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近藤十四郎インタビュー(『HEAVEN』二代目編集長)

近藤十四郎インタビュー(『HEAVEN』二代目編集長)

所収『Quick Japan』Vol.13(構成:但馬オサム

群雄社出版HEAVEN』1981年2月・第8号。高杉弾に次いで近藤十四郎が二代目編集長に。鈴木清順鈴木翁二など、近藤の好みが見える)

『HEAVEN』二代目編集長

僕が『ヘヴン』に関わるきっかけは、やはり高杉弾さんなんだよ。「今度、自動販売機本の出版社で、一冊雑誌をまかされたんだけど、ちょっと面白いことができそうなんだ」なんていう話があってね。その雑誌というのが『X-マガジン』で、それが一号で廃刊して『ジャム』になるんだ。ただ、僕はまだ編集スタッフで参加してはいないの。『ジャム』のころは。原稿を一本書いたくらいで。「ゴミ漁りやりたいんだけど、誰か芸能人の住所知らない?」とか、何かあると相談されたりはしたけどね(笑)。

高杉さんとは同い年なのかな。日大芸術学部で、僕は七五年に二浪で入って、上に彼がいたからね。で、当時、日芸の文芸棟という建物の中にサークル室みたいな部屋があってね、もともとは、人形劇サークルとかポエムとか……何ていうの、夢見がちな人たちの集まる穏やか~な場所でさ(笑)。そこの一画を高杉さんたちが勝手にロッカーで小さな部屋みたいに仕切っちゃって、『便所虫』*1というミニコミを作っていたんだ。

僕も休講になったり時間が空いたりすると『便所虫』の部屋に入り浸ってたね。別に何するわけでもないんだけど、ゴロゴロしているから何となくメンバーみたいな感じになっていた。そうそう、同じく『便所虫』に出入りしていたコでジュンコっていう『JUNE』とかが好きな耽美少女がいてね。それが僕も出入りしているロック喫茶の常連だったりして。おかげで「オム」という僕の新宿での“通り名”が仲間うちに浸透しちゃった。あのね、浪人時代にさ、ちょうどフーテンなんかが流行っていて、連中が「イエス」とか「アパッチ」とか呼び合うのと同じようなノリで、アダ名がついちゃったわけだけど、名字が近藤だから「オム」って、あまりにもベタなダジャレだよね(笑)。

まあ、それはいいとして、『便所虫』では既に美沢真之助さん*2が、もう魅きつけるような文章を書いていてね。この人の文章は正直、凄いと思ったよ。だから高杉さんにしてみれば、美沢さんに発表の場を与えるという一面もあったんじゃないかな。『ジャム』に関してもそんな感じがしたね。まあ僕は後輩だから、あえて指摘する立場でもなかったけど。

『ジャム』のコンセプチュアルな部分は、美沢さんじゃないかな。それはね、高杉さんにコンセプトがないという意味ではなくて。器を作るのが好き、というのかな。もっと純粋に、エディター志向で、何しろ『メディアになりたい』*3って人だから(笑)。

美沢さんは当時大学六年生でね、その一年上の美術学科に八木さん*4がいたけど、ほとんど学校来てなくてね。その後『地球ロマン』*5あたりに出入りするんだよね。これは『ヘヴン』のころの話だけど、八木さん、『地球ロマン』の通帳とハンコを持ったまま失踪してね、武田崇元*6を慌てさせたことがあるの。俺たち、武田さんからの電話で知ったんだけどね。あの武田崇元を泣かせたんだから大したタマだよ。もっともあの人の失踪癖は、慣れっこだけど(笑)。

で、山崎春美*7は僕が卒業したあたりに日芸に入ってくるんですよ。まあ、のちの『ヘヴン』の主要メンバーがここで出揃うわけだ。

 

怪人・荒戸源次郎

でも先にも言った通り、『ジャム』に関しては、「先輩たちが面白そうなことやってるな」ぐらいの感じで傍観者だったんだよ、僕は。

むしろ自分としてはバンドとかの方が忙しかったし。浪人中にいっしょに芝居やろうとしてた永田麻琴*8とバンドやってたんだ。で、永田が天象儀館*9の美術をやってた関係で出入りするようになって、荒戸源次郎さん*10と知り合うんだ。これがのちに『陽炎座』のパンフレットとかに結びつくわけだけど。

