ケラのブログ

身辺雑記

アニマ=萌え、という仮説

我妻正明「アニマ=萌え、という仮説」(便所蟲/Vol.0)

 

 世の中のカワイイものの大部分は男性(=ほぼオッサン)が生み出している(らしい)が、これはユングのいう、男性の普遍的無意識内に存在する女性像あるいは女性的側面「アニマ」と呼ぶ現象とだいぶ重なってる気がする*1

つまるところ「萌え」は男によるアニマの産物といえないだろうか?*2

男の創作に、男が萌える、そんなループ構造で完結する日本のオタクカルチャーは究極のアニマ社会だったのかもしれない。いやー不健康だよね!(笑)

でも若い世代のオタク人口が増えて「コスプレ」にしろ「オタサーの姫」にしろ男的ループ構造に女性が介入してきている側面もある。その究極形がオタ活。凄い時代になったもんだよ本当。

あと私はリアリストなので「男が男に媚び売ったよーな萌えキャラ」は、現実に女性と接点の無い「陰キャ系オタク男子」を性的に惑わし、謀り、搾取しようとするブラフにしか見えない。

私がオタク文化と距離を置くのはその辺にあるんだけど・・・「ファンタジー」と「リアリズム」を切り離せない不器用な自分が悪いのかも笑

*1:そもそも男らしい/女らしいという概念は社会通念上の仮面(ペルソナ)に過ぎないので、表面上の性認識は「虚像」とすら言えるかも。

*2:アニマに対して女性の無意識の中にある男性的な面を「アニムス」という。女性作家の創造するボーイズラブもまたアニムスしかりか?

青山正明「六年四組学級新聞」第2回

青山正明「六年四組学級新聞」第2回

初出:突然変異(突然変異社)第3号

 

先月(10月)の17日、私は二階の自分の部屋で独り横たわり、友達ののんこから借りた「おはようスパンク」の第2巻を読んでいました。

すると突然何かおへその下の方に、うずくような感じがしました。あっと思ってスカートの中を覗いて見ると、ももの所まで赤いものがくっついてました。

女の子から女になった私。クラスのみんなはもうすんだのかな。きもちわるいけど、大人になったって感じ。これからは、お姉さんらしくしなくちゃ。しっかりしなくちゃ。

好きな男の子が私のこといやがらないかしら。不潔だなんて言って……。やさしい男の子なら分ってくれるわね。喜んでくれるわね。私、大人になったんですもの。

人はどうして大人になると、悲しい恋をするのかしら。私は、私のこの手で夢をつかむの。ステキな事がいっぱい起こって、ステキな人が私を待っていてくれる。きっと素晴らしいお嫁さんになるわ。たくさんの子供たちに囲まれて……。

 

ここ2~3年、夜半ふと目を覚ますと、そのまま朝まで眠れない事がしばしばでした。台所仕事をしていると、ポッと顔がほてったり……。

歳40も半ばを過ぎた頃、覚悟はしていました。そして、今年。偶然にも一番下の娘にお祝いをしてやったこの年に、とうとうその時を迎えました。

少女の夢を追い、それが実を結び、平和な家庭を築き、子を生み、育て、女としての存在が絶対的なものとなった今。あの時、幼な子から女になったように、今度は再び、女をはなれ、人間としての完成に向かいます。

老年というのは、人生を見下ろす豊かな高みに、ゆっくりした足どりで歩む時期でしょう。時期ここに及んで、私にもまだ一つ夢があります。

若い頃知りあい、ずっと私のそばにいてくれた夫。私の人生というほんとうにささやかなドラマをいっしょにこしらえてきてくれた夫。そんな夫と、そっとお互いの手をとって、安らかな人生の終息を迎える夢が……。

ねこぢるyインタビュー ねこぢる/ねこぢるy(山野一)さんにまつわる50の質問

ねこぢるyインタビュー
ねこぢるねこぢるy山野一)さんにまつわる50の質問

質問者:木村重樹ペヨトル工房

 

【1】まずは、故・ねこぢるさんにまつわる話を、山野一さんに伺えたらとおもいます。最初に、ねこぢるさんと山野さんの出会いみたいなことを(さしつかえない範囲で)教えていただけますか?

◎知り合いの知り合いです。

 

【2】ねこぢるさんはどういう子供だった(と、本人はおっしゃられていた)のですか?

◎最初におぼえたことばが「ばか」でだれに対しても「ばかばか」と言ってたらしいです。当時自宅庭にあった小さい噴水が好きだったそうです。

 

【3】ねこぢるさんはどういう学生(高校~大学生)だったのですか?

◎音楽が好きでライブばかり行ってたようです。

 

【4】山野さんがねこぢるさんといっしょに漫画書き始めるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?その頃、つまり『ねこぢるうどん』等、最初期の作品を製作していた頃の、お二人の役割分担……みたいなところを説明していただけませんか?

ねこぢるが紙にいたずら描きしてた猫の絵が魅力があったので、私が筋をつくって漫画にしたのが初めです。

 

【5】“ねこぢる”というキャラクターは、どういうふうに考えつかれたのでしょう?名前の由来と、あのキャラクターの姿格好の由来などを、教えください。

◎はじめは「ねこぢるし」という名前でしたが、「ねこぢる」のほうがいいと本人が言い出したのでそうしたと思います。初めは適当に描いてたものが、数をこなしてるうちにああいう形にまとまってきたんだと思います。

 

【6】フキダシ内部の文字が写植ではなく手書きなのが、ねこぢるワールドをまたいっそう“それらしく”している要因だと、個人的には思うのですが、あれはどういうことでそうなったのですか?

◎本人が手書きのほうがすきだったんだとおもいます。

 

【7】ねこぢるの作品ストーリー展開は、彼女が観る“夢”ノートのようなものを、山野さんが肉付け~あるいはアレンジされたものだ……みたいな経緯は著書のオマケ等でも解説されていましたが、そういう“夢日記”みたいなものはまだまだたくさんストックがあるのでしょうか?

◎もうあまりありません。

 

【8】『ぢるぢる日記』というエッセイまんがは、僕自身は、『ねこぢるうどん』みたいな寓話ものと同じくらい……いや、時にはそれ以上に面白いと評価していて、(いささか大層な言い方ですが)世の真理みたいなことを、あの1コママンガとそんなに長くない文章で、いろいろ解き明かしてくれるようで、何度も読み返している一冊なのですが、またどうして、ああいうタイプのエッセイ風の連載をするようになったのですか?またねこぢるご本人は、それを楽しんで書かれていましたか?

◎そういう形で連載するように言われたからだと思います。めんどくさがっていたようですが、時にはたのしかったのかもしれません。

 

【9】ねこぢるさんの、かつての生活サイクルなどあったら、教えてください。

◎仕事のせいで不規則でした。徹夜したり一日中寝ていたり……。

 

【10】ねこぢるさんの好物……飲食物、嗜好品、テレビ番組、タレント、映画本、服、おもちゃ、人間……等々、思いだせる限りでけっこうです、教えてください。

◎好きな食べ物は、サブウェイのツナサンドとか野菜。はっさく、たばこはセーラムピアニッシモ、酒はバーボン、ジャックダニエルかフォアローゼス、映画はデビッド・リンチやクローネンバーグなど、おもちゃはブラックライトで光る装飾品など、黒いショートブーツばかりたくさん持ってました。

 

【11】ねこぢるさんはテレビゲームに、けっこう熱中されていたみたいですが、好きだったゲームとは、どんな種類のどういうタイトルでしたか?そのゲームの世界は、マンガにも反映されていましたか?

ファイナルファンタジーがいちばんすきなシリーズだったとおもいます。漫画にも影響してるとおもいます。

 

【12】ねこぢるさんはエイフェックス・ツイン(リチャード・ジェイムズ)が、大のお気に入りだったようですが、彼の作品のなかでもとくに好きだった曲/ディスクなどありますでしょうか?また彼(リチャード・ジェイムズ)以外のテクノでは、どんなものを好んで聴いていましたか?

エイフェックス・ツインアンビエントワークスとリチャード・D・ジェームスアルバムが特に。他はオービタル、ブラック ドッグ、ジャム&スプーン、スクエアプッシャー、セーバーズオブパラダイス、オーブ、 テクノバ、ドラムクラブなど。

 

【13】ねこぢるさんはハルシノゲン(サイモン・ポスフォード)も、大のお気に入りだったようですが、彼の作品のなかでもとくに好きだった曲/ディスクなどありますでしょうか?また彼(サイモン・ポスフォード)以外のトランスでは、どんなものを聴いていましたか?

◎ハルシノゲンはシャーマニクス、ガンマゴブリン、トランスポッターが特に。それ以外はプラーナ・Xドリーム・ジュノリアクター・トータルエクリプスなど。

 

【14】ねこぢるさんと行ったクラブやレイヴ、コンサートなどで、一番印象的だったのは、どういうパーティでしたか?

◎伊豆山奥の廃墟でやったゴアトラのレイヴ。

 

【15】ねこぢるさんはそんなに人付き合いがうまい方ではなかったということですが、その一方、日本にいるイスラエル人と友達だったという話ですが、どこからそういう交友があったのですか?

◎路上でアクセサリーを売ってるお兄さんと話してるうちに。イスラエルの若者はトランス好きが多くて話が合うから。

 

【16】ねこぢるさんと、担当編集者の関係(やり取り)というのは、どういうものだったのでしょう?何か印象的なエピソードなど、ありますか?

◎デブの編集者はきらいだったようです。

 

【17】ねこぢるさんはかつて、会社勤めをしていたこともあったようですが、どういう職種をどれくらいやっていたのでしょう?

◎生協に本をおろす会社の仕事を半年ぐらい。

 

【18】ねこぢるさんが生前、好きだった漫画家っているのでしょうか?

諸星大二郎さん、根本敬さん、丸尾末広さん、花輪和一さん、など。

 

【19】ねこぢるさんは山野さんの描く漫画をみてどういう感想をもっていたのでしょうか?

◎面白がったり、つまらながったりしてました。

 

【20】ねこぢるさんと暮らしていて一番楽しかったことは何ですか?

◎正月だらーっと6〜7時間、NHK教育でやってたアインシュタインロマンを見てた時とか。

 

【21】ねこぢるさんと暮らしていて、一番つらかったことは何ですか?

◎締め切りに多重に縛られてるときなど。

 

【22】ねこぢるさんと山野さんはいろいろな所に出かけられていたようですが、そういう旅行の想い出で(『ぢるぢる旅行記』や『ぢるぢる日記』で発表していないものが)何かあったら教えて下さい。

サイパンでかたい黒なまこをしつこく石でつぶそうとしていたねこぢるが、いきなり開き直ったように吹き出してきたそうめんのような内臓に驚いた。

 

【23】『ぢるぢる旅行記』(ネパール篇)の続きは出ないのでしょうか?個人的には同書のインド篇が、ねこぢる名義の作品の中でも一番好きな漫画なのですが。

◎そのうちネパール行って写真撮って、 描くかもしれません。

 

【24】『ぢるぢる旅行記』の中で、山野さんは「おまえ(ねこぢる)は力ぬく天才だから」と、ありましたが、そんな彼女の“頭をカラッポにする才能” “精神を解放する才能”というのは、どういうところで実感されましたか?

◎現実や自分をすっかり忘れて、別の世界を幸福にたゆたえるとか。

 

【25】ちょうど山野さんとねこぢるさんが、インドを訪れていた向こうで、日本の地下鉄サリン事件を知った、というふうに、『ぢるぢる旅行記』(インド篇)にありましたが、ねこぢるさんはオウム真理教(と、それにまつわる騒動)のことを、どういうふうに思っていたのでしょうか?

