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GON!独占大スクープ!!『少女アリス』や『Jam』等エロ本史にさん然と輝く伝説のエロ本を産み出した、あの伝説の自販機エロ本出版社「アリス出版」は実在していた!! あの伝説のカルトエロ本『Jam』や『少女アリス』を今でもバイブルにしているエロ本編集者は多いのだ!

今、20代後半から40代までの健全な男子ならアリスのエロ自販機本で必まず一回はせんずりかましたはずだ!! 女ができるまでの聖母のようなあのアリスが実は今も相変わらずエッチな本を出版していたのだ!

今でもマニアから珠玉の名雑誌と評価の高い『少女アリス』。写真のハイレベルさもさることながら、高取英のロリータエッセイとか吾妻ひでおのマンガ、川本耕次のポエム等、けっこう好き勝手に編集していた。今では古書店でプレミア物。

GON!独占大スクープ!!『少女アリス』や『Jam』等エロ本史にさん然と輝く伝説のエロ本を産み出した、あの伝説の自販機エロ本出版社「アリス出版」は実在していた!! あの伝説のカルトエロ本『Jam』や『少女アリス』を今でもバイブルにしているエロ本編集者は多いのだ!

GON!』1996年2月号所載

アリス出版」というのは、かつてエロ本の主流が自販機本であった頃、名実ともにトップの出版元であった。その神話的出版社も、時代の波とともに人々の記憶の奥底に埋もれて消えつつあった。だが、実はアリス出版はたくましく活躍し続けていたのだった。

アリス出版はもともと、自動販売機で雑誌などを売っていた東京雑誌販売(東雑)という会社が、制作会社として作ったのが始まりだった。東雑系としてはほかにも、エルシー企画やアップル社などがあったが、品質と発行点数ともにアリス出版がトップとして君臨していた。

そのアリス出版について詳しく知りたい。そう思ったわれわれは、当時アリス出版でライターをしたことのある高取英氏(劇団「月蝕歌劇団」主宰)に話を聞くことにした。当初われわれは、既になくなったアリス出版の懐古談を予想し、自販機本の制作にかかわった人々の話を中心にしようと思っていた。しかし、高取氏の一言で、思いもよらない展開を見せることとなったのである。

 

アリス出版は現存していた!

高取氏からは、アリス出版にかかわった人々、今ではメジャーな雑誌や業界にいるビッグネームが、エロ本の制作に関与していた事などを聞いた。そして最後に、アリス出版の倒産について聞こうとした時の高取氏の発言は、われわれの点をつく意外なものだった。

「ええっ?、アリス出版はつぶれてなんかないよ。だれがこんなこと言ったの。少なくとも半年前には確かにあった。保証してもいい」

われわれは全員、アリス出版がとっくに倒産してしまったものとばかり思い込んでいた。しかし、そういえば、ただ巷から自販機本が姿を消したというだけで、だれかがアリス出版の倒産を確認したわけじゃない。それでは、まだアリス出版は活動しているのか。後日、われわれは高取氏の話を確認すべく、関係各方面へ打診した。その結果アリス出版は、確かに今も本を作り続けているという情報をキャッチすることができたのである。さっそくわれわれは、アリス出版を訪問することにした。

 

アリス出版を訪問する

高田馬場駅から歩いて10分くらいの、静かな住宅街のなかのビルの3階に、アリス出版はあった。われわれが若き日にその全身の情熱を傾けていたアリス出版は、確かにこうして現実に存在していたのだ。われわれはあたかも、かつて人生の指針を教えてくれた恩師に再会するかのような感動を覚えずにはいられなかった。

出迎えてくれたのは、取締役の有明銀次氏であった。有明氏は70年代半ばに入社して以来、アリス出版で本を作り続けている。

「昔は本当に自販機本だけでしたよ。全盛期の70年代の終わりから80年代のはじめにかけては、実話誌を6~7点に、グラフ誌は5点は出していましたね。A4サイズのグラフ誌も1~2点作っていました」

すさまじいパワーである。それも少数精鋭で、社員は多い時でも9人だったという。

「とにかく何でもやりましたからね。自分で撮影して、そのうえ原稿書いて、レイアウトまで一人でやっていたなんて言うのも珍しくなかった。安く上げるというのが絶対条件でしたからね。原稿料も安かった。だから仕事を本当に面白がってくれる人ばかりで作っていたような気がする」

これについては高取氏も、次のように述べている。

「文学くずれや芸術家くずれの吹き溜まりだった。インテリやセンスのいい人間なんだけど、メジャーになるにはまだいまひとつ。そんな人間がごろごろいた。音楽家くずれなんかもいたなあ。それに、アングラ世界の人脈で、これまたいろんな人間が集まってきた」

そういうボーダーレスな人材のごった煮状熊だったからこそ、パワーのある雑誌づくりができたのであろう。アリスの雑誌は数だけではない。記事は内容があって面白いし、写真のアングルやグラビアのレイアウトなども非常に凝った作りになっているのだ。

 

現在は編プロ

さて現在のアリス出版は、もっぱら編集プロダクションとして、いろいろな雑誌や書籍を作っている。制作物もエロ関係だけでなく、旅行やグルメといった一般の単行本やムックなども手懸けているという。

現在のウリはヘアヌードビデオに、「アリス文庫」というブルセラ系のミニ写真集に「ブルセラ少女隊」など伝統芸をしっかり死守。またビニ本復刻CD-ROMなども出している。

「機会があれば、またアリスのブランドで作ってみたいですね」

有明氏は最後にそう言って見送ってくれた。

 

アリス出版の制作物  昔と今

かつてのアリス出版の発行物といえば、まずB5判Sページオールカラーの写真誌である。自販機本といえばこの体裁が定番である。内容もバラエティーに富んでいて、女子高生、OL、人妻、SM、近親相姦、不倫覗き、オナニー、処女初体験、家出少女監禁、ナンパ、レイプなど、ありとあらゆるパターンが試みられている。シリーズ物も多く、「局部アップ」「少女の下着」「アリスセーラー」。「少女と官能」などが人気があった。おそらくスカトロなどのキワモノをのぞくメジャー系エロジャンルのすべては、アリス出版の自販機本のなかに見ることができる。まさにアリス出版こそは、現代につながるエロ文化の一大源流と言っても過言ではない。

また、見落としてはならないのが、「Jam」や「EVE」といった記事主体の実話誌である。こちらはまた改めて紹介しよう。

現在のアリス出版は編集プロダクションとして活動しており、とくにエロ関係にとらわれずあらゆる分野の出版物を制作している。エロ関係ではブルセラ少女隊、「アリス文庫」シリーズなどのほか、写真集とセットのビデオも制作している。また「ダイアナ」というレーベルで自販機用のAVも作っている。ただし、いずれもアリス出版というブランドはクレジットされていない。

 

嗚呼我が青春の聖母アリス賛歌

アリス出版。それはわれわれ70年代に学生時代を過ごした者たちにとって、決して忘れ去ることのできないブランドである。およそ正常で健康な男子生徒ならば、どこかで聞いたことぐらいはあっただろう。おそらく知名度としては群を抜くものがあったことは、疑う余地はない。中央公論社みすず書房を知らなくとも、アリス出版の名前はだれもが心に刻み付けていたのである。

その頃のわれわれは、人々が考えている以上に、また自分たちが思っている以上に、純情で気弱で、何よりとんでもなくスケべであった。しかし、ナンパできるような度胸も技量も知恵もなく、当然モテる奴などだれ一人いなかった。それでも、この肉体の奥底からマグマのように噴出してくる熱い情熱は否定できなかった。当時はまだ「ウレッコ」も「クリーム」もない時代である。エロ本のたぐいは、どれもどぎつい表紙のものばかり。普通の本屋では、たちまち本屋のオジサンに「あんた高校生だろ」と睨まれて、決して売ってはくれなかった。それに週刊誌のグラビアは差し障りのないヌード写真ばかりで、とても「実用」に耐えるものではなかった。唯一コンビニでわれわれの目を引いたのは「週刊エロトピア」のみという状況だった。その「エロトピア」も、現在のようなお洒落な表紙ではなく、「いかにもエロマンガ」という感じだったので、高校生であったわれわれにはとてもレジまで持っていく勇気はなかった。

そうしたわれわれの苦悶の日々に救済の灯となったものこそ、自動販売機で買うことのできる、いわゆる「自販機本」というエロ本であった。

そしてその自販機本の表紙やいちばん後のページには、ことごとく「アリス出版」という文字が印刷されていた。いつしかわれわれの脳髄の奥深くに、アリス出版という名が焼き付けられたのである。

だが、その自販機本を入手するのも、決して容易なことではなかった。自販機本を購入するには、当時大きく分けて4つの手段があった。

まず自動販売機で買う正攻法。

しかしエロ本自販機は夜になってライトがつかないと買うことができない。また、知り合いに見られたら一生の恥である。そのため筆者などは、小銭を用意し、自転車を手入れして、通行人のいなくなる頃を見計らって、フードつきのウインドブレーカーを着込んで買いにいったものである。それでも運悪く通りすがりのOLに指をさされて笑われたときのことは、今でも記憶が鮮明によみがえる。

もうひとつは通信販売だ。

だが、1冊千円と高かったので、あまり利用しなかった。

次は古本屋での購入。

なんといっても安いのが魅力だった。しかし、モノがモノだけにだれがどんなふうに触ったのか分からないエロ本を買うのはちょっと気が引けた。それでも、筆者は近所の古本屋で1冊2百円前後で大量に購入したものである。

最後に開拓したのは、神田の専門店で買うことだった。

とくに芳賀書店は安く、7冊4百円で新本を買った憶えもある。高校、大学、そして社会人になってからと、必死で集めた自販機本も、今では手元に残るのはわずか5百冊程度にすぎない。内容は、おそらく今のエロ系雑誌に比べれば、決して高いレベルとは言えないかもしれない。だが、この自販機本には、当時を知る者でなければ理解し得ない、独特の味わいを十数年経た今感じとることができるのである。(文/橋本玉泉)

 

●アリス続篇として、遂にあの「Jam」の全貌を徹底解剖! 今春GON!誌上で大特集するぞ!

