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隅田川乱一インタビュー(『Jam』ライター&コンセプター)

隅田川乱一インタビュー(『Jam』ライター&コンセプター)

所収『Quick Japan』Vol.14(構成:但馬オサム

ゴミから生まれた雑誌

ジャム』の前に『X-マガジン*1があるわけですけれど、『X-マガジン』の名前をつけたのは僕です。アメリカの雑誌に同じ名前のがあってカッコいいからそれをいただいたというわけですね。思考のエコロジー、ですか。

ここで「笑いガスの作り方」というのをやったんです。笑いガス自体は今でも合法なはずですよ。歯医者の麻酔でも使われているし、材料は全部薬局行けば買えます。ただし、爆弾と同じ材料だから薬局で過激派に間違われて面倒臭いし、ヘタに扱うと爆発したりするから、あんまりおすすめしないけど。実験の結果? う~ん、効いたような記憶はないなあ(笑)。



もともと『X-マガジン』というのは、高杉弾が、たまたま拾った自販機本に載っている写真に感動してエルシー企画に訪ねて行ったことから始まるわけですよ。

「おお、お前らもエロがわかるのか! じゃ一冊作ってみろ」、みたいな感じでまかされて、僕も高杉に誘われるんですけどね。

まあ、ああいう業界って編集やライターがエロの絡み*2をやったりすることが多いんですけど、それをやらされるんだったら、俺は田舎へ帰ってうどん屋やるよ、と最初に宣言しましたけどね。

僕は本はあまり読まないけど昔から雑誌は好きで、『宝島』*3も『ワンダーランド』*4のときから読んでるんですよ。で、『ローリングストーン』の日本版*5ってあったでしょ、ポール・ボウルズ*6を知ったのもあの雑誌で、すごく刺激を受けたんですけど……。あの雑誌が道端に山積みになっているのを発見したことがあるんですよ。三年間分ぐらいあったんじゃないかな。買って読んだことはほとんどないですね。だから『X-マガジン』に関して言えばね、要するにこれはゴミ箱から生まれた雑誌だという思いがあるんですよ(笑)。

『遊』*7も好きで、田中泯*8さんが都内のあちこちでゲリラ的に踊るというプロジェクトを工作舎*9が支援していると聞いて、工作舎に遊びに行くようになって。『ヘヴン』でインタビューもさせていただきました。日芸(=日大芸術学部)時代にも一度、田中さんに校内でパフォーマンスやってもらったりしたことがありました。

覆面レスラーのページ*10ですか? あれも高杉との共同作業ですね。違ったイメージの写真を左右に分けて読者に妄想してもらうわけです。このような観客参加の作品形態は現代美術の原点のひとつであるっていう話を高橋巌さん*11が書いてます。あと、パティ・スミスのヌード写真*12をバラバラに切り貼りしてコラージュ*13にしたり。下宿部屋で台紙の上にペタペタ貼りつけていましたよ。


 

ルーツはアングラ誌

大学は六年いて結局中退です。担当の教授から「君はこのままいても卒業できないし、もう辞めたら」と言われたわけで。それで親戚のコネでイーストというテレビ製作会社に中途で入ってAD(アシスタント・ディレクター)やるんですけどね、このとき、テレビ業界の体質にはビックリしましたね。現場で先輩にイジメられるのは当たり前、関係している芸能プロダクションに行ったら、身体障害者の従業員が「おめえ、女とアレするときはどんなふうにするんだあ」と茨城訛りでいじめられているし、ドラマの主役の森繁が稽古中に口を開けて上を向くと、付き人が飛んで来て、胃薬と水を口に入れるんですよ。ここはアフリカの独裁国かと思いましたね。結局一ヵ月で辞めました。

ライターとして本格的に文章書いていこうなんて気構えみたいなのは別になかったんですよ。まあ書くといっても大学時代に高杉のやっていたミニコミに書くぐらいでね、そのミニコミ、『便所虫』ですけど、『BEE-BEE』と名前変えたあたりですね、僕が参加したのは。

アメリカのアンダーグラウンド・マガジンが好きだったんですよ。ヒッピーのニュースレター*14とか『ハイ・タイムス』*15とか『WET*16とか。

『WET』っていうのは面白い雑誌で、もともとユニット・バスを作っている会社の企業PR誌だったらしいんだけど、頭に穴の空いた少年の写真と一緒にブライアン・イーノのインタビューが載ってたりするし、まあとにかく変な雑誌でしたね。最後の方は、漢字や日本語を使ったレイアウトが目立ってきて、歌舞伎町のカブセル・ホテルやホモ専用ソープのレポートなんて日本ネタも多かったけど、それを書いていた日本の特派員が有名になる前のあの三浦和義*17だったのは笑えましたね。もしかしてあの人、『WET』の日本代理人みたいなことをやっていたかもしれませんよ。

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あと雑誌では美術関係が面白くて、日本では『美術手帖』。アメリカのカウンターカルチャーコンセプチュアル・アート、ウィーンのウンコや臓物を使ったパフォーマンス・アーティストの紹介など、ずいぶん刺激を受けました。ナム・ジュン・パイクオノ・ヨーコなどが参加した「フルクサス*18が出していた新聞も驚きでしたね。

そういったアンダーグラウンド・マガジン的なものや現代美術的なアイデアを『BEE-BEE』から『X-マガジン』『ジャム』『ヘヴン』という流れの中で表現したいという気持ちはありましたね。

隅田川乱一というペンネームは、むろん山上たつひこ氏の『喜劇新思想大系』のキャラクターからの無断借用です。顔と体型がそっくりだから別に文句ないだろうって。無茶苦茶な居直りですね。でも著作権を無視する態度は『ヘヴン』などをやっていたときに隠れたパワーになっていたと思いますよ。

 

プロレスとオカルト

それで『BEE-BEE』に書いたプロレスに関する記事が『本の雑誌』のミニコミ・コンテストで賞をとるんですけど、自分ではあんまり実感ないんですよ。おまけに、その賞のタイトルが「輝け!第一回全国ウスバカ的無価値的チリガミコーカン的ガリバン誌コピー誌熱血コンテスト」ですよ、お前は出版界の粗大ゴミだって言われてるみたいじゃないですか。揚げ句の果てには尊敬していた上杉清文さん*19に「廃人の文章だ」って言われるし、田舎帰ってうどん屋でもやろうかと思いましたよ。

