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雑誌周辺文化研究互助

ねこぢるへの批評など - 知久寿焼+スージー甘金+土橋とし子+松尾スズキ+逆柱いみり+岡崎京子+黒川創+唐沢俊一+柳下毅一郎+青山正明+村崎百郎+根本敬+山野一

知久寿焼ねこぢるうどんについて」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
 
にゃー子にゃっ太の表情は微妙だ。
たとえば人間でいうと、喫茶店や飲み屋のテーブルをはさんで向かい合って話してるんだけど、そして相手の人は確かに自分にむかって喋ってるんだけど、その視点はぼくのはるか後ろ遠くにピントを合わせていて、右と左それぞれの目線が上から見てほぼ平行なまま、それでも口もとはいくらか微笑んでいるっていう様な気味の悪さだ。 
 
猫の口もとが「ω」なのも手伝ってはいるが。そんな、キチガイのそれっていう感じの表情のまんま、身のまわりで起こる出来事に対して、情緒的なところをすこんと欠落させたみたいな単純でまっすぐな反応をする二匹──あれっ? やっぱりキチガイみたいだなぁ。そうか。そうです、ぼくは「ねこぢるうどん」の、この淡々としてキチガイなとこに感じちゃうんですよ。でも姉弟仲いいよね。
 
(ちく・としあき=ミュージシャン)
 
スージー甘金表裏差の激しいところが魅力」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
 
一見すると「キティちゃん」風なかわいらしい(?)ファンシーなキャラクター(?)が登場するのとは裏腹に、人を喰ったような内容で、かつきわめて残酷!という表裏差の激しいところが「ねこぢるうどん」の魅力の一つだと思います。読み終わった後、いつも頭の中に無理矢理天使と悪魔を一緒に入れられて、グチャグチャにかきまわされたような妙チクリンな気分になるのは私だけでしょうか!?
 
(スージー・あまかね=イラストレーター)
 
 
土橋とし子ねこぢるうどんは脳ミソが柔らかい」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
 
ねこぢるさんの漫画には子どもの時の無意識の残酷さ(行動も言葉も)みたいなもんがある。世間とかいうものの中でちょっと大人みたいに生きている私にはナカナカ出せない世界になってしまっているようで、懐しくなったりうらやましくなったりするわけです。知らない間に脳ミソが硬くて四角になりつつ自分に気がついてハッとして、ちょっと悲しくなったりするけど毎月、ねこぢるうどんを読むのを楽しみにしておる次第です。読んだあとはちょっと脳ミソがほぐれた気になれます。
 
(つちはし・としこ=イラストレーター)
 
松尾スズキ気持いいっす。」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
 
狂った人間の目つきの描写にリアルを感じます。逃げてない所が好きです。残酷にして牧歌的な現代のグリム童話。ガロの読者に読ませるのなんかもったいない。小学三年生とかでドラえもんの隣りに連載して欲しい。とにかく「ねこぢるうどん」は我々表現に関っている人間が仲々真正面から立ち向かう事が辛い闇の部分を、ノホホンと土足で濶歩するアナーキーさに満ちていて気持ちいいっす。本当ですよ。
 
(まつお・すずき=役者)
 
逆柱いみり絵がうまいのでうらやましい」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
 
電気カミソリで無いヒゲを1時間以上かけてジージージージー剃っているジジイはうっとおしいものだ。
 
台所で11時間以上もうろうろゴトゴト何をしているのかとイライラしているとガスの元栓が心配で眠れないらしい。そのくせ便所の水は流しっぱなしだったりする。死んでからも幽霊になって続けられるかと思うと気が減入る。 
 
「ションベンでもクソでも喰らえ」
渋谷の地下道を強力なインパクトを振り撒きながらブツブツと呪文のごとく繰り返し吐きだされていたキ印のババアの名言は自分を良識ある大人に引き戻してくださった 「こいつアブネー」うっとおしい奴をほほえましく見るのはムズカシイ。
 
 「ピンキー」と呼ばれるオバサンはほれころんだピンクの寝巻姿、ゴム草履の足で一日中徘徊している。その行動範囲は恐ろしく広く思わぬ所で出くわしビックリする。昔はえらい才女だったという噂だが、バランスの崩れた栄養と垢でどす黒く彫りの深い顔は印度の行者を思わせる小学生の人気者だ。前置きが長くなってしまった。変な奴のネタというのはキリがない。
 
さて「ねこぢるうどん」は、変な奴とネコとのからみで進行する話が印象に残るのだが、どちらも1つ目の世界の住人であり現在しか見ていないという辺りがミソだろう。自分の漫画も先を考えずに書くことが多く、終りのほうで苦労するのだが、「ねこぢる」もあんまり考えて描いて無いんじゃないだろうかと思える時があって親しみを感じてしまう。
 
ただ変な奴の場合現在が幸福であっても強力な個性のため、5分後には死んじゃってたりもするわけだが、その点ネコや子供やバカボンのパパなどはけっこう踏み外さない様である。
 
壊れてる者はどこまでも行ってしまうが、無邪気なものはちゃんと家に帰る(長井会長のパーティーの時、山野氏のところにとめていただいたのだが、山野夫人ことねこぢる様はちゃんと部屋にいてファミコンをやっておられた)まあ遊びに夢中になって友だち殺しちゃった子供とか、犯罪の一歩手前で止まるパターンをくり返すような狂人というのも少なくはないだろうから断定はできないが…
 
ところで山野夫妻は親切な方々でございました。今後も面白いまんがをファンのひとりとして期待しております。おわり
 
(さかばしら・いみり=漫画家)
 
岡崎京子「やだなぁ」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
 
ねこぢるさんのまんがを初めて読んだ時に「やだなぁ」と思いました。かわいいくせにすくいがどこにもなくてやりきれないのですから。ゆかいにむじゃきに「ぶちゅう」と虫をふみしだいてゆく2匹の幼いねこ姉弟働く職工が黒こげの丸やきになって単々と死んでゆく、「ふーん」とみつめる2匹。いやな感じ。やだなぁ。でも私はこの「やだなぁ」という感じは人間が生きてゆく上でとても大切なものだと思うし実は好きです。
 
(おかざき・きょうこ=漫画家)
 
黒川創ねこぢるって誰?」
初出▶青林堂ガロ』1995年10月号
 
先日、スーパーの文房具売り場をうろついていたら、「カブトムシのセット」が売られていた。直方体のプラスチックケースに、おがくずが敷かれ、なかにカブトムシが雌雄1匹ずつ入っている。たしかに「セット」には違いないが、シャープペンシルやノートと同じ棚に、カブトムシが“文具”として売られているというのはなんか変なかんじだ。
 
ねこぢるの「ねこ」も、このカブトムシに似ている。作者は、生身の「ねこ」なんかぜんぜん可愛がっていないし、たぶん、ペットショップとさえ、ほとんど縁がないだろう。むしろ、ねこぢるの「ねこ」には、西友ダイエーの文房具売り場あたりが、お似合いのではないだろうか。
 
スーパーで760円プラス消費税3%でカブトムシを買ってきて、夏休みのあいだ何かエサをやって最後にぶちぶちと六本節足をちぎっていく。そういう感触が、ねこぢるのマンガにもある。つまり、この人は、学校のウサギ小屋のウサギたちを血まみれになるまでたたきつけたり、プールに投げ入れてしまう少年・少女たちの白昼夢のような心情を、いまも共有しているのだろう。
 
ところで、私は、この作者・ねこぢると、何度か会ったことがあるのだが、あれが「ねこぢる」の正体であったかどうか、実はいまもってはっきりしない。何度か会ったとき、「ねこぢる」は20歳代なかばの小柄な可愛らしい女の子の皮をかぶっており、バーボンを好み、酔っぱらって、私はそのダンナと称する人物と、”彼女“を左右からぶらぶらとぶら下げて駅まで左右からぶらぶら運んだこともあるのだが、それがホンモノの「ねこぢる」であったかどうか、どうも明瞭ではないのである。
 
作品についてはすでに『ねこぢるうどん』第1巻の「解説」に書いたので、このことについて記しておく。
 
私に、ねこぢるとのご縁が生じたのは、たしか四年ほど前のことだ。ある業界紙にコラムを連載する機会があり、そこに毎回つけるイラストの描き手を探そうということになって、私は『ガロ』に「ねこぢるうどん」なるものを掲載していた未知のマンガ家を、担当編集者に推薦したのである。
 
担当編集者は、そのマンガを見て「わかりました」と私に言った。でも、彼は本心では、あまり「わかり」たくはなかったらしい。なぜなら、そのあと、担当編集者はすぐにねこぢるに電話を入れ仕事の件を依頼して、加えて「あなた、ねこしか描けないわけじゃないんでしょうね?」とかイヤミなことを言ったらしいのだ。
 
私には、担当編集者の不安がわかる。なぜなら、コラムの掲載は週二回、さまざまな雑多な話題を取りあげてのものであるにもかかわらず、かんじんのイラストレーターの作品は「ねこぢるうどん」しか見られていない。
 
そこでいきなり「ねこしか描けないわけじゃないんでしょうね?」発言となるわけだが、そんなことおまえに言われる筋合いはねえよ、と思うのが、描き手の当然の気持ちだろう。元はと言えば、私が悪いのだ。
 
そんなわけで、担当者との打ち合わせの時間、所定の場所に、ねこぢるは現われなかったらしい。ただし、やや遅れて男の「ねこぢる」を名乗る人物がやってきた。それが山野一で、彼はこれまでのイラスト作品をささっと要領よく見せて、「じゃ、そういうことで」と、この連載の仕事を決めてしまった。──というような経過をたどって、私はそれから1年、山野一のイラストと組んで、無事その連載の仕事を終えることができたのだった。
 
ということは、このとき、山野一は、サギまがいの仕事の交渉をしたのだろうか?そんなことはないわけで、実はこの山野一、例の「ねこぢる」らしき女の子の夫で、その仕事のストーリー作り補助、ペン入れ下働き、スクリーントーン貼りつけ係、および渉外担当のような受け持ちをしてきたらしい。つまり、「ねこぢる」というのは個人名というより一種の屋号で、その「ねこぢる」の成分には10%か20%、“山野一“が配合されているのだと考えられなくもない。それはそれでいいでも、だとすれば、あの「ねこぢる」の主成分らしき女の子、あの女性だけを呼ぶときには何と呼べばいいのかという、最初の問題に戻ってきてしまうわけである。
 
私は、あの女性と何度か食事をしたし、お酒も飲んだ。私は、そんなとき、彼女のことを「ねこぢる」もしくは「ねこさん」と呼ぶ。でも、どうもその「ねこぢる」という言葉には、20%ぐらい山野一が含まれているようで、落ち着かない。いったい、目の前の彼女、この本体が、それ自身だけの名前をもっているのかどうか、私は彼女だけを呼ぶことができるのかどうか、不安になってくるのだ。
 
私は、ひどいときには酔っぱらって、彼女の家に泊めてもらったこともある(もちろん、そのときには、20%の”山野一”成分付き)。そんな夜には、20%の山野一成分は、80%の主成分に向かって、なにか別の名前で呼びかけて良たのだが、どうも、その呼称がいつまでたっても私には覚えられないのだ。
 
というわけで、いまも彼女は私にとって「ねこぢる」である。
それでいいのだ。でも、私が彼女のことを「ねこぢる」と呼ぶたび、自分の頭のうしろのほうでは(......ただし、20%の山野一成分抜きの)と、落ち着きのないささやきが聞こえる。 ちょっとイライラする。いったい、彼女は誰なのだろう。
 
(くろかわ・そう=評論家
 
初出▶青土社ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」
 
幼児の持つ、プリミティブな残酷性をこれほど直観的に描き出した作品はないだろう。猫の姉弟の(猫ゆえに)基本的に無表情なままの残酷行為は、われわれが子供のころ、親に怒られても叱られても、なぜかやめられなかった、小動物の虐待の記憶をまざまざとよみがえらせる。そして、それを一種痛快な記憶としてよみがえらせている自分に気がついてハッとさせられるのである。
 
生命は地球より重い、とか、動物愛護、とかいうお題目をとなえて自己満足的な行動をおこしている連中に、これが人間の本質だ、とつきつけてやりたくなるような、そんな感じを受ける作品だ。他にも、差別、精神障害者の排除、貧乏人への理由なき侮蔑など、近代人が最もやってはいけないとされていることを平気でやる、イケナイ快感をこの作品は触発してくれる。かなりアブナイ。
 
(からさわ・しゅんいち=評論家)
 
唐沢俊一「予言の書」
初出▶文藝春秋ねこぢる大全 下巻』2008年10月
 
ねこぢるの描く猫の姉弟の悪意と残酷さを、よく人は“無垢な子供の”それ、だと指摘する。少なくとも、彼女が亡くなったときにはそんな論調の追悼がいくつも目についた。無垢であれば悪意も残酷さも許される、とでも言いたげな感じで。
 
実はねこぢるを殺したのは、そういう無垢な悪意であった。死去の報を聞いたときにたまたま私と仕事をしていた若い女性編集者が、死の直前に、ねこぢるに原稿依頼の電話をしたという話をした。ねこぢるは、それまでつきあいもない、初めて電話をかけてきたその編集者相手に、「仕事依頼が殺到して(亡くなる前年に東京電力のCMに彼女の描いたキャラクターが使用されるという、本当に作品を読んだことがあるのか、と問い詰めたくなるような事態が生じ、彼女は“売れっ子”になりつつあった)自分の方向性や資質と違うことばかりやらされていて本当につらい。いきなり仕事量が増えて体力が消耗しきっているので、もうこれ以上何も考えられないし、何もできない」という内容のことを、泣きながらえんえんと長電話で訴えたという。それを聞いたとき、そこまで彼女は追いつめられていたのか、と思い、慄然としたものだ。
 
キャラクターが可愛いから、メジャーな表舞台に彼女を引っ張り出そう、という業界各社の思いは、つまるところ彼女にとっては、“無垢な悪意と残酷さ”でしかなかったわけである。
 
あの頃は、と書いてそれがもう十年も前か、といささか愕然とせざるを得なぃが、しかしなるほど十年も前のことなのだな、と納得もできるのは、無垢な悪意というものが十年前にはまだ、世の中の人の目にさほどついていなかったということだ。だから、読者であるわれわれは、ねこぢるのマンガを読んで、そこに描かれた悪意を、マンガの中のことだと思って笑えたわけである。そのキャラクターをCMに起用できたわけである。
 
奇しくもねこぢるの作品が多くの人の目につくようになってきた一九九七年に、あの酒鬼薔薇聖斗の事件が起った。この犯人は十四歳。何らの理由も原因もなく、自らの心の中の残酷さが命ずるままに、幼い子供二人の命を奪った。それからである、堰を切ったように“無垢な心の”少年少女たちによる、さしたる理由なき殺人が頻発しはじめたのは。そして、ネット上には今日も無垢な悪意の書き込みがあふれている。自分の一言で人が自殺したり、立ち上がれなくなることを“純粋にワクワクする心で”残酷に期待して。
 
思えばねこぢるの作品は、世界がそういう時代へ突入していくことの、大いなる予言の書であったのかもしれない。あるいは、いいかげんなねこ神さまが、ねこぢる本人の作品を現実にしてしまったのかもしれない。
ねこぢるはその予言が自らの身に降りて、早々とこの世を去った。その去り方があまりに突然だったので、われわれは一層、その作品の前で立ち尽くさざるを得ない。十年たった今、また、おそるおそる、そのページを開いてみれば、彼女があの頃、いったい“何を”見ていたのかが、わかるかもしれない。
 
(からさわ・しゅんいち=評論家)
 
中野崇
初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
 
僕はねこぢるさんに1回だけ会ったことがあります。それは休刊になってしまった『まんがガウディ』の原稿依頼に行った時です。当時同じ編集部のN柳さんが「ねこぢるさんに会いに行くんだけど、一緒に行く?」と僕に声をかけてくれました。『ねこぢるうどん』を読んでいて、すでにねこぢるファンになっていた僕はすぐその話に飛びつきました。
 
ねこぢるさんの第一印象は“とてもシャイな少女”でした。僕等は約束の日にねこぢるさんと町田駅で待ち合わせをして、近くの喫茶店で打ち合わせをしました。駅から喫茶店までの道のり、ねこぢるさんは前髪で顔を隠すようにうつむき、なかなか僕等の方を見てくれません。喫茶店に入ってからもねこぢるさんはそんな調子でしたが、話がねこぢるさんの好きなこと、特にご主人の山野さんとインド旅行に行った時の話になると顔をあげて、とてもイキイキと目を輝かせてしゃべってくれました。前髪からのぞくねこぢるさんの目は、ご本人が描かれるお馴染みのキャラクターとそっくりでした。その時、“にゃーこ”はねこぢるさん本人だ!と思いました。
 
「ぢるぢる旅行記」はエッセイ漫画として人気を博しましたが、“にゃーこ”にしろ“ねこ神さま”にしろ、ねこぢるさん本人を投影しているキャラクターなので、作品にはエッセイ的な要素が入っていると思います。この要素がねこぢる作品の魅力だと思います。
 
(なかの・たかし=編集者)
 
初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
 
人の死というのはつねに唐突なものだが、それにしてもねこぢるが自殺したときには驚いた。てっきり、そんなことはしないタイプだと思っていたからだ。じゃあ、誰なら自殺してもおかしくないタイプなのか、と問われると困ってしまうが、少なくともねこぢるは自分の狂気を対象化できるタイプだと思ってたのだ。
 
そもそも、ねこぢるがあれほどのポピュラリティーを獲得できた理由もそこだったはずだ。毒に満ち満ちた内容と、アンバランスな丸っこい描線の可愛らしい絵柄。ミスマッチとも言えそうだが、甘ったるい絵柄が毒をくるむ糖衣となったおかげで、ほど良く辛みを効かせることになったのだ。これが山野一ではそうはいかない。透明な、抽象度の高い絵で生々しさを抜いたからこそ、女子供にも愛されるねこぢるケータイストラップが作られたわけである。自分の中の毒にはまりこんでいたなら、そんなことはできないだろう。でもま、そんなこと考えるだけ無駄だっていうのがよくわかったよ。こざかしい知恵なんざ馬の糞ほどに役に立ちゃしないって、ねこぢるは教えてくれたのか。
 
