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管理人〄虫塚"KERA"虫蔵〠 (@pareorogas) 

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逃げながら捨て台詞を残すだけの、役に立たない子供。

政治関係の記事はありません。

電脳ゴミ漁り。賞罰なし。カルトの怪人。

©東アジア弧状列島(進者往生極楽 退者无間地獄)

 

こちらもよろしく

楳図かずおはゾクゾク毒電波だ(山野一エッセイ)/所載『図書新聞』1995年6月10日号

楳図かずおはゾクゾク毒電波だ

山野一

「身も心もボロボロになって、ようやく最後のページを閉じたとき、聡明な少女は気付くだろう。その作品がかくも自分を魅きつけたのは、その世界が実はずっと昔から自分の中にあり、自覚されずにいたものだからということを」(談)

あのくせっ毛頭の中にあっちの世界を見通す能力と冷徹な知性。さらにボランばりのパンタロンスーツで「まことちゃん」。つまりこのヒトはすでに...

「へび少女」「まことちゃん」「漂流教室」...。

日本中の深層に恐怖と笑いのトラウマを植えつけた漫画界の鬼才・楳図かずおが作家デビュー40周年を迎えた。その楳図ワールドのポップ、ハチャメチャ、無間地獄をめぐる漫画家・山野一氏のエッセイ。

 

もうどう見てもウメズカズオッ!

私が初めて接した楳図作品は、少年サンデーに連載された漂流教室だった。少年誌に掲載されているのが信じられない程シリアスな内容。独特の、一目見たら忘れられない絵。それは他のどんな作品とも明らかに異質の、特殊な電波を放っていた。当時小学生だった私はすぐその電波(たぶん毒電波)に当てられ、まるで売人を待つシャブ中患者のような気持ちでサンデーの発売日を待ち、なけなしの小遣いで作品集を買いあさるハメになった。

氏はよく異色の漫画家と評されるが、それはコピー作家がいないことをみても解る。普通人気漫画家は後進の漫画家にマネされるものだが、楳図かずおのコピー作家というのを私は知らない。大体絵一つとっても特異過ぎる。もうどう見てもウメズカズオッ!

画面はすみずみまで、その病的なほど神経質な線で埋めつくされている。氏が空間恐怖症で、激しい脅迫観念に責め苛まれながら、ガリガリ描いているのではないかと心配したくなるほどだ。これはコピーできまい。しかしマネできない最大の理由は、氏が作品を生み出す姿勢そのものにある。

漫画家には大雑把に分けて、二つのタイプがある。それは自分が表現したいものを描くタイプと、読者が読みたいと思うものを描くタイプ

しかしまあ現実には完全にそのどちらかということはありえず、すべての作家が、二つのタイプの間のどこかに位置していると思われる。

今の漫画の主流は、絶えず読者の意見を聴取し、作品にフィードバックさせるという出版社の方針どうり、後者のタイプに大きく傾いている。最もその傾向が強い出版社では、人気漫画のスジそのものが読者の要望で変更されるらしい。悪く言えば作家が、お手軽で日当たりのいい快楽ばかり求める読者の、奴隷に成りはてたということだ。コピー作家が氾濫するのは、この漫画の質の構造的な非個性化、陳腐化によるものだと思われる。

 

ある種、神話に通じる高貴さと普遍性

ところで楳図氏はどちらのタイプに近いのか?

少なくともご自身の中では限り無く前者に近いと想像する。普通作家の傾向が前者に近づけばそれに比例して、またその個性が強ければ強いほど、人気はなくなる。しかし楳図氏の場合、この図式は全く当てはまらない。極めて特異な個性をいかんなく発揮し、なおかつ四十年もの長きにわたり、常に漫画界の第一線で活躍されているのだ。これはもう私のような、常に漫画界の最底辺で蠢いてきた者にとっては、驚異以外のなにものでもない。

ではどうしてそんなことが可能なのか?

それは氏の作品が、他の漫画とは全く違うプロセスで読者にうったえているからだと私は想像する。ありきたりな漫画がファーストフードで、読者の舌先で味わわれるものとするなら、楳図作品はさしずめベニテングダケといったところか。暗い森にそそり立つ、見るからに気味の悪いその毒キノコを読者はなぜだか口にせずにはいられない。飲み下されたその菌類は、直接五臓六腑に染み渡り、その者の意識をも変容させずにはおかない。

例えばいたいけな少女が、洗礼の一ページ目を開いたとしよう。その陰鮮な絵に、忌まわしい展開を予想しつつも、もうページをめくって読み進まずにはいられない。なぜならこの時すでに彼女は、画面から放出されている楳図電波に支配されているのだから。泣き叫び目をおおっても、そのおおった指のすきまから、次のコマを覗いている。驚き、おびえ、身も心もボロボロになって、ようやく最後のページを閉じたとき、聡明な少女は気付くだろう。その作品がかくも自分を魅きつけたのは、その世界が実はずっと昔から自分の中にあり、自覚されずにいたものだからということを。

こんな魔術師みたいな芸当ができるのは、氏が人間の心の世界に精通しているからに他ならない。どんなに異常で残忍で、見るもおぞましい修羅場が画面をおおいつくしていようとも、作品を通して見たときそこに、ある種神話に通ずるような高貴さと普遍性が感じられるのはそのためである。氏が自身の心の奥底、おそらくは深層心理と呼ばれる領域まで踏み入っておられるのは作品の様々な描写からも一推測できる。

例えば『神の左手悪魔の右手』に見られる、精神と現実の溶解融合、そしてもう明らかにドーパミン系の論理の飛躍等々…。これはもうあっち側まで突き抜けちゃった人しか知りえない世界だ。そしてさらに、私がすごいと感じるのは、これら収拾不可能とも思えるモチーフを、みごとに構成構築し、説得力ある完成度の高い作品に仕上げているということだ。

あっちの世界まで見通す能力(右脳系)と、蛇のように冷徹な知性(左脳系)が、あのくせっ毛頭の中に同居しているのだ。そんなお方が時には、マーク・ボランばりのパンタロンスーツでまことちゃんを描いたりもするのだから、もうほとんど人間の域を越えている。

 

深層心理という化け物

ところで私は過去に何度か、深層意識の世界をかいま見たことがある。ものの本に書いてあるとうり、そこはとほうもない、圧倒されるような世界であった。様々なビジョンが次から次とすごいスピードで現れて、あっけにとられ、身じろぎもできないまま、ただどんどん流されている…、そんな感じだった。もっと奥まで行くと、入ったら最後うっとりして二度と帰りたくなくなるような天国や、阿鼻叫喚の無間地獄が実在するそうだ。実際キャリアを積んだセラピストも、そんな領域に沈潜する場合は、同僚に誘導してもらい、危なくなったら引き戻してもらうという。

そんな物騒な世界に不用意に、あるいは不幸にして深入りした者は、まず例外なく現実への適応力を失っていく。それは例の教団の、ヘッドギアをつけたような方々の例を見ても明らかだ。現実の存在が信じられなくなり、ひたすら幻想世界に沈潜したあげく、悲惨(ご本人にとっては至福か?)な末路をたどる。私のまわりにもそんな人がたくさんいる。ある人はインド方面に旅立ったまま消息が知れず、またある人は十年来ビョーインで壁を見つめている。そしてある女性漫画家は、謎のような遺言を残して、団地の十一階から飛び降りた。

ミイラとりがミイラ、自分のアイデンティティーが、深層心理という化け物にいともたやすく飲み込まれてしまうのだ。

しかし、実に四十年もの間、人間の狂気を見つめ、テーマの主軸にすえてこられた楳図氏が、ご乱心なさったなどという話は聞いたことがない。あの重厚な作品世界を構築した大作家が、なんだかもうあっけない程ひょうひょうとしておられるのだ。けだし天才とはこんなもんかもしれない。とほうもないことを実に無造作にやってのけるのだ。

私にはこんなビジョンが浮かぶ。普通の人ならたちまち喰い殺されてしまうであろう獰猛な猛獣。そして襲い来る猛獣のキバやツメを、ひょいひょい気軽にかわしつつ、強靱なムチをふるって手なずけてしまう猛獣使い。

天才とキチガイ紙一重、という言葉がある。

巷に溢れるあまたのキチガイ諸兄が、全員天才であるなどということはありえない。しかしその逆は、アインシュタインやダリの例を引くまでもなく真理であろう。ところではなはだ失礼ではありますが、楳図かずお氏ほどこの、天才となんとか…という言葉がふさわしい人物はいないと、私は思うのである。(漫画家)

 

所載『図書新聞』2249号(1995年6月10日号)

電波系ビラ―東京・新宿一丁目

絵を拾った。

森山塔をホーフツとさせる華奢な女性キャラクターに作者のフェチが見える。おそらく5〜60代男性による筆だろうか? 作者が気になります。





拾った場所:新宿一丁目の電話ボックス

採集日:ハロウィン前夜の10月30日

形態:B4コピー用紙を八つ折りした小冊子

 

付属品


アダルト系出版社のルーツを探せ!—高倉一インタビュー、『風俗奇譚』『りべらる』『SMセレクト』の原風景、白夜書房の成り立ちetc.