椎名誠さんが格闘技好きなんで、変な角度から見た格闘技論っていうことが受けたんでしょうね。で、もう一人プロレス好きな編集者がいるっていうんで、三人でプロレスの本を出そうかという話もあったんですけどね、結局実現しませんでした。その編集者というのが村松友視さん*20だったんです。

例えば、学術的なアプローチってあるじゃないですか、そういうまともな論理じゃなくて妄想の論理こそがより深い現実を認識できるって感覚ですかね。これをつきつめて行くとオカルティズムになります。

高橋巌さんの『神秘学序説』の中でも、存在してない文献をもとに論文を展開するって話が載ってますよ。この考えを利用して『ジャム』にエイズハナモゲラ・ウイルスだというエッセイを書きました。エイズのことを日本で最初に紹介したのは俺だっていう自負はありますよ。

要するに、エイズの原因はウイルスであり、そのウイルスはハナモゲラ語*21のように表面の言語構造を変えているので、人間の免疫機能が働かないんだと、存在しない論文の紹介という形で書いたわけです。この指摘は当たってました。(隅田川氏が「エイズハナモゲラ論」を展開したのが一九八一年ごろ。竹熊健太郎氏の記憶によると、掲載誌は『ジャム』でなく自販機本の『コレクター』か『フォトジェニカ』ではないかとのこと。同じ『ヘヴン』スタッフだった山本土壺氏編集ということから考えて恐らく後者ではないかと思われる)。

当時、今エイズ裁判で問題になっている元・帝京大学副学長の安部英氏と話をする機会があったので、ウイルス=言語というバロウズ*22のことを話したことがあるんですが、ぜんぜん問題にされませんでしたね。この指摘の基本にあるのは妄想認識の発想で、優等生的にデータを分析するよりも、妄想した方が真実を突くのではないかという発想は『ヘヴン』の「存在しないレコード」紹介にも形を変えて利用させてもらってます。

格闘技の起源って祭祀、神事ですよね。ロックだってオカルティズムが絶対に結びついてるという確信があった。レゲエなんかは共同体の意志が滲み出ているでしょ。ある種、大衆文化と霊的なものがどこかで融合しているところに興味が湧くわけです。

その点で日本の音楽マスコミには疑問があります。例えば、プリンスっているでしょ、彼は名前無くしたじゃないですか。名前を消すってすごくイスラーム的な行為なんですよ。イスラームは偶像(象徴)を否定しますからね。

それから彼、自分のことを“スレイブ”って呼ぶでしょ。“イスラーム”ってのは“神の奴隷”、という意味なんですよ。まさしくスレイブなんです。本人が意識しているのか意識してないのかはわからないけど、このような観点からの発言があってもいいと思いますけどね。

ジャジューカ*23のようにコアな音楽はもっと紹介してもらいたいですね。バロウズに言わせると、ジャジューカの音楽は世界最古のロックンロールらしい。何しろ王室の音楽だから聴く人も限られている。去年、オーネット・コールマン*24がジャジューカのミュージシャンたちとイタリアでコンサートをやったらしいんだけど、そんな話、ぜんぜん日本に入ってこないですからね。ブライアン・ジョーンズ*25ビル・ラズウェル*26がそこへ入ったんだけど、その経緯を調べてみると結構面白いはずですよ。

ポール・ボウルズはブライアン・ガイシン*27と一緒にモロッコのタンジールで「千夜一夜茶屋(アラビアンナイト・キャフェ)」っていうジャジューカを聴くためのレストランを作ったわけなんですけどね。ポール・ボウルズがモロッコのラリパッパの兄ちゃんに喋らせて、それを小説として出版しているんだけど、そういう本をぜひ日本でも翻訳してもらいたいですね。

 

強烈なインド体験

八木(真一郎)さん*28との絡みで『冗談王』*29という雑誌にかかわるんですよ。これは一号で潰れるんだけど、全編パロディと冗談で行こうということで。広告まで全部パロディにしました。ちょうどそのころ『ビックリハウス*30なんかあってパロディというのが流行っていて、まあそういうのに田舎臭さとマイナー色を濃くしたような雑誌でしたね。

そこで僕と高杉で「若者のための戦争カタログ」ってのをやったんです。“戦争こそ娯楽だ、戦争に行きましょう” “君の戦争体験が明日の日本を変える”てな感じの。“一秒間に八発撃てるハッピー機関銃”とか嘘っぱちな商品を取り揃えた旅行企画の広告を作ったんです。今から振り返ると『サラエボ・ガイドブック』みたいなコンセプトでしてね。

この企画の発想はインド体験です。一八歳以上になったら皆インドへ送り込んで、帰ってきたヤツだけを日本国民にする。途中で追いはぎに遭ったり、だまされて帰ってくることができなかったヤツは帰ってこなくていいよ──このような法律を作れば、日本は本当にいい国になるのではないか。

八木さんとはインドで知り合ったんです。といっても僕も彼も同じ日芸に籍を置いてたんですけど。大学入ってすぐだから、七〇年か七一年ですか。もちろん向こうの方が年上ですよ。『サンデー毎日』の編集長で岡本博さんという人がいたんですよ。その人が日芸の講師やってたんです。で、岡本先生が何度かインドへ行っていて、今度行くときは学生も連れて行こうということになって。僕も八木さんもそれに参加していたわけです。

印パ戦争の影響でね、カルカッタに着いたらそこらじゅうに戦車はいるわ難民がごろごろ転がっていて死んでいるのか生きてるのかもわからないわの状況で、ビックリしましたよ。煙草屋みたいなところでガンジャは売ってるわけだし、なんて国かと思いましたね。それで見ていると向こうの坊さんとか皆ガンジャ吸ってるわけですよ。僕はインドにずっと住んでいる日本人の坊さんと仲良くなったんですけど、インドじゃ当たり前だって言うわけですよ。日本だと宗教とドラッグに関する視点ってまったくないじゃないですか。何だ日本の学問や文化って大したことないじゃん、という気がしました。

