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障がい者の漫画まとめ

藤子不二雄からよしみちゃん係まで


狂人軍(1969年)


作/藤子不二雄
王選手が放ったホームランが頭に直撃したことで発狂した主人公がキチガイしか入れない野球チーム「狂人軍」に入団するという内容。

それに加え、実在の野球選手や読売ジャイアンツ精神障害者に対する侮辱と取られかねない設定を含むため、現在まで単行本化されていない。


登場人物の全員がきちがいという、精神疾患を主題にした過激な内容の不条理ギャグ漫画である。
出典 狂人軍 - Wikipedia


タイトルにもなっている「狂人軍」は野球チームであるが、中盤は野球とは無関係なドタバタ調のギャグ展開に終始しており、実際に野球試合を行ったのは最終話のオープン戦のみ。
しかも対戦相手の試合放棄というイレギュラーな決着になっている。
出典 狂人軍 - Wikipedia


作者、藤子A自身も思い入れのある作品であったが、ほとんど受けなかった。作者曰く『あの作品をわかってくれる人は通ですよ。』とのこと。
出典 狂人軍 - Wikipedia


よしみちゃん係(2006年頃)


作/茶否
少しオツムが弱い女の子の性を描いたエロマンガです。障害児を題材にしたエロマンガでは有名な作品ですね。

こちらの作品は2007年刊行のコミックス 『おるすばんはせつなくて』(茜新社)に収録されてますが、現在Amazonでは販売中止となっています。


■作者のことば

最悪単行本収録できないかもと不安だった問題作。
障害者の性っていうのは取扱うのが難しいテーマで、商業誌だから色々とオブラートに包みました。

掲載誌がイケイケな感じの所だったらもっときわどい表現も出来たのかもしれないけど自分的によしみちゃんが性的に搾取もされず平和にHしてて微笑ましいです。
出典 TENMAコミックス『おるすばんはせつなくて』作品解説/あとがき(2007年 茜新社


嘘もつかない純粋な存在(2015年)


作/知るかバカうどん
鬼畜系女性漫画家の知るかバカうどんが、2015年夏にコミックマーケット88で発表した同人作品です。

その後も同名タイトルの漫画を『コミックMate』に発表、こちらは単行本『ボコボコりんっ!』(メディアックス)に収録されています。


知るかバカうどん・メディア初インタビュー

──今回の単行本『ボコボコりんっ!』は、タイトル通りに女の子をボコボコに殴るシーンがいっぱい出てくるよね。pixivには、女の子がリストカットしている作品や四肢切断も。本当に好きなシチュエーションはどれなの?

「えっ、知的障害者のレイプが一番好きかな」

──初っぱなの収録作が、知的障害者によるレイプ。この出版社は大丈夫なのかと思った。

「自分もそう思いましたよ」

──可愛いものが好きなのか、それとも可愛いものを壊すのが好きなのかがわからない。

「可愛いものが好きなんです。可愛いものが壊される姿に興奮することは、自分の絵でも他人の絵でもありません」
出典 【秘録的中編ルポルタージュ】初単行本『ボコボコりんっ!』女性マンガ家・知るかバカうどんの衝撃と圧倒「私、つきあった男には必ずボコられるんです」|おたぽる




担当編集の中沢は、知るかバカうどんに新たな機会を与えようとも目論んでいた。

暴力がなくても作品を描けると思った中沢は、知るかバカうどんに、ごく普通のエロマンガを描いてみないかと依頼した。そして、ネームが上がってきた。

「いちゃラブなのに、なぜかゲロなんですよ……」

「ダメでした。いちゃラブじゃなくなったー。どこにいったら、ええんやろ」

なぜ、ゲロを描いてしまったのか。そう尋ねると、素の表情で口を開いた。

「自分が思ういちゃラブは、単にセックスするものじゃないと思うんですよ。ゲロを塗りたくったり食べたりとか、ウンコ食べたり、オシッコ飲んだり、なんというか、痛み分けだと思うんですよ。そうじゃないといけない、と思ってるんですよ。それは……いちゃラブじゃないんですか?」

真顔での語りに、これまた返答に困っていると、担当編集の中沢が呟いた。

「うどんちゃんの、愛の表現は、最終的にすべてわかり合わなくちゃいけないんですよ」
出典 【秘録的中編ルポルタージュ】初単行本『ボコボコりんっ!』女性マンガ家・知るかバカうどんの衝撃と圧倒「私、つきあった男には必ずボコられるんです」|おたぽる


在日特殊小児伝きよしちゃん(1987年)


作/山野一
こちらは昭和62年に『ガロ』に発表されたものです。発表当時でも充分にタブーなテーマでしょう。良く各方面からクレームが付かなかったものです(前衛すぎる特殊漫画しか載せない事で有名だった『ガロ』が発表誌だったからでしょう)。

仮にメジャー漫画誌であったら、大問題の前に掲載さえ見送られたに違いないはず。何と言っても、テーマはずばり「障害児いじめ」です。



妻も亡くなり侘しい年金生活を送っていた元紙芝居屋の金子青造は、庭の枯れ木に出来た鳥の巣で雛鳥が鳴いているのを目にする。

それを見てもう一度生き生きとした生活を取り戻そうと思った青造は、一念発起して公園に紙芝居を持って行く。

青蔵が公園に着くと、小学生の女の子がリーダーとなって一人の障害児をいじめているのを見つける。





子供たちは障害児を滑り台の下に寝かせ、その腹を目掛けて次々と飛び降りるのだ。

障害児は無表情で嘔吐する。
これは洒落にならない。



思わず止めに入った青造は、子供達に飴玉を渡し紙芝居を見せてあげようとする。

しかし、
現代っ子にそんなものが通用する訳がない。



子供達は飴玉をまずいと吐き出し「飴玉に青酸カリを入れた」と因縁をつけ「残飯じじい」と青造を罵り袋叩きにする。

青蔵が助けた障害児まで暴行に加わる始末である。





散々な目に遭って家に帰ってきた青造は雛鳥に「わしの友達はおまえだけじゃ」と話しかけ部屋に帰る。

すると青造を追いかけて来た子供達はその様子を見た後、雛鳥をきよしに食わせる。

雛鳥の泣き声を聞いて表に出てきた青造は、子供達を前に再び暗闇に落ちて行く自分を感じた。
それは二度と這い上がる事の出来ない泥沼であった。


障害児、き○がい、これも山野漫画のレギュラーである。山野一は、彼らに人間としての生命の尊厳を持たない。

言わば昆虫と同格か、それ以下か。
ある話では畸形魚と呼ばれ、漁の対象となっている。痛めようが、殺そうが、食おうが、どうでも良い存在で、そのアイディンティティは、ストレス発散の為の物に過ぎない。
出典 荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載41) - 清水正ブログ



この作品は1989年刊行の単行本『ヒヤパカ』(青林堂)に収録されていますが当然ながら絶版です。

「一人でも多くの人に読んでほしい!」とは口が裂けても言えませんが、お好きな方にはたまらないであろう作品集。再販はまず無理でしょうから中古品で入手するしかなさそうですね。


『危ない1号』第2巻(1996年) 山野一ロングインタビューより


──それにしても、山野さんの漫画を読んでてよく感じるのは、なんでこんなこと思いつくのかなってことなんです。たとえば、劣悪な居住空間にイラついてる貧乏な一家が穴掘ってって広々とした下水道に住む話とか。例を挙げていったらキリがないですけど、どうしていつもリアリティがあるくせに突飛なアイデアを思いつくんでしょう。

山野「それはわかんないですね」

──思いつこうと努力しているんですか。

山野「それはないですね。ただ、とことん抑圧されている人たちの姿を想像すれば……」
出典 『危ない1号』第2巻 吉永嘉明「ロングインタビュー 山野一」1996年 データハウス


さるのあな(1990年)


作/山野一
こちらはパワー系きよしちゃんの話です。

この作品は1993年刊行の単行本『混沌大陸パンゲア』(青林堂)に収録されてますが現在絶版です。


1990年に発表された「さるのあな」は、子供たちが穴に落ちた、巨根のき○がいを発見し、面白がって生うどんや犬などをその穴に放る、と言うストーリー。
出典 荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載44) - 清水正ブログ



屋敷の一人娘めぐみは夜に女中のきみ子と父が交わっているのを見てしまう。

次の日、めぐみが友達と山へ行くと障害児のきよしが穴に落ちているのを見つける。

きよしは糞をそこら中に撒き散らしていた。
めぐみ達は、きよしをサル同然と判断し石を投げつける。



めぐみたちは、きよしの様子を見て面白がり、犬を投げ込むと、きよしは犬と交わり出す。

それを見て前夜のことを思い出しためぐみは、翌日に女中のきみ子を連れて来て穴に突き落とす。





すると六時の鐘が鳴り、きよしに犯される女中をほったらかして、めぐみ達は家に帰ってしまう。


70 :愛蔵版名無しさん:05/03/14 02:30:17 ID:???
山野一について特筆すべきは、「人間の業」の表現力だと思う。

「四丁目の夕日」では、(一冊の最初から最後まで)抗いようのない運命に 翻弄されてひたすら不幸になっていく普通の好青年を通じて人間の弱さ、儚さと、金持ちは結局はるかに有利な人生を送る事が出来るといった出来ればあまり見たくないような社会の真理が描かれている。

「どぶさらい劇場」ではそれらに加えて、純真な人間が宗教や麻薬に体よく利用されたり社会的弱者が足を引っ張り合ったり、そのせいでドツボにはまったりといった世界の描写によって人間の愚かさ、弱さ、嫌らしさ、醜さといったエグい部分をコミカルに、かつ抜群の筆力で炙り出している。

もしあなたが、そういった人間の「業」みたいなものを笑い飛ばせるなら山野一は超お勧めの作家です。
出典 山野一「四丁目の夕日」感想(※ネタバレ有) ( アート ) - 兎月電影漫画公司ホームページ「血だるまフェスティバル」 - Yahoo!ブログ


【ねこぢるの夫】最凶の鬱漫画『四丁目の夕日』【山野一】

ブラフばかりで構築された世界。そしてブラフばかりで構築された人々の世界観。自分の世界観があまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。山野作品は、その唾棄すべき世界観を一気にクラッシュしてくれる。


単なる冗談としてでいいから「信じられないほど不幸な人生」というのを、今ここで想像してみてほしい。きっと、あなたの想像力より山野一の想像力のほうが、はるかに深いどん底を覗いている…。
出典 枡野浩一『漫画嫌い』二見書房刊


鬼畜系特殊漫画家「山野一


山野一プロフィール
1961年福岡県小倉市出身。立教大学文学部卒。
身長185センチ。体重62キロ。

『月刊漫画ガロ』1983年12月号掲載の「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。

貧困や差別、電波、畸形、障害者などを題材にした作風を得意とする特殊漫画家で「ガロ系」と呼ばれる作家のなかでも、極北に位置する最も過激な作風の鬼畜系漫画家であった。


東京駅で神の啓示を受ける
山野は「大学2年か3年の時」に東京駅の八重洲口で「神の啓示を受けた」と述べている。

その体験によって山野は、将来の自分の職業が「部屋にずっと籠もって、何かを書く仕事」になるという展望を得た。また、漫画を描くという労働の特徴として「人と会わなくてすむ」ことを挙げている。


山野一先生を好きだって公言するだけで鬼畜だと思われるんじゃないかと危惧してしまう程、キ○ガイで変態で差別的で不条理な、いや〜な気持ちになる世界です。私も含めて、ある種の人にはそれが心地よいのですが。
出典 大悟への道 (旧名・名作漫画ブルース) 月刊漫画ガロ(30) 山野一 1 「貧困魔境伝ヒヤパカ」


四丁目の夕日


1986年 青林堂
タイトルを見て『三丁目の夕日』のような
ほのぼのとした漫画をイメージしたら大間違い。

内容は似ても似つかず。
あの独自路線を進みすぎている
漫画雑誌『ガロ』の掲載作品と
言えばわかる人にはわかるはず。

強烈なショックと嫌悪感に襲われるにも関わらず、
それでも最後まで読まずにはいられない、
不思議な“何か”がこの作品には宿っている。


不幸な人を描いた漫画というのは他にもあるでしょうが、恐らくこの漫画の主人公以上の不幸は無いと思います。主人公を襲う不幸があまりにも非情過ぎて、読んでいて気分が滅入ってきます。

読んだ人の心を動かすという点では間違いなく傑作と言えるでしょう。ただし、読むならしっかり覚悟を決めてから読むべきです。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)


地獄がみたい?それは簡単です。
ただ、この本を読むだけでいい。
完璧に救いようのない現実。現代の悲劇。

漫画でこの様な表現を行ったのは、この本の著者の山野一さんと根本敬さんしかいないように思う。

20代前半でこんな漫画が描けるなんて
この人は天才だと思います。
本当にどこにも救いがない。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)


工場労働者を軽蔑し、低学歴を軽蔑する。山野の嫁(?)のねこぢるとは比べものにならない差別意識の顕在化、暴露が見事。
とにかくグロい。性的なシーンも少しはあるが、全然エロくない。グロいだけ。吐き気を伴う気持ち悪さ。読後感最悪。
出典 【感想】四丁目の夕日 - 山野一 - 電子書籍ストア BookLive!