“天象儀”というのは“プラネタリウム”の意味らしいんだ。で、荒戸さんはエアー・ドームで芝居やることを考えた。空気で中から膨らむ形のね。だから柱も梁もないんだ。入り口を回転扉にして空気がもれないようにしたりね。テント屋に発注したら、「そんなもの建つはずがない」って言われたんだって。荒戸さんは「いや俺の計算だと絶対建つ」と。あの人、確か東工大の工学部の出身だからね。まあ東京ドームも原理は一緒でしょ。だから東京ドームって荒戸さんの発明と言ってもいいよ。

でね、客入れのとき、中では「カノン」がかかっていて、ミラー・ボールが回っていて、それが半球型のドームに映ると、まさにプラネタリウムだよ。芝居になるとね、メイン・ステージを金魚鉢がダーッと囲んでいて、その一個一個に電球が仕掛けてあって三〇〇匹の金魚が泳いでる。それはそれはバカバカしくも素晴らしい舞台なんだ。まあ、それやるためだけに天象儀館は金魚を何百匹も飼っていてね、その水槽を作る手伝いに行ったりしたね(笑)。

荒戸さんというのも怪人物でね、凄い豪邸に住んでいるんだけど、浮き沈みの激しい人だから家賃払わなかったりするんだ。不動産屋が取り立てのヤクザを頼むでしょ。「どっちが強いか、やろうじゃねえか」って態度なの(笑)。

のちに『ヘヴン』で僕が「荒戸源次郎インタビュー」をやるんだけど、荒戸さんは凄く喜んでくれたんだ。「今まで受けたインタビューの中で一番、自分の肉声を感じる」ってね。

 

不思議の国のエルシー

大学を七八年に卒業して、小さな本屋に勤めるんだけどすぐに辞めて。その年の暮だったかな、新宿でふらふらしていたら、ばったり美沢さんに遭ったんだ。「今度、高杉が『ジャム』やめて新しい雑誌作るんだ」って──ホラ、自販機本って売り上げが下がるとタイトルを変えてまた出すって世界だから──「一緒にやるやつを探しているんだけど、オムどう?」って言うんだ。何でも、その日はエルシー企画の忘年会とかで、俺も誘われるままくっついて行ったんだ。そこで、何か凄くテキトーに「じゃ来年早々から頼む」みたいな話になって。

当時、エルシーは池袋の花輪屋のあるビルの三階にあってね、正月明けに行ってみたら高杉さん留守で、何か凄いチンケなソファに待たされて。でね、俺の目の前に偉そうな背中が見えるんだね、まあ机の位置からして偉いんだろうけど。その背中がふっと振り向いて、俺と目が合って、「ビール飲む?」(笑)。それが佐山哲郎さん*11でね。まがりなりにも会社なわけじゃない? 真っ昼間から「ビール!」(笑)。あと源ちゃん(宇佐美源一郎)がいて、俺の目の前で、佐山さんとチンチロリンなんかおっ始めるんだ(笑)。とんだところに来たなと思ったよ。

既にエルシーの末期だったよね。その年の春くらいにはアリス出版と合併したから。

“合併”というのはね、要するに「東雑」*12という自販機の総元締めがあって、そこが実権を握っていたんですよ。アリスもエルシーも東雑傘下の出版社だから。それで、制作側の発言力を強くしようという目論見だったわけ。それで、アリスの小向一實さんが社長で、明石賢生さん*13は副社長になって。まあ、アリスの方が通りがよかったからね。エルシー(L・C)って何の略かなと言うと、僕は勝手にルイス・キャロルのことかな、ってロマンチックに思ってたんだけど、深い意味はないようだね(笑)。

それから、これは僕の推測だけど、明石さんは将来的に自販機じゃない、取次系の出版を目論んでいたんじゃないかなあ。『ヘヴン』みたいなね、エロ本だかサブカル誌だかわけの分からないものを出させてたのも、要するに取次出版をするための布石だったような気がする。まあ、当然の成り行きというか、三、四号で東雑を外されちゃうんですよ、『ヘヴン』。自販機じゃ売れないから。

