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新人類世代の閉塞 サブカルチャーのカリスマたちの自殺/世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感

新人類世代の閉塞
サブカルチャーのカリスマたちの自殺
 
60年代生まれ。高度経済成長の真っただ中で育ってきた「おたく」。ライフスタイルを生み出した世代である。いま、彼らにとって、生きにくい時が訪れているようだ。なぜ死を選ばねばならなかったのか。
 
41歳の引きこもり死。そう呼んでもいいような、終わり方だった。今年6月17日、神奈川県の自宅で首つり自殺をした青山正明さんの死を知り、多くの出版関係者が驚きを隠さなかった。青山さんは慶応大学法学部を卒業後、精神世界、クスリの裏情報や音楽のディープな記事を得意とするライターとして、また裏サブカルチャームックの編集者として知られていたが、去年あたりから母親と暮らす実家からあまり出ることもなくなり、仕事もほとんどしなくなってしまったという。

新人類的サブカルチャーのある一面を象徴するような生き方をした青山さんが、なぜこうした形で生を絶ったのか?くしくも彼が編集したムックに漫画を描き、単行本に推薦文を寄せたこともある漫画家ねこぢるは98年、31歳で自殺。

さらに同じねこぢるの本の推薦文を書いたXJAPANのhideも98年に33歳で自殺した。いずれも60年代生まれで、高度経済成長時代に子供時代を送り、バブル期に社会に出て「次世代型」と注目を集めた新人類世代だ。

戦後の混乱期に生まれた団塊の世代は、政治や大学組織など「社会体制」へのアンチムーブメントとして学生運動にのめり込んだ。
 
その下の新人類世代は既成の「モラル」や「常識」を、ずらしたり逆転させたりするツールとしてサブカルチャーを作り出した。この動きは性や生、精神世界など多分野にわたり、「おたく」という特有のライフスタイルを生む。
 
80、90年代に世に出たサブカル系雑誌は、常に時代の「半歩」先を目指し、世相の根っ子への挑戦に満ちていた。
 
○社会と適応困難な自分
ねこぢるの作品もカワイイ猫のキャラクターとは裏腹に子供の無垢な眼で人間の残酷さ、狂気を深く抉るもので、一般受けする漫画というより、むしろ好き嫌いの分かれるカルト的な人気漫画だったが、こうした志向性ゆえに新人類世代は社会生活と馴染み難く、「生き辛い」という感覚を持つ人もまた多い。
 
一流大出身で、アンダーグラウンドの世界のカリスマ的存在でもあった青山さんの自殺は、新人類世代の突き当たっている閉塞を象徴しているようにも思える。

4年前、AERAの取材のために新宿で会った時、長髪の彼は細い身体の背を少し丸め、礼儀正しい物腰で喫茶店に現れた。そこで彼が話してくれたのは、社会と適応が困難な自分に悩む繊細な彼自身の人間像だ。
 
子供時代は成績のいい優等生だったが、高校に入るとハードポルノを海外から個人通販で手に入れるようになる。そして大学時代は新聞紙面で叩かれるような猟奇趣味のエログロ・ミニコミを発行した。学歴エリートという顔とは裏腹なもう一つの顔が、彼の名を出版界で広めた。

そして編集・ライターの仕事では、彼が寄稿していた雑誌の性格から「鬼畜系」と呼ばれるアンモラルな世界の住人と見られ、大手マスコミ紙上でも「世の中を駄目にする」とバッシングを受けた。
 
○「癒し系」で行く矢先
が、もっとも彼の葛藤の種になったのは、少女を欲望の視線で見てしまう性的な歪みだった。心の擦れ違いから最初の妻とは心ならずも破局を迎え、大きなダメージを受ける。
 
「自分の頭で考えていた自己像と、現実の自分がかけ離れていることが、ロリコンになった一番の理由だと思う。妻とやり直したかったから修復するために努力したが、ある日、突然『あなたが嫌な理由』と紙に個条書きにして、出て行ってしまった」
 