僕にしても八木さんにしてもインドというのは、ものすごく強烈な体験としてあるんじゃないですか。

インドから帰ってから、八木さんも仕事しなくちゃいけないんで、ちょこちょこやるんだけど長続きしなくてね。『冗談王』が一号で潰れたあと、僕らが『X-マガジン』をやるようになって、今度はこっちから一緒にやりませんかって声かけたわけです。

 

山口百恵のゴミをあさる

『X-マガジン』は一号で終わって『ジャム』になるわけですよ。「山口百恵のゴミあさり」(『ジャム』創刊号掲載)がヒットして世間から注目されるというか、問題になるんですけど。あれは企画が僕で実行犯が高杉です。僕はいつもそうなんですけど、実務的なことや営業的なことはぜんぜん駄目なんですよ。銀行の社長なら勤まるかもしれないけど(笑)。だから普通言われているような編集者というのとも違いましたね。

高杉は、少なくとも僕に関しては、アイデアを引き出すのが上手いんですよ。アイデアを盗むのも上手いけど(笑)。だから僕の企画もいろいろあったけど、全て僕が考えたというわけじゃなくて共同作業ですね。やっぱり。

まあ、これもゴミから始まった雑誌だから、という当然の発想なんですよ。

ゴミあさり自体は社会学的なアプローチとして確立しているんですよ、アメリカあたりでは。ゴミから社会を見るという。暮らしぶりとかね、大衆文化とか。インドの乞食なんて前からそんな商売しているんじゃないですかね。ゴミを通して知った秘密を誰かに売るという商売を。

結局、百恵側から訴えられるってことはなかったです。まあ、売れてる雑誌じゃなかったし、変にことを荒立てて、他の雑誌に関連記事が載った方がイメージ的に損だと判断したんでしょう。ヤクザが脅しに来るってこともなかったですね。結構、頭いいと思いますよ。百恵のプロダクションの社長は。

 

明石さんの思い出

「百恵のゴミあさり」は自販機業界で一躍話題になり、そんなこともあって明石さん*31は僕らに好きなことをさせてくれたのかなあとも思いますよ。業界の事情はよくわからないけど。

明石さんに関して言えば、この人の偉大なところは、何にも口出ししなかったということにつきますね。普通、何か言いたくなりますよ。自分が金出しているんだから。よく“太っ腹明石”と言われるけど、僕が明石さんに感心したのは、あの何も干渉しない態度ですね。普通の人間にはできないですよ。あの人、出版やる前は下落合の赤塚不二夫さんの仕事場の近くに「クレジオ」って飲み屋をやっててね、友達がそこの常連だったので、僕も顔見知りだったんですよ。それで、高杉がエルシーで仕事をもらうようなので行ってみたら、社長があの「クレジオ」のマスターでしょう。『ヘヴン』の人と人の関係って、本当にオカルト的なものがありますよ。

でも僕と明石さんということでいえば、まあ他の人はどうか知らないけど、特別に恩義を感じているわけでもないんですよ。もの凄くお金をもらってるわけでもないしね、という感じですよ。明石さんとか佐山さん*32なんかと飲みに行ったなんてこともないし。だいたい当時、僕はお酒ぜんぜん飲まなかったんです。今では完全なアル中ですけどね。だから酒飲んでウダウダやってるヤツはみんな馬鹿だって思ってたし、明石さんと仲良くなって自分を認めてもらおうみたいな意識はなかったですね。だから、集英社講談社あたりが金出すから同じような雑誌作れって言ってきたら、平気でそっちへ行ってたと思うんですよ。まあ、ありえない話だろうけど(笑)。

別に自販機本だから何かやれそうだぞって意識もなかったですよ。ただ、『ジャム』や『ヘヴン』みたいなヘンな雑誌が世に出る土壤を作ったという意味で、やはり明石さんは大きな貢献をした人だと思いますね。

 

山崎春美との出会い

大学のロッカー室を勝手に仕切って『便所虫』の部屋を作ったって話はもう誰かに聞いてるでしょ。その隣に武邑光裕さん*33のサークルもあったんですよ。「神秘学研究会」。とにかく僕にはチンプンカンプンの難しい話をしていましたよ。本当に武邑さんて人は、よくわからないですね。

ある日『便所虫』の部屋へ行く途中、すごく心地よい音楽が聞こえてきてね。誘われるようにして、その音楽をたどって行ったら、春美が「神秘学研究会」の部屋にいて、“ガセネタ”*34の音楽をかけていたんですよ。それで春美とも知り合って。あれは“ガセネタ”の初期の録音だと思うけど、音がハジケていて、とても開放感を感じましたね。僕が一番好きなパンクロック・バンドです。

春美も最近は落ち着いてきましたね。あなたたちは昔の噂でしか彼を知らないから、どんなひどいヤツかと思ったかもしれないけど(笑)。基本的にはとても“いい人”ですよ。特に小さいころは、笑顔も奇麗で、友達思いのいい子だったと思いますよ。ただ、とっても過剰だから、バランスが崩れると、思考も感情も暴走することはあるでしょうね。まあ、その場合に居合わせたヤツが不幸だってことですか。

ひとつ言えるのは、人間関係が親密になればなるほど、たいてい彼とは決裂するような気がしますね。そういう意味では僕は親密じゃないんでしょう、きっと。酔っぱらって電話をかけたりして、迷惑をかけるのはやめようと思います。

(“ガセネタ”たった一度のチラシ)

(たった4曲しかない“ガセネタ”の名曲「雨上がりのバラード」「父ちゃんのポーが聞こえる」「宇宙人の春」「社会復帰」

 

武田崇元インタビュー

僕は先も言ったようにいわゆる“編集者”じゃないし、“フェイク”野郎ですから、雑誌に関してもプロの編集がやらないことをやりたかったんですよ。これも素人の強みを活かす、思考のエコロジーなんですけど、雑誌形態を毎号変えようと思ってたのね。雑誌なんてのはやってるうちに惰性になってくるんだから。同じヤツがまた次の号も書いてたり、マンガがあったら次もマンガが来るような、そういうのは、やりたくなかったんですよ。

例えば、『ヘヴン』第一号があるとすれば、二号は写真集とか色見本みたいな本で、三号は商品カタログになるとかね、毎号スタイルの全く違う雑誌になったっていいじゃないか。むしろその方が読者のライフスタイルには合っていると、今でも思いますね。いわゆる総合雑誌とか、専門雑誌っていう区分の発想は時代遅れだと思いますよ。

