Underground Magazine Archives

雑誌周辺文化研究互助

Underground Magazine Archives

もくじ

鬼畜系

鬼畜系サブカルチャーの終焉/正しい悪趣味の衰退

鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?

吉永嘉明『自殺されちゃった僕』解説◎春日武彦「掟破り、ということ」

Jam&HEAVEN

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百恵ちゃんゴミ箱あさり事件で有名になった自動販売機ポルノ雑誌『Jam』の編集長が明かすその秘密―わしらのフリークランド(宝島1979年12月号)

近藤十四郎インタビュー(『HEAVEN』二代目編集長)

隅田川乱一インタビュー(『Jam』ライター&コンセプター)

山崎春美インタビュー(『HEAVEN』三代目編集長)

高杉弾インタビュー(『Jam』『HEAVEN』初代編集長)

高杉弾インタビュー「ぼくはプロの編集者であったことなどなかったし、むしろ編集者に変装した変質者でした」

 

スーパー変態マガジン Billy

1982年

山崎春美のスーパー変態インタビュー(第1回)「逮捕後の変態ロックバンド スターリン 遠藤ミチロウ」

山崎春美のスーパー変態インタビュー(第2回)「ウンチでビルが建った!? 群雄社代表取締役 明石賢生」

 山崎春美のスーパー変態インタビュー (第3回)「女房の流産を心底喜んだ!? 異端漫画家 蛭子能収」

 

月刊漫画ガロ

1992年

花輪和一インタビュー(ガロ1992年5月号)

ねこぢるインタビュー「ゲームの世界に生まれたかった」(ガロ1992年6月号)

1993年

丸尾末広インタビュー(ガロ1993年5月号)

山野一「食えませんから」(ガロ1993年6月号)

1994年

混沌大陸パンゲア刊行記念/山野一インタビュー(ガロ1994年2月号)

 

ねこぢる山野一

1992年

ねこぢるインタビュー「ゲームの世界に生まれたかった」

1993年

山野一「食えませんから」(ガロ1993年6月号)

1994年

混沌大陸パンゲア刊行記念/山野一インタビュー(ガロ1994年2月号)

1995年

山野一インタビュー「カースト礼賛」(ユリイカ総特集=悪趣味大全)

1996年

山野一ロングインタビュー 貧乏人の悲惨な生活を描かせたら右に出る者なし!!(東京公司編『危ない1号』第2巻 特集/キ印良品)

ねこぢるインタビュー「なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまに思ったりして」(文藝1996年冬季号)

1998年

マンガ狂い咲き 山野一 ~アセチレンからドブの上澄みまで特殊全般~因業製造工場へようこそ!(BUBKA1998年1月号)

マンガ狂い咲き かわいくってざんこくな本棚のペットねこぢるの飼い方/鬼畜なねこちゃんの何かがわかる本/特集ねこぢるマンガの生態(BUBKA1998年1月号)

ねこぢる追悼ナイト@新宿ロフトプラスワン(根本敬×白取千夏雄×サエキけんぞう×鶴岡法斎)

2000年

ねこぢるyインタビュー ねこぢる/ねこぢるy(山野一)さんにまつわる50の質問(文藝2000年夏季号)

2005年

「自殺されちゃった僕」刊行鼎談(吉永嘉明×山野一×根本敬)

2006年

対談◎吉永嘉明×山野一「自殺されちゃった僕たち【Vol.3】正しく失望せよ!」

2008年

対談◎根本敬(特殊漫画家)×山野一(漫画家)「いまも夢の中にねこぢるが出てくるんです」

その他

伝説の鬼畜系ライター村崎百郎が遺したオウム論「ゲス事件/ゲスメディア/ゲス視聴者」&「導師(グル)なき時代の覚醒論」

地下鉄サリン事件のあった1995年、太田出版から『ジ・オウム―サブカルチャーオウム真理教』というサブカルチャー系の文化人がオウム真理教を解説しまくる大変珍しいオウム本が出版された。同年デビューした鬼畜系ライターの村崎百郎も「ゲス事件/ゲスメディア/ゲス視聴者」と題した原稿を寄稿している*1

本書の執筆陣は宇川直宏根本敬中原昌也福田和也村上隆岡田斗司夫村崎百郎福居ショウジンと何かと豪華であるが、大変残念なことに本書はすでに絶版で現在は入手困難であり、古書価格も1万円近くまで高騰している。まるで紙の文化にアクセスすること自体が容易でなくなってきているという嫌な予感を感じさせられた。

しかし、このまま歴史の闇に葬り去られて行くには余りに惜しい。さらに今年はオウム死刑囚全員の死刑が執行され、例年になくオウム真理教に注目が集まった年でもある。このたび本書を入手出来たので麻原と村崎亡き今、村崎の貴重なオウム論をブログ上復刻してみようと思った次第である。

なお初出となった本書には黒田一郎の「導師(グル)なき時代の覚醒論」も寄稿されている(後述)。

ゲス事件/ゲスメディア/ゲス視聴者

村崎百郎












ちなみに本書には黒田一郎の原稿も収録されている。

黒田を御存知ない読者がいるかもしれないから彼の正体を説明しておこう。

黒田一郎とは村崎百郎の本名である

さらに村崎は中卒の工員と紹介されているの対し、黒田は明治大学卒でペヨトル工房*2の社員と紹介されている。なお同95年7月創刊の青山正明『危ない1号』(データハウス)には「編集協力者」として黒田のクレジットも記載されている。が、村崎と黒田はあくまで「別人」という設定であり、筆致もだいぶ異なっている。

なぜこのような寄稿を行ったのか?…

それは村崎百郎のパブリック・イメージでは伝えきれないものがあったのかもしれない。いずれにせよ「黒田一郎」の寄稿は鬼畜系の「村崎百郎」を補完する上で重要な試みであったことは間違いがないだろう。

導師(グル)なき時代の覚醒論

黒田一郎





*1:村崎百郎は『ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「悪趣味大全」にも「ゲスメディアとゲス人間/ワイドショーへの提言」と題した共通のテーマの原稿を寄稿しており、これが事実上のデビュー作となった。この原稿はアスペクト編『村崎百郎の本』に収録されている

*2:かつて雑誌『夜想』を出版していた特殊出版社。黒田一郎はアルトーウィリアム・バロウズ幻想文学を担当した。

村崎百郎「ゲス事件/ゲスメディア/ゲス視聴者」と黒田一郎「導師(グル)なき時代の覚醒論」

鬼畜系ライターの村崎百郎は『ジ・オウム―サブカルチャーオウム真理教』(太田出版、1995年10月)に「ゲス事件/ゲスメディア/ゲス視聴者」と題した原稿を寄稿している*1

今年はオウム死刑囚が全死刑執行され、例年になくオウムに注目が集まった年である。だが、本書は既に絶版で古書価格が一万円近くまで高騰している希少本であり、アクセスするのは容易でない。麻原と村崎亡き今、この原稿が世の中から消えてしまう前に何とかWEB内で復刻を試みた。

ゲス事件/ゲスメディア/ゲス視聴者

村崎百郎












ちなみに本書には黒田一郎の原稿「導師(グル)なき時代の覚醒論」も収録されている。黒田を御存知ない読者もいるかもしれないから彼の正体を説明しておこう。

黒田一郎とは村崎百郎の本名である

村崎は中卒の工員であるの対し、黒田は大卒でペヨトル工房*2の社員と紹介されており、青山正明編集の『危ない1号』(データハウス)には「編集協力者」として黒田一郎のクレジットがある。

ただし、村崎と黒田はあくまで「別人」という設定で筆致もだいぶ異なる。なぜこのような寄稿を行ったのか?…それは村崎百郎のパブリック・イメージでは伝えきれないものがあったのかもしれない。いずれにせよ「黒田一郎」の訴えは「村崎百郎」と同じベクトルを向いていることは間違いないであろう。

導師(グル)なき時代の覚醒論

黒田一郎





*1:村崎は『ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「悪趣味大全」にも「ゲスメディアとゲス人間/ワイドショーへの提言」と題した共通のテーマの原稿を寄稿しており、こちらはアスペクト編『村崎百郎の本』に収録されている

*2:かつて雑誌『夜想』を出版していた特殊出版社。黒田はアルトーウィリアム・バロウズ幻想文学を担当した

月刊漫画『ガロ』を思う/蛭子能収

ガロを思う

蛭子能収

もし『ガロ』という漫画雑誌がなかったら私は漫画家としてこの世に出ることはできなかっただろう。だから私はガロを尊敬しているし、ガロの編集者から何か頼まれたら嫌とはいえないし、ガロに足を向けて寝ることもできない。仕事がら数多くの雑誌が毎日何冊も送られて来る。ほとんどの雑誌を読まずに捨てている状態にあるが、ガロだけは絶対に捨てられないと思って、整理はしてないけど毎月その辺にポンと置いている。

しかし、正直な話、最近中味をほとんど読んでいないのである。ただペラペラとページをめくるだけ。時々読者コーナーを見て「蛭子能収さんのマンガが面白い、また見たい」とか書いてないかなーと思うが私の名前を見たことがない。

もう私の名はガロの読者から忘れられてしまったのだろうかと淋しくなってしまう。告知コーナーにも私の名前はない。加えて単行本の宣伝もない。ただ青林堂出版物一覧表の箇所に「蛭子能収」とあり、7冊の単行本が記載されており、一冊を除いてすべて品切れの*印が打たれているだけだった。もう私はガロの人ではなくなってしまったのだろうか、と淋しく本を閉じ布団の中で寝入ってしまった。何かこうガロにも取り残され、一人ぼっちの悲しい運命を辿る浮浪者のような心境である。

だからといって、もし今ガロの手塚(能理子)さんあたりから「マンガを描いて」と注文が来ても全然書きたくないし、いや描く内容もないし、でも断わりきれないしで困ってしまうが、何も描かなくてもガロの人ではいたいと思っている自分が情けない。

ガロの読者コーナーのあとに文通コーナーがあって「戸川純丸尾末広が好きです。例えばのぞき穴をのぞいている様な殺伐とした刺激を求めていろんな街を歩いています。体を痛めつけて遊ぶ私につき合って下さる方、男女年齢問いません、罪をおかしてみませんか。世田谷区ち乃21歳」とか「丸尾末広日野日出志山田花子等が好きです。人間嫌いで非現実なタイプの方、お手紙待ってます。埼玉県トラ太郎26歳」とか、とにかく文通したい人がたくさんいて、自分で堂々と暗い自分を強調して逆に明るくなっている。人間嫌い同士が文通し合うとどんな内容の手紙になるのか見てみたいものだ。