クスリ関係のムック出版と前後して、麻薬所持で逮捕。結局、執行猶予で終わったが、仕事仲間の編集者、木村重樹さんによると、「このあたりから仕事の打ち合わせにこられなくなるなど、引きこもりに近い状態が始まっていた」という。
 
そして2番目の妻は、「自分が保護して面倒をみないとだめになる」というタイプの女性を選んだが、彼は実家に戻ってしまい、その後、破局を迎えた。
 
昨年は雑誌に精神免疫学や仏教的「諦観」などの上に立つ「幸福論」を寄稿し、「鬼畜系にもう新鮮さはない。これからは『癒し系』、『悟り』で行くといっていた矢先の死だった」(木村さん)という。
 
どちらかと言えば人間関係などに気を使いすぎるほどの繊細さと、「鬼畜系」のイメージとのギャップ。音楽や精神世界の知識は膨大に持っていながら、現実に手掛けていた仕事とのギャップ。学生時代から抱いていた自己像と現実の落差は、ついに解決できなかったようだ。
 
○影を潜めるサブカル色
青山さんを裏カルチャー界のカリスマにしていたアンモラルな遊び思想は、新人類世代がバブル期に咲かせたサブカルチャーの流れの上にあるが、その後は彼の精神性や遊びの部分が抜け落ちた、エログロの部分ばかりが「商品」として模倣されていった嫌いが否めない。
 
さらにこの新人類カルチャーは不況や社会の生活保守回帰という志向の変化などに圧迫され、いまや閉塞的な状態となっている。それが最も顕著に表れているのは出版界だろう。
 
最初にこの流れを作ったのは、宝島社の「別冊宝島」シリーズだ。80年に発売され、その後、驚異的なロングセラーとなった「別冊宝島・精神世界マップ」をはじめ、「トランスフォーメーション・ワークブック」「気」「現代思想」など精神世界ものでヒットを飛ばし、やがて「クスリ」「セックス」を経て、90年代には「死体」「悪趣味」「自殺」「サイコパスなどアンモラル系へ走っていく。
 
まさに時代と共に走ってきたこのシリーズが、新人類サブカルチャーの普及に果たしてきた役割は大きいが、最近はサブカルチャー色は全くと言っていいほど影を潜め、英語、パソコン、ダイエット、ビジネスものなどの実利的な特集や、「別冊宝島Real」としての権力内幕ものなどが主流となって、大きな様変わりを見せている。
 
別冊宝島で「死体の本」を手掛けた井野大介さんは、「当時は編集者がテーマのラインナップを決めていたが、今はマーケティング的なリサーチで営業サイドから決まるケースもかなり多い」という。
 
会社の規模が大きくなったため商品としての確実性が重視されるようになったことに加え、不況も影響しているようだ。直接、面識はなかった青山さんの死については、「確かにああいう形でサブカルどっぷりの人たちは、今、息苦しそうだなと感じますね」とショックを隠さない。
 
一方、青山さんも愛読していたねこぢるの自殺の直接の理由は謎だが、最後の単行本となった『ぢるぢる日記』に夫の漫画家、山野一氏が、こう追悼文を寄せている。

「……『波長』の合わない人と会うことは、彼女にとって苦痛で、それが極端な場合には、精神的にも肉体的にもかなりのダメージを受けていたようです……(中略)……しだいにテクノやトランスの、神経質な音の世界に沈潜することにしか、安住の場所を見いだせなくなっていきました……」
 
「ガロ」で担当編集をしていた高市真紀さん(青林工藝舍)によると、「外にはほとんど出ず、喫茶店も嫌いで、原稿はいつも自宅に取りに行っていた。お世辞や社交辞令には、かなり敏感に反応してしまい、世間づきあいは苦手だったが、漫画家だった私の姉が自殺したときは『後追いするのでは』と心配して、親身に話を聞いてくれた」とあまり知られていない横顔を語る。
 
編集者やマスコミ関係者とも、限られたごく一部の気の合う人間とだけ付き合う、内向的な性格ながら、親しくなると「家へ遊びにおいで」と誘ってくれる。そんなねこぢるに「心を見抜かれそうでこわい」と緊張していた高市さんに「大丈夫、緊張しないで」と声をかけてくれる、繊細過ぎるほどの優しさもあったという。
 
