鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?
若者のファッションや音楽において「渋谷系」というジャンルが席巻したように、若者カルチャー界で今、急速にその足場を固めつつあるのが「鬼畜系」だ。死体写真やフリークス写真に軽~いノリの文章*1を添え、ハードなスカトロなどの変態の世界を嬉々として笑い飛ばす。さらにドラッグやレイプ、幼児買春といった犯罪行為の情報も満載。このタブーなき欲望追求カルチャーは一体どこへ向かうのか?
①鬼と畜生
②残酷な行いをするもの。恩義を知らぬもの
「鬼畜」を広辞苑で引くとこんな解説が出ている。
ここ1年で「鬼畜系」なる新たなカルチャー・ジャンルが確立しつつあるが、ここで言う「鬼畜系」とは、広辞苑で言うところの②、すなわち、モラルや法にとらわれず、欲望に忠実になって、徹底的に下品で、残酷なものを楽しんじゃおうというスタンスだ。
まず死体写真ブームから発展した悪趣味本ブームの流れとモンド・カルチャーの脱力感が合流*2。そこに過激な企画モノAVの変態性が吸収され、さらにドラッグ、レイプ、幼児買春などの犯罪情報が合体した──
「鬼畜系」誕生のプロセスをごくごく簡単に言うと、こんな感じだろうか。
インターネットの大ブームにより、過激なアンダーグラウンド情報が容易に入手できるようになったのも、この流れを加速させた要因だろう。
「鬼畜系」の“取扱品目”の中には、大昔から「変態」と呼ばれるジャンルとして存在していたものも少なくない。スカトロやロリコンなどはまさしくそうだし、また、死体写真やフリークス写真だって昔からあった。が、「鬼畜系」という言葉によって、それら“専門店”が集まって、「危ないもの、下品なものの明るく楽しい総合デパート」と化した。
以前ならマニア向けの専門店にひっそりと置かれていたはずの情報が、一般書店で堂々と平積みされるようになったのだ。「鬼畜系」はそれまで日本に蔓延していた、妙に気取った、表面的かつ潔癖症的な“トレンディ文化”に辟易していた人々の支持を得た。モラルも法も超えて、人間の醜悪な欲望をムキ出しにする試みは魅力的で、何より怖いもの見たさの好奇心を満足させてくれる。
しかしここにきて、その一部に「人が嫌悪感を抱きそうなものならなんでもアリ」*3といったノリが生まれ、「嫌悪感を与えること」が目的化してしまったようにすら見える。その結果、露悪趣味のみならず、「レイプ犯の嬉々とした手記」(本物かどうかは別問題)や「幼児買春の“レア情報”」などの、どうもついていけないものも入りはじめた。
こうした情報を発信する側は本当はどこまで鬼畜なのか?
また受け手はどうとらえているのか?
彼らの、道徳も法も飛び越えたところにあるであろう、“独自の倫理観”を探ってみることにした。(SPA!編集部)
「鬼畜系」メディアの人々が語る独自の倫理観
“良識派の一般人”ならイヤ~な気持ちになること必至の情報を嬉々として表現する[鬼畜系]メディアの表現者たち。果たして彼らの倫理観とはいかなるものなのか?
もともと、閉ざされたマニア空間で流通していた鬼畜系メディア。しかし、現在は同人誌的なワクを超えて広く世に出回り、一般的な道徳観念や法的抑止力とは無縁な欲望を吐き出している。SPA!だって表現の自由に与するメディア。別に世の良識派が宮崎勤事件を引き合いに出して糾弾するようなことをする気は毛頭ないけれど、彼ら鬼畜系メディアの表現者たちの倫理観がどんなものなのか、率直に聞いてみたい。
たとえばロリコン・メディア。同好の士がSMに興じようが、スカトロ晩餐会を催そうが勝手だ。が、合意の成立しないイタイケな少女を性のはけ口にするロリコンの世界は、堕ちていくほどに寒々しい鬼畜感に満ちてくる。
「僕が小説の読者に対して言ってるのは、あくまで妄想だけなんだってこと。もし実践してしまったら、後に残るのは多分、空しさだけだろう、と。その意味で僕がやっていることは妄想として止めておくためのツール作り。風通しをよくするための、ね」
ロリコン雑誌、ビデオの編集者で、ロリータ小説家でもある斉田石也氏はこう語る。しかし、ナボコフのような小説世界ならいざ知らず、性欲処理の“ツール”を作るために実際に10歳前後の少女を脱がして被写体にすることを自身でどう感じているのか。生け贄的に商品化するのは必要悪か?
