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今の漫画には愛すべきクズが少ない

今の漫画には愛すべきクズが少ない

文◎虫塚虫蔵(Twitter @pareorogas

はっきり言って、今の漫画やアニメには人格破綻者やトラブルメーカー(平たく言えば愛すべきクズ)の割合が少ないように思える。

ひと昔前の漫画には、いじわるばあさんとか、イヤミ(おそ松くん)とか、こまわり君(がきデカ)とか、スナミ先生(トイレット博士)とか、バカボンのパパ天才バカボン)とか、ヒゲゴジラハレンチ学園)とか、目ん玉つながり(天才バカボン)とか、諸星あたる&メガネ(うる星やつら)とか、きんどーさん(マカロニほうれん荘)とか、アラレちゃん(Dr.スランプ)とか、両さんこちら葛飾区亀有公園前派出所)とか、クレヨンしんちゃんとか、(セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!)マサルさんとか、ハマーさん(ピューと吹く!ジャガー)とか、にゃーことにゃっ太ねこぢるうどん)とか、稲中の前野と田中と井沢とか…。

パッと思いつくだけで、こんなに厄介で強力なトラブルメーカーがいた*1こういうトラブルメーカー(ほとんど愛すべきサイコパス)は無頼かつ無作法ながら、心根は優しく無垢で愛嬌があり、どこか憎めない存在、堅苦しく枠にとらわれた窮屈な世界に生きる僕らにとっては紛れもないヒーロー的存在だった。

もっとも、列挙したトラブルメーカーは、魅力的だけど、身の回りにいたら嫌かもしれない。でも読者目線から見たら笑えるし、愛されていた。そこに常識観や倫理観を求めるのもナンセンスだろう。かつてはクズキャラを受け容れる寛容さがあったわけだ。

また、こういう愛すべきクズキャラが画面一杯に暴れまくって周囲をかき乱し、振り回す様子は、漫画に必然と求められていた最もプリミティヴな表現だったし、作者のいう「キャラが動く」という比喩表現も、得てしてこういうハチャメチャなキャラを指していたのだと思う。

読者は、そういうメチャクチャで欲望に忠実なキャラクターに触れることで、現実では得ることの出来ない安心感やカタルシスを得ていたと思うし、本音と建前の窮屈な世界で生きていく以上、読者には必然的・潜在的に「本音の代弁者」が必要だったのだろう

読者は他人にとらわれないイノセンスなクズキャラを見て欲望に忠実に生きてきた子供時代の自分と対峙していたのかもしれないし、潜在的にどこかでそれを求めていたのかもしれない。

また近年、突然変異的に登場して大ヒットを記録したマンガやテレビ番組(『おそ松さん』『ポプテピピック』『斉木楠雄のΨ難』『水曜日のダウンタウン』など)にも「共通点」を見いだすとすれば、結構な「毒要素」「クズ要素」「悪ふざけ要素」が顕在している(かつ送り手と受け手で一体感がある)。

一方、最近のつまらない漫画や番組を見ると、毒にも薬にもならない淡泊なものばかりが目立つこれは送り手側がコンプライアンスを言い訳にしてるか、あるいは「毒」に対しての意識が乏しいからだろう)。

昔のマンガやテレビには、こういう「毒」がありふれてたし、送り手も受け手も「毒」の扱い方に長けていた、言い換えれば「耐性」があったのだ。

 

しかし最近の漫画は良い子ばかりで、クズやバカがいない気がする現実には、それこそ根本敬西原理恵子清野とおるのエッセイに出てくるような破天荒で魅力的なゲス、クズ、ダメ人間が大勢いるのに、最近の漫画には作品に出す価値があるのかないのかよく分からない「ハリボテ人形」のように薄っぺらい善良&人畜無害なキャラばかりで、どうにもつまらない。

一方、最近見た50年前の初期サザエさんAmazonプライムで配信中)は、磯野家揃ってキチガイ染みた言動をとるし、口より先に手が出るキャラばかりで、最近の保守的な漫画やアニメに心底うんざりしていた自分にとっては、もはや感動的ですらあった*2
























(Ⓒ長谷川町子美術館

とてもアクティブで、今のアニメにない「画面の躍動感」には胸がすいたし、自分が求めていたものは、こういう「人間的な猥雑さ」だったと気付かされた*3

しかし、最近のアニメはプリミティヴな漫画的表現よりも、キャラ同士の他愛もない漫才染みた「どーでもいい会話*4に重点が置かれるので、僕のような注意力散漫な人間だと数分見たらすぐ飽きてしまう(そんな会話は「現実的でもなければ漫画的でもない、実に退屈なもの」以上でも以下でもない)。

ちなみに漫画家志望のフォロワーさんは僕のこの指摘を受けて、こういうツイートをされた。これが本当なら漫画雑誌の審査員なんて何の役にも立たないロートルだと思う。

今回審査して下さった先生は、こういう意味のないどうでもいい会話を重視する先生だったな… 落選理由も、そういうのが入ってない だった。その前は、御託が多い…だったか。

心底趣味が合わないんだなって思った。もう、趣味の合わない先生が審査の時には二度と出さない。

 

まとめ

愛されるクズが主人公でなくなった、むしろ、できなくなった、というのはフィクションに対して過剰なまでに常識観を押し付け、不快な表現を悪として排除しようとする不寛容な人間が増えたからかもしれない。そういうわがままが常識として正義として善としてまかり通る世の中は控えめに言って狂ってる。