ねこぢる(作者の嫁)の漫画の作中で「旦那は鬼畜系漫画家」と描かれていて、あのねこぢるが「鬼畜系」と評するからには相当なものに違いないと思っていたら、本当に鬼畜で胸糞悪かった。

さすがはねこぢるの旦那。これを読んである意味安野モヨコ&庵野秀明夫婦以上の夫婦だと確信。
出典 四丁目の夕日 (扶桑社文庫) 山野 一 感想・レビュー 2ページ目 - 読書メーター


『月刊漫画ガロ』連載作品



かつて青林堂が1964年から2002年まで刊行していたオルタナティブコミック誌『月刊漫画ガロ』。

漫画界の極北に位置する伝説的な漫画雑誌であり「サブカルチャーの総本山」として漫画界の異才・鬼才をあまた輩出した。

1998年からは青林堂の系譜を引き継いだ青林工藝舎が事実上の後継誌『アックス』を隔月で刊行中。


どの漫画雑誌にも引っ掛からない個性の塊の様な新人を積極的に採用し、作品発表の場を与え、漫画界の異才・奇才をあまた輩出したことで知られる。
出典 月刊漫画ガロ (げっかんまんががろ)とは【ピクシブ百科事典】



『ガロ』はオリジナリティを重視する編集方針のもと、独創的な実験作・意欲作を積極的に掲載した。

その結果、他誌では到底受け入れられないアウトサイダーな作風を持つ特殊漫画家が集まり「ガロ系」というジャンルが生まれた。



連載当時はバブル前夜でありながら
『ガロ』は部数を3000部台にまで落とし
ついに原稿料が支払われる事は無かった。

こうしてガスも電話も止められた殺風景な
木造四畳半アパートで荒廃した漫画家生活を
送る羽目になった漫画家・山野一

その窮乏した生活環境で生まれた作品こそ
本作『四丁目の夕日』であるという。


あらすじ




主人公の別所たけしは、零細印刷所を経営する家庭の3人兄妹の長男。高校3年生で受験を控えている。

経済的な境遇は決して恵まれてないが、学業だけは特別に秀でている。有名私大合格はほぼ確実で将来は明るいと思われた彼だが、不幸が不幸を呼ぶ負の連鎖の果て、無間地獄へと堕ちていく事になる。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の椅子人間さんのレビュー




爆発事故、父親の死、借金の取り立て、職場でのいじめetc...
作者は苦難に次ぐ苦難を用意し、たけしを追い詰めます。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の椅子人間さんのレビュー




たけしの親父さんの悲惨な死に様は中盤最大の見せ場です。やがて訪れる惨劇も身震いする様なシーンだと思うが、その後のエピローグの冷めた狂気にこそ作者の真髄が表れてる様な気がします。

よどんだ風景、汚い工員がたむろする汚い食堂とか絵がもの凄く雰囲気出てます。おかしくなった人間の表情や底辺の人たちの顔なんて、真に迫るものがあります。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の椅子人間さんのレビュー




ここに描かれてるのは世の真理ってやつだと思う。這いつくばって生きてる人間の醜い姿や人生に意味など無いって事を嫌というほど丹念に見せつけられます。

たけしほどじゃなくとも社会に辛酸嘗めさせられてる人なら、好き嫌いはともかく、何かしら感じるところはあるんじゃないかな。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の椅子人間さんのレビュー




平穏な日々はあっけなく終わってしまう。残った日々は希望も何もない虫けらのような生活。
そのような生活を過ごしていく中で、蝕んでいく精神。そして創られる狂気…人は壊れやすい生き物かもしれない…
出典 四丁目の夕日 (文庫) 感想 山野 一 - 読書メーター


陰惨、としか言いようのない作品だった。
でもってその当時、私は精神的にどん底状態だったのだが、この漫画の読後に不思議なほど爽快感を感じた。
こんな残酷としか言いようのない作品に「爽快感」を感じるなんて、自分でもどうかと思って、その後読むことはなかった。
出典 山野一 『四丁目の夕日』 | 身近な一歩が社会を変える♪


世の中に蔓延する建前的な嘘臭さに、どうしても不愉快さを感じることがある。そして頭にくるし疲れる。

そう感じてしまうと社会はもちろん、自分の心にすら逃げ場や救いがなくなり、そんなとき、崩壊していくこの作品の主人公でも眺めたくなるのかもしれない。どうにもならないとき、この作品はその心の掃き溜めとして機能するのかも。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の野村(わ)さんのレビュー




山野一というとかなり好き嫌いが分かれる漫画家だとは思う。
いや、好き嫌いというよりは貧困、狂気、不条理を描いた強烈な作品群が許容できる人とできない人に分かれるといった感じだろうか。

どうしても波長が合わないという方には、無理にはお勧めできない。しかし、一読する事で波長が合う、合わないの結果はどうあれ、新しい扉が開く事は間違いない作品だ。
出典 山野一作品レビュー



三丁目のとなりの四丁目には
果てしなく深い闇がある。

努力した事、頑張った事が全て裏目に出て、
絶望的だった場所から絶望すら麻痺してしまう地点へと転がり堕ちてしまう。

全く救いがない漫画ではあるが、
最後の最後は幸せになったのかな?
と思うか思わないかは是非読んでみてください。

不幸のどん底をここまで突き詰めるとは……
まさに圧巻です。


山野一の「四丁目の頃」



私と初めて会う人は、
たいていホッとした顔をする。
あのような漫画を描いたのだから、顔が業でねじくれ曲がった人非人に違いないと思っているようだ。

まあ無理もないが、
一般に作品は作者の性質の一部しか表していない。
私にはあの漫画を描いた一面はあるが、
それがすべてというわけでもない。

社会になじめない劣等感、
バブルで調子こいた世相への憎悪、
そういった鬱屈を、この極端な作品を描くことで解消し、心のバランスをとっていたのかもしれない。



これからバブルに突入していこうという時期、
日本人の誰もが調子づき、浮かれ騒いでいた。

文学部のボンクラ学生だった私にも、
就職先はないではなかったが、
そういう道になんの魅力も感じなかった。

ドロップアウトする事に不安がないではなかったが、迷いも未練もなかった。

私は社会人としての適性、
特に人間関係に難があった。
といってバイトをしないわけにもいかないので、
バイクでの書類運び、ホテルの電話番など、
なるべく人と接しないですむ仕事を選んだ。

丸一日、六畳一間のアパートにこもって、
好きな漫画を描いていられる日は幸福だった。
傍目にはとてもそうは見えなかっただろうが。



漫画家という職業は、
まぁ一種のサービス業だろう。
通常読者に娯楽を提供してお代をいただく。

だが四丁目の場合、
原稿料が出ないこともあって、
読者へのサービス精神ははなはだ希薄だった。

私は一体誰に何を
うったえようとしていたのか?

当時の私にもハッキリ
分かっていたわけではないが、
読者を憂さ晴らしのはけ口ぐらいに
思っていた感は否めない。



お金を払ってこんなものを読まされる
読者もたまったものではない。

子供の頃なんかの間違いで読んで、
トラウマになったという人が何人もいた。

一方若い頃の私と同じような鬱屈を抱え、
それをうまく表現できない人には、
カタルシスや癒しになる場合もあるそうだ。
あれが人を癒すなどとは
想像したこともなかった。



流行り廃りの激しい漫画の世界で、
この因果な息子「四丁目の夕日」は
何故か25年もの間絶版にならず、
細々とではあるが書店の片隅に存在し続けた。

呆れたことに数ヶ月前には増版の知らせが入り、
さらにはインターネットでも配信するという。
世の中の具合がほんとに悪いせいだろうか。


解説/根本敬特殊漫画家)



人間誰でもイイ子でいたいものである。
世間とは常に良識を尊ぶものだ。

ところでキマリには必ず闇の部分があり、
その闇に光をあてるのをタブーという。

漫画に限らず、小説でも映画でも
今時の作家は何らかの自主規制を絶えず
余儀なくされ、また強いられる。

その大自主規制大会の中で山野一
常に限界に挑んでいるのだが、
それはやはりタブーへの挑戦、

つまりどれだけタブーを描けるか
というのが目的ではなく、
ただ、山野一が自分に対しての
誠実さを貫いた結果にすぎないのだ。



私は山野一の漫画そのものは大好きだし、
よく出来てると思うけど、
彼の一番好感を持てる部分というのは、
刃でメッタ切りした相手を
尚も機関銃でハチの巣にしてしまうような、
殺る時は容赦しません、徹底的にやりますよ、
とでもいうような彼の作家的態度だ。

それはまた、自分に対してイイ子であり続けようという意志の表れでもあるかもしれない。



「くたばっちまったんだって? あのオヤジ…」

「ぐっちゃんぐっちゃんだったっつーじゃん
 機械に挟っちゃってさ……」

「オウちょっと聞かせろよ……」

「ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」

「なあ…ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」

「なァ……」

「ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」


それにしてもやっぱり
山野一はハンパじゃないな。

話は飛ぶが、絶望的楽観論者の山野一本人は
時に何も考えてないように見えることがあるが、
勿論彼が本当に何も考えがないわけではない。

考えを突きつめた状態は何も
考えてない状態とよく似ているのだ。

山野一は、この世の中のおおよそのことは、突きつめれば、どうでもいい事だし、もっと突きつめれば自分が、人間が、地球が、そして宇宙までもが壮大なムダにすぎないことだと達観しているに違いない。

そして恐らくそう達観した時から彼は人生が
ほほえましいものに見えだしたにちがいない。

二十代半ばにしてそう達観してしまった、山野一が描き出す「不幸のどん底」は逆に大乗仏教的ですらある と私は勝手に思うのである。
出典 『四丁目の夕日』解説/根本敬特殊漫画家)


根本敬(ねもと たかし/けい)
1981年に『ガロ』で漫画家デビュー。
特殊漫画家」「特殊漫画大統領」を自称する。

デビュー以来「特殊漫画」の道を突き進み、
漫画界の極北に位置する。

「因果者」「イイ顔」「電波系」「ゴミ屋敷」「特殊漫画」といったキーワードを案出するなど、サブカルチャーに与えた影響は大きく、漫画界のみならず音楽界やアート界にも熱烈な支持者を持つオルタナティブ界の最重要人物でもある。

