Underground Magazine Archives

雑誌周辺文化研究互助

Underground Magazine Archives

もくじ

鬼畜系

鬼畜系サブカルチャーの終焉/正しい悪趣味の衰退

鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?

吉永嘉明『自殺されちゃった僕』解説◎春日武彦「掟破り、ということ」

Jam&HEAVEN

f:id:kougasetumei:20171221102716j:plain

百恵ちゃんゴミ箱あさり事件で有名になった自動販売機ポルノ雑誌『Jam』の編集長が明かすその秘密―わしらのフリークランド(宝島1979年12月号)

近藤十四郎インタビュー(『HEAVEN』二代目編集長)

隅田川乱一インタビュー(『Jam』ライター&コンセプター)

安田邦也インタビュー(元エルシー企画、アリス出版、群雄社編集者)

山崎春美インタビュー(『HEAVEN』三代目編集長)

高杉弾インタビュー(『Jam』『HEAVEN』初代編集長)

高杉弾インタビュー「ぼくはプロの編集者であったことなどなかったし、むしろ編集者に変装した変質者でした」

特集/僕と私の脳内リゾート──ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて

 

スーパー変態マガジン Billy

1982年

山崎春美のスーパー変態インタビュー(第1回)「逮捕後の変態ロックバンド スターリン 遠藤ミチロウ」

山崎春美のスーパー変態インタビュー(第2回)「ウンチでビルが建った!? 群雄社代表取締役 明石賢生」

 山崎春美のスーパー変態インタビュー (第3回)「女房の流産を心底喜んだ!? 異端漫画家 蛭子能収」

 

月刊漫画ガロ

 

山田花子


1992年

花輪和一インタビュー(ガロ1992年5月号)

ねこぢるインタビュー「ゲームの世界に生まれたかった」(ガロ1992年6月号)

1993年

丸尾末広インタビュー(ガロ1993年5月号)

山野一「食えませんから」(ガロ1993年6月号)

1994年

混沌大陸パンゲア刊行記念/山野一インタビュー(ガロ1994年2月号)

 

ねこぢる山野一

1992年

ねこぢるインタビュー「ゲームの世界に生まれたかった」

1993年

山野一「食えませんから」(ガロ1993年6月号)

1994年

混沌大陸パンゲア刊行記念/山野一インタビュー(ガロ1994年2月号)

1995年

山野一インタビュー「カースト礼賛」(ユリイカ総特集=悪趣味大全)

1996年

山野一ロングインタビュー 貧乏人の悲惨な生活を描かせたら右に出る者なし!!(東京公司編『危ない1号』第2巻 特集/キ印良品)

ねこぢるインタビュー「なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまに思ったりして」(文藝1996年冬季号)

1998年

マンガ狂い咲き 山野一 ~アセチレンからドブの上澄みまで特殊全般~因業製造工場へようこそ!(BUBKA1998年1月号)

マンガ狂い咲き かわいくってざんこくな本棚のペットねこぢるの飼い方/鬼畜なねこちゃんの何かがわかる本/特集ねこぢるマンガの生態(BUBKA1998年1月号)

ねこぢる追悼ナイト@新宿ロフトプラスワン(根本敬×白取千夏雄×サエキけんぞう×鶴岡法斎)

2000年

ねこぢるyインタビュー ねこぢる/ねこぢるy(山野一)さんにまつわる50の質問(文藝2000年夏季号)

2005年

「自殺されちゃった僕」刊行鼎談(吉永嘉明×山野一×根本敬)

2006年

対談◎吉永嘉明×山野一「自殺されちゃった僕たち【Vol.3】正しく失望せよ!」

2008年

対談◎根本敬(特殊漫画家)×山野一(漫画家)「いまも夢の中にねこぢるが出てくるんです」

その他

高市由美・特殊漫画家 山田花子を偲んで──父・高市俊皓

1992年に投身自殺した伝説の漫画家・山田花子
彼女の生涯からは、ある種の“信念”とも“業”とも言える「何か」が見え隠れしてならなかった。彼女の父でトロツキスト高市俊皓(2012年没)の寄稿(山田花子著/高市俊皓編『自殺直前日記』あとがき)から山田花子の抱えていたカルマ(業)の正体について探ってみることにしよう。


高市由美・特殊漫画山田花子を偲んで

高市俊皓(父)

一流高校―東京大学―上級国家公務員試験合格―高級官僚に。私の親父は、私を典型的な立身出世型の人間に育て上げようとした。親父は常日頃、私に昔の修身の教科書そのままの道徳を説いた後で必ず「お前の人生の目的は東大を首席で卒業して偉い役人になることだ」と言って聞かせた。

人生のある時期まで、私はそんな親父を尊敬していた。親父の期待に応えたいと思ってきた。しかし、成長するに従って、私は親父の人生観や価値観に疑問を持つようになった。親父の偽善に気付いたこともあった。また、私には親父の期待に応えられる能力がないことに気付いたこともあった。しかし、最大の問題は立身出世して富や社会的な地位を追い求めることが果して人生の目的たり得るのかという疑問であった。大学受験も真近に迫った高三の時のことだった。