死とエロティシズム―川上慶子ちゃんに捧げる。マスコミは何を考えているのか!

HB SPECIAL 死とエロティシズム

川上慶子ちゃんに捧げる。

文/永山薫

マスコミは何を考えているのか!

「涙の123便」でレコードデビューという噂も

 

事故から2・3日の間、人々は寄ると触ると事故のあれこれについて語り合い、空いた時間をTVにしがみついて過ごした。

それはあたかも中南米の小国がサッカーの国際試合で大方の予想を裏切って優勝したかの如き国民的祝祭気分に満ちた日々であった。

この御祭り気分は4名の生存者が救出されると同時に最高潮に達した。

焦点を結ばない眼差し

さて、問題の川上慶子さん(12)の話をしよう。あの時以来日本中の注目を集め続けている少女の話だ。

惨事が、第三者にとって祝祭的色合を帯びた事態であるとすれば、その祝祭の祭司はマスコミであり、大地に投げ出された無数の死体は祝祭なき時代がささげた大自然の神々への、あるいは見えざる運命神への供物であった。この人身供儀こそがテクノロジーを得た代わりに我々が支払わなければならない代価であった。その犠牲の祭壇から生還した4人の女性はすでに聖別された何者かであって、以前の彼女達ではない。本人達がそれを望まないとしても、すでにそうなのである。

慶子さんが、『普通の女の子に戻りたい』と言うのは、そう言うことだ。TVの報道で一番印象的だったのは言うまでもなくフジTVの『生存者救出』第一報であった。小雨の中、急造の担架の上で地元消防団のハッピにくるまれた未だ名も知られぬ少女の泥と血に少し汚れた白い足が、目に痛かった。それが慶子さんとの最初の出会いだった。フジTVの記者がうわずった声でしゃべっていた。

『少なくとも4人の生存者が発見されました。一人はどうやら少年のようです』

彼はまだ慶子さんの名前どころか性別さえ判っていなかった。これは象徴的な発言だった。後に病院で行なわれた合同記者会見の席上では見事に少女だった彼女もこの時点では極めて少年的に見えたのである、いや、それよりはむしろ世俗的な性なるものを超越した透明な存在感が彼女の周囲に漂っていた。

『総てを見てしまったような、一気に何百歳も年老いてしまったような、いや、一度死んで産まれ変わったばかりのような、人間を超えた天使のような......』

この瞬間の映像を見た高桑編集長がふとこう漏らした。

彼女の眼差しはどこにも焦点を結んでいなかった。力無く担架に拘束されて、目は開かれていたが何も見ていなかった。周囲に立ちつくす大人達も、ジャンボ機の残骸も、山々も木々も見てはいなかった。もうすでに見るべきものも、見たくないものも、総てをほんの短い間に目だけでなく全身と全霊で見てしまっている。彼女の姿はひどく人形じみていた。一切の秘密をその体に封じ込められた身動きもせず、語ろうともしない人形のようだった。それはエロティックな眺めだった。

『あのニュースを見て性的に興奮した奴が何人いるだろうな』

と、何人もの人が露悪的に言ってのけた。

青山正明は『永山センセ、興奮したでしょ』と決め付けた。

恐らくそれは正しい。だがそれは、単に彼女が可愛い少女だったとか、悲劇のヒロインだった(不幸と悲哀をまとった女が一番美しい)とか言うレベルの問題ではない。もっと根源的なエロティシズムである。それは荘厳な宗教絵画を見る時に感じるあの不可思議な、見る対象の中に自分を投げ込んでしまいたくなるような感覚である。

TVカメラの前に横たえられているのはただの少女の肉体ではない。空の高みから落し、すぐそばで肉親の死を実感し、地獄を潜り抜けて来た特権的な肉体である。しかもこの時点ではまだ彼女は現世に完全に還って来てはいない。人界と霊界の接点である『山中』にいるのだ。彼女が下界に降り立つためには今一度天空に引き上げられなければならなかった。しかも彼女が最終的に帰り着くのは日本最大の霊域、出雲である。無論、総ては偶然であろう、だが筆者にはこの『霊界めぐり』が100%偶然だとは考えがたいのである。

 

何もしないことのエロティシズム

それにしても、12歳の少女にとってはとてつもない体験だった。死の世界から浮上したとたん担架に縛り付けられ、『股縄』を掛けられ、いかつい自衛隊員にバックから抱きかかえられて吊りあげられ、病院に入れられ、右腕をギブスで固められ、全国民の視線にさらされ、『はげまし』に対するお礼まで言わされ、最後には某週刊誌にパンチラ写真までスクープされてしまったのだ。

逮捕されるまでの三浦さんであり、一主婦三浦百恵であり、一昔前のパンダである。何もやっていないにもかかわらずである。彼女は向こうからやって来る事態を次々と受け入れざるを得なかっただけである。そのことによって彼女はヒロインにされてしまったのだ。

人形めいた印象が続く。記者会見のカメラの放列の前にさらされた彼女はすでに少女の面影を取り戻していたが、感情はまだ完全に生き返っていなかった。4・5歳の子供をあやすような婦長のインタビューに反発する気配も見せず、淡々と答える姿が逆に劇的だった。

『最後に慶子ちゃんからみんなに言いたいことあるよね?』

『みんなが、はげましてくれた御蔭で、立ち直ることができました』

総てはプログラミングされているかのようだった。決められた台詞を無感動に外に出しているみたいだった。だが、最後の台詞で彼女は泣きそうになってしまった。人形の外被にヒビの入った一瞬だった。

何もしないことのエロティシズムを説いたのは稲垣足穂だったと思うが、彼女の場合がまさにそれだった。筆者は感覚受容器だけが生きている人間人形のエロティシズムをそこに見たような気がした。

 

聖別された者の帰還

かくして、4人の生還者は日常性の中に帰って行く。

ま、中には慶子さんの芸能界入りを画策するオロカ者もいるが、そーゆーのはさっさとジャンボ機に乗って、落死してしまえ。筆者を含めたマイナー人種がパロディでやるならともかく大の『大人』がホンコで商売にしようなどとは大笑いである。尾翼のもげたジャンボ機のセットの前で『悲しみの123便』とか歌わせるつもりかね?  現実の方がパロディを凌駕している。

こうした例外を除き、一時の過熱の波が引き、三浦逮捕の御蔭もあってマスコミ各社の『生還者のその後』報道は自粛気味である。しかし、一度とてつもない体験をしてしまった彼女達が内面的にもとの自分に戻れるかは疑問である。すでに大人である2人はともかく、少女2名、それも思春期前期にある慶子さんは特にである。

これはもう一つの『宇宙からの帰還』のドラマであった。しかも『宇宙からの帰還』とは比較にならぬほど死と生が密着し、おまけに我々の日常の延長線上にあるドラマだった。あの123便に乗っていたのは大阪に実家のある筆者だったかもしれないし、他ならぬアナタだったかもしれない。そうした意味で、我々もまた奇跡の生還者の一人であると言うこともできるのである。

祝祭が終わっても彼女達の人生は終わりはしない。(1985年11月)

エロ劇画ルネッサンスの終結とニューウェーブの台頭―劇画が死滅する日(高取英)

エロ劇画ルネッサンス終結ニューウェーブの台頭

高取英

所載:檸檬社『漫画大快楽』1981年9月号(通巻100号)

1

現在、エロ劇画(三流劇画)戦線は、300円劇画誌の定着、商業誌として売れゆき安定、創刊誌があいつぐという状況下にあるが、作品としては、停滞期にある。

エロ劇画ブームを荷なった劇画誌と主な作家は、以下のとおりである。

76、7年、石井隆の突出(それは、78年、『別冊新評、石井隆の世界』にまとめられている。)主な発表誌は、『ヤングコミック』である。石井隆の突出によって、何人かのエロ劇画家たちが、その亜流化をはかった。それは、70年前後、演劇界における唐十郎率いる状況劇場の突出によって、幾多のアングラ劇団が、唐十郎化したことに似ていなくもない。

石井隆の亜流化の中で、独持の世界を開化させたのは、『大快楽』『劇画ジョー』等に作品を発表していた羽中ルイつつみ進である。

78年、エロ劇画ルネッサンスを荷なった劇画誌の中心は、『漫画エロジェニカ』『劇画アリス』の二誌である。もちろん、この時期、二誌と並んで御三家といわれた『大快楽』、プラスワンで四天王といわれた『ハンター』(久保書店)、闇の帝王といわれた『悦楽号』(サン出版)の存在無視することは出来ない。

