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吾妻ひでおと『漫画ブリッコ』の時代―ロリコンまんがの果たした役割(大塚英志「ぼくと宮崎勤の'80年代 第10回 マッチョなものの行方」)

ぼくと宮崎勤の'80年代 第10回 マッチョなものの行方

大塚英志

『諸君!』1998年7月号所載

中森明夫の「おたくの研究」が初掲載された『漫画ブリッコ』1983年6月号)

'80年代という時代の特異さは、男たちが作り、消費していく性的メディアが女性たちによって自己表出の場として強引に読みかえられていった点にある。それは性的なメディアの中では少数に属する事例かも知れないが、それを可能にした背景には'80年代のサブ・カルチャーに性的主体としての男を隠蔽する言説が存在したからである。上野千鶴子は'80年代のぼくたちの年代の男たちが「性的主体から降りてしまっている」という奇妙な評価(?)を下しているが、正確には隠蔽されただけで、それは温存されている。そのことが新たな問題となる予感があるが、ここでは男性的なものの隠蔽について検証する。まず'80年代におけるいくつかの言説のあり方を見てみよう。〈おたく〉や〈新人類〉たちの意外なマッチョさがそこにはみてとれるはずだ。

田口賢司中森明夫が彼らの共著である『卒業』の中で菊池桃子を以下のように評していることは以前、指摘した。

田ロ──菊池桃子ってやっぱり遊ぶタイプでしょう、寝るタイプでしょう。

中森──寝るタイプだけど、寝てしまったら、最後までつきまとわれるような納豆のような女でしょう。田ローいや、それを蹴れるかどうかは男の力だから。

彼らはいわゆるニューアカ用語を駆使し、松本伊代そして小泉今日子を賛美し、一転して菊池桃子をこう批判するのだが、彼らの俎上に載せられているこれらの少女アィドルたちの固有名詞は、もはやあの頃、彼女たちが背負わされていたはずの差異にまつわる意味を喚起しない。むしろそういった記号が剥離した今、彼らの発言に見てとれるのは、かつて彼らが賛美していたシミュレーショニズムとは、つまりは他愛のない処女崇拝に他ならなかったことぐらいである。

「寝るタイプ」の女を嫌悪し、「男の力」を口にする田口の屈託のないマッチョさは当時としても余りに古典的な男のディスコースに支えられている。同じことは'81年に発表された田中康夫『なんとなく、クリスタル』にも実は言える。274個の注によって批評的に支えられていたはずのこの小説はしかし当時、新人賞の選考で江藤淳がいみじくも以下のように評したようにこれもまた古典的な「男の力」の小説に他ならない。

気障な片仮名名前のコラージュのなかに、「ナウい」女の子を登場させて、しかも、惚れた殿御に抱かれりゃ濡れる、惚れぬ男に濡れはせぬ、とでもいうべき古風な情緒で「まとめてみた」点は、まことに才気煥発、往年の石原慎太郎庄司薫を足して二で割った趣きがある〉(江藤淳「三作を同時に推す」

『なんとなく、クリスタル』は空虚なぬ個の都市的な記号と対比する確かなものとして、語り手である「私」が恋人・淳一から「女の快感」を与えられ彼に「所属すること」になるという事態が描かれる。つまり田中康夫が当時〈クリスタル〉と形容した都市的な記号の集積からなる生活はしかし「好きな男でなくては濡れない」という男の力によって根拠を与えられるという構図になっている。

彼ら〈新人類〉(『朝日ジャーナル』の分類に従えば田中は「若者たちの神々」になるのだが)たちの'80年代前半に於ける男女関係に関わる思考が、その表層では'80年代的な記号を過剰に鏤(ち)りばめて語られながら、あたかもこの記号の群れに隠蔽されるかの様相を呈しているのは興味深い。ちょうどそれはかつての新左翼運動が、過剰なマルクス主義的言説とは裏腹に永田洋子が当時の指導者にレイプされ、あるいは逮捕された坂口弘慰安婦的に差し出される形でセクトから結婚を強いられる、といった類の「男の力」を暗黙の内に制度化していたことを想起させもする。

それはともかくもこの「男の力」の表現に於て'80年代を通じて顕著なのは、男の側が性的主体であることを当初からサブ・カルチャー的な表層によって隠蔽しようとする傾向にあることである。それはまんが表現に於ても変わらない。例えばぼくは'87年に上梓した『〈まんが〉の構造』の中で、同人誌のロリコンまんがの少女凌辱シーンに以下の傾向が顕著である、と指摘している。テキストとしてはロリコン同人誌の傑作選的な意味あいで刊行されていたアンソロジー『美少女症候群』(ふゅーじょんぷろだくと刊)を用いている。同書に描かれた少女凌辱シーンに於て、一体、彼女たちが「誰に」犯されているかを検証したものだ。

