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エルシー企画・アリス出版・群雄社「エロ本三国志」の時代

エルシー・アリス・群雄社  エロ本三国志

自動販売機本の黎明期と『JAM』の出現(1976~1978)

文・竹熊健太郎

1 それは70年代の後半に突如として現われた。繁華街の裏路地にひっそりと置かれた、青や銀色の一見なんの変哲もない自動販売機。だが、夜ともなれば内部から煌々と光を発し、肌も露わな女性の大股開きの表紙か踊っている…。これぞ貧乏男性の夜の友とまで言われた自動販売機専用エロ本、通称「自販機本」の出現である。
が、それは10年とたたぬうちに、より過激な裏本やビデオ、コンビニ向けエロ本に王座を奪われ、あっと言う間に我々の視界から消えて行ったのだった。
関係者の多くがその世界から足を洗った現在、自販機本について語る者は少ない。しかし筆者(竹熊)は、その存在を、歴史の闇に葬り去るにはあまりにも惜しいと考える。
自販機本こそは、誰も知らないメディア革命だったのだ。通常の書店ルートには置かれず、立ち読みすらできない自販機本は、「買うまでが華」の青少年のバーチャル妄想装置として機能すると同時に、編集者やライターにとっては、メジャーでは不可能な記事がほとんど規制もなく書けてしまうという、まさに「なんでもあり」の理想郷だったのである。

最盛期の自販機本は、実際、編集&ライターのアナーキズム天国のような様相を呈していた。その代表が山口百恵の自宅前に出したゴミをグラビアで完全公開してしまった『JAM』であり、その後身でありアンダーグラウンドかつ気の狂った企画を羽良多平吉の華麗なヴィジュアル・ワークで包んだ傑作雑誌『HEAVEN』である。
現在の『QJ』や『危ない1号』などのサブカル&アングラ系雑誌のルーツは、これら70年代末期から80年代初頭にかけての自販機本にあった……と言っても過言ではないだろう。

編集もライターもほとんど共通する『JAM』『HEAVEN』は、人脈の移動とともに3つの出版社を渡り歩いている。

最初がエルシー企画、次いでアリス出版、最後が群雄社だ。

現在、その方向の大手と言えば第一に白夜書房であり英知出版だろう。これら版元のルーツも、やはり70~80年代の自販機業界にあるのだが、時代の波を上手に乗りこなし、今では一般書籍も発行する立派な出版社として存続している。

これらを「勝ち組」とするなら、エルシー・アリス・群雄社は一世を風属しつつも消えていった「負け組」になるのかもしれない。しかし負け組にも「まごころ」かあるのだ。

 

2 ここで一人のキー・マンを紹介しよう。男の名前は佐内順一郎、またの名を高杉弾。現在は「脳内リゾート研究家」として活躍する高杉だが、当時は日大芸術学部を出たばかりの一青年にすぎなかった。物語は、彼がゴミ捨て場に転がっていた一冊の自販機本を拾ったところから始まる。78年頃のことである。

それはどこか奇妙なエロ本だった。まず彼を惹きつけたのは、掲載されたパンティ・ストッキングのフェティッシュな写真だった。高杉は次に裏表紙を見てグッときた。そこには、

もう書居では文化は買えない!

と強烈なコピーが踊っていたのだ。

(エルシー企画発行『スキャンダル』表3に掲載された角川文庫が束ねられてゴミの日に出されている写真。「もう書店では文化は買えない」というコピーはS氏こと佐山哲郎が付けたもの。なおS氏はジブリ映画『コクリコ坂から』の原作者でもある)

この『スノッブ』なる雑誌を作っているのは何者なのか? もともと雑誌に興味があり、自身も仲間と共にミニコミを作っていた高杉は、好奇心にかられて版元であるエルシー企画を訪れる決意をした。そこで彼はある出会いを果たす。明石賢生、そしてS氏という、自販機本ブームを中心で支えた二人の人物との出会いである。明石はエルシー企画の社長であり、高杉がゴミ捨て場でグッときた例のパンスト写真はこの人物の手になるものだった。そして「もう書店では…」のコピーを書いたのが、『スノッブ』の編集長・S氏だったのである。

S氏は高杉を面接し、その場で『スノッブ」の巻中ページをまるまる任せる決断をした。高杉はさっそく日芸時代の仲間である美沢真之助山崎春美・八木真一郎・近藤十四郎といった面々に声をかけ、「Xランド」という雑誌内コラムで「『スノッブ』乗っ取り宣言」を行なう。この“雑誌ジャック”は見事に成功(?)を収め、これがやがて新雑誌『JAM』になっていくのだが……。

話を急ぎ過ぎたようだ。『JAM』について語る前に、しばらく視点を明石賢生やS氏に移し、自販機業界創世紀のエピソードを見ていくことにしたい。そもそも『JAM』のような雑誌が成立しえたことは自販機業界の特殊性を抜きにしては語れず、その「特殊性」を語るには、その創世紀にどのような人物がどのような動機でこの世界に入ってきたかを知るのが一番わかりやすいと思えるからだ。

 

3 自動販売機にエロ本を入れるという発想を誰がどのように思いついたのか。S氏によれば、もともと街頭スタンドで雑誌を販売していた中島規美敏という人物が、売り子のいらない自販機に目をつけ、マンガ雑誌などを入れて売り始めたというのが発端らしい。

「76、7年頃かな。中島のやってた東京雑誌販売(東雑)という会社が、自販機でエロ本を売るっていうことを始めたわけですよね。もともとは『サンデー』とか『ジャンプ』とか入れてたわけなんだけど、考えてみたら、自分たちで本作って単価がちょっと高ければ、大儲けできるって気がついたわけですよ。当時、俺たちが作っていた雑誌が、130円とかそれくらいかな。何冊売れても儲けは数パーセントだからさ、ここで500円で売れるものがあれば、オンの字だった。だからさ、結局“500円で売れるものは何か”ってことだよね(笑)」

こうして始まった自販機エロ本だが、これが関係者の思惑をはるかに超えるメガ・ヒットとなった。最盛期の80年には全国に設置されたエロ自販機が3万台とも4万台とも言われ(ちなみに書店は全国で約3万店)、100円玉の重みで現金回収車のショッキング・アブソーバーがぶっ壊れたとも伝えられている。自販機は大量生産でどんどんできるが、中に入れるソフトが全然足りない。そこから悲劇が始まったとS氏は言う。

「東雑はアリス出版という子会社を作って、そこでエロ本をどんどん作らせた。アリスって実体は編集プロダクションなんですよ。編集だけ請け負って、それから先は東雑がやる。そこで明石は勘が働いたんだね、これだ! って。“東雑さんで売るエロ本を私が作りましょう”と。明石のエルシー企画はあくまでも独立した出版社。印刷・製本まで請け負って、出来たものを東雑に納入する。そりゃ全然違うよ、利幅が。明石は印刷屋で働いてたからね、そのへん詳しいの。印刷なんて値段があってないようなものだからね(笑)」

 

4 明石賢生とは何者か。エロ本三国志における最重要人物であるにもかかわらず、本人に話を聞けないのは残念でならない。なぜなら彼は昨年、急病でこの世を去ってしまったからだ。

S氏の話によると、明石は60年代後半に九州は大分から上京し、早稲田大学に入学して学生運動の闘士となり、すぐ放校処分になったらしい。

「明石が本当に早田の学生だったかどうか、俺は知らない。でも学生運動やってたのは事実みたい。赤軍派のメンバーとか、よく知ってたよ。まあシンパっていうかね。俺自身もセクトは違うけど、やはり都立大で活動してた。俺は68年4月28日の沖縄奪還闘争で逮捕されて……あの時の逮捕者はものすごい数だったけどね。俺もその一人だったわけ。で、それをきっかけにして、俺たちの言葉で“召還”っていうんだけどさ、徐々にその世界から足を洗っていったわけ。

明石と知りあったのはずっと後だね。たぶん73年、74年だと思う。話すと長くなるよ、それでもいい(笑)?

俺は当時三崎書房って出版社が出してた『えろちか』っていうインテリ向けのエロ本で編集の手伝いみたいなことしてて。で、都立大のそばのスナックで呑んだくれてたんだね。そしたらその店の常連が『実は友人が出版社を始めたんだけど、人手が足らなくて困ってる。お前就職する気ないか?』って言うから、いいよって言ってね。

それで翌日、猿楽町の明大裏にあった現代企画室っていう出版社の門を叩いた。そしたら社長の栗原っていうのが、俺の顔を見るなり“アッ!”って叫んでさ。“惜しかったね、今、5分前に決まっちゃった”って言うんだよ。“それでもう一人雇う金がない”って(笑)。

まあ、それはいいんですけど、“今、その決まった奴が喫茶店で待ってるから。それでお前、麻雀できるか?”っていきなり言うの、俺に。できるよって言ったらね、“じゃ、やろう!”ってさ。世にも奇妙なさ、就職落ちた奴と、先に来た奴と、社長と社員とで、麻雀始めたわけ。で……その先に来た男ってのが……明石なんだよ(笑)」

(以下次号・文中散称略)

初出:『Quick Japan』13号(1997年4月)

 

自動販売機本の黎明期と『JAM』の出現(2)

文・竹熊健太郎

5 70年代後半、突如としてわき起こった自動販売機専用エロ本(通称・自販機本)ブーム。その中心に二人の人物がいた。エルシー企画社長の故・明石賢生、そして謎の歌人にして小説家のSである。60年代にそれぞれ学生運動の闘士だった二人が出会ったのは、皮肉にも革命の夢破れ世の中こぞってシラケ切った70年代。

出会いは往々にして唐突なものだが、Sと明石の出会いもまた唐突だった。就職を断られた出版社(現代企画室)での面接終了後、Sはそこの社長から麻雀に誘われる。ウソみたいな話だが、さらに信じがたいことには、たった今、5分前に就職が決まった男と麻雀をしようというのである。そして、この「5分前の男」こそが明石賢生だったのだ。

と、ここまでが前回のあらすじである。再びS氏に登場願って、続きを語っていただこう。

「……その頃、明石は新宿区の中落合で(ル・)クレジオっていうスナックをやってた。赤塚不二夫のフジオ・プロが近くにあって、赤塚さんにはずいぶん可愛がられたって聞いたな。ただ明石はスナックのマスターだけじゃ飽き足らなくてね、水商売やる前は印刷屋で働いてたっていうし、出版の仕事にも憧れがあったんだな。で、クレジオの常連のカメラマンの紹介で、現代企画室に来たわけだ。店もたたまずにさ(笑)、昼は出版社の営業、夜はスナックの二足の草鞋。

ところが現代企画室って会社は、盆栽の本とか一冊一万円もする『さつき』の本とか、そういうのしかないの。それを売り歩くっていう……だから明石もつまらないんだよ。それで一年かそこらで辞めちゃったって(笑)」

一方、就職に落ちたSはといえば、フリーの編集兼ライターとして、三崎書房でインテリ向けエロ本『えろちか』の編集に携わっていた。

「三崎書房って、もともとは哲学書とか出してる堅い出版社でね。当然のごとく売れないわけだ。それで親父の後を引き継いだ二代目の林宗宏って社長が始めたのが『えろちか』。一気にエロ本屋に転身を図ったと(笑)。とはいえ林も京都大学出身で、大島渚と同期だったってくらいだから、まあインテリだよね。だから執筆陣は豪華だった。竹中労とかさ。俺が関わったのは最後の頃ですよ。一度休刊して、それから『復刊えろちか』となって出たんだけど、割付けとか出張校正とか付き合って、取材にも行ったよ。たださ、『えろちか』なんか作ってると暗くなってくるよ。取材先が“日本一のフンドシ研究家”だったりさ。フンドシのことなら知らないことはないって言われてもねえ(笑)」

だがSらの奮戦も空しく、三崎書房は倒産する。

「それでも林がもう一度雑誌を出したいって言うんだ。なんて言ったっけ、そうそう『月刊異端文芸』(笑)。笑っちゃうよな。でも表紙が片山健でさ。当時売れっ子の画家でイラストレーター。こっちは高いギャラなんて払えないんだけど、気前がいいんだよな、ビジュアルの人は。『金くれなくてもいいや』って言ってくれて。

でさ、雑誌出したはいいけど営業がいないんだよ。それで林が『デカイ車持ってて、書店に運べる奴知らないか?』って俺に聞いてきた。そこで明石の顔を思い出したわけだ。あいつもスナックに戻ってて、悶々としてたからね。電話して会ったわけ。また出版やる気ないか?って聞いたら、『俺もこのままじゃなんだし……もう一回やるか』って話になってね、来たわけですよ。それで一緒に仕事を始めたんだけど、やっぱりつまんないのよ『異端文芸』じゃ(笑)。」

 

6 時代は大きく変わろうとしていた。当時のエロ本界といえば、肉体労働者のオヤジが息抜きに読むようなエロ本(通称・土方本)が大部分であり、さもなくば『えろちか』に代表される、性に哲学や政治をからめるような、いたずらに小難しい高踏的なエロ本しかなかった(これをエロ本と呼べるかどうかだが)。もちろん『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』のようなヌード・グラビアを売り物にするメジャー雑誌はあったが、エロはあくまでも誌面の一要素に過ぎず、「エロ本」と呼ぶことはためらわれる。

土方本も高踏本も、明石やSにとっては何かが違った。もちろんインテリ向けのエロ本があってもいい。林宗宏はまごうことなきインテリだし、それはSや明石にしても同じだ。では、どこに違いがあるのかといえば、陳腐な表現だが「世代が違う」としか言いようがないだろう。

林は戦後民主主義を生きる60年安保世代、明石らはバリバリの全共闘・70年安保世代である。その後、政治思想方面からはチルアウトしたが、かといって生温い日常を素直に受け入れることもできない彼らの屈折は、新しい表現を求めていたのだ。

そんな彼らが目を付けたのが「袋物」と呼ばれる、ビニール袋に入れられて新宿のガード下などにひっそり置かれていたエロ本の類であった。

「袋物って言われてたよね。その後“ビニール本”ってのが80年代に一世を風靡するけどさ、それのハシリみたいな本があったんだよ。でもヒドイ写真で、いいかげんな作りの、誰も買わないような本だった。でさ、あんまり面白くないんで、そこで明石がイキイキし始めるんだけど(笑)。

あいつ、暴走族のスペクターを子分にしてたんだよ。スナックのマスターやってると、そういう奴らが集まってくるんだな。変な人望があった。それで、暴走族を30人くらい集められるから、そいつらと女優を絡めようって言ってね。日活のポルノ女優をモデルにして、カメラは友人の御子柴ってのに頼んで、一冊作ったんだよね。それが『アリス』ってタイトルでさ。ズラーッとバイク並べて、バイクのライトだけでヌードが浮かび上がる…なーんてカッコイイのを。オシャレでエッチな、凝りまくった本を作ったんですよ。

