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追悼企画『危ない1号』編者・青山正明(故人)の世界

追悼企画『危ない1号』編者、青山正明故人】の世界

文=木村重樹

撮影=後藤彩

太田出版Quick Japan』Vol.38(2001年8月)所載


青山正明氏(1995年当時)

鬼畜のカリスマ逝く! 青山正明追悼号 [06/19] 20:45

サイバッチ! 配信数:78152

今月17日、あの青山正明が逝った。自宅の部屋で首をくくって死んだそうだ。昼過ぎ、部屋から出ないのを不審に思った母親が、ドアを開けると青山が天井からブラ下がっていたそうだ。恐るべし青山正明。死ぬときまで、ただでは死なない。俺たちにちゃんとネタを残す心使いを忘れてはいないのだ。(後略) 

「ホントに楽しいことしてれば、それで人生がパーになっても後悔しないっていうか、そういう後戻りのできない壊れ方を、望んではいませんけど、覚悟はできてますよね」「なんでも思い切り追究していけば、身体を壊したり、迷惑をかけたりするのは当たり前だから、そこでもし取り返しのつかないことになったら、そこで諦めればいいでしょ、人生を(笑)」(いずれも『クイック・ジャパン』第五号所収「裏テクノ専門学校」の青山発言部分より抜粋)

「刺激を求める気持ちってもともと誰にでもあるもので、奇形にせよ死体にせよ、フツーのものじゃなくて変わったものが見たいっていうのは、そんなに特異な気分ではないんですよ。ただそれをどのメディアが扱うか/扱わないかというのがあって、今では活字や映像メディアのみならず、パソコン・ネットにしろ、いくらでも情報を入手する手段って広がってるからね。

だから昔、僕が現役でキワいものに夢中だった時代だったら、死体のビデオ1本入手するにしても、海外まで行くとか相当苦労しなけりゃ手に入らなかったのが、今ではそういう専門店が東京にあっで、誰でも金払えば見れる。下手したら、僕が十年がかりでコツコツ蓄積したものを、今の人ならその気になれば半年くらいで超えられてもおかしくないんですよ」(『週刊SPA!』1996年12月11日号「鬼畜ブーム」特集記事内の青山談話より

そう……そんなコンビニエンスな時代の訃報は、一通のメールマガジンの配信によって、都合八万人近くの人間に知らしめられたこととなる(件のメルマガを、ゴミ箱に直行させない限りは……)。「青山正明、逝く」。さすがに大新聞の訃報欄でも扱われず、唯一(近日廃刊が決定した)写真週刊誌『FOCUS』(新潮社)で、形ばかりのフォロー記事が掲載されたくらいだ。

(雑誌『FOCUS』2001年7月18日号で報じられた青山氏の訃報。「麻薬ライター」という表現は当たっていないだろう)

当『クイック・ジャパン』誌と青山氏の繋がりも、(前掲した)第五号における石野卓球氏とのテクノ対談一回きり。「青山正明、誰それ?」という若い読者がいても、むべなるかな………である。かたやその一方で、九五年に創刊され、一巻当たり都合一○万部近い売上げをあげた『危ない1号』の初代編集長として、若い世代にも少なからずの影響を与えた人物であったことも、また事実だ。

青山正明、一九六〇年六月二七日神奈川県生まれ。慶応大学法学部在学中に悪友数名と創刊したキャンパス・マガジン『突然変異』によって、“キワモノ”好きな一部読者たちにその名を知らせしめ、その後も(各種エロ雑誌の情報コラム等で)それこそエロ&グロ、フリークスからドラッグにオカルト、果ては犯罪的イタズラの手口まで……と、およそ一般的な社会通念からは奨励されない(要するに、親や先生からは絶対に教わることのない)“知”のダークサイド(なんていかにもカッコつけた言い方だが、今さら「鬼畜」なんて手垢まみれの形容句を蒸し返すよりは……)に対する該博な知識を披露。業界内外にシンパを増やしていった、カルト・ライターにして編集者。編集仕事の方面も幅広く、女性誌やらコミック誌から株式投資機関誌や受験学年誌まで……。そして九〇年代半ば、友人数名と青山氏は「東京公司」なる編集プロダクションを旗揚げ。別冊宝島データハウス社のマニュアル本を手がけ、商業的にも好セールスをあげる。そして、その延長線として、永年の探究課題であったドラッグ関連の情報を集大成した単行本として(青山名義では初の著作にあたる)『危ない薬』(データハウス)を上梓。いわゆる「ドラッグ・ライター」という(有り難くない)レッテルは、この辺りのイメージに負うところのもの。さらにこうした追い風に乗って九五年、同社から創刊されたムックが(先述した)『危ない1号』だった。

「ドラッグや死体や奇形といったキツい対象に関する興味って、僕は学生の頃からあったわけで、昔からそういう企画はやってたんですよ。だけど一部の物好きを除いて、そんなには受けなかった。媒体だって工口本の記事ページ程度だったし。でもいつか、そういうテーマだけで一冊まとめた本を作りたいって思っていたら、たまたまそれに共鳴してくれたのが発行元のデータハウスの社長だったの。で、当たるかどうかは別にして、好きなネタだけ集めたのが『危ない~』ですよ。ただそれと平行して、ドラッグや死体や奇形みたいな話題を受け入れる土壌が時代的にも育ってきたことも事実ですね。たとえば10年前に『危ない~』を出したとしても、これほど売れたとは思えないもの」(前掲、『週刊SPA!』記事内の青山談話より)

…重版に重版を重ね、好調な売り上げをみせたとはいえ、『危ない1号』の製作現場は順風満帆ではなかったという。躁鬱気味なところもあった青山氏は、矢継ぎ早に企画を思いついたかと思えば、全然仕事場に顔を出さなくなることもあり、途中で放置された企画ページを前に、残された同僚たちが途方にくれる場面もしばしば。

同時に、いわゆる“鬼畜系”のカリスマとして祭り上げられていくことに対しても、青山本人の中で、少なからずの葛藤があった。そんなこんなで結局、三巻目の製作途中で『危ない1号』の編集長を降りた青山氏は、その後もデータハウスの単行本の編集に携わり、何冊かの書籍を担当したりもしていたのだが……彼自身の才覚が遺憾なく発揮された仕事かというと、いささか躊躇わざるをえない。

そして九九年秋、唐突に発売された『危ない1号』第4巻は「青山正明全仕事」と銘打たれ、かつて(八二年から九五年にかけて)『ヘイ・バディ!』『クラッシュ』(いずれも白夜書房)『バチュラー』(ダイアプレス)といった複数のエロ雑誌に連載ページを持っていた彼の記事コラムの“ベスト・テイク”をコンパイルした集大成だった……が、今現在、の仕事として発表された文章の数は、どんどん減っていった。

(単行本第2弾『危ない1号』第4巻「青山正明全仕事」)

(結果的に)晩年となったここ1~2年は、そんなこんなで知人友人ともあまり交流せず、ひたすら自宅でいわゆる“ひきこもり”的な暮らしを続けていたらしい。そして編集仕事を通じて知己となった僕のような者のところにも(半年にいっぺんくらいは)電話をかけてきて、他愛もない世間話を交わしていたものだったのだが……。

かりそめにも「追悼記事」である以上、最初に断わっておくべきだろうが、そんな青山氏の急逝にあたり……その原因や理由なんて、本人でも(生活を共にしていた)家族の者でもない僕には、何にも思い当たるフシなど、さらさらない。また故人をめぐる“私生活”の側面についても(読者にとっては興味津々だろうが)「ライター、青山正明」を語るうえで、どうしても必要不可欠だとも、思われない。

つまり以下に列記した文章は(『クイック・ジャパン』編集部からの強い要請を受けて)青山正明がその短い生涯を通じて探究してきた関心領域、のアウトラインを(今となっては入手しづらい、若き日の彼の著述や発言をもとに)「いま・ここ」から辿り直してみることで、故人に対する“餞(はなむけ)”とさせていただく試みである……なんて殊勝なことを書いてみたものの……そもそも、不敬、不謹慎&アンチモラルをモットーに、その名を世に響かせた人物を(いくら追悼企画だからといって)美辞麗句で葬るというのは、逆に青山氏に失礼なのではないか?という危惧すら……ないわけではない。

とはいえ細いことを気に病む余裕すらないくらい、〆切が切迫しているのが目の前の事実。ちなみにドラッグ方面の業績については、『危ない薬』も『危ない1号/第1巻/特集:ドラッグ』も、まだ書店で入手可能なこともあるので、そちらに一任し、ここでは割愛させていただいた。

 

青山正明・マンダラ

その1  ミニコミ魂…史上最悪のキャンパス・マガジンでライターデビュー

(先述の通り)慶応ボーイだった青山氏が、友人数名と八一年四月に創刊したバチあたり、ミニコミ、それが『突然変異』。稚気あふれるエロネタ、グロネタのみならず、新興宗教や権力者~皇族にたいするあてこすり、身体障害者や精神異常者に関する差別ネタなどが注目を集め、見識者のまゆをひそめさせ、同時に“すれっからし”読者からは快哉を集めた。

創刊号の目次をざざっと抜き出しても「慶応の右翼教授一覧」「ロリコンの恋ものがたり」「知っちゃおう、彼はどんなタイプの変態か」「イラストマップ上海の売春地帯」「海外ポルノ情報」「HIRONOMIYA is myfriend」といった案配で、(後年の)青山正明ティストは、すでにこの時点で遺憾なく発揮されていたといっても過言ではない。もちろんこの小冊子の中身すべてを、彼の仕事とするのは大きな誤りだとしても「FLESH PAPER」や『危ない1号』の胚芽は、おしなべてここに認めることができる。

