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山崎春美のスーパー変態インタビュー(連載第3回/蛭子能収編)「女房の流産を心底喜んだ!? 異端漫画家 蛭子能収」




 

【解説】「ボクは妻の流産を喜ぶ男を、はじめて見たのだった」再デビューの仕掛人山崎春美による、蛭子能収の初期インタビュー。

これは現在管理人が確認している蛭子能収インタビューの中でも2番目に古いものである。蛭子能収・恐怖伝説のひとつ「女房の流産を喜んだ」というのは、おそらくここが初出であろう*1。話は飛ぶが、このインタビューが掲載された雑誌『Billy*2「スーパー変態マガジン」になったのは何の因果か1982年3月号…つまり本号からである。その為か連載1回目の記事がやたらと多い。

 
山崎春美*3は、漫画家をやめていた蛭子さんを見つけるため、青林堂渡辺和博に問い合わせるなどして捜し出し、1979年に伝説的自販機本『Jam』で再デビューさせた張本人のひとり*4でもあるのだが、結局このインタビュー記事を最後に、TACOのCDボックス発売記念イベントで2012年に再会するまで、2人とも世紀をまたいで30年間一切会わなかったという、実に「らしい」後日談も残っている。
 
後日談をもう一つ。
 
実は山崎春美蛭子能収の他にもう一人、ある“カルト”漫画家を発掘しようとしていた。あの怪作『怪談人間時計』で知られる漫画家・徳南晴一郎氏である。
 
徳南晴一郎『怪談人間時計』曙出版 1962年)
 
当時、徳南氏はとっくに漫画家を廃業済みで、山崎の話にも全く応じてくれなかったといい、1996年に太田出版『怪談人間時計』晴れて復刻に漕ぎ着けるものの、その出版の経緯も特異で『Quick Japan』の編集者が復刻を申し入れるため、徳南宅何度も訪れるも、その都度、ほとんど門前払いに近い形で拒絶され続け、その挙句「出版するなら勝手にしろ。ただし印税の受け取りはお断りする」といった主旨の手紙を送り付けられたという。
 
こうして復刻された『怪談人間時計』であるが、それ以前に山崎春美徳南氏に接触を試みたことを書いた文章を再録しておく。
 
 X-LAND 今月の一冊
 
『怪談・人間時計』徳南晴一郎

曙出版・170円

僕の大好きな秘蔵本なんす。めったに門外不出を、ま、出してきました。折角のゲリラ号なので特別大サービスなんよ。

エビスさんねぇ、ハナワさんねぇ、木木しげるねぇ、つげ義春ねぇ、好きなマンガ家は多々あれど、一味ちがうのね。明らかに光っている。

理屈ヌキにスゴイから、ダマされたと思って……一度でいいから……。

今、どこでどうしてるのか、生きてんのか死んでんのか、もし消息を知ってる人がいたら、お願えでごぜえますだ、教えて下せえ。というわけで、読みたい人は連絡して下さい。賃貸しします。面接あり。(ハルミ)

 

  

 

※1981年、自動販売機本『HEAVEN』8号掲載

こうしてボクが『人間時計』を紹介した

山崎春美

 

つい今しがた、マンガ専門誌『ふゅーじょん・ぷろだくと』のバック・ナンバーが送られてきた。グロ専門なエロ雑誌として勇名の誉高き『BILLY』に載せた、蛭子能収なるアブノ漫画家のインタビューについて、一部分掲載に稿料ナシ、の代替えとして、呉れ、と頼んでたのだ。つらつらと眺むるに、思い出されるのは、やはり〈幻の『HEAVEN』10号〉用の漫画を(サイズを間違えつつも)喜々として描いてくれた折の清水おさむ、や、コンサートの機材運びを快くも手伝ってくれた蛭子能収であり、『タコ』のジャケット絵を、それこそ二つ返事に引きうけてくれつつも、相好一つ崩さぬ花輪和一の、がっしりボクサー並みにふしの強い腕と、そんな(かいな)に連なる、いまにもフルエだしそうな指先、などなのだ。

 