結局のところ、ぼくはダメ人間のドタバタ喜劇や人情ギャグが好きで、どこまでもキャラクターに人間臭さや人間本来に備わった醜さ、しょーもなさ、情けなさを求めてしまうのだ。また絶望的でシリアス向きの世界観を、ギャグ目線で面白おかしく描くような「逆転の発想」が今の漫画家には必要だと思うし、実際に吾妻ひでお卯月妙子山野一のように、悲惨な現実をギャグなどのユーモアによって真意を隠しながらも、読者の胸を心の底から打つような天才作家だって実際にいるのだ

自分は「漫画らしい漫画」が読みたい。漫画に求めてるのは、それだけ。そう、たったそれだけなんだ。

 

追伸

このエントリーを書いた後、タイムリーなことに、最近『男はつらいよ』の寅さんが「迷惑で強引な存在で、自分は好き放題しておいて他人はやたらと口をはさみ、逆に自分が指摘されると逆ギレするばかり」で「現代にそぐわないから大嫌いという意見が出て議論になりました。また、それに対して興味深い意見・反論が多々あったので、一部を下記に転載しておきます。結局、このエントリーの内容は漫画に限らず、現在のコンテンツ全体に言えることかもしれない。

 

寅さんは非日常の象徴。ロマンチズムの象徴。一般社会(安心な生活)の外に生きる。本来あらゆる愛(家族愛、友情、恋愛)は不合理の果てにある甘美だ。寅さんがヒーローとして在れた時代とは民衆が無意識にまだ合理性よりロマンチズムを信じていた時代だ

 

こち亀両津勘吉も初期は寅さん風味だったし、ああいう無頼で不器用で無作法な人が実はいい人で情に厚いみたいなのがある種のヒーローの典型みたいな時代があったよね

 

亡くなった父は寅さんシリーズが大好きでした。医者の息子に生まれ 自由な生活は出来ず 親の力が強い時代を生き抜いた父。亡くなる直前まで 全作VHSのビデオで寝たきりの父は寅さん見てました。自由奔放に生き、行きたい所に行ける 寅さんに自分の思いを重ねていたかもです

 

当時だって寅さんは『迷惑で強引な存在』で、柴又界隈でも鼻摘まみ者だったからさくらちゃんは散々、肩身の狭い思いをしてたわけで、『時代の精神』の話ではないと思う。あの厄介さの裏にある、人に対する優しさや善良さの魅力は今でも通じるし、むしろ家族や周りの人のあり方の方が変ったんだと思う

 

寅さんにしろ、植木等のスーダラ社員にしろ、迷惑な存在は昔から。社会の価値観が変わったわけではありません。自分にもそうした負の部分があるのを自覚した上で、負の部分を周囲が上手にあしらう筋が受けたのでしょう。今よりずっと互いをさらけ出した上での人間関係が主だった時代の作品です

 

寅さんの良い所は、度々自省していると思われるシーンがある所ですね。『俺は自由だ!いいだろう?』なシーンは見た記憶がないです。学もない、協調性もない、女にもモテない、人生いろいろ上手くいかない、寅さんは無神経な人ではなくて、弱い所が沢山ある人って事が人気があるのでは?

 

男はつらいよは、誰目線で見るのかで印象はだいぶ変わる。寅さん目線で見れば喜劇だし、さくら目線で見ると悲劇だ。寅に腹立つ人は、潜在的にひろしやタコ社長目線で物語を見ているんだと思う

 

私は逆に、今若い人は寅さんが大好き、と聞いた。どうもこんな世知辛い世の中で、あんなに自由に生きたい、との憧れがあるらしい。でもITの発展や社会の制度の変化で、そんな世の中が近づいているのかも?

 

自分の身近/身内にいたら、さぞ困った人物だったろうなあと思ったことあります。同居してなくて、少し離れた係累なら『でもほら、あの叔父さん、人は悪くないし』とか言ってるでしょうけれど。まあ、作品として見れば、『愛すべきキャラクター』という点に美しさや愛しさを見るということが心に響くわけで、逆にシャーデンフロイデ的な部分にコミカルさと皮肉を描き出している『家政婦は見た』の石崎秋子の方が職分通り越して好奇心だけで人の家庭を引っ掻き回しているのでたちが悪いなー、なんて思ったりします^ ^;

 

寅さんみたいな『外れた者』を温かく見守る大らかさみたいなものがあった。気心知れた身内には自分勝手だけど、悪意はないし、根っこに優しさがある情に厚い人だってことを好きな人は理解していたと思います。時代が変わったのでしょうね

 

寛容さが日本社会から失われている感覚があります。『あれはダメこれもダメ』『あいつは嫌いだから付き合わない』などとお互いに縮こまった結果、つまんない予定調和の世界になっていってしまうのかなあなどと考えてしまいます。他の方が指摘している通り、寅さんの一部分しか見てないのもしかり

 

飛び抜けて魅力的なところもあるけど、ずっと一緒にいると大変だし迷惑って人いると思うんですよ。本人だって、マトモな人間になりたいと思いながら、そうなれないダメな自分の狭間で苦しんでる。寅さんはそういう人間の可笑しさと哀しさを味わえる人向けですね

 

落語の登場人物なんてほぼほぼ寅さんみたいに周りに迷惑掛けっぱなしな人たちなんです。でも、そこから笑いや涙が生まれる。芝浜なんていい話ですよ

 

古典落語などの登場人物もそうなのですが、いろんな人がいてトラブルなどもあるのですが、それを許して笑いに変えたりして共存している様子はとても素敵なことに思えます。寅さんが大嫌いだ、という人は今も昔もいたかもしれませんが、そんな人もひっくるめて共存していける社会を目指したいものです

 

僕なんかは寅さんを見ていると『最近はこーいう人がいないなぁ、もっと大雑把でいいんでねぇの?』なんて思ったりします

 

