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雑誌周辺文化研究互助

『突然変異』創刊号から「ついに実現! 突然変異VSピチピチロリータ」(青山正明の原点)

これは青山正明(大塚雅美)が慶応義塾大学法学部在学中に編集・執筆していた伝説的な変態ミニコミ誌『突然変異』の創刊号(1981年・慶応大学ジャーナリズム研究会)に掲載されたロリータ記事(女子小学生へのインタビュー)の全貌である。





 

ついに実現! 突然変異VSピチピチロリータ

ロリコントリオ、柏に出陣〉

我々“突然変異”のスタッフ3人(車田・西村・大塚)は自他共に認める純粋培養のロリコン人間。そもそも、こんな手間と金のかかる雑誌作りなど始めたのは、女の子に声かけたり、写真撮ったりする口実をこしらえるためなのだ。そんな我々は2月9日の朝、カメラとメモ帳を手に、車田氏の母校、“柏第●小学校”に乗り込んだ。まず、小学生だった車田をさんざん殴ったY教頭の所に出向き、慶応大学心理学研究室を名乗り、「広告媒体と小学校」のレポート作製の名目で、昼休みに運動場で写真撮影する事を許可された。

いざ昼休みと思いきや、「慶応大学のおにいさんがみんなに質問があるそうです。話しかけられたらちゃんと答えてあげましょう。」という放送が全校に響き渡った。それからはもうたいへん。ガキの群れに追っかけられ、写真どころじゃない。どうにか美人小六生二人と放課後会う約束をし、その場を去った。午後4時、二人のかわいい子(A・B)は、かわいくないが性格が良さそうな子(C)と、かわいくなく、性格もねじ曲がってるけど頭の良さそうな子(D)の二人を連れて来た。いよいよ始まりだ。

 

〈大学生、小学生を破る!〉

所は、柏駅前のサーティーワン。広い店内には50人余の女子高校生。女子小学生4人を連れたおじさん3人はがぜん浮き出る。7人で腰を下ろし、まずは車田が口火を切る。

♂「現在の学歴社会をどう思う?」

♀「もっとやさしくしてー」

♂「うーん。ジョルジュバタイユの過剰消費の現状コンセンサスは?」

我々天才3人組の前に、女子小学生4人は為す術を失い茫然自失。その後、彼女らの発する難問に、我々は竹内均直伝の地球物理学を縦横に駆使した名答をもってし、圧倒的優位の下、対談をスタートさせた。

 

〈光一平〉

♂「好きなタイプの男の子は?」

♀「やさしくて、誠実で、浮気しない人」

車田「じゃあ、幼稚園ぐらいの男の子だね?」

A「生意気だからやだー。もっとチッチャナ男の子がいいー」

これをロリコンと言うのだろう。

B「光一平、光一平、光一平、光一平、光一平、光一平、光一平」

車田「それじゃ、嫌いなタイプは?」

♀「やらしい人!」

「こんな人?」と言って大塚を指示す。女の子一同うなずく。女の子の直観力に驚き、大塚うなずく。

 

〈突然変異〉

D「これ何の雑誌?」

西村「突然変異」

A「何、それ?」

D「本の名前は?」

西村「だから、突然変異」

B「何じゃ、そりゃ。きもちわるい名前だね。買う人いないよ」

D「バカみたいな名前だ」

A「ベストセラーの第……一番最後」

当ってる?!

 

〈不良予備軍〉

大塚「君たち、中学になって不良にならない自信ある?」

晃子「姉の影響に及ぼされて……」

西村「えっ、お姉さん何才?」

晃子「17」

西村「17で何やってんの」

晃子「この前迄、スカートたらったらにして、カバンペッシャンコにしてひどかったの」

回りの女高生、一斉にこちらを向く。

晃子「こないだなんかねー、うちのネーチャンの友達がね、水洗便所の中に頭突込ませて『あやまんなあ』なんてやってたの」

大塚「すごいね」

ココデ……〈要点整理〉

 

姉(17才)〈現役不良〉

〈特徴〉カバンペッシャンコにしてスカートたらったら

〈趣味〉湖北高校へ通う

兄(20才)

〈特技〉オートバイをプルンプルン

〈癖〉北村さんとテニス

〈特徴〉リーゼント→カーリーヘア

赤坂晃子〈不良予備軍〉

 

〈川島邦夫君、開成落ちる!〉

大塚「ねえ、さっき話してた川島君ってどんな子?」

D「いやなやつなの。私たちが発言すると、『あーそれは違うんじゃないかい』なんて言ってさー」

大塚「頭のいい子なんだね」

D「でも、テストの点なんて80点ばっかしね」

大塚「底が浅いんだね」

「川島君、海城受かって、開成は落ちたんでしょ」

A「そうなのよ。うちのお母さんに言ったら喜んじゃって、赤飯炊いてくれたワ」

 

会話の最中、私は確かに見た。

西村が勃起してるのを……

私は確かに見た。

車田が勃起してるのを……

そして、はっきりと感じとる事ができた。

私の物も見事に勃起している事を……。

 

独占スクープ  六年四組の学級新聞が松田聖子の過去を暴露!

