Underground Magazine Archives

雑誌周辺文化研究互助

対談◎吉永嘉明×山野一「自殺されちゃった僕たち【Vol.3】正しく失望せよ!」

今月は漫画家の山野一さん(ねこぢるy名義でも活動)をゲストに迎えての対談形式でお送りします。山野さんは約8年前、僕は2年半前に共に妻を自殺で亡くしています。同じ境遇の先輩として僕は妻に死なれた当時、山野さんにとても助けられました。2年と8年の違い──残された者はどのように立ち直っていくのか? そのへんを探ってみたいと思います。

◎ ◎ ◎

吉永(以下、吉)どうも、お久しぶりです。今日はとんだ遅刻をしてしまって……。

山野(以下、山)2年くらい前は約束自体を忘れてましたよね? 僕も妻に死なれたばかりのとき、同じような症状がありました。音が聴こえづらかったり、温度が分からなかったり。12月なのにTシャツ1枚で過ごしていた時もありました。

吉 僕は未だに重い鬱状態になると自律神経が狂って暑さ寒さがわからなくなったりしています。健忘の方はだいぶよくなってきたんですが……。山野さんは今、(妻に死なれたことからくる)鬱状態を完全に脱しているように見えますが、解放されたという感じはありますか。

 鬱を脱したというより、ショックから遠のいたという感じですね。結婚する以前の状態に戻っていくという感覚ですね。

吉 僕はいまだに妻にとらわれていて、まったく解放されていないので、山野さんみたいな感覚にいつかなれるのかな? と思っているんですが。

 革命的にガラッと心境が変わるわけではなく、なだらかに変わっていくものだと思うんですよ。

吉 (亡くなった)二人は、生前から自殺願望を口にしていましたけど、その点に関しては、どう気持ちの整理をつけましたか。

山 自殺に関しては、健全な状態で選んだことではなく、欝という病気が背中を押したということもあるかもしれない。病気が死に至らしめたという面も否定できないと思っています。

吉 山野さんは僕からみるととても理性的に見ます。僕は山野さんと同じ時を経たとしても果たして同じ心境になれるかどうか……。

山 とにかく二人は世の中に失望していたんだと思います。諦めていなかったから失望するわけで、現実を失望しきることで治癒するということもあるかもしれませんね。

吉 確かに妻は、僕に会う前から失望していました。僕と一緒にいた時は、一瞬失望を忘れたのかもしれませんね。でも7年たって鬱病になって……。

山 でもおかげで、7年生きれたという見方もありますよね。

 僕は、「死なれちゃった。とても悲しい」という本をだして、それにくる手紙を通じて僕よりもヤバイ人、死にたがっている人がたくさんいることを実感しました。それで、どうしても今度は「なぜ生きるのか」ということを考えちゃうんですよね。

 僕はそれには違和感があります。死を選ぶのは能動的なことだと思いますが、生きることは積極的に生きようと思わなくても普通にしていれば生きますから。生きる意味なんてなくても、ささやかな楽しみで人は生きていけるんじゃないでしょうか?

吉 でもささやかな喜びを積み重ねることを人は忘れてしまうんですね。

山 生きる意味を考えずに生きることを虫のように生きているととらえられるかも知れませんが、虫で何がいけないのだろう? と思います。人は等身大の自分より大きな夢を持って、それが達成できないと失望してしまう。それは狂気なのかもしれません。

 山野さんは僕から見るとある種「乗り越えた人間」なんですが、身近な人に死なれて壊れてる人に何かメッセージをいただけますか。

山 ある時スッと抜ける場合もあるし、つらい欝がちょっとした出来事を機に好転する時もある……。とにかく浮き沈みや早い遅いはあっても、時間の経過とともに徐々に解除されるのは間違いないと思うんです。あと、えらそうなことは言えませんが、みなさん生真面目過ぎると思います。色んな事に前向きに正しく失望しろと言いたいですね。