78年、『漫画エロジェニカ』で人気を集めたマンガ家は、ダーティ・松本(『悦楽号』でも活躍)、中島史雄清水おさむ、村俊俊一、小多魔若史川崎ゆきおである。『大快楽』出身の編集者亀和田武によって編集された『劇画アリス』で人気を集めたマンガ家は、井上英樹飯田耕一郎(二人は、『ハンター』でも活躍)、清水おさむ、である。

この二誌が話題をよんだのは、表2で裸体をさらけだし、「執着」等のコピーで注目された亀和田のスポークスマン活動と、「漫画界のNHKビックコミック』粉砕」を叫び、発禁第1号となった『エロジェニカ』のドン・キ・ホーテ行為にあったのであろう。

79年、エロ劇画ルネッサンスの中心は、『大快楽』にうつり、ひさうちみちお宮西計三(『アリス』でも活躍)、平口広美、いつきたかしが人気を呼ぶ。

この時期、『エロジェニカ』は、いしかわじゅんを、『アリス』は、吾妻ひでおを起用し、エロ劇画路線としては、異色の道を取り込もうとする。

78、79年エロ劇画ルネッサンスはここまでである。漫画界における三流劇画ブームは終結したのである。

 

2

79年の秋、エロ劇画誌ではないが、三流資本誌『コミックアゲイン』(みのり書房)が、ニューウェーブ特集を特集をしている。大友克洋さべあのま柴門ふみ高野文子ひさうちみちお宮西計三たちが取り上げられているものである。このニューウェーブ路線は、80、81年と『マンガ奇想天外』『漫金超』によって受けつがれたといってよいであろう。

漫画界は、三流劇画ブームからニューウェーブへとブームをうつすのである。

それは、エロ劇画誌からみれば、エロと、ニューウェーブの泣き別れといったものであった。ひさうちみちおと、宮西計三の二人がニューウェーブ特集の中に組み入れられていることに注目されたい。

亀和田が、「劇画への愛を」と呼んだポーズとは逆に劇画編集の仕事をサボって、『アリス』の編集は、同人誌『迷宮』の橋本高明と米沢嘉博に移った。劇画実験室(これはヤユではない。)となった『アリス』は、現在ニューウェーブの一員とみなされる、近藤ようこまついなつきを起用したが、80年に休刊となった。『エロジェニカ』は、柴門ふみ、くげぬまかを、山田双葉、まついなつき、みねぜっとを起用し、ニューウェーブ路線を取り込みながらも、会社が経営難のため倒産し、廃刊となった。80年7月のことである。

『大快楽』は、編集者が交代し、その内容は変化した。

 

3

80年前半に、『エロジェニカ』vs『大快楽』戦がコラムページを中心に闘かわされたが、これは、ひとことでいいあらわすととはできない。象徴的には、亀和田(アリス)批判をくりかえした流山児祥(エロジェニカ・元青学全共闘周議長)が、板坂剛(大快楽・元日大全共闘もどき)を3秒でKOしたととで示すととができる。もちろんこれは、飯田耕一郎のいうように「内部分裂」でもなく「内ゲバ」というようなものではなかった。

この決戦後、『アリス』を追放されていた亀和田(自称全共闘・成蹊大)が、板坂に連帯を求めたのもうなずけるととろがある。インチキはインチキと手を結ぶものだからである。『エロジェニカ』vs『大快楽』をCOM派とガロ派の宿命の対決と巷で耳にしたが、別に『エロジェニカ』がCOM派であったわけではない。

 

4

80年、エロ劇画ブームの沈帯は、エロの測面でみるなら、ビニール本のブームによる影響を上げることが出来る。そして、エロ劇画誌としては、大手資本である集英社の『ヤング・ジャンプ』、講談社の『ヤング・マガジン』のエロ路線を含む低価格青年マンガ誌の創刊による影響もあげられる。エロ劇画誌は、ビニ本ブームと、二大青年マンガ誌の創刊によるサンドイッチ攻勢をモロにかぶったのである。

紙代、印刷代の値上げで200円から300円に値上げせざるを得なかったエロ劇画誌にとって、この状況は厳しかったはずである。

現在、ニューウェーブというワクに囲まれることなく、エロ劇画の世界で力作を発表しているのは、石井隆ヤングコミックつつみ進(エロトピア)羽中ルイクレオパトラダーティ松本(『快楽号』『ハンター』)中島史雄(『エロトピア』『GANG』)平口広美(大快楽)村祖俊一(快楽園)つか絵夢子(タッチ)井上英樹(ハンター)清水おさむ(快楽園)などである。

エロ劇画ルネッサンスの諸作品は、久保書店サン出版、けいせいコミックス、ブロンズ社の単行本に収録されている。とりわけ、わが友、小松杏里担当のけいせいコミックスがエロ劇画+ニューウェーブ(奥平衣良、渡辺和博まついなつき)の両方にまたがって健闘中というところである。

現在、注目に価する新人は、谷口敬(野島みちのり)と丸尾末広である。谷口敬の代表作「弥彌子に」は、秀れた少女劇画であり、宮西計三風の絵で、花輪和一的エロ・グロナンセンスを描く丸尾末広の代表作「童貞厨之介」(『ピラニア』)は秀逸である。

エロ劇画ルネッサンスは、何事かによって、引きつがれるであろう。

少くとも私が『COM』と『ガロ』の流れを『エロジュニカ』で引きついだ程度には。しかし、そのためには十年程度の歳月を必要とする。

(たかとり・えい/マンガ評論家)

最初それ(=ロリコン漫画)は邪道を自覚した遊びのはずであったが!?(蛭児神建)

最初それは邪道を自覚した遊びのはずであったが!?

蛭児神建

所載『ロリコンKISS』(1986年4月/東京三世社

 

まず最初に、漫画同人誌界が有った。漫画家予備軍の素人衆がとにかく自分が描いた作品を他人に見てもらいたいと、自費出版した本を持ち寄って売り合う、そんなママゴト遊びの様な即売会が有ったわけだ。少々鼻につく自己満足的な部分も強かったが、それはそれとしても情熱に燃えた心の底から描く事を愛する若者の集まりであった。

そんな中から「ロリコン同人誌」と呼ばれる物が出始めたのは、70年代末から80年代初頭にかけての事だった。アニメや少女漫画の影響下で育った世代であるアマチュア作家達が、そうした絵によるエロ漫画を描き始めたのである。

最初それは、一種の座興…邪道を自覚しながらの遊びであった筈である。心の底には常に、いつの日か立派なプロとなって描くべき正当な漫画が有った。だからこそ、売る側にも買う側にも一種の羞恥心が存在し、それがかえって屈折した仲間意識を生んでいたのである。

そして、そんな流れの中で漫画を愛しながら純文学を目指していた私自身も“少女”をモチーフとしたエロ小説を黙々と書き続けてコピー誌を作っていた。一番最初のロリコン漫画同人誌を『シベール』と言い、私がやっていた文章ロリコン誌を『幼女嗜好』と言った。

全ての歯車が狂い始めたのはそれがブームとやらになった時からだった。シビアに言えばたかがエロ本である筈の同人誌に照れも恥らいも無い若者達が行列を作る様になり、同様のエロ同人誌が雨後の竹の子の如く生じた。

それは、まあ良い。劇画的な絵ではチンポの立たない世代が、はじめて自分達を興奮させられるメディアに出会えたわけだから。しかし奇妙なのはそんなたかがエロ本を、何か高尚でナウイ流行と誤解した不思な風潮が生じた事である。とはいえ、ここまではまだ東京ローカルの閉鎖的同人界内部でのみの出来事だった。

これに目を付け、ロリコンの商品化に先鞭を付けたのがマニア向けの漫画評論誌『ふゅーじょん・ぷろだくと』の56年10月ロリコン特集号であった。

ここの編集部に、例の大塚某と緒方がいた。その上にまた、例の高取英氏や川本耕次氏まで出入りしていたわけだ。あのクソ馬鹿馬しいロリコン・ブームとやらゆう騒ぎは、ほとんどこの四人がでっち上げた物である。

マチュア作家にとって、どんな代物であれ“商業誌”とは巨大な魅力をもった存在である。それに目がくらみ、成行きでデビューしてしまった私は、幸か不幸か遊びでやっていたエロ小説がマジの仕事になってしまったわけである。人間、何処で道を踏み誤るか分からない。

最初の美少女漫画専門誌である『レモンピーブル』の創刊は57年。同人誌「人形姫」のメンバーが、内山亜紀氏によって久保書店に紹介された事から始まった。彼等もまた、世間知らずのまま、遊び半分でやっていた事でプロとなってしまったのである。私も便乗して読物記事を担当し、初めての連載を持った。

作家のほとんどが元より一緒に遊んでた仲であり、その仲間意識は「皆で雑誌を盛り上げよう」という意識の原動力となった。その為、初期の『レモンピープル』は異常な程のパワーを持つ雑誌となった。しかしそれは、やがてナレアイを生む結果となり、久保さんがハッキリと物を言わぬ性格である事もあいまって作家の心に甘えを生じさせた。