アダルト系出版社のルーツを探せ!

永江朗フリーライター

現在、百社はあると言われるアダルト系出版社。
その成り立ちは? したたかさの根拠は? 系統樹なき業界の原点はどこだ!


(文献資料刊行会『風俗奇譚』1960年6月号)

所載:別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』1995年12月

はじめに

常日頃、いろいろな意味でお世話になっているアダルト本業界であるが、不思議とそのルーツや変遷を知らない。それでも、この業界とつかず離れず仕事をしていると、たとえば官能ノベルや『漫画エロトラブ』の蒼竜社辰巳出版の子会社であるとか、『写真時代』で一躍有名になった白夜書房は、昔はビニ本やオトナのオモチャの会社だったらしいとか、そういうウワサは耳に入ってくる。

アダルト系出版社がどのようにして生まれたのか。裸が好きなのは誰しも同じとはいえ、それを生業にしようとした人たちはどんなことを考えていたのか。そんなことをぜひとも知りたいと思った。

とはいうものの、何をもってアダルト系出版社と呼ぶのか。その定義が意外と難しい。

だいたい「アダルト」の四文字からしてヘンではないか。わざわざ英語にしてからカタカナに置き換えるところに、すでに「あまりあからさまに言ってはいけないもの」という雰囲気が漂っている。ヘンだけど「成人向け」では語呂が悪い。「エロ本」という呼称もいいけど、作っている本人が自称するならともかく、そうじゃない場合は、なんだか見下したような傲慢な臭いもする。ここは大雑把に、雑誌を作っている当人たちが「私たちはアダルト系です」と自覚していると思われる出版社をアダルト系出版社と呼ぶことにしよう。

 

ゾッキ本屋からの出発

いま世の中には、いったいどのくらいの数のアダルト系出版社があるのか。そこで、ミリオン出版の平田明社長を訪ねることにした。ミリオン出版はSM誌の代名詞『S&Mスナイパー』や超キレイなグラビア誌『URECCO』、セーラー服誌『クリーム』などを発行している。日頃社員たちに「出版は長期戦です」と諭す平田さんは、とかく山師的な社長が多いこの業界では珍しくマジメで温厚な人物として知られる。飢え死にしそうな私を助けてくれたこともある。

せいぜい百社っていうところですか」と平田さんは私の疑問に答えて言う。出版社の数は全国に四千社から五千社といわれるから、意外に少ないといえるかもしれないが、私にはこの百社すべてのルーツ探しをしている時間も体力もない。

ぼくは業界に入ってまだ二十年ちょっとだから、あまり古いことは分かりません。でも、大雑把な印象としては、辰巳書房(現・辰巳出版)の系統、三世社(のちに三世新社、現・東京三世社)の系統、そして新樹書房の系統の三つが、この業界の大きな流れだと思う

このうち、新樹書房はもうない。

ぼくが業界に入ったのは司書房から。たしか昭和47(1972)年でしたね。司書房ができて間もなくだったんじゃないかな。最初は『ホットマガジン』の編集部に入りました。いわゆるアダルトものの、ヌードと性情報を中心にした雑誌ですよ

平田さんは国立大学の建築学科を出たあと、建築事務所を経て、司書房に入社という、いささか変わった経歴を持っている。

ミリオン出版のスタートは20年近く前になりますが、実は一番最初の社長は、ぼくではないんですよ

ミリオン出版の初代の社長は、編集プロダクションをやっていたH氏という人だった。ところが、このH氏はわずか3カ月ほどで辞め、当時29歳だった平田さんが社長に迎えられた。

ミリオン出版の親会社は大洋図書である。ミリオン出版から出る雑誌・書籍の発売元は大洋図書で、営業機能も大洋図書が持っている。

この大洋図書は特価本(ゾッキ本)の取次店として戦後間もなくはじまった。ちなみに、特価本、ゾッキ本というのは、いまでいうならアウトレット。本来は出版社などが在庫を抱えきれずに放出処分した本で、定価の数割引きから数分の一の破格値で売られる。通常の本とは違って、古本屋などを中心に流通する。大洋図書は、ミリオン出版だけでなく、自社でも出版を行なっている。よく似た名前の大洋書房も、大洋図書の子会社だ。

ちなみに、大洋図書については、青林堂長井勝一会長の自伝『「ガロ」編集長』(ちくま文庫)にも出ている。1959(昭和34)年、長井氏は他の二人と一緒に三洋社という出版社をはじめるのだが、そのうちの一人が大洋図書の小出英男社長。もう一人の夜久勉氏は神保町に人生劇場というパチンコ屋を持ち、日本文芸社のオーナーでもあった。この三人がまだ戦後のドサクサ気分の残る出版界で、札束で頬を張りとばして力ずくで本を買い入れるような悪行三昧をやらかしたと長井氏は書いている。

平田さんがミリオン出版の社長になったときは、この小出氏はすでに亡くなっていた。当時、高校生だった小出氏の子息が、現在の大洋図書の社長である。

平田さんが社長になったころのミリオン出版は社員もほとんどいなくて、経験者に嘱託として来てもらっていた。発行する雑誌もすべて編集プロダクションに外注していた。なんとか社内で編集する雑誌を作りたいと平田さんが苦労して創刊したのが、かの『S&Mスナイパー』だ。

ぼくは司書房にいたときも、SM誌を本格的に作ったことはなかったんですよ。せいぜい『SMファン』の撮影を横で見ていたぐらい

わずか2、3人ではじまったミリオン出版も、いまでは従業員数60人弱の所帯。10万部を超える雑誌も数誌ある。

 

ルーツ御三家と育成条例

平田さんはアダルト系出版社のルーツ探しをするうえで、手掛かりを一つ教えてくれた。不健全図書指定の歴史を見てみることだ。

昭和39(1964)年の10月から、『東京都青少年の健全な育成に関する条例』が施行されたんですよ

通称「育成条例」と呼ばれている。条例では、優良図書類には推奨と表彰を行ない、不健全な図書類の販売等を規制することを定めている。

輝く不健全図書指定第一号は、辰巳書房の『紳士専科』1964(昭和39)年12月号。他には、

  • 『実話と秘録』(広晴社)
  • 『100万人のカメラ』(新風社)
  • 『裏窓』(あまとりあ社
  • 『女の手帖』(手帖社)
  • 『特集夫婦生活』(手帖社)
  • 奇譚クラブ』(天星社)
  • 『風俗奇譚』(文献資料刊行会)

などが続々と指定を受ける。

この最初期の指定を受けた出版社でいまも健在なのは、現在は久保書店であるあまとりあ社、『実話と秘録』を発行する明文社、そして辰巳出版(書房)ぐらいのものだろうか。育成条例ができて早々、毎度毎度の常連となるのは、辰巳書房、新樹書房、三世新社など。平田さんの挙げる三大潮流である。

ちなみに、○○出版が××書房になったりと社名が微妙に変わることがよくある。これは誤植や勘違いではなく、倒産したり経営危機になるたびに、別の会社になっているからである。もっとも、名目上の社長の名前だけを変えて、やってることは変化なしというケースが多かったらしいが。