高校を卒業して一年後、私は家を出て、東京の新聞店で働きながら受験勉強を続けることにした。「独立」しなければ、親父のお仕着せでない、自分自身の人生を歩むことはできないと考えたからだ。この頃、私は懸命になって哲学書を読み、人間如何に生きるべきかを真剣に考えた。当時、私が到達した結論は、たとえ貧しくとも、自分自身の信念に忠実に、人間らしく生きたいということであった。

一九六〇年四月、私は東京学芸大学に入学した。相変わらず新聞店で働きながら通学した。親からの仕送りはなかった。親父と喧嘩したからじゃない。生活保護とお袋の僅かばかりの稼ぎで暮らしている両親に、仕送りする余裕はなかったのだ。この頃には親父も私の生き方を認めていた。

私が大学に入った年は、御存知「六十年安保」たけなわの頃だった。連日、クラス討論―全学集会―国会デモへ、というのがお決りのコースだった。ところが、我が級友達(中学理科教師課程)の殆どが集会やデモに参加しようとしなかった。平穏無事に卒業したい、学生運動に参加して就職不利にしたくない、というのが本当の理由なのに、「学生の本分は勉強だから…」などともっともらしいことを言うので、むしょうに腹が立って騒ぎまくっていた。気がついたら何時のまにか執行委員になっていた。

安保闘争が終った後、ストライキを決議する為に開かれた学生大会で、賛否両論が伯仲してなかなか決着が付かなかった時、私が激烈な大演説!?をぶって、決議を通過させたこともあった。私が先頭に立って会場の体育館に突入して、教授会を流会させてしまったこともあった。学校側に「十分反省して、二度としませんと誓えば退学だけは許してやる」みたいな事を言われたが、私は拒否して帰ってきてしまった。お陰様で、その後間もなく退学になった。学生運動の渦中で、私はマルクスエンゲルスレーニントロツキーなどの著書を夢中になって読んだ。中でも、以後の私の生き方に決定的な影響を与えたのはトロツキーだった。トロツキーの思想や理論に共鳴したことは言うまでもないが、私はより以上にトロツキーの生き方に共感・共鳴した。一九二〇年代末~三〇年代にかけて、十月革命を担ったかつての同志達が、保身の為に次々とスターリンに降伏していく中で、トロツキーは敢然とスターリンに闘いを挑んだ。トロツキーは一九二九年に国外追放になり、一九四〇年にスターリンの放った暗殺者に、頭にピッケルを打込まれてその生涯を閉じた。私はとてもトロツキーのようには生きられないと思ったが、トロツキーのように生きたいという志だけは持ち続けたいと思った。

安保闘争が終って三年もたったころ、一人また一人と運動から去って行った。私は数少なくなった仲間と共に運動に踏み止まり、現在も社会主義を目指す文筆活動を続けている。

私事について長々と述べてきたのは、他でもない、由美の人格形成に私の生き方や考え方が色濃く投影しているように思われるからだ。日記に、「作家としての魂を売り渡して、つまらねー漫画描くくらいならバイトしながら好きな漫画描く」「素敵な大人(実は他人を踏み台にして知らん顔してる奴)より、傷だらけになって頑張ってる硬派の方が私は好きだぜ!」と書かれているのを見た時、とりわけその感を深くした。

私は、親父に価値観・人生観を押し付けられて育ち苦しい思いをしたので、自分の子供達は自由にのびのびと育てたいと考えてきた。しかし、日記を読んだ時、私もまた自分の暑苦しくてくっさい「前向き」の価値観を知らず知らずの内に子供達に押し付けてプレッシャーをかけてきたことを知って愕然とした。由美が日記に書いている通り私は偽善者だったと思う。

親父とのこと、学生運動のことなど自分の若かりし頃のことを、私はただ一度だけ真紀に話した。高校時代、学校の宿題で父親について書くことになった時のことだった。子供は親の背中を見て育つと言う。子供は親の日頃の言動ばかりでなく、人生観や価値観から実際の生き方まで、いわば親の全人格を見て自分の人格を築いていく。私は親父の価値観や生き方を反面教師として自分の人格を形成してきた。反対に由美は、多くの部分で批判や反発もあったが、コアの部分では、私の生き方や価値観の影響を受け、それを取り込んで自分の人格を形成していったように思える。そうであればこそ逆に、由美から見て、常に前向きに硬派として生きてきた私の存在が、「自然体」で生きようとする由美にとって、大きなプレッシャーになったのだと思う。これは確かに、親の意思でそうしたわけではないので、どうにもならない事なのだ。しかし、どうにもならない事であるだけに、あの時あんなこと言わなければ良かった、またあの時、何故もっと真剣に由美の話を聞いてやれなかったのか、という数多くの悔悟の念と重なり、私の気持ちを一層重苦しくする。

大小二十冊余りのノートに書かれた膨大な分量に及ぶ日記を読了した時、私は改めて、由美・山田花子の、人間としての、また表現者としての凄まじい生き方と自分自身に対する厳格さに驚嘆した。私は由美に比べれば遥かに不純だった。幾度も妥協したし、自分をごまかしもした。それでも、私は自分に寛大なので葛藤にならなかった。反対に由美の場合、余りに純粋で、余りに自分に厳格であり過ぎた為に、妥協したり自分をごまかすことができず、より正確に言うならば、一旦は妥協したり、ごまかそうとした自分が情けなくなり、葛藤が生じて苦しみ続けていた。