◎被害を受けた方もいらっしゃるので……。ただ刺殺された村井さんの容貌や話・歌には強烈な印象をもったようです。

 

【26】今、『ぢるぢる旅行記』やそれ以外のねこぢる作品を見直していて、ねこぢるさんの作品は(とくに旅行記と銘打たれていなくても)“ここからどこかへ行く”ということを題材とした/あるいは/そういう姿勢が通底している作品が、とても多いことに気づきました。“トリップ”……というとなんか聞こえは悪いですが、“移動”とか“旅行”みたいなことにかこつけてねこぢるさんを語るとしたら、どうでしょうか?

◎ここは自分の居場所じゃないなー……かといってどこがそうなのかはわからない。という感じはいつも持っていたようです。

 

【27】もしねこぢるさんが健在だったら、その後どういう場所に旅行してみたい、という予定や希望がありましたか?

◎インドとかそこらへん……あとトラック島(太平洋の小島)に行きたかったようです。

 

【28】ねこぢるさんと山野さんは、たしか実際に猫を飼っていたと(たしか『ぢるぢる日記』に書いてあったと記憶してますが)、動物の中ではやっぱり、犬より何よりも、ネコ好きだったのですか?他の動物や生き物にかんする好き/嫌いとか、ありましたか?

◎動物番組はすきでよく見てました。猫はすきですが、犬もすきでした、純朴な顔の柴犬が特に。あとコアラとオランウータンはきらいでした。

 

【29】『ぢるぢる日記』や『ぢるぢる旅行記』では、山野さんは山野さんなのにたいし、ねこぢる女史は(絵柄の中では)まさに〈ねこぢる〉でしたよね?唐突な質問ですが、ねこぢる女史ご本人と、マンガのキャラである〈ねこぢる〉は、かなり対応するパーソナリティと考えていいのでしょうか?また本人も、それを望んでいたのでしょうか?

◎描いてるすべての漫画の主人公がほぼ同じような猫のキャラクターなのでそうしたのでしょう。キャラと自分はわりとシンクロしてると思います。

 

【30】生前ねこぢるさんが一番怖がっていたもの/苦手にしていたものって、何でしたか。

◎汗っかきで鼻息の荒いデブ男など。

 

【31】ねこぢるさんは読者からの感想とかを読んでいましたか?もし、読んでいたとしたら、それをどのくらい気にしたとか、ありましたか?

◎読んだり読まなかったり、時には返事も書いていたようです。

 

【32】ねこぢるさんのストレス解消法とは、何でしたか?

◎寝続けることですか、寝疲れてましたが……。

 

【33】山野さんのマンガにもねこぢるさんのマンガにも、神様……それも、全能の神どころか、ゴクツブシのような神がよく出てきましたが、ちなみにねこぢるさんは神様を信じていましたか?いたとして、それはどんな神様でしたか?

◎ゴクツブシの神様は信じてなかったと思います。インドの神様にも興味がありましたが、実際イメージしてたのは「神様」という言葉とかけはなれた、人格的ではないものだと思います。

 

【34】ねこぢるさんは死後の世界を/あるいは/輪廻転生を信じていましたか?山野さんはどうですか?

◎信じているようなふしもありましたが……私にはそんな大それたことは解りません。

 

【35】ねこぢるさんと山野さんの共通点もしくは相違点……というものを訊かれたら、ズバリどういうふうにお答えになりますか?

◎共通点・みそっかす・わがまま/相違点・私のほうが若干あいそがいい

 

【36】ねこぢるさんは自身が関わるキャラクターがいろいろなキャラクター・グッズなど商品化されたり、CMで採用されたりすることにかんして、どんな感想をいだいていたか、教えていただけませんか?

◎喜んでいましたが、できの悪いものにははらをたてていました。

 

【37】ねこぢるさん逝き後も、ねこぢるキャラク ター・グッズはたくさん出現し、漫画を読まない人たちも含め、とても幅広い層に支持されていますよね?それはある意味皮肉なことかもしれないけれど、山野さん的には、こういう〈ねこぢる現象〉みたいなことを、ご自身のなかでどう受け止められているのでしょうか?

◎グッズから入った人も、その形状から発せられるなにかを、感覚でちゃんとかぎとってるという具体的な話を人づてに聞いて、ねこぢるの創ったキャラクターのアニミスティックな力に改めて驚きました。

 

【38】新版の『ねこぢるうどん』をトランスパーティのデコレーションやペイントで知られる“KC”さんが担当していましたが、商業出版の装幀なのになかなかサイケデリックな仕上がりでしたが……山野さん的にはこれらのデザインは、どうでしたか?

◎KCさんには私が直接デザインを依頼しました。彼がねこぢる好きだったこともあり、快くひきうけていただけました。商業出版っぽくないすばらしいデザインだと思います。

 

【39】山野さんの漫画にもねこぢる名義の漫画も、狂人や老人や貧乏人や我儘な人間が出てますが、そういう登場人物は、割と現実的なモデルがあるものですか?それとも頭の中にいるキャラクターなのですか?

◎両方あります。町で実際にお見かけした方もけっこういいモデルになってます。

 

【40】ねこぢるの漫画には(にゃーことにゃっ太という、子猫の姉弟が主人公ということもあってか)いまのわれわれが子供だった時代の設定/子供時代の視点に、みちあふれていますが、漫画のなかのモティーフと、実際にねこぢるさんが子供の時の家庭環境や家族構成には、シンクロするところがあるのでしょうか?

◎ところどころシンクロしますが家族その他は架空に創りだしたものだと思います。時代背景はレトロな雰囲気をだすためねこぢるが育った時代より古目に作られてます。

 

【41】差別とか暴力、狂気や無慈悲みたいなことが、ねこぢるのモティーフにはしばしば採用されていて、それがそういう世界観に免疫のない若い読者たちに新鮮にうつっている……みたいなことが、(マンガとしての)ねこぢる人気の分析で、しばしば指摘されるところですが、山野さん自身、ねこぢるのマンガが、彼女の死後もなお人気が衰えるどころか、いや増している現状を、どうお考えになってますか?

◎免疫がないといっても、差別や暴力・狂気・無慈悲というものがなくなっているはずもなく巧妙にふたをされてるだけなので、若い人たちも常にそれにさらされ、あるいはかかえてると思います。いろんな事情で現実には言えない、やれないようなホンネがせめて漫画のなかでもズダッと、放り出されていたらすこしはせいせいするのではないかと思います。

 

【42】山野さんとの共同作業とはいえ、ねこぢるさんは漫画家という職業なり肩書きをもっていたわけですが、もし彼女がそういう表現手段を持たなかったら、ねこぢるさんはどうなっていたと思いますか?

ねこぢるはそれほど表現ということに固執してなくて、漫画は描くより読んでるほうがいいと、よく言ってました。なにもしないでだらだら暮らしたかったようです。

 

【43】たとえばねこぢるのマンガを英語に翻訳したとして、それは外国人にも受けると思いますか?翻ってねこぢるワールドと、日本のある世代、ある感覚の持ち主にしか 通用しないものか、それとも(大層な言い方ですが)ある種の世界的な普遍性を持ちえているものか、どうでしょうか?

◎どうでしょう、パソコン世代の子供達にも読んでもらえているようなので、世代はこえてるような気もしますが……。世界的な普遍性なんてものをもしもってるなら、逆につまんないような気もしますけど……。

 

【44】先の質問に関連してくるかもしれませんが、ねこぢるのマンガを一度も読んだことのない、なおかつ日本人でない相手にたいして、山野さんがそのマンガを説明しなくてはいけなくなりました。(通訳はいるという仮定で)どのように説明しますか?

◎絵と字がかいてあります。ねこの姉弟が遊んだり怒られたりトンカツをたべたりするお話です。

 

【45】ここからは山野さんが“ねこぢるy”さんについての質問になります。まずねこぢるさんが亡くなってから先、ねこぢるという作品を封印することなく、“ねこぢるy”という名義で書き続けることになった経緯を、教えていただけますか。

ねこぢるをこのまま消さないでほしいというファンや家族の要望。逆に描くべきではないとの批判の声もいただいております。

 

【46】山野さんなりの分析でお願いしたいのですが、“ねこぢる”と“ねこぢるy”は、どこがどういうふうに違うと説明できますか?

◎“ねこぢる”作品はねこぢるを山野がサポートしてできたものです。“ねこぢるy”作品は山野が単独でねこぢるのキャラクターを使用しているものです。

 

【47】“ねこぢるy”では、マックのペイントソフトや画像加工ソフトが導入されているとおぼしき、エフェクティヴなコマが目につくのですが、そのへんの加工は、意識的に(タッチを変えていこうと)してやっているものですか?それとも自然にそうなってしまうものですか?

◎マックは漫画をかくツールとしてペンよりだいぶ面白いということに気づいてしまったせいと思います。

 

【48】今後“ねこぢるy”ではなくて、山野一さんの漫画をまた読める機会というのは、遠からぬ将来くるものでしょうか?山野さんご自身は、そのへんの使い分け、というか、なにか意識されていることがあったら、教えて下さい。

◎解りません。今なぜこんなことをしてるのかこの先どうなるのか、あまり考えられてません。

 

【49】“ねこぢるy”としていわば彼女の遺志を継承した山野さんの今の立場として、やっぱり“ねこぢる”に“ねこぢるy”はかなわないな……という部分があるとしたら、それはどういうところだと思いますか?

◎無自覚・無造作・無邪気……それでいて人のふところを深くえぐるような言葉・絵

 

【50】最後にオマケ……というかぜんぜん余談の質問です。友達のパーティ好きな女の子が今、イギリスに留学に行ってるんですが、寄宿先のロンドンのアパートに幽霊(らしきもの)が出るので困って、枕元にドリーム・キャッチャーとねこぢる人形を並べて寝ているらしいのです……が、はたして“ねこぢる人形”は魔除けになると思いますか?

◎なることを祈ります。

 

初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号

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少女ヌード雑誌の変遷と現状分析『ヘイ!バディー』から『アリスクラブ』まで

ロリータ雑誌の現状分析/斉田石也

禁断の書!?のイメージがあるロリータ誌のたどってきた道を振り返ると、当時の世相、社会状況が見えてくる。いったいロリータ誌に人は何を見るのだろう。

 

※以下の文章は、1997年に刊行された『ワニの穴3 エロ本のほん』(コアマガジン・絶版)からの転載です。そのため本文では、1999年の児童ポルノ法成立や2015年に適用された児童ポルノ単純所持罰則化については触れられておりません。

2017年現在、一部記載内容によっては、現行法に抵触する場合がございます。記載事項の実施・応用等は、ご本人の責任と判断で行われることをお願い致します。

 

ロリータ雑誌って何だ?