ビジュアル面に関しては、僕はほとんど関わってません。もし『ヘヴン』とかに、何か評価される点があるとしたら、羽良多さん*35の功績だと思います。『ジャム』に比べて『ヘヴン』での僕の比重はだんだん少なくなっていったんじゃないでしょうか。まあ、スタッフも増えましたしね。

武田崇元*36インタビュー」(『ヘヴン』第九号掲載・八〇年)は面白かったですよ。疲れたけど。崇元さんとは以前から知り合いで、僕はあの人のキャラクターがすごく好きですね。彼の口利きで『ムー』の仕事とかやらせてもらったりしたこともあります。この武田崇元インタビューが、オウム事件のとき、ほうぼうで引用されていたという話だけど、本当ですか? 僕はまったく知りませんでした。どうして、日本のジャーナリズムは武田さんのところへ話を聞きに行かないんだって、まったく単純な疑問というか、いきどおりはありましたけど。





“麻原の理論的指導者”ですか? 武田さんが。まあ、そういうふうに曲解されて彼が批判される材料になっているとしたら、申し訳ないことしたと思いますね。だけど、武田さんはあんな麻原ごときの黒幕になるようなタマじゃないですよ。麻原が都合いいように勝手に引用したんじゃないですかね。

まあ、僕なんか調子のいい男ですから、ホイホイ企画を考えてインタビューをしに行くこともありましたけど、究極的にはインタビューってのは信用できないと思いますね。結局、雑誌のインタビュー記事っていうのは、基本的にテレビ・インタビューの退化した形式ですよ。

インタビューといえば、その『ヘヴン』の幻の最終号*37で、細野晴臣さん*38に話を聞きました。神秘学とネガティブな妄想世界の話ばかり聞いて、嫌がられたのを覚えてますよ。

 

お坊ちゃん感覚

『ヘヴン』をやっててね、特別に楽しかったって記憶はないんですよ。苦痛でもないけど。少しお金になるから、仕事がないから関わっているというのが本当のところで。でもまあ、そういう意味からいえば、どっちかというと楽しかった部類に入るのかなあ。

ただ、今考えれば、ちょっと中途半端かなって気がしますね。編集やるなら編集やるで個人個人がしっかりしたポジションにいれば責任も出てくるはずだけど。『ヘヴン』に関して言えば、責任の主体がはっきりしてないんですよ。逆に言えば、「あの雑誌は面白かった」とか「凄かった」とか、褒められたりしても誰が褒められてるんだってことになるんですよ。共同作業と個人プレーの区別がはっきりしないんですね。

僕も含めてですけど、『ヘヴン』の連中ってわりとそれなりの家庭でノホホンと育ったヤツらが多いでしょ。高杉んとこもけっこう名の通った会社の社長だし、春美のとこもバロウズ・コンピューターの仕事をしている。近藤とこの親父なんか大蔵省で金を刷るのが仕事なんだから家に行けばいくらでも金をもって帰れるし(笑)。だから、“フールズ”や“じゃがたら”のマネージャーやってた溝口さんあたりに「お前はお坊ちゃんだから」って言われちゃうわけですよ。溝口さんなんかだと、犯罪やってでも金作ってCDを出すぜ、みたいな印象があるでしょう(笑)。そういう根性はないですよ、私には。

まあ、そこいらへんのお坊ちゃん感覚が『ジャム』『ヘヴン』のいいところでもあったし、限界だったのかなあ、という気もしますね。

大人になれないというか。業界でトップを狙うとか文化をリードしようとか、そういう根性がないんですよ。上の方にもうちょっとセンスと経営手腕と営業能力があるヤツがいれば、また違ったんだろうけど、そういうことを期待できる会社でもなかったし、こちらもそんなことは期待してなかったですね。

だから、あなたがたがさ、僕らのやってきたことに影響受けたなんて言ってくれても、僕自身は実感はないし、何だか霊感商法の裁判に呼び出されて意見を述べさせられているような気分ですねえ。

 

隅田川乱一の単行本

『穴が開いちゃったりして』(2003年)

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深く自由に生きるために、世界の表皮を裏返し、全身全霊で世紀末を駆け抜けたカルトの怪人・隅田川乱一。『Jam』『宝島』などに遺した、プロレス・ドラッグ・パンク・イスラム・神秘学にまつわるディープな知力が甦る。

隅田川乱一〉1951〜98年。香川県生まれ。日大芸術学部文芸学科中退。雑誌編集者を経て、ロックバンド「タコ」に参加。フリーライター、翻訳家としても活躍。

 

あとがき

1月13日、新宿「ロフト・プラスワン」で山崎春美復活トークライブなるイベントが行われた。当日、春美氏を初め隅田川乱一氏、近藤オム氏ら『HEAVEN』の主力メンバーが顔を揃えるということで、僕(但馬)と竹熊も当然客席に陣取っていたわけだ。僕が群雄社に出入りするころには既に『HEAVEN』はなく、山崎春美隅田川両氏とは、この日が実質上の初対面と言っていい。しかるに、隅田川氏は僕を見るなり「あ、あんた『サティスファクション』の人でしょ」と声をかけられたのだ。群雄社時代、僕の乏しい宴会芸のひとつにミック・ジャガーの物まね(似ているというより“力技”で似せてた感がある)があり、忘年会ともなれば必ずやらされるはめになっていたのだが、恐らく群雄社OBの隅田川氏もその席におられ、覚えていてくださったのだろう。いやー、恐縮至極。

それはさておき、トークライブは混乱を極めた。「春美、一曲歌えよ、な」というプラスワン店長の所望に春美氏は少し憮然とした風。“不良生徒に人気のある体育教師”を演じているかのような店長のノリと春美氏のキャラクターは、はた目にもチグハグに見えた。インタビュー中でも語っている通り“アイデアの人”である隅田川氏は、水割りのグラスを片手に「銀行のコンピューターの電子信号を解読して無尽蔵に金を手に入れる」という画期的なアイデアを熱っぽく解説し始めたが、誰も聞いてないと知るや、憤然とトークの“かきまぜ役”に転じて来た。ようやくまとまりかけていた座談会も隅田川氏の“ちゃぶ台返し”にあって何度もリセットを余儀なくされる。