このほか、御三家(と勝手に呼ばせていただく)以外に、60年代の指定一覧に顔を出すのは、

  • 淡路書房(『奇談マガジン』)
  • 文献資料刊行会(『実話情報』『グラマーとヌード』『風俗奇譚』)
  • 季節風書店(『100万人のよる』)
  • パン・フォト・プレス(『ユーモア・グラフ』。のちに光彩書房
  • 檸檬社(『キューティ画報』)、土曜出版社(『土曜漫画』)など。

70年ごろは、『平凡パンチ』(平凡出版。のちのマガジンハウス)や『プレイボーイ』(いわゆる『週プレ』、集英社)も不健全図書に指定されている。キネマ旬報社の名前もある。いまは不健全図書といえばアダルト系出版社のものばかりだが、条例ができたころは大手出版社もアダルト系出版社も関係なく指定されていた。

その後、大手出版社で作る雑協などでは自主規制が進み、指定を受けるような雑誌はあまり出さなくなった。一方、アダルト系出版社も、11年前に警視庁の音頭取りで出版問題懇話会を作り、性表現の暴走がないように自主規制をしている。現在、懇話会には20数社が加盟している。

 

風俗資料館へ行こう!

(文献資料刊行会『風俗奇譚 緊縛フォト集Ⅲ』所載)

戦後間もなくのころのことを聞こう。そう考えて、神楽坂に向かう。坂を上り始めてすぐ脇のビルに風俗資料館がある。ここはいわゆる会員制の有料図書館だ。SM雑誌を中心に、書籍やビデオがコレクションされ、会員は自由に閲覧できるようになっている。なかには伊藤晴雨の原画のような貴重なものもある。

館長の高倉一氏は、かつてアダルト雑誌の編集者としても知られた人だ。

大正ひと桁生まれ、それも前半のほうだよ」と笑う高倉さんは、実際の年齢よりもかなり若く見える。毎日、四度の酒を欠かさないという。

風俗資料館がスタートしたのは1984(昭和59)年の11月。

ぼくは昔、『風俗奇譚』という雑誌をやっていたことがあるんだ。そこでときどき原稿を書いてくれていたある男が、資料をかなり持っていた。雑誌だけじゃなく、晴雨の原画なんかもあってね。わざわざマンションの一室を借りて、そこに置いてあった。彼と彼の息子とぼくの三人で話をしているうちに、資料館を作ろうってことになったんだ。このまま捨て置くのももったいないし、これも一つの文化なんだからね。見たいという人だっているだろうし

このコレクションに高倉さん自身のコレクションも加えて、館はスタートした。もっとも会員制の有料図書館とはいえ、収益は度外視している。高倉さん自身もまったくの無給だ。館の一部を事務所がわりにして、編集や執筆の仕事に使っている。

わざわざ関西まで出かけて資料を購入したこともあった。というのも、アダルト系出版では関西は東京と違った文化をもっていたからだ。関西独自のカストリ誌も多かったし、地下出版の歴史もある。かの『奇譚クラブ』も初期は大阪の曙書房から出ていた(のちに天星社に移る)。

現在、風俗資料館の会員数は千二百人を越えている。

ときどき蔵書を寄贈する会員もいる。亡くなった会員の未亡人が寄贈してくれる場合もあるし、結婚することになったので、ということもある。

雑誌や本が溜まって困る人も多い。息子は理解してくれてるからいいけど、孫が大きくなってくると......ってね。資料館をはじめたころは、雑誌のバックナンバーにも欠号があったけど、そうやってだんだん埋まっていきました

アダルト系出版社の多くは、資料室などもっていないし、自社の出版物すらきちんと保存していないところも珍しくない。そういう出版社にとって、風俗資料館はありがたい資料室で、調べものに来る編集者も多い。

ぼくがこういう手のもので一番最初にやったのは『夫婦生活』(鶴書房)。創刊にはタッチしてないけど、三号目ぐらいからやりました。たしか1949(昭和24)年ごろだったかな。もう45年ぐらい前のことだね

もともと高倉さんは文芸誌の編集者だった。それが鱒書房(のちのビデオ出版)から誘われて、『夫婦生活』の編集者になった。

だが、この『夫婦生活』、巷で語り継がれているようなアダルト雑誌とはちょっと違うと高倉さんは言う。

あれはなんていうか、セックス解放になってからの、正しい意味での性の啓蒙雑誌だよね。だから書いているメンバーがすごかった。大宅壮一をはじめ錚々たる人びとが書いていたんだから

はじめ、発行部数は7万部。ところが売切れ店続出で、急遽増刷した。

カラーで印刷するのが間に合わなくて、白い表紙で作った。そのころは雑誌で増刷するなんて、珍しいことだったんですよ

が、発行元のM社長も亡くなり、高倉さんは『夫婦生活』を辞める。

高倉さんがこの業界に入ったころからすでに出版活動をしていたのが辰巳出版だ。

辰巳出版のはじまりは早かった。終戦間もなくはじまった。たしか、最初はカストリ雑誌からはじまったんじゃなかったかな。はじめのころは単行本なんかも出してたんだけど、うまくいかなくて、いちど潰れているはずだ。社長のH君の奥さんの里が資産家でね、その援助を受けて建て直したはず。

そういえば、辰巳出版から枝別れした出版社っていうのは、あまり聞かないねぇ。笠倉出版? あそこは池袋の洋紙屋に面倒みてもらってはじめたんだよ

『夫婦生活』を辞めた高倉さんが作ったのは『女の百科』。出版社は新樹書房だ。例のアダルト系出版社御三家の一社である。

この新樹書房の設立に関して、高倉さんから意外な話が出てきた。

新樹書房っていうのは、はじめからぼくがタッチしてたんだ。新樹書房のバックは春陽堂、昔は文学の名門ですよ。いまも日本橋にあるけど

春陽堂といえば、春陽文庫などの時代小説で知られる老舗。それがアダルト系出版社の親会社だったとは。まぁ、いまでいうなら、ビジネスマン向け啓蒙書の三笠書房と、アダルト向け文庫のフランス書院の関係のようなものだろうか。

まっとうなものだけでは経営が苦しくてね、柔らかいものでやってくれないかということで、ぼくがはじめたんですよ。新樹書房のそもそもの社名の登録者はぼくになってる。はじめは春陽堂のビルの三階に編集部を置いて、『女の百科』っていうのを作った

高倉さんが新樹書房にいたのは三年間ぐらいだった。

そのうち春陽堂で定員オーバーになった社員たちが新樹書房にどんどん入ってきて、それじゃあっていうんでぼくは辞めちゃったんだけどね

親会社のリストラの受皿でもあったのだ。

この新樹書房で編集部長をしていたW氏が、大亜出版(のちのダイアプレス。『バチュラー』などのいわゆる洋ピンものや、『アダムス』などの発行元として知られる)を作り、営業部長だったS氏は若生出版を作った。

 

白夜書房の成り立ち

新樹書房を辞めた高倉さんは、しばらくフリーであちこちに原稿を書いていた。芸文社もその一つ。

芸文社は昔は銀座にあってね。のちに神田に移ったとき、枝分かれしてできたのが平和出版(『新風写真』など)だよ

数年間のフリー生活ののち、高倉さんは『風俗奇譚』を創刊する。1959(昭和34)年のことだ。

最初は神田にあったメッキ屋がバックでね、『奇譚クラブ』(曙書房)みたいな雑誌をやってくれないか、と言われたんだ。ところがうまくいかないんで、文献資料刊行会という会社を作った。昭和36(1961)年ごろかな。こんどのスポンサーは上野の日正堂

当初『風俗奇譚』のバックだったゾッキ屋が経営難に陥り、その債権者の筆頭が日正堂だった。

たしかに日正堂には若干の援助は受けたけれども、文献資料刊行会はあくまで独立した会社だったんだ

この日正堂もまたメッキ屋として知られる。戦後しばらくして、倶楽部雑誌がブームになった時代があり(後述)、日正堂は双葉社の倶楽部雑誌をゾッキで扱い、大きくなった。のちに日正堂は大洋図書と同じく、出版も行なうようになったが、それにも高倉さんが大きく関与している。

日正堂からウチで売る本も作ってくれないか、と言われて、実話誌や写真集を作ってね

白夜書房(初期はセルフ出版。少年出版、現在のコアマガジン社も同様)も、発売元を日正堂にしていることが多かった。

白夜書房のM社長は、はじめ日正堂に面倒をみてもらったんですよ。ビニ本を作ってたときに日正堂に面倒をみてもらい、白夜書房を作るときも取次ぎに口をきいてもらった

高倉さんは現在も日正堂の役員をつとめている。

 

『漫画大快楽』の思い出

『風俗奇譚』のころの雑誌作りについて聞いてみた。

グラビアの撮影は、都内だと向島あたりの旅館を借りたり、熱海あたりにちょこちょこ出かけたりしてね。当時は早朝なら海岸でも撮影ができたんだよ

編集者自らカメラマンである。しかし、肝心のモデルは?