で、東雑を離れて書店に直販で卸していたんだけど、明石さんは一応アリス出版の副社長だから表立ってできない。そこで、明石さんがポケットマネーで高田馬場に部屋を借りてくれて、そこを編集部にして『ヘヴン』を続けさせてくれたんだ。“HEAVENエクスプレス”という名義で。でも当然耳に入らあね。東雑のボスから「明石、お前内部で反乱でも企ててんじゃねえのか」と詰めよられたらしい。で、明石は売り言葉に買い言葉で「わかりました。辞めます」ってことになっちゃった。その時、「合併アリス」の旧エルシーとアリス内の明石派がこぞってアリス出版を出て、それで群雄社が旗揚げになるんだけど。詰め寄られたことで反乱が本当になっちゃったんだ。

 

幻の一千万広告

で、高田馬場のマンション二フロアを借りて群雄社がスタートするんだ。途中から僕らもそっちへ移って。四畳半ぐらいの部屋が『ヘヴン』に割り当てられてね。商売にならない雑誌だったけど、結構優遇してもらってはいたよ。ただ、そのころはもうビニール本*14が主力商品だったからね、純粋にエロ本だけ作っていた人たちの中には、「俺たちが汗水たらしてスケベな本で稼いでるのに、ヤツらは……」みたいな思いがあっただろうね。でも山本土壺*15のようにビニ本班の人にも可愛がられるヤツもいたし、源ちゃんのようにビニ本班なんだけど、俺たちのやってること面白がってくれたりする人もいたから一概に仲が悪かったというわけじゃないけど。

営業の森藤吉さん*16、この人は明石さんの従弟だけれど、あからさまに意地悪するわけですよ(笑)。『ヘヴン』の配送に車貸してくれないの。「昨日からお願いしていたじゃないですか」って言ってもね、「急にビニ本の注文来たらどないするんや!」って。例の関西弁で。まあ、あの人は商売人というか山師だからね。それ以前は「私設電話帳」なんていう怪しげな商売をしていたらしい。ホラ、NTTの電話帳って分厚いだけで、あまり実用的じゃないじゃない。せいぜい番号が必要なのって市内でしょ。「そういう手頃な電話帳あったら便利でっせ」なんて言葉巧みに持ちかけて商店から広告費を取ってね。そりゃあ作るのは簡単だよ、元の電話帳写すだけだもん(笑)。

コブラの卵」*17? 「ヒスイの骨壺」*18? それは知らないな(笑)。会社とは別に、森が副業でやってたんだろ。まあ、そういう“押し”の強さを買って、明石がビニ本の営業に入れたわけだ。

不思議なことに、書店では結構評判はよかったんだ、『ヘヴン』は。紀伊國屋とかブックスラフォーレとか毎号、一〇〇冊置いてくれたんだ。こういうリアルな手応えは、手売りしているから知っているんだ。逆に、高杉さんは知らないんじゃないかな。内容は高杉さんと春美がメインで、俺は編集雑務と営業と、デッチみたいなものだから(笑)。

で、森さんに「広告取ってこい」と言われてね。でもあまり上手くいかなかったな。ゲイ雑誌の『MLWM』とは交換広告していた。これがなかなか面白い雑誌でね。男色異端文化誌。ここの編集にいたのがイッサク*19で。イッサクの他は編集部、全員オカマ。それもみごとなくらい汚いオカマ(笑)。ノンケは肩身が狭いって言ってたけどね(笑)。

『ヘヴン』の広告料金表っていうのも作ったんだ。表一が一番高くて一千万! 表紙が全面広告なんて雑誌ないじゃない? “HEAVEN”っていうロゴの下にばぁーっと“夜の殿堂・ハリウッド!”ってな感じで女の子がズラ~ッと並んでる図は面白いなあと思ったんだけど。

あとこれは自分でも凄いアイディアだと思うんだけどさ、“てんくに”って天ぷら屋があるの。“天国”と書いて“てんくに”。これの広告を表四に載せると、表が“HEAVEN”で裏が“天国”(笑)。断られたけどね。

それから“帝都典礼”という日本一大きい葬儀屋がありまして。ここには実際足を運んでね、「一〇年、二〇後の御社のことを考えた場合、若者にイメージを植えつけておくのは大切です」ってデマカセ言ってさ。「デザインもこちらでやらせていただきます」って。羽良多平吉デザインのもう、蓮の花が開いて、青空に霊柩車がビュンと飛んでるような、「天国って気持ちイイ!」ってノリの広告にしようと思ったんだけどね、相手にしてもらえなかったなあ(笑)。

