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コアマガジン代表取締役社長・中沢慎一インタビュー 「おれは編集の才能はないけど才能のある人物を見抜くのが得意なの」

コアマガジン代表取締役社長

スーパー変態マガジン『Billy』編集発行人

中沢慎一インタビュー

「おれは編集の才能はないけど才能のある人物を見抜くのが得意なの」

インタビュアー:沢木毅彦

(出典:ワニマガジン社『エロ本のほん』1997年12月/絶版)

出版界のサクセスストーリーを築いた白夜書房。その立て役者でもあり、スター編集者といえば末井昭氏(白夜書房編集局長)だが、末井氏の『写真時代』とともに、当時コアな読者層をつかんだ伝説の雑誌がある。スーパー変態マガジンと銘打たれた『Billy』だ。当時の編集発行人、そして現『ビデオ・ザ・ワールド』がある。当時の編集発行人・中沢慎一氏にインタビューした。

歴史に残る伝説の変態雑誌『Billy』

編集志望で編集になったわけじゃないもん

──まずは業界入りのきっかけを教えてください。

「大学4年の時に住んでいたアパートの二階にバンドマンが住んでいたの。その男の彼女というのが、団鬼六さんがやっていた鬼プロの編集者と知合いでさ、『SMキング』という雑誌なんかでモデルをやってたんだよ。そんな顔見知りがきっかけでさ、おれも鬼プロに出入りするようになった。そこで編集者をやっていた杉浦則夫(現カメラマン)さんが独立して、フリーになったの。おれはカメラに興味がなかったんだけど、助手を頼まれてさ、杉浦さんのアシスタントを始めた。仕事を取ってきたのが山崎紀雄(現バウハウス社長)さん。この3人でやってたんだよね」

 

──モデルの調達も中沢さんがやってたんでしょ。

「うん、その頃モデルクラブが少なかったから、女の子を連れてくれば雑誌の仕事もすぐ決まるわけよ。それでおれは卒業して、モデルクラブを始めたの」

 

──就職活動は全然しなかったんですか。

「一切しなかった。モデルの斡旋をちょっとし始めた時、これは美味しい世界だな、食えるかなって思ったから就職する気なんてなかったよ。さしあたって、事務所を始める費用がなかったんで、山崎さんといまのウチの社長(森下信太郎氏)にカネを出してもらって、すぐ始めた。新宿で2LDK借りて、住居兼個人事務所にしたのよ」

 

──で、モデルはどうやって集めていたんですか?

「『ヤングレディ』とかの女性誌で広告を出した。募集見てきた女の子を口説いてね。どこまでOKだとか色々ね。月に2、3人入りゃいいとこだったね。ギャラが1万から2万ぐらい。20何年前の話だからね。モデルクラブ自体がほとんどなかったし、出版社の数も少なかった」

 

──儲りました?

「サラリーマンよりも儲ったと思うよ。でもねぇ、その頃モデルはみんなシンナーやっててさ、仕事のすっぽかしが多くてさ、朝ちゃんと集合場所に行くかどうかとか、気苦労はあったよ。仕事なんていう意識ないんだもん。今のモデルはみんな勤勉でしよ。全然違うよね。モデルなんてロクなもんじゃなかったよ」

 

──モデルクラブ経営は何年続けたんですか?

「2年。やっぱり警察がさ、職安法の関係とかで、挙げようとしてさ、色々調べが入ったのよ。でも、おれんとこはモデルがいい証言をしてくれたの。2割しかピンハネしてなかったからね、おれ。おかげで警察の手入れは受けずに済んだんだよ。

そんなこんなで疲れて辞めて、森下社長(当時はセルフ出版)に誘われて、おれはグリーン企画に入ったの。25歳の時だよね。グリーンの社長さんが山崎さんで、おれがいて、あとMっていう自殺したカメラマン。社員は3人だった」

 

──3人で全部のビニ本作ってたんですか。

「そう。末井さんがセルフで書店売りのエロ本作って、我々はグリーンでビニ本。こっちのビニ本写真をセルフのエロ本にあげて、まあ両方を上手に動かしてたんだよ」

 

──当時のセルフの雑誌のグラビアは限りなくビニ本チックでしもんねえ。

「記事ページは末井さんが担当して、写真は我々が作ってたんだよね。おれは楽だったよ、仕事。あの頃は月4冊ビニ本作ればよかった。1冊につき撮影が1日、レイアウトを社内でやって、2日か3日間。ほとんど毎日遊んでたよ。モデルもプロダクションから調達してたから、探さなくても済んでたしさ。おれの仕事って朝11時に集合場所の新宿の喫茶店に行って、『高野』か『三愛』行ってパンツ探すくらいだよ」

 

──(笑)スケスケ具合いが命、と。

「どこまでスケされるかが勝負だったからさ。いかに女の子(レジの店員)の前で堂々とスケるパンツを買えるか、だよ(笑)」

 

──おれはこういうエロ本をやろう、なんて前向きなこだわりなどはありました?

「全然。編集希望で編集者になったわけじゃないもん、おれ。モデルをたくさん知ってるっていうだけで入ったようなところがあるしさ。それにビニ本なんて編集能力なんていらないもん」

 

──いかにスケパンを堂々と買えるか(笑)

「そうだよ。その後、股間ティッシュを乗せて濡らしてみたりさ。一応、頭は使っていたよ(笑)。その時代が2年ぐらいあって、やっぱり警察の摘発とかあったりでビニ本をやめて、おれはセルフ出版に入ったの。山崎さんは独立して、やがて英知出版を作ったんだよね」

 

編集技術なんて何も知らなかった

中沢さんは、セルフ出版で写真担当となる。社員カメラマン神尾潤氏(現フリー)と組んで、同社のエロ本のヌードグラビア撮影、制作する日々を送る。

その後『コミックセルフ』の編集者になり、『漫画タッチ』が創刊される際、声がかかり「そのかわり編集長をやらせてくれよ」ということで、中沢編集長が誕生。漫画家の石井隆を口説いて引っ張ってきた。写真を撮りたい、という石井隆にヌードモデルを紹介してページを設けた。連載はのちに写真集『名美を探して』として一冊になる。

「『名美を~』は大して利益は出なかったよ。あの頃、はっきり言ってセルフは儲ってなかったんだよ。『ウークエンドスーパー』はダメ、『ズームアップ』はダメ。『映画少年』もダメ。『漫画タッチ』も石井隆の名前が載っててもトントンぐらいでさ。

おれも編集長になったけど、編集技術なんて知らなかったもんな。上司という人がいなかったからさ。漫画のフキダシ(台詞)なんて級数指定しなくたって写植打ってくるからさ。まあ、それを5年か6年やったわけ」

 

──そして、伝説のスーパー変態マガジン『Billy』を手がけるわけですね。

「最初の『Billy』はね、ただのインタビュー雑誌だったの。おれの下にいた高橋君っていうやつがね、大学卒業して入って、そういう雑誌をやりたい、って訴えたの。よし、作れってほとんど彼任せ。映画俳優とか登場してさ。具体的に誰が出たかっていうのは憶えてないなあ。高橋君のやりたいように作らせてたし。で、6号か7号やって、返品7割か8割になって潰れたんだ。高橋君は責任感じて辞めたんだけど、今は講談社で『フライデー』の次長やってるからね、まあ辞めてよかったよね。でね、彼がいなくなったからおれが一人になって、『Billy』をどうしようかっていうことなった。その頃ね、変態写真があったの。結果的に下請けとして組むことになるVIC出版に。中野D児(現AV監督)とかいてさ、オシッコ物とか変態物のビニ本の写真があったのよ。ただ裸の写真載せても売れないだろうっ、てんで変態雑誌にチェンジしたの

変態のインタビューはおれがやったし、ライターは福ちゃん(永山薫)とか参加するようになったよね」

 

基本的に2人で1誌作るっていう個人誌でしたね

スーパー変態マガジンになってから、返品は2割になった。出版社は増え、エロ本黄金期を迎える。『Billy』の編集長をやりつつ、いわゆる「中沢班」を統括し、高寿常務(現カメラマン)編集長によるロリコン雑誌『ヘイ・バディ!』も担当した。