◎ ◎ ◎

確かに人間は錯覚して生きないといきていけないのかもしれない。山野さんと話して、ささやかな喜びに生きるという謙虚な姿勢が自分にも欠けていたと思いました。

吉永嘉明

1962年、東京生まれ。海外取材雑誌『エキセントリック』編集部を経て、サブカルで勢いのあった頃の『別冊宝島』で編集・ライターをするようになる。95年から97年、編集者及びドラッグライターとしてカリスマ的存在だった青山正明氏と『危ない1号』(データハウス)の編集に従事。著書に『サイケデリック&トランス』(コアマガジン)、『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社)など。

 所収:ミリオン出版実話GON!ナックルズ』2006年5月号 p.111

青山正明「ロリコンの恋ものがたり」『突然変異』創刊号所収

青山正明ロリコンの恋ものがたり

 

昨今の街巷で、よくこんな会話を耳にする。

「おっ、いい脚してんなー、あの娘。」
「胸もなかなかのもんだぜ。」

ここで話題のあの娘とは、まだ白パンのようなお尻をした、かわいい女子小学生。

今、東京中にロリコン人間があふれている。チャイルドポルノの影響もあるだろうが、それだけではない。一昔前迄は女子高生が青い果実として重宝されていた。でも、今の女子高生は性知識をとっても、肉体をとっても、OLと何ら変わる所がない。男を見ればしっかり濡れる。女子高校生に“青春の光と影”を求めるのは、PTAと盲くらいだ。女子大生サロンは又の名をオバサマサロンという……。

こうなれば、甘ずっぱい無垢の果実を射らんとす性の狩人達の矢は、自然と中学生・小学生に向けられる。女子小学生のあどけない瞳は、私たちの心臓を熱く締めつける。幼い頃の思い出。昔日への郷愁。腐敗した性を、かくも美しく昇華せしめる無邪気さ。そして、カシミヤのように柔らかくしっとりとした天使の体。

高校生が売春をしても、今では話題にもならない。昔だったら女工とか、売春婦とかやってる年頃の女が、高校に行ける時代になったのだ。これからは小学生売春の時代だろう。それに、幼女を使った売春なんて、世界中、いつの時代でも存在してたのだから、無い方が異常だ。

ところで、私の友人“元祖ロリコン人間──青山正明”の事をお話しよう。私もかなりの好事家ではあるが、その生涯すべてを変態修養に注いできた彼にはかなわない。この雑誌の編集員であるSK氏は、青山を称して“動く変態陳列館”と言っておられたが、なかなか言い得て妙である。

高校入学当時の彼は、変態ではあったが今ほどグロくはなかった。学校の帰り道、友人共々書店に赴くと、彼はきまって子供服の雑誌や小学一年生に我を忘れて見入っていた。そうして、気に入った女の子の写真を見つけると、その雑誌を買って帰り、切り取ってファイルしていた。その当時、私は彼から、ニュービーズのCFの女の子が、「パパ、アデランスにしてヨカッタネ」の女の子であり、又、小学一年生のカバーガールでもある事を教わった。

秋になると、ここかしこの小学校で運動会が催される。彼が一番活気づく季節だ。彼は都内のあちこちの小学校の日程を調べあげ、したり顔。いつもながら私も付き合わされた。出発行進を待つ、ちっちゃな女の子達の回りでカメラを手に行きつ戻りつしていた青山の姿は何とも滑稽で一見の価値はある光景だ。

彼は、小学校の運動会を見終わると、必ず女の子の上履きを失敬してから退散した。彼の家には、そうしてとってきた上履きがたくさんあって、嘗めたのと嘗めてないのとちゃんと仕分けして、ビニール袋(香りが抜けないように)に包んであった。豊島区内のN小学校では、女子小学生のトイレの中から、血染めのナプキンを拾って狂喜していた。

大学に進んでから(もちろん私とは違う大学)、青山の手口は飛躍的な進歩を遂げた。かねてから彼の念願であった「子供の前で自分のモノを振って見せる」という希望も、春の昼下がり、大森の児童公園でほどなく実現された。

そうしたある日、ついに彼は孤児誘拐の決意を表明。綿密な計画をたてた後、彼は私を連れ都庁へ行った。都庁の第3棟の9階に児童部という所があって、そこで彼は嘘八百を並べたて、ロリコンぽい職員から“児童福祉施設名簿”を入手。破顔一笑。これは、都立・民営合わせて64の養護施設(いわゆる孤児院)の所在地・最寄駅・電話番号・定員等の書き込まれたかなり詳しい資料。子供誘拐を志す者にとっては、それはありがたい代物だそうだ。

