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蛭児神建の引退宣言「魔界に蠢く聖者たち」「蛭児神建日記」ほか

魔界に蠢く聖者たち

蛭児神建

第60話シー・ユー・アゲイン

所載『レモンピープル』1987年11月号

突然ですが……思うところあって、私はペンを折る決心をいたしました。だから勝手ですが、この連載も今回で終わりにさせていただきます。

ペンを折ると申しましても、もちろん文章を書く事自体をやめるわけではありません。私はそれ以外には、おおむね無能な人間ですから……。むしろ、これからこそ本気でバリバリと頑張らねばなりません。

つまり、漫画方面の仕事からいっさい手を引くというだけの話です。蛭児神建という作家は、どうか死んだものと思ってください。実をいえば、もう二年以上も前から考え続けていた事なのです。

L・Pの創刊以来、足かけ6年間…私はこの業界で仕事をしてきました。子供が小学校に入学して、そろそろ卒業しようかという期間ですわね。そして、気がつけば二十九歳。三十に手が届く年になったわけです。

その間、色々な事がありました。亜流誌にも書き、また私自身(これは最初からの約束で、L・P誌上で触れない事に決めていたけど、まあアチラも最後だから……)亜流誌の編集をしながらも、やはりL・Pが一番大切で愛着のある雑誌でしたね。それをさえ、あえて切る事に決めました。

正直に言って、いつまでもダラダラと“井の中の文化人を続けるのが嫌になったのです。私みたいに未熟な青二才が「先生」だのと呼ばれ、妙な権威だのカリスマだのが付くのが、実に気持ち悪い。それは長い間、私にとって手力セ足カセでありました。何度も振り捨てようと努力したのだけど、どうも上手くいかない。

ホめられるのは嫌いじゃないけど、必要以上の評価は精神を廃らせるだけの物です。まして実質に先行して売れる名前など、かえって一種の侮辱です。

漫画やアニメの可能性とやらを信じて、これまで必死で頑張ってきたツモリですけどね。見るだけの物は見た……可能性という言葉を安易に使う人間に限って、その可能性を平然と踏みにじってゆくのも見てきました。その本人に自覚がなく、もちろん罪悪感もないらしいのが、かえって悲しい。

だから、そろそろ自分自身の可能性を追求したいのです。今からでも、本来自分が目指していた、本当に書きたい物にジックリと取り組んでみたいのです。それができる、限界の年齢になってしまいましたし……。

今は文芸そのものが落ち目ですし、たぶんイバラの道でしょう。だからこそ、なおさらにやりたい。『ナマイキな青二才め若僧め』と呼ばれながら、ニタニタと笑い、少しずつでもハシゴ段をよじ登りたい……それが夢なのです。この業界でやれるだけの事は、もうやり尽くしましたしね。私は、根本的に熱血根性の人なのだ。一生、青春していたい人なのだ。

いごこちの良い、それこそヌルマ湯の様な世界ですから、思わず長居をしてしまいました。脳ミソのヒダには、いいかげんアカがたまっています。甘えた考えを切り捨てるためには、全てを捨てるしかない……私の精神は、そこまで腐れかけています。あと半年同じ事を続ければ、完全にダメになってしまうだろう事が自分で分かります。精神だろうが才能だろうが、腐る物はくさります。そんな情ない例……生きながらゾンビになった連中を、私はずいぶん見てきました。

だから私は、自分の内に在る“情熱を失い、腐臭を放ち始めた蛭児神建”を、この手で絞め殺します。全く無名の新人になって、文章修業を最初からやり直します。

これは私を支持してくれた、ファンと呼ばれる人達に対する裏切りかも知れません。しかし、どうか許してください。なおさら、私がジリジリと腐ってゆく姿を見せたくはないのです。それだけを悩んで、長い間フンギリがつきませんでした。正直言って、体の方も限界にきています。