「一昨年あたりから、杉森などを筆頭に超低レベルのキャンパスマガジンが粗製乱造され始めた。そして、この雑誌白痴化はキャンパス誌だけに留まらず、大会社の出版物に迄波紋を広げた。否、元々大手の雑誌など糞みたいな物ばかりだったに相違ない、大衆の要望を反映している物が良質であるはずがないのだから。(中略)娯楽としての雑誌はもはや大衆に媚びり、大衆に飽きられた。何とミジメではないか。これからの読者は何と言っても勉強しかない。読者が筆者と共に勉強して行く以外には雑誌の質の向上は望めない。宝島然り、遊然り、フールズメイト然り。そして私にとっては、過激こそ手段。極端こそ美。極限こそ真実。この表現がどのように誌面に反映されるのか?まずは人を怒らせる事から始めよう」(『突然変異』創刊号の青山氏の編集後記)

まずは人を怒らせる事から始めよう。……というわけで、当時の朝日新聞にコーナーを持っていた作家の椎名誠が、名指しで『突然変異』を糾弾したのは有名な話。対する青山氏らは『週刊プレイボーイ』誌上で、椎名に公開決闘状を叩き付けたものの、まったく相手にされなかったという顛末など………このあたりのエピソードは『別冊・危ない1号/鬼畜ナイト(データハウス)に詳しい。ちなみにこの『突然変異』は、82年10月発行の第4号まで続けられた。

『突然変異』1~4号

発行・慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社

 

その2  変態……元祖ロリコン・ライターと呼ばれて

「今、東京中にロリコン人間があふれている。チャイルドポルノの影響もあるだろうが、それだけではない。一昔前迄は女子高校生が青い果実として重宝されていた。でも、今の女子高校生は性知識をとっても、肉体をとっても、OLと何ら変わる所がない。(中略)こうなれば、甘ずっぱい無垢の果実を射らんとす性の狩人達の矢は、自然と中学生・小学生に向けられる。女子小学生のあどけない瞳は、私たちの心臓を熱く締めつける(後略)」

『突然変異』創刊号所収の「ロリコンの恋ものがたり」という無記名原稿からの抜粋だ。無記名ではあるが、その文体や語り口からして、青山氏の原稿であることはほぼ間違いない。とはいえ同稿には、次のような(自作自演の)くだりまであるのだが……。

「ところで、世俗のロリコンは別の所でお話するとして、私の友人元祖ロリコン人間──“青山正明”の事をお話しよう。私もかなりの好事家ではあるが、その生涯すべてを変態修養に注いできた彼にはかなわない。(中略)高校入学時の彼は、変派ではあったが今ほどグロくはなかった。学校の帰り道、友人共々書店に赴くと、彼はきまって子供服の雑誌や小学一年生に我を忘れて見入っていた。そうして、気に入った女の子の写真を見つけると、その雑誌を買って帰り、切り取ってファイルしていた。(中略)秋になると、ここかしこの小学校で運動会が催される。彼が一番活気づく季節だ」

この後、大学進学後の青山氏が、都の児童福祉施設に連絡を取り、孤児誘拐の計画を企んでいる話にまで言及は及ぶのだが……まあ故人の名誉のため、そこは割愛させていただこう。

「とりあえず『突然変異』が潰れてから、白夜書房の『ヘイ・バディ!』ってエロ雑誌にしばらく書かせてもらっていたんですよ。ロリコンもまだ、そのときにはユニークな存在だったんで。まあ僕としては、ロリコンも妊婦ものもスカトロも獣姦も……白人と黒人とか、あとアナルものとか、80年代初めって、まだそういうのがユニークだったから、ハマっちゃったわけですよ。で、そういった領域のものに全般的に関心があったんだけど、当時“おたく”の登場と相まってロリコンの需要だけがものすごく増えちゃって……」(『別冊・危ない1号/鬼畜ナイト』(データハウス)より抜粋)

……という発言からもお判りのよう、必ずしも“ロリ一本槍”ではなかったとおぼしき青山氏。だがどうも(本人の意図するところ以上に)そちら方面の知名度のみ、ズバ抜けて上がってしまったという悲喜劇。たしかに(これまた)『突然変異』創刊号の「西井幼名(注:青山正明の別ペンネーム)の海外ポルノ情報」には、チャイルドポルノのみならず、SM/スカトロ/アナル/巨乳/ホモ/身障者などの各ジャンル別ポルノ誌に対する、詳細なガイダンスが記されていた。そもそも小学校高学年から、北欧やアメリカに連絡を取りつけて、この手のポルノ誌を個人輸入しようと頑張っていたというのだから、ヘア解禁&エロウェブサイト見放題の今からすれば、涙ぐましいまでの努力家だ!

 

その3  フリークス…精神の畸形?/肉体の異形?