(やなした・きいちろう=特殊翻訳家
 
鬼頭正樹
初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
 
商業的にはたぶん「キティ」に追いつきはないが、キャラクター商品としての「ねこぢる」の浸透力は凄まじい。街角の「ガチャ」にまで「ねこぢる」バージョンがあるくらいだ。漫画のストーリーとは別に、ともに昔から「オンナコドモ」が好むネコということや、カワイラシイ絵柄という点だけで考えると特に不思議ではない現象かもしれない。だが、自殺した作者「ねこぢる」と残された作品を考える上で、この二者を比較することは必要だ(両作者にとっては全くもって迷惑な事だろうが)。
 
サンリオと青林堂という180度別方向を目指す企業の作ったキャラクターも市場では並列におかれる。集英社青林堂のコミック単行本が書店で並んで置かれるのと同じだ。また社員デザイナーという作者のかげの薄い「キティ」と、「ねこぢる」から「ねこぢるy」へ移行しながらも続く「ねこぢるうどん」は、作者の匿名性によって読者から地続きの生活臭を消し去ってしまう。だから作中の不幸も死も切実さはなく「登場人物の純粋な無邪気さ」という言葉の陰に隠されていく。一方で、青林堂のもう一つのヒット商品との共通点も考えてみることだ。漫画家「蛭子能収」はその作品ではなく自分自身を肥大化した市場に送ってしまったが、そんなこともその他の二者のあらゆる現実と作品をも含めて、「ねこぢる」と「蛭子能収」こそが「ガロ」が二十一世紀に向けて懐妊した、純朴さのかげに狂気を秘めた強かな双生児ではないかと思えてならない。
 
(きとう・まさき=エディター)
 
初出▶朝日ソノラマねこぢるだんご』1997年11月1日発行
 
僕は豚汁が大好きなのだが、残念ながら猫汁はまだ一度も口にしたことがない。まあ、機会があれば、子猫を手に入れ、愛情を注ぎまくっ て大事に大事に育て上げ、しかる後、鍋にしてつついてみようかとは思っている。実際の味はともかく、ありし日のやんちゃな姿を収めた8㎜なんぞをモニターで観賞しつつ食する猫汁の味は、さぞ格別なものだろう。
 
さて、ありていに言えば、ねこぢる作品はイソップやマザーグースから今日のナンセンス&ビザール4コマまで連綿と続く残酷童話のひとつである。が、残酷童話という呼称はいいとしても、そうした類型に当てはまらない、ねこぢる独自の世界観というのが明らかに存在する。ねこぢるの創作する世界では、弱肉強食、強い動物は弱い動物にどんな暴力を振るおうが、その死肉を食らおうがお構いなしだ。ところが、その一方で、主人公たる猫一家は、奇妙なところは多々あるとはいえ、とりあえず仲むつまじい家族である。いつも手をつないで歩く、強く怖い父、分別ある母──。こうした家族のあり方は、今の世にあっては、現実とは程遠いファンタジーと言えよう。
 
つまり、ねこぢるの生み出す世界は弱肉強食という下界のビザール・ファンタジーと、そこにかろうじて点在する安住の巣、ファミリー・ファンタジーとのせめぎあいの所産なのだ。『つなみ』の女王とて例外ではない。彼女はひとりになることで、ようやく自分の意志と力でファミリーを築き上げられる可能性を手に入れたのである。
 
ビザール&ファミリーのダブル・ファンタジーが織りなすねこぢるの世界には、凡百の残酷童話にありがちな説教めいた教訓などない。残酷と安寧、他者と家族。ねこぢるは、ただただこの世のありさまを、諦念と一縷の夢を胸に淡々と描き続ける──。 
 
最後に、これはあくまで僕の希望にすぎないんですけど、「ねこぢるが猫汁をすする」ようなことには、決してなってほしくないですネ。
 
(あおやま・まさあき=編集者・文筆家)
 
初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
 
深読みすれば一コマで軽く十年は楽しめるのがねこぢる漫画の魅力だろう。同じ電波系でも、石川賢のように絵は複雑だが話の構造が善悪二項対立に帰結する体育会系の男らしい単純な電波漫画と違って、読み手に膨大な種類の妄想を喚起させる点で素晴らしい。
 
とはいえ、こういう評価や感想がねこぢる氏にとって何の意味もないことも事実である。“電波発生装置としてのねこぢる氏と山野一氏の関係は、大本教における出口ナオと王仁三郎の関係に近いと思えば分かり易いだろうし、山野氏もどこかでコメントしていたが、ねこぢる漫画はねこぢる氏が抱えるカオスを山野氏が翻訳してどうにか我々一般人が楽しめる娯楽漫画の領域に押さえられたものだという。そのことを念頭に置き、ねこぢる漫画の中の「読者を楽しませるために加えられたと思われる明らかにウケ狙いの部分(と言うと語弊があるが)」を省いて精読すれば、あの漫画の本来の怖さと深さが実感できるだろう。
 
そこには不謹慎さや反倫理や反道徳や反社会性など微塵も感じられない。ねこぢる漫画の根底にあるのは何かに対立すの意識などではなく、非倫理、非道徳、非社会性ともいうべき、あらゆるものから隔絶し超然とした精神である。おそらく、ねこぢる氏は人類に対する愛も憎悪も関心も何もなく、読者のことなど何一つ考えず、人間の尺度で物事を考えていなかったろう。そういう強さや身勝手さやデタラメぶりは尊敬に値する。
 
(むらさき・ひゃくろう=工員・鬼畜ライター)
 
 
根本敬「本物」の実感
初出▶文藝春秋『月刊コミックビンゴ!』1998年7月号
 
大抵、自殺は不幸なものだ。
だが、例外もある。自殺した当人が類い稀なるキャラクターを持ち、その人らしい生き方の選択肢のひとつとして成り立つ事もタマにはあるかと思う。
 
ねこぢるの場合がそうだ。
死後、つくづく彼女は「大物」で、そして「本物」だったと実感する。
 
そのねこぢる「この世はもう、この辺でいい」と決断してこうなった以上、これはもう認める他ないのである。もちろん、個人的には、数少ない話の通じる友人であり、大ファンであった作家がこの世から消えた事はとても悲しい。が、とにかく、ねこぢる当人にとって今回の事は、世間一般でいうところの「不幸」な結末などではない。
 
とはいえ、残された山野さんにとっては、とりあえず今は「不幸」である。
 
何故とりあえずが付くかというと、ある程度の時間を経ないと、本当のところは誰にも解らないからである。
 
ねこぢるの漫画といえば、幼児的な純な残虐性と可愛らしさの同居ってのが読者の持つイメージだろう。それも確かにねこぢる自身の一面を表わしてはいるだろうが、ねこぢるだんこ」(朝日ソノラマ刊)に載っている俗や目常の遠い彼方に魂の飛んだ「つなみ」の様な漫画は、ねこぢるの内面に近づいてみたいなら見のがせない作品だと思う。まだ読んでないファンがいたら、是非読んでほしい。
 
年々盛り上る、漫画家としての世間的な人気をよそに、本人は「つなみ」の様な世界で浮遊していたのではないか。
 
俗にいうあの世なんてない。
丹波哲郎のいう大霊界などあってたまるか。
 
だが、この世以外の別世界は確実にあると思う。
ねこぢるは今そこにいる。
 
(ねもと・たかし=特殊漫画家)
 
根本敬ねこぢるうどん」......それはマンガで楽しむ山野家の「バルド・トドゥル」となるのか?」
初出▶青林堂ねこぢるyうどん①』2000年11月20日発行
 
ねこぢるyこと山野一もこの根本同様もう長いことマンガ家としてやっているのにその割には業界内に友人が少ない。だから自分にこの「解説」のお鉢が回ってきたのだろう。
 
その少ない友人の中に自分の場合、佐川一政という人がいる。佐川さんはいうまでもなく、81年に世界を震撼させた、あの「パリ人肉事件」の当事者だが、巷間、あの事件は狂気故の沙汰と思われている様だが、実際のところは『このままでは本当に狂ってしまう』という強いプレッシャーから逃れ、精神の安定を得るために実行されたとも思えるのである。
 
精神の安定を得るため人はとんでもない事をしでかしてしまう時もあるがそれ位精神の安定は重要なものなのだ。運命の残酷な仕打ちや思いがけない事態に直面したときに求めるものは何よりも精神の安定だろう。
 
「ガロ」に連載されている「ねこぢるうどん」をはじめ、ねこぢるy名義での諸作品を制作する過程で山野さんは別世界にいる、ねこぢると交感し、精神の安定を得ていたのではなかろうか。
 
ところで別世界とは......。
矢面に立つ山野一がまずいて、そのすぐ後ろにもう一人の山野一がいて、その後ろに更にもう一人の山野一がいて、実はその後ろにも山野一がいて、更にまたその後ろに──という様に背後には、数え切れぬ程の山野一がいるのだが、後ろに行く程、その背景はグニャリとトロけて、時空は歪み、四次元、五次元、正に別世界の様相を呈して来る。そして、ねこぢるの今いる別世界の入り口はそのあたりのどこかにあるのだと自分は思う。
 
ねこぢるうどん」が真の評価を受けるのはまだ先の事だろう。何故ならこの作品はどこかへ向かうためのバルドっていうんですか、その途上にあるから。
 
一体どこへ辿り着くのか?それは─山野さんの脳内で行われる─山野さんとねこぢるによる「脳内コックリさん」でコインがどの方向へスーッと動くのか、それによって決まるだろうが、どちらが主導権を握るか、それによって道筋も違って来る。が、いずれにせよ辿り着く先はひとつだろう。
 
(ねもと・たかし=特殊漫画大統領)
 
山野一「タコねこ」
初出▶文春ネスコ『インドぢる』2003年7月30日発行
 
その目を初めて見たのは、彼女が暇を持てあまして書き殴っていた画用紙だ。大きな猫の顔に、タコのような足がついている。
 
「体はタコなの?」
 
「ちがう、この四本が足でこれがしっぽ」
 
なるほど、そう聞けばそう見える。
 
私はそれを「タコねこ」と命名した。
 
タコではないが、本人もその名前は気に入ったようだ。ほんの数秒で描ける一筆書きなのだが、得もいわれぬ妖しい魅力を放っている。
魅力は確かにあるのだが、その正体がよくわからない。目は人間のようにアーモンド型。瞳が大きく白目が少ない。無表情、焦点が合っているんだか合っていないんだかもビミョー。
 
口元はやや笑っているようでもある。可愛いようで怖い。単純なようでもあり計り知れなくもある。安全なようで危険。諸々……。絵の形や意味するものを捕らえようとする前に、なにかよくわからない物がいきなり直接意識の奥に飛び込んで来る、そんなかんじ。
原始人のケイブアート、あの半ば記号化されたような動物や人、あるいは六芒星ハーケンクロイツといったシンボリックな図形。
 
そういった要素が、描いた本人も無自覚なうちに備わっているのではなかろうか?そんな気がする。
 
「どれが一番いい?」
 
ほぼ同じなのだが微妙に崩れ方がちがう。
 
「んー……、これかな」
 
「次は?」
 
「そうだな……」
 
ねこぢるはすべてに順位をつけ終わるまで許してくれない。どうにか選び終わると、すぐまた別の画用紙に十個ほど描いてくる。
 
「どれが一番いい?」
そのタコねこが、「にゃーこ」と「にゃっ太」の原型だ。その一番最初の画用紙は、今は残っていない。 
 
(やまの・はじめ=漫画家)
 
山野一「あとがき」
初出▶文春ネスコ『インドぢる』2003年7月30日発行
 
る日起きると彼女は冷たくなっていた。普通に寝ているような穏やかな顔だった。
 
「もう亡くなっています」
 
救急隊の人の言葉の意味はわかるが、今目の前にあるものが現実とはかんじられない。いろんな人が来ていろんな事をいった。私はねこぢるの顔を見つめたまま「はい、はい」と受け答えをしていた。しかしこれは夢で、すぐに覚めるものだと頭の半分で思っていた。
 
それは葬儀が終わってからも変わらず、抱いて帰った白い箱に線香を上げるのだが、ねこぢるに上げているという気はしなかった。
 
ふと気が抜けると「あれ、ねこぢるどこ行ってんだっけな?」とすぐ思ってしまう。いつものように近所のコンビニか、遠くても駅前の繁華街にいるような気でいるのだ。
 
「私は長生きなどしたくない」
 
ねこぢるは出会った頃からよくそんな事をいった。長年聞いていると麻痺して、機嫌が悪いからまたそういう事をいうんだろう、ぐらいにしか思わなくなっていた。そういう慢性的な不安要因はあったものの、実際に引き金を引かせた動機はわからない。前の夜は仕事が一段落して、二人で酒を飲みながら、テレビでやっていた「マスク」という映画を見て笑っていたのだ。丸一年、白い箱と暮らす。
 
疑問はどんどん湧いてくるが、答えは何一つ与えられない。すべて憶測のまま放置される。考えは同じ所を堂々巡りして、そこから抜け出せない。
「私が死んで『オレが悪かったよぉー』って毎日メソメソ泣けばいいんだ」
怒った時などねこぢるはよくそういった。
 
いたずらっ子のような顔が浮かぶ。好きだった酒を遺影に供え、線香を上げ、手を合わせるのだが「何という身勝手なやつなんだ。意味わかっててそれやったのか?」そういう反感が、どうしても混じってしまう。確かに自分がそんなにいい夫だったと思わない。しかし、私が死ぬまで徹底的に無視され続けなければならない程ひどかったとも思えないのだ。
 
ようやく墓を建て、一周忌の法事を兼ねて納骨する。しかし、ひとかけらだけその骨を残してロバの絵の小さい壺に入れておく。
 
ねこぢるが好きだったインドで壺から骨のかけらを出し、手のひらに包んで海水につけた。日差しは強く首の後ろが焼けるようだが、海水は冷たい。波の力が強く、もろいかけらから小さな断片をさらって行く。波が引くとき手を開いて流してしまおうと思った。次こそと思うのだが、何度もやりすごしてしまう。結局手を引き上げ、もとの壺に納めてしまった。
 
ある日、知人がMacをセットアップしてくれた。ずっと放置してあったパソコンだ。マウスでグリグリと無意味な線を引き、消し、またグリグリ……。そうやっているうちに自分でも思いがけずハマっていた。Macねこぢるの絵を描いていると、かつて故人と机を並べていた時のように、なにか対話しながら描いているような気がする。
 
それは錯覚なのだが、少なくとも紙よりは孤独でないと私にはかんじられる。墓や仏壇に向かっているより、Macのモニターの中に「にゃーこ」や「にゃっ太」を描いている時の方が、故人とシンクロできるような気がするのだ。正確には、私の頭の中の故人像とではあるが。
 
「ちがうっ、そうじゃなくて……、ああ、バカへたくそっ」
 
線を引く耳元で、ねこぢるがずっとそういい続けているような気がする。その声に従ったり、無視したり、教えられたり、反抗したり、感心したり、癒されたり、やさぐれたりしながら「ねこぢるyうどん」1~3巻を描いた。最後の書き下ろしの部分では、消耗しすぎて私の目の下のクマは顔中に広がり、死に神みたいな顔になった。
 
ねこぢるに対する私の受け答えは、全部実際に口から漏れていたから、その姿を見た人は、急いでその場を離れたかもしれない。
 
ねこぢるは自分のキャラクターを本当に愛していた。
 
仕事をしながら何気なく、「にゃーことにゃっ太はどっちが君なの?」と聞いた事があった。返事がないので、聞いていないのかと思いそのまま忘れていたら、だいぶたってから、「んー……、どっちかに決められない」といった。ずーっと考え込んでいたのだ。
 
ねこぢるが亡くなったあと、私が漫画を描き続けるのはやめてくれ、という読者の声もあった。
 
そういう声には私もえぐられる。遺書にこそ書かれていないが、自分が死んだ時の事について何度か話していたからだ。
 
「絶やさないでほしい」
 
「やめてほしい」
 
その時々の気分によっていうことは変わった。
 
つまり私がやっている事は、黒でもあり白でもある。かつてねこぢるとしていたやりとりを、今は脳内のねこぢるとしている。
 
それがやっていい事なのか悪い事なのか、それになにか意味があるのかないのか、今のところなんともいえない。
 
(やまの・はじめ=夫・漫画家)

ねこぢるインタビュー「なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまに思ったりして」(文藝1996年冬季号)

ねこぢるインタビュー

「なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまに思ったりして」

 

──漫画を描きはじめたきっかけは、どういうことですか。

 

元々は旦那(山野一氏)が漫画家で、それを手伝いたいといつも言ってたんですけど、ちょっとそれは無理なんで、自分に合った話とか絵とかもアレンジしてくれるというのが描き始めたきっかけです。あと隣に猫を飼っている外人がいて、よく世話とか頼まれたりして、その猫の絵を描いたりしてて。いちばん最初に描いた『ねこぢるうどん』は、 私生活にかかわる変なことがあって、それで山野が思いついて描いてみろという感じで『ガロ』に載ったということです。 

 

──ペンネームも「ねこぢる」にしちゃったというのは。

 

最初「ねこぢるし」だったんですけど、自分も「ねこぢる」「ねこぢる」と言っているから、そのほうが覚えやすいし、言いやすいし、インパクトが残るかなと思って。

 

──話はどんなふうに思いつくんですか。

 

ケース・バイ・ケースですけど、自分の夢をちょっと入れたり、旦那が考えたり、二人で考えたり。ここはこうしたほうがいいとか、そんな感じでやっています。

 

──描いてみてから、編集の人に「この話はさすがにマズイんじゃないですか」というようなことを言われた経験はありますか。

 

"ちょっとどうかな?"というのでは、豚が丸焼きになっちゃうというのを描いて、それは「上に訊いてみないと」と。ふつうは、養豚とかはだめですし、死んじゃうとかいうのは、発行部数の多いところではだめです。完全に擬人化した豚とかなら大丈夫みたいですけど。

 

──ところで、根本敬さんみたいに、やっぱり実生活でも変なことって多いんですか?

