないのが、79年になってからのことだ。『エロジェニカ』と『大快楽』は、ちょっとした抗争になったのだ。すなわち、『大快楽』の編集者・小谷哲がコラムで『エロジェニカ』を攻撃し始め、さらに『大快楽』の執筆者・板坂剛(日大全共闘の一員だったとか)が、『エロジェニカ』執筆者の流山児祥を攻撃、「流山児殺し完成」とまで書いた。怒った流山児祥は、板坂を呼び出し、白星、下北沢の路上でKOしてしまった。その後、俺は呉智英と新宿の酒場で出くわした。

「勝った方? 負けた方?」

呉智英、ややシンチョーに聞く。

「トーゼン、勝った方」

そう答えると、呉智英はニッコリして、板坂剛の悪口をいいだした。「頭のコワレた奴で、青林堂も困ったもんだよ(板坂は青林堂から本を自費で出していた)」

まーどちらにせよ、みんなアホだったことはまちがいなく、実は『大快楽』にあと一回、文章で攻撃させ、編集部を攻撃するというのがこちらの計画だったのだ。やっぱり一番のアホは俺かも。その時は、もう一人の武闘派のマンガ家、九紋竜が一緒に行くことになっていた。

もっとも、日本刀をもっていくといってたから、そうならなくてよかったのかも(『大快楽』もそれを迎え撃つつもりだったとマンガ家のいつきたかしがいっていた)。

ひさうちみちおによると、小谷哲はキョーフにふるえ、俺たちもいる新宿には行きたくない、殴られるといっていたとか。しかし、大襲撃は考えてもこちらに小さなテロのつもりはなかった。誌面ではオドシたけど。

その前後より、流山児祥(元青学全共闘・副総長)は、亀和田武(元セイケイ大全共闘・構改派)を攻撃していた。

流山児は、麒麟児拳(きりんじけん)というペンネームで政治的なコラムを書いていた亀和田をきらっていて、「プロ学同の亀和田か? ミンセイみたいなもんだ」といっていた。

その亀和田は、俺が流山児に反論するようにいったのに拒絶し、その後、『劇画アリス』の仕事をサボってクビになり、『大快楽』に執筆、なぜか流山児ではなく、文章で俺の攻撃に出た。

今、明かすが亀和田の劇画論にローザ・ルクセンブルク理論をあてはめたものがあるが、あれは俺が教えたものだ。つまり平岡正明の「マリリン・モンロープロパガンダである」に出てくるのを劇画にあてはめることができると。喜んで、それイタダキといった亀和田はこの件では俺の教え子(笑)だったのになんだ!?

そこで俺も亀和田を攻撃、決闘となる予定が、亀和田は逃げてしまった。腰抜けだった。ちがうというのならいつでも対決してやるよ。連絡してこい。

亀和田は、その後、俺が『創』に執筆すると聞くと書かせろなどワメイたりセコイ奴だった(彼は編集部に同窓生がいた)。

米沢嘉博は、俺と亀和田の闘いを、「内なる寺山修司平岡正明の開い」と評したがマチガイ。俺は、学生時代、新聞会で平岡正明に原稿を依頼した平岡ファンで、亀和田も平岡ファン。そういうことさ。

亀和田は後に、ワイドショーのニュースキャスターとなって「全共闘くずれのエロ本屋だぜ」ときったタンカも忘れて「雅子様雅子様」というようになった。それを中森明夫にヤユされると、「いつそんなこといった?」と反論している。自分のいったことも忘れるのは底抜けのアホだからしょうがない。

いずれにせよ、彼は楽界から去った。同じく、俺もアホで劇団をつくって芝居をやるようになった。でも、業界とはつきあっている。

『大快楽』の菅野・小谷コンビは、なぜか*3コンビ分かれをした。小谷哲が今どうしているのか、わからない。菅野邦明とは数年前、白泉社の仕事を一緒にした。それから、たまに会うチャンスがある*4