 

社長の逮捕

そうしているうちに、高杉氏が『ヘヴン』を出て僕が編集長になったりするんだけど。

で、ある日、「明日、重要な会議がある」って言われてね。今思えば、明石さんは自分が逮捕されるのが判っていたんだな。そのための会議だったみたい。『ヘヴン』からは俺一人が出席することになっていたんだけど徹夜明けでね、「少し遅れます」って電話入れたら「会議は中止だ。明石が捕まった」って。

会社行ったら、午前中にガサ入れがあって、フジテレビのカメラも来てたっていう。もう明らかなスケープ・ゴート。「最近ビニ本は目にあまる」ってことで見せしめにされたんだね。でもね、面白いのは、ガサ入れでも『ヘヴン』の部屋は警察も素通りなんだよ。「ケッ、どうせチンポも立たん本や」って感じで(笑)。

これ、『噂の真相』にも書かれたことなんだけど、明石って人は学生時代の闘争の時に捕まって、二三日間完全黙否*20を貫いたんだ。まあ、それくらいの豪傑は他にもいただろうけど、明石はその時、獄中で淋病を発病している(笑)。で、淋病の発病時って飛びあがるほど痛いんだって(笑)。それを抱えながらの完全黙否だよ。でも今度は完黙ってわけにもいかない。住所はおろかブツも押さえられてるんだから。

それで、「猥褻がなぜ悪い」という裁判闘争に切り替えた。結局それは途中で辞めたんだけど、社長の逮捕がきっかけで『ヘヴン』は廃刊、ビニ本も今までのようにはハデにはできなくなった。会社としては大打撃だよね。でも、ここが明石の凄いところなんだけど、「これを機に神保町に移って取次の出版をやる!」って。普通は板橋とか練馬あたりに都落ちだよね。それ以前に池袋から馬場に会社を移したでしょ。確かに少しずつ“中央”に向かってるんだよ。で、苦しい時にあえて出版の総本山・神保町に打って出る。何かとってもカッコよかった。

 

陽炎座』伝説

神保町に移ってからは、とにかく単行本を数多く出せ、と。要するに雑誌コードを取るために取次に対してハクをつけるということなんだ。我が社はこれだけ実績ありますよ、っていう。そんなとき、荒戸さんに呼ばれてね。もうシネマ・プラセット*21を始めていて、前年に『ツィゴイネルワイゼン』が日本アカデミー賞をとっていたんだ。で、「今、鈴木清順*22の第二弾で『陽炎座』というのを撮ってるんだが」ってね。要するに映画のパンフレットを作りたいんだ、ってことなの。『ヘヴン』が終わって、俺も少しは身軽になったし、いわゆる普通の映画パンフなら会社の片手間にできるかな、と思って聞いていたけど、どうもそうじゃないらしい。

「定価は、LPレコードと同じ二八〇〇円。入場料と合わせて映画一本観て五〇〇〇円だ」。

しかも、プレミア・ロードショーに間に合うように作れ、って言うんだ。実質一カ月しかない。これじゃあ俺個人のバイト仕事では手にあまると思ってね、会社帰って明石に相談したんだ。そしたら「一度会おうか」って。

実際に二人会わせてみたら、一目で「おう」「何だお前か」って感じでさ。お互い顔ぐらいは知っている仲だったんだよ。明石の奥さんが昔、自由劇場にいたから、その関係かね。二人は映画の話も本の話もないままに、それはもう「よし、受けた」って暗黙の了解なわけ。で、明石は俺に一言「好きなように作れ」と。

でもパンフ作るにもスチールがなくてさ、映画の編集したあとのフィルムの切れっ端を貰ってきて、それを一コマづつ切って使ったんだ。フィルムを貰って夜中に会社帰ったら、明石さんが製版屋の社長とか印刷屋とかハード面の関係者を集めていてくれて、「イケる」「まあ金のことは言わんから思いっきりいいもの作れ」みたいになってね。俺はもう「よし!」だよ。