その上、同人誌の世界からも縁が切れず「オレ連のミウチから出た英雄」とでも言う様な扱いをうけ「オレは××先生の友達なんだぜ」と自慢す太鼓持ち人種を生み「先生、先生」とおだてられ…こうして厳しい出版界全体から隔離され、あの雑誌は余りに居心地の良いヌルマ湯と化したのである。

自業自得として、作家は脱皮する事も出来ぬまま進歩が止まり、メジャーへ行くチャンスが有っても、それを利用するだけの強さを失ってしまった。この甘えの体質が、やがて業界全体を支配し始める。編集に少し厳しい事を言われただけで、傷付き、被害者となり、陰で悪口を言い触らす幼児的な作家ばかり増えたのだ。

それでも2年間続いた『レモンピープル』の独占体制を崩し、太平の夢を覚ましたのが、大塚某が白夜書房から出した『漫画ブリッコ』である。その後『メロンコミック』やら緒方の『アリスクラブ』やら、多くの亜流誌が生まれては消え、現在は戦国の様相を呈しているが、例の体質だけは伝統的に継承されてきた。

どんな雑誌であれ最初は面白くとも、やがてナレアイに堕す。最近思うのだ。この業界、作家も編集も雑感そのものさえ、共に消耗品ではないかと。

(プチパンドラ編集長/蛭児神建

【閲覧注意】2ちゃんねるの中で起きた怖い話大全集(永久保存版)

暇な時とかホラー好きな人にオススメなのがオカ板含む2ちゃん…!!

みんな、暇潰しに読んでみてね。夜に読むこと推奨

※注意事項※

掲載されている情報には危険なものも含まれています。閲覧したり実践したりすることで発生する一切のことがらに責任を負いかねます。必ず、自己責任でお願いします。また不思議な現象が起きた場合、閲覧を即刻中止してください。

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※閲覧要注意※ 2ちゃんねるの中で語り継がれている怖い話のリンク集です。 最終更新日:2020年06月25日

【前口上】

2020年9月30日をもって閉鎖された「NAVERまとめ」1000万Viewsを誇った「2ちゃんねるの中で起きた怖い話大全集」を勝手に復刻しました。

NAVERまとめ」そのものはどうでもいいのですが、このまとめは私が2ちゃんねるのオカルト版にハマるきっかけとなった、大変思い入れの深いまとめで忘れられず、どうしても後世に受け継いでおきたかった。

そういうわけで今回「インターネットアーカイブ」からデータを復元、再掲しました。もはや検索にも表示されなくなった在りし日のオリジナル記事はこちら

それではご覧ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【鬼門を開く方法】

鬼門を開ける方法を試して亡くなった方かと思われます
本当に本人ならばそれこそ洒落になりませんね
すみませんがコピペの初出は分かりませんでした

【東京】社長宅 豪邸のプールで男性の変死体 目黒区東山 | ログ速

 

【消えたとてうかぶもの・?】

消えたとて浮かぶもの1〜500

1 名前: かしまし ◆nJVaXTZo 投稿日: 02/04/02 04:05 id:RIYlzIsA
たとえばそれは台所にあるとします
私がそれを取ろうとすると浮かんでいたはずのものも沈みますね?
だから最初から消えていたと理解して撮ろうとしてもやはりそれは存在しないといえます
次にわたしが言うことは「消えた」ということ
消えたのなら最初はそこにあったはずです
なのにそれ(例えですが)は浮かんでいるのですから掴める訳ありません
もし掴もうとしてもやけどしたりしますからそこまでのリスクを伴ってまで(経済的負担は除きます
消えるのを防がなくてもいいと思います
 
友達に言ったのですが相手にされなかったので、皆さんの意見を聞きたいです

 

あまりの意味不明さと>>1の無駄な真剣さに「本当に病気ではないか」と徐々にスレはざわついていきます。さらに電話の様子からただの病気やネタではないことが発覚。結局全て謎のままスレは1000を迎えてしまいました。

 

813 名前: かしまし ◆nJVaXTZo 投稿日: 02/04/02 06:59 ID:???
このスレを立てたのは私じゃありません。
最初の方意味不明ですし。
 
817 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/04/02 06:59 ID:???
>>813
!!
 
818 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/04/02 06:59 ID:???
かしましを消したの?>(あ)
 
822 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/04/02 07:00 ID:???
やはり二重人格です。
皆さんにもかしましさんにも医者として親権に警告します。
話題に深くのめり込まないようにしてください。
二重人格者は精神が不安定なため、ヘタな返事を返すと
間に受け本人を死に追い詰める危険があるます。
おやめください、そしてかしましさん、一度お眠りになってください。
お疲れのようです。
 
823 名前: かしまし ◆nJVaXTZo 投稿日: 02/04/02 07:00 ID:???
よく分からないのですが・・。
 
まずこのスレを立てたのは私ではないこと。
第一訳分からないです。
 
828 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/04/02 07:01 ID:???
なんなんだ!!
一体何が起きてるんだ!!!!
 
829 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/04/02 07:01 ID:???
統合されそうな感じジャン。
 
834 名前: かしまし ◆nJVaXTZo 投稿日: 02/04/02 07:03 ID:???
あ、それとこれって1000で書けなくなるんですよね?
なんか気味悪いので次スレとか立てないで下さい。
落ち着いたらゆっくり見直してみます

 

【おまいら、俺のアパートが祭りかもしれん】

おまいら、俺のアパートが祭りかもしれん

初期のVIPで起きた事件

早々に腐乱死体の画像も貼られてとても盛り上がりました

大家とのやりとりや部屋を開けるときの様子がリアルに書き込まれています

 

【唯一の友達の性癖が理解できない。】

2chまとめサイト - 唯一の友達の性癖が理解できない。

最初はよくある相談スレのような流れでしたが、安価のせいでスレの存在が本人に知られてしまいます。その後本人による乗っ取り宣言や暴行画像の投下など予想だにしない展開に発展。最終的には釣りということになりましたが、いまいちスッキリしません。

 

【この謎解けるかな? 一日限定】

ガクブル2ちゃんねる((゚Д゚;))) この謎解けるかな? 一日限定 1/2

2ちゃんねるの怖い話スレでは必ず名前が挙がるスレです

もしもその場所へ行っていたら>>1に殺されたかもしれない・・・という話もあります
それにしてもなぜ>>1はこんなスレを立てたのでしょうか?

 

【【降霊】検証実況スレ本館【交霊】】

【降霊】検証実況スレ本館【交霊】過去ログ

初代ひとりかくれんぼスレです
◆iwr.CbaKEEにより行われ、スレもなかなか盛り上がりましたが、後に釣りだと判明。ただしこの時点でひとりかくれんぼ=釣りと考えるのは早計ですよ。

 

【幽霊だけど何か質問ある?】

幽霊だけど何か質問ある? 前編

これもこの手のスレではよく見かけるスレです。確かに怖いもののちょっと感動させられるような内容です。IPアドレスがありえないのでまさか本当に幽霊だったのでは・・・?(運営のいたずらという説もあります)


【土生 明弘(はぶ あきひろ)を捜しています。】

土生 明弘(はぶ あきひろ)を捜しています。 - ニュースなど

一時期ニュー速に大量に貼られていたコピペの人物です
2ちゃんねるだけではなく知恵袋でも質問をしたり外でも捜索をしている模様
女性関係が粘着の要因みたいですが凄まじい狂気を感じます

 

【伝説の「鮫島スレ」について語ろう】

伝説の「鮫島スレ」について語ろう

1 :22世紀を目指す名無しさん:2001/05/24(木) 22:56 id:yWtu.nZk
ここはラウンジでは半ば伝説となった「鮫島スレ」について語るスレッドです。
知らない方も多いと思いますが、2ちゃんねる歴が長い方は覚えてる人も多いと思います。

かくいう俺も「鮫島スレ」を見てから2ちゃんねるにはまったひとりでして、あれを見たときのショックは今でも覚えています。

誰かあのスレ保存してる人いますか?

もはや伝説と化したスレですね
毎回この事件を追及して何人の人が消えていったか・・・
恐ろしいスレです

 

【絶対に見てはいけない画像(お つ か れ)】

絶対に見てはいけない画像:オカルト板もぐり

いわゆるお つ か れのスレです
供養するという名目でしたがどうやら悪質な呪いだったようです
明らかに人を選んでいるあたりが恐ろしいですね

 

【定価で買っても後悔しなかったであろうソフトは?】

定価で買っても後悔しなかったであろうソフトは?

’艿‚Å”ƒ‚Á‚Ä‚àŒã‰÷‚µ‚È‚©‚Á‚½‚Å‚ ‚낤ƒ\ƒtƒg‚ÍH

最初はどんなレスにも一言コメントをする丁寧な>>1のおかげで
スレもほとんど荒れない良スレでしたがだんだんと壊れていきます
恐らく躁鬱病や多重人格なのかもしれません

 

【きさらぎ駅】

身のまわりで変なことが起こったら実況するスレ26

はすみ ◆KkRQjKFCDsの何気ない書き込みから大事件へと発展していきます
きさらぎ駅が存在しない駅というところがより一層怖さを引き立てています
もし終点まで乗っていたらどうなっていたのでしょうか?