『美少女症候群』には、同人誌から採録された様々な〈少女凌辱〉のイラストレーションが収録されている。その構図はほとんど類型化されており、腰をおろした状態で膝を折り曲げ局部を露出させるという、文章で書くと何のことだかわからないけどかつてビニ本その他でしばしば見られた例のポーズが主流である。さらに局部には異物が挿入されており、少女の苦悶の表情が執拗に描かれている。

さて、これらのイラスト群をながめて気づくのは次の二つの特徴である。

a〈犯す〉主体である男性が描かれていない。

b それに替って少女を凌辱するのがメカニックやグロテスクな異生物である

やや、不毛な気もしたが同書に収録されたイラストやまんがのセックスシーン(連続するコマはそれぞれ1カットとして数えた)は、33カット、それを〈犯す〉主体によって分類したのが別表である。

33例中、男女のセックスシーンは3例。レズが7例と相応の比重を占めるが、半数以上の18例がメカニックや軟体動物風の生物によって少女を〈犯し〉ている。しかも、このメカニックや異生物を操る主体は、当然描かれていない。(大塚英志『〈まんが〉の構造』)

別表は省略するが、33例の内訳を改めて記しておく。男性3、女性7、メカニック9、異生物9、その他5。つまり、'87年の時点でロリコンまんがに於て少女を凌辱する主体として男性が描かれる割合は一割に満たないのである。レイプ、という「男の力」を行使しながら、その主体は空洞化している。

こういった「犯す」側の喪失が当時のいわゆるロリコンまんがの最大の特徴であった。それ以前のエロ劇画との決定的な違いはこの点にある。女性の性的な凌辱が描かれながら、凌辱する「主体」が描かれない。あるいは表現の中から隠蔽される。それはあたかも最近の「従軍慰安婦」をめぐる言説のようだ。それはともかくそこでは強姦者は不在である。

ロリコンまんが、とぼくはエロ劇画と表現技法上の区別を明らかにするため敢えてこのような名称を用いているが、ロリコンまんがはいわゆるチャイルドポルノとは異質の存在である手塚治虫の延長上にある記号的な絵と少女まんが的な文体を用いたポルノグラフィーであり、そこで犯される少女の大半は高校生程度の年齢であり、その点ではそれ以前のポルノグラフィーの凌辱対象と大きく変わっているわけではない。こういった技法面とは別にポルノグラフィーとしてのあり様として両者を隔てるものがあるとすれば、犯す主体としての男性がその画面から削除される傾向にあった点である

こういった犯す主体の喪失という事態は、まんが史的には、いわゆるロリコンんがの定型を確立したと考えられる吾妻ひでお陽射し』('81年)に既に見られるものである。アリス出版が自動販売機専門のエロ雑誌として刊行していた『少女アリス』('79年)に吾妻ひでおが連載した短編の連作をまとめた同書には9編が収録されているが、先の例に従い犯す主体を分類してみると異生物が5男が4となる。更に男が性的な主体である4つのうち1作は少女が人間ではなく、また9作のうち3作は少女の妄想的世界の中での、異類との性的な関係が描かれる。

数年後のロリコン同人誌ほどに顕著ではないが犯す側の喪失は既に定型化されていることがうかがえる。例えば表題作ともなった『陽射し』に於ては、少女に声をかける少年の顔は黒く塗られており、異性を拒否する少女の内的な世界に妄想とも思える異星人が現われ、異生物と夢とも現実ともつかぬ性的関係を持つ、というプロットになっている。興味深いのは、作品全体が主人公の少女の内的世界として描かれている点で、これは吾妻の描くロリコンまんがが24年組以降の少女まんがの強い影響下にあることによるものである。

少女の自閉した世界にあって現実の男性は拒まれ、非日常的な異類としての少年が恋愛の対象となるという、例えば萩尾望都の『ポーの一族』に見られるような構図を吾妻はここで援用したのである

吾妻ひでおは'70年代末から'80年代初頭、いわゆる少年組の次の世代にあたる「ニューウェーブ」(と当時称された)に属する描き手の一人であった。このニューウェーブの中には大友克洋高野文子、あるいは柴門ふみらが含まれており、24年組と比して一定の方向性を欠いていたのは今となっては明らかである。彼らの中にあって吾妻ひでおは二度の失踪を経て時代からフェードアウトしていくが、次の世代に与えた影響は吾妻が最も大きい自動販売機のエロ雑誌に『陽射し』を書いた当時の吾妻は少年週刊誌での長い連載を経て、徐々にカルトな作品をマニア誌に発表し始めた作家であった。例えばぼくが師事したみなもと太郎の時代には少年誌出身のまんが家がエロ雑誌に書くことは凋落を意味したが、わずか数年の後の吾妻ひでおの時代にはむしろそれは快挙となる。まんが界の中にあった少年週刊誌を頂点とするヒエラルキーを最初に崩した一人が吾妻だったのである