観音開きは(羽良多)平さんと相談して決めた。平さんとの付き合いは『ヘヴン』からだね。観音開きで片方にスチール集、片方がシナリオ。要するに二つの本が向かい合ってる構造ね。手間は二冊分、いやそれ以上。さらにそれをハードカバーで包むわけだから。シナリオは本物と同じくザラ紙にタイプ活字にしてさ。でも註釈を写植で入れるから、結局はオフセット印刷。ザラ紙っていうのはね、本来ロールで刷るようになっていてね、だからオフセットの機械には入らない。で、ロールをわざわざ平面に断裁して。安っぽい雰囲気を出すために、逆に金がかかるという(笑)。でね、どうせ手作業で張り付けるならって、見えなくなるページに伊藤晴雨の責め絵を印刷して剥がれたときのお楽しみにしたの。

陽炎座』は一冊作るのに三〇〇〇円かかってるって? いやいや、そこまでは行ってないよ。ハード面だけで二一〇〇円。原稿料一切タダでね。まあ確かに原価割れなんだよ。取次の掛け率考えれば、出荷するだけで自動的に“赤”になっちゃう。

執筆者*23には全員、試写を見てからコメント書いてもらったんだけど、映画がタダで見れます、っていうのが実質の原稿料代わり。もう毎日誰かしら試写してるドームに連れて行くんだ。

そうしてるうちに、平さんが写真の赤を蛍光ピンクで印刷したいって言い出して。現実の色とは違っちゃうよね。監督が見て何というかなあ、と思ってさ。でもいざ印刷したら肌色なんかもの凄くきれいに仕上がってねえ。幻想的で。

清順がさ、本見て「きれいな本になったね」って言ってくれた。プラセットの清順番の女性もね、「近藤さん、よかったわね。とにかく“褒めない人”なのよ」って。

清順監督は『ヘヴン』を気に入ってくれてたみたいなんだ。“日本アカデミー賞おめでとう”みたいなこと誌上でやったからかな。いきなりね、『ヘヴン』宛に封筒が届いてね。中を開けるとティッシュが一枚。広げると、“キュウリ”と“切れ目の入ったコンニャク”の直筆の絵でね。要するに男と女のナニのことなんだけど、ちょっと粋でしょ、ティッシュなんて。今でも大事にとってあるよ。

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編集長交代劇

陽炎座』が僕の編集者としての……人生最大といっていいかなあ、快作ですよ。

『ヘヴン』にしても二代目編集長といいながら、結局は編集雑務だったから。要するに、高杉氏が抜けたあと、実質的には春美が編集長なんだよね。ただ、俺の方が“上の方”に通りがよかったから、編集長になっただけで。まあホラ、春美はああいう人だから(笑)。

「編集長交代号」の誌上で僕が就任の挨拶しているよね。それで女の子を間にはさんで僕と春美が並んでいる写真がボンと扉で使われているでしょ。どっちが編集長かわからない(笑)。

(ひきつった笑いを無理に押し浮かべる近藤新編集長と山崎春美。中央はモデル)

だから、『ヘヴン』で俺の企画したページといえば、鈴木清順がらみの記事と「荒戸源次郎インタビュー」ぐらいで、あとは細々したもの。本当に細々した無署名原稿で。まあ、その中で面白かったのは、“存在しないレコード”のレコード評。勝手にレコードをデッチ上げてさ、存在しないレコードだから、読者がそれ読んでレコード屋に行っても手に入るわけがない(笑)。

あ、そうそう『ヘヴン』の創刊号に何にも印刷してない真っ白なページがあったでしょ。あれやったの、俺なんだ。今までの出版史上誰もやらなかったことをやろうぜ、って冗談で。

 

(※引用者注:雑誌掲載時、ここから二ページに渡り、何も印刷してない「白紙のページ」が掲載されていた。これは『ヘヴン』創刊号のアイデアを拝借したもので、発案者の近藤十四郎氏がインタビューで「白紙のページ」について話す部分の文章とシンクロさせて編集したつもりだったというが、乱丁本と判断する書店が出たり、読者からは「欠陥本じゃないのか」といったクレームが寄せられたという)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だって雑誌じゃ絶対しちゃあいけないことじゃない。ラジオでアナウンサーが一〇秒黙っちゃったみたいなもんでさ。本当は四ページやりたかったんだけど、どうにか裏表二ページ分使わせてもらって、今見ると、何であんなことに固執していたんだろと思うけど(笑)。

