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少女ヌード雑誌の変遷と現状分析『ヘイ!バディー』から『アリスクラブ』まで

ロリータ雑誌の現状分析/斉田石也

禁断の書!?のイメージがあるロリータ誌のたどってきた道を振り返ると、当時の世相、社会状況が見えてくる。いったいロリータ誌に人は何を見るのだろう。

※以下の文章は、1997年に刊行された『ワニの穴3 エロ本のほん』(コアマガジン・絶版)からの転載です。そのため本文では、1999年の児童ポルノ法成立や2015年に適用された児童ポルノ単純所持罰則化については触れられておりません。

2018年現在、一部記載内容によっては、現行法に抵触する場合がございます。記載事項の実施・応用等は、ご本人の責任と判断で行われることをお願い致します。

ロリータ雑誌って何だ?

一口でロリータ雑誌と言っても、一般社会とマニアの認識の間には、かなり大きなギャップがあるというのが現実だ。

一般の書店の商品管理担当者あたりでも、ブルセラ雑誌、エロ系のアニメ、ならびにゲーム関連、さらにはオタク系コミック雑誌と、一般的なロリータ・マニアが考えるロリータ誌を同じ物と勘違いしている傾向はかなり強い。

それは、ロリータの定義そのものが世間一般とマニアの間でかなりのギャップがあることに起因するものであるが、今、ここでそれを論じていると、与えられた紙面の大半を費やしてしまう恐れがあるので、ここでは、真性のロリータマニアが見て「自分達を対象にして製作されている」と信じるに足る雑誌の大まかな定義を説明するにとどめて置きたいと思う。

ちなみに、真性のロリータマニアとは、たとえば目の前に12歳と18歳と22歳の三人の女性が全裸で現れ「好きにして」と言った時に、迷う事なく12歳の少女を選ぶ人間のことを言う。

つまりは、ワイド ショーのコメンテイターやマスコミに登場するのが好きな心理学者などが定義する、18歳や22歳がいいと思いながらも、何となく気後れして少女の方に目を向けている「自称ロリータマニア」は、真性マニアの間では、自分達と区別して「単なる気弱なスケベ」と呼ばれている。

さて、これでようやく本題に入ることが出来るが、一般的にロリータ誌は小学校中学年から中学校2年ぐらいまで。つまり9歳、10歳から14歳前後までに限定して扱っている雑誌と言えば、一番、分かりやすいと思う。

間違っても『スーパー写真塾』(コアマガジン)などに代表される、高校生年齢をイメージさせる雑誌は、一般人にはロリータ雑誌に見えたとしても、マニアには「オバサン雑誌」と言う印象を以て迎えられざるを得ないわけだ。

それと同じ意味で、たとえ、ときおり中学生年齢の少女モデルが登場しているとは言え、最近の援助交際にドップリ嵌まっている、もしくはその予備軍と呼ばれるようなコギャル、マゴギャル(もう、死語に近い言葉だが)にスポットを当てた雑誌も、ほとんどのマニアからは敬遠されている。

そう言った意味で、現在、流通している雑誌の中で、狭義の意味でロリータ誌と呼べるのは、隔月刊で通巻66号を誇るアリスクラブコアマガジン・昭和63年12月創刊)、読み物に重点を置いた『小説アリス』綜合図書・平成6年創刊)、そして、約半年の休刊を経てリニューアルした『スウィート・ローティーン』(黒田出版興文社・平成7年5月創刊)の三誌に絞られてしまう。

 

過激の一語だった黎明期

今となっては信じられないことだと思うが、昭和55年から61年ごろの数年間、ロリータブームと呼ばれる時期があった

この当時は、現在、書店の氾濫気味のヘアヌード写真集のように、毎月、十冊前後の、小学生ぐらいの少女のヌード写真集が店頭に山積みにされて販売されていた

この時期は、もちろんヘアは厳禁。しかし、もともとヘアのない子供の局部は、まだ性器でなく単なる排泄機関と見なされていたようで、ページをめくって行くとワレメちゃん丸見えの写真が次々と登場する写真集が堂々と販売されていた

そして、厳密な意味でロリータ誌と呼ばれる雑誌が市場を賑わせ始めたのも、まさに、そのロリータブームの真っ只中でのことであった。

いわゆる書店ルートで販売されていた雑誌から辿って行くと、当時、総合アダルト情報誌であったHey!Buddy(ヘイ!バディー/白夜書房・昭和55年5月創刊)が、何度かのロリータ特集を経て、57年6月号からロリータ専門情報誌宣言をした時から、現在に至るロリータ誌の歴史が始まったと言えよう