後の『エヴァンゲリオン』で反復されるSF小説からの無秩序な引用、いわゆる「不条理ギャグ」(この名称は吾妻の作品「不条理日記」に出自を持つ)など吾妻の与えた影響は〈おたく〉コミックの領域では限りなく大きい。ほぼ前後してデビューし、ほぼ同じ試行錯誤を行ないながら、みなもと太郎吾妻ひでおは次の世代に与えた影響という点では全く異なる。恐らく殆ど影響を残しえなかったみなもとに対し吾妻が強い影響力を持ち得たのは両者の作家としてのピークがわずか数年ずれたことと、吾妻の絵が手塚治虫ふうの記号絵の延長上にあったことの二つが原因であろう

だがこういったまんが史的な検証を行なっている余裕は今はない。それでも一点だけ強調しておきたいのは、いわゆるロリコンまんがを軸として肥大化した'80年代以降の〈おたく表現〉の出自は吾妻ひでおにあり、彼が性的表現に持ち込んだのは、手塚治虫的な絵と萩尾望都24年組が少女まんが表現の中心に置いた内面であった、という点である。

手塚的な絵と24年組的な内面は戦後まんがが獲得し得た最も特徴的な文体であったが、吾妻はこれらの文体がともに「性」を強く暗喩しながら同時に隠蔽してきた表現であることを、この二つを性的メディアに持ち込むことによって明らかにしてしまったのである。

その意味で吾妻ひでおが行なったことは戦後まんがが隠蔽し続けた性を戦後まんがの正統な文体を用いて描くことにあり、彼が沈黙した後に肥大していくロリコンまんがには山本直樹ら一部の例外を除き、こういった批評性は見えなくなっている

だがこういった文脈ゆえに吾妻ひでおが示したロリコンまんがの文体は、まんがの受け手の強い欲望を喚起することになる。劇画の文体が最初から反手塚的な暴力や性を伴うリアリティを体現すべく作られたのとは対照的に、吾妻は決して性を描いてはいけない表現で性を描いた。つまりそこには禁忌の侵犯があったのである

だが、吾妻の文体は画期的であったが故に容易に定型化する。吾妻の文体は商業雑誌を通じて拡大すると同時に、彼の周辺でアシスタントやとりまきをしていた同人誌系のまんが家によって再生産されていく。これらの固有名詞に今日、どれほどの意味があるのかぼくには判断しかねるが、早坂未紀、計奈恵沖由佳雄森野うさぎといった'80年代前半の同人誌系のロリコンまんがの描き手の大半は、吾妻ひでおの周辺にいた人物たちである。

ただ、吾妻と彼らの間には世代的なものとは別のディスコミュニケーションがあったことは指摘しておくべきだろう。吾妻は当初は少女の内面に仮託して描いていた離人症的な世界像をやがて私小説的な短編に収斂させ、私生活においては二度の失踪をする。つげ義春よりもつげ義春らしく吾妻は生きてしまう。そういう「私」への拘泥は彼のエピゴーネンたちには欠落している。

欠落しているからこそ、吾妻が定型化したロリコンまんがの文体の中でも性的な主体が削除されていく部分がより拡大していくのである。〈私〉への拘泥を持たないき手たちには〈私〉が欠落したロリコンまんがの文体は受け入れられ易かった。それに加えて少女を凌辱する場面を描くとき、犯す側が人間でなければ刑法に触れないという奇妙な神話がまんが業界の半ば自主規制のルールと化したこともあって、強姦者を空白にした、いわば「男の力」を隠蔽したポルノグラフィーとしてのロリコンまんがは'80年代を通じて拡大していくことになる

さて、こういったロリコンまんがに於て、犯す男たちが画面から消去されてしまうことで皮肉にもこれらの文体がある程度、男女に共用されてしまうという事態が生じる。
そもそも吾妻ひでおの文体は少女まんが的な〈内面〉表現を一方では擬態していた。また劇画と異なる手塚系のアニメ絵は女性の読み手の抵抗感を軽減する

'84年当時『漫画ブリッコ』には4割程度の女性読者がおり、その多くが高校生ないしは10代後半であった。一つには岡崎京子桜沢エリカの作品が相応に支持を集めていたこともあるが、むしろ吾妻ひでお的なロリコンまんがの方に読者の吸引力はあった。それはこの雑誌の読者欄を見直しても明らかである。読者欄には女性読者のハガキが意図的に採用されているが、そこに添えられた彼女たちのイラストには岡崎京子桜沢エリカの模倣は少ない明らかにアニメ、少女まんが系の絵柄を彼女たちは模倣している

