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漫画ブリッコ盛衰記─なつかしの業界ケンカ史

漫画ブリッコ盛衰記──なつかしの業界ケンカ史

美少女漫画の終末に到る道~誰もが気がつかなかった「昭和60年」の美少女漫画カタストロフ序章

池本浩一

所載『レモンクラブ』1991年8月号~12月号

中森明夫の「おたくの研究」が初掲載された『漫画ブリッコ』1983年6月号)

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ここまでずっと、1年間にわたって「美少女漫画」と呼ばれていた〈エロ漫画〉の新ジャンルが商業誌上の紆余曲折した歴史のなかで、特にエポックとなって重大状況の現場に関わってしまった部分のみをピックアップして書いてきました。

──それぞれの時代に特異点な存在となってしまった代表的な漫画誌の興亡史(これまでロリポップ、プチ・バンドラ、パンプキンなどにふれてきましたが)の一部分について──と、偶然とはいえ行きがかりでそれらの雑誌にかかわってしまったがために波乱の人生を歩むこととなってしまった数々の人物像(これまでに川瀬久樹氏、大塚英志氏、蛭児神建氏、大久保光志氏らの発言などをメインとして取り上げてきましたが)の一断面にスポットをあててきたわけです。

実のところは、ようするに部外者からみたならば単純にばかばかしいだけに過ぎない、新業界人=エリートおたく(嵐獣郎太氏が言うところの〈コミケット・ヒーロー〉たちの成れの果て)同士による、まるで自慰じみた「サル山の小ボス争い」的なケンカではあるのですけれども──、それではなぜ、こんなにまでして彼らが〈美少女漫画同人誌から派生したアニメ系キャラの〉エロ漫画雑誌だけへ執拗なまでにこだわり、またおたがいを憎しみ、怨み、畏れながら寡黙に戦い続けてきたのでしょうか。まるで日蓮大聖人の〈敵は内にあり〉という言葉を思い堀り起こすかのように、あるいは鏡面に映ったおのれ自身にむかって攻撃をしかけ続ける軍鶏のように、激しく敵対しあっていったのでしょうか?

もしかしたら、この世でもっとも信用できない「最大の敵」が自分そのものであるということに無意識のうちに気がついていたのかもしれませんが…。

そうした美少女漫画界にとってのトラウマが増殖されながらに当時の同人誌または商業誌などの主要な関係者の無意識下に巣喰いはびこりはじめていった〈第1潜伏期〉にあたるのが昭和57年末から59年までにかけての「第2次ロリコン同人誌ブーム」のときなのです。

そしてこのときに含蓄されていった不信の心がイッキに解放されてしまう結果となる「昭和60年」(1985年)という慟哭のビッグバンがくることなど、このときには誰すらも気づいてなどはいなかったのでした。

今回からの新シリーズのテーマは《美少女漫画の終末に到る道~誰もが気がつかなかった「昭和60年」の美少女漫画カタストロフ序章》というワケで、コミケットにおける世代交代が生んだセルフ出版=漫画ブリッコの最終兵器〈アオーク〉の残存放射能がおよぼした現在美少女漫画界への影響──について語ってゆくことになるかと思います。

この闘争の結果として漫画ブリッコを去っていったのが大塚英志であり、また「第2次ロリコン商業誌ブーム」の到来を告げる鐘をならしたのがアオークという存在に違いないのです。

そして、アオークといえば当然に触れていかなければならない重要人物こそが森野うさぎでしょう。彼こそが、それまで夢のまた夢のように思われてきた「同人誌の商業化」という概念をモデル化し、また初めての実証実験にも成功して、のちに〈まんがの森商法〉とも呼ばれるようになる「同人誌リンケージによる複合的な利潤追求」を完成させてしまった第一人者なのですから

彼の活躍がなかったなら次の時代を席捲することになるモルテンクラブから現代のMINIESCLUBにいたるまでの「販売活動を重視したサークルによる同人誌制作」が全盛となることもなかったでしょうし、あるいは商業誌でのデビュー以降に即売会を知った漫画家らが「なんの規制もない修整すらもないのが同人誌」と勘違いして続々とコミケットに参加してくるということもなかったでしょうし、コミックハウス系の漫画家が単行本収録を前提にして同人誌原稿を執筆していたようなことや、コミケット直前に発売された号の山賊版誌上の同人誌紹介ページに見開き構成でコミックハウス系漫画家らが参加していたサークルの位置を示した幕張メッセ会場見取り図が載って好評になることや、それらの同人誌の奥付住所がコミックハウス編集部気付になっていたなんていうことすらもなかったであろうと充分に推測できるほどに彼の功績は偉大なものであったのです。

ですからもちろん森野うさぎ氏がアオークに到るまでの足跡についてもふれてゆきたいとは思っております──順を追ってゆくことに…。

といったわけで、さて時代を一気にさかのぼってゆくことになりますが、まずはこの「第2次ロリコン同人誌ブーム」がどういったものであったのかについての説明もしなければいけないでしょう。

具体的なところでは創作系美少女モノからアニメ系美少女モノへの創造対象の変転といった状況が最重要なキーワードになっているといっても過言ではありません。

いまでこそ同人誌といえばアニメのエロパロが(それこそ男性向け創作からやおいトルーパーにいたるまで)代名詞で主流のようになってはいますが、かつてレモンピープルを誕生させるまでの礎石とまでなった昭和56年頃までの「第1次ロリコン同人誌ブーム」の時代においては、じつに現在におけるようなポルノ漫画誌としてのアニパロ同人誌は実質的に皆無な状態にあったのです。

まぁたしかにアニキャラのヌードイラスト誌といった類のものが全然なかったわけではありませんでしたが、後に大ブームとなって即売会場でもジャンルとしてブロックが形成されるほどの勢いになった『うる星やつら』系の一連のエロパロ作品のようにストーリィとしての完成度までも求めた漫画作品としてまでもハイレベルなアニパロなどというものなどはいっさい存在していないというような状態であったのだといってよいでしょう。

この時期までのロリコン系同人誌の主流となっていたのは、ロリコンまんが同人誌の元祖『シベール』であり、いまだ続いている老舗『ロータリー』であり、レモンピープルの直接的母胎となった『人形姫』であり、まいなぁぼぉい先生の『美少女草紙』であり、といった創作同人誌系サークルによるものであって、まだアニメ系同人誌によるエロ物としては、やっと『ヴィーナス』や『IMAGESOFIE(美少女自身)』といったところが出てきたばかりにすぎない時期だったのです。

そして、そのころ活躍していた同人のロリコン系作家の多くがレモンピープル誌上などでデビューするようになってしまうことで、創作系ロリコン同人誌によるブームはいったん鎮静していくことになってゆきます(世間の状況はガンダムの映画化をメインに据えた劇場版アニメブームの真っ最中のころ。アニメ系のサークルにしたところで正統派や健全パロディ派がほとんど幅をきかせていた時代なわけです)。

そして徳間書店による健全美少女漫画誌『プチアッブルパイ』が登場するなど現在の〈エロ漫画誌主流〉となっている商業誌状況からは想像もできない展開さえも見せていたのですが、この時期に同人誌即売会では誰さえもが気づかないうちにジャンルを越えた全体の一大潮流としてのサークル再編現象が怒濤の勢いで進行していたのでした!!

それは男性系のサークルにおいてはメカ(少女メカフェチ)系と美少女系(非エロ系が含まれる)という2つの流れをいつの間にか形成する方向に収束してゆきますが、この「再編」を断行していった新世代こそがマクロス派とも呼ばれる昭和40年以降生まれのカラーアニメ世代だったのです──そんな彼らの動きがロリコンの定義そのものすらも覆すようなことに!! 【以下次号】

(協力/後藤久美子・星☆萌菜架)

 

(あぽことかがみあきらが表紙を担当した1984年8月号)

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さて前回から始まった──この新シリーズでは、あの「パンプキンに至る道」を白夜書房が歩みはじめるキッカケとなったシンボル的存在の漫画誌であるところの『漫画ブリッコ』誌上において、幾多もの権力闘争の嵐をくぐりぬけ、ついには誌上における漫画家のプロデューサー覇権を確立させた大人物でもあり(ちょうどそのころ正式に漫画ブリッコの編集人という肩書きへと昇格になった大塚英志氏が共同編集者であった緒方源次郎氏の無きあと完全な独裁体制を確立していった昭和59年初春から60年初夏までにかけての超絶頂時代・後半期にもっとも隆盛を誇っていた)あの秘密結社「アオーク」の首魁的存在でもあった森野うさぎ氏が美少女漫画史上に標した価値と意義についてを書き連ねようとしているワケなのではありますが…。

(先っちょマガジン『ん』スタジオ・アオーク1984年12月23日発行

まずは延々とはなりますが重要な舞台装置ともなっている当時のロリコン系マンガ同人誌への即売会状況についてと商業誌関係における漫画ブリッコの存在位置などについて等々を先月に引き続いて述べていこうとは思っております(ここらへんの情勢についての説明をキチンとしておかないと「まんがの森」という白夜書房の直営する漫画専門書店がこれからはじまる各種事件に関していかにカギとなる役割をしてきたのかについてが分かりにくくなってしまうとは思いますので──特に東京園以外の読者のひとには地理的な関係が分かりにくいかも──ちょっとむかし話につきあっていただきたく思います)。

というワケで、先月に語ったところまで話題を戻しますと…。ときは昭和56年(1981年)末のこと、すでに一時のブームとしてのロリコン系同人誌から、一ジャンルとしての美少女系同人誌の発芽ともいえる現象さえ起こりはじめていたのです。

基本的にはより同人誌指向を強めてゆく過程において女性系サークル全般のマニア化傾向が美形キャラのホモパロ受けやおい(つまりは製作会社の公認FCを取りたいがためにアニメ作品の出来不出来にもかかわらずの翼賛ヨイショに明け暮れる従来型FC活動からはなれてアニメキャラの非現実的な言動そのものを痛烈に批判するフリーな同人活動)へと主流を移してゆき、これまで不可侵であったキャラの尊厳すべてを破壊し得るという自由さを得ることが、オモテ(商業誌)にはできない本音の主張をできる場所としての同人誌(ウラ)の位置づけを確立していった面こそあり、これに影響を受けた男性系サークルにおいてはメカ(少女メカフェチ)系のサークルが考証主義への程度の偏重のあまりに漫画同人としての意味づけを急速に失ってゆき、1枚絵としての完成度を追及する美少女イラスト系の同人誌群のなかへ収束してゆく一方で、漫画としてのストーリーの多様性に目覚めていった美少女系(非エロ系が含まれる)サークルではアニパロでありながらも物語性のある創作漫画としても「読ませる」作品を目指すようにと試行してゆくようになってゆきます。

この動きこそが読者の存在を意識した(つまり販売されることを前提にしている)同人誌活動を本当の意味において目覚めさせていきました。そしてこれら商業誌的な傾倒を顕著としたサークルの存在そのものが、これまで創作的同人誌活動の本流として純粋に漫技を切磋琢磨する場としての役割を担ってきた大学漫研の存在意義すらも変革してゆき後の個人誌サークル全盛時代への下地ともなってゆくのです。

では一方における商業劇画誌と同人誌との関係状況のほうは──。

一部の同人誌作家のあいだにおいてはエロ劇画誌におけるジャンルとして確立された美少女劇画の未来を試行しつつある動きも出始めてはいたのですが、それにおいてさえまだ同人誌界と三流劇画出版社系の商業誌のあいだには交流といえるような状況はあえて無かったともいってよかったかもしれません。

三流劇画ブーム時代における新志向劇画雑誌からの唯一の生き残りであった『漫画大快楽』においてさえも「ロリコン系漫画家がその雑誌内において3人以上に増えるとその劇画誌は衰退し廃刊してしまう」という当時の劇画編集部が共通してもっていたジンクスを破ることさえできなかったのですから。

《この頃にロリコン系の劇画作家といえばメインとなるのは野口正之内山亜紀)先生や谷口敬(野島みちのり)先生、またあるいは五藤加純先生(まだ中森愛先生は編集者をやっていてデビューしていなかった)という当時ではまだまだ新鋭の若手作家で通していたような面々であったり、評論家になってしまうまえの飯田耕一郎先生であったり、まだリアル志向で劇画らしい絵がらだったころの中島史雄先生だとか、エロジェニカでの連載以来の長編巨匠でもあった村狙俊一先生であるとか、またマイナーSF漫画誌Peke』や自販機本『少女アリス』や同人誌の『シベール』などにおいてロリコンの種をバラまき続けてきた始祖神の吾妻ひでお先生なんていうようなヘタすると現在ではその活動すらみることができないような先生方がドシドシおられたワケですがぁ》。

そして、このころ劇画誌史上初めての早過ぎた試みともいえるような「ロリコン系劇画誌」が初刊行されていたという事実もあるのです。

この雑誌こそ『ヤングキッス』という名称で、ちょうどメジャー漫画誌における第一期のヤングコミック雑誌ブームに便乗しているかのような体裁をみせながらも果敢にも史上初の「中とじ美少女コミック」でありました(ちなみに発行元は光彩書房──なんと『プチパンドラ』以前にもこのようなコミック誌を出していたのですねぇ)。この『ヤングキッス』こそは半年で休刊とはなってしまいますがレモンピープル』より以前の存在していた唯一無二の定期刊行コミックであったのです(──あ、ところでこれでもいろいろと各内容には機を使っているつもりなんですよお。なにしろうっかりするとネタの内容が二本柳俊馬先生や小倉智充先生のお書きになるジャンルの領域を微妙に侵して接触してるモンだからヘタすると…)。

まあ、それはさておいてー、ところで白夜書房なのですが、先月にも少し触れてはおきましたがチョットあとあとで意味が出てきちゃうので統一しておきますが『漫画ブリッコ』は創刊当時からある時点までのあいだまで発行元は「セルフ出版」でした!! このセルフ出版というのは白夜書房の2枚看板にあたる出版社名で、辰巳出版蒼竜社とか桃園書房司書房とか、久保書店あまとりあ社とか、一水社光彩書房なんかの関係と同じものだと思ってくれていいです(まぁ会社によっては一応それぞれを別会社としてわけて機能させているところもあればまったく看板だけの会社違いなんていうところもあるんですけどね)。

そしてまだ当時としては『ニューセルフ』だとか『コミックセルフ』なんていう誌名からもわかるように《元々、雑誌自動販売機専用の安価なエロ雑誌ばかりを作っていた三流出版社》としてのセルフ出版という会社名のほうが業界全体としては有名だったワケで、現在の〈発行・白夜書房〉となっている雑誌のほとんとが〈発行・セルフ出版〉となっていたようなワケです。まぁちょうど現在での白夜書房と少年出版社(現・コアマガジン)の間みたいな状況でイメージチェンジの意味もあって、それまでのエロ雑誌出版社としてのセルフ出版から脱却をしてコミックスと写真雑誌の白夜書房としてのウリをもくろんでいたというわけです(あぁーもう紙面がなくなってしまった)

次回にはセルフ出版と漫画ブリッコ編集長の大塚英志氏との間に深まってゆく対立のなかで「アオーク」がいかに登場してきたのかまで書ければと思うっ──!! 【以下次号】

(協力/藤久美子・星☆萌菜架)

 

(悶々が表紙を担当した1985年3月号)

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ところで、ちょっと継ぎ足して書いておきます。前々回に取り上げた第1次ロリコン同人誌ブームにおけるアニメ系同人誌の情景についての記述のなかで、あとから読み返してみたらちょっと誤解にみえそうな部分があったのでいまから補足をしておきますが《美少女自身》は《IMAGESOFIE》においてはアニメ系同人誌におけるエロ物のさきがけな一冊ではありましたが、サークル全体の活動としての《美少女自身》そのものについては、基本的にサークル代表者であった九浜幼七郎さんにはアニパロ指向があったワケなのですがメイン執筆者であった《はこづめやさい》さんがどちらかといえば創作系の指向が強かったためもあってサークル自体としての《美少女自身》は創作系の同人誌として引き続いていきました(よくあるメイン執筆者の力問係によってサークルの方向性がひっばられていく──ってヤツですね)──ですから《美少女自身》全部がアニパロ同人誌というコトではありませんので──。

といったわけで、まあそれくらいにアニメ系のエロ同人誌っていうのが無かった時代だったワケなのですが…。

そんなこんなで美少女系の同人誌界全体としては読者側からのアニメエロパロ指向の需要こそ強くありながら、まだこの時代においては同人誌サークル全体に「アニパロはオリジナル創作系よりもサークルとしてレベルが低い」というおかしなコンプレックスと思い込みによる偏見が根強くあり、執筆者本人にしても作品にたいしての批判を嫌うあまりに「描きたいものをスキに描く」といってはワザと読者からの距離をおくようなエセ芸術至上主義的な活動のポーズが、はばをきかせていたということもあって、非営利を通り越して絶対「損」主義とでもいったような姿勢がまだまだ多くみられていたのです。

この当時の情勢としてはアニメ系FCあるいはマンガ家FCが全盛の時代でもあり『ヴィーナス』のようなアニメキャラヌード同人誌にしたところであくまでもアニメFCブームから派生したアニメキャラ同人誌群の副産物的な存在としてだからこそ存在しえたような状況でした。それゆえに、このころのアニメ美少女系の同人誌活動としては余暇活動的にみられるコピー同人誌が主流であり、またオフセットで印刷をしたとしても原価販売で百部も作って即売会で戯れてドサクサに売っちゃうのがせいぜい──。とてもじゃあないけどナン千部単位で大規模な通信販売をやったり、漫画専門店の同人誌販売コーナーで横いっぱいに各種ならべてみたり、即売会場に超長い行列を並ばせて表紙フルカラーのオフセット印刷でアニメキャラの〇〇〇イラスト集を売るなんていうようなことなど、だれも予想だにしなかったようなところなのです。

この時代にはまだ、同人誌の発行に原価計算あるいはバランスシートといったようなサークル経営上での経済感覚が未発達段階にあったころですから同人誌活動にしてもあくまでも「発行すること=描くこと自体に意義がある」といった学校内クラブ活動的なサークル意識(会員から会費を集めて入った同人誌を原価のまま会員内にのみ頒布するのが前提であって、会員以外に対する会誌の販売はサークルの存在を一般にたいして告知するための目的のみに許されるといった閉鎖的な学漫タイプの活動)で同人誌を作っていたサークルがほとんどだったわけで、当然のごとくに活動資金(資本)の蓄積もできなければ発行部数(運用資産)の増加もありえないといった再生産性のまったくない活動形態であったのです。

毎年ごとに購読会員に対して会誌の印刷費用を捻出するために年会費を要求しては全額を使いきってしまってあたりまえと思うような、まるで国家予算的な感覚でのサークル選営がこの時代には当然とまかりとおっていたということです。

このような運営のしかたをやっていたのでは毎年に大量の新入会員が入ってくるか、あるいは慢性インフレ的な会費の大幅値上げでも繰り返さないかぎり、今年やっとコピー誌から発行を始めたというような弱小の新規サークルにとってオフセット本やらフルカラー表紙だなんていうモンは十年たったところで永遠の夢物語でしかありえないということがよくわかるのではないでしょうか。

この時代にもっとも大規模に会員制美少女系同人誌サークルとしての活動をおこなっていた旧世代の典型的な会費制サークルとして吾妻ひでおFC『シッポがない』本部事務局長をやっていた大西秀明氏が主宰していた《美少女学》がよい例としてあげられるでしょう。当初『シッポがない』の分派活動団体『美少女愛好会』として昭和56年に発足。アニメックレモンピープルなどの誌上での告知で会員を増やして百五十名もの会員を抱えることで、昭和58年には『シッポがない』からの独立をはたしています(百名以上の確定購読者をなんらかの形で抱え込まなければオフセットの同人誌など発行できえないと思われていた時代だということをお忘れなく)。

その形式上では会員相互の原稿持ち寄りによる金本位制サークルとはいいながら、会員数が百名をこえてしまうともう実質的には常連の執筆会員と予備軍会員(あきらかな購読会員であると同時に将来の執筆者となるべく編集長の添削指導をうけ続ける。また会費という名の印刷費用を負担し続ける)というべき2段階へとうぜん会員は分離されてゆきます。

基本的にすべての会員に会誌掲戴用のイラスト原稿などを執筆投稿することが事実上装務づけられており実体として『美少女愛好会』は編集長の大西氏自身による作家育成のための個人サークルと化していったわけです。

ノルマとリテークについていけずに脱落する新入会員が多発した時期をへて最終的には大西氏にえらばれた「執筆者エリート」と「執筆者にのし上がることが出来なかった一般人」に会員を選別するフルイとしてサークルは機能してゆくことになります。

当初の同人誌即売会の状況においては2百~3百部ていどの発行部数しかない美少女同人誌を確実に手に入れるためには執筆者に成り上がるか、会費=印刷費を収めることで会員頒布枠の恩恵にあずかるか、しか方法がなかった時代でした。

──2年後に大西氏は《美少女学》を発展解消しエリート会員のみを引き連れてオリジナル系の自主流通出版サークル『グライフ出版』を発足させてゆきます…。

多くの下層会員を支配下に抱えることによってはじめて大部数(といってもン百部ていどが限界)の同人誌を発行することを可能としていた会員制同人誌サークルは時代の役目を終わり消え去ったのです。

そんなころ一般的マニアが即売会に拠らない同人誌購入手段として新たに注目し出したのがアニメ雑誌によって急速に発達してきた同人誌紹介欄でした。一部サークルの余剰な同人誌をさばく手段として利用したところが好評であったために各誌がそろってサークルの在庫も考えずに大特集をするほどの過剰状況となるまでそれほどの時間すらもかかりませんでした。──そんな数百部ていどの小部数しか刷らない同人誌がアニメ誌でとりあげられたとしても通販など出来ようもありません──当然に即日完売してしまい、あとには完売通知に汗するサークルと買えずに悲しむ読者が大量発生という次第。なんとか子算をかけずに同人誌の増刷を可能とする方法はないものだろうかということになってきまして、その結果に生まれた方法というのが『復刻委員会』方式とよばれる変形通販だったのですが、これこそ、のちに「クラマガ集件」として同人誌および商業アニメ雑誌など多くを巻き込んだ大スキャンダルの前奏曲となっていったのです。【以下次号】

(協力/後藤久美子・星☆萌菜架)

 

森野うさぎが表紙を担当した1986年2月終刊号)

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あの事件はー、まさにアニメファン系同人誌がブームの絶頂期となっていた最中に数多くのアニメファンだとか同人誌マニアといった連中を巻き込んでの大スキャンダル事件となっていったのでした…。

この当時にマニア向けアニメ専門誌の双盤として一般のアニメファンに対してオピニオンリーダー誌的な権威すらもにおわせていた『OUT』およびに『アニメック』の両編集部をも泥沼のなかへと引きずり込んでゆき、そのあげくにはその事件の当事者が『アニメック』誌上においてまさに詐欺犯として決め付けられて本人所在不明のままに顔写真公開のうえ名指しで罵倒されるという人民裁判のオマケまでもつけてしまった、あしかけ4年にもわたって繰り広げられた、アニメ雑誌・同人誌の15年におよぶ歴史上においてすらも最凶最悪なる汚点的な結末を残してしまったあの事件ー、後世のオタク連中にもクラリスマガジン》事件と呼ばれて憶えられ忌み嫌われた、あの大醜聞事件について….、どうしてもふれておかないというわけにはいかないでしょう。

同人誌を大量部数で発行することによる《経済効果》に対して商業誌の編集部がいかに拘わっていったのかー、と同人誌を雑誌上において紹介することを生業とすることになる書評家たちの出現―。と、次々に発現しては同人誌を〈資本主義の道程〉へと進化を誘っては導いてゆく〈神々のみえざる手〉の正体についてのことを…。

なぜならば、この事件によってこそ現在の同人誌界の状況―晴海国際見本市会場やインテックス大阪みたいな巨大会場で何千サークルも集めた即売会が毎月のごとく開催されたり、フルカラープロセス4色+蛍光ピンクを使って表紙を刷って、さらにはタイトルを金箔押しにしたうえビニールコート仕上げといった商業誌以上で手間のかかった表紙印刷に本文ページにも紙替えやら刷色替え、多版刷りといった超豪奢なヒマー杯の同人誌がオフセット印刷で何千部も作られては売られてゆく、あるいは同人誌出身という肩書きをなびかせて愛読者ン万人という持参金つきでメジャーデビューをする新人漫画家がいるーといった現象のすべてがみえてくるに違いないからです。

それまでのアニメ誌にあったような会員募集のための告知板としてのみに機能していたファンジン紹介欄が時代の変化のなかで無理矢理にもその役割を変貌させられていったのがこの時期にあたるワケです。

いまだにこの会員募集の告知板としての形は『アニメージュ』などのアニメ誌に現在でもうかがうことができます。サークルガイドのページを開いてみてください。編集部があくまでもタテマエとしての〈サークル入会申し込み〉のための告知板であるという形式をまもっているために、各サークルはPR欄に会誌の発行形式(つまり季刊とか隔月刊とか)、会員数(要するに全国に愛好者仲間が3名いますとか)、入会金(まあ会員証の発行費用に五百円分必要ですとか)、会費(6ヶ月分の会費が1200円ですみたいなの)などのデータを掲示しなければいけないことにはなっているのではありますがぁー実際にはほとんどのサークルが、会誌の発行形式といっても発行物そのものがコミケごとの単発ネタ本だから当然に不定期刊行物なわけだし、会員数といっても執筆スタッフだけが若干名いるのみだし、とうぜんに入会金はナシで、会費も〈誌代としてン百円+送料・購読者のみを募集〉、といったかんじで事実上は同人誌の通販案内となっているようなコトなのです。

もう8年近くも前の時点ですでにアニメファンサークルという形態そのものが、一般アニメファンの中から突出し始めた一部のアマチュアリエーターたちによって、アニメ級作者やアニメ誌の編集者といった業界人の世界に自分たちが繋がるために必要な中観点として、自らが先生という存在に成り上がるための習作発表の場としてサークルの存在役割を変容させるようになってきており、愛好者同志のなかよしクラブとしての機能よりは会誌販売そのもののための媒介手段へと変貌しちゃっていたのです。

しかし、それにもかかわらずほとんど多くのアニメ情報(同人誌マニア同志が交流するために当時からあった唯一の受け皿でしょう)は、又いまだに現実の同人誌状況を直視もせずに安閑とした記事構成をつづけて(あるいは気がついているにもかかわらずにワザとを閉ざしているのかもしれませんが)いるままにあったのです。

まだそのころにおいては『レモンピープル』すらもやっと創刊したばかりの頃のこと、〈サークル〉の紹介ではなく〈同人誌〉そのものