Underground Magazine Archives

雑誌周辺文化研究互助

幻の漫画雑誌『Peke』休刊のお知らせ(Peke 1979年2月号 編集後記)

幻の漫画雑誌『Peke』


1978年晩夏から1979年初頭まで半年間だけあった漫画誌『Peke』(みのり書房)。廃刊号では『COM』を大特集しながら自らも幻の雑誌となった。

全国のマンガファン諾君! とりわけペケに結集する戦斗的愛読者諸君!! 今や70年代を終わろうとするに当たって、我々は諸君に対し、熱い友情と連帯のメッセージを送りたいと考える!!

──追悼の文章は、やはりこう始めるべきであろう。

「プリティ・プリティ」がつぶれ、続いて、三流SF誌、「ペケ」が今、つぶれようとしている。「ガロ」は相変わらず、気息奄奄だし、売れた! といわれる「JUN」だってコミック感としては、果たしてどうなのか怪しまれている。「COM」の廃刊に始まる70年代は、その「COM」つぶしの張本人と噂の高い西崎義展の「ヤマト」によって幕を降ろそうとしている。

青年劇画は、その後退戦を三流エロ劇画のゲットーのなかて果敢に戦っているが、今や警視庁が正面切って介入を開始した。

これはどういうことなのか70年代初頭、垣間見えた、「ぼくら」のまんがの敗北につく敗北の過程ではないのか!?「ペケ」の編集者は若い。「COM」世代の人間である。「マガジン」「ジャンプ」「チャンピオン」の既成まんがにあき足らず、一定の枠の内とはいえ、「ペケ」は自ら信じるまんがを求めて動いていたはずだ。「プリティ・プリティ」にしても、編集の意図はどうあれ、作家たちは、同人誌の隆盛という状況を反映して選ばれていただろう。その二誌がつぶれた!

まんがはクラス・マガジンを拒否したのである。このことを再度確認しておく。三流SF誌「ペケ」は、まんがにおける「奇想天外」「SFマガジン」の位置を占めようとした。だが、売れなかった。作家のせい、作品のせいとはあえて云うまい。現実の発行部数は、最低限は維持していたのだから。まんがの状況そのもの=まんがに対する資本の要求が、少数読者対象のアソビをゆるさなかったのだ。「ペケ」は、何よりも、百万二百万と回らなければまんが雑誌てないような現在の状況への突出としてあった。二万でも三万でもまんがであることを突きつけようとした。「ペケ」の価値はそこにしかない。それが敗れた。

我々はそれをこう総括しなければならない。それはCOMの縮少された再現であったと。「ぼくら」のまんがの再度の敗北であったと。

今日、まんが状況は、二つの頂点によって形成されている。(松田さんゴメンナサイ)

一方の極に樹村みのりをたてる。もう一方にさいとうたかををたてる。

樹村みのりとは、時代を生きていく一人の人間としての「生きて在る」ことへの様々な想いを、「問いかけ」として描き続ける作家である。その下に、萩尾望都以下の少女まんがの革新者たちが続く。少女まんがはぼくらの「生」をその基底におくことで変化した。

あえて云えば、少女まんがの70年代とは、貸本まんがの再来であり、青年まんがの内的なゲリラ戦であった。

少女まんがの裾野(火山灰の裾野)はさらに拡がり、同人誌を突き破り、三流エロ劇画へと潜っていく。

三流エロ劇画に「想い」はきれいすぎることばかもしれない。だが、ひたすらエロに走る彼らの営為は、決して娯楽に解消されることはない筈だ。エロを求めさせる、欲望もまた、ギリギリに押しつめられた「生」のエネルギーの別名ではないか。幻想とは、きれいであるとは限らない。三流エロ劇画の、女体ののたうちに、とびちる愛液にこそ女への怨みにも似たドロドロとした叫びをきくことができよう。それもまた想いだ。

少女まんがにおいて、読者は、描き込まれたものの中に作者を見つけ出す。一人の人間を見つけ出す。共感し、連帯する。三流劇画も同じだ。個としての作者はいない。だが、エロを求め、エロへと走らせる乾いた情念の存在を、しっかりとつかみとる。作品の中に、明らかに人間が生きていると感じることで、樹村みのり──三流劇画のラインは貫かれる。それは現実への否定的な契機であり、まんがに内包されていた、拒否の叫びである。