ところがこれが全然売れなかった。そもそも新宿のガード下で土方相手にそんなの売れるはずないんだよ。しかも原価計算すらまともにしてなかったから、俺たちが思った定価がつかなかったわけ。明石も俺も最初からその調子でね(笑)。それで林が激怒してさ、売れなかった分を俺たちが支払えっていうんだよ。社員に対してそれはないだろうと(笑)。

ただ印刷も写植も全部俺たちの知り合いに頼んでやってたからね。実損はかぶったんだよね。それがウン百万って額だよ。当時とすれば大金じゃない? 俺と明石のポケットで、合わせて1000円あればいいほうだったからさ(笑)、もう、俺も明石もあきれてね、それで林を見捨てるんだよ」

 

7 その一年後、今度はSが明石に呼ばれた。どこでどう金を工面したのか知らないが、出版社を作ったというのだ。詳しくは前回を参照してほしいが、明石は自販機流通の元締めであった東雑(東京雑誌販売)と話をつけ、自販機で売るエロ本を大量に制作すると言うのである。

「それがエルシー企画。高田馬場の事務所に呼ばれてさ、行ったらもう俺の名刺が出来てんの(笑)」

前回でも触れたが、すでに東雑傘下にはアリス出版という会社が存在していた。ただ出版社とは名ばかりで、実体は東雑の編集部門、編集プロダクションであった。一方明石のエルシー企画は流通以外の一切を請け負うレッキとした出版社である。当然利幅は編プロの比ではないが、リスクも大きい。ただリスクを負ってでも一国一城の主たらんとするところが、明石賢生という人物を物語っている

エルシー(LC)企画という社名は明石が考えたらしいが、いったい何のイニシャルなのだろうか。

「それがまったく……ないのよ(笑)。俺も聞いてみたんだけどね、わからないんだよ、あいつ。語呂だけなんだよね。だいぶ後になってから『ルイス・キャロルの略だ』なんて言ってたけど。ちょっと出来過ぎだと思うね。

それでエルシーが始まるんだけど、とにかく金がなかったね。明石が事務所で『金持ってる奴いないか!』って大声出すから、『どうしてだ?』って聞くとさ、『これから撮影に行くんだけど一銭もない』(笑)」

明石とS、経理のオバチャンの3人程度で始まったエルシー企画だったが、苦境を乗り越え、徐々に会社としての体裁を整えていった。また明石の磁場に吸い寄せられるように、さまざまな人間が出入りするようになる。自販機カメラマンとして勇名を馳せた岡克巳もその一人だ。

「岡ってのはね、それまでは保育園の業界誌で仕事してたんだ。『お母さんといっしょ』みたいなさ。最初に自分の撮った写真持ってきたんだけど、子供の写真ばっかり(笑)。それがいきなり女の裸撮るわけだろ、まいったよね」

 

8 ここで少し専門的な話をする。我々が本を買う時、普通は書店で購入するわけだが、書店というものは少ない例外を除き、誰が作った本でも売ってくれるわけではない。東販・日販といった取次会社(本の流通問屋)と契約し、そこを通さなければ置いてくれないのである。したがって出版社を興そうとする場合、何はなくとも取次から出版コードなるものをもらわなければならないのだが、これがそう簡単ではない。取次の側がその会社の出版物が売れるかどうか、価値を認めなければコードすらもらえないのである。コードがもらえたとしても、どのくらいの部数を配本するかは取次の判断次第。たとえ出版社が「売れる」と判断して百万部刷ろうが、取次が配本をしてくれなければ、ほとんど返品扱いとなり、大赤字を抱えるはめになる。

出版において取次はそれだけの力を持っているわけだが、もし仮に「書店に置かなくても売れる」本があるとすればどうだろう。それは普通の出版社には不可能な冒険ができるのではあるまいか。自販機本はまさにこれだった。Sにとってもこれは魅力だったという。まあこれはこれで実は甘い考えであり、後でイヤというほど思い知ることになるのだが。

エルシー発行の『スノッブ』という雑誌に、Sは「もう書店では文化は買えない!」という人を喰ったキャッチ・コピーをつけた。エロ本に「文化」。まさにこの時期のエルシーの面目躍如たるものがあるが、Sによれば、このコピーはアリス出版とのよきライバル関係の中で生まれたものだそうだ。

「あれはさ、当時アリスにいた亀和田(武)がね、自分が編集してた『劇画アリス』って雑誌で、表3(裏表紙のひとつ前)に自分の上半身ハダカの写真載っけて“エロ劇画界のジュリー”なんて言ってたりね(笑)、遊んでて面白かったよね。どこまでかっこよく滅茶苦茶やるか、競争があった。そのへんで俺の『もう書店では文化は買えない!』ってのも出たわけだけど、別に思想的にどうこうっていうんじゃないんだよね。とにかく面白いことがやりたかった。

このへんから妙な連中が出入りするようになったんだな。プールの監視員をやってた安田(邦也)とかさ、当時明大を出たばかりで、どこからみても快活な好青年でね。それがエロ本屋になって。あとブルースのミュージシャンやってた宇佐美とかね。いろんなのが来たけど、やはり驚いたのは日芸で『BEE-BEE』ってミニコミを作ってた佐内(順一郎=高杉弾)一派だね。

佐内の編集センスはなかなかのものでさ。でも特に、隅田川乱一の文章力には驚いた。刺激的だったよ。その後『BEE-BEE』は確か『本の雑誌』のミニコミコンテストで優勝するんだな。そういえばこの間『週刊朝日』で椎名誠が『本の雑誌』の思い出話を書いてたけど、出てきたね隅田川の名前が。椎名と、当時『本の雑誌』で編集してた群ようこ(エッセイスト)がさ、争うようにして読んでたっていうからね、隅田川の投書を。

佐内は確か俺がエルシーで仕事中にやってきたんだ。『お前のファンが来てるぞ』って誰かが呼びに来てさ。『可愛い女の子だ』ってかつがれて行ったら、それが佐内(笑)。どこが可愛い少女だって。それでミニコミ見せてもらって。横で明石が『どうだ、こいつ使えるか?』って聞くから、『使えるもなにも、一冊すぐに作らせる』って言ったんですよ。そしたら明石は『お前はすぐそんなこと言うからダメなんだ』って怒ったの。じゃあってんで、とりあえず俺がやってた雑誌の8ページだけまかせることにしたんだよ。そしたら……連中、いきなり、“乗っ取り宣言”するんだよ。『この雑誌は俺たちが乗っ取った!』って。なんなんだ(笑)…」

(以下次号・文中敬称略)

初出:『Quick Japan』14号(1997年6月)

 

小向一實とアリス出版

文・竹熊健太郎

9 70年代エロ本業界の風雲児・明石賢生(故人)と、謎の歌人にして小説家のSが始めた、自販機エロ本専門出版社・エルシー企画。そこに集う奇妙な人間群像の中でもとりわけ奇妙だったのか、高杉弾隅田川乱一を中心とした『JAM』グループである。二人は日大芸術学部の元学生で、隅田川は佐内が発行していたミニコミ『BEE-BEE』の常連ライターだった(隅田川については前号インタビュー参照)。

明石とSは彼らのミニコミを見て才能を認め、エルシーで発行していた雑誌内の8ページを任せることにした。ところが彼らは大胆にも「雑誌乗っ取り」を宣言、八木眞一郎・山崎春美近藤十四郎日芸時代の仲間を集め、編集部の意志もおかまいなく「狂気と冗談」満載のページ作りを始める。こうして母胎雑誌の『スキャンダル』は78年に『X-マガジン』と名を変え、エロ本界空前のアバンギャルド・マガジンが誕生するのである。

彼らの企画が当時としてはいかに破天荒だったか、『X-マガジン』の誌面からいくつか記事タイトルを抜粋してみよう。

  • 大麻取締法はナンセンスだ(ハシッシ、LSD、コーヒーを投与したクモの作った巣の写真を掲載。巣の形が一番乱れていたのは、なんとコーヒーだった)
  • 精神病院は気ちがいを作る場所だ
  • 山崎春美によるルー・リード、ドアーズ、シド・バレット等のドラッグソング訳詞集
  • 実験・笑いガス(本誌前号で部分掲載)
  • サラリーマンの解放と正常な文体について
  • 狂気の冗談企画・新宿サブナードを自転車で突っ走る!
  • 「電話帳」の書評
  • 組立付録・立体チンポ(このページのみ厚紙になっており、切り抜いてそのまま組立てることが可能)
  • 芸能人ゴミあさりシリーズ・かたせ梨乃の巻
  • ヒデヨシ鏡は狂気の今日・カタストロフィ理論に於けるヒデヨシ効果の特異点(八木真一郎による解釈不可能の学術論文)
  • おまんこ頭の狂詩曲(高杉弾による変態SF小説
  • 佐藤重臣(アングラ映画評論家)インタビュー

なんともはや、頭がクラクラする企画のオンパレードだ。

『X-マガジン』は翌号でさらに『JAM』と誌名変更するが、編集方針はますます過激になっていく。『JAM』創刊号では「爆弾企画第二弾」として山口百恵(当時)の自宅のゴミあさりを敢行、頭のおかしいファンの手紙から生理用品までグラビアで全面公開し、一介の自販機本である『JAM』の名を一躍全国に知らしめることとなった。しかし、どう考えてもこれはヤバい企画である(笑)。まあ個人的に百恵さんには同情を禁じ得ないか、よくも悪くも当時の自販機本業界のアナーキーなノリがよくわかる、代表的な記事だと言えるだろう。よく訴えられなかったものだが、当時、芸能界は百恵を含む多数の芸能人を巻き込んだ別件の下ネタ・スキャンダルで裁判闘争に揺れており、そのせいもあってか『JAM』は告訴を免れたという。

「とにかくあの頃芸能界はいろんなスキャンダルに揺れてたからね。本屋にも置いてない自販機本には手が回らなかったんだろう。なんでも聞くところによると百恵の事務所の社長が『JAM』を見てさ、『論外だ!』と叫んだきり、絶句したらしいよ。で、それっきり(笑)。訴えるにも値しないってやつじゃないの」(S・談)

『JAM』とその後身である『HEAVEN』の詳細については、第二部のインタビュー連載とダブる部分が出てくるのでこのくらいにしておく。またエルシー企画がこの後「ライバル」のアリス出版と合併した前後の経緯も、今号の安田邦也インタビューに譲ろう。

ここまで筆者はSの談話をもとに、エルシー企画を中心とした自販機業界の歴史を書いてきたが、ここで時計の針をひとまず巻き戻し、自販機界のもうひとりのキー・マンに登場していただこうと思う。その人物は、自販機出版の最大手として君臨していた、アリス出版初代社長・小向一實(ひとみ)である。

 

10 小向一實は1949年茨城県に生まれ、70年代初頭に獨協大学を卒業後、住宅雑誌を出している出版社に就職した。

「大学出て、一年くらいブラブラして、本当は入りたくなかったんだけど『マイハウス』っていう住宅雑誌の編集部に入ったんですよ。そしたら半年くらいしてからかな、俺を採用してくれた編集長が辞めるって言い出したんだよね。なんか、会社とトラブルがあったみたいでさ。

それで『じゃあ僕も辞めます』って言ったわけ。一応俺を世話してくれた編集長、佐野さんっていうんだけど、彼が辞めるっていうんだから、自分も辞めようかって。で、佐野さんが『辞めてどうするんだ』って聞いてきたから、何も考えてないって答えたら、『檸檬社っていう出版社があるから、そこ行かないか』って言われて。

檸檬社って漢字のレモンでしょ。梶井基次郎みたいでカッコいいじゃない。そうしたら『ポルノなんだが、それでもいい?』って(笑)。なんでもいいですって答えたら、四谷にある小汚いビルに連れて行かれて。見回すとエロ本がドカッと積んである。別にポルノなんてやる気なかったけど、まあいいやって入ったんですけどね。それが24くらいだったかな」

檸檬社はポルノ実話誌やエロ劇画誌を出す一方、インテリ向け性風俗雑誌の『風俗奇譚』、アングラ風サブカル誌『黒の手帖』など、一風変わった雑誌も発行していた。ここで小向は、檸檬社の社長から、編集技術のイロハをたたき込まれることになる。

「けっこういいかげんな動機で入った会社だったけど、なぜかそこの社長にえらく気に入られてさ。下平さんっていうんだけど、昔気質のベテランで、本当の意味でプロの編集者だった。昔の編集者って、構成からレイアウトから、なんでも出来なきゃならなかったわけ。そういう教育を一からやらされて。すごい勉強になったよね」

小向はまた檸檬社で一人の重要人物と出会った。学生運動崩れのその青年は、名を亀和田武と言った。後に小向が設立したアリス出版に参画、『劇画アリス』編集長として三流劇画ムーブメントを巻き起こし、退社後は小説家に転身、現在はテレビで司会やコメンテーターとしても活躍している、あの人物である。

「カメちゃん(亀和田のこと)は俺より後に入社してきた。一年半くらい後かな。あいつはべ平連(註・ベトナム戦争に反対する平和主義の市民団体。作家の小田実山口文憲、吉岡忍らが参加していた)に入ってた。で、俺は実話誌の編集をやってて、カメちゃんも最初は実話誌だったけど、マンガ好きだったからね、後に劇画をやるようになってさ」

 

11 昔気質の社長のもとで編集の仕事を覚え、亀和田武というよき同僚も得た小向だったが、入社して二年後、ひょんなことから会社を辞めるはめになる。

「実は俺たち組合作っちゃったのね(笑)。もちろんあの業界では初めて。なんでかっていうと、たまたま会社の近くに新聞社があって、そこが闘争入っちゃったのね。それで支援してくれって言われて。

本当は俺、運動とか嫌いなんだけどね。大学時代もそういうのは避けてた。学生運動なんて実は思想とあんまり関係ないしね。思想そのものはまだわかるんだよ。でも単なる学生がさ、学費値上げ反対だの学級封鎖だのって、何やってんのって全然ピンと来なかった。だから俺は終始セクトとは無縁で、そういう奴は学校に居づらいんだよ。今じゃ考えられないけど、8割、9割は運動やってたもんね。で、面倒くさくて学校にも行かなかった。

ところが、こっちは労働運動でしょう。学生とは違って生活かかってるわけだよ。悪いことじゃないでしょ。それで、まあ半分勢いもあって、ウチの会社でも組合作っちゃって。社長はもうビックリ。申し訳なくてさ。俺も世話になってるし、全然この人をやっつけてやろうなんて気じゃなかったから。……それで社長に会って『悪気はないんですけど』って言ったりして(笑)」

確かにエロ業界で労働組合とは前代未聞だったろう。しかし当時の業界は学生運動上がりの新入社員が多く、(小向自身はそうではなかったとはいえ)これもひとつの「時代のムード」というやつか。

また小向は、会社の仕事とは別にアルバイトを始めていた。たまたま知り合った菊池という人物から、グラフ誌(写真中心のエロ本)の編集を頼まれたのだ。この菊池なる人物、芸能プロダクションを経営するかたわら、後に自動販売機エロ本の流通の元締めとなる東京雑誌販売(東建)の社員でもあった。