漫画ブリッコ』は雑誌一冊で原稿料総額80万円という編集コスト故にページ単価をぎりぎりまで安くおさえる必要があり、その為、読者欄にハガキを寄せてくる読者のうち、比較的絵が上手そうな連中に声をかけ、まんがを描かせた。ハガキ一枚でまんがが描けるかどうか判断できるのか、と思われるかもしれないが、ハガキ一枚で十分である、とだけ記しておく

そうやって執筆者となった描き手には女の子が多く、それまでの描き手とプラスすると、『漫画ブリッコ』は常時、3割程度女性の描き手に支えられることになる。

雑誌が潰れた後、彼女たちの進路はほぼ3つに分かれた。

一つは岡崎京子桜沢エリカのようにサブ・カルチャー系の雑誌やレディースコミックに作品を発表しながら作家としての地位を獲得していく人々。

二つめは名前を変えるなどして、メジャー系の少女まんが誌で再デビューする人々。

そして、三つめが、そのまま性的なコミックの描き手としてこのジャンルにとどまる人々

無論、これらの進路には描き手自身の才能が強く作用していたが、意外であったのは三つめの描き手の存在である。彼女たちは、性を自分たちの表現に取り込んだ、という点では岡崎京子らのそれに近い。だが、岡崎たちが男たちが描く性を彼女たちのディスコースから描き直す一種のフェミニズムまんがであったのに対し、三つめの選択をした描き手たちはロリコンまんがの文体をそのまま継承してしまう

この類型化された男たちの手による性表現が女性たちに継承されてしまったところに、ロリコンまんがのもう一つの特異点があった。「男の力」が隠蔽されていることが皮肉にもそれを可能にしてしまった。

しかも重要なのは『漫画ブリッコ』に於て最も底辺の、つまり読者あるいは素人に近い描き手であればあるほど、この定型化した文体を援用する傾向にあったことである。そこには性表現の女性たちの領域に於ける大衆化という全く別の事態が進行していたのである。ただそれは決して性表現の解放などではなく、彼女たちのディスコースが男たちの創り出した性表現に容易に回収されていく過程でもあった。実際に実行には移さなかったが、ぼくは女性の描き手による女性向きのポルノグラフィーが成立するのではないか、と当時、考えていた記憶がある

他方ではなるほど、岡崎京子や、あるいはAVに於ける黒木香のように〈わたし〉の表現として、性的メディアが女性たちに作り変えられていくというプロセスが始まりつつあった。そのことは以前、触れた。

'80年代に於ける性的メディアの最大の特徴は、それがもはや男性のみのものではなくなってしまった、という点に尽きる。その中で、黒木や、あるいは岡崎のようなディスコースの批評的な読み換えがなされたことは重要である。

けれども他方で指摘せざるをえないのは、定型化されたポルノグラフィーを'80年代に於て女性の描き手と市場は男たちと共有してしまった、という事態である。

ロリコンまんがに於ては隠蔽してあった「犯す主体」は、性表現が女性の手に渡り、いわゆる〈やおい〉コミック、そしてレディースコミックといった新たな女性向け性表現の場が成立していくにつれて次第にその姿を回復する。

いわゆる〈やおい〉もの、女性読者向けのホモセクシャルものに於て、同性愛カップルの関係が、男役に犯されることによって女役が性的に喜々として従属するという関係が普遍的に描かれ、レディースコミックではエロ劇画の時代に先祖返りしたかと思えるような図式的なポルノグラフィーが描かれるに至る。

〈新人類〉や〈おたく〉表現が隠蔽した「男の力」、マッチョへの信仰は出来すぎたハロディあるいは皮肉として、彼らと同年代の女性たちの性的メディアの中に開花してしまっているのである。だがそれはぼくたちが隠蔽し、延命させたものに他ならない

宮崎勤はその公判に於て犯行そのものは否認せず、しかし、殺害行為の供述に於ては以下のように述べるのみだ。

すなわち、幼女が泣きだすとそれを合図に彼女がネズミ人間を呼び出したが〈その子がまたネズミ人間を裏切ったのでネズミ人間にやられて倒された〉のだと。彼の供述の中には未だ、幼女たちを殺す「主体」は登場せず、「ネズミ人間」によって代行されたままである。

隠蔽された「男の力」はまだ批評の俎上に載せられてはいない。(以下次号)

 

漫画ブリッコ』元編集長の大塚英志によるおたく論。『諸君!』(文藝春秋)で連載中断中だった「ぼくと宮崎勤の'80年代」を加筆・改稿して2004年2月に講談社現代新書から出版後、2007年3月に朝日新聞社より文庫化された同名書籍を底本とし、書き下ろしを加えて星海社から新書化したもの。本稿「マッチョなものの行方」は「新人類と男性原理」と改題され、第6章(pp.117-130)に収録されているが、宮崎勤に言及した最後の一文は削除されている。