「この2誌と末井さんの『写真時代』が当たって、会社が持ち直したんだよね。基本的にエロ本は2人で1誌を作るという時代でさ、要するに個人誌ですよ。編集長の嗜好が出りゃ、それでいいわけ。組織の上の人間が編集者にああ作れ、こう作れって口出ししても、それで売れる本ができるってことはないわけでさ。一番怖いのは、それで編集者の才能を潰しちゃうっていうことなんだよね。ウチの会社は編集長が何作ってもいいの。だれも口出ししないし、台割のチェックもやんない。おれも今でもしないよ。好きに作れって。編集会議を開いたことも1回もない。おれはできあがった本を見るだけ。それで何も言わないもン

 

『Billy』が都条例に引っかかり、『Billy-Boy』と改めるが、それも同じく条例を食らうかっこうで撤退。版型をA4版にして、SM雑誌を作る気はない中沢さんは、編集長として『ビデオ・ザ・ワールド』を創刊。併行して、東良美季(現ライター・AV監督)編集長の『ボディ・プレス』など、今でも“プレミア物の伝説”となっているエロ本をプロデュースし、コアマガジン社長となった今でも変わらず、「やる気のある奴を編集長にして好きな本を作らせる」

 

「『~ワールド』はね、山崎さんが宇宙企画始めたり、周りのビニ本屋さんがみんなビデオ会社に転身したから、じゃあこれからはAVだろうってことでビデオ誌やることに決めたの。単純なんだよ」

 

―『ビデオ・ザ・ワールド』ってタイトルは?

「世界のビデオを紹介したかったから。世界に目を向けようト。それだけ(笑)」

 

──振り返ってみると、今までの道のりはどのようなものでした?

ウン、楽しかったよ。苦労してないからね

 

──素晴らしいですね。軽いですね(笑)

本作りで悩んだことがないっていうのがいいんじゃないの

 

──ツッコミようがないですよ。

ハハハ(笑)。何も考えてないもの。考えて作った本だって売れてないじゃん。おれなんて、成り行きでここまで来てるしね。編集者になりたくてなったわけじゃないしさ。編集者としての才能はないの。で、おれはね、才能ある人物を見抜くのが得意なの

 

──なるほど。中沢さんの下で本を作っていた東良美季、ハニー白熊(現ライター)、ラッシャーみよし(現編集プロダクション、ラッシュ社長)、青山正明(現データハウス)、永山薫ら。そうそうたる顔ぶれの才能を見抜いていたってことですもんね。

彼らに才能があったってことだよ。ちょっと話をしたら、そいつに才能があるかどうかっていうのは判るの。こういう本を作りたいって思いが伝わってくるもん。そういう奴らが雑誌を作ればいいんだよ。

要は情熱なんですよ。情熱持ってウチに来る奴には本を作らそうって思うじゃん。企画出したら通るからウチは。売れなきゃやめりゃいいんだしさ。おれは、このぐらいの予算で作れ、って言うだけだよ。

そういう意味ではさ、ウチの出版社は才能ある奴が来たら絶対伸びるよ、潰さないから今は人も増えて白夜書房コアマガジンに分かれたけど、派閥がないの、ウチは。トップの人間が仲いいわけ。内部で足の引っ張り合いは絶対しないから。楽でいいと思うよ。その代わり、才能ない奴はしんどいよね。上の人間は何も言わないわけだしさ。口出しも、アドバイスも。森下社長は営業畑出身だから(編集には何も)言わないってこともあるんだけどね

 

うさんくさい人物が好きなの

──エロ本も含めて雑誌界が低迷してるじゃないですか。どう思います?

「まだ可能性あると思うよね。若手で有能な編集者がいて、若手で有能なライター、カメラマンを見出して本を作ればさ。若い奴が作んなきゃダメよ」

 

──エロ本で言いますと、僕もライターとして企画に係わったりしますけど、ここ最近は「そこまで過激にやるとコンビニに置けない」という、ひとつのボーダーで彼ら編集者、まあ営業のセクションも含めて切り返してきますよね。

「コンビニに置かれなくたって、書店で必ず買ってくれる本を作ればいいじゃん。エロ本なんて2人か3人で作れるんだからさ。今はホント、才能の勝負だと思うよ。部数が3万でも4万でも、要は書店まで行っても買いたいと思わせる本を作りゃいいんだよ。万人にウケようとする本となると、逆に難しいでしょ」

 