悪気は無いが上手く生きれないそんな人を描きたかったのかな…

*1:もっとも、作品によっては登場人物全員がほぼトラブルメーカーというのもあるが…(例:赤塚不二夫レッツラゴン』、高橋留美子うる星やつら』、漫☆画太郎珍遊記』他多数、久米田康治さよなら絶望先生』など)

*2:「個人的に今回公開された初期『サザエさん』最大の魅力は、単純にアニメとしての魅力、つまり絵がバリバリ動いて、その上に話や演出が面白いところにあると思います。端的に言えば、活き活きしている。今の『サザエさん』は動きが少ないアニメです。基本的に家の周辺で何かしらの小さな事件が起きて、その事件は会話劇で完結する。これが今の基本形です。一方の初期は、全力投球のドタバタコメディ。キャラクターは走り回り、物は壊れ、リアクション過多、いわゆる“顔芸”も非常に豊かです。また、国民的アニメでなかったがゆえに、ドタバタ・時事ネタ(万博に行く。カツオたちがゲバ棒&ヘルメットで武装するなど)・しんみり系と、脚本の幅も今より広く、演出も凝っている。今なお続く“サクっと観ることができるから、ついつい次の話まで観てしまう”系の、ショートコメディとして普通に面白い」

*3:山上たつひこがシリアス路線からギャグ路線に転向したのも、こういう理由があったらしい。詳しくは『KAWADE夢ムック 山上たつひこ 漫画家生活50周年記念号』の3万字ロングインタビューを参照。

*4:別に小気味良い台詞回しがあるわけでもない

高市由美・特殊漫画家 山田花子を偲んで──父・高市俊皓

1992年に投身自殺した伝説の漫画家・山田花子
彼女の生涯からは、ある種の“信念”とも“業”とも言える「何か」が見え隠れしてならなかった。彼女の父でトロツキスト高市俊皓(2012年没)の寄稿(山田花子著/高市俊皓編『自殺直前日記』あとがき)から山田花子の抱えていたカルマ(業)の正体について探ってみることにしよう。


高市由美・特殊漫画山田花子を偲んで

高市俊皓(父)

一流高校―東京大学―上級国家公務員試験合格―高級官僚に。私の親父は、私を典型的な立身出世型の人間に育て上げようとした。親父は常日頃、私に昔の修身の教科書そのままの道徳を説いた後で必ず「お前の人生の目的は東大を首席で卒業して偉い役人になることだ」と言って聞かせた。

人生のある時期まで、私はそんな親父を尊敬していた。親父の期待に応えたいと思ってきた。しかし、成長するに従って、私は親父の人生観や価値観に疑問を持つようになった。親父の偽善に気付いたこともあった。また、私には親父の期待に応えられる能力がないことに気付いたこともあった。しかし、最大の問題は立身出世して富や社会的な地位を追い求めることが果して人生の目的たり得るのかという疑問であった。大学受験も真近に迫った高三の時のことだった。

高校を卒業して一年後、私は家を出て、東京の新聞店で働きながら受験勉強を続けることにした。「独立」しなければ、親父のお仕着せでない、自分自身の人生を歩むことはできないと考えたからだ。この頃、私は懸命になって哲学書を読み、人間如何に生きるべきかを真剣に考えた。当時、私が到達した結論は、たとえ貧しくとも、自分自身の信念に忠実に、人間らしく生きたいということであった。

一九六〇年四月、私は東京学芸大学に入学した。相変わらず新聞店で働きながら通学した。親からの仕送りはなかった。親父と喧嘩したからじゃない。生活保護とお袋の僅かばかりの稼ぎで暮らしている両親に、仕送りする余裕はなかったのだ。この頃には親父も私の生き方を認めていた。

私が大学に入った年は、御存知「六十年安保」たけなわの頃だった。連日、クラス討論―全学集会―国会デモへ、というのがお決りのコースだった。ところが、我が級友達(中学理科教師課程)の殆どが集会やデモに参加しようとしなかった。平穏無事に卒業したい、学生運動に参加して就職不利にしたくない、というのが本当の理由なのに、「学生の本分は勉強だから…」などともっともらしいことを言うので、むしょうに腹が立って騒ぎまくっていた。気がついたら何時のまにか執行委員になっていた。

安保闘争が終った後、ストライキを決議する為に開かれた学生大会で、賛否両論が伯仲してなかなか決着が付かなかった時、私が激烈な大演説!?をぶって、決議を通過させたこともあった。私が先頭に立って会場の体育館に突入して、教授会を流会させてしまったこともあった。学校側に「十分反省して、二度としませんと誓えば退学だけは許してやる」みたいな事を言われたが、私は拒否して帰ってきてしまった。お陰様で、その後間もなく退学になった。学生運動の渦中で、私はマルクスエンゲルスレーニントロツキーなどの著書を夢中になって読んだ。中でも、以後の私の生き方に決定的な影響を与えたのはトロツキーだった。トロツキーの思想や理論に共鳴したことは言うまでもないが、私はより以上にトロツキーの生き方に共感・共鳴した。一九二〇年代末~三〇年代にかけて、十月革命を担ったかつての同志達が、保身の為に次々とスターリンに降伏していく中で、トロツキーは敢然とスターリンに闘いを挑んだ。トロツキーは一九二九年に国外追放になり、一九四〇年にスターリンの放った暗殺者に、頭にピッケルを打込まれてその生涯を閉じた。私はとてもトロツキーのようには生きられないと思ったが、トロツキーのように生きたいという志だけは持ち続けたいと思った。