とりあえずは少し休んでから、土方仕事でもしながら、武者修業の賞金稼ぎでも始めるつもりです。

あなたが、もし文章の本を読む人ならば、いずれどこかで再会するかも知れません。私は違うペンネームを名乗っていて、気がつかないかも知れませんが、その時はアリガトウ。

最後に、憶えていていただきたい事があります。

この世には、常識と呼ばれる嘘がいくつか存在します。その中で最も大きなものは〈子供は嘘をつかない〉ですね。これは、アンデルセン以来の歪んだ幻想です。

子供は、大人以上に多く嘘をつきます。自分の失敗をごまかすために……または、周囲の目を自分に向けさせたいために。

もちろん三十過ぎようが、いわゆる聖職につこうが、こうした性癖を残す人はいます。そして、気に入ってくっ付いていたはずの劇画家から『あの人の言う事は99%まで大嘘だから、気にするほうがアホをみますよ』などと言われるハメになります。〈人は、自分自身には嘘をつけない〉
これこそ、大嘘ですね。人は常に、己をダマしながら生きる者です。そしてまた、自分に対して多く嘘をつける人間は、他人に対しても平気で嘘をつけます。それが“真実”だと自分に信じ込ませる事が可能なため、良心の呵責を感じずにすむのです。加害者であるはずの人間が力押しで被害者になったりする例のアレですね。

☆そしてまた(これを言っちゃうと問題があるけど……)文章という存在そのものが、根本的に嘘を含んでいるかも知れないと思うのです。

これは、ある程度は内容のある文章を読む事に慣れ、自分でも書く事を知っている人間にだけ、なんとなく分かる事実です。人間の複雑な感情や思惑が、論理的な言葉などで表現しきれるものではありません。これは、どうしようもない限界です。理路然とした文章を書けば書くほど、それは“真実”から遠ざかったりします。また、言葉そのものに引きずられて、文章の主旨が変わる事もままあります。

まあ…….私自身としては、できるだけ読者に対して正直であろうと努力してきたつもりですがね……。

だから、中途半端な“活字信仰”はやめなさい。最近流行の字漫画(漫画やアニメみたいな話を文字にした小説)は、あまり好きくない。

漫画みたいな話なら、漫画で読めば良いと思うのですが……これには、日本人独特の活字信仰「とにかく、漫画より小説の方が高級なんだ」という、変な意味での(文章側の)思い上がりがあると思います。

小説・漫画・アニメ、それぞれ異なった表現手段であるのにすぎず、それにしか出来ない事があり、それ自体で高級低級の差はないと思うのです。結局は内容の問題なのですよ。

実際……あの手の字漫画にゃあ、そのへんの漫画より情報量が少ない(内容が薄い)作品がヤタラとあるからね……。

ともかく、これでシー・ユー・アゲインなのです。長い間、本当に有難う。

 

蛭児神建日記/最終回

蛭児神建

所載『コミックロリタッチ』1987年11月号

う~んとね唐突だけど、私はペンを折る事に決めたんだ。ダラダラと。“井の中の文化人”をやっているのも、いいかげんにアキたしねェ。そろそろ卒業して、マジに小説家を目指さなきゃイカンとフンギリをつけたんだ。

こうした絶筆宣言はレモンピープル誌上でもやったけど、アチラはまあ事実の一部をピックアップして書いたようなもの。レモンの読者には、あまりキツイ事を書きたくないなって気持ちも有る。

人間てえのは、これがまたナカナカに複雑な生き物で、本音でさえ一つではない。漫画や小説のキャラクターみたいに薄っぺらで単純な性格はしとらんで、誰でも色ーと多面的に絡み合った内側を持っているもんです。人間一人について、全てを正確に文章で書き表そうとしたら、百科事典が何冊有っても足らんでしょうな。

レモンで”文章には本質的にが含まれている”と書いたのは、そうした意味が有るわけなのですな(あれ、理解に苦しんだ人が多いんじゃないかい?)。言葉は、いくつかの真実は示せても“真理”そのものは表現できない。

そーゆー言葉の本質をとても端的に示しているのが、いわゆるコトワザや名言ってヤツ。どんなに心に響く言葉であっても、必ずといってよいほど、全く正反対と思える言葉が同じくらいの説得力を持って存在するわけ。“渡る世間に鬼は無し” “人を見たら泥棒と思えどちらも、正しいといえば正しい。それぞれが多角的な“真理ってヤツの、ごく一部分だけを表しているんだ。

つまり言葉ってのは、ごくごく単純な道具なのだよ。使う人間次第でどーにでもなる。それを使って、いかにして真理に近づくか人間を表現できるかって一生懸命に努力するのが、つまり文学ってヤツの永遠の命題なんだけどね。

それはともあれ、まあペンを折る理由だな。コチラはボチボチと書いてゆこうか。

まず最終的なキッカケとなったのは、身体の不調続きとチョイとしたノイローゼ状態──今回、パンドラの発行がいちじるしく遅れた原因も、おおむねソノせいなのだが──のために、劇画誌のコラムを四本ばかり落とした事だな。以前から「もし原稿を落としたらペンを折る」と公言していたし…まあ、その辺を誤魔化すのは簡単な事だけど根がイコジなまでに正直な私としては、嘘つきや卑怯者にはなりたくない。だいたい反面教師(やっていけない事の見本を実行してくれる人)が多すぎる世界だからなあ。

とはいうものの、ペンを折る事自体はもう二年以上も前から考え続けていたし、そもそもノイローゼの原因での内の最大が、ペンを折るべきかどーか悩んでいたってワケだから、ドウドウ巡りではある。だから私としては、これをむしろ一種のチャンスだと考えているんだ。

マジな話、いいかげん身体も限界だしね。

私は元々、文学とゆーウットーシー分野を目指していた人でね。純文も好きだけど、どちらかといえば幻想文学とか児童文学に趣味は偏るな。だから芥川や直木も嫌いじゃないけど、本当に欲しいのは泉鏡花賞か国際アンデルセン大賞(ムーミンや龍の子太郎がもらった賞だな)だね。しばらく休んで身体を元に戻したら、改めて必死でそれを目指すのさ。もう二十九歳そろそろ限界の年齢になってしまったし。

そんな私が、こんな業界に深入りしてしまったのはまあ、私ってのが意外とナリユキに弱い人でねえ。頼まれると嫌とは言いにくい、お人好しの性格もガンですな。

二十歳頃の私は、ギラギラとハイエナの様に飢えた目をしたガキだったねえ。それは飯を腹一杯喰おうと、マスをかこうと、本をいくら読もうと治まる種類の物では無くて、とにかく自分の内なる物を表現したいとゆー欲望だったな。“とにかく書きたい” そんな想いばかりが胸に満ち溢れて、まだ未熟で表現力が無かったため(ハッキリ言って、今でもそうよ)出口を持たない情熱で爆発寸前だったね。高校では文芸部…十代から純文サークルに参加してはいたけど、なんか欲求不満ではあったんだ。確かに、何か大切な物が足りなかったな。

漫画やアニメなどは、昔から好きで──お蔭で、今でも純文仲間から馬鹿にされていましてな。それに対してムキになって反論してしまう自分を、何だか妙に可愛く思ってしまう──以前、西武池袋線の江古田に有ったアニメーターや漫画家予備軍のタマリ場の喫茶店〈漫画画廊〉に通ったりしていた。時はおりしも、OUTがヤマト特集で火をつけた第一次アニメ・ブームとやらの頃。

そして、漫画同人誌との出会いですかね。

あの頃はまだ、一部のホモ本を除いては、エロ同人誌なんて無くてね。ともかく、みんな漫画が好きでヘタでも一生懸命に描いて、何か新しい物、自分達にしか出来ない事を追究して、利潤なんか考えず、赤字は当然の覚悟として、自分の作品を誰かに見てもらいたい…それだけを考える連中ばかりでしたな、当時のコミケは。今でも、そうしている人達はいるし(おおむね、いわゆるコミケットを見離し始めているよーだけど)私も、同人誌とは本来そうした物だと思いますな。