「菊池さんが自分たちでもエロ本を作りたいって言うわけよ。でもノウハウがないんで、俺に声がかかった。それで檸檬社にいながらバイトで4、5冊作ったかな。いわゆるグラフ誌ね。64ページ、ヌード写真だけで構成するってやつ。あんなの簡単じゃない。写真貼り付けるだけだから、編集のへの字にもなんないような仕事だよ。

そのエロ本作ってたのが平和出版っていうんだ。これは東雑が作った会社でね、といっても編集はほとんど俺がやってんだけど。で、その半年後くらいに、今度は俺が金出してアリス出版作った。俺が27の時だから、76、7年あたりかな」

元・エルシー企画のSの話では、アリス出版は東雑出資による子会社で、東雑直営の編集部門とのことだったが…。

「ああ、それはSさんの勘違い。アリスは俺が金出して作った会社なんですよ。ただ、平和出版もアリスも最初は俺の個人事務所みたいなものだったから、外から見てたら、違いがわからなかったかもね。まあ実際、本は全部東雑に卸してたわけだから、その意味じゃ子会社みたいなものかもしれないけどさ(笑)。でも子会社かどうかなんて、考えたこともない。

ただ、俺、出版と言っても印刷まで含めてやる必要はないと思ってたわけ。そこが明石さんの始めたエルシー企画と違うところだね。そんなのでリスク負いたくなかったから、編集者だけ入れて純粋に制作だけでいいって言ったの。金のこと興味ないし。

まあ、そりゃ明石さんみたいに印刷まで請け負えば利幅は増えるよ。でも、そのかわり煩雑なことしなきゃいけないわけでしよ。俺は一切そういうこと興味ないし、営業なんてやったことないしさ。だから東雑に対しては、一冊いくらで編集費だけもらえばいいって言ったの」

 

12 ところで檸檬社を辞めてまで、自分の会社を起こす気になったのはなぜだろうか。小向は、ひとえに自販機で雑誌を流通させるシステムに惹かれたからだと言う。

「俺は檸檬社でエロ実話誌を作ってたわけだけど、通常の実話誌ってのがすごく嫌だったわけ。だって一応東日販(東販〈現・トーハン〉・日販=書籍雑誌の流通を担う大手の取次)通してるのに、まず普通の本屋じゃ見かけないわけじゃん。どこの本屋に置いてあるのって話でさ。そんなの組合やってるとわかるわけよ。経理の流れとか本の流れとか。

東日販もさ、おそらく流してないわけ。ただとりあえず流す形だけとって、それでゾッキ本(正規の流通ルートを通さず格安で扱われる本)として、そういうのを扱う特殊な場所に流すわけね。普通の書店に流れないんだもん、そんな本作ってても何のパブリック性もないし。そりゃ内容はひどかったけどね(笑)。だって表現は全然自由じゃないわけでしょ。倫理規定がどうしたとか考えながらエロ本作っても面白くないよ(引用者注:当時存在した雑誌倫理研究会〈雑倫〉の自主規制で書店流通のエロ本には警察官やセーラー服を出すことが当時は固く禁じられるなど表現は制約されていた。一方で特殊な流通経路を持つ自販機本は雑倫や取次会社を通さずに済み、それを武器に売り上げを伸ばしていった)。

そのてん自販機ってのは、取次も書店も通さない唯一のルートだから、そこが魅力だった。自分たちの、俺なんかの感覚で全部できるからね

当初は小向の個人事務所として発足したアリス出版だったが、しばらくして檸檬社から亀和田武を呼び入れ、二人でエロ本を制作し、それを東雑が全国の自動販売機に流すというシステムで、実質的なスタートを切ることになる。

「アリスは最初、俺一人でスタートした。できるよ、あれくらい。そんなに雑誌数も多くなかったし、自分で写真も撮れるからね。最初はカメラマンなんて使わなかった。事務の女の子を一人入れて、それで半年くらい経って呼んだのかな、カメちゃんをね。で、俺らの作った自販機本が売れ始めてさ、東雑もこれで利益が上がると踏んだから、どんどん出版点数を増やそうってことになって」

アリス設立とほぼ同時期に(実際には少し遅れたようだが)明石賢生のエルシー企画もスタートする。この二社の違いは、先にも述べたように、エルシーが印刷まで請け負う「出版社」であるのに比べ、アリスは純粋に雑誌制作のみを請け負う編集プロダクションだと言うことである。営業出身の明石と編集出身の小向との資質の差が会社の形態に表れていて面白い

 

13 要するに小向は生粋のクリエイターなのであり、純粋に本を作ること以外、関心がないのである。ゆえにアリス出版は、旧態依然としたエロ本屋が思いもつかないユニークな本を作り出すことができたとも言える。明石のエルシー企画も、アリスをライバル視しながらも、当初は小向路線のエロ本に多大な影響を受けていた。

小向たちが主に手がけたのは写真中心のグラフ誌である。それまでもグラフ誌はあったが、単にモデルのヌードを適当にレイアウトしただけの「オナニー実用写真集」に過ぎなかった。これに対して小向アリスが行った最大の革命は、エロ写真を組み合わせてストーリーを作るという、「ドラマ性」を大胆に導入したことだった。ある意味でこれは80年代のポルノ・ビデオを先取りしたとも言える

「写真でストーリーを作っていくってのは、俺が考えたんだ。それ以前の実話誌の写真ってヒドかったじゃない。女のハダカを見せるってことに全然リアリティがない。突然脱がして、とかやってたわけでしょ。

俺も別にドラマがやりたいとかじゃないんだよ。そうじゃなくて、センズリする時って、誰でもある程度ドラマを組み立ててるわけでしょ。だから、そういう手法って当然有効なわけじゃない?」

アリス出版のドラマ路線は爆発的なヒットを飛ばし、制作費を投入した歴史エロ超大作『日本売春史』や、職権乱用の警官が容疑者女性をレイプする『濡れた警棒』シリーズ、鬼才・豊田薫のアングラ風エロ本『生娘飼育』(ウサギを飼育する変態男がいきずりの女性を拉致監禁して飼育する)など、名作を次々に生み出していった。

一方のエルシー企画も、スカトロ物のハシリでもある『女子便所』シリーズや、徹底して即物性を追求した『局部アップ』シリーズなどで新境地を開拓していく。

「社員にも、ちゃんと撮影前にはコンテ立てさせてさ、流れを作らせて、それで3ページに1回はちゃんとヌケる写真を載せさせる。だってエロ本なんだから。それはプ口だから当然だよ。俺、それはすごくうるさく言ってたからね」

 

14 アリス出版は順調に業績を伸ばし、社員も20名を抱えるまでに成長していた。そんなある日、小向は社員を前に驚くべき発表をする。なんと、「ライバル」会社のエルシー企画と合併するというのである。新生アリスは社長が小向、副社長が明石という布陣であった。業界があっと驚いた。79年のことである。

「当時、俺が考えてたのはとにかく(エロ本の)量を出す、ということ。点数出さなきゃ世間も認知しないし、話にならない。量は思想なのよ。それで、単にエロ本だけじゃなくて劇画誌とか、それこそ『JAM』みたいなものとか、いろいろあっていいと思ってたわけね。

たくさん雑誌があって、同じようなものだったら面白くないじゃん。それこそ天皇に石投げた男に取材して記事書いた奴もいるしさ、皆好きなことやってOKだったから。それもひっくるめて量を出そうと思ってたからね、こっちは。自販機がひとつの書店になればいいと。自主流通で夜中に好きな物買える、ってね

それで明石さんに話を持ちかけて、エルシーとの合併になったわけ。別に相手がライバルだとか、勢力的にどうこうとか、俺の中には全然なかった。単純に、合併してもっと良い会社にしたかっただけなの。

ちょうどその頃、池袋のサンシャイン前が出来たのよ。どうせなら新生アリスのオフィスをサンシャインに構えたかったんだけど、エロ本屋だと分かったとたんに断られちゃった(笑)。それでまあ、サンシャイン通りにあるビルに入ったんだけどね。経理もちゃんと銀行から来た人を入れて、会社としてキチンとシステム作って、で、現場は明石さんに任せて俺は引っ込んだの。自分から。だってね、エルシーの人たちが自分らは吸収されたと誤解してるからさ。俺は全然そんな意識ないけど、まあ、そう思われるのも困るから、現場は全部明石さんや若いのに任せることにしたわけ。

ああ、そうそう。『合併して東雑に対する発言力を増す』って意識も現場にはあったよ。東雑は自販機流通を一手に仕切ってたわけだけど、だんだん制作にも口を出すようになってたからね。何も知らない営業のあんちゃんが雑誌に文句言うってんで、不満を抱く編集者もいた。でも俺はね、それもいいだろうと思ってた。だって自販機本なんて読者の声が届かないメディアだから。そういうことってすごい勉強になるはずなのね。どこの世界でも自分らの仕事がストレートに批判されるってのは、絶対勉強になるはずなんだ。

それに東雑が問題にするのはあくまでも表紙についてなわけ。そうでしょ、自販機本って売れる売れないは表紙とタイトルで決まるわけだからさ。だからそのくらいは聞いてやってもいいじゃないかと。表紙の批判なんていくらでも聞いて、中身で好きなことすればいいんだよ。どうせ連中、そこまでは気にしないんだから(笑)

 

15 アリスとエルシーが合併した「新生・アリス出版」は、文字通りの業界最大手出版社となった。だが、小向の思惑に反して、現場にギクシャクしたムードも流れてしまったという。

「まあ、合併しても現場サイドではいつまでも俺はエルシー派だ、俺はアリス派だって言ってるわけじゃん。そういうの嫌だからカメちゃんか出ていったの。いてもしょうがないからって。俺はまあ、社長としての責任があるから残ったけどさ」

そうこうするうちに、旧・エルシー組か明石を中心に退社し、別会社を作るという情報が流れた。これは結局事実となり、それが群雄社となるのである。しかし元・エルシー系社員の証言によると、これは別に小向やアリスに問題があるのではなく、あくまでも東雑との関係によるものだという。

実はこの頃、明石は自販機本とは別に、一般の取次に乗せる出版を計画しており、高田馬場にそのための事務所を借りていた。これが東雑サイドに「クーデター」と誤解され、怒った明石が旧・エルシー社員とアリス社員の一部を連れて、本当に独立してしまったというものだ。わずか一年に満たずして合併アリスは分裂してしまった。

「明石さんが出ていくって言うから、ああいいですよって言ったの。他にも行きたい奴がいれば好きに行きなさいって。残りたい奴は残ればいいしってさ。俺、そういうのはこだわらないからね。明石さんとも、その後も仲のいい友達だったし」

ところが、その直後のことである。今度は小向が警察に逮捕されるという事件が起こった。社員の作った雑誌で18歳未満のモデルを使っていたことが判明し、小向に児童福祉法違反の疑いがかけられたのだ。

「誰かが未成年のモデル使っちゃってさ。だいたい年齢なんかいちいちチェックしてるわけじゃないしね。それで事情聴取されて。もちろん責任は社長の俺にありますよ。あれだけの人数で毎月たくさんの本作ってて、俺も一々チェックできるものじゃないけど、でも最終的な責任は全部俺だからね。それで俺、会社を辞めることにしたわけ」

 

16 「まあね、俺、もともとポルノに興味はなかったの。自販機本っていう流通メディアには興味あったけどね。自主流通だからね、そりゃ魅力ありますよ。

でね、退社してすぐに俺、アメリカに行ったの。アメリカでポルノやってるトップの連中と話したかったのよ。こいつら何考えて作ってるんだってことを確かめたかった。俺、興味ないって言ってもさ、ポルノやってたわけじゃない。それで世界のトップに会って話して、自分にオトシマエつけようと思って。それで、そいつらと話したら……凄かったね。やっぱり奴ら命張ってるわけよ。ホントに好きっていうか、使命感があって

あちらのポルノって青少年向けじゃないの。老人向け。老人に対する一種の回春剤としてのポルノ。それで日本じゃ考えられないようなすごく過激なものを出してる。しかも一生の仕事としての誇りを持ってるの。ああ、これはかなわないと。とてもじゃないけど、俺はポルノを一生の仕事だと思えないなと。それで、スパッと心が整理できたんだ。ポルノから引退する決意が固まったんだよ

こうして自販機業界から小向一貴の名前は消えた。1980年。33歳だった。では、それからの彼はどうしたのか? 人生をやり直す決意を固めた小向は、なんと、陶芸家を志したのである。備前焼に惹かれた彼は、岡山で土地を探し、そこに窯を作って、まったくの独学で陶器を作り始めたという。そして17年……今や気鋭の陶芸家として、全国で個展を開く多忙な毎日を送っているのだ。

お茶の水の画廊で開かれた小向一實の個展会場で、このインタビューは行われた。

「当時を振り返って、あの頃やってきたことをどう思いますか?」という筆者のありふれた最後の質問に、彼は目を輝かせ、こう答えた。

そりゃ楽しかったよ。一番楽しかったよ。だって好きなことができたんだもん。当時の仲間も、皆そう言うと思うよ

(以下次号・文中敬称略)

初出:『Quick Japan』15号(1997年8月)

 

群雄社設立とビニール本の時代(1980~1981)

文・但馬オサム

17 自販機本業界最大手のアリス出版(小向一實社長)に明石賢生率いるエルシー企画が合体した合併アリス路線は、わずか一年で瓦解。明石は旧エルシー勢の大多数とアリスから参加の何人かを伴って独立、高田馬場に新会社・群雄社の看板を掲げ、『HEAVEN』もまた群雄社とともにアリスをあとにする。

時は‘80年夏。山口百恵が結婚し松田聖子がデビューしたこの年、街の雑踏はインベーダー・ゲームのピコピコ音と「ノーパン喫茶」の呼び込みのダミ声にリミックスされ、テレビのスイッチを入れると漫才ならぬMANAZAI師たちが、今となってはどこを笑っていいのかわからないギャグを連発していた。そうそうテクノ・ポップが登場したのもこのころだ。そしてこの年の暮れにはジョン・レノンが射殺されている。時代は季節の替わり目を迎え、どことなく混沌としていた。隆盛を誇った自販機本業界にもまた秋風が吹き始めていた。

自治体などの悪書追放の波にさらされ、エロ本自動販売機は設置場所を年々減少、当然それは雑誌の売れ行きにはねかえって来る。追い打ちをかけるように過激な露出を売りにしたビニール本が登場、標準小売価格2000円(自販機本一冊の2~4倍の値段)だったにもかかわらず、取次系・自販機系に次ぐエロ本の第三勢力として、またたく間に両者を圧倒して行った

パンティの股布を外して一重にし、さらに霧吹きやローションでヘアーや局部をうっすら浮かび上がらせるビニ本独特の手法は、当時としては、限りなく“そのものズバリ”に近かったし、ビニール袋に入っているため、買うまで中身が見えないことが購買者の期待感をいやが上にも煽った。まあこれは自販機本も同じなのだが、少なくとも中を開けるとわけのわからない数式が並んでいたり、ベニテングダケでラリった編集者がコックリさんをしていたりすることはなかった。多少の当たりハズレがあるにせよ、即物的に性欲を処理したい読者にはリスクの少ない買い物といえよう