ところで『HEAVEN』8号でお披露目した、徳南晴一郎の『怪談・人間時計』を憶えてくれているだろうか。実は、あの時点で既に、早稲田の「現代マンガ図書館」にて件の「人間時計」だけが、ひっそりと復刊されていたらしい。マニアックなものらしく、知る人も少ない、とのこと。中野にある、有名な中古マンガ屋さんに訊いても「ああ、徳南サンねぇ。確か十冊くらいは出たはずだけど、今やどこで手に入るのやら」

 

いずれにしても、一年もたってからそんな経緯を知らされたわけだが、急ぎ問い合わせてみると、もうこれは一介の主婦に成りはってらっしゃる往時の「曙出版」編集長(女性)は、御年四十にも及ぶだろうか、記憶を辿り辿り、しかし「なにしろ、二百部しか作ってないような本のことですから、ねぇ~」。

それはそうだろう。

しかし、蛭子さん時〈ジ〉も、そうだったが、この手の話に、すぐ飛びつく癖が病まないボクとしては、早速に現在の連絡先を訊いたりしたのである。自宅の方は引っ越されたようで不明だったが、勤務先だけは、わかった。大阪の業界新聞だそうだ。

 

関西なんだ、と、ボクは感慨に耽った。

「でも、ムツカシイかも知れませんよ。今はもう昔の興味をすっかり失われてたみたいだし…。それに…なんというか、こう…ちょっとカタワというか生まれつきセムシみたいな身体つきの…。あ、ですから絶対に、その点には触れないよーに」とは、二代目「アケボノ出版」編集長(男性/エロ雑誌関係者らしい)助言。それにもめげず勇鼓を奮ったボクの脳裏には、たとえば、宴会の席で、酒も煙草もやらず、食事に箸さえ付けず、一人ポツンと誰とも喋らずじっと独り居た、とか、夜中、急ぎの原稿を描きながら、唐突に意味もない空笑いが止まらなくなる、などという逸話の数々が、徳南氏自身の人となりに、ダブッて視えたのだろう。

 

早朝だった。なにしろ(たより)といえば手元にある電話番号だけ。(午後に電話しても、判で押したような女事務員のツッケンドンな応答が『取材で居ません』『連絡先? さあ』『自宅をですか? 知りませんけど』と埒が開かなかった)。意を決し、深呼吸する。

 

もはや何度目かの「徳南晴一郎さん、いらっしゃいますか?」と、どうだ。「少々お待ち下さい」。

 

ああ、そして胸も焦がれる、その瞬間は、来た。

「もしもし、あのォ、ヤマザキと申しましてぇ、はじめてお電話する者なんですが……」

「ハイハイ、アノねえ~(強い関西、訛り)いまいっちゃん(=一番)忙しいときなんですわ。用件は? え? いるのアンタ、いらんの?」

「あ、あ、あのォ、ボ、ボク…」

「いらんのね、アンタ、要らんのやね」

ガチャッ。〈電話の切れる音〉

この間、約二十秒。

 

(編集家)

 

※1982年、自動販売機本『フォトジェニカ』掲載『アングラ・コミックス秘話』より抜粋。原稿中明らかに不適切な表現がございますが、この文章の歴史的意味を考慮し、そのまま再録いたしました。

*1:『ガロ』1982年4月号にも本人が女房の流産をネタにした漫画を描いている。

*2:白夜書房発行の伝説的なエロ本。後の鬼畜系ないしアングラ系のサブカルチャーに多大な影響を与えた。有害図書指定を受けて1985年に廃刊。

*3:『Jam』編集者のち『HEAVEN』3代目編集長。1979年に解散したロックバンド「ガセネタ」のボーカル。ニューウェーヴ音楽集団「TACO」主宰。このインタビューから半年後の1982年9月1日、中野plan-Bにて“ハードコアという枠を飛び越え、多くのパンクファンを色んな意味で震えあがらせた”伝説のギグ「自殺未遂ライブ」を行った。

*4:あとのひとりは『Jam』『HEAVEN』初代編集長の高杉弾