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スーパーへんたいマガジンBilly伝説―誌面で流したウンチは200kg! 死体の数は300体! 日本雑誌史上最低最悪の変態雑誌! 毎号こんなどーしようもないクソみたいなド変態内容のため、ついに発禁をくらったBillyのすべてを初公開!

誌面で流したウンチは200kg!

死体の数は300体!

日本雑誌史上サイテーの雑誌!

幻の変態雑誌 Billy伝説

獣姦!ロ●ータ!レ●プ!切腹マニア!スカトロ!死体!奇形児!  毎号こんなどーしようもないクソみたいなド変態内容のため、ついに発禁をくらったBillyのすべてを初公開!

協力:田原大輔  菊池茂夫  加藤明典  S&Mスナイパー編集部  友成純一  下川耿史  白夜書房 (順適当)

(所収:ミリオン出版GON!』1995年10月号)

文・田原大輔

一見普通のグラビア誌。中を開くと、死体、スカトロ、切腹ロリコン、猟奇犯罪、フリークスなどなど、他の雑誌にないブッ飛んだものばかりを集結させた内容。それが日本のB級出版史上に輝く異端中の異端雑誌『ビリー』(㈱白夜書房発行)なのである。

Billy完全解読マニュアル

かつて『ビリー』という雑誌があった。

『ビリー』という雑誌を一言で説明するのはきわめて困難といえよう。いわゆるエロ系雑誌といえば、下半身をムズムズさせる写真や文章で構成されているのが一般である。ところが『ビリー』はこの常識を完全に無視した内容で埋め尽くされていたのだ。

表紙はとくに何の変哲もないモデルの写真。巻頭は、当時人気のあったビ二本モデルのカラーグラビア。と、ここまではよくあるエロ本なのだが、その次からのページがすごい。いきなり写真満載の「切腹特集」や人間の内臓の実物写真、思わず臭ってきそうなスカトロ写真など、いったん勃起しかけたモノも縮み上がってしまいそうなページが次から次へと繰りだされる。

とくに強烈だったのは毎号のように誌面を占拠する死体写真。自殺や事故死、殺人現場などなど、ありとあらゆる人間の死体をこれほど見せ付けた雑誌は、今まで存在しなかった。「死体雑誌」と表現する読者も多い。

だが、『ビリー』は死体やスカトロだけに限定されていない。当時ようやく言葉が知られはじめたロリコンをはじめ、猟奇犯罪、フリークス、スパンキングラバーフェチなどなど、他の雑誌にないブッ飛んだものばかりを集結させた、いわば総合アブノーマル雑誌と言った方がよい。

現在店頭に並んでいるエロ系雑誌のあらゆる要素は、『ビリー』においてほとんど先取りされているのである。まさに『ビリー』こそは、マニアックエロ雑誌の源流とも言っても過言ではない。

 

何でもありの雑誌

見せ物に撤していましたね。気取ったり、媚びたりしないで、実際あるものをそのまま見せ付けた雑誌でした

『ビリー』で記事を書いていた下川耿史氏は、その魅力をこう語る。死体をアートに見せようとか、スカトロに文化史的な意味を見いだそう、なんていうことをこれっぽっちも考えなかった点がすばらしい。

また『ビリー』は「エロ雑誌にしてエロ雑誌にあらず」というモノでもあった。元編集長の中沢慎一氏が言うには、「マスがかけないエロ雑誌を作ろうとしたんです。変態さんを満足させるというより、スゴイもの、インパクトのあるものを楽しんじゃおうという感じでしたね。その意味じゃ、変態さんたちに優しさを持たない雑誌だったかな

スゴければなんでもあり、面白ければそれでいい、と言うのが基本姿勢なのであって、死体やフリークスに特別の思い入れがあったわけではない。インパクトの強いものとして取り上げたものが、死体であり、切腹であり、獣姦やウンコであったに過ぎないのだ。

 

『ビリー』の変遷──『スーパーヘんたいマガジン』に至るまで

★創刊~《『ビリー』草創期》

『ビリー』の創刊は81年6月。誌名はビリー・ジョエルの3人のインバクトある生き方に共感して、「新しいインタビュー雑誌を作ろうとした」(元『ビリー』編集長、中沢慎一氏)という。判型はB5。内容は、ほとんどが著名人や話題の人物へのインタビュー・記事であった。

 ところがこの初代『ビリー』、思うように部数が伸びず、わずか3号で休刊となった。

 