主著に『生きる』『怪人無礼講ララバイ』『亀ノ頭スープ』『ディープ・コリア』『豚小屋発犬小屋行き』等多数。根本の半生や活動については名著『因果鉄道の旅』に詳しい。


山野一作品紹介



山野一の単行本は残念ながら
文庫版『四丁目の夕日』以外
現在すべて絶版・品切状態です。

そこで今では入手不可能となった
幻の山野鬼畜作品群を以下に紹介していきます。


夢の島で逢いましょう


1985年 青林堂(絶版)
特殊漫画界の異端・山野一の記念すべき初作品集。
収録作品は『月刊漫画ガロ』に掲載されたもの。

後の作品と比べると、
正直えげつなさではあと一歩。

それでも鬼畜・不条理など
山野一らしさはちゃんと出ていて、
最初から異常だったってのはよくわかります。

どの話も危ない奇形人間が大量に出て来ますし、中々他の漫画では見られない、本当に化け物じみた化け物がたくさん見れます。


DREAM ISLAND
鬼畜SF活劇「DREAM ISLAND」(64頁)は
初期の傑作です。

時は西暦20XX年。
重罪人は完全封鎖された「夢の島」へと
隔離されており、中は無法地帯と化しています。

そこに立大聖歌隊が慰問に訪れるのだが、
さらわれて消息を絶ってしまう。

彼らを救うためD-4という死体をベースにした兵器(ロボ〇ップみたいなもんです)が投入されるが…


この夢の島はまさに魔境です。
腐敗物に湧いた害虫で雲のように覆われ、化学物質による汚染等でどの図鑑にも載ってない様な魑魅魍魎が蠢いている。
夢の島を治めるフリークス軍団とD-4との、醜い殺し合いが見もの。

もちろん聖歌隊の運命はそらひどいもんだし、人間たちの薄汚い部分もたっぷり描かれてます。
出典 Amazon.co.jp: 夢の島で逢いましょうの椅子人間さんのレビュー


貧困魔境伝ヒヤパカ


1989年 青林堂(絶版)
山野一3冊目の単行本です。
ひたすら人間のダークサイドにスポットをあて
救いのない結末へと導きます。

本書に込められた貧乏人に対する悪意は、
全山野作品を通じてもトップクラスだと思います。

よくこんなもの描けたなってのと同時に、
よくこれが出版できたなとすら思わされます。

しかし不思議な事に悲壮感や湿っぽさが一切なく「これが当たり前なんだよ」とでも言いたげな作風であり、心地良いとさえ言える後味の悪さを約束してくれるような気がします。


人間ポンプ
大学教授と学生の女が不況の現状を調査するため東京都某地区の貧民窟を訪れる。

工場の労働者に話を聞くと、周囲一帯の土地は地盤沈下しており、染み出した海水をポンプで絶えず汲み上げなければならないという。
すると突然、労働者によって二人は手漕ぎポンプがある深い穴に突き落とされる。



労働者は「ポンプを漕げ」と二人に命令する。
二人は仕方なく十日ほどポンプを漕ぎ続けるが、
理性が切れた二人は殴り合いの喧嘩を始める。

それを見た労働者は住人達の前で交われば出してやっても良いと条件を与え、仕方なく二人は獣の様に交わって見せた後、上から渡されたハシゴを上って行くと得体の知れない群衆が待ち構えていた。

そして群衆は二人を散々慰み者にした挙げ句、二人をまた穴の中に戻してしまう。


荒野のガイガー探知機
核戦争で文明世界が滅亡した後、
たった1人生き残ったのは
悪徳の限りを尽くした極悪人の男だった。

極悪人は臨終間際、
ふとした拍子にガイガー探知器を見つけ、
男は懐かしい文明時代を振り返りながら
大霊界へと昇る。

すると黄金に輝く大日如来が目の前に現れ、
極悪人の男を極楽浄土に迎え入れようとする。

極悪人自身「へぇーこのオレを?極楽に?でもオレは悪人ですぜ」と大日如来に疑問を投げかける。



大日如来は「ゴータマが死んでから三千年目に降臨し、その時地上にいる者を救済する。私の役目はゴータマとの"約束の日"を守るだけ。そんなもんなんです」と男に美しく完全な肉体を与える。

こうして男は涅槃に迎えられた
唯一の人間となったのであった。


荒野のハリガネムシ
資産家の孫である秀麿は
自由研究の課題を「貧乏人の観察」に決め
下男と女中をつれて貧民窟へ向かう。

最も貧乏そうなアパートの一室を尋ねると
食事中の貧乏人が現れた。

食事のおかずはハリガネ虫が一杯詰まった
カマキリの開きと回虫の塩茹であった。



秀麿は貧乏人に生活の中で
何か嬉しかった事は無いかと尋ねた。

すると貧乏人は三年位前に
大家夫婦の死体を塩漬けにして
一か月食べ続けた話をした。

そして、訪れた三人を前に
貧乏人はこう言った。

しかし今日のほうが良さそうだ
上等なのが三匹も…


人間の尊厳とか良識とかね
ビタ一文にもならないものは
クソといっしょに便ツボに
ひり出しちゃいましたよ

以後は畜生のごとく
もっぱら欲望に忠実に
生きているとこういうわけなのです
出典 『貧困魔境伝ヒヤパカ』(1989年 青林堂)「荒野のハリガネ虫」


のうしんぼう
精神世界を執拗に描写した夢漫画の傑作。

気が付くと見知らぬバスに乗り、
見知らぬバス停「のうしんぼう」で下車する男。

不思議な風景を通り過ぎながら、
山中にあるビルヂングに自分の部屋を見出すと、
不意に友達が風呂屋に誘いに来る。

そして、男は到着した風呂屋
パノラマのように艶やかな花火を目撃する。

掲載誌が『ガロ』という事もあり
前衛美術の影響が色濃く出た、
アヴァンギャルドな作品に仕上がっている。


山野一作品集の中でも「ヒヤパカ」は群を抜いて鬼畜度・キチ度の最高峰に達している。

どんな作家だろうと普通こんな発想は出来ない。
本人どころか他のどの作家にもコレ以上の鬼畜でキチな作品は今後一切、誰にも書けないと思う。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: ヒヤパカ




あまりに救いのないストーリーでギャグをやるというのは相当にタチが悪い。だが、このタチの悪さこそが山野一のマンガの面白さであり核心なのだ。

貧困層の人間を徹底的に下品に描いたり、
知恵遅れの子供をいかにも低脳な感じに描いたり、工員がつんぼの女工をレイプして川に投げ捨てる話を描いたり、フリークス同士のセックスを描いたりしても、それら全てをあくまでギャグとして描く。
出典 山野一作品レビュー




一見すれば、不謹慎な悪ノリに見えてしまうかも知れない。

しかし、偽善ぶった作品を描くのと、山野一のような作品を描くのと、どちらが楽かを考えればわかる思う。

メジャー誌に載る可能性はまず無い、一般読者受けは悪い、変な抗議を受けるかも知れない、そんなものをふざけて描き続ける訳が無い。
出典 山野一作品レビュー




この山野一の姿勢に自分は徹底して虐げられている人々や世の中で居ないことにされている人々を描くのだ、という強い意志と、ギャグとして包み込むことによる、それら対象への深い愛情を感じるのだ。

もちろん、愛情と言ってもベタベタした偽善ではない。

キチガイ、カタワ、知恵遅れ、貧困層の人間、乞食などの人々に対する「ある種の感情」を包み隠さず素直に表現する。
そのことによって、それら対象の存在を認めるということである。
出典 山野一作品レビュー




虐げられている人々の話を、やたら美化して、感動のお涙頂戴に仕立てるような連中はあまり信用することができない。

実はこんな鬼畜マンガを描いている山野一のような人間こそが本物の倫理観や道徳観を持った信用できるマンガ家なのではないかと思う。
出典 山野一作品レビュー




ちょっと大げさに言っちゃえば、少なくとも自分にとっては、この世にも信じられるものがあったんだと思わせてくれた、数少ない大切な作品の1つです。
出典 Amazon.co.jp: 貧困魔境伝ヒヤパカの椅子人間さんのレビュー


混沌大陸パンゲア


1993年 青林堂(絶版)
山野一最後の作品集で名作を多数収録しています。
文字通り山野一の集大成と言える鬼畜作品集です。

作品は貧乏、電波、不条理、宗教、精神、狂気、そして夢がテーマです。

いつもながらの鬼畜作品『カリ・ユガ』やサイコな不条理作品『壁』、宗教的荘厳さを感じさせる作品『ムルガン』など正に混沌とした幅広い収録内容となっています。

妻・ねこぢるとの相互影響もあってか
初期に比べて絵柄も大分デフォルメされ、
ギャグっぽい作品が多いのが特徴です

といっても普通に笑えるような
タイプのギャグでは全然ないですが。


絶望マンガ家、山野一が相変わらず「これでもか!」と救いのない世界を展開する本作。
しかし氏が攻撃するのは弱者ではなく、自分が「常識ある一般人」だと思いこんでいる多くの読者である。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 混沌大陸パンゲア


個人的には山野一名義の単行本の中で最高傑作だと思います。そしてこの本ほど、知り合いに「この本、いいよ」と言いにくい本も珍しいでしょう。まず間違いなく人格を疑われます。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 混沌大陸パンゲア


四丁目の夕日を読み、山野さんを知りました。
なんとなく他の作品も欲しいなと思い、こちらの単行本を読んだ所、本当に衝撃的でした。狂気の中に文学を感じれる、山野さんの神髄を見た気がします。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 混沌大陸パンゲア


断末魔境伝カリ・ユガ
ヒンドゥー教の教えでは、
世界は432万年の周期で
生成と消滅を繰り返すと説いている。

それはさらに4期に分かれており、
最後のカリ・ユガにおいては、
人心は大いに乱れ社会には貧困と憎悪が蔓延する。

そしてその全てが堕落しきった時、
破壊神シヴァが現れ宇宙を混沌に戻すという。

現代がこのカリ・ユガの最末期にあたるのは
言うまでもないと、作者の山野一は語る…。



『断末魔境伝カリ・ユガ』は
そんな荒廃した時代を生きる、
どうしようもなく貧乏だったり卑しかったりする、
底辺の人々を描き切ったオムニバス作品である。

しかし、元が山野一作品である。
劇薬をいくら薄めたところで
免疫のない読者には受け入れられず、
わずか7回で連載は打ち切りとなっている。



その代わり最終回では
今までのうっぷんを晴らすがごとく
産廃不法処理業者がシャブをキメて
トラックを走らせながらトカレフ
ドライバーや環境保護団体の連中を殺戮。

その上、危険な産廃を飲料水用ダムに投棄したりとやりたい放題、本領発揮といった感じである。


工員
工員が同じ職場にいる聾唖の女工に対し、
結婚して欲しい旨の手紙をだす。

しかし、彼女は男が自分を不当に差別しているのが文面から見受けられるとして誘いを断るが…。


さるのあな
田舎に住む子供達が山へ行くと
精薄児のきよしが穴に落ちていた。

すると子供達はきよしをサル同然と判断して…。



強姦殺人の罪で明朝死刑執行を迎える
覚醒剤中毒の囚人がいた。

囚人は独房で妄想に耽っていると、
突如LSDのフラッシュバックが起こり、
彼の意識はとある家で行われていた
マリファナパーティーの会場に飛んだ。

そして囚人の意識はそこの女性の意識と同化し、
彼は他人の意識の中で生きられるようになった。



囚人は水を得た魚のように、
次から次へと他人の意識を巡りながら
暴虐の限りを尽くす。

そんなことをしているうちに
囚人は死刑執行の時を迎える。
しかし、現実の彼は正常な精神を失っていた。

そんなことはおかまいなく、
意志を持たない彼の体は
執行人によって刑場に運ばれていく…。


脳梅三代
地域の住民の苦情を受けて市役所員の田中はある家に向かう。住民の話によれば、その家の住人は梅毒に感染しているという。

一家は三人家族であったが話どおり全員梅毒に感染していた。しかし全員様子がおかしく…。


走れタキシェ
たけしはまじめな中学生。
しかし、全く勉強ができない。

ある時英語のテストで自分の名前を「Takishe」と書いたのをきっかけにタキシェというあだ名で呼ばれるようになる。

受験の時は渋々山奥の農業高校に入学するが、
そこでは平川先生との出会いが待っていた。
雄大な自然の中、タキシェは逞しく成長していく。


SCHIZOID-ZONE
深夜、腹痛を訴えた男は
家族を連れて夜間病院で診察を受ける。
しかし病院は内科でなく神経科であった。

すると精神科医は男に
「あなたは精神分裂病患者である」と告げる。

次の瞬間、同行していたはずの妻と娘は
血塗れの幻となって姿を消す。


Closed Magic Circle
大学研究員の二人は、
文化人類学の調査のため
文明から遠く離れた孤島を訪れる。

しかし、美女と畸形ばかりの孤島で
次第に二人は本来の目的を失って行く。


ラヤニール
徹夜続きの漫画家は
現実からどんどん支離滅裂な
幻覚の世界へと導かれて行き人格が崩壊。

女子高生、寿司職人、担当編集者などの
崩壊した人格を背負わされる事になる…。


ムルガン
ある日、金色に光り輝く神の子が生まれた。
この神はムルガンと呼ばれた。

ムルガンは生まれて4日目に
全てを破壊し燃やし尽くすと
そのまま岩の上に432万年座っていた。

ある日、岩から花が咲き
三つの乳房を持った処女が生まれた。

ムルガンはこの処女と交わった。
その情交はそのまま12万年続いた。


序盤は、貧乏、白痴、奇形といったものを扱っていて、それはこの世の物質面に根ざしたものだ。その暗いトンネルを抜けると、薬物、錯乱の精神面へと到達する。ここではもう段階を追う事なく直接的に人を高みまで連れて行ってくれる。この本は劇薬である。
出典 混沌大陸パンゲア 感想 山野 一 - 読書メーター