ともかく、ソンナ情熱に惑わされて、なんか漫画ってモノスゴイ可能性を持ったメディアかも知れんなーと思うよーになってしまった。もしかしたら、漫画その物を変えるだけの才能が有るんじゃねーかと思わせる何人かとも出会ったしね(ま、確かに変わったよーな気もするけど、少なくとも良い方にではねーな。その本人達も、情けねー状態だし)。だから、そんな漫画の行く末を眺めてみたくなってしまったんだ。

そして、私もそんな漫画同人誌に参加してみたくなってね。漫画画廊で出会った漫画家予備軍と一緒に、シャレ半分マジ半分で最初のロリコン同人誌なんてえのを作ってしまった。当時は、それが斬新でアナーキーに思えたんだけどね…。

ともかく、最初は売る側も買う側も恥ずかしそうにしていたソレに、平気で行列が出来始めた頃から何かが狂いだしたな。そんな同人誌ばかりが増え──まあ、それが本人達にとって一番やりたい事であるなら、それはそれで良いわけだけど──そんな物が妙に売れると分かれば、やがては単に金儲けだけを目的として作る連中が出る。

そうなると、もう悩んでしまってね。最初はコチラが蒔いた種とはいえ、そうした本来は邪道であったはずの物があんまり大きな顔をして、全体がそんな目で観られてしまったら、真面目にやっている人達に迷惑がかかる。それこそ、漫画同人誌と言うメディア自体の存続にかかわる。それが、私にずっと付きまとっていた悩みであり一つの原罪意識であったよな。

ましてや、同人誌の世界に妙な権威意識や派閥意識が入り込んでくるこうなると、もう理解できんな。同人誌をやるよーな人間は、世間からチョイと外れちまった若者ばかりでね。それが何故、わざわざ自分達の権威やらカリスマやらをデッチ上げて、一番醜い種類の社会のミニチュアを作らにゃならんのか?

私にも、そんな権威が押し付けられたけどね。それが、どーしょーも無く不愉快でウットーシかった。昔の私はケンカだの人の悪口だのが大嫌いで、誰とでもニコニコと仲良くしていたいとしてたわけだが、そうすると変な奴ばかりが寄ってきてね。気がつけば、妙な派閥に組込まれたみたいになっている。これも、困ったもんだ。

長い年月を宗教団体で過ごした私には、そうした物の怖さが誰よりも身に染みていてね。自分の意志を持っているつもりでいながら、いつの間にか集団の一部と化して、魂を腐らせてゆく。身も心も腐れはてたゾンビには、なりたくねーよな。物を書く人間の魂が自由でなくて、どうしようってのかね。

ともあれまー、ロリコン・ブームだとかゆー馬鹿騒ぎの中で、それで金儲けしよーとゆー商売人が動き、私も乗らされ踊らされ、ふと我に返ると変な意味での有名人になってしまっていた。嫌とは言いにくい、とてもナリユキに流されやすい性格(結局は、意志の弱さだな)による自業自得とはいえ、そんな事で名を売るのは正直言って不本意であったんだけどね。

そしてレモンピープルが創刊し、私も初めての月刊連載などをもらってまがりなりにも商業雑誌に書く事が一番の文章修業になると信じて、それこそ燃えたもんな。

するとまた変な人気が出て、ファンなんかが付いてくれる。そりやまあ嬉しくないと言ったら嘘になるけど、やっぱり理解出来ない話でね。

漫画雑誌における文章記事なんて物は、あくまで西洋料理のパセリみたいな引き立て役であるべきだ。それが、私の主義主張。それに反して、必要以上に目立ってしまう。こりゃもう、言動不一致のジレンマですわ。まして女性ファンが付くとなれば、わけがわかんねーや。金をいただくからには、出来るだけ面白い物を書こうと努力するのは当然の事。でも本当に面白いかどーかは、自分じゃ分からないしね。いったい、ドコがそんなに良いというんだろー?