一口でロリータ雑誌と言っても、一般社会とマニアの認識の間には、かなり大きなギャップがあるというのが現実だ。

一般の書店の商品管理担当者あたりでも、ブルセラ雑誌、エロ系のアニメ、ならびにゲーム関連、さらにはオタク系コミック雑誌と、一般的なロリータ・マニアが考えるロリータ誌を同じ物と勘違いしている傾向はかなり強い。

それは、ロリータの定義そのものが世間一般とマニアの間でかなりのギャップがあることに起因するものであるが、今、ここでそれを論じていると、与えられた紙面の大半を費やしてしまう恐れがあるので、ここでは、真性のロリータマニアが見て「自分達を対象にして製作されている」と信じるに足る雑誌の大まかな定義を説明するにとどめて置きたいと思う。

ちなみに、真性のロリータマニアとは、たとえば目の前に12歳と18歳と22歳の三人の女性が全裸で現れ「好きにして」と言った時に、迷う事なく12歳の少女を選ぶ人間のことを言う。

つまりは、ワイド ショーのコメンテイターやマスコミに登場するのが好きな心理学者などが定義する、18歳や22歳がいいと思いながらも、何となく気後れして少女の方に目を向けている「自称ロリータマニア」は、真性マニアの間では、自分達と区別して「単なる気弱なスケベ」と呼ばれている。

さて、これでようやく本題に入ることが出来るが、一般的にロリータ誌は小学校中学年から中学校2年ぐらいまで。つまり9歳、10歳から14歳前後までに限定して扱っている雑誌と言えば、一番、分かりやすいと思う。

間違っても『スーパー写真塾』(コアマガジン)などに代表される、高校生年齢をイメージさせる雑誌は、一般人にはロリータ雑誌に見えたとしても、マニアには「オバサン雑誌」と言う印象を以て迎えられざるを得ないわけだ。

それと同じ意味で、たとえ、ときおり中学生年齢の少女モデルが登場しているとは言え、最近の援助交際にドップリ嵌まっている、もしくはその予備軍と呼ばれるようなコギャル、マゴギャル(もう、死語に近い言葉だが)にスポットを当てた雑誌も、ほとんどのマニアからは敬遠されている。

そう言った意味で、現在、流通している雑誌の中で、狭義の意味でロリータ誌と呼べるのは、隔月刊で通巻66号を誇る『アリスクラブ』コアマガジン・昭和63年12月創刊)、読み物に重点を置いた『小説アリス』綜合図書・平成6年創刊)、そして、約半年の休刊を経てリニューアルした『スウィート・ローティーン』(黒田出版興文社・平成7年5月創刊)の三誌に絞られてしまう。

 

過激の一語だった黎明期

今となっては信じられないことだと思うが、昭和55年から61年ごろの数年間、ロリータブームと呼ばれる時期があった

この当時は、現在、書店の氾濫気味のヘアヌード写真集のように、毎月、十冊前後の、小学生ぐらいの少女のヌード写真集が店頭に山積みにされて販売されていた

この時期は、もちろんヘアは厳禁。しかし、もともとヘアのない子供の局部は、まだ性器でなく単なる排泄機関と見なされていたようで、ページをめくって行くとワレメちゃん丸見えの写真が次々と登場する写真集が堂々と販売されていた

そして、厳密な意味でロリータ誌と呼ばれる雑誌が市場を賑わせ始めたのも、まさに、そのロリータブームの真っ只中でのことであった。

いわゆる書店ルートで販売されていた雑誌から辿って行くと、当時、総合アダルト情報誌であった『Hey!Buddy』(ヘイ!バディー/白夜書房・昭和55年5月創刊)が、何度かのロリータ特集を経て、57年6月号からロリータ専門情報誌宣言をした時から、現在に至るロリータ誌の歴史が始まったと言えよう

そのバディが、投稿者の犯罪写真の掲載が原因で突如として廃刊に追い込まれるのが昭和60年11月*1。その1年半ほど前の59年6月には、当時も、そして現在でもSM雑誌中心にマニアックな世界を狭く深く掘り下げ続けている三和出版よりロリコンハウス』が創刊している。

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バディの場合、創刊当時からのしがらみや編集者の個人的好みを反映して、風俗嬢をモデルにしたグラビアやプロレス記事などがあり、また表紙も当時の二線級アイドル(中森明菜可愛かずみも登場しているので二線級と断言は出来ないが)を起用するなど、完全にロリータ一色とはなり得なかった感があったがロリコンハウス』は表紙、巻頭から全て少女、記事や小説、コミックも少女一色の本格ロリータ雑誌だったと言える。

一方では、当時、絶頂を極めていたビニ本ショップを販路としたロリータ雑誌も存在していた。発行年月順に列挙していくと『ありす』(57年11月/群雄社)、『みるく』(58年3月/花神社)、『CANDY』(58年11月/JOY企画)、『リトルクローバー』(59年6月/若葉出版販売)、『にんふらばぁ・ジャパン』(昭和60年6月/麻布書店)などである。これらは、当時、写真形態が大半だったビニ本業界にあって、どれも読み物に重点を置いた編集方針をとっていたこと、ならびに、一部を除くと、隔月で発行日が決まっていたことが特徴で、たんに販売ルートと発行部数が異なると言うだけで、前述したバディやハウスとほとんど変わらなかったと言えよう。事実、グラビアページでかなりの比重を占めたマニアの投稿写真は、書店ルート雑誌とビニ本ルート雑誌に重複して掲載されることも、決して珍しいことではなかった。

そして、このブーム全盛期のロリータ雑誌を全て読み耽っていたマニアは単に写真集や雑誌をコレクションして読んでいるだけでは片手落ちで、正しいマニア道を歩むためには、カメラを手に街に出て、少女のパンチラあるいは親水公園での着替えなどの写真や、さらには親しくなった少女を物陰に連れ込んで、軽くイタズラをした写真を撮って投稿しなければならないと思えて来るほど過激だった

おそらく、ほとんど無法地帯とでも言えるような当時の状況は、前述したとおり、大まかに言ってヘアが見えるか見えないかが猥褻書画としての摘発の基準だったことを拡大解釈した結果と言えるだろう。

今回、あらためて、これら全ての雑誌を見直して驚いたのは、明らかに犯罪の証拠写真と言えるような投稿写真が前述したビニ本ルート雑誌より、バディの方がはるかに多量に掲載されていると言う事実だ。

当時のロリータ誌の特徴として、ちょっと行動力のあるマニアなら、意図も簡単に読者の立場から投稿の常連と言う名の制作者の立場に躍り出ることが出来たと言う点が挙げられる。これは写真だけでなく、イラスト、コミック、そして小説やエッセイにも言えることで、ロリータブームの当時のロリータ雑誌に頻繁に登場している間にプロのカメラマンやライター、そして編集者となって現在も活躍している業界人は少なくない。

なぜなら、ロリータ趣味もその他のマニアックな世界と同様、本当のマニアでないと、継続的に読者を納得させる水準の作品を継続できない上に、急にブームとなったために、極端な人材不足状態であった。そして、いかにブームの真っ直中と言っても、一般のアダルト系雑誌のように、どこかのモデルクラブやプロダクションに電話を一本すれば、ドサッとモデルの宣材写真が集まると言うほど、モデルの供給がたやすいものでなかった。そのため、特にグラビアに関しては、読者の投稿に多くのページを割かねば雑誌が作れなかったことなど、意外と貧弱な台所事情があった

しかし、その投稿 カメラマンが幅を利かせていた時代に終焉を告げたのが、バディが 廃刊に追い込まれた投稿者とモデルにされた少女、そしてその両親とのトラブルであった。

そのため、後続のロリコンハウスは創刊当時の山添みずき、萩尾ゆかり。『ロリくらぶ』と誌面変更後の倉橋のぞみ、奈々子など、カバーガールを抱えて、特撮グラビアを中心とする編集方針を貫くようになって来る。しかし、一方では、ロリータブームの創始者の一人と言われる作家、川本耕次*2を監修者に迎えていた関係で、文章面での投稿はさらに充実していた。

かく言う筆者も、このロリータブームの当時に、CANDY、みるく、そしてロリコンハウスに投稿することで業界入りし、そのままフリーライターに転じた一人である。

 

M青年の事件と第二次ブーム

今から振り返ってみると『ロリコンハウス』と言う名前の雑誌が、大手の書店も含めて、一般書店で堂々と販売されていたこと自体、異常としか言い様がないかもしれないが、現在でも部数を重ねている『アリスクラブ』が創刊した翌年から平成元年にかけて、日本中を震撼とさせたM青年による連続幼女誘拐殺人事件が発生するに及んで、ロリータはブームどころか中世ヨーロッパの魔女にも匹敵する扱いを受けざるを得なくなってしまった。

そして、すでに『ロリくらぶ』と言うソフトなネーミングに変更していた旧ロリコンハウスは平成1年8月を以て廃刊を余儀なくされてしまう。

もっともこの廃刊は、誌名変更後のソフト路線が受け入れなかった結果の売り上げ不振が真相という説もあるが、詳細はさだかでない。

ここで、すでに創刊していながら奇跡的に生き残ったのが『アリスクラブ』だった。

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さて、一節で述べたように、『アリスクラブ』は現時点の最新号である平成9年11月号で通巻66号となる。バディが月刊で通巻88号だが、ロリータ専門誌化してから廃巻まで42号、ロリコンハウス~ロリくらぶは隔月刊でスタートし26巻目から月刊化、最終号が通巻40号であることを考えると、驚異的な長寿雑誌と言える。

アリスクラブ』の長い歴史の中で、その編集方針が徐々にではあるが変わり続けて来たことが、その長寿の一番の理由だと思われるが、その中でも、平成4年ごろから平成7年ごろまでの、ロリータ史データベース時代は特筆に値する。

この当時、ルイス・キャロル、ウラジミール・ナブコフ、そしてコリン・ウィルソンなどの著作研究など、とてもエロ本とは思えないような連載と平行して、かつてのブームの時代に発行された写真集を紹介、かなり真面目に歴史的考察を加えた連載が注目を浴び、第二次ロリータブームの引き金になったと言う事実である

数年前、ロリータブームが完全に去った後、古本屋の店頭で数百円で埃を被っていたロリータブーム当時の写真集が、アリクラで紹介されるようになると、徐々にプレミアがつきはじめ、最終的には数十万の値段がつけられたほどの第二次ブームは、アリクラの影響力の大きさと言うより、いかに読者の入れ替わりが激しいかを物語っていたとも言える

つまり、アリクラで紹介されるまでは、大半の読者は、その写真集の存在を知らない言うことだ。そして、アリクラが発売されると、そこに掲載されている写真集を求めて古本屋のハシゴをする。その結果、需給バランスが大きく崩れ、信じられないほどのプレミアを呼ぶと言う結果となってしまったわけだ。

ほどなく、中学生年齢とは言え、新刊の写真集がボツボツと発行されるようになり、また、欲しがっているマニアには一通り行き渡ったこともあって、ロリータバブルと言われたプレミア時代も幕を閉じることになった。同誌は現在、メインを子役アイドルの話題を中心にしたチャイル路線の定着を狙っている。

いずれにしろ、足掛け10年の歴史を持つ雑誌だけに、バックナンバーを一気に読破すると、M事件以降のロリータ市場の流れや、子役モデルがチャイドルとなって行くムーブメントが手に取るように分かって興味深い。また、そう言った資料的価値だけでなく、小説やコミック、そしてグラビアなども、やはり一日の長があると言わざるを得ない。

ロリータブームの台頭以来、『ヘイ!バディー』『ロリコンハウス』そして『アリスクラブ』と、まるで申し合わせたように新雑誌が創刊すると先輩雑誌が廃刊になり、一誌独占状態が続いていたロリータ雑誌市場の構造が『小説アリス』の創刊によって崩れることになる。時、あたかも第二次ロリータブームの真っ只中で、読者層が厚くなっていることを証明する事実だった。しかも、基本的に若年層が多いロリータ市場に向けてタイトルに真正面から「小説」をうたい、事実、カラー16ページのうち、グラビアは8ページ。あとはビデオの紹介とイラストで埋められ、残りはほとんど小説のみと言う構成は、当時のロリータ誌では考えられないことだった。

しかし、その後、追従した『アリスクラブ・シスター』(コアマガジン・平成6年11月創刊、通巻4号)や『リトルリップス』(東京三世社・平成7年7月創刊、通巻3号)と言った読み物中心のロリータ誌が短命に終わった中、月刊で36号まで継続しているのは、次々と新人を発掘しながら、吉野純夫、睦月影郎などベテランが連載小説を執筆すると言う編集面の努力の成果と言えよう。

合法的作品に限って言えば、グラビアでもビデオでも、ホンバンはおろか、オナニーさえもあり得ないビジュアルでひたすら妄想を膨らませているロリータマニアは、文字を読みながら妄想するのもそれほど抵抗がないのかも知れない。