フリークスといえば、青山正明……というか彼の登場&活躍以前、日本でこの手の写真を拝むことのできる契機といったら、もっぱら女性週刊誌の「世界のビックリ人間」コーナーどまりだったわけだから、畸形好きな読者は彼のお墓に足を向けて眠れない。そもそもこの手の図版&写真の元ネタといえば、海外通信社の“ソレ”だったり、これまた各種洋書の専門書と相場が決まっていたのだが、さらに目ざとい青山氏が開拓したのが……いわゆる医学専門書。といっても産婦人科医用に作られた“先天奇形”の研究書とか、そういう手合いなだけに、興味本位で覗き込めば(それ相応の)ショックを受けないという保証もない。

「フリークス、畸形、身体障害者。洋の東西を問わず、いにしえの世から彼らは異形の神、あるいは忌むべき存在として常に特別なモノであり続けてきた。(中略)しかし時代は変わってしまった。ひどく曖昧な道徳/倫理観に根ざしたヒューマニズムや、社会福祉制度の拡充、そして優生保護法の施行などにからめ捕られるかたちで、彼ら異形の民たちは己の意思に関わらず〈見世物となる自由〉を半ば強制的に剥奪され、社会から隔離され、我々の前から姿を消していった。(中略)写真でもいい、映像でもいい、彼らフリークスを直視しよう! 彼らは語らずして、人体なるものの不思議と可能性を教えてくれる。また、障害にもめげず生き抜く彼らの姿や微笑みは、我々に生命、精神のたくましさを深く実感させ、五体満足、健常者として生まれたことの有り難さを改めて認識させてくれる」

……と、これは『危ない1号・第2巻/特集:キ印良品』のフリークスの項からの抜粋だが、もちろんこれは青山氏の……そしてわれわれ人間に大なり小なり備わっている(暗い)「好奇心」を正当化するための「建て前」であり(苦しい言い訳にほかならない)。

ちなみに『危ない1号/第4巻/特集・青山正明全仕事』に再録された(古典的な畸形研究書)『Medical Curiosities』のレビュー原稿には「この原稿を書いた82年当時と違って、現在ではバロックのようなカルト・ショップで畸形の写真集等を扱っていますし、『危ない1号・第2巻』や『世紀末倶楽部/Vol.2&3』(コアマガジン)他、一般の書店でも畸形を掲載した書籍が容易に手に入るようになりました」というコメントが付記されている……のだが、この付記が書かれた九九年からさらに後の今現在、畸形や死体写真が掲載された書籍&雑誌類は、取次&書店でかなり扱ってもらいづらくなり、事態はまたまた様変わりしていることを付け加えておくべきだろう。

ちなみに先の引用の続きだが、「それでも飽き足らない人は、具体的にはお教えできませんが、大学の医学部図書館巡りでもしてみてはいかがでしょうか。あつ、私は、畸形も死体も腐るほど見たんで(実物は少ないですけど)今はもう全然関心ないです」と、それとなく(フリークス界隈との)訣別を述懐していたことも、見落としてはいけない。

 

その4  カルトムービー……好きな作品は「孤独なアウトサイダー」を描いたキワモノ?

おりしも八〇年代前半は、家庭用ビデオデッキの爆発的普及にともない、一方ではアダルトビデオの勃興が、そして片一方では(映像ソフトの需要をまかなう必然から)古今東西の映画映像作品が、次々とビデオソフト化されるという事態をみる。名画名作の類いはもちろん、Z級の駄作大愚作まで……。とまれこれを好機とばかり、知る人ぞ知るような異色のマイナー的佳作から辺境の地のインディーズ映像まで、多種多様な映像作品がビデオ・リリースされていった。

そんな中、青山氏もまた(輸入ビデオを含め)新作タイトルから、独特の鑑識眼でピックアップした異色作を、矢継ぎ早にみずからの情報コラムにて紹介していった。世にいう「カルトムービー」ってやつだ。中でも彼がとりわけこだわりを見せた作品&監督をざざっと列記すれば、『バスケットケース』のフランク・ヘネンロッター/『サンゲリア』『地獄の門』のルチオ・フルチ/『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』のアレハンドロ・ホドロフスキー/『死霊のはらわた』のサム・ライミ……などなど。まあ畸形や暴力や、血みどろや臓物がひと山いくらで出てくるような作品&監督ばかり……といってしまえばそれまでだが、それでは単なるスプラッター・ファンでしかない。わけても青山氏がことさら執着を抱いていた映画監督……ということで洗い出してみれば、ひとりはカナダの鬼才、デヴィッド・クローネンバーグ(『シーバース』『ラビッド』『ブルード』『スキャナーズ』『ビデオドローム』『裸のランチ』等々)であり、もうひとりはオランダからハリウッドに渡った、ポール・バーホーベンが挙げられる。