 

前に、赤羽駅の渡り廊下で手を振っている男の人がいるんですよ。その時は私一人しかいなくて、振り返ってみても誰もいないのに、いつまでたってもずっと手を振ってる。あと、早朝にコンビニに行ってニ~三分で買物を終え、来た道を通ったら男の人がサイクリング自転車から下りて、下半身をあらわにしてウンコをしそうになってた(笑)、私が睨みつけてたら向こうはニヤニヤして、スカトロマニアなのかな、とか。コンビニはすぐだから、ジュースを1本買えばトイレなんか借りられますよね。それをわざわざ道でやってるわけですから。これは三回あります。

 

──路上排便を見ちゃった。

 

ええ。おばさんとかも。家の近くだったから、急いで帰って山野に教えたけれども、もうおばさんはいなくなっちゃって、自分でも嘘っぽいなと思って、わざわざ見に行ったらちゃんと現物があった(笑)。旦那にもよく言われるけど。やっぱり変な人を見る確率が高いと思う。

 

──特殊な人からアプローチされるということはありますか。よく浮浪者の人に話しかけられやすい人って、いるじゃないですか。

 

前に新宿で電車がとまって立ち往生しちゃった時に、アルプス広場で友達と待ってたら、浮浪者がだんだん近付いてきて、うわヤバイのが来ると思ってたら急に手をつかまれて「おれ、頭ばかなんだ」と、涎たらして鼻たれて。頭にきたから、すぐ警察のところへ行って。「手をつかまれた」と言ったら、「オラーッ」とかって首根っこをつかまれて浮浪者は連れて行かれました。

 

──「向こう側」からの触手というか、そういうものに反応する部分があるのかもしれないという認識は自分では嫌なんですよね。

 

なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまに思ったりして。

 

──夢のほうはどうですか?

 

私すごい変な夢ばっかり見て、これは今度書き下ろしで出す予定の本に描いたんですけど、いきなり自分がローマ時代の領主の娘で、父親が一人の男の奴隷と犬五〇〇匹を連れて二階の広間にこもっちゃったという話から始まる夢を見たり。

 

──ローマ時代に対してのベーシックな知識とか興味とか、そういうことがあったりするんですか。

 

ないんですけど(笑)。

 

──自分でもびっくりですね。そんな夢見て。

 

いつも変な夢ばっかり見てるから、慣れてます。

 

──「今度はローマか」という程度ですか。

 

そうですね(笑)。夢はかなり記憶してるんです。だいたいオールカラーで。旦那にもすごいと言われたんですけど、夢を起きてから忘れちゃう時がありますよね。でも、また何か月かたってから、その夢の続きを見たりすることがあるんですよ。

 

──それ、すごいですね。

 

一時期RPGが好きでよくやってたので、その影響で夢がテレビの画面と同じように見えたことがあります。実写とテレビ画面が混ざったような夢を交互に見たり。あと、そういえば夢が外に出てきちゃった時がありました。夜中に犬にかまれて手を振り払ったら、犬が布団の上にいて、すぐに泡のように消えていっちゃった。

 

『文藝』96年冬季号 河出書房新社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

山野一インタビュー「カースト礼賛」(ユリイカ総特集=悪趣味大全)

ユリイカ総特集=悪趣味大全
山野一インタビュー「カースト礼賛」
 
─── 一昨年(一九九三年)の暮れから昨年にかけては、 『混沌大陸パンゲア』(青林堂)、『どぶさらい劇場』(スコラ)、『ウオの目君』(リイド社)と三冊の単行本が刊行されましたが、『ウオの目君』は、初めて一般向けコミック誌(リイドコミック)に掲載された作品ですね。
 
山野 あれは完全に普通の人向けですよね。『ウオの目君』だけ見てて、たまたま本屋で『パンゲア』なんかを見た人から、どうしてこんなものを描くのか理解できない、みたいなハガキをもらったこともありますよ。こんなにちゃんとした漫画が描けるのに、どうしてこういうひどいのを描くんですか、みたいな。本当はひどいのが先なんだけど。
 

─山野さんの作品は、最初期のころから貧乏とか悲惨さの描写が凄いですね。

山野 わりと、実際にあった話を使ってることが多いんですよ。『四丁目の夕日』の、印刷工が機械に挟まれちゃうのなんかもそうだし。大学生のころ、ある出版社で校正のバイトをしてたんですが、そこの下請けの印刷所の社長さんがほんとにそうなっちゃったんですよ。で、その話を部長さんが僕の隣の席でしてて。その部長さん、低学歴で叩き上げなもんで、もう同情して涙ぐんじゃって、気の毒だ気の毒だって言うんですよ。隣で笑いを圧し殺すのに大変でした(笑)。そりゃ気の毒は気の毒だけど……それってもう笑っちゃうしかないでしょう? 

 
その出版社の地下にも印刷所があって、ときどきそこに版下をもってったりしてたんですけど、そこは窓がひとつもないところに輪転機を山ほど入れてるんで、凄い騒音なんですよ。そこで六人働いてるうち、五人がつんぼ(笑)。健常者じゃ勤まんないんですよ、音が凄くて。製本のところはまた身障の人ばっかりだし。つまりそういう人を雇うと税金が優遇されるし、一石二鳥ってことでいっぱい入れてたらしいですね。
 
断裁機のところで働いてた人は、指が四本なくて、なんかいい加減なゴムのつけ指をしてましたね。親指しか残ってない(笑)。ま、見た目をごまかすというより、あった方が仕事が便利だからつけてたんでしょうね。もちろんその断裁機でやられたんですけど、そんなひどい目にあいながら、それでもなお断裁機の前で働いてるというのがおかしかったな(笑)。本当なら指一本で何百万ともらえるはずなんだけど、昔風の職人気質な人だったから、きっと労災なんかも社長に二〇万かそこらの見舞金でごまかされて、そいつの貧乏くさい奥さんは、「あそこの社長さんはいい人だ」とか言ってたんじゃないでしょうかね。
 
その出版社であった話なんですけど、ある警察の偉い人が書いた自伝を自費出版したいってことで、一冊校正したんですよ。その内容が完全に狂ってたのが面白かったですね。現役を引退した後、自分の一生を回想してるんですが、どう考えてもおかしいところがいっぱいあるんですよ。
 
山の中のある沼みたいなところにヘリコプターで視察に行って、そこに赤い祠があって、皆がそれを見ているとき、ふと後ろの沼を見ると、さざ波が立っていた。さらによく見ると、それは波ではなく、無数の子蛇がこっちの岸に向かって泳いでくるところであった、とか書いてあるんです。それで皆気味悪がってあわてて逃げ帰ったとあるんですが、何か変でしょこれ。とても現実にあった光景とは思えない。そもそも警察のお偉方がそんなところに何を視察に行ったっていうんでしょうねえ。
 
若いころの武勇伝なんかもあるんです。ある雨上がりの日にいつもの田んぼ道を散歩していると、台風の後で増水した小川にザリガニがいて、それを小一時間ほど座って眺めてると、はっと胸騒ぎがして家に帰った。すると、思ってた通り泥棒が入っていて、格闘の末、そいつを捕まえて、買い置きしてあった有刺鉄線でぐるぐる巻きにしたっていうんですよ。で、風呂に入ってる間に、あそこん家の旦那が泥棒を捕まえたんだってよ、っていう噂が近所中に響き渡っちゃって、皆でその泥棒の顔を見にきた。やっぱりあの警察の旦那は強いなとか、立派だなって言ってるのが風呂に入ってるときに外から聞こえてきた、とあるんですね、で、結局一晩その泥棒を門柱にそのまま放置して、翌朝処分したって書いてあるんですよ。処分て何でしょうねー。たぶん処刑したとか、そういうことなんだろうけど、いくら昔ったって、そんなでたらめなことあり得ないでしょ?もう完全に蛭子さんの描いてる漫画の世界なんですよ。だいたいそういう人が今まで警察の要職に就いてたっていうのも凄い話で(笑)。
 
その老人に限らず、誰でもありますね、眠っているときと起きているときの区別がつかなくなるようなことが。僕よく寝ぼけるんですけど、そういう夢だか現実だかわかんないような状態にけっこう興味がありますね。パンゲア』の後半に入ってるようなやつは、実際に夢に見たものを題材にしてるのもありますけど、半分寝ながら描いてるようなのもあって、描きながらその先を考えたりするんで、話がどんどん流れていっちゃう。最初頭の中でだいたい考えていたものが、描いてみて出来上がったものをみると、全然違ったものになってる。まるで他人が描いたものみたいで、後で読み返して自分で笑ったりする。
 
普通の商業誌に描かれてるようなやつって、誰が読んでも納得いくような筋の運び方がされてますよね、登場人物のリアクションまで記号化されてて。安心して、少しの不安もなく読めるっていうのが、なんか物足りないんですよ。だから自分でも正体がわかんないけど面白いっていうものを描いてみたいんです。で、今はとりあえず自分で捉えられる限りのものを整理できないまんま紙面に描いてみるっていうことが面白いんですよね、ちょっと子供じみてますけど。パンゲア』に載ってるようなのは、わりと出版社がいい加減で好きにやらせてくれるんで、自分で結構ニヤニヤ楽しみながら、手慰みに描いてるってかんじですね。
 
─自分が漫画を描こうと思ったときに意識した漫画家はいましたか?
 
山野 やっぱり蛭子さんが僕は一番好きでしたね。『Jam』っていう自販機本に載ってた『不確実性の家族』って漫画を初めて読んだときにショックを受けましたね。暴力的に入ってきたというか……何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました。現在描いてるのはちょっと興味ないですけどね。
 
根本さんとも話すんですけど、根本さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって……僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ。でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ。自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは。絶対勝てないですよ。あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ。
 
突出した人間てどっか欠けてるっていうじゃないですか。天才であって同時に気違いなんですね、あの人は。あの初期の作品なんかでの狂気の世界の捉え方はほんと天才的だと思いますよ。同じ周波数の人間でないと電波が通じないんだけど、はまった人間には凄い力で訴えてくるものがある。自覚できずにいた自分の欲望を目の前に突きつけられるような。僕なんかは少しは考えて描いちゃいますからね。蛭子さんに訊いても「いや、オイも計算してますよ」とか言うに決まってますけど、頭の中を切り開いてみたら、あの漫画の通りの世界が広がってるんじゃないかな。
 
─最近、作品の中にヒンドゥー教のことがよく出てきますね。
 
山野 いや、ろくな知識もなしに適当なこと描いてるだけです。去年、ネパールに行ってきたんですけど、ああいうところでぶらーっとしてるのが好きなんですよね。ヒンドゥー教の神様って、なんか一番神様っぽいじゃないですか。大魔神みたいな、野蛮でいったん怒り出すと自制がきかなくなるところとか。
 
向こうじゃ乞食の顔が全然違うんですよ。新宿の乞食とか見てると、何ていうか、死んだ顔してますよね。ネパールの乞食は、まだ生き生きしてますよ。生まれてからその年まで、ずっと乞食やって食ってこられたんだから、先のことも別に心配してない。物乞いしてもらえれば生きてるし、もらえなければ、ただ死んできゃいい。別のところに行ってまたやるだけですからね。カースト制度で、俺は生まれつき乞食だから人生が改善される見込みはまるでないんだから、とインプットされると人間て平和ですよね。カースト制度ってすごくいい制度だと思いますよ。十何億もの人間を、混乱しているとはいえ、とりあえず無政府状態に陥れずに治めてるわけですからね。自分の立場が前世に由来していて変えられないものだってことが骨の髄まで染み渡ってる人間って、平和な顔してるんですよ。
 
物乞いするんでも、何の屈辱も感じない。先天的に物乞いなんだから犬が犬に生まれついたことを嘆かないのとおんなじですよ。日本なんて建前は何にでもなれますよといっておいて、実際は何にもなれないわけで、そういう不幸よりずっといいと思う。
 
向こうで乞食の写真ばっかり撮ってたんですよ。写真撮らせてくれっていうと平気で撮らせてくれるし。足が萎えた乞食とか、その十倍くらい強力なのとか、そんなのばっかり撮ってたら、西洋人の老夫婦が遠巻きに、何てひどいことをするんだって顔して見てるんです。でもまあ乞食にとっちゃあ、気の毒ぶって近づかない西洋人より、小銭をくれる下劣な日本人の方がいいに決まってますよ。
 
あっちの最下層の連中が飢えないで暮らしてるのは、豆を食ってるかららしいんです。何とかビーンズっていう木になる豆が、半野生みたいのでいくらでもあるらしい。でも、その豆にはアルカロイドが入ってて、長期間食い続けると、足が萎えちゃうんですよ。だから、飢えをしのぐためにとりあえず食うんだけど食い続けると、より気の毒な格好になって、さらにおもらいしやすい屈強な乞食になる(笑)。うまくできてるなあと思いますよ。
 
サドゥー(行者)もいっぱいいましたけど、都市にいるのは観光向けのえせサドゥーなんですよ、サドゥーに国家試験なんてないですからね。食い詰めた農家の次男坊や三男坊が皆サドゥーになるんです。サドゥーったって、それらしいネックレスとか服装をして、髪の毛巻いたりしてるだけで、もう精神的なものはまるで乞食(笑)。 
 
いい世界ですわ。石工は石工で、動物を解体する人は一生動物を解体してるだけで、工夫なんてない。だからアーティストってのはいないんですよ、職人はいるけど。絵を描く職人はいるけど、伝統工法を親方から学んでおんなじことを何千年も描いてるだけ。そのかわり皆すごくうまい。曼陀羅を描く工房へ行って小一時間眺めてましたけど、すごくうまいです。あれは技術だけをただ仕込まれた人間の作業なんですね。あんな人がアシスタントに日当二〇ルピーくらいで来てくれるといいですね(笑)。
 
(やまの  はじめ・漫画家)
 
 
●『ねこぢるうどん』 ねこじる原文ママ
幼児の持つ、 プリミティブな残酷性をこれほど直観的に描き出した作品はないだろう。猫の姉弟の(猫ゆえに)基本的に無表情なままの残酷行為は、われわれが子供のころ、親に怒られても叱られても、なぜかやめられなかった、小動物の虐待の記憶をまざまざとよみがえらせる。そして、それを一種痛快な記憶としてよみがえらせている自分に気がついてハッとさせられるのである。
 
生命は地球より重い、とか、動物愛護、とかいうお題目をとなえて自己満足的な行動をおこしている連中に、これが人間の本質だ、とつきつけてやりたくなるような、そんな感じを受ける作品だ。他にも、差別、精神障害者の排除、貧乏人への理由なき侮蔑など、近代人が最もやってはいけないとされていることを平気でやる、イケナイ快感をこの作品は触発してくれる。かなりアブナイ。
 
●『混沌大陸パンゲア』 山野一
ねこぢるうどん』の原作者が絵も描いている作品。貧しかったり、醜かったりすることが人間の本質までをもゆがめていく、だれもが知っている、しかし言葉にしたがらない本質、その上に描き出される残虐性と、運命のどうしようもない救われなさ。人間が、同じ人間の姿で最も見たくないと思っているような下劣な部分をこの作者は容赦なく、描きあばく。
 
描いていて自分もイヤにならないだろうか。どういう精神構造をしているのだろうか。よほど、人間の悪趣味な部分に興味があるのだろう。見るのがイヤだイヤだと思いながらも、しかしページをめくらざるを得ないという、マゾヒスティックな感覚を味わせてくれる一冊である。
 
(からさわ  しゅんいち・漫画評論)
 
ユリイカ』1995年4月増刊号
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ねこぢる追悼ナイト Live at 新宿ロフトプラスワン 1998.11.23(根本敬×白取千夏雄×サエキけんぞう×鶴岡法斎)

ねこぢる追悼ナイト

かわいく、キャッチーなキャラクターと幼児独特の純粋な視点からの残虐性を併せ持つアブナイ作風で人気の漫画家、ねこぢるがあっちの世界に行ってしまってからもう一年以上がたちます。それでもねこぢるの生み出したキャラクター達の人気は未だ衰えず、色々なグッズとして街のあちらこちらで見かけることが出来ます。きっとねこぢるという名前を知らなくても、あの目つきの悪い猫のキャラクターと言えばわかる人も多いのではないでしょうか。

この日はそんなねこぢるのアブナイ魅力にとりつかれてしまった人たちがプラスワンに集まって、ねこぢるのアブナイ魅力について語りまくりました。一応ねこぢる追悼ナイトって事になっていますが、みんな好き勝手な事を喋ってるのであんまり追悼にはなってませけど…。

※以下の文章は、ねこぢる突然の自殺から半年後の1998年11月23日に新宿ロフトプラスワンで行われた関係者4人による追悼トークライブを書き起こしたものです。 

前向きな話をしよう

白取 そもそも『ガロ』にねこぢるさんの漫画が載るようになったきっかけは、ねこぢるさんの旦那さんで漫画家でもある山野一さんが、編集部に「こんなの描いたんだけど」くらいの軽い感じで原稿を持ってきてくれて、それが皆さんご存じの『ねこぢるうどん』だったんです。その作品を編集部一同で見てもう大爆笑、それで続けて書いて下さいってことで連載が決まったんです。

僕の印象はよくあるかわいいキャラクターが残酷なことをする、だからおもしろいっていう単純な露悪趣味ではないですよね。例えば子どもっていうのは、チンコとかマンコとかオシッコとかウンコとか平気で言うし、手のない人に「なんで手がないの?」とか平気で訊くし。そういう幼児ならではの残酷性、よく言えば純粋な視点っていうのがあって、それが猫という勝手気ままなキャラクターを借りているっていうのがすごい好きなんです。

僕、実はねこぢるさんご本人と会ったことは2、3回しかないんですけど、電話では去年の暮れから今年にかけては相当の回数話しました。そういったうえでの印象を言うと、ねこぢるさんは、やっぱり猫みたいな人でしたね。猫って自分の好きな時に甘えてきて腹が減れば飯食わせろって言うし、寝れば呼んでも来ないし、そういう勝手気ままで自由に生きてるっていう感じで。

だから今回ねこぢるさんがああいう亡くなり方をして、原因がよくわからないとかいろいろ言われてますが、一応僕なりに考えての結論としては、ちょっとあっちの世界に行ってみたかったんじゃないかなっていう感じがしてるんですよ。

だから、今日は追悼ナイトってことですけど、あんまりしんみりした感じにはしたくないなってのがありまして。よくあるじゃないですか、何々さんのご冥福を祈って3分間黙祷とか、そういうのはイヤですね。

これからは山野さんがねこぢるyさんとして続けて描いてくれるそうですし、描かれたものっていうのはなくならないし、悲しんでばっかりいられないので今日はもっと前向きな話をしたいです。

 

ねこぢる×山野一

白取 じゃあ、ねこぢるさんが漫画家で一番尊敬して止まなかった、やはり『ガロ』で自ら「特殊漫画」と名乗って活躍している根本敬さんに来ていただきましょう。

 

根本 できればこういう場にはあんまり出たくなかったんですよね。まあ、これだけファンのあいだで盛り上がっちゃってると無理な話なんでしょうけど、ねこぢる本人としてはできるだけ人には知られず、なんなら自分は元々世の中には存在しなかったものとしてほしい、くらいに思ってるんじゃないですかね、そういう人でしたから。

 

白取 根本さんはご本人と何回も会ってるんですよね。

 

根本 まあこうやって漫画家として人気が出てきてからは数回しか会ってないんですけど、元々山野さんの彼女として何回も会ってましたからね。

 

白取 最初『ねこぢるうどん』が『ガロ』に載った時の印象っていうのはどんな感じだったんですか?