平成7年5月に創刊、10号で一度休刊した後、平成9年8月に再スタートを切った『スゥイートローティーン』は、それまでのグラビア・情報誌と読み物誌の中間的スタンスからチャイドルなど情報路線への方向転換を狙っている様子。ただしこうなると老舗の『アリスクラブ』と完全にバッティングすることとなり、今後いかに独自のカラーを出して行くかが生き残りのカギと言えるだろう。

ただ、この『スゥイートローティーン』に限らずロリータ誌の場合は、未成年を性の対象として見ると言う体質が、いつ、法的に取り締まりの対象となるか分からないと言う危うさに常にさらされている

事実、一人の不登校女子中学生が売春容疑で補導され、偶然、その少女がモデルの仕事もしていたため、所属モデルクラブが職業安定法違反で摘発され、そのモデルを起用していた『15クラブ』『プチ・ミルク』『クラスメイトジュニア』などが軒並み廃刊に追い込まれたという事実も、比較的記憶に新しい。その意味で、現存する全てのロリータ誌が、そう言った売り上げ以外の要因で突然姿を消す恐れもないとは言えないのが現状である

斉田石也(さいだ・せきや)

1953年(昭和28年)生まれ。神奈川県出身。クラブ歌手、土木作業員、飛び込みセールス、住専社員、不動産業など職を転々とした後、ロリータ出版に携わる。フリーライターとしてロリータ、ブルセラ系雑誌を中心に小説やエッセイなどを執筆。『ロリコンハウス』(三和出版)や『アリスクラブ』(コアマガジン)など本邦ロリコン史における重要な少女雑誌でも執筆や編集を行う。現代ロリータ史の生き字引として歴史的観点からロリコンを読み解く数少ない作家の一人であり、少女に関するあらゆる表現媒体に深く関わった伝説的な人物である。ちなみにストライクゾーンはティーン手前で9歳から12歳まで。主な小説に『過激なロリータ』『うぶ毛のロリータ『半熟ロリータ桃色乳首(いずれも二見書房)などがある。

 

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山野一ロングインタビュー 貧乏人の悲惨な生活を描かせたら右に出る者なし!!

山野一ロングインタビュー
貧乏人の悲惨な生活を描かせたら右に出る者なし!
 
山野一の描く漫画の世界は、実に悲惨だ。その世界では人々は例外なく強欲でどうしようもなく愚かである。時として好感の持てる人物が登場することもあるが、そういった人には情け容赦なく怒濤の不幸が押し寄せる。ああ、なんて夢も希望もないんだ ! でもこの世界、なんかどこかに似ていやしないか。「世の中バカが多くて疲れません?」放映中止になったあのCMに共感を覚えた人に絶対オススメの漫画家だ。
 
福崗で生まれた山野一は、二歳から中学二年の途中までを三重県四日市市で、中二〜高校卒業までを千葉で過ごした。大学で上京してからは、東京に在住している。喘息の街からヤンキーの世界へ、そしてセントポール・キャンパスという生活環境のどこで、あのニヒルでユーモラスで奥深い感性が育まれたのだろう。
 
──四日市市と言えば、工場の街というか、排煙が原因の喘息が問題になった街ですよね。本当に喘息の人が多かったんですか。
 
山野 えーと、うちの母も喘息でした。
 
──それは、そこに引っ越ししてからなったんですか。
 
山野 すぐになりましたね
 
──じゃあ、本当にそこに住むと喘息になるような環境だったんですね。
 
山野 ええ。喘息になる街なんです。
 
──でも、山野さんは喘息ではないですよね。
 
山野 僕は喘息ではなかったですけど、気管支炎でした。咳が止まらなかったみたいな。
 
──学校中の子供がみんなそうなんですか。
 
山野 喘息が)出ない子もいましたけど、出てる子が多かったですね。特に僕が最初に住んでいたところは非常に工場に近かったので、学校の窓ガラスも二重になっていて空気清浄機がついてました。幼稚園に行く頃に郊外、要するに東京の近郊にあるような山を切り開いて造成したような団地に移ってからは若干マシになりましたけど。それでも夏場は目が痛かったですね。
 

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──四日市市というのは、愛知県の豊田市のような企業城下町なんですか。
 
山野 企業といえばほとんど◆◆◆とその下請けです。石油からプラスティックの原料を作るコンビナートの街ですね。
 
──じゃあ 、 工場に近ければ近いほど、もうわかりやすいように喘息になる確率が高くなる。
 
山野 そうですね。煙突が巨大だから真下はいくらか良かったかもしれないですね。
 
──なんかそれって、もうその街に住んだら喉悪くするわけじゃないですか、ほとんど。それでも住むんですか、みんな。
 
山野 ウチはまあ、その公害の原因をつくっている会社に勤めてましたんで加害者兼被害者でしたから。 
 
──でも、その会社に何の関係もない土着の人達がたくさんいるわけですよね。単なる被害者の人達。
 
山野 だから、引っ越したくて引っ越せる人はいいんだろうけど、そうもいかないですから。それに元々何も産業のない田舎の宿場町だったところで、国家的にコンビナートをつくろう、っていう計画が出てきたことによって労働力が集まってきて、街興しになったという経緯がありましたから......公害に関しても、恐らくはしりのほうだから、当初はそんな深刻に考えてなかったんじゃないでしょうかねぇ。 
 
──お父さんがその企業に勤めていたということですが、土着の人と企業の人、つまり公害問題で対立関係にある両者の間に挟まれて子供同士で妙な感情的わだかまりみたいなのはなかったんですか。
 
山野 そういうのはあまり感じなかったですね。僕が通っていた小学校の担任とかもひどい喘息持ちで、先頭をきって反対運動に加わっていましたけど、企業の子供を差別っていうのは無かったと思います。少なくとも露骨には。まあ、嫌な気分ではいたんでしょうけどね。特にウチの親父なんか環境課っていうところにいて、反対運動の人たちが交渉に来たときに適当なことを言う、にこにこしながらお茶を濁す役目でしたから。
 
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──窓口というか、矢面に立たされていたわけですね。そういう大人たちのややこしい関係は、子供心に影響を与えなかったんでしょうか。
 
山野 子供の頃はバカだから、大人はみんな工場に行って働いて、工場っていうのは◆◆◆で……そんな印象しかなかったですね。ほんとガキの頃は、海っていうのはタールが浮かんでいるもので、海岸っていうのは工場があるもんで、山ってのはつぶして団地になるもんでって、そういうもんだと思っていました、世界中が。
 
──やっぱり、うちっていうと団地っていう印象も。
 
山野 そう。うちっていうと団地。社宅に住んでたんですけど、それが団地だったんですよ。で、馬鹿馬鹿しい話なんですけど、非常ベルがあるんです。工場で何か大事があると団地に非常ベルが鳴り響くんです。まるで炭鉱の街。
 
──大手企業だし社宅だと周りが全員同じ会社の人でしょうから、貧乏感はないわけですよね。 
 
山野 ええ。ありません。
 
──四日市市自体も特に貧しい地方というわけじゃないですよね。
 
山野 ええ。だから、特徴といえばコンビナートだけの地方都市という感じじゃないですか。文化も何もないですよ。寄せ集めの労働者の街ですから。
今はきっと立派になってるだろうから怒られちゃうかもしれないですけどこんなこというと。中学以来一度も行ってないんですよ。
 

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──どうも四日市のイメージからは作品の世界が彷彿としてきませんね。確かにビジュアル的には、工場の煙突と団地っていうのがかなり目立ちますけど……。当時はどんなことに夢中になってましたか。
 
山野 普通の公立学校に通って、特に目立たず、何もしてなかったですね。
 
──ハマったものがなかったとしても、何か娯楽はなかったんですか。繁華街でブイブイいわすとか。
 
山野 それがないんですよ。不良でもないし、インテリでもないし、読書家でもないし、スポーツもしない、本当に特徴のない子でしたね。
 
──そうはいっても、何か印象に残っていることがありませんか。今から思い起こして郷愁を感じる部分とか。
 
山野 だからあの、言ってみれば四日市ってのは無機的な荒廃なんですよ。その荒廃の中で、何もせずぼうっと暮らしていたんです。あえて無理に言えば、何もないっていうのが当時の印象ですね。だから、育ったところに対して郷愁なんて何もないですよ。 
 
──でも、さっきから伺っている四日市のイメージは東京しか知らない僕にはかなりシュールな印象なんですけど。
 
山野 東京と比較すると確かにシュールな世界です。小学校に通うようになって日本のこととか色々教わるようになるまでは、工場とタールの浮かんでいる海と、毎日毎日色の変わる川と団地だけ、そんな風景が何キロメートルおきにずうっと続いている……それが世界だと思ってましたからねぇ。僕は気管支炎だったんで、工場がやっている診療所に通っていたんですけど、それが巨大な煙突の真下にあったんですよ。その巨大な煙突で雲を製造してるんだと思ってました。
 
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──なかなかファンタジックな話ですね。
 
山野 美しい話でしょ。巨大な煙突の上に飛行機がぶつからないように赤いランプが点滅していたのが印象に残ってますね。あと、工場の音。『イレイザーヘッド』のあれどこでしたっけ。工場街みたいなとこ出てるじゃないですか。暗い夜道を主人公が歩いてて、足がちょっと水たまりにはまったりして、あそこでコンビナートの音が流れているんですよバックに。あのシーンを見ると四日市にいた時の感覚が戻りますね。近くに巨大な鉄の建造物があるっていう感覚が。
 
──ああ、なるほど。僕なんかはああいうシーンを見るとシュールで奇妙な世界にハマっていくわけなんですが、山野さんの場合、非常に現実感のあるシーンなわけですね。
 
山野 そう。だから今思えば、シュールなんて自覚しないままにああいう世界の中で生きてきたんだと思うんです。ああいう荒廃したような感じのね。それが中学二年の時に千葉に移って、いきなりバカの真っ只中の世界に来てショックを受けたっていう。
 
──荒廃からバカへ(笑)
 
ヤンキー文化にまみれて
 
山野 そう。荒廃からバカへ。どちらも荒廃してるんですけど、荒廃の質が違うんですよ。不良の世界ですよね、アレ(=千葉)は。 
 
──千葉はヤンキーが多いみたいですね。
 
山野 ヤンキーの世界ですよね。
 
──ヤンキーってやっぱりバカですか。
 
山野 ええ。バカですね。呆れましたね。ボンタン・長ランを初めて見た時には強いショックを受けました。風にたなびかせてるじゃないですか、旗のように。何をやっているんだろうこの人たちは、と思いましたね。
 
──ああ、自分自身の中にそういうセンスがないとそうでしょうね。
 
山野 四日市にはボンタン・長ラン文化は無かったもので。それで、バカな世界があるんだなぁって思って。ほとんど不良なんですよ、若者は。
 
──荒廃の世界では何もせず過ごしてたということでしたが不良の世界には馴染めましたか。
 
山野 馴染んだという感じじゃなかったですけど、いじめられるというようなことはなかったですね。中学の時ですけど不良が夜中に遊びに来るんですよ、車で。二階の窓に石投げて何かなと思って外を見るとセドリックが止まってて友達が乗ってるんですよ。それで、ドライブいこうぜって。
 
──免許もないくせに(笑)
 
山野 ドライブいって、ダッシュボードとか開けてみるじゃないですか。そうするとなんか写真がいっぱいあって、全然知らない人が写ってるんです。それで「ひょっとしてこれ ?」って聞くと盗難車なんです。ガソリンがなくなるまで乗って捨てちゃうんですよ。そういうバカな世界でびっくりしました。
 
でもちょっとだけ楽しそうじゃないですか。
 
山野 そうですね。僕も車とかバイクとかは好きでしたからね。
 
──作品の中でも車やバイクは中々丁寧に描き込んでありますもんね。じゃあ、そういうバカな世界が嫌いなばかりでもないですね。一応洗礼は受けている。
 
山野 そうなんです。さすがにボンタン履くほどにはなりきれなかったですけど、 毎日毎日、頭がこんなにあるような(※リーゼントのこと)やつと話してりゃやっぱり影響を受けますよ。受けないでいるほうが無理ですから、あのバカな世界では。だから影響は受けているんです。いまだにね、『シャコタン · ブギ』とか好きですしね。バカの名残がきちんと残ってます。
 

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──慣れてしまえば結構楽なんじゃないですか、ヤンキー・カルチャーっていうのは。みんなちょっとバカかもしれないけど、まっすぐな人たちっていうか、素直じゃないですか。
 
山野 だから、あれは浪花節の世界ですよ。友情とか親とか大事にしますし。シンナーで目が血走ってるようなやつでも親父が倒れたらそっこうで病院に駆けつけますからね。
 
──軽犯罪は平気で犯しても、人には優しいっていうか。
 
山野 そうなんですよ。バイクで事故って死んだ友達の一周忌とかにみんなで集まったりとかね。義理堅いんです。
 
──そういうバカの世界で、適当に距離を置いて友達付き合いをしていたわけですね。でも、高校はたぶんバカじゃないですよね。
 
山野 高校はその地区ではいちばんの進学校でした。だからヤンキーはいませんでした。でも、高校に入っても、本当に合う人というのは一人もいませんでしたね。
 
──バカもダメ、秀才もダメ?
 