「同性愛、やたらめったらな性器の露出、強姦、気違い沙汰の馬鹿騒ぎ、暴力、傷と血、死等々、バーホーベン作品を彩るインモラルな要素は挙げていけば切りがない。しかし、それらディテールを含め、彼の作品群に通底するモチーフは〈人間性の赤裸々な露出〉と言えるだろう」(Flesh Paper【肉新聞】より)

ロボコップ』や『氷の微笑』などで、すっかりハリウッドの巨匠と化した感の色濃いバーホーベンだが、先に青山氏が熱をこめて分析していたのは、オランダ時代のバーホーベン作品……『危険な愛』『鉄十字の愛人』『娼婦ケティ』『女王陛下の戦士』『スペッターズ』『4番目の男』といったタイトル。今ではほとんど廃盤なビデオばかりだろうが、運が良ければ「TSUTAYA」あたりに置いてないとも限らない。と同時に、ハリウッド化したバーホーベンもまた、青山氏のお眼鏡には叶っていたようで『スターシップ・トゥルーパーズ』のラスト・エピソード(誰の目にも女性器にしか見えないブレイン・バグの口(?)に、測定機を突っ込んで「放送禁止」のテロップを出す)など、大受けだったようだ。

さてそして、もうひとりのキーパーソン、クローネンバーグについては、九二年夏に刊行された『銀星倶楽部8/特集:クローネンバーグ』(ペヨトル工房)というムックに青山氏は、「孤独なアウトサイダー」というタイトルの長文論考を寄稿している。同稿中で彼は、クローネンバーグ映画の特異性を「肉体変容やテクノロジーの功罪、マッド・サイエンティスト……といったモチーフだけで語るのは無理がある」と凡百のクローネンバーグ賛を一刀両断し、それらの設定を契機としつつ《(社会から)孤立した主人公=アウトサイダー》という一貫テーマこそ、クローネンバーグ映画の真の魅力にほかならないと指摘する。当原稿は青山氏の文才が如何なく発揮された評論なだけに、関心のある方は古本屋でも漁って同ムックを探してみていただきたい。

余談ではあるが、この“孤立・孤独”といったタームは、青山氏の中ではライフワーク的な探究課題のひとつだったらしく、かつて彼は私に向かって「『危ない1号』の特集で、いっぺん「孤独」というテーマで一冊やってみたいんだけど……(上が)企画を通してくれないだろうなァ」というようなことをボソッと語っていたことを、ふと思いだした。

 

その5  トラベル&トリッピング 旅の恥はかき捨て?

「ちょうどその頃(八〇年代終盤)、東南アジアとか南米とか、海外行って遊ぶのに凝っていたときだったんでね。それで海外旅行をメインの特集に据えた雑誌にかかわって、ヒトの金使って海外行って、ドラッグとか売春を取材して、それで仕事になるんだったら、こりゃあイイな~、って思って」(『別冊・危ない1号/鬼畜ナイト』収録の青山氏の談話より)

……という、ミもフタもない動機が実を結んだ(幻の)“旅行カルチャー誌”が『エキセントリック』。『突然変異』同様、青山正明研究を志す者がのどから手が出るほど欲しがる(?)レア・アイテムだ。青山氏曰く「ディープなエピキュリアンのための海外リゾート&カルチャー誌」を目指したものだったそうな。ちなみに出版元は名古屋の全英出版(のちに中央法科研究所と改名)。バブル最盛期に電話営業でひと山あてた会社が税金対策として創刊した大判グラフ誌……とのこと。時を前後して大手版元が、『03』『ガリバー』といった海外取材のカルチャー誌を立ち上げていたことを考えると、そのゲス版としての需要は(ほんの少しは)あってもおかしくはなかったのだろうけど……。

八九年九月発売のニューヨーク特集号を皮切りに、バリ、香港、カリフォルニア、ロンドンと続き、九〇年八月発売の第六号・バンコク特集で惜しくも廃刊。創刊当初は雑誌コードも取得して全国販売する予定だったが、諸所の事情でそれが取得できず、最後まで直販で書店に撒いていたという。大手取次流通に乗らない雑誌が、そんなに売れるはずもない。

「『突然変異』と同じ。要するに、えらいカネかけたミニコミ。売れる売れない以前の問題だよね。まあ、コード捕ってても、あの路線じゃ売れなかったと思うけど……1冊あたり、印刷・製本コスト含めたら、一千万円は軽く超えてたみたいだから、『日本一カネかけたミニコミを作った』ってことではけっこう自慢なんだけどね(笑)」(前出)

なかでも青山氏をはじめとする東京公司のメンバーが深く関わったのが、香港とバンコクの特集号。終刊号の「バンコクびっくりショー」は、ドラッグと売春と死体雑誌にフォーカスをあてたタイ特集で、「エアチケットをタイアップしてくれた旅行代理店の人も、できあがった本見せたらガックリ肩落としてさ、『これじゃあ上司に報告できません。どうしてくれるんですか~』って、ホント、悲しそうだったなあ」(前出)