ヤングマガジン』『ガロ』『リイドコミック』など、生前、私は山田花子の作品を可能な限り入手して読んでいた。山田花子の作品を読むことは私の最大の楽しみの一つだった。しかし、当時の私には、山田花子の作品が持つ深刻きや本当の面白さが分かっていなかった。ただ漠然と「自分の体験を描いているんだ。この娘は苛めで負ったトラウマを一生引きずって行くのかな」などと思っていた。『ガロ』九十年九月号から連載され始めた「オタンチン・シリーズ」に主人公(作者)マサエの他にもう一人、作者の分身と思われる事態の冷静な観察者としての「山本さん」が登場する。楽天家の私は当時、「由美も少しは自分を突き放して客観的に観察することができるようになったのかな」などと考えていくらか安心していたものだった。しかし、由美の死後、遺品の中から出てきた「ノゾミカナエタマエ」という作品を読んだ時、もしかしたら「山本さん」の登場は、山田花子の精神生活上もっと深刻な意味を持っているのではないかという疑問を抱くようになった。

九三年夏~秋に、芸術家としての山田花子に深い関心を抱かれた香川医大精神科の石川教授が我が家を訪れた時、私はかねてからの疑問をぶつけてみた。教授はおおむね以下のような話をして下さった。

普通、作家は自分自身の冷静な部分を作中人物として登場させるようなことはしません。作家はそれを自分自身の内面に確保しておいて描くからです。山田さんが自分自身の冷静な部分を、作中人物として登場させたということは、当時自分自身で精神のバランスを維持することが極めて困難になっていたということを意味します。つまり、作中に自分自身の冷静な部分を具象化することによって、辛うじて精神のバランスを維持していたと言えます。

しかし、この段階では、ほとんどの精神科医は「病気」とは診断しないでしょう。この段階では有効な治療方法がありません。薬を与えますと、かえって発病を早めてしまいます。もし、どうしても発病を阻止しようとするならば、自分自身に関心を向けさせないこと、自分自身のことを描かせないようにするしかありません。しかし、そうしますと、その人の芸術家としての才能を殺してしまうことになります。ここに精神科医としての私と芸術愛好家としての私のジレンマがあります。

芸術家は、特に自分自身のことをそのまま作品にするタイプの芸術家は、「正常」と「異常」との間にいるような時に、もの凄い創造的なエネルギーを発揮して、常人では到底できないような素晴らしい作品を生み出すことがあります。山田さんの場合がそうです。自分自身のことをそのまま作品に描く芸術家は、たいてい最後には心の病になります。これは悲しいことですが事実なのです…

山田花子は九一年五月ごろ、『ヤングチャンピオン』誌に「ノゾミカナエタマエ」と題する作品を連載していた。主人公(作者)山田花吉が我儘女のセックス奴隷になり下がり、遂には自分自身のもう一つの分身として作中に登場する。プライドに見放されてしまうというストーリーの作品である。

山田花子はまた九一年十二月に、『アライビー』九二年二月号に掲載する予定の「新智恵子抄」と題するコラム原稿を書き残している。この作品では、近所の主婦の噂話という形をとって、同じ団地に越してきた若妻が追い詰められて発狂し、精神病院に入院してしまうまでの過程が淡々と語られている。この作品のコンセプトを指示する紙片に「自分自身の現実の姿を他者の視点で徹底的に客観視して描く」と記されていた。

山田花子は、プロデビューして以来一貫して、自己の内面の葛藤と苦悩を、作中人物に託して描き続けて来た。山田花子は最後の一年余り、「正気」と「狂気」の狭間をさまよいながら、創作活動を続けていたのであろうか?

嘆きの天使」「ファントム・オブ・パラダイス」「忘れられた人々」「エル」「マルチプル・マニアックス」「ポリエステル」等々、私は由美が見ていた映画を片っ端からみた。蛭子能収丸尾末広根本敬山野一など諸先生の作品も読んだ。中でも「四丁目の夕日」は凄い作品だった。ジョン・ウォーターズ山野一の素晴らしいところは、山田花子の言う「常識の嘘」を徹底的に暴き出し木っ端微塵に粉砕してしまうところだ。見ていて爽快な気分になる。

(月刊『ガロ』1986年6月号より山野一『四丁目の夕日』扉)

由美と私は元々趣味の周波数が近かった。由美や真紀が子供の頃、赤塚不二夫水木しげる小林よしのり日野日出志などの漫画を一緒になって読んでいた。映画も好きだった。主流はフィルム・ノワールロジャー・コーマン系のB級ホラー。しかし、私は漫画や映画を単なる「娯楽」としてしか見ていなかった。私が怖くて見ることができなかった、人間存在の真実に迫る芸術作品に引き合わせてくれたのは、由美・山田花子だった。