★81年12月~《再生『ビリー』を模索》

『ビリー』が誌面を刷新して、再び書店に並んだのが81年12月号。判型もA4判と大きくなり、新たに「感じる男の感じる雑誌」というサブタイトルも付く。誌面は当時全盛を極めていたビ二本をはじめ、風俗、ピーピング、SM等、一般エロ雑誌の体裁を整えている。

しかし、内容が充実していたにもかかわらず、これまた売れ行き不振に。

 

★82年3月~《「スーパーへんたいマガジン」の誕生》

またもや休刊かと思われた『ビリー』だが、82年2月号で「排泄系ビニ本特集」や、同年3月号でウンコ特集を組むなど、他誌には無い変態色が次第に現われ、それとともに読者も増え出した。そしてその3月号で、サブタイトルが「スーパー変態マガジン」(のちに変態がひらがなに)に変更される。

さらに同年5月号に初めて死体写真を掲載。ここに伝説に残り神話とうたいわれる、超破天荒変態雑誌『ビリー』が誕生する。この後『ビリー』はこの路線で独走することになる。

 

★84年11月《都条令によりやむなく休刊》

無敵の進軍を続けていた『ビリー』だが、84年11月、東京都の条令によって休刊に。

元編集長の中沢氏いわく、「たしかに死体やウンコを見て健全に育つわけはないんですよね。まあ、お説ごもっともというところでしょう

 

★84年12月~《『ビリーボーイ』としての再スタート》

しかし、そのまま負けてしまう『ビリー』ではない。翌12月には『ビリーボーイ』と誌名を変えて再スタート。内容はまったく変更なし

 

★85年8月《終刊 神々の黄昏》

やはり都条令によって休刊を余儀なくされる。『ビリー』の歴史はここに幕を閉じる。

 

★後日談《『クラッシュ』へ引き継ぐ》

『ビリー』の内容の一部は、その後創刊された『クラッシュ』へと受け継がれた。

『ビリー』に思い入れのある編集者は多く、最近では『トゥ・ネガティブ』(吐夢書房)等一部カルトマニア誌にわずかにその幻影をみることができる。

 

Billyのヌードグラビアは意外な大物が―知らなくても生きていけるBillyコラム

『ビリー』はすべてグロ、と思ってら大間違い。巻頭のカラーグラビアの質の高さに驚く。まず当時はビ二本の全盛期。三浦みつ子や渡瀬ミク、沖田真子、青木琴美、大道かつ美に橋本杏子と、ビニ本裏本で人気絶美のギャルたちは、『ビリー』のグラビアの常連だった。次はAV女優。「隣のお姉さん」で一世を風靡した八神康子をはじめ、ビデオクイ~ンの早見瞳、元にっかつ女優で現在新宿ソープ「ヤングレディ」在籍の滝優子といった、有名ビデオギャルも次々に誌面に。また、妊婦SMモデル藤尚美や、刺青ストリッパーのスージー明日香など、マニア向けモデルも登場している。

さらになんと、ロリータアイドルの少女Mや可愛かずみまでもが、『ビリー』のグラビアを飾っている。変態雑誌の常識と質をはるかに越えた内容なのだ。

 

歴代Billy際作見出しBEST3

野を行く変態 雨にむせぶ(84年3月号)

“アウトドア変態”特集の際のタイトル。風光明媚な日本の野山でしめやかに降りそそぐ雨に濡れる変態。変態と蛇び・さびの世界のミスマッチが抒情をそそる。

カンチョー人生20年 オレは浣腸オジサンだ! (84年11月号)

20年のキャリアを前面に押し出しつつも「『浣腸オジサン』という、豪速球のようなネーミングがGOOD。シンプル・イズ・ベストにしてパワフルさも感じられる。

センズリ道を極めた小学校教師 パンクする先生! (83年5月号)

あえてセンズリという表現を使うリアリズム。しかもその道を極めた小学校の先生で、しかもパンクというメチャクチャぶりはまさに『ビリー』の真骨頂。

 

歴代Billy傑作企画BEST3

犯罪専科」(82年8月号)

「ビリー」イコール死体というイメージを確立した企画のひとつ。犯罪というよりも人間の死にスポットを当てた連載で、殺人に自殺、事故死などなど、ありとあらゆる人間の「死にざま」を、生々しい写真と文章で構成。