 

【母親殺してきた(´・ω・`) 】

http://blog.livedoor.jp/blog_ch/archives/50867438.html

>>1は終始笑ってばかりで通報したというレスにもケロッとしています

スレでは釣り確定の書き込みやこういうのに限ってというレスが続きました

そしてその後母親の頭部を持った少年が出頭というニュースが流れ・・・

 

【国際的超機密を安全にリークする手段】

国際的超機密を安全にリークする手段

9.11の予言が書き込まれたスレです

厨二乙といった書き込みが続く中>>1はただ淡々と事実を語っていきます

そしてその4日後同時多発テロが起こるのです

 

【本当に危ないところを見つけてしまった・・・(蓋)】

【本危】まとめサイト:本当に危ないところを見つけてしまった・・・〜解〜

2004年9月13日、オカルト板のとあるスレに不気味な蓋の画像が投下された。
その蓋を発見するべく、多くの勇者達が岡山県の倉敷へと突撃した。

蓋の本当の所在地が福山だということが判明するも、それから約2年半の間、蓋は見つからないままだった…

・・・・・・・・・・・・・・・・・

蓋のスレです

オカルト板史上最高に盛り上がったスレとも言われています

読むと丸1日潰れてしまうくらい長いですがそれだけに読み応えは充分にあります

 

【気になる子がいてメールしたんだが帰ってこない(´・ω・`)【助けて】】

気になる子がいてメールしたんだが帰ってこない(´・ω・`)【助けて】:マジキチ速報|2ちゃんねるまとめブログ

かなりのストーカー気質を持った>>1ですがまったく自覚症状はありません

600通ものメールを送ったり100件も電話をしたりとまさにマジキチ

まだ完結していないのでどこかで会えるかもしれませんよ

 

阪神大震災の被災者ってニュー速にも居るの?】

阪神大震災の被災者ってニュー速にも居るの?:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

ある意味地震の予言者なのかもしれません

出張に行くところ行くところ大きな地震が起きています

 

【暇だから女友達にイタメール その458(泡姫)】

泡 - 暇なので・・・ - アットウィキ

泡姫です

最後の書き込みをした後に実際に殺人事件が起こっています

本当に本人だったのでしょうか?

 

【一緒に日本対オランダ戦を見ようと約束していた彼女に今日フられた】

【名作スレ】一緒に日本対オランダ戦を見ようと約束していた彼女に今日フられた | サンブログ

スレタイとはだいぶかけ離れた内容です

3人の関係から恋愛話かと思いきやまさかのオカルトスレ

女が怖くなるスレです

 

【【心霊】静岡県中部にいるやつ【SIREN】】

【心霊】静岡県中部にいるやつ【SIREN】1 : はれぞう

最初から自らフラグを立て1人で向かった>>1

そのフラグ通り>>1は途中で失踪します

他のVIPPERが後を追いますが・・・

 

【死体の処理方法。】

死体の処理方法。:オカルト板もぐり

>>1はあくまで小説だと言い張っていますが妙に生々しいです

終盤では感情も書かれており急に書き込みが途絶えています

さらにその後女性の下半身の切断死体が見つかるという事件も起こっています

 

【ヤヴァイ奴に遭遇したかもしれん(アクロバティックサラサラ)】

ヤヴァイ奴に遭遇したかもしれん その1:オカルト板もぐり

夜に怪しい女を見た>>1

それからどんどん不幸な出来事が・・・

八尺様の話に似ています

 

【■RAGNAROK ONLINE βLv417 ママーリ■】

S県月宮

昔懐かしいS県月宮のスレです

「お兄ちゃんどいて! そいつ殺せない!」という名言も生まれました

リアルキチガイの恐ろしさが綴られています

 

【ポストに変な手紙が入ってた】

宛名も切手もなく内容もよく分からない手紙が>>1の元に届きます

手紙も怖いのですが何と言っても絵が怖いです

不動産屋さんがとてもかっこいいです

 

【なんのデータ?(身)】

なんのデータ?

身という謎のデータをきっかけにスレ住人を巻き込む事件へと発展していきます

さらにオカルト民とも協力し本格的に解析を進めます

果たしてそれはただのバグファイルなのでしょうか?それとも…

 

【昏睡姦されたことのある人】

萌えた体験談 <昏睡姦されたことのある人>

その後このスレに似た事件が起こり話題になりました

スレでは自称>>1が現れたりネタ確定などの書き込みが続きあっという間に1000を迎えます。 >>1がトリップを付けてないこともあり真相は藪の中です

 

【今日結納したんだけどなんか質問ある?】

 瓢箪事件の記録 - 今日結納したんだけどなんか質問ある?~瓢箪事件まとめ~ - アットウィキ

最初はよく見られる質問スレでしたが>>9の登場によって事態は一変します

>>9が見つけた古い箱の中にあった瓢箪が大きな鍵になっています

しかし>>9が鳴ったチャイムに出た報告を最後に書き込みは止まってしまいます

 

【本棚を整理していたら奥からスーファミのゲームが出てきた。】

 本棚を整理してたら奥からゲームがでてきた : イフカルト - ライブドアブログ

手紙というサウンドノベルの実況プレイスレです

プレイした人が消えるという呪われたゲームとして話題になりました

このスレも尻切れトンボに終わっていますが・・・

 

【小学生とか中学生って、たまにものすごいイタズラしちゃうよな・・・】

ちょっとアレなニュース 小学生とか中学生って、たまにものすごいイタズラしちゃうよな・・・

ニュー速に書き込まれたダムに友達を置き去りにしたという話です。古い話らしいですがリアリティのある怖い話です。子供の頃の取り返しのつかないイタズラを今まで秘密にしていたところも不気味です。

 

【今日樹海行ったんだけど、そこで変なやつ見たよ】

今日樹海行ったんだけど、そこで変なやつ見たよ

面白半分で樹海へ行った>>1と>>1の友達はそこで不気味な男を見かけます

幽霊ではないから大丈夫と>>1の友達はその不気味な男を追いかけはじめますが・・・

興味本位でそういうところには行かない方が良いと思うスレです

 

【変なものを見てしまった。】

 変なものを見てしまった。 : 2chまとめ・読み物・長編・名作/2MONKEYS.JP

変なものを見てしまった。その後 : 2chまとめ・読み物・長編・名作/2MONKEYS.JP

愛犬とキャンプに行った>>1はそこで毛むくじゃらの生物を発見

追ってくるその生物に何とか抵抗しますが・・・

後日談を見るにどちらも死んでしまったのではないかと思われます

 

関西テレビの夜景見てたら】

関テレの夜景見てたら過去ログ

関西テレビの夜景見てたら取り憑かれた

京都のウトロ地区に住む>>1が関西テレビを見ていると

急にテレビに映し出されていた夜景が真っ赤に

そこから様々な異変が起こり始めます

 

【【おかしい人】来たらウザイメール23通目【お断り】】

【おかしい人】来たらウザイメール23通目【お断り】

ストーカーに悩みこのスレへ書き込んだ>>288

家の外からも声が聞こえると書き込もうとしましたが途中で文が切れてしまいます

その後急に文体が変わり・・・

 

【合唱曲「エトピリカ」ってどんな曲?】

【怖い話】2ちゃんねるに現れた謎の人物「塩谷豊」とは | Theつぶろ

スレが立った2年後すっかり過疎化してしまったスレに

突如塩谷豊という人物が現れ意味不明な書き込みを続けます

ですが今はもう塩谷豊も他のスレ民も去りスレだけが残っています

 

【【関西】ただであげます。ただでください3【無料】】

 『神戸市北区の一軒家いらないか?』 - 怖い話まとめブログ

大抵はDVDや衣服などですが何と無料で一軒家をあげるという書き込みが

ですが井戸には絶対に触らないでほしいなどとありかなり怪しいです

さてこの怪しい物件に住む勇者はいるのでしょうか

 

【日常生活で体験した不思議なこと 二回目】

 日常生活で体験した不思議なこと 二回目 2ちゃんねるオカルト板まとめ

2001年の秋が投下されたスレです

ほんの一瞬で自分ではなくなってしまうという不思議な話です

 

夏焼雅ファンスレ16】

 夏焼雅ファンスレ 16

これも自殺予告がされたスレです。

恐らく彼氏とのキス写真が流出したことにより、ショックで飛び込み自殺をしてしまった模様。ある意味オタクの鏡かもしれません。

 

【死体を沈めるバイトをすることになりました】

2ちゃんねるアンソロジー: 死体を沈めるバイトをすることになりました

オカルトスレですが2ちゃんねる屈指の名スレとも言われています

見るからに怪しいバイトに誘われたS-MILE◆lmyB7AQcにより

凄まじいストーリーが繰り広げられていきます

 

【信じようと、信じまいと―】

世にも奇妙な2ちゃんの話 ― 信じようと、信じまいと― (初代) | 不思議.net

ロアが書き綴られた何とも不思議なスレです

1つ1つの話が充実しておりスレそのものが1つの作品となっています

かなりの良スレでしたが62話目を語る前にスレは途切れてしまいました

 

【★☆★痛い出逢いのHP★☆★】

★☆★痛い出逢いのHP★☆★

今のmixi日記やブログの晒しの淵源がありちょっと懐かしさも感じられます

出会い厨の痛いオタクを遠方から呼び出し晒し者にしたりと

釣る側の行為も容赦がありません

 

【ロシアが30年間流し続けた「謎のブザー音」、止まる…】

ロシアが30年間流し続けた「謎のブザー音」、止まる… | ログ速@2ちゃんねる(net)

同じ動画を見ているはずなのになぜか噛み合わない・・・というスレです

女が喋っている動画なのに裸の女がウネウネとしているという>>468

>>468には他の動画も違って見えるのでしょうか?

