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【ねこぢるの夫】最凶の鬱漫画『四丁目の夕日』【山野一】

ブラフばかりで構築された世界。そしてブラフばかりで構築された人々の世界観。自分の世界観があまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。山野作品は、その唾棄すべき世界観を一気にクラッシュしてくれる。


単なる冗談としてでいいから「信じられないほど不幸な人生」というのを、今ここで想像してみてほしい。きっと、あなたの想像力より山野一の想像力のほうが、はるかに深いどん底を覗いている…。
出典 枡野浩一『漫画嫌い』二見書房刊


鬼畜系特殊漫画家「山野一


山野一プロフィール
1961年福岡県小倉市出身。立教大学文学部卒。
身長185センチ。体重62キロ。

『月刊漫画ガロ』1983年12月号掲載の「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。

貧困や差別、電波、畸形、障害者などを題材にした作風を得意とする特殊漫画家で「ガロ系」と呼ばれる作家のなかでも、極北に位置する最も過激な作風の鬼畜系漫画家であった。


東京駅で神の啓示を受ける
山野は「大学2年か3年の時」に東京駅の八重洲口で「神の啓示を受けた」と述べている。

その体験によって山野は、将来の自分の職業が「部屋にずっと籠もって、何かを書く仕事」になるという展望を得た。また、漫画を描くという労働の特徴として「人と会わなくてすむ」ことを挙げている。


山野一先生を好きだって公言するだけで鬼畜だと思われるんじゃないかと危惧してしまう程、キ○ガイで変態で差別的で不条理な、いや〜な気持ちになる世界です。私も含めて、ある種の人にはそれが心地よいのですが。
出典 大悟への道 (旧名・名作漫画ブルース) 月刊漫画ガロ(30) 山野一 1 「貧困魔境伝ヒヤパカ」


四丁目の夕日


1986年 青林堂
タイトルを見て『三丁目の夕日』のような
ほのぼのとした漫画をイメージしたら大間違い。

内容は似ても似つかず。
あの独自路線を進みすぎている
漫画雑誌『ガロ』の掲載作品と
言えばわかる人にはわかるはず。

強烈なショックと嫌悪感に襲われるにも関わらず、
それでも最後まで読まずにはいられない、
不思議な“何か”がこの作品には宿っている。


不幸な人を描いた漫画というのは他にもあるでしょうが、恐らくこの漫画の主人公以上の不幸は無いと思います。主人公を襲う不幸があまりにも非情過ぎて、読んでいて気分が滅入ってきます。

読んだ人の心を動かすという点では間違いなく傑作と言えるでしょう。ただし、読むならしっかり覚悟を決めてから読むべきです。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)


地獄がみたい?それは簡単です。
ただ、この本を読むだけでいい。
完璧に救いようのない現実。現代の悲劇。

漫画でこの様な表現を行ったのは、この本の著者の山野一さんと根本敬さんしかいないように思う。

20代前半でこんな漫画が描けるなんて
この人は天才だと思います。
本当にどこにも救いがない。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)


工場労働者を軽蔑し、低学歴を軽蔑する。山野の嫁(?)のねこぢるとは比べものにならない差別意識の顕在化、暴露が見事。
とにかくグロい。性的なシーンも少しはあるが、全然エロくない。グロいだけ。吐き気を伴う気持ち悪さ。読後感最悪。
出典 【感想】四丁目の夕日 - 山野一 - 電子書籍ストア BookLive!


ねこぢる(作者の嫁)の漫画の作中で「旦那は鬼畜系漫画家」と描かれていて、あのねこぢるが「鬼畜系」と評するからには相当なものに違いないと思っていたら、本当に鬼畜で胸糞悪かった。

さすがはねこぢるの旦那。これを読んである意味安野モヨコ&庵野秀明夫婦以上の夫婦だと確信。
出典 四丁目の夕日 (扶桑社文庫) 山野 一 感想・レビュー 2ページ目 - 読書メーター


『月刊漫画ガロ』連載作品



かつて青林堂が1964年から2002年まで刊行していたオルタナティブコミック誌『月刊漫画ガロ』。

漫画界の極北に位置する伝説的な漫画雑誌であり「サブカルチャーの総本山」として漫画界の異才・鬼才をあまた輩出した。

1998年からは青林堂の系譜を引き継いだ青林工藝舎が事実上の後継誌『アックス』を隔月で刊行中。


どの漫画雑誌にも引っ掛からない個性の塊の様な新人を積極的に採用し、作品発表の場を与え、漫画界の異才・奇才をあまた輩出したことで知られる。
出典 月刊漫画ガロ (げっかんまんががろ)とは【ピクシブ百科事典】



『ガロ』はオリジナリティを重視する編集方針のもと、独創的な実験作・意欲作を積極的に掲載した。

その結果、他誌では到底受け入れられないアウトサイダーな作風を持つ特殊漫画家が集まり「ガロ系」というジャンルが生まれた。



連載当時はバブル前夜でありながら
『ガロ』は部数を3000部台にまで落とし
ついに原稿料が支払われる事は無かった。

こうしてガスも電話も止められた殺風景な
木造四畳半アパートで荒廃した漫画家生活を
送る羽目になった漫画家・山野一

その窮乏した生活環境で生まれた作品こそ
本作『四丁目の夕日』であるという。


あらすじ




主人公の別所たけしは、零細印刷所を経営する家庭の3人兄妹の長男。高校3年生で受験を控えている。

経済的な境遇は決して恵まれてないが、学業だけは特別に秀でている。有名私大合格はほぼ確実で将来は明るいと思われた彼だが、不幸が不幸を呼ぶ負の連鎖の果て、無間地獄へと堕ちていく事になる。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の椅子人間さんのレビュー




爆発事故、父親の死、借金の取り立て、職場でのいじめetc...
作者は苦難に次ぐ苦難を用意し、たけしを追い詰めます。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の椅子人間さんのレビュー




たけしの親父さんの悲惨な死に様は中盤最大の見せ場です。やがて訪れる惨劇も身震いする様なシーンだと思うが、その後のエピローグの冷めた狂気にこそ作者の真髄が表れてる様な気がします。

よどんだ風景、汚い工員がたむろする汚い食堂とか絵がもの凄く雰囲気出てます。おかしくなった人間の表情や底辺の人たちの顔なんて、真に迫るものがあります。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の椅子人間さんのレビュー




ここに描かれてるのは世の真理ってやつだと思う。這いつくばって生きてる人間の醜い姿や人生に意味など無いって事を嫌というほど丹念に見せつけられます。

たけしほどじゃなくとも社会に辛酸嘗めさせられてる人なら、好き嫌いはともかく、何かしら感じるところはあるんじゃないかな。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の椅子人間さんのレビュー




平穏な日々はあっけなく終わってしまう。残った日々は希望も何もない虫けらのような生活。
そのような生活を過ごしていく中で、蝕んでいく精神。そして創られる狂気…人は壊れやすい生き物かもしれない…
出典 四丁目の夕日 (文庫) 感想 山野 一 - 読書メーター