山野 なんていうんですかね。
大学になって初めて人間の世界に出てきたっていう印象でしたね。だから、もっといい家庭に生まれてね、もっといい友達と一緒にいればもうちょっとお利口な人間になったんじゃないかと思いますけどね。
 
東京駅で神の啓示を受ける
 
──立教大学に入学して東京に出てきたわけですけど、初めて体験する人間の世界(笑)には期待値は高かったですか。
 
山野 いくら千葉がヤンキーまみれの田舎っていったって、総武線一本で出てこれますからね。過大な期待なんていうものはありませんでしたけど、解放感はありました。なんでもできるんだっていう。でも、いざ出てくるとやることがありませんでしたね。やってたことっていったら麻雀とパチンコぐらいですか。
 
──都会幻想はなかったわけですね。でも大学四年間っていうのは、何もしなくていい期間ともいえるわけで、楽しいんじゃないですか。
 
山野 そうなんですよ。僕にとっていちばんいい状態っていうのは要するに、労働とかから解放されてる状態のことでしたから。だから、大学に入ってモラトリアムを手に入れたら、もう永久に自由になったような感じがしました。就職とかっていう現実感はまったく無かった。
 
──三とかになって周囲が就職のことを話しだしたりしても影響されませんでしたか。
 
山野 それは影響されない。自分が働いている姿なんて想像できなかったですから。もちろんアルバイトはやりましたけど。
 
──親とかも何もいわないんですか。
 
山野 親は散々いいましたけどね。でも、帰省も全然してなかったし、電話も引いてなかったし……大学生活も後半になると明らかにまずい状態になってるのに、不安感が全然ないんです。
 
──労働したくないっていうのは結構当たり前の感覚だと思いますけどね。でも、漫画を描くことだって、それで生活するようになればレッキとした労働ですよね。漫画とその他の労働では、どこが違うんですか。
 
山野 人と会わなくてすむってことですね。とにかくこう、人間関係がすごいプレッシャーになるんですよ。対人恐怖症とまではいかなくてもこれから八時間なら八時間、この人と一緒にこの部屋にいなくちゃいけないと思うと、すごいプレッシャーになるんですよ。
 
──じゃあ、もうあたまっからサラリーマンはないと思ってたんですね。
 
山野 ええ。大学二年か三年の時に神の啓示を受けたんです。それから安心感が出たんですね。
 
──それは部屋で?
 
山野 部屋じゃなくて、東京駅の八重洲口だったんですけど。
 
──それは、「サラリーマンにならなくてもいいんだよ」っていう。
 
山野 ならなくていいという啓示だったんです。
 
──どこの神様だったんですか。
 
山野 いや、わからない。なんだかわからないから神様といってますけど、頭の上から声がして、その途端に漠然と持っていた不安のようなものが消えたんです。アシッドはやってませんよ(笑)
 
──もやもやしてたものがはっきりしたんでしょうね。
 
山野 はっきりした。その時は漫画家とまではわからなかったんですけど、部屋にずっと籠もって、何かを書く仕事になるっていうビジョンまで見えたんです。
 
感性の孤独
 
──絵っていつ頃から描きはじめたんですか、漫画形式で。
 
山野 大学三から四年にかけてぐらいですね。美術クラブに入っていて、そこで作っていた漫画誌に描きはじめて。
 
──独学ですか。
 
山野 デッサンの勉強をしたり、先輩に指導されたりっていうのはなかったですから、そういうのを独学っていえばそうですね。
 
──漫画っていうのはコマ割りとか構成とか考えなくちゃいけないし感性だけで描きなぐるのは難しいと思うんですけど、誰かに影響されたっていうのはありますか。
 
山野 自分では自覚がないですね。蛭子(能収)さんの漫画は高校の時に読んで非常にショックを受けましたけど*1、特に明確に影響を受けたっていうのはわからないですね

 

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──蛭子さんのぶっ飛んでいた頃の作品ですね。最近の漫画家で好きな人とかいますか。
 
山野 最近の人では花くまゆうさくさんですね。
 

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──彼は東京の下町のほうの土着の感性がすごくよく出ていていいですよね。
 
山野 初めて見た時から団地の匂いがぷんぷんと感じられて。絵も好きですし。
 
──それにしても、山野さんの漫画を読んでてよく感じるのは、なんでこんなこと思いつくのかなってことなんです。たとえば、劣悪な居住空間にイラついてる貧乏な一家が穴掘ってって広々とした下水道に住む話とか。例を挙げていったらキリがないですけど、どうしていつもリアリティがあるくせに突飛なアイデアを思いつくんでしょう。
 
山野 それはわかんないですね。
 
──思いつこうと努力しているんですか。
 
山野 それはないですね。ただ、とことん抑圧されている人たちの姿を想像すれば……。
 
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──でも、山野さんはそこまで抑圧されていないですよね。先程からの話の中でも特に抑圧された環境に育ってきてるという感じではなかったですし、貧乏でもないし。
 
山野 どうしてなんでしょうね。
 
──あと、飛んでるアイデアにプラスして生活臭のある、ブルーカラーに対する愛情ある描き込み。情けない主人公が定食屋でラーメンを頼むと、必ず醜悪なウェイトレスが出てきて、しかもどんぶりに指突っ込んでますからね。手抜きがないですよね。
 
山野 それは、その主人公が食いに行く店が汚いラーメン屋でなくてはならないからなんですよ。こぎれいな兄ちゃんが白い帽子かぶって作るラーメンではどうしてもだめなんです。
 

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──勝手に描いてるようでいて緻密ですしね。気分だけで描いてる漫画っていうのは、どんなに発想が素晴らしくても読んでてちょっと疲れますけど、山野さんの作品は飛んでるくせに妙にリアリティがあって、すんなり物語の世界に入っていけるんですよね。そういう点では統一性がとれてますよね。
 
山野 僕にとって漫画を描くってことは、鼻をかんだりクソしたりせんずりこくのと一緒なんですよ。なんかを出してる、出さないと心のバランスが保てない。だからもし統一性がとれているとすれば、そういうものを吐き出していないと平常でいられないってことなんでしょうね。たぶん自分の中に同化できないようなものを出しちゃってるんだと思います。それが不満というものなんでしょうね。以前根本(敬)さんも同じようなことを言ってましたけど。
 
──なるほど、ということは、山野さんと同じ種類の不満を持っている人が読者になるという傾向はあるんでしょうね。やっぱり、普通の人が読むには少々ヘビィですからね。例えば僕の場合、子供の頃に誰にも理解されないっていう心理に陥ったことがあって。クラスメートも教師も、誰もが自分の言葉を理解してくれなくて、終いには周囲のみんながバカに見えて孤独だったんです。今から思えば自我に溺れた傲慢な心理だったんでしょうけど、それでノイローゼになりましたからね。
 
山野 その気持ちはすご~くよくわかります。僕もそんなふうに考えたこと、ありました。小学校の頃、歩いて通学する道すがら、世界っていうのは自分の夢なんだと、ずっとそんなことばかり考えていたんですよ。それで、周囲の人と話しても、誰も僕の言葉を全く理解してくれなくて、みんなバカでこいつらとコミニュケーションしてもしょうがないと思いましたよ。自分の親にもそう思いましたね。
 
──あ、それは同じですね。でも、そこでよくヒステリーにならなかったですね。
 
山野 何を言っても通じない人間には話しかけても無駄だし、世の中の人すべてがそうなら、もう内側に籠もるしかないじゃないですか。
 
──それは大人の考え方ですね。僕はそこで、精神の孤独に耐えられずにヒステリーを起こしたんですよ。「わかってくれよ!」って。
 
山野 僕も何度かそういう気持ちを訴えたことはありましたけど、結局誤解が誤解を生むだけでますます状況が悪くなるだけですからね。例えば親と話してても、向こうの言うことは良くわかるんだけど、こっちの言うことは全然通じないんですよ。こっちの不満はほんの少しも理解してくれない。だからもう、拒絶するしかないんですよ。
 
──でも山野さんの作品は、全く世の中を拒絶しているわけではありませんよね。確かにマイノリティの感性は顕在してますが、それでもどこか生への愛着が感じられる。ニヒルではあるけど破滅的ではない。だから、飛んでるんだけど、決して理解不能なところまでぶっ飛んではいない。
 
山野 やっぱり、これで食ってるわけですから、普通の人のことを考えるんですよ。それで、普通の人が読んでわかる日本語で書いて、普通の人が見てわかる絵で描こうというのは最低考えますね。そうやってなんとか、社会の末端のほうで生きさせてもらってるんです。
 
(聞き手・構成/吉永嘉明
 
 山野 一(やまの はじめ)
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●1961年福岡県生まれ。立教大学文学部卒。身長183cm、体重62kg。愛読書は『シャコタン・ブギ』。好きな音楽はテクノ。大学四年時に持ち込みを経て『ガロ』でデビュー。以後各種エロ本等に漫画を執筆。あの作風で食べていけるの?」という疑問を持つ人も多いみたいだが、完全に漫画だけで生計を立てているプロフェッショナル。最近は本来の作風を連載してくれる雑誌がないにも関わらず妙に忙しいという。※このインタビューは1996年刊行の『危ない1号』第2巻からの転載です。

*1:──自分が漫画を描こうと思ったときに意識した漫画家はいましたか?

山野 やっぱり蛭子さんが僕は一番好きでしたね。『Jam』っていう自販機本に載ってた『不確実性の家族』って漫画を初めて読んだときにショックを受けましたね。暴力的に入ってきたというか……何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました。現在描いてるのはちょっと興味ないですけどね。

根本さんとも話すんですけど、根本さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって……僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ。でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ。自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは。絶対勝てないですよ。あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ。

突出した人間てどっか欠けてるっていうじゃないですか。天才であって同時に気違いなんですね、あの人は。あの初期の作品なんかでの狂気の世界の捉え方はほんと天才的だと思いますよ。同じ周波数の人間でないと電波が通じないんだけど、はまった人間には凄い力で訴えてくるものがある。自覚できずにいた自分の欲望を目の前に突きつけられるような。僕なんかは少しは考えて描いちゃいますからね。蛭子さんに訊いても「いや、オイも計算してますよ」とか言うに決まってますけど、頭の中を切り開いてみたら、あの漫画の通りの世界が広がってるんじゃないかな。1995年のインタビューより

山野一インタビュー(ガロ1994年2月号)

山野一インタビュー(出典元:ガロ1994年2月号)


──表題を『混沌大陸パンゲア』としたのは、この中に収録されている「カリユガ」第1話の扉に書いてあるように、現代はヒンズー教の言うところの最末期の状態で、その時に破壊の神シヴァが宇宙を混沌に戻すということと、その最末期の状態のようなことが描かれた漫画作品集ということでつけたのでしょうか。

山野 何となくつけたんですけどね。何百億年だか前に、大陸がみんな一つだったというのを聞いた時に、閃くものがあったんです。自分が考えていたこと…、それは精神的なことだったんですけど、それと通じるものがあったんですよ。根を手繰れば一つみたいな、そういう意味がないわけでもないですね。

 

──その精神的なことというのは、どんなことだったのですか。

山野 真面目に話し出すとキリがなくなるから一言でいいますけど、ユングの集団的無意識でしたっけ、誰の中にも共通の原体験とかそういうようなものがあるということですね。

 

──ユングは夢を分析していますけど、この単行本には、現実と幻覚が交錯している夢のような話が多いですね。

山野 そういうのは大体エロ本に描いたやつですね。そこは辻褄合わせというか、起承転結みたいなものがちゃんとあって、誰が読んでも納得出来る漫画というのを、あまり要求しないんですよ。タレ流しというか、女の裸さえ入れれば何を描いてもほぼいいというような所だったんで、そういうのを描いてましたけど、読者にはつまらないんじゃないかと思いますね。

そういう漫画は自分で描いてると楽しいんですけど、読み手を想像すると申し訳ないような感じがしますよ。センズリこく為にエロ本を買ってきたのに、こんな理解できないような漫画が載ってたら腹を立てるだけなんじゃないかと思いますね(笑)。実際に夢で見たことが織り混ぜられているんですけど、そういうのを描いている時は、珍しく漫画を描くのが楽しいというか、自分で満足できますね。

 

──夢を題材にして描く時は、夢を忠実に再現しようと試みたりするのですか。

山野 漫画で夢の中の変なビジョンみたいなものを描き留めようとすると、どんどんズレてきて、書き終った後で眺めてみると、始めに描こうとしていたものとは、全く別のものになっていますね。僕らは起きてる時に常に五感から入ってくる複雑な情報を、自分でも意識しないうちに処理してそれに対処して喋ったり行動しながら生きているわけですよね。ただ寝ころんで畳を見ているだけでも、脳の中では状況を把握するという精巧な作業がされているから、毎日毎日寝ないでその作業をし続けるということは、出来ないわけですよね、多分。夢というのは、眠ることによってそういうものから解放されて起きてる時のストレスを解消するみたいな形で理不尽なものが沢山出てくると思うんです。夢の中って辻褄の合わないことが一杯出てきますけど、そういうものを日記なりに書き留める時でたらめなビジョンを現実と類似した形に整理していくという作業を、無意識のうちにやっちやうんですよ。夢の中にあるビジョンがあって、それを文字に書き連ねてなるべく正確に描写していこうとしていても、書いている最中に、ああ、これは書こうとしていることとちょっとずつズレていってるな、みたいなことがありますよね。言葉なり漫画なりで夢の中での体験を書き留めるというような、理不尽なものを整理しようとする作業は、精神的に不健康な感じがしますね。多分言葉や漫画という形で置き換えるのが不可能なぐらい、混沌としたものなんだと思いますよ、夢というのは。

 

──現実のことでもあまりに悲惨な状況の中にいたりすると、これは夢なんじゃないかと思ったり、現実逃避で妄想を抱いたりしてしまいますよね。山野さんはとことん悲惨な人達を描き続けていますけど、小誌の特殊漫画博覧会(92年10月号)での座談会で、そういった人を目撃する機会が多いと言われてましたね。

山野 自分と関わりのない人を第三者の立場で目撃することは凄く多いですね。例えば自分の妹がアレだとかそういうことはないですけど、傍観するような視界の中によくそういう人が登場しますね。

 

──子供の頃からそうでしたか?

山野 あったと思いますね。
生まれたのが北九州で、四日市にも住んでましたし。両方ともろくでもない労働者の町でしたからね。廻りに文化的な人間なんて一人もいなかったんですよ。自分の育った家庭は特に悲惨ではなかったんです。ごく当たり前の団地ファミリーというか、別に問題もなかったし。高校ぐらいまで何も感じないで生活していたようですね。何か激昂するようなこともないし、沈み込むようなこともないし、何も感じないで何もしないでただボーッとしていましたね。

強い、悲惨な体験とかをして考え方がこうなったというような憶えはないんです。何でこんなにひねた見方をするようになったのかということのハッキリとした原因は自分でもよく解らないんですよ。団地の側面の全く窓のないただっ広い壁とか、そういうのを見て育ったせいかもしれないですね(笑)。ヒビが入った処を漆喰でヒビの通りに塗り固めて補修してあるんですけど、それが何か妙な象形文字みたいな形になったりしてましてね、そういうのを見てるうちに、こうなっちゃったのかもしれないですけど(笑)。大学に入ってから池袋に住むようになって、そこでもダラダラしてましたね。家族から離れたというのもあるけど、毎日マージャンとかパチンコとかやってただけで、劇的なことなんか何もなかったですね。ただボーッと4年間を過ごしていた感じですね。

 

会話が空転する感じなんです

──サラリーマンにはなりたくなかっんたんでしたよね。

山野 対人恐怖症という程ではないんですけど、人と関わるのがもう耐え難いんですよ(笑)。アルバイトとかをするにしても、バイクで書類を届けるとかそういうのをやってたんです。それだと受渡しの時以外は道路をただバイクで走っているだけだから、誰とも話をしなくてもいいし、時間が余れば喫茶店で寝るなり本を読むなり自由に出来ましたからね。例えば上司と部下みたいな、ある関係で結ばれた人と、狭い場所で同じ時間を過ごすような不愉快なことが(笑)なるべく少ないアルバイトを選ぼうと思いましたね。人と心が通じ合うということが、あまりないせいだと思うんですよ。子供の頃から言葉が通じないなということをいつも感じてましたね。多分それは自分が変なせいだと思うんですけど。ある特定の言葉があって、その言葉によって包括されるある概念の範囲みたいなものがありますよね、概念の方を頭に思い浮かべながら自分はその言葉を相手に発しているのに、相手の頭の中にあるその言葉と概念の関係が、自分のとはズレてるんですよ。言わんとしたことが全然伝わらないんです。相手の言ったことも自分では解ってると思っているんですが、本当は解ってないのかもしれませんね。言葉のやりとりが空転するというか、噛み合わないような感じがしましたね。子供の頃からずっとそういう状態で、中学、高校となるにつれて、相手に合わせて話をするようになるから、そういうことを意識的にやっているのを、どんどん忘れていっちゃうんですよ。だから、そんなに苦痛でなくなってもいて、昔はそういうことを感じていたなということも、思い出さない限りは意識しなくなるんです。

 

──家に篭って一人で仕事が出来る漫画家という職業は、かなり理想に近いのでしょうか。

山野 僕は今でもほとんど人と会わないんですよ。妻と喋るぐらいで、あとは4、5人の編集者と打ち合せをする程度ですから。以前根本(敬)さんといろんな話をしていて凄いなと思ったのは、一度も労働したことがないって言うんですよ(笑)。一度も労働したことがなくて、一度も給料というものを貰ったことがないというのが凄くいいなと思いましたね。僕の場合は、会社に勤めて社員とか役職がつくとかそういうことは一度も経験したことはないんですけど、少なくとも給料というものを貰ったことはありますね。だから根本さんにそれがないというのが、本当に凄いなと思って。多分一生何処にも就職しないで何の肩書も付かないまま終わるんだろうなと思うと、羨ましい気がしますね。僕は何年間かの間働いたことがあるし、今考えてみると、非常に拭い難い汚点を残してしまったんじゃないだろうかというような気がしますね(笑)。今は一応漫画が仕事でそれで食っているわけですけど、職業という感じはあまりしないですね。自分の好みとは関係なしに、こういう漫画を描いてくれと注文されて、その通りのものを作っている時は仕事という感じが多少しますけどね。

 

──注文通りの漫画を描かされている時は、苦痛になりますよね。

山野 それはそうですが、自分では全然面白くないなと思っている漫画でも、ある程度好意的な反響があると、読者がどんな読み方をしているのかだんだん解ってくるんですよ。だから、こういう読み方をしている人には、こういう風なことを描けば喜ぶだろうな、ということが解ると、作るのがそんなに難しくなくなってきますね。

あまり注文をつけない出版社で好きなように描いていても、一応読者に理解させようという、無意識な力みたいなものは働いています。どんなにでたらめなビジョンを漫画の中で再現しようとしても、どうしてもコマを切ってフキダシを入れて、主人公や脇役や背景をカメラ的アングルで描くという、漫画の基本的な形態がありますよね、結局それから逸脱しては描けないんです。

主人公が主体の場合でも、その主人公を客観的に別の所から描かなくちゃいけないみたいな。主体が感じとる世界をそのまま漫画という形で表現するのは、とほうもない天才でも出てこない限り無理なんじゃないでしょうかね。

自分の性質と全然違うものを作るというのは、漫画家とはいえ一表現者として非難されたり、堕落していると思われるんだろうけど、それはサラリーマンでも何でも同じじゃないかなという気もしますけどね。例えば鈑金工でも何でもいいですけど、その人が生まれつき鈑金工で、ただひたすら鈑金する為だけに生きてるってわけでもないですから(笑)。多分しようがなしにやってるんでしょう。大体仕事というのは、殆どの人にとってそんなものなんだろうと思うから、漫画家も同じだとは思いますけどね。だから、自分の我が侭通りに好きなことが出来ないからといって、そんなに悲観したものでもないのかもしれないですね。

 

ネガティブな望みばかりですね

──必ずしも我が侭を通すことが自分にとっていいことであるというわけではないのでしょうか。山野さんにとっていい状態というのは、どんなものなのですか。

山野 普通はこうであればいいなというような状態をイメージして、それに近付けようという努力はするんでしょうけど、自分はいい状態というのをあまり想像できないんですよ、それは不幸でもないということなのかもしれないけど。お金が沢山あればいいとかそういう普通のことは考えますけど、多分お金が一杯あっても、いい状態ではないんじゃないかという感じはしますね。仮に何億円欲しいなと願ってそれが実際手に入っても、あまりいい状態ではないような気がするんです。我が侭なんだか解らないですけど、サラリーマンが「部長になれたらよかんべなぁ」とか思って、部長になれたら凄く満足したりするようなことに相当する望みが想像出来ないというか、そんな感じですね。でもまあ、漫画はもしそうさせて頂けるもんなら、好きにやらせてもらった方がいいに決まってますけど。

 

──理想が高いんでしょうかね。

山野 いやそうでもないです。アレをやりたいとかコレになりたいとかいうポジティブな理想はあまりなくて、あんな事はやりたくないこんな物にだけはなりたくないという、ネガティブな望みばかりです。中でも一番世の中に出るのは嫌いだから、そういう意味では割と自分の思い通りにはなっていると思いますよ。僕みたいな立場の人間が世の中で生きていくのに、職業にしろ住居にしろ結婚相手にしろ、選び得る範囲というのがあるでしょう。凄く貧しい選択肢しか許されてないわけですけど、その狭い範囲の中では、一番マシな形に収まったのかなという気はしますね。

 

──ヒンズー教では、与えられたカーストの中で生きていかなければなりませんよね、山野さんのそういった考え方と何か通じるものがあるように思えるのですが。この単行本の中でも、ヒンズー教の神話などを題材にしたものが多いですね。

山野 ヒンズー教の神様というのは凄く神様らしいじゃないですか。他の宗教の神様みたいに嘘をついてはいけないとか、貞節でなくてはいけないなんてつまらないことは言わなくて、シヴァが何百万年も性交をし続けるとか、息子の首をはねて象の首とすげ替えるとか、いい加減ででたらめなとこが、僕にとって神様のイメージに一番近いなという感じがしたんですよ。

