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今の漫画には愛すべきクズが少ない

今の漫画には愛すべきクズが少ない

文◎虫塚虫蔵(Twitter @pareorogas

はっきり言って、今の漫画やアニメには人格破綻者やトラブルメーカー(平たく言えば愛すべきクズ)の割合が少ないように思える。

ひと昔前の漫画には、いじわるばあさんとか、イヤミ(おそ松くん)とか、こまわり君(がきデカ)とか、スナミ先生(トイレット博士)とか、バカボンのパパ天才バカボン)とか、ヒゲゴジラハレンチ学園)とか、目ん玉つながり(天才バカボン)とか、諸星あたる&メガネ(うる星やつら)とか、きんどーさん(マカロニほうれん荘)とか、アラレちゃん(Dr.スランプ)とか、両さんこちら葛飾区亀有公園前派出所)とか、クレヨンしんちゃんとか、(セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!)マサルさんとか、ハマーさん(ピューと吹く!ジャガー)とか、にゃーことにゃっ太ねこぢるうどん)とか、稲中の前野と田中と井沢とか…。

パッと思いつくだけで、こんなに厄介で強力なトラブルメーカーがいた*1こういうトラブルメーカー(ほとんど愛すべきサイコパス)は無頼かつ無作法ながら、心根は優しく無垢で愛嬌があり、どこか憎めない存在、堅苦しく枠にとらわれた窮屈な世界に生きる僕らにとっては紛れもないヒーロー的存在だった。

もっとも、列挙したトラブルメーカーは、魅力的だけど、身の回りにいたら嫌かもしれない。でも読者目線から見たら笑えるし、愛されていた。そこに常識観や倫理観を求めるのもナンセンスだろう。かつてはクズキャラを受け容れる寛容さがあったわけだ。

また、こういう愛すべきクズキャラが画面一杯に暴れまくって周囲をかき乱し、振り回す様子は、漫画に必然と求められていた最もプリミティヴな表現だったし、作者のいう「キャラが動く」という比喩表現も、得てしてこういうハチャメチャなキャラを指していたのだと思う。

読者は、そういうメチャクチャで欲望に忠実なキャラクターに触れることで、現実では得ることの出来ない安心感やカタルシスを得ていたと思うし、本音と建前の窮屈な世界で生きていく以上、読者には必然的・潜在的に「本音の代弁者」が必要だったのだろう

読者は他人にとらわれないイノセンスなクズキャラを見て欲望に忠実に生きてきた子供時代の自分と対峙していたのかもしれないし、潜在的にどこかでそれを求めていたのかもしれない。

また近年、突然変異的に登場して大ヒットを記録したマンガやテレビ番組(『おそ松さん』『ポプテピピック』『斉木楠雄のΨ難』『水曜日のダウンタウン』など)にも「共通点」を見いだすとすれば、結構な「毒要素」「クズ要素」「悪ふざけ要素」が顕在している(かつ送り手と受け手で一体感がある)。

一方、最近のつまらない漫画や番組を見ると、毒にも薬にもならない淡泊なものばかりが目立つこれは送り手側がコンプライアンスを言い訳にしてるか、あるいは「毒」に対しての意識が乏しいからだろう)。

昔のマンガやテレビには、こういう「毒」がありふれてたし、送り手も受け手も「毒」の扱い方に長けていた、言い換えれば「耐性」があったのだ。

 

しかし最近の漫画は良い子ばかりで、クズやバカがいない気がする現実には、それこそ根本敬西原理恵子清野とおるのエッセイに出てくるような破天荒で魅力的なゲス、クズ、ダメ人間が大勢いるのに、最近の漫画には作品に出す価値があるのかないのかよく分からない「ハリボテ人形」のように薄っぺらい善良&人畜無害なキャラばかりで、どうにもつまらない。

一方、最近見た50年前の初期サザエさんAmazonプライムで配信中)は、磯野家揃ってキチガイ染みた言動をとるし、口より先に手が出るキャラばかりで、最近の保守的な漫画やアニメに心底うんざりしていた自分にとっては、もはや感動的ですらあった*2
























