Underground Magazine Archives

雑誌周辺文化研究互助

佐山哲郎インタビュー『コクリコ坂から』原作者初告白「ポルノ小説家から住職になるまで」

公開後3日間で45万人を動員したジブリの新作『コクリコ坂なら』(宮崎吾朗監督)。原作を書いた佐山哲郎さん(63)は、現在は寺の住職、かつてはなんとポルノ小説も書いたという、波乱に富んだ経歴の持たち主なのだ。

映画は1980年に『なかよし』に連載された少女マンガのアニメ化。佐山氏が当時を振り返る。

初回が新年号の巻頭カラーでした。作画の高橋千鶴さんを売り出そうと、編集部が力を入れた作品だったんです

しかし連載6回目までいったとき、あと2回で打ち切りと決まった。

映画の脚本を手がけた宮崎駿氏は、原作について、〈不発に終った作品〉〈結果的に失敗作に終った〉と厳しい評価を下しているが、佐山さんは、「大長編にするつもりで伏線を張るだけ張って、これから面白くなるところだったのに……」と苦笑する。

佐山さんは1948年、東京に生まれ、67年に都立大人文学部へ進んだ。「学生運動と麻雀ばかりしてました。学内バリケードで火炎瓶の投げ方を教えたり、麻雀は生計を立てられるほどの腕前になった

四年間在籍したのち、大学は中退。小さな広告代理店に勤めていた、あるとき。旧知の編集者から、「老大家が書いた少女漫画の原作あまりに古めかしいのリライトしてほしい」と頼まれた。二晩徹夜したその仕事のギャラは、もらっていた月給の三倍だった。これを機に、佐山さんはサラリーマンを辞め、少女マンガの原作者になったという。

 

名著『性生活のワル知恵』

コクリコとは、フランス語でひなげしのこと。

タイトルをつけるのだけは上手いんですよ(笑)。少女マンガの原作は、ホラーやサスペンスものを中心に20本ほどやりました。『タランチュラのくちづけ』というのもあった。男装してアマゾン奥地の探検隊に加わった少女が、実は毒グモの末裔で……というお話。少女の心理なんて書けないから、ストーリーで引っ張り回すだけ(笑)

その後、誘われて群雄社という新しい出版社の編集長になった。当時作った本を挙げると、『性生活のワル知恵』は、著者・山本晋也、挿絵・黒鉄ヒロシ、帯は吉行淳之介という豪華な顔ぶれ。その内容は、

SMを利用してダイエットする、メチャクチャな本でした(笑)

色単~現代色単語辞典』は、ポルノ小説に出てくる“色ごと用語”を数千も集めて分類。05年に復刊された“隠れた名作”だ。

 “編集家”の竹熊健太郎君が、持ち込んできた企画。擬音も入れることにしたら、あるページには『ヌルヌル』『ネチョネチョ』みたいな項目ばかりに(笑)

その後、二、三のペンネームを使い分けてポルノ小説を書いた時期もあった。しかしこの仕事は、

向いてなかった。根っからエッチじゃないと、あれは書き続けられません

その頃には、生家である台東区根岸の浄土宗西念寺に戻って、すでに住職の仕事を始めていた。原作者から見た映画の感想は、

設定が1963年に変わっていますが、ちょうど僕自身が、登場人物と同じ高校生だった時代。当時の風俗が細かく描かれていて、感動しました。試写会のとき、作画の高橋千鶴さんは隣で泣いていましたね

多才ぶりはいまも変わらない佐山氏。六月には『童謡・唱歌がなくなる日』(主婦の友新書)という著書を出したばかり。最新の句集も近々刊行されるという。

(初出『週刊文春』2011年8月4日号)

【蔵出】幻の『色単』について: たけくまメモ