獣姦ここ掘れワンワン」(83年8月号)

獣姦も「ビリー」の定番ネタのヒトツだが、その中でも生々しさでタンドツの企画。32歳の獣姦マニアが登場し、自らの獣姦人生を赤裸々に語る。キャリアが積んだベテランの話しは、リアルでしかも奥深い。

切腹切り刻む擬態の快感!」(85年1月号)

切腹特集も人気があったが、内容の濃さだったら数あるなかからこの企画。切腹研究のオーソリティが、日本の切腹の歴史から、正しい切腹の作法、さらには切腹のエロティシズムまでを徹底解剖する。

 

狂ったBilly謎の変遷史

1981年6月に創刊された『Billy』はエロ本というより、中途半端な総合男性誌という、もっとも失敗しやすい典型的な内容。ちなみにロゴは白夜が産んだ大スター編集長末井昭の制作。売れない半端なBillyが半ばどーでもいいやとばかりスカトロ物を入れたのか1982年2月号。どーやらこの号の売れ行きは良かったらしく、以降、日本雑誌史上最低最悪の変態雑誌として大売れに売れ、売れ過ぎ目立ち過ぎで当局より発禁処分を受け自爆してしまう。

 

Billy不完全ディスコグラフィ

ロリコン雑誌の『ヘイ!バディー』と並んで80年代の白夜書房を代表する過激雑誌『ビリー』。死体、奇形、同性愛、スカトロ、獣姦、そしてありとあらゆる変態を取り上げた伝説の雑誌だが、創刊時はインタビュー中心の極めて真面目なカルチャー誌だった。

巻頭と巻末のヌードグラビアは篠塚ひろ美と小川恵子。一色ページは16歳の三原順子のインタビューから幕を開ける。誌名にひっかけた「ビリー派宣言」では、川本三郎ビリー・ザ・キッドについて、桑田佳祐ビリー・ホリデイについて、今井智子ビリー・ジョエルについて語る。

しかし、白夜書房の返本率記録を作るほど売れなかったらしく路線変更を余儀なくされる。1982年3月号からは「スーパー変態マガジン」を標榜し過激な誌面を展開。熱い支持を受けるも、1年に4回も不健全図書に指定されてしまい、1984年12月号より『ビリーボーイ』として再出発。若干のパワーダウンはあったものの、やはり不健全図書に指定され、わずか9号で休刊となった。

安田理央著『日本エロ本全史』掲載内容の抄録より)

1981年

6月号(創刊号)

とにかく記録的に売れなかった創刊当初。毎号のように内容一新される。今じゃ完全にB級アイドル?の三原順子も81年当時はかなりのスター。それが創刊号の表紙だった!



 

1982年

1月号

まだまだ誌面は大人しいものの三島由紀夫のそっくりさんSMショーなど当時のエロ本としては過激で奇抜な内容が目立つ。なお緊縛写真やパンチラ写真も掲載されているが、全盛期のBillyには到底及ばない。また本号から山崎春美のスーパー変態インタビューが連載開始(第1回はスターリン遠藤ミチロウ)。






オシッコ放尿記事が狂気の序曲だった2月号

明確に変態路線に舵を切り表紙には「誌面刷新」と銘打たれた。なお冒頭の一色ページでは『スカトピア』発行人の明石賢生ロングインタビュー(聞き手/山崎春美)が掲載されており、群雄社のスカトロ路線が白夜書房のBillyに与えた影響が何となく分かる。ちなみに本号で特集された「人間便器」こと中野泥児(排泄系ビニ本の男性モデル。のちに中野D児に改名)は当時群雄社の社員で、のちにBillyの下請けプロダクション「VIC出版」に移籍し、同誌の名物編集者として名を馳せる。


こーゆー、差別的なブラック企画(中卒マガジン)*1も2月号から多くなってきた。いよいよ来た!

そして3月号からBillyは完全に狂った! 