最近読んだ本では根本敬『因果鉄道の旅』が素晴らしかった。私にはこの本に出てくる内田という男の話が格別面白かった。内田が「実際にやっている事」と「自分がやっていると思っている事」の落差の大きさから笑いがこみあげてくる。根本氏の凄いところは、内田に「お前もうやめろよ」とかおためごかしの忠告などせずに「情報」を集めて、内田の思考回路や行動パターンを冷静冷徹に観察しているところだ。たぶん、根本氏は、この「とんでもない奴」を冷静冷徹に観察することによって、人間存在の真の姿を、人間の冷酷残酷さ、業の深さを見極めようとしていたのだと思う。

人間は自己の様々な欲望を充足する為に、他者を踏みにじり収奪する。また人間はエゴや保身の為に他者を差別し抑圧する。意識的であるか、無意識的であるか、また、犯罪にまで走るか、合法の枠内に踏み止まっているかは別として、これは誰もがやっていることなのだ。動植物など他の生命体を破壊することなしに生きていけない人間は、本来的に残酷で、“業”の深い生き物なのかも知れない。

根本氏の観察の対象が主に他者であったのに対して、山田花子の観察の対象は自分自身だった山田花子は自分を苦しめるいじめっ子を軽蔑していた。しかし、彼等を軽蔑することで、実際には、彼等にどーしてもかなわない自分自身のふがいなさをごまかしている事に気付いて一層惨めになり苦悶した。山田花子はまた、いじめっ子同様、自分自身の内面にも、冷酷さ、残酷さ、差別意識等がある事に気付いて苦しんでいた。山田花子が「自分自身の内面にある冷酷さ、残酷さ、差別意識」と言う場合、それは第三者からみれば、ほんのちょっとしたエゴ、保身、意地悪程度のものであった。しかし、繊細でナイーブな山田花子にとっては、それが耐え難い苦痛になり、激しい内面の葛藤の源になった。山田花子ほど厳格且つ深刻に自分自身の業の深さを見詰めて、それをそのまま作品化してきた作家はそう多くはないだろう。山田花子はやはり、特殊漫画家―真の芸術家だったと思う

山田花子がプロの漫画家として活動した期間は、僅か四年余りの短いものであった。この間に山田花子は、多くの方々―漫画家、ミュージシャン、イラストレイターなど様々な分野の芸術家や編集者、読者の皆さん―と出会い、何らかの形で交流を持った。これらの方々にとって、山田花子と関わりのあった期間は、長い人生に比べれば、ほんの瞬きする間ほどの短いものだった。にもかかわらず、山田花子の作品とその死は、何故か多くの人々に強烈なインパクトを与えた。生前山田花子と親しくお付き合い頂いた方はもちろんのこと、ほんの一~二度しか会ったことのない方や、恐らくただの一度も会ったことのない読者の方々までもが、真心のこもった追悼文を寄せて下さった。

山田花子は、ジーコ内山さんのライブに行った時に配られたアンケート用紙に「人生一回きりなんだから、どんどん好きなことやった方がいいですよ」と書いたという。山田花子は、妹と一緒にバンドを組んでライブハウスに出演した。演劇もやった。同人誌を作り、エッセイを書き、イラストも描いた。そして何よりも漫画を描いて、数は少なくても、どんな有名漫画家でも出会えなかったような熱烈な支持者、読者に巡り会えた。また、根本さん、蛭子さん、井口さん、知久さん、友沢さん、みぎわさん等を初めとする多くの素晴らしい芸術家の方々と出会い親しくお付き合い頂いた。一見すると、由美・山田花子は全くの絶望のドン底で自ら命を絶ったように見える。しかし、私には深い絶望感と共に、「やりたいことは一通りやった。この先生きていても辛いことばかり。もう終わりにしたい」というような諦めの気持ちも入り混ざったささやかな満足感もあったように思えるのだ。前日までの悲し気で苦し気な表情とうって変わって、その死顔は静かに眠っているかのように穏やかであった。


一九九四年二月末 父記す


佐山哲郎インタビュー『コクリコ坂から』原作者初告白「ポルノ小説家から住職になるまで」

公開後3日間で45万人を動員したジブリの新作『コクリコ坂なら』(宮崎吾朗監督)。原作を書いた佐山哲郎さん(63)は、現在は寺の住職、かつてはなんとポルノ小説も書いたという、波乱に富んだ経歴の持たち主なのだ。

映画は1980年に『なかよし』に連載された少女マンガのアニメ化。佐山氏が当時を振り返る。

初回が新年号の巻頭カラーでした。作画の高橋千鶴さんを売り出そうと、編集部が力を入れた作品だったんです

しかし連載6回目までいったとき、あと2回で打ち切りと決まった。

映画の脚本を手がけた宮崎駿氏は、原作について、〈不発に終った作品〉〈結果的に失敗作に終った〉と厳しい評価を下しているが、佐山さんは、「大長編にするつもりで伏線を張るだけ張って、これから面白くなるところだったのに……」と苦笑する。

佐山さんは1948年、東京に生まれ、67年に都立大人文学部へ進んだ。「学生運動と麻雀ばかりしてました。学内バリケードで火炎瓶の投げ方を教えたり、麻雀は生計を立てられるほどの腕前になった

四年間在籍したのち、大学は中退。小さな広告代理店に勤めていた、あるとき。旧知の編集者から、「老大家が書いた少女漫画の原作あまりに古めかしいのリライトしてほしい」と頼まれた。二晩徹夜したその仕事のギャラは、もらっていた月給の三倍だった。これを機に、佐山さんはサラリーマンを辞め、少女マンガの原作者になったという。