どぶさらい劇場


1999年 青林堂(絶版)
山野一後期の長編作品で、
現時点において、これが先生最後の鬼畜漫画です。

また後半になると
鬼畜漫画の枠に収まらない様相も見せ、
異彩を放っています。

本作では鬼畜をギャグとして
見せる感じなので凄く笑えるんだけど、
鬼畜度自体は相変わらず強烈です。

嫌にリアリティーのあるみじめな極貧生活、
どろどろの人間ドラマなど、
さすがと言うほかないです。

やたらと放尿・排便シーンが出てくるし、
汚らしさは今までで一番かも。
何もそこまで徹底しなくても、
というレベルの不快さです。


“ぼっとん便所に美女が突き落とされてうんこまみれになる”なんてストーリー漫画が描けるのは山野一以外にはあり得ず、当然ながら傑作です。
出典 Amazon.co.jp: どぶさらい劇場の椅子人間さんのレビュー


糞壺、生活保護家庭、白痴青年、老人の強欲、怪しげな宗教団体、覚醒剤、神、強姦魔、精神崩壊、陰謀と策略、発狂、内閣総理大臣、暗殺、粛正、スキャンダルの露呈

この物語で描かれるキーワードを列挙してみたが、読んで頂かないことには、この漫画の面白さは伝えられない。
出典 Amazon.co.jp: どぶさらい劇場のほかほかご飯さんのレビュー


あらすじ
ある日、社長令嬢で女子大生のエリ子は、
自らが運転する高級車で事故を起こしてしまう。

轢いた相手は手取り13万8千円の
さえない工員の男だった。

本来ならば保険を適用して
示談で事無きを得るものだが、
あろうことか保険は期限切れだった。

さらに追い打ちをかけるように
エリ子の父親が経営していた会社が
バブル崩壊によって倒産。

ほどなくエリ子の両親は
彼女を見捨て蒸発する。

こうして慰謝料7千万円を支払えない
「元・社長令嬢」は被害者家族の家庭で
飼い殺しされることになる。



被害者家族に拉致され、
奴隷のようにコキ使われ、
老人の下の世話までさせられるエリ子。

その後、脱走を企てたエリ子は、
ぼっとん便所の便壺に閉じ込められ、
そのショックで肉体と精神が分裂し、
彼女は心の中で神と対面する。

その結果エリ子の「善の部分」が今までの煩悩だらけの「悪のエリ子」に取って代わって、肉体を支配する事になる。

本作はある意味、ここからが本題といえる。
超能力の使える「善のエリ子」は新興宗教団体と関わりを持つ事となり、私達読者の想像を遥かに凌駕した数奇な運命を辿る事になる。


ここまで来るとあまりに特殊で
自分の理解を超えた部分もあるのですが、
読んでいて圧倒されるものがありました。
ぜひその眼で確かめて、異様さに驚嘆してほしいです。
出典 Amazon.co.jp: どぶさらい劇場の椅子人間さんのレビュー


ねこぢるとの出会い


押し掛け女房
山野一の漫画を読んで感銘を受けたねこぢるは、18歳の時に山野一の自宅に押し掛け、そのまま結婚してしまいます。

時は1985年頃、まだ山野一が『四丁目の夕日』を『ガロ』に連載していた頃のことです。


唯一無二の共同創作者
ねこぢるの最初の漫画は、彼女が暇を持て余して書き殴っていた猫の絵から着想を得た山野一がストーリーを書き起こしたのが始まりとされています。

二人には「極めて微妙」な役割分担があり、
外部の人間をアシスタントとして入れることができなかったので、山野一ねこぢる唯一の共同創作者でありました。


ねこぢるうどん


作・山野一 / 画・ねこぢる
ねこぢるのデビュー作です。
原作や構成は山野一氏が担当。
『ガロ』90年6月号から連載開始。

この連作の元にもなったデビュー作は
「子猫がうどん屋で睾丸を取られて死ぬ」
というだけの凄まじい内容です。

掲載時ではそのまま無修正だったのが、
単行本化の際に伏字にする処置が取られ、
文藝春秋版では一部の話が削除されてます。


彼女の作品は、その可愛らしいネコのキャラクターとは裏腹に、残酷非道な描写に溢れ、数々の意地悪と不条理が混在し、一度触れると忘れられない不思議な魔力に満ちている。
出典 ねこぢる純粋理性批判―ねこぢる追悼×公式ガイドブック : ねこぢる研究会 : 本 : Amazon


「にゃーこ」と「にゃっ太
キチガイのそれっていう感じの表情のまんま、身のまわりで起こる出来事に対して、情緒的なところをすこんと欠落させたみたいな単純でまっすぐな反応をする二匹──あれっ? やっぱりキチガイみたいだなぁ。

そうか。そうです、ぼくは「ねこぢるうどん」の、この淡々としてキチガイなとこに感じちゃうんですよ。でも姉弟仲いいよね(知久寿焼


ねこぢるムーブメント
1990年の『ガロ』デビュー以降、
数年で完全にその作風を確立するや、
とてもガロ系とは思えない売れっぷりで、
新進の漫画雑誌等から引っ張りだことなります。

更に可愛い絵柄が中高生にも受けて
キャラクター商品が巷に溢れました。



人気漫画家となってしまった彼女は
寝る暇もなく漫画を描き続けました。

しかし、もともと量産的な作風でなかった事もあり「好きなものを描く」というより「とにかく原稿を納品しなくちゃ」という姿勢が強く窺えるようになっていきます。

エッセイでは人から聞いた話をそのまま書くなど、明らかなオーバーワークになっていきました。


彼女の作品には「裏」がない。
例えば彼女の世界では、豚は罵られ、殺され、食べられるだけの存在である。そこに基本的には救いはない。

そのような描かれ方に眉をひそめる人も多かったが、その人は現実世界で食肉加工される豚を救おうとはしない。生前の「トンカツって豚の死体だよね」という発言にはそれが端的に現れている。

彼女の描く猫の黒い眼は、
そんな世の中の矛盾をありのまま捉えていたのではないか。
出典 ねこぢるとは (ネコヂルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


吉永嘉明『自殺されちゃった僕』より
晩年は鬼気せまる修羅場が何度もあった。
それでも発注があるから無理してやる。責任感は強く放り出せない。

一度山野さんが僕の仕事場に逃げ込んできた。ねこぢるがテンパって山野さんを切りつけたというのだ。仕事場の電話に出るとねこぢるからだった。

「そこしか行くとこないと思った。叩き起こして電話に出して!」と物凄い剣幕だ。

僕は断固として山野さんの身を案じて帰宅させなかった。まんじりともしないで夜が明けた。やっと外で雀のさえずりと新聞配達の音がしてくる。

ねこぢるの錯乱ぶりも一段落した事だろう。山野さんはねこぢるの元に帰って行った。「ねこぢるには僕が必要なんです」と言い残して──。


バイオレント・リラクゼーション(解説:山野一




彼女の元に来たたくさんのファンレター、その多くは中高生から寄せられたものだが、それを見ると、ねこぢるの漫画の内容のあまりの非常識さに、初めは驚き、とまどいを覚えたものの、次第に引きこまれ、繰り返し読んでいるうちに、自分の心が癒されていくのを感じたという…。またこの世の中や、人間の見方が変わったというものも多かった。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一


ねこぢるは別に自分の作品で社会批判をしようなどという気はまるでなかった。わざと人の感情を逆なでしてやろうという意図もなく、ただ自分の感性でとらえ、面白いと感じたことを、淡々と無邪気に描いていただけだ。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一






ではなぜ読者の方々は、ねこぢるの漫画に安堵感を覚えたのだろうか?…それは彼女の漫画がもつノスタルジックな雰囲気のせいかもしれない…。

しかしそれよりも、自分との出会い…とうの昔に置き忘れてきた“自分自身”に再開した…そういう懐かしさなのではないだろうか?

まだ何の分別もなく、本能のままに生きていた頃の自分…。
道徳や良識や、学校教育による洗脳を受ける前の自分…。
社会化される過程で、未分化なまま深層意識の奥底に幽閉されてしまった自分…。

その無垢さの中には当然、暴力性や非合理性・本能的差別性も含まれる…。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一




人間のそういう性質が、この現代社会にそぐわないことはよく解る。どんな人間であれ、その人の生まれた社会に順応することを強要され、またそうしないと生きてはいけない。

しかし問題なのは、世の中の都合はどうであれ“元々人間はそのような存在ではない”ということだ。

もって生まれた資質の一部を、押し殺さざるをえない個々の人間は、とても十全とはいえないし、幸福ともいえない…。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一




「キレる」という言葉に代表される、今の若者たちの暴走は、このことと関係しているように私には思われる。

未分化なまま抑圧され続けてきたものが、ちょっとしたストレスで、自己制御できないまま、意味も方向性もなく暴発してしまうのではないか…?

ねこぢるの漫画は、そういった問題を潜在的にかかえ、またそれを自覚していない若者達に、カタルシスを与えていたのだと思う。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一




ねこぢるは右脳型というのか、思考より感性が研ぎ澄まされた人で、社会による洗脳を最小限にしか受けておらず、あのにゃーこやにゃっ太のような子供のままの心をずっともち続けていた。

もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。それはもはや”漫画”というカテゴリーには収まらず、理解できる人も極めて限られていたでしょうが、かなり芸術性の高いものになっていたと思います。

そのニュアンスを可能な限り残しつつも、とにかく”商業誌に掲載し、それを手にする不特定多数の読者が、少なくとも理解可能”なレベルまでオトすことが私の役目でした。まあいうなれば”通訳”みたいなものです。
出典 出典 山野一「特別寄稿・追悼文」 『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁


私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…、上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました。

生前彼女はチベット密教の行者レベルまでトランスできる、類いまれな才能を持っておりました。
お葬式でお経を上げていただいたお坊さまにははなはだ失礼ですが、少なくとも彼の千倍はステージが高かったと思われるので大丈夫…。

今頃は俗世界も私のことも何もかも忘れ、ブラフマンと同一化してることでしょう。
出典 山野一「特別寄稿・追悼文」 『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁




1998年5月10日以降


1998年5月10日午後3時18分、町田市の自宅トイレにてねこぢるが首を吊った状態になっているのが山野一によって発見される。31歳没。


ある日起きると彼女は冷たくなっていた。普通に寝ているような穏やかな顔だった。

「もう亡くなっています」

救急隊の人の言葉の意味はわかるが、今目の前にあるものが現実とは感じられない。いろんな人が来ていろんな事を言った。

私はねこぢるの顔を見つめたまま「はい、はい」と受け答えをしていた。しかしこれは夢で、すぐに覚めるものだと頭の半分で思っていた。

それは葬儀が終わってからも変わらず、抱いて帰った白い箱に線香を上げるのだが、ねこぢるに上げているという気はしなかった。

ふと気が抜けると「あれ、ねこぢるどこ行ってんだっけな?」とすぐ思ってしまう。いつものように近所のコンビニか、遠くても駅前の繁華街にいるような気でいるのだ。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