そのころはスタジオっていうのがあってね。手ぶらで行っても写真機貸してくれて、ヌードを撮れる。そういうところの女を口説いてモデルにしてた

みんなお金が欲しかったんだろうなぁと高倉さんは思い出すように言う。

ギャラ? 覚えてないな。でもあの当時だからそんなに高くはないよね。あのころで一万円も出したかな。うーん、熱海なんかだと泊まりがけだからそれくらい出したかもしれないけど、都内だと三千円とか五千円ぐらいだったんじゃないかな

もっとも、移動時間は別として、ほとんどの撮影は二時間ぐらいで終わるのが普通だった。現在は撮影の前にプロのメイクがモデルを念入りに化けさせるし、カメラのほうもカットごとにライティングを変えたり、ときにはモデルのコスチュームもメイクも変えたりする。ほんの四、五ページのグラビアでも、早朝に集合して、終わるのはちょうど夕食時ということが多い。撮影というものが、ずいぶん変わってしまった。

昔だって食事ぐらいはごちそうしたけれどもね(笑)

もう一つ高倉さんが作った出版社に、檸檬がある。この会社もいまはない。

作ったのは文献資料刊行会とほとんど同じころ。昭和36年ぐらいだったかな

檸檬社では『小説読切』や『オール読切』といった小説誌や実話誌を作っていた。

ヤングマン』っていう雑誌をやってたこともあったな。これはちょうどいまの『週刊プレイボーイ』の前身みたいな雑誌でね。

赤字続きでやめちゃったけど。結局、売れるよりも、かかるほうの金が多かったんだ(笑)。あのころで全部写植で雑誌を作ったんだから。やるんなら、ほかでやらないことをやりたいと思ったしね。

『風俗奇譚』で知り合った三島由紀夫には、『ヤングマン』に原稿を書いてもらったこともある

官能劇画誌の草分け、『漫画大快楽』もこの檸檬社から出ていた。1974(昭和49)年ごろのことだ。

『漫画大快楽』は編集者に自由にやらせたんだよ。最終的なところは見てはいたけどね

檸檬社『漫画大快楽』1982年10月号)

檸檬社は1982(昭和57)年に解散するまで続き、一つの時代を作った。檸檬社からサン出版(考友社)や桜桃書房に移った編集者もいる。

 

パトロンは紙屋さん

つぎに、アドベストセンターの石川精亨社長を訪ねることにした。アドベストセンターは三和出版の子会社で広告代理店。AV情報誌の『ベストビデオ』や『カルテ通信』などのマニアックなSM誌の発行元として知られる。

三和出版の雑誌広告は、同社がすべて扱う。こうした例はそう珍しくはなく、たとえば白夜書房は宣伝ルームという子会社が広告を担当している。

ぼくが一番最初に入ったのは『りべらる』という雑誌でね。出版社は太虚堂っていうところです。『りべらる』っていうのは、『ロマンス』(ロマンス社)とか『猟奇』(茜書房)とともに、いわゆるはじめのころのカストリ雑誌ですよ。一時は飛ぶように売れたんです

(太虚堂書房『りべらる』1951年4月号)

ときに1952(昭和27)年。
1929年生まれの石川さんは、まだ早稲田大学の仏文科の学生だった。

就職難の時代だったから、『りべらる』の編集者募集には500人ぐらいの応募があったんです。ぼくは編集者になるつもりはなかったんだけど、試験を受けたら採用2人のうちの1人に入っちゃった。“まぁいいか、エロ雑誌の編集でも”と入ったのが、ぼくのエロ雑誌人生のはじまりですよ(笑)

このとき石川さんとともに『りべらる』に入ったもう一人の人物は、学者・エッセイストとしても知られ、いまでは某大学の学長も務めている。

『りべらる』っていう名前は、菊池寛がつけた。太虚堂文藝春秋の人が社長でしたからね。そもそも『りべらる』っていうのは、エロではなくて、いわゆるリベラルな、風俗雑誌だったんですよ。それがだんだん変わっていって、最後にはエロになっていった

が、『りべらる』は石川さんが入って間もなく、1953年ごろに潰れてしまう。石川さんは一時、映画会社のシナリオ部に入ったものの、ふたたび出版社に戻る。こんどは三世社だ。そう、アダルト系出版社御三家と私が勝手に呼ばせていただいてるところの一社である。

昔、文藝春秋から『モダン日本』という雑誌が出てたんですよ。戦争中は非常に勢いのある雑誌でした。この『モダン日本』には吉行淳之介さんもいましたね。それが潰れて、中身はそっくり三世社に移ったんです

さてこの三世社のルーツはいかに。すると石川さんは「三世社も元はゾッキ屋」と言う。一三堂というゾッキ本屋が三世社の前身だったのだ。

『モダン日本』と、『読切倶楽部』と『実話雑誌』をやるので、メッキ屋が金を出して作った会社なんですよ。いわば、大洋図書も日正堂も、みんな仲間。みんな特価本屋です。最初はそうです。メジャーな本を作ろうと思っても、出発がそうだから、なかなか色が抜けないんだなぁ

あるベテラン編集者もこれを裏づけるようにつぎのように言う。

初期のアダルト系出版社のパトロンといえば、ゾッキ本屋か紙屋だった。メッキ屋は流通ルートをもっていたし、物のない当時は、紙の供給ルートをまず押さえないと出版はできなかったから

 

実話雑誌の原風景

高倉さんの話にもあったように、1955(昭和30)年前後というのは倶楽部雑誌の全盛期だった。三世社の『読切倶楽部』もそうしたブームをあてこんで創刊された一冊だ。

当時メジャーだったのは講談社の『講談倶楽部』、光文社の『面白倶楽部』、桃園書房の『小説倶楽部』、そして三世社の『読切倶楽部』。このうち、『小説倶楽部』だけが、編集方針や形態を少しずつ変えながら現在まで残っている。

もっとも、この倶楽部雑誌はアダルト雑誌ではない。大衆向け娯楽総合誌とでも呼べばいいのか。私が、「『オール読物』みたいな、大衆小説誌ですか」と聞くと、「いやいや、そんな立派なものじゃなくて、もっといろんな記事がゴチャゴチャ入っててね。ルポだの落語だの座談会だの」と石川さんは言う。

『読切倶楽部』には『モダン日本』から移ってきた吉行淳之介もいた。もっとも、病弱だったうえ、すでに作家として注目されはじめていた時期で、めったに会社には出てこなかったと石川さんは言う。

吉原の取材は吉行さんの専売特許だった(笑)。すごいんだ、吉行さんは。一軒に入ったかと思うと、出てきてすぐ隣に入っていく。ただ、からだの丈夫な人ではなかったから、セックスはしなかったんだと思うんだけど。色街の哀歓みたいなものを見ていたかったんでしょう

いまでいう風俗ルポのハシリのようなものだ。こうした経験は吉行淳之介の小説のモチーフになっていく。

中村メイ子もいた。

吉行さんの父親と中村メイ子の父親は、ともに新感覚派の仲間ですから、その縁で入ってきたんでしょうね。座談会やインタビューを受け持ってましたね。文字数を計算して割り付けするなんてことはダメだけど、人から話を聞いたりする能力は抜群でしたね