 

名著『性生活のワル知恵』

コクリコとは、フランス語でひなげしのこと。

タイトルをつけるのだけは上手いんですよ(笑)。少女マンガの原作は、ホラーやサスペンスものを中心に20本ほどやりました。『タランチュラのくちづけ』というのもあった。男装してアマゾン奥地の探検隊に加わった少女が、実は毒グモの末裔で……というお話。少女の心理なんて書けないから、ストーリーで引っ張り回すだけ(笑)

その後、誘われて群雄社という新しい出版社の編集長になった。当時作った本を挙げると、『性生活のワル知恵』は、著者・山本晋也、挿絵・黒鉄ヒロシ、帯は吉行淳之介という豪華な顔ぶれ。その内容は、

SMを利用してダイエットする、メチャクチャな本でした(笑)

色単~現代色単語辞典』は、ポルノ小説に出てくる“色ごと用語”を数千も集めて分類。05年に復刊された“隠れた名作”だ。

 “編集家”の竹熊健太郎君が、持ち込んできた企画。擬音も入れることにしたら、あるページには『ヌルヌル』『ネチョネチョ』みたいな項目ばかりに(笑)

その後、二、三のペンネームを使い分けてポルノ小説を書いた時期もあった。しかしこの仕事は、

向いてなかった。根っからエッチじゃないと、あれは書き続けられません

その頃には、生家である台東区根岸の浄土宗西念寺に戻って、すでに住職の仕事を始めていた。原作者から見た映画の感想は、

設定が1963年に変わっていますが、ちょうど僕自身が、登場人物と同じ高校生だった時代。当時の風俗が細かく描かれていて、感動しました。試写会のとき、作画の高橋千鶴さんは隣で泣いていましたね

多才ぶりはいまも変わらない佐山氏。六月には『童謡・唱歌がなくなる日』(主婦の友新書)という著書を出したばかり。最新の句集も近々刊行されるという。

(初出『週刊文春』2011年8月4日号)

【蔵出】幻の『色単』について: たけくまメモ

うそかまことか、まことかうそか、うそからでたまこと──メディアリテラシーは現代を生き抜くためのサバイバル術!?

僕はよくウィキペディアの編集を行ってる。もちろん書き込む内容は分かりやすく要約している。森達也著『たったひとつの真実なんてない』という本では「分かりやすくする」ことの危険性が色々と書かれているが、それでも伝えるべき情報を切り下げたり切り上げることなく、過不足なく伝えることが出来ていると自負しています。

そもそもウィキペディアには文字数の上限がないので、自身が編集した記事(下記にURLを記載)を見て貰えば分かると思いますが、ものすごく膨大な内容になっているものが多々あります。逆に言えば、これほど膨大な内容でないと、些末な事柄であったとしても、その全体像は伝わってこないってことかもしれません。そしてこれはありとあらゆる事物に対しても言えるのです。

しかし、新聞やテレビなどのマスメディアでは制約(文字数や頁数、放送時間など)があるため、一部を切り取ってでしか伝えることが出来ない。ゆえにマスメディアからの情報だけでは、出来事を正確に捉えることが出来ないというわけです。

…まあ自身がウィキぺディアに散々雑文を書き散らしておいて言うのも何ですが、不特定多数の人間が書き込めるウィキペディアを、これまた多くの人間が何の疑いもなく信頼(盲信?)している現状については、僕は決して良いといえないと思っている。

「分かりやすく」「出典を明確に」「推測は必要最低限」をモットーとしている自分にとって、これは絶対にありえないことですが、僕であろうと、誰であろうと、例えば悪意ある人間がいたとして、それで悪意ある記述を、もっともらしくウィキペディアに書き込むっていうことは、十分にあり得ることでございます。

なにせ適当に出典を明示して、有ること無いことを書けば、いくらでも誤魔化せてしまえるのですから。

これは、恐ろしいことですよ。

事実、僕がウィキペディアに書いた文章は多くの人によって「事実」として支持され、しばしば引用されたりもしますよ。つまり誰が書いたかわからないよーな胡散臭い文章が「信頼」をもって迎えられているわけですね。これはイケナイ。

話は飛びますが、本書にあるように20世紀初頭は映画・ラジオ・新聞などの「マスメディア」が急速に普及しました。しかし、それからわずか数十年で人類は悲惨な世界大戦を二度も起こしてしまいました。

本書の著者は、マスメディアの登場以前にファシズムなんて危険極まりない政治思想は存在しえなかったと書いています。もちろんマスメディアだけが悪いわけでなく、戦争の原因はそれを支持する「大衆」と、それに迎合する「メディア」との「共犯関係」の上にあるということも、しっかりと書かれてありました。

しかし、近年の諸外国からは、送り手(マスメディア)と受け手(国民)の間で激しい乖離が起きているという印象を受けます。

その最たる例が米大統領選で勝利したドナルド・トランプ大統領で、彼はSNSを巧みに扱って大衆の支持を集めて、リベラル寄りのヒラリーを支持していたマスメディアの予想を大きくぶっち切って、ついに大統領になってしまいました。