前年、都内では喫茶店やコインランドリーがこぞってインベーダー・ゲーム屋へ商売変えしたが、口コミでビニ本ブームが広がると今度はそのインベーダー屋がいっせいにビニ本屋に看板変えする現象が起こる。そして、ビニ本のメッカと言われたのがエロ本屋さんが建ち並ぶ新宿歌舞伎町、それに大型専門店・芳賀書店がある神田・神保町であった。わざわざ地方から買いにくる好事家もあとを経たず、芳賀書店が「はとバス」のコースに指定されるなんていうウワサが、まことしやかに流れたりもした。さて、明石は独立した時点で、一般書籍、一般雑誌を見据えていたようだ。自販機という新しい流通形態を利用した出版革命を目指しながら、果たせぬままアリス出版をあとにした明石にとって、次なる目標はメジャーの土壌で堂々勝負することであった。

とはいえ、当座の主力商品はやはりエロ本。相変わらず自販機本も作っていたし『HEAVEN』も続投していたが、ビニ本の台頭にも当然注視せざるを得なかった。

「これからはビニ本だ! ビニ本を作れ」

という明石の号令のもと、群雄社ビニ本戦線に名乗りを上げるのである。

そのために「薔薇書房」(後に群雄新社)というレーベルを会社内に設立する。「群雄社」という社名をあえて使わなかったのは、後に取次に参加するときのブランド・イメージを配慮したもの。この薔薇書房セクションでビニ本を担当していたのが、この連載に際して多くの資料を提供してくれた宇佐美源一郎氏と旧アリスから群雄社に参加したF氏である。

F氏についてはロング・インタビューを現在お願いしているところだが、とりあえずここでは“F氏”とイニシャルで呼ばせていただくことにする。

 

18 当時、ビニ本といえば、まだスケパンを用いた女の子の単体モノ(格みナシ)が主流で、絡みはあってもソフトなものだった。そのほかにSMモノがチョポチョボとあるくらいで、粗製濫造のブームの中でバリエーション的には既に枯渇状態と言ってよかった。

そこに登場した群雄社ビニ本はどこよりも異彩を放っていた。いや、はっきり言ってヘン! の一言につきたのである。

例えば、『日本の股ぐら』。これは日本全国の名所旧跡で女の子が放尿するという豪華版。透明の塩ビ板にモデルを乗せオシッコをするのを下から撮る。湯気や水面の揺らぎが天然のボカシになり、その向こう側に名古屋城金のシャチホコがソフトフォーカスで写りこむ。そんなカットばかりで構成されたバカバカしいまでの労作だ。

明石の盟友にして謎の歌人S氏は、群雄社ビニ本を振り返りこう語る。

「まあ、そういう方向へどんどん行くわけよ。神戸駅のホームでオシッコ撮ったりね。エロを文学的に解釈して、何かこう文芸路線に走るヤツっていうのは、往々にいたりするけど、あの二人はまったくそういうところがなかったね。要するに武勇伝しかやらないわけですよ。Fがね、最初に作った(自販機)グラフ誌、『痴漢電車』ていうんだけど、これということがあいつの挑戦なわけで、困難な場所と状況でどれだけやれるかってことに意義があるんだ。そこいらへんが元・左翼らしいと言えば言えるんだけど(笑)でも、それと本の出来とは別の次元の話でしょ? 出来上がった本を前にして、『しかし、この本は……何なんだよ?』って聞くと、『スゴかったんすよー、この現場は』ってまた武勇伝が始まる(笑)。

それでもまあ、このコンビでバンバン、エロ本出して、これが実際売れる。めちゃくちゃに売れたんだ」。

オシッコ本自体は合併アリス時代から、明石賢生のアイデアで「女子便所」シリーズとして存在していた。

当時、SM専門誌でも放尿場面が写真で表現されることはまずなかった。そんなものを見たがるヤツは極一部の超変態マニアと信じられていたのである。そのキワモノ中のキワモノのエロ本が予想外のヒットを記録したわけだ。その意味で明石は名プロデューサーであったと言えよう。その後、同シリーズはビニ本、ビデオ(VIPエンタープライズ)へと受け継がれ、群雄社=スカトロ物というイメージをエロ業界に確立(?)して行った。『週刊文春』80年11月27日号が薔薇書房『女子便所」シリーズ撮影現場をルポしている。少し引用してみよう。

「スタジオに借りているマンションの一室。机が三十センチくらい間をあけて、二つ並べられている。その上に、少女っぽい顔をした女の子がまたがる。(中略)彼女のヒップの下に、和式トイレを型取った穴のあいた黒いボール紙が敷かれる。これは断じて和式でなくてはいけない。洋式では淫靡さが出ないそうだ。

さて、机の下には、四人ものカメラマンが、カメラをかまえ上をのぞいている。顔には四人ともビニール袋をかむって。

おわかりであろうが、女のコがオシッコするシーンを、下から撮るのである。そのためいくら顔に飛び散ってもいいように、ビニール袋をかぶっているのである」

なぜカメラマンが四人も必要かといえば、一度排尿すると次の尿意がくるまでに時間が空く。しかも一度の排尿に要する時間はせいぜい30秒弱。そのわずかなシャッター・チャンスを数台のカメラで押さえるためなのだ。まさに“やることに意義がある”と言わんばかりの現場風景である。

ビニ本群雄社の経済的な礎を築いた宇佐美氏とF氏はその後独立、編集プロダクションを設立するが、彼らが残したスカトロ路線と“やるだけ”精神は良きにつけ悪しきにつれ群雄社のエロ本に影響を落として行く。

金閣寺のプラモデルを燃やし、それをモデルがオシッコで消火する『金閣寺炎上』、最後の晩餐よろしく編集者どもが一列に並んだテーブルの上で、女の子が大皿に盛られたスパゲッティに脱糞する『スカトロ定食』、そしてインパクトだけはやたらあった『人間便器』シリーズなど、ブーム末期のビニ本には、わざとハズしとんのか! と叫びたくなるほどに横滑りのヤケクソ・パワーが全開していたものだ

 

19  1980年11月、アリス出版社長・小向一實が児童福祉法違反で逮捕される。未成年者をモデルに使用したためだ。このへんの経緯は前号で小向の口から語られているが、彼の名誉のために繰り返しておくと、モデルの年齢は自己申告を信用するしかなく、現場スタッフは誰ひとり彼女が未成年であるとは知らなかった。だがこういう場合、罰せられるのは虚偽の申告をしたモデルではなく、そのモデルを使った側だ。つまり、警察にとって一番摘発しやすいケースというわけだ。S氏もこう証言する。

「あれは(小向氏が)気の毒だったよ。確か姉妹のモデルで、モデル事務所は19と20歳と言って連れて来たはずだよ。実際は14と16だったんだ。警察としてはその事務所を挙げたかったんだな。それで小向を呼んで、『そういうわけだから調書に協力してくれ』と。で、調書を取ったら、そのままガチャンだよ。協力したのにね」

小向はこれを機にアリス出版社長の座を降り第二の人生を模索する。アリスは新体制で再スタートするわけだが、自販機業界の傑物の退陣は、自販機本の黄昏をどこか象徴していているようでもあった。

 

20 明けて81年、『HEAVEN』は2月号をもって編集長を交代。初代編集長・高杉弾は事実上、雑誌の編集から姿を消す。

群雄社の自販機本は撮影に経費のかかるグラフ誌がラインナップから外れ、『フォトジェニカ』『ガールハンター』など読み物主体の実話誌系が主軸になる。グラビア部分はすべてビニ本からの流用。明らかに製作費は切り詰められていた。

同時に、この年をビニール本ブームのピークと見る関係者も多い。

当初は20社程度だったビニ本系出版社は、前年の暮れには大小あわせて50社に増え、一挙に過当競争の時代に入る。当然、警察当局もビニ本の攻勢に歯止めを掛けるべく摘発に乗り出して来る。先にも言ったように、児童福祉法で挙げるのが手っ取り早いわけだが、そうもいかない場合はストレートに猥褻でもって行く。「陰毛も性器の一部である」という見解をそれまで以上に全面に打ち出し、わずかでも毛が見える場合は即検挙の姿勢を見せ始めた。

対するビニ本業者は「ならば、毛を剃っちまえ」ということで、下半身ツルツルのモデルのニッコリ顔がビニ本屋に並ぶという奇妙な光景が生まれた

こういった当局への対応やエクスキューズに関しては、当時のエロ本屋は実にしたたかだった。パンティ一枚でも履いていればOKということで生み出されたスケパンが、いつの間にか霧のように薄い化繊の布にとって代わり、割れ目一本隠せば大丈夫と見れば、その部分に伸ばしたガムをペタリと張り付けて平然としていた。中には、コンドームを二枚重ねれば修正がいらないと言い張って堂々と男性器を晒していた剛の者(会社)もいた。

むろん、業者ではまかり通る屁理屈も当局には通用するわけもない。

そして同年2月、群雄社社長・明石賢生が猥褻図画販売で逮捕されるのである。

 

21 通常このテの逮捕は早朝行われる。被疑者が確実に家にいる時間であり、また起きぬけはとっさの行動が取りにくく、逃亡や証拠隠滅の心配が少ないためであると言われている。明石宅の他、高田馬場群雄社本社にもほぼ同時に家宅捜査が入ったが、朝ということもあって、徹夜明けでソファに寝ていた編集者が一人二人いただけで大きな騒ぎにはならなかった。ただガサ入れの一部始終を同行のテレビカメラが収めており、逮捕が事前に予定されていたもので、見せしめの意味が濃厚であったことを物語っていた。

当時、S氏はアリス出版を辞めフリーになっていた。むろん明石の逮捕はその耳にも届いていた。裁判中の明石と再会したのは、とある雀荘だったという。

「俺の顔を見るなり『明日で裁判もいよいよ最後だ』って言うわけ。見るとサドとかチャタレイとかいっぱい本を抱えているんだ。まあどれも猥褻裁判になった本だけど。

猥褻図書の裁判なんて、被告人は応答と最後くらいしか出る幕ないんだよね。で、その最後の質疑応答のための原稿を書いてる最中なんだと。その資料というわけだ。

というのもね、明石は“猥褻なぜ悪い”という姿勢で裁判闘争したかったわけなんだ。でもそんなことで裁判が長引いて、おまけに刑が重くなっても損だから、非を認めちゃったんだな。

そのころ、東京地裁は一連のビニ本摘発で猥褻裁判のラッシュだったんだよ。当然、顔見知りの同業と廊下で話したりするでしよ。そうしたらさ、全部量刑は一緒なんだって。謝まっても逆らっても一律で懲役二年執行猶予三年。

『謝まってバカみたよ』っていうわけなんだ。それで、どうしても最後に一言言ってやりたい、そのための原稿なんだと。

そんなこと言いながらね、結局あいつが俺の代わりに雀卓囲んでんの。その横で俺が一生懸命にヤツの裁判のための原稿書いてるんだよ(笑)。

まあ自分で言うのも何だけど、けっこう傑作でね。一応謝ってるわけだから、声高に“猥褻とは何ぞや”なんて言うわけにもいかない。そこいらへんを湾曲に、格調高く書くのに苦労したわけよ」。

そして裁判。シーンと静まり返った法廷に被告人・明石賢生の声が高々と響く。

「『美は乱調にあり、諧調は偽りである』……最後に、私の好きなこの言葉を意見陳述の代わりとさせて戴きます!」。

再びS氏──。

「実はあれ、アナーキスト大杉栄の言葉なんだけどね。まあ、さすがの裁判官も面食らっていたよ。弁護士には大ウケだったけどね。

明石がさ、あの通る声で朗々と読むじゃない。俺も傍聴席で聞いてて自分の原稿に涙が出ちゃったもんな(笑)。

何というかね、どうせ結果は決まってるんだから、なら裁判で遊んじゃえ、っていうか。当時の明石には、そんなところもあったね」。

(以下次号)

初出:『Quick Japan』16号(1997年10月)

 

群雄社メジャー路線の野望と挫折(1982~1983)

文・但馬オサム

22 2号続けての休載で「エロ本三国志」も約半年ぶりということになる。そして今回が最終回。むろん、竹熊・但馬による当時の関係者への取材は続行中である。いずれ単行本という形で完全版『天国棧敷の人々』をお贈りできると思う(さて、いつになるやら)。

アリス出版から独立した明石賢生一派は、高田馬場群雄社を旗揚げ、当時隆盛を誇っていたビニール本の製作に乗り出し、一連のスカトロ物でヒット作を連発するも、猥褻図画販売で明石社長は逮捕。群雄社は失速を余儀なくされたが……と、ここまでが前回のあらまし。

さて、舞台は一転、高田馬場から神保町に移る。出版の総本山・神田神保町への移転は、取次ぎ系の一般書籍雑誌の出版を、という明石の意思表示でもあった。エロ本というカウンター文化のフィールドでチャンピオンになりそこなった男にとって、次なる目標はメジャーの出版界で一矢報いることだった。くしくも、神保町の事務所ビルの窓からは、屋上が百科事典の形をした小学館ビルが見えた。このロケーションを明石は大いに気に入っていたという。

前代未聞の豪華本『陽炎座』は、一般書籍進出のためのノロシの意味もあったようだ。筆者(但馬)が群雄社に出入りし、そのままいつくように編集見習いのようなことをやり始めるのは、このころだ。この半年ほど前には竹熊がアリス出版で編集者生活をスタートさせていた。ここでようやく筆者たちの目で見た群雄社なり自販機本業界なりを語ることができるわけだ。とはいえ、われわれにしても明石社長と対等に話ができる立場ではなく、あくまで身近に見た印象にとどまることをお断りしておく。

まだ小僧の筆者だったが、明石が取次ぎ(東販、日販)傘下に入るために奔走していたのはよく覚えている。東販、日販の二大取次ぎ会社が書店流通のほぼ100パーセントを握っていると言って等しく、あの『噂の真相』ですら取次ぎがらみのスキャンダルは書き飛ばせないという出版界の伏魔殿でもある。最終的に明石がどんなハッタリをかましたのかはわからないが、ある日、「おう、出版コード取れたぞ」と言いながら会社に戻ってきたときの明石社長のうれしそうな表情が、それまでの辛苦を物語っていたように思う。

でも、本当に札束の風呂敷と『陽炎座』をもって天下の東日版に乗り込んだのだろうか? 明石伝説はつきない。

かくして、群雄社は書籍出版に積極的に乗り出す。というよりも、手当たり次第に弾を乱射していたというほうが正しいか。

群雄社の単行本ラインナップの一部を見てみよう。

『ひと皮むける本』(増田豊監修による包茎手術ガイド)

『ブルータスの診察室』(SMクラブの女王の変態観察日記)

薬師丸ひろ子が好きっ』(タレントの一切出て来ないタレント本)

『ザ・ブロマイド』(吉永小百合からピンクレディまで、ブロマイドに見るアイドル史)

『ニューヨーク・カルチャー・マップ』(NYの最先端カルチャーを紹介。現地に長期取材した贅沢本)

『俗物図鑑の本』(筒井康隆原作の映画の記念本だが、中身の大半は意味不明のコラージュ)『群雄のエロビクス』(なぜか但馬のヌードが扉のエアロビクス・ブーム便乗エロ本)

『モーテル・ラブ・ガイド』(空撮まで駆使した関東近県のモーテル・ガイドなれど、「本の地図どおり車で行ったら森だった」など苦情多数)

『こども国憲章』(小学生の自由作文を一冊の本に)

『群雄の色単』(竹熊、友成純一編集によるエロ単語集)

『恐怖のAIDS』(エイズ・ショックに便乗し、急遽デッチあげた私の友人がエイズに!告白本)

ざっと見ると、商売上手堅いエロネタ系を別にすれば、実に脈絡のないラインナップ。まあ、これが群雄社の体質といっていいか。編集者が好き勝手に企画を出し好き勝手に作っていた、と言ってしまうと語弊もあるが、実際どんな企画でも一応は通るという恐ろしい会社だった。そればかりか、企画会議にも出ず、社長も営業も知らないうちに印刷が済みドヤドヤと本の束が運び込まれるという信じられない光景さえあったのだ!