(Ⓒ長谷川町子美術館

とてもアクティブで、今のアニメにない「画面の躍動感」には胸がすいたし、自分が求めていたものは、こういう「人間的な猥雑さ」だったと気付かされた*3

しかし、最近のアニメはプリミティヴな漫画的表現よりも、キャラ同士の他愛もない漫才染みた「どーでもいい会話*4に重点が置かれるので、僕のような注意力散漫な人間だと数分見たらすぐ飽きてしまう(そんな会話は「現実的でもなければ漫画的でもない、実に退屈なもの」以上でも以下でもない)。

ちなみに漫画家志望のフォロワーさんは僕のこの指摘を受けて、こういうツイートをされた。これが本当なら漫画雑誌の審査員なんて何の役にも立たないロートルだと思う。

今回審査して下さった先生は、こういう意味のないどうでもいい会話を重視する先生だったな… 落選理由も、そういうのが入ってない だった。その前は、御託が多い…だったか。

心底趣味が合わないんだなって思った。もう、趣味の合わない先生が審査の時には二度と出さない。

 

まとめ

愛されるクズが主人公でなくなった、むしろ、できなくなった、というのはフィクションに対して過剰なまでに常識観を押し付け、不快な表現を悪として排除しようとする不寛容な人間が増えたからかもしれない。そういうわがままが常識として正義として善としてまかり通る世の中は控えめに言って狂ってる。

結局のところ、ぼくはダメ人間のドタバタ喜劇や人情ギャグが好きで、どこまでもキャラクターに人間臭さや人間本来に備わった醜さ、しょーもなさ、情けなさを求めてしまうのだ。また絶望的でシリアス向きの世界観を、ギャグ目線で面白おかしく描くような「逆転の発想」が今の漫画家には必要だと思うし、実際に吾妻ひでお卯月妙子山野一のように、悲惨な現実をギャグなどのユーモアによって真意を隠しながらも、読者の胸を心の底から打つような天才作家だって実際にいるのだ

自分は「漫画らしい漫画」が読みたい。漫画に求めてるのは、それだけ。そう、たったそれだけなんだ。

 

追伸

このエントリーを書いた後、タイムリーなことに、最近『男はつらいよ』の寅さんが「迷惑で強引な存在で、自分は好き放題しておいて他人はやたらと口をはさみ、逆に自分が指摘されると逆ギレするばかり」で「現代にそぐわないから大嫌いという意見が出て議論になりました。また、それに対して興味深い意見・反論が多々あったので、一部を下記に転載しておきます。結局、このエントリーの内容は漫画に限らず、現在のコンテンツ全体に言えることかもしれない。

 

寅さんは非日常の象徴。ロマンチズムの象徴。一般社会(安心な生活)の外に生きる。本来あらゆる愛(家族愛、友情、恋愛)は不合理の果てにある甘美だ。寅さんがヒーローとして在れた時代とは民衆が無意識にまだ合理性よりロマンチズムを信じていた時代だ

 

こち亀両津勘吉も初期は寅さん風味だったし、ああいう無頼で不器用で無作法な人が実はいい人で情に厚いみたいなのがある種のヒーローの典型みたいな時代があったよね

 

亡くなった父は寅さんシリーズが大好きでした。医者の息子に生まれ 自由な生活は出来ず 親の力が強い時代を生き抜いた父。亡くなる直前まで 全作VHSのビデオで寝たきりの父は寅さん見てました。自由奔放に生き、行きたい所に行ける 寅さんに自分の思いを重ねていたかもです

 

当時だって寅さんは『迷惑で強引な存在』で、柴又界隈でも鼻摘まみ者だったからさくらちゃんは散々、肩身の狭い思いをしてたわけで、『時代の精神』の話ではないと思う。あの厄介さの裏にある、人に対する優しさや善良さの魅力は今でも通じるし、むしろ家族や周りの人のあり方の方が変ったんだと思う

 

寅さんにしろ、植木等のスーダラ社員にしろ、迷惑な存在は昔から。社会の価値観が変わったわけではありません。自分にもそうした負の部分があるのを自覚した上で、負の部分を周囲が上手にあしらう筋が受けたのでしょう。今よりずっと互いをさらけ出した上での人間関係が主だった時代の作品です

 

寅さんの良い所は、度々自省していると思われるシーンがある所ですね。『俺は自由だ!いいだろう?』なシーンは見た記憶がないです。学もない、協調性もない、女にもモテない、人生いろいろ上手くいかない、寅さんは無神経な人ではなくて、弱い所が沢山ある人って事が人気があるのでは?