神様って、勤勉であれとか人を殺してはならないとか、そんな低俗でケツの穴の小さいこと言わないと思うんですよ(笑)。僕の感じでは、ある子供を彼が欲するままに好き勝手にやりたいことを何も禁止しないで育てたら、神様になるんじゃないかという気がするんですけどね。無制限に食いたいものを食わせてやりたいことはどんな犠牲を払ってでも全てやらせて育てたら、野蛮で無慈悲なヒンズー教の神様みたいな人間が出来るんじゃないかと思いますね。

 

──『ヒヤパカ』(小社刊)の後書で幼稚園の頃の神様のイメージというのは、団地の給水塔だったと書かれていましたね。山野さんはそういう高い所から世界を眺めているような視点で漫画を描いているように思えるのですが。

山野 給水塔程度の高さから見える範囲の世界ですね。
幼稚園に入る前後の頃僕が住んでいた四日市という所は、コンビナートがあって、ちょっと郊外に山を切り開いて作った団地があるんですよ。それで、その団地の近くにスーパーマーケットがあって、小学校があってというような所だったんです。

世界が丸いということも知らなくて、荒涼としたユークリッド平面が無限に広がっていて、その上に、工場と学校とスーパーマーケットと団地をワンセットにした殺伐とした町が、ある間隔をおいて点在している、そういう状態がそれこそ宇宙の果てまで広がってるのかと思ってましたね(笑)。日本の形なんてものも知らなくて、四日市の海岸線というのは、埋め立てられて直線になっていたんですけど、陸と海はその直線のまま永久に隔てられていて、これまた宇宙の果てまで続いてるのかと思いましたよ(笑)。

でも、僕が3歳の頃の世界というのは、本当にそんな姿だったのかなという気もしますね。それで、学校で地球は丸いとか教わっているうちに、世界の形というのがだんだん丸まってきて、今解っている形に収まったというか、自分が知っている範囲でしか世界は存在しないみたいな気がしますね。誰とも会わないで部屋に篭っているせいですかね(笑)。

 

文責●ガロ編集部
一九九三年十二月三日


『月刊漫画ガロ』1994年2月号所載

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丸尾末広インタビュー(ガロ1993年5月号)

丸尾末広インタビュー(出典元:ガロ1993年5月号)

 

進学したって仕方がない

──丸尾さんはどんな少年時代を過ごしたのですか?

丸尾:家が超貧しかったんだよね。今思い出してみると、小学一年から六年までずっと同じセーター着てたんだよね(笑)。そんなこと全然覚えていなかったんだけれど、写真見てたら「アレッ、同じセーターじゃないの」って気が付いた。六年のときにはもう袖がツンツルテンになっててね、肘に穴が開いているんだよ。きっと入学式の時に買ったんだよね。そのままずっと着てたんだね(笑)

 

──たしか兄弟が沢山いる、と言ってましたよね。

丸尾:七人兄弟の末っ子。一番上の姉と歩いているといつも親子だと思われてた。姉って感じはしないよね、ほとんどおばさんだよ。

 

──それで、どんな少年だったんですか?

丸尾:いつも閉じこもっていた。もう家では何も喋らなかったね。

 

──親とも?

丸尾:うん、憎んでいたわけじゃなかったけれど全然興味がなかったの(笑)。なんか自分の親として認めたくなかったんだよね。「こんなのが俺の親であるはずがない」って思ってた(笑)。恥ずかしいっていうか、とにかく友達に見られたくないという気持ちが強かったね。

 

──親は「どうして喋らないのか?」と聞いてきたりはしなかったんですか?

丸尾:うん、言っていたような気もする。「変なやつだなあ」と思っていたみたいだよ。何かやりにくそうにしてたね。どうやってこいつに接すればいいのか分からない、って感じだったね。それまではそういうタイプの例を知らなかったわけだから、戸惑っていたみたいだった。

 

──それじゃ、たとえば、父親と喧嘩もしなかったんですか?

丸尾:一度もない(笑)。喧嘩にもならないんだよ。だって自分が生まれてから父親が死ぬまでに、全部合わせても五分くらいしか喋ったことないんだもの(笑)

 

──五分!返事だけまとめても、もう少し多いですよね(笑)

丸尾:そうだよね(笑)。きっと父親も内心「コイツ、何で俺と口きかないのか」って思ってたんじゃないかな。「嫌われている」とかねえ(笑)

 

──母親に対しても同じだったんですか?

丸尾:もうバカにしてたね(笑)。「何、この人」と思ってさ。

 

──子供の頃からすでにそういう感情を持つ、っていうのは結構マセた子供だったんじゃないですか。

丸尾:そうだよねえ。

 

──普通、末っ子って、いつまでも母親のあとをついていたりするけど・・・。

丸尾:あんなのの後ついて行ってどうすんの(笑)

 

──じゃあ、食事の時間なんて地獄のようじゃないですか。

丸尾:シーンとしてた(大爆笑)。おまけに父親は食事のときに喋ったりするのを嫌う人だったんで、みんな黙々と食べてさ、終わるとバラバラに散っていくの。マズイものをなおさらマズク食べていたよ(笑)

 

──普段は閉じこもってなにをしてたんですか?

丸尾:しょっちゅう絵をかいていたね。漫画の本見てそれを真似してかいていた。窓ガラスに漫画の絵をうつして模写するのをよくやっていたよ。『少年マガジン』の『エイトマン』とかさ。でもそうやっておとなしくしているのは家の中だけで、学校なんかではむしろ騒ぐ方だった。すごく目立つ子供だったね。

 

──外弁慶。

丸尾:そうだよね。外にでるともう騒いでたから。でも中学校から休み癖が付いちゃってさ、それからあまり学校へも行きたくなくなったんだよね。

 

──なにか原因があったの?

丸尾:それがさあ、昼の十五分くらいの連続ドラマで「氷点」をやってて、それが見たくて一週間休んだの。それが切っ掛け(大爆笑)

 

──そんなに休んでばかりいたら問題児になるでしょ。

丸尾:なるよね。やっぱり。「あいつなんでもないくせにウソついてすぐ休む」とかね(笑)。でももう行く気がしなくなっちゃうでしょ、そういう癖がつくと。

 

──高校進学も考えなかったんですか。

丸尾:進学したってしょうがないよ。それにとにかく家にいたくなかったから。

 

──だいたい、丸尾さんくらいの年代の人は、とりあえず高校までは行って、と考えるでしょ。中学でたばかりで親元を離れて、というのはちょっと考えにくいことですよね。環境のせいもあったのかもしれないけれど、結構自立心の強い少年だったんですね。

丸尾:我も強かったから人の意見なんて全然聞かない子どもだった。宿題やってると姉が「ここはこうだよ」って教えてくれるのね。そのほうが正しいのに自分の間違った答えを押し通すの(笑)。それに、もう家にも執着心がなかったからね。それで一人で東京に出てきちゃったんだよね。

 

19でスリの見張り役

──上京して何処に住んだんですか。

丸尾:凸版製本に勤めたから、最初は板橋の寮に入っていた。確か花輪さんは赤羽の大日本製本だったんだよね(笑)。三年いたって言ってたよ。でも俺は二年(笑)。15から17までね。凸版のなかで『週刊明星』とか『漫画アクション』の製本をやっていたんだよ。でも途中で寮を出て板橋の志村坂上に初めて部屋を借りた。四畳半で五千円だったね。ボロいアパートでさ共同の台所にナメクジが這っているんだよね。蛇口のあたりをヌメヌメと這っているの(笑)

 

──で、凸版はどうしてやめたんですか?

丸尾:それがまた一週間無断欠勤しちゃって(笑)。それでもういいや、やめよう、ってなったわけ。会社の人は喜んでたけどね(笑)

 

──いつも思いのもままですね(笑)

丸尾:そうそう。それで、やめてからメチャクチャになったんだけどね。

 

──それじゃ、そのメチャクチャなところを・・・。

丸尾:働かない、何もしない、金もない、だね(笑)。たまにアルバイトして金ができると引越ししてた(笑)

 

──万引きはそのころからしてた?

丸尾:うん、してたね(笑)。最初本を盗んだんだよね。それからやたらと盗むようになったの(笑)。あのね、俺、篠原勝之さんと同じ本を同じ店から万引きしてたんだよね。高畠華宵の限定画集で3万円のやつ(笑)。篠原さんは毎日行っては少しづつ位置をずらしておいて取ったってテレビで堂々と話してた(笑)。俺はさ、ガラスケースさわったら開いちゃったんで、ダンボールの箱はそこにおいたまま、中身だけもってきたの(笑)

 

──持ってきたって、剥き出しで?

丸尾:変に隠すと怪しまれるから。そんなもんだよ(笑)。で、喫茶店に入ってさ、ウットリと眺めていた(笑)。「ワッ、すごいっ」てさ(大爆笑)

 

──親は知っているんですか、そういうことやっていたのを。

丸尾:知ってるでしょ。だって家にいるときも親の金とってたから(笑)30円くらいなのにさ、そんなことで大騒ぎするんだからやだよねえ(大爆笑)。小遣いくれないから盗むのにねえ(笑)

 

──以前、青林堂で箱根に行って、土産屋をのぞいていたとき「こういう時だからやめてよね」って言ったらもうすでに袖にジャラジャラ入っていた、っていうこともありましたよね。

丸尾:あっ、あったねえ(笑)

 

──それで、大きな猫の置物見て「これは袖に入らないからだめだ」っていってたでしょ。

丸尾:そうそう、そんなことあったね、忘れてた(大爆笑)

 

──で、そのころは漫画は描いていなかったんですか?

丸尾:「描こう描こう」と思いながら全然描かなくてさ、何も目的もなくただブラブラしていただけだよ。描き始まったのは19くらいからかな。一度ガロに持ち込みしたことあったよ。あの階段を昇るとき、もうドキドキしちゃって(笑)

 

──何ていうタイトルでした?

丸尾:『卍仮面』だった(笑)。長井(勝一)さんが見て「これは面白くないね」って。たしか南(伸坊)さんが紅茶を入れてくれたっけ。その頃南さんがまだ髪の毛が長くてニヒルなインテリ青年みたいにしてたよ。

 

──で、それは持ってるんですか。

丸尾:捨てちゃった。

 

──サッパリしてるね(笑)スリのおじさんと出会ったのはそのころですか?

丸尾:そうだね、19の時だったね、おじさんがスリを働いているところを目撃したら、あっちから声をかけてきて、「一緒にやらないか」って言われたの。そのときたまたま知り合った漫画家志望のやつが一緒にいて、そいつ住所不定だったから先に知り合いだったんで紹介されたかたちでね。それで3人で一ヶ月くらい一緒に行動していたよ。赤羽あたりでやってた(笑)

 

──見張り役とかやってたんですか?

丸尾:そうそう。やり方なんでかなり大雑把でさ、荷物からちょっと離れたスキにパッと捕るだけなんだよね。人が考えるほど高等なテクニックじゃない。あれなら俺でもできると思ったけど、やっぱりできないんだよね。それにただの見張り役だったから、ご飯をおごってくれるだけで、金はもらってなかったよ(笑)

 

留置所で出たガロの話

──捕まったのはその後ですか?

丸尾:そう、その後万引きで捕まったんだよね。20くらいだったかな。

 

──どこで?
丸尾秋葉原のレコード店で。

 

──何を盗んだの?

丸尾ピンクフロイドとかサンタナとかね(大爆笑)。あのころ流行ってたから。それでガードマンに押さえられてさ。もうしょうがないと思って、一回留置所経験しようと開き直った(笑)

 

──どのくらい?