20年の歳月は、当時のさまざまな人々を変えていった。ブームの元祖、石井隆は映画監督に転じて成功した。ダーティ・松本は今も健在で、エロ劇画の巨匠になった。中島史雄はその後、メジャーの『ビジネス・ジャンプ』で活躍するようになった。小多魔若史は、痴漢の本を出版し、話題になった。清水おさむは、村岡素一郎の『史疑徳川家康』を劇画化し、高く評価された。村祖俊一はその後『少年チャンピオン』や一般誌とエロ劇画誌の両方で活躍した。

とばっちりを受けた北哲矢、人生美行がどうしているのかは今はわからない。もうマンガはかいていないのだろう。

そういえば、最近、小学館漫画賞を受けた、いがらしみきおが、受賞の時の経歴でデビュー作品をあげ、『漫画エロジェニカ』掲載、と書いてあるのを見て感激した。

若い人は20年前のエロ劇画誌など知らないはず。何度かこの雑誌について書くチャンスも、あったが、伝説の雑誌になるほどのものでもないだろう。

元『大快楽』の菅野邦明とその頃のことを話した時、

楽しかったね。セイシュンだったね。

と彼はいった。

そうだね。みんなアホだったね。

それが、俺の応えだった。

(同人誌『発禁20周年本 真・堕天使たちの狂宴』所載)

 

三流劇画ブーム・抗争は燃え上がった

ぼくが『漫画エロジェニカ』の編集をまかされたのは、1977年、25歳の時であった。

その直前に、この雑誌には、川崎ゆきおの連載が始まっていた。川崎ゆきおは、ぼくの出身大学の新聞に原稿を書いてもらったこともあって、お願いしたのである。エロ劇画誌に、『ガロ』のマンガ家が登場するのは、当時の業界では、掟破りであった。業界では、『ガロ』を別世界と考えていたのだ。

しかし、同じ会社の『快楽セブン』には、渡辺和博の連載も始まっていた。この会社は、唐十郎・編集の文芸誌『月下の一群』、ジャズ雑誌『ジャズランド』、詩の雑誌『銀河』などを発行していて、業界から少しズレていたのだ。社長は安保全学連くずれで、編集局長は日大全共闘くずれであった。『快楽セブン』の編集者は、『ジャズランド』からエロ劇画誌にうつり、彼も67年の羽田闘争に参加したことがあった。この会社にぼくは安西水丸などの紹介で入ったのだ。ぼくは、学生時代から『ヤングコミック』(上村一夫・真崎守・宮谷一彦が三羽ガラスといわれた頃だ)のようなマンガ誌をつくりたいと思っていた。この雑誌は、コラム欄も充実していて、奥成達平岡正明竹中労が、小説では筒井康隆などが書いていた。

『漫画エロジェニカ』をまかされた時、したがって、ぼくは燃えた。ポリシーは、決まっていた。〈掟破り〉だ。まず、読者欄を充実させようと思った。エロ劇画誌に読者はハガキなんかよこさないという、定説をくつがえそうと思ったのだ。同時に、マンガ家の名前を売ろうと思った。エロ劇画誌は、マンガ家名よりも、SEXシーンにしか興味がない、という当時の定説をくつがえそうと思ったのだ。

そのために、読者による人気投票を試み、マンガ家名を書いてもらって、記憶してもらおうと思った。マンガ家の人気投票は、大手の少年誌でもやっている。しかし、それは、公表されることはない。この《掟》を破ろうと思った。人気投票は、雑誌に、正直に毎月発表した。

偶然にも、このことが、執筆マンガ家たちを燃え上がらせることになった。やはり、トップをめざしたく力を入れたのだ。

当時、石井隆がエロ劇画家として大ブームとなっていた。ぼくたちは、石井隆に追いっき、追いこせと考えた。

執筆陣は、ダーティ松本村祖俊一中島史雄清水おさむ、といったマンガ家がレギュラーとなっていた。『ガロ』出身の蟻田邦夫もいた。そして川崎ゆきおだ。

川崎ゆきおがかいていれば、『ガロ』の読者も注目するだろうと思っていた。

確かにこの予想は当り、サン出版の雑誌で『漫画エロジェニカ』に注目、といった記事が掲載された。匿名の記事だったが、後に、米沢嘉博が書いたものだと知った。川崎ゆきおにも触れた記事である。