 

男はつらいよは、誰目線で見るのかで印象はだいぶ変わる。寅さん目線で見れば喜劇だし、さくら目線で見ると悲劇だ。寅に腹立つ人は、潜在的にひろしやタコ社長目線で物語を見ているんだと思う

 

私は逆に、今若い人は寅さんが大好き、と聞いた。どうもこんな世知辛い世の中で、あんなに自由に生きたい、との憧れがあるらしい。でもITの発展や社会の制度の変化で、そんな世の中が近づいているのかも?

 

自分の身近/身内にいたら、さぞ困った人物だったろうなあと思ったことあります。同居してなくて、少し離れた係累なら『でもほら、あの叔父さん、人は悪くないし』とか言ってるでしょうけれど。まあ、作品として見れば、『愛すべきキャラクター』という点に美しさや愛しさを見るということが心に響くわけで、逆にシャーデンフロイデ的な部分にコミカルさと皮肉を描き出している『家政婦は見た』の石崎秋子の方が職分通り越して好奇心だけで人の家庭を引っ掻き回しているのでたちが悪いなー、なんて思ったりします^ ^;

 

寅さんみたいな『外れた者』を温かく見守る大らかさみたいなものがあった。気心知れた身内には自分勝手だけど、悪意はないし、根っこに優しさがある情に厚い人だってことを好きな人は理解していたと思います。時代が変わったのでしょうね

 

寛容さが日本社会から失われている感覚があります。『あれはダメこれもダメ』『あいつは嫌いだから付き合わない』などとお互いに縮こまった結果、つまんない予定調和の世界になっていってしまうのかなあなどと考えてしまいます。他の方が指摘している通り、寅さんの一部分しか見てないのもしかり

 

飛び抜けて魅力的なところもあるけど、ずっと一緒にいると大変だし迷惑って人いると思うんですよ。本人だって、マトモな人間になりたいと思いながら、そうなれないダメな自分の狭間で苦しんでる。寅さんはそういう人間の可笑しさと哀しさを味わえる人向けですね

 

落語の登場人物なんてほぼほぼ寅さんみたいに周りに迷惑掛けっぱなしな人たちなんです。でも、そこから笑いや涙が生まれる。芝浜なんていい話ですよ

 

古典落語などの登場人物もそうなのですが、いろんな人がいてトラブルなどもあるのですが、それを許して笑いに変えたりして共存している様子はとても素敵なことに思えます。寅さんが大嫌いだ、という人は今も昔もいたかもしれませんが、そんな人もひっくるめて共存していける社会を目指したいものです

 

僕なんかは寅さんを見ていると『最近はこーいう人がいないなぁ、もっと大雑把でいいんでねぇの?』なんて思ったりします

 

悪気は無いが上手く生きれないそんな人を描きたかったのかな…

*1:もっとも、作品によっては登場人物全員がほぼトラブルメーカーというのもあるが…(例:赤塚不二夫レッツラゴン』、高橋留美子うる星やつら』、漫☆画太郎珍遊記』他多数、久米田康治さよなら絶望先生』など)

*2:「個人的に今回公開された初期『サザエさん』最大の魅力は、単純にアニメとしての魅力、つまり絵がバリバリ動いて、その上に話や演出が面白いところにあると思います。端的に言えば、活き活きしている。今の『サザエさん』は動きが少ないアニメです。基本的に家の周辺で何かしらの小さな事件が起きて、その事件は会話劇で完結する。これが今の基本形です。一方の初期は、全力投球のドタバタコメディ。キャラクターは走り回り、物は壊れ、リアクション過多、いわゆる“顔芸”も非常に豊かです。また、国民的アニメでなかったがゆえに、ドタバタ・時事ネタ(万博に行く。カツオたちがゲバ棒&ヘルメットで武装するなど)・しんみり系と、脚本の幅も今より広く、演出も凝っている。今なお続く“サクっと観ることができるから、ついつい次の話まで観てしまう”系の、ショートコメディとして普通に面白い」

*3:山上たつひこがシリアス路線からギャグ路線に転向したのも、こういう理由があったらしい。詳しくは『KAWADE夢ムック 山上たつひこ 漫画家生活50周年記念号』の3万字ロングインタビューを参照。

*4:別に小気味良い台詞回しがあるわけでもない