ただし、これらが後に(東京公司名義で編集された)別冊宝島EX『タイ読本』『裏・ハワイ読本』の土台となったことは間違いなかろう(ちなみに『タイ読本』は、最近宝島社文庫に所収されたので、今でも書店で入手可能である)。

 

その6  音楽……「気持ちイイ……音ハマリ」

九〇年代中盤以降「別に音楽ライターでもないのに」テクノ伝道師・的な役回りを(本誌『クイック・ジャパン』においても)担わされたフシもあった青山氏だが、そもそも小学生の頃遭遇した欧米のポップスに始まって、プログレッシヴ・ロック(とくに叙情的なイタリアン・プログレ……ニュー・トロルス/レ・オルメ/オザンナ/バンコ/PFM/アレア/ゴブリン………と、王道のブリティッシュプログレ……ELPキング・クリムゾンピンク・フロイドジェネシス/イエス/ジェントル・ジャイアント/ジェスロ・タル/キャメル……がお好み)、そしてエスノ/トラッド/ワールドミュージックを散々逍遥したあげく、いわゆる(九○年代前半の)テクノにハマる……といった案配で、その年代&年齢ごとにハマった、音楽ジャンルが徐々にスライドしていくのが特徴的。

でもって、青山氏の好んだ「愛聴盤」に関しては、ひとつは『クイック・ジャパン』第五号「裏テクノ専門学校」の対談最後に付せられた「TECHNO PLAYLIST」(多少おふざけ混じりではあるが)や、『危ない1号/第1巻/特集:ドラッグ』所収の「禁断のテクノ「音ハマリ」対談」(→一人二役で書いたそうです)のディスクガイドあたりが、ボチボチ参考になる……のだが、決定版といえるのが『危ない1号/第4巻/特集:青山正明全仕事』所収の「音キチのあなたに捧ぐ……音源360選」。まさしくポップス/ロック/エスノ&トラッドテクノの四大ジャンルを横断して、彼がセレクトした至上のハマリ音ディスクガイドとなっている。ちなみに青山氏の好んだ“テクノ”というのは、どちらかというとアッパーにガンガン朝まで踊り明かすといった(昨今の流行りのトランスに典型な)音というよりは、ひたすらダウナーに、自宅でゴロゴロとホームリスニングして耽溺できる“ハマり音”タイプのほうだったらしい。例えば泥臭さが抑え目のエレクトリック・ダブとか、エスノ風アンビエント、“曲がった”アシッディなサウンドスケープ……などなど。

参考まで(彼の)お気に入りアーティスト名/コンピ名をざざっと列記しておくので、興味のある方はCDショップなどで目を皿のようにして探していただきたい(けっこう古めのアーティストが多いので、中古棚でもないと見つからないアイテムも多いが……)。

Blue' The Disciples' The Drum Club' Jam & Spoon' Technova' SubSurfing' Suns of Arqa' Zion Train' V.A./Dubnology2' V.A./Feed Your Head…

 

その7  精神世界への傾倒……しかし「涅槃で待つ」

「ただね、これ言ったらミもフタもないんだけど、今流行ってるいわゆる“鬼畜”カルチャーって、僕はもう十年以上つきあってきたので、自分の中では人はもう飽きちゃってるのね。だから読者も死体や奇形や強姦や変態の話を読んで、面白がって中には実際にヤッちゃう奴も出てくるかもしれないけど……それだってずっと追いかけていたら、いずれ飽きますよ。さもなくば自分がひどい思いをするとかね」(『週刊SPA!』記事内の青山氏の談話より)

弱気といえば弱気。まともといえば(がらにもなく)まともなこの発言は、やはり「鬼畜ブーム」に沸き立つ九〇年代後半の(そのブームの仕掛け人と目されていた)青山氏本人の本音……だった。しかし誰もが知るように、限りなく快楽に貪欲であった彼はまた“快”や“欲”の源泉としての肉体を、ある意味批判し、否定し、超克するようなモットーを(若い時分から)掲げてもいた。

「(自らの連載コラム『フレッシュ・ペーパー』の)フレッシュを“FLESH”と綴ったのは、結局、人間に肉体がある限り、それを快適に保持し続けなければならないということ。が、それには、居住空間や食料の確保、刹那的快楽目的のモノや娯楽への飽くなき投資/消費、そのための労働、健康を維持し病を退ける気遣いと努力、煩雑な対人コミュニケーションの維持等々、これまた蓄財と消費の熱病にうなされつつ、人々は生涯悪戦苦闘を強いられる。自由奔放なある精神の“檻”と化した肉体──。“FLESH”なる言辞を用いたのは、この馬鹿ばかしくも哀切なる人々の生き方に対する嫌気の表明でもあるのだ。結局のところ、釈迦の教えではないが、このカネ/モノ本位の今の世において、久遠の安らぎを得るには“肉体”を忘れ去る、いや捨て去ること以外に打つ手はないのではないか。すなわち、それは現世成仏であり、死をも肯定することにもなるのだが………」(『危ない1号/第4巻/特集:青山正明全仕事』の「はじめに」より)