さっそく、彼は掲載されていた養護施設にかたっぱしから電話をかけ、女子小学生と女子園児の数を言葉巧みに聞き出した。大田区久ケ原にある聖フランシスコ子供寮は、女子ばかり75名。でも男子禁制。男のボランティアはお断りとのこと。結局、都内の2つの民営施設に的が絞られた。慎重な彼は、権謀術数至らざる所のないよう、直接施設訪問は行わず、九段にある“東京善意銀行”という、ボランティアの斡旋所に出向き、そこで推薦状をこさえてもらった。そしてちゃんと登録をし、技術寄附者として東京新聞に名前まで掲載された。彼はその書状を手に、実に堂々と施設訪問をやってのけた。こうした行動の緻密さに、彼の変態躍如した偉大さが感じられる。

その後の彼の行動と成果は、公のものとするにはかなり問題があるので、読者のお怒りを覚悟の上、割愛させていただく。

そのかわりに、彼が最近口にしていた事を、そのまま読者に紹介しよう。

──畑山博が、「いんなあとりっぷ」で、こんな事を報告してたよ。先達て、八王子市のZ小学校で身体検査を行ったところ、女子児童のうち6人が妊娠してたんだって。教師っていうのは子供に接する機会が一番多いからね。羽二五郎によると、日教組に入ってこんな事しでかすと、懲戒免職(退職金無し)だそうだ。でも、文部省側、つまり組合に入っていなければ奨励免職(退職金2倍)というありがたい処分で済むらしい。子供の尻さわりたくて教師になる奴は、まず日教組には入らないことだな。

──教師になりたくない奴は、余暇として、塾教師やボランティアでもすればいい。岡本千代市という都庁職員が、鎌倉にある「黙想の家」で、ベトナム難民少女2人にいたずらをして捕えられたけど、詰めが甘かったんだな。

──とにかく、親っていうのが一番じゃまなんだよ。だから俺は親のない子供を狙うのさ。こいつら金もないしね。個室なんて与えられてないから、独りで考える機会がないんだよ。つまり単純でだましやすいのさ。愛情に飢えてるしね。

──今はやりのベビーホテルなんてのもいいね。でも、ただ赤ン坊の前にチンコ出してもしょうがないんだ。部屋を暗くしてから懐中電灯でチンコを照らすのさ。そうすれば、すごい力で握ってくれるよ。チョコでも塗って嘗めさせる時、先天性歯牙の赤ン坊は歯が邪魔だから医者に連れてって抜歯してもらうか、短く削ってもらうことだ。

──俺だって金さえあれば、ブラジルやインドでも行って、子供と思う存分楽しむんだが……。いつか、華南あたりで子供を買ってくるさ。もちろん養女という名目だけどね。高校生ぐらいになったら、トルコでも始めて使えばいい。送り返しちまってもいいんだ。高い金払って教育を受けさせてやったんだから、お礼されてもいいくらいだ。

最近、青山を“日本てんかん協会”の遠足で見かけたという児童文化研究会の友人の証言がある。折しも、今年は国際障害者年。ついに彼は身体障害者に迄触手を伸ばし始めたようだ。

 

青山正明の旧友を名乗る人物が青山の高校時代から大学時代までのロリコン遍歴を綴る自作自演の無記名原稿。青山の実質的な文筆デビュー作である。

所収『突然変異』創刊号/1981年4月15日発行

f:id:kougasetumei:20180216000040j:plain

唐沢俊一「一行知識」ホームページ 裏モノ日記 2001年6月の箇所に青山正明への追悼文

帰宅したら青山正明死去の情報。まだ本当かどうかわからないが、また葬式か、とぼんやり思う。驚きはするものの、 意外性がその死にこれほどまつろわぬ人間も珍しいのではないか。