 

【お前らの逃げ切った悪事を教えてもらおうか】

 お前らの逃げ切った悪事を教えてもらおうか:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

昔テレクラで出会ったメンヘラのことを書き込んだ>>48

その後車の車種や年数までいきなり当てる人物が登場します

名前欄といいその前の書き込みといいちょっと不気味です。

 

【変な日記拾った!!】

変な日記拾った!! | 不思議.net

トリを飾る記事は「変な日記拾った」というスレ。一昔前は「怖い話ってある?」系のスレが立つと、かなりの頻度でこのスレの名前が出てました。

日記の内容はおかしな文章+日付もめちゃくちゃ。その後>>1に異変が・・・

不気味な日本人形の画像が貼ってあるため注意。

へんな日記ひろった - 検索してはいけない言葉 Wiki - アットウィキ

 

蛭児神建『出家日記―ある「おたく」の生涯』解題(大塚英志)

特集・真説おたくの精神史──解題

大塚英志

今回から三号に亘って蛭児神建──というより、かつて蛭児神建と名乗ったことのある、今は僧籍にある彼の「自分史」を掲載する。

蛭児神建について説明するのは、ある意味、吾妻ひでおについて説明することよりも更に困難だ。彼は吾妻ひでお以上に忘れられた名であると同時に、吾妻ひでおがあの時代の不毛さや困難さを一方的に背負ってしまったのだとすれば、蛭児神建吾妻ひでおに唯一、しかも、過度に殉じてしまったかのようにさえ思えるからだ。

改めてページをめくってみればわかることだが、吾妻ひでおの八〇年代の作品に帽子にサングラス、白いコートというキャラクターが時に登場する。「おたく」が公然化する以前の、いわば「変質者」としての“プレおたくのパブリックイメージをなぞったこの人物こそが蛭児神建である。

そのようないでたちで実際に彼はコミケなどのイベントに現れた。彼が同人誌及び出版界における「ロリコンまんが」の起源にいかにコミットしたかは、今回、彼自身が語っているので繰り返さないが、そのような表現を公然化しようとする時、当然、人々から向けられるであろう視線を彼はそのようないでたちをあらかじめ自らまとうことで相応に自覚していた記憶がある。

それは「コスプレ」と言ってしまうほどに軽くもなく、「パロディ」というには余りに捨て身で、かといって「自虐」や「露悪」と切り捨てるにはやはり厄介で、ぼくにしてもあまり直視したくない存在であった。しかし、そのことはあの奇異ないでたちが同時代の中でぎりぎりの批評になっていたことの証しである。中森明夫が「おたく」の語をもって外からコミケに集う人々をカリカチュアライズするより前に蛭児神建の異装は既におたく自身による「批評」としてあったことは事実として記しておくべきだろう。ぼくにとっても彼の異装は目を逸らさずにはおれないほどには充分に厄介なものだった。だから、ぼくの中にぼんやり残る最後の彼の唯一とも言ってもいい記憶は、かがみが逝った日かその翌日、白夜書房かどこかで彼とすれ違って会釈とも目礼ともつかない挨拶をかわした一瞬である。

吾妻ひでおの許に集まった創世記のロリコン/美少女まんがの描き手たちは、その後にやってきた世代に呑み込まれる形でフェードアウトしていかざるを得なかったが(たいてい新しいジャンルやスタイルのおいしいところは二世代ぐらい後にやってきた一群が全てさらっていくものだ)、その中にあっても蛭児神建の消え方は吾妻ひでおとは違う形でぼくたちを困惑させた。ある時期から、殆ど都市伝説のように蛭児神建は出家したという噂が繰り返し囁かれたのである。それは話としては出来過ぎていて、正直、ぼくは信じられなかったが、彼の話が出る度に、誰もが彼は出家したらしいと言い、しかし、噂の出所はわからなかった。確かに彼のあのいでたちは「おたく表現」の業の深みみたいなものを誰から言われたわけでもないのに一方的に背負ってみせたようなところがあったから、彼が出家した、というのは半分は出来過ぎた冗談として受けとめられ、しかし、半分はもしかしたら一人ぐらいそういう生き方をしてくれてもいいという勝手な願望が同時代のどこかにはあったのかもしれない。

だから『comic新現実』を始めなければ、あるいは彼の記憶は一編の都市伝説の如き挿話のようにのみ、ぼくの中にあったままだったはずだ。

しかし、前号で、二度めの失踪からの帰還以来、久しぶりに吾妻ひでおに会いにいった時、思いがけなく彼の名が出た。突然、手紙が届いた、誰に見せてもいいと書いてあるので、と言われ、コピーを渡された。全く、目の前にいる『失踪日記』の作者を直視するだけでも難儀なのに、蛭児神建の「現在」といきなり心の準備もなく再会したのだ。
手紙には彼のかつての名とは違う名があり、それは僧侶としての彼の名だ、と手紙にはあった。

つまり、彼は本当に出家していたのである。都市伝説などではなかったのである。そして、彼が自らフェードアウトしていった決定的なきっかけの一つがかがみの死であったことのくだりを読んで、ぼくは腑に落ちた。

ぼくは彼の死をきっかけにぼくの雑誌を殆ど「自殺」させたが(何しろ、勝手に休刊宣言して、取次で大問題になった)、それはもう、ここにいてはいけない、という感情に突き動かされていたからだと思う。しかも「ここ」ではないどこか、とは、具体的な場所ではなく、ああ、もうそろそろ歳をとらなくてはいけないのだなあ、という諦念とも決意ともつかない感覚であった。

雑誌を「自殺」させたことを今も恨んでいる書き手がいることも知っているが、しかし、ぼくも彼らもいつまでも「ここ」にいても仕方がない、というのが、かがみの死のぼくなりの受け止め方だった。

蛭児神建は直接、ぼくの雑誌に関わってはいなかったが、殆ど冗談のような企画であった「ロリコンまんが誌」なるものがなまじ売れ、版元やそこに集まった人々の目の色が変わっていく中で、かがみの死はやはり、物事の潮時を教えてくれていた。「冗談」には引き際がある、と。

蛭児神建もまた、かがみの死をきっかけに、あの場所から「出て」いったのだが、しかし、彼は文字通り「出家」していたのである。それは充分にあのばかげた時代に筋を通していたのだといえる。

今号から三回に亘って連載する彼の手記の原型は、吾妻ひでおの勧めによって書かれたものである。前号を出した後、ぼく宛に届いた。吾妻ひでおが書くことを勧めた、と記されていた。一読して、これは載せないわけにはいかない、と思った。

1つは当然、時代の証言として。「萌え」的なものの一番の起源についての当事者の証言は一次資料として極めて重要だ。ぼくは『おたくの精神史』を書いた時、同時代についてのいくつもの証言が出てくることを望む、と記したが、今のところそれは出てきていない。その意味で、まず、公にする価値がある。ぼくの本が「正史」になっては困る、というのはあの本のあとがきにも書いたとおりである。しかし、それ以上に、その後半の彼の生き方についての告白はやはりあの時代にあった者は受けとめておく責任がある、と感じたからだ。

若いライターの中には吾妻ひでおの『失踪日記』をぼくが同時代の記憶の中で読むことが気に入らない者がいるようだが、しかし、それは彼らが自分たちの時代の中でさえ受け止めるべきことがらを受けとめそこなっていることの言い訳でしかない。彼らの時代にも吾妻ひでお蛭児神建として生きてしまう者は多分、いるはずなのだ。

繰り返し記すことになるが、吾妻ひでおにせよ、蛭児神建にせよ、失踪したり出家したり、その事実そのものを「おもしろがっ」てみたところで、あるいはそのこと自体を持ち上げてみたところで、そのことに何の意味もない。「おもしろがっ」たところで、おもしろがれない何ものかがごろりと残る。

重要なのは、そのことばや存在がごろりと投げ出されている地点から目を逸らさないことだ。無論、読者が単に「おもしろがり」として興味から手を伸ばしてもかまわないが、その点で彼らはそのあたりの「文学」よりはるかに「芸」にも長けているし、しかし、多分、おもしろがるだけでは許してはもらえないことばにし難い澱みのようなものがあなたの中に残ってしまうはずだ。「おもしろがること」や「評価すること」といったスタンスは結局は異物としてのそれにただたじろいでいるだけであり、ならば素直にたじろぎ、ただ屈託を澱みとともに呑み込むことの方が大切だ。

呑み込んだ澱みはいつかそれぞれの読み手の中でそれぞれのことばになるはずだ。そして──。あとはどうしようもない。蛭児神建は雑踏の中で時に托鉢僧としているともいうから、街中で托鉢を見かけたら、彼であろうがどうかお構いなく、ポケットの小銭を喜捨でもして、しばし、マザー・テレサ好きの彼へのリスペクトとして世界の平和についてでも祈ろう。