その本は“親のいない子”ということで、仲間うちでは“私生児本”の愛称で長く親しまれていた。

むろんすべてが編集者主体というわけでなく、営業戦略上、上のほうから押し付けられる企画もあった。こういった企画のほとんどは、“ヒスイの骨壺”セールスマン森氏(営業)の頭脳から誕生するのである。中でも『恐怖のAIDS』など、今考えると出版倫理、いや人権問題にかかわるようなスゴい内容の本だ。もっとも当時、日本人の大半はエイズ対岸の火事ぐらいにしか認識していなかったが。

 

23 木村昭二氏、通称“昭ちゃん”は近藤オム氏の紹介で『ヘヴン』を手伝うようになり、のちに森氏の下で営業部員を務めた人物である。営業というポジションから見た群雄社を語ってもらった。

 

──当時、営業というと昭ちゃんともうひとり石井さんて人がいたよね。

「ああ、あの人は一時的な助っ人だったんだ。本当は」

 

──酒癖の悪い人で酔いつぶれると石になっちゃう人。あの人だよ、会社の金持って水戸行くはずが寝過ごして仙台まで行っちゃって、そのまま二日間雲隠れしたのは。会社じゃ失踪したんじゃないかって大騒ぎになって。

「うふふ。金がなくなると石井さんが『出張に行こう』って言い出すんだ。正月前とお盆のころ、年に二回金がなくなってね。『元取ってくればいいんだから』と言って、地方行ってガンガン注文取ってくる、ビニ本の。まあ、夏と冬に地方行って群雄社を広めようと布教活動してくるわけよ」

 

──会社のアゴ足付きでね(笑)。うまいもの食べて。

「たいてい石井はいいとこ行ってたよね。冬は九州だし、それで俺に“キミは北海道巡って来て”(笑)』

 

──群雄社後期の書籍に関して聞きたいんだけど、書店の反応がよかった本はどれ?

「『ザ・ブロマイド』はよかったかな。ああいう、(読者の)対象のはっきりした本は売りやすいんだよ」

 

──逆に、一番悪かった本は? ぱっと浮かぶので言えば。

「一番悪い……大体10冊あれば9冊はひどかったね(笑)」

 

──例えば『薬師丸ひろ子』とか、どう営業かけるわけ。

「あんなのは、なすがままよ(笑)。『エロビクス』は取次ぎから大量注文が来たんだ。エアロビクスと間違えて(笑)」

 

──(金田)トメさんが編集した『こども国憲章』ってあったでしょ。子供の作文を集めた、わりと真面目な本。あれが評判よかったんで森さんが、“人類は皆兄弟”のS・Rの子供の作文集出せ! って言ったそうじゃない? なんでもSが2号さんに産ませた子がいてね、その子の本だせば、S先生が全部買い取ってくれるはずだからって。

「俺が知っているのはね、『こども国憲章』の中にさ、新潟の小学生の“尊敬する田中○栄せんせい”みたいな作文があって、で、森から“とりあえず田中○栄の事務所へ行け”と。向こう行ったら封筒渡されたんだけど、多分あれ小切手だったんじゃないかな。だから大量に買い取ったって形跡はある。

 

──ヨッシャって(笑)。『こども国』は新潟県では小学生の副読本になってるかもしれない(笑)。でも森さんていう人は、そういう商売の嗅覚はすごいね。山師的というか。

「いや、だから俺は中身見たわけじゃないから。ただ“話はもうついとるから、貰うもん貰ってくればええんや”って」

 

──エロ本も子供の作文も営業の仕方は変わらない?

「うん。“うちも路線変更しまして、児童書のコーナーにも置ける本作りました”って。ついでに“こちらの『色単』も置いてください”って具合。『陽炎座』はよく持っていったよ、会社の宣伝用に。うちはこんな本も出しております! って本を開いてチラッ見せる。チラッとだけ(笑)」

 

──末期では『恐怖のAIDS』。背に腹は替えられないというか、出版人としての魂を売り渡しちゃったというか(笑)。

「でも『AIDS』は紀伊国屋から300冊注文あったんだ。“エイズ、今流行りだよねー”とか言われてさ。普通5、6冊でしょ。紀伊国屋群雄社にはよくしてくれたよ」

 

──でも、そのあとでドドッと返本でしょ。どんな気持ち?

「明石に見せないようにしてたね。返本の山を」

 

──やっぱりガックリくるもんね。でもさ、それこそ営業の方から“もっと売れる企画出せ”とかプッシュすることはなかった? 出版社ってどこも一番口出しするのが営業でしよ。

「そんな余裕はないよ、忙しくて。だいたい群雄社の営業の扱いってゴミ処理みたいなアレがあったから(笑)。だって、誰も“こんな営業をして欲しい”とかの戦略なしに、皆“作りてえ本作ってんだよ!”みたいな感じじゃない? 俺はもう満足しちゃったから、売ってきてよ、って。こっちは本見て頭抱えるけど。止められないよ、走ってるヤツは」

 

24 一般書籍を出しながら、群雄社では自販機本やビニ本も相変わらず製作している。一時のブームは去ったとはいえ、ビニ本はまだまだ商売になった。その金が見込みのない単行本にどんどん流れていく。エロ本班の中には、会社の方向性に不満を口にする人がいたのも確かだ。

そんなおり聞こえてきた「アリス出版解散」のニュースは、アングラ・エロ本時代の終焉を告げていた。

書籍の次に明石が目指していたのは一般誌である。83年初夏、群雄社はニューメディア・マガジン『マザー』創刊に向けて、にわかにあわただしくなっていた。

筆者の印象では明石自身が陣頭指揮に立って新雑誌創刊に乗り出した観があったが、木村氏の話では、必ずしも大乗り気で、ということではなかったらしい。

「先に映像部門(VIP)作っちゃったでしょ。それに連動しなきゃいけないってことで、見切り発車的に始めたんだ」

確かに時期尚早だった。準備期間もあまりなかった。

マルチ・メディア時代を先取りしていたといえば聞こえはいいが、ビデオ・デッキすら贅沢品だった当時、CATVだのキャプテン・システムだのの講釈は、一般読者にとってはあまりピンとこないネタだったかもしれない。

創刊号の特集は翌年(84年)に復活を控えた「ゴジラ」。だがゴジラの写真が使えたのは表紙だけ。付録のイラスト・ポスターで「ゴジラ」のロゴが鏡文字になっているのは、版権のがれの苦肉の策だった。現在の東宝なら、これさえクレームものだろう。もうひとつの付録、5センチ盤のソノシートのほうは「小さ過ぎてオート・アームのプレイヤーではかからない」と読者には不評で、おまけに朝日ソノラマからは「ソノシートはウチの登録商標だ」と抗議の電話まで頂戴することになり、毎号予定のこのオマケは1号だけで姿を消した。シートの中身は、たこ八郎の酔っ払った肉声である。

メディア・ミックスも展開され、イメージ・ビデオ「マザー・レーベル」が制作された。監督は相米慎二群雄社が大枚はたいてナベプロから招いたタレントは水野きみ子、早坂あきよという同社のお荷物アイドルたちだった。内容はというと“脱ぎのない宇宙企画”といった感じ(わかる?)。走り出していた。そう、誰にも止められなかった。

『マザー』創刊店頭キャンペーンが神保町の三省堂で行われた。MAZARとロゴの入った黄色いTシャツを着た経理の女の子たちが売り子に立ち、派手にディスプレイされたモニターに同じロゴがチカチカと点滅していた。

竹熊は電柱の陰からその様子を見守ったという。但馬は森氏に言われ一冊買いに行った。いわゆる『サクラ』というやつだ。売り場の前には4、5人の先客がいて、本を手に取っていた。よく見ると全員同僚だった。

夕方、会社に戻って、机でホゲホゲしていると明石社長から「ちょっと来てくれ」と呼ばれた。社長はどこで借りてきたのかリアカーを用意していた。行く先は三省堂である。

ふたりだけで、売れ残った雑誌とビデオの山を積むと、社長じきじきにリアカーを引っ張り出した。慌てて後部へ回る。リアカーを押しながら見る社長の背中はとても丸かった。この翌年、群雄社は神保町から姿を消すのである。

群雄社の顛末は、近藤十四郎インタビューへ続く

初出:『Quick Japan』19号(1998年6月)

 

特別編「天国注射の日々―自動販売機と青春」

竹熊健太郎

●もう18年くらい前だから、1978年のことだ。高校生だった僕は、近所を流れる川沿いの県道に一台の自動販売機を見つけた。まだ設置されて間もないそれは、しかしすでに朽ち果てたかのような、場末の匂いを発していた。なによりも不思議なことは、販売機なのに銀紙が貼ってあって中の商品が見えないのだ。数日後の夜、再びその前を通りかかって、はじめて僕はその意味を理解することになる。昼間と違いそれは煌々と内部から発光し、肌も露わなモデルの大股開きの表紙が踊っていた。銀紙に見えたのは実はハーフミラーで、中にあったのはエロ本だったのだ。これが僕と自動販売機用ポルノ誌……通称「自販機本」との出会いである。まだポルノビデオも、コンビニ向けエロ本も存在しなかった時代の話だ。

●当時の僕はミニコミ作りに熱中していて、将来はライターか編集者になりたいと漠然と考えていた。しかしこの時点では、まさか自分が大学にも行かず、「自販機本」を編集するようになるなんて夢にも思わなかったのだが……。80年代初頭、何も知らずにあの世界と関わった僕がどれほどの衝撃を受けたかは筆舌に尽くし難い。たぶん僕は一生分の天才や奇人変人たちと遭遇したに違いない。最初、僕が想像していたようなヤクザはそこにはいなかった。かわりにいたのは過激派崩れやフーテンにヒッピー、頭のネジが外れた芸術家、天才的三文作家、ストリート・パンクス等、心優しきアウトサイダーばかりである。

 ●彼・彼女らが作っていた「自販機本」は、あらゆる意味で出版界の革命だった。なによりもそれは通常の書店には置かれない。立ち読みすらできない。また本が本なだけに、文句を言ってくる読者も少ない。ということは逆に“何をやっても許される”、出版天国、アナーキズムの理想郷がそこにあったとも言える

●事実、最盛期には「ポルノですらない」自販機本が続出していた。アへアへ・ヌードの表紙をめくるといきなりドラッグの特集が組まれていたり、芸能人の捨てたゴミをグラビアで完全紹介していたり、天皇がニッコリ微笑んでいたり、わけのわからん数式がズラーッと並んでいたり……。哄笑と毒電波がライン・ダンスを踊っているようなそのあまりの怪しさに、僕は骨の髄まで浸食されてしまった。その頂点に位置するのが、高杉弾山崎春美らを中心とするオナニー&メディテーション・マガジン『JAM』『HEAVEN』である。この二誌(一誌ともいえるが)と、それを発行していたエルシー企画や群雄社という伝説の出版社については、連載の過程でタップリと紹介することになるだろう。

●連載を担当する僕(竹熊)と但馬オサムは、末期の自販機業界の片隅で仕事をしていた。僕はアリス出版という自販機出版社で仕事を始め、アリスから独立した群雄社で但馬君と出会った。当時はチンピラにすぎなかった僕たちだが、自販機業界で過ごしたあの夢との現実ともつかない「天国注射の日々」は、僕たちの青春そのものだったといえる。エロ本こそは僕らの学校だった。

●現在「自販機本」は最盛期の面影はなく、自販機そのものもめったに見かけなくなってしまった。だから「今、なぜ自販機本なのか?」と疑問を持つ読者には、今後の連載を読んでくださいとしか言えない。本物の「天国注射」の体験を味あわせてあげよう。単なる懐古にとどまってしまったら僕たちの負けだが、負けるつもりはないよ。

 

エロ本は僕らの学校だった

(*物語は、かつて販機エロ本の業界で“同期の桜”だった、竹熊と但馬、両氏対話で始まる)

但馬:俺はさ、一番最初の群雄社以前のところから入ると、高校三年の時に母親が死んでね。とにかく自分で食って行かなければいけない状況になったの。でも、普通の勤め人は、どう考えても出来そうもないし。

 

竹熊:お父さんは蒸発したんだっけ?

 

但馬:いや、俺のお袋はシングル・マザーでね。死んだのはジョン・レノンの3日あと。80年の暮れだね。

 

竹熊:いわゆるその……私生児っつーか。

 

但馬:一応認知はされてたみたいよ。まあ、母親が死んで、一人暮らしが始まるわけですよ。俺、物書き志望だったから、バイトやりながらシコシコ報われない短編なんか書いてて。

 

竹熊:最初っからライター志望?

 

但馬:いや、小説家。俺、今でもそうだけど、作家には厳粛なイメージがあってね。林忠彦*1に写真撮ってもらえるような人が小説家だと思っていたから(笑)。で、作家の前職って編集者って多いでしょ。だから編集でもやろうかなって、簡単な理由で。いろいろ面接受けたけど、当然の如く落ちるわけですよ。でね、落とされた中に若生出版っていうのがあって。試験受けた時、なんていうか多少、自分の売り込みでね「原稿ぐらいは書けます」みたいなことを言ったら、あっちも落とした慰みなのか、「じゃあ書いてみなさい」みたいなこと言われて。それで、高校の卒業式の日だね、最初の告白手記の原稿を持ってったら、採用されたんだ。

 

竹熊:よくあるインチキ告白手記ね。

 

但馬:うん。“のぞき”のね。アパートの隣の部屋をのぞくと。あのさ、俺の住んでたアパートがモデルなんだけど。隣に夫婦者が住んでたの。

 

竹熊:で、セックスとか見れちゃう?

 

但馬:いやいやセックスまでは(笑)。ただ押し入れ開けるとさ、ちょっと安普請で壁が開いてて。そこからお隣の生活がちょっぴり見れるんだよね。

 

竹熊:ああ、隙間が開いてるのね。

 

但馬:そこから話をふくらましてね。とにかく時間ないからさ、卒業式で先生が訓示か何かたれてる時に原稿用紙ひざの上に広げてさ、「肉の花びらが」なんてのを書いて(笑)。で、若生出版って知ってると思うけど、当時ではいわゆる“土方本”だよね。

 

竹熊:うん。土方本とか言ってたね。肉体労働者が息抜きに読むエロ実話誌。

 

但馬:タイトルが描き文字の、汁が垂れてるようなさ、何ていうか「部長さんの三本目の足が」とか、そういうトラッドな言い回しの、あるじゃない。

 

竹熊:「下のお口」みたいなね(笑)。

 

但馬:とにかく、下品にすればするほど編集者受けよかったね。まあ、しばらくは若生で書いていてさ。でも俺、これは仮の姿だと思ってたもん。あくまで文章修行のためのエロ仕事だって、自分に言い聞かせて(笑)。

 

竹熊:その“修行中”に自販機本*2に出会っちゃったんだ。

 

“三本目の足”から“ノーテン”へ

但馬:きっかけとしてはさ、ウチのアパートの前に自動販売機があったんだよね。あれ、夜になると“銀紙“が透けるじゃない。夜中になるとその前にどっかの男がボーッと立っているの。エロ本の表紙見ながらシコシコやってるんだね、あれ。まあそんな環境でさ。

 

竹熊:自販機の前で、夜中に(笑)。

 

但馬:そう。買う金が無いのか、買うのが恥ずかしいのか。

 

竹熊:路上でシコシコやってるほうが、よっぽど恥ずかしいと思うけどねえ。

 

但馬:で、ある日見るとね、自販機ぶっ壊されて、見本のエロ本全部盗まれてたんだよね。塩ビ板たたき割ってさ。その中で一冊だけ、泥棒も置いていくようなエロ本があったわけよ。まあ、中身見て、とてもコケそうにないと思ったんだろうけど。それが『ガールハンター』でね。拾って読んでみたら、確かにコケる代物じゃねえの(笑)。「今月のブス登場」ってのが最後に載ってて、ホントにそれがね、すげえブスなモデルでさ。キャプションは「オマエみたいなのはオマンコ晒してないで青森に帰りなさい」だって(笑)。で、巻頭特集が「大竹しのぶ目インラン光線」ってわけのわからないので、それから「ノーテンを撃て!」。

 

竹熊:何それ?

 

但馬:日本の象徴であらせるお方の目線入りの写真があって、その周りに「ノーテンノーテンノーテン……」って呪文が(笑)。でも、記事自体は何の関係もない水虫の治療の話だったり、もうメチャクチャというか、今までのエロ本にないアナーキーなノリがあったわけ。もういい加減、グチョグチョ、アへアへだけのエロ本に飽き飽きしてたしさ、“土方には到底理解できないエロ本”というだけで、俺にとっては意識革命だったの(笑)。で、この雑誌に書きたいなーと思って編集部に電話かけようとしたら、番号が載ってないんだ、自販機本には。で、住所だけあったから、原稿書いて持ってたんだよね。それが海鳴書房。名前だけ聞くとぜんぜん違うけど、実は群雄社*3の自販機本用社名*4

 

竹熊:あっ、あれが群雄か。そっかそっか。じゃ、もう『ヘヴン』の流れだ。

 

但馬:それでね、原稿は『サザエさん』のパロディ物みたいな小説。サザエさん三河屋の三平さんに一発ヤラれるような話を。そしたら、編集が「面白いよ」と。それがイッサク(田中一策。ゲイ雑誌『MLMW』を経て初期『ヘヴン』の編集に参加)でね。

 

竹熊:ああ、イッサク先生ね。練馬鑑別所から東大に行った秀才(笑)。

 

但馬:結構短気な人でね、鑑別所入ったのも高校の頃アンパン中毒で、接着剤欲しさに夜中、プラモ屋のオヤジをブン殴ってね。強盗罪だから、ただの窃盗罪より罪が一段重いの。でも短気特有の、一瞬の集中力で東大入っちゃった。でさ、今までのエロ本屋って、文芸崩れの長髪に背広のオジさんが眉間にシワ寄せて、「奥さんの蒸れ貝が……」なんてタイトルひねってたりね、どこか裏ぶれてる感じなんだけど、それに較べると編集者もずっと若いし、会社の雰囲気も明るかったね。

 

竹熊:自販機エロ本ってヒッピーくずれ、左翼くずれが中心だったもんね。

 

但馬:それで随分書いたよ、パロディ物を。『巨人の星』とかね。夜ね、ギコギコ錆び付いたような音がして、明子が目を覚ますと、悲しい顔で飛雄馬がオナニーしてる。ギブスでさ(笑)。

 

竹熊:養成ギブスを着けながら、オナニーしてるのね(笑)。

 

但馬:で、伴が飛雄馬に、ほのかなホモ心を抱いているとかね。

 

竹熊:アニパロというか「やおい」の原形みたいなことやってたんだ。

 

但馬:そのうち、「ちょっと編集を手伝わないか?」って話があってね。向こうは、多少は編集の仕事ができるだろうって思ってたんだろ。でも全然知らないわけよ。ま、とりあえず毎日行って。でも、全く使えないヤツだから。

 

竹熊:ああ、全然経験がないと。

 

但馬:でね。とりあえず、座付き作家みたいな感じで、原稿書きまくって。あと、撮影助手兼“絡み要員”ね。

 

竹熊:そうそう。何回か見たことあるよ。但馬君、男役で絡んでた。

 

但馬:普通、男役というのは添え物でね。顔とかトリミングするのに、なぜかデザイナーも編集も俺の顔を使いたがる。まいるよなあ(笑)。

 

竹熊:何か印象強いんだよ、但馬君の顔って。ホラ、『エロビクス』*5(笑)。あれは群雄社の末期?

 

但馬:そう、末期。俺が入ったころは主力はビニ本だったね。毎日のようにビニ本の絡みで、京王プラザホテル行ってね。“京プラ”も……撮影じゃ入れないから、一応モデルと編集者がアベックのふりして。で、フロントで受け付け済ましてる間に、地下の車庫から機材を運んで行くの。部屋に入ると急いでドアに目張り。フラッシュが漏れないようにね。

 

竹熊:はいはい。ゲリラ戦法でね。京プラはビニ本撮影の聖地だったね。但馬で、“京ブラ”なんてね、泊まってもね、食器とかコップとか使えねえなと思ったもん。だってスカトロ物の撮影なんて平気で女の子にオシッコさせちゃうんだぜ、部屋にあるコップに。ソファをビチャビチャにして、そのまま、しらばっくれて帰っちゃうしさ。

 

ボウタイ男と坊主頭群

竹熊:……ってことは、81年ごろに群雄社に関わりだしたと。その頃、もう『へヴン』はなかった?

 

但馬:うん。高杉弾*6さんも山崎春美*7さんも既にいなかったしさ。俺、『ヘヴン』の存在も群雄社に来て初めて知ったんだよ。さすがに初めて『ヘヴン』見たときはブッ飛んだけど。特にそのデザイン・ワークね。何にも書いてない真っ白のページがあったり、表紙が銀色だったり、とにかく当時あったどの雑誌よりもイッちゃってたな。こんな本が、エロ本ルートで売られていたのは驚きだよ

 

竹熊:『ヘヴン』については次号から関係者を取材して徹底ルポするからさ、まあ今回はサワリということで。この対談では、当時の自販機エロ本周辺の状況を、もう少し回想してみようよ。

 

但馬:うん、そうだね。……で、そのうちに、少しづつ自販機まかされてさ。でも俺、編集の“へ”の字も知らないからね。急に、「お前、やれ」って言われても。だから俺がやったレイアウトなんて、ノド(ページのつなぎ目)すれすれまで文字があったりとか。

 

竹熊:うんうん。わかんないからな。

 

但馬:でも、そんなのが許されてたんだよね。今見たら同人誌よりヒドイよ。

 

竹熊:それがあの時期のエロ本のいいところでしたよ。勢いがあったしさ。自販機本なんて特に。立ち読みできまいし、中身なんて関係ないからさ。えっていろいろと実験できたね。

 

但馬:そんで一年ぐらいたった頃にアルバイト社員みたいな形になって。今考えても、何で俺なんかに声かけてくれたかわかんない。まあ、後々、イッサクが言うには、「お前は最初に来た時、凄いインパクトあった」ってあのね、俺が黒いベスト着てね、こーんなボウタイをしてたって言うんよね。真っ赤な。

 

竹熊:……!(笑)。

 

但馬:知り合いの女の子がね、ケンタッキーでバイトしてたの。その子からもらった覚えがあるんだ。ホラ、店員がしているネクタイ、ほしくてさ。

 

竹熊:ケンタッキーのボウタイ?

 

但馬:そう。こーんなリボンが付いるの。俺にすれば“晴れの日”だからって、してったんだろうけどね。

 

竹熊:それがインパクトあったんだ。

 

但馬:しかも、名刺を作らなきゃっとにかく急いで作ってさ。最近あるような、シャレた名刺じゃないよ。活版屋の名刺に“フリーライター”ってデカく書いて(笑)。驚くよね、ノっとした、変な格好した若い奴がね、“フリーライター”だもの。

 

竹熊:当時、群雄はどんな面子だった?

 

但馬:俺が入った自販機本のセクションに当時いたのがイッサク、山本土壺(=山本勝之。『ヘヴン』メンバー。のちに『フォトジェニカ』編集長)、それから今はハニー白熊って名前でライターやってるキムチさん、中野D児(のちにAV監督。“ローリングストーンズ”レコード・コレクター、プラモデル・コレクターとしても知られる)、それにKさん。この人が実質的なセクションの責任者で後任が池田さん。

 

竹熊:Kさん? なんか聞いたことあるな。男の人?

 

但馬:うん。今はプロレス・ビデオとかやってて。えーと、前田日明の著書の中で「年上なんだが、この人は大親友と呼ばせていただく」って、Kさんの名前があったね。“へエ~、前田の相談役なんだ”って、驚いたけど。

 

竹熊:川本耕次(編集者兼作家。ロリコン・ブームの仕掛人)とかは?

 

但馬:別のセクションだったね。最初、良く喋る、変な人がいるなと。まあ、この人が実質的にロリコン・ブームを作ったんだけど。そうそう、ライターで出入りしている時、夜に原稿届けに行ったことがあるんだよね。そしたら担当がいなくて、代わりにさ、真っ黒い格好した、スキンヘッドの男女が床にゴロゴロしててさ。

 

竹熊:編集部内を?

 

但馬:うん。「○○さんの机はどこですか?」って聞いたら、青剃り頭の女が「あそこですよ」って。一応、日本語は話せるみたいなんだよな(笑)。当時、あんな格好、暗黒舞踏ぐらいなもんだからね。こっちはガキだし、“何だ、この会社?”てね。あとで知ったんだけど、八木さんとその奥さんとヒカリさん(鞄のパタンナー、立ち食いうどん屋、古本屋、探偵、など職を転々したあと、群雄社に出没)のトリオだった(笑)。

 

ミック・ジャガーこまどり姉妹

竹熊:そのころ群雄社は、自販機本を何冊ぐらい出してたの?

 

但馬:『コレクター』『ガールハンター』と『フォトジェニカ』の三冊。

 

竹熊:『フォトジェニカ』か。凄かったね、あれも。

 

但馬:うん。凄かった。パッとページ開けると、「突然ですがオマンコです」とか人を食ったコピーでさ、毛剃りした局部のドテ高のとこに、マッチを差し込んで火つけて(笑)。

 

竹熊:ムチャクチャだなー(笑)。

 

但馬:島倉千代子とか、こまどり姉妹(60年代に活躍した双子演歌デュオ)のポスターが付いてたりとかね。

 

竹熊:そうそう、その辺がな。緒方(源次郎。『ふゅーじょんぷろだくと』を経て群雄社で仕事をするかたわら、83年に大塚英志と共にロリコン漫画誌漫画ブリッコ』の編集に「おぐゎた」名義で参加。現在は本名の小形克宏でフリー編集者として活羅。漫画家・青木光恵の夫としても一部で有名)も、こまどり姉妹でオナニーするって、書いてたよね。あの原稿、けっこう傑作だったけどね。あとビューティ・ペア*8

 

但馬:あ、あれは、俺が『フォトジェニカ』を受け継いで編集長(編集長といっても、実質的にはひとりで企画から割り付けまでをこなすのが、自販機本では普通だった)になってからだよ。誰でもコケるって緒方氏が豪語したからさ。じゃ書いてくれって。

 

竹態:で、だんだんツワモノを出してったよね、マキ上田とかさ(笑)。

 

但馬:「モモレンジャーでもコケるか」って言ってたね。あの秋色スーツで。

 

竹熊:オナニー・ネタでは、けっこう笑える原稿だった。マキ上田は、手の指がキレイなんだよね。とにかく、指だけを凝視して、妄想してコケって。

 

但馬:ところでさ、「東雑」*9っていう自販機専門の取次があるわけだ。

 

竹熊:自販機の元締めね。

 

但馬:俺も一回、あそこの会議に行ったんだ。あれは必ず、持ち回りで誰かが出席しなきゃいけない。

 

竹熊:そうそう。俺も一回、行ったことがあるけど。

 

但馬:昔、公道をブイブイいわしてたっス、て感じの兄チャンたちがね。ここぞとばかりに……。

 

竹熊:偉そうな兄チャンが出てきて、三つ揃えの背広かなんかでね、何だかんだと文句を言うわけよ。表紙の。

 

但馬:ようするに表紙だからね。売れる、売れないっていうのは。そん時に(山本)土壷氏がやってた『フォトジェニカ』が却下されたんだよね。ミック・ジャガーの写真を使って。北島敬三(写真家。ニューヨークでの一連の作品は彼の出世作となった)がNYで撮ってきたやつ。で、「却下されたもとの表紙です」て、本文扉に使ってた。

 

竹熊:一応エロ本だもんな(笑)。まあ表紙でスケベどころを押さえれば中身は何でもOKってウマ味もあるけど。

 

赤田:表紙で部数が決まるの?

 

但馬:そう。配本が決まっちゃうから。

 

竹熊:表1と表4にね、両方ともタイトル入れてあるの。表1はキワドイ写真で、表4がキレイキレイ路線。

 

但馬:だから傍目に見ると、表紙が二つあるようなもんなんだよな。

 

竹能:そう。それはなんでかっていうと、通学路とか住宅地にある販売機では、制服でニコッと笑ってるような大人しめの方を表にして、繁華街なんかにはドギツイやつを見せておくわけで。

 

但馬:焦って同じ本二冊買ったヤツもいただろうな。ざまあみやがれ(笑)。

 

竹熊:俺の自販機本との関わりは、例のX(=神崎夢現:引用者注)との対談*10で、結構喋ってるから、今更なんだけど。まず高校時代にミニコミを作ってて。それでその最終号で、X氏と出会って。で、浪人して、80年にデザイン学校に入ったんだ。

 

但馬:で、Xからお声がかかって、アリス出版の仕事するんだっけ?