陰惨、としか言いようのない作品だった。
でもってその当時、私は精神的にどん底状態だったのだが、この漫画の読後に不思議なほど爽快感を感じた。
こんな残酷としか言いようのない作品に「爽快感」を感じるなんて、自分でもどうかと思って、その後読むことはなかった。
出典 山野一 『四丁目の夕日』 | 身近な一歩が社会を変える♪


世の中に蔓延する建前的な嘘臭さに、どうしても不愉快さを感じることがある。そして頭にくるし疲れる。

そう感じてしまうと社会はもちろん、自分の心にすら逃げ場や救いがなくなり、そんなとき、崩壊していくこの作品の主人公でも眺めたくなるのかもしれない。どうにもならないとき、この作品はその心の掃き溜めとして機能するのかも。
出典 Amazon.co.jp: 四丁目の夕日 (扶桑社文庫)の野村(わ)さんのレビュー




山野一というとかなり好き嫌いが分かれる漫画家だとは思う。
いや、好き嫌いというよりは貧困、狂気、不条理を描いた強烈な作品群が許容できる人とできない人に分かれるといった感じだろうか。

どうしても波長が合わないという方には、無理にはお勧めできない。しかし、一読する事で波長が合う、合わないの結果はどうあれ、新しい扉が開く事は間違いない作品だ。
出典 山野一作品レビュー



三丁目のとなりの四丁目には
果てしなく深い闇がある。

努力した事、頑張った事が全て裏目に出て、
絶望的だった場所から絶望すら麻痺してしまう地点へと転がり堕ちてしまう。

全く救いがない漫画ではあるが、
最後の最後は幸せになったのかな?
と思うか思わないかは是非読んでみてください。

不幸のどん底をここまで突き詰めるとは……
まさに圧巻です。


山野一の「四丁目の頃」



私と初めて会う人は、
たいていホッとした顔をする。
あのような漫画を描いたのだから、顔が業でねじくれ曲がった人非人に違いないと思っているようだ。

まあ無理もないが、
一般に作品は作者の性質の一部しか表していない。
私にはあの漫画を描いた一面はあるが、
それがすべてというわけでもない。

社会になじめない劣等感、
バブルで調子こいた世相への憎悪、
そういった鬱屈を、この極端な作品を描くことで解消し、心のバランスをとっていたのかもしれない。



これからバブルに突入していこうという時期、
日本人の誰もが調子づき、浮かれ騒いでいた。

文学部のボンクラ学生だった私にも、
就職先はないではなかったが、
そういう道になんの魅力も感じなかった。

ドロップアウトする事に不安がないではなかったが、迷いも未練もなかった。

私は社会人としての適性、
特に人間関係に難があった。
といってバイトをしないわけにもいかないので、
バイクでの書類運び、ホテルの電話番など、
なるべく人と接しないですむ仕事を選んだ。

丸一日、六畳一間のアパートにこもって、
好きな漫画を描いていられる日は幸福だった。
傍目にはとてもそうは見えなかっただろうが。



漫画家という職業は、
まぁ一種のサービス業だろう。
通常読者に娯楽を提供してお代をいただく。

だが四丁目の場合、
原稿料が出ないこともあって、
読者へのサービス精神ははなはだ希薄だった。

私は一体誰に何を
うったえようとしていたのか?

当時の私にもハッキリ
分かっていたわけではないが、
読者を憂さ晴らしのはけ口ぐらいに
思っていた感は否めない。



お金を払ってこんなものを読まされる
読者もたまったものではない。

子供の頃なんかの間違いで読んで、
トラウマになったという人が何人もいた。

一方若い頃の私と同じような鬱屈を抱え、
それをうまく表現できない人には、
カタルシスや癒しになる場合もあるそうだ。
あれが人を癒すなどとは
想像したこともなかった。



流行り廃りの激しい漫画の世界で、
この因果な息子「四丁目の夕日」は
何故か25年もの間絶版にならず、
細々とではあるが書店の片隅に存在し続けた。

呆れたことに数ヶ月前には増版の知らせが入り、
さらにはインターネットでも配信するという。
世の中の具合がほんとに悪いせいだろうか。


解説/根本敬特殊漫画家)



人間誰でもイイ子でいたいものである。
世間とは常に良識を尊ぶものだ。

ところでキマリには必ず闇の部分があり、
その闇に光をあてるのをタブーという。

漫画に限らず、小説でも映画でも
今時の作家は何らかの自主規制を絶えず
余儀なくされ、また強いられる。

その大自主規制大会の中で山野一
常に限界に挑んでいるのだが、
それはやはりタブーへの挑戦、

つまりどれだけタブーを描けるか
というのが目的ではなく、
ただ、山野一が自分に対しての
誠実さを貫いた結果にすぎないのだ。



私は山野一の漫画そのものは大好きだし、
よく出来てると思うけど、
彼の一番好感を持てる部分というのは、
刃でメッタ切りした相手を
尚も機関銃でハチの巣にしてしまうような、
殺る時は容赦しません、徹底的にやりますよ、
とでもいうような彼の作家的態度だ。

それはまた、自分に対してイイ子であり続けようという意志の表れでもあるかもしれない。



「くたばっちまったんだって? あのオヤジ…」

「ぐっちゃんぐっちゃんだったっつーじゃん
 機械に挟っちゃってさ……」

「オウちょっと聞かせろよ……」

「ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」

「なあ…ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」

「なァ……」

「ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」


それにしてもやっぱり
山野一はハンパじゃないな。

話は飛ぶが、絶望的楽観論者の山野一本人は
時に何も考えてないように見えることがあるが、
勿論彼が本当に何も考えがないわけではない。

考えを突きつめた状態は何も
考えてない状態とよく似ているのだ。

山野一は、この世の中のおおよそのことは、突きつめれば、どうでもいい事だし、もっと突きつめれば自分が、人間が、地球が、そして宇宙までもが壮大なムダにすぎないことだと達観しているに違いない。

そして恐らくそう達観した時から彼は人生が
ほほえましいものに見えだしたにちがいない。

二十代半ばにしてそう達観してしまった、山野一が描き出す「不幸のどん底」は逆に大乗仏教的ですらある と私は勝手に思うのである。
出典 『四丁目の夕日』解説/根本敬特殊漫画家)


根本敬(ねもと たかし/けい)
1981年に『ガロ』で漫画家デビュー。
特殊漫画家」「特殊漫画大統領」を自称する。

デビュー以来「特殊漫画」の道を突き進み、
漫画界の極北に位置する。

「因果者」「イイ顔」「電波系」「ゴミ屋敷」「特殊漫画」といったキーワードを案出するなど、サブカルチャーに与えた影響は大きく、漫画界のみならず音楽界やアート界にも熱烈な支持者を持つオルタナティブ界の最重要人物でもある。