吉行淳之介芥川賞を取って三世社を辞め、中村メイ子も声優として成功して辞めていく。こういう人たちと、のちにアダルト本業界の中枢を担っていく人たちが一緒に働いていたのが倶楽部雑誌だ。ゴチャゴチャと、混沌としていたのだろう。

石川さん自身も三世社を辞めて、『サンケイスポーツ』の記者となった。

ところが、あんまり給料が安いんで、また三世社に戻ったんです。それが昭和42(1967)年ごろ。『読切倶楽部』は昭和37(1962)年ごろまで続いたと思います

石川さんが三世社を出たり入ったりしているこの数年間に、アダルト系出版社と雑誌の数が一挙に増えたという。

昔は、出版社を作ってもすぐ潰れちゃったものですよ。競争が激しくてね。それが昭和40年を過ぎるころから、アダルト雑誌がワーっと増えて、まさに群雄割拠の時代になりましたねぇ

そういえば東京都青少年育成条例が施行され、不健全図書の指定がはじまるのは1964(昭和39)年からだ。

三世社に戻った石川さんは『実話雑誌』の編集部に入った。『モダン日本』『読切倶楽部』もアダルト雑誌ではなかったが、この『実話雑誌』は違った。

これは週刊誌のハシリですね。いま実話誌というと、ヤクザの記事なんかが多いけれども、ああいうんじゃなくて暴露記事、スッパ抜きですよ

『実話雑誌』の編集長が、のちにサン出版(子会社に考友社。『SMコレクター』、『投稿写真』、『さぶ』などを発行する)を率いるMさんだ。

Mさんが『実話雑誌』以外に三世社で作った雑誌に『SMセレクト』がある。『奇譚倶楽部』や『猟奇』とは違った、モダンなSM誌はこの『SMセレクト』からはじまるといってもいい。『実話雑誌』が扱うテーマは実に多種多様だった。芸能界のスキャンダルから、性風俗情報、性の告白記事など。

海外の雑誌に載った性風俗情報の翻訳などもあった。漫画もあった。こうした実話誌がのちのアダルト雑誌の原型となっていく。現在のアダルト雑誌は、実話誌が細分化して分離独立していったものともいえるかもしれない。

暴露記事が中心でしたから、もちろんそこらじゅうから抗議がきましたよ。プロレス全盛の時代に、“力道山だけが儲けてる!”なんてやったこともある。力道山が怒って、三世社をぶっつぶす! って言ってね。編集長のM君も逃げたし、記事を書いたライターなんか、日本全国を逃げて回ってました

『実話雑誌』にはグラビアページもあった。これもアダルト誌のグラビアページの原型かもしれない。

映画会社のグラマー女優(肉体女優)を裸にしたんですよ。映画の全盛時代でしたからね。『読切倶楽部』に載せるというようなことを言って、騙して裸にしたんだ。グラマーっていったって、いま見ればたいしたことはないんだけどね(笑)。最初は水着から撮影に入って、だんだん脱がしていくわけですよ

当然、問題になる。映画会社からも猛烈な抗議がくる。出入り禁止のペナルティを科してくる映画会社もあった。

もっとも、映画会社のほうも本腰を入れて売り出していく女優たちと、いわゆるグラマー女優は区別していたようで、『実話雑誌』に載るのPRの一つと受け止め、しだいに協力的になっていったという。

いまの芸能ジャーナリズムのパターンがこの実話誌から生まれている。

もちろん女優にはギャラを払いましたよ。『実話雑誌』には専属のカメラマンなんていないので、『近代映画』にいたM君や『映画情報』のKに、アルバイトで撮ってもらったんですよ

この『実話雑誌』は、1973(昭和48)年ごろ、Mさんが退社してサン出版を作るまで続く。一方、石川さんはそれと前後して1971(昭和46)年、桃園書房に移る。桃園書房のアダルト部門として、司書房を設立するためだ。

 

三和出版を立ち上げる

『ソフトマガジン』や『SMファン』なんかを作ったわけです。ミリオン出版の平田君もそのうち入ってきた

石川さんが司書房を辞めて、他の四人と共同出資して三和出版を作るのは1982(昭和57)年のことだ。

三和出版はマニア向けの高い本を作ろんだよね。それと、再生本の作り方がうまいんだ。それは昔の三世社の専売特許だったんだよ

再生本というのは、雑誌の通常号に載ったグラビアページだけを数号分まとめて写真集にし、増刊として売るものだ。カラーページなどは製版代が高いが、再生本は原版をそのまま流用するのでコストを抑えられる。しかも、大取次から一般書店に流れるだけでなく、ゾッキ本として売る分も計算に入れて本を作る。アダルト系出版物独自のノウハウだ。

 

「オレはエロだぜ」という自覚

「時の移り変わりが激しいのがエロの業界」と石川さんは言う。いま聞くと、実に簡単に出版社を作ったり、潰したりしている。取次ぎと口座を新規に開設するのは大変だから、潰れかかった出版社を丸ごと買い取ってしまうようなことも頻繁に行なわれたらしい。

ある編集者と飲んでいたら、こんな話が出た。

「ぼくのいる会社はスト破りててきたんですよ。ある出版社に労組ができて長期ストに入っちゃった。経営者も困ったけど、そこから仕事を請けてた紙屋・製版屋・印刷屋も困った。それで三者か四者が合同で出資して、スト破りのためにこの会社を作ったんですって」

出版社といっても、一般企業のレベルでしえれば、零細企業が圧倒的に多い。なんともイージーに作れてしまうのだ。

敗戦後、カストリ雑誌からはじまったこの業界は、60年代になると雑誌も出版社もどっと増えた。70年代には白夜書房英知出版のように、ビニ本業界などの異業種から参入してきたところが大きくなった。いまや白夜書房高田馬場に、英知出版は神楽坂に大きなビルを構えている。

90年代になると、アダルト系出版物の世界も大きく変わっていく。ヘアヌードをいち早く出したのは、出版問題懇話会に加盟するアダルト系出版社ではなかった。

アダルト系出版社だと、どうしてもそういう目で見られるから、出すのは控えようっていう気持があったのかもしれない

こうミリオン出版の平田社長は言う。SMも変態も一般メディアに頻繁に登場する時代だ。もうアダルト系。非アダルト系も、雑協加盟も懇話会加盟も、ミクロ的に見ればそこで扱う性表現にあまり違いはない。

また、アダルト系出版社のほうも、裸と性だけではなくなった。

たとえばダイアプレスが大きくなったきっかけはクルマ雑誌だったし、白夜書房の屋台骨を支えているのはいまや裸よりもギャンブルだ。ミリオン出版もヤンキー雑誌『ティーンズロード』やデマと噂の専門誌『GON!』が大好調だ。

にもかかわらず、もはやアダルト系、非アダルト系なんて区別はないよ、とは言いたくない。何か違うのだ。たとえば日頃私がおつき合いさせていただいているアダルト系出版社の人びとには、「オレはエロだぜ」という自覚がある。

こういうのはアナクロなのかもしれないけれども、非アダルト系出版社の人には感じられないものだ。カストリ雑誌とメッキ屋と紙屋ではじまったルーツが、アダルト系の人びとをしたたかにしているのかもしれないが、そういう仕事ができるのが私の密かな誇りだったりする。(了)

Vivian James―ゲーマーゲート(#GamerGate)のマスコットについて

Vivian James(ヴィヴィアン・ジェームス)は、#GamerGate(ゲーマーゲート)から派生したサブミーム

誕生の経緯

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8chan‘s Erika Polina & Vivian James & Gilda Mars

Vivian Jamesは、4chanの /v/(ビデオゲーム板)と、インディーゲーム開発者グループ・The Fine Young Capitalists(以下、TFYC)のコラボレーションによって考案されたキャラクター。ゲーマーゲートのマスコット的存在である。

ゲーマーゲート論争で生まれた姉妹キャラにErika PolinaGilda Marsどがいる。

2014年8月21日、4chanの/pol/(Politically Incorrect/政治的に正しくない板)の住民がchanボード(画像掲示板)全体のイメージを高めることを目的として、TFYCを支援するアイデアを思いついた。まもなく、オペレーションに/v/も参加することを決定。これは翌日、ゲームメディアのWebサイト「Attack on Gaming」でも取り上げられた。