安保闘争が終って三年もたったころ、一人また一人と運動から去って行った。私は数少なくなった仲間と共に運動に踏み止まり、現在も社会主義を目指す文筆活動を続けている。

私事について長々と述べてきたのは、他でもない、由美の人格形成に私の生き方や考え方が色濃く投影しているように思われるからだ。日記に、「作家としての魂を売り渡して、つまらねー漫画描くくらいならバイトしながら好きな漫画描く」「素敵な大人(実は他人を踏み台にして知らん顔してる奴)より、傷だらけになって頑張ってる硬派の方が私は好きだぜ!」と書かれているのを見た時、とりわけその感を深くした。

私は、親父に価値観・人生観を押し付けられて育ち苦しい思いをしたので、自分の子供達は自由にのびのびと育てたいと考えてきた。しかし、日記を読んだ時、私もまた自分の暑苦しくてくっさい「前向き」の価値観を知らず知らずの内に子供達に押し付けてプレッシャーをかけてきたことを知って愕然とした。由美が日記に書いている通り私は偽善者だったと思う。

親父とのこと、学生運動のことなど自分の若かりし頃のことを、私はただ一度だけ真紀に話した。高校時代、学校の宿題で父親について書くことになった時のことだった。子供は親の背中を見て育つと言う。子供は親の日頃の言動ばかりでなく、人生観や価値観から実際の生き方まで、いわば親の全人格を見て自分の人格を築いていく。私は親父の価値観や生き方を反面教師として自分の人格を形成してきた。反対に由美は、多くの部分で批判や反発もあったが、コアの部分では、私の生き方や価値観の影響を受け、それを取り込んで自分の人格を形成していったように思える。そうであればこそ逆に、由美から見て、常に前向きに硬派として生きてきた私の存在が、「自然体」で生きようとする由美にとって、大きなプレッシャーになったのだと思う。これは確かに、親の意思でそうしたわけではないので、どうにもならない事なのだ。しかし、どうにもならない事であるだけに、あの時あんなこと言わなければ良かった、またあの時、何故もっと真剣に由美の話を聞いてやれなかったのか、という数多くの悔悟の念と重なり、私の気持ちを一層重苦しくする。

大小二十冊余りのノートに書かれた膨大な分量に及ぶ日記を読了した時、私は改めて、由美・山田花子の、人間としての、また表現者としての凄まじい生き方と自分自身に対する厳格さに驚嘆した。私は由美に比べれば遥かに不純だった。幾度も妥協したし、自分をごまかしもした。それでも、私は自分に寛大なので葛藤にならなかった。反対に由美の場合、余りに純粋で、余りに自分に厳格であり過ぎた為に、妥協したり自分をごまかすことができず、より正確に言うならば、一旦は妥協したり、ごまかそうとした自分が情けなくなり、葛藤が生じて苦しみ続けていた。

ヤングマガジン』『ガロ』『リイドコミック』など、生前、私は山田花子の作品を可能な限り入手して読んでいた。山田花子の作品を読むことは私の最大の楽しみの一つだった。しかし、当時の私には、山田花子の作品が持つ深刻きや本当の面白さが分かっていなかった。ただ漠然と「自分の体験を描いているんだ。この娘は苛めで負ったトラウマを一生引きずって行くのかな」などと思っていた。『ガロ』九十年九月号から連載され始めた「オタンチン・シリーズ」に主人公(作者)マサエの他にもう一人、作者の分身と思われる事態の冷静な観察者としての「山本さん」が登場する。楽天家の私は当時、「由美も少しは自分を突き放して客観的に観察することができるようになったのかな」などと考えていくらか安心していたものだった。しかし、由美の死後、遺品の中から出てきた「ノゾミカナエタマエ」という作品を読んだ時、もしかしたら「山本さん」の登場は、山田花子の精神生活上もっと深刻な意味を持っているのではないかという疑問を抱くようになった。

九三年夏~秋に、芸術家としての山田花子に深い関心を抱かれた香川医大精神科の石川教授が我が家を訪れた時、私はかねてからの疑問をぶつけてみた。教授はおおむね以下のような話をして下さった。

普通、作家は自分自身の冷静な部分を作中人物として登場させるようなことはしません。作家はそれを自分自身の内面に確保しておいて描くからです。山田さんが自分自身の冷静な部分を、作中人物として登場させたということは、当時自分自身で精神のバランスを維持することが極めて困難になっていたということを意味します。つまり、作中に自分自身の冷静な部分を具象化することによって、辛うじて精神のバランスを維持していたと言えます。

しかし、この段階では、ほとんどの精神科医は「病気」とは診断しないでしょう。この段階では有効な治療方法がありません。薬を与えますと、かえって発病を早めてしまいます。もし、どうしても発病を阻止しようとするならば、自分自身に関心を向けさせないこと、自分自身のことを描かせないようにするしかありません。しかし、そうしますと、その人の芸術家としての才能を殺してしまうことになります。ここに精神科医としての私と芸術愛好家としての私のジレンマがあります。

芸術家は、特に自分自身のことをそのまま作品にするタイプの芸術家は、「正常」と「異常」との間にいるような時に、もの凄い創造的なエネルギーを発揮して、常人では到底できないような素晴らしい作品を生み出すことがあります。山田さんの場合がそうです。自分自身のことをそのまま作品に描く芸術家は、たいてい最後には心の病になります。これは悲しいことですが事実なのです…

山田花子は九一年五月ごろ、『ヤングチャンピオン』誌に「ノゾミカナエタマエ」と題する作品を連載していた。主人公(作者)山田花吉が我儘女のセックス奴隷になり下がり、遂には自分自身のもう一つの分身として作中に登場する。プライドに見放されてしまうというストーリーの作品である。

山田花子はまた九一年十二月に、『アライビー』九二年二月号に掲載する予定の「新智恵子抄」と題するコラム原稿を書き残している。この作品では、近所の主婦の噂話という形をとって、同じ団地に越してきた若妻が追い詰められて発狂し、精神病院に入院してしまうまでの過程が淡々と語られている。この作品のコンセプトを指示する紙片に「自分自身の現実の姿を他者の視点で徹底的に客観視して描く」と記されていた。

山田花子は、プロデビューして以来一貫して、自己の内面の葛藤と苦悩を、作中人物に託して描き続けて来た。山田花子は最後の一年余り、「正気」と「狂気」の狭間をさまよいながら、創作活動を続けていたのであろうか?