否定されるものとして、まんががその発生から備えていた対抗世界としての盾を、このラインは様々な形て突きつけてくる。まんがを描くこと自体が、現実への反対の表明であり、この現実にいつまでも語られてはいまい、という意志の宣言であった。

我々がまんがを選びとったということは、まんがが我々を育くんできた歴史の他に、我々がまんがを育くんできたのだ、という自負もある。70年、COMに、少女まんがに青年まんがに、その選択の跡は、くっきりと残されている。「巨人の星」の攻勢にもめげず、我々は「あしたのジョー」を、数々のものとして選びとった。救いあげたといってもいい。我々は、個が作品の中に入った時、それが擬制へと堕すると、直観的に知っていただろう。我々が求めていたのは、分析でも、告発でもなく、我々が生きのびていくための根拠であり、共に在ることの、確認であった。

それが、運動としてのまんがである。表現としてのまんがである。表現とは、個の内部の表白ではない。永島慎二にもはや用はない。

我々の表現とは、我々は、我々のものとしてのまんがにこだわりつづけることの表明でしかない。まんがが、不気味に動き続けるものであり、マネによって簡単に手に入るものであり、作家と読者がぎわめて近く、共に在るものである限り、まんががまんがである限り、我々はこだわり続ける。互いにそのことを確認し合い、読みとりあうことでまんがは成立してきた。

だが、一方で、まんがはマスプロダクションでもある。「想い」というごく私的なものが、まさしくマスプロダクションの内部に息づいてしまうこと、これがまんがの頂点でもあるだろう。音楽が、映画が似たようなことをする。しかし、まんが程には、それらのメディアが、受け手の内部に多様な反響をひびかせることはない。作品が作品であることを超え出て、受け手内部に確固たる世界を形成することはない。まんがは、作品でとどまりはしない。受け手の想像力が作品を媒介に、そのまわりに、種々雑多な神話的体系を生み出していくのだ。まんがは受け継がれていく。肯定と否定の交互にくり返される律動の中に、現実への反逆を培っていく。まんがの面白さとは、そこなのだ。

マスプロダクションのまんがを支配するのは、だが、こうしたまんがではない。さいとうたかおを頂点とするビッグコミック以下、多数の二流三流劇画誌、少年誌、少女誌の主流といわれる作品群。「一般性、娯楽性」を軸とするエンターテイメントのまんがは、そんな私的な思い入れは排除してある。現在、それはますます強化され、80年代に向けての主流になろうとしている。安定した技量、明確な物語、肯定しやすい世界観、“のたり松太郎”は確かに面白い。“浮浪雲”に感じ入ることもあるだろう。だが、あえて云えば、そうしたものの面白さを肯定するとは、現実を仕方のないものとして引き受けてしまうことでしかない。

SFまんがが、今日、きわめて重要な位置を占めねばならないのは、SFこそが、私的な想いを宇宙へととびたたせ、広大な時空への想いと結合させて、その巨大なゲームの視野から現実をうつからだ。個の想いを世界へと展開させた一つの例として手塚治虫がまんがにとって巨大な意味を持つのも、手塚治虫ただ一人が、まんがを、私的時空連続体としての力を充分知った上で、造りあげているからだ。松本零士と異なり、我々は手塚治虫に「個」を見ることはない。人間の息吹を感じることはない。ひたすら、「個」をのみ込み、拡がっていく巨大な誘惑としての世界があるばかりだ。

手塚治虫は例でしかない。まんがとは、我々にとって動いていくもの、激しく変化していくもの、常に否定するものであり、現実にNON!をつきつけるものである。それが、商業資本のただ中にあるからこそまんがはまんがなのだ。

つめる!(いい気分ですネ! 中島さん!)

今やまんがの戦場は商業誌へと戻らねばならない。まんがをついに捉えきれなかった齋藤次郎は、“だっくす”78年12月号て敗北宣言を出した。放っておけばよい。勝手に「弓子」や「みのり」をもてあそばせておけ! 重要なのは、同じく“だっくす”の中島梓だ。まさしく、まんが読者は、現在共闘を迫られているのだ! その共闘の軸に“だっくす”がなれるはずのないことは、斎藤次郎に対して、何の表明もしないことで明白だ。マニア向けにターゲットをしぼり、マニア向けの”情報”で作家の人気に寄りかかって売ろうとする“だっくす”に何がやれるというはずはない。

共闘の軸はない。そのことをはっきり知った上で、我々は危機の時代へと臨まねばならぬ。状況を見すえ、戦略をたて、まんがを、我々のまんがを断固として打ち進めねばならない。

読者諸君! まんがは、資本の論理によって支配されていることを忘れるな! まんがを擁護するとは、資本の論理の内部から、それを打ち果てさせること以外にない!