4chanは、少なくともTFYCに23,500ドルの寄付を行い、同社のゲームにキャラクターを配置する権利を獲得した。さっそく/v/民はキャラクターデザインのアイデアブレインストーミングするため、複数のスレッドを作成する。これがVivian Jamesのアイデアとデザインにつながった。

(Vivian Jamesは典型的な4channerが好むタイプの女の子である。彼女はゲーマーゲート論争のマスコットとして使用され、その過程で数多くの二次創作物が作られた。彼女に著作者は存在せず、いわゆるパブリックドメインとなっている)

性格・容姿

Vivianは、/v/を擬人化したアバターと見なすことができる。これ以前に /a/(アニメ・まんが板)でも『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の根暗な女主人公が4ちゃん民に支持されたことがある。Vivianもまた非モテオタクという4ちゃんねらーのペルソナを体現したキャラクターとなった(反ゲーマーゲートコミュニティのゲーマーガジは彼女を「非常に多くのミソジニーを内面化している」と批判した)。

キャラクターとしての特徴は次の通りである。

  • ノンフェミのゲーマーで、不正とDweebs(偏屈なガリ勉)が嫌いゲーム業界に対する激しい怒りは父親(/v/)と比較すると乏しいが、お気に入りのゲーム界隈に蔓延している政治的な問題については公然と軽蔑している。

  • 毎日同じ服を着用している(洗う必要のないデニムジーンズと、シグネチャーグリーン&パープルスウェットのパーカー)。

  • 長いゲームセッションで一晩中起きてるため、常に寝不足で目にクマがある。

  • しかめっ面、そばかす、赤髪パーマのヘアスタイルにヘッドバンドがトレードマーク。またヘッドバンドには四つ葉のクローバー(4chanのロゴ)、またはメビウスの輪(8chanのロゴ)のいずれかを着用している。

  • 彼女の父親の名前は、そのまんま /v/ である。2014年9月に4chanでゲーマーゲートの話題が前管理人のMootによって禁止された後、/v/は眼帯を着用して描かれることが多くなった。これはMootとの戦いで /v/ が負傷したことを示している。なお、負傷したMootは4chanを手放し、2ちゃんねる創設者の西村ひろゆきが2代目管理人となった。

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Vivian and /V/

ファンアート

参考サイト

#GamerGateを知る

#GamerGateの詳細は以下のサイトを参考にされたい。

ゲーマーゲートの総括記事 - The New York Times

2014年大きな論争を巻き起こした#GamerGate関連騒動 - Kultur

【特集】今も余波続く「ゲーマーゲート騒動」―発端から現在までを見つめ直す | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

RONIN WORKS — ゲームから”美少女”が消える日 ~GamerGate参加者が語る欧米社会の今~ Part-3...

オルタナ右翼とゲーマーゲートの関係 – mhatta's mumbo jumbo

女性としてゲーム文化に生きるということ - i-D

Access Accepted 第440回:北米ゲーム業界を揺るがす“ゲーマーゲート”問題

ゲーマーゲートの発掘:インターネットの歴史における暗くて非常に泥だらけのページを振り返る

Gamergate - YouTube

https://4usoivrpy52lmc4mgn2h34cmfiltslesthr56yttv2pxudd3dapqciyd.onion.blue/404/res/235.html(8chanから派生したTor版サイト)

 

昭和時代というポリコレに反するMONDOな世界―2ちゃんねるのインターネット老人会から

犯罪を越える娯楽があった。死ぬより多く生まれていた。貧困を覆い尽くす発展があった。過去より未来を見て生きていた。(名無しさん)

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1972年4月23日、墨田区東武鉄道亀戸線春闘の賃上げ要求で24時間ストに突入したが、好奇心あふれる子どもはどこでもすぐ遊び場にしてしまう。(共同)

リンク

【調査】今では考えられない昭和の常識「運動中に水を飲んではいけない」「電車のトイレは線路上に垂れ流し」「土曜日は半ドン」★14

ai.2ch.sc

trend-at-tv.com

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kougasetumei.hatenablog.com

よろず

  • 電信柱が木でできてた
  • 昭和のお祭りには「見世物小屋」と「ひよこ売り」は定番だった。
  • お年玉は、500円札とか100円札だった
  • 医者がタバコ吸いながら診察してた
  • 盆踊りで太鼓敲いてるのは、近所のやくざばかりだった。
  • 待ち合わせに目印の一つに公衆電話の色があった。
  • 家の玄関の鍵や窓を開けて眠っても大丈夫だった
  • 真冬でも男の子供は全員半ズボンだった
  • ブレザーにネクタイ、半ズボンが小学生の男の子の晴れ着
  • バスの車掌は女で、でっかいがま口みたいなバッグから切符取り出して売ったりはさみいれたりしてたけど、全然ころびもせず器用なものだったな。
  • コーラの500ml瓶の自販機あったよね 自力で引っこ抜くやつ
  • 石焼き芋屋は見なくなったなあ おっちゃんが雪国から冬の間だけ出稼ぎに来てるって言ってた
  • よくパチンコ屋のネオン看板のパだけ消えててチンコになってた。
  • トイレの出口に吊るした水タンク(下の金属触ると水が出る)
  • 普通に立ちションや野グソしてるおっさんが多かった
  • ズボンのチャックのことを社会の窓なんて言ってたな
  • デパートの屋上には遊園地の遊具があった。 あと、デパートには必ずアドバルーンがあった。
  • コカコーラの自動販売機は瓶売りで横に飲んだ瓶を返す瓶入れが斜めに置かれてた。貧乏人の俺は横の噴水式始動販売機でチクロ入りのオレンジジュースを飲んでた。
  • ジュースが粉末だった。 渡辺のジュースの素です。もう一杯というコマーシャルがあった。 いつも、舌をオレンジ色に染めながら舐めていたのを思い出す。
  • 正月明けは商店街のクジ引きがあった。 今では、シャッター街どころか更地か駐車場かコンビニになってる
  • 雑誌に文通コーナーとかあって男も女も本名と住所を普通に晒してた。; イタズラで人の名前で出した奴も結構いたそうな 特に異性のペンフレンド募集コーナー
  • 「私の恥ずかしい写真差し上げます」切手千円分送ったら、オール3みたいな感じの通信簿の写真が届いた
  • 電電公社・専売公社・山一證券国鉄営団地下鉄東京都立大学
  • テレビだけでなく洗濯機も蹴ったり揺らしたりしてると たまに直ったことあった
  • 土曜日は半ドンだけど、それほど忙しくない普通のサラリーマンのお父さんは 平日夜7時にはもうお茶の間でくつろいでたからね。 で、ビール片手に夕食でテレビの巨人戦中継。 今は夜7時に帰宅できないほどみんな残業してんだから、 そりゃー野球の視聴率落ちるわ。
  • 子供は日没までに家に帰る。 日没後、外出していいのは、 祭りと花火と初詣の時だけ。 誰に言われるでもなく、それがあたりまえだった。 てか、今もそうあるべき。
  • 神田川の世界観がまんまだったな
  • みんな色々と今より適当でおおざっぱで、確かにイキイキしてたわ。人情があったとかは分からん。

 

