追悼文① 月刊コミックビンゴ!
ねこぢるさんの夫、山野一さんから愛読者の方々へのメッセージです。
読者のみなさん
去る5月10日に漫画家ねこぢるが亡くなっことをお知らせします。故人の遺志によりその動機、いきさつについては、一切お伝えすることができません。また、肖像についても同じく公開できません。
彼女の作品を愛読して下さったファンの方々には、故人になりかわり、厚くお礼申し上げます。生前、彼女が作品化するため、書きとめていた夢のメモを、私がいずれ描くことで、読者の方々への説明とさせていただきます。
また、一部マスコミで"某ミュージシャンの後追い"との憶測報道がなされましたが、そのような事実はありません。
ねこぢるはテクノやゴア・トランスといった全く異なるジャンルの音楽に傾倒しており、本人の強い希望で柩におさめられたのは彼女が天才と敬愛していたAphex Twin(Richard D.James)のアルバムであったことをつけ加えさせていただきます。
漫画家 山野一
所収「漫画家・山野一さんからの緊急メッセージ」『月刊コミックビンゴ!』1998年7月号 文藝春秋 195頁
追悼文② ぢるぢる旅行記総集編
漫画家ねこぢるは、去る98年5月10日に亡くなりました。彼女の死の経緯については、故人の遺志により、何も明かす事はできません。
そこで生前彼女がどんな人物であったか、少し書いてみようかと思います。私はねこぢるが18の時から一緒に暮らし、彼女がガロでデビューしてからずっと、唯一の共同創作者としてアシストしてきました。それは私と彼女の作業分担が極めて微妙で外部のアシスタントを入れる事ができなかったからです。
そもそも彼女は漫画家になる気などさらさらありませんでした。暇を持てあましている時に、私の漫画を手伝いたいと言っていたのですが、あまりにも絵柄が違い、ベタぐらいしかやってもらう事がありませんでした。そこで彼女がチラシの裏などに描きなぐっていた無数の落書き…。その奇妙なタコのようなネコの絵が何とも言い難いオーラを放っていたので、それをモチーフに、彼女の個性というか、かなりエキセントリックな感性を取り込んで、私が一本ストーリーを創ったのが、ねこぢる漫画の始まりでした。彼女は自分の才能や魅力というものについてはほとんど無自覚で、漫画を読むことは好きでしたが、自分で何かを表現しようとか、それを誰かに見てもらおうという意識は希薄でした。当初はただ無邪気に絵を描く事の楽しさにハマッていたようです。
ねこぢるは右脳型というか、完全に感性がまさった人で、もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。それはもはや“漫画”というカテゴリーには収まらず、理解できる人も極めて限られたでしょうが、かなり芸術性の高いものになっていたと思います。そのニュアンスを可能な限り残しつつも、とにかく“商業誌に掲載し、それを手にする不特定多数の読者が、少なくとも理解可能”なレベルまでオトすことが私の役目でした。まあいうなれば“通訳”みたいなものです。私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…。上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました。
生前彼女はチベット密教の行者レベルまでトランスできる、類いまれな才能を持っておりました。お葬式でお経を上げていただいたお坊さまにははなはだ失礼ですが、少なくとも彼の千倍はステージが高かったと思われるので大丈夫…。今頃は俗世界も私のことも何もかも忘れ、ブラフマンと同一化してることでしょう。
所収:山野一「特別寄稿・追悼文」『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁
追悼文③ ぢるぢる日記
身長153センチ、体重37キロ、童顔…。
18の時出会ってからずっと、彼女はその姿もメンタリティーも、ほとんど変わることはありませんでした。それは彼女を知る人が共通して持っていた感想で、私もそれが不思議であると同時に、不安でもあったのですが…。
98年5月10日、漫画家のねこぢるは、この世を去りました。
生前彼女は、かなりエキセントリックな個性の持ち主でした。気が強い半面極めてナイーブで、私の他にはごく限られた“波長”の合う友人にしか心を開くことはありませんでした。“波長”の合わない人と会うことは、彼女にとって苦痛で、それが極端な場合には精神的にも肉体的にも、かなりダメージを受けていたようです。彼女程でないにしろ、私にも同じような傾向があり、二人ともノーマルな社会人としては全く不適格でした。
毎日二人して、会社に行くわけでもなく、家でブラブラしているので、ステディーな御近所様方からは「何やってる人達なんだろ…」と、だいぶウサん臭がられていたようです。
そのような自閉的な生活をしていても、彼女にとってこの社会は、やはりなじみにくい場所だったようです。しだいにテクノやトランスの、神経質な音の世界に沈潜することにしか、安住の場所を見出せなくなっていきました。
あと二・三年したら引退して、彼女が好きだったアジアの国々を放浪しようねと、二人で話していたのですが、それを待つまでもなく、インドより、ネパールより、チベットよりも遥かに高い世界へ、一人で旅立ってしまいました...。
所収:二見書房『ぢるぢる日記』(1998年)114-115頁「漫画家 山野一」による「追悼文」
追悼文④ ねこぢるまんじゅう
どうして彼女は…?