主著に『生きる』『怪人無礼講ララバイ』『亀ノ頭スープ』『ディープ・コリア』『豚小屋発犬小屋行き』等多数。根本の半生や活動については名著『因果鉄道の旅』に詳しい。


山野一作品紹介



山野一の単行本は残念ながら
文庫版『四丁目の夕日』以外
現在すべて絶版・品切状態です。

そこで今では入手不可能となった
幻の山野鬼畜作品群を以下に紹介していきます。


夢の島で逢いましょう


1985年 青林堂(絶版)
特殊漫画界の異端・山野一の記念すべき初作品集。
収録作品は『月刊漫画ガロ』に掲載されたもの。

後の作品と比べると、
正直えげつなさではあと一歩。

それでも鬼畜・不条理など
山野一らしさはちゃんと出ていて、
最初から異常だったってのはよくわかります。

どの話も危ない奇形人間が大量に出て来ますし、中々他の漫画では見られない、本当に化け物じみた化け物がたくさん見れます。


DREAM ISLAND
鬼畜SF活劇「DREAM ISLAND」(64頁)は
初期の傑作です。

時は西暦20XX年。
重罪人は完全封鎖された「夢の島」へと
隔離されており、中は無法地帯と化しています。

そこに立大聖歌隊が慰問に訪れるのだが、
さらわれて消息を絶ってしまう。

彼らを救うためD-4という死体をベースにした兵器(ロボ〇ップみたいなもんです)が投入されるが…


この夢の島はまさに魔境です。
腐敗物に湧いた害虫で雲のように覆われ、化学物質による汚染等でどの図鑑にも載ってない様な魑魅魍魎が蠢いている。
夢の島を治めるフリークス軍団とD-4との、醜い殺し合いが見もの。

もちろん聖歌隊の運命はそらひどいもんだし、人間たちの薄汚い部分もたっぷり描かれてます。
出典 Amazon.co.jp: 夢の島で逢いましょうの椅子人間さんのレビュー


貧困魔境伝ヒヤパカ


1989年 青林堂(絶版)
山野一3冊目の単行本です。
ひたすら人間のダークサイドにスポットをあて
救いのない結末へと導きます。

本書に込められた貧乏人に対する悪意は、
全山野作品を通じてもトップクラスだと思います。

よくこんなもの描けたなってのと同時に、
よくこれが出版できたなとすら思わされます。

しかし不思議な事に悲壮感や湿っぽさが一切なく「これが当たり前なんだよ」とでも言いたげな作風であり、心地良いとさえ言える後味の悪さを約束してくれるような気がします。


人間ポンプ
大学教授と学生の女が不況の現状を調査するため東京都某地区の貧民窟を訪れる。

工場の労働者に話を聞くと、周囲一帯の土地は地盤沈下しており、染み出した海水をポンプで絶えず汲み上げなければならないという。
すると突然、労働者によって二人は手漕ぎポンプがある深い穴に突き落とされる。



労働者は「ポンプを漕げ」と二人に命令する。
二人は仕方なく十日ほどポンプを漕ぎ続けるが、
理性が切れた二人は殴り合いの喧嘩を始める。

それを見た労働者は住人達の前で交われば出してやっても良いと条件を与え、仕方なく二人は獣の様に交わって見せた後、上から渡されたハシゴを上って行くと得体の知れない群衆が待ち構えていた。

そして群衆は二人を散々慰み者にした挙げ句、二人をまた穴の中に戻してしまう。


荒野のガイガー探知機
核戦争で文明世界が滅亡した後、
たった1人生き残ったのは
悪徳の限りを尽くした極悪人の男だった。

極悪人は臨終間際、
ふとした拍子にガイガー探知器を見つけ、
男は懐かしい文明時代を振り返りながら
大霊界へと昇る。

すると黄金に輝く大日如来が目の前に現れ、
極悪人の男を極楽浄土に迎え入れようとする。

極悪人自身「へぇーこのオレを?極楽に?でもオレは悪人ですぜ」と大日如来に疑問を投げかける。



大日如来は「ゴータマが死んでから三千年目に降臨し、その時地上にいる者を救済する。私の役目はゴータマとの"約束の日"を守るだけ。そんなもんなんです」と男に美しく完全な肉体を与える。

こうして男は涅槃に迎えられた
唯一の人間となったのであった。


荒野のハリガネムシ
資産家の孫である秀麿は
自由研究の課題を「貧乏人の観察」に決め
下男と女中をつれて貧民窟へ向かう。

最も貧乏そうなアパートの一室を尋ねると
食事中の貧乏人が現れた。

食事のおかずはハリガネ虫が一杯詰まった
カマキリの開きと回虫の塩茹であった。



秀麿は貧乏人に生活の中で
何か嬉しかった事は無いかと尋ねた。

すると貧乏人は三年位前に
大家夫婦の死体を塩漬けにして
一か月食べ続けた話をした。

そして、訪れた三人を前に
貧乏人はこう言った。

しかし今日のほうが良さそうだ
上等なのが三匹も…


人間の尊厳とか良識とかね
ビタ一文にもならないものは
クソといっしょに便ツボに
ひり出しちゃいましたよ

以後は畜生のごとく
もっぱら欲望に忠実に
生きているとこういうわけなのです
出典 『貧困魔境伝ヒヤパカ』(1989年 青林堂)「荒野のハリガネ虫」


のうしんぼう
精神世界を執拗に描写した夢漫画の傑作。

気が付くと見知らぬバスに乗り、
見知らぬバス停「のうしんぼう」で下車する男。

不思議な風景を通り過ぎながら、
山中にあるビルヂングに自分の部屋を見出すと、
不意に友達が風呂屋に誘いに来る。

そして、男は到着した風呂屋
パノラマのように艶やかな花火を目撃する。

掲載誌が『ガロ』という事もあり
前衛美術の影響が色濃く出た、
アヴァンギャルドな作品に仕上がっている。


山野一作品集の中でも「ヒヤパカ」は群を抜いて鬼畜度・キチ度の最高峰に達している。

どんな作家だろうと普通こんな発想は出来ない。
本人どころか他のどの作家にもコレ以上の鬼畜でキチな作品は今後一切、誰にも書けないと思う。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: ヒヤパカ




あまりに救いのないストーリーでギャグをやるというのは相当にタチが悪い。だが、このタチの悪さこそが山野一のマンガの面白さであり核心なのだ。

貧困層の人間を徹底的に下品に描いたり、
知恵遅れの子供をいかにも低脳な感じに描いたり、工員がつんぼの女工をレイプして川に投げ捨てる話を描いたり、フリークス同士のセックスを描いたりしても、それら全てをあくまでギャグとして描く。
出典 山野一作品レビュー




一見すれば、不謹慎な悪ノリに見えてしまうかも知れない。

しかし、偽善ぶった作品を描くのと、山野一のような作品を描くのと、どちらが楽かを考えればわかる思う。

メジャー誌に載る可能性はまず無い、一般読者受けは悪い、変な抗議を受けるかも知れない、そんなものをふざけて描き続ける訳が無い。
出典 山野一作品レビュー




この山野一の姿勢に自分は徹底して虐げられている人々や世の中で居ないことにされている人々を描くのだ、という強い意志と、ギャグとして包み込むことによる、それら対象への深い愛情を感じるのだ。

もちろん、愛情と言ってもベタベタした偽善ではない。

キチガイ、カタワ、知恵遅れ、貧困層の人間、乞食などの人々に対する「ある種の感情」を包み隠さず素直に表現する。
そのことによって、それら対象の存在を認めるということである。
出典 山野一作品レビュー




虐げられている人々の話を、やたら美化して、感動のお涙頂戴に仕立てるような連中はあまり信用することができない。

実はこんな鬼畜マンガを描いている山野一のような人間こそが本物の倫理観や道徳観を持った信用できるマンガ家なのではないかと思う。
出典 山野一作品レビュー




ちょっと大げさに言っちゃえば、少なくとも自分にとっては、この世にも信じられるものがあったんだと思わせてくれた、数少ない大切な作品の1つです。
出典 Amazon.co.jp: 貧困魔境伝ヒヤパカの椅子人間さんのレビュー


混沌大陸パンゲア


1993年 青林堂(絶版)
山野一最後の作品集で名作を多数収録しています。
文字通り山野一の集大成と言える鬼畜作品集です。

作品は貧乏、電波、不条理、宗教、精神、狂気、そして夢がテーマです。

いつもながらの鬼畜作品『カリ・ユガ』やサイコな不条理作品『壁』、宗教的荘厳さを感じさせる作品『ムルガン』など正に混沌とした幅広い収録内容となっています。

妻・ねこぢるとの相互影響もあってか
初期に比べて絵柄も大分デフォルメされ、
ギャグっぽい作品が多いのが特徴です

といっても普通に笑えるような
タイプのギャグでは全然ないですが。


絶望マンガ家、山野一が相変わらず「これでもか!」と救いのない世界を展開する本作。
しかし氏が攻撃するのは弱者ではなく、自分が「常識ある一般人」だと思いこんでいる多くの読者である。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 混沌大陸パンゲア


個人的には山野一名義の単行本の中で最高傑作だと思います。そしてこの本ほど、知り合いに「この本、いいよ」と言いにくい本も珍しいでしょう。まず間違いなく人格を疑われます。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 混沌大陸パンゲア


四丁目の夕日を読み、山野さんを知りました。
なんとなく他の作品も欲しいなと思い、こちらの単行本を読んだ所、本当に衝撃的でした。狂気の中に文学を感じれる、山野さんの神髄を見た気がします。
出典 Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 混沌大陸パンゲア


断末魔境伝カリ・ユガ
ヒンドゥー教の教えでは、
世界は432万年の周期で
生成と消滅を繰り返すと説いている。

それはさらに4期に分かれており、
最後のカリ・ユガにおいては、
人心は大いに乱れ社会には貧困と憎悪が蔓延する。

そしてその全てが堕落しきった時、
破壊神シヴァが現れ宇宙を混沌に戻すという。

現代がこのカリ・ユガの最末期にあたるのは
言うまでもないと、作者の山野一は語る…。



『断末魔境伝カリ・ユガ』は
そんな荒廃した時代を生きる、
どうしようもなく貧乏だったり卑しかったりする、
底辺の人々を描き切ったオムニバス作品である。

しかし、元が山野一作品である。
劇薬をいくら薄めたところで
免疫のない読者には受け入れられず、
わずか7回で連載は打ち切りとなっている。



その代わり最終回では
今までのうっぷんを晴らすがごとく
産廃不法処理業者がシャブをキメて
トラックを走らせながらトカレフ
ドライバーや環境保護団体の連中を殺戮。

その上、危険な産廃を飲料水用ダムに投棄したりとやりたい放題、本領発揮といった感じである。


工員
工員が同じ職場にいる聾唖の女工に対し、
結婚して欲しい旨の手紙をだす。

しかし、彼女は男が自分を不当に差別しているのが文面から見受けられるとして誘いを断るが…。


さるのあな
田舎に住む子供達が山へ行くと
精薄児のきよしが穴に落ちていた。

すると子供達はきよしをサル同然と判断して…。



強姦殺人の罪で明朝死刑執行を迎える
覚醒剤中毒の囚人がいた。

囚人は独房で妄想に耽っていると、
突如LSDのフラッシュバックが起こり、
彼の意識はとある家で行われていた
マリファナパーティーの会場に飛んだ。

そして囚人の意識はそこの女性の意識と同化し、
彼は他人の意識の中で生きられるようになった。



囚人は水を得た魚のように、
次から次へと他人の意識を巡りながら
暴虐の限りを尽くす。

そんなことをしているうちに
囚人は死刑執行の時を迎える。
しかし、現実の彼は正常な精神を失っていた。

そんなことはおかまいなく、
意志を持たない彼の体は
執行人によって刑場に運ばれていく…。


脳梅三代
地域の住民の苦情を受けて市役所員の田中はある家に向かう。住民の話によれば、その家の住人は梅毒に感染しているという。

一家は三人家族であったが話どおり全員梅毒に感染していた。しかし全員様子がおかしく…。


走れタキシェ
たけしはまじめな中学生。
しかし、全く勉強ができない。

ある時英語のテストで自分の名前を「Takishe」と書いたのをきっかけにタキシェというあだ名で呼ばれるようになる。

受験の時は渋々山奥の農業高校に入学するが、
そこでは平川先生との出会いが待っていた。
雄大な自然の中、タキシェは逞しく成長していく。


SCHIZOID-ZONE
深夜、腹痛を訴えた男は
家族を連れて夜間病院で診察を受ける。
しかし病院は内科でなく神経科であった。

すると精神科医は男に
「あなたは精神分裂病患者である」と告げる。

次の瞬間、同行していたはずの妻と娘は
血塗れの幻となって姿を消す。


Closed Magic Circle
大学研究員の二人は、
文化人類学の調査のため
文明から遠く離れた孤島を訪れる。

しかし、美女と畸形ばかりの孤島で
次第に二人は本来の目的を失って行く。


ラヤニール
徹夜続きの漫画家は
現実からどんどん支離滅裂な
幻覚の世界へと導かれて行き人格が崩壊。

女子高生、寿司職人、担当編集者などの
崩壊した人格を背負わされる事になる…。


ムルガン
ある日、金色に光り輝く神の子が生まれた。
この神はムルガンと呼ばれた。

ムルガンは生まれて4日目に
全てを破壊し燃やし尽くすと
そのまま岩の上に432万年座っていた。

ある日、岩から花が咲き
三つの乳房を持った処女が生まれた。

ムルガンはこの処女と交わった。
その情交はそのまま12万年続いた。


序盤は、貧乏、白痴、奇形といったものを扱っていて、それはこの世の物質面に根ざしたものだ。その暗いトンネルを抜けると、薬物、錯乱の精神面へと到達する。ここではもう段階を追う事なく直接的に人を高みまで連れて行ってくれる。この本は劇薬である。
出典 混沌大陸パンゲア 感想 山野 一 - 読書メーター