まあ私の性格的欠点の一つが、時として果てしなく泥沼の自虐へと変化する、必要以上の謙虚さってヤツでね。これはもう、本能みたいに身に付いた性分。自己暗示も兼ねて、タマに思い上がりの演技をしたりもするんだけれど、どーもピンとこないなー。

私は、自分こそ最低の人間だと確信して生きている。無能で不器用で人格も酷いもんだ。実際にそーだもん。ただ自分を最低の基準にするってのは、それ以下の人間の存在を否定する事でね。客観的事実から、そーした連中もいるらしいと分かっていても、やはり納得しにくい。人間はみんな必ず死ぬと論理的に分かっていても、自分もいずれは死ぬとゆー事が信じられないのに似ているな。

私が最低の人問であるから、それ以下は人間で無いとゆー結論が出てしまう。これも困ったもんだ。思い上がりよりタチが悪いかも知れん。パンドラの編集を引き受けたのも、これがまた馬鹿馬鹿しいナリユキでね。一水社光彩書房)の劇画誌に何年か連載を続けていて、ある日とても出来が悪いコラムを書いてしまったんだ。落とすよりはマシだなと、とにかく届けたわけなんだけどね。担当の多田さんが難しい顔をして読んだ後、ボソリと言うには『ヒルコさん、最近忙しいの?』

これは、切られると思ったね。だから情けにすがるつもりで、『いーえ、とてもヒマでヒマで仕事が無くって』と答えた。すると、しばらくしてから『編集、やってみない?』と誘われたわけだ。

好奇心も有って引き受けた後でハッと気が付いたわけだが、それは連載している雑誌の亜流誌を作るって意味なんだよね。義理の板挟みで、かなり苦しんだ。亜流誌がヤタラと増えて、そんな罪悪感を持つ必然性そのものが無くなっても、それはずっと尾を引いたな。

例の、表紙に蛭児神建と名前を入れるとゆー恥知らずなアレも、お上が決めた事でね。編集が作家をさしおいて雑誌の表面に好んで顔を出すなんざ、それこそ最低の行為なんだよ。しかし名前を使われる以上は、蛭児神建が作ってるんだよーって必然性の有る本にしなけりゃならない。う~っ、ジレンマですよ。

まあ最初は四、五号も出れば潰れるだろうと確信していたから、シャレよシャレと自分を誤魔化していたんだけどね。ズルズル続くと、そーもいかなくなる。ともあれ、そうしたジレンマとヤケクソ気分の結果が、あのワケワカラン雑誌。それがまた、一部で変な評価を受けたりする。編集の皆様を含めて、あんたらの目はフシ穴かと言いたい。あれは全て偶然の産物であって、私はそんな有能な人間なんかじゃねーんだよ。

そしてねえ…まがりなりにも編集なぞを始めるとなれば、この業界の責任の一端が肩にのしかかってくる。そして、それまで気がつこうともしなかった業界の問題点も、露骨に見えてくるわけさ。

それらについてはサンザン書いたから、ここではもう触れない。私みたいな仕事をしながらあーゆー事を書くのは、それこそ偽善的と言われても仕方が無いくらいに自己矛盾を引き起こすものだけどね。誰かがやるべきだったし、本当にやるべき人間が何もしなかったしね。ま、損な性分ではあるよ。

しかしね、どんな理由が有ったとしても、たとえ事実であっても、やはり他人様の批判や悪口は原則として良くない事なのだ。だからあーゆー事を始めた以上は、蛭児神建もいずれ潰れなきゃイカンと決めていた。そーでなけりゃケジメがつかんもん。ロリタッチでこの連載をもらった時、適当な死に場所を得たと思ったもんさ。