青山正明関係の情報がとぎれとぎれながら入ってくる。てっきりクスリで体がガタガタ になっての死だと思ったら自殺、しかも腹を切って首をつったらしい、というすさまじい話がつたわってくる。ハンニバル』のジャン・カルロ・ジャンニーニみたいな死に様だったということか。

やはりクスリでの発作的な行動か、それとも覚悟の上の凄絶な死か?風聞だが、永山薫が私とモメた一件で、青山正明に手打ちの仲介を頼もうとしたが、すでに彼の体がそんなことに耐えられなくなっていた、という話がある。あれほどの男がこのまま忘れられていくのは寂しいな、と思っていたが、ラストでなんというインパクトある死を。

彼の鬼畜・悪趣味関係の仕事での独走ぶりはズバ抜けたものがあった。何度も一緒 に仕事をしたし、話もしたが、クスリにしろ少女姦にしろ、“実体験”に基づいたそ のエピソードは面白いったらなかったし、その才能に羨望もした。しかし、話しながら“同じ分野でも、彼みたいになってはいけないな”ということはビンビンに感じたものだった。彼のような方向性の仕事は、自分をどんどん狭いところに追い詰めていき、一般読者を排除して、しまいには自分自身をも破裂させてしまうのではないか、と思ったのである。

ことこのような事態になってからこんなことを書くとアトヅケと思われるかもしれないが、これは正直なところである。逆に言うと、彼の背中を見て いたからこそ、私はカルトライターながらも一般向けというワクの中にとどまれたのかも知れない。

初対面はまだ私の参宮橋時代の喫茶店だったが、最初から“実はいま警察に尾行受けているんですよ”と語ってくれたのはいかにも青山正明らしかったと思う。で、“××社なんかが、「青山さん、いっそ警察と完全に敵対して、おたずね者になって、その逃亡体験記書きませんか」なんて無責任なこと言ってタキツケるんで、大弱りしてるんです。他人事だと思って”とボヤいていた。話す内容は狂気のレベルだったが、目は温和でオドオドさえしており、マスコミが勝手に作り上げる青山正明像に無理して合わせているという感じが見てとれた。

青山正明というと鬼畜だのドラッグだのという言葉が反射的に浮かぶが、実は彼は その合間に、実に平凡でつまらぬ編集・ライター仕事をせっせとやって、それで稼い でいたのである。彼の他の鬼畜系ライターがみんな彼のようになろうとしてかなわな かったのは、まっとうな仕事もちゃんとこなせる、というその、基盤の常識的能力の 差にあったと思う。私の『女性自身てば!』の構成も担当してくれたし(途中で別の仕事が忙しくなったので降りてしまったが)、思えば最後に彼と打ち合わせをしたのは、まるきり青山正明らしくない、『逮捕しちゃうぞ!』の謎本を書くライターを紹介してくれないか、という件であった。

そのちょっと前にクスリで逮捕されて、出てきたばかりのところであったので、鶴岡などは“『逮捕されちゃうぞ!』って本だした方がいいんじゃないですか”などと言っていたけれど。そのとき、警察関連のコレクターを紹介して、“彼、本物の逮捕状まで持ってるんですよ”と言うと、恥ずかしげに笑って、“ボクも見たことあります……”と言った。“でも、一応見せられるん ですが、足がガクガクして、頭の中なんか真っ白で、何が書いてあったかなんて、まるで覚えていませんねえ”とのことで、それを聞いて、ああ、この人、本心は気が弱くて常識家なんだな、と思った。まあ、それだからドラッグなどに走ったのかもしれないが。

私に会うと口癖のように、“今の若いライターは文章力がないからダメだ”とこぼ していた。“ライターの文章は商品なんですよ、自分が書きたいことを書くのでなし に、人がそれを読む、ということを認識して書かねばいけないのに、そんな基本がわ かってなくて、自分本位の文を書き散らかしている。何考えてんでしょうね”と言っ ていたのを思い出す。青山正明にこう言われていたのである。今日びの若手のモノカ キたちは、これを彼の遺言と思ってほしい。

 青山さんの件で、フィギュア王N田くんはじめ、数名の関係者から電話。持ってい る情報はだれも同程度のものらし。ところでN田くんはなんと札幌での通夜に来てく れていたらしい。驚く。あまりに人が多数参列しているので、こちらに声もかけられなかったとか。K子に“N田くん来てたんだって”と言うと、間髪を入れず“えっ、 黒いアロハで?”と来た。

