(まんがの)同人とはまんがを介在として、ほかの「同好の士」と関係を持つということになるだろうか。つまり単なるまんが愛好者にとどまらず、まんがを通してつながる人間関係も含めてそれを受け入れた者ということになる。
早すぎる死までの30年(40年?)余りをみずから「同人」と規定して生きた亜庭じゅん(本名・松田茂樹)はあまり人付き合いの得意な男ではなかったが、まんがを通して人とつながりつつ、同人活動に意義を見出そうと情熱を傾けた。まんがを同人と関わった初期は活動のなかに身を置きながら、一人でも活動可能な評論の執筆で才能を見せたが、同志として加わった批評集団「迷宮」が創設したまんが同人誌即売会「コミックマーケット」がやがて迷走を始めるに及んで、みずから「創作同人誌即売会」と銘打った「MGM(まんがギャラリーマーケット)」を設立。以来、「FOR LADYS」「A LONG LONG STORY」などMGMのなかで様々な企画を立ち上げ、参加者を鼓舞して、まんが創作同人による新たな作品世界の開拓を模索した。
だが皮肉なことに、「迷宮」の「コミックマーケット」を出発点とするまんが同人誌即売会の急増と盛況によって、MGMはみずからの独創性を発揮し切ることなくそのなかに埋没。それでも亜庭じゅんはMGMの開催を続けたが、そのスタンスはまんがの可能性の開拓から、MGMを好む常連参加サークルのために場を確保することへと変わっていった。そのように愛されたMGMのなかに身を置くことは彼にとって不本意ではなかったはずだが、お互いのぬくもりだけを求めて同人を続ければ、活動は自閉していかざるをえない。それは目的のために他者に働きかける「運動」を目指し、かつ実践した亜庭じゅんにとって受け入れがたいものでもあったはずだ。その時点でもはや運動に勝利はないとしても、ただ敗北を認めない証として、彼はMGMを続けたのかもしれない。
とはいえ本稿の目的は、そのように生きた亜庭じゅんの軌跡に杜撰な解釈を施すことではない。まんがを中心にプロの評論家として食っていけるほどの才能を持った男が、最後まで本業の傍ら、アマチュアの代名詞ともなっている「同人」の立場を守り続けたのはなぜなのか。かつては「迷宮」で活動を共にした自分であればこそ、(まんが)同人とはなんなのか、死別をきっかけに改めて考えてみたいと思う。
まんが同人といっても亜庭じゅんがこだわり続けたのは「創作同人」であり、同じ「同人」という言葉でくくられながらも、愛読者であることを自認して作品に没頭しようとするコスプレイヤーや二次創作者のようなファン(愛好家)とはその立場において真逆にある。
「まず作品ありき」の受け手に甘んじる彼らに対して、創作同人はみずから作品を生み出すからだ。
しかし「創作」という言葉が響かせる前向きなニュアンスとは裏腹に、実際にアマチュアの立場で(おもにストーリー)まんがを創作し、かつ創作し続けることは容易なことではない。小学生時代に誰もが一度はノートに描き付けたであろう「まんが」は、だがストーリーの発案・構成からコマ絵の執筆すべて(登場人物、小道具、背景、セリフに至るまで)を個人が引き受けなければならないその作業量において、本格的に描こうとすれば尋常でないエネルギーを要求される表現でもあるからだ。むろんのことストーリーの長さや描画のスタイル、描く速さなどのそれぞれにおいて個人ごとの作業量は大きく異なるため、ここではあくまで一般論として話を進めているのだが、趣味の範疇でとらえるとしても数ページから数十ページ(あるいはそれ以上)の作品を手掛け、完成させるというのは、日常生活のなかに組みこむうえで相当ハードルの高い作業である。
もっともまんががそういうものであるというのは、最初からそうだったわけではない。日本にストーリーまんがという(西洋由来の)表現が定着するのは大正時代以降であり、そのころの作品というのはもっぱら短いストーリーと簡略な絵柄で構成されていて、現在のまんがとは雲泥の開きがある。それが現在のようなまんがとなったのは、手塚治虫を始めとする戦後まんが家たちの精進の結果であるが、商品として広く流通した彼らの作品が今ある「緻密かつ克明に描かれた」まんがのスタイルとイメージを形作ったと、大雑把にいってしまえばそういうことだ。同人たちの描くまんがも基本的にそれらの商業作品をモデルとしたものであり、「それに近い表現のものを描かなければまんがとして認められない」という描き手と読み手、双方の思いこみがまんが制作のハードルを上げていることになる。そして高めるだけ高められてしまったこのハードルによって、描き手においては同人(アマチュア)とプロとが峻別されるといってもいいだろう(現状において、もはやプロと同人の区別が曖昧になってしまっている事実については、ここではあえて注目しない)。