 

竹熊:そう、それが81年。『少女激写』ってのを手伝うの。その前に細かい手伝いみたいなこともしているけど。その後、『強姦百態』っていう、Xが作ったエロ本で、初めてボディコピーを書いたわけ。「強姦はサイコーだぜ」みたいなやつを。それが……俺がギャラ貰った、初めての仕事だよね。で、内容はね、女の腹の上で、花札で賭けて輪姦するとかなんとか、その場で20分ぐらいでデッチあげて、バーッと書いて。Xがそれを見て、「竹熊さん、文章イケるよ」って感じになったんだよな。ちょうどその頃、群雄社が誕生したんだよ。

 

屋上の出会い

但馬:じゃあ、その頃、群雄一派は、もう前身のアリス出版を出ていたんだ。

 

竹熊:そう。だから群雄一派との関わりは、まだなかったの。で、俺といえば、この頃にXと最初の決裂をするんだな。で、仕事が無くなったの、そこでしょうがないから警備員のバイトをやりながら、悶々としてたわけなんですね。そしたら、Xから久しぶりに連絡があって、群雄社っていうところにいると。で、金田トメ*11が編集する『略称・俗物図鑑の本』*12を手伝ってくれ、って。Xがデザインでね。

 

但馬:俺が竹熊君に初めて会ったのはその頃だね。群雄社の屋上で(笑)。

 

竹熊:そうそう、何で群雄社のヤツらって、夜になると屋上に上がるのかなあ、と思ったよ。車座になって煙草吸ってる、高校生みたいに。まあ、一口吸って、その意味がわかったけど(笑)。

 

但馬:あれは俺もビックリした、って前に言ったけど、思い起こすと、屋上で吸うアイディアは俺だったんだな。

 

竹熊:安心して吸える場所ってこと?

 

但馬:まあ、大人の発想じゃないでしょよ、屋上なんて。で、年齢的に俺が高校生に一番近いわけだから。

 

竹熊:で、吸い終わったら、色見本広げて「きれいだな~」なんてブツブツ言いながら終電逃しちゃうヤツもいた。

 

但馬:『略称・俗物図鑑の本』の貴任者はトメだよね。当時はフリーの編集者だった。

 

竹熊:そう、金田トメ。アリスでも一緒だったけど、当時は話す機会がなくてさ。いつもボーッとしてる人でね。

 

但馬:話してね、「トメさん、これは××でしょ?」て聞くと、黙ってるから聞こえないのかなあと思って、まあ、大した話じゃないんで放っておくじゃない。すると一分くらいしてから返ってくるんだよな、答えが。我々と時間軸が違うんだよね。体内時間が。

 

竹熊:『略称・俗物図鑑の本』では、ひどい目に会ったよ。いきなり「今から電話取材してくれ」って、トメから番号だけ渡されてさ、何を聞いたらいいのかもわからないまま、とにかく電話したの。でね、何と、先方は安岡力也!

 

但馬:こえ~。

 

竹熊:「お前じゃわからん、編集長出せ!」って怒られるしさ(笑)。

 

但馬:さんざんだよなあ(笑)。

 

竹熊:で、つぎの関わり合いが『色単』。編集局長の佐山哲郎*13さんから電話があってね。「明石(賢生)*14と呑んでて、スケベな言葉だけの辞書を作ったら売れるんじゃないかって話になった」っていうのね。で、お前やれ、と。『赤尾の豆単』ならぬ『群雄の色単』(笑)。

 

但馬:酒呑み話で企画が決まっちゃうなんて“いかにも”だよな。大体、企画会議とか面倒臭がる社風がある。

 

竹熊:俺も本をまるまる一冊編集するのは経験ないんだよね。「じゃあ友成と組ませようか」ということになって。それが今は小説家になってる友成純一*15さん。当時は食えなくて、エロ・ライターやってたんですよ。それ以前は、ひどいアル中で、幻覚は見えるは肝臓は肥大するは、廃人の一歩手前まで行ったって。それで一年間酒抜いて。だから、彼の復帰第一作が『色単』なわけ。

 

但馬:竹熊健太郎にとっても『色単』は出世作であったね。

 

竹熊:苦労はしたね。当時、俺は江古田の寿司屋を改造した安アパートの二階に住んでてね。一階が族上がりで“人間やめてる”夫婦でさ、女も歯がボロボロで。夜になると赤ん坊の泣き声に交じって電動コケシの音が聞こえてくるの。アア~ンとかやってるわけ。その二階の六畳間いっぱいにエロ単語のカードを広げてね。まあ、数千枚はあったよ。その仕分けだけで三カ月かかったもん。で、族夫婦の台所を通って二階上がるんだけど、出しっぱなしの洗い場にウジがわいてたりね。

 

但馬:いたたまれん環境だなあ(笑)。

 

竹熊:ちょうど『色単』の頃、緒方とも知り合ってる。セルフ出版(現・白夜書房)の『漫画ブリッコ』でね。あいつ群雄社の社員なのに、ヨソの会社の編集やってるんだ(笑)。彼が高取英*16とか小松杏里*17あたりと仲良かったんだよ。で、『聖ミカエラ学園漂流記』ってのが、高取英の最大の当たり芝居で。

 

但馬:美加里が出てたやつだろ。

 

竹熊:あれは要するにね、現役の女子高校生とかを、大量に舞台に出して芝居させちゃうところが画期的だったの。だから、わりとロリコンっていうか、美少女ブームとシンクロしてたんだよね。高取英って人は、元はエロ劇画の編集長ってのをやってて。緒方がよく『ミカエラ』を自分の雑誌で紹介していたんだ。『コレクター』って雑誌で。

 

但馬:じゃあ群雄社の末期だね。彼は『コレクター』の二代目編集長だから。

 

竹熊:まあ、その絡みで、『ミカエラ』に出てた女子高生たちが『コレクター』を手伝いにきたんですよ。放課後集まってね、真剣な顔でエロ本のレイアウトやってる(笑)。無名時代の岡崎京子なんかも、イラストや文章書いていたんだ。その中に、マリちゃんって女の子がいたの。で、緒方は途中で新雑誌を作るのに忙しくなっちゃって、その子に「今日から君が編集長」って押し付けたの。そしたら『コレクター』がいきなり『オリーブ』になっちゃった。「下北沢で見つけたケーキが美味しいお店」とか(笑)。

 

但馬:センズリの手も一瞬止まるぜ。

 

竹熊:そうなんだよ。俺はそこで「ガイキチ列伝」っていうコラムを書いたんだ。南方熊楠とか、奥崎謙三とか、江川桜堂*18とか。パラノイアックなヘンな人たちを列伝風に紹介して。

 

“ハマリの八木”

但馬その頃はもう、自販機本は『コレクター』だけだったんじゃないかな『フォトジェニカ』も俺が群雄社辞めたあたりで、無くなってたと思う。

 

竹熊:後期『フォトジェニカ』ね。史上初のマザコン雑誌! あれで俺、但馬君の才能を、認識したんだよね。よりにもよってマザコン雑誌!

 

但馬:まあ、群雄社にはロリコン雑誌があったからね。先行こうと(笑)。

 

竹熊:「ロリコンはもう古い。これからはマザコンの時代だ」とか言ってさ。八千草薫とか京塚昌子とかさ。

 

但馬:番付とかつけてたね。

 

竹熊:“お母さん番付”みたいな。確か1位が八千草薫だった。

 

但馬:今なら当然、三田佳子がくるだろね。まあ、今でいう熟女本のハシリだったもんね。発想は先の「今月のブス」からなんだよね。撮ったはいいけど、モデルがババア過ぎて使えないヌードが腐るほどあったしさ(笑)。

 

竹熊:すぐ潰れた雑誌では『アダルトシネマ』。八木眞一郎さん(オカルト雑誌『迷宮』『ジャム』編集を経て群雄社に参加)が編集長の。一応、洋物ポルノ映画誌なんだけどね。

 

但馬:でも中身はケネス・アンガー*19とかの特集だったり。

 

竹熊:あと山本政志*20ね。彼のインタビューとか、大分やったよね。

 

但馬:まあそれもせいぜい1、2号でさ。そのあと八木さん逃げちゃう。

 

竹熊:編集長が逃げちゃうんだから、どうしようもないよね(笑)。

 

但馬:進行係のマッさんが、「八木がまたやったか」なんてね、ゴソゴソ前号の製版フィルム*21出してきて。だから表紙は毎号、違うんだけど中身は全く同じ。それが3号続いたんだぜ(笑)

 

竹熊:買った読者、怒るよ(笑)。

 

但馬:もうここまでくると前衛だよな。

 

竹熊:八木さん、「企画考えて来る」て言ったきり一月消えたりね。で、一月経って本当に企画考えて戻ってくる。もうとっくに雑誌は出てるのに(笑)。

 

但馬:最近になってようやく一般でも“ハマる”って言い方するようになったけどさ。あれ、元祖は八木さんだよ。例によって、あの人がいなくなってさ。イッサクが「八木は、またどっかでハマッてやがら」てボソっと言ったら、それから会社ではやたらハマる、って言葉が流行ったの。

 

竹熊:“ハマリの八木”って言われてたね。

 

但馬:“色見本帖にハマる”とか“音にハマる”とか。あと甘い物美味くなるでしょ、アレにハマるとか。

 

竹熊:群雄社って、基本的にビニ本でのして来た会社だよね。業界初の放尿シリーズとかさ。それが人間便器*22やウンコへとエスカレートして行く。そこいらへんは但馬君、関わっててる?

 

但馬:撮影には行ってるね。俺が入ったころは、各社ウンコ本出していて、過当競争の時代だったから(笑)。あっそうそう、例によって“京プラ”でウンコ本の撮影してたの。で、俺が何かの用事でロビーに降りて行ったら、見憶えある金髪の美青年とすれ違ってね。それ、ダリル・ホールだったんだよ。まさかホール&オーツも、自分の泊まってるホテルで、ウンコの撮影してるとは思わねえだろうな(笑)。

 

竹熊:人間便器やっていた中野D児さんは、どんな絡みで群雄社にいたの?

 

但馬:もともとはイッサク氏と土壺氏がバイトしていたディスク・ユニオンの店長。ある日、お茶の水でバッタリ会って「今、ビニ本作ってるんだよ」って言ったら、D児が「俺もやりたい」って。で、「男モデルやるか?」「ションベン飲むか?」。やるやる、やらせてー、というノリだったらしい。

 

竹熊:その前は“ずうとるび”のマネージャーだろ。

 

但馬:そうらしいね。で、イッサクたちにしてみれば、昔・店長でイバッていた人なわけじゃない? ここぞとばかりにイジメてたね(笑)。「お前は人間以下の人間便器だ」とか「生きてていいですか、って言え」とか。まあ中野さんにとっては古傷だな。彼の名誉のために言えば、本人は私生活では女のションベン飲む趣味はないそうです。

 

竹熊:フォローになってないって(笑)。

 

但馬:明石さんの中には、ウンコ本で儲けて、その金で本当に作りたい本を作るという気持ちだったんだろうね。ガキの俺にはわからなかったけど。

 

竹熊:右手にウンコ左手にカルチャー。でも、書籍やっても、どこまでも群雄社らしいというかさ。『陽炎座*23にしても、完全に採算割れ。出せば出すほど赤字という無謀な本。でも最近、藤脇邦夫さんかな、“戦後最大の贅沢な本”って紹介してたね。玄人筋には受けるの。

 

但馬:西武グループだったけな、調査したらしいよ。この装幀でこの値段、群雄社というのはどこか強力なバックがついてるはずだ、って(笑)。あと、これは伝説なんだけど、明石さんが取次に参入するために、単身乗り込んだの。『陽炎座』の本と札束入りの風呂敷下げて。取次の偉いさんの前に本をボンと置いて、「これは、こう開いて、こう読むんです」ってどんどん観音開きを開いてったら、最後に偉いさんが一言「それで?」。

 

赤田:実はあんまり内容ない本だよね。シナリオとコメント集だもん。

 

竹熊:造本が全てなんだよね。羽良多平吉のデザイン作品集。別に読むとこないんですよ。観音開きで、全部で六面表紙。で、一番最後の裏表紙はペコペコした紙で、無残画になっている。聞いたところによると、10年、20年すると、ノリが剥がれて春画が出てくる、そのものズバリのね。そういう凝り方する。藤原カムイ*24の持っているのが、買って数年で剥けたらしい。伊藤晴雨のモロ見えが出てきたって。

 

但馬:あれって本当の話だったんだ?