(抜粋部の最後など)自害された故人の筆によるメッセージとしては、今再読するとなんとも複雑な心境にもなろうというものだが……とにかく晩年の青山氏は(“危ない”世界にホトホト飽き)いわゆる「精神世界」の開拓と普及に、今後は邁進しようと思い立ち、小説や思想書、ワークショップなどの方法論を模索していた……らしい。

ところで、そこで彼が述べていたような「精神世界」とは、果たしていかなるものなのか?もはやその詳細を解く鍵にあたる本人がいない以上、“こちら側”に残された我々にできることといったら、せいぜい彼の愛読書……たとえばエーリッヒ・フロムの『自由からの闘争』(東京創元社)やクーバー・ポワイスの『孤独の哲学』(みずす書房)あるいはコリン・ウィルソンの『至高体験』(河出書房新社)等々、そして禅や老荘思想トランスパーソナル心理学から大脳生理学まで……彼がハマった多くの文献を読み返してみることから、その片鱗をシミュレートするくらいだろうか?

 

その7 「結論」(……は、ないのだけれど)

とまあ、生前の青山氏の発言や文章を読み返し(御都合主義的に)並べ立ててみたものの、彼の急逝の説明には(多分)なっていないし、それが狙いだったわけでもない。しかし青山正明という人物の“業績”の、ほんとうに概略骨子の部分は(かなり)大まかではあるが、整理してみたつもりだ。

各種マニア向けメディアの擡頭やインターネットの普及などで、青山氏がその昔(血道をあげて)調べ立て、蒐集した情報や資料も、今や手軽にかき集められるような時代になった(本稿冒頭近くの『週刊SPA!』の談話を、再度読み返していただきたい)。そういう側面でいえば「青山正明」の存在意機のある部分は、すでに用済みになってしまった……といっても過言ではないのかもしれない。ただしかし、彼が紹介してくれた“あれこれ”は、果たして彼がその短い生涯のなかで知りえたことの“総て”であったろうか?

「ただ、読者にも、こういう情報って、メディアが発達すればするほど奥深く潜行してしまうものだから、本物の情報が欲しいなら、表に出ているメディアとアクセスするだけでは絶対に入って来ないと言うことは知って欲しいですね。はっきり言って市販されているメディアでは本当にヤバイ事なんかできるわけないから。ヤバイことに手を出したいと思えば、それなりに努力することを覚えてほしいですね。努力をしていれば、自然にそう言う情報は入って来るんですよ。入って来ないと言うのは、その人がまだそこまでだっていう事なんです」(『世紀末倶楽部2/特集:あなたの知らない世界』「青山正明インタビュー」より)

最後に青山氏が好んだ二つの格言を引いて、この稿をしめくくらせていただこう。

「真実などない。全ては許されている」(ハッサン・イー・サバーの言葉)

「しょせん人生なんて、死ぬまでの暇つぶしですから」(青山氏オリジナルの格言)

 

もはやサブカルを気取るのもアレな“ドラッグと鬼畜”のハナシ……

木村重樹

サブカルチヤーとしての“ドラッグ/鬼畜系”なんてお題目を、正面きって解説するのもいささか気が引ける話だが……そもそも“ドラッグと鬼畜”なんて組み合わせ自体、いわゆる一般的/普遍的な命題というより、ある特異なテーマ設定のように思える。もちろん双方に造詣が深い御仁(私じゃありません)も、いないことはないけれど、ぶっちやけた話、二つの共通項はといえば、せいぜい“反・社会性”……みたいなことくらい。で、現実の快楽主義者たるドラッグューザーにとって、鬼畜なトビツクなど“落ちる”(=気分がふさぐ→バッドトリツプしやすい)話題でしかなく、かたやリアルワールドにおける実践派鬼畜野郎がスーパージャンキーである必然も、特にない。それでもなお“ドラッグと鬼畜”を、あえて横並びで論じるとすれば……要はその双方に跨がる“見識者”と、その影響下にいる“信奉者”みたいな話になっていく。

そもそも本項は、かの“ドラッグと鬼畜系”の第一人者たる、青山正明氏が自身の来歴を語り述べればこと足りる……はずだったのだが、本人の体調心調が思わしくないことから、氏と親交のあったわたくしめが代筆をつとめることとあいなった。ならば、まずは「青山正明とは何者か?」をご存じない方に向けての概説から始めよう。