〈雑誌倫理協会〉というのがあり、この協会に会社は加盟していなかった。この協会は、確か、女子高生の表現には、気を配るようにとか、文書にしていたが、〈掟破り〉をめざしていたので、女子高生はテーマとしてメインにした。

先輩は、「肉体労働者、まぁトラックの運転手などが読むんだ」といったが、ぼくは、マンガ好きの学生中心に方針を変えていった

『快楽セブン』の編集者は、寺山修司の言葉をマネて、「性の失業者/セックス・プロレタリアートのためだ」といったので、それなら学生だろうと思ったのだ。これも〈掟破り〉だったのかもしれない。さらに、月刊エロ劇画誌に、連載ものは無理だ、というのがあった。

これを破ろうと思った。最初は一話完結形式で、村祖俊一が「娼婦マリー」を始めた。

大丈夫なので、連載は、北哲矢・北崎正人の「性春・早稲田大学シリーズ」など、増えていった。

ギャグ以外の全てのマンガ家と打ち合わせをした。テーマ、ストーリー、といったところだ。喫茶店での打ち合わせは、マンガ家が恥ずかしそうに原稿を見せたので、そういう日陰もののようではいけないと、ぼくは大っぴらに原稿を広げた。マンガ家の一人はそのことに感激した。

コラム欄も流山児祥のプロレス論、岸田理生のSF紹介、平井玄のロック論が好評となっていた。少女マンガ論はぼくが書いた。

まかされた時の発行部数は、5万5千部、返品率4割5分。

社長は、「売ってくれれば、何をしてもいい」といった。

結果、『漫画エロジェニカ』は、おそるべきスピードで発行部数を伸ばしていき、我々はあしたのジョーであると宣言した。全盛期には12万部発行、返品率1割へと上昇した。当時のエロ劇画誌のトップになったのだ。

読者のハガキは大量にやってきて、編集部にも、読者が次々に遊びにきた。

ただ残念なのは、こういう時も、東大生、京大生が一番乗りで、アングラ・サブ・カルチャーもエリートが早いのか、と思ったことだ。ほどなく京都府大に「エロジェニカ読者の会」ができた。

『漫画エロジェニカ』がブームになっていくと同時に、『大快楽』(7万部)、『劇画アリス』(3万部)というマンガ誌も、御三家と呼ばれ、セットで、三流劇画ブームといわれることが多くなっていった。

最初は、大阪の情報誌『プレイガイドジャーナル』で、ぼくと、『劇画アリス』『官能劇画』の編集者が座談会をもったのがきっかけであった。77年のことである。この時、司会の人に、「トレンディになって、若者が小ワキにかかえて、原宿や渋谷を歩くようになったら、どうします?」と問われた。「そんなことにはなりませんね」と答えた。「当局に弾圧されたら、どうしますか?」とも問われた。「それは、わからないけど、弾圧されるとしたら、『エロジェニカ』でしょう」とも答えた。

なにしろ、掟破りだったので、どこかで覚悟していたのだろう。

劇画アリス』の編集長・亀和田武は、自らの上半身ヌードを表2に掲載し、気を吐いていた。

執筆陣は、飯田耕一郎井上英樹、つか絵夢子などであった。

77年、『漫画エロジェニカ』と『劇画アリス』がまず、話題になっていった。

日刊ゲンダイ』『夕刊フジ』などで『漫画エロジェニカ』が、『報知新聞』などで『劇画アリス』が記事になった。

そして、78年、9月に『11PM』がエロ劇画の特集を組み、出演したエロ劇画家4名のうち、中島史雄小多魔若史清水おさむと、3名までが『漫画エロジェニカ』のレギュラーであったことと、ぼくが出演して話したことが当局を刺激し、『漫画エロジュニカ』11月号(10月発売)は、発禁となった。

メインは、ダーティ松本の作品であった。彼は人気投票に燃え、性表現をエスカレートさせていた。他に村祖俊一、北哲也、小寺魔若史も問題となった。

NHKニュースはその日のラストに、このことを報道した。表紙が映った。その後、「君が代」が流れた。見ていた表紙のイラストレーターは、「俺の絵が全国ニュースで流れた」とコーフンした。

営業部長は、万才をし、「これで、もっと売れる」といったのだからたいしたものであった。安保全学連くずれの社長は、週刊誌の取材に、「遠いところで革命とつながっている」といったのだから、もうムチャクチャだった。