どぶさらい劇場


1999年 青林堂(絶版)
山野一後期の長編作品で、
現時点において、これが先生最後の鬼畜漫画です。

また後半になると
鬼畜漫画の枠に収まらない様相も見せ、
異彩を放っています。

本作では鬼畜をギャグとして
見せる感じなので凄く笑えるんだけど、
鬼畜度自体は相変わらず強烈です。

嫌にリアリティーのあるみじめな極貧生活、
どろどろの人間ドラマなど、
さすがと言うほかないです。

やたらと放尿・排便シーンが出てくるし、
汚らしさは今までで一番かも。
何もそこまで徹底しなくても、
というレベルの不快さです。


“ぼっとん便所に美女が突き落とされてうんこまみれになる”なんてストーリー漫画が描けるのは山野一以外にはあり得ず、当然ながら傑作です。
出典 Amazon.co.jp: どぶさらい劇場の椅子人間さんのレビュー


糞壺、生活保護家庭、白痴青年、老人の強欲、怪しげな宗教団体、覚醒剤、神、強姦魔、精神崩壊、陰謀と策略、発狂、内閣総理大臣、暗殺、粛正、スキャンダルの露呈

この物語で描かれるキーワードを列挙してみたが、読んで頂かないことには、この漫画の面白さは伝えられない。
出典 Amazon.co.jp: どぶさらい劇場のほかほかご飯さんのレビュー


あらすじ
ある日、社長令嬢で女子大生のエリ子は、
自らが運転する高級車で事故を起こしてしまう。

轢いた相手は手取り13万8千円の
さえない工員の男だった。

本来ならば保険を適用して
示談で事無きを得るものだが、
あろうことか保険は期限切れだった。

さらに追い打ちをかけるように
エリ子の父親が経営していた会社が
バブル崩壊によって倒産。

ほどなくエリ子の両親は
彼女を見捨て蒸発する。

こうして慰謝料7千万円を支払えない
「元・社長令嬢」は被害者家族の家庭で
飼い殺しされることになる。



被害者家族に拉致され、
奴隷のようにコキ使われ、
老人の下の世話までさせられるエリ子。

その後、脱走を企てたエリ子は、
ぼっとん便所の便壺に閉じ込められ、
そのショックで肉体と精神が分裂し、
彼女は心の中で神と対面する。

その結果エリ子の「善の部分」が今までの煩悩だらけの「悪のエリ子」に取って代わって、肉体を支配する事になる。

本作はある意味、ここからが本題といえる。
超能力の使える「善のエリ子」は新興宗教団体と関わりを持つ事となり、私達読者の想像を遥かに凌駕した数奇な運命を辿る事になる。


ここまで来るとあまりに特殊で
自分の理解を超えた部分もあるのですが、
読んでいて圧倒されるものがありました。
ぜひその眼で確かめて、異様さに驚嘆してほしいです。
出典 Amazon.co.jp: どぶさらい劇場の椅子人間さんのレビュー


ねこぢるとの出会い


押し掛け女房
山野一の漫画を読んで感銘を受けたねこぢるは、18歳の時に山野一の自宅に押し掛け、そのまま結婚してしまいます。

時は1985年頃、まだ山野一が『四丁目の夕日』を『ガロ』に連載していた頃のことです。


唯一無二の共同創作者
ねこぢるの最初の漫画は、彼女が暇を持て余して書き殴っていた猫の絵から着想を得た山野一がストーリーを書き起こしたのが始まりとされています。

二人には「極めて微妙」な役割分担があり、
外部の人間をアシスタントとして入れることができなかったので、山野一ねこぢる唯一の共同創作者でありました。


ねこぢるうどん


作・山野一 / 画・ねこぢる
ねこぢるのデビュー作です。
原作や構成は山野一氏が担当。
『ガロ』90年6月号から連載開始。

この連作の元にもなったデビュー作は
「子猫がうどん屋で睾丸を取られて死ぬ」
というだけの凄まじい内容です。

掲載時ではそのまま無修正だったのが、
単行本化の際に伏字にする処置が取られ、
文藝春秋版では一部の話が削除されてます。


彼女の作品は、その可愛らしいネコのキャラクターとは裏腹に、残酷非道な描写に溢れ、数々の意地悪と不条理が混在し、一度触れると忘れられない不思議な魔力に満ちている。
出典 ねこぢる純粋理性批判―ねこぢる追悼×公式ガイドブック : ねこぢる研究会 : 本 : Amazon


「にゃーこ」と「にゃっ太
キチガイのそれっていう感じの表情のまんま、身のまわりで起こる出来事に対して、情緒的なところをすこんと欠落させたみたいな単純でまっすぐな反応をする二匹──あれっ? やっぱりキチガイみたいだなぁ。

そうか。そうです、ぼくは「ねこぢるうどん」の、この淡々としてキチガイなとこに感じちゃうんですよ。でも姉弟仲いいよね(知久寿焼


ねこぢるムーブメント
1990年の『ガロ』デビュー以降、
数年で完全にその作風を確立するや、
とてもガロ系とは思えない売れっぷりで、
新進の漫画雑誌等から引っ張りだことなります。

更に可愛い絵柄が中高生にも受けて
キャラクター商品が巷に溢れました。



人気漫画家となってしまった彼女は
寝る暇もなく漫画を描き続けました。

しかし、もともと量産的な作風でなかった事もあり「好きなものを描く」というより「とにかく原稿を納品しなくちゃ」という姿勢が強く窺えるようになっていきます。

エッセイでは人から聞いた話をそのまま書くなど、明らかなオーバーワークになっていきました。


彼女の作品には「裏」がない。
例えば彼女の世界では、豚は罵られ、殺され、食べられるだけの存在である。そこに基本的には救いはない。

そのような描かれ方に眉をひそめる人も多かったが、その人は現実世界で食肉加工される豚を救おうとはしない。生前の「トンカツって豚の死体だよね」という発言にはそれが端的に現れている。

彼女の描く猫の黒い眼は、
そんな世の中の矛盾をありのまま捉えていたのではないか。
出典 ねこぢるとは (ネコヂルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


吉永嘉明『自殺されちゃった僕』より
晩年は鬼気せまる修羅場が何度もあった。
それでも発注があるから無理してやる。責任感は強く放り出せない。

一度山野さんが僕の仕事場に逃げ込んできた。ねこぢるがテンパって山野さんを切りつけたというのだ。仕事場の電話に出るとねこぢるからだった。

「そこしか行くとこないと思った。叩き起こして電話に出して!」と物凄い剣幕だ。

僕は断固として山野さんの身を案じて帰宅させなかった。まんじりともしないで夜が明けた。やっと外で雀のさえずりと新聞配達の音がしてくる。

ねこぢるの錯乱ぶりも一段落した事だろう。山野さんはねこぢるの元に帰って行った。「ねこぢるには僕が必要なんです」と言い残して──。


バイオレント・リラクゼーション(解説:山野一




彼女の元に来たたくさんのファンレター、その多くは中高生から寄せられたものだが、それを見ると、ねこぢるの漫画の内容のあまりの非常識さに、初めは驚き、とまどいを覚えたものの、次第に引きこまれ、繰り返し読んでいるうちに、自分の心が癒されていくのを感じたという…。またこの世の中や、人間の見方が変わったというものも多かった。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一


ねこぢるは別に自分の作品で社会批判をしようなどという気はまるでなかった。わざと人の感情を逆なでしてやろうという意図もなく、ただ自分の感性でとらえ、面白いと感じたことを、淡々と無邪気に描いていただけだ。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一






ではなぜ読者の方々は、ねこぢるの漫画に安堵感を覚えたのだろうか?…それは彼女の漫画がもつノスタルジックな雰囲気のせいかもしれない…。

しかしそれよりも、自分との出会い…とうの昔に置き忘れてきた“自分自身”に再開した…そういう懐かしさなのではないだろうか?