「必要悪というか……難しいところですね。現場では単なる商品として扱っていますよ。でも、商品として扱うのが鬼畜だとしたら、大人のAVだってそうでしょ」
斉田氏には中学3年の子供がいるという。「男の子です。もし、女の子だったら、今の自分はないと思いますよ。やっぱり良心の呵責みたいなものもあるだろうし、女の子を商品として見られなくなるだろうと思いますよ。この業界、よくいるんですよ。女の子が生まれて足を洗っちゃう人がね」
記事が鬼畜的な願望の代償行為になる。
コンビニでも売っているジャンクNEWSマガジン『BUBKA』。モンド・カルチャーが満載されてる中に、“ホンモノ”のレイプ魔のインタビュー記事がサラリと載っていたりする。恍惚とした語り口、具体的な実行データ。ピカレスクでは片付けられない鬼畜臭が漂う。
「言葉やイメージで認識していても、具体的にどういうものかわからないことってありますよね。それを見せようというのが雑誌のコンセプトです。レイプ記事にしても、レイプの実態を加害者の側と被害者の側から見せて、男と女が持っているレイプ願望の認識のズレを浮き上がらせるのが目的」
と、編集長の寺島知裕氏。
寺島氏個人にとっての倫理観のボーダーは、他者を精神的、肉体的に傷つけないことだという。
「レイプがよいものだとは絶対に言ってないし、そもそもレイプに対しての評価自体を下していません。犯罪を助長すると言われると困りますが、要するに事実を伝える報道ですよ。逆に典型的なレイプ犯の実像を出すことで、自分に都合のいいようにしか考えない男のレイプ願望を女性にわかってほしいし、読んで自己防衛に役立ててほしい。男性読者には記事が代償行為、疑似体験として受け入れられる部分もあると思いますよ」
KUKIデジタルの鬼畜系CD-ROM、「餓鬼」レーベルの制作スタッフからも同様の声が聞こえてきた。
「ガス抜きですよ。殴りたいけど殴れない人たちのためのバーチャルリアリティ。鬼畜的なことをやるなと言う気はないけど、鬼畜的な題材を使った作品を見ることで、満足してそれで終わってほしいですね」(チーフプロデューサー・山本雅弘氏)
鬼畜表現の行間を読んでほしい。
多くの鬼畜系メディアの表現者たちは、ブームの以前から個々のジャンルを追い続けてきた。先の斉田氏は十数年も前からその世界の住人だった。
「今のロリコンマニアが全ていわゆる鬼畜と言えるかというとそうじゃない。ごく一部の、タイに幼女買春ツアーに行くような人たちだけですよ、鬼畜なのは。でも今のブームの中で純粋なロリコンマニアまで、そう思われてしまう。仕方ないことですけどね」
と、斉田氏は言う。
鬼畜系という文化的なジャンルが新たにできつつある中で“先住人”たちも自然、そのワクの中にくくられていく。
V&Rプランニング代表、安達かおる氏も『デスファイル』などの死体ビデオを、早くから制作していた先住人の一人だ。
「5~6年前、僕が『ジャンク』という死体物の劇場映画を作った当時は、人間の死を語ることがタブー視されていた時代です。そういう法律じゃない部分で隠されなきゃいけないモノにすごく興味があった。たとえば、ベトナム戦争で死んでいく兵士を、なぜ教育上よくないとか気持ち悪いからと覆い隠さなければならないのか。死を直視して初めて生が浮き上がると思うんですよ。そういう発想でやってきた。だから、本当は僕の作品を見て、目を覆って吐いてほしい。これでオナニーされたらたまんない(笑い)。今の鬼畜ブームは僕なりに意図していた方向とは多少違ってきている気がする」
死に限らず、タブーに隠された人間の本能を描くことが安達氏の“快楽”でありライフワークだ。
「人がどう思うかはあまり問題じゃなくて、あくまで自分が興味のある世界を描いているだけ。でも、仕事を離れれば人が不快と思うことはやりたくないし、恥ずかしいくらいモラリストですよ」
社会が覆い隠すタブーを暴くという意味では、特殊漫画家の根本敬氏も鬼畜ブームのはるか以前からイカれた人たちの顔や動きに視点を置いた作品を作ってきた。
「別に見世物にしている意識はないよ。本当なら自分たちだけで楽しんでいればいいんだろうけど、その楽しさの奥にある良さも悪さも表現したいって欲求が、モノを作っている人間にはあるんだよ」
昔からあった自分の作品が現在の鬼畜ブームの中にカテゴライズされるのはどう思う?