『ヘヴン』のビジュアルに関しては、高杉氏のセンスが強いと思うよ。最初の段階でね、一応販機本だからヌードも載せなきゃってことになって。最小限の制約でね。でも普通の裸じゃやる意味がないんで、フェティッシュな感覚のね、パーツ撮り、要するに局部アップだよね。例えば、淡い色調で印刷の網点粗くして肛門のアップをドン、と。一瞬見たら何だかわからない……わかるか(笑)。まあ、とにかく、そういうセンスだよ(笑)。

編集長交代劇の真相?……こりゃ困ったな。あのね、それまで『ジャム』は美沢さんの色が濃かったわけで、それが『ヘヴン』になると美沢色が薄れて高杉色がどんどん出てきて結果的には高杉氏の個人誌になっちゃうんだ。で、高杉氏はそれこそ外国の雑誌から図版をパクってボーンと、それだけで一ページ作っちゃうようなところがあって。コラージュ的というか、やっぱり『メディアになりたい』の人だから。それで、デザイン料も発生させちゃうのね。給料の他に。むろん俺がデザインすれば、俺にもデザイン料が入るけど。まあちょっと他人には安直に見えるやり方でもあるわけよ。欲しいレコードや本は資料として経費でガンガン買うし。

そういうことに対して春美も俺もさ、もっと記事モノが充実した雑誌らしいものを作りたいって思いがあって。結局、高杉氏が孤立しちゃうんだよね。でも、そこで高杉氏が「俺が編集長だ」って押し通さずに、あっさり身を引いたのは、ちょっと意外だった。

ただね、『ヘヴン』は高杉氏が孤軍奮闘してたのは事実で、俺と春美になってからは、月刊のペースではおぼつかなくなってたからね。

 

27歳で社長

鳴り物入りで公開された『陽炎座』が大コケで。これはつまり、清順が二年連続で最優秀選手になるわけなくてね、やはり代打逆転ホームランの似合う人でしょ。

でもシネマ・プラセットとしては動き出した以上、ここで歩を止めるわけにはいかない。で『ヘリウッド』*24っていうのを撮ったんだよ、群雄社が製作費出して。結果は『陽炎座』以上の大コケ。プラセットは窮地に追い込まれた。この時点で、荒戸‐明石ラインで「エロビデオをやろう」という話が持ち上がってたんだな。

俺はぜんぜん話を聞かされないまま、明石に車に乗せられて、荒戸さんの事務所行って。荒戸さんは「どうせ捕まるんだから、俺んとこの下っ端を出す」なんて話をして、明石は「いやオムが……」なんて言い出して。「え? え?」みたいな。そのあと何故か三人でサウナ行って、荒戸さんのマンションでね、日本シリーズのデイ・ゲーム見て。何も話さないまま、帰りしな明石が「こいつを社長にするから」。聞いてないよ!!(笑)。

俺もさすがにキレてさ、「ザルとドンブリの会話にはつき合えない」て言っちゃった。あまりにも大雑把過ぎて。そしたら、二人で言い合い始めちゃうんだ。「お前がザルだ」「俺はドンブリだからまだ底がある!」なんてね(笑)。

まあ、明石らしいというかさ。これはもう少しあとの話なんだけど、もう完全に会社が傾きかけててね。俺とあと何人かが土曜の夜、会社に残っていて、「このままじゃ群雄社はダメだよ」なんて話をしていたんだ。そこにひょっこり明石が顔を出してね。俺たちは思いのたけをぶつけて、「明石さん、せめて会社としての方針を立てて下さいよ」って進言したんだ。明石は「う~ん」と考えて「わかった。月曜に朝礼やるから。そこで発表する」って。

でね、朝礼なんだよ。明石が出てきて何かちょこちょこっと喋ったあと、「えー、我が社の方針は……」って。来たぞっ、て思ったら「……ない! 以上」(笑)。もう器が違うわと思ったね(笑)。

それはおいといて、とにかく、シネマ・プラセットのスタッフと俺の四人で八二年に「VIP*25がスタートするんだ。渋谷のマンションを事務所にしてね。俺は二七歳で社長だよ。

最初の作品は『女子便所』シリーズ。まあこれは群雄社お家芸だからね(笑)。

トイレのセットを組んで、女の子五人待機させ、いつでもスタンバイできるようにしておく。何故五人かというと、一人だと一回オシッコすると間があくでしょ。できればウンコも撮りたいから、ビールがんがん飲ませて、メシ食わせて、傍から見れば大宴会だよね。