それからまあ、最後だから書いちゃおうかね。誰もが忘れたがっている業界の古傷に、あえて触れてしまおう。

またパンドラが創刊したかどうかって時期だったと思うけど、漫画家が一人死んじゃってさ。以前にも心臓発作を起こした事の有る人問を、真夏のクソ暑い最中にロクに眠らせもせずにコキ使い、結局はメジャー進出を目前にして孤独な大死にをさせちまった編集連中が、何だか知らんがまるで自分達こそ被害者だとでもゆーよーな態度で『惜しい人を亡くした』だの『漫画界の損失』だのと泣いて見せる…加害者であるはずの人問が強引な力押しで被害者になるって例は、ずいぶん見てきたけど…あれはスゴイわ。そして葬式の席で単行本を出させて欲しいと頼んだり、追悼だの何だのとゆー馬鹿騒ぎで最後の金儲けをする私には、どうしても理解出来なかったよ。そもそも、親友だの面識が有る友人だのとゆー人達は、ボロ雑巾みたいな身体になって仕事をしていた彼を、どーして止めなかったのか? どーして誰も、自分が悪かったとは言ってくれなかったのか?

でもね、本当に何より情無かったのは、彼の死を喜んだ連中がいた事。同人誌の愚劣な派閥意識のために、これで編集某(引用者注:オーツカ某=大塚英志のこと)が困るだろう、いい気味だとばかりにね。当時、私の周囲にはそんな連中ばかりだったよ。なにせ彼の死を最初に知ったのが、とても嬉しそうな声の電話だったからね。私も一緒に喜んでくれとでもゆーよーな調子だったよ(これがまあ、後にパンプキンで私の悪口を書いていた奴なんだけど)。冗談じゃねーやい、私は彼の絵が大好きだったんだいっ! 情無いし腹が立つしおかげで素直に泣く事さえ出来なかったよ。そんな気持ちが有って、レモンに「面識の無い漫画家の一人や二人死んだって、涙一つ出ない」と書いたんだ。
すると、その一言のために怒り狂った人がずいぶんいたみたいだね。私を「殺してやりたい」とまで書いた手紙も来た。なんてーのかなー、私はそれがかえって嬉しくてね。初めて正気の人間に出会った気がしてさ…読者って、ファンて、モノスゴイじゃない。たかだか一人の漫画家のために、誰かを本気で殺したくなるくらいに憎めるなんてさ…愚にもつかねー知識のおかげでウジウジ悩む事しできねー私なんかより、ずっと何百倍も純粋でさ…死んだ彼が、むしろ羨ましくなるくらい…それと較べたら、私なんてクズだぞ。

だから長い間、その手紙が私の宝物で何が有ろうと、読者という存在を信頼して今までやってこれたのは、そのおかげだと感謝している。

編集とは何だろうね? 人を殺しても未熟な人間を青田刈りして、その結果どーなろーと全ては本人の責任で、自分のせいじゃ無い。責任を感じる必要も無いそれで良いとゆー仕事なのかね。私は悩んでばかりいて、結局は偉そうな事も言えずハンパな仕事しか出来なかったけどね。

ともあれ、これでペンを折る。やっぱり、まだ死にたくないし…本当に良い物を一本でも書かない内は死ねないし。そろそろ、マジに自分の夢を追わなくてはね。雨宮さんあたりには『自分のホーム・グラウンドを捨てて、いい度胸だな』などと言われそうだけどね。そのくらい背水の陣の覚悟でなければドーショーも無いくらいに、私の精神も腐れかけているんだ。全てを捨てて、必死で壁に激突して、それで消えちまうよーなら、私は元々それだけの男だったという事だ。

ともあれ、今まで有難う。なかなか楽しかったよ。(おわり)



お坊さまになった元ロリコン教祖

土本亜理子ロリコン、二次コン、人形愛―架空の美少女に託された共同幻想」より別冊宝島104『おたくの本JICC出版局 1989年12月 102 - 115頁所載

蛭児神建。現在、埼玉県川口市に住むNさんは、かつてヒルコガミケンの名前で、コミケット同人誌即売会)に君臨した、ロリコン同人誌界の名士だったという。
髪を腰まで伸ばし、ハンチングにサングラス、トレンチコートにマスク。少女の人形を逆さまにぶらさげ、もう片手に鈴を持ってチリンチリン。こんな不気味ないでたちでコミケット会場に出没し、『幼女嗜好』と題した小説同人誌を売る。中身は、幼女に対する執拗なまでの性的興味から、犯し、死に至らしめるものが多いという。