丸尾:二週間ぐらいかなあ。

 

──長いですねえ。

丸尾:それは、その時住所不定の無職だったからね。初犯だったら普通説諭だけで帰さたりするんだけどね。でも身元がはっきりしないと厳しいんだよ。俺さ、そのころは友達の所に荷物を預かってもらって、自分は蒲田の一泊五百円の木賃宿に泊まってたんだよね。

 

──取り調べも厳しかったんですか?

丸尾:それがさ、面倒くさくっていい加減に言っていたら向こうがすごく怒っちゃって(笑)チャランポランだし反省の色もないから、懲らしめようと思ったんじゃないの(笑)

 

──じゃ、その間ずっと雑居房に入ってたんですね。

丸尾:そう。留置所だからね。留置所、拘置所、刑務所だからね(笑)拘置所には入っていないから、起訴されてないからさ、前科にはなっていないんだよね。だから賞罰はないの(笑)それで、本は読んでもいいけれど、寝転がったりしちゃいけないんだよね。でも一日に一回タバコタイムがあってベランダみたいなところにだされてラジオ体操をしたあとに一服出来る。あっ、そういえばそのときの同じ房に、ガロ知っている人いたよ(大爆笑)

 

──やだねまったく!

丸尾:話をしていたら漫画の話題になってさ、「おまえ漫画好きなのか、ガロとか読んでないの」って聞くんだよね(笑)その人、組合運動で公務執行妨害で捕まったらしくてさ。池上遼一さんのファンだって言ってた。池上さんと林静一さんの特集号を持ってたって言ってた(笑)

 

──それで結局起訴にならずに釈放されて、その後も懲りずに万引きはやってたんですか?

丸尾:まあ、しばらくはやってなかったよ。で、また引っ越したりしていた。あと網走のパチンコ屋でバイトしたりしてね。

 

──網走!? どうしてまた?

丸尾:北海道に遊びに行ったら、たまたまそこのパチンコ屋で店員を募集していたのね。で、やろうかなって思って(笑)「東京の人間だけどいいか」って聞いたら「いいよ」っていうんでやったの。でも毎日便所掃除ばっかりでさ(笑)

それがきったねえ便所で、トイレットペーパーが水に溶けてドロドロになってるは糞はついてるしさ。それに寮に入れてもらってたんだけど、三畳の部屋がベニヤ板で仕切ってあって、醤油で煮しめたような布団しかないんだよね。そこに一ヶ月いたよ(笑)。ここにいた時、布団の中で新聞読んでいたら、歌手の克美しげるが愛人を殺して逮捕されたニュースがでてたよ(笑)

 

──結構平気で飛び込むんですね、そういうところに。

丸尾:そうそう(笑)

 

──でもやっぱりいつも漫画のことは頭から離れなかったでしょう。

丸尾:そうだね。引っ越しするたび「よし、今度こそちゃんとやろう」っていつも思ってたから。でもけっきょくやらないんだよね(笑)。でも一度どこかの雑誌に同人誌の募集して、それで一時期漫画家志望の人と会っていた時もあったけれどね。でもあのひとなんかそのときもう半分浮浪者みたいだったから、どうしているんだろうね。そのまま浮浪者になっちゃったかもね(笑)

 

丸尾漫画はパクリの集大成

──それで結局デビューしたのは24歳のときでしたよね。

丸尾:そう、サン出版の何ていう雑誌か忘れちゃった。確かポルノ雑誌だったと思うけど、そこで『リボンの騎士』でデビューしたんだよね。その後、久保書店とかに持ち込んで『漫画ドッキリ号』に描いていた。そこで随分書き溜めたから、単行本も出せたんじゃないかなあ。

 

──『漫画カルメン』とか『漫画ピラニア』とかに描いたのは、その後?

丸尾:そうだね。俺さ、『大快楽』とか『エロジェニカ』とか『劇画アリス』なんかではやっていないんだよ。一歩出遅れたっていうか、あのエロ劇画雑誌ブームからはもう二年くらいたっているときだったから。

 

── 一時期随分いろんな人が描いていましたからね。

丸尾ひさうちみちおさんや平口広美さんとかね。でも俺が描き始めたころはもうブームも下火になってきてたんだよね(笑)

 

──丸尾さんの絵柄というのはどこから生まれてきたんですか?

丸尾:あちこちからいっぱい引っ張ってきてミックスした絵なんだよね。だから絵柄なんてどうにでもできるよ。この絵はだめだからほかの絵柄にしろって言われたら、パタって変えられる(笑)

 

──でも、一番引っ張ってきたのはやはっぱり高畠華宵でしょ。

丸尾:そうだよね。とりあえずあれに一番近いね。

 

──最初に華宵を見たのはいつです?

丸尾:いつ頃だったかなあ。でも最初は全然好きじゃなかった。気持ちの悪い絵だなって思った(笑)。でも人物描写として1つのパターンがあるでしょ。だからそのパターンを華宵から持ってきたわけだよね。崩しながら。

 

──あと、よく夢野久作を引き合いに出されたりしませんか?

丸尾:よく「相当影響されたでしょ」なんていわれるけど、あんまり関係ないんだよね。だから要するにパクリなんだよ。あのさ、どうしてみんなパクリだっていわないのかなあ(笑)「影響うけてますね」とは言うけど「これパクリですよね」って誰も言わないよ(笑)『少女椿』のタイトルはモロにパクリだよね。パクリ以外の何物でもないよ(笑)

 

──まあ、いいづらいのもあるんじゃないですか。じゃ、丸尾さんの漫画はいろいろなところからパクっている、いわばパクリの集大成ですね。

丸尾:そう、パクリの集大成!(大爆笑)

 

──でも画力があるからパクれるじゃないですか。パクろうと思ったって、そう簡単にできませんよ。

丸尾:まあ、真面目にかいてますから。でも絵ってうまくなろうと思ってやらないとうまくならないよね。描いていれば自然にうまくなるって思っている人もいるけど、自然にはうまくはならないよ。どうすればうまく描けるかって自分で研究していかないとダメだよ。

──じゃあ、いろいろと研究しているから、次から次へと興味がわいてきて、一人のひとにものすごく傾倒する、っていうことはあまりないんですか?

丸尾:そうそう。一人の人にのめり込むまえに、今度はまた別の人が気になってくるんだよね。「ああ、こっちもいいな、あっちもいいな」ってやってると、何か全部ほしくなってくる。だからあんなゴチャゴチャになっちゃうのかも。二者択一ができないんだよね。

──ストーリーのほうもいろいろなところからパクリまくりですか?

丸尾:俺の漫画の話は設定自体があまり独創的じゃないしね。『日本人の惑星』だって日本がもし戦争に勝っていたら、って言う設定だけれど、ブレードランナーの原作者のP.K.ディックが同じようなSF書いているんだよね。

そういう設定はよくあるし。タイトルはもちろん『猿の惑星』のパクリだしね(笑)。あとさ、ラジオの人生相談きいて「お婆さんとセックスしている」っていう中学生がいて、それを漫画にした(笑)。そういうネタをストックしておくの。

 

──そういうことはまあ皆結構やってますよね(笑)。でも、『腐ッタ夜』なんかは江戸川乱歩の『芋虫』でしょ。

丸尾:そうそう、俺の漫画では親子にしちゃったけどね。そんなもんだよ(笑)

 

──目をなめるシーンがよく出てくるけれど、あれは?

丸尾:あれも何かに載ってたんだよね。でね、何であのシーンを繰り返し出したかっていうとあれも計算なんだよね。同じ事を繰り返し繰り返しやってたら登録商標みたいになると思って(笑)

 

──計算してますねえ(笑)

丸尾:それ、デビューしたときから計算したの。なにか1つだけでいいから「あ、また出てる、またやってる」って水戸黄門の印籠みたいなのを作ろうと思ったのね。するとみんな「あれはどういう意味ですか」て考えているらしい。でも意味なんてないんだよ(笑)。それに誰もやってないことを考えたとかそういうことじゃないしね。そんなこと誰だってやってるねよね。

 

リアルタイムで虜になる

──『無抵抗都市』はまた丁寧にかいてますね。

丸尾:漫画を書くのは久しぶりだったからね。でも今回はパクリあったかなあ。タイトルが『無防備都市』から『無抵抗都市』だね(笑)。なんかさ、パクっているとさ、自分で考えたものでも「これ、パクったんじゃないかなあ」って気になってくるよ(笑)。でもそれでいいんじゃないかな。

 

──あれは戦後の焼け野原が舞台になってますね。

丸尾:そう、ほんの一ヶ月くらいの間のことを描こうと思っているんだけどね。

 

──あの辺の時代って興味あるんですか?

丸尾:うん、あるね。見たことないけどさ、なんか風景も人間もゴチャゴチャしてて闇市とか露店とかあってさ。全体的な雰囲気に魅力を感じるよね。

 

──どこかの時代に戻れるとしたら、やっぱりその時代がいいですかね。

丸尾:いやっ、もう1つ前の大正時代がいいね。別に思想なんてないんだけどね。モダンな時代だったから風景も人も面白いんじゃないかなってただそれだけ(笑)。都会の風景ね。田舎はあまり興味がないから。田舎だと横溝正史になっちゃうからね。

 

──八ツ墓村とか(笑)

丸尾八つ墓村なんていやじゃない(笑)

 

──丸尾さんて思想とかそういうものじゃなくって感覚の方が大きいですよね。

丸尾:そうなんだよね。ビジュアル的なものが大きいから、読む方もあまり考える必要はないんだよ。

 

──そういったビジュアル的なものに高校生あたりの年代は結構敏感ですから丸尾さんの漫画は高校生、とくに女子高生に圧倒的な人気がありますよね(笑)

丸尾:そういうとさ「信じられない」って言う人がいるんだよね。メジャー誌の編集者とかそういう人は信じられないみたい。その辺の感覚ってずれているよね。俺の読者はつげ義春さんの読者と同じ人達だと思っているみたいよ。実際には全然違うでしょ。

 

──でもそういった若いファンが次々と出てくるでしょ。ファンにとって丸尾さんの漫画っていつでもリアルタイムなんですよね。

丸尾:そういうところはるかもね。卒業して行く人がいて、でも下からどんどん入学してくるみたいな(笑)

 

──大繁盛じゃないですか(笑)。やはり10代後半に好きになる絵なんですよ。なんか懐古的で危ないような、独占欲をかりたたせるような雰囲気がありますからね。興味を持ち出すととことんのめりこんでしまうじゃないですか。それに加えて絵に魅力がありますから。

丸尾:まあ、絵のほうは努力してるからね(笑)。でもこれから先、どうなって行くのだろうね。自分でもあんまり考えてないしさ。どうしようかなあ。この生活が一生続くのかな(笑)まっ、いつかは漫画もやめるだろうね。

 

──でも絵の方はやめないんじゃないですか。

丸尾:うん、そうだね。なにきゃらなきゃいけないし。でもとりあえず自分の好きなことやって飯が食えるんだからいいんだよね(笑)

 

──今もすでに、半分は画家みたいなもんじゃないですか。

丸尾:うん、漫画の注文とかはあまり多い方じゃないからね。

 

──まあ、雑誌はある程度限定されちゃいますからね。ジャンプなんかに載るようなタイプではないし。

丸尾:あっ、でも俺十代の頃ジャンプに持ち込んだことあったよ。だめだったけどね(笑)

 

──家族は漫画を描いていることは知っているんですよね。

丸尾:知っているけどね。たまーに帰ったりするとさ、一応こっちも気をつかって何か喋るんだけどシーンとしちゃってものすごくしらけるの(大爆笑)。俺の漫画の話なんか誰も触れようとしないしさ。禁句になってるんだよ。だめだよねもう。

 

── 一応単行本は送ってるんですね。

丸尾:うん、イヤミでね(大爆笑)

 

『月刊漫画ガロ』1993年5月号所載

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