 

根本 まあ結構やるな、というかね。山野さんの協力があったとはいえ、元々漫画とか描いてる子じゃなかったですから。

 

白取 ファンのあいだではどこまでがねこぢるで、どこまで山野さんが描いているのか、っていうような議論が盛り上がってるらしいんですけど、そのへんはどうですか。

 

根本 いやまずあの2人の結びつきっていうのがね、ただの共作者とか夫婦とか友人とかとは違う、ジョンとヨーコ以上の何か深いものを感じましたからね。

 

白取 漫画を見ててもそうですよね。

 

根本 だから露骨なヤバさは山野さんが請け負って、それをねこぢるが多少かわいく折り合いつけていくみたいな。

 

白取 山野さんってほっとくと『どぶさらい劇場』とか描いたりするじゃないですか。『四丁目の夕日』的なところに傾きがちなんで。ねこぢるさんって奔放にわりと自分の好きなことを描きたがるタイプなんで、それを『どぶさらい劇場』がどうフォローするかなっていうところで。山野さんって社会適応できてる方ですよね。

 

根本 それは2人いるとやっぱり役割ってできるわけ。山野さんが本当に1人でやってたらもっとひどいことになってますよ。一応ほら、彼女がああいう自由奔放なタイプの人間なんで、山野さんがマネージャー的な役割もしなくちゃならないじゃないですか。何か失礼なことをしたら謝りなさい!とか。

 

白取 隣の家にウンコしちゃった猫のことで謝りに行く、みたいな。

 

根本 そういう部分を山野さんが請け負わなければならなかったってのがあると思いますね。

 

白取 今後、山野さんがねこぢるyとして描いていくんですけど聞くところによるとねこぢるさんはまだ山野さんの周りに出てるらしいんですよ。だから自動書記みたいな感じで描かれることもあるんじゃないかとも思います。

 

イヤな最後

根本 ねこぢるから一番最後に電話があったのが今年の2月か3月くらいかな ? 2時間くらい話したんですけど、あっちが何かを踏んだかなんかで突然ブツンと電話が切れちゃったんですよ、話の途中で。でもまあ2時間も話したし、用があったらまたかけてくるだろうと思ってたんですけど、それが本当に最後だったんですよね

 

白取 それはイヤな最後ですね。

 

根本 最後に実際に会ったっていうのはもっと前で、「ミッションバラバ」っていう入れ墨入れた元極道っていうのが売りの集団があるじゃないですか、その集会がねこぢると山野さんの家の近所の公会堂であるっていうんで3人で見に行ったんですよ。 

 

白取 それはいい話ですね(笑)。

 

根本 その時は8人くらい入れ墨入れた人が来てたのかな?それで一人一人どうやって神様に目覚めたのか話すんですけど、日本のシャブの元締めはコイツだったとか、元山口組でどうこうとか、皆強者ばっかりなんですよ。で、奧さんが韓国人っていう人が多くて。

 

白取 韓国はキリスト教ですからね。

 

根本 だから奥さんが改宗を勧めるらしいんだよ、悪いことから足を洗って神様を信じろって。でもやっぱりそんなもん信じられるかってなるじゃない極道だし。ところが、例えばある人の場合なんかは釜山に遊びに行って女を買ったんだって。それでホテルに連れ込んでいざSEXしようとすると、突然腹が痛くなってできなくなっちゃったの。しょうがないからその日は女を帰して次の日また呼んだら、また腹が痛い。「これはこの女のゲンが悪いのかな?」と思って別の女を呼んでも、やっぱり腹が痛くなる。後で日本に帰ってから奥さんにその話をしたら、「その時私は神様に祈ってたんだ」って。

 

白取 は〜。

 

根本 あと皆、神様を見ちゃうらしいんだよ、シャブやってるから(笑)。

 

白取 シャブも捨てたもんじゃないですね。でも普通、全身入れ墨の伝道師集団が来ても見に行こうと思わないでしょ。そういうものをおもしろがるっていう共通項はありますよね。根本さんの漫画とかを読んでる人はわかると思いますけど「イイ顔」ってあるじゃないですか。世間的にはアイドルとかモデルとかの顔がイイ顔とされてますけど、僕らから言わせるとあんなのはただのつまんない顔なんですよ。

わかる人にはわかるんだけど、普通の人から見るとあんな浮浪者みたいなオヤジのどこがイイ顔なんだ?っていう感じなんですけど。そういうのをおもしろがる部分って似てましたよね。だから根本さんの漫画とか好きだったんだろうし。

 

根本 っていうより、諸星大二郎とか好きだったんだよね、そうじゃなかったっけ?

 

白取 僕は根本さんが好きだって聞いてますよ。

 

根本 たくさんいる中の1人って感じじゃないの?

 

白取 でも根本さんと諸星さんが出てきたら、ほかに誰も入って来れないでしょう。

 

根本 花輪和一さんも好きだって言ってたよ。

 

白取 それならわかる。

 

根本 ただねこぢるってそのへんのエッセンスを吸収していながらも、やっぱ絵柄とかがかわいいから入っていきやすいんだよね。僕とか山野さんの漫画とかになると上級者向けっていうか、普通の人が見たら吐いちゃったりするじゃないですか

 

白取 根本さんまでたどり着く人ってかなり限られてくるでしょう。ねこぢるさんのハードルを軽やかに飛び越えて、山野さんでちょっとつまずいて、根本さんにぶつかって完全にブッ倒れるっていう。

 

根本 俺の前に山野さんがいるか、山野さんの前に俺がいるのかってところは微妙だと思うけど。

 

白取 まあ、その辺は状況によって変わってくるんでしょうけど。でも僕らからするとねこぢるさんも根本さんも同じような感じで、あんまり変わらないんですよ、例のアレとかヤバイネタが好きだって部分で。

 

根本 例のアレって何?そんなにヤバイのあったっけ?

 

あの目だよ、ねこぢる

白取 例のアレですよ、「ユ■ヤのブタめ」っていうのとかあるじゃないですか。

 

根本 そんなにヤバイんだ?

 

白取 それでマルコポーロ』は潰れちやったじゃないですか。まあ、その文藝春秋からねこぢるさんの単行本が復刊するってのが因果は巡るって感じですごいなって感じですけど。まあ根本さんからしたらどこがヤバイの?って感じかもしれないですけどね。

 

根本 そのへんはわかりますよ、ねこぢるよりは少しは大人ですから。

 

白取 あんまりヤバイヤバイって話を言っててもしょうがないんですけど、ねこぢるの漫画の要素として、「かわいさ」ってあるじゃないですか、見た目のキャッチーさっていうか。今の女子高生とかだとこういうの見るとカワイーとか言うんでしょ?

最近聞いたんだけど、サンフランシスコにサンリオの店ができたんだって。僕らからするとふーんサンリオっさて感じなんだけど、キティーちゃんってほら口なくて真っ正面向いてて無表情でしょ、あれが気持ち悪いって言われてるらしくて。確かに向こうのヤツって過剰なまでに目とかパッチリしてて表情とかもすごいじゃないですか。だから本来ターゲットとして狙った人に全然売れなくて、あっちの変なもの好きな人に受けてるんだって。

 

根本 それは何かわかるなぁ。

 

白取 ねこぢるさんの漫画ってのも、こうやって見ると、わあかわいいとは思うんですけど、話とか見たら全然そうは思わないじゃないじゃないですか。だからあの黒目がちな絵って個人的にはすごく怖いんですよ。

 

根本 僕は「にゃーこ」と「にゃっ太」のアル中のお父さんとか大好きなんですよね。あの目がいいよね、瞳孔開いた。

 

白取 無精ヒゲ生えてて、酒ばっか飲んでて。ああいうキャラも、かわいい漫画ってのには必要ないキャラクターですよね、浮浪者とかもよく出てきますし。だから僕は他誌で連載決まっていった時やっぱり心配だったのは、ヤバイ話がなくなるんじゃないかなっていうのですね。『ガロ』ものってそういうのがあるじゃないですか。

 

根本 しかしこんなに人気があったとは知らなかったよ。死んでから随分本も出ましたよね。

 

白取 まあ、なんでもそうなんですけど「死ぬ前に評価しとけよ」って感じですけどね。

 

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根本 こういうところが凄いんですよね。

 

白取 僕らが言うねこぢるってのはまさにこれなんですよ。

 

根本 トラックに浮浪者が轢かれそうになってるんだけど、それを黙って見てるっていうある種超越的な視点っていうのが山野さんとねこぢるなんだよね

 

白取 普通はリアクションとしてヒャーとかワーとかってあるわけじゃないですか、それが全然無反応ですからね、あの冷めた目がね

 

根本 あの目だよ、ねこぢるは。ある意味「神」に近いんだよ

 

白取 親父なんかにいたっては見てもないですからね漫画評論家がいろんなことウダウダ言うんですけど、結局これなんですよね。トラックに「畜生丸」なんて書かないもんなあ普通。いいコマですよねこれ

やっぱり僕、名場面っていうと『ねこぢるうどん』とか『ガロ』時代のものになっちゃうんですよ、『アブラハム家の墓』とかこれは大手の編集者じゃダメだろうって感じで。大好きな話っていっぱいあるんですけど、独断で言うなら『たましいの巻』が最高傑作だと思う。この頃の絵って均一な線で書き慣れてるって感じじゃなくて、表情も完成されてないんですけど、そういうところが逆におもしろいですよね

 

画像⑵をスクリーンに映す

白取 これなんかもいいよね、これ子どもに見せたら本当に泣くでしょう。この本なんか、すごくいい装丁だと思うんだけど、こんなかわいい表紙で買ってみたら中身これですから。燃えてんですよ、猫(笑)。

 

根本 これなんかやっぱ山野さんの漫画に出てくるキャラの目だよね。

 

白取 やっぱねこぢるさんの漫画を読む時には、副読本として山野さんの漫画も揃えなくちゃね。

 

画像⑶をスクリーンに映す

白取 これヤバイんでしょうねやっぱり、文藝春秋版でどうなるんですかね?

まあ一応伏せ字が入ってますんで、いいと思うんですが。まあ、見る人が見たら怒髪天を突くって感じなんでしょうけど……。こういうのがノーチェックで載ってるんで青林堂版が大好きなんですよね、せっかくいい話がいっぱいあるんだから。

 

根本 確かオレ、『ねこぢるうどん』の解説に死体写真を使って何か描いてるんだよね。

 

画像⑷をスクリーンに映す

根本 これなんかが山野さんとねこぢるの関係を示してるんだけど。ねこぢるは、隣に引っ越してきた死体を見て「この人たち何か気持ち悪〜い」とか平気で口に出しちゃうんだけど、山野さんも本当はそう思ってるんだけど、社会とのつながりを最低限ちゃんと保つために「こら、失礼じゃないか」って一応叱ってみせると。

 

白取 まあこの死体たちもイイ顔してますよね。

 

根本 生きてる時はそうでもなかったんでしょうけどね(笑)。

 

リアルドキュメント 

白取 それでは次に、最近ライターとして活躍している鶴岡法斎さんをお呼びしましょう。

 

鶴岡 鶴岡です、どうも~。

 

白取 鶴岡くんって『ガロ』では投稿者だったんだよね。

 

鶴岡 そうそう、俺、元々漫画家になりたくって、中学の時にまだ神保町にあった頃の『ガロ』に漫画持ち込みしたんですけど、あん時、長井さん(『ガロ』の初代編集長)にいきなり蛭子さんの漫画見せられて、メチャクチャにやるんならここまでやれとか言われてああ難しいもんだな漫画って、とか思いましたね。

 

白取 なんかすごくいい挫折体験ってありますねぇ。 

 

鶴岡 あのひと言であきらめたね、できないって。

 

白取 蛭子さんの漫画見て挫折するって珍しいよね、普通はあれでいいのかって思いますけどね。

 

鶴岡 あんなメチャクチャなのできないもん。

 

白取 今日は一応ねこぢるさんの話をしてるんですけど、ねこぢるさんって90年の6月号に初めて『ガロ』に載ったんですけど、あん時ってまだ読者だったんだよね?

 

鶴岡 俺 まだ「四コマガロ」とかに投稿してた頃なんですけど、うわ~イヤなもん始まったなとか思いましたよ。

 

白取 これなんかも去勢手術してくださいって言って、金玉にブスッて包丁刺したらキュ~って死んじゃうっていう、それだけの話なんですけどね。

 

鶴岡 まあ日常よくあることでしょう、何気ない日常っていうか。

 

白取 ないない(笑)。 

 

鶴岡 でも俺、冗談抜きにねこぢるさんの漫画のほうがリアリティあると思う。車に浮浪者轢かれるとか、状況としていくらでもあるじゃないですか。俺は『Boys be…』のほうがシュールレアリズムだと思うよ、存在しないもんあんな話。

 

白取 そうだよね、だから皆かわいい猫のキャラクターだってところで惑わされてるよね。

 

鶴岡 リアルドキュメントだよ、ねこぢるさんの漫画は。人間の本質的な部分に食い込んでるもんね。

 

白取 『ガロ』の読者には、やっぱりすごい評判よかったですね。

 

鶴岡 『ガロ』の『ガロ』たる所以って言うか。そんな漫画が文藝春秋から単行本で出るってのが大笑いなんですけどね。

 

白取 僕ら的には本音を言うと、 自分たちがせっかく危険を冒してやってきたものを、ほかの版元がおいしいとこ取りして、っていうのもあるんですけど。 

 

『ガロ』の刻印

鶴岡 あと、6年くらい前でしたっけ? 秋葉原の電光掲示板にねこぢるさんの絵が映ったでしょ。そん時少し離れた場所から見ると、電光掲示板の真下に浮浪者とか、電化製品買いに来た韓国人とかがうようよいるんですよ、あ、これを含めてねこぢるだなって気づいたんですけど。

 

白取 秋葉原、電脳街、ハイテクみたいな連想ではなく秋葉原、ガラクタ、多国籍みたいな。

 

鶴岡 売ってる物もジャンクなら集まってる人間のほうもジャンクだったという、 あれはすごくいい光景だったなぁ。

 

白取 ただ、アレを作った人たちは違うところに目を付けてたと思うんですよ、かわいいとか人目を引くとかそういう部分で。完全に失敗しましたね、これは。

 

鶴岡 そうですね、オレなんかいつ人殺すシーンが始まるのかな?とか思って待ってたんですけどね。

 

白取 そういうのがカラーで大映しになると最高だったんですけどね。

 

鶴岡 そういう意味でおっかないですよね。売れてほしいと思う反面、売れすぎるとそういうところが薄くなるっていう危険性が常にあるんで。本当は原形をある程度壊さないように保ちつつ、社会との折り合いをつけて売れていくっていうのが理想的なパターンなんですよね、なかなか『ガロ』系って難しいですよね。

 

白取 『ガロ』の刻印っていうかね。

 

鶴岡 俺、漫画持ち込みに行った時に長井さんに言われたんですけど、『ガロ』に載ってる漫画目標にして漫画描いてたら絶対ダメだって長井さん的にはやっぱりよその出版社から追いつめられて来たっていうのが理想的なんでしょう。

 

白取 そんなことないでしょう。

 

鶴岡 そういう漫画家たくさん知ってるし。

 

白取 まあ、俺も血で書いた漫画持ち込みされた時はびっくりしましたけどね。「茶色で描いちゃダメですよ、黒インクで描いてくださいね」って言ったら「これ俺の血なんです」って言われて。

 

鶴岡 あと、投稿四コマにペンネーム「明日死にます」とかいうのがいたでしょ?困ったもんですね。

 

白取 まあ、そういう雑誌って言っちゃなんなんですけど、それだけじゃないぞっていう感じで。

 

鶴岡 なんでも許してもらえると思うなよ、青林堂だからって(笑)。

 

白取 駆け込み寺じゃないんだから。ただそういう間口の広さっていうので集まってきたいい才能もいっぱいあったんですけど……これ別に『ガロ』追悼ナイトとかじゃないんですけど(笑)。

 

鶴岡 まあ、ねこぢるさんとかもよその雑誌だったら、絵はいいんだけど話を変えろとか言われますもん、絶対。

 

白取 大手の出版社だと毎回ネームチェックってのがあるんですけど、言ってみればヤバイこと描いてないかってところもその時点でチェックしちゃうんですよ。いつぞやの小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』も、皇室っていうだけで検閲されてスポーンと弾かれるという。まああんまり言いたくないんですけど、漫画っちゅうのも一応表現なんで、そういうのが入っちゃうと辛いなぁとは思うんですけどね。

 

鶴岡 それで怒る馬鹿がいるってのもあるんですけどね、世の中。

 

白取 差別とかを肯定しているわけじゃないんだよね

 

鶴岡 肯定と現状認識っていうのを分けて考えないと。 

 

白取 現実に街歩いてればゴミも捨ててあるし、浮浪者も寝てたりするじゃないですか

 

鶴岡 新宿西口に行ったらイヤでも見れるんだからこういうドラマが

 

白取 やっぱそういうところを見て行かなきゃダメだしね、そこらへんを描くっていうのはすごい大事なことだと思う

 

鶴岡 社会が成立するうえでいろんなことが隠蔽されているっていうか、とり繕われているんですよ。やっぱりクリントン来日する時に「オマンコに葉巻入れたヤツ来日」って誰も書かないじゃないですか、それはとり繕われてるんですよ。

 

白取 「うーん旨い」って(笑)。

 

鶴岡 やっぱ小渕はお土産として葉巻あげなきゃダメじゃないですか。

 

白取 そろそろ次の話を……(笑)。

 

純粋な傍観者

白取 それじゃ今日はもう一人ゲストの方が見えてます。青林堂版『ねこぢるうどん2』の帯を書いていただいたミュージシャンのサエキけんぞうさんです。

 

サエキ よろしくお願いします。僕は実はご本人に会ったことはないんですけど、僕のエッセイの連載で、ねこぢるさんに挿し絵を描いてもらってたんですよ。それを依頼した時に電話をかけたんですけど、非常にうつ的な話し方をする方ですよね

 

白取 うん、そうですよね。

 

サエキ すごくゆっくりと話すっていうか、途切れ途切れ。すでに精神的には健康な方ではないなと思ったんですけど、それは誰に対してもそうだったんですか?