そのバディが、投稿者の犯罪写真の掲載が原因で突如として廃刊に追い込まれるのが昭和60年11月*1の1年半ほど前の59年6月には、当時も、そして現在でもSM雑誌中心にマニアックな世界を狭く深く掘り下げ続けている三和出版よりロリコンハウス』が創刊している。

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バディの場合、創刊当時からのしがらみや編集者の個人的好みを反映して、風俗嬢をモデルにしたグラビアやプロレス記事などがあり、また表紙も当時の二線級アイドル(中森明菜可愛かずみも登場しているので二線級と断言は出来ないが)を起用するなど、完全にロリータ一色とはなり得なかった感があったがロリコンハウス』は表紙、巻頭から全て少女、記事や小説、コミックも少女一色の本格ロリータ雑誌だったと言える。

一方では、当時、絶頂を極めていたビニ本ショップを販路としたロリータ雑誌も存在していた。発行年月順に列挙していくと『ありす』(57年11月/群雄社)、『みるく』(58年3月/花神社)、『CANDY』(58年11月/JOY企画)、『リトルクローバー』(59年6月/若葉出版販売)、『にんふらばぁ・ジャパン』(昭和60年6月/麻布書店)などである。これらは、当時、写真形態が大半だったビニ本業界にあって、どれも読み物に重点を置いた編集方針をとっていたこと、ならびに、一部を除くと、隔月で発行日が決まっていたことが特徴で、たんに販売ルートと発行部数が異なると言うだけで、前述したバディやハウスとほとんど変わらなかったと言えよう。事実、グラビアページでかなりの比重を占めたマニアの投稿写真は、書店ルート雑誌とビニ本ルート雑誌に重複して掲載されることも、決して珍しいことではなかった。

そして、このブーム全盛期のロリータ雑誌を全て読み耽っていたマニアは単に写真集や雑誌をコレクションして読んでいるだけでは片手落ちで、正しいマニア道を歩むためには、カメラを手に街に出て、少女のパンチラあるいは親水公園での着替えなどの写真や、さらには親しくなった少女を物陰に連れ込んで、軽くイタズラをした写真を撮って投稿しなければならないと思えて来るほど過激だった

おそらく、ほとんど無法地帯とでも言えるような当時の状況は、前述したとおり、大まかに言ってヘアが見えるか見えないかが猥褻書画としての摘発の基準だったことを拡大解釈した結果と言えるだろう。

今回、あらためて、これら全ての雑誌を見直して驚いたのは、明らかに犯罪の証拠写真と言えるような投稿写真が前述したビニ本ルート雑誌より、バディの方がはるかに多量に掲載されていると言う事実だ。

当時のロリータ誌の特徴として、ちょっと行動力のあるマニアなら、意図も簡単に読者の立場から投稿の常連と言う名の制作者の立場に躍り出ることが出来たと言う点が挙げられる。これは写真だけでなく、イラスト、コミック、そして小説やエッセイにも言えることで、ロリータブームの当時のロリータ雑誌に頻繁に登場している間にプロのカメラマンやライター、そして編集者となって現在も活躍している業界人は少なくない。

なぜなら、ロリータ趣味もその他のマニアックな世界と同様、本当のマニアでないと、継続的に読者を納得させる水準の作品を継続できない上に、急にブームとなったために、極端な人材不足状態であった。そして、いかにブームの真っ直中と言っても、一般のアダルト系雑誌のように、どこかのモデルクラブやプロダクションに電話を一本すれば、ドサッとモデルの宣材写真が集まると言うほど、モデルの供給がたやすいものでなかった。そのため、特にグラビアに関しては、読者の投稿に多くのページを割かねば雑誌が作れなかったことなど、意外と貧弱な台所事情があった

しかし、その投稿カメラマンが幅を利かせていた時代に終焉を告げたのが、バディが廃刊に追い込まれた投稿者とモデルにされた少女、そしてその両親とのトラブルであった。

そのため、後続のロリコンハウスは創刊当時の山添みずき、萩尾ゆかり。『ロリくらぶ』と誌面変更後の倉橋のぞみ、奈々子など、カバーガールを抱えて、特撮グラビアを中心とする編集方針を貫くようになって来る。しかし、一方では、ロリータブームの創始者の一人と言われる作家、川本耕次*2を監修者に迎えていた関係で、文章面での投稿はさらに充実していた。