「“タコ”の海賊版CDを作った人物の友人」と称するイカレた男の子のガイキチな質問責めに春美氏が辟易していると、すかさず隅田川氏が「てめえ、印税よこせ!」とスゴむ。隅田川氏が"タコ“の印税管理をしているとは知りませんでした。つーよリ、“タコ”と“印税”という組み合わせ自体、何となくシュール。やがて、『HEAVEN』一派は皆それぞれのアドリブを演奏し出し、座談会はさながら壊れたフリージャズ(と言うのもヘンだが)の様相を呈して来る。オム氏だけが必死でリズムをキープ、演奏をまとめようとしているのが見てとれる。しかし、隅田川氏の怒号のサックスがそれを許さない。飲み物がこぼれテーブルを濡らす。はっきり言って隅田川さんは酒乱であった。

しかし、このタイプの酒乱はこちらに危害がおよばない限り、見ていて気持ちがいい。困るのは卑屈な態度でネチネチとゲル状にカラんでくる輩だ。僕と竹熊はトーク終了後、会場にいあわせた映画監督の園子温に、そのゲル状攻撃をいやというほど浴びせられるのである。

「私の名前、日本人ぽくないんですけど日本人なんですよ。誰も信じてくれないけど、私、朝鮮人じゃないんですよ……」。

“ささやき”モードと精液のような粘着力でカラミついてくる園氏に較べれば、隅田川氏の酒癖はなんと男っぽくストイックな(?)ことか。「あなた、今私のこと哀れみの目で見たでしょ……知ってるんですよ。でもね、私はねえ……」「オラー、うるせー」。バキッ。

竹熊の肩にしなだれる園子温の椅子に蹴りを入れる男がいた。

言うまでもなく隅田川乱一その人である。

 

対談◎竹熊健太郎×但馬オサム

竹熊 じゃあ、始めましょうか。今日は隅田川乱一さんについて。

 

但馬 実は俺、あの人のことはほとんど直接知らなかったね。俺が群雄社に関わった頃にはもうあの人いなかったし。でもこないだ会ったとき、むこうは俺のこと覚えてた。群雄の忘年会には来てたんだね。俺、宴会ではよく芸させられてたから。ミック・ジャガーの真似やったりさ(笑)。それでむこうは覚えてたみたいで。

 

竹熊 俺も隅田川さんと知り合ったのは群雄がつぶれてだいぶ経ってから。それまでは『Jam』に書いてた伝説のライターっていう認識しかなかった。

 

但馬 隅田川さんについては竹熊君の方がたぶん詳しいと思うから、今日は聞き役に回るよ、俺(笑)。

 

竹熊 俺だってトータルで六回くらいしか会ってないし、詳しくないよ(笑)。ただライターとしてはある種の影響を受けたから、まあ、個人的な思い入れはそれなりに……。

 

但馬 隅田川さんとはどこで知り合ったの。

 

竹熊 実は松本助六という共通の友達がいまして。精神科医なんだけど、これが本物のオカルト好きでさ。今の精神医学はオカルトがわからないからダメだとか言って(笑)。精神病というのは霊的なアストラル体に問題があるとかなんとか。その彼と隅田川さんがオカルト仲間なんですよ。それで俺、松本君から紹介されたのが最初。七年前にね。

 

編集部 隅田川さんは主に『Jam』で書いてたんですか。

 

竹熊 『Jam』『HEAVEN』ですね。メインは『Jam』だと思うけど。『HEAVEN』の時期になると、高杉弾さんと、山崎春美さんの色が強いから。

 

但馬 『HEAVEN』にはそれほど関わらなかった?

 

竹熊 どうだろうね。まぁ『HEAVEN』で隅田川さんがやった最高傑作は、やはり八幡書店を主催するオカルティストの武田洋一(崇元)インタビューでしょう。

 

但馬 気が狂ってる……。

 

竹熊 狂ってる(笑)。それこそオウムに影響を与えたとまで言われる強烈なインタビューでさ。

 

但馬 すごかったね。俺がまとめた隅田川インタビュー内で、少し引用させてもらったけど。

 

竹熊 隅田川さんはとにかく文章がうまい。当時のサブカルチャーカウンターカルチャーにも通暁してて、発想がすごく面白かった。それで佐内さんが個人的にやってた『BEE-BEE』というミニコミで文章を書き始めたんだね。当時の隅田川さんが書いたコラムで、プロレスとオカルトの関係性について論じた文章があるんだけど、そういう視点はメチャクチャ早かった。プロレスの本質はオカルトなんだと。最近だと、筋肉少女帯大槻ケンヂが同じこと言ってるんだよ。大槻さんが影響受けたのかはわからないけどね。

 

但馬 本人は、オカルトが好きか、ちょっとわからないけど。

 

竹熊 こういう発想が出てくるのは、やっぱり70年代のカウンタ・カルチャーの流れだね。マルクス主義に代わる新しい価値観として、世界的にドラッグとかオカルトがもてはやされた時期があって。政治的な革命よりもっと根本的に世の中を否定するための道具として、オカルトを見いだした人たちがいた。

そもそも人間って変な生き物だよねっていうところが出発点でさ。そうすると、マルクス主義の世の中になったって、人間の持ってる根源的な“変さ”は変わらないだろうみたいな。

 

但馬 若い世捨て人というか……。

 

竹熊 そういう人は昔からいたけど、その種のアナーキーなものの見方をする人たちが、当時のサブカルチャーの最前衛に流れ込んできた。そういう中でオカルトとか、さらにそのトンデモ性を逆手にとったナンセンスに行く流れがあって。つまり「笑い」っていうのも常識を揺るがす行為なわけだから、ドラッグやオカルトの親戚と見なしてもおかしくないわけだよね。ポップな形では『ビックリハウス』とか『スネークマン・ショー』なんてのもあった。

 

但馬 70年代と80年代の、狭間にそういう流れがあったと。

 

竹熊 そういう中から『Jam』も出てくると思うんだけど。で、隅田川さんは、もう、60年代末からの、そういう流れをずっと見てきた人でしょ。それで過激派にはなれない、でもコミューンでヒッピーどっぷりも、嫌だと。四畳半で「同棲時代」はもっと嫌だ、みたいなさ。