「仮に嫌だと思っても、嫌だと言っちゃいけないんだ。何だかんだ言っても、それでイベントやったり本書いたりしてお金を稼いでるんだから。これが俺の倫理観だな。たまたま鬼畜ってものが、経済原則の中にはまっただけのことだよ」
鬼畜メディアの表現者たちに共通するのは、自分たちが表現したいことを忠実に表現してきたということだ。根本氏は鬼畜メディアの表現者の立場をこう代弁する。
「鬼畜文化圏にある人たちはたまたま鬼畜ってことに折り合いをつけてるだけのこと。何でもそうだけど、問題はその表現の行間を読める人間と読めない人間がいるってことなんだよ」
では、鬼畜メディアの情報を受け取る側は、表現者の行間をどれほど読み取っているのだろうか。
鬼畜系消費者の奇妙な優越感
鬼畜系の商品は実際にはどんな人たちが購入して、どう受け止められているのだろうか? 彼らの生の声を拾った。
まずは、死体ビデオなどを数多く扱っている“鬼畜系ショップ”にどんなお客さんが来るのか、見に行った。驚いたのは5分ほどの間に2組もの若いカップルが来たことだ。図式は同じで、女が死体ビデオなどを手に取りキャーキャーと気味悪がり、男が毅然とした態度で「こういうモノから目を背けてはいけない理由」を説くのだ。
男「オマエだって交通事故に遭ったらこうなるんだぜ。世の中ってこういうもの見せないようにばっかりするけど、間違ってるよな
」女「えー、でもわざわざ見なくてもいいじゃん……」
男「わかってねえな~、これを見た後に焼き肉をガンガン食えてこそ、正しい人間ってるんなんだよ」
女「えー、ヤダ~」
……。この男、鬼畜を気取ってやがる。男の“論理”は鬼畜系文化人の間でさんざん言い尽くされた鬼畜論理の“定番”である。オシャレで表面的なトレンディ文化の対極にある、人間の醜悪な欲望を直視し、世の中が「見ないようにしている」ことの偽善性を笑う。それ自体はSPA!も支持したいるのだ。だが、この男は致命的な過ちを犯している。やっぱり露悪趣味的なるのは「見たい人だけが見ればいい」のだ。わざわざ写真などで見なくても、自らの欲望や偽善性と向き合うことはできるのだから。もっと純粋な好奇心だけでいいハズなのだ。
こうした鬼畜系文化人の論理を浅~く受け売りして鬼畜を気取る「鬼畜バカ」とでも呼ぶべき人が、昨今の鬼畜ブームで増えたのだろうか? SPA!は、手当たり次第に“鬼畜系商品”を持っているという人たちの話を聞いてみた。
時々死体写真やフリークス写真が掲載されている程度で、鬼畜というよりはモンド・カルチャー色の強い『GON』や『BUBKA』の読者は「下らなくて面白いじゃん」「怖いもの見たさで見ちゃう」という以上の言葉を語る人はほとんどいなかった。
だが、実際に死体ビデオを持っていたり、より残酷さを楽しむニュアンスの強い雑誌・書籍購読者の一部に“鬼畜文化バカ”が存在していた。彼らの言葉からは、「自分たちは人間の欲深さや偽善性を見据えた深い人間」との意識がうかがえる。そして鬼畜文化から目を背ける人間を“偽善的モラリスト”として小バカにする空気が充満していた。
SPA!が残酷なものを気持ち悪がれば悪がるほど、彼らの目は爛々と輝き出す。言ってる内容には賛同したいんだけど、その優越感に満ちた視線がSPA!をイヤ~な気持ちにさせてくれた。
トレンディでスカした文化を否定する彼らが、結果的にトレンドになり、なおかつ“鬼畜気取り”のスカした人々になってしまっているというのは、なんとも不思議な現象である。
鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方(青山正明×村崎百郎)
極悪非道な鬼畜情報を提供しながら、なぜか東大の講義にまで招かれる立派な文化人となった2人が、欲望カルチャーの功罪を語る
───ゴミ漁りをテーマに東大の教壇に立った村崎さんに続き、ついに“元ジャンキー”の青山さんまで呼ばれて、お2人とももうすっかり文化人ですね。
青山:なんか間違ってるよね(笑い)。
───何の話をしたんですか?