そしてトランプ大統領はここぞとばかりにナショナリズム国民主義)を政策で打ち出します。当時の西欧諸国は難民問題などもあって、国民感情としては排外主義(あるいは右傾)が強まってましたが、建前上は良い子ちゃんメディアであるマスメディアには、とても「不法難民を追い返せ!」なんて口が裂けても言えないような状況でした。

この選挙戦は、本音と建前でメディアとSNSが揺れた歴史的出来事であり、同時にテレビという“オールド・メディア”が、SNSという“ニュー・メディア”に敗北した歴史的瞬間でもある、と僕は思っています。

念頭に置いてほしいのはSNSにしろインターネットにしろ、その本質は「真偽の分からない情報が玉石混交に入り混じった、中立なんて程遠い無法空間みたいなもの」ということで、知的余裕と感情的余裕のない垂直思考の持ち主には、これら情報を分別できる能力はありません。日本が急速に右傾化したのも、この前の杉田水脈騒動も、私にはネットの影響が強く関わっているように感じます。

悪意を伝播するのにインターネットというメディアは残念ながら非常に効率的です。たった一人の工作活動で世論・印象を人為的に操作してしまうことが十分に可能なのですから。

メディア・リテラシーとは、情報化社会をサバイブするために、そして二度と大戦を起こさないために、全人類が自ずから備えておくべき必要がある「必修科目」になるに違いないでしょう。(了)

 P.S 虫蔵が編集した一部のウィキペディア記事については下記にURLを記載しておきます(いずれも初版記事を作成)。

https://ja.wikipedia.org/?curid=3642006

https://ja.wikipedia.org/?curid=3792893

https://ja.wikipedia.org/?curid=3241728

https://ja.wikipedia.org/?curid=3810236

https://ja.wikipedia.org/wiki/POSO

https://ja.wikipedia.org/?curid=2856251

https://ja.wikipedia.org/?curid=3032557

https://ja.wikipedia.org/?curid=3207612

https://ja.wikipedia.org/?curid=2723976

https://ja.wikipedia.org/?curid=3005467

https://ja.wikipedia.org/?curid=3732459

https://ja.wikipedia.org/?curid=3630309

また初版を書いたわけではないけれど、7~9割ほど編集に関わったことがある記事は以下の通りです。

https://ja.wikipedia.org/?curid=58462

https://ja.wikipedia.org/?curid=1114612

https://ja.wikipedia.org/?curid=128794

https://ja.wikipedia.org/?curid=527304

最後に、あとがき的な蛇足を2つ書かせてもらいます(本来の意味で「蛇足」この上ない内容なので、別に読まなくていいです)。

1.世の中の情報は「僕」または「あなた」というメディアを通して伝達されます。いま書いた僕の文章も、僕が外界で見聞きした情報や経験を、僕という「メディア」が集積して加工し偏見も交えて情報化したものです。

それは言葉に、文字に、態度に、意識になってありとあらゆる場所に伝達されて行きます。しかし、受信~発信の過程で「歪み」が生じる事があります。これが「認知の歪み」だったり「フェイク・ニュース」だったりの原因になっているのでしょう。人間は時代性と信憑性を事細かに反映しているという意味で、やはりメディアそのものなのです。

2.しかし、他人から知覚される「僕」は、しょせん「他人」と「僕」の「中間点」にある「フェイク・メディア」に過ぎず、決してそれが「本質」だったり「正体」だったりするわけではない。

たとえば僕のことが大嫌いなAさんから見た「僕」と、僕のことを好いてくれるBさんから見た「僕」とでは、ほとんど別人だっていうこともあるかもしれない。

それは私からしたら「僕」ではなく、ほとんど「誰」なんだって話だけど、この「誰」かと「僕」とで生じるズレは決して「フェイク」でなく紛れも無い「真実」であるわけです。

もちろん100人いれば100通りの僕がいて、そのいずれもが「真実」であり「フェイク」である、といえるかもしれない。

前述したように「僕」と「他人から知覚される僕」は基本的に別人です。僕からしたら「他人から知覚される僕」は、僕と他人が便宜的に用いている「フェイク・メディア」に過ぎません。

しかし「他人から知覚される僕」もまた、他人にとっては紛れもない「真実」であるわけなのです。

だって僕という「メディア」(フェイクにしろリアルにしろ)が成立するには、あなたという「メディア」(これもまたリアルにしろフェイクにしろ)が必要不可欠なんだ。だから感謝しなくちゃいけない。僕の話をここまで聞いてくれたメディアの皆さん、どうもありがとう。

3.最後に参考になるかは分からないけど、今手元にある「オカルティズムとアフリカン格闘技と昨年度のマット界」(美沢真之助/79年5月発行『本の雑誌』12号所載)という記事を紹介してみよう。

この記事では「ヨルバレ族」というスーダン北部ナンラ地区に住む民族が紹介されている。それによれば、ヨルバレ族は「嘘」と「事実」の間に余り「区別」を設けず、「以下の対話」を了解することが、通過儀礼(イニシエーション)において重要なポイントになっているという。

▲―完全に八百長であるとも、事実であるともいえないときはどうか?

〇―それは八百長ではないし、事実でもない

▲―では、一体、それは何なのか?