嘆きの天使」「ファントム・オブ・パラダイス」「忘れられた人々」「エル」「マルチプル・マニアックス」「ポリエステル」等々、私は由美が見ていた映画を片っ端からみた。蛭子能収丸尾末広根本敬山野一など諸先生の作品も読んだ。中でも「四丁目の夕日」は凄い作品だった。ジョン・ウォーターズ山野一の素晴らしいところは、山田花子の言う「常識の嘘」を徹底的に暴き出し木っ端微塵に粉砕してしまうところだ。見ていて爽快な気分になる。

(月刊『ガロ』1986年6月号より山野一『四丁目の夕日』扉)

由美と私は元々趣味の周波数が近かった。由美や真紀が子供の頃、赤塚不二夫水木しげる小林よしのり日野日出志などの漫画を一緒になって読んでいた。映画も好きだった。主流はフィルム・ノワールロジャー・コーマン系のB級ホラー。しかし、私は漫画や映画を単なる「娯楽」としてしか見ていなかった。私が怖くて見ることができなかった、人間存在の真実に迫る芸術作品に引き合わせてくれたのは、由美・山田花子だった。

最近読んだ本では根本敬『因果鉄道の旅』が素晴らしかった。私にはこの本に出てくる内田という男の話が格別面白かった。内田が「実際にやっている事」と「自分がやっていると思っている事」の落差の大きさから笑いがこみあげてくる。根本氏の凄いところは、内田に「お前もうやめろよ」とかおためごかしの忠告などせずに「情報」を集めて、内田の思考回路や行動パターンを冷静冷徹に観察しているところだ。たぶん、根本氏は、この「とんでもない奴」を冷静冷徹に観察することによって、人間存在の真の姿を、人間の冷酷残酷さ、業の深さを見極めようとしていたのだと思う。

人間は自己の様々な欲望を充足する為に、他者を踏みにじり収奪する。また人間はエゴや保身の為に他者を差別し抑圧する。意識的であるか、無意識的であるか、また、犯罪にまで走るか、合法の枠内に踏み止まっているかは別として、これは誰もがやっていることなのだ。動植物など他の生命体を破壊することなしに生きていけない人間は、本来的に残酷で、“業”の深い生き物なのかも知れない。

根本氏の観察の対象が主に他者であったのに対して、山田花子の観察の対象は自分自身だった山田花子は自分を苦しめるいじめっ子を軽蔑していた。しかし、彼等を軽蔑することで、実際には、彼等にどーしてもかなわない自分自身のふがいなさをごまかしている事に気付いて一層惨めになり苦悶した。山田花子はまた、いじめっ子同様、自分自身の内面にも、冷酷さ、残酷さ、差別意識等がある事に気付いて苦しんでいた。山田花子が「自分自身の内面にある冷酷さ、残酷さ、差別意識」と言う場合、それは第三者からみれば、ほんのちょっとしたエゴ、保身、意地悪程度のものであった。しかし、繊細でナイーブな山田花子にとっては、それが耐え難い苦痛になり、激しい内面の葛藤の源になった。山田花子ほど厳格且つ深刻に自分自身の業の深さを見詰めて、それをそのまま作品化してきた作家はそう多くはないだろう。山田花子はやはり、特殊漫画家―真の芸術家だったと思う

山田花子がプロの漫画家として活動した期間は、僅か四年余りの短いものであった。この間に山田花子は、多くの方々―漫画家、ミュージシャン、イラストレイターなど様々な分野の芸術家や編集者、読者の皆さん―と出会い、何らかの形で交流を持った。これらの方々にとって、山田花子と関わりのあった期間は、長い人生に比べれば、ほんの瞬きする間ほどの短いものだった。にもかかわらず、山田花子の作品とその死は、何故か多くの人々に強烈なインパクトを与えた。生前山田花子と親しくお付き合い頂いた方はもちろんのこと、ほんの一~二度しか会ったことのない方や、恐らくただの一度も会ったことのない読者の方々までもが、真心のこもった追悼文を寄せて下さった。

山田花子は、ジーコ内山さんのライブに行った時に配られたアンケート用紙に「人生一回きりなんだから、どんどん好きなことやった方がいいですよ」と書いたという。山田花子は、妹と一緒にバンドを組んでライブハウスに出演した。演劇もやった。同人誌を作り、エッセイを書き、イラストも描いた。そして何よりも漫画を描いて、数は少なくても、どんな有名漫画家でも出会えなかったような熱烈な支持者、読者に巡り会えた。また、根本さん、蛭子さん、井口さん、知久さん、友沢さん、みぎわさん等を初めとする多くの素晴らしい芸術家の方々と出会い親しくお付き合い頂いた。一見すると、由美・山田花子は全くの絶望のドン底で自ら命を絶ったように見える。しかし、私には深い絶望感と共に、「やりたいことは一通りやった。この先生きていても辛いことばかり。もう終わりにしたい」というような諦めの気持ちも入り混ざったささやかな満足感もあったように思えるのだ。前日までの悲し気で苦し気な表情とうって変わって、その死顔は静かに眠っているかのように穏やかであった。