まるで、今回のM事件のようだが、一部にかなりの人気が出て、小説やコラムが商業誌を次々と飾り、やがてロリコン漫画雑誌の編集長にまで出世(?)した。蛭児神さんは、いわゆるロリコンブームの創始者の一人だったという。

と、ここまでの情報は雑誌で調べたもの。ウソかホントか、幼女殺人のMが逮捕されるまで、この人が容疑者のリストに入っていたというのが、雑誌でのもっぱらの噂だった。

教祖とまで呼ばれた人物だが、数年前、ぷっつりと活動をやめ、姿を消したという話も聞いた。この人なら男たちの本音が聞けるかもしれない。そう思って出版社で電話番号を調べた。が、A社でもB社でもわからない。ようやくC社で「昔の番号なら」と教えてもらったが、昼にかけても夜にかけてもつかまらない。何日かかけ続け、ついに本人が電話口に出てくれた時は、こちらがドキッとしてしまった。

「ハア……。ロリコン漫画ねえ。井の中の文化人とでもいいましょうか、いいい私の忌まわしい過去でして。センセイと呼ばれて有頂天になっていた自分を思い出すだけで、布団の端を噛みながら叫び狂いたいほどのことで、とてもお話などできません」

事件で警察の捜査こそ受けなかったが、マスコミから追われていたらしい。取材はていねいに断わられた。あの世界を去って、すでに二年になるという。井の中の文化人、という言葉が耳に残り、「すでに過去ならば」と食い下がってみた。数日後、再び連絡した。「でもですね……」と蛭児神さん。

しばらく間があって、唐突に、「お通夜がなければ」とポツリ。「エッ、お通夜?」「私、じつは今、坊主なんです」

驚いた。三年間務めたロリコン漫画雑誌の編集長をやめて、仏門に入り、修行を終えて葬儀屋互助会と契約する月給十八万円の「サラリーマン坊主」になったというのだ。

なかなか連絡がとれなかったのは、お通夜やお葬式といった、ふいにやってくる“仕事”で、しじゅう家を空けているからだった。

いったいどんな人物なのか。申しわけなかったけれど、おそるおそるの心持ちで約束の場所、大宮駅構内のキングコングの像の前に行ってみた。蛭児神さんは、丸刈り頭だったからすぐ目についた。袈裟をまとえばたしかにお坊さま。茶色のスーツ姿の大柄な男性だった。

「ハンチングにマスクで来ると思いました? あれ、変質者のイメージのパロディだったんです。ロリコン→幼女嗜好→イコール変質者でしょ。どうせそう思われるなら、いっそのこと自分でやって見せてやろう。まあ、一種の変身願望かな。あの姿になるとなんでもやれる勇気が出たんです」

こんな話をしながら喫茶店に入った。なるべく隅の方の席を捜して座った。取材を自分で申し込んだくせに話の糸口がつかめない。とってつけたように年齢を聞いたら三十一歳。もっと年配に見えたが、ほとんど同じ。同級生だと思ったら、何だか急に気がぬけた。

 

「幼女なら自分の自由に動かせる」

青少年向けのエロ漫画には、いわゆるロリコン漫画と美少女漫画の二系統があるらしい。発行部数十四万部と業界ではトップを走る『ペンギンクラブ』は美少女漫画雑誌。編集長で漫画プロダクション「コミックハウス」社長の宮本正生さんによれば、「幼女趣味のロリコン漫画は、同人誌『シベール』の出現でいっとき隆盛を誇ったけれど、やがて美少女漫画に人気が移行した」という。理由はアニパロ。アニメ世代がアニメ作品に出てくる少女キャラクターにエッチをさせるパロディ漫画に人気が集まり、主人公が幼女から少女に変わったというのだ。しかも大人のエロ雑誌に出てくる劇画調の美女ではなく、アニメに出てくる美少女が主人公になった、と。