 〇―八百長であり、事実である。

これは、250年ほど前に、アフリカのヨルバレ族の首長と呪術師との間で交わされた対話だそうだ。「メディア表現論」の受講生を悩ます「うそかまことか、まことかうそか」といった禅問答的ないし社会的公案の「回答」は、きっと彼らの思想にあるのでは?と僕は勝手に解釈している。……世の中には「噓から出たまこと」だってあるのだから。

ロックバンドがフジを電波ジャック 生番組の怖さまざまざ

ロックバンドがフジを電波ジャック 生番組の怖さまざまざ

 

フジ系の生番組「ヒットスタジオR&N」で十三日深夜、タイマーズというロックバンドが、二曲目に突然、―FM東京腐ったラジオ、最低のラジオ……などと、わいせつな言葉を交えながら歌った。

このバンドは、正体不明というふれ込みの四人組だが、実は中心人物がRCサクセション忌野清志郎。彼は昨年、反原発の思いを一部に込めたアルバム「カバーズ」を発表、これが一時発売中止となって話題を集めた。その時、FM東京原発問題を扱った曲の放送を自粛した。

加えて、忌野が別のバンドのために詞を書き、九月に出た「谷間のうた」が、FM東京FM仙台で放送自粛の憂き目に遭っている。この曲は、思わせぶりな表現が続くものの、コードに触れるような言葉はない。それで、―何でもかんでも放送中止さ、という怒りにつながったようだ。

この“抗議行動”を、よくぞやったと評価したり、面白がったりする人もいるだろう。だが、電波ジャックをしての特定局の中傷は、少なくとも公平ではない。また、アルバム発売を来月に控えているだけに、宣伝、話題作りと勘ぐられても仕方がない。

フジの幹部は「リハーサルをやりながら、このような発言が出たことは遺憾」と言い、FM東京に陳謝した。今回の出来事は、深夜を中心に増えている生番組の怖さの一例。(ま)

 

読売新聞 東京夕刊 1989.10.19 芸能  13頁

フジの『ヒットスタジオR&N』(89年10月13日放送)にタイマーズが生出演して起こした”あの騒動”は読売新聞の芸能面にも載っていた。

が、結局のところ「やりすぎではないか」という見せかけだけの正論に終始した、実にくだらない内容だった。ていうかゼリーの正体を忌野清志郎ってバラすなよ(笑)そもそも「深夜を中心に増えている生番組の怖さ」とは何なんだ(笑)もっともらしく語っている感じが鼻についてしょうがない卑怯なやり口の記事だった(了)

 

www.youtube.com

はじめから「真実」なんてなかった―メディア表現論から―

はじめから「真実」なんてなかった

むしづか☆むしぞう

戦場を記録した写真や動画は、あくまで現実だし、決して虚構(ガセ)ではない。

だが、いくらでも「演出」が出来る。

近年のイスラム過激派には若者が多いというが、きっと彼らは激派がネットに発信したプロパカンダなんかを見てうっかり組織に入ってしまったのだろう。彼らは悪意あるメディア(というのにはあまりに稚拙なテロメディア)の「演出」を見抜けなかったわけだ。

戦時においては、戦場の記録は「プロパカンダ」になり、報道機関は世間の印象を操作する「洗脳メディア」と化す。もちろん都合の悪いことは全部フレームの外に追いやられ、真実はいとも容易く歪曲されるか捏造される。

こうなると民衆はもはや「何が真実か」なんて分からなくなるだろう。もはや「真実」という「概念」が瓦解しているのだから。

戦後、日本の価値観は軍国主義から民主主義にひっくり返った。言うなれば、それまであった「真実」は「大罪」になり、「大罪」は「真実」になったようなものである。まるではじめから「真実」なんて無かったとしか思えない転回(展開)だ。

私たちがメディアを通して知覚できる「真実」は、第三者によって常に「演出」されたものであり、しょせん「真実」はメディアによって日々濫造される「加工食品」のようなものに過ぎない。「演出」(やらせ)は「添加物」みたいなものだろう。

腐ってしまった味噌や豆腐に毒物を添加して作った味噌汁を「あまり美味しくないなあ」と無自覚に思いながら食べているのが日本人の現実です。「洗脳は舌から」、これがGHQ以来の戦略だったのでしょう。そして、メディアや文化についても同じことが言えるのです。

とか何とか言ったのは著書に『メディアになりたい』を持つ自称「メディアマン」の高杉弾だ。この発言はもう18年も前のものだから、9.11テロやイラク戦争よりも前のことになる。

とどのつまり「情報の偏食」はネトウヨや左翼ゲリラ、差別主義者にテロリストを生むのである。情報も食品も「鮮度」が大事だが、これからは多角的な視点を万遍なくとっていく必要があるだろう。ようは自然のサチも一杯食えということだ。

当然「人間には一度にはほんの少しのことしか把握できない」(スタニスワフ・レム)。そして人の数だけ「真実」があるのなら「真実」は一つのはずがない。しかし世間が支持する「真実」などに、本来の意味での「真実性」などこれっぽっちも残っていない。

一つ一つの事実は歪んだ鋳型(メディア)にはめられ、歪んだ形で大衆に伝達されている。さてメディア・リテラシーの行方とは…

(これがメディア表現論の最終的な帰結―着地点―になるのではなかろうか?)