○思想への昇華に弱み

93年に発売された鶴見済氏の『完全自殺マニュアル』が100万部を超えるベストセラーになったのも、こうした「社会の中で生きる意欲を感じにくい」という世代の感性ゆえだろう。
 
鶴見氏も新人類的サブカルチャーのカリスマの一人だったが、全国8県で「有害図書」に指定されたうえ、東京都でも今年7月「青少年健全育成条例」に抵触する「不健全図書」扱いとなった。続く『人格改造マニュアル』も、有害図書指定の動きがあり、規制の網はますます厳しくなっている。

ここ数年は消費動向も変化してきた。30~40代夫婦もペット、ガーデニング、リゾート、パソコンなど生活・情報志向になり、出版・メディア界のサブカルチャー色を圧迫する傾向にある。新人類が始めたサブカルチャーは、むしろその下の団塊ジュニア世代に、ネットなど水面下で受け継がれている形だ。

新人類世代はサブカルチャーを「居場所」として発掘した最初の世代ではあるが、それを哲学や思想にまで昇華しようとする動きが少ないことが最大の弱みだろう。過渡期の徒花で終わるか、オリジナルの何かを遺産として残すのか。まさに新人類よ、何処へ行く、である。(ジャーナリスト・速水由紀子
 
所収アエラ』2001年11月19日号

 <訂正>『完全自殺マニュアル』が、東京都でも「『青少年健全育成条例』に抵触する『不健全図書』扱いとなった」とあるのは、「『不健全図書』に指定されていない」の誤りでした。
 
世紀末カルチャー
残虐趣味が埋める失われた現実感
 
以前なら「忌諱に触れる」とされたはずの嗜好が、 日々の生活にまぎれ、若い女性らの心をも掴んでいる。現実感と規範を失いつつある社会が、その裏に透けて見える。都内に本部を置くレンタルビデオの大手チェーンは、五月に予定していた犯罪映画キャンペーンを取りやめた。
 
取り上げた新着ビデオ三本のなかに、「土師淳君を殺した犯人が、影響を受けた可能性がある」と、捜査本部に名指しされた映画「フェティッシュ」が含まれていたからだ。富豪夫人ばかりを狙って斬首する連続殺人犯が登場するところが、淳君殺害を思わせると、リストにあがったらしい。
 
この作品は、殺人鬼と殺人オタクを題材にした、Q・タランティーノ製作総指揮のブラックコメディー。流血の場面は多いが、設定も筋書きも現実離れしていて、犯行の参考になるかどうか疑問ではある。
 
○増える女性のファン
巻き毛、白い肌、赤い唇と、白雪姫のような風貌のヒロインは、小さいころから異常に犯罪に興味を示し、テレビの犯罪番組チェックや新聞記事のスクラップを欠かさない。長じて、マイアミにある民間の殺人現場処理会社に就職し、ひょんなことから連続殺人鬼と対決するはめになる――。
 
「内容はホラーといったものではありませんが、時期が時期だけに目立つところに置くのはまずいだろうと……」チェーン店の本部も、当惑気味だ。この時期、「殺人オタク」「斬首」といったキーワードが、すべて「酒鬼薔薇聖斗」に結びついてしまう。
 
しかし、いまや映画、音楽、美術、コミックなどサブカルチャーの世界で、「死体」や「殺人」は、欠かせない要素だ。女の子のファンも、増えている。専門学校に通うイクミさん(一八)のお気に入りの映画は、米国の殺人鬼エド・ケインをモデルにした「悪魔のいけにえ」。殺人現場や手術の場面などが載っている雑誌を見ると、つい買ってしまう。「血がぐちゃぐちゃっていう感じが、いい」とにかく、寄生虫とか、へんな触感のおもちゃ、へんな漫画と、「気持ち悪いけど気持ちいい」ものに目がないという。
 