──これは読者にウケないから、ってふたこと目には言う編集者がよくいるけど、ある意味、逃げですよ。何も考えていないんですよ。自分がただの読者だった頃を振り返ると、こっちに迎合されたらもう物足りなかったでしょ。「背伸び」したいんですよ。7歳の女の子は『セブンティーン』は「幼稚だから」読まない。『non・no』に行っちゃうでしょ。

読者参加の本を作る気は全然ないよね。『ビデオ・ザ・ワールド』も一切読者のお便りは気にしてないからね。ひとつ言えるのはね。おれはまだよそが作っていない本を作ろう、っていう気持ちは常にあったね。たとえば、今も、前科者ばかり扱った本ってないから、おもしろいだろうなあ、でも前科者を毎月探すのは大変だしなぁとか、そんなことばかり考えたりしてるよ」

 

──編集の仕事して、おもしろいなあと思うのはどういうところですか。

「基本的に編集者って人に会うのが仕事だからさ、いろんな人に会うのがおもしろい。『Billy』作ってた時は、毎月いろんなフェチの変態に会って、その人の人生を聞くのがおもしろかったしさ。『ビデオ・ザ・ワールド』作っていちばんおもしろかったのは、村西とおるに会ったことだよね。話がおもしろいもん。基本的におれ、語弊があるけど“うさんくさい人物”が好きなの。佐藤太一(ビデオ安売王etc)とかさ。今の時代にこういう人がいるの? っていう。最近あんまりいないでしょ、うさんくさい人物とか、詐欺師っぽい人物とか。でも才能もこだわりもある若手の編集者って減ってきてるよね、最近

 

──ライターも若い書き手が出てこないですね、エロ本は。「家賃を払ったから今月は酒を我慢」とか夢のないことばっかり書いてるからかな。

「そうそう、そうだよ(笑)」

 

──『別冊宝島』とかのエロ本ネタもこの本も、ライターの顔ぶれは、おなじみの人ばかりやなあト。

「そうなんだよな」

 

──話を戻して、私とエロ本、というタイトルで作文を書け、と言われたらどんなもんでしょう?

「代々木(忠=AV監督)さんが、女の股で食ってきた、って言ったけどさ、おれだってそうだもん。女性らには感謝してますよ。まずこれだよ。自分の人生、威張れるなんて思ったことないしさ。ビニ本とエロ本しか作ってないんだから。でも、まじめにはやってたんだけどね。これからも、エロ本を作っていくつもりだよ。うさんくさいもの、っていいじゃん。おれ、立派なものっていうのがとにかくダメだしさ。まあ、流れに身を任せてきたし、これからもそうだよ

 

──流れに身をゆだねていればキミも社長になれる!ですね。あ、話が飛び過ぎてスミマセン。

「(笑)あとはね、やっぱり、持って生まれた運ってあると思う。オレはツイてるなって思うよ。時代にマッチしたっていう部分もあるからね。これからはエロの才能ある人はコンピュータソフト業界に行くでしょ? そこでおもしろいエッチなゲームを作れば売れるんだしさ。おれの時代はそれがビニ本なりエロ本。そこで少しだけ頭を使って上手く行ったんだね」

 

この原稿と『ビデオ・ザ・ワールド』2月号の原稿と、どちらを優先させるかの局面に立たされた筆者。どちらも“中沢慎一仕事”だ。迫る締切に悩みつつ、つい日本シリーズのTVにチャンネルを合せて最後まで見てしまう。我が巨人軍がからんでいないので、どーだっていいのだが。

「中沢さんってヤクルトの古田やな」

フト思う。他球団をクビになった、決め球の球種が1個しかないようなピッチャーを上手くリードし、安心して投げさせ、それをウィニングショットにしてしまい、三振を取る。投手は一人前に育つ。要は、包容力。売れ線どころをあれもこれもと並べただけの今の「コンビニ球団」巨人軍じゃ勝てへんのヨ。

本作りは情熱があればできるけどさ、続けて行くには愛だよ。扱う対象に愛がないとね

 

ここまでのインタビューは1997年秋頃に行われた。

以下に続くインタビューはサン出版発行『マガジン・バン』誌に掲載された2009年のインタビュー記事の抜粋再録である。

 

全編エロじゃなくてもいいんじゃないか

インタビュアー:東良美季

──ビニール本(大人のオモチャ屋やアダルトショップを中心に流通したエロ本。その性質上、書店売りよりも過激な露出が可能だった)から取次本(書店で流通するエロ本)の編集者になって最初に手がけたのは劇画誌ですか?