「私は長生きなどしたくない」

ねこぢるは出会った頃からよくそんな事を言った。長年聞いていると麻痺して、機嫌が悪いからまたそういう事をいうんだろう、ぐらいにしか思わなくなっていた。

そういう慢性的な不安要因はあったものの、実際に引き金を引かせた動機はわからない。疑問はどんどん湧いてくるが、答えは何一つ与えられない。すべて憶測のまま放置される。考えは同じ所を堂々巡りして、そこから抜け出せない。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




「私が死んで、オレが悪かったよぉーって毎日メソメソ泣けばいいんだ」怒った時などねこぢるはよくそう言った。いたずらっ子のような顔が浮かぶ。

好きだった酒を遺影に供え、線香を上げ、手を合わせるのだが「何という身勝手なやつなんだ。意味わかっててそれやったのか?」そういう反感が、どうしても混じってしまう。

確かに自分がそんなにいい夫だったと思わない。
しかし、私が死ぬまで徹底的に無視され続けなければならない程ひどかったとも思えないのだ。

ようやく墓を建て、一周忌の法事を兼ねて納骨する。しかし、ひとかけらだけその骨を残してロバの絵の小さい壺に入れておく。

ねこぢるが好きだったインドで壺から骨のかけらを出し、手のひらに包んで海水につけた。日差しは強く首の後ろが焼けるようだが、海水は冷たい。

波の力が強く、もろいかけらから小さな断片をさらって行く。波が引くとき手を開いて流してしまおうと思った。次こそと思うのだが、何度もやりすごしてしまう。結局手を引き上げ、もとの壺に納めてしまった。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




ある日、知人がMacをセットアップしてくれた。
ずっと放置してあったパソコンだ。マウスでグリグリと無意味な線を引き、消し、またグリグリ……。そうやっているうちに自分でも思いがけずハマっていた。

Macねこぢるの絵を描いていると、かつて故人と机を並べていた時のように、なにか対話しながら描いているような気がする。それは錯覚なのだが、少なくとも紙よりは孤独でないと私には感じられる。

墓や仏壇に向かっているより、Macのモニターの中に「にゃーこ」や「にゃっ太」を描いている時の方が、故人とシンクロできるような気がするのだ。正確には、私の頭の中の故人像とではあるが。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




「ちがうっ、そうじゃなくて……、ああ、バカへたくそっ」

線を引く耳元で、ねこぢるがずっとそういい続けているような気がする。その声に従ったり、無視したり、教えられたり、反抗したり、感心したり、癒されたり、やさぐれたりしながら「ねこぢるyうどん」1~3巻を描いた。

最後の書き下ろしの部分では、消耗しすぎて私の目の下のクマは顔中に広がり、死に神みたいな顔になった。

ねこぢるに対する私の受け答えは、全部実際に口から漏れていたから、その姿を見た人は、急いでその場を離れたかもしれない。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年


ねこぢるは自分のキャラクターを本当に愛していた。
仕事をしながら何気なく、「にゃーことにゃっ太はどっちが君なの?」と聞いた事があった。

返事がないので、聞いていないのかと思いそのまま忘れていたら、だいぶ経ってから、「んー……、どっちかに決められない」と言った。ずーっと考え込んでいたのだ。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




ねこぢるが亡くなったあと、私が漫画を描き続けるのはやめてくれ、という読者の声もあった。

そういう声には私もえぐられる。遺書にこそ書かれていないが、自分が死んだ時の事について何度か話していたからだ。

「絶やさないでほしい」

「やめてほしい」

その時々の気分によっていうことは変わった。
つまり私がやっている事は、黒でもあり白でもある。

かつてねこぢるとしていたやりとりを、
今は脳内のねこぢるとしている。

それがやっていい事なのか悪い事なのか、それになにか意味があるのかないのか、今のところなんともいえない。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年



いずれにせよ、生きている者に
“死の理由”の本当のところはわからない。

よく31まで生きたと思う。
あそこまで生きたのも
山野さんがいたからだとも思う。

結局、死にたい人だったから死んじゃった。
そう思うしかない。(吉永嘉明


山野一」から「ねこぢるy」へ


ねこぢるyうどん
ねこぢる氏は最早ペンを持つことが出来なくなりました。しかし、そのねこぢるを一番理解し、傍に居続けた山野一による新たなねこぢるワールドが、この『ねこぢるyうどん』シリーズで幕を開けました。

作画はペンからMacに替わり、鮮烈なカラーでもって、霊界のねこぢるとのシンクロを試みる山野一の神髄を本書で感じ取る事が出来るはず。


ねこぢるを語る時に欠かせないのは、夫である漫画家の山野一さんである。山野さんは1983年にガロでデビューしているので、ねこぢるより先輩の漫画家ということになる。

山野さんは「鬼畜系漫画家」と呼ばれており、貧乏、暴力、セックスなどを題材にしたストーリーの過激さ、リアルでグロテスクな絵柄などが特徴のアンダーグラウンドなマンガを描いていた。

山野さんがマンガで表現しようとしていたことは、現代社会の矛盾や人間性の冒涜に対する批判であり、それを逆説的に、自虐的に描くことによって読者の心に一石を投じるという高邁な思想が反映された作品群であったのだが、

残念ながらそれらの作品は広く世の中に受け入れられることはなく一部のファンに熱狂的に支持されているだけであった。
出典 ねこぢる - ピッコロモンド


そんな山野さんがストーリーを作り、奥さんのねこぢるが絵を描いた「ねこぢるうどん」は、山野さんの思想を柔らかいタッチで表現した、寓意的なマンガであり、絵柄の可愛らしさと、思想の高邁さが見事に融合した、現代のイソップ物語のような作品であった。

その高度に洗練された物語は、出版業者からも高く評価され、ねこぢるは様々な雑誌から引っ張りだことなったのだが、もしそれがねこぢるの自殺の要因となっているのだとしたら大変不本意なことである。
出典 ねこぢる - ピッコロモンド


僕はねこぢるの成功を見て、素晴らしい作品を書きながら、これまで正当な評価を受けることがなかった山野さんが、このような形で評価されて、おそらくある程度の収入も得ることができたであろうから、本当によかったと、心から喜んでいた。

しかし、もしそれと引き換えに、最愛の奥さんであるねこぢるを失ってしまったのだとしたら、それはあまりにも大き過ぎる代償であっただろうと思う。
出典 ねこぢる - ピッコロモンド


それならばいつまでも、マイナー漫画家として貧乏にあえぎながら、それでも奥さんと仲良く楽しく暮らしていてほしかった。

山野さんを含むごく一部の親しい人にしか心を開くことがなかったというねこぢるさん。おそらく山野さんも、ねこぢるさんを含むごく一部の親しい人にしか心を開くことができない人だったのではないかと思う。

そんな山野さんが一人でコンピューターを使って、ねこぢるさんの絵を再現してマンガを描いているなんて、あまりにも悲し過ぎる。
出典 ねこぢる - ピッコロモンド




漫画家、山野一
80年代から90年代に掛けて台頭した
特殊漫画家と言うカテゴリーの旗手である。

その作品は、天才と一言で片付けられるほど薄っぺらではない。それは文学であり、哲学である。唯一無二と評価して良いだろう。

愛妻の突然の死が受け入れ難い物であった事は理解出来るが、このまま「ねこぢるy」として二人で創造した偶像に飲み込まれるつもりなのか。それとも創作意欲が枯渇してしまったのか。

あの「のうしんぼう」からアドレナリンが噴出する瞬間を体験出来る山野漫画に再度触れる事は適わぬ夢なのか。

天才漫画家の復活を心から祈る。
出典 荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載49) - 清水正ブログ




山野一 - Wikipedia


山野一 (やまのはじめ)とは【ピクシブ百科事典】


鬼畜マンガ『四丁目の夕日』が無修正で電子書籍になった!
山野一の幻の衝撃作品「四丁目の夕日」がついに電子化された!
平々凡々に生きている主人公・たけしはある日暴走族に襲われる。その日、家に帰ってみれば、母親は大けがをして救急車で運ばれるところだっだ。

燃やしていたゴミの中にあったスプレー缶が爆発してしまったのだ。以降、これでもかこれでもかというくらい不幸がたけしを襲う。

たけしは大乗仏教的とさえ思える「不幸の無間地獄」へと堕ちていくのだった…。
これを読まずして、80年代のサブカル・コミックは語れない。


そせじ


2014年 Kindle
2014年になって発表された山野一の新作漫画は
なんと山野家を舞台にした双子の育児漫画でした。

AmazonKindleで出版され、
現在3巻まで刊行されています。

一般女性と再婚して双子の女の子を授かった
「元・鬼畜系漫画家」の山野一が綴る描き下ろしの
電子コミックエッセイとなります。


山野一が戻って来た。
知ってる人は知っている。知らない人は来世に渡っても恐らく知る事は無いであろう作家の新作はまさかの子育て漫画。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のフロムさんのレビュー


山野先生の作品を知って以来、つらくなったり、苦しくなると、四丁目の夕日とかの作品を読んで、なんとも言えない気力をもらい、

とりあえず明日も生活しようと、絶望に似た希望を頂くことが多く、読むのにどこか儀式のような感覚があったのですが、そせじはそれとは違って、もっとライトに楽しく読むことができます。

あんな作品群を描いた山野先生がこんな作品を描く日が来るとは他人事ながら人生なにが起こるか分からないなとしみじみと感じました。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のu3uさんのレビュー




育児漫画は数あれど、あの特殊漫画を描いておられた山野先生がこーいうのを描いてくださるのが既に面白い。

先生の近況や幸せそうな様子が垣間見れて嬉しく、双子の成長記録としても素敵な作品です。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(2)のanさんのレビュー




まず絵がいいです。すごく記号化されているのに味があって、見ているだけでも心地いいです。話も面白いです。

育児漫画なんて基本的には面白くなさそうなもんですが、そこはさすがの山野一。視点、発想がひねくれてれてて最高です。

特に子どもに地球の反対側はどうなってるかというウソ話をするシーンなどは声を出して笑ってしまいました。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のA金太郎さんのレビュー




これまでの山野先生の作品からは想像できないほんわかなご家庭が垣間見えます。
こういうバックボーンがあってああいう鬼畜(笑)な世界もまた生まれるのだなと思うとなんとも感動しました。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のAmazon Customerさんのレビュー




クリエイター的な人は歳とともにどんどんつまらなくなるのが常ですが、山野一はずっと面白い。

確かに表面的には時代の影響か丸くなってますが、根底は確かに山野作品です。2014年のガロ漫画家の新境地を見ました。
あと、こんな才能を持った人が貧乏なんて世の中間違ってると思いました。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のA金太郎さんのレビュー




明るく未来にあふれる線が山野さんの画力の高さを際立てている。
あの山野一が・・・と思うとぐっときてしまう。本棚に置きたい!
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のぱんやさんのレビュー


50歳を目前に再婚して双子を授かった山野一は彼女たちに何かを重ねているのではないかとふと疑問に感じます。

かつてねこぢるがにゃーことにゃっ太を心から愛していると言い、どちらがねこぢるなのかを質問したら長時間考え込んで「解らない」と答えたことがありました。

もしかしたら双子はねこぢるの生み出したにゃーことにゃっ太の姿なのかも?というのは妄想でしょうか?

生まれてきた双子にどのような思いを重ねているかは本人にしか解りませんが、生まれてきた子供たちを幸せに育てていることは確かでしょう。
出典 山野一のおすすめ作品4選|タブーに触れるオルタナティヴ作家|PUUL(プウル)


特別資料室


ねこぢるインタビュー『月刊漫画ガロ』1992年6月号
ねこぢること山野夫人と山野一氏にインタビュー。
山野一氏の「ねこぢるうどん」への関り方や発想の源、そして山野漫画の基盤を語る。


混沌大陸パンゲア刊行記念/山野一インタビュー『月刊漫画ガロ』1994年2月号
──表題を『混沌大陸パンゲア』としたのは、現代はヒンズー教の言うところの最末期の状態で、その時に破壊の神シヴァが宇宙を混沌に戻すということと、その最末期の状態のようなことが描かれた漫画作品集ということでつけたのでしょうか。

山野「何となくつけたんですけどね。何百億年だか前に、大陸がみんな一つだったというのを聞いた時に、閃くものがあったんです。自分が考えていたこと…、それは精神的なことだったんですけど、それと通じるものがあったんですよ。根を手繰れば一つみたいな、そういう意味がないわけでもないですね」


山野一ロングインタビュー「貧乏人の悲惨な生活を描かせたら右に出る者なし!!」『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」
山野一の描く漫画の世界は、実に悲惨だ。その世界では人々は例外なく強欲でどうしようもなく愚かである。時として好感の持てる人物が登場することもあるが、そういった人には情け容赦なく怒濤の不幸が押し寄せる。ああ、なんて夢も希望もないんだ !