学校編

  • 学校に遊び道具を持って行ってた。 メンコ、ヨーヨー、ヌンチャク、ルービックキューブ他・・・休み時間に遊んでた、今は絶対無理だろ! へたするとナイフも、持ち歩いてた。
  • >>中学の時ナイフや警棒持ってる奴結構いたけど、刺したりする奴はいなかった
  • 僕が小学校の低学年の頃は給食の牛乳はまだ瓶だった。給食当番のときは、その重たい牛乳瓶のケースを抱えて、両腕をおもっいきり伸ばした状態で教室まで必死に運んだ記憶がある。途中でケースを落としてしまい、何本かの瓶が割れてしまって、泣きながら担任の先生の謝っている女の子とかもいたな。ああいう重労働は今もやらせているのだろうか?
  • センコーの気に食わん連中いたら、授業中にも拘らず片っ端から、殴る、しばく、蹴る。キチで叫ぶ。脅す。日常茶飯事
  • 小学校で色盲の検査があった。色弱で引っかかり、親を呼ばれて怒られた。どうしろってんだ。
  • 昭和で印象的なのは、まだ小学校も低学年だったけど、教師からの半端ない体罰?だな。臨時教師が3年生に対して両手でこめかみグリグリしまくり。耳たぶ引っ張って耳内でブチブチと音がした。黒板下のチョーク入れを頭からぶっかけた。
  • 女教師が2年生に対して手をつかまれてハサミ持って指切るよ!とか、5年生時に100kg超えの巨漢デブ男教師が、体育座りしてた俺の背後から脳天強烈ゲンコツ! 生まれて初めて目から星が出てパニクったわ。
  • 昔の教師は怒りと憎しみの憎悪を小学生対してもストレートに体罰としてぶつけてたな 。教師の教育レベルは間違いなく低かった。今も昔も変わらないのは男教師は左翼系以外全員ロリコン。小中高とも男教師は職員室でカワイイ子いました?って会話してるの聞いた。
  • 学校で道徳の時間があって「にんげん」と言う本で勉強させられた。 今思えばあの本の半分くらいは嘘っぱちだな
  • 昔は女性が差別されていたって言う人がいるが、昭和の昔から、小学校、中学校、高校と、クラス委員長はずっと女で、小学校の頃からクラスの女はみんな強くて勝ち気だった。
  • >>高校3年の理系クラス。女が過半数。理系の女が少なかったから、1クラスにまとめた結果がそれ。俺は男としてそのクラスに入った。やっかみ半分、同情半分。クラスメートの女は押しの強い、快活おてんばタイプが多くて圧倒されていたわorz でも根は善人だったと思う。
  • 土曜日の半ドンは結構すきだったな。低学年だったけど、集団下校で校庭に1000人以上の児童がいて、軍隊みたいに班で出発していくのが楽しかった 。
  • 小学生は真冬でも半ズボンだった。小6のとき健康優良児ってのがあって、年中ランニングシャツと半ズボンの奴が選ばれてた。
  • 夏休みの終わりごろに「クロんぼ大会」があり、日焼けを競い、テレビのニュースになった。今じゃ差別や皮膚がんの問題でありえない。
  • 病院ではアルミのコップが水道の蛇口にチェーンでつながっていた。小学生時代は軍人あがりの教師がいてイタズラがばれるたびに「歯~くいしばれ~」と強烈なビンタをもらってた。毎日のように発令される光化学スモッグ注意報のなか、みんなで夢中になって遊んでたな。
  • 校庭の水道は死ぬほどうまかったけど、 誰々が口つけて飲んだ場所とかで飲むと、 菌の付け合いが始まった。

性の話

  • 昔はエロ本がよく捨ててあり、それを発掘しにいくのがほの暗い愉しみだった。今は紙媒体すら買うやついねーだろーな
  • ビニ本を深夜自動販売機でこっそり買ったのをはっきりと覚えている
  • 昭和の時代は普通におっぱいとか乳首とか乳輪とかでてたし。だれだだめだと言ったのは。
  • 成人映画の看板もエグかった。あとあれだ、エロビデオなんかのピンクチラシを勝手に一般住宅にばらまくのとかあったw
  • それいえば都内の公衆電話なんかすごかったよな。テレクラやダイヤルQ2のエロチラシでwww これは90年代半ばまですごかった
  • 私が小学三年か四年生頃かな。近所のおじちゃんが「○子ちゃん、おっぱいがとんがってきたね」って言って、シャツの上から乳首触った。当時(昭和35年ころかな)の女の子は胸がふくらみ始めると、どこでもおじさんにやられた。今じゃ考えられないこと。
  • 女がセクハラに寛容だったなあ。小学生とかでも今よりエロい事してたと思う。
  • おおらかだったな
  • 軽いのぞきや痴漢程度じゃ逮捕すらなかったし、警察官ですら普通に飲酒運転しまくってた。
  • テレビで強姦ものドラマ、おっぱい丸出し、ショッキング映像放送など、今ではありえないくらい放送基準がゆるかった
  • お立ち台で女の子がミニスカでパンツ見せまくってた。TVもおっぱい出しまくってた。エロに寛容な世の中じゃないと、明るい雰囲気にはなれないよな。

くさい話―東京もこんなもんだった

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トイレット博士』第4巻「黄害列車の巻」。クソをまき散らす列車の話は圧巻。
  • 表通り以外は未舗装で、雨上がりには水たまりができてドロドロになっていた。 道端にコンクリート製のゴミ貯めがあって、生ごみはそこに放り込んで、時々リヤカーで回収に来ていた。 夏なんか臭くてたまらん。
  • 下水がないからトイレはすべてポットン式。定期的にバキュームカー(死語)が来て吸い上げていく。 これも臭くてたまらん。
  • 列車の進行方向に向かってトイレから後三番目の窓に撒き散らされた小便が飛んでくるとか言われてたぞ(汗) だから絶対に窓を開けるなって。引用者注:かつて走行中の電車のトイレは線路上に垂れ流しだった
  • 踏み切りまちのときに霧を浴びたのは 気のせいじゃなかったのか。キタネー! 猛暑日にはとりあえずクールダウンになるから、知らない人には一時の涼感だったw
  • アンモニアは冷媒になるくらいに潜熱が大きいから、水より清涼感いいだろうなww 電車の鉄橋下で遊んでると、紙とブツが降って来たよ。
  • 駅で停車中の電車はトイレ使用禁止なんだが、それでも強引にトイレ使うやつがいて、電車の下からウンコがボトンと線路上に落ちるのが反対側のホームから見えるんだ。最後にケツをふいた紙が落ちてくる。電車が走り去った後の騒ぎを見たかったが、俺の待ってる電車が来たから、その後の様子はわからない。

テレビの話

  • マスコミがえぐかったな。ビート君も暴れちゃったし、岡田有希子は晒されちゃったし、御巣鷹も一部映してたな。芸能レポーターも○○さんと肉体関係があっんですか、なんて今の常識ならぶっ飛んだこと聞いてきたし; 「ままー、にくたいかんけいってなぁに?」 って悪気なくきいちゃった昭和の小学2年生