まだ何の分別もなく、本能のままに生きていた頃の自分…。
道徳や良識や、学校教育による洗脳を受ける前の自分…。
社会化される過程で、未分化なまま深層意識の奥底に幽閉されてしまった自分…。

その無垢さの中には当然、暴力性や非合理性・本能的差別性も含まれる…。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一




人間のそういう性質が、この現代社会にそぐわないことはよく解る。どんな人間であれ、その人の生まれた社会に順応することを強要され、またそうしないと生きてはいけない。

しかし問題なのは、世の中の都合はどうであれ“元々人間はそのような存在ではない”ということだ。

もって生まれた資質の一部を、押し殺さざるをえない個々の人間は、とても十全とはいえないし、幸福ともいえない…。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一




「キレる」という言葉に代表される、今の若者たちの暴走は、このことと関係しているように私には思われる。

未分化なまま抑圧され続けてきたものが、ちょっとしたストレスで、自己制御できないまま、意味も方向性もなく暴発してしまうのではないか…?

ねこぢるの漫画は、そういった問題を潜在的にかかえ、またそれを自覚していない若者達に、カタルシスを与えていたのだと思う。
出典 ねこぢるねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一




ねこぢるは右脳型というのか、思考より感性が研ぎ澄まされた人で、社会による洗脳を最小限にしか受けておらず、あのにゃーこやにゃっ太のような子供のままの心をずっともち続けていた。

もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。それはもはや”漫画”というカテゴリーには収まらず、理解できる人も極めて限られていたでしょうが、かなり芸術性の高いものになっていたと思います。

そのニュアンスを可能な限り残しつつも、とにかく”商業誌に掲載し、それを手にする不特定多数の読者が、少なくとも理解可能”なレベルまでオトすことが私の役目でした。まあいうなれば”通訳”みたいなものです。
出典 出典 山野一「特別寄稿・追悼文」 『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁


私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…、上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました。

生前彼女はチベット密教の行者レベルまでトランスできる、類いまれな才能を持っておりました。
お葬式でお経を上げていただいたお坊さまにははなはだ失礼ですが、少なくとも彼の千倍はステージが高かったと思われるので大丈夫…。

今頃は俗世界も私のことも何もかも忘れ、ブラフマンと同一化してることでしょう。
出典 山野一「特別寄稿・追悼文」 『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁




1998年5月10日以降


1998年5月10日午後3時18分、町田市の自宅トイレにてねこぢるが首を吊った状態になっているのが山野一によって発見される。31歳没。


ある日起きると彼女は冷たくなっていた。普通に寝ているような穏やかな顔だった。

「もう亡くなっています」

救急隊の人の言葉の意味はわかるが、今目の前にあるものが現実とは感じられない。いろんな人が来ていろんな事を言った。

私はねこぢるの顔を見つめたまま「はい、はい」と受け答えをしていた。しかしこれは夢で、すぐに覚めるものだと頭の半分で思っていた。

それは葬儀が終わってからも変わらず、抱いて帰った白い箱に線香を上げるのだが、ねこぢるに上げているという気はしなかった。

ふと気が抜けると「あれ、ねこぢるどこ行ってんだっけな?」とすぐ思ってしまう。いつものように近所のコンビニか、遠くても駅前の繁華街にいるような気でいるのだ。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




「私は長生きなどしたくない」

ねこぢるは出会った頃からよくそんな事を言った。長年聞いていると麻痺して、機嫌が悪いからまたそういう事をいうんだろう、ぐらいにしか思わなくなっていた。

そういう慢性的な不安要因はあったものの、実際に引き金を引かせた動機はわからない。疑問はどんどん湧いてくるが、答えは何一つ与えられない。すべて憶測のまま放置される。考えは同じ所を堂々巡りして、そこから抜け出せない。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




「私が死んで、オレが悪かったよぉーって毎日メソメソ泣けばいいんだ」怒った時などねこぢるはよくそう言った。いたずらっ子のような顔が浮かぶ。

好きだった酒を遺影に供え、線香を上げ、手を合わせるのだが「何という身勝手なやつなんだ。意味わかっててそれやったのか?」そういう反感が、どうしても混じってしまう。

確かに自分がそんなにいい夫だったと思わない。
しかし、私が死ぬまで徹底的に無視され続けなければならない程ひどかったとも思えないのだ。

ようやく墓を建て、一周忌の法事を兼ねて納骨する。しかし、ひとかけらだけその骨を残してロバの絵の小さい壺に入れておく。

ねこぢるが好きだったインドで壺から骨のかけらを出し、手のひらに包んで海水につけた。日差しは強く首の後ろが焼けるようだが、海水は冷たい。

波の力が強く、もろいかけらから小さな断片をさらって行く。波が引くとき手を開いて流してしまおうと思った。次こそと思うのだが、何度もやりすごしてしまう。結局手を引き上げ、もとの壺に納めてしまった。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




ある日、知人がMacをセットアップしてくれた。
ずっと放置してあったパソコンだ。マウスでグリグリと無意味な線を引き、消し、またグリグリ……。そうやっているうちに自分でも思いがけずハマっていた。

Macねこぢるの絵を描いていると、かつて故人と机を並べていた時のように、なにか対話しながら描いているような気がする。それは錯覚なのだが、少なくとも紙よりは孤独でないと私には感じられる。

墓や仏壇に向かっているより、Macのモニターの中に「にゃーこ」や「にゃっ太」を描いている時の方が、故人とシンクロできるような気がするのだ。正確には、私の頭の中の故人像とではあるが。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




「ちがうっ、そうじゃなくて……、ああ、バカへたくそっ」

線を引く耳元で、ねこぢるがずっとそういい続けているような気がする。その声に従ったり、無視したり、教えられたり、反抗したり、感心したり、癒されたり、やさぐれたりしながら「ねこぢるyうどん」1~3巻を描いた。

最後の書き下ろしの部分では、消耗しすぎて私の目の下のクマは顔中に広がり、死に神みたいな顔になった。

ねこぢるに対する私の受け答えは、全部実際に口から漏れていたから、その姿を見た人は、急いでその場を離れたかもしれない。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年