でもこの世界、なんかどこかに似ていやしないか。「世の中バカが多くて疲れません?」放映中止になったあのCMに共感を覚えた人に絶対オススメの漫画家だ。(聞き手・構成/吉永嘉明


ねこぢる追悼ナイト@新宿ロフトプラスワン(根本敬×白取千夏雄×サエキけんぞう×鶴岡法斎)
1998年11月23日に新宿ロフトプラスワンで行われた関係者4人による追悼トークライブ。一応「ねこぢる追悼ナイト」って事になっていますが、みんな好き勝手な事を喋ってるのであんまり追悼にはなってませけど…。


THE Bottom of Deposit『月刊HEN』1992年5月号
単行本未収録作品


そせじ関連サイト


ねこぢるyこと山野一が本格復帰!育児コミックエッセイ


そせじ kindle版応援サイト
不朽の怪作「四丁目の夕日」の山野一が描くハッピーエッセイコミック「そせじ」(kindle版)応援サイト


そせじ kindle版応援サイト | 山野一のこと


『四丁目の夕日』4年ぶりの重版










あとがき(1989年)


小田急線沿いの郊外に引っ越した。
ある夕方妻と二人で薬師池公園という所に行った。

バスが通っているはずなのだが、野津田車庫とか淵野辺とか境川団地とか、聞いた事もない行き先を掲げたバスが次々に来て、どれがその公園に行くのかわからない。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




案の定乗り間違えて、目的地から2キロも離れたバス停で降りた。いかにも郊外という景色で山や畑の間に大きな団地が点在している。

公園は森に囲まれた谷あいにあった。神社や、江戸時代の農家などがあり、蜩がやかましいほど鳴いていた。大きな池には驚くほどたくさん亀と鯉がいた。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




妻が橋の上から煎餅を投げ与えると、水面がもり上がるぐらい寄って来る。亀にやろうとするのだが、亀は鈍いのでほとんど鯉に食われてしまった。その公園の近くにダリヤ園というのがあったが、妻が疲れたのでそのまま帰りのバスに乗った。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




バスは何度も同じような団地の中をぬけて行った。箱のような棟が規則正しく並んでおり、その中で一きわ高いのが給水塔であった。

コンクリート製の巨大な塔で、縦に三つ小さな窓が穿ってある。真っ赤な夕空を背景に、黒々とそびえるその姿は、まるで地獄の獄吏のようだ。この巨人はこの団地にすべからく水を供給し、人々はみなそれを飲んで生きているんだなあと思った。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




しかし団地というものは大体どこでも同じようなものだ。アパート、植え込み、駐車場、スーパー、給水塔、その上に取りつけられたスピーカーから流れる夕焼け小焼けのオルゴール。

私は子供の頃三重県四日市々の団地に住んでいたが、今窓から見える光景と少しも違わなかった。

立ち話しているおばさん達や、自転車で帰る子供達、こういうものも、何かしらあらかじめ用意され、団地に備え付けてある付属品のようだ。ずっと向こうまで並んだ棟のどこかに、かつて住んでいた室があるような気がして、「ああもう帰らなくちゃ」と一人言を言った。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




あの頃通っていた幼稚園には牧師の先生がいた。先生が語るところによると、神様というのはどっかすごく高い所にいて、常にすべての人の一挙手一投足をごらんになっておられるそうだ。

その言葉から私がイメージした神のイメージは給水塔であった。なぜなら幼児だった自分にとって団地は世界のすべてであったし、その一番の高みにあって一切を見下ろしているのは給水塔であったからだ。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




2006年再婚、2008年双子出生。
2010年からは画家としても活動開始。

2013年には『ねこぢるyうどん』3巻以来、
11年ぶりとなる漫画単行本『おばけアパート前編』を発表。2014年には山野一名義での創作活動を再開。漫画家としての完全復活を果たす。

※まとめ内の画像や文章の使用に当たって引用した主な画像の著作権は山野氏および関係出版社に帰属します。Ⓒ山野一/ねこぢるy


おまけ




日本テレビ版ドラえもん中間報告書

ドラえもん 中間報告書 1973/05/31

中間報告書は表紙を含めて全18枚のシートとなる。提出先も配布先も不詳だが、番組終盤の作品作りに影響を与える重要な証言である。

この中間報告書がテレビ局にいつ頃提出されたのかは定かではありません。第21話として6月10日に放送された「ふしぎなふろしき」が中間報告書では25話だったことや、第26話として放送された「おしゃべり口紅(おしゃべりナンバーワン)」が21話として書かれている事から推し量るに、5月末には提出されていたと思われます。(真佐美ジュン氏HPより)

本報告書は放送開始まもない5月末には提出されている模様だが、現物を保管されていた制作主任の真佐美ジュンさんも、どなたの筆によるものかは失念されたとのこと。上梨満雄監督は、製作陣が集って考えたことをまとめたものではないか、と述懐されている。

本報告書では約8割の作品の概説が記されていることから、フィルムが容易に目に触れることない本作品の内容を推し量る上でも有力な資料となっている他、記された作品の現状とこれから目指すべきコンセプトが、たいへん目を惹くものなので、ここに全文を掲載したいと思う。

 

○原作の解釈

山のような宿題をかかえて、時間表とにらめっこしながら、箱詰めの日常を送る子どもたちが、何かにつけ、変身人間のように何でもやってのける超能力の持主の実在を期待したとしても不思議ではないでしょう。

もしぼくが超能力の持主だったら...と夢を数える子どもたち。そんな現代っ子の典型である野比のび太君の生活の中に、突然、未来の国から、ネコロボットのドラえもんが割り込んできた。

ドラえもんは変身人間のようにカッコいい正義の味方ではないけれど、どうにかこうにか超能力の持主らしい。ポケットから取り出す秘密兵器の威力で、何をやらせても駄目な野比のび太を出来のいい少年にしようとやっきになってガンバルのだ。

だけど、ドラえもんの秘密兵器は余りにも珍無類で、それを使うタイミングもまた余りにもとっ拍子もなく、野比のび太はいつもテンテコ舞でズッコケ放っし。その上、野比家全体を、いや、町中を被害に巻き込んで、ドラえもん駄目なネコロボットと言われる一歩手前にいる。かろうじて一歩手前に留まっていられるのは、ドラえもんがここ一番とガンバル超能力のかすかな効き目と、もう一つ、ドラえもんの憎めないほのぼのとしたユーモアに満ちた性格のおかげである。

そんな児童まんが『ドラえもん』は、原作者・藤子不二雄のこれまでの作品と同様に、ホームコメディーを基調としながらも、その表現は、たとえば、『オバケのQ太郎』のようにストーリー性を強調するのではなく、かなりスラップ・スティックな工夫の試みを特色としている。それは、もちろん、主人公ドラえもんが秘密兵器を使って引き起こす、現実の常識をでんぐり返した世界の面白さを効果的に描き出すための方法である。

その原作の狙いは、読者とアイデンティティにある野比のび太の日常生活が異次元へ変化する興味を見事にキャッチし、『ドラえもん』を雑誌まんがとして成功させているといえる。

 

○テレビ化に際して

当初、原作の持つ長所を強調するために、原作『ドラえもん』を忠実にアニメ化することを構成の第一の要点とした。したがって、秘密兵器の世界の面白さを番組の売りとし、それを最も効果的に表現するためのキャラクター設定とシリーズ構成を行った。

すなわち、野比のび太の周囲に、のび太と対立関係にあるキャラクターを配置し、のび太を側面から補助する役割としてドラえもんを登場させた。当然、ドラマは野比のび太を中心に展開し、シリーズの流れは野比のび太を中心とするキャラクター関係を広げることで進んでいった。

この当初の構成方針は、主人公ドラえもんの性格描写を忘れ、主人公でありながら、ドラえもんを影の薄い存在にしてしまった。その上、主人公の存在がドラマの中心からはずれたために、ドラマのテーマ性の希薄という結果を招いた。しかも、演出テクニックとして、原作の特色であるスラップ・スティックな表現を禁じたために、迫力に欠ける単調なコメディの次元に留まってしまった。

 

○基本設定の確認

まず、子どもの現実を深く理解すること、そこから、テレビまんが『ドラえもん』の構成が再スタートしなければならない。何故ならば、『ドラえもん』のドラマを支えるのは、もしもぼくがー...という夢を追っかける現実の子どもと同一次元のキャラクターたちであり、『ドラえもん』のシリーズのねらいは、現実の子どもの世界を夢にでんぐり返して、ユーモアに彩られた子どもの日常を描き出すホームコメディーだからだ。

主人公ドラえもんは、現実の夢化作業にガンバルのだが、夢といっても、現実離れのしたファンタジックな奇想天外ではなく、ありきたりな出来事への子どものささやかな願望をいたずらしたものにすぎない。したがって、『ドラえもん』のドラマの面白さは、ガンバレばガンバルほど現実へのめり込む。20世紀という文明の人間社会で、未来の国からやって来たネコロボットのドラえもんがいかに生活していくか、そのありさまから『ドラえもん』というドラマが生まれてくる。そして、そのドラえもんの活躍ぶりが『ドラえもん』の毎回のテーマなのである。

 

○今後の『ドラえもん』構成の要点

原作のキャラクター設定を生かしながらも、主人公ドラえもんの個性のスケールを拡げ、ドラえもんを中心とするキャラクター関係を設定しなければならない。つまり、これまでのように、のび太を通して他のキャラクターと間接的に接触するのではなく、直接的に関係を持ち、野比家の家族の一員として、食事、入浴、お使い、など、のび太と同一の生活を営み、行動するようにすべきである。

ドラえもんの個性と秘密兵器は諸刃の剣であって、ドラえもんの活躍が現実生活にのめり込めばのめり込むほど、現実生活に密着した秘密兵器が登場するはずである。ドラえもんの個性から滲み出るほのぼのとしたユーモアの世界と秘密兵器がもたらす面白さを見せ場とするギャグっぽい世界を二つの大きなシリーズ構成として確立させたい。

ドラえもん」は15分もの2本立というフォーマットの強みを持ち、いわんや、視聴対象者は、個性の定まらない子どもたちである。さまざまなドラえもんの姿、さまざまなキャラクター関係、バラエティーに富んだにぎやかなドラマの構成を心がけるべきではなかろうか。〈了〉

 

一冒頭部分の「原作の解釈」に初期の原作マンガのムードが正確に捉えられているならば、史実として非常に興味深い。

一方、「テレビ化に際して」以降に、愛読者・視聴者は、のび太にこそ自分の姿を重ねて作品を共感を以て迎え入れることを的確に捉えているのにも関わらず、製作者にとって、マンガ『ドラえもん』の主人公は作品タイトルの「ドラ」本人であってほしい、という不文律を背負ってしまっている「ねじれ」が見受けられる

製作陣はTVアニメとしては、その性向を「単調なコメディ」と自虐的に捉えたのは時代的な背景も関係しそうだし、本企画書以降の映像作品が、優先的にドタバタ作品を原作に選択した感も残るものの、確認できた範囲だが、のび太の生活描写・日常描写を描くことを忘れてはいなかった事を、お伝えしておきたいと思う。(舘)

 

最後に「日テレ版」と「テレ朝版」の制作方針の違いを推し量る上で重要な資料となる高畑勲の企画書(再アニメ化の際に用意された覚書)を以下に記す。

 

ドラエモン“覚書”

高畑勲

ドラエモンは何者か、どこから来たか、のび太とどういう関係なのか、をはじめからわからせるために、特別な第1話を指定することはしない。

ドラエモンの出現とのび太のおどろきをみせない方が良いということを積極的に主張する根拠はないが、ドラエモンとのび太の友情の発展していく過程とか、パパやママのそれを受け入れていく過程などを描くことが予定されていない以上、第1話それ自体としての問題でしかなく、要は如何に面白い話を第1日目に提出するかという点で考えたい。

「ドラエモン」の魅力はドラエモンという不可思議な存在が、その存在のリアリティを子供に植えつけることで増加するわけでなく、ドラエモンがポケットから出すものによって、平凡な日常生活が急に活気を帯び、楽しく夢のあるものになったり、なりかけて駄目になったり、イタズラ心や子供っぽい復讐心に刺激を与えられて、笑いを解き放たれるところに、その魅力があるのだから、短刀直入(ママ)に個々のエピソードを展開しはじめたほうが良いだろう。

同じような意味で、のび太、パパ、ママ、しずか、スネ夫ジャイアンなども、最も一般的なタイプを代表していて、ドラエモンの道具によって異変が持ちこまれるべき「日常生活の世界」を最もシンプルな形で構成しているのだから、この藤子不二雄的人物達とその関係は子供達に一目瞭然であり、余計な説明も肉づけも不要である。

以上の点から、このシリーズの場合、シリーズの構成といったものは不要であり、いかにバラエティを考えるかだけが重要である

日テレ版ドラえもん第13話「決闘! のび太とジャイアンの巻」決定稿台本



●キャスト
 
特別資料室
 

Thanks! Mark Acrylic

Thank you!! Thank you very much!!!