最後にちょっとだけ言わせてもらうと、もはや人類は「ガセネタの荒野」に辿り着いてしまったのかもしれない。

ロリータ順子インタビュー「私が何で一部で支持されたかっていうと、白痴性とロリータ性とヴァージニティ、その3つだと思うの」

ロリータ順子インタビュー

ロリータ順子(本名・篠崎順子)

1962年(昭和37年)3月11日生まれ。A型。ニューウェーブ雑誌『HEAVEN』『月光』にエッセイ等を執筆した他、バンド「だめなあたし」「タコ」で山崎春美町田町蔵らと共にボーカルとして活躍し、戸川純とも交友を持っていた。持ち曲にタコの「嘔吐中枢は世界の源」がある。1987年(昭和62年)7月1日、夏風邪をこじらせ、咽喉に嘔吐物を詰まらせて永眠。享年25。

創作活動

f:id:kougasetumei:20181012193605j:plain

タコの時、私が何で一部で支持されたかっていうと、白痴性とロリータ性とヴァージニティ、その3つだと思うの。自分の中で創作活動をしてる意識って全く無かったから。自分はアーティストではないと…。音に走るよりは活字の人だから、まあそれをやりたいなと。じゃあ何をすべきかっていうと、活字を好きっていうのは単に活字中毒っていうのもあるんだけれど、活字を信用してるっていうのは全然無くて。創作活動って常に新陳代謝していないと、自分の中におりかたまっていくようでそれが気になって。

 

ロリータ順子のイメージ

山塚アイさんと同じ待遇を受けてると思ったわ。Phewみたいに伝説になってて、復活したというだけで、みんなに「あーっ」と言われるのと、私が復活して「あのバカ何やってんだ」と言われるのじゃホント差があるからね。イメージが先行してるから、ホントやりにくいと思う。例えば山塚アイさんとやるという具体的なプランがあったとしても、そういうジャンルでは意味が無いと思うの。商品鮮度が落ちてて。何でかっていうと、女の子ってヌードだし、売春婦でしょ。そういう意味で自分にはそういうものが全く失せていると…。

f:id:kougasetumei:20181012175123j:plain

(19才のロリータ順子)

 

ケンカ

(町田)町蔵が流血沙汰起こすっていうようなイメージが、相当浸透してることに驚いたんだけど。実際活動してて、あの人は他人から殴りかかられても殴りかえさないし、争わないし、自分からケンカ売るようなことも全くしないのよね。だけど最初に「イヌ」を出した時点で、攻撃性=パンクで、テロリズムっていうのがみんなの中に成立しちゃってて、イメージがどんどんて先行して損してるのね。そこへいくと山崎(春美)はずるかしこくて。山崎がケンカ売るだけ売って、あとはひっこむから、自分が殴られる前に。いつも町蔵は「あーやめーな」とか言ってる内に殴られる。

私は争いはいや!個人個人が自分の中で超越したのをもっていると、他人はどうでもよくなるのよね。そういうのってすごいコワイ世界だと思う。だからノータッチでいたいし、争いは嫌だし。

 

深みにはまると愛情って死に向かうところがあるてしょう。だから、「心中しよう」とは殆どの人に言われたんだけど。さすがに今はセーブしているんですけど。愛憎裏腹っていうけれど、例えば男の人とつきあっててよく「母性的だね」って言われるのね。でもそれは、人間の母親が赤ちゃんを抱いて可愛がるというようなものではなくて、「あーどうしよう、この子だめになっちゃうわ」と思ったら食べちゃうような。私はいつもお母さん役と子供役両方やっちゃうから。それに女を加えると、女って娼婦でもあり、妹でも姉でもあるから。だから1人で5役演じなきゃならない。

私、「男を殺す」とか悪口言われるけれど、それはすごく悲しいのね。相手とつきあっている時に、私の中のエナジーを「あー吸い取られてるな」って思うのね。こっちも吸い取ってるけど。吸い取る量がすごく多い気がするのね。

 

男たらし

マイナー業界の女の人達がねぇ、私の一番嫌いなことが何かっていうと、イメージでね、私は知らなかったんだけれど、「男たらし」だって言われた。それが悲しいです。私は「男たらし」になれないから、自分の中のストイックな面を保とうとしている方向にあるのに、みんな違うベクトルに解釈してる気がする。

ミニコミ誌『ラフレシア』より/1986年

 

娼婦は処女、非処女に関係なく女であるということですべからく娼女であり、それは或る意味でグロテスクな迄に美しい」(『娼婦と少女と―売春考』)

(ロリータ順子と戸川純

 

自殺未遂ライブ(1982年9月1日)

山崎春美(痙攣自傷、出刃包丁)

ロリータ順子(ヴォーカル)

篠田昌已細川周平向島ゆり子(伴奏)


www.dailymotion.com

 

 

TACO/ガセネタ

1983年夏に行われたタコのライブ

 

山崎春美&雑誌『HEAVEN』が主宰していた伝説のコンサート「天国注射の昼(Live at 日比谷野音 1983.08.21 / 09.17)