ねこぢるは自分のキャラクターを本当に愛していた。
仕事をしながら何気なく、「にゃーことにゃっ太はどっちが君なの?」と聞いた事があった。

返事がないので、聞いていないのかと思いそのまま忘れていたら、だいぶ経ってから、「んー……、どっちかに決められない」と言った。ずーっと考え込んでいたのだ。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年




ねこぢるが亡くなったあと、私が漫画を描き続けるのはやめてくれ、という読者の声もあった。

そういう声には私もえぐられる。遺書にこそ書かれていないが、自分が死んだ時の事について何度か話していたからだ。

「絶やさないでほしい」

「やめてほしい」

その時々の気分によっていうことは変わった。
つまり私がやっている事は、黒でもあり白でもある。

かつてねこぢるとしていたやりとりを、
今は脳内のねこぢるとしている。

それがやっていい事なのか悪い事なのか、それになにか意味があるのかないのか、今のところなんともいえない。
出典 ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年



いずれにせよ、生きている者に
“死の理由”の本当のところはわからない。

よく31まで生きたと思う。
あそこまで生きたのも
山野さんがいたからだとも思う。

結局、死にたい人だったから死んじゃった。
そう思うしかない。(吉永嘉明


山野一」から「ねこぢるy」へ


ねこぢるyうどん
ねこぢる氏は最早ペンを持つことが出来なくなりました。しかし、そのねこぢるを一番理解し、傍に居続けた山野一による新たなねこぢるワールドが、この『ねこぢるyうどん』シリーズで幕を開けました。

作画はペンからMacに替わり、鮮烈なカラーでもって、霊界のねこぢるとのシンクロを試みる山野一の神髄を本書で感じ取る事が出来るはず。


ねこぢるを語る時に欠かせないのは、夫である漫画家の山野一さんである。山野さんは1983年にガロでデビューしているので、ねこぢるより先輩の漫画家ということになる。

山野さんは「鬼畜系漫画家」と呼ばれており、貧乏、暴力、セックスなどを題材にしたストーリーの過激さ、リアルでグロテスクな絵柄などが特徴のアンダーグラウンドなマンガを描いていた。

山野さんがマンガで表現しようとしていたことは、現代社会の矛盾や人間性の冒涜に対する批判であり、それを逆説的に、自虐的に描くことによって読者の心に一石を投じるという高邁な思想が反映された作品群であったのだが、

残念ながらそれらの作品は広く世の中に受け入れられることはなく一部のファンに熱狂的に支持されているだけであった。
出典 ねこぢる - ピッコロモンド


そんな山野さんがストーリーを作り、奥さんのねこぢるが絵を描いた「ねこぢるうどん」は、山野さんの思想を柔らかいタッチで表現した、寓意的なマンガであり、絵柄の可愛らしさと、思想の高邁さが見事に融合した、現代のイソップ物語のような作品であった。

その高度に洗練された物語は、出版業者からも高く評価され、ねこぢるは様々な雑誌から引っ張りだことなったのだが、もしそれがねこぢるの自殺の要因となっているのだとしたら大変不本意なことである。
出典 ねこぢる - ピッコロモンド


僕はねこぢるの成功を見て、素晴らしい作品を書きながら、これまで正当な評価を受けることがなかった山野さんが、このような形で評価されて、おそらくある程度の収入も得ることができたであろうから、本当によかったと、心から喜んでいた。

しかし、もしそれと引き換えに、最愛の奥さんであるねこぢるを失ってしまったのだとしたら、それはあまりにも大き過ぎる代償であっただろうと思う。
出典 ねこぢる - ピッコロモンド


それならばいつまでも、マイナー漫画家として貧乏にあえぎながら、それでも奥さんと仲良く楽しく暮らしていてほしかった。

山野さんを含むごく一部の親しい人にしか心を開くことがなかったというねこぢるさん。おそらく山野さんも、ねこぢるさんを含むごく一部の親しい人にしか心を開くことができない人だったのではないかと思う。

そんな山野さんが一人でコンピューターを使って、ねこぢるさんの絵を再現してマンガを描いているなんて、あまりにも悲し過ぎる。
出典 ねこぢる - ピッコロモンド




漫画家、山野一
80年代から90年代に掛けて台頭した
特殊漫画家と言うカテゴリーの旗手である。

その作品は、天才と一言で片付けられるほど薄っぺらではない。それは文学であり、哲学である。唯一無二と評価して良いだろう。

愛妻の突然の死が受け入れ難い物であった事は理解出来るが、このまま「ねこぢるy」として二人で創造した偶像に飲み込まれるつもりなのか。それとも創作意欲が枯渇してしまったのか。

あの「のうしんぼう」からアドレナリンが噴出する瞬間を体験出来る山野漫画に再度触れる事は適わぬ夢なのか。

天才漫画家の復活を心から祈る。
出典 荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載49) - 清水正ブログ




山野一 - Wikipedia


山野一 (やまのはじめ)とは【ピクシブ百科事典】


鬼畜マンガ『四丁目の夕日』が無修正で電子書籍になった!
山野一の幻の衝撃作品「四丁目の夕日」がついに電子化された!
平々凡々に生きている主人公・たけしはある日暴走族に襲われる。その日、家に帰ってみれば、母親は大けがをして救急車で運ばれるところだっだ。

燃やしていたゴミの中にあったスプレー缶が爆発してしまったのだ。以降、これでもかこれでもかというくらい不幸がたけしを襲う。

たけしは大乗仏教的とさえ思える「不幸の無間地獄」へと堕ちていくのだった…。
これを読まずして、80年代のサブカル・コミックは語れない。


そせじ


2014年 Kindle
2014年になって発表された山野一の新作漫画は
なんと山野家を舞台にした双子の育児漫画でした。

AmazonKindleで出版され、
現在3巻まで刊行されています。

一般女性と再婚して双子の女の子を授かった
「元・鬼畜系漫画家」の山野一が綴る描き下ろしの
電子コミックエッセイとなります。


山野一が戻って来た。
知ってる人は知っている。知らない人は来世に渡っても恐らく知る事は無いであろう作家の新作はまさかの子育て漫画。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のフロムさんのレビュー


山野先生の作品を知って以来、つらくなったり、苦しくなると、四丁目の夕日とかの作品を読んで、なんとも言えない気力をもらい、

とりあえず明日も生活しようと、絶望に似た希望を頂くことが多く、読むのにどこか儀式のような感覚があったのですが、そせじはそれとは違って、もっとライトに楽しく読むことができます。

あんな作品群を描いた山野先生がこんな作品を描く日が来るとは他人事ながら人生なにが起こるか分からないなとしみじみと感じました。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のu3uさんのレビュー




育児漫画は数あれど、あの特殊漫画を描いておられた山野先生がこーいうのを描いてくださるのが既に面白い。

先生の近況や幸せそうな様子が垣間見れて嬉しく、双子の成長記録としても素敵な作品です。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(2)のanさんのレビュー




まず絵がいいです。すごく記号化されているのに味があって、見ているだけでも心地いいです。話も面白いです。

育児漫画なんて基本的には面白くなさそうなもんですが、そこはさすがの山野一。視点、発想がひねくれてれてて最高です。

特に子どもに地球の反対側はどうなってるかというウソ話をするシーンなどは声を出して笑ってしまいました。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のA金太郎さんのレビュー