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  • 「ザ・ガードマン」で、嫌がる女を無理やり押し倒してオッパイ揉むと、 その内嫌がらずに無抵抗になるのを見て、理解不能だった。「口じゃ嫌がってても体は正直だな」が常套句だったり。テレビが子供に悪影響及ぼすってんなら昔のテレビ番組のほうが よっぽど危なかったよな 
  • >>「やらせろよ減るもんじゃあるまいし」 っていうのもあったな
  • 昼メロがかなりエロかった 「犯される」とかタイトルからしてヤバイのまであったな
  • 年末年始エマニエル婦人放送してたね
  • 『驚異の世界』や『知られざる世界』などのドキュメンタリー番組
  • テレビのチャンネルを「回す」という言われかたをしていた。 類例:電話の番号を「回す」、計算機を「回す」 電灯を「灯す」、電気を付ける、蛇口を「ひねる」、。。。
  • ラジカセでテレビ録音しようとするたびに かあちゃん「ごはんよー!」 あの時死ねって言ってごめんよ。
  • カラーテレビが買えない人は、色つきフィルターをつけて我慢。 小さなブラウンカンテレビの画面を大きくするレンズフィルタートランジスの数でラジオの音質を競っていた。あのころ電話のない家庭の連絡簿には(呼)の文字。BCLでバチカン放送。まだまだあるな。
  • アニメの劇中で、当時の流行歌が流れてた 特に東京ムービー系に多かった印象。天才バカボンで「ハチのムサシは死んだのさ」 ルパン三世で「お祭りの夜」 あと新オバQで、おはよう子供ショーの番組内特撮「レッドマン」の主題歌が使われてた
  • 子供の頃の夏休みの再放送の定番(鉄板)と言えば、『ハクション大魔王』『ろぼっ子ビートン』『さるとびエッちゃん』やったかなー?またー?と言いながら結局見てたww
  • 学校が早く終わった時の黄金コンボ 時代劇アワー 2時のロードショー/3時のあなた&フジテレビのアニメ&日本テレビのアニメ&テレビ東京のアニメ
  • 土曜日のテレビ
    18:00 料理天国
    18:30 JNNニュースコープ
    18:50 ヤンボーマーボー天気予報
    19:00 まんが日本昔話
    19:30 クイズダービー
    20:00 8時だョ!全員集合
    21:00 Gメン75  
  • 40年前、火曜夜7時は子供達の間で「サザエさん再放送」派と「ろぼっ子ビートン」派に分かれていた。シャープ「スターアクション」派は少数だった。オレはサザエさん再放送派で、ろぼっ子ビートンは再放送で見た。ガキオヤジという奇怪なキャラがいて、声が永井一郎だったので妙にドスが効いてたな。
  • 昭和時代に放映されてたヒミツのアッコちゃん 放送禁止用語の連発だった。あんなキチガイ放っといて行きましょ。 なんか言いなさいよアンタ唖者 このーツンボーバカ~とか平気で言ってた。その代わり、金の卵とか受験勉強し過ぎで死んだ人の話とか、社会派のネタも満載 あとマジに人に生き死にに関わる話も多い。大将が煙突登ろうとして梯子壊れて落ちそうになったり、少将がかくれんぼで捨てられた冷蔵庫に隠れてたら、回収業者に持って行かれたり
  • 子供がテレビを見てもいいのは夜の10時まで 大晦日は特別に、紅白が終わるまで見ても良かった。11PMが見れるのは、家族全員が寝静まってから
  • 局は忘れたが 奇人変人。土井まさるが司会して出演者はアホな一芸を披露。合格ライン行けば ギターがもらえる。あと、テレビ三面記事だっけ? 変態系の事件を面白おかしくリポートしてる番組があった。ゴキブリ食った奴が死んだって噂になった。

夏の暑さの違い

  • 親戚のおっさんが言ってたんだが30~40年前は今ほど夏が暑くなくて、 30℃超えたら今日は暑いな~っていう気候だったとか。 今は水飲むなとかしたら冗談抜きで死ぬレベルで暑いって言ってた。
  • 静岡での話なんだが、昔は今より夏が涼しかったのか?関東なら30度前半で凄い暑さだった。 今の方が暑い。
  • 今ほど暑くはなかったのは確かだが、それでもエアコンのない教室は暑くて辛かった。 前の席の女子学生のブラウスが汗で濡れてブラがくっきり見えて。実際に東京でも35℃超えなんて年に1、2回あるかないかだったし、一度もない年もあった。 今は夏となると連日35℃超えなんて状況だからな。
  • 体感できるほど今よりも涼しかった。全国でも最も気候が穏やかな静岡でこれだから盆地はなおさら。昔は夕涼みしたらクーラーなどいらなかったが、今の夕方の気温は昔の日中最高気温を超えてるからな。
  • 昭和40年代の小学生の頃だが、自宅でクーラーのスイッチを入れた記憶がない 。クーラー効いているのはデパートの中くらいのもんだった;実家に帰った時、昭和53年の漫画雑誌が残っていたので見てみたんだが、 その中に新聞記事の見出しとして「東京32度、猛烈な暑さ」という言葉が出てきた。 つまりは、そういう事だったんだろう。 実際、昔の暑さならエアコンなしでもどうにか過ごせたが、今の暑さじゃ無理だしね。
  • 北海道だが何故だか高校になると夏中ずっと学ランを脱がない奴が腐るほどいた。北海道とはいえさすがに今は無理だろうな;
  • 昔はクーラーなんて使ってなかったから暑さ耐性はあったな。だから夕方とかなると涼しく感じた。

まとめ

  • 学校も職場も社会も、権利は勝ち取るものって意識が強かった。権利を行使する連中はみんなジャイアンみたいだった。ハラスメントで秩序を維持していた土人文化だな。今はその反動からかあらゆることがマニュアル化してネットで即座に事案を共有するようになって、良くも悪くも世間のガイドラインから外れたことをすると炎上して軌道修正が図られる窮屈で規則正しい社会になったね
  • 最高学府東大がゲバ棒持った暴徒に占拠される昭和
  • 給食に鯨が出ていた
  • 自転車にスピードメーターが付いてて、皆で速度を競った
  • コロコロ&ジャンプに代わる瞬間が高学年になる瞬間だった
  • 待ち合わせをしても会えないことが多かった。テレビのチャンネルは回してた。リモコンも無かった。
  • テレビとか映画は昔の方が狂ってて面白かったな
  • 女は夜十時以降の深夜労働禁止。たまに摘発されると会社の社長が堂々と反論し、それが新聞記事になって出たw
  • 聞いた話だが昭和の金持ちは田舎で幼い少女を何人も買って 、その娘を家政婦が管理してたからな。田舎の金持ちも幼い少女何人も買って家政婦と同居させて管理してたからな。今でもあるのかは知らん。
  • 今に比べたら犯罪率格段に高いのに防犯意識なんて皆無の時代だったな
  • 小学生の時は近所の一人暮らしの物書きのおっさんちに勝手に上がり込んでたな
  • 醤油が切れたとか行って隣に貰いに行くのが普通だった。近所から晩のおかずが普通に回ってきた(餃子作ったから食べて~みたいな)。ただし夜中に突然「兄ちゃん何しとるん?」って隣のオバちゃんに窓を開けられる。寝てるかオナニーしてるに決まってるだろボケ。
  • 昭和はな、幼女におはようって声かけても通報されなかったんだぞ。世界は変わってしまった…
  • 今の時代は「便利すぎ」の欠点を感じる。必ずしも必要とは思えない便利さに気をとられ、本当に大事なモノを得る事を忘れてしまっている様に思う。
  • パソコン一つでほぼ全てのことをできるのだから外も内輪で群れるのみで他との繋がりもいらないわな
  • 規制が多く、挑戦者が少ない今日の日本。変な根性論が無くなりつつあるのは結構だけど、今はちょっと極端な気も。
  • 良くも悪くもずぼらだった。良い意味では、今ほど揚げ足取りや、隙に付け込むことは少なかった。悪い意味では、間違ってても一直線で突っ走る感じ。少数意見は抹殺。昭和・平成で区切るより転換はバブル前後かな。
  • イジメは今ほど陰湿じゃなかったしイジメがあったら先生がちゃんと介入してたな。TVゲームなんて無いし外で集団で遊ぶのが普通だったから子供の時からコミュ力が鍛えられていたと思う。後、今じゃ考えられない危険な遊びしてた。崖登ったり飛び降りたり公園の遊具の限界に挑戦したり。
  • 陰湿さは今の非じゃない。学校は体罰上等。下手なことすれば町内で村八分。子供は世間体のために勉強させられる。警察が今以上にクズ。公務員の舐めた態度。銀行員同士で世間話しながら客の応対。人情なんてないから
  • 昔のチンピラは殴られて警察に泣きついたりしなかった。 今のいきがった若い子は人に喧嘩売るような言動しといてこっちがキレると速攻謝ったり逃げたりするからよく分からない。 喧嘩する気ないならそういうジェスチャーをしないくれ。 オッサン疲れるわ。 そういう面だけは昔に戻りたい
  • 「こらゼンジ! また喧嘩してきたっちゃろ! 母ちゃんなよそん人に会うたんびに ほんなこて恥ずかしか思いばっかしとーとよ ほら、はよ断りば言うてきんしゃい、ほれ たまには~喧嘩に~負~けてこい♪」
  • なんかこのスレ読んでると、こりゃあ昭和本とか読んだ昭和マニアのガキには書けない書き込みだぜw  すげえなあ、昭和ネタ。
  • みんな未来に明るい夢を持ってたから、ブレードランナーみたいな暗い未来観の映画は理解されずに、速攻で上映打ち切りになったんだよね。
  • 犯罪を越える娯楽があった。死ぬより多く生まれていた。貧困を覆い尽くす発展があった。過去より未来を見て生きていた。

 

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