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山野一インタビュー「カースト礼賛」(ユリイカ総特集=悪趣味大全)

ユリイカ総特集=悪趣味大全
山野一インタビュー「カースト礼賛」
 
─── 一昨年(一九九三年)の暮れから昨年にかけては、 『混沌大陸パンゲア』(青林堂)、『どぶさらい劇場』(スコラ)、『ウオの目君』(リイド社)と三冊の単行本が刊行されましたが、『ウオの目君』は、初めて一般向けコミック誌(リイドコミック)に掲載された作品ですね。
 
山野 あれは完全に普通の人向けですよね。『ウオの目君』だけ見てて、たまたま本屋で『パンゲア』なんかを見た人から、どうしてこんなものを描くのか理解できない、みたいなハガキをもらったこともありますよ。こんなにちゃんとした漫画が描けるのに、どうしてこういうひどいのを描くんですか、みたいな。本当はひどいのが先なんだけど。
 

─山野さんの作品は、最初期のころから貧乏とか悲惨さの描写が凄いですね。

山野 わりと、実際にあった話を使ってることが多いんですよ。『四丁目の夕日』の、印刷工が機械に挟まれちゃうのなんかもそうだし。大学生のころ、ある出版社で校正のバイトをしてたんですが、そこの下請けの印刷所の社長さんがほんとにそうなっちゃったんですよ。で、その話を部長さんが僕の隣の席でしてて。その部長さん、低学歴で叩き上げなもんで、もう同情して涙ぐんじゃって、気の毒だ気の毒だって言うんですよ。隣で笑いを圧し殺すのに大変でした(笑)。そりゃ気の毒は気の毒だけど……それってもう笑っちゃうしかないでしょう? 

 
その出版社の地下にも印刷所があって、ときどきそこに版下をもってったりしてたんですけど、そこは窓がひとつもないところに輪転機を山ほど入れてるんで、凄い騒音なんですよ。そこで六人働いてるうち、五人がつんぼ(笑)。健常者じゃ勤まんないんですよ、音が凄くて。製本のところはまた身障の人ばっかりだし。つまりそういう人を雇うと税金が優遇されるし、一石二鳥ってことでいっぱい入れてたらしいですね。
 
断裁機のところで働いてた人は、指が四本なくて、なんかいい加減なゴムのつけ指をしてましたね。親指しか残ってない(笑)。ま、見た目をごまかすというより、あった方が仕事が便利だからつけてたんでしょうね。もちろんその断裁機でやられたんですけど、そんなひどい目にあいながら、それでもなお断裁機の前で働いてるというのがおかしかったな(笑)。本当なら指一本で何百万ともらえるはずなんだけど、昔風の職人気質な人だったから、きっと労災なんかも社長に二〇万かそこらの見舞金でごまかされて、そいつの貧乏くさい奥さんは、「あそこの社長さんはいい人だ」とか言ってたんじゃないでしょうかね。
 
その出版社であった話なんですけど、ある警察の偉い人が書いた自伝を自費出版したいってことで、一冊校正したんですよ。その内容が完全に狂ってたのが面白かったですね。現役を引退した後、自分の一生を回想してるんですが、どう考えてもおかしいところがいっぱいあるんですよ。
 
山の中のある沼みたいなところにヘリコプターで視察に行って、そこに赤い祠があって、皆がそれを見ているとき、ふと後ろの沼を見ると、さざ波が立っていた。さらによく見ると、それは波ではなく、無数の子蛇がこっちの岸に向かって泳いでくるところであった、とか書いてあるんです。それで皆気味悪がってあわてて逃げ帰ったとあるんですが、何か変でしょこれ。とても現実にあった光景とは思えない。そもそも警察のお偉方がそんなところに何を視察に行ったっていうんでしょうねえ。
 
若いころの武勇伝なんかもあるんです。ある雨上がりの日にいつもの田んぼ道を散歩していると、台風の後で増水した小川にザリガニがいて、それを小一時間ほど座って眺めてると、はっと胸騒ぎがして家に帰った。すると、思ってた通り泥棒が入っていて、格闘の末、そいつを捕まえて、買い置きしてあった有刺鉄線でぐるぐる巻きにしたっていうんですよ。で、風呂に入ってる間に、あそこん家の旦那が泥棒を捕まえたんだってよ、っていう噂が近所中に響き渡っちゃって、皆でその泥棒の顔を見にきた。やっぱりあの警察の旦那は強いなとか、立派だなって言ってるのが風呂に入ってるときに外から聞こえてきた、とあるんですね、で、結局一晩その泥棒を門柱にそのまま放置して、翌朝処分したって書いてあるんですよ。処分て何でしょうねー。たぶん処刑したとか、そういうことなんだろうけど、いくら昔ったって、そんなでたらめなことあり得ないでしょ?もう完全に蛭子さんの描いてる漫画の世界なんですよ。だいたいそういう人が今まで警察の要職に就いてたっていうのも凄い話で(笑)。
 
その老人に限らず、誰でもありますね、眠っているときと起きているときの区別がつかなくなるようなことが。僕よく寝ぼけるんですけど、そういう夢だか現実だかわかんないような状態にけっこう興味がありますね。パンゲア』の後半に入ってるようなやつは、実際に夢に見たものを題材にしてるのもありますけど、半分寝ながら描いてるようなのもあって、描きながらその先を考えたりするんで、話がどんどん流れていっちゃう。最初頭の中でだいたい考えていたものが、描いてみて出来上がったものをみると、全然違ったものになってる。まるで他人が描いたものみたいで、後で読み返して自分で笑ったりする。
 
普通の商業誌に描かれてるようなやつって、誰が読んでも納得いくような筋の運び方がされてますよね、登場人物のリアクションまで記号化されてて。安心して、少しの不安もなく読めるっていうのが、なんか物足りないんですよ。だから自分でも正体がわかんないけど面白いっていうものを描いてみたいんです。で、今はとりあえず自分で捉えられる限りのものを整理できないまんま紙面に描いてみるっていうことが面白いんですよね、ちょっと子供じみてますけど。パンゲア』に載ってるようなのは、わりと出版社がいい加減で好きにやらせてくれるんで、自分で結構ニヤニヤ楽しみながら、手慰みに描いてるってかんじですね。
 
─自分が漫画を描こうと思ったときに意識した漫画家はいましたか?
 
山野 やっぱり蛭子さんが僕は一番好きでしたね。『Jam』っていう自販機本に載ってた『不確実性の家族』って漫画を初めて読んだときにショックを受けましたね。暴力的に入ってきたというか……何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました。現在描いてるのはちょっと興味ないですけどね。
 
根本さんとも話すんですけど、根本さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって……僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ。でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ。自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは。絶対勝てないですよ。あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ。
 
突出した人間てどっか欠けてるっていうじゃないですか。天才であって同時に気違いなんですね、あの人は。あの初期の作品なんかでの狂気の世界の捉え方はほんと天才的だと思いますよ。同じ周波数の人間でないと電波が通じないんだけど、はまった人間には凄い力で訴えてくるものがある。自覚できずにいた自分の欲望を目の前に突きつけられるような。僕なんかは少しは考えて描いちゃいますからね。蛭子さんに訊いても「いや、オイも計算してますよ」とか言うに決まってますけど、頭の中を切り開いてみたら、あの漫画の通りの世界が広がってるんじゃないかな。
 
─最近、作品の中にヒンドゥー教のことがよく出てきますね。
 
山野 いや、ろくな知識もなしに適当なこと描いてるだけです。去年、ネパールに行ってきたんですけど、ああいうところでぶらーっとしてるのが好きなんですよね。ヒンドゥー教の神様って、なんか一番神様っぽいじゃないですか。大魔神みたいな、野蛮でいったん怒り出すと自制がきかなくなるところとか。
 
向こうじゃ乞食の顔が全然違うんですよ。新宿の乞食とか見てると、何ていうか、死んだ顔してますよね。ネパールの乞食は、まだ生き生きしてますよ。生まれてからその年まで、ずっと乞食やって食ってこられたんだから、先のことも別に心配してない。物乞いしてもらえれば生きてるし、もらえなければ、ただ死んできゃいい。別のところに行ってまたやるだけですからね。カースト制度で、俺は生まれつき乞食だから人生が改善される見込みはまるでないんだから、とインプットされると人間て平和ですよね。カースト制度ってすごくいい制度だと思いますよ。十何億もの人間を、混乱しているとはいえ、とりあえず無政府状態に陥れずに治めてるわけですからね。自分の立場が前世に由来していて変えられないものだってことが骨の髄まで染み渡ってる人間って、平和な顔してるんですよ。
 
物乞いするんでも、何の屈辱も感じない。先天的に物乞いなんだから犬が犬に生まれついたことを嘆かないのとおんなじですよ。日本なんて建前は何にでもなれますよといっておいて、実際は何にもなれないわけで、そういう不幸よりずっといいと思う。
 
向こうで乞食の写真ばっかり撮ってたんですよ。写真撮らせてくれっていうと平気で撮らせてくれるし。足が萎えた乞食とか、その十倍くらい強力なのとか、そんなのばっかり撮ってたら、西洋人の老夫婦が遠巻きに、何てひどいことをするんだって顔して見てるんです。でもまあ乞食にとっちゃあ、気の毒ぶって近づかない西洋人より、小銭をくれる下劣な日本人の方がいいに決まってますよ。
 
あっちの最下層の連中が飢えないで暮らしてるのは、豆を食ってるかららしいんです。何とかビーンズっていう木になる豆が、半野生みたいのでいくらでもあるらしい。でも、その豆にはアルカロイドが入ってて、長期間食い続けると、足が萎えちゃうんですよ。だから、飢えをしのぐためにとりあえず食うんだけど食い続けると、より気の毒な格好になって、さらにおもらいしやすい屈強な乞食になる(笑)。うまくできてるなあと思いますよ。
 
サドゥー(行者)もいっぱいいましたけど、都市にいるのは観光向けのえせサドゥーなんですよ、サドゥーに国家試験なんてないですからね。食い詰めた農家の次男坊や三男坊が皆サドゥーになるんです。サドゥーったって、それらしいネックレスとか服装をして、髪の毛巻いたりしてるだけで、もう精神的なものはまるで乞食(笑)。 
 
いい世界ですわ。石工は石工で、動物を解体する人は一生動物を解体してるだけで、工夫なんてない。だからアーティストってのはいないんですよ、職人はいるけど。絵を描く職人はいるけど、伝統工法を親方から学んでおんなじことを何千年も描いてるだけ。そのかわり皆すごくうまい。曼陀羅を描く工房へ行って小一時間眺めてましたけど、すごくうまいです。あれは技術だけをただ仕込まれた人間の作業なんですね。あんな人がアシスタントに日当二〇ルピーくらいで来てくれるといいですね(笑)。
 
(やまの  はじめ・漫画家)
 
 
●『ねこぢるうどん』 ねこじる原文ママ
幼児の持つ、 プリミティブな残酷性をこれほど直観的に描き出した作品はないだろう。猫の姉弟の(猫ゆえに)基本的に無表情なままの残酷行為は、われわれが子供のころ、親に怒られても叱られても、なぜかやめられなかった、小動物の虐待の記憶をまざまざとよみがえらせる。そして、それを一種痛快な記憶としてよみがえらせている自分に気がついてハッとさせられるのである。
 
生命は地球より重い、とか、動物愛護、とかいうお題目をとなえて自己満足的な行動をおこしている連中に、これが人間の本質だ、とつきつけてやりたくなるような、そんな感じを受ける作品だ。他にも、差別、精神障害者の排除、貧乏人への理由なき侮蔑など、近代人が最もやってはいけないとされていることを平気でやる、イケナイ快感をこの作品は触発してくれる。かなりアブナイ。
 
●『混沌大陸パンゲア』 山野一
ねこぢるうどん』の原作者が絵も描いている作品。貧しかったり、醜かったりすることが人間の本質までをもゆがめていく、だれもが知っている、しかし言葉にしたがらない本質、その上に描き出される残虐性と、運命のどうしようもない救われなさ。人間が、同じ人間の姿で最も見たくないと思っているような下劣な部分をこの作者は容赦なく、描きあばく。
 
描いていて自分もイヤにならないだろうか。どういう精神構造をしているのだろうか。よほど、人間の悪趣味な部分に興味があるのだろう。見るのがイヤだイヤだと思いながらも、しかしページをめくらざるを得ないという、マゾヒスティックな感覚を味わせてくれる一冊である。
 
(からさわ  しゅんいち・漫画評論)
 
ユリイカ』1995年4月増刊号