キャッチコピー「スーパー変態マガジン」の初出号。“変態雑誌”としての意気ごみが表紙からも感じとれる。Billyが狂気に走った歴史的一冊。蛭子能収の変態インタビュー(聞き手/山崎春美)も掲載。

4月号

表紙が何か思わせぶりの表情出していて、いかにもフツーのエロ本とは一線を画していると当時の意気込みが感じとれる。特集はオシッコ! 3000ℓは出てる。

11月号

表紙は当時のロマンポルノスター北原ちあき。“中絶は気持ち良かった”なんて危ない企画や、“さらばわが性春のオ××”なんてふざけたタイトルも目立つ。

12月号

すっかり変態マガジンして貫禄の出てきたこの頃。何といっても売りは獣姦物 “ヒーン馬だって本番なのだ!”なんてサイテーの見出しが堂々表紙に。

 

1983年

1月号

ロリータマニアには嬉しい少女Mが巻頭。しかし、そんな夢をぶち壊す特集“ウンチのお風呂でまっ黄色”思いついた本能を伊良部級の速球で投げつけている。





2月号

いったいどこまで狂ってしまうのかと少なからず周囲を心配させたこの号。新年の特集は“'83年ウンチでオメデトウ!” マジメに生きるのがアホらしい名言。

3月号

巻頭ヌードは当時話題だった北原香織の妊婦ヌード。しかしやっぱり欠かせないのがウンコ。特集は“下痢便バックでやせる!?” わきゃないだろ!!!

4月号

この号で特筆すべきは“こうして僕らは生まれた!!”なんていう出産企画。敬虔なる出産もBillyなりに変態処理。タイのロリータ売春もサイテー企画でいい。

5月号

傑作見出しでも見事BEST3に選ばれた。“センズリ教師”の企画はやはりキラリと光り。内臓はエロスのかたまり、なんて大ウソハッタリの切腹特集がすてきだ。

7月号

完全に狂った特集の“畜生を愛でる夫婦だ!”の獣姦物も凄いが、“死体に胸キュンキュン”なんて死体写真に見出しつけるマヌケぶりはサイテーに立派!

8月号

個人的にはこの企画が歴代最も好きです。“犬、ニワトリ、牛なんでもごされ、ここ掘れワンワン!” おそらく雑誌史上これ程知性を感じさせない企画はない!

9月号

巻頭は当時のオナドル青木彩美。しかし彼女が可哀相になる位内容は超サイテー。インタビュー特集は“生きている変態 オレはアナル男だ!” 琴美が切ない……

10月号

地味な企画(フツーじや超変態)だけど、この号の奇形動物写真はけっこーきてる。双頭の羊とか動物フリークスの大集合!なぜか所ジョージのインタビューが!!

11月号

この頃のBillyは完全にどのページでもヌケなくなった。特にこの号の死体特集“棺桶は僕らのオモチャ箱”はGON!の1億7千倍グロくてサイテー!!

12月号

多分この頃の編集部は見出しを付けるのが最大の喜びじゃなかったのかな。“痛がりません立つまでは” “オレは粗大ゴミじゃ!”なんてノー天気の見出しが続く。

 

1984

1月号

ここまで変態内容にしたズーズーしさが、けっこー有名人インタビューに出ている。高田文夫が今回は登場。きっと消したい過去でしょう。

2月号

“金髪美少女をイジメちゃえ”なんて相変わらず150kmの豪速球タイトルできている。しかしこの2月号表紙が妙にシックなイメージ。せめて表紙だけはと思ったのか。

3月号

おそらくBilly史上でもベストに入る企画だと思う“風船デブ・百貫デブ!” 空気浣腸の企画なのだが、このそう思ったから付けたタイトルが男らしい。

4月号

今や大先生になってしまった山田詠美がインタビューで登場 “日本人のチ○ポはおしんこの味”なんて語っている。“ひとつ目小僧は本当にいた!!!”が傑作!

5月号

とどまるところを知らない変態路線の頂点の頃。“家族そろって糞合戦” “近親相姦までも気持ちイイ!” いったい当局は何をやっていたんだ!

6月号

衝撃写真はフィリピンの犬料理! イグアナごときは手ぬるいって!? 殺られないためのこれが10カ条だ!なんて今なら大ウケの企画も当時すでに押さえている。

7月号

久々表紙にウンコがこんもり!“ウンコは最高” こーまで言いきられてしまってはハイそうですかとうなずくしかなくなってしまう。強いBillyだ。

8月号

隠れた(でもないか)好企画として腹切り物がけっこうあったが、この号の腹切り写真はきている。なぜかジャッキ一佐藤がインタビューに。不思議だ!