♂「嫌いなタイプの女の子は?」

♀「松田聖子ー!」

♂「えっ、どうして? かわいいじゃない」

♀「あんなカマトト女!」

D「ウソばっかり言ってるんだもん。泣いてないから涙が出ないだけじゃないのよ」

B「なんか肌が汚ないんだよ。あの女は。ブスでさ」

A「足が極端にガニ股でさ。わざわざ高いクツはいてさー」

D「眼がいつも上の方向いて歌ってんの」

大塚「川島君とどっちが嫌い?」

♀「松田聖子ー!」

C「むかし不良で、金まきあげてたって本当なんでしょ」

D「本当よ。だって六年四組の学級新聞に載ってたじゃん。高校時代パーマかけててさ」

西村「ふーん。学級新聞に載るの?」

A「整形手術したカマトト女!」

 

ここで我々突然変異の3人は動揺の色を隠すことはできなかった。

我々が噂の真相で読んでいたあのスキャンダル記事は、柏第●小学校六年四組の学級新聞の盗用だったのだ

 

〈考察〉

ここで我々は、六年四組の学級新聞を調査検討する必要に迫られた。手許に原物がないので何とも言い難いが、今迄の彼女達の話だけから推測しても、現代マスコミ界の常識を遥かに越えた広範な情報網を有し、高度にカルティベイトされた取材陣によって組織されている事は否めない事実であろう。今後、我々突然変異は社運を賭けて六年四組学級新聞とのコンタクトを図るつもりである。我々が吸収されてしまう可能性も大きい。ダイエー高島屋みたいに提携できればよいが……。今、マスコミの死活は六年四組の双肩に……。

 

〈西村ふられる〉

西村「誰か僕と付き合って頂けません?」

ACD……無視して話を続ける。

B「うん、いいよ。末広にデートしに行こう。あたしビーフステーキ食べたい」

西村「あの.........、それ無理です」「じゃ、最後に握手して下さい」

女の子一斉に「手が汚れるー」

 

〈車田さんざん〉

車田「君、目大きいね」

A「君ほどじゃないよ。きもちわるいね」

安房國に車田正一といふ男あり、イキむ時に、目玉は忽ち蟹の目のやうに怒り出す。其突出した目玉に、小石を糸でくくって懸けるのは小手調べ。次に右の目玉に三組盃、左の目玉にチロリを釣下げる。それから次々に重箱や徳利など、糸でくくったのをぶら下げるので、最後に下座の鳴物に合はせ、両目玉を自由自在に出入れするのであつた。

 

〈まとめ〉

今回の対談は、予め計画されていた物ではなく、その場で決まった事だった。そして、事に不慣れな私たちは、この貴重な時間を何の脈絡もない雑談に終らせてしまった。しかしながら、我々はこの機会を持ってつくづく感じた。「子供は可能性に満ち満ちている」「我々には考えつかないような柔軟な思考をする」。あたりまえの事かもしれない、でも、少なくとも我々3人にとっては全く新鮮な経験だった。子供への興味も一段と深まった(?)。次回からはこの子供達の可能性を十分に生かせるテーマをもって、充実したパネルディスカッションを行いたい。(了)

 

 解説

2号以降、この記事は「六年四組学級新聞」として連載化された。さらに、これを見た白夜書房の編集者からの依頼で、青山正明は同級生の谷地淳平と共同で『Hey!Buddy』1982年2月号から9月号まで商業誌版「六年四組学級新聞」を連載する。その後、ロリ系のネタが尽きたのか、10月号から「Flesh Paper/肉新聞」と改題し、掲載誌がロリコン雑誌であることを無視してドラッグやフリークス、カルトムービーにスプラッタビデオの紹介などロリータと全然関係のない青山独自の連載に移行した同誌廃刊後も「肉新聞」は『Crash』(白夜書房)や『BACHELOR』(ダイアプレス)で継続され、いつしか青山のライフワーク的な連載となり、1996年まで、なんと足かけ14年間も続くことになった。ちなみに「肉新聞」は1999年刊行の『危ない1号』第4巻「特集/青山正明全仕事」に青山自選のもと年代順に並べられて収録されている。

 

谷地淳平は自身のブログで、創刊号の本記事が成立した経緯について次のように回想している。

『突然変異』創刊号の原稿は徐々に集まってきた。

(中略)

それでもまだ企画が足りない。困った。

それで誰だったか「小学生に取材して好きなおもちゃとか好きな食べ物とか聞いてまとめたらどうだろう?」と言い出した。

「子供の消費動向を探って記事にして、面白いか??」

「面白くないかもしれないけど、もう入稿が迫ってる。なんか穴埋め記事を書かないと」

と、いうわけで、穴埋め企画で、小学生を取材することになった。

取材は簡単だった。

小学生がいるのは小学校だろうと、谷地、緒形、青山の三人で緒形の母校に行き、教頭先生に「子供の消費動向を取材したいので、児童に話しかけるのを許可して欲しい」とお願いすると了承していただけた。