 

但馬 それはダサイと。

 

竹熊 じゃあどういうのがカッコイイかと思ったときに、一つには『Jam』みたいな毒のあるナンセンスが出てくるってのも、流れとしてはあるわけですね。

 

竹態 隅田川乱一って人は、例えばプロレスって変だな、とか思うわけでしょ。プロレスってなんだろう。あれはスポーツなのかショウなのか。スポーツだと思えばスポーツだし、見世物だと思えば見世物。よくわからない、およそ日常生活とは掛け離れた何か。

 

但馬 ハレの……。

 

竹熊 うん。それで、オカルトもそうじゃないかと思うわけだよ。超能力にしても本当なのか嘘なのか……。超能力なんか存在しないと言っても、世の中の人全員が信じてればさ、それは存在することになるんだという。これを俺流に説明すれば、お金ってあるじゃない? お金はオカルトだと思うんだよ(笑)。みんなが信じてるから価値が発生するわけで。

 

但馬 共同幻想みたいな。

 

竹熊 よく見ればただの紙に印刷したものじゃない? 食えるわけじゃないしさ。でも、みんなが信じると、それにものすごい価値が発生する。これはまさにオカルトの原点なんですよ。みんなね、オカルトっていうとすぐに霊とか超能力と思うけど、あれだって信じる人が複数いればそれは本当になっちゃうんですよ。呪いにしても、信じるやつの間では本当に呪い殺しとかあると思うんだよね。医学的には単なるノイローゼでも、それで病気になって死んじゃうとかさ、そういうことは実際にあると思うんだよ。

 

但馬 お金だってそうだね。

 

竹熊 うん。だって、あんな紙切れのために人殺しだってやるわけじゃない。それは呪い殺しと同じようなものだよね。

 

但馬 呪物崇拝?(フェティシズム

 

竹熊 そういうふうに考えていくと、世の中のあらゆるものがそういう見方もできる。プロレスとオカルトを結び付けるとみんなびっくりするけどさ、隅田川さんのような文脈で書いてくと、ああなるほどと思うわけだよね。つまり、プロレスはショウかもしれないけど、現実に人を殺しちゃう場合もある。人間がやることだから、本気で殺し合いになっゃう時も……それは、10年に1回くらいあるわけだよ(笑)。そういう本気と嘘のギリギリの狭間で成り立ってる行為がプロレスでしょ。そういう虚実の狭間みたいなものは世の中にはたくさんあって……。

 

但馬 今のインターネットだって、4、5年後には、非常に怪しいものかもしれない。

 

竹熊 怪しげなものだと思うんだよ。江戸時代の人間が今の東京とかみたら、これは魔法が実現している社会だと思うよね。そんな感じで、世の中っていうのは、相対化して見れますよと。それである種の人にとっては、社会を相対化する道具として、ドラッグがあり、オカルトがあり、冗談があるということだったと思うんですよ。マルクス主義の失敗は、やはり、絶対化だからさ。

 

但馬 どんな思想だっていつかは変質しちゃう。

 

竹熊 その狭間で生きれるかどうかっていうのは非常に難しい問題で。でもそのへんをやろうとしている人たちだと思うんだよね。この社会のどこに所属しても違和感がある、それを抱えて苦しみながら、いろいろやっている人たちだよね、隅田川さんとか『Jam』の人たちって。それがたまたま70年代末に出会いがあって、たまたまこういう本を作らせてくれる場があって、明石賢生っていうわけわかんない太っ腹な社長がいてさ。なんか面白そうな連中だから勝手にやれっていったら、本当に勝手にやったのが『Jam』なんだと。

 

但馬 磁場だよね。

 

竹熊 その中で、隅田川乱一って人は中心的なブレーンとして活躍してた。虚実の狭間で物事を面白がるというのは、やはり重要なコンセプトだったと思うんだよ。

 

但馬 それで権力志向ない人って感じがするよね。自分が雑誌の顔になろうとか編集長になろうっていう、そういうのは最初からない。

 

竹熊 確か初期の『本の雑誌』でミニコミ・コンテストっていうのがあってさ、そん中でグランプリとったんだよね、隅田川乱一の文章が。馬場や猪木は実はこういう宗教にからんでると。それで、ブッチャーは隅田川さんが調べたところによると、アフリカ系のカル宗教みたいのがあるんだって。そこにブッチャーが関係しているとかなんとか。真偽のほどはさだかじゃないけど(笑)。

 

但馬 ブードゥーかな。

 

竹熊 いや、それとも違うね。とにかくまあ、それの構成員だっていうわけよ。そうすると、実はプロレス・リングの中で行われているのは宗教戦争でもあるっていう。リングの上で誰も知らない宗教戦争が起こっていると(笑)。それを椎名誠が大絶賛してさ。俺は当時読んでビックリした。すごい不思議な世の中の見方をする人だと。難しい文章も書くんだけど、ナンセンスなものはとことんナンセンスだし、変な知識を持っているでしょ。前号の『QJ』で本人がコラム書いてたけど。本当か嘘かわかんないような、世界の変なニュースみたいなの。ああいうのって僕らの子供の頃、少年雑誌でたくさんあったわけですよ。カエルが降ってきた村とかさ(笑)。

 

但馬 中岡俊哉の『世界のウルトラ怪事件』とか(笑)。

 

竹熊 そういうジャンルにある種のコンセプトを持ち込んだ人っていう感じだよね、隅田川さんは。あの時期の、一番特異なライターでした。

 

但馬 まあ、今はね、かなりお酒を召し上がって……。

 

竹熊 手が震えている(笑)。

 

但馬 ビブラートで、コーヒーに砂糖入れられないんだよ、片手で手を添えてね。

 

竹熊 俺みたいなのがこんなこと言うと僭越なんだけど……やっぱり隅田川さんには、もっと世の中に出てほしいと思うんだよね。あれだけ才能あるのに。昔から言ってたスーフィーイスラムの神秘思想)の本だってやっと最近出たけどさ、あれだって『HEAVEN』に連載してた頃からだから、16年がかり(笑)。

 