(中略)3時、村崎さん来、さっそく鬼畜対談。話題はもう当然、宅間守一色。なにか村崎さんに元気なく、人生や社会に対し諦念ぽい考えがまじる気がしたのは、盟友だった青山正明を失ったショックか。村崎さんの話では、腹切って、はデマだそうな。フィギュア王にも青林工藝舎にも(私のとこにも)腹切って、という情報で伝わっているのだが、出所はどこか?

「オレは鬼畜だからまったく悲しくないんだけどさ」
と、何回も自分に確認するように村崎さん、くり返していた。

https://web.archive.org/web/20030425121216/http://www.tobunken.com:80/olddiary/old2001_06.html

貧困魔境伝ヒヤパカ - あとがき

小田急線沿いの郊外に引っ越した。
ある夕方妻と二人で薬師池公園という所に行った。

バスが通っているはずなのだが、野津田車庫とか淵野辺とか境川団地とか、聞いた事もない行き先を掲げたバスが次々に来て、どれがその公園に行くのかわからない。案の定乗り間違えて、目的地から2キロも離れたバス停で降りた。いかにも郊外という景色で、山や畑の間に大きな団地が点在している。

公園は森に囲まれた谷あいにあった。神社や、江戸時代の農家などがあり、蜩がやかましいほど鳴いていた。大きな池には驚くほどたくさん亀と鯉がいた。妻が橋の上から煎餅を投げ与えると、水面がもり上がるぐらい寄って来る。亀にやろうとするのだが、亀は鈍いのでほとんど鯉に食われてしまった。その公園の近くにダリヤ園というのがあったが、妻が疲れたのでそのまま帰りのバスに乗った。

バスは何度も同じような団地の中をぬけて行った。箱のような棟が規則正しく並んでおり、その中で一きわ高いのが給水塔であった。コンクリート製の巨大な塔で、縦に三つ小さな窓が穿ってある。真っ赤な夕空を背景に、黒々とそびえるその姿は、まるで地獄の獄吏のようだ。この巨人はこの団地にすべからく水を供給し、人々はみなそれを飲んで生きているんだなあと思った。

しかし団地というものは大体どこでも同じようなものだ。
アパート、植え込み、駐車場、スーパー、給水塔、その上に取りつけられたスピーカーから流れる夕焼け小焼けのオルゴール。

私は子供の頃三重県四日市々の団地に住んでいたが、今窓から見える光景と少しも違わなかった。立ち話しているおばさん達や、自転車で帰る子供達、こういうものも、何かしらあらかじめ用意され、団地に備え付けてある付属品のようだ。ずっと向こうまで並んだ棟のどこかに、かつて住んでいた室があるような気がして、「ああもう帰らなくちゃ」と一人言を言った。

あの頃通っていた幼稚園には牧師の先生がいた。
先生が語るところによると、神様というのはどっかすごく高い所にいて、常にすべての人の一挙手一投足をごらんになっておられるそうだ。その言葉から私がイメージした神のイメージは給水塔であった。

なぜなら幼児だった自分にとって団地は世界のすべてであったし、その一番の高みにあって、一切を見下ろしているのは給水塔であったからだ。

 

山野一『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)所載

山野一『混沌大陸パンゲア』解説/大塚恭司(TVディレクター)

混沌大陸パンゲア』解説/大塚恭司(TVディレクター)
 
数年前、私は山野氏の前作『ヒヤパカ』と前々作『四丁目の夕日』を本屋で立ち読みしたことによって、それまでの人生で最長にして最悪の欝病から電撃的に解放された経験を持つ。

私は元来躁欝病質で、過去に何度も舞上がりと落ち込みを繰り返してきたが、他人の作った物がそのキッカケになったのは、後にも先にもそれが唯一の経験である。したがって、私にとって山野氏の作品群は特別な意味を持っている。

私の欝病の症状は、認識と感覚の世界においてトンネルに入った様な状態に陥いるというのが最も大きな特徴である。つまり、あらゆる事物から、何ら抽象的概念を受け取る事が出来なくなるという症状に、或る日突然襲われるのである。