この文通コーナーを見ると、丸尾末広戸川純つげ義春寺山修司横尾忠則筋肉少女帯、インド、黒い服、などに人気が集中していた。私の名前はなかった。なんとなく傾向は分かる。分かるけどまた淋しくなった。もう私はガロの人ではなくなっていってるんだと思った。

そういえば最近ガロの忘年会というものに全然出ていない。何年か前までは必ず忘年会でガロの漫画家達と久し振りに会い、だからといって何を話すでもなく、二次会ではいつもお決まりの根本敬さんや平口広美さん、丸尾末広さん、他に若い漫画家も加わって喫茶店でチョコレートパフェなどを食って笑って過ごしていたものだった。そして帰る方向が平口さんと同じで、いつもタクシーに一緒に乗って帰って来ていたのだが、そのタクシーもその頃は全然空きがなくて平口さんと私は新宿の街をウロウロしていた。その平口さんとも、もうここ2年くらい会ってないような気がする。根本さんとかマディ上原さんとかも全然会ってない。ガロの漫画家と全然会ってない。

ひさうちみちおさんとは大阪のテレビの仕事で一緒にレギュラーで出ていたのでずいぶん会った。テレビではいろんな芸能人の人と一緒に仕事をするけど、やはり、ひさうちさんとかみうらじゅんさんとか、同じ漫画家の人と一緒の方がいい。芸能人は服や喋りや動きで自分を目立たそうとするけど、漫画家は内に秘めたものをポツポツと遠慮がちに出していく。ひさうちさんとは10カ月一緒にいて、ひさうちさんのマネージャーが「今度、ひさうちさんと蛭子さんがガロの知り合いの漫画家をお客に迎えてトークする番組をつくりましょうよ」と言った。私は「面白いですね。ぜひやりましょうよ、企画が通ったらいいですけどね」と言ったのだが、果たしてどうなることやら。

それにしてもガロから少しずつ離れて行ってる私がガロの若い漫画家を知らずにトークできるか不安である。それにしてもガロはしぶとい。今は新しい社長がガロの立て直しに一生懸命だが、そういう人が必ずガロには出て来るとこが本当にしぶとい漫画雑誌だと思う。(1996年刊『正直エビス』より転載)

ねこぢるの夫、山野一から愛読者への追悼文

ねこぢるの夫、山野一から愛読者への追悼文

追悼文① 月刊コミックビンゴ!

ねこぢるさんの夫、山野一さんから愛読者の方々へのメッセージです。

読者のみなさん

去る5月10日に漫画家ねこぢるが亡くなっことをお知らせします。故人の遺志によりその動機、いきさつについては、一切お伝えすることができません。また、肖像についても同じく公開できません。

彼女の作品を愛読して下さったファンの方々には、故人になりかわり、厚くお礼申し上げます。生前、彼女が作品化するため、書きとめていた夢のメモを、私がいずれ描くことで、読者の方々への説明とさせていただきます。

また、一部マスコミで"某ミュージシャンの後追い"との憶測報道がなされましたが、そのような事実はありません。

ねこぢるはテクノやゴア・トランスといった全く異なるジャンルの音楽に傾倒しており、本人の強い希望で柩におさめられたのは彼女が天才と敬愛していたAphex Twin(Richard D.James)のアルバムであったことをつけ加えさせていただきます。

漫画家  山野一

所収「漫画家・山野一さんからの緊急メッセージ」『月刊コミックビンゴ!』1998年7月号 文藝春秋 195頁

 

追悼文② ぢるぢる旅行記総集編

漫画家ねこぢるは、去る98年5月10日に亡くなりました。彼女の死の経緯については、故人の遺志により、何も明かす事はできません。

そこで生前彼女がどんな人物であったか、少し書いてみようかと思います。私はねこぢるが18の時から一緒に暮らし、彼女がガロでデビューしてからずっと、唯一の共同創作者としてアシストしてきました。それは私と彼女の作業分担が極めて微妙で外部のアシスタントを入れる事ができなかったからです。

そもそも彼女は漫画家になる気などさらさらありませんでした。暇を持てあましている時に、私の漫画を手伝いたいと言っていたのですが、あまりにも絵柄が違い、ベタぐらいしかやってもらう事がありませんでした。そこで彼女がチラシの裏などに描きなぐっていた無数の落書き…。

その奇妙なタコのようなネコの絵が何とも言い難いオーラを放っていたので、それをモチーフに、彼女の個性というか、かなりエキセントリックな感性を取り込んで、私が一本ストーリーを創ったのが、ねこぢる漫画の始まりでした。

ねこぢるは右脳型というか、完全に感性がまさった人で、もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…。上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました。

生前彼女はチベット密教の行者レベルまでトランスできる、類いまれな才能を持っておりました。お葬式でお経を上げていただいたお坊さまにははなはだ失礼ですが、少なくとも彼の千倍はステージが高かったと思われるので大丈夫…。今頃は俗世界も私のことも何もかも忘れ、ブラフマンと同一化してることでしょう。

所収:山野一「特別寄稿・追悼文」『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁

 

追悼文③ ぢるぢる日記

身長153センチ、体重37キロ、童顔…。

18の時出会ってからずっと、彼女はその姿もメンタリティーも、ほとんど変わることはありませんでした。それは彼女を知る人が共通して持っていた感想で、私もそれが不思議であると同時に、不安でもあったのですが…。

98年5月10日、漫画家のねこぢるは、この世を去りました。

生前彼女は、かなりエキセントリックな個性の持ち主でした。気が強い半面極めてナイーブで、私の他にはごく限られた“波長”の合う友人にしか心を開くことはありませんでした。“波長”の合わない人と会うことは、彼女にとって苦痛で、それが極端な場合には精神的にも肉体的にも、かなりダメージを受けていたようです。彼女程でないにしろ、私にも同じような傾向があり、二人ともノーマルな社会人としては全く不適格でした。

毎日二人して、会社に行くわけでもなく、家でブラブラしているので、ステディーな御近所様方からは「何やってる人達なんだろ…」と、だいぶウサん臭がられていたようです。

そのような自閉的な生活をしていても、彼女にとってこの社会は、やはりなじみにくい場所だったようです。しだいにテクノやトランスの、神経質な音の世界に沈潜することにしか、安住の場所を見出せなくなっていきました。

あと二・三年したら引退して、彼女が好きだったアジアの国々を放浪しようねと、二人で話していたのですが、それを待つまでもなく、インドより、ネパールより、チベットよりも遥かに高い世界へ、一人で旅立ってしまいました...。

所収:二見書房『ぢるぢる日記』(1998年)114-115頁「漫画家 山野一」による「追悼文」

 

追悼文④ ねこぢるまんじゅう

どうして彼女は…?

「どうして彼女は…」その質問はもう数限りなく受けた。しかし本当のところは私にも解らない。

書かれた遺書は二年も前のものだし。亡くなる前夜は、テレビでやっていた“マスク“というギャグ映画を、二人で見ながらゲラゲラ笑っていたのに…。

ねこぢるはよく“COSMOS“やアインシュタインロマンのビデオを見ていた。中でも量子力学の“シュレディンガーの猫”や“認識した現在から遡って過去が創られる”という、パラノイックで魔術めいた理論に、強く惹かれていたようだ。それはもう宗教や哲学の問題とシンクロしている。ねこぢるがトランス中に話す切れ切れの言葉を聞いてると、彼女がその鋭い感性で、この世界の構造を、かなりシビアな領域まで認識してる事が読み取れた。

まあそんな特殊な能力があった所で、別に自慢にもならず、なんの役にも立たない。むしろ無い方が、アフター5にカラオケでも歌いまくって、有意義な人生を送れるだろう。だって呆れ果てる程殺伐としたものなんだから、何もかも剝ぎ取ったリアルって…。

「どうして彼女は死んだのか?」

そう聞かれたらもうこう答えるしかない。

「じゃああなたはなんで生きてるんですか?」ちなみに私は“惰性“です。生まれてから一度も死んだことがないし、がんばって死ぬ程の理由もないから…。

所収:文藝春秋ねこぢるまんじゅう』(1998年)112~113頁「漫画家 山野一」による「あとがき」

 

追悼文⑤ バイオレント・リラクゼーション

彼女の元に来たたくさんのファンレター、その多くは中高生から寄せられたものだが、それを見ると、ねこぢるの漫画の内容のあまりの非常識さに、初めは驚き、とまどいを覚えたものの、次第に引きこまれ、繰り返し読んでいるうちに、自分の心が癒されていくのを感じたという…。またこの世の中や、人間の見方が変わったというものも多かった。

ねこぢるは別に自分の作品で社会批判をしようなどという気はまるでなかった。わざと人の感情を逆なでしてやろうという意図もなく、ただ自分の感性でとらえ、面白いと感じたことを、淡々と無邪気に描いていただけだ。

ではなぜ読者の方々は、ねこぢるの漫画に安堵感を覚えたのだろうか?…それは彼女の漫画がもつノスタルジックな雰囲気のせいかもしれない…。しかしそれよりも、自分との出会い…とうの昔に置き忘れてきた“自分自身”に再開した…そういう懐かしさなのではないだろうか?

まだ何の分別もなく、本能のままに生きていた頃の自分…。道徳や良識や、学校教育による洗脳を受ける前の自分…。社会化される過程で、未分化なまま深層意識の奥底に幽閉されてしまった自分…。その無垢さの中には当然、暴力性や非合理性・本能的差別性も含まれる…。

人間のそういう性質が、この現代社会にそぐわないことはよく解る。どんな人間であれ、その人の生まれた社会に順応することを強要され、またそうしないと生きてはいけない。しかし問題なのは、世の中の都合はどうであれ“元々人間はそのような存在ではない”ということだ。もって生まれた資質の一部を、押し殺さざるをえない個々の人間は、とても十全とはいえないし、幸福ともいえない…。

「キレる」という言葉に代表される、今の若者たちの暴走は、このことと関係しているように私には思われる。未分化なまま抑圧され続けてきたものが、ちょっとしたストレスで、自己制御できないまま、意味も方向性もなく暴発してしまうのではないか…?