「当時、石井隆がすごい人気で、石井隆の原稿を取れれば新しく一冊劇画誌を創刊出来るという話が会社であって、俺が一番下っ端だったから、『じゃあ俺、行って来ます』と。それで会って、石井さんは当時『ヤングコミック』の専属みたいな形だったんだけど、色々とねばって頼んだら『いいよ、描くよ』という話になってさ、それで『劇画タッチ』という雑誌が出来た」

 

──それがひとつ伝説なんですけど、超多忙な石井隆から中沢さんが原稿を取ったという。

「今は中村淳彦が『名前のない女たち』で可哀想なAV女優の話を書いてるけど、あの頃はさ、今以上に悲惨な境遇のヌードモデルがたくさんいたんだよ。親の借金抱えてとか、悪い男に無理矢理犯されて裸の仕事させられてるとか。そういう実話を色々話したら、石井さんの『天使のはらわた』ってそういう話じゃん? 男に騙されたり、レイプされて堕ちる女という。だからすごくノッて来たんだよね。それで何となく気が合ったというか、漫画のネタにもなっただろうしね、付き合いが始まった」

 

──で、初めて編集長になると。中沢さんには元々雑誌編集者になりたいという気持ちがあったんですか?

ないよ。俺は未だに自分に編集の才能があるなんて思ってないもんたださ、あの頃のエロ本の編集者なんて、優秀なヤツいなかったよ。末井さんだけだよ。あの人はすごい才能だと思ったけど、他はさあ、当時のエロ本の編集って、大手から流れてきた人が、嫌々作ってるみたいなのが多かったんだよ。ブンガク崩れで『俺も昔は吉行淳之介の原稿取った』なんて自慢してるようなのばっかりで。もう死んじゃったから言ってもいいと思うけど、『劇画タッチ』の前に『コミックセルフ』という劇画誌のグラビアを手伝ってたんだよ。その編集長がまさにそういう人で、撮影行っても現場で寝てるんだもん。ちょっとこういうのはないよなあと思った。その点我々は若かったからさあ、本作りの熱意だけはあったよね。それにエロ本なんて基本はイイ女連れて来て、エロいグラビア組めば売れるんだからさ」

 

──でも、そう言うわりに中沢さんの本って、『ビリー』にせよ『ビデオ・ザ・ワールド』にせよ、活字の多い、読ませるものが多いじゃないですか?

「それはやっぱ若かったから、安直な作り方はしたくなかったんだよ、きっと。今はさあ、売れればなんでもイイかと思うけど(笑)、若い頃は情熱があるからさあ、ただ単に女の裸並べて売れればイイなんて本は作りたくないじゃん? 他の部分で、ライターの優秀な人見つけて、面白い文章で本が売れたらイイなあと思うよな。いい原稿が載れば雑誌にパワーが出るから、より多くの人にアピール出来るだろうし

 

──ただ、大げさに言うと、そこでエロ本の歴史が少し変わるんですよ。末井さんの本にも出て来ますが、それまでのエロ本編集者って、「エロ本なんてドカタと変態が読むものだ」とか言って、わざと低俗なものを作ってた。少なくとも、あくまでオナニー向けのヌード・グラビアがメインであって、文章なんて本当に添え物だったわけです。それが変わった

「俺はさあ、ある部分をキッチリ押さえておけば、全編エロじゃなくてもいいんじゃないかと思ったんだよ。エロ本とはいえ雑誌なんだから、雑誌における遊びの部分というか、幅があった方がいいんじゃないかと。俺は売れればいいと思ってたから、押さえるところを押さえていれば、すべて読者が歓ぶものばかりじゃなくていいんじゃないか、売れるんじゃないか? と。読者がドカタかどうかというのは考えたこともなかったし、それとさあ、正直全編エロ、『エロとは何か?』って突き詰めるのは大変だろ? 疲れる。だからウチの夏岡(彰=投稿エロ本『ニャン2倶楽部』編集長)なんて偉いと思うよ。ずーっとエロを突き詰めてるじゃん? ああいうのは俺には無理(笑)」

 

スーパー変態マガジン『ビリー』

──しかしそれが結果サブカル色を強くして、白夜の本は大学生とかに支持されるようになる。つまり読者の幅が広がることになる。まあ、僕なんてまさにそういう読者のひとりだったわけですが。で、『劇画タッチ』の後が、『Hey!Buddy(ヘイ!バディー)』『Billy(ビリー)』ですか?