 

画像出典

藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌43号「特集日本テレビドラえもん」(2006年12月初版発行、2009年8月改訂版発行)

藤子不二雄FCネオ・ユートピア別冊「特集ドラえもん129.3Mini」(1999年2月初版発行、2009年5月改訂版発行、2010年5月3訂版発行)

「31~42話」とメモ書きのあるキャラ表。現物は青焼。同時期に東京ムービーが制作していた『新オバケのQ太郎』や『ジャングル黒べえ』と比較すると、独自色がきわだつキャラ設計。

「我成先生」の色彩設定書から。ネーミング、表情から察するに力強いギャグ路線のテレビまんが作成を狙っていたのかもしれない。

(資料提供:横山達也)

日テレ版ドラえもん第11話「のろいのカメラの巻」決定稿台本

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●声の出演
静香 - 恵比寿まさ子
ぼた子 - 野沢雅子
デブ子 - つかせのりこ
シャマ子 - 吉田理保子
 

●スタッフ
原作 - 藤子・F・不二雄*1

脚本 - 井上知士

CD - 上梨満雄

制作 - 下崎闊

製作 - 日本テレビ動画

著作 - 日本テレビ放送網

第14話「のろいカメラ作戦」

→6-A話「のろいのカメラの巻

1973年5月6日放送

のび太の部屋

 
のび太「うわーん」
 
のび太が大声で泣きながら帰ってくる
 
ドラえもん「ぬ ぬー またか!」
 
のび太ドラえもんの膝に泣き崩れる
 
のび太ドラえもん ぼ ぼくはもう くやしくてくやしくて!」
 
ドラが烈火の如く怒る
 
ドラ「いわなくてもわかってる またスネ夫にバカにされたんだろう あんチクショーッ 今日という今日はガマンならんぞ メッタメタにしてやるーっ!!」
 
云うなりビューンと外へ駆け出して行くドラを見送って のび太はクスンと鼻をすすり
 
のび太「まだ何も云ってないのにぼくの気持ちをわかってくれるなんて やっぱりぼくのドラえもんだな……クスン」
 

〇通り

 
ドラえもんがダンプのように駆けてゆく
 
ドラ「おのれ のび太を馬鹿にするということはぼくを馬鹿にするということだ ゆるせーん!」
 
道行く人や犬がふっ飛ぶ
 
ドラ「さて ところで問題はどうやってスネ夫をやっつけるかだが──」
 
ドラの顔が次第に恐ろしい悪鬼と化す
 
ドラ「ここに恐るべき機械がある 余りにも残酷なためにこれこそ悪魔の発明といわれる世にも恐ろしいのろいカメラだっ!」
 
ジャジャーン!
 
悪鬼のように笑ってポケットからとり出したのは 一見なんの変哲もないカメラであった
 
だがドラは恐ろしさにおののく
 
ドラ「もし こののろいカメラで スネ夫を写すとスネ夫はどうなるか…うーん 考えただけでも恐ろしい! し しかしぼくはやる あの憎いスネ夫をこらしめるために ぼ ぼくはやる!」
 
ドラが敢然と表をあげたとき むこうからスネ夫が静香と連れだって来る
 
スネ夫「とにかく静香ちゃん のび太なんかとつきあわない方がいいよ」
 
静香「アラ どうして?」
 
スネ夫「決ってるじゃないか あんなバカのマヌケのトンマ それに あのドラえもんがまたのび太に輪をかけたくらいの大バカのマヌケでね!」
 
電柱の陰でドラがうめく
 
ドラ「チクショウ いいたいこといっちゃって いまにみてろー!」
 
ドラはサッとカメラを構える
 
そんなことは夢にも知らぬスネ夫──
 
スネ夫「それに比べてぼくはどう お金持ちでハンサムで しかもどんなことが起っても驚かない男の中の男!」
 
電柱の陰からカメラを構えたドラが
 
ドラ「ぬ ぬーっ いまにその化けの皮をはがしてやるからなっ!」
 
とシャッターを押そうとするが……どうしても押せない
 
ドラ「ム ムーッ!」
 
タラリと油汗が流れる
 
ドラ「だ だめだ とてもできない たとえどんな悪人でも これを使うのは余りにも残酷だ!」
 
ガックリとうなだれたドラに スネ夫が気付いて
 
スネ夫「なんだ ノラえもんじゃねえか そんなところで何やってんだ ノラ公」
 
ドラ「ノ ノラ公?!……ノラ公とは何だ ノラ公とは!」
 
スネ夫「ヒヒヒ 怒れ怒れ おまえの怒った顔みてるとたいくつしないぜ」
 
ドラは怒りにふるえる
 
ドラ「ぬ ぬーっ いわせておけばーっ よ よおし もう許さんぞーっ!」
 
とカメラを構える
 
スネ夫「ヘエ 写真とってくれるってのかい いいねえ チーズ」
 
スネ夫はポーズをつくる
 
しかしドラはガタガタとふるえる
 
静香「あら どうしたの」
 
ドラ「だ だめだ や やっぱりぼくにはシャッター押せない!」
 
云い捨ててダッと駆け去るドラに
 
スネ夫「なんでなんでえ ヤイ ノラ公 おまえフィルムがおしいのか ドケチ虫!」
 

のび太の家・玄関

 
ドラえもんがくやし涙を流しながら帰ってくる
 
ドラ「クーッ ノラ公と云われ ドケチ虫とののしられてもぼくにはこの恐ろしいのろいカメラは使えなかった」
 
ドラは上りがまちにカメラを置いてガックリと座り込む
 
ドラ「でも これでよかったんだ ぼくさえガマンすりゃこののろいカメラを使わなくて済むんだもの あーァ あまり緊張して疲れちゃったなァ」
 
ドラはガックリと下駄箱によりかかる
 

〇仝 のび太の部屋

 
のび太「フフフ ドラえもん いまごろぼくの仇だって スネ夫のヤツをコテンパンにやっつけてくれてるだろうな よし 望遠鏡で見物してやろ」
 
のび太は望遠鏡をもって窓辺に立ち のぞく
 
のび太「えーと どのあたりから……あーっ!」
 
──望遠鏡がとらえたスネ夫は コテンパンどころか 元気いっぱいで いましも近所のノラネコをボインと蹴とばしていたではないか──
 
のび太「ど どうなってんの スネ夫のやつピンピンしてるじゃないか!」
 

〇仝・玄関

 
二階の階段からのび太が駆け降りる
 
のび太「おーい ドラえもん 話が違うぞーっ どこにいるんだ ドラ……あーっ ド ドラえもん!」
 
みればドラえもん 上りがまちに腰かけたまま 下駄箱にもたれて 鼻提灯をふくらまして「グウ」と寝ている その前にカメラ
 
のび太「のんきだなァ スネ夫をやっつけるなんていいながら カメラなんかいじって遊んでたのか」
 
のび太はカメラを持って
 
のび太「よおし 罰にそのおかしな寝顔写してやる」
 
のび太がシャッターを押した瞬間 ピカーッ! ゴロゴロ!
 
一瞬カメラから すさまじい稲妻と雷鳴が轟く
 
「キャーッ!」
 
のび太は髪の毛を逆立て 卒倒する だが 次の瞬間 あたりはうそのように静まり返り ドラえもんも何事もなかったように「グウグウ」寝ていた
 
のび太「…変だな いまこのカメラからすごい雷が鳴ったようだったけど 気のせいかな あれ?!」
 
そのときカメラからポトリと何やら転がり出した みればそれは ドラえもんそっくりの小さな人形だった
 
のび太「へーっ こりゃおもしろいや このカメラで写すと写真のかわりに こんな人形がとれちゃうのか よし今度はお父さんとお母さんを写しちゃお!」
 

〇居間

 
お父さんとお母さんがニコニコしながら並んでいる のび太がカメラを構え
 
のび太「ハイ もっとくっついて」
 
お父さん「よしよしこうかい」
 
お母さん「うまく撮ってよ」
 
のび太「ヘヘヘ 知らぬが仏…ハイ チーズ!」
 
カシャ!とシャッターを押すと ピカッ! ゴロゴロゴロゴロ!
 

〇仝 のび太の部屋

 
のび太が机の上にドラとお父さんとお母さんの人形を並べて
 
のび太「さすがドラえもんのカメラだ 人形がとれるなんて仲々しゃれてるよ でも この人形どうするかな あっ そうだ 人形が好きなのは女の子だ 静香ちゃんにプレゼントしよう」
 

〇静香の家・表

 
のび太がリボンをかけた箱を静香に渡す
 
側で ぼた子がうらやまし気に見る
 
のび太「あのね こないだきみの誕生日になにもプレゼントしなかったろ だから」
 
静香「まァ どうもありがと わたし可愛いいお人形さんて大好き」
 
ぼた子「わたすもお人形大好きだべ」
 

〇仝・静香の部屋

 
静香が包みを開けて驚く
 
静香「アラ なに このお人形」
 
例のドラえもんたち三人の人形である
 
ぼた子「あんれま ドラえもん人形でねェか!」
 
静香「これじゃ あまり可愛いくないのね ぼた子さんにあげるわ」
 
ぼた子「わ わたすだって めんこい人形は好きだども…」
 
ぼた子もどうやらあまり嬉しくない
 

のび太の部屋

 
「えェーッ」
 
どらえもんが真っ青になって愕く
 
ドラ「そ そ それじゃこののろいカメラでとったぼ ぼ ぼくの人形をーっ!!」
 
のび太「ああ 静香ちゃんにあげちゃったよ」
 
ドラ「タハーッ な なんということをしてくれたんだ その人形が人の手に渡るとどんな恐ろしいことになるか知ってるの!?」
 
のび太「知らないよ」
 
ドラ「し 知らなきゃはっきり教えてやる まず こののろいカメラでのび太を写す!」
 
ドラがシャッターを押す
 
のび太「そうすれば ぼくの人形が出てくる」
 
カメラがポトリとのび太の人形が出てくる
 
ドラ「そう しかし この人形が問題なんだ みてろ 例えば釘でこの人形の腕をつっつくとどうなるか──
 
人形の腕をつっ突く
 
のび太「あらっ」と腕をもむ
 
ドラ「どうだ わかったかい?」
 
のび太「えっ!」
 
ドラ「ちぇ とろいなー じゃこうだ」
 
ドラ 人形の頭をコツンとたたく
 
のび太「ハレ」と頭をこづかれる
 
さらにドラ 人形にけたぐりをくわせたり くすぐったりする
 
それがそのままのび太に伝わって さんざんな目に会うのび太
 
ドラ「これでわかったろう このカメラでとった人形になにかされると 本人にそのまま伝わるんだ」
 
のび太「と ということは もしもだれかがドラえもんの人形をバラバラにしたら──
 
ドラ「決ってるじゃないかっ ぼくの体もバラバラになっちゃうんだよーっ!
 