但馬 欲がない人っていうか……。

 

竹熊 いい人だよね、ものすごく。『Jam』『HEAVEN』の人たちってみんなそう。ものすごく才能あるけど、それを世の中とつなげていこうという欲があんまりないんですよ。明石さんが生きてればね。ああいう経済原則無視したような太っ腹の社長がさ、好き放題放し飼いにして、とんでもない本をどんどん作らせて……。ああ、だから会社潰れちゃったのか(笑)。

 

山崎春美/WHO'S WHO 人命事典 第3回

美沢真之助〔みさわ・しんのすけ

隅田川乱一/X-BOY、1951~1998/享年46)

とかくミンナに隠れて密かにスーフィーを研究している謎の人物。なんのためかといえば、これが桃の木、あぶく錢だと。ナァル、そんなに宝籤買うわけね、さすが。

勇鼓奮い、誓って信条を言うなら、ただ唯一無二の人である。直感力ってそんな力のあるやらなしやら、天才。『Jam』『HEAVEN』はもちろんだが、そして“TACO”初期からの背骨(バックボーン)であり、(蛸に背骨かよ!との声あり)すべての鍵を「握っていた」のではなく、まさしく鍵穴そのものを「射抜いて」しまっていた。なにしろX-BOYなのだ。だかりこそ美沢さんを言葉で説明できない、できにくい。遣り辛い。さらに見逃せないのは、外からはそれが滅多に見えない(わからない)ことであろう。

竹熊健太郎くんたちには悪いけど、ほぼ二十年前に『QJ』誌で行われたインタビューで竹熊くんらはまったく美沢さんの「本筋」が見えておらず、群盲象を、の譬えよろしく、ただ上っ面を撫でるに終わってしまったのである。それにしても、このエピソード一つ取ってもまさにOCCULT=カルト(隠された知)そのものではないか。そして思わず悪口めいた言辞を弄したが、(せっかく来場して頂いたというのに!)とはいえあくまでも為にする苦言なのだから黙って聞きたまへ。竹熊クンらがもしあのとき真摯に真剣に思い切り心底からの言葉で心情を発し吐露していたらきっと(...などと書くと、相田みつをかなんかに間違われそうだが、そも、ぼくにこんなコト書かせてまうジブンらが情けないんやで。反省または反論求む)人生や世界や(キミらの関心高い)オウム(真理教)やエヴァンゲリオンや、なんでもいいけどホンマに入れ込んだ対象やから見えてくる地平での本質論以外の話なんかなんぼしたって、近所に住む年輩者と天気の話してるんより始末が悪い。あんなにも内容のない、あそこまでつまらない取材にはならなかったろうに。覆水、盆に返らず。

いやいや御察しくだされ。而して、これらすべては自戒なのだヨ。それにしても若死にだけど、現代はとうてい美沢さんが生きるには値しないからではないのか。

 

訃報

本誌14号「天国棧敷の人々」(第2回)に登場していただいたライター・翻訳者の隅田川乱一(本名・美沢真之介)さんが、去る5月25日、肺ガンで、お亡くなりになりました。隅田川乱一さんは、70年代末から80年代にかけて自販機雑誌『Jam』『HEAVEN』の創刊メンバーであり、ブレーン役を務めました。ご冥福をお祈り申し上げます(本誌発行人・赤田祐一

私もずっと会っていなかったのですが、亡くなられた後、パートナーだった村田惠子さんに偶然お会いできて、お話を伺いました。入院中、彼のベッドのもとには、絶えずナースたちが訪れ、人生相談をしていたといいます。そして、亡くなった時は、病院中のナースが泣いたそうです。確かに、村松恒平氏や私の知る隅田川乱一は、そんな挿話にふさわしい人物でした。(作詞家・松尾由紀夫

納棺して、お父さんの挨拶の後に、友達を代表して、八木さんが最初にインドに行った話をしてくれました。こんなにインドが似合う人はいないくらい風景にフィットしていたって。亡くなったときはすごく痩せ細って髭も伸ばしていて。「死ぬ前に惠子に(髭を)剃ってもらおうかな」と言ってくれて。結局剃らなかったので、本当にサドゥー(ヒンドゥー教の修行僧)みたいでした。春美が町田康さんをお通夜に呼んでくれて。彼もその日一晩中、真之助のそばに付き添ってくれました。並んで真之助の顔を見つめ、号泣している二人の姿が忘れられません。生きていたら、もっといろんな本を翻訳したかったろうし、仕事をしたかったのだと思います。(同時通訳者・村田惠子)

たくさん死んだ

タコの一枚目を出した直後に

ピナコテカの渡辺さんが亡くなり

ロリータ順子が死に

篠田昌已も死んだ

タコはライブする集団だったから

メンバーはたくさんいる

角谷美知夫が死んで

シンタロウが死に

タコではないけど アケミも死んだ

最初のピナコテカのオムニバスには

美沢真之介(隅田川乱一)がいた

タコの「背骨」だった彼は

一九九八年に亡くなった

三条通も死に

好機タツオが死に

あるいは、金子寿徳が死んだ

やがて 山本土壺が死に

大里俊晴も死んだ

タコ『セカンド』ブックレットより山崎春美

通夜式は、お寺を朝まで借りていた。ご挨拶して仏前に座ると、ぽろぽろと涙が出てきて止まらなくなった。自分でも初めての体験で、どうなっているのかわからない。涙が止まらないまま、「ハルミ」と呼ぶ声には反応していた。横から見ていた佐内順一郎が、「あれ? ハルミ泣いてる? ええ。泣くかなあ?」みたいなことを言いかけたときだった。奥のほうから妻の惠子さんが、「あ、ハルミちゃんが来てくれた!」と、笑いながらこちらに来たので、顔を上げて恵子さんを見るなり、わっとなって二人抱き合って泣いた。それこそ我慢していたすべてが堰を切ったのだろう。(ヤマザキハルミの懺悔! ザンゲ! ゲゲゲのThank Gay!〔ざんげ!〕より)

 