一九九四年二月末 父記す


佐山哲郎インタビュー『コクリコ坂から』原作者初告白「ポルノ小説家から住職になるまで」

公開後3日間で45万人を動員したジブリの新作『コクリコ坂なら』(宮崎吾朗監督)。原作を書いた佐山哲郎さん(63)は、現在は寺の住職、かつてはなんとポルノ小説も書いたという、波乱に富んだ経歴の持たち主なのだ。

映画は1980年に『なかよし』に連載された少女マンガのアニメ化。佐山氏が当時を振り返る。

初回が新年号の巻頭カラーでした。作画の高橋千鶴さんを売り出そうと、編集部が力を入れた作品だったんです

しかし連載6回目までいったとき、あと2回で打ち切りと決まった。

映画の脚本を手がけた宮崎駿氏は、原作について、〈不発に終った作品〉〈結果的に失敗作に終った〉と厳しい評価を下しているが、佐山さんは、「大長編にするつもりで伏線を張るだけ張って、これから面白くなるところだったのに……」と苦笑する。

佐山さんは1948年、東京に生まれ、67年に都立大人文学部へ進んだ。「学生運動と麻雀ばかりしてました。学内バリケードで火炎瓶の投げ方を教えたり、麻雀は生計を立てられるほどの腕前になった

四年間在籍したのち、大学は中退。小さな広告代理店に勤めていた、あるとき。旧知の編集者から、「老大家が書いた少女漫画の原作あまりに古めかしいのリライトしてほしい」と頼まれた。二晩徹夜したその仕事のギャラは、もらっていた月給の三倍だった。これを機に、佐山さんはサラリーマンを辞め、少女マンガの原作者になったという。

 

名著『性生活のワル知恵』

コクリコとは、フランス語でひなげしのこと。

タイトルをつけるのだけは上手いんですよ(笑)。少女マンガの原作は、ホラーやサスペンスものを中心に20本ほどやりました。『タランチュラのくちづけ』というのもあった。男装してアマゾン奥地の探検隊に加わった少女が、実は毒グモの末裔で……というお話。少女の心理なんて書けないから、ストーリーで引っ張り回すだけ(笑)

その後、誘われて群雄社という新しい出版社の編集長になった。当時作った本を挙げると、『性生活のワル知恵』は、著者・山本晋也、挿絵・黒鉄ヒロシ、帯は吉行淳之介という豪華な顔ぶれ。その内容は、

SMを利用してダイエットする、メチャクチャな本でした(笑)

色単~現代色単語辞典』は、ポルノ小説に出てくる“色ごと用語”を数千も集めて分類。05年に復刊された“隠れた名作”だ。

 “編集家”の竹熊健太郎君が、持ち込んできた企画。擬音も入れることにしたら、あるページには『ヌルヌル』『ネチョネチョ』みたいな項目ばかりに(笑)

その後、二、三のペンネームを使い分けてポルノ小説を書いた時期もあった。しかしこの仕事は、

向いてなかった。根っからエッチじゃないと、あれは書き続けられません

その頃には、生家である台東区根岸の浄土宗西念寺に戻って、すでに住職の仕事を始めていた。原作者から見た映画の感想は、

設定が1963年に変わっていますが、ちょうど僕自身が、登場人物と同じ高校生だった時代。当時の風俗が細かく描かれていて、感動しました。試写会のとき、作画の高橋千鶴さんは隣で泣いていましたね

多才ぶりはいまも変わらない佐山氏。六月には『童謡・唱歌がなくなる日』(主婦の友新書)という著書を出したばかり。最新の句集も近々刊行されるという。

(初出『週刊文春』2011年8月4日号)

【蔵出】幻の『色単』について: たけくまメモ

ロックバンドがフジを電波ジャック 生番組の怖さまざまざ

ロックバンドがフジを電波ジャック 生番組の怖さまざまざ

 

フジ系の生番組「ヒットスタジオR&N」で十三日深夜、タイマーズというロックバンドが、二曲目に突然、―FM東京腐ったラジオ、最低のラジオ……などと、わいせつな言葉を交えながら歌った。

このバンドは、正体不明というふれ込みの四人組だが、実は中心人物がRCサクセション忌野清志郎。彼は昨年、反原発の思いを一部に込めたアルバム「カバーズ」を発表、これが一時発売中止となって話題を集めた。その時、FM東京原発問題を扱った曲の放送を自粛した。

加えて、忌野が別のバンドのために詞を書き、九月に出た「谷間のうた」が、FM東京FM仙台で放送自粛の憂き目に遭っている。この曲は、思わせぶりな表現が続くものの、コードに触れるような言葉はない。それで、―何でもかんでも放送中止さ、という怒りにつながったようだ。

この“抗議行動”を、よくぞやったと評価したり、面白がったりする人もいるだろう。だが、電波ジャックをしての特定局の中傷は、少なくとも公平ではない。また、アルバム発売を来月に控えているだけに、宣伝、話題作りと勘ぐられても仕方がない。

フジの幹部は「リハーサルをやりながら、このような発言が出たことは遺憾」と言い、FM東京に陳謝した。今回の出来事は、深夜を中心に増えている生番組の怖さの一例。(ま)

 

読売新聞 東京夕刊 1989.10.19 芸能  13頁

フジの『ヒットスタジオR&N』(89年10月13日放送)にタイマーズが生出演して起こした”あの騒動”は読売新聞の芸能面にも載っていた。

が、結局のところ「やりすぎではないか」という見せかけだけの正論に終始した、実にくだらない内容だった。ていうかゼリーの正体を忌野清志郎ってバラすなよ(笑)そもそも「深夜を中心に増えている生番組の怖さ」とは何なんだ(笑)もっともらしく語っている感じが鼻についてしょうがない卑怯なやり口の記事だった(了)