 

白取 そうですね。

 

根本 僕なんかは精神的に健康じゃないというよりかは、子どものままの人だなって感じがしますけど。子どもってある面大人を見抜いてるとこあるじゃないですか

 

サエキ 言葉を選んでるっていうか探しながらしゃべってるって感じですよね。それと下品なことって全然言わないですよね、あんまりエッチなこととか考えない人なんですかね?漫画にもセックス描写は出たことないですよね。

 

鶴岡 そうですよね、普通の露悪趣味ってすぐにセックスに行っちゃうんですけどね。 

 

白取 子どもってウンコとかオシッコとかって言うけどセックスとは言わないですよね、そのへんからも子どものままって感じがしますよね。

 

サエキ なるほど、それでその連載をお願いした2カ月後くらいにプラスワンで僕のコアトークっていうイベントがあって、それに来てくれたんですよ。それですごく会いたかったんですけど、お土産を残して去っていったという。僕、顔がわからないんで確認できなかったんですよね。顔がわからない人の話をするってのもイマジネーションだけが膨らんでいって、変な感じなんですけど。実際どんな感じの人だったんですか?

 

根本 十代の終わりくらいに初めて会って、変わっちゃいるけど基本的にかわいい子なんですけど、31まで全然変わらなかったですね

 

鶴岡 顔出てませんでしたっけ?1回ガロに写真載りましたよね、眼鏡かけてて、ちいっちゃい方ですよね。

 

サエキ 「にゃーこ」みたいな人なんですかね?

 

白取 顔は全然そうではないんですけど、雰囲気はそのまんま「にゃーこ」ですね

 

サエキ それで、そのイベントの後に2カ月に1回くらいは長電話するという関係にはなりまして。必ず最初に山野さんが出てくるんですけど、すごいちゃんとしっかりした応対をされて、その後に「も〜し~も~し~」ってねこぢるさんが出てくるという、その対比がおもしろかったんですけど。

 

白取 山野さんってすごいナイスな好青年って感じの方ですよね。

 

サエキ 『TVブロス』で書いてた「ぢるぢる日記」の山野さんって、ヒゲ面で、禁治産者的な描かれ方をされてるんですけど。

 

白取 本人は全然違いますからね。

 

鶴岡 『TVブロス』だけ見てると工員かなんかかと思いますよね。

 

サエキ 電話の印象とはだいぶ違いますね。

 

白取 美男子ですよ、本当の山野さんは。

 

サエキ そもそもあの2人はいつ頃から一緒にいるんですか?

 

根本 つきあいだしたのは10年くらい前ですね。

 

サエキ じゃあ、山野さんがデビューした後なんですね。山野さんのデビューも衝撃的でしたね、漫画だけ読むとキチガイっていうかヤバイ人っぽいんですけど、そんな格好いい人が描いているとは

 

白取 見るからにヤバイ人がそういう漫画を描いててもおもしろくもなんともないんですけどね

 

サエキ どうしてそんなことになってしまったんでしょうね?普通にロックでもやってればモテモテだったのに。

 

鶴岡 山野さんって顔だけは社会の勝者みたいな顔してるじゃないですか。

 

白取 顔だけって。

 

鶴岡 だって漫画はとても社会の勝者が描くものじゃないですからね。

 

サエキ 山野さんって最初ぐちゃぐちゃな漫画だったんですけど途中からメチャクチャさ加減はそのままに、悟りを開いたかのような神がかった作風に変わったじゃないですか。

 

白取 さっきの、浮浪者がはねられているのを見ている視点ですね、そのへんが『四丁目の夕日』とかにも出てると思うんですけど。

 

鶴岡 純粋な傍観者としての神を描くようになりましたよね

 

サエキ 山野さんがそういうふうに変わっていったのって、少なからずねこぢるさんとの精神関係とかが関係してくるんですかね?

 

白取 僕はやっぱり、ねこぢるという伴侶を持ったことによって、フォロー者としての視点を持たなきゃならなかったってのがあると思うんですよ。

 

根本 だから、2人とも本当はよく似てるんだけど、役割分担をしないと社会と折り合っていけないじゃないですか。電話の応対にしろなんにしろ、山野さんだって本来そういう人じゃなくても、ねこぢるがいることによって、そう演じざるを得なかったという

 

白取 だから必然的に山野さんの作風も変わっていかざるを得なかったと。

 

根本 いや、そこは作家として行きつくべき方向に行ったような気がするけどなぁ、ちゃんと。

 

白取 逆に言うと、そこらへんのフラストレーションが『どぶさらい劇場』とかに出てきたんじゃないかと。

 

鶴岡 ありますよね、普段メチャクチャなヤツって意外と毒にも薬にもならないものを描きますからね

 

白取 変態が一番多いのは警官とか公務員とか医者とかだもん

 

鶴岡 意外とちゃんとした感じの人のほうがヤバイと。

 

生きていたことさえも

サエキ 死ぬ前に描いた、『コミックビンゴ!』の追悼号(98年7月号)に載ったヤツあるじゃないですか、読むだけでうつ病になりそうな。あれ怖いですよね。

 

鶴岡 死んじゃったっていう情報があるから増幅されてるんだろうけど、俺、アレ怖くて1回しか読んでないんだよ。

 

サエキ いや〜死ぬ前って感じしますよね、根本さんなんかはどう思われました?

 

根本 そういうのがあるからそう見えるんであって、多分それがなかったらいつものとおりに見えるんじゃないですかね?

 

サエキ まあ普段でもアレくらいの話はありますからね。あと『TVブロス』の日記を読んでますと、定食屋のオヤジのすることが気にくわないとか、けっこう気にくわないことが多いですよね。

 

白取 気にくわない人が多いから人にも会わないんじゃないですかね。

 

サエキ 気にくわないってことと精神的なことって関係あったんですかね?

 

白取 いや〜、僕はそんなにねこぢるさんが精神的にどうこうってのは考えてないんですよ。確かにまじめな話をすれば、『ガロ』っていうのは自由に描いてくださいって感じなんですけど、よその雑誌に行くことによっていろいろ言われるわけですよ、漫画ってのも商売だしそういうのもわかるんだけど、作家にとってやっぱりそれはすごいストレスだと思いますよね。でも僕は、それが原因でどうこうとはあまり思わないですね。

 

鶴岡 何か気まぐれで死にたくなる時ってあるじゃないですか。

 

白取 深刻に悩んだ末って感じではないと思いますよね。

 

鶴岡 タイミング的に悪い偶然がいくつか重なっただけだと思いますね。あるじゃないですか、プラットフォームとかでふっと落ちちゃおうかな、とか思うこと。そんなもんだと思いますよ。

 

白取 いまだに山野さんなんかも原因はわからないって言ってますしね。

 

サエキ 山野さんがわからないんじゃ誰にもわからないですよね。ちなみにお葬式関係ってどうだったんですか?

 

根本 きわめて身内だけが集まってって感じでやってましたね。本当は彼女の希望としてはそういうのを一切やるなってことらしいんですよ

 

サエキ 遺書があったんですか?

 

白取 何年も前に遺書を書いてたらしいんですよ、生きてたことさえも忘れてくれみたいな

 

鶴岡 早く忘れなきゃ、皆。

 

白取 だからこういうイベントで、黙祷とか臭いことをやって故人を悼むとかっていうのは、本人が一番イヤがることですよね

 

根本 あんまりいろいろやっても絶対喜ばないからね、本人

 

サエキ まあ、こういう日が1日ぐらいあってもいいと思うんですけどね、毎日こんなことしてるわけじゃないし。

 

鶴岡 あ、そうそう、今インターネット上で自称山田花子の生まれ変わりっていうのがいるんですよ。お前7才かっていうの。だからそのうちねこぢる2世っていうのも絶対出てくると思いますよ10年、20年とかしたら。そこまで行っていいキャラクターだと思うし

 

白取 肯定かい(笑)。 

 

鶴岡 三島由紀夫と同レベルで、絶対出てくるよ。

 

白取 でもなんかそういう人って皆、本人に殴られそうですけど

 

鶴岡 そうね。

 

白取 「神の見えざる手」で、畜生丸にはねられたり。

 

鶴岡 家、火事になったりね、死ぬよ。

 

蛭子の呪い

 (会場から)蛭子さんの呪いみたいですね。

 

白取 そうそう、今誰か言ったけど、蛭子さんに下手に関わると死ぬよ。ファンクラブの会長死んだしね。

 

鶴岡 俺の知り合いで蛭子さんにサインもらった人が創価学会に入っちゃったし。

 

サエキ 横浜のクリスマスディナーの広告に蛭子さんの絵が使われて。まるで大瀧詠一のジャケットのような2人が描いてあるんですけど、よく見ると顔が蛭子さんの絵っていう。

 

白取 狂ってますね日本も、あれ行ったヤツ絶対何人かは死にますよ。皆、蛭子さんの恐ろしさを知らないんだよ、何人も死んでるんだから。ファンクラブの会長だけじゃなくて、みうらじゅんさんも事故ったし。

 

根本 『Number』の担当者も死んだでしょ。

 

サエキ たけしさんが事故った頃って蛭子さんと何かやってますか?

 

根本 1週間前に生まれて初めてたけしさんが蛭子さんから本もらって、それじゃあってサインもらってたらしいですよ。

 

サエキ うわヤバイ!

 

根本 小田和正がやっぱり「新橋ミュージックホール」でたけしさんと一緒になって蛭子さんのことハリセンでパンパン叩いたらしいんだけど、1週間後に交通事故になったんですよ

 

サエキ 「スーパージョッキー」関係大丈夫ですかね?

 

根本 それで水道橋博士これは本当に何かあるんじゃないかってことで使いの若い者に蛭子さん関係の記事を全部コピーして来いって言って図書館に行かせたらしいんだよ?そしたら帰りにそいつが事故にあったんですよ

 

白取 調べただけでこれだ。

 

鶴岡 あれから「スーパージョッキー」で「悪人」っていう呼び方になったんですもん。

 

サエキ 平気かなー、山田まりやとか……。

 

根本 今、日本全国で蛭子さんのサイン持ってる人って何人もいるんだろうけど、その内何割が死んでるのか調べてみたいね。

 

白取 その死亡率たるや、高圧線の下の癌発生率を凌いでると思うよ

 

根本 あとほら、蛭子さんがずっと住んでる所沢って、今ダイオキシンがすごいんだよね。

 

白取 蛭子さんにとってはエネルギーだから。

 

鶴岡 それと、よりによって蛭子さんの息子さんって今セガで働いてるらしいんですよ。

 

白取 セガサターン消えますね(笑)。じゃあ、蛭子さんはソニーの最終兵器なんだ。

 

鶴岡 しかし、そこまでわかってるのになんで蛭子さんはサインするんですかね。だって『ガロ』とかで根本さんがガンガン書いてるのに読んでないんですかね?

 

根本 読まない読まない、人の書いたものに興味ないもん。

 

鶴岡 じゃ、何書いてるか知らないんだ。

 

白取 基本的に読まないですから。

 

サエキ ところで根本さんはなんで無事なんですか?ある意味最も接触頻度が高いのに。

 

根本 俺免疫あるから、対因果者の。スタンスさえまちがえなきゃ大丈夫。「修行」もしてるし。

 

白取 蛭子さんがそういう人物だってことを教えてくれたのが根本さんだから。根本さんのおかげでわれわれは命拾いしてるんですよ。

 

鶴岡 俺も根本さんの書いているものを読んで、蛭子さんのサインをもらっちゃいけないんだってことを知りましたからね。あれ読んでなかったら今頃余裕で死んでますね

 

サエキ でも根本さんも蛭子さんと接した結果、そういうことがわかったんでしょ。それに気づく前には、何か悪いことは起こらなかったんですか?

 

根本 あのころはまだ蛭子の魔力もそんなに野放図じゃなかったから。だんだん人に認められだして金持ちになってからですから。

 

白取 人を量る尺度が「年収」ですからね。会うと「根本さん年収いくら?」とか訊いてくるでしょ。

 

サエキ ぶしつけなんてもんじゃないですね。

 

根本 もはやそれすらも言わないですけどね。以前俺の本が出たときに友だち集めて出版記念パーティーみたいなことをやったんだけど、蛭子さんがその時プレゼントを買ってきたんですよ。それの中身がトランクス1枚と72分の生カセットテープが2本だったという

 

鶴岡 普通、無難に花とか買ってくるじゃないですか。

 

根本 だからあれは無意識の内に俺への評価をしてるんだと思うんだよ、蛭子さんにとって俺はトランクス1枚と72分の生カセットテープ2本程度の男なんだよね。それ以上でも以下でもない。

 

鶴岡 合計して千円いかないでしょ(笑)。

 

白取 ええー、今日はねこぢる追悼ナイトなんですが、なぜか蛭子さんの話で盛り上がってます(笑)。 

 

根本 そのほうが、ねこぢるらしくていいんじゃない。きっと話がよそへ流れてホッとしてるよ、彼女。

 

『TALKING LOFT3世』VOL.2所収

ねこぢるyインタビュー ねこぢる/ねこぢるy(山野一)さんにまつわる50の質問(文藝2000年夏季号)

ねこぢるyインタビュー
ねこぢるねこぢるy山野一)さんにまつわる50の質問

質問者:木村重樹ペヨトル工房

 

【1】まずは、故・ねこぢるさんにまつわる話を、山野一さんに伺えたらとおもいます。最初に、ねこぢるさんと山野さんの出会いみたいなことを(さしつかえない範囲で)教えていただけますか?

◎知り合いの知り合いです。

 

【2】ねこぢるさんはどういう子供だった(と、本人はおっしゃられていた)のですか?

◎最初におぼえたことばが「ばか」でだれに対しても「ばかばか」と言ってたらしいです。当時自宅庭にあった小さい噴水が好きだったそうです。

 

【3】ねこぢるさんはどういう学生(高校~大学生)だったのですか?

◎音楽が好きでライブばかり行ってたようです。

 

【4】山野さんがねこぢるさんといっしょに漫画書き始めるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?その頃、つまり『ねこぢるうどん』等、最初期の作品を製作していた頃の、お二人の役割分担……みたいなところを説明していただけませんか?

ねこぢるが紙にいたずら描きしてた猫の絵が魅力があったので、私が筋をつくって漫画にしたのが初めです。

 

【5】“ねこぢる”というキャラクターは、どういうふうに考えつかれたのでしょう?名前の由来と、あのキャラクターの姿格好の由来などを、教えください。

◎はじめは「ねこぢるし」という名前でしたが、「ねこぢる」のほうがいいと本人が言い出したのでそうしたと思います。初めは適当に描いてたものが、数をこなしてるうちにああいう形にまとまってきたんだと思います。

 

【6】フキダシ内部の文字が写植ではなく手書きなのが、ねこぢるワールドをまたいっそう“それらしく”している要因だと、個人的には思うのですが、あれはどういうことでそうなったのですか?

◎本人が手書きのほうがすきだったんだとおもいます。

 

【7】ねこぢるの作品ストーリー展開は、彼女が観る“夢”ノートのようなものを、山野さんが肉付け~あるいはアレンジされたものだ……みたいな経緯は著書のオマケ等でも解説されていましたが、そういう“夢日記”みたいなものはまだまだたくさんストックがあるのでしょうか?

◎もうあまりありません。

 

【8】『ぢるぢる日記』というエッセイまんがは、僕自身は、『ねこぢるうどん』みたいな寓話ものと同じくらい……いや、時にはそれ以上に面白いと評価していて、(いささか大層な言い方ですが)世の真理みたいなことを、あの1コママンガとそんなに長くない文章で、いろいろ解き明かしてくれるようで、何度も読み返している一冊なのですが、またどうして、ああいうタイプのエッセイ風の連載をするようになったのですか?またねこぢるご本人は、それを楽しんで書かれていましたか?

