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死とエロティシズム―川上慶子ちゃんに捧げる。マスコミは何を考えているのか!

HB SPECIAL 死とエロティシズム

川上慶子ちゃんに捧げる。

文/永山薫

マスコミは何を考えているのか!

「涙の123便」でレコードデビューという噂も

 

事故から2・3日の間、人々は寄ると触ると事故のあれこれについて語り合い、空いた時間をTVにしがみついて過ごした。

それはあたかも中南米の小国がサッカーの国際試合で大方の予想を裏切って優勝したかの如き国民的祝祭気分に満ちた日々であった。

この御祭り気分は4名の生存者が救出されると同時に最高潮に達した。

焦点を結ばない眼差し

さて、問題の川上慶子さん(12)の話をしよう。あの時以来日本中の注目を集め続けている少女の話だ。

惨事が、第三者にとって祝祭的色合を帯びた事態であるとすれば、その祝祭の祭司はマスコミであり、大地に投げ出された無数の死体は祝祭なき時代がささげた大自然の神々への、あるいは見えざる運命神への供物であった。この人身供儀こそがテクノロジーを得た代わりに我々が支払わなければならない代価であった。その犠牲の祭壇から生還した4人の女性はすでに聖別された何者かであって、以前の彼女達ではない。本人達がそれを望まないとしても、すでにそうなのである。

慶子さんが、『普通の女の子に戻りたい』と言うのは、そう言うことだ。TVの報道で一番印象的だったのは言うまでもなくフジTVの『生存者救出』第一報であった。小雨の中、急造の担架の上で地元消防団のハッピにくるまれた未だ名も知られぬ少女の泥と血に少し汚れた白い足が、目に痛かった。それが慶子さんとの最初の出会いだった。フジTVの記者がうわずった声でしゃべっていた。

『少なくとも4人の生存者が発見されました。一人はどうやら少年のようです』

彼はまだ慶子さんの名前どころか性別さえ判っていなかった。これは象徴的な発言だった。後に病院で行なわれた合同記者会見の席上では見事に少女だった彼女もこの時点では極めて少年的に見えたのである、いや、それよりはむしろ世俗的な性なるものを超越した透明な存在感が彼女の周囲に漂っていた。

『総てを見てしまったような、一気に何百歳も年老いてしまったような、いや、一度死んで産まれ変わったばかりのような、人間を超えた天使のような......』

この瞬間の映像を見た高桑編集長がふとこう漏らした。

彼女の眼差しはどこにも焦点を結んでいなかった。力無く担架に拘束されて、目は開かれていたが何も見ていなかった。周囲に立ちつくす大人達も、ジャンボ機の残骸も、山々も木々も見てはいなかった。もうすでに見るべきものも、見たくないものも、総てをほんの短い間に目だけでなく全身と全霊で見てしまっている。彼女の姿はひどく人形じみていた。一切の秘密をその体に封じ込められた身動きもせず、語ろうともしない人形のようだった。それはエロティックな眺めだった。

『あのニュースを見て性的に興奮した奴が何人いるだろうな』

と、何人もの人が露悪的に言ってのけた。

青山正明は『永山センセ、興奮したでしょ』と決め付けた。

恐らくそれは正しい。だがそれは、単に彼女が可愛い少女だったとか、悲劇のヒロインだった(不幸と悲哀をまとった女が一番美しい)とか言うレベルの問題ではない。もっと根源的なエロティシズムである。それは荘厳な宗教絵画を見る時に感じるあの不可思議な、見る対象の中に自分を投げ込んでしまいたくなるような感覚である。

TVカメラの前に横たえられているのはただの少女の肉体ではない。空の高みから落し、すぐそばで肉親の死を実感し、地獄を潜り抜けて来た特権的な肉体である。しかもこの時点ではまだ彼女は現世に完全に還って来てはいない。人界と霊界の接点である『山中』にいるのだ。彼女が下界に降り立つためには今一度天空に引き上げられなければならなかった。しかも彼女が最終的に帰り着くのは日本最大の霊域、出雲である。無論、総ては偶然であろう、だが筆者にはこの『霊界めぐり』が100%偶然だとは考えがたいのである。

 

何もしないことのエロティシズム

それにしても、12歳の少女にとってはとてつもない体験だった。死の世界から浮上したとたん担架に縛り付けられ、『股縄』を掛けられ、いかつい自衛隊員にバックから抱きかかえられて吊りあげられ、病院に入れられ、右腕をギブスで固められ、全国民の視線にさらされ、『はげまし』に対するお礼まで言わされ、最後には某週刊誌にパンチラ写真までスクープされてしまったのだ。

逮捕されるまでの三浦さんであり、一主婦三浦百恵であり、一昔前のパンダである。何もやっていないにもかかわらずである。彼女は向こうからやって来る事態を次々と受け入れざるを得なかっただけである。そのことによって彼女はヒロインにされてしまったのだ。

人形めいた印象が続く。記者会見のカメラの放列の前にさらされた彼女はすでに少女の面影を取り戻していたが、感情はまだ完全に生き返っていなかった。4・5歳の子供をあやすような婦長のインタビューに反発する気配も見せず、淡々と答える姿が逆に劇的だった。

『最後に慶子ちゃんからみんなに言いたいことあるよね?』

『みんなが、はげましてくれた御蔭で、立ち直ることができました』

総てはプログラミングされているかのようだった。決められた台詞を無感動に外に出しているみたいだった。だが、最後の台詞で彼女は泣きそうになってしまった。人形の外被にヒビの入った一瞬だった。

何もしないことのエロティシズムを説いたのは稲垣足穂だったと思うが、彼女の場合がまさにそれだった。筆者は感覚受容器だけが生きている人間人形のエロティシズムをそこに見たような気がした。

 

聖別された者の帰還

かくして、4人の生還者は日常性の中に帰って行く。

ま、中には慶子さんの芸能界入りを画策するオロカ者もいるが、そーゆーのはさっさとジャンボ機に乗って、落死してしまえ。筆者を含めたマイナー人種がパロディでやるならともかく大の『大人』がホンコで商売にしようなどとは大笑いである。尾翼のもげたジャンボ機のセットの前で『悲しみの123便』とか歌わせるつもりかね?  現実の方がパロディを凌駕している。

こうした例外を除き、一時の過熱の波が引き、三浦逮捕の御蔭もあってマスコミ各社の『生還者のその後』報道は自粛気味である。しかし、一度とてつもない体験をしてしまった彼女達が内面的にもとの自分に戻れるかは疑問である。すでに大人である2人はともかく、少女2名、それも思春期前期にある慶子さんは特にである。

これはもう一つの『宇宙からの帰還』のドラマであった。しかも『宇宙からの帰還』とは比較にならぬほど死と生が密着し、おまけに我々の日常の延長線上にあるドラマだった。あの123便に乗っていたのは大阪に実家のある筆者だったかもしれないし、他ならぬアナタだったかもしれない。そうした意味で、我々もまた奇跡の生還者の一人であると言うこともできるのである。

祝祭が終わっても彼女達の人生は終わりはしない。(1985年11月)