即ち、作品の執筆に必要な膨大な手間と時間とを「日常」のなかで費やせる者だけが、作品の「長編」や「連載」をこなしうる者として、まずプロとなる資格を持つ。そのほかにもプロとなるための条件はいろいろあるが、とにかく大前提として、「まんがを描くために生活のそれ以外の時間を犠牲にしろ」ということである。まんがを「仕事」とするのであればそれは当然のことともいえるが、そのかわり作品は「商品」となることを求められ、商品性を高めるために編集者の指導に従うことを求められることにもなる。この時に作家と編集者の間で齟齬が起これば、いわゆる「漫画家残酷物語」が始まってしまったりするわけだが、その是非うんぬんということになると話の筋道がそれてしまうので、ここではさておく。肝心なことはまんがを描くことを日常とし、生活をそれに賭けたプロ作家たちによって「まんが」のイメージを大きく決定する作品が生み出されているということであり、「商品」としてのレベルを保ち、かつ量産されているまんが(そうでない商業作品もいくらもあるが)に対して、プロでない同人の作品はどのような独自性、あるいは独創性を持ちうるかということだ。
学生やサラリーマンなど、本業を別に持つ同人は、おのずから膨大な手間と時間とを「日常」のなかで作品執筆に費やすことができない。つまり原稿生産の「量」において、創作同人は最初からプロに太刀打ちできるはずがないのであり、なおかつ作品執筆に生活を賭けているプロ作家と比べれば、それを描き上げる気迫も劣らざるを得ないだろう。余談を許してもらうなら、大学生世代を中心とする同人作家(二次創作も含む)が次々と現れては消え、同人誌即売会の盛況を支えているというのは、学生ならではの余りある時間が執筆原稿の「量」を可能にし、同時に気迫に代わる若さを持ち合わせているからである。極限すれば大学生時代に限って、創作同人は誰でもまんがの本格的な執筆に挑むことができる。ただしそれらのほとんどは一過性で、入れ代わり立ち代わり現れる彼らのその時限りの勢いが、コミケを祝祭化させる大きな要因となっているともいえるだろう。
話を戻そう。だから、かつては創作同人のほとんどがプロ作家予備軍であり、もとより生活を賭ける覚悟がなければ、まんがは高校・大学を卒業してまで描き続けるものではなかった。それでも描き続けるのであれば仮に同人に加わったとしても、孤立したサークルのなかで孤独な作業に埋没するほかはなかったろう(もちろん例外も、ないわけではない)。従ってこの時代、まんがを本格的に描こうとする者はプロ作家を目指さざるを得ず、その限りにおいて作品とは商業作品(娯楽作品)のことであり、それに対する同人作品の独自性が問題にされることはなかった。いや、それ以前にプロ「未満」のアマチュアとしてしか、創作同人の身の置所はなかったのである。
ところがまんがの可能性の追求を目的に一つに掲げた『COM』のような雑誌の出現によって、まんがが娯楽にとどまらない自己表現の手段ともみなされるようになると、同人作品はそれ独自の可能性を追求すべきだという声も読者などからあがるようになる。彼らにしてみれば商品価値のあるなしに関係なく、執筆においても連載などを前提とするような商品としての制約から離れて、まんがの可能性を純粋に追求するのが創作同人だという立場である。同人誌はそのような目的を追求するために作るものであり、プロ作家になることとは別に、同人としてまんが創作に関わり続けるという流れがこの時生まれたことになる。「コミックマーケット」もまた、そういう創作同人支援の場として生まれ、ファンクラブや二次創作サークルを受け入れつつも、初期はその姿勢を貫こうとしていた。
そしてコミケの誕生以後、同人誌即売会の普及によって創作同人を取り巻く環境は一変。作家と読者をつなぐ出版社と取次会社のシステムとは別に、即売会(や同人誌専門店)が作り手と受け手をつなぐようになり、まがりなりにも創作同人が作家(プロとかアマとかではなく)になりうるサイクルが成立する。しかしファンクラブから二次創作サークル、コスプレイヤーまでもが押しかける同人誌即売会の盛況のなかで、そのような創作同人はむしろ少数派にとどまり、同人誌即売会の創出を画策した「迷宮」の目論見は、肝心要の部分においてはぐらかされることになった。