蛭児神さんは、この幼女から美少女へ、という嗜好の変節期を過ごしたが、自分の求めていたものはやっぱり幼女だったという。

「幼女って、妖精なんですよ。まだ人格が形成されていない白紙の女性。やさしくてあどけなくて、男が勝手に思い込める相手。ただひたむきな愛を一方的に注ぎ込める相手なんです。女性に対する支配的な愛の究極のかたちはひたすら自分を愛してくれることでしょう」

メンソール煙草をひっきりなしに吸いながら、言葉を選び、話を続けた。

「小説で愛を描くのに、大人の女性は空想でさえ動かせなかった。けれど幼女なら、好きに動かせますから」

徹底的に暗い物語を作ったという。不幸な女の子はいつか必ず幸せに、という物語のパターンを壊した、救われない暗い物語。これがコミケットでウケた。すると出始めた商業雑誌が目をつけて引き抜く。日本で初めてのロリコン漫画雑誌『レモンピープル』でデビュー。すでにコミケットで話題の人物でもあったため、またたく間に人気が出た。

「金は入るし、先生扱いだし、ファンは増えて、私の言動が一人ひとりに影響を与える。これは正直いってものすごい快感ですよ。でも、調子に乗って美少女漫画の編集長を請け負ってから、私の歯車が狂いだしたんです」

蛭児神さんにとってのロリータ、幼女は純粋な愛の対象だったという。が、時代はロリコンから、中学高校生ぐらいの美少女にエッチをさせるエロ漫画嗜好へ。ロマンチックからエロチックへの移行は不本意だったが、編集長ともなれば、売れることが第一前提だ。漫画家が不足すると同人誌から次々と引き抜く。作家自身がまだ未熟な状態でアマチュアの独善的な世界から卒業できていないから、作品も彼らの好みに偏ってしまう。プロ意識もないから、原稿の締切りの無視や逃亡は日常茶飯事。いいものができるはずはない。

「この世界で責任感なんて持ち出すのはバカですよ。よけいなお節介。でも、ある時ふっと自分のいる世界そのものがグロテスクに見えてしかたがなくなったんです。男の側からだけのわがままなセックス、そういうものを青少年に読ませていいと思いますか?」

☆○△□……?(絶句)だって、自分がそういう世界を作ってきたわけじゃあ……。

「たしかにそうなんです。だから、私、おかしくなったんです。誰も責任を持たないことに腹を立てて、結局、私自身、自己破産してしまった。最後の一年は、あちこちの雑誌や作家を名指しで非難し、えげつなくこきおろしてもうガタガタ。気が狂う寸前でした」

茶店のテーブルに重苦しい空気が漂う。大宮の街を歩き、場所を変え、食事をしながら話を聞いた。編集長を下りてからの蛭児神さんはまるで迷える仔羊だったらしい。キリスト教の洗礼を受け、レンタルビデオ屋の店員を経て、浄土宗の修行の道に入った。

「今は坊主ですが、これが最終目標ではありません。夏目漱石アンデルセンの世界を楽しみ、トーベヤンソンの小説に夢中になったことが、私に小説への道を開かせた。人が何かを書きたいと考えるきっかけは、いい作品に出会ったからでしょう。作品に対する恩返しは、いい作品を書くことでしかない。なのに私は裏切ってばかりいたのです」

三十歳を前にして、先々の自分に焦りを感じたともいう。わかる気がした。

「失敗を重ねながら生身の女性と出会った」ことも「卒業」への大きなきっかけだったらしい。

「幻想の世界は今も大事にしています。ただかつてのように幻想に逃げたりしない。支配できない愛のよさに気づいたからかもしれません。これって大人の発想ですか?」