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娘が遺した日記と漫画で「教育」見詰め直す―漫画家・山田花子の自殺

連載[師走の街から](7)

娘が遺した日記と漫画で「教育」見詰め直す

五月の運動会から数日後のことだった。四年生を担当する女性教諭(50)が三十四人の教え子たちに手紙を託した。

〈これからは、子供たちの声にならない声に、もっともっと耳を傾けていきます〉

先生はおかっぱ頭。やせてはいても、東京郊外の小学校で「一番の元気者」を自慢にしていた。ところが、運動会が近づいたころ、長女が飛び降り自殺してしまった。手紙は、この悲しい出来事を静かに見守ってくれた父母たちにあてて書いたものだった。

長女は二十四歳、漫画家だった。「山田花子」のペンネームで、一時、「週刊ヤングマガジン」や月刊「ガロ」などに連載を持ち、単行本も二冊出していた。人間関係の息苦しさや疎外感を強調した漫画だ。内向的で感受性の強い主人公がいじめにあい、傷ついていく。遺(のこ)された十五冊の日記帳は、主人公が作者自身で、描くことで生きるつらさを乗り越えようとしたことを物語っていた。

日記や漫画を読んで先生はがく然とした。自分そっくりの教師が主人公に言う。「あなた、お友達がいなくて淋(さび)しくはないの」。確かに、友達が少なかった娘を同じ言葉でよく送り出した。日記の中の娘は一人で時間をつぶしては自ら服に泥をつけ帰宅していた。初めて知った。

教師歴二十八年。「いろんな子がいて当たり前。弱い子も強い子も個性を生かしてあげなきゃ」が口癖だった。いじめや登校拒否にも体ごと取り組み、二人の娘を育てた。「自由を口にしながら自分の型にはめようとしていたのか」

それから、追われるように仕事をした。救いは死後も絶えない読者からの手紙だった。「悩んでいるのは自分一人ではなかったと力づけられた」「私の人生を変えるのは山田花子かもしれない」

愛読していたという人気バンド「たま」知久寿焼(ちく・としあき)さん(27)は、霊前で「自分の姿を見るようで身につまされた」と涙を流した。これほど人の心を動かした「山田花子」の感性とは何だったのかと考えるようになった。

夫婦で娘のことを本にまとめようと決めた。毎晩、日記や作品、彼女の聴いたテープ、愛読書を整理する。書き始めたばかりの目次には大きく「学校といじめ―教師と母親の構造」とある。

「娘の供養ではなく、自分がこれから生きて行くために書き上げなくちゃ」と、先生は思う。(若江雅子)

(おわり)

所収:『読売新聞』1992年12月25日号 東京夕刊

山田 花子(やまだ はなこ、1967年6月10日 - 1992年5月24日)は、日本の漫画家。本名、高市 由美(たかいち ゆみ)。

自身のいじめ体験をベースに人間関係における抑圧、差別意識、疎外感をテーマにしたギャグ漫画を描いて世の中の矛盾を問い続けたが、中学2年生の時から患っていた人間不信が悪化、1992年3月には統合失調症と診断される。2ヵ月半の入院生活を経て5月23日に退院。翌24日夕刻、団地11階から投身自殺。24歳没。