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『世紀末倶楽部』編集人が語る「ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌」

ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌

悪趣昧雑誌の流行は今に始まったわけではない、昔から大衆の好奇、あけすけな視ることへの欲望はおおよそ悪趣昧なものだといえよう。

作文●土屋静光(つちやせいこう)

プロフィール/あの『世紀末倶楽部』の編集人。現在『トラッシュメン』を手がける。

 

94年に創刊された『TOO NEGATIVE』(吐夢書房)。“禁じられた絵本”という副題が付けられているように、ほぼオールカラーの写真集風の体裁で、死体とフリーク、そしてゲテモノ・ポルノが次々と日に飛び込んでくる。作り手の妄念が肥大したギーク世界が紙面を覆い尽くし、異様な迫力だ。また、挑戦的な消しの甘さと、ローファイでチープなデザインが印象的。創刊当時は、海外雑誌からの豪快なパクリで構成されていたが、その後、新人作家を登用し、独自性を打ち出していく。特に、まだ無名だった、釣崎清隆、トレバー・ブラウン(それ以前にもホワイトハウスのジャケットワークで一部に注目されていた)といった奇才を育てた功績は大きい。悪趣味雑誌としては、10号近く続いた長寿雑誌であったが、後半、編集長が何度か代わり、内容は急速にトーンダウン。

『TOO NEGATIVE』を立ち上げたのは、82年に創刊された、伝説の悪趣味雑誌『Billy』(後に『Billy-Boy』と改題。白夜書房)に参加していた小林小太郎氏。『Billy』とは、死体からスカトロ、獣姦、およそゲテモノならなんでもありの変態エロ本であったが、あまりの過激さに、都から有害図書指定を受け、やむなく廃刊に追い込まれてしまう。また、小林氏は『TOO NEGTIVE』の前に編集していた『オルガナイザー』(吐夢書房)でも警視庁から発禁処分を受けている。現在、小林氏は手作りのコピー雑誌を活動の拠占としているが、過剰な表現は一向に衰えていない。

95年、海外タブロイド誌のテイストを踏襲し、日本的解釈で創刊したのが、『GON!』(ミリオン出版)。B級ニュース雑誌というコンセプトで、メディアから取りこぼされたクズネタで誌面を構成。モノマネ雑誌が何誌か創刊されるジャンルとなった。創刊当時はあらゆる禁忌的テーマを扱っていたのだが、徐々に内容がソフト化。コンビニエンスという規制だらけの流通販路の中での、方向転換はいたしかたない選択だろう。ともあれ、悪趣味雑誌とすれば、最も商業的に成功した例といえる。編集長の比嘉健二氏はそれ以前に、暴走族専門誌『ティーンズロード』を立ち上げているが、門外漢から見れば、本誌『BURST』同様、究極の悪趣味雑誌だ。クラスマガジンにこそ、悪趣味の本質が隠されているのかもしれない。

GON!』創刊前には、東スポや『スーパージャーナル』(竹書房)が、米『Wilkly World News』誌などのフェイク記事(“宇宙人、クリントン大統領と会見”などのビックリ仰天ニュース)を紹介し、注目を集めたが、たんなるアメリカン・ジョークのビジュアル化に過ぎず、悪趣味というタームからはズレるだろう。

95年、データハウスから発売されたのが『危ない1号』。俗に言う“危ない” “鬼畜”系とは、同誌を差す。ドラッグを中心としたカタログ雑誌で、編集の青山正明氏を始め、書き手の妄想が濃い.現在も継続して刊行中だ。

95年刊行の『悪趣味洋画劇場』と『悪趣味邦画劇場』(洋泉社)、今回のテーマから外れるかもしれないが、後に与えた影響から、取りあげるとする。表の映画史から黙殺されたゴミ映画の水子供養ともいえる編集思想は、後に、各ジヤンルで模倣されることとなった。映画というテーマを他に置き替えることができる。90年代に日本でも定着した“モンド”という記号と共に、同時代の出版流行を読み説く一冊だろう。