 

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ロリータ順子インタビュー「私が何で一部で支持されたかっていうと、白痴性とロリータ性とヴァージニティ、その3つだと思うの」

ロリータ順子インタビュー

ロリータ順子(本名・篠崎順子)

1962年(昭和37年)3月11日生まれ。A型。ニューウェーブ雑誌『HEAVEN』『月光』にエッセイ等を執筆した他、バンド「だめなあたし」「タコ」で山崎春美町田町蔵らと共にボーカルとして活躍し、戸川純とも交友を持っていた。持ち曲にタコの「嘔吐中枢は世界の源」がある。1987年(昭和62年)7月1日、夏風邪をこじらせ、咽喉に嘔吐物を詰まらせて永眠。享年25。

創作活動

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タコの時、私が何で一部で支持されたかっていうと、白痴性とロリータ性とヴァージニティ、その3つだと思うの。自分の中で創作活動をしてる意識って全く無かったから。自分はアーティストではないと…。音に走るよりは活字の人だから、まあそれをやりたいなと。じゃあ何をすべきかっていうと、活字を好きっていうのは単に活字中毒っていうのもあるんだけれど、活字を信用してるっていうのは全然無くて。創作活動って常に新陳代謝していないと、自分の中におりかたまっていくようでそれが気になって。

 

ロリータ順子のイメージ

山塚アイさんと同じ待遇を受けてると思ったわ。Phewみたいに伝説になってて、復活したというだけで、みんなに「あーっ」と言われるのと、私が復活して「あのバカ何やってんだ」と言われるのじゃホント差があるからね。イメージが先行してるから、ホントやりにくいと思う。例えば山塚アイさんとやるという具体的なプランがあったとしても、そういうジャンルでは意味が無いと思うの。商品鮮度が落ちてて。何でかっていうと、女の子ってヌードだし、売春婦でしょ。そういう意味で自分にはそういうものが全く失せていると…。

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(19才のロリータ順子)

 

ケンカ

(町田)町蔵が流血沙汰起こすっていうようなイメージが、相当浸透してることに驚いたんだけど。実際活動してて、あの人は他人から殴りかかられても殴りかえさないし、争わないし、自分からケンカ売るようなことも全くしないのよね。だけど最初に「イヌ」を出した時点で、攻撃性=パンクで、テロリズムっていうのがみんなの中に成立しちゃってて、イメージがどんどんて先行して損してるのね。そこへいくと山崎(春美)はずるかしこくて。山崎がケンカ売るだけ売って、あとはひっこむから、自分が殴られる前に。いつも町蔵は「あーやめーな」とか言ってる内に殴られる。

私は争いはいや!個人個人が自分の中で超越したのをもっていると、他人はどうでもよくなるのよね。そういうのってすごいコワイ世界だと思う。だからノータッチでいたいし、争いは嫌だし。

 

深みにはまると愛情って死に向かうところがあるてしょう。だから、「心中しよう」とは殆どの人に言われたんだけど。さすがに今はセーブしているんですけど。愛憎裏腹っていうけれど、例えば男の人とつきあっててよく「母性的だね」って言われるのね。でもそれは、人間の母親が赤ちゃんを抱いて可愛がるというようなものではなくて、「あーどうしよう、この子だめになっちゃうわ」と思ったら食べちゃうような。私はいつもお母さん役と子供役両方やっちゃうから。それに女を加えると、女って娼婦でもあり、妹でも姉でもあるから。だから1人で5役演じなきゃならない。

私、「男を殺す」とか悪口言われるけれど、それはすごく悲しいのね。相手とつきあっている時に、私の中のエナジーを「あー吸い取られてるな」って思うのね。こっちも吸い取ってるけど。吸い取る量がすごく多い気がするのね。

 

男たらし

マイナー業界の女の人達がねぇ、私の一番嫌いなことが何かっていうと、イメージでね、私は知らなかったんだけれど、「男たらし」だって言われた。それが悲しいです。私は「男たらし」になれないから、自分の中のストイックな面を保とうとしている方向にあるのに、みんな違うベクトルに解釈してる気がする。

ミニコミ誌『ラフレシア』より/1986年

 

娼婦は処女、非処女に関係なく女であるということですべからく娼女であり、それは或る意味でグロテスクな迄に美しい」(『娼婦と少女と―売春考』)

(ロリータ順子と戸川純

 

自殺未遂ライブ(1982年9月1日)

山崎春美(痙攣自傷、出刃包丁)

ロリータ順子(ヴォーカル)

篠田昌已細川周平向島ゆり子(伴奏)


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TACO/ガセネタ

1983年夏に行われたタコのライブ

 

山崎春美&雑誌『HEAVEN』が主宰していた伝説のコンサート「天国注射の昼(Live at 日比谷野音 1983.08.21 / 09.17)

 

浜野純インタビュー「伝説とかいっても、ガセネタを実際に観た人は、30人いないんじゃないか」

伝説かガセネタか

浜野純──You are so foolish man,my friend.