ねこぢるの漫画は、そういった問題を潜在的にかかえ、またそれを自覚していない若者達に、カタルシスを与えていたのだと思う。

ねこぢるは右脳型というのか、思考より感性が研ぎ澄まされた人で、社会による洗脳を最小限にしか受けておらず、あのにゃーこやにゃっ太のような子供のままの心をずっともち続けていた。もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。

彼女と親しかったある女性は、ねこぢるの印象を、“いなばの白うさぎ”のようだと話してくれた。

“皮をむかれて赤はだか…” そのむきだしになった繊細な感性が魅力なのだという。でもそういう人間は鋭い反面弱い…。毛皮のあるうさぎ達が、難なくこなしたりかわしたりできることに、一々消耗し、傷ついてしまう…。このような生きにくさ、世の中に対するなじみにくさは、エキセントリックに生まれついてしまった者の宿命なのかもしれない。

98年5月10日 ねこぢるはこの世を去った…。

所収:集英社ねこぢるせんべい』(1998年)136~137頁「夫・漫画家 山野一」による「あとがき」

Memories of Nekojiru on Yoshiaki Yoshinaga

Yoshiaki Yoshinaga on Nekojiru

May 10, 1998.

Nekojiru is dead.

Cause of death: Suicide.

Born: 1967. Height: 153 cm. Weight: 37 kg.

Plain looking. Short-cropped hair.

She was she first suicide I knew.

Coming as it did right after the suicide of hide, lead singer of X-JAPAN, also by hanging from a rope tied around a doorknob, some fans and press speculated about the possibility of it being a copycat suicide.

I wanted to get down on record a few things I knew about Nekojiru.

Nekojiru as I knew her: A close friend, gone forever.

MEETINGS

I first met Nekojiru in 1990.

I was just starting out as an editor and a writer. Things were going great. I was full of spunk, fascinated by everything, exhilirated by my work.

A movie nerd approaching thirty, I was free of worries, dabbled in drugs, and felt totally open to life.

One of the magazines I read at the time was Garo.

If I ran across a manga I liked, I'd call the editors to get them to introduce me to the artist and get him to draw illustrations for my magazine.

Takashi Nemoto and Hajime Yamano were favorites from Garo. I knew both personally and commissioned work from them often.

At the time, Hajime Yamano drew manga about poor, stupid losers in a gritty, realistic millenial theater of desire.

His way of relentlessly exposing the insignificance and smallness of the human creature in his manga in a despaired, nonsensical tone won him the ire of sensible people and a cult following.

Self-styled renaissance man and misfit, reading a manga artist like Yamano was for me a healing activity.

"Exactly... That's exactly how it is..."

A common refrain when I read Yamano's manga.

Years after his manga had stopped appearing in Garo in the 90s, one day Garo published a piece signed "Yamano + Nekojiru Mama". It was Nekojiru's debut.

The title: Nekojiru Udon.

A father cat barges into an udon shop holding a kitten in his mouth, and asks the udon seller to neuter the kitten. The udon seller is taken aback at first but finally grabs a knife and stabs kitty. Kitty dies. A customer walks in and places an order: "One kitty udon." The Udon seller perks up: "Comin' right up!" The end.

Cute cats doing gruesome things.

The characters were drawn with a wobbly, hesitant line that gave it a curiously powerful impact you didn't get from better drawn work. I remember being slightly dazed for a while after reading the manga.

"Wow, Yamano-san has started up again."

Right away I knew I wanted him to draw a crazy cat manga for my magazine, so I gave him a call.

Our meeting took place the next day in a cafe. He had brought his wife, whom he introduced.

She was thin, short, boyish. The type of character you'd expect to see in a Moto Hagio manga.

"Actually, that cat manga was drawn by Chiyomi (Nekojiru's real name), though I'm helping out a lot. It's a joint effort."

Nekojiru seemed a bit shy that day. But she left a good impression on me.

"My wife is usually pretty blunt with most people. She'll say it right to your face if she doesn't like you. So I just hope the meeting goes well..."

Despite his fears, Nekojiru and I hit it off right away.

We got together relatively frequently after that, but I don't remember seeing her wearing a skirt during the whole time I knew her. She probably didn't own one.

Plain was the perfect word to describe her.

Following her debut, Nekojiru quickly established a strong base of support among a handful of people in the industry. One music writer I knew told me, "I interviewed her once, and it was love at first sight."

Nekojiru was like a fragile little animal in need of someone to protect her.

But behind this endearingly feminine side lurked a curious darkness. Something strange and dangerous had taken root in the depths of her soul. I was speechless when I realized the chasm of opaque desire that separated us.

 

TAKING UP ARMS

"I want a knife."

Nekojiru occasionally mumbled this under her breath.

Nekojiru was apparently gripped by a compulsion to arm herself with a weapon.

She would stand there in her army jacket with a completely serious look on her face and say: "I want a knife." What she wanted, really, was something to protect her from the world.

Once I got to know her, I felt I understood better how she could have come to the point of wanting to arm herself with a weapon.

To Nekojiru, the world around her was a dangerous place full of awful and repellant people and things. She couldn't let her guard down for a moment, so she escaped into her own world. When even that wasn't enough, she wanted a knife.

There were a few other special things about Nekojiru.

She was unrelenting in her criticism of others to the point of selfishness.

She could hardly eat anything. No fish, no meat. At restaurants, she would only order soup.

Once when she came to our house, my wife offered her an avocado.

"Try it. It's good."

Nekojiru seemed mystified by the strange fruit.

"Itadakimasu."

Nekojiru took a bite of the avocado.

"Pffff."

A moment later, pieces of avocado were flying across the room.

*

Nekojiru was perfectly satisfied with food you could suck from a straw.

It's not that she was picky about food. She just didn't care about food.

In the end, she didn't care about living.

And, like my wife, she wasn't picky about gender in matters of love.

Nekojiru's first love was a young woman.

In her later years, she was on good terms with my wife.

We'd drop by her house often as newlyweds. It wasn't long until they were good friends.

We visited each other at home, and we talked on the phone.

You could sense that Nekojiru had only accepted my wife because of me. And to my wife, Nekojiru was like a family pet. She was constantly petting Nekojiru.

Seeing them glued to one another was prone to give rise to misunderstandings. They were like two young maidens in a film by Renoir - dazzling, beautiful, and erotic.

And now both of them are gone.

 

FLASH OF INTUITION

At one point I contracted Nekojiru to draw two pages of manga for a travel magazine I was editing.

I sensed it was best not to make too many demands, so I left it up to her to decide on the content. My sole request was for something in the vein of her debut; something with cats.

I was reassured by the knowledge that Yamano was in fact the co-creator and manager of the cat manga.

"After all this time I'm still amazed that she gave you the OK. Usually she never does." Yamano confided later.

Why Nekojiru gave me the OK, why she accepted me, I don't know. Usually she rejected anyone who approached her, and accepted only the people she had picked.

By some miracle, I was among the elect. Perhaps it was because we were both right-hemisphere types. Or perhaps because she sensed a kinship with me due to my childhood traumas.

I had some serious traumas regarding my relationship with my parents.

It was like Nekojiru's laser vision had bored right through my surface layers and into my soul.

That intuition impressed me. I was fortunate enough to bear witness to several other instances of her intuitive prowess as time went on, and came to look on her as something of a shaman.

*

One day I got up close and personal with the shaman in Nekojiru.

It was back when I was living in an apartment the north side of Tokyo, drowning in hard drugs every day. One day Nekojiru informed me:

"You'll be dead at 35."

I went completely pale.

Why am I going to be dead at 35? A drug overdose? A hit and run? I don't want to die.

I couldn't stop thinking about her ominous prediction.

She had seen the shadow of death hovering over me.

But her premonition, it turns out, had in fact been directed at herself.

Why did Nekojiru, a shy and antisocial person, warm to someone like me?

I also enjoyed talking to Nekojiru.

Nekojiru had almost no friends, and she spent most of her time alone. Exceptionally, she was friends with an Israeli stallholder. She couldn't speak a work of English, but they got along well.

Nekojiru didn't have any salaryman friends, and she didn't seem to want any. She was strict about acquaintances, and hard to please. For some reason, an Israeli stallholder and a freelance writer were OK.

When I asked her what she thought of the manga-ka Takeshi Nemoto, she was respectful:

"He's a sempai who draws interesting manga."

Not so much a friend as an elder she respected. Nemoto himself had a good eye for judging people, and he had seen her potential since even before her debut.

After her debut, as before, Nekojiru was unconcerned by the business side of her work. She had no interest in worldly ambitions like making money and getting famous.

But a humble woman she was not. I knew nobody as unpredictable or as selfish as Nekojiru. She knew exactly what she wanted, and took it.

Garo didn't pay for manuscripts, so anyone who drew for them knew not to expect remuneration.

Having only drawn for the pages of Garo, Nekojiru later confided that she was grateful to me because I was the first person who had paid her for her work.

I had become something of a big brother to her.

Yamano was a father and a mother to Nekojiru. She addressed Yamano as mom, and she addressed me as big brother.

We were like a real family.

It was short-lived, but it was real.

 

TRIP

Nekojiru, Masaaki Aoyama and Saki Tatsumi. All three knew one another. All three are gone.

I eventually asked Nekojiru to draw manga for Abunai 1-go, a magazine Aoyama and I edited.

That's where Nekojiru got to know Aoyama, which is what led to him writing the afterword of her book Nekojiru Dango.

However, that had been arranged by the publisher. Nekojiru knew Aoyama through me, but they were never close.

In the early 90s, Nekojiru still wasn't too busy, and she was able to work at her own pace.

At the time I was in the habit of going over to Nekojiru's house and spending the night listening to techno/trance music. After discovering techno music, we often went out dancing at dingy clubs frequented by foreigners, or to Goa trance rave parties. We really loved the scene.

I'd go over to Yamano's house and the three of us would spend the night talking and tripping to the music.

This was before Saki and I got married. Nekojiru and Saki would drink, I would smoke weed, and we'd spend the night "music-tripping".

At the beginning I had to explain everything to them: "This is dub. It evolved from reggae. It's perfect with ganja." or "This is German Trance. It's all weepy sounding, with tinny synth."

Wrapped up in ourselves, we sat around all day doing nothing, just listening to music.

Sudden barks of vacant laughter, followed by endless reams of useless music trivia, and talk about our favorite artists, life and death.

Time flowing before our eyes , we were passengers on a ship of time bathed in a rain of music, riding into the light.

Seen from the outside, we must have looked like a bunch of degenerates.

Fearful but confident, at one with the universe, filled with ecstasy, we spent psychedelic days and nights dancing as if possessed. Worries about the future disappeared momentarily.

Nekojiru was open to just about anything at the beginning, but soon enough she got to know the music and developed preferences - "I like the faster stuff" or "I like the more screechy sounding stuff".

Finally, after listening to various things, she said her favorites were Aphex Twin and Hallucinogen, a Goa trance unit.

Hallucinogen is one of the best Goa trance units for tripping to LSD.

The only drug Nekojiru did while listening to music was Jack Daniels.