何を見ても美しいとも醜いとも感じない。驚きもなければ、落嘆も無い。好きだという感覚も一切湧かないし、嫌いという感覚も湧かない。その他どんな種類の抽象的感覚も、外界の事物から一切認識出来なくなってしまうのである。大抵の場合、ある時期が過ぎれば発病した時と同様に、突然その症状から解放される。しかし、その時の欝病の状態は、それ以前とは訳が違っていた。その様な症状が丸三年近くも続いていたのである。

そんな時期に出会った山野氏の作品群は、それらが持つ抽象性の圧倒的力強さと鋭さで、私を幽閉する認識と感覚のトンネルに穴を開けた。

レトリックのうまさだけが評価され氾濫する世の中で、山野氏の作品はいかに最短距離で本質に到達するかという事に賭けている。そして「自分が面白い」と思う感覚に忠実である事に微塵の揺らぎも無い。

そんな姿勢で描かれた作品は、病的な感覚麻痺状態に陥った人間に対しても、なおも感じさせるだけの力を持っているのだ。

作品その物の面白さと、その様な作品が存在する事自体に感動した私は、部屋に戻ってからもその二冊を何度も何度も繰り返して読み、数時間に渡って大爆笑した。その大爆笑発作が過ぎ去った時、私を取り巻いていたトンネルは完全に破壊され、跡形もなく消滅していた。

処女短編集『夢の島で逢いましょう』では混沌としていた作風が、第二作『四丁目の夕日』で確立され、第三作『ヒヤパカ』では「最短距離で本質に到達する」という抽象性における特質が見事に開花し、それは驚異的な完成度を持つ作品集に仕上がっている。

今回の最新作『混沌大陸・パンゲア』は、その名の通りもう一度混沌とした世界に立ち返っている様にも見受けられ、それは山野氏が作家として螺旋状に進化していく一過程の様で興味深い。異色の作品を創り出す氏だが、作家としての進化は、非常にシンプルで正統な道を歩んでいるのかも知れない。

或る作風で驚異的完成度の域に到達した作家が、その後抽象性においてどんなひろがりを見せていくのか?『パンゲア』は、その可能性を暗示する過渡期の作品集であり、それ自体の作品としての面白さと同時に、作家山野一の今後をゾクゾクする程期待させる物になっている。

ブラフばかりで構築された世界。そしてブラフばかりで構築された人々の世界観。自分の世界観があまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。山野作品は、その唾棄すべき世界観を一気にクラッシュしてくれる。

私はいつも枕元に四冊の山野作品を並べ、繰り返し読んでいる。しかし、それは決してキリスト教徒における聖書の様な物ではない。私は毎回ゲタゲタと声を出して下品に笑う。するとパンチパーマをかけた心の中のもう一人の自分が叫び出すのだ。

「だからやっば、山野一の漫画が一番おもしれえっつってっぴゃー」と……

※この文章は93年刊行の『混沌大陸パンゲア』(青林堂)より転載いたしました。

山野一「食えませんから」(ガロ1993年6月号)

 
自分が初めてガロに投稿したのは83年だから
もう今年で漫画家生活10年になる。
 
しかし偉そーに漫画家と言っても始めの2年は掲載してくれたのはガロだけ、よって収入はゼロ、アルバイトで飢えをしのいでいた。世間ではこーゆー人の事を漫画家とは言うまい。初めて単行本が出て印税というものを受け取った時は思わず目頭が熱くなった、あんまり安くて。それも旋盤工の月給程度の金額を御丁寧にも5分割で払って下さるのだ。商品としての自分の漫画の価値がいかに低いものであるかという事をつくづく思い知らされた。
 
それからSM誌とか土方向けエロ本なんかに描くようになりアルバイトをやめる。ところが不愉快な労働から解放され、やれ嬉しやと思ったのもつかの間、この手の零細雑誌はすぐ廃刊してしまうため、たちまち窮乏する。
 