文=中山義雄(音楽評論家)

(“ガセネタ”たった一度のチラシ)

 

伝説とかいっても、ガセネタを実際に観た人は、30人いないんじゃないか

浜野純というのは、逢った当時から、物事を達観したようでいて、自嘲的な、とにかく独特の物の言い方をする人間だった。

それはいまも変わらない。

アングラってさ、伝説になりやすいんだよ

“伝説”はいまも口から口へと木霊(こだま)している。

ラウドで、凶悪なエレクトリック・ギターは都市空間の物怪だろうし、浜野純は、憑かれていたし、走っていたし、血を流していた。彼はいまも鬼っ子として座敷にでも幽閉されていたほうがいいような風情は多分にある。浜野純は違いの解る奇形児であり、大人になれなかった神童として、わたしの青春に登場した。

浜野がギタリストとして在籍した、ガセネタの伝説は、山口冨士夫ラリーズに求められている肉体の軋みをそのまま音像化したようなロックという日本のロック永遠の課題の模範解答だったというもので、その推定30人の目撃者の内訳の関係者含有率ではないかと思う。活動時期も、東京ロッカーズが始動したのと同時期のロック過渡期だったし、東京ロッカーズとアヴァン・ギャルド隣接するような場所で活動していたのだった。

見取り図のうえではそうかもしれないけど、現実には吉祥寺のマイナーくらいしか演奏できる場所はなかったという情ない事情もあってね。実際、東京ロッカーズ観たときは、単純に上手いな、と思った。これは大事なポイントでさ、要するに、アレはパンクじゃなくて、ハード・ロックとか演っていた人たちが、新しいロックに飛びついたんであって、ぼくらみたいにムチャクチャやってたわけじゃないわけですよ。それに東京ロッカーズ聴いて、ギターの音を厚くしたくなったけど、どうすればいいか解らなかった(笑)。でも、音の本質的な激しさとディレイとか使った厚みや激しさは違うものだからね。ラリーズにしても、エコー・マシーン使う前のほうが断然良かった。久保田麻琴が出たり、入ったりしてた時期だけど

 

浜野はそうとう早熟なロック・マニアだったのである。わたしが浜野と出逢ったのは、江古田の掘越学園こと、日本大学芸術学部の入学式でのことだった。

マニアなら必ず通る、中古盤屋、トニー・レコードの袋を持って、入学式に臨んでいる不思議な男(シド・バレットの目をしたブースカを想像してください)がいたので、わたしが声をかけたというのが、真相だ。お互いホーリー・モーダル・ラウンダーズが好きだったので、意気投合し、彼は「俺はベース弾きで、不二家のペコちゃんの袋にモズライトのベースを入れている。君はギターを弾くのか? 昔、一緒に演っていたドラマーに逢いに行こう。バンドの名前は……

そういうと浜野はくしゃくしゃになった紙に“コクヨ”と書いたのだった。

いま思えば、ここまではローリング・ストーンズと同じだったな(苦笑)。

1981年当時、本人曰く“生傷が耐えなかった”という凶暴なギター、と灰野敬二の不失者で、“福生のライヴ・ハウスの壁をくずした”大音響のベースで、浜野は伝説だったのだ(東長崎の安アパートで、出入り禁止になったような類の話をタイニー・ティムをかけながら自嘲的に話してくれたというわけだが)。

派手に暴れたくても演奏する場所も、技術もない──結構、気味悪がられていた。日芸の頃の中山みたいなもんだな(笑)。それに、ピストルズやパンクを意識したことってなくて、中山は知ってるだろうけど、わたしは泣きのバラードというか、普通の音楽が好きなわけで、ドニー・フリッツとか、スプナー・オールドハム、ロニー・レインやヘロンとか。高校の頃は、ブラックホークに入って、レコード係を恫喝して『トラウト・マスク・レプリカ』とかかけさせていたけど、まあ、若気の至りです(笑)。中学の頃に灰野(敬二)さんと遊びでやっていたセッションは、モロにビーフハート風だったけど。大学で逢った頃、最低ビーフハートくらいは出来ないと駄目だ、とかいったけど、あれはハッタリです

連続射殺魔のHPにこう書かれていた。

浜野純は、俺と同じ中学(世田谷区松沢中学校)の一学年下である。彼はいつも構想について色々語ってはいるのだが、実際に曲を作って持ってきたことは一度もない。いかにして才能があるかと思われる振る舞いに、全存在をかけているようであった。

中学/高校時代の浜野と大学時代の浜野の違いは、“いかに才能がないように思われるかという振るまいに、全存在を賭けていた”ことになるだろうか。

その変化がガセネタと不失者の活動にあるのだろうと思う。確かに、わたしの知っている浜野は、大瀧詠一の「みだれ髪」やあがた森魚の「リラのホテル」が好きな男だった。

削ぎ落とすんだよ。削ぎ落として、削ぎ落として、残った骨だけがぼおっと光っていればそれでいいんだ

これもウェッブで拾った浜野の言葉。やっぱりオマエは激しい奴だよ。

 

ガセネタ『Sooner or Later』(1993)

録音:1978年春 明治大学和泉校舎 学生会館1F仮設スタジオ

間章氏が推薦の辞を寄せているからというわけではないが、ガセネタの音楽にはロックやパンクよりもむしろ、フリー・ジャズ的な混沌が刻まれているように感じる。いちばん近いのは、やはりオーネット・コールマンだろうか。和声進行をはじめ既成のジャズの様式を解体したことで知られるオーネットだが、彼の音楽はまた、自らの内面に迸る情動を絞り出すようにして爆発させた、“ブルース”でもあった。息が詰まるほど濃密な想念が、知らぬ間に既成の様式を追い越し、最終的には徹底した解体に向かわせる。そんな過程は、本作にも確実に見て取れる。スタイルだけ取り出してみれば、3コードに8ビートというきわめてオーソドックスなパンクだが、実体を持たない個人の過剰な想いが、空気の振動となって確実に聴き手に伝わってくる。(土佐有明

 

(ガセネタのレパートリーは「雨上がりのバラード」「父ちゃんのポーが聞こえる」「宇宙人の春」「社会復帰」のたった4曲しかなかった

 

ブルース・インターアクションズ

『ロック画報 08』(2002年)より