お昼休みになると子供たちは元気に外に飛び出してくる。すると「大学生のお兄さん方が校庭に来ています。話しかけられたら答えてあげてください」との校内放送。

あっという間にたくさんの子供たちに取り囲まれて、ワイワイガヤガヤうるさくて、とても取材どころじゃない。なんとか六年生ぐらいの女の子に放課後数人で会ってもらうように約束して、校庭を退散したのでした。

さて放課後、駅前のロッテリア(ママ)で女の子三人と我々三人の対談が実現し、めでたくテープ収録できたのでした。

これをテープ起こしして記事にするのは、青山正明に決まった。

「ついに実現!突然変異VSウキウキロリータ」(ママ)のタイトルで出来上がった原稿は、穴埋めなんてとんでもない。かなり面白い記事になった。

この記事で、青山が面白い文章を書けるやつだとわかった。

ミニコミ誌の思い出 その5(ウキウキ、ウォークマン日記)

結果的にこの記事は「六年四組学級新聞」~「肉新聞」のパイロット版になり、その後14年間も連載が続いたことを鑑みれば、これがライター青山正明出発点”となった記念すべき記事だと言って差し支えないだろう。ちなみに青山は創刊号にも『ロリコンの恋ものがたり』というロリータ私小説(正確には「青山正明の旧友」を名乗る人物が、青山の高校時代から大学時代までのロリコン遍歴を綴った自作自演の無記名原稿)を寄稿しており、ここで初めて「青山正明」という名前が出てくる。また当時は第1次ロリコンブーム(1980年~1986年)の真っ只中であり、谷地によれば創刊号で『ロリコンの恋物語を掲載したため「学生の間にブームとなっているロリコンについて聞きたいと、月刊誌からテレビまで取材に来るようになった」という。

書泉グランデ三省堂本店に平積みで置いてる慶大生が作ったミニコミ誌ということで、新聞社や週刊誌から取材の申し込みが相次いだ。

さらには、新聞は朝日、読売、日経など一通り来たけど、もっとも印象に残ってるのは日経のS記者だ。

とにかく雑誌を絶賛された。

六本木のディスコで四人にご馳走してくれて、それでは話し足りずに、六本木のご自宅のマンションにまで招かれ、創刊号と2号を手に「いやあ、いい雑誌だなあ」と、この言葉、この日何回目かな。突然変異を異常なほど気に入ってくれたのでした。

ミニコミ誌の思い出 その14(ウキウキ、ウォークマン日記)

そして、次々に原稿依頼がくるようになる。

マガジンハウスのブルータスから原稿依頼。突然変異に2ページあげるから好きに書いていいよというありがたいお話で、たった2ページなのに原稿料が14万円も。さすがマガジンハウス、凄い。これは第3号の制作費の一部となった。「取材するのに使ってよ」と、ブルータス編集部の名刺までいただいて、嬉しかった。

—前掲

出版不況の現在から考えれば、ほとんど素人同然の大学生相手に2ページで14万円の原稿料とは到底信じられない話であるよっぽど当時の出版業界には余裕があったのだろう。さらに谷地のブログでは興味深い記述が続く。

せっかく名刺作ってくれたんだからなんか取材しようか、ということになり、ブルータスに使えるかどうかわからないけど、漫画界のロリコン関係を取材しよう、御大吾妻ひでおの「ミャアちゃん官能写真集」が見てみたいと、僕と青山正明と二人で御大吾妻ひでおと親しいという蛭児神建さんにコンタクトを取り、新宿の喫茶店で漫画界のロリコン事情を取材したのでした

—前掲

 

蛭児神さんは友だちの千之ナイフさんと一緒に待ち合わせの喫茶店に現れた。

千之ナイフさんは、コミックマーケット出身の漫画家で、先月(だったかな?)商業誌デビューをはたしたばかりとのこと。

お二人の話は僕らのまったく知らない世界で面白かった。

お二人ともこの頃はまだ一般には知られていないコミックマーケットのことを熱心に語ってくれた。

そこが漫画のロリコンの発信源になっているようだ。

彼らは相手のことを「君は~」とか「お前は~」とか言うところを、「お宅は~」と言っていたのが強く印象に残ったが、のちに漫画のロリコンは「オタク」と呼ばれるようになり、なるほどと納得したのでした。

今では「オタク」は意味が広がって、漫画のロリコンに限らず、カメラオタクとか鉄道オタクとか、単にマニアという意味になってしまったように思う。

僕と青山は、まだオタクという言葉がなかった頃にオタクの元祖に会ってしまったのでした。

ミニコミ誌の思い出 その15(ウキウキ、ウォークマン日記)

何と青山正明ロリコン界の教祖的存在である蛭児神建と逢っていたのだった*1

この項おわり。


*1:蛭児神建は日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』の創刊に関わった伝説の人物。詳しくは蛭児神の自伝『出家日記―ある「おたく」の生涯』に詳しい。