 

薬師丸ひろ子と注射針

竹熊:普通の出版社並に、ブームに当てこんだ便乗本も一応出しているでしよ。角川映画が当たってるころに『薬師丸ひろ子が好きっ』。ちっとも便乗本になってないところが凄い(笑)。

 

但馬:ヒカリさん編集のね。薬師丸の本なのに、薬師丸の写真は一枚もなし。角川が押さえてて。「だったら企画変えましょう」じゃなくて、「じゃあ似顔絵でいいやー」なんだよね。で、イラストがね、ヒカリさんの知り合いの、ユダヤ人の街頭絵描きでさ。

 

竹熊:普通はさ、事務所の許可取りが最優先だよね。で、断られた場合、データハウス的なやり方があるじゃない。つまり暴露本とか裏データ本とかね。でもさ、それですらないんだよな。あれが群雄社の面白いとこだよね。

 

但馬:当時、薬師丸のファンって、田舎の女子中高生だよね。保守層の。

 

竹熊:だよな。

 

但馬:そういう子がさ、本買って開けてみたら薬師丸の写真一枚もなくて、いきなり目の下クマ作ったクリスティーヌ・F*25がヘロイン打ってる写真だもんな(笑)。薬師丸ひろ子はクリスティーヌ・Fである!」なんて、断言されたって困るよ(笑)。

 

竹熊:断言調のタイトル多いよね、「ブルー・フィルムはニュー・メディアだ!」とか。誰が断言するんだ?(笑)。

 

但馬:あとわけの分からん数字が何ぺージにも渡ってズラッて並んでいて、それが「薬師丸の悲鳴の声紋分析」。

 

竹熊:イッちゃてるよね。

 

但馬:当時中二の従姉妹が薬師丸ひろ子のファンでね、一冊あげたんだ。「この本、気持ち悪い」ってあとで返してよこしたぜ(笑)。

 

赤田:普通、そうでしょ(笑)。

 

但馬:悪い予感はあったんだ。最初にパラパラとページめくってる時の従姉妹の目がさ、まるで間違って親のセックス見てしまった子供のような、誰に問うていいのかわからない戸惑いの表情だったの。トラウマになってなければいいがねえ(笑)。

 

竹熊:ヒカリさんっていうのも、重要なキャラクターだよね。

 

但馬:俺、あの人最初に会ったとき、「出版界って定年ないのかな?」って。どう見ても60ぐらいなんだよ。当時で32歳か33でしょ。今の俺より若いんだよな。で、喋りはまるで北京語放送。ニコニコ笑いながらブツブツぽやいてる人、俺初めてでさあ。

 

竹熊:大友克洋の『童夢』に出てくるチョーさんにそっくり。亡くなったたこ八郎がヒカリさんのことを「ハゲてて歯がなくて背が低い。三重苦ですね」だって(笑)。それからあの人、徹夜すると顔から粉吹くでしょ。

 

但馬:一応、新陳代謝はあるみたいね。

 

竹熊:昔は、新宿のフーテンでさ、キノコに興味持ってて。当時、フーテン・ネームってあったんだよね。「シーザー」とか「ジェロニモ」とか。で、たまたまヒカリさんと入った無国籍料理屋のマスターが昔の仲間でね、「マッシュ、マッシュじゃねえか!」(笑)。ヒカリさん、バツの悪そうな顔してたよ。

 

但馬:俺のところに四カ月ころがり込んでたけどね、居候としては理想的でね、こっちがイライラしているときはスーッと気配を消すんだよ。背景になる。酒呑んでると、サッとつまみが出てくる。おまけに、きれい好き。

 

竹熊:プロの居候。あと、よく聞くとけっこう鋭い発言多いんだよね。でもあの人の場合、主語がないから、根掘り歯掘り聞かないと、話がつかめない。

 

但馬:喋りも文章もフリー・ジャズなんだよね。まるで一人アドリブ合戦。

 

竹熊:うん、山崎春美がロックでね。あと、ヒカリさんと言えば、『宝島』誌上での渋谷陽一との論争。『アルタード・ステイツ』*26で南米のキノコの儀式のシーンがあるんだけど、それを渋谷が間違って紹介してさ、それでヒカリさんが「キノコのことに関しては指摘せざるを得ない」と。それでケンカになっちゃったんだな。そこに山崎春美も絡んできてグシャグシャになって。「渋谷陽一のソーマ・ヒカリ」って、一時期『宝島』でけっこう盛り上がったよね。

 

但馬:土壷時代の『フォトジェニカ』誌上で、ヒカリさん主催のベニテングダケ・カレー・パーティやってたね。

 

竹熊:まあ精霊というかキノコのドワーフのような人。八木さんとはいいコンビだったよね。二人そろうとダウナーとアッパーのシュール漫才みたいで。

 

明るいニヒリズム

但馬:あのね、破格のボーナスが出たんだよ。会社がもう傾きかけてた時に。

 

竹熊:明石さん、最後のサービスだ。

 

但馬:銀行で2000万借金して。で、俺なんかバイトのまんまだったけど、10万もらったんだから。そんな身分じゃないよ、毎日会社に遊びに来てるようなもんでさ。で、ボーナスの日が、忘年会でね。すき焼き屋の大広間を借り切って。それで、「会社は苦しいけど、皆、踏ん張ってくれよ」と。

 

竹熊:泣かせる話だね。

 

但馬:もう、呑めや歌えやで、士気大いに上がったね。で、二次会、三次会でさ、グループに別れて「ソープランド・コース」とか、「朝まで呑み続けコース」とか。それ全部、明石さんのオゴリなんだよね。明るくなってもベロンベロンでさ。で、俺、起きたら、夕方の3時なの。それでうあっ、やべえって思ったの。あそこまでしてもらってさ、こんな時間にどのツラ下げて行けばいいんだと。とにかく覚悟決めてさ。会社に着いたのが4時……誰もいないんだよ。5時、6時になったら……ポツン……ポツン……集まって米るんだ。皆、眠そうな目ぇして、息か酒臭くてさ。実はその日、RCのコンサートでね、皆で切符買ってあったんだ。で、「あれ、今日、RCじゃん?」って。「そうだそうだ、行こう」って。皆さ、5時出社で6時退社(笑)。明石さん、相当ショックだったらしいね。次の月からねタイム・カード入っちゃったのよ、会社(笑)。

 

竹熊:あんまり効果ない気もするけど。

 

但馬:で、続きがあんの。コンサートが終わって皆で呑み屋に行ったの。で、○○さん、始まるんだよ。座敷でね、パイプが回ってくるの…。それを聞いて、明石さん怒ったんだよね。

 

竹熊:○○さんか……。あの人はアレを百薬の長みたいな言い方するじゃない。「やっぱ体が暖まるねえ」とかさ、で、水パイプでボコボコ吸って。でもあの人がトイレ入ったあと見たら、血痰だらけでさ。いくら、アレは害ない、体にいい、と言ったって、説得力ないよ(笑)。

 

但馬:あの人くらいになると“ハッパ”とか“グラス”なんて野暮な呼び方しないもん。“ハーブ”だぜ(笑)。「そろそろハーブの時間だね」とか。まあ、こんなのも時効だから話せるんでね。今では皆、卒業しているから。

 

竹熊:行き着くとこまで行った人は逆に、スーと抜けるんだよね。……まあ、それにしても、明石さんの“太っ腹”って規格外だよな。人に金を分け与えて死んじゃった人生だよね

 

但馬:皆にスネを齧られて。

 

竹熊:なんか皆には「やれー、やれー」ってさ。人を信じてた。性善説の人。

 

但馬:俺なんかあの頃、家に帰りたくなかったもん。会社が楽しくて。夜遅いと、皆に寿司とってくれたりさ。「並と上ありますけど」っていうと「特上だ!」って言っちゃう人だよね。

 

竹熊:ちょっと病的なぐらい人に奢るでしょ。それに対する見返りを求めない。不思議な人でね。亡くなったのが残念ですよ。聞きたい話が沢山あったのに……

 

但馬:社員旅行も凄かった。明石さんが「草津で最も一流のホテルだ」って。貸し切りで。遊んで騒いで、芸者もつけて、ホテル内のバーなんかは全部会社持ち。見ると部屋にビール撒いてるヤツがいるんだよ(笑)。あとでいくら請求きたかねえ。カーペットの張り替えとか。襖の修理代とか。

 

赤田:往年のストーンズ並だ。

 

竹熊:明石さん自体は、いわゆる『へヴン』的な人ではないよね。狂ったセンス、みたいなのはなかったと思う

 

但馬:“狂ったヤツ”が好きなんだろうね。ほら、自閉症児に絵を描かせる治療あるじゃない? 社会に適応できないヤツらに、エロ本作らせて更生させてるようなもんだよね

 

竹熊:群雄社は養護施設だよ。おまけに患者が給料まで貰ってる(笑)

 

但馬:あの頃よく、「白夜と群雄は乱れてる」って言われたよね。白夜書房はセックスが乱れてると。モデルを皆で食っちゃって、仲良く性病になるとかならないとか。で、群雄社の場合は電波が乱れてるって(笑)

 

竹熊:白夜書房って、どこかセックスを信じてるよね。でも、群雄社のエロってさ、セックスをバカにするとこから始まってるんだ。セックスする人間ってヘンだ、ぐらいの思想がある

 

但馬:スカトロ本にしても「人間便器」に行っちゃうでしょ。読者は女のオシッコを期待するのに、大口開けてそれを飲んでるムサい男の方に焦点を当てちゃう。あとね、金閣寺のプラモデルに火つけて、それをオシッコで消すとか(笑)。何かこう、必ず方向がズレてくの。

 

竹熊:群雄社は基本が“ナンセンス”なんだよ。明るいニヒリズムっていうかね

 

但馬:絶望から出る楽観みたいなね

 

竹熊:白夜がシャブだとすれば、群雄はLSDだよね。ノリで言えばさ。

 

赤田:ジョン・ウォーターズの映画とかって、すごく群雄社っぽい気がするんだけど

 

竹熊:ああ、まさにそうだね。

 

但馬:下ネタにしても、ジョン・ウォーターズみたいな感じでね。下品なことやっても後味自体は悪くないの。基本的に誰も傷つかないし。まあゴミ箱漁られた山口百恵は怒っただろうけど(笑)。バカだなあって感じで笑ってしまえるんだよね。だから最近流行りの鬼畜系とは違うというか

 

竹熊:鬼畜系のやってること自体、何も目新しいことじゃないよな

 

但馬:“世間の常識に唾してやる”みたいな気負いってないじゃない。あっちの世界の常識もこっちの世界の常識も、一緒くたにしてる。ウンコ本の会社が、女子高生を編集長にする、あの脈絡のなさだよね

 

竹熊:そう。あの女子高生が作ったエロ本見たときはね、ここまでデタラメやるかって思ったね。

 

但馬:今のコギャルのような女子高生じゃないからね。『タ焼けニャンニャン』より前だから。

 

竹熊:そのマリちゃんがね、あの後、いろいろあったみたいでさ。何年かして、突然電話で「竹態さん、自分の血を舐めてみませんか?」って。何かそういうパーティがあったらしいよ(笑)。行かなかったけど。

 

幻のウンコビル計画

但馬:ところでさ、明石さんの群雄社、自社ビルの夢ってあったじゃない?

 

竹熊:「ウンコ本で儲けた金で、屋上がウンコ型のビルを皇居のほとりに建てる」ってやつね。聞いたことある。

 

但馬:これって反権力なんだろうけど、でも決して「〇〇打倒!」とか「表現の自由を!」には行かないの。その代わり皇居のそばにボンとウンコ! この発想のナンセンスさ、ってね

 

竹熊:うん、だから明石さんの中にもナンセンスの土壌はね、あったんだと思う。そこに磁場ができて人が集まって(笑)。(山本)土壷さんがエッセイで書いてたんだけど。ある日、北海道の山の中で自殺しようと、青函連絡船に乗ったら、三等船室の船底に『ジャム』が捨ててあってね。それを読んで大笑いして死ぬのを辞めたって。その足で東京に戻って、エルシー企画(群雄社の前身)の門を叩いたらしいよ

 

但馬:そういえば、高杉弾さんも拾ったのが入社のきっかけでしょ。佐山哲郎さんの作った自販機本を。

 

竹熊:確かタイトルは『スノッブ』。

 

但馬:俺も拾ったんだから。奇しくも。

 

竹熊:そうか、拾ってこのエロ本は何か違う。他とは違う電波を発しているぞと。いや電波を感知するヤツが拾うのか……。まあ、群雄社らしいや

 

赤田:道で拾った雑誌から物語が始まるなんて、ストリート・カルチャーじゃないの。「路上」なんだ(笑)。

 

竹熊:そんなわけで、次号からいよいよ『ジャム』『ヘヴン』を中心に、群雄社とそれをとりまくヘンな人間像をルボするわけだけど。今回はまあ、その「前夜祭」ということで。

 

但馬:てわけで、お楽しみに。

 

初出:『Quick Japan』12号(1997年2月)

*1:写真家。太宰や安吾などの文士写真で有名。

*2:自動販売機を流通ルートにしたマイナー系エロ本。70年代末に登場、そのパワーは取次系エロ本凌駕するものがあったが、自販織設置場所の減少などで、85年ころを境に衰退。

*3:明石賢生率いるエルシー企画が、エロ本業界最大手のアリス出版と合併するも、ほどなく明石一派が再独立。こうして設立されたのが群雄社である。

*4:自販機本の世界では、表紙に載っている出版社名と実際の会社とは別物であることが多く、混乱した読者は多かったに違いない。

*5:エアロビクス・ブームに当て込んだエロ本だが、何故か扉ページは但馬のヌードで“健康は間違っている”のコピー。他に“大麻健康法”や“密教の護符”までついて1200円は安い(かな?)。

*6:佐内順一郎。筆名は高杉弾。初代『ジャム』『ヘヴン』編集長。

*7:元『ジャム』『ヘヴン』編集員。彼については『QJ』11・16号のインタビューを参照のこと。

*8:第一次女子プロレス・ブームを巻き起こした、マキ上田&ジャッキ佐原の、およそ“ビューティー”とは無縁のタッグ・チーム。

*9:正式名称は東京雑誌販売。前身はビールのおつまみの販売機のリース会社だったが、エロ本の無人販売を思いつき、以後、自販機本専門の取次会社として大躍進を遂げる。

*10:QJ』5号参照。なおXについては竹熊著『私とハルマゲドン』(太田出版刊)にも詳しい。

*11:『ヘヴン』初期メンバー。アリス出版を経てライター兼フリー編集者に。群雄社では他に『こども国憲章』などを編集。

*12:筒井康隆原作、平岡正明主演の映画『俗物図鑑』のオフィシャル本。

*13:群雄社編集局長。摩耶十郎の名で作家としても活躍。スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画『コクリコ坂から』原作者。『QJ』の本連載では謎の歌人S氏として度々登場する。

*14:エルシー企画および群雄社社長。数々の伝説を残し、96年急逝。

*15:70年代末にミステリー雑誌『影城』で評論部門新人賞を獲得。将来が期待されたが重度のアルコール依存症に陥り、生命まで危ぶまれた。努力と根性でアル中を克服した後、竹熊と共に『色単』を編集執筆(庄内良助名義)。その後『凌辱の魔界』で小説家デビュー、現在は小説のかたわら映画評論家としても活躍。

*16:劇作家。『漫画エロジェニカ」(海潮社)の編集長を務めるなど、エロ雑誌との関わりあいも深い。

*17:演出家。劇団『蟷螂』主宰。

*18:昭和12年の「死なう団」事件の主導者。もともと日蓮会という法華経の構のリーダーだったが、ファシズムの台頭による厭世観から、メンバーが国会議事堂や官庁前で、「死のう死のう」と叫び次々と割腹(いずれも未遂)。世間を騒がせた。

*19:アメリカのアンダーグラウンド映画作家。代表作は『ルシファー・ライジング』。著書に『ハリウッド・バビロン』(Ⅰ・Ⅱ)がある。

*20:映画監督。作品に『闇のカーニバル』『ロビンソンの庭』などがある。

*21:印刷物の多くは写真のようにフィルムに焼き付けて製版されていた。ここでは一度使ったフィルムを流用すること。

*22:モデルのオシッコを飲むという中野D児の得意技。のちに数多くのフォロワーを生んだ。

*23:ツィゴイネルワイゼン』に続く鈴木清純復帰第二弾『陽炎座』のパンフレット本。そのパラノイアックな装幀は出版界の語り草になっている。

*24:マンガ家。八一年にデビューする以前は、竹熊と机を並べてアリス出版で仕事(デザイナー)をしていた。代表作に『H20』『雷火』『ロトの紋章』など。

*25:フランスを代表する不良少女。10代でヤク中、クスリとヒモのために娼婦にまで身を落とす。その更生までの道は、本人主演の映画『クリスチーヌ・F』に詳しい。

*26:鬼才ケン・ラッセル監督によるドラッグ・ムービー。メスカリンを服用して瞑想タンクに入る主人公が体験する、特撮を駆使した幻覚シーンが有名になった。1981年公開。