She couldn't stand the more melodic, emotional, weepy types of music.

The music of one of my favorite artists, Jam El Mar, seemed to please her at first, with its drugged-out sound and complex musical structures, but she later did a 180 and said she hated it because it sounded too "gay".

Near the end we usually wound up listening to whatever Nekojiru wanted.

Goa trance being dance music, I would often move my arms to the music, and I remember Nekojiru staring and looking very amused whenever I did.

Nekojiru never danced. She was the kind who sat still and went into herself.

I remember once, when we were listening to music, Nekojiru was in a particularly good mood and gave me a gift of a religious painting she had bought while on vacation in India, even though she was fond of the picture. She could be generous that way. We used the painting for the back cover of issue 2 of "Abunai 1-go".

Nekojiru went on vacation to India in 1994. I had said I wanted to go with her, but I wasn't able to get time off, so she went alone with Yamano.

In Benares she saw holy men called Sado who would sit around all day smoking cannabis. "Why can't Japan be that laid back?" she asked me.

Nekojiru had never done drugs in Japan, but she tried cannabis in India and rather enjoyed its gentle intoxication.

 

PERSONAL LIFE

Unsurprisingly, the reason Nekojiru got together with Yamano was because of his work in Garo.

Nekojiru personally came knocking on his door and forced her way into his life.

She had just graduated from beauty college, so she was around 18 or 19.

Though practically a shut-in, Nekojiru had made up her mind that she wanted to help Yamano with his manga. The problem was, Nekojiru's drawings looked nothing like Yamano's. Yamano's manga was drawn in precise detail, but Nekojiru could only draw simple figures that looked amateurish, almost childish. But her drawings nevertheless had a mysterious appeal.

Yamano had sensed something special about her drawings, so on instinct he collaborated with her on a story, just to see what would happen. That was how Nekojiru's debut came about.

From that point on, every once in a while she drew new episodes in the Nekojiru Udon series, and I commissioned one-pagers and illustrations from her for my magazine.

This was in the early 90s, before she had to worry about deadlines.

The stories were about Nyatta and Nyako beating a dog for no reason, or seeing a homeless bum getting drunk on a bus, running to tell their dad, and the homeless bum puking on dad... I enjoyed them because they were true to Nekojiru's feelings.

The editors asked me to "make it more accessible," but I sensed that these cats had real potential to take off, so I let her do as she pleased.

Before becoming famous, Nekojiru lived an irregular lifestyle, staying awake for thirty hours at a time or sleeping all day. It must have wreaked havoc on her circadian rhythm.

Nekojiru had a cat. Her way of training her cat was a bit hard to stomach. When he did something he wasn't supposed to do, she lashed him with a whip. She sometimes used an amount of force with her cat that was clearly animal abuse. As a result, the cat didn't listen to Yamano or I, but never failed to follow Nekojiru's instructions.

*

Nekojiru could be surprisingly persistent when she wanted something or someone.

Usually nobody interested her, but when someone did, she was unstoppable.

"I once forced a guy I liked to take my student notebook," Nekojiru told me.

Her first target was the lead singer of the funk band EP-4, Kaoru Sato. The second was Yamano. Later in her life she even fell for Aphex Twin.

Looks were important to Nekojiru. Richard D. James, AKA Aphex Twin, though not handsome perhaps, has a sort of boyish good looks. His music was very personal - beautiful at times, violent at others. His music made you wonder, "How much of this is planned out, and how much of it is pure instinct?" It was playful and free, not to say random.

Nekojiru fell for Aphex Twin through his music. Her feelings had become quite serious by the time the Richard D James Album came out. In accordance with her testament, they were joined forever in Nekojiru's casket.

Though Nekojiru could be aggressively go-getter with people she liked, most people interested her no more than food did. Her disinterest was impartial - pop stars mattered no more to her than did fans of her work. She was unpleasant to everyone equally; pure in her selfishness. She liked few things, and expressed her feelings concisely and emphatically: "I don't care." "I don't like it."

Despite a recommendation from Hyde of L'arc-en-Ciel on the cover of one of Nekojiru's books and widespread suspicions of her suicide being a copycat of X-Japan lead singer hide's suicide, the fact was, Nekojiru wasn't interested in pop stars like them. She could be just as much of an idol worshipper as anyone, but her idols weren't the popular kind. She had her own clear set of preferences that had nothing to do with popularity or musical quality.

"I love Jack Daniels nya~~!" read a line in her manga. Nekojiru loved to drink.

Once when we were at a restaurant, Nekojiru got drunk, and when the owner brought out a dish of grilled sweetfish on the house, Nekojiru became furious and made a big scene because "We didn't ask for it."

Otherwise, things rarely got out of hand when we got together to drink at Nekojiru's place in the early 90s.

But by 1997-98, at the peak of her popularity, Nekojiru had started to drink heavily.

*

Nekojiru had one other defining trait.

She couldn't lie. It was physiologically impossible for her. That's why she said it loud and clear if she didn't like something.

Once we were eating with a friend at a sushi bar that we frequented because we often came up with interesting ideas there. As we sat quietly eating, suddenly Nekojiru blurted out, "This roe is disgusting. I bet it's fake!"

The noisy restaurant went dead silent. The cook stood rooted to the spot in front of us, knife hovering in the air in mid-chop. Taken aback and uncertain what to do, I froze up.

Once the initial shock had worn off, the cook was able to respond, "I can assure you it's real..."

To try to save the situation, I gave it a good laugh to try to pass it off as a joke.

Nekojiru was always honest - sometimes to the point of rudeness.

Once she called up the editor of a major magazine in the middle of the night to make the following request: "I want a different liaison."

"Why?" the editor asked.

"Because he's fat."

The editor couldn't believe his ears, so he asked again and again for the real reason, but she wouldn't give any other reason.

Without solid justification for doing something so drastic, the editor must have been quite put out. In the end, I think she got her request.

Nekojiru could be impulsive in an endearing way, but also self-centered. But she didn't do it to be mean. She didn't have anything against fat people. Her body seemed to experience a kind of sympathetic resonance and began to sweat uncontrollably whenever she was around them. She was unable to cope with the slightest stress that others could easily endure.

She was too sensitive.

I imagine the editors of the big publishing houses must have had their share of problems with her. Kid gloves must have been the order of the day.

Can't stand most people, gets depressed when she has to be around people she doesn't like... What a small-minded, unkind person she must have seemed from a distance.

Natural and ingenuous to the point of arrogance, Nekojiru was baptised the "Child Queen" by Yamano. The title fit her to a tee - pure and easily hurt, without the immune system to protect herself, yet haughty, turning her nose up at this and that.

After molding her environment in her own image, all that was left for her to do was to shut her eyes and turn inward.

 

I'M NOT AFRAID OF DEATH

Nekojiru had attempted to commit suicide in the past.

Like my wife Saki, Nekojiru was a proud woman with her own view of the world.

Saki was a left-hemisphere type: logical and thoughtful. Nekojiru was a right-hemisphere type: temperamental and turbulent. It was like she could see things other people couldn't. We may have gotten along because we were both right-hemisphere types with a schizophrenic streak.

Nekojiru's husband, Hajime Yamano, on the other hand, is level-headed, sensible, cool.

It comes as more of a surprise that someone like Yamano could have created the sort of deranged manga he has.

The creator of the more recent version of the manga, "Nekojiru y", is in fact none other than Yamano.

Yamano uses this name when he draws manga using Nekojiru's characters. Nekojiru y's manga may look like Nekojiru's manga on the surface, but underneath it's a world apart.

Nekojiru often got depressed and spent her time holed up in her room playing Final Fantasy.

I don't play video games, but I once played a fighting game with Nekojiru and she tore me to shreds. She laughed when she saw me getting irritated because I couldn't figure out the controls: "You're getting all mad!"

What caused Nekojiru to become closed in on herself?

I've given the question a lot of thought, and the best answer I can come up with is that it must have happened when she was living with her family. By the time I met her she was already completely shut off from the outside world.

Nekojiru was seeing a psychiatrist. She had been diagnosed as manic-depressive.

I remember her saying on several occasions, "I'm not afraid of death."

Near the end of the publishing bubble, between 1992 and 1994, sales were still pretty good. I had it easy, putting together books for fun, getting royalties on the sales, and then in turn using the royalties to have more fun.

Nekojiru was still free to work at her own pace, so there was a relaxed atmosphere about her work.

We got together more often to have fun than we did to discuss work. She never seemed depressed when she was with me, but she may have just been hiding it.

Things were going well and everybody was still alive, so it was a relatively happy time for us.

Listening to our favorite music, having a bit of fun with drugs every once in a while, chatting about everything and nothing... time flew by.

Around this time, dreams of making it big may even have taken root in Nekojiru.

Buoyed on the waves of the publishing bubble, Aoyama had his own small but intensely devoted following, and in a sense was the most successful of us all.

But there would come a time when Nekojiru would sell more books than even she could ever have imagined.

And that was the beginning of the end for Nekojiru.

 

NEKOJIRU FEVER

Suddenly in the mid-90s, Nekojiru's popularity took off.

The nation was swept by Nekojiru fever. The epithet abunakawaii was coined to describe the special appeal of her work: Cute + dangerous.

The simple forms of the characters must have been a big factor in the sudden popularity. I also believe that to a large extent her work was accepted only because of its naive, childish drawing style.

Abunakawaii. The perfect word to describe Nekojiru's manga.

It's particularly apt for the early works, with their innocent cruelty. Nekojiru herself even fit the bill, with her unfeigned innocence.

From one moment to the next, Nekojiru was a star. Gone were the days when we could spend all night chatting and listening to music.

Saki and I had married by that time, and Nekojiru and Yamano were so busy they didn't even have time to sleep.

With the sudden popularity came the need to produce her manga in large quantities, and that was something that was not in Nekojiru's character.

It now became a battle with deadline after deadline, and eventually she became overworked.

Work came no longer just from Garo but from Tokyo Electric Co. and everywhere inbetween. Asking someone to mass-produce what were essentially personal whimsies thrown off for fun was misguided and inherently impossible, but she managed to do it anyway. No doubt this was partly Nekojiru's attempt to ingratiate herself with the big magazines.

Neither Nekojiru nor Yamano could turn down work. They accepted everything that came. After years of scraping by, the logic of poverty had led them to the conclusion that it was wrong to turn down work. I remember thinking they should be a little more selective about the offers they accepted.

 

COLLABORATION

When we speak of the manga artist "Nekojiru", in fact we're referring to two people: Nekojiru herself, of course, but also her husband and collaborator, Hajime Yamano. You could summarize the situation by saying that the ideas of the right-brained Nekojiru were arranged in dramatic form by the left-brained Yamano.