「『ヘイ!バディー』は高桑(常寿)がやりたいと言い出して、俺は発行人だけ。『ビリー』は元々、今は講談社で偉い人になってるけど、高橋さんという人がいて、彼が創刊したエロ一切ナシの、『スタジオ・ボイス』風インタビュー雑誌だった。ところが売れなかった。半年出して返品が七割。これは続けられない。高橋さんも退社することになって、俺が引き継いだはいいけど、さてどうしようと。ちょうどその頃、変態っぽいビニ本が流行ってたから、だったら〈スーパー変態マガジン〉というのはどうだろうと考えた

 

──うん。初期は「毛が見える」とか「透けてる」だけで売れてたビニール本が、その頃になるとどんどん過激にエスカレートしていた。フィストファックとか女の子にオシッコ浴びせるとか、中野D児が男モデルで出た『人間便器』(群雄社)なんてのもあった。今とはずいぶん感覚が違うけれど、当時はそれらをすべてひっくるめて〈変態〉と呼んでいたんですね。で、ある日中沢さんがVIC出版を訪れてみると、そういう変態ビニ本のポジがたくさんあって、「これなら雑誌が作れると思った」という話を聞いたことがある。VIC出版はKUKIの下請けとかで、その手のビニ本を作っていた。

そう。売れない雑誌を引き継いだわけだから、いかに安く作るかを考えた。だからKUKI本体にも借りに行ったし、巻頭のキレイキレイなヌードなんかは、英知出版宇宙企画から借りた

 

──つまりは安く作りたいがための苦肉の策だったわけですが、これもまたエロ本にひとつの変化をもたらすわけです。それまでのエロ本の王道と言えば、櫻木徹郎さん編集の『TheGung(ザ・ギャング)』(サン出版)とか、大川恵子編集長『Gals Action(ギャルズアクション)』(考友社出版)とか。こういう雑誌は、業界では「特写」と呼びますが、撮り下ろしのヌードが主体だった。ところがこれはお金がかかる。一方、『ビリー』や『ヘイ!バディー』は特写をやらないぶん、記事が充実した、撮影の費用に比べれば、文字の原稿料なんてしれてますから。

そうだね。特写は金がかかる。モデル代からカメラマンのギャラ、撮影場所も高い。それよりは、ライターに原稿料払った方が面白いものが出来るとは思ったね

 

──そういう方法論が、結局『ビデオ・ザ・ワールド』の創刊に続いていくわけですが、『ビデオ・ザ・ワールド』を作ろうと思ったきっかけは何だったんですか?

「都条例というものがあって、当時はその〈不健全指定〉というを連続三回、年五回受けるとタイトルを替えなければならなかった。これは青少年の健全な育成というのを目的にしてるから、SMとか変態というのはすべてアウトなんだよ

 

──にもかかわらず、何故か普通のSM雑誌はよかったんですよね。

「都の考え方というのはそうだった。つまり、当時の『SMセレクト』(東京三世社)とか『SMファン』(司書房)とか、ああいう判型の小さなSM雑誌は一部の大人が自分の責任で買うものだと。ところが俺のやってた『ビリー』や『ヘイ!バディー』はA4判グラフ誌だから、若い人が買うと見なされた。で、最終的に『ビリー』は『ビリー・ボーイ』とタイトルを替えるわけだけれど、どちらにせよコンセプトが〈変態〉である限り続かないなと思ったから、新しい雑誌を創刊しようと

 

──何故、次はビデオをテーマにと考えたんですか?

「何ンも考えてないよ。世間で『これからはビデオの時代だ』って言ってるから、じゃあ、ビデオかなあと」

 

──相変わらず短絡的だなあ(笑)。

「そう言うけどさー、エロ本なんて考えて作ったりしないよ。ビデオの時代だから『ビデオ・ザ・ワールド』、それでいいじゃん」

 

──タイトルも当時流行ってた『なるほど!ザ・ワールド』のパクリだし(笑)。

 

エロ本の本質はいかがわしさとウサン臭さ

──さて、そこから30年近い年月が流れて、今は本当にエロ本が売れない時代になっていますが、それに関してはどう思われますか?