そのことばにゾーッとふるえ上るのび太
 

〇通り

 
ドラとのび太が狂ったように駆けてくる
 
ドラ「静香ちゃーん!」
 
のび太「さっきの人形 返してーっ!」
 

〇静香の家・表

 
静香「あら さっきの人形ならぼた子さんにあげちゃったわ」
 
のび太「えェーッ! ぼ ぼた子に?!」
 
ドラ「あの恐ろしいぼた子にーっ!!」
 
のび太「そ それでぼた子はどこにいるの!」
 
静香「さァ なんだかさっき 近所の小ちゃな女の子たちと遊んでたけど どこへ行ったのかしら」
 
のび太「よおし さがすんだ ぼた子 ぼた子ーっ!」
 
ドラ「どこだぼた子 ぼくの人形を返せーっ!」
 
と駆け出した途端 コテンとひっくり返るドラえもん
 
ドラ「痛てて! チ チクショウ ぼ ぼくの人形 投げ出したなっ!」
 

〇シャマ子の家・庭

 
芝生の上に人形が転がる
幼稚園に行くか行かないかくらいのシャマ子とデブ子が人形を見て
 
シャマ子「まァ 変なお人形!」
 
生桓(※生垣の誤字)の外からぼた子が
更にお父さんとお母さん人形をポイと投げ込んで
 
ぼた子「そんだらこつ言うもんでね これでもお医者さんごっこくらいできるだべ」
 
シャマ子「ちようね お医者(ちゃ)ちゃんごっこならできるわね」
 
デブ子「ちようちよう!」
 
シャマ子「わたちお医者ちゃん」
 
と道具の入った箱を持ってくる
 
デブ子「わたち 看護婦ちゃん」
 
と敷きものを持ってくる
 

のび太の家・居間

 
お父さんは寝っ転がってテレビを見ている
お母さんは編み物
 
お母さん「のび太ドラえもんも遅いわね せっかくの日曜だっていうのに」
 
お父さん「ま いいじゃないか それより母さん どうも体がムズムズするんだがね ノミでもいるんじゃないかね」
 
お母さん「まさか 変なこと云わないで」
 
そう云いながらお母さんもムズムズして
 
お母さん「アラ どうしたのかしら そういえば私も…変ね」
 

〇シャマ子の家・庭

 
デブ子がお母さん人形をベッドに置き
 
デブ子「ちぇんちぇ 診てくだちゃい お熱があるんでちゅ」
 
医者のシャマ子が体温計で計って
 
シャマ子「まァ 大変でちゅよ 八百度もありまちゅ 早く冷やさないと死んじゃいまちゅよ!」
 
デブ子「うーんと でもどうやって冷やちゅの?」
 
と縁側で見ていたぼた子が無責任にいった
 
ぼた子「そったらこつ 簡単でねえか 冷蔵庫があるべ 冷蔵庫が」
 

〇仝・台所

 
デブ子がお母さん人形をもって冷蔵庫に駆け寄る
 
デブ子「ちょうでちゅね 冷蔵庫に入れちゃえばいいんでちゅね」
 

のび太の家・居間

 
お母さんがゾーッとふるえ上る
 
お母さん「キャーッ 冷たいーっ!」
 
お父さん「ど どうしたんだね?」
 
お母さん「そ それが なんだか急に寒気がしてーっ!」
 
ガタガタとふるえるお母さん
 

〇シャマ子の家・庭

 
デブ子がお父さん人形をベッドに置く
 
デブ子「今度はお父さん人形の番でちゅ」
 
「ハイハイ」とシャマ子が体温計で計って
 
シャマ子「アラ 大変今度はお熱が全然ありまちぇん 早くあっためてくだちゃい」
 
デブ子「うーんと あっためるって どうちゅればいいの?」
 
又してもぼた子が無責任にいった
 
ぼた子「そったらこつ 簡単でねえか ガスレンジがあるべ ガスレンジが」
 

〇仝 台所

 
デブ子がお父さん人形をもってガスレンジに駆け寄る
 
デブ子「ちょうでちゅね ガスレンジに入れちゃえばいいんでちゅね」
 

のび太の家・居間

 
お父さんが真赤になって叫ぶ
 
お父さん「ウヘーッ 暑いっ た たすけてくれーっ 暑いよーっ!」
 
お父さんは七転八倒 着物をはぎ取る その側ではお母さんが何枚もふとんをかけた寝床でガタガタふるえている
 
お母さん「寒い 寒い──っ! 」
 
お父さん「暑い 暑い──っ!」
 
お父さんは扇風機を回し 滝のように汗を流す
 

〇空

 
ドラとのび太がヘリトンボで飛ぶ
 
ドラ「急げのび太 早く人形をとり戻さないと大変なことになるぞ!」
 
のび太「だからぼた子を探すんだ 急げ!」
 
ドラ「おーい ぼた子ーっ どこだーっ!」
 
のび太「人形を返せーっ!」
 
と突然ドラが空中でケタケタと笑い出す
 
のび太「お おい 気でも狂ったのかドラえもん!」
 
ドラ「ウヒャヒャヒャ そ それが急になんだかくすぐったくなって…フヒャヒャヒャ やめてくれ 体をなでまわすのはやめてくれーっ アヒーっ!」
 

〇シャマ子の家・庭

 
ベッドにドラ人形をねかせ シャマ子が体のあちこちを診察している
 
シャマ子「まァ 大変でちゅ この患者さん頭も胸もお腹も手足もみんな悪いでちゅね!」
 
デブ子「どうちまちょ!」
 
シャマ子「すぐ手術しないと手遅れになっちゃいまちゅ」
 
デブ子「でも 手術ってどうやってちゅるの?」
 
またまたぼた子が無責任に云い放った
 
子「そったらこつ 簡単でねえか まんず手術の前にこの注射器で麻酔すて それからこの包丁で サクッ!」
 
片手に注射器 そして片手に包丁をもって
ぼた子がニタッと笑った
 
ドラとのび太が空を飛ぶ
 
ドラ「フーッ やっとくすぐったいのは治ったけど なんだかイヤな予感がしてきたぞ」
 
のび太「急げ 一刻も早くとり戻すんだ!」
 
と突如ドラが「イテテテ!」と叫んだ
 
のび太「ど どうしたドラえもん!」
 
ドラ「な なんだか腕に注射されたみたいだ!」
 
のび太「エーッ そ そりゃ大変だ 今度は何をされるかわかんないぞ」
 

〇シャマ子の家・庭

 
シャマ子がドラ人形のお腹の上にグイと包丁を突き付けて
 
シャマ子「さァ いよいよ手術でちゅ!」
 
云いざまサッ!と包丁を振りあげた
 
あわや 人形のお腹にザックリ! と そのときデブ子が云った
 
デブ子「あら?!」
 
シャマ子「どうちたの?」
 
デブ子「かわいちょうに 死んじゃいまちた 手遅れでちゅ」
 
シャマ子「どうちまちょ」
 
ぼた子「そったらこつ 簡単でねえか 葬式すればええでねえか 葬式を
 
スネ夫「なに 葬式 おもしろそうじゃねえか おれ葬式って大好きなんだ やろうやろう おれも手伝うぜ
 
スネ夫は喜々として庭にマキを運び込む
 
ぼた子「あんれま マキなど集めてなにするだ?」
 
スネ夫「決ってるじゃねか ちゃんと本式に火で焼いて お墓に埋めるんだよ
 

〇空

 
ドラがヨタヨタになって飛ぶ
 
ドラ「フーッ なんとか首は切られなくて済んだけど こんどこそなにされるか分からない 頼むよのび太 早く捜し出してくれ!」
 
のび太「そ そんなこと云っても…あーっ いた あそこの庭だーっ!」
 
見れば 眼下の家の庭から一条の煙が昇っている と ドラが叫ぶ
 
ドラ「ウギャーッ アチッ アチアチ!!」
 

〇シャマ子の家・庭

 
たき火を囲んでスネ夫 ぼた子 シャマ子 デブ子の四人がお経をあげている
 
「ナンマイダ ナンマイダ ナンマイダ」
 
見れば火の中にドラ人形 と 突然一同の頭上から
「アチーッ!」という叫び声とともにドラが落ちてくる
 

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スネ夫「あれ ドラ公が化けて出やがったぜ
 
ドラ「バ バカッ やめろ アチチ あついじゃないか!」
 
スネ夫「へえ するとこのドラ人形になにかするとおまえも同じ苦しみに会うってわけか たとえばこうすると──
 
スネ夫はサッカーボールのようにドラ人形を足でポンポン蹴りあげると
 
ドラ「こ こら やめろっ ヒィーッ!」
 
ドラは人形と同じようにポンポンはずむ
 
ぼた子「おもしれーっ スネ夫 こんどはちょっくらこっちに投げて見れ!」
 
云いざまぼた子はバットを構える
 
スネ夫「よーし 行くぜ それーっ!
 
スネ夫の投げたドラ人形を ぼた子はフルスイング一発「カキーン!」とみごとに大空に打ちあげた 人形とドラが並んで飛んでゆく
 
「あれーっ!」とその人形とドラを空中でガッシリ受けとめたのはのび太であった
 
のび太「安心しろ た 助かったぞ!」
 
ドラ「チ チ チクショーッ スネ夫とぼた子のやつ よくもぼくをこんなひどい目に会わしたな この仇は必ずとってやるーっ!
 

〇通り

 
スネ夫とぼた子が「ウヒャヒャヒャ」と笑いながら行く
 
スネ夫「ウヒャヒャヒャ ドラえもんのバカが 思い出してもおかしいぜ ブヒャヒャヒャ」
 
ぼた子「んだんだ さだめしドラえもんもこのぼた子さまの力にはこんりんざい参ったことだべ ウヒャヒャヒャ」
 
と笑ったぼた子が「ム?!」となる
みればなんということか 彼女のスカートが突然ピラッとめくれたのだ
 
ぼた子「あんれま!」
 
とあわてて押えた彼女の手もとから ツルンとすべり落ちたのは なんとフリルのついたパンティだった
 
ぼた子「ハレーッ!」
 
道ゆく人は一瞬目をおおう スネ夫もハッ!と目をおおう と どうだろう 今度はスネ夫のズボンからジャーッとおしっこがほとばしった
 
スネ夫「ハ ハレッ!」
 
道ゆく人がこれを見て笑い転げる
 
スネ夫とぼた子はいたたまれず
 
は 恥ずかしーっ!」と無残なかっこうで逃げて行く
 

のび太の部屋

 
のび太とドラが「ウシシ!」と笑う
みれば のび太はぼた子人形のスカートをめくり
ドラはスネ夫人形の下半身にヤカンで水をかけていた
 
のび太「ケケケ ザマアミロ!」
 
ドラ「キキキ これで仇はとったぜ!」
 
──終──
 

あとがき

この決定稿台本は2017年7月に、まんだらけのオークションに出品されたもので、このたび落札者様と連絡が取れ、全ぺージ分のスキャンデータを提供して戴きました。
 
自分だけが読めても勿体ないし、そもそも本編自体が視聴不可能な訳ですから、全文を原文のまま書き起こしました。そしてこの度、貴重なデータを提供して下さったMark Acrylic様にこの場を借りて感謝の意を表したいと思います。(虫塚虫蔵)
 

特別資料室 

「31~42話」とメモ書きのあるキャラ表。現物は青焼。同時期に東京ムービーが制作していた『新オバケのQ太郎』や『ジャングル黒べえ』と比較すると、独自色がきわだつキャラ設計。


「我成先生」の色彩設定書から。ネーミング、表情から察するに力強いギャグ路線のテレビまんが作成を狙っていたのかもしれない。

(資料提供:横山達也)






Thanks! Mark Acrylic

Thank you!! Thank you very much!!!

 

画像出典

藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌43号「特集日本テレビドラえもん」(2006年12月初版発行、2009年8月改訂版発行)

藤子不二雄FCネオ・ユートピア別冊「特集ドラえもん129.3Mini」(1999年2月初版発行、2009年5月改訂版発行、2010年5月3訂版発行)

*1:てんコミ4巻-第1話「のろいのカメラ」より