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はじめから「真実」なんてなかった―メディア表現論から―

はじめから「真実」なんてなかった

むしづか☆むしぞう

戦場を記録した写真や動画は、あくまで現実だし、決して虚構(ガセ)ではない。

だが、いくらでも「演出」が出来る。

近年のイスラム過激派には若者が多いというが、きっと彼らは激派がネットに発信したプロパカンダなんかを見てうっかり組織に入ってしまったのだろう。彼らは悪意あるメディア(というのにはあまりに稚拙なテロメディア)の「演出」を見抜けなかったわけだ。

戦時においては、戦場の記録は「プロパカンダ」になり、報道機関は世間の印象を操作する「洗脳メディア」と化す。もちろん都合の悪いことは全部フレームの外に追いやられ、真実はいとも容易く歪曲されるか捏造される。

こうなると民衆はもはや「何が真実か」なんて分からなくなるだろう。もはや「真実」という「概念」が瓦解しているのだから。

戦後、日本の価値観は軍国主義から民主主義にひっくり返った。言うなれば、それまであった「真実」は「大罪」になり、「大罪」は「真実」になったようなものである。まるではじめから「真実」なんて無かったとしか思えない転回(展開)だ。

私たちがメディアを通して知覚できる「真実」は、第三者によって常に「演出」されたものであり、しょせん「真実」はメディアによって日々濫造される「加工食品」のようなものに過ぎない。「演出」(やらせ)は「添加物」みたいなものだろう。

腐ってしまった味噌や豆腐に毒物を添加して作った味噌汁を「あまり美味しくないなあ」と無自覚に思いながら食べているのが日本人の現実です。「洗脳は舌から」、これがGHQ以来の戦略だったのでしょう。そして、メディアや文化についても同じことが言えるのです。

とか何とか言ったのは著書に『メディアになりたい』を持つ自称「メディアマン」の高杉弾だ。この発言はもう18年も前のものだから、9.11テロやイラク戦争よりも前のことになる。

とどのつまり「情報の偏食」はネトウヨや左翼ゲリラ、差別主義者にテロリストを生むのである。情報も食品も「鮮度」が大事だが、これからは多角的な視点を万遍なくとっていく必要があるだろう。ようは自然のサチも一杯食えということだ。

当然「人間には一度にはほんの少しのことしか把握できない」(スタニスワフ・レム)。そして人の数だけ「真実」があるのなら「真実」は一つのはずがない。しかし世間が支持する「真実」などに、本来の意味での「真実性」などこれっぽっちも残っていない。

一つ一つの事実は歪んだ鋳型(メディア)にはめられ、歪んだ形で大衆に伝達されている。さてメディア・リテラシーの行方とは…

(これがメディア表現論の最終的な帰結―着地点―になるのではなかろうか?)

最後にちょっとだけ言わせてもらうと、もはや人類は「ガセネタの荒野」に辿り着いてしまったのかもしれない。