24年組を断固支持せよ!

三流エロ劇画を読み続けよ

評論家共をブチノメセ!!

まんがをまんがとして、求め続けよ!!

紙数がつきた。我々がまんがをあくまでも求め続ける限り、まんがを読みぬく限り、「ペケ」は幻になることはない。

さらば「ペケ」

その墓碑銘は、まんがへの戰いによって刻まれるのだ!!!

By バイ・バーディ

 

編集後記(川本耕次

☆今年の冬は寒くて長くなりそうな冬です。

大予言。これから漫画界は低迷期をむかえます。「出せば売れる」我が世の春をうたっていた少女漫画界も、萩尾・竹宮を喰いツブした後の新人がロクでもない連中ばかりでは維持できないだろうし、例によってマイナー作家の松本零士しかスターのいない少年漫画界では、ジャンプ以外には面白い雑誌はないし、三流劇画は清水おさむ次第でしょう。ガンバレ清水おさむ! 石井隆を越えられるのはキミだけだ!

☆PEKEは、そうした低迷期をむかえる漫画界に対するインパクト雑誌になれるはずだった──ということだけは最後に言っておきましょう。

さべあのまは少女漫画の世界を変えうる実力と魅力を持っているし、ああいう作家を見過ごしてきた漫画界はバカだ!としか言いようがないし、他の作家についても同じです。

☆リトルプリテンダーというロ●ータポルノの写真集がでてます。1●才くらいの少女が一糸まとわず、ワ●メちゃんさえむき出して…早く発禁になれ! 悪い子のロリコンマニアの男の子たちへ、おすすめ品です。ミリオン出版。千円。しかし世紀末ですなあ……。

☆いろいろ事情がありまして、みのり書房からさよならする予定てす。僕の寒くて長い冬がはじまります。そのうち読者の方とどこかの街角で出逢う事もあるでしょう。

☆近いうちに身銭をはたいてさべあのまの単行本を作ります。PEKEが送り出した唯一の新人。漫画界を変革しうる大型作家。「漫画新批評大系」という雑誌で連載もはじめるし、(5号、173ページ参照)彼女はますますがんばってくれるでしょう。OUTやだっくすに広告を出す予定でおりますので、出たら買って下さい。全作品未発表作です。(わっはは! 宣伝してもた)

☆というわけで、読者のみなさん、PEKEを買い続けてくれてありがとう。まだまだやり残した事はいっぱいあるような気もしますが、また言い足りない事もあるような気もするのですが、とりあえずはさようなら。これからはOUTをせっせと買ってやって下さい。何はともあれ、PEKEはこれで終りです。奇想天外のように復刊したり、幻想と怪奇のように復刊を予定して出なかったりする事はなく、おそらくもう二度と出る事はないでしょう。

…………さようなら。川本耕次

☆冷たい雨が降っています。冬の雨はつらい。濡れないですむならそれが一番いいけれど、今の僕はかなりぐっしょりと濡れているみたいだ。

人生を第三者としての立場で見るならば、一方でひとりの人間が勝ち、ひとりの人間が負ける、その一瞬が一番、面白い。残酷な言い方だけど面白いと言う。僕がスポーツ。その中でも、とりわけボクシングが好きなのも敗者と勝者、光と影のおりなす風景が僕自身の内部を写しだしてくれるからだ。ボクサーにとって勝つことは宿命。呆けた表情を浮かべてキャンバスに沈んて行く男を目にするたびにそう思う。負けた惨めさを償えるのは勝つことだけだ。女でもなく酒でもない。ひたすらカをたくわえることだ。ワンツーストレートの当て方。ウィーピング。ダッキング。軽ろやかなフットワーク。強靱な肉体。……。そして待つのだ。そうしたら、いつかきっと狙いすましたカウンターパンチが当ることだってある。

☆読者の皆さんには申し訳ないんだけど、6冊のペケを創ってくれた人達にこの場を借りてお礼を言いたいと思います。

関先生、どうも御苦労様、また麻雀やりましょう。

桑田先生、いつかお話して下さった先生のライフワークの完成お待ちしてます。

坂口先生、もっとたくさん漫画書いて下さい。

さべあさん、僕はあなたのファンです。

竹中先生、来年は先生の時代です。

日野先生、Bun(ブン)でガンバッテ下さい。

野口君、絵はもっとゆっくり書くように、絵を早く書く人とプロレスを八百長だという人は信用できないのだ。

吾妻先生、ロリコン少年の劣情をさらに刺激して下さい

いしかわ先生、ドラゴンは僕のヒーローです。

えびな先生、大学は卒業したのですか。

ひお先生、OUTでまた特集やります。

牧村先生、なかよしの漫画家さんを紹介して下さい。

絵でいえば佐藤まり子先生が好きてす。

めるちゃん、官能劇画の表紙書いて下さい。

それから、迷宮‘78の人達、深光君に水谷さん、いしいひさいち先生、柳沢健二先生、柳村亜樹先生、飯田耕一郎先生

どうもありがとうございました。そして何よりもペケを愛読して下さった読者の皆さんどうもありがとう。(一億人のお友達大山金太)

♡ペケ最終号記念プレゼント

スター☆シマックの関あきら先生の提供により、ペケも最終号にして、やっと大々的に読者プレゼントを実施します。内容はティーム・コスモカ・プロダクツ発行の『SOl』3をな、なんと50冊。関先生のサイン入り、シマックポスターを5名様にドカン、ドカンとパラッ、パラッとプレゼントしちゃうのだ。応募要領はペケ最終号で良かったもの三つとどうしようもなかったものを書いて、東京都文京区湯島1-10-4○○ビル2Fペケ残務整理ソルOrシマック係まで送って下さい。郵便番号は一一三です。

 

JUNEとPeke(米沢嘉博

最初の二年間ほどのコミケットの盛り上りと成長は、萩尾、竹宮、大島などの花の24年組少女マンガのブームと重なった為だった。古いタイプ、つまり『COM』世代の創作は退潮傾向にあり、少女マンガが圧到的に強かった時代だ。それに拍車をかけたのが、『漫画新批評大系』連載のホモパロディ巨編『ポルの一族』、ヘトガー・マラン・ジンガルベル・マホービンが折りなす狂気の変態世界は、少女たちを熱狂させ、ホモ・パロディを続出させることになる。また、コミケットを中心に、アニメ、少女マンガ、ロック、絵画、SF等に影響を受けた新しい感性の描き手達も登場していた。さべあのまめるへんめーかー高野文子高橋葉介柴門ふみ湯田伸子、etc。つまり、ようやっと、コミケットという場はプロダムとは違った世界を展開し始めようとしていたのだ。そして、それをすくいあげようという若い編集者も出てきていた。マルイの頃から集会に参加していた佐川氏、板橋あたりからスタッフとなっていた川本耕次氏。佐川氏は、半年かかって社長をくどきおとし、新雑誌創刊にこぎつける。なにしろ、毎朝毎朝、社長の机の上に新しい同人誌を置いての攻勢だったらしい。新雑誌は、美少年をテーマにした『JUN』。やがてタイトルは『JUNE』に変更となる。川本氏は、三流劇画特集の取材時のコネを生かしてみのり書房に入社し、どういう甘言をろうしたのか、マンガ雑誌をまもなく創刊させることになる。三流SFマンガ誌『Peke』がそれだ。共に78年の夏のことだ。同時期には『プリティプリティ』『はーい』が創刊されており『奇想天外』の“SFマンガ特集号”も出ていた。時代がそういった波にのりつつあったのかもしれない。つまり、メディアのニューウェーブだ。この二誌は半年ほどで休刊となり、いわゆる“ぼくらのマンガ”は敗退することになるのだが、それから数年後『JUNE』は復活し、『Peke』も『コミックアゲイン』と名を変え再生、ニューウェーブ・ブームを巻き起していく。

コミックマーケット準備会『コミックマーケット30’sファイル青林工藝舎 2005年7月 90頁(初出:米沢嘉博「夢の記憶 記憶の夢─コミケット私史─」の中「JUNEとPEKE」『コミケット年鑑'84』コミケット準備会 1985年8月 148頁)