9月号

重大な記事が出ている。“ウンコマニアに夜明けはくるか” これは群雄新社のスカトロ専門誌『スカトピア』の廃刊を憂いての緊急企画らしい。バカ過ぎて敬服する。

10月号

やはり、この号最大の企画は“84年変態オリンピック” 自縛マニア、オシメマニアが一堂に揃い、凄絶な死闘を展開したどーしようもない企画。

11月号

ある意味では最高の一冊だ。“オレは完腸オジサン!” 俺の人生はションベンだらけ、とウンチとオシッコマニアの2大巨頭が登場している。

12月号

この号より『Billyボーイ』とボーイがつく。遅ればせながら前号で当局よりおしかりを受け一応改題させられたらしい。内容はまったく反省の色がみえない。

 

1985年

1月号

まったく反省の色もなく再び変態路線まっしぐらのボーイが腕白ぶりを発揮。“異物挿入格闘技戦”と女の身体をオモチャにする最低の企画が力強い。




2月号

表紙は伝説の裏本スタ一、渡瀬ミク。考えてみれば初めて雑誌の格と表紙のモデルがピタリー致した記念すべき号。しかし表紙はフツーのセンスしてるのにな~。

3月号

GON!は気が弱いので本当に小っちゃくしか載せない死体解剖ビデオを、堂々と表紙にデカく入れるこの男らしさ。兄貴と勝手に呼ばせてもらいます。

4月号

表紙は松本伊代じゃないよ、念のため。さすがに改題してちっとは大人になったのかひと頃のパワーに翳りがみえてきた。大判のSM誌と化してくる。

5月号

春になってこれじゃいかんと反省したのか、この号から再び“切腹”がドーンと表紙に登場。“花嫁さんと3P!”なんて下らない見出しで悪趣味が復活。





6月号

当時『週刊宝石』が大ヒットさせた“あなたのオッパイ見せて下さい”やっぱりBillyはやります “あなたのオシッコ見せて下さい”とサイテーのパクリ!

7月号

BilIyの楽しみな企画として殺人物があった。警察と軍隊のために殺人教則本なんていまなら単行本でベストセラーになる企画も入っている。

8月号(最終号)

何とあの三田誠広氏が登場している。良き時代だったとゆのか、太っ腹だったとゆーのか。“刺育”の特集はBillyとしては意外にも初めてだった。

なお終刊号には青山正明が企画した伝説の罰当たり企画(四ッ谷の於岩神社でヌード撮影)も掲載されている(後日、何も知らされていなかったモデルの子以外の全員に呪いが降りかかった話は東京公司のムック本『鬼畜ナイト』に詳しい)。

 

ウーン、大変参考になりました来月からGON!もウンコの企画もタレ流します!

 

1冊2千円前後のプレミア価格が!

現在、『ビリー』は超々レアアイテムになっており、古本屋で手に入れることは非常に難しい。『ビリー』は極めてマニアック&カルトな雑誌であるため、現在所持しているのは熱心な愛読者に限られる。したがって、そう簡単に手抜そうとはしない。今回、この企画のために、神保町をはじめとする古本街や、遠くは八王子や多摩、厚本の方まで探し回ったが、成果は完璧なまでにゼロ。たまたま立ち寄った京王線笹塚駅近くの古本屋に数冊が1000円から1500円程度で入手できたに過ぎない。おそらく、現在『ビリー』の古本相場は、1500円程度と思われる。むしろ値段よりも、モノを探し出すことの方がはるかに難しいのである。もし、古本屋で3000円以下で売られているビリーを見かけることがあったなら、迷わず買うことをお薦めする。

 

*1:中沢慎一インタビュー「社会に受け入れられない部分を本にするのがエロ本屋」

中沢「今、出版社は世間に気を配りながら雑誌を作らなければならない。『ビリー』の頃なんかはさ、〈中卒マガジン〉っていうコーナーやってたんだよ。中学しか出てない人を差別するというひどい企画。差別というのはいけないことなんだけど、でもいけないことだからこそ、そこには面白い何かがあった

東良「うん、タブーだからこそ意味があった。差別というものは厳然とあるわけで、でも世の中では一応『無いもの』とされてる。なので敢えて差別をしてみれば、色んな欺瞞が現れる。差別する側の傲慢さとか、人が人を差別するバカバカしさとか無意味さとか

中沢「だいたいエロ本自体が世に疎まれているような存在だったわけでさ、昔、銀行はエロ本出版社なんかに絶対金貸さなかったんだよ。そういう存在だから、エロ本に書いてあることなんて誰もちゃんと読まないだろう、本気にはしないだろうと。だから好き勝手書けたんだよ