以上、他人様の雑誌で一席ぶるのは居心地悪いので、これから、自分が関わった愚本を紹介するとしよう。

96年に立ち上げたのが『世紀末倶楽部』(小社)で、まったくもって読者を無視し、自分勝手に趣味嗜好を押し通しデッチアゲた。

1号目はチャールズ・マンソンの特集で、表紙に故石原豪人大先生のイラストを起用。マンソンとシャロン・テートを少年誌の読物画チックに描いてもらったが、営業部から大ブーイング。また、都心の大型三日店の仕入担当者から、「この表紙じゃ売れない」とこぼされたという。だいたい、1号の特集はマンソンを予定していたわけではなく、カルト教団の記事が、どんどんと膨らみ始め、いつの間にやら200頁に達してしまったという企画会議がまったく無意味な、計画性のなさの産物であった。2~3号に関しても、自分の視覚に引っ掛かつてきたグロテスクなビジュアルを適当にループしただけで、台割なしのスクラップブック的メソッドというシロモノだった。ある出版社の編集者に「この本には思想もテーマもない」とひややかに意見されたのだが、その御人が同時期に編集した本の3倍以上も売れたというのがオチ。

そもそも、『世紀末倶楽部』を作ろうと思ったキッカケは、米ミニコミ『FUCK!』と『BOILD ANGEL』との出合いだった。『FUCK!』。日本流に言えば“オマンコ!”と付けただけのセンスのカケラもない題名。医学書から気に入った死体やフリークの図版をハサミでジョキジョキと切り取って、雑に貼りつけただけのレイアウト。空白のスペースに手書きの文章が入っているのだが、「Killl Killl Killl」「FUCK! FUCK! FUCK!」など、公衆便所のラクガキ以下のメツセージで、日頃のうっぷんと欲求不満を書き殴っているようにしか見えない。編集はバンドーロ・フィリップという素性不明の青年で、あの世界一ポピュラーな悪趣味雑誌『ANSER ME!』編集長、ジム・ゴードにして、「理解不能」とサジジを投げるほどの、オツムのネジが緩んだバカボンだ。

彼が何をしたいのかは分らない。だが、彼が何かをやり続けなければいけないということはよく判る。ある号では、自分のクソを誌面に塗りたくった(本物!!)頁がある左官ぶり。20号近くも刊行されているのだが、どの号をとっても大差はない。“継続は力なり”とはありきたりな感想だが、進歩も後退もない、その誌面はとにかくパワフルだ。

かたや、『BOILD ANGEL』はフロリダ在住のマイク・ダイアナの漫画誌。父親のコンビニでバイトした資金で、ミニコミ作りにいそしむという、 一見ハートウォームな話なのだが、雑誌を開くと、レイプ、殺人など、性の妄想に取り憑かれた暴力世界が拡がる。ヘタヘタなイラストで描き出す、その世界は幼児にも向けられ、 一切のタブーがない。その結果、マイクはFBIから危険人物視され、チャイルドポルノ製造容疑のカドで逮捕され、有罪判決を受けた。何万ドルかの罰金と勤労奉仕、そしてマイクの自宅半径500メートル以内には児童を近づけてはいけないという州則までできたという。その後、マイクはビデオに表現活動の場を移し、十字架でのアナルオナニーを自ら演じるというコリなさ。

いくら、日本の雑誌が、ジャンルとしての悪趣味を追求したところで、本物には歯が立つまい。『世紀末倶楽部』は、彼らに触発されたわけだが、所詮パロデイであつて、勝てるわけもない。偉大な二誌へのオマージユとしておこう。

悪趣味雑誌の流行は何も今に始まったわけではなく、遡れば、大正、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの時代へと行きつく。当時、“軟派”と呼ばれた宮武外骨梅原北明など、官権からの弾圧を受けながらも、過激な表現活動をしていた。戦後のカストリ雑誌の中にも悪趣味のテイストが多分に含まれている。

昭和37年頃の“秘境ブーム”もまた悪趣味の延長にあった。紙面が尽きた。悪趣味とは、あくまでも個人の主観に過ぎない。おおよそ、大衆の好奇、あけすけな視ることへの欲望は悪趣味なのだ。てなわけで、趣味のいい悪趣味をこれからも追求する次第です。

所載:『BURST』2000年1月号