その理由となったのは先に示したような作品創作のハードルの高さであり、商品として蓄積されたまんがをモデルにするのであれば、もとより作業量と気迫でプロに及ばぬ同人がそれ以上のものを描けるはずがない(ただしこれも、例外がないとはいわない)。だから創作同人サークルが望むほどには増えない(創作に挑む同人が少ない)のは道理であったし、作品についていえば、創作同人は商業作品がドラマとボリュームで見せつけるジャンルからは離れ、もっぱらエッセイコミックや短編、イラスト集といった小品の発表をもってプロ作家と棲み分けることになる。商業作品のファンによって構成されるファンクラブや二次創作サークル、コスプレイヤーと同様に、それの展開する作品ジャンルの穴を埋めることで、創作同人は出版社を補完するアマチュア作家として機能することになったとさえいってもいい。なんのことはない、出版社を頂点とする「まんが業界」からの決別を目指したはずの創作同人たちは、みずからしっかりとその業界のなかに取りこまれていたわけだ。「コミックマーケット」にしても「企業ブース」を設けることで逆に「業界」をそのなかに取りこんだように見えるものの、参加サークルの大半が二次創作サークルやファンクラブで占められているということは実質、業界の一部になってしまっているということにほかならないし、「創作」ならぬ「自主制作」のための即売会を謳う「コミティア」も、出張編集部を取り入れるなどして業界との融和のなかに存続の道を探っている。むろんのことそれらも同人誌即売会のあり方の一つとして、責めているわけではないのだが。
創作同人に限れば、彼らがどんなにがんばろうとも出版社が支配する業界と対峙できないのは、誰でも描けるように見えて実は完成までのハードルが高い「まんが」という表現(ただし商業作品)の特殊性に由来するものであり、それを回避して片手間で描けるエッセイコミック等(もちろん優れた作品もある)でお茶を濁す以外のことが、果たして同人に可能なのかということになる。しかしプロ作家が「日常」をまんがに捧げているのであれば、一方で本業その他の日常を維持しつつ、なおプロには描けない(あるいはプロと同等かそれ以上の)作品を描いてみせるのでなければ、創作同人である意味がない。亜庭じゅんもまた創作同人というものをそのようにとらえ、彼らに対してMGMを主催することでその実践をうながし、さらにはみずから語りかけたのだと僕は思う。創作同人にしか描き得ない世界を「作品という形で示せ」と。けれどもまんがという表現の持つハードルの高さの前にその試みは年と共に勢いを欠き、プロ作家の気迫と生産量に対抗するメソッドを確立できないまま彼は没した。MGMが発行する「MGM新聞」のなかでついには「みんなでうまくなろうやんけ!!」の連載を始め、即売会主催者自身が参加する創作同人に対して物語の作り方まで指導せざるを得なくなった時、そこまで追い詰められた彼のあせりはいかばかりだったろうか。
それでもMGMの開催を重ねることで亜庭じゅんは同人誌即売会を「日常」に取りこんでみせ、最後まで添い遂げた。日常をまんがに捧げるのではなく、みずからをまんがと同等の存在として、日常のなかで両立させたのである。確かに日常をまんがに捧げてプロ作家になってしまえば同人作家に追随は出来ないかもしれないが、同人なりに「量」や気迫をフォローしつつ新たな作品世界を開拓する方法があるのではないか。創作の困難さよりも好きな作品に追随する二次創作の道を選んだ多くの同人たちを尻目に、彼はその方法を模索しつつ、まんがと対等に向き合う同人であり続けたといえるだろう。
そして一番最初に書いたように、同人とは「まんがを通してつながる人間関係」のなかに身を置く者である。まんがを描くことは孤独な作業だが、同人はそれを通して、同じく創作する他者とつながることができる。だからといってつながることが目的ではなく、つながった者同士で前を目指し共に歩く。同人の持つ意味と醍醐味は、そのような前に向けたまなざしを共有すること以外に何があるだろうか。逆にいえば前を向く者どうしだからこそつながれるのであり、今いる場所にとどまり、変化を恐れるようになれば、それは同人ではなくただの馴れ合いということになるだろう。本来分かり合えないまんがを描くという作業を、意識のうえで分かち合えるのが創作同人であり、プロ作家どうしの持つ同業者意識とそれとはおのずから異なる。だから同人でいたいと自分でも思うし、亜庭じゅんも同じか、それに近い思いがあったはずだ。「日常」のなかで同人と「共に前を向き、歩く」ことで見えてくるまんがの新たな世界を目指して、まだ歩みを止めるわけにはいかない。
所載:迷宮'13『MGM100カタログ』(2013年1月27日、迷宮内MGM、自費出版)