蛭児神建は、ヤクザあたりが外国人に僧侶の格好をさせてお金を集める困った商売の人もいると笑っていたが、間違って偽托鉢僧に頭を垂れてしまっても、それはそれで悪くない祈り方だと思うのだ。

所載:大塚英志責任編集『comic新現実』Vol.4

米沢嘉博が語る「やおい」の検証―少女は普通の恋をやめて、何故少年愛を愛するようになったか

所載『imago』1991年10月号「特集・現代マンガの心理学」

やおい」の検証

少女は普通の恋をやめて、何故少年愛を愛するようになったか

米沢嘉博(批評集団「迷宮」同人/コミックマーケット準備会代表/漫画評論家

やおいの隆盛の意味

やおい」と呼ばれているマンガのジャンルがある。少年マンガ、少女マンガ、あるいはSFマンガ、ギャグマンガといったジャンル分けとは若干ニュアンスの違ったものではあるが、その言葉はマンガファンの間には定着しており、まだ表だって取り上げられてはいないものの、数十万人のオーダーがあると考えられている。

この言葉はもともと同人誌の世界で使われ始めたもので、「ヤマなし、オチなし、イミなし」を略した言葉だ。短いページ数で既製のアニメ、マンガ、小説等の設定、キャラクターを借りて描かれるパロディ風マンガのことを、描き手達が半ば自嘲的に命名したものである。そうして、そこでは既製のキャラクターの少年達が友情を超えた恋愛、ホモSEXを行なう。つまり「やおい」とはホモアニパロを指す言葉だと考えてもよいだろう。

それが一部同人誌にとどまっていたならば、単なるマニアックなお遊びですんだのだが、「キャプテン翼」のパロディ・ブームから始まったこの流れは、「聖闘士星矢」「鎧伝サムライトルーパー」といったアニメも巻き込んで、合せると全国に一万近い同人誌サークルを生むことになってしまったのだ。さらには「シュラト」「グランゾート」「沈黙の艦隊」「ドラゴンボール」、小説「銀河英雄伝説」「魔王伝」......少女達は青年、美少年の入り乱れる作品のほとんとを「やおい」のエジキにしていった。

アニパロと呼ばれる同人誌を手がけている女の子達の半数以上がこの「やおい」系と言われており、同人誌の創り手達の数は二~三万人、読者は十万人を超えているだろう。『ぱふ』『COMICBOX』といったマンガ情報誌では、一年以上前から「やおい」が是か非かという論争が行なわれている。こうした「やおい」系の人気が、ここ数年の同人誌の隆盛を作りだしたことはまちがいのないところであり、そうした同人誌の作品の再録を中心にしたアンソロジーが、商業出版物としてここ数年かなり出回っている。

それだけではなく、「やおい」系同人誌の人気作家の商業誌への進出も目立つようになっており、八八~九〇年にかけてマンガ情報誌の人気投票で上位を占めている高河ゆん尾崎南CLAMP等は、オリジナルでも「やおい」の方法論で作品を手がけ、少女マンガに新しい流れを作り出した。「Patsy」「KIDS」「サウス」といった、そうした描き手達を中心にした少女マンガ誌も創刊され、それなりに定着している。

やおい」という言葉にこだわるならば、それは短かいページ数で「マンガ」を描かざるをえないという同人誌故の方法論であたろう。マンガは、まず設定、世界、キャラクターを効率よく説明しなければ物語を始めることはできない。少女マンガの主流を形成した「学園ラブコメ」は、日本の学園、何処にでもいる少女と少年という、もっとも世界に入り易く説明を要しない設定ということで、一つのパターンを提供していったわけだが、アニパロもまた、既製の設定、キャラクターを借りることで、いっきに核心だけを語ることを可能にした。

何十ページも描くことはアマチュアの描き手には時間の制約があって、かなり根気のいる作業だ。その点アニパロならば、工ヒソードだけを、ギャグだけを描いても成立する。2~16頁という手軽な枚数で、それなりのマンガを描けるのである。学園ラブコメのパターン《枠組》の持っていたシステムをさらに進めたものがアニパロという枠組であったのである。もちろんラブコメは一般性を持つのに対し、アニパロは既製の作品を知っていなければならないという前提があり、そのことが同人誌という特殊な場での発生という形をとったのではあるが、もはやマンガやアニメのもたらす情報空間はマスの域に近付いていた。八〇年代そのものが、マスメディアによってもたらされた情報のパロディを進行させていたことも力を貸した。

そうした枠組の中で語られ、伝えられるのは、描き手の絵のスタイルであり、ギャグやファッション、センスであり、趣味であり感性であり、妄想だった。読者によって読みとられるものも、同様である。元の絵、物語との類似性はそこにはない。あるのは、例えば「キャプテン翼」のアニパロにおいては、サッカーをやっている少年、ライバルかチームメイトかという帰属の関係という点だけである。女の子達は思い思いの自分のスタイル、絵によって、少年達に恋愛をさせる。

女の子達はホモセクシュアルな関係が大好きなのである。それは「やおい」だけでなく、耽美系と呼ばれる『JUNE』といった雑誌のマンガのテーマであり、さらに拡大するならば『花とゆめ』『LaLa』といったマンガファン達を中心に読まれている少女マンガの底流となっている。そこでは「少年」が描かれているのだ。今、少女マンガは、かつての流れにある少女と少年の恋を中心に描いた流れと少年を描く流れとに二分されてしまったといってもいいだろう。「やおい」的なものは、少女達にとって一般性を持つフィクションとして定着してしまっている。女の子たちは何故、少女と少年の恋を読むことを止め、少年同士の恋を愛するようになったか。それを検証してみることにしたい。

少年愛からやおい

少年、そして少年愛というものが少女マンガの中に現われたのは、七〇年の「雪と星と天使と」(竹宮恵子)からだと言われてる。七一年には竹宮恵子が陽気な少年スリ、ダグ・パリジャンを主人公にした「空が好き!」を連載。萩尾望都が少年のナルシスティックな世界を描いた「雪の子」、少年達だけの世界を捉えた「11月のギムナジウム等を発表。竹宮恵子萩尾望都はその時代、マンガマニア、アマチュア、プロを問わず描き手に熱狂的に支持されていき、この「少年愛」、少年の世界も大きなテーマとして少女マンガの中で浮上していくことになるのだ。

少年は天使と呼ばれた。男でも女でもない未分化の性、子供ても大人でもない不安定な時。それは「少女」を主人公にした時には描くことのできない、もう一つの世界を少女マンガにもたらした。「恋」「家」「母」「性」といった、少女にまつわる制度的なものから自由であることで、「少年」は「生」「死」「関係」といったものを描くことを可能にしたのだ。さらに、戦い、肉体関係を抜きにした友情、社会と個、といったものも少女マンガは手の内にしていった。

少女マンガにおける「少女」は、読者と繋りあい、代弁者であらねばならぬが故に、日本の社会における少女像から逸脱することができなかった。オスカル(ベルばら)は、男装しなければ戦うことはできなかったのだ。アンドレとの愛は、そのコスチュームを脱いだ時に初めて確かめあわれることは象徴的だ。外国の美少年という、虚構の存在によって、少女マンガはまちがいなく、少女の抱いていた妄想の幾つかを体現することができるようになったのである。

ここから「少年」は少女マンガの重要なテーマとなっていく。さらに青年、男性までが描かれるようになっていくのだが、描き手達の意図はどうあれ、「少年」はアイドル的な恋愛の対象として捉えられていくと同時に、少年同士のホモセクシュアルな関係は疑似恋愛として楽しまれていくことになる。七六年にはホモセクシュアルな関係、おかまといったものをギャグのネタにした、ホモホモコメディ「イブの息子たち」(青池保子)が人気を呼び、七八年には少年愛をテーマにしたマンガ・文芸誌『JUNE』が創刊されることになる。

「少年」「ホモセクシュアル」は、ロック、デカダン、SM、バロック等、それにまつわる様々なものを巻き込んで、ある意味では文学少女的な歪んだ「新少女趣味」を生み出していった。『JUNE』『アラン』、さらには『月光』『牧歌メロン』といった雑誌はおかまにくっつくオコゲというシャレから「おこげ雑誌」と一部では呼ばれるようになっていった。そうして、八〇年代に入ると、少女マンガの世界では、少年はごく当り前のものとして作品の中で主役をはっていくようになる。エイズで死んでいく少年の物語(?)「眠れる森の美男」(秋里和国)、オナニーさえ話題になる等身大の日本の少年達をリアルに描こうした「河よりも長くゆるやかに」(吉田秋生)。ジルベールとセルジュという二人の少年の魂のふれあいを描き、リアルなホモSEXシーンがセンセーショナルな話題となった「風と木の詩」(竹宮恵子)、双児の美少年を描いた「サイファ」(成田美名子)等は八〇年代を代表する大長編少女マンガとなっていった。一方、同人誌界では、七五年に萩尾望都作品等をパロディにした作品が人気を呼び、ホモパロディの流れが形作られ、七〇年代末にはロボットアニメを元ネタに、美形悪役をおちょくった多くのアニパロが生まれていった。しかし、ここでのアニパロとは、既製の作品の絵柄やスタイルを借り、ギャグネタとしてホモを扱っていたのである。つまり従来の意味でのパロディが主流だったということだ。