これを一本三万円で売るわけ。何でかというとね、当時、三万円で七〇〇本も売れたビデオがあったの。杉良太郎後援会の“杉さまリサイタル”ビデオ(笑)。三万円で一〇〇本なら三〇〇万、七〇〇本なら二〇〇〇万、大変な利益になるのよ。それくらいはいけるよな、って皮算用。“人はエロには金惜しまない”って悪い教訓があるわけよ、ビニ本時代に覚えた。

『女子便所』のころは、まだ販売ルートはビニ本と同じで、大人のオモチャ屋とかで売られていたんだ。そのあと宇宙企画ビデ倫モノの最初のアダルトビデオ出したけど、まあエロもの撮り下ろしで言えばうちが元祖だったね。

でね、ビデオって編集前のテープには右上にタイムレコーダーってのが出るんだ。何ロール目の何分何秒何コマ、ってね。それを知らなかったから俺たち、シーンごとにいちいちカチンコ鳴らしてたの。カットを細かく割って照明なんかも作りこんでね、実に映画的に撮ってたんだ。宇宙企画のビデオなんか見ると、回しっぱなしでさあ、女の子が「私の趣味はぁ……」なんてね。何だこりゃ、と思ったけど、エロビデオの撮り方でいえばそっちの方が正解だったね。

まあ俺たちは独自の文芸路線で行こうと思ってたから、映画の人たちと組んで、たこ八郎主演で『ナントカ八犬伝』みたいなビデオ撮ったり。興奮すると四人の男の金玉に文字が二つずつ浮かぶ、という下らないビデオ(笑)。

 

最後の予感

今考えると、VIPの社長になった時、俺は明石や荒戸みたいな人間になりたいという思いがね、あったんだよ。あの二人には影響受けたもの。それが俺の間違いでさ、力量がついていかなかったね。荒戸さんとは血液型も星座も一緒なんだけどね。まあ、関係ないか(笑)。

俺の方も少しずつ気力がなえちゃってたね。プロダクションとかどこもそうかもしれないけど、人身売買みたいなとこあるんですよ。そういうのを見ているとだんだんいやになってきて。そうしたら今度、群雄社本体の方で『スクリュー』という風俗雑誌をやる話があって。それで、他に適任者いないから、お前やれ、と。正直「またか」と思ったよ。同時に「これが最後だな」という予感があった。いつもそういうのに回されるんだよ、俺は。まあ、明石にしてみれば、俺には言いやすいところがあるんだろうけどね。「オム、ちょっと頼むぞ」って感じで。

VIPと掛け持ちで『スクリュー』立ちあげて、もうここいらへんでいいだろうと思ってね、ある日、明石に「実は俺、会社辞めようと思うんです」って切り出したんだ。

明石はね、「……そうか」。で、「呑みに行こう」ってことになって。

「……実はなあオム、会社は数ヶ月後に不渡りが出るのは決定的なんだ」

あの巨体が、珍しく酔っ払ってね。

それで愚痴なんか言う人じゃないんだけど、「白夜(書房)の森下(社長)だけは潰しておきたかったなあ……」ってポツリとね。

“潰す”というのは要するに、エロ本出身の出版社として肩を並べたかった、という意味の明石流の言い方だろうけどね。ただね、その言葉がやたら耳に残っちゃったんだよ。

群雄社辞めたあとは、適当にぷらぷらしながら『シティロード』のレコード評とか好きな原稿だけ書いてね。あと友達の会社の倉庫番みたなことやっていた。そうしているうちに女が出来て。そいつに食わしてもらったり。

群雄社当時の仲間で、潰れたあと白夜に拾われた人結構いたよね。そこいらへんに顔出せば、仕事はいくらでもあったろうけど、俺、「潰したかった……」ってセリフ聞いてたからさ。まさか明石さんの前で「今、白夜の仕事しています」とは言えないし。それで佐山さんの先輩の編集プロダクションを手伝う形で、復帰してデザインや装幀の仕事も始めたんだ。

ヤクザの映画で親分のことを「オヤジ」って呼ぶじゃない。明石さんってのはやはり「オヤジ」なんだよ。佐山さんが若頭でね、「兄貴」というか。で、荒戸さんは「オジキ」かな。