For the most part, the stories are based on dreams or things actually seen by Nekojiru. When things seem a little too strange for reality, it's probably because they're based on one of her dreams.

The line between reality and dreams seemed blurred in Nekojiru's mind. This special way of seeing things is behind the unique version of the world in her stories.

The encounters with strange people in her stories were a mix of reality and fiction. Yamano surely helped to mold Nekojiru's ideas into concrete form, but the division of labor is not at all clear. Their collaboration consisted of the delicate tightrope act of translating the fragile madness of Nekojiru's ideas into a concrete form that anybody could understand. Like siamese twins, there's no way of saying where Nekojiru ends and Yamano begins. In every story by Nekojiru there's always more or less Yamano mixed in.

But some stories do seem more purely Nekojiru. I think it's fair to say that her unpaid early work for Garo or for me - the work collected in books like Nekojiru Udon and Jirujiru Nikki - is high proof Nekojiru. Here it's obvious she was coming up with the stories quite freely.

On the other hand, you can sense that Yamano must have done the great burden of the work in the stories that they started having to churn out in large quantities only a short time later. With new publishers came new restrictions, and the stories had to meet those restrictions. It gets particularly striking with serials like Neko no Kamisama, where it's clear how far they've had to go to accomodate the major publishers. The more they had to do so, the more effort Yamano had to make, so the more his style came to the fore.

Stories like Invisible, written by Yamano based on the dream notes left behind by Nekojiru after her suicide, are clearly more Yamano than Nekojiru. Though identical on the surface, Nekojiru and Nekojiru y are not the same. It's as if, shorn of his siamese twin after the death of Nekojiru, Yamano had continued to publish under the name of the half-entity Nekojiru y.

 

NATURAL ACID

Reading the collection of early works that is Nekojiru Udon could very easily become a traumatic experience for a delicate soul.

Two cat siblings go around randomly killing whatever rubs them the wrong way. Whatever they dislike, they kill. The cuteness of the cats lures us into accepting their casual cruelty. It's an outlook that seems to bespeak at the very least an ounce of self-hatred, if not outright hatred of the entire human race.

Whenever Nekojiru was talked about in the press, she was usually described in terms something like these: "A mangaka with a cult following for her manga featuring cute cat characters commiting casual acts of cruelty." Casual acts of cruelty. If you think about it, it begins to seem like a despaired expression of resignation in the face of death; as if she were saying to people, "We're all going to die anyway."

Suddenly the public goes crazy for Nekojiru's work because it's abunakawaii. Short of reducing her work to such a simplistic formula, how else could hundreds of thousands of people suddenly have wanted to associate themselves with a story with such a dangerous message? Rather than relating to Nekojiru's message of "We all die", clearly most people were simply reacting to the powerful aura emitted by her simply drawn characters. In the end that was the element that gained her a broad readership.

All of Nekojiru's early work has a the same uniquely "trippy" feeling. You could almost call it psychotic. I liked to refer to these early works as "Natural acid".

In a sense it feels like Nekojiru used her stories to play family. I don't know anything about her family, but she didn't give the impression of being a family person. It seems probable that the family in her stories wasn't based on her own family, but was a sort of ideal family that Nekojiru wished she could have had.

In all probability, the character Nyako was her, and the character Nyasuo was Yamano. Nekojiru did have a real younger brother, but it seems unlikely that Nyatta was based on him.

Nekojiru Kenbunroku (Nekojiru Travelogue), included in Nekojiru Shokudo (Nekojiru Diner), has Nekojiru travelling to various places and giving her impressions. In typical Nekojiru fashion, wherever she goes, she says it sucks. But the editors really do only send her to places that suck. It's like they're doing it deliberately to get her to say bad things.

Did they really think Nekojiru would enjoy going to a popular theme park?

Jirujiru Ryokoki - Indo Hen (Jirujiru Travelogue - India) more effectively channels Nekojiru's unique viewpoint onto a real situation, and is perhaps her most accessible book. It's a book I'm very fond of because it bursts with the romance of travel. She also drew an account of her experience of tasting banglassi (yogurt with cannabis) while in India.

The real Nekojiru comes through in her late book Jirujiru Nikki (Jirujiru Diary).

Many of the pages depict things supposedly seen by Nekojiru in her daily life, such as a woman shitting in the middle of the road. Sometimes you have to wonder if she really saw all of those things.

Perhaps they were things only Nekojiru could see.

 

THE LIQUID ROOM

On February 1, 1997, Nekojiru and I went to see Aphex Twin live in concert.

My memory of the event is as clear as if it had happened yesterday.

It was at the Liquid Room in Kabukicho, Shinjuku. The room was packed to the brim. There wasn't even room to move.

DJ Cylob was the opening band. I asked Nekojiru what she thought of the music.

"It sucks. Hurry up and get off the stage."

Unusually for the club, about a third of the audience was sitting on the ground. Nekojiru pushed and shoved her way to the front of the stage to be near the DJ booth. Little old Nekojiru was practically tackling these big guys, pushing them out of her way. Though small and frail, she could muster tremendous power when driven.

Finally Cylob left the DJ booth. Two songs from Mike (μ-sik) & Ritchie's album started playing on the speakers. Richard was on.

It's hard to say whether Aphex Twin's music is for dancing or for listening. The dance floor was split about evently between people dancing and sitting. There may even have been more sitting. Nekojiru was moving her body to the rhythm in the first row. Her eyes never left the DJ booth for a moment.

Richard, on the other hand, stood hunched over the turntable the whole time. His long hair fell down and covered his face during the entire performance. Fuck the audience, he seemed to be saying.

Two teddy bears were duking it out behind Richard throughout the show, a photo of Richard's face taped over their faces.

After about an hour Richard abruptly left the stage. Nekojiru immediately left her spot and walked over to where Yamano and I were sitting near the back of the room.

"I've had enough. Let's go."

The party was supposed to go all night, but Nekojiru wasn't interested in the other DJs.

"How was Richard?" I asked.

"I couldn't see his face the whole time, but it was nice. I liked the teddy bears."

Nekojiru was always like that - short sentences, to the point. She could sound curt if you didn't know her, but she was actually the emotional type. Coming from her, a comment like that meant something like, "OMG, it was so fucking amazing I almost wet myself!"

In other words, she had fun.

 

INFERNO

During the last few years of her life, Nekojiru's workload had increased to the point that she was really and truly overworked.

By this time it was no longer about drawing for fun; it was about making the deadline no matter what.

In books like Jirujiru Nikki and Neko Kamisama, Nekojiru often simply transcribed stories she'd heard from other people.

"I deleted a whole book's worth of data from my PC," I lamented to Nekojiru once. Later the story turned up, word for word, in Nekojiru's manga.

I once sent a part-timer to go on a company outing in my place because I was too busy, and as an omiyage he brought me a plastic pouch of dried seaweed - the regular kind you can find at corner stores everywhere, to sprinkle on breakfast, with five individually wrapped portions inside(!). That story also found its way into her manga, word for word.

Overworked, Nekojiru had run out of ideas. But she had deadlines to meet, and did the best she could manage. She had a strong sense of responsibility, and always found a way to come through in the end. More than once she found herself cornered by several deadlines and had to push herself to the brink of collapse to finish everything.

Once I was at my office late at night and I heard a knock on the door.

"Can I sleep here tonight?" an emaciated and exhausted-looking Yamano inquired.

"What happened?"

"Well..."

Yamano hesitated. Apparently Nekojiru had attacked him with a boxcutter in a fit of rage.

I had Yamano lie down on the couch and brought him a glass of water.

It was hard to break the awkward silence.

The phone rang. I picked it up. It was Nekojiru.

"I knew he'd be over there. Put Yasuo on the phone!" Yasuo was Yamano's real name.

"I can't. He's sleeping right now."

I tried to calm her down, but nothing worked. "Put Yasuo on the phone right now! He ran out on me, so go wake him up and put him on the phone!" She was furious. Her nerves were completely shot.

Things like this happened all the time when the work got overwhelming near deadlines. Two people working as closely as they did were bound to break under the tension sooner or later. Usually it started with Nekojiru having a fit of rage (or more accurately, physically attacking Yamano).

As I looked at Yamano splayed out on the couch, visions of Nekojiru "training" her cat, Nyansuke, danced before my eyes.

I refused to let Yamano go home out of fear for his safety.

Before long, dawn broke. The sparrows began singing and the newspaper delivery truck passed by outside.

Nekojiru must have calmed down by now.

Yamano finally went back home to Nekojiru. "Nekojiru needs me," he said as he left.

Looking back on it now, the root of all their problems was the poverty that convinced them that they had to accept every commission once their books began selling.

If they had been in a position to choose their work, Nekojiru might not have died so soon.

*

"You guys need to take a break."

One day in 1998, at a time when Nekojiru and Yamano were in the midst of their hardest periods, my wife Saki and I paid a visit to the Nekojiru residence.

It was about three weeks before Nekojiru's suicide.

We sat together relaxing, listening to music. Nekojiru had a pair of speakers especially made for techno music, in the shape of a dodecahedron with speakers on each face. The high-hat came through particularly clearly on these speakers.

Nekojiru said little and sat still, completely focused on the grating sound of the high-pitched techno. Yamano, exhausted from the long days and nights of work, seemed pained by the harsh sounds.

Concerned, I suggested, "Let's listen to this," and put on some ambient dub. Yamano seemed releived, but Nekojiru, who preferred faster, more aggressive music, seemed displeased by the more mellow music and sulked in her corner.

Already on edge from lack of sleep, the psychedelic trance only seemed to serve to put her more on edge.

Nekojiru seemed to be in an unusually bad mood that day.

Suddenly I became uneasy when I remembered how she was prone to saying, "I'm not afraid of death."

As we left that day, Yamano and Nekojiru watched us for a good while from the porch. I can still remember the pleading, spent expression on Yamano's face.

"Don't go! Stay a bit longer! Don't leave us alone!" his eyes seem to beg.

After we left, I suppose they went back to work.

But they were already at the end of the line.

 

PEACE IN DEATH

"Chiyomi is dead. She committed suicide. You were one of her few friends, so I wanted to tell you right away."

I learned of Nekojiru's death by a phone call from Yamano.

They discovered her late, and rigor mortis had already set in. I learned of her death only a few hours after she was discovered.

When we received the call, my wife and I were in Shinjuku and thinking of going to the Imax. Yamano's call was a shock.

Yamano did his best to remain calm.

In the back of our minds we all had the vague notion that this might happen one day, but we never imagined she would actually go through with it.