リンク

http://mura.hiden.jp/matsu2/4_index_msg.html

*1:『X-マガジン』

『ジャム』の前身。一号で廃刊。特集は「ドラッグ」

*2:エロの絡み

エロ・グラビアの男役。AV男優なる本職が登場する以前はもっぱら若手編集者の仕事だった。

*3:『宝島』

70年代においてはポップ・カルチャーをいち早く紹介してくれるサブカル情報誌として、多くの若者の支持を受けていた。

*4:『ワンダーランド』

『宝島』の前身。奇代の枠人にして博学の徒・植草甚一が責任編集。

*5:ローリングストーン』日本版

あまりにも有名な米ロック評論誌の日本版。73年から76年まで刊行される。発行人・レックス窪田が麻薬で捕まり休刊となった。

*6:ポール・ボウルズ

米の作家。いわゆる「ロスト・ジェネレーション」のひとり。最初は作曲家として出発、世界各地を放浪の末、モロッコに居を定め、小説に手を染める傍らバロウズギンズバーグと親交を深める。代表作は『シェルタリング・スカイ

*7:『遊』

松岡正剛・編集の通称“オブジェマガジン”。現代思想、アート、ニュースサイエンスなどを独自の高踏趣味と電波でかきまぜた“狂った”センスは一部の自販機エロ本に強い影響を与えた。

*8:田中泯

日本を代表する前衛舞踏家のひとり。農作業をメソッドとする舞踏道場、「身体気象農場」を山梨県に設立。アート・キャンプ白州主催。

*9:工作舎

松岡正剛主催の出版社。山崎春美も一時期ここの編集員だった。

*10:『X-マガジン』掲載。

*11:高橋巌

日本を代表する人智学研究家。ルドルフ・シュタイナーとその思想を日本に紹介。

*12:『X-マガジン』掲載。あれはメープルソープが撮った写真か?

*13:仕上がりは、さながらバラバラ殺人現場の写真のようだった。

*14:ニュースレター

60年代のアメリカでさかんに発行されていたアンダーグラウンド新聞の総称。

*15:アメリカのドラッグ専門誌

*16:『WET』

カリフォルニアのヴェニス・ビーチから生まれた、お風呂好きのための雑誌。水に関係のある記事は何でも載せており、水を中心にした世界観で作られていた。

*17:三浦和義

ご存じ“ロス疑惑”のカズ。ちなみに彼は、自販機エロ本出版社である『土曜漫画』の編集に携わっていたこともあるらしい。

*18:フルクサス

リトアニア人芸術家G・マチューナスを中心に、60年代にNYで起こった芸術運動。ジャンル上の垣根を取り払ったグローバルな表現活動が特徴で、社会のアート化、生活のアート化を標榜。ジョン&ヨーコの平和のためのベッド・インはフルクサス精神にあふれている。

*19:上杉清文

劇作家・日蓮宗僧侶。著作に『ど~もすいません』『天覧思想大相撲』などがある。

*20:村松友視

作家。文芸誌『海』編集者時代に発表した『私、プロレスの味方です』は、すぐれた観客論であると同時にプロレス・ファンに理論武装することを啓蒙した画期的な書であった。小説『時代屋の女房』で直木賞受賞。

*21:ハナモゲラ語

タモリ創作によるデタラメ言語。ハレハンモ、イッヒトットハナモゲラ……てな具合に使う。

*22:言語=ウイルスのバロウズ

ウイルスが他の生命の遺伝子に入り込み増殖するように、「言語」が人間に寄生し操っているという考え方。ウィリアム・S・バロウズが小説の中で展開。例えば、マスコミによる思想の刷り込み、洗脳などもこれに当たる。言語を解体する「カットアップ」はこの言語ウイルスから身を守る悪魔払いの行為である、とバロウズは語っている。

*23:ジャジューカ

ロッコのリフ山地に住む山岳民族に伝わる音楽。ジャジューカはその村落の名前。植民地支配以前は宮廷の儀式などで演奏されることも多かった。その排他性と血族主義のためか、西洋文化圏に紹介される機会はほとんどなかった。

*24:オーネット・コールマン

フリージャズを代表するミュージシャン。ジャジューカのミュージシャンとの共演は『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』でも聴くことができる

*25:ブライアン・ジョーンズ

ローリングストーンズを事実上脱退後、単身モロッコに飛び、ジャジューカの演奏を録音。それを電子的にリミックスして誕生したのが名盤『ジャジュカ』である。LP盤は今やレア。

*26:ビル・ラズウェル

NYのミュージシャン兼プロデーサー。テクノ、ピップ・ホップからワールド・ミュージックまで幅広いスタンスで活躍。

*27:ブライアン・ガイシン

英の現代美術家バロウズカットアップ(文章のコラージュ)の手法を教えたことでも有名。

*28:八木真一郎

別名・ハマリの八木。『ヘヴン』を経て群雄社編集員に。

*29:『冗談王』

日本文華社(現・ぶんか社)が78年に創刊したパロデイ雑誌。わずか一号で廃刊した。

*30:ビックリハウス

渋谷公園通りを拠点としたタウン誌として出発、その後パロディ満載のサブカルチャー誌として急成長する。初代編集長は元・“天井桟敷”演出家の萩原朔美。ニ代目編集長は高橋章子

*31:明石賢生

エルシー企画ならびに群雄社社長。出版界に数々の伝説を残し、96年物故。

*32:佐山哲郎

群雄社編集局長。麻耶十郎の名で作家としても活躍。スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画『コクリコ坂から』原作者。

*33:武邑光裕

京都造形芸術大学助教授。神秘学に造詣が深い。『ヘヴン』では「Gurdjieff'sInputSystem」(翻訳)を連載。

*34:ガセネタ

山崎春美大里俊晴・浜野純・佐藤隆史によるパンクあるいは《驚異のハードロック》バンド。77年結成、79年解散。

*35:羽良多平吉

グラフィックデザイナー。『ヘヴン』の表紙デザインほかを担当した。

*36:武田崇元

高踏オカルト雑誌『地球ロマン』『迷宮』を世に送り出した日本オカルト界のご意見番的存在。八幡書店社長。

*37:『ヘヴン』幻の最終号

社長逮捕により編集作業半ばで流産した『ヘヴン』第10号。ちなみにこの号の予定されていたのは「肥満」と「ナチス」のカップリング特集だった。

*38:細野晴臣

細野氏が一時期、オカルト(特に神道系)にハマっていたのは有名な話。