美大生のルミさん(二一)は、数年前、ナチ収容所の写真展を見てショックを受け、人体解剖図や死体の写真を集めたり、それをモチーフに絵を描いたりするようになった。
 
○不確実な生きる実感
ルミさんは、太りたくないと、思春期に入るころからダイエットを続けてきた。いまもTシャツの上から肩やあばら骨を確認できるほど、痩せている。からだは軽く、汗なんかもあまりかかず、というのが理想だった。その一方で「生きてるって感じ」を求めていた。
 
「わたしも、ほんとに死んじゃうのかな」と、軽く手首にカミソリをあてたことも何度かある。 親戚の葬式には出たことがあるが、人の死体をじかに見たことはなかった。死体写真をつぶさに見たり描いたりしていると、自分も肉体をもつ人間なんだ、という実感がわいてくる。「現実に、直前まで生きてた人が、肉の塊になってる。それって、すごく不思議じゃありませんか」
 
「死体」や「殺人」がもて囃されるようになったのは、九〇年代に入ってからのこと。 美女の死体が象徴的に扱われるデビッド・リンチ監督の「ツイン・ピークス」がブームになり、死体や死をイメージした美術写真が人気を集め、タレントの小泉今日子さんが写真集の中で死体に扮したり。
 
書籍では、ロバート・K・レスラーの犯罪心理シリーズの存在が大きい。九四年に出版され、百万部を超えるベストセラーになった『FBI心理分析官』(早川書房)は、日本の書籍では見られなかったような生々しい事件現場などの写真を収録。翌九五年からは殺人百科『週刊マーダー・ケース・ブック』の刊行も始まった。
 
こうした本や映画の背景には、八〇年代に入って、米国で連続殺人犯(シリアル・キラー)が続出し、彼らの出版した自伝がベストセラーになったり、サインが売りに出されたりという、現実の裏打ちがある。
 
加えてインターネットの普及で、海外発信のきわどい画像が手軽に取り出せるようになり、日本では主に自動販売機などで売られていた「悪趣味」分野の本も、一般の書店に並ぶようになった。
 
その代表格ともいえる『危ない1号』(データハウス)シリーズは、「鬼畜系カルチャー入門講座」と銘打ち、ドラッグから盗聴までの「あぶない」ネタを網羅している。編集長の青山正明さんによると、読者層は男女半々。
 
「殺人&死体」は、特集の中でも反響の大きい項目の一つというが、青山さんには、いま一つもの足りなさが残る。「目で見て明らかに分かるグロテスクさに人気が集中している。表層的な露悪趣味に、終始しているんじゃないか」
 
「猟奇犯罪研究家」を自称し、海外の連続殺人事件に詳しい翻訳家の柳下毅一郎さんも、「ブーム」に複雑な面持ちだ。「死体も殺人鬼も刺激物として喜んでいる連中が大勢いて、それを説教する人も、自制が働く人もいない。ああいうのは、まっとうな人間がやることじゃないという“つつしみ”が、八〇年代以降、なくなった」と、嘆く。
 
○力を失った社会的規範
佐川一政さんのトークショーなどに集まる観客には、二つのタイプがあるという。一つは、「佐川くん」を通じて人間の心理の深淵を覗き、自分の自我を確立したいといったタイプ。もう一方は、「へんなもの」が目的になっている人々。後者は十代、二十代が多く、最近、とみに増えているという。彼らの口癖は「窮屈な社会からはみ出した存在になりたい」。
 
悪趣味というカルチャーに走ることでしか、自分の存在を確認できない人々だ。酒鬼薔薇聖斗は、「殺人」が自身の「趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある」と、している。彼は、この種の「鬼畜」カルチャーの申し子なのだろうか。
 
上智大学福島章教授(犯罪心理・精神医学)は、こうした文化と犯罪を直接的に結びつけ、排除するような動きが生まれるのを危惧する。人間には暴力性が潜んでおり、それを道徳で抑えている。映画やテレビの暴力には、浄化作用がある、というのが教授の考えだ。「個人的には、あんまり気持ちいいとは思いませんがね」(編集部 高橋淳子)
 
所収『アエラ』1997年6月23日号