The movie was put on hold and we ran to Yamano.

At that moment I was more worried about Yamano than about Nekojiru. I couldn't imagine the shock of losing one's wife to death. At the time I thought the most important thing - more important than mourning Nekojiru's death - was taking care of the person left behind.

Nekojiru's expression was calm. There was no trace of suffering on her face. No trace of regrets, of clinging to life. She seemed completely at peace.

It made sense to me, but it was also slightly terrifying.

A CD and a video of Aphex Twin were placed in her casket.

Aphex Twin's Ambient Works II was played at her funeral.

Nekojiru had written to do so in her will.

Having attempted to commit suicide in the past, Nekojiru had written wills on a number of occasions. Her last extant will in fact dated from several years prior.

However, at Yamano's discretion, not everything was done according to her will.

Nekojiru didn't want a gravestone. Yamano thought her family would want a gravestone so that they could visit her grave, so he had one made. But as if in a last act of defiance, the gravestone remains nameless. A single Sanskrit character decorates Nekojiru's gravestone.

Yamano told me once what it meant, but I've forgotten.

One line in Nekojiru's will reads: "No discussion of possible motives."

Yamano has for the most part refused all interviews.

At the time, the sight of Yamano was so painful to me that I almost couldn't bear to look at him.

5 years later. To think that now I stand in his position...

 

THOSE WHO CHOOSE TO DIE AND THOSE WHO CHOOSE TO LIVE

Suicide hurts the people left behind.

Nothing can describe the pain, or erase it.

Yamano only managed to endure it.

As the "Nekojiru" unit became popular, they became increasingly busy, until they became as inseparable as siamese twins. Nothing could separate them. To separate them you would have had to rip them apart. To do so would be to discard them, and you don't just easily discard a human being.

For a couple in a relationship as close as Yamano and Nekojiru, the pain of losing that other half must have been unbearable.

After Nekojiru's death, the abandoned half of the unit continued to release work in the Nekojiru series under the pseudonym of "Nekojiru y". Nekojiru and Nekojiru y look identical on the surface, but deep down they're completely different. Not in the sense that the former was hand-drawn and analog where the latter is digitally drawn; but in philosophy. Nekojiru chose to die, and her work clearly reflects her longing for death.

Yamano chose to live. That difference is immense, and reflected in their work. Yamano's work is completely lacking in the dangerous, trancelike mood of Nekojiru's work.

Many readers may have discovered the world of Nekojiru through Yamano's work done following the death of his siamese twin, but those who read Nekojiru from the beginning may feel something is lacking in the new work. The longing for death is completely absent in the new work. It's what I suppose you would call "healthy".

Yamano has become healthy again. That's why he no longer draws the sort of vicious manga he used to draw. He's grown beyond negativity.

When my wife committed suicide six years later in the fall of 2003, I found a pillar of support in another person who had lost his wife to suicide: Yamano. He understood my feelings of instability at the time. As I was teetering on the edge of mental exhaustion, he pushed me in the right direction.

Yamano had managed to overcome. That was a great comfort.

 

KILL OR DIE

Nekojiru's suicide made big headlines.

Almost certainly in no small part because it came so soon after the death of hide of X-Japan, Nekojiru's suicide was also given superstar treatment.

On May 28, 1998, the Shukan Shincho weekly wrote:

"There has been idle speculation that her suicide might be a copycat of hide. However, as far as I know she wasn't a fan of hide. Besides, she wasn't the type to copy other people."

The person the manga magazine editor was referring to in this quote was the mangaka Nekojiru. His point: The only similarity was that both seemed to have a bright future ahead of them.

Nekojiru began drawing manga after marrying the mangaka Hajime Yamano. She quickly gained a reputation for her style of manga that succesfully breached the gap between cute kittens and cruelty. After handling a television ad for Tokyo Electric, she looked to be on her way up.

The editor continues, "As anyone will realize if just they read her manga, beneath the surface cuteness was a self-destructive, pessimistic attitude towards life and death. In recent work she dismissed the earth as bound for annihilation, and laughed about how she almost went out of her mind after eating a magic mushroom in Bali. She was clearly teetering on the brink."

If only we could all be as uninhibited as Nekojiru's cats...

What could have made Nekojiru want to die?

Overwork was certainly a factor. Dealing with the big publishers must also have been a source of stress. Then there's her predisposition for depression.

But it's impossible to disregard the obvious signs in her work: The recurring theme of death's inevitability; the obvious disregard for life.

Nekojiru was the purest person I knew. My wife called her "authentic". Pure, authentic, natural acid, psychotic, shamanic. Words that spring to mind when I think of Nekojiru. It must have been impossible for someone of her purity and innocence to live in this world.

In the eight short year that I knew her, Nekojiru didn't change the slightest bit in terms of appearance or behavior. Most women would grow from childhood into adulthood, but it was like Nekojiru refused to grow old.

They say sales of Nekojiru character goods exploded after her suicide. Dying made her a hit. Nekojiru probably wouldn't have cared one way or another.

In any case, the living can never know what motivated the dead to take their lives.

I'm surprised she even made it to the age of 31. If she lived as long as she did, it must have been because of Yamano.

In the end, she wanted to die, so she died. That's all we can say for sure.

No attachments to life: Endearing though this trait of Nekojiru's might have been in one sense, it was terrifying in another. I'm the kind of person who wants to live as long and as enjoyable a life as possible, so I've always been somewhat scared of people who aren't afraid of death. But Nekojiru had lived long enough. Apparently she no longer needed this world.

She wrung herself dry in a furious fit of work over the span of a few years, and went out in a puff of smoke. It's so elegant it's almost scary.

Perhaps she was trying to tell the world about herself in her books all this time.

Kill or die: Given only one choice, the answer was obvious.

 

MEMORIES OF A RAVE

I'll never forget this memory of Nekojiru.

At a rave once I collapsed due to a combination of exhaustion and drug overdose. I needed an ambulance.

Seeing that I could barely stand, Nekojiru called the ambulance, made sure I got on safely, and waited worriedly for me until I came back from the hospital.

Other friends who had accompanied me to the rave, including Masaki Aoyama and Osamu Tsurumi, had disappeared by then, presumably fearing possible arrest.

Nekojiru wasn't afraid of dying, but she was afraid of a friend dying. She was selfish but caring.

Together we left the rave and joined Yamano at an onsen.

As I returned to my senses lying on the floor of a private room in the onsen, I was thankful to be alive, but also incredibly lonely. Tears began rolling down my cheeks. It's embarrassing to admit, but I couldn't stop crying.

"Why are you crying?" Nekojiru came to my side and asked with a worried expression. She stayed by my side for a while.

Perhaps she thought I might commit suicide if she didn't stay by my side.

"Are you all right?"

I had my arms over my face so I couldn't answer.

How could you have done something like that to yourself when you could be so caring about others?

I ask Nekojiru and I ask my wife.

How could you leave behind the people you cared for?

Part of me doesn't want to accept the selfishness of their act.

Nekojiru suddenly found her books selling. She probably didn't want to, but she had to accept all of the commissions that came her way. She worked hard and probably made a lot of money. But she didn't care about the money. She cared just as little about life. She predicted I would die at 35. Perhaps that's why she liked me - because she sensed in me another soul on the verge of death.

But I just act crazy. I don't want to die.

 

Translated from Jisatsu Sarechatta Boku 自殺されちゃった僕 by Yoshinaga Yoshiaki 吉永嘉明 (11/25/2004, Asuka Shinsha), a book describing in simple, direct words three of the author's acquaintances who commited suicide within the last seven years: Nekojiru, Masaaki Aoyama, and his wife.

つげ義春インタビュー「なんてつまらない人生なんだ、と思うこともあります」

「漫画家のつげ義春さん(現代の肖像)」

なんてつまらない人生なんだ、と思うこともあります

ねじ式」「紅い花」から20余年。

三たびブームである。生と死への不安漂う作風が、若い世代の心をとらえる。

(文・佐野眞一

───今度、映画になった「無能の人」シリーズが雑誌に発表されたのは1985~86年。87年は自伝的要素の強い「海へ」と「別離」の2作だけですから、随分、長い休筆ですね。

目が悪いんです。ふだんの生活に支障はないんですが、集中すると、目の中に花火のようなものがチラついて、とてもマンガが書けるような状態ではないんです

 

───われわれは作品を通じて、つげさんの日常を想像するほかありません。実際には、1日をどう過ごされているんですか。

朝10時半頃に起きて、近くの市民プールに行きます。不安神経症をなおすため医者にすすめられたもので、もう10年以上続いています。午後は多摩川の近辺を自転車で散歩して、夜はボーッとしています。新宿に出るのは1年に1回くらいです。大体、外への関心というものが全くないんです

 

調布駅前の喫茶店の昼下がり、暗血色のマフラーで顔の下半分を覆ったつげ義春(よしはる)が、ボソボソとしゃべっている。反対側で私は、初めて会うつげの話をうなずきながら聞いている。いくつかの作品が点滅し、突然、あらぬ妄想がやってくる。いま目の前にいるのは現実のつげではなく、作品が実像として立ち現れた姿なのではないか……。

 

───「無能の人」はつげ作品としては、初めての映画化ですが、よく映画化を許諾しましたね。

話があった頃、息子が高校受験だったんです。もし私立に行くとなると、まとまったお金がいります。原作料が丁度、その額と同じぐらいだったから、お受けすることにしたんです

 

東京の川べりの船宿で生まれた父の末期を見て対人恐怖症になった

───そのお金のことですが、マンガも文章も書いていないとなると、生活費はどうされているんですか。

ひと月の生活費は17万円と決めています。ムダな出費はしないよう、昔から肝に銘じているんです。団地のローンも月に2万円くらいですので、親子3人、どうにか印税収入でやっていけているんです

 

床屋にも行かず、散髪は状況劇場元女優で妻の藤原マキの仕事である。つげは、畳の上に散らばった髪の毛を眺めては、これをなんとか金にかえる方法はないものだろうか、とぼんやり夢想することがあるという。

なんてつまらない人生なんだ、と思うこともあります。創作も大それたものとは考えていません。自分の生活が支えていければいいんです。マンガ以上に、外の社会とはずれる商売はないか、と毎日考えているんです

 

重くゆっくりした声は語尾にくると、水に沈んだように、くぐもって尾を引く。内語をもどかしげに伝える、吃音者の努力にも似たその口調には、相手を気がねさせまいとする神経がめぐらされ、痛々しいほどである。

