ガロを思う
もし『ガロ』という漫画雑誌がなかったら私は漫画家としてこの世に出ることはできなかっただろう。だから私はガロを尊敬しているし、ガロの編集者から何か頼まれたら嫌とはいえないし、ガロに足を向けて寝ることもできない。仕事がら数多くの雑誌が毎日何冊も送られて来る。ほとんどの雑誌を読まずに捨てている状態にあるが、ガロだけは絶対に捨てられないと思って、整理はしてないけど毎月その辺にポンと置いている。
しかし、正直な話、最近中味をほとんど読んでいないのである。ただペラペラとページをめくるだけ。時々読者コーナーを見て「蛭子能収さんのマンガが面白い、また見たい」とか書いてないかなーと思うが私の名前を見たことがない。
もう私の名はガロの読者から忘れられてしまったのだろうかと淋しくなってしまう。告知コーナーにも私の名前はない。加えて単行本の宣伝もない。ただ青林堂出版物一覧表の箇所に「蛭子能収」とあり、7冊の単行本が記載されており、一冊を除いてすべて品切れの*印が打たれているだけだった。もう私はガロの人ではなくなってしまったのだろうか、と淋しく本を閉じ布団の中で寝入ってしまった。何かこうガロにも取り残され、一人ぼっちの悲しい運命を辿る浮浪者のような心境である。
だからといって、もし今ガロの手塚(能理子)さんあたりから「マンガを描いて」と注文が来ても全然書きたくないし、いや描く内容もないし、でも断わりきれないしで困ってしまうが、何も描かなくてもガロの人ではいたいと思っている自分が情けない。
ガロの読者コーナーのあとに文通コーナーがあって「戸川純、丸尾末広が好きです。例えばのぞき穴をのぞいている様な殺伐とした刺激を求めていろんな街を歩いています。体を痛めつけて遊ぶ私につき合って下さる方、男女年齢問いません、罪をおかしてみませんか。世田谷区ち乃21歳」とか「丸尾末広、日野日出志、山田花子等が好きです。人間嫌いで非現実なタイプの方、お手紙待ってます。埼玉県トラ太郎26歳」とか、とにかく文通したい人がたくさんいて、自分で堂々と暗い自分を強調して逆に明るくなっている。人間嫌い同士が文通し合うとどんな内容の手紙になるのか見てみたいものだ。
この文通コーナーを見ると、丸尾末広、戸川純、つげ義春、寺山修司、横尾忠則、筋肉少女帯、インド、黒い服、などに人気が集中していた。私の名前はなかった。なんとなく傾向は分かる。分かるけどまた淋しくなった。もう私はガロの人ではなくなっていってるんだと思った。
そういえば最近ガロの忘年会というものに全然出ていない。何年か前までは必ず忘年会でガロの漫画家達と久し振りに会い、だからといって何を話すでもなく、二次会ではいつもお決まりの根本敬さんや平口広美さん、丸尾末広さん、他に若い漫画家も加わって喫茶店でチョコレートパフェなどを食って笑って過ごしていたものだった。そして帰る方向が平口さんと同じで、いつもタクシーに一緒に乗って帰って来ていたのだが、そのタクシーもその頃は全然空きがなくて平口さんと私は新宿の街をウロウロしていた。その平口さんとも、もうここ2年くらい会ってないような気がする。根本さんとかマディ上原さんとかも全然会ってない。ガロの漫画家と全然会ってない。
ひさうちみちおさんとは大阪のテレビの仕事で一緒にレギュラーで出ていたのでずいぶん会った。テレビではいろんな芸能人の人と一緒に仕事をするけど、やはり、ひさうちさんとかみうらじゅんさんとか、同じ漫画家の人と一緒の方がいい。芸能人は服や喋りや動きで自分を目立たそうとするけど、漫画家は内に秘めたものをポツポツと遠慮がちに出していく。ひさうちさんとは10カ月一緒にいて、ひさうちさんのマネージャーが「今度、ひさうちさんと蛭子さんがガロの知り合いの漫画家をお客に迎えてトークする番組をつくりましょうよ」と言った。私は「面白いですね。ぜひやりましょうよ、企画が通ったらいいですけどね」と言ったのだが、果たしてどうなることやら。
それにしてもガロから少しずつ離れて行ってる私がガロの若い漫画家を知らずにトークできるか不安である。それにしてもガロはしぶとい。今は新しい社長がガロの立て直しに一生懸命だが、そういう人が必ずガロには出て来るとこが本当にしぶとい漫画雑誌だと思う。(1996年刊『正直エビス』より転載)