家賃2万風呂無し共同便所の殺風景な四畳半。
あるのは醤油で煮しめたようなふとんと殺風景なスチール机だけ。ふとんは学生時代友人から貰ったもので、机はその友人と2人で大学から盗んだ物だった(真昼間に堂々と運び出したら別に誰にも見咎められなかった)。ガスや電話(漫画家の命綱)も止められ、コーヒーのお湯は電気炊飯器で沸かしていた。今思えばよく生きて来られたものだと自分でも感心するぐらい。
 
そんな荒廃した生活で自分は身も心も腐りはてていたが、どんなに惨めだろーが、どんなに落ちぶれ果てよーが、二度と再び働きに出るよーな事はすまい、ほんの少しでも世間の方々のお役に立つよーな事はやるまいと秘かに心に誓っていた。そんな心がけのせいであろうか、その後もこの世界ではひたすら冷遇され続けた。
 
自分の能力のうち評価されたのは多少絵が描けるという一点だけで、注文が来るのは明るいお色気物とかほのぼのサラリーマン漫画とか自分の性質とは縁もゆかりもないものばかりであった。
 
2、3年前ギガという漫画誌が創刊され、そこにルーキーリーグなる企画があった。数十人の新人漫画家が、秋元康とか高橋源一郎とかどーでもいーよーなやつらの審査の元、勝ちぬき戦をやるというバカバカしい物であった。本物の新人ばかりだと内容が希薄になるので誰も知らないよーなプロが何割かヤラセで雇われており、その一人が自分であった。
 
担当編集者が 「ウチはねえ、まともな商業誌ですから、ガロとかに描いてるよーなのは困りますから、なんかエッチな女子高生物とかそーゆのを描いて下さいよ」と言うのでその通りの物を描いてやった。完全になめられてるなァと思いつつもギャラの小銭が欲しかったのだ。結果はわずか2回戦でブザマに敗退した。
 
グランドチャンピオンという漫画誌の編集はめずらしく理解があり、最低限の規制はあるもののほとんど自由にやらせてくれた。うんうんここはいい会社じゃわいと思っていっしょうけんめい描いていたところたったの7回で打ち切りになった。7回すべてが読者の不人気投票No.1であったそーな。まあこの手の話を挙げれば枚挙にいとまがない。
 
自分の友人(日雇いガードマン32才)はこう言った。
「仕事とはそもそも不愉快なものだ。味あわされた苦痛や屈辱、そーゆーものの代価としてわずかな銭を受け取るのだ。」けだし事実であろう。そう思えば諦めもつくし何かこう安らかな気持ちになる。個人的な実感としてはガロで描き続けていた事はペルーの通貨を貯金していたよーなものであった。それなりの満足があるにはあるが、他所のどこへ持って行っても通用しなかったし、時にはマイナスにすらなった。
 
ガロというのは何でも描かせてくれるがそれで食っていくのは不可能。普通の雑誌は拘束されるが金はもらえる。
 
これから投稿して漫画家になろうというよーな人は、好むと好まざるに関わらずこの両極の間のどこかに自分の位置を見つけていかざるをえないという事を知っておいて損はないだろうと思う。
 
青林堂『月刊漫画ガロ』1993年6月号203頁より転載)

鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?

 
SPA! 1996年12月11日号所収

f:id:kougasetumei:20180103234129j:plain

“[鬼畜]たちの倫理観”と題した鬼畜大特集。
ロリータ小説家の斉田石也、V&Rプランニング代表の安達かおる、『BUBKA』編集長・寺島知裕、KUKIの鬼畜レーベル餓鬼の山本雅弘特殊漫画家の根本敬らにコメントを求め、ショップ「バロック」周辺のお客さんに質問し、『FBI心理分析官』著者のロバート・K・レスラー、『すばらしき痴呆老人の世界』著者の直崎人士、横丁の性科学者こと松沢呉一らが鬼畜ブームに一言呈し、シメは青山正明村崎百郎の対談「鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方」。
 
当時、両者とも東京大学駒場キャンパスで講義するほど注目を浴びており(岡田斗司夫氏のゼミ「国際おたく大学/おたく文化論」)、それの記念なのか東大前で撮影した写真が掲載されている。(この文章は以下のウェブサイトより転載された)