あーえーと ケラです。
精神科医の春日武彦先生と作家の平山夢明先生の対談本『「狂い」の構造』(扶桑社新書)を読んでます。人間の狂気というと、実は漠然としすぎて掴み所がない、といった印象ですが、本書ではそれらの理解の互助になると思います。
まぁ本書の主題では無いんですけど、障害やビョーキを語る時って「差別の肯定」と「現状の認識」を履き違えた頭の固い(悪い)偽善者が色々うるさいんで、どーしてもオブラートに包みがちで、「逆差別」「不謹慎狩り」「人権ファシズム」なる新語が出る始末ですが、両者間での議論は未だ平行線のままです。
そんでもって公の場では「まとも」に障害やビョーキに関する話が出来てないよーに思ってたんですが、さすがはこの二人、歯に布を着せずズバズバ語ってます(笑)。
さて面倒くさい・無気力・怠慢・尊大・鈍感・無意味・・・これら人間が無意識のうちに持つ「面倒くささ」が実は「狂気」に直接結びついてると、二人は語ります。
本書では特に触れられていませんが、以前「北九州一家監禁殺人事件」を起こした主犯格の松永太が個人的に気になり、彼が事件を起こした「動機」が気になったことがあって、ググったら知恵袋の以下の回答に辿り着きました。
>>何で松永太は、こんな事を起こしたんでしょうか???
働きたくないからですね。
普通の人は金を得る手段に普通は貴賎をつけるもんです。周りの人を苦しめない方法で稼ごうとするのは当然ですから。ですがサイコパスは爬虫類的な思考回路なので一番効率の良い方法を取ろうとします。金を騙し取るとか、殺して奪うとかね。事件の顛末など卵を産まなくなった雌鳥を〆るような、畑から大根を引っこ抜くようなそんな状況を見ているようです。サイコパスは法に触れれば逮捕されるのを知っているので隠蔽工作は入念に行います。法に触れるから普段はやらないだけというのが恐ろしすぎる。
働きたくない・楽して金を稼ぎたい・・・
これらも「面倒くさい」に起因する感情ですよね。普通の人なら「ニート」「引きこもり」「株投資」といったものに落ち着くんでしょうが・・・一部の人やサイコパスにとっては他者から搾り取るという思考に結びつくようです。
こうした「面倒くささ」が実際に殺人といった重大事件や、それ以外にも些末な数多くのトラブルに結びついてると認識してる人は実は少ないのではないでしょうか。
さて、僕は発達障害(アスペルガー)なんですが、障害を言い訳に好き放題する人間・・・まあ病気を免罪符にする人間全般が大嫌いなわけですね。タチが悪いのは個人の資質の問題を「自身を不幸にした」として社会に責任をなすりつけ、最悪の場合では無差別殺人とか凶行に及ぶなんての。
そのくせ「俺は悪くない!」といった、むしろ被害者意識まで持っていて、自身の責任を何処か他所にぶんなげる。これも「人間の弱さ」のひとつなんだろうけど、障害やビョーキ持ちだと、ソレが顕著に出てるよーな気がする。
「私はビョーキなの!!私は悪くない!こんな私にした社会が悪い!分かったなら私をいたわれ!クソブタ定型者!」って感じに、こんなんに憐憫の情なんて抱けるかっての(笑)。暴発的なルサンチマンには本当に困りますね(笑)。
そもそも発達障害とか、そうゆう概念はマジョリティ側の人間が、理解しがたい少数派相手に勝手につけた符号みたいなもんで、そんな曖昧な符号を自分のアイテムにしたり、SNSで傷をなめ合ったり・・・正直マジョリティの手のひらで踊らされてますよソレ。本書にはこれら自分の思ってたことが割とそのまんま書かれてたので、下記に引用させてもらいます。それではまたお会いましょう。
春日 病名が免罪符になるようなこともあると思うんだよね。そういう意味では、「ナントカ症候群」とか新しい病名が「今年の新商品」みたいなところもあるよ。
平山 「春夏ブランド」みたいな?
春日 そうそう。
平山 でもさ、身の回りのものを片づけられない人がいて、「昔から私は整理整頓が苦手だし、どんどん落ち込んでダメになりそうだったけど、”多動性注意何とか症候群”とか”ADHD”だとか言われて、『そうか、私は病気だったんだ。私がだらしないんじゃなかったんだ』と思ってバラ色になりました」みたいな。春日 だけど、実際の現状は何も変わらない。平山 同じなんだよね。でも確かに、そうやって苦しんでいる人が、そんなふうに言われて幸せになる、気持ちが安定することはあるんでしょうけどね。春日 まあ、立つ瀬を与えるんだか、逃げ口上になるんだかは知らないけどね。