これまでの山野先生の作品からは想像できないほんわかなご家庭が垣間見えます。
こういうバックボーンがあってああいう鬼畜(笑)な世界もまた生まれるのだなと思うとなんとも感動しました。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のAmazon Customerさんのレビュー




クリエイター的な人は歳とともにどんどんつまらなくなるのが常ですが、山野一はずっと面白い。

確かに表面的には時代の影響か丸くなってますが、根底は確かに山野作品です。2014年のガロ漫画家の新境地を見ました。
あと、こんな才能を持った人が貧乏なんて世の中間違ってると思いました。
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のA金太郎さんのレビュー




明るく未来にあふれる線が山野さんの画力の高さを際立てている。
あの山野一が・・・と思うとぐっときてしまう。本棚に置きたい!
出典 Amazon.co.jp: そせじ(1)のぱんやさんのレビュー


50歳を目前に再婚して双子を授かった山野一は彼女たちに何かを重ねているのではないかとふと疑問に感じます。

かつてねこぢるがにゃーことにゃっ太を心から愛していると言い、どちらがねこぢるなのかを質問したら長時間考え込んで「解らない」と答えたことがありました。

もしかしたら双子はねこぢるの生み出したにゃーことにゃっ太の姿なのかも?というのは妄想でしょうか?

生まれてきた双子にどのような思いを重ねているかは本人にしか解りませんが、生まれてきた子供たちを幸せに育てていることは確かでしょう。
出典 山野一のおすすめ作品4選|タブーに触れるオルタナティヴ作家|PUUL(プウル)


特別資料室


ねこぢるインタビュー『月刊漫画ガロ』1992年6月号
ねこぢること山野夫人と山野一氏にインタビュー。
山野一氏の「ねこぢるうどん」への関り方や発想の源、そして山野漫画の基盤を語る。


混沌大陸パンゲア刊行記念/山野一インタビュー『月刊漫画ガロ』1994年2月号
──表題を『混沌大陸パンゲア』としたのは、現代はヒンズー教の言うところの最末期の状態で、その時に破壊の神シヴァが宇宙を混沌に戻すということと、その最末期の状態のようなことが描かれた漫画作品集ということでつけたのでしょうか。

山野「何となくつけたんですけどね。何百億年だか前に、大陸がみんな一つだったというのを聞いた時に、閃くものがあったんです。自分が考えていたこと…、それは精神的なことだったんですけど、それと通じるものがあったんですよ。根を手繰れば一つみたいな、そういう意味がないわけでもないですね」


山野一ロングインタビュー「貧乏人の悲惨な生活を描かせたら右に出る者なし!!」『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」
山野一の描く漫画の世界は、実に悲惨だ。その世界では人々は例外なく強欲でどうしようもなく愚かである。時として好感の持てる人物が登場することもあるが、そういった人には情け容赦なく怒濤の不幸が押し寄せる。ああ、なんて夢も希望もないんだ !

でもこの世界、なんかどこかに似ていやしないか。「世の中バカが多くて疲れません?」放映中止になったあのCMに共感を覚えた人に絶対オススメの漫画家だ。(聞き手・構成/吉永嘉明


ねこぢる追悼ナイト@新宿ロフトプラスワン(根本敬×白取千夏雄×サエキけんぞう×鶴岡法斎)
1998年11月23日に新宿ロフトプラスワンで行われた関係者4人による追悼トークライブ。一応「ねこぢる追悼ナイト」って事になっていますが、みんな好き勝手な事を喋ってるのであんまり追悼にはなってませけど…。


THE Bottom of Deposit『月刊HEN』1992年5月号
単行本未収録作品


そせじ関連サイト


ねこぢるyこと山野一が本格復帰!育児コミックエッセイ


そせじ kindle版応援サイト
不朽の怪作「四丁目の夕日」の山野一が描くハッピーエッセイコミック「そせじ」(kindle版)応援サイト


そせじ kindle版応援サイト | 山野一のこと


『四丁目の夕日』4年ぶりの重版










あとがき(1989年)


小田急線沿いの郊外に引っ越した。
ある夕方妻と二人で薬師池公園という所に行った。

バスが通っているはずなのだが、野津田車庫とか淵野辺とか境川団地とか、聞いた事もない行き先を掲げたバスが次々に来て、どれがその公園に行くのかわからない。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




案の定乗り間違えて、目的地から2キロも離れたバス停で降りた。いかにも郊外という景色で山や畑の間に大きな団地が点在している。

公園は森に囲まれた谷あいにあった。神社や、江戸時代の農家などがあり、蜩がやかましいほど鳴いていた。大きな池には驚くほどたくさん亀と鯉がいた。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




妻が橋の上から煎餅を投げ与えると、水面がもり上がるぐらい寄って来る。亀にやろうとするのだが、亀は鈍いのでほとんど鯉に食われてしまった。その公園の近くにダリヤ園というのがあったが、妻が疲れたのでそのまま帰りのバスに乗った。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




バスは何度も同じような団地の中をぬけて行った。箱のような棟が規則正しく並んでおり、その中で一きわ高いのが給水塔であった。

コンクリート製の巨大な塔で、縦に三つ小さな窓が穿ってある。真っ赤な夕空を背景に、黒々とそびえるその姿は、まるで地獄の獄吏のようだ。この巨人はこの団地にすべからく水を供給し、人々はみなそれを飲んで生きているんだなあと思った。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




しかし団地というものは大体どこでも同じようなものだ。アパート、植え込み、駐車場、スーパー、給水塔、その上に取りつけられたスピーカーから流れる夕焼け小焼けのオルゴール。

私は子供の頃三重県四日市々の団地に住んでいたが、今窓から見える光景と少しも違わなかった。

立ち話しているおばさん達や、自転車で帰る子供達、こういうものも、何かしらあらかじめ用意され、団地に備え付けてある付属品のようだ。ずっと向こうまで並んだ棟のどこかに、かつて住んでいた室があるような気がして、「ああもう帰らなくちゃ」と一人言を言った。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




あの頃通っていた幼稚園には牧師の先生がいた。先生が語るところによると、神様というのはどっかすごく高い所にいて、常にすべての人の一挙手一投足をごらんになっておられるそうだ。

その言葉から私がイメージした神のイメージは給水塔であった。なぜなら幼児だった自分にとって団地は世界のすべてであったし、その一番の高みにあって一切を見下ろしているのは給水塔であったからだ。
出典 『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)あとがき




2006年再婚、2008年双子出生。
2010年からは画家としても活動開始。

2013年には『ねこぢるyうどん』3巻以来、
11年ぶりとなる漫画単行本『おばけアパート前編』を発表。2014年には山野一名義での創作活動を再開。漫画家としての完全復活を果たす。

※まとめ内の画像や文章の使用に当たって引用した主な画像の著作権は山野氏および関係出版社に帰属します。Ⓒ山野一/ねこぢるy


おまけ