昔のマンガ家仲間は「あんなやさしい人は見たことがない。つげさんが結婚したとき軽い嫉妬を感じた」と述懐したが、それが素直に実感できた。

ぶしつけな質問に、時に眉根をピクリとさせるものの、内面に向かって靄ったような切れ長の目に、すぐ戻っていく。この人のガラスのような感受性は被弾しても外には飛び散らず、1枚残らず内側に突き刺さるのだろう。

1968年、『ガロ』発表の「ねじ式」で衝撃的な登場をしたつげ義春は、その後のマンガ文庫ブームで再度脚光は浴びたものの、その存在はそれ以降、大方の記憶から消えていた。

昨年公開された竹中直人監督の映画「無能の人」の、アンコール封切されるほどの人気や、やはり昨年出版された紀行文集『貧困旅行記』の、発売後3カ月足らずで8刷、4万7000部という好調な売れ行きは、記憶の彼方から三たび、つげをひっぱり出す牽引車の役目を果たした。

第3次つげブームともいうべきこの現象の特徴は、かつて「ねじ式」に熱狂した全共闘世代だけではなく、20代、10代の若者たちにも支えられていることである。

漫画評論家梶井純は、多摩川の河原で拾ってきた石を売る男や、鄙びた安宿を探して旅をする男の話に若い世代が共感するのは、彼らが前行世代ほど経済第一主義に汚染されずに済んだためではないかという。つげ自身は棒杭のように変わらず、そのまわりを去来する時代という川の流れが変わったことが、今回のブームの背景をなしている、というのである。

途切れたと思えばまたつづく、こうしたつげ読者の流れは、つげが私小説家的素質を濃厚にもったマンガ家であることとも無縁ではない。熱心なつげの読者は、彼の作品と同時に、つげ義春という、いささか現世ばなれした物語も読んでいるのである。

だからこそ、作品の舞台となった土地を探索して歩く、つげ義春研究会なるものが結成され、貸本マンガ家時代の処女作に30万円という高値がつき、一時は年収90万円の時代もあった超寡作に比して、数十倍にもなるほどの評論が書かれてきたのであろう。

だが、一見私小説的なつげの作品は、当然のことながら、自分の過去や、日常生活を単純になぞっただけのものではない。自伝風作品と並んで彼の主要ジャンルをなす、旅もの、夢ものといわれる異空間、異時間に迷いこんだ作品が、つげの作品全般に重層感と深度を彫りこみ、読む者に、恐怖にも郷愁にも通底する既視感を与えている。

いわばつげは、私小説という伝統的手法を借りながら、異常とも思える抽象力で、その手法自体を宙づりにさせている。そして、この抽象力という喩の力は、彼の出自、とりわけ、水のたゆたいのなかで生まれ、幼児期を海と川の辺で過ごした遠い水の記憶が、おそらく大きな源泉となっている。

つげは1937年10月、東京・葛飾区立石の中川べりの船宿で生まれた。父の柘植一郎は岐阜県恵那市の出身の板前で、名古屋の割烹旅館で修業中、同じ旅館に働いていた母・ますと知り合った。豪農一族の父方は家柄の違いを理由にこの結婚に反対し、2人は棍棒や竹槍で山狩り同然に追われたあげく、伊豆の大島に難を逃れた。

つげが生まれたのは両親が一時避難的に住み込んだ大島の旅館を離れ、福島県の四倉で寿司屋を開いたものの失敗、失意のまま再び大島に戻る旅の途上だった。つげを産んだ中川べりの船宿は、母の実父の家で、大島に戻る途中産気づいた母が、産屋がわりに借りたものだった。

大島では4歳まで過ごし、その後1年は母の郷里の千葉県・大原で暮らした。夏は氷屋、冬はおでん屋で生計を支えた母は、目の前の海につげを連れて行き、よく自分の背中につげを乗せて泳いだ。つげのなかに残る最も古い海の記憶はこのときのものである。

 

小学校卒業後、メッキ工場へ貸本マンガを描き始める

父は当時、東京・渋谷の旅館に出稼ぎ奉公に出ており、つげとはめったに顔をあわすことがなかった。その父はつげが5歳の時に死ぬ。つげはそのときの光景を今でも恐怖感をもって思い出すことがある。

死の直前、錯乱状態をきたした父は、出稼ぎ先の薄暗い蒲団部屋に隔離され、長く伸びた爪で中空を掻くような仕草をし、蒲団の間でしゃがんだまま息を引きとった。母は「これが父ちゃんだよ。よく見ておくんだよ」と、絶叫しながら、末期の父の前につげを引きずるようにして立たせた。

「人間が一番こわい」というつげの恐怖感は、たぶん、幼児期のこのただならぬ体験に始源を発している。

父の死後、母と、つげを間にはさんだ3人の兄弟は、つげを産み落とした葛飾区に移った。一家は京成立石駅近くの廃墟のような家に無断で住みつき、母はすぐ近くの闇市で2坪の居酒屋を開いた。だが、そんな収入では一家の生活を支えられるはずもなく、つげは小学校5年生時分から、兄と一緒に駅前でアイスキャンデーを売る生活を余儀なくされた。

経済的貧困以上につげを怯えさせたのは、母と再婚した義父の冷酷な仕打ちだった。近所の中華ソバ屋に住み込んで働きだしたのも、家に帰りたくない一心からだった。

対人恐怖症はいよいよ募り、小学校6年の運動会直前、みんなの前で走るのが急に怖くなり、カミソリで自分の足の裏を切った。つげを慰藉してくれたのは、人に会わないで済むマンガ模写への耽溺と、突然現れた養祖父の溺愛だけだった。だが、その養祖父は間もなく浜の網を盗んだ容疑を受け、つげの前から姿を消した。つげにとって新しい事態の出来は、いつも厄災をはらんでいた。

やがて母と義父との間に2人の妹が生まれ、一家7人は貧窮にあえいだ。本田小学校を卒業後、中学には進まず、兄とともにメッキ工場に働きにでたものの、経済的困窮と、家の中のいさかいは深刻さを増す一方だった。

その重圧に堪え切れず、つげは2度も密航を企てた。結局失敗に終わるが、この企てには、父母との平穏な生活の記憶に結びつく海への回帰のイメージが隠喩されているような気がしてならない。

この時つげが折檻のため預けられたのは、自分の産屋でもある中川べりの祖父の船宿だった。つげは、その近くにある繋留船の家が死者を弔わず、そのまま川に流した、と叔父から聞かされ、激しい恐怖心を覚えた。つげは幼年期のすべてを、生と死のイメージが浮遊する水のまにまにおくるのである。

「紅い花」にしろ「山椒魚」にしろ、つげの作品はどれも、水への偏愛と、それゆえの忌避が遠い心音となっている。

つげの原風景となった立石駅周辺から、中川べりまで歩いてみた。川はすぐ近くを流れているはずなのに、白茶けて、くねくねと曲がりくねった迷路のような細い道は、なかなか川岸にたどりつこうとしない。

角を曲がると夏ミカンの実がなる黒塀囲いの家が現れ、次の角を曲がると日の丸の旗を出したタイル造りのタバコ屋が現れる。水神社と碑のある小さな社の横の苔むした石段をあがると、やっと、思わぬ近さで、大きく蛇行する黒い川の流れが飛びこんでくる。

遠近法が全くきかないこの風景に強い既視感を覚えたのは、私がこの街のすぐ近くに住んだことがあるという個人的事情以上に、それがつげの描く世界そのものだったせいだろう。ここでは風景全体を中心でひきしぼる焦点はなく、個々の景物は互いに折り重なるように畳み込まれている。

つげの弟で、やはり寡作のマンガ家として一部に熱狂的ファンをもつつげ忠男がかつて働いていた血液銀行の建物も、ゴム工場に目隠しされるように、今もこの川べりに残っている。

忠男はここで採血ビンを洗浄し、売血者が少なくなってからは、産院から引き取った胞衣や胎児を出刃包丁で切り刻み、肉片から血液をしぼりとる仕事までやった。その血液銀行に、つげは弟に顔を合わせぬようにして通い、売血で当座の糧を得た。

当時つげは立石の家を出、錦糸町の運河沿いの3畳間のアパートで貸本マンガを細々と描いていた。対人恐怖症は進行し、谷崎潤一郎やポーの小説を耽読することで、自殺を思いつめるほどの不安をどうにかしのいでいた。

「女を知れば度胸が出るかも知れない」と思い、自転車で立石駅裏の赤線に行ったこともあった。この時の体験はつげの「断片的回想記」に書かれているが、ここにはすでに、つげ作品の基本韻律がはっきりと刻まれている。

外に出ると急に勇気が湧いてきたように思えた。附近の中川の土手を無茶苦茶に自転車を走らせた。そして川べりで仰向けになっていると、嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。数日して、また彼女に逢いに行ったら、そのときは、他の客がついていた。胸が張裂けそうな思いだった。それから二度と赤線へは行かなかった

 

───つげさんの世界が確立したのは、『ガロ』66年2月号の「沼」だと思います。雁を撃ちにきた少年とオカッパの美少女の一夜を描いた幻想的な作品で全編に思春期特有のエロチシズムへの憧れと恐怖が漲っている。明らかにそれまでの作品とは異質です。心境の変化があったとしか思えません。

それはよく聞かれるんです。でも、自分でも答えが出ないんです。それにあの作品は不評で、マンガ家をやめて凸版印刷の職工になろうと真剣に考えたくらいなんです

 

「沼」の舞台となった大多喜は、母方の郷里の大原からいすみ鉄道に乗り、40分ほど行った隠れ里のような城下町である。両側に小暗い森の広がる切り通しの軌道をゴトゴト走っていると、入眠体験にも似た甘美な幻想におそわれる。緑の蛇のような夷隅川の細い流れが、線路脇に現れては消える。

ここは白土三平の釣りの常宿で、白土が「つげを励ましてやろう」と誘ったのが、最初のきっかけだった。

 

初期の作品は難解だと酷評された水木しげるの助手で生計をたてた

ここでつげは、大原八幡岬の白い波頭が歯を剥く海の叙情とも、期限切れの血液の放流で深夜、真赤に染まる中川のよどみの情念とも違う水の姿態に出会った。ゆるやかに蛇行し、瀬で沼のような深い瀞をなす夷隅川の景観は、つげに、静逸という水の新たな隠喩を注いだ。

それだけではない。『ガロ』元編集長の長井勝一によれば、同誌の初期資金はすべて白土三平がまかない、白土は自分の「カムイ伝」の原稿料もとらず、つげら仲間に回していたという。