「どうして彼女は…」その質問はもう数限りなく受けた。しかし本当のところは私にも解らない。
書かれた遺書は二年も前のものだし。亡くなる前夜は、テレビでやっていた“マスク“というギャグ映画を、二人で見ながらゲラゲラ笑っていたのに…。
ねこぢるはよく“COSMOS“やアインシュタインロマンのビデオを見ていた。中でも量子力学の“シュレディンガーの猫”や“認識した現在から遡って過去が創られる”という、パラノイックで魔術めいた理論に、強く惹かれていたようだ。それはもう宗教や哲学の問題とシンクロしている。ねこぢるがトランス中に話す切れ切れの言葉を聞いてると、彼女がその鋭い感性で、この世界の構造を、かなりシビアな領域まで認識してる事が読み取れた。
まあそんな特殊な能力があった所で、別に自慢にもならず、なんの役にも立たない。むしろ無い方が、アフター5にカラオケでも歌いまくって、有意義な人生を送れるだろう。だって呆れ果てる程殺伐としたものなんだから、何もかも剝ぎ取ったリアルって…。
「どうして彼女は死んだのか?」
そう聞かれたらもうこう答えるしかない。
「じゃああなたはなんで生きてるんですか?」ちなみに私は“惰性“です。生まれてから一度も死んだことがないし、がんばって死ぬ程の理由もないから…。
所収:文藝春秋『ねこぢるまんじゅう』(1998年)112~113頁「漫画家 山野一」による「あとがき」
追悼文⑤ バイオレント・リラクゼーション
彼女の元に来たたくさんのファンレター、その多くは中高生から寄せられたものだが、それを見ると、ねこぢるの漫画の内容のあまりの非常識さに、初めは驚き、とまどいを覚えたものの、次第に引きこまれ、繰り返し読んでいるうちに、自分の心が癒されていくのを感じたという…。またこの世の中や、人間の見方が変わったというものも多かった。
ねこぢるは別に自分の作品で社会批判をしようなどという気はまるでなかった。わざと人の感情を逆なでしてやろうという意図もなく、ただ自分の感性でとらえ、面白いと感じたことを、淡々と無邪気に描いていただけだ。
ではなぜ読者の方々は、ねこぢるの漫画に安堵感を覚えたのだろうか?…それは彼女の漫画がもつノスタルジックな雰囲気のせいかもしれない…。しかしそれよりも、自分との出会い…とうの昔に置き忘れてきた“自分自身”に再開した…そういう懐かしさなのではないだろうか?
まだ何の分別もなく、本能のままに生きていた頃の自分…。道徳や良識や、学校教育による洗脳を受ける前の自分…。社会化される過程で、未分化なまま深層意識の奥底に幽閉されてしまった自分…。その無垢さの中には当然、暴力性や非合理性・本能的差別性も含まれる…。
人間のそういう性質が、この現代社会にそぐわないことはよく解る。どんな人間であれ、その人の生まれた社会に順応することを強要され、またそうしないと生きてはいけない。しかし問題なのは、世の中の都合はどうであれ“元々人間はそのような存在ではない”ということだ。もって生まれた資質の一部を、押し殺さざるをえない個々の人間は、とても十全とはいえないし、幸福ともいえない…。
「キレる」という言葉に代表される、今の若者たちの暴走は、このことと関係しているように私には思われる。未分化なまま抑圧され続けてきたものが、ちょっとしたストレスで、自己制御できないまま、意味も方向性もなく暴発してしまうのではないか…?
ねこぢるの漫画は、そういった問題を潜在的にかかえ、またそれを自覚していない若者達に、カタルシスを与えていたのだと思う。
ねこぢるは右脳型というのか、思考より感性が研ぎ澄まされた人で、社会による洗脳を最小限にしか受けておらず、あのにゃーこやにゃっ太のような子供のままの心をずっともち続けていた。もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。
彼女と親しかったある女性は、ねこぢるの印象を、“いなばの白うさぎ”のようだと話してくれた。
“皮をむかれて赤はだか…” そのむきだしになった繊細な感性が魅力なのだという。でもそういう人間は鋭い反面弱い…。毛皮のあるうさぎ達が、難なくこなしたりかわしたりできることに、一々消耗し、傷ついてしまう…。このような生きにくさ、世の中に対するなじみにくさは、エキセントリックに生まれついてしまった者の宿命なのかもしれない。
98年5月10日 ねこぢるはこの世を去った…。
所収:集英社『ねこぢるせんべい』(1998年)136~137頁「夫・漫画家 山野一」による「あとがき」
追悼文⑥ BUBKA
去る5月10日に漫画家ねこちるが亡くなった事をお知らせします。故人の遺志により、その動機、いきさつについては、一切お伝えする事ができません。彼女の作品を愛読して下さったファンの方々には、故人になりかわり厚くお礼申し上げます。
生前ねこぢるはかなりエキセントリックな女性でした。気が強い反面、社交性はほとんどなく、一人ではレストランや喫茶店に入ることもできませんでした。よく道ばたに座って、自動販売機で買った紙コップのジュースを飲んでいました。
私の他にはごく数人の友人にしか心を開かず、その友人の半分がイスラエル人であった事が、彼女のメンタリティを物語っているように思えます。彼女はよく「みつばちに生まれ変わりたい。」と語っっていました。
それは決してポエジーな意味ではなく、昆虫の、あの思考も感情もなく、死も恐れない…。ただD・N・Aに支配されているような無機質なゲシュタルトの一部になりたかったようです。
また一部マスコミで“某ミュージシャンの後追い”との憶測報道がなされましたが事実ではなく、多分一秒も聞いた事がないと思います。
ねこもるはテクノやゴア・トランスに傾倒しており、本人の意志で棺におさめられたのは、テクノの天才 Aphex Twin(Richard D.James)のアルバムでした。
漫画家 山野一