60年生まれの異能ライターであり、81年慶応大学在学中、有志数名と創刊した伝説のキャンパス・マガジン『突然変異』からそのキャリアは始まり、エロ雑誌内に“フレッシュペーパー”なる名物コーナーを永年持ち、各種編プロ仕事をへて、95年データハウスから刊行されたムック『危ない1号』の初代編集長として一世を風靡した……みたいな人物だ。

そんな青山氏の関心領域=得意分野というのが、いわゆる変態セックス(ロリータ、スカトロ)/ドラッグに始まって、フリークス/死体/猟奇犯罪/殺人/スプラッター/不敬/不謹慎/差別/ハック/辺境旅行/ロック~テクノ~トランス、はては癒しに精神世界……といった案配なのである。なんともとっ散らかった“周辺文化”の知恵袋? しかし昨今でこそ、いかにも志の低いサブカル系編集者が思い当たりがらな、このテの“裏モノカルチャーを、なにせ青山氏は(インターネットも何もない時代に)山のような資料を収集し、海外の文献にまであたることで、一連の“えぐい系サブカル”の森を(実質上日本において)ほとんどひとりで開拓していったのだ。そして‘90年代中盤以降に折りしも吹き荒れた(ホント?)“鬼畜ブーム”の追い風に乗り、『危ない1号』は重版に重版を重ねるヒット商品となり、青山氏もまた“そっち方面”のオピニオンリーダーとして祭りあげられることになる。

ただし彼が当時、私に明かしてくれた話では「フリークスや死体や変態みたいな対象には正直もう、個人的にも飽きが来ているのだけれど……需要がある以上、そうも言ってられない」みたいな本音があったようで、作り手と受け手の思い入れのズレは、すでにそこに存在していた。そんなおり、当の青山氏が体調不良から長い休筆生活に入り、一部の良書&優れたフォロワーも存在したとはいえ、圧倒的な量の粗悪な“鬼畜”本が粗製濫造され、現実の少年犯罪等への影響が取り沙汰されたかと思いきや……ほどなく“鬼畜ブーム”は過ぎ去っていた。さて、そういう経緯を踏まえて、では「ドラッグ/鬼畜系カルチャー」なるものの意味合いは何なのか……をダラダラと考えてみたところ、まあ全員が全員そうだと決めつけるのは乱暴かもしれないが、かつてのにわかブームの“鬼畜=悪趣味マニア“の大方の説明としては、いわゆる“露悪趣昧”のひと言で片付けてしまえそうだ。早い話「こんなキワいものが好き…なオレ/アタシ」という自意識増長装置としてのソレ、だ。もひとつ指摘しておきたいのが、例えば死体写真ブームみたいな風潮をして「管理社会において隠蔽されがちな“死”の実体を開帳することでウンタラ……」みたいな御託についてだ。

たしかにそういう教育的効果もゼロではなかろうが、グロテスクなものへの好奇心など、珍しいもの→“禁忌の対象”を覗き見たいという人間の生来的な欲望……それ以上でも以下でもない。早い話、死体写真って(広義の)ポルノグラフィなんだからさ。

……などとボヤいていたら、もひとつの「ドラッグ・カルチャー」に触れる紙幅が激減してきた! コッチ方面でひとつ言えることは、かつて日本人がドラッグ関連の知識を手軽に入手する手段といったら、いわゆる警視庁&PTA監修みたいな杓予定規の“ドラッグ糾弾書”か、あるいは正反対に、お気楽きわまりない元ヒッピー連中による夢見がちな“ドラッグ解放書”か……このどちらかしか存在しなかったわけである。ところが、これまた青山氏の著作である『危ない薬』以降のドラッグ研究書の幾つかは、豊富な学識と入念な実体験に裏づけられた内容で、従来の(ツメの甘い)ドラッグ本からは望むべくもない“使える”知識を一般市民に授けてくれた。でもって……そもそものドラッグ使用の“是非”など、ここで論じる筋合いではないとして……そうした“正しい情報“の伝播~浸透によって、少なくともドラッグをめぐる“迷信/妄想”が減退していったという意味では(皮肉ではなく)これらの研究は十分、社会的に貢献していると思う。

と、気がつくとほとんど活字メディアの話に終始してしまったが……ドラッグや鬼畜に着想をえた(?)優れたブンカ/ゲージュツなど、まだまだ我が国では(サブカル・ベースでも)ここで取り上げるほどのものではない。あと最後にもひとつ付言すれば、いまどきのニッポンで“ドラッグ経験”や“(露)悪趣味”なんでものは(田舎のガキでもない限り)もはやたいしたハクづけにもならない以上、この手のトピックを“突出”したサブカル・アイテムとして位置づけること自体、無理が出てきているようにも思えるんだけど……だいいち鬼畜にせよドラッグにせよ、本当の“好きモノ”にとって「サブカルとしてのソレ」なんで、ど―でもいい話だもの、たぶん。

(所載:2001年刊『サブカルチャー世界遺産』)

 

(没後の関連文献など)