その白土が宿代も全額負担してくれた約1カ月の大多喜滞在は、つげにとってあらかじめ喪失されていた父性への渇望を、たとえかりそめの形であれいやしてくれたに違いない。

だが、大多喜で生まれた数編の安定感ある作品は、難解、文学的と酷評され、つげは、「ゲゲゲの鬼太郎」の人気で忙しくなった水木しげるのアシスタントとして、1日2000円のアルバイト料で長らく糊口をしのがなければならなかった。

この頃書かれた作品は、マンガ家であるより作中人物になってしまいたいという切実感がにじみ、読むのがせつない。貸本時代の仲間によれば、つげは自分の失恋体験を、絵まで描き、倦まず語ることがよくあったという。

水木プロ時代の蒸発も、自分以外のものへの逸走衝動の現れだった。

『貧困旅行記』のなかに、この出来事を回想したすごい文章がある。

現在は妻も子もあり日々平穏なのだが、私は何処からかやって来て、今も蒸発を続行しているのかもしれない

孤独と絶望からの救済を自己滅却に希求する。同じ志向は実際にみた夢に題材をとった作品への傾斜にもみられ、この分野の傑作「必殺するめ固め」では、未生の自分に戻る胎内回帰願望すらつき破り、胎盤の毛細血管の中にまでもぐりこむDNA的世界が表象化されている。

 

───不安神経症の方は少しはいいんですか。

よくないんです。毎日漢方薬を煎じて飲んでいるんです。子供にも飲ませているんです

 

15年前、妻の癌がわかった時、つげは、空に浮かんだ巨大な目が、じーっと自分を見ている幻想に怯やかされ続けた。

変化があることがこわいんです。変化はいつも不吉な知らせなんです

 

空中の巨大な目。それ自体がもう、つげの作品世界である。つげをよく知る編集者によれば、つげは世評ほど寡作ではなく、かなりの数の作品を構想途中で破棄しているという。

散歩の途中、ふと廃屋に気がつく。なかに入っていくと、机の端に万力がくくりつけられ、間に真赤な金魚がはさみこまれている。男はわれ知らずハンドルに手をかけ、まだ生あたたかい金魚に力を加えてゆく……。「万力のある家」と題されたこの短編も、未生のまま放置された作品の1つである。

 

───「無能の人」の子供は実に悲惨な顔をしてますね。自分の子供時代の過酷な体験が投影されていませんか。

子供を見ると不憫でならないんです。だから自分の子供を溺愛してしまうんです。子供がひどく内向的になったのも、甘やかしすぎた僕の責任だと思っているんです

 

いつもの散歩コースの多摩川土手に自転車でやってきたつげは、新聞もテレビも天気予報以外見ません、ヒマにみえますが、アレルギー体質の一人息子用にチラシで見た防ダニ蒲団を買いに行ったり、結構忙しいんです、と、相変わらずの誠実さで答えつづけた。

糠雨に煙る川面から夜の気配が漂いだし、対岸のマンションの明かりがひんやりとした外気ににじみはじめる。

もう、妻と子供が待つ団地に帰る時間である。そこは、対人恐怖への理解と慰藉が待つ安寧の場所であり、それと引きかえに得た生活の煩悶から離脱する衝動を監視する、桎梏の場所でもある。

自分自身が物語そのものだったら、どんなによかったろう。

自転車のスタンドを外してペダルを踏みこむと、つげは、宵闇が濃さと冷気をます土手下の道を、材木のような長身をまっすぐに立て、小さな至福と大きな不安が待つ世界に吸いこまれるように走り去って行った。

(文中敬称略)

さの・しんいち

1947年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒。著書に『業界紙諸君』『紙の中の黙示録』

『昭和虚人伝』など。このインタビューはアエラ』1992年3月10日号に掲載された。

 

「必殺するめ固め」のつげ義春さん 内なる不条理漫画に託す

つげ漫画のファンには楽しみな本が出た。「夢の散歩」以来六年ぶりの作品集。昭和50~55年に発表された12編を集めている。年平均2編という相変わらずの寡作である。

ええ、なまけ者なんでしょうね。経済的に追い詰められないと描けない悪いクセがあるんです。ことにこの1年ほどは、精神のバランスを崩してしまい、仕事がつらかった

神秘的な漫画家、とさえ言われるつげさんだが、その目も語り口もあくまで穏やかだ。

代表作の「紅い花」「ねじ式」「沼」など、暗い情念を主調にする不条理漫画が若い世代に鮮烈な一撃を与えたのは、大学紛争に象徴される昭和40年代初め。漫画=芸術論争に知識人が熱くなったのも、つげ作品がきっかけだった。以来10年―。時代も漫画も変わったが、つげさんは同じものにこだわり続ける。

ひとが生きていることの不確かさ、その不安感とでもいうのでしょうか。ボクの関心はそこにしかない。外の世界への興味はありません。作品の中に社会的な広がりがあるとしても、それはボクの潜在意識の中で内化された社会なのでしょうね」。

そして、存在することの不安を、最も鋭いイメージで示してくれるのが夢という。作品集のほとんどの作品は、実際に見た夢を描いている。明確なストーリーのない作品も多いが、得体の知れない不安感が色濃く漂う。

夢はボクにとって(現実の)体験以上に強烈です」というつげさんは、進駐軍兵士に追われて必死に逃げる夢をよく見る。今度の本で最も好きだという「窓の手」は、そうした夢を5年間も発酵させた作品だ。

精神の健康もほぼ回復し、「ボクも43歳、年相応に自然の風物などを淡々と描いてみたい」という。東京・調布市の緑に囲まれた団地の3DK。わきで息子さんが積み木遊びに余念がなかった。

(読売新聞・東京朝刊 1981年6月8日号)

 

水木しげるさんを悼む 葛藤、悩み、本棚には哲学書 つげ義春

水木しげるさんが亡くなられたということは、大変なことで、しかも突然で、うまく言葉で言い表すことができません。

私が、水木さんのアシスタントを務めていたのは、水木さんがすごく忙しかった1960年代後半の4〜5年だった。当時、掲載していた雑誌「ガロ」の編集部からお願いされて、1か月に4、5回、手伝いに行くようになった。雑誌への掲載と、水木さんの手伝いで私の生活は成り立っていた。水木さんは無口で、私的な会話をした記憶はほとんどない。ただ、水木さんの本棚に哲学書がいっぱいあるのを見た時、驚いた。テレビなどでは、とぼけたところや、変人みたいな態度を取っていたけれども、内面はそうではなく、葛藤や悩みがたくさんあったのではないかと思った。その解決を、哲学書などに求めていたのではないでしょうか。

水木しげるさんと私の家は同じ東京都調布市にあるが、線路を挟んで、水木さんは北、私は南に住んでいる。歩けばわずか15分くらいなのだが、私たちを線路が分断しているみたいで、それを越えていくことがなぜかできなかった。

最後に会ったのは、4、5年前。水木さんの家の近くの神社で開かれていた骨董(こっとう)市の近くでばったり会った。そのとき、水木さんが「つまらんでしょう」と言ってきた。私も話を合わせるために「つまらないですね」と応じた。すると、水木さんは「やっぱり」と弾むように言った。会話はそれだけだったが、水木さんがそう言ったことの意味は何となく分かった。大人気になり、大家になったけど、内心では自分の人生はつまらないと思っていたところがあったのではないか。長い人生を、納得せず、常に悩みを持ち続けておられたのだと思う。(漫画家、談)

(読売新聞・東京朝刊 2015年12月1日号)

 

日本漫画家協会賞・大賞 つげ義春さん 空想と現実の間に漂う

◆「生活くさい漫画を描きたかった」「このまま終わってしまっていい

新作は30年前から描いていない。だが「ねじ式」「無能の人」といった作品が与えた衝撃はいまだに大きい。今月9日、第46回日本漫画家協会賞コミック部門の大賞に漫画家のつげ義春さん(79)の一連の作品が選ばれた。表舞台にほとんど出てこない伝説的漫画家が電話インタビューに応じ、創作の原点について語った。(文化部 川床弥生)

<ぼくはたまたまこの海辺に泳ぎに来てメメクラゲに左腕を噛(か)まれてしまったのだ>

1968年に発表した代表作「ねじ式」は、左腕の静脈が切れてしまった男が医者を探し回る幻想的な物語。最終的に女医にねじで血管をつないでもらうことになる。

説明するのが難しくて発売当時も話題になりました。しっかりしたテーマをつかんで描いたものではないんです。見た夢をヒントに、想像と混ぜたんですね

 空想と現実が入り混じった独特の世界観の作品が数多く生まれた背景には、雑誌「ガロ」の存在が大きいという。

 幼い頃は、手塚治虫のまねから始め、小学校を卒業後、メッキ工場や、新聞販売店などで働いた。17歳で漫画家デビュー。だが2、3年で、当時の人気漫画の主流だった空想冒険活劇に物足りなさを感じ始める。

早く働きに出て、現実の生活を見ていますから。生活くさい部分を持った作品を描きたいと、だんだんリアリズムを求めるようになりました

「ガロ」では自由に描かせてもらえた。「娯楽物から脱却して、自分なりに質のいいものを表現したいと」。一瞬のひらめきで思いついたという「紅(あか)い花」(1967年)は、少女が大人に成長する様子を川を流れていく花で表現し、女性からも高い支持を得た。売れない漫画家の日常を描いた「無能の人」(85年)はお気に入りの一つだ。

緻密(ちみつ)で不思議な美しい背景は、映画雑誌に掲載された写真を模写したり、自身が旅行した時に撮影した写真を描き写したりした。

ラストはあえて曖昧にして、読者の想像をかきたてる作品が多い。「まとまり過ぎちゃって終わるのは面白くない」。幻想の世界を描いてきたが、源流にあるのはやはりリアリズム。「現実から浮き上がりすぎた漫画はつまらないと思うんです

87年に発表した「別離」を最後に、漫画は描いていない。病気の妻を看病するため中断し、以後、創作意欲が戻らなかったという。現在は長男と2人暮らしで、生活に追われる日々だ。これまで描いてきた原画や道具も押し入れにしまったまま。「ありがたいことに作品が繰り返し再版されるので、何とか食いつないでいます」。唯一読む漫画は、数年に一度発行される「表現にこだわり、現実を描く」漫画家たちの作品を集めた単行本のみだ。

今回の大賞受賞は「漫画界の中でも異色の存在で、その作品世界は芸術性も高く追随を許さない」が理由だ。以前から作品に対する評価は高かったが、意外にも賞を取るのは初めて。「一作一作、一生懸命やってきたつもりなのでうれしい」と喜ぶ。

気になるのは新作の可能性だが、「今後も描くということは考えておりませんし、このまま終わってしまっていいと思っています」。

 (読売新聞・東京朝刊 2015年5月18日号)