時代の変化だろうね。雑誌全体、出版全体が売れない。エロ本は今、かろうじてパソコンを持ってない世代に支えられてる。だから長期的に見れば必ず衰退していく。俺は遠からぬ将来、アダルト雑誌は消えていく運命だと思ってる

 

──若い人は今、何故エロ本を読まないんだろう。やはりインターネットがあるから?

いやそれはさあ、ハッキリ言ってエロ本が面白くないからだよ。我々作ってる方に問題がある。面白い雑誌を作れてない。ただそれには理由もあって、何故かというと世の中に制約が多すぎるから。ウチもそうだけど、今、出版社は世間に気を配りながら雑誌を作らなければならない『ビリー』の頃なんかはさ、〈中卒マガジン〉っていうコーナーやってたんだよ。中学しか出てない人を差別するというひどい企画。差別というのはいけないことなんだけど、でもいけないことだからこそ、そこには面白い何かがあった

 

──うん、タブーだからこそ意味があった。差別というものは厳然とあるわけで、でも世の中では一応「無いもの」とされてる。なので敢えて差別をしてみれば、色んな欺瞞が現れる。差別する側の傲慢さとか、人が人を差別するバカバカしさとか無意味さとか。

「だいたいエロ本自体が世に疎まれているような存在だったわけでさ、昔、銀行はエロ本出版社なんかに絶対金貸さなかったんだよ。そういう存在だから、エロ本に書いてあることなんて誰もちゃんと読まないだろう、本気にはしないだろうと。だから好き勝手書けたんだよ。『ビリー』の頃は身障者団体に怒られて、謝りに行ったこともあったけど、あの頃は世の中が寛容だったというか、『ごめんなさい、もうしません』と言えば許してもらえる時代だった。今はもう無理だよね。ウチもかつて『BUBKAブブカ)』なんか相当芸能スキャンダルをやったけれど、やはりすぐ訴訟になる。それはやはりエロ本出版社が大きくなって金も儲かるようになって、アンダーグランドな存在じゃなくなったということだよ

 

社会に受け入れられない部分を本にするのがエロ本屋

『MAGAZINE・BANG!』T編集長「我が社(サン出版)も数年前に、読者からの投稿写真を一切掲載しないことを決めたんです。未成年のヌードかもしれないし、撮られた女性が同意しているかどうか確約が取れないので。でもそうやってエロ本出版社が健全な本作りをしようとすればするほど、本来持っていたパワーをどんどん失っていくような気がするんです

 

そうだね。エロ本というのはいかがわしさやウサン臭さを持ってるから成り立っているわけで、それを無くしてしまったら、エロ本の存在理由も無くなってしまうよね、きっと

 

──エロ本の本質がいかがわしさやウサン臭さだという、中沢さんがそう思うに至った理由を最後に聞かせてもらえますか?

「それはさあ、俺はビニ本から始めたわけじゃん? エロ出版社なんて女の股ぐらでメシ食って来たんだもの。見えるとか見えないとか言って、楽して本作って来た。本当にくだらないんだけどさ、でも、それはそれで面白いじゃん。つまり基本的には反社会的なんだよ。だからいつ叩かれても仕方ないと思ってずっとやって来たし。でもきっきの差別の話と同じように、世の中にはいかがわしいもの、ウサン臭いものは必ずあるわけでさ。それは人間メシ食えば必ずウンコが出るように、セックスもあればスキャンダルもあるし、ドラッグもあって変態もいると。そういう反社会的というか、社会に受け入れられない部分を本にするのがエロ本屋だと俺は思ってるから。だから反社会的なエロ本屋の本質、それをどう失わずに時代に対応していくか、それが今後の問題だろうけど。まあ難しいだろうな、きっと

(2009年9月2日/於・高田馬場コアマガジン近くのカフェにて)

 

(スーパー変態マガジン『Billy』編集人・小林小太郎インタビュー)

 (インタビューの完全版を収録した白夜書房中心のエロ本クロニクル)