◎そういう形で連載するように言われたからだと思います。めんどくさがっていたようですが、時にはたのしかったのかもしれません。

 

【9】ねこぢるさんの、かつての生活サイクルなどあったら、教えてください。

◎仕事のせいで不規則でした。徹夜したり一日中寝ていたり……。

 

【10】ねこぢるさんの好物……飲食物、嗜好品、テレビ番組、タレント、映画本、服、おもちゃ、人間……等々、思いだせる限りでけっこうです、教えてください。

◎好きな食べ物は、サブウェイのツナサンドとか野菜。はっさく、たばこはセーラムピアニッシモ、酒はバーボン、ジャックダニエルかフォアローゼス、映画はデビッド・リンチやクローネンバーグなど、おもちゃはブラックライトで光る装飾品など、黒いショートブーツばかりたくさん持ってました。

 

【11】ねこぢるさんはテレビゲームに、けっこう熱中されていたみたいですが、好きだったゲームとは、どんな種類のどういうタイトルでしたか?そのゲームの世界は、マンガにも反映されていましたか?

ファイナルファンタジーがいちばんすきなシリーズだったとおもいます。漫画にも影響してるとおもいます。

 

【12】ねこぢるさんはエイフェックス・ツイン(リチャード・ジェイムズ)が、大のお気に入りだったようですが、彼の作品のなかでもとくに好きだった曲/ディスクなどありますでしょうか?また彼(リチャード・ジェイムズ)以外のテクノでは、どんなものを好んで聴いていましたか?

エイフェックス・ツインアンビエントワークスとリチャード・D・ジェームスアルバムが特に。他はオービタル、ブラック ドッグ、ジャム&スプーン、スクエアプッシャー、セーバーズオブパラダイス、オーブ、 テクノバ、ドラムクラブなど。

 

【13】ねこぢるさんはハルシノゲン(サイモン・ポスフォード)も、大のお気に入りだったようですが、彼の作品のなかでもとくに好きだった曲/ディスクなどありますでしょうか?また彼(サイモン・ポスフォード)以外のトランスでは、どんなものを聴いていましたか?

◎ハルシノゲンはシャーマニクス、ガンマゴブリン、トランスポッターが特に。それ以外はプラーナ・Xドリーム・ジュノリアクター・トータルエクリプスなど。

 

【14】ねこぢるさんと行ったクラブやレイヴ、コンサートなどで、一番印象的だったのは、どういうパーティでしたか?

◎伊豆山奥の廃墟でやったゴアトラのレイヴ。

 

【15】ねこぢるさんはそんなに人付き合いがうまい方ではなかったということですが、その一方、日本にいるイスラエル人と友達だったという話ですが、どこからそういう交友があったのですか?

◎路上でアクセサリーを売ってるお兄さんと話してるうちに。イスラエルの若者はトランス好きが多くて話が合うから。

 

【16】ねこぢるさんと、担当編集者の関係(やり取り)というのは、どういうものだったのでしょう?何か印象的なエピソードなど、ありますか?

◎デブの編集者はきらいだったようです。

 

【17】ねこぢるさんはかつて、会社勤めをしていたこともあったようですが、どういう職種をどれくらいやっていたのでしょう?

◎生協に本をおろす会社の仕事を半年ぐらい。

 

【18】ねこぢるさんが生前、好きだった漫画家っているのでしょうか?

諸星大二郎さん、根本敬さん、丸尾末広さん、花輪和一さん、など。

 

【19】ねこぢるさんは山野さんの描く漫画をみてどういう感想をもっていたのでしょうか?

◎面白がったり、つまらながったりしてました。

 

【20】ねこぢるさんと暮らしていて一番楽しかったことは何ですか?

◎正月だらーっと6〜7時間、NHK教育でやってたアインシュタインロマンを見てた時とか。

 

【21】ねこぢるさんと暮らしていて、一番つらかったことは何ですか?

◎締め切りに多重に縛られてるときなど。

 

【22】ねこぢるさんと山野さんはいろいろな所に出かけられていたようですが、そういう旅行の想い出で(『ぢるぢる旅行記』や『ぢるぢる日記』で発表していないものが)何かあったら教えて下さい。

サイパンでかたい黒なまこをしつこく石でつぶそうとしていたねこぢるが、いきなり開き直ったように吹き出してきたそうめんのような内臓に驚いた。

 

【23】『ぢるぢる旅行記』(ネパール篇)の続きは出ないのでしょうか?個人的には同書のインド篇が、ねこぢる名義の作品の中でも一番好きな漫画なのですが。

◎そのうちネパール行って写真撮って、 描くかもしれません。

 

【24】『ぢるぢる旅行記』の中で、山野さんは「おまえ(ねこぢる)は力ぬく天才だから」と、ありましたが、そんな彼女の“頭をカラッポにする才能” “精神を解放する才能”というのは、どういうところで実感されましたか?

◎現実や自分をすっかり忘れて、別の世界を幸福にたゆたえるとか。

 

【25】ちょうど山野さんとねこぢるさんが、インドを訪れていた向こうで、日本の地下鉄サリン事件を知った、というふうに、『ぢるぢる旅行記』(インド篇)にありましたが、ねこぢるさんはオウム真理教(と、それにまつわる騒動)のことを、どういうふうに思っていたのでしょうか?

◎被害を受けた方もいらっしゃるので……。ただ刺殺された村井さんの容貌や話・歌には強烈な印象をもったようです。

 

【26】今、『ぢるぢる旅行記』やそれ以外のねこぢる作品を見直していて、ねこぢるさんの作品は(とくに旅行記と銘打たれていなくても)“ここからどこかへ行く”ということを題材とした/あるいは/そういう姿勢が通底している作品が、とても多いことに気づきました。“トリップ”……というとなんか聞こえは悪いですが、“移動”とか“旅行”みたいなことにかこつけてねこぢるさんを語るとしたら、どうでしょうか?

◎ここは自分の居場所じゃないなー……かといってどこがそうなのかはわからない。という感じはいつも持っていたようです。

 

【27】もしねこぢるさんが健在だったら、その後どういう場所に旅行してみたい、という予定や希望がありましたか?

◎インドとかそこらへん……あとトラック島(太平洋の小島)に行きたかったようです。

 

【28】ねこぢるさんと山野さんは、たしか実際に猫を飼っていたと(たしか『ぢるぢる日記』に書いてあったと記憶してますが)、動物の中ではやっぱり、犬より何よりも、ネコ好きだったのですか?他の動物や生き物にかんする好き/嫌いとか、ありましたか?

◎動物番組はすきでよく見てました。猫はすきですが、犬もすきでした、純朴な顔の柴犬が特に。あとコアラとオランウータンはきらいでした。

 

【29】『ぢるぢる日記』や『ぢるぢる旅行記』では、山野さんは山野さんなのにたいし、ねこぢる女史は(絵柄の中では)まさに〈ねこぢる〉でしたよね?唐突な質問ですが、ねこぢる女史ご本人と、マンガのキャラである〈ねこぢる〉は、かなり対応するパーソナリティと考えていいのでしょうか?また本人も、それを望んでいたのでしょうか?

◎描いてるすべての漫画の主人公がほぼ同じような猫のキャラクターなのでそうしたのでしょう。キャラと自分はわりとシンクロしてると思います。

 

【30】生前ねこぢるさんが一番怖がっていたもの/苦手にしていたものって、何でしたか。

◎汗っかきで鼻息の荒いデブ男など。

 

【31】ねこぢるさんは読者からの感想とかを読んでいましたか?もし、読んでいたとしたら、それをどのくらい気にしたとか、ありましたか?

◎読んだり読まなかったり、時には返事も書いていたようです。

 

【32】ねこぢるさんのストレス解消法とは、何でしたか?

◎寝続けることですか、寝疲れてましたが……。

 

【33】山野さんのマンガにもねこぢるさんのマンガにも、神様……それも、全能の神どころか、ゴクツブシのような神がよく出てきましたが、ちなみにねこぢるさんは神様を信じていましたか?いたとして、それはどんな神様でしたか?

◎ゴクツブシの神様は信じてなかったと思います。インドの神様にも興味がありましたが、実際イメージしてたのは「神様」という言葉とかけはなれた、人格的ではないものだと思います。

 

【34】ねこぢるさんは死後の世界を/あるいは/輪廻転生を信じていましたか?山野さんはどうですか?

◎信じているようなふしもありましたが……私にはそんな大それたことは解りません。

 

【35】ねこぢるさんと山野さんの共通点もしくは相違点……というものを訊かれたら、ズバリどういうふうにお答えになりますか?

◎共通点・みそっかす・わがまま/相違点・私のほうが若干あいそがいい

 

【36】ねこぢるさんは自身が関わるキャラクターがいろいろなキャラクター・グッズなど商品化されたり、CMで採用されたりすることにかんして、どんな感想をいだいていたか、教えていただけませんか?

◎喜んでいましたが、できの悪いものにははらをたてていました。

 

【37】ねこぢるさん逝き後も、ねこぢるキャラク ター・グッズはたくさん出現し、漫画を読まない人たちも含め、とても幅広い層に支持されていますよね?それはある意味皮肉なことかもしれないけれど、山野さん的には、こういう〈ねこぢる現象〉みたいなことを、ご自身のなかでどう受け止められているのでしょうか?

◎グッズから入った人も、その形状から発せられるなにかを、感覚でちゃんとかぎとってるという具体的な話を人づてに聞いて、ねこぢるの創ったキャラクターのアニミスティックな力に改めて驚きました。

 

【38】新版の『ねこぢるうどん』をトランスパーティのデコレーションやペイントで知られる“KC”さんが担当していましたが、商業出版の装幀なのになかなかサイケデリックな仕上がりでしたが……山野さん的にはこれらのデザインは、どうでしたか?

◎KCさんには私が直接デザインを依頼しました。彼がねこぢる好きだったこともあり、快くひきうけていただけました。商業出版っぽくないすばらしいデザインだと思います。

 

【39】山野さんの漫画にもねこぢる名義の漫画も、狂人や老人や貧乏人や我儘な人間が出てますが、そういう登場人物は、割と現実的なモデルがあるものですか?それとも頭の中にいるキャラクターなのですか?

◎両方あります。町で実際にお見かけした方もけっこういいモデルになってます。

 

【40】ねこぢるの漫画には(にゃーことにゃっ太という、子猫の姉弟が主人公ということもあってか)いまのわれわれが子供だった時代の設定/子供時代の視点に、みちあふれていますが、漫画のなかのモティーフと、実際にねこぢるさんが子供の時の家庭環境や家族構成には、シンクロするところがあるのでしょうか?

◎ところどころシンクロしますが家族その他は架空に創りだしたものだと思います。時代背景はレトロな雰囲気をだすためねこぢるが育った時代より古目に作られてます。

 

【41】差別とか暴力、狂気や無慈悲みたいなことが、ねこぢるのモティーフにはしばしば採用されていて、それがそういう世界観に免疫のない若い読者たちに新鮮にうつっている……みたいなことが、(マンガとしての)ねこぢる人気の分析で、しばしば指摘されるところですが、山野さん自身、ねこぢるのマンガが、彼女の死後もなお人気が衰えるどころか、いや増している現状を、どうお考えになってますか?

◎免疫がないといっても、差別や暴力・狂気・無慈悲というものがなくなっているはずもなく巧妙にふたをされてるだけなので、若い人たちも常にそれにさらされ、あるいはかかえてると思います。いろんな事情で現実には言えない、やれないようなホンネがせめて漫画のなかでもズダッと、放り出されていたらすこしはせいせいするのではないかと思います。

 

【42】山野さんとの共同作業とはいえ、ねこぢるさんは漫画家という職業なり肩書きをもっていたわけですが、もし彼女がそういう表現手段を持たなかったら、ねこぢるさんはどうなっていたと思いますか?

ねこぢるはそれほど表現ということに固執してなくて、漫画は描くより読んでるほうがいいと、よく言ってました。なにもしないでだらだら暮らしたかったようです。

 

【43】たとえばねこぢるのマンガを英語に翻訳したとして、それは外国人にも受けると思いますか?翻ってねこぢるワールドと、日本のある世代、ある感覚の持ち主にしか 通用しないものか、それとも(大層な言い方ですが)ある種の世界的な普遍性を持ちえているものか、どうでしょうか?

◎どうでしょう、パソコン世代の子供達にも読んでもらえているようなので、世代はこえてるような気もしますが……。世界的な普遍性なんてものをもしもってるなら、逆につまんないような気もしますけど……。

 

【44】先の質問に関連してくるかもしれませんが、ねこぢるのマンガを一度も読んだことのない、なおかつ日本人でない相手にたいして、山野さんがそのマンガを説明しなくてはいけなくなりました。(通訳はいるという仮定で)どのように説明しますか?

◎絵と字がかいてあります。ねこの姉弟が遊んだり怒られたりトンカツをたべたりするお話です。

 

【45】ここからは山野さんが“ねこぢるy”さんについての質問になります。まずねこぢるさんが亡くなってから先、ねこぢるという作品を封印することなく、“ねこぢるy”という名義で書き続けることになった経緯を、教えていただけますか。

ねこぢるをこのまま消さないでほしいというファンや家族の要望。逆に描くべきではないとの批判の声もいただいております。

 

【46】山野さんなりの分析でお願いしたいのですが、“ねこぢる”と“ねこぢるy”は、どこがどういうふうに違うと説明できますか?

◎“ねこぢる”作品はねこぢるを山野がサポートしてできたものです。“ねこぢるy”作品は山野が単独でねこぢるのキャラクターを使用しているものです。

 

【47】“ねこぢるy”では、マックのペイントソフトや画像加工ソフトが導入されているとおぼしき、エフェクティヴなコマが目につくのですが、そのへんの加工は、意識的に(タッチを変えていこうと)してやっているものですか?それとも自然にそうなってしまうものですか?

◎マックは漫画をかくツールとしてペンよりだいぶ面白いということに気づいてしまったせいと思います。

 

【48】今後“ねこぢるy”ではなくて、山野一さんの漫画をまた読める機会というのは、遠からぬ将来くるものでしょうか?山野さんご自身は、そのへんの使い分け、というか、なにか意識されていることがあったら、教えて下さい。

◎解りません。今なぜこんなことをしてるのかこの先どうなるのか、あまり考えられてません。

 

【49】“ねこぢるy”としていわば彼女の遺志を継承した山野さんの今の立場として、やっぱり“ねこぢる”に“ねこぢるy”はかなわないな……という部分があるとしたら、それはどういうところだと思いますか?

◎無自覚・無造作・無邪気……それでいて人のふところを深くえぐるような言葉・絵

 

【50】最後にオマケ……というかぜんぜん余談の質問です。友達のパーティ好きな女の子が今、イギリスに留学に行ってるんですが、寄宿先のロンドンのアパートに幽霊(らしきもの)が出るので困って、枕元にドリーム・キャッチャーとねこぢる人形を並べて寝ているらしいのです……が、はたして“ねこぢる人形”は魔除けになると思いますか?

◎なることを祈ります。

 

初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号

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少女ヌード雑誌の変遷と現状分析『ヘイ!バディー』から『アリスクラブ』まで

ロリータ雑誌の現状分析/斉田石也

禁断の書!?のイメージがあるロリータ誌のたどってきた道を振り返ると、当時の世相、社会状況が見えてくる。いったいロリータ誌に人は何を見るのだろう。

※以下の文章は、1997年に刊行された『ワニの穴3 エロ本のほん』(コアマガジン・絶版)からの転載です。そのため本文では、1999年の児童ポルノ法成立や2015年に適用された児童ポルノ単純所持罰則化については触れられておりません。

2018年現在、一部記載内容によっては、現行法に抵触する場合がございます。記載事項の実施・応用等は、ご本人の責任と判断で行われることをお願い致します。

ロリータ雑誌って何だ?

一口でロリータ雑誌と言っても、一般社会とマニアの認識の間には、かなり大きなギャップがあるというのが現実だ。

一般の書店の商品管理担当者あたりでも、ブルセラ雑誌、エロ系のアニメ、ならびにゲーム関連、さらにはオタク系コミック雑誌と、一般的なロリータ・マニアが考えるロリータ誌を同じ物と勘違いしている傾向はかなり強い。

それは、ロリータの定義そのものが世間一般とマニアの間でかなりのギャップがあることに起因するものであるが、今、ここでそれを論じていると、与えられた紙面の大半を費やしてしまう恐れがあるので、ここでは、真性のロリータマニアが見て「自分達を対象にして製作されている」と信じるに足る雑誌の大まかな定義を説明するにとどめて置きたいと思う。

ちなみに、真性のロリータマニアとは、たとえば目の前に12歳と18歳と22歳の三人の女性が全裸で現れ「好きにして」と言った時に、迷う事なく12歳の少女を選ぶ人間のことを言う。

つまりは、ワイド ショーのコメンテイターやマスコミに登場するのが好きな心理学者などが定義する、18歳や22歳がいいと思いながらも、何となく気後れして少女の方に目を向けている「自称ロリータマニア」は、真性マニアの間では、自分達と区別して「単なる気弱なスケベ」と呼ばれている。

さて、これでようやく本題に入ることが出来るが、一般的にロリータ誌は小学校中学年から中学校2年ぐらいまで。つまり9歳、10歳から14歳前後までに限定して扱っている雑誌と言えば、一番、分かりやすいと思う。

間違っても『スーパー写真塾』(コアマガジン)などに代表される、高校生年齢をイメージさせる雑誌は、一般人にはロリータ雑誌に見えたとしても、マニアには「オバサン雑誌」と言う印象を以て迎えられざるを得ないわけだ。

それと同じ意味で、たとえ、ときおり中学生年齢の少女モデルが登場しているとは言え、最近の援助交際にドップリ嵌まっている、もしくはその予備軍と呼ばれるようなコギャル、マゴギャル(もう、死語に近い言葉だが)にスポットを当てた雑誌も、ほとんどのマニアからは敬遠されている。

そう言った意味で、現在、流通している雑誌の中で、狭義の意味でロリータ誌と呼べるのは、隔月刊で通巻66号を誇るアリスクラブコアマガジン・昭和63年12月創刊)、読み物に重点を置いた『小説アリス』綜合図書・平成6年創刊)、そして、約半年の休刊を経てリニューアルした『スウィート・ローティーン』(黒田出版興文社・平成7年5月創刊)の三誌に絞られてしまう。

 

過激の一語だった黎明期

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(発禁になった白夜書房刊『ロリコンランド』)

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(『ロリコンランド8』の発禁によって「少女のワレメはわいせつ」という当局のお墨付きが出たことを伝える白夜書房刊『Hey!Buddy』1985年11月終刊号)

今となっては信じられないことだと思うが、昭和55年から61年ごろの数年間、ロリータブームと呼ばれる時期があった

この当時は、現在、書店の氾濫気味のヘアヌード写真集のように、毎月、十冊前後の、小学生ぐらいの少女のヌード写真集が店頭に山積みにされて販売されていた

この時期は、もちろんヘアは厳禁。しかし、もともとヘアのない子供の局部は、まだ性器でなく単なる排泄機関と見なされていたようで、ページをめくって行くとワレメちゃん丸見えの写真が次々と登場する写真集が堂々と販売されていた

そして、厳密な意味でロリータ誌と呼ばれる雑誌が市場を賑わせ始めたのも、まさに、そのロリータブームの真っ只中でのことであった。

いわゆる書店ルートで販売されていた雑誌から辿って行くと、当時、総合アダルト情報誌であったHey!Buddy(ヘイ!バディー/白夜書房・昭和55年5月創刊)が、何度かのロリータ特集を経て、57年6月号からロリータ専門情報誌宣言をした時から、現在に至るロリータ誌の歴史が始まったと言えよう

そのバディが、投稿者の犯罪写真の掲載が原因で突如として廃刊に追い込まれるのが昭和60年11月*1の1年半ほど前の59年6月には、当時も、そして現在でもSM雑誌中心にマニアックな世界を狭く深く掘り下げ続けている三和出版よりロリコンハウス』が創刊している。

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バディの場合、創刊当時からのしがらみや編集者の個人的好みを反映して、風俗嬢をモデルにしたグラビアやプロレス記事などがあり、また表紙も当時の二線級アイドル(中森明菜可愛かずみも登場しているので二線級と断言は出来ないが)を起用するなど、完全にロリータ一色とはなり得なかった感があったがロリコンハウス』は表紙、巻頭から全て少女、記事や小説、コミックも少女一色の本格ロリータ雑誌だったと言える。

一方では、当時、絶頂を極めていたビニ本ショップを販路としたロリータ雑誌も存在していた。発行年月順に列挙していくと『ありす』(57年11月/群雄社)、『みるく』(58年3月/花神社)、『CANDY』(58年11月/JOY企画)、『リトルクローバー』(59年6月/若葉出版販売)、『にんふらばぁ・ジャパン』(昭和60年6月/麻布書店)などである。これらは、当時、写真形態が大半だったビニ本業界にあって、どれも読み物に重点を置いた編集方針をとっていたこと、ならびに、一部を除くと、隔月で発行日が決まっていたことが特徴で、たんに販売ルートと発行部数が異なると言うだけで、前述したバディやハウスとほとんど変わらなかったと言えよう。事実、グラビアページでかなりの比重を占めたマニアの投稿写真は、書店ルート雑誌とビニ本ルート雑誌に重複して掲載されることも、決して珍しいことではなかった。

そして、このブーム全盛期のロリータ雑誌を全て読み耽っていたマニアは単に写真集や雑誌をコレクションして読んでいるだけでは片手落ちで、正しいマニア道を歩むためには、カメラを手に街に出て、少女のパンチラあるいは親水公園での着替えなどの写真や、さらには親しくなった少女を物陰に連れ込んで、軽くイタズラをした写真を撮って投稿しなければならないと思えて来るほど過激だった

おそらく、ほとんど無法地帯とでも言えるような当時の状況は、前述したとおり、大まかに言ってヘアが見えるか見えないかが猥褻書画としての摘発の基準だったことを拡大解釈した結果と言えるだろう。

今回、あらためて、これら全ての雑誌を見直して驚いたのは、明らかに犯罪の証拠写真と言えるような投稿写真が前述したビニ本ルート雑誌より、バディの方がはるかに多量に掲載されていると言う事実だ。

当時のロリータ誌の特徴として、ちょっと行動力のあるマニアなら、意図も簡単に読者の立場から投稿の常連と言う名の制作者の立場に躍り出ることが出来たと言う点が挙げられる。これは写真だけでなく、イラスト、コミック、そして小説やエッセイにも言えることで、ロリータブームの当時のロリータ雑誌に頻繁に登場している間にプロのカメラマンやライター、そして編集者となって現在も活躍している業界人は少なくない。

なぜなら、ロリータ趣味もその他のマニアックな世界と同様、本当のマニアでないと、継続的に読者を納得させる水準の作品を継続できない上に、急にブームとなったために、極端な人材不足状態であった。そして、いかにブームの真っ直中と言っても、一般のアダルト系雑誌のように、どこかのモデルクラブやプロダクションに電話を一本すれば、ドサッとモデルの宣材写真が集まると言うほど、モデルの供給がたやすいものでなかった。そのため、特にグラビアに関しては、読者の投稿に多くのページを割かねば雑誌が作れなかったことなど、意外と貧弱な台所事情があった

しかし、その投稿カメラマンが幅を利かせていた時代に終焉を告げたのが、バディが廃刊に追い込まれた投稿者とモデルにされた少女、そしてその両親とのトラブルであった。

そのため、後続のロリコンハウスは創刊当時の山添みずき、萩尾ゆかり。『ロリくらぶ』と誌面変更後の倉橋のぞみ、奈々子など、カバーガールを抱えて、特撮グラビアを中心とする編集方針を貫くようになって来る。しかし、一方では、ロリータブームの創始者の一人と言われる作家、川本耕次*2を監修者に迎えていた関係で、文章面での投稿はさらに充実していた。

かく言う筆者も、このロリータブームの当時に、CANDY、みるく、そしてロリコンハウスに投稿することで業界入りし、そのままフリーライターに転じた一人である。

 

M青年の事件と第二次ブーム

今から振り返ってみると『ロリコンハウスと言う名前の雑誌が、大手の書店も含めて、一般書店で堂々と販売されていたこと自体、異常としか言い様がないかもしれないが、現在でも部数を重ねている『アリスクラブ』が創刊した翌年から平成元年にかけて、日本中を震撼とさせたM青年による連続幼女誘拐殺人事件が発生するに及んで、ロリータはブームどころか中世ヨーロッパの魔女にも匹敵する扱いを受けざるを得なくなってしまった。

そして、すでに『ロリくらぶ』と言うソフトなネーミングに変更していた旧ロリコンハウスは平成1年8月を以て廃刊を余儀なくされてしまう。

もっともこの廃刊は、誌名変更後のソフト路線が受け入れなかった結果の売り上げ不振が真相という説もあるが、詳細はさだかでない。

ここで、すでに創刊していながら奇跡的に生き残ったのが『アリスクラブ』だった。

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さて、一節で述べたように、『アリスクラブ』は現時点の最新号である平成9年11月号で通巻66号となる。バディが月刊で通巻88号だが、ロリータ専門誌化してから廃巻まで42号、ロリコンハウス~ロリくらぶは隔月刊でスタートし26巻目から月刊化、最終号が通巻40号であることを考えると、驚異的な長寿雑誌と言える。

アリスクラブ』の長い歴史の中で、その編集方針が徐々にではあるが変わり続けて来たことが、その長寿の一番の理由だと思われるが、その中でも、平成4年ごろから平成7年ごろまでの、ロリータ史データベース時代は特筆に値する。

この当時、ルイス・キャロル、ウラジミール・ナブコフ、そしてコリン・ウィルソンなどの著作研究など、とてもエロ本とは思えないような連載と平行して、かつてのブームの時代に発行された写真集を紹介、かなり真面目に歴史的考察を加えた連載が注目を浴び、第二次ロリータブームの引き金になったと言う事実である

数年前、ロリータブームが完全に去った後、古本屋の店頭で数百円で埃を被っていたロリータブーム当時の写真集が、アリクラで紹介されるようになると、徐々にプレミアがつきはじめ、最終的には数十万の値段がつけられたほどの第二次ブームは、アリクラの影響力の大きさと言うより、いかに読者の入れ替わりが激しいかを物語っていたとも言える。

つまり、アリクラで紹介されるまでは、大半の読者は、その写真集の存在を知らない言うことだ。そして、アリクラが発売されると、そこに掲載されている写真集を求めて古本屋のハシゴをする。その結果、需給バランスが大きく崩れ、信じられないほどのプレミアを呼ぶと言う結果となってしまったわけだ。

ほどなく、中学生年齢とは言え、新刊の写真集がボツボツと発行されるようになり、また、欲しがっているマニアには一通り行き渡ったこともあって、ロリータバブルと言われたプレミア時代も幕を閉じることになった。同誌は現在、メインを子役アイドルの話題を中心にしたチャイル路線の定着を狙っている。

いずれにしろ、足掛け10年の歴史を持つ雑誌だけに、バックナンバーを一気に読破すると、M事件以降のロリータ市場の流れや、子役モデルがチャイドルとなって行くムーブメントが手に取るように分かって興味深い。また、そう言った資料的価値だけでなく、小説やコミック、そしてグラビアなども、やはり一日の長があると言わざるを得ない。

ロリータブームの台頭以来、『ヘイ!バディー』『ロリコンハウス』そして『アリスクラブ』と、まるで申し合わせたように新雑誌が創刊すると先輩雑誌が廃刊になり、一誌独占状態が続いていたロリータ雑誌市場の構造が『小説アリス』の創刊によって崩れることになる。時、あたかも第二次ロリータブームの真っ只中で、読者層が厚くなっていることを証明する事実だった。しかも、基本的に若年層が多いロリータ市場に向けてタイトルに真正面から「小説」をうたい、事実、カラー16ページのうち、グラビアは8ページ。あとはビデオの紹介とイラストで埋められ、残りはほとんど小説のみと言う構成は、当時のロリータ誌では考えられないことだった。

しかし、その後、追従した『アリスクラブ・シスター』(コアマガジン・平成6年11月創刊、通巻4号)や『リトルリップス』(東京三世社・平成7年7月創刊、通巻3号)と言った読み物中心のロリータ誌が短命に終わった中、月刊で36号まで継続しているのは、次々と新人を発掘しながら、吉野純夫、睦月影郎などベテランが連載小説を執筆すると言う編集面の努力の成果と言えよう。

合法的作品に限って言えば、グラビアでもビデオでも、ホンバンはおろか、オナニーさえもあり得ないビジュアルでひたすら妄想を膨らませているロリータマニアは、文字を読みながら妄想するのもそれほど抵抗がないのかも知れない。

平成7年5月に創刊、10号で一度休刊した後、平成9年8月に再スタートを切った『スゥイートローティーン』は、それまでのグラビア・情報誌と読み物誌の中間的スタンスからチャイドルなど情報路線への方向転換を狙っている様子。ただしこうなると老舗の『アリスクラブ』と完全にバッティングすることとなり、今後いかに独自のカラーを出して行くかが生き残りのカギと言えるだろう。

ただ、この『スゥイートローティーン』に限らずロリータ誌の場合は、未成年を性の対象として見ると言う体質が、いつ、法的に取り締まりの対象となるか分からないと言う危うさに常にさらされている

事実、一人の不登校女子中学生が売春容疑で補導され、偶然、その少女がモデルの仕事もしていたため、所属モデルクラブが職業安定法違反で摘発され、そのモデルを起用していた『15クラブ』『プチ・ミルク』『クラスメイトジュニア』などが軒並み廃刊に追い込まれたという事実も、比較的記憶に新しい。

その意味で、現存する全てのロリータ誌が、そう言った売り上げ以外の要因で突然姿を消す恐れもないとは言えないのが現状である

斉田石也(さいだ・せきや)

1953年(昭和28年)生まれ。神奈川県出身。クラブ歌手、土木作業員、飛び込みセールス、住専社員、不動産業など職を転々とした後、ロリータ出版に携わる。

少女に関するあらゆる表現媒体に深く関わった、現代ロリータ史の生き字引的存在であり、歴史的観点からロリコンを読み解く数少ない作家の一人である。

1980年代よりフリーライターとしてロリータ・ブルセラ系雑誌を中心に小説やエッセイなどを執筆したほか、『ロリコンハウス』(三和出版)や『アリスクラブ』(コアマガジン)など本邦ロリコン史における重要な少女雑誌でも執筆や編集を行った。

ちなみにストライクゾーンはティーン手前で9歳から12歳まで。主な小説に『過激なロリータ』『うぶ毛のロリータ』『半熟ロリータ桃色乳首』(いずれも二見書房)などがある。

関連記事・掲示

なつかしのヘイ!バディー

アリスクラブを懐古する

ロリコン覆面座談会

その昔『ロリコンランド』という雑誌があってだね.pdf - Google ドライブ

https://www.logsoku.com/r/2ch.net/sepia/1173353945/

http://yomi.mobi/read.cgi/society6/society6_21oversea_1178137930/950-

*1:白夜書房が1985年9月に『Hey!Buddy』の増刊として発売した『ロリコンランド8』が猥褻図画頒布容疑で警視庁から摘発され、発禁となった。つまり「少女のワレメは猥褻である」という当局のお墨付きが出たという意味である。この『ロリコンランド8』の摘発を受けてロリコン文化の中心となっていた『Hey!Buddy』は「誌面にワレメを出せなくなった」ことを理由に同年11月号をもって廃刊した。

*2:みのり書房『Peke』編集長→合併アリス出版第五編集部編集長→群雄社編集者。1980年代のロリコンブームおよび三流劇画ブームの仕掛け人。アリス出版ではロリコンブームの先駆けとなった伝説的自販機本『少女アリス』の編集長を務め、群雄社退社後にはロリータ専門誌『ロリコンハウス』(三和出版)の監修も行う。みのり書房時代は大学時代からの知人である日野日出志を復活させ、内山亜紀さべあのまを商業誌デビューさせる。また吾妻ひでおを『Peke』や『少女アリス』で起用して「吾妻ブーム」を作るなど漫画界にニューウェーブの基盤を築いた。著書に『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)がある。竹熊健太郎ブログのエントリーでも川本について言及あり→「平田先生とネットゲリラと: たけくまメモ」

山野一ロングインタビュー 貧乏人の悲惨な生活を描かせたら右に出る者なし!!(聞き手・構成/吉永嘉明)

ロングインタビュー山野一
貧乏人の悲惨な生活を描かせたら右に出る者なし!
 
山野一の描く漫画の世界は、実に悲惨だ。その世界では人々は例外なく強欲でどうしようもなく愚かである。時として好感の持てる人物が登場することもあるが、そういった人には情け容赦なく怒濤の不幸が押し寄せる。ああ、なんて夢も希望もないんだ ! でもこの世界、なんかどこかに似ていやしないか。「世の中バカが多くて疲れません?」放映中止になったあのCMに共感を覚えた人に絶対オススメの漫画家だ。
 
福崗で生まれた山野一は、二歳から中学二年の途中までを三重県四日市市で、中二〜高校卒業までを千葉で過ごした。大学で上京してからは、東京に在住している。喘息の街からヤンキーの世界へ、そしてセントポール・キャンパスという生活環境のどこで、あのニヒルでユーモラスで奥深い感性が育まれたのだろう。
 
──四日市市と言えば、工場の街というか、排煙が原因の喘息が問題になった街ですよね。本当に喘息の人が多かったんですか。
 
山野 えーと、うちの母も喘息でした。
 
──それは、そこに引っ越ししてからなったんですか。
 
山野 すぐになりましたね
 
──じゃあ、本当にそこに住むと喘息になるような環境だったんですね。
 
山野 ええ。喘息になる街なんです。
 
──でも、山野さんは喘息ではないですよね。
 
山野 僕は喘息ではなかったですけど、気管支炎でした。咳が止まらなかったみたいな。
 
──学校中の子供がみんなそうなんですか。
 
山野 喘息が)出ない子もいましたけど、出てる子が多かったですね。特に僕が最初に住んでいたところは非常に工場に近かったので、学校の窓ガラスも二重になっていて空気清浄機がついてました。幼稚園に行く頃に郊外、要するに東京の近郊にあるような山を切り開いて造成したような団地に移ってからは若干マシになりましたけど。それでも夏場は目が痛かったですね。
 

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──四日市市というのは、愛知県の豊田市のような企業城下町なんですか。
 
山野 企業といえばほとんど◆◆◆とその下請けです。石油からプラスティックの原料を作るコンビナートの街ですね。
 
──じゃあ 、 工場に近ければ近いほど、もうわかりやすいように喘息になる確率が高くなる。
 
山野 そうですね。煙突が巨大だから真下はいくらか良かったかもしれないですね。
 
──なんかそれって、もうその街に住んだら喉悪くするわけじゃないですか、ほとんど。それでも住むんですか、みんな。
 
山野 ウチはまあ、その公害の原因をつくっている会社に勤めてましたんで加害者兼被害者でしたから。 
 
──でも、その会社に何の関係もない土着の人達がたくさんいるわけですよね。単なる被害者の人達。
 
山野 だから、引っ越したくて引っ越せる人はいいんだろうけど、そうもいかないですから。それに元々何も産業のない田舎の宿場町だったところで、国家的にコンビナートをつくろう、っていう計画が出てきたことによって労働力が集まってきて、街興しになったという経緯がありましたから......公害に関しても、恐らくはしりのほうだから、当初はそんな深刻に考えてなかったんじゃないでしょうかねぇ。 
 
──お父さんがその企業に勤めていたということですが、土着の人と企業の人、つまり公害問題で対立関係にある両者の間に挟まれて子供同士で妙な感情的わだかまりみたいなのはなかったんですか。
 
山野 そういうのはあまり感じなかったですね。僕が通っていた小学校の担任とかもひどい喘息持ちで、先頭をきって反対運動に加わっていましたけど、企業の子供を差別っていうのは無かったと思います。少なくとも露骨には。まあ、嫌な気分ではいたんでしょうけどね。特にウチの親父なんか環境課っていうところにいて、反対運動の人たちが交渉に来たときに適当なことを言う、にこにこしながらお茶を濁す役目でしたから。
 
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──窓口というか、矢面に立たされていたわけですね。そういう大人たちのややこしい関係は、子供心に影響を与えなかったんでしょうか。
 
山野 子供の頃はバカだから、大人はみんな工場に行って働いて、工場っていうのは◆◆◆で……そんな印象しかなかったですね。ほんとガキの頃は、海っていうのはタールが浮かんでいるもので、海岸っていうのは工場があるもんで、山ってのはつぶして団地になるもんでって、そういうもんだと思っていました、世界中が。
 
──やっぱり、うちっていうと団地っていう印象も。
 
山野 そう。うちっていうと団地。社宅に住んでたんですけど、それが団地だったんですよ。で、馬鹿馬鹿しい話なんですけど、非常ベルがあるんです。工場で何か大事があると団地に非常ベルが鳴り響くんです。まるで炭鉱の街。
 
──大手企業だし社宅だと周りが全員同じ会社の人でしょうから、貧乏感はないわけですよね。 
 
山野 ええ。ありません。
 
──四日市市自体も特に貧しい地方というわけじゃないですよね。
 
山野 ええ。だから、特徴といえばコンビナートだけの地方都市という感じじゃないですか。文化も何もないですよ。寄せ集めの労働者の街ですから。
今はきっと立派になってるだろうから怒られちゃうかもしれないですけどこんなこというと。中学以来一度も行ってないんですよ。
 

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──どうも四日市のイメージからは作品の世界が彷彿としてきませんね。確かにビジュアル的には、工場の煙突と団地っていうのがかなり目立ちますけど……。当時はどんなことに夢中になってましたか。
 
山野 普通の公立学校に通って、特に目立たず、何もしてなかったですね。
 
──ハマったものがなかったとしても、何か娯楽はなかったんですか。繁華街でブイブイいわすとか。
 
山野 それがないんですよ。不良でもないし、インテリでもないし、読書家でもないし、スポーツもしない、本当に特徴のない子でしたね。
 
──そうはいっても、何か印象に残っていることがありませんか。今から思い起こして郷愁を感じる部分とか。
 
山野 だからあの、言ってみれば四日市ってのは無機的な荒廃なんですよ。その荒廃の中で、何もせずぼうっと暮らしていたんです。あえて無理に言えば、何もないっていうのが当時の印象ですね。だから、育ったところに対して郷愁なんて何もないですよ。 
 
──でも、さっきから伺っている四日市のイメージは東京しか知らない僕にはかなりシュールな印象なんですけど。
 
山野 東京と比較すると確かにシュールな世界です。小学校に通うようになって日本のこととか色々教わるようになるまでは、工場とタールの浮かんでいる海と、毎日毎日色の変わる川と団地だけ、そんな風景が何キロメートルおきにずうっと続いている……それが世界だと思ってましたからねぇ。僕は気管支炎だったんで、工場がやっている診療所に通っていたんですけど、それが巨大な煙突の真下にあったんですよ。その巨大な煙突で雲を製造してるんだと思ってました。
 
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──なかなかファンタジックな話ですね。
 
山野 美しい話でしょ。巨大な煙突の上に飛行機がぶつからないように赤いランプが点滅していたのが印象に残ってますね。あと、工場の音。『イレイザーヘッド』のあれどこでしたっけ。工場街みたいなとこ出てるじゃないですか。暗い夜道を主人公が歩いてて、足がちょっと水たまりにはまったりして、あそこでコンビナートの音が流れているんですよバックに。あのシーンを見ると四日市にいた時の感覚が戻りますね。近くに巨大な鉄の建造物があるっていう感覚が。
 
──ああ、なるほど。僕なんかはああいうシーンを見るとシュールで奇妙な世界にハマっていくわけなんですが、山野さんの場合、非常に現実感のあるシーンなわけですね。
 
山野 そう。だから今思えば、シュールなんて自覚しないままにああいう世界の中で生きてきたんだと思うんです。ああいう荒廃したような感じのね。それが中学二年の時に千葉に移って、いきなりバカの真っ只中の世界に来てショックを受けたっていう。
 
──荒廃からバカへ(笑)
 
ヤンキー文化にまみれて
 
山野 そう。荒廃からバカへ。どちらも荒廃してるんですけど、荒廃の質が違うんですよ。不良の世界ですよね、アレ(=千葉)は。 
 
──千葉はヤンキーが多いみたいですね。
 
山野 ヤンキーの世界ですよね。
 
──ヤンキーってやっぱりバカですか。
 
山野 ええ。バカですね。呆れましたね。ボンタン・長ランを初めて見た時には強いショックを受けました。風にたなびかせてるじゃないですか、旗のように。何をやっているんだろうこの人たちは、と思いましたね。
 
──ああ、自分自身の中にそういうセンスがないとそうでしょうね。
 
山野 四日市にはボンタン・長ラン文化は無かったもので。それで、バカな世界があるんだなぁって思って。ほとんど不良なんですよ、若者は。
 
──荒廃の世界では何もせず過ごしてたということでしたが不良の世界には馴染めましたか。
 
山野 馴染んだという感じじゃなかったですけど、いじめられるというようなことはなかったですね。中学の時ですけど不良が夜中に遊びに来るんですよ、車で。二階の窓に石投げて何かなと思って外を見るとセドリックが止まってて友達が乗ってるんですよ。それで、ドライブいこうぜって。
 
──免許もないくせに(笑)
 
山野 ドライブいって、ダッシュードとか開けてみるじゃないですか。そうするとなんか写真がいっぱいあって、全然知らない人が写ってるんです。それで「ひょっとしてこれ ?」って聞くと盗難車なんです。ガソリンがなくなるまで乗って捨てちゃうんですよ。そういうバカな世界でびっくりしました。
 
でもちょっとだけ楽しそうじゃないですか。
 
山野 そうですね。僕も車とかバイクとかは好きでしたからね。
 
──作品の中でも車やバイクは中々丁寧に描き込んでありますもんね。じゃあ、そういうバカな世界が嫌いなばかりでもないですね。一応洗礼は受けている。
 
山野 そうなんです。さすがにボンタン履くほどにはなりきれなかったですけど、 毎日毎日、頭がこんなにあるような(※リーゼントのこと)やつと話してりゃやっぱり影響を受けますよ。受けないでいるほうが無理ですから、あのバカな世界では。だから影響は受けているんです。いまだにね、『シャコタン・ブギ』とか好きですしね。バカの名残がきちんと残ってます。
 

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──慣れてしまえば結構楽なんじゃないですか、ヤンキー・カルチャーっていうのは。みんなちょっとバカかもしれないけど、まっすぐな人たちっていうか、素直じゃないですか。
 
山野 だから、あれは浪花節の世界ですよ。友情とか親とか大事にしますし。シンナーで目が血走ってるようなやつでも親父が倒れたらそっこうで病院に駆けつけますからね。
 
──軽犯罪は平気で犯しても、人には優しいっていうか。
 
山野 そうなんですよ。バイクで事故って死んだ友達の一周忌とかにみんなで集まったりとかね。義理堅いんです。
 
──そういうバカの世界で、適当に距離を置いて友達付き合いをしていたわけですね。でも、高校はたぶんバカじゃないですよね。
 
山野 高校はその地区ではいちばんの進学校でした。だからヤンキーはいませんでした。でも、高校に入っても、本当に合う人というのは一人もいませんでしたね。
 
──バカもダメ、秀才もダメ?
 
山野 なんていうんですかね。
大学になって初めて人間の世界に出てきたっていう印象でしたね。だから、もっといい家庭に生まれてね、もっといい友達と一緒にいればもうちょっとお利口な人間になったんじゃないかと思いますけどね。
 
東京駅で神の啓示を受ける
 
──立教大学に入学して東京に出てきたわけですけど、初めて体験する人間の世界(笑)には期待値は高かったですか。
 
山野 いくら千葉がヤンキーまみれの田舎っていったって、総武線一本で出てこれますからね。過大な期待なんていうものはありませんでしたけど、解放感はありました。なんでもできるんだっていう。でも、いざ出てくるとやることがありませんでしたね。やってたことっていったら麻雀とパチンコぐらいですか。
 
──都会幻想はなかったわけですね。でも大学四年間っていうのは、何もしなくていい期間ともいえるわけで、楽しいんじゃないですか。
 
山野 そうなんですよ。僕にとっていちばんいい状態っていうのは要するに、労働とかから解放されてる状態のことでしたから。だから、大学に入ってモラトリアムを手に入れたら、もう永久に自由になったような感じがしました。就職とかっていう現実感はまったく無かった。
 
──三とかになって周囲が就職のことを話しだしたりしても影響されませんでしたか。
 
山野 それは影響されない。自分が働いている姿なんて想像できなかったですから。もちろんアルバイトはやりましたけど。
 
──親とかも何もいわないんですか。
 
山野 親は散々いいましたけどね。でも、帰省も全然してなかったし、電話も引いてなかったし……大学生活も後半になると明らかにまずい状態になってるのに、不安感が全然ないんです。
 
──労働したくないっていうのは結構当たり前の感覚だと思いますけどね。でも、漫画を描くことだって、それで生活するようになればレッキとした労働ですよね。漫画とその他の労働では、どこが違うんですか。
 
山野 人と会わなくてすむってことですね。とにかくこう、人間関係がすごいプレッシャーになるんですよ。対人恐怖症とまではいかなくてもこれから八時間なら八時間、この人と一緒にこの部屋にいなくちゃいけないと思うと、すごいプレッシャーになるんですよ。
 
──じゃあ、もうあたまっからサラリーマンはないと思ってたんですね。
 
山野 ええ。大学二年か三年の時に神の啓示を受けたんです。それから安心感が出たんですね。
 
──それは部屋で?
 
山野 部屋じゃなくて、東京駅の八重洲口だったんですけど。
 
──それは、「サラリーマンにならなくてもいいんだよ」っていう。
 
山野 ならなくていいという啓示だったんです。
 
──どこの神様だったんですか。
 
山野 いや、わからない。なんだかわからないから神様といってますけど、頭の上から声がして、その途端に漠然と持っていた不安のようなものが消えたんです。アシッドはやってませんよ(笑)
 
──もやもやしてたものがはっきりしたんでしょうね。
 
山野 はっきりした。その時は漫画家とまではわからなかったんですけど、部屋にずっと籠もって、何かを書く仕事になるっていうビジョンまで見えたんです。
 
感性の孤独
 
──絵っていつ頃から描きはじめたんですか、漫画形式で。
 
山野 大学三から四年にかけてぐらいですね。美術クラブに入っていて、そこで作っていた漫画誌に描きはじめて。
 
──独学ですか。
 
山野 デッサンの勉強をしたり、先輩に指導されたりっていうのはなかったですから、そういうのを独学っていえばそうですね。
 
──漫画っていうのはコマ割りとか構成とか考えなくちゃいけないし感性だけで描きなぐるのは難しいと思うんですけど、誰かに影響されたっていうのはありますか。
 
山野 自分では自覚がないですね。蛭子(能収)さんの漫画は高校の時に読んで非常にショックを受けましたけど*1、特に明確に影響を受けたっていうのはわからないですね

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 ──蛭子さんのぶっ飛んでいた頃の作品ですね。最近の漫画家で好きな人とかいますか。

 
山野 最近の人では花くまゆうさくさんですね。 
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──彼は東京の下町のほうの土着の感性がすごくよく出ていていいですよね。

 
山野 初めて見た時から団地の匂いがぷんぷんと感じられて。絵も好きですし。
 
──それにしても、山野さんの漫画を読んでてよく感じるのは、なんでこんなこと思いつくのかなってことなんです。たとえば、劣悪な居住空間にイラついてる貧乏な一家が穴掘ってって広々とした下水道に住む話とか。例を挙げていったらキリがないですけど、どうしていつもリアリティがあるくせに突飛なアイデアを思いつくんでしょう。
 
山野 それはわかんないですね。
 
──思いつこうと努力しているんですか。
 
山野 それはないですね。ただ、とことん抑圧されている人たちの姿を想像すれば……。
 
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──でも、山野さんはそこまで抑圧されていないですよね。先程からの話の中でも特に抑圧された環境に育ってきてるという感じではなかったですし、貧乏でもないし。
 
山野 どうしてなんでしょうね。
 
──あと、飛んでるアイデアにプラスして生活臭のある、ブルーカラーに対する愛情ある描き込み。情けない主人公が定食屋でラーメンを頼むと、必ず醜悪なウェイトレスが出てきて、しかもどんぶりに指突っ込んでますからね。手抜きがないですよね。
 
山野 それは、その主人公が食いに行く店が汚いラーメン屋でなくてはならないからなんですよ。こぎれいな兄ちゃんが白い帽子かぶって作るラーメンではどうしてもだめなんです。
 

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──勝手に描いてるようでいて緻密ですしね。気分だけで描いてる漫画っていうのは、どんなに発想が素晴らしくても読んでてちょっと疲れますけど、山野さんの作品は飛んでるくせに妙にリアリティがあって、すんなり物語の世界に入っていけるんですよね。そういう点では統一性がとれてますよね。
 
山野 僕にとって漫画を描くってことは、鼻をかんだりクソしたりせんずりこくのと一緒なんですよ。なんかを出してる、出さないと心のバランスが保てない。だからもし統一性がとれているとすれば、そういうものを吐き出していないと平常でいられないってことなんでしょうね。たぶん自分の中に同化できないようなものを出しちゃってるんだと思います。それが不満というものなんでしょうね。以前根本(敬)さんも同じようなことを言ってましたけど。
 
──なるほど、ということは、山野さんと同じ種類の不満を持っている人が読者になるという傾向はあるんでしょうね。やっぱり、普通の人が読むには少々ヘビィですからね。例えば僕の場合、子供の頃に誰にも理解されないっていう心理に陥ったことがあって。クラスメートも教師も、誰もが自分の言葉を理解してくれなくて、終いには周囲のみんながバカに見えて孤独だったんです。今から思えば自我に溺れた傲慢な心理だったんでしょうけど、それでノイローゼになりましたからね。
 
山野 その気持ちはすご~くよくわかります。僕もそんなふうに考えたこと、ありました。小学校の頃、歩いて通学する道すがら、世界っていうのは自分の夢なんだと、ずっとそんなことばかり考えていたんですよ。それで、周囲の人と話しても、誰も僕の言葉を全く理解してくれなくて、みんなバカでこいつらとコミニュケーションしてもしょうがないと思いましたよ。自分の親にもそう思いましたね。
 
──あ、それは同じですね。でも、そこでよくヒステリーにならなかったですね。
 
山野 何を言っても通じない人間には話しかけても無駄だし、世の中の人すべてがそうなら、もう内側に籠もるしかないじゃないですか。
 
──それは大人の考え方ですね。僕はそこで、精神の孤独に耐えられずにヒステリーを起こしたんですよ。「わかってくれよ!」って。
 
山野 僕も何度かそういう気持ちを訴えたことはありましたけど、結局誤解が誤解を生むだけでますます状況が悪くなるだけですからね。例えば親と話してても、向こうの言うことは良くわかるんだけど、こっちの言うことは全然通じないんですよ。こっちの不満はほんの少しも理解してくれない。だからもう、拒絶するしかないんですよ。
 
──でも山野さんの作品は、全く世の中を拒絶しているわけではありませんよね。確かにマイノリティの感性は顕在してますが、それでもどこか生への愛着が感じられる。ニヒルではあるけど破滅的ではない。だから、飛んでるんだけど、決して理解不能なところまでぶっ飛んではいない。
 
山野 やっぱり、これで食ってるわけですから、普通の人のことを考えるんですよ。それで、普通の人が読んでわかる日本語で書いて、普通の人が見てわかる絵で描こうというのは最低考えますね。そうやってなんとか、社会の末端のほうで生きさせてもらってるんです。
 
(聞き手・構成/吉永嘉明
 
 山野 一(やまの はじめ)
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●1961年福岡県生まれ。立教大学文学部卒。身長183cm、体重62kg。愛読書は『シャコタン・ブギ』。好きな音楽はテクノ。大学四年時に持ち込みを経て『ガロ』でデビュー。以後各種エロ本等に漫画を執筆。あの作風で食べていけるの?」という疑問を持つ人も多いみたいだが、完全に漫画だけで生計を立てているプロフェッショナル。最近は本来の作風を連載してくれる雑誌がないにも関わらず妙に忙しいという。
 
※このインタビューは1996年刊行の『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」からの転載です。
 

*1:──自分が漫画を描こうと思ったときに意識した漫画家はいましたか?

山野 やっぱり蛭子さんが僕は一番好きでしたね。『Jam』っていう自販機本に載ってた『不確実性の家族』って漫画を初めて読んだときにショックを受けましたね。暴力的に入ってきたというか……何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました。現在描いてるのはちょっと興味ないですけどね。

根本さんとも話すんですけど、根本さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって……僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ。でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ。自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは。絶対勝てないですよ。あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ。突出した人間てどっか欠けてるっていうじゃないですか。天才であって同時に気違いなんですね、あの人は。あの初期の作品なんかでの狂気の世界の捉え方はほんと天才的だと思いますよ。同じ周波数の人間でないと電波が通じないんだけど、はまった人間には凄い力で訴えてくるものがある。自覚できずにいた自分の欲望を目の前に突きつけられるような。僕なんかは少しは考えて描いちゃいますからね。蛭子さんに訊いても「いや、オイも計算してますよ」とか言うに決まってますけど、頭の中を切り開いてみたら、あの漫画の通りの世界が広がってるんじゃないかな。