『別冊新評』は、「石井隆の世界」を出版した後、79年初春に「三流劇画の世界」を出版した。ブームはピークとなった。

79年に入って、『漫画大快楽』は、三条友美あがた有為などエロ劇画家の他に、『ガロ』で活躍していた、ひさうちみちお平口広美がエロ劇画を執筆し始めた。

劇画アリス』は、吾妻ひでおが連載し、奥平イラ、まついなつきが執筆した。

『漫画エロジェニカ』は、いしかわじゅんが『憂国』を連載、山田双葉(後の山田詠美)も連載、柴門ふみペンネームで執筆、いがらしみきおがデビューした。ひさうちみちお吉田光彦も執筆した。

三誌とも、エロ劇画+ニューウェーブ系マンガ家で、話題となったのである。

79年、その『漫画大快楽』のコラム執筆者・板坂剛(元・日大全共闘)が、『漫画エロジェニカ』のコラム執筆者・流山児祥(元・青学全共闘副議長)の批判を始め、「流山児殺し完成」とまで書いた。怒った流山児祥が、白昼、下北沢の路上で板坂剛をKOしてしまった。もう、ムチャクチャであった。流山児祥は、『劇画アリス』の亀和田武(元・成蹊大学全共闘)の批判もした。理由は、亀和田が構改系だったということらしい。「ミンセイみたいなもんだよ」といっていた。ぼくは、『劇画アリス』にマンガ論を書いていたが、これでパーになった。亀和田武は板坂の味方となり『大快楽』で流山児祥ではなくぼくの批判を始めた。頭にきたぼくは彼をKOしようとしたが、彼は逃亡した。それで高橋伴明(こっち側)と戸井十月(向う側)を立合人として果し合いを申し込んだが逃げた。

『漫画大快楽』と、『劇画アリス』をクビになった亀和田VS『漫画エロジェニカ』の抗争といわれるものだ。オーラル派VS武闘派の抗争であった。

次は我々が、『漫画大快楽』の編集者を攻撃するという噂も流れ、『大快楽』のマンガ家の中にも受けて立つという人もいたらしい。こっち側のマンガ家には日本刀で殴り込むと豪語する人もいた。天井桟敷の劇団員(コラム執筆者)も殴り込むといった。

もうハチャメチャであった。

しかし、『漫画大快楽』の編集者は、退社してしまった。

79年、『アリス』は、次の編集者の代で休刊、『大快楽』も編集者が代り、80年に『エロジェニカ』を休刊、エロ劇画ブームは沈滞した。

先日、小学館のパーティで、元『大快楽』の編集者の一人と会って、その頃のことを話した。みんな20代後半であった頃だ。なにしろ若かった。燃えていた。

「面白かったよね」と、元『大快楽』の編集者がいった。

「うん。セーシュンだったね」ぼくはいった。

「もう、あんなムチャクチャもないね」「そうだね」

三流劇画ブームは、歴史のかなただ。でも僕たちは、それをまだ胸にしまっている。

(文中敬称略/月刊『ガロ』1993年9月号「三流エロ雑誌の黄金時代」所載)

*1:俺も亀和田も一人で一誌を編集していた。また『劇画アリス』(亀和田担当)に俺はマンガコラムを掲載していた。

*2:当時、「なぜ『エロジェニカ』ばかりマスコミに取り上げられる。俺なんか30年やってるけど一度もない」と遠山社長がいっていた。それは邪道じゃなかったからさ。喜ぶべきだろう。

*3:知ってるけど、書かない。トホホだから。

*4:板坂剛に会ってるかと聞くと、全然と答えた。編集部のそそのかしもあって、流山児攻撃を書いたという。それにしちゃカワイソウだといっておいた。板坂剛に関していうと、77年だったかに一度会った。名刺がわりに女の股間をストローで吸ってる写真をくれた。 これで、持っていた『エロジェニカ』をあげるのをやめようとした。同席した府川充男が強くすすめたのであげたが…。板坂ファンの『ハードスタッフ』で、俺が雑誌をあげたのをウレシソウに書いている。が、シブシブあげたのが真相。アホらしや