こうした女の子達の同人誌故の楽屋落ち遊びに対して、男の子達からロリコンというキーワードを元に、少女が弄ばれるようになると、女の子達はおじさんをネタにしたアダコン(アダルト・コンプレックス)、半ズボンの少年をネタにしたショタコン(正太郎コンプレックス)といった遊びを生み出していくことになる。

このショタコンを経て、八五年にキャプテン翼のアニパロというジャンルが登場することになる。健康的で明るいスポーツ少年達、その友情と戦いは、女の子たちによって、恋と愛の淫靡な世界へと変えられていった。ここでの大きな変化は、それまで「美少年」が主に外国の美少年であり耽美的なムードを持っていたのに対し、その辺にいる等身大の少年がホモセクシュアルとして描かれるようになったことだろう。そして、若い同人誌の描き手は、はなっから、高橋陽一の絵、アニメのキャラクター造型を真似ることをしなかったのである。

中には、日野日出志いしいひさいちのタッチでパロディにすることもあったが、多くの描き手は、自前の少女マンガ的な絵で、思い思いに「キャプ翼」をパロディにしていったのである。そして、そこに「笑い」「風刺」といったものはなくてもよかった。そこでは、少年同士の愛が恋がSEXが、シリアスに描かれていったのである。───少年同士の組み合せによって細かく派が分れていった。主流は、若島津健日向小次郎カップルでどちらが受け身かでまた派が分れたが「小次ウケ」が大勢を占めている。続くのが源岬のカップルだ。そして、ここで生み出されたパターンは「聖闘士星矢」「トルーパー」へと適用され、一大勢力を有するに至ったのである。

やおいの謎

やおい」のパターンについては『しまうまJACK』という同人誌の中で上げられているものを引用してみよう。

「例えば日向君が練習してたりするでしょう。当然おっかけがフェンスに鈴なりになっているわけだ。この時、日向君は誰の握ったおむすびなら食べるだろうかと考える。若島津の握ったおむすびをガツガツと美味そうに食べる日向君を想像して、やおいはボンノーする」

やおい的なパターンでは、若島津は日向にホモ的感情を持ってるけど常識的にはマイナーだと分っているから泣いて身をひく。すると日向君は若島津にバカヤロッてだきしめんのよ」

「攻の若島津の場合だと、料理、洗濯、そうし、ゴールキーパーなんでもてきて、日向君より一・五割り増し肩幅が広い。ついでにいたずらもしちゃおうと…」

二人の少年のホモセクシュアルな恋愛を、まさに女の子達らしい細やかさで、エピソードをつづっていく───これが「やおい」なのである。時には激しいSEXも……。それが、何万人という描き手によって、何十万もの作品として描かれているのである。何故に、女の子達はあきもせずに描き、読むのだろう。前述のしまうまJACKでは、この「やおい」について女性の立場からこう分析する。

やおい読者って変形キャラに感情移入していない? やおい読者は女性化著しい方のキャラに自分を重ねて読んでいるのよ!……どうしてこんなちんぷなスジを面白いと感じるのか分らなかったんだけど、これって女の子の願望マンガだったからなのね」

やおいってホモの実際がわからないから男女のソレにすりかえてお茶をにごしてるんだと思ってたけど、全然違った。「耽美」とは違うやおいブームは女の子のハーレクイン・ロマンスだったわけだ。もしかしてやおいにレイプネタが多いのは読者に強姦願望があるって事。レイプ願望というより破壊願望。内心では壊されたいというやつ。イノセントな顔してても腹の底では男とやりたいと思っていたりして!

女性によって、こう書かれてしまうと、身もふたもないのだが、確かに、そこで描かれるホモ恋愛は少女と少年の恋愛をなぞっているのである。少年は、服を脱がされると、あるはずもない胸を隠そうとするのだし、女性的な方のキャラ(愛される側)は、恋する少女のような感情の動きを見せる。相手の少年に向けるまなさしは、かつてのオトメチックラブコメの少女の夢見るまなざしとそっくりだし、エピソードの多くはラブコメで見たようなものなのだ。

ここにはまちがいなく「仮装した少女」がいる。人気のある描き手は絵がうまいだけでなく、少女の恋の心理、そしてそれをどう充足させていくかをうまく演出できる作家だ。それは少女マンガが連綿と描き続けてきたことではなかったのか。───ただ、それが男女の恋愛であってホモのそれではないというのは若干違っているかもしれない。

『バラコミ』というホモの為のマンガ誌で、ホモセクシュアルの男性の描いたマンガが掲載されていたが、そこでも恋愛感情は、少女マンガのそれと極めて似通っていたという覚えがある。そこでは男性が少女に仮装していると見るべきだろう

やおい」がそういうものであることは解っていたはずだ。問題は、ノーマルな学園ラブコメから「やおい」への転換の意味である。何故に少女ではなく少年でなければならなかったかということだ。少女達は少女と少年の恋愛を読むことを止め、少年同士の恋愛をより楽しいフィクションとして享楽していくことになったわけではあるが、それを男性恐怖症、イニシエーションとしてのSEXへの恐れと捉えることはたぶんにまちがっている。時代の中で、SEXは少女と大人を区分するものではなくなっているからだ。SEXしようとしまいと、少女は少女であることが、リアルなのである。

もちろん、少年愛の持つ「虚構性」は少女にとって、現実と作品、恋愛やSEXと自分、を切り離すアリバイである。少女は、自らの肉体や性に関わってこないからこそ、少年愛の内包する肉体関係、欲望について、能天気に語り、描くことができる。

自己と作品、自己と恋愛やSEXを、肉体や性の部分で切り離すこととは、男達の視線や妄想をシャットアウトする役目を果すと同時に、制度的な形での女性(少女)としての自分を、とりあえず何処かに置いてきてしまうものでもあるような気がするのだ。

そうして、やおいを演じさせられる少年達は見事に「家」から切り離されていく。親の元から外界に出た少年達は、少年達の共同体を自らの世界として生きていく。母物から学園友情物、そして恋愛と流れてきた少女マンガの中で、少年愛の世界は、学園友情物の形を換えた再生と捉えるべきだ。少女は、家と学園の間を振職してきた。恋愛とは、すなわち家を作っていく準備でもあるからだ。長い学園ラブコメの時代を経て、少女達が見つけ出した世界は、新しいアブノーマルなものであったと見るべきでない。

それは吉屋信子の「化物語」、大正末、戦後の宝塚ブーム、学園友情物と流れてきた、奇形的な共同体の中でのロマンスなのである。恋愛や結婚、SEXといったものの先に待ち受ける家庭、出産、老い、死といった予定調和的な物語を拒否し、一時の輝きに生きる物語にフィクションを見つけたといってもよい。

少女は「恋」とは自分でするものであり、読むものではないことに気がつき、そうしたリアルな形での打算や計算のある男女の恋愛ではない、非生産的な少年愛の中の純粋さに虚構を求め、積極的に参加していくことで、自らの「少女」を守ろうとしたと考えることもできるだろう。

歌舞伎、宝塚───日本はこうした一方の性をオミットした形での大衆娯楽の歴史を持つ。これらの仮構の世界の存在が、日本にゲイ文化の大潮流を作らなかった原因だとも言われている。ホモやレズ的なものが、明らかにあちら側の世界にあるといった認識を一般の中に定着させたのがそれらの大衆演芸であるということだ。そして、やおいも…

少女達のホモセクシュアルなものを扱った「遊び」は、また、少女の遊びが模倣を中心に流れてきたこととも無縁ではあるまい。お人形さんごっこ、おままごと、化粧遊び───それは母、妻、女性の模擬だ。そして、今、男達の洗練されたゲイ的恋愛、筋肉至上主義的なマッチョ風SEXといったものが、冗談で、半ばマジで、マンガという表現の中で模倣されていく。デフォルメした形でなぞられていくそれは、男性の目からは奇異に見えるかもしれないが、少女達にとっては不思議でも何でもないものなのだ。少女達は、あらゆるものを、少女にとっての遊び、少女によって演じられるフィクションへと変換し、楽しむことで、何ものからか自分を守り、バランスをとっていくのである。そこには、演じ続けることを自分に課した悲しさもあるのかもしれないが、それはまた別の問題である。

少女達は、自分が入り込めないが故に男同士の愛をガラス越しに眺める。少女は、そうしたマンガからは完全に排除される。作品の中に入り込む装置としてのキャラクターの少女は、もういらない。少女は、作品と向い合う形で、夢見ることを望む。マンガは、マニア達にとって、より虚構へと進んでいかなければならないのかもしれない。

───「やおい」についての説明、紹介にページをとられたこともあって、少女達の意識の底へと降りていくことはできなかったようだ。それは、何十万冊という「やおい」同人誌を実際見るところから始めるしかなかろう。まあ、それは、またいずれということにする。これは、一般にはまだ喧伝されていない、少女文化の大きな流れであることはまちがいないのである。

(よねざわ・よしひろ/マンガ評論家)