かく言う筆者も、このロリータブームの当時に、CANDY、みるく、そしてロリコンハウスに投稿することで業界入りし、そのままフリーライターに転じた一人である。

 

M青年の事件と第二次ブーム

今から振り返ってみると『ロリコンハウスと言う名前の雑誌が、大手の書店も含めて、一般書店で堂々と販売されていたこと自体、異常としか言い様がないかもしれないが、現在でも部数を重ねている『アリスクラブ』が創刊した翌年から平成元年にかけて、日本中を震撼とさせたM青年による連続幼女誘拐殺人事件が発生するに及んで、ロリータはブームどころか中世ヨーロッパの魔女にも匹敵する扱いを受けざるを得なくなってしまった。

そして、すでに『ロリくらぶ』と言うソフトなネーミングに変更していた旧ロリコンハウスは平成1年8月を以て廃刊を余儀なくされてしまう。

もっともこの廃刊は、誌名変更後のソフト路線が受け入れなかった結果の売り上げ不振が真相という説もあるが、詳細はさだかでない。

ここで、すでに創刊していながら奇跡的に生き残ったのが『アリスクラブ』だった。

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さて、一節で述べたように、『アリスクラブ』は現時点の最新号である平成9年11月号で通巻66号となる。バディが月刊で通巻88号だが、ロリータ専門誌化してから廃巻まで42号、ロリコンハウス~ロリくらぶは隔月刊でスタートし26巻目から月刊化、最終号が通巻40号であることを考えると、驚異的な長寿雑誌と言える。

アリスクラブ』の長い歴史の中で、その編集方針が徐々にではあるが変わり続けて来たことが、その長寿の一番の理由だと思われるが、その中でも、平成4年ごろから平成7年ごろまでの、ロリータ史データベース時代は特筆に値する。

この当時、ルイス・キャロル、ウラジミール・ナブコフ、そしてコリン・ウィルソンなどの著作研究など、とてもエロ本とは思えないような連載と平行して、かつてのブームの時代に発行された写真集を紹介、かなり真面目に歴史的考察を加えた連載が注目を浴び、第二次ロリータブームの引き金になったと言う事実である

数年前、ロリータブームが完全に去った後、古本屋の店頭で数百円で埃を被っていたロリータブーム当時の写真集が、アリクラで紹介されるようになると、徐々にプレミアがつきはじめ、最終的には数十万の値段がつけられたほどの第二次ブームは、アリクラの影響力の大きさと言うより、いかに読者の入れ替わりが激しいかを物語っていたとも言える。

つまり、アリクラで紹介されるまでは、大半の読者は、その写真集の存在を知らない言うことだ。そして、アリクラが発売されると、そこに掲載されている写真集を求めて古本屋のハシゴをする。その結果、需給バランスが大きく崩れ、信じられないほどのプレミアを呼ぶと言う結果となってしまったわけだ。

ほどなく、中学生年齢とは言え、新刊の写真集がボツボツと発行されるようになり、また、欲しがっているマニアには一通り行き渡ったこともあって、ロリータバブルと言われたプレミア時代も幕を閉じることになった。同誌は現在、メインを子役アイドルの話題を中心にしたチャイル路線の定着を狙っている。

いずれにしろ、足掛け10年の歴史を持つ雑誌だけに、バックナンバーを一気に読破すると、M事件以降のロリータ市場の流れや、子役モデルがチャイドルとなって行くムーブメントが手に取るように分かって興味深い。また、そう言った資料的価値だけでなく、小説やコミック、そしてグラビアなども、やはり一日の長があると言わざるを得ない。

ロリータブームの台頭以来、『ヘイ!バディー』『ロリコンハウス』そして『アリスクラブ』と、まるで申し合わせたように新雑誌が創刊すると先輩雑誌が廃刊になり、一誌独占状態が続いていたロリータ雑誌市場の構造が『小説アリス』の創刊によって崩れることになる。時、あたかも第二次ロリータブームの真っ只中で、読者層が厚くなっていることを証明する事実だった。しかも、基本的に若年層が多いロリータ市場に向けてタイトルに真正面から「小説」をうたい、事実、カラー16ページのうち、グラビアは8ページ。あとはビデオの紹介とイラストで埋められ、残りはほとんど小説のみと言う構成は、当時のロリータ誌では考えられないことだった。

しかし、その後、追従した『アリスクラブ・シスター』(コアマガジン・平成6年11月創刊、通巻4号)や『リトルリップス』(東京三世社・平成7年7月創刊、通巻3号)と言った読み物中心のロリータ誌が短命に終わった中、月刊で36号まで継続しているのは、次々と新人を発掘しながら、吉野純夫、睦月影郎などベテランが連載小説を執筆すると言う編集面の努力の成果と言えよう。

合法的作品に限って言えば、グラビアでもビデオでも、ホンバンはおろか、オナニーさえもあり得ないビジュアルでひたすら妄想を膨らませているロリータマニアは、文字を読みながら妄想するのもそれほど抵抗がないのかも知れない。

平成7年5月に創刊、10号で一度休刊した後、平成9年8月に再スタートを切った『スゥイートローティーン』は、それまでのグラビア・情報誌と読み物誌の中間的スタンスからチャイドルなど情報路線への方向転換を狙っている様子。ただしこうなると老舗の『アリスクラブ』と完全にバッティングすることとなり、今後いかに独自のカラーを出して行くかが生き残りのカギと言えるだろう。

ただ、この『スゥイートローティーン』に限らずロリータ誌の場合は、未成年を性の対象として見ると言う体質が、いつ、法的に取り締まりの対象となるか分からないと言う危うさに常にさらされている

事実、一人の不登校女子中学生が売春容疑で補導され、偶然、その少女がモデルの仕事もしていたため、所属モデルクラブが職業安定法違反で摘発され、そのモデルを起用していた『15クラブ』『プチ・ミルク』『クラスメイトジュニア』などが軒並み廃刊に追い込まれたという事実も、比較的記憶に新しい。

その意味で、現存する全てのロリータ誌が、そう言った売り上げ以外の要因で突然姿を消す恐れもないとは言えないのが現状である

斉田石也(さいだ・せきや)

1953年(昭和28年)生まれ。神奈川県出身。クラブ歌手、土木作業員、飛び込みセールス、住専社員、不動産業など職を転々とした後、ロリータ出版に携わる。

少女に関するあらゆる表現媒体に深く関わった、現代ロリータ史の生き字引的存在であり、歴史的観点からロリコンを読み解く数少ない作家の一人である。

1980年代よりフリーライターとしてロリータ・ブルセラ系雑誌を中心に小説やエッセイなどを執筆したほか、『ロリコンハウス』(三和出版)や『アリスクラブ』(コアマガジン)など本邦ロリコン史における重要な少女雑誌でも執筆や編集を行った。

ちなみにストライクゾーンはティーン手前で9歳から12歳まで。主な小説に『過激なロリータ』『うぶ毛のロリータ』『半熟ロリータ桃色乳首』(いずれも二見書房)などがある。

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その昔『ロリコンランド』という雑誌があってだね.pdf - Google ドライブ

https://www.logsoku.com/r/2ch.net/sepia/1173353945/

http://yomi.mobi/read.cgi/society6/society6_21oversea_1178137930/950-

*1:白夜書房が1985年9月に『Hey!Buddy』の増刊として発売した『ロリコンランド8』が猥褻図画頒布容疑で警視庁から摘発され、発禁となった。つまり「少女のワレメは猥褻である」という当局のお墨付きが出たという意味である。この『ロリコンランド8』の摘発を受けてロリコン文化の中心となっていた『Hey!Buddy』は「誌面にワレメを出せなくなった」ことを理由に同年11月号をもって廃刊した。

*2:みのり書房『Peke』編集長→合併アリス出版第五編集部編集長→群雄社編集者。1980年代のロリコンブームおよび三流劇画ブームの仕掛け人。アリス出版ではロリコンブームの先駆けとなった伝説的自販機本『少女アリス』の編集長を務め、群雄社退社後にはロリータ専門誌『ロリコンハウス』(三和出版)の監修も行う。みのり書房時代は大学時代からの知人である日野日出志を復活させ、内山亜紀さべあのまを商業誌デビューさせる。また吾妻ひでおを『Peke』や『少女アリス』で起用して「吾妻ブーム」を作るなど漫画界にニューウェーブの基盤を築いた。著書に『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)がある。竹熊健太郎ブログのエントリーでも川本について言及あり→「平田先生とネットゲリラと: たけくまメモ」