二四歳で大学出て、二七で社長、二九で辞めてるから、『ヘヴン』を含めて明石のところにいたのは正味五年か。短いね。でも較べるのも何だけど、“ビートルズ”の活動期間もそれくらいでしょ。人生でそういう非常に濃密な数年間って、やっぱりあるんだよね。

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(『HEAVEN』では「ウルトラヘヴン放送局」というラジオ番組を放送していた時期もあった。DJは高杉弾近藤十四郎のかけ合いで毎回ゲストを呼んでいた。オープニングの曲は“ペンギン・カフェ・オーケストラ”)

 

*1:高杉氏発行のフリー・ペーパー。のちに『BEE-BEE』と改題。

*2:隅田川乱一の筆名で『ジャム』『ヘヴン』で活躍。

*3:JICC出版局(現・宝島社)から刊行された高杉弾の著書表題。

*4:別名“ハマリ”の八木。『ヘヴン』を経て群雄社編集部員に。

*5:アナーキズム(政治)とオカルト(神秘学)が合体した、奇妙かつ高踏的な専門誌として有名。

*6:『地球ロマン』『迷宮』を世に送り出した、日本オカルト界のフィクサー的存在。

*7:工作舎編集部員を経て『ヘヴン』メンバーへ。バンド「ガセネタ」「タコ」でも活躍。

*8:グラフィックデザイナー。近藤氏とバンド「バカず」を結成。

*9:荒戸源次郎主宰の劇団。脚本家として、上杉清文が参加。

*10:演出家、映画プロデュサー。『ツィゴイネルワイゼン』『どついたるねん』などの製作の他、近年『ファザー・ファッカー』で監督デビュー。

*11:エルシー企画・群雄社編集局長。スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画『コクリコ坂から』原作者。

*12:おつまみ販売機のリース会社から転身、自販機エロ本の取次として大躍進をとげる。

*13:エルシー企画および群雄社社長。出版界に数々の伝説を遺し、96年8月に急逝。

*14:内容のキワドさで一世を風靡したマイナー出版社系エロ写真集。ビニールに包まれ、売られていたことから、こう呼ばれた。

*15:青函連絡船で『ジャム』を拾ったのを縁に、『ヘヴン』メンバーに。

*16:明石の従兄弟にして群雄社営業部長。どう見ても“スジの人”。群雄社解散後はAVメーカー「レッツ」を主宰し、アダルトアニメ『女子大生 聖子ちゃん』『オフィスレディー 明菜ちゃん』を企画・制作。後に縄文時代の遮光器土偶を模したキャラクターグッズ「GOUX」をプロデュース。

*17:インド産コブラの卵の焼酎漬け。森氏が精力剤として販売を計画。群雄社但馬オサムは森氏に無理やり試食させられたというが、気分が悪くなったそうだ。

*18:孤独なお年寄り(ただし、要貯金)に来世の幸せを約束する森流商法のひとつ。「おばあちゃん、お金はアチラへは持っていけませんがな。それより、まずは日頃の心がけ、次に品格のある器や。お壺は、お浄土に行く乗り物みたいなもんやで。ボロボロの粗末な車乗って行ってみい、向こうで待ってはるおじいちゃん、悲しい顔しまっせ。さしずめ、このお壺、最高級のロールスロイスや」

*19:田中一策。東大中退後、ニューヨーク放浪を経て出版界へ。『ヘヴン』後期メンバー

*20:現行法では、逮捕者に対し、まず二日間の拘留、その後申請すれば一〇日の延長が二回まで認められている。二三日間は未決の拘留では最高の日数である。むろん、その間、取り調べは続き、完黙は容易なことではない。

*21:荒戸源次郎主催の映画製作会社。エア・ドームでの全国巡回上映など、独自の興行システムでも注目された。

*22:映画監督。古巣・日活からの解雇以来、映画製作の場から離れていたが、途中『悲愁物語』を挟み、『ツィゴイネルワイゼン』で一〇年ぶりの復活。一部にカルト的な人気を持つ。

*23:厳谷國士、沢渡朔大林宣彦アラーキー等そうそうたる面々。

*24:フォーク・シンガーの“エンケン”こと遠藤賢司主演のカルトSFミュージカル映画。他に斎藤とも子、羽仁未来、佐藤B作らが出演。

*25:群雄社の映像部門としてスタート、群雄社倒産後も存続し、アダルトビデオを製作し続ける。現・社名は「アトラス21」