村崎:極めて特殊な分野の、専門的な話だよ。俺も学生に交じって青山の講義を聴いてたんだけど、妙だったなー。『危ない1号』を教材として机に広げてる学生とかいてさあ(笑い)。
青山:『危ない1号』ってね、最初は「全国のゲス野郎に捧ぐ」みたいな触れこみで創刊したんだけど、2巻目を作る際「鬼畜カルチャー入門」みたいなキャッチをつけたらどうかって、村崎に言われたんだよね。だから、そういう刺激的なフレーズがひとり歩きし出したという感じかなあ。そういう意味では、鬼畜の言い出しっぺは村崎だから。
村崎:俺はさ、もともと感情が壊れてるところがあって、他人なんて勝手に不幸にでもどーにでもなればいいって日頃から思ってたんで、自分のことを鬼畜呼ばわりしてるんだけどさ、そういう意味では青山は全然鬼畜じゃないよ。差別とか変態をも扱いましょうっていう、ものすごい平等主義者だよ。
青山:村崎にとっての鬼畜みたいな意味で僕のポリシーを言うと、「世の中、いろんな面白いコトがあるよ」って、そういう多様性の部分を見せたいだけなんだよね。
───それにしても“鬼畜”な表現や趣味がこんなに注目されちゃうのって、不思議じゃありません?
青山:ドラッグや死体や奇形といったキワい対象に関する興味って、僕は学生の頃からあったわけで、昔からそういう企画はやってたんですよ。だけど一部の物好きを除いて、そんなにはウケなかった。媒体だってエロ本の記事ページ程度だったし。ところがいつの間にか、ドラッグや死体や奇形みたいな話題を受け入れる土壌が時代的に育っていたんですね。10年前に『危ない1号』を出したとしても、これほど売れたとは思えないもの。
学校に「道徳」の授業はあっても「悪徳」はないから
村崎:俺が思うのはね、その原因のひとつには戦後民主教育という一種の洗脳から国民がようやく覚めてきたんじゃないの。つまり、「人は正しく生きるのが正しい」のでなく「やりたいことをやるのが正しい」っていうことに気づいたわけ。それに、学校って世の中のイイことしか教えないでしょ。「道徳」の授業はあっても「悪徳」の授業はないからな。
青山:村崎の言う「正しいことは信用できない」っていうのは、僕の場合「みんながやってること」なんだよね。高校、大学行って企業入って嫁さんもらって子供作って……そういう強迫観念や規範でもって、これまでの日本人は動かされていた。だけどそういう枠に沿って世間体つくろって生きてても、ちっとも楽しくないことに少しずつ気づきはじめ、実際にそれを口に出せるようになってきたわけ。
だけど僕が一方で強調したいのは、鬼畜行為も含めた、いわゆる快楽全般には必ずリスクがつきものだということね。僕の得意分野のクスリ関係でいえばそれは副作用。陽があれば陰があるように、何事にも汚い部分があるんだけど、そっちの側面って通常のメディアであまり取り上げられないんだよ。
村崎:でも俺は自分が正しいコトを言ってるなんて、これっぽっちも思ってないからね。俺のぶつけた悪意の中から、逆に善なるものを連想するのも勝手だし、俺の言い草を鵜呑みにして悪事に走ったって、俺は責任なんて取らねえよっていうか、そもそも他人のことなんか心配しちゃいねえ!っていうのが鬼畜の基本なんだよ。
青山:でもね、僕としては、たとえば奇形の写真を掲載するのって、それは悪意とは違って「世の中イロイロだよ」っていうことの証しなんだよ。可愛い赤ちゃんもいれば、奇形の子供だっていて、そういう事態に直面している親もいる。そういう負の可能性って、ともかく伏せられちゃうからね。
快楽に含まれているリスクを知ってほしい。
───しかし作り手側にはそういうバランス感覚があっても、読者の数が予想以上に増えてしまえば、そこまで行間を読めない人間も、当然出てくるのでは? 無根拠に「こういうヒドい話を面白がるのがカッコイイ」っていうノリだって出てきません?
青山:だけどね、道徳に違反することを続けていれば、ヤケドすることが身をもってわかる。逆に言えば活字読んでそれで満足してたら、本当のリスクも快楽の部分もわかんないですよ。火があって熱いから触れちゃダメって言われて、触れられない人はイイけど、僕なんかはとりあえず触れるタチだから(笑い)。火だるまになって死んだらオシマイだけど、とりあえず先陣を切って触った、その結果報告の集積だから、読者の誰もが安易に真似するとは思えない。
村崎:それはそうだよな。
青山:ただね、これ言ったらミもフタもないんだけど、今流行ってるいわゆる“鬼畜”カルチャーって、僕はもう10年以上つきあってきたので、自分の中では実はもう飽きちゃってるのね。だから読者もボクらの本の話を読んで、面白がって中には実際にヤッちゃうヤツも出てくるかもしれないけど、それだってずっと追いかけていたら、いずれ飽きますよ。さもなくば自分がひどい思いをするとかね。そこまでいって自分も傷を負ったら、次の展開を各自考えてくれればいい。
村崎:まずは『危ない1号』を読んで、世の中はいい連中ばかりじゃないんだ、俺らみたいな腐った人間もいっぱいいるんだっていう人間理解を深めるといいんじゃねえか。
青山:たとえば村崎のゴミ漁りの本読んだら、ちょっとゴミ出すの気をつけなきゃなって思うでしょ。
村崎:俺の知り合いに、あの本読んですぐにシュレッダー買ったヤツがいたぜ(笑い)。
青山:村崎みたいにメディア上で鬼畜な話をしてサービスしてくれるヤツとはまったく違う場所で、法の目をかいくぐって正体もバラさず日夜他人に危害を加えている“実践派”の鬼畜だっているわけ。だから、そういうマジなヤツらが読者ヅラしてどんどん集まってこられると、やっぱりしんどい(笑い)。やったら必ずやり返されますからね。
───今の鬼畜ブームは、露悪趣味的なものとホンモノの極悪人志向が混然一体となってるから、読者がもし即物的な反応を示したら怖いですよね?
青山:たしかにそのへんはこんがらがってるよね。だけどね、強い刺激を求める気持ち、変わったものが見たいという思い自体はもともと誰にでもあるんですよ。ただ今って、活字や映像メディアのみならず、パソコンネットをはじめ情報をダイレクトに入手する手段が急増しちゃったでしょう。昔、僕が現役だった時代だったら、死体ビデオ1本入手するにしても海外まで行ったり相当苦労したのに、今ではそういう専門店が都内にあってカネ払えば誰でも見れる。これはもう情報のエスカレーションの上では仕方のないことですよ。特にウチが率先して扇動しているわけじゃないんだけどなあ。
村崎:いやいや一般大衆の皆さんは、みーんな青山が率先してるものだって思いこんでるって(笑い)。
青山:なんか村崎の口車に乗せられたのかもしれないなあ。でも真面目な話、テレビや週刊誌といった大手メディアにしても鬼畜な話題ってどんどん取り上げはじめているでしょ。その行きつく先は、僕にもわからないですよ。とにかく『危ない1号』が予想以上に売れてしまっている現状には、正直なところ戸惑ってます。でも読者って案外すぐ飽きちゃうからね。
村崎:そうしたら今度は、思いっきり道徳に走りゃいいんだ。新しい状況ができるためには、とことん現状の腐敗を加速させるのもひとつの手だっていうのが、俺のモットーだからな。一度堕ちる所まで堕ちなけりゃ誰も反省しねえよ。
青山:闇の中にドップリ耽溺したら、その反動で絶対にまっとうなことや明るい方向に行きたがる効果ってあると思う。『危ない1号』読んでボランティアに目覚めた人とか(笑い)、いやそういう読者も出てきてほしいってことを想定して作っているんですよ、ホントに。
*1:それまで『夜想』などが死体特集を組むにしても、どこか素人にはわかりにくい学術的、フェチ的、専門的な解説がなされることが多かった(例外として1981年に創刊され、1985年に無事廃刊した白夜書房のスーパー変態マガジン『Billy』が掲載していた死体写真のキャプションはどれも最高にふざけていた。これに不満を感じた死体写真家の釣崎清隆は自身が海外で撮影してきた死体写真の解説を『TOO NEGATIVE』『世紀末倶楽部』などで真面目に行っている)。これに不満を持った『危ない1号』初代編集長の青山正明は同誌で「中学生にも分かるような文章」でドラッグやフリークスなどの記事を掲載する方針を取っていた。ちなみに青山は『世紀末倶楽部』(1996年9月)2号のインタビュー「ゲス、クズ、ダメ人間の現人神・『危ない1号』の編集長 青山正明氏に聞く!」で以下のように答えている。
せっかく面白いテーマを扱ってるのに、ペヨトル工房の本や『スタジオボイス』とか『スイッチ』って、言葉でも記述でもスカシちゃって、気取っちゃって、インテリっぽく書いちゃってるから読んでも面白くない。結局、読者に伝わって来ないから、おもしろそうだなって買った人でも全部は読まない。それじゃ意味がない。カルトムービーにしてもフリークスやゲイを扱った海外小説の紹介にしても、気取って紹介してたら面白さは伝わりにくい。面白い物を面白いよって伝えるためには、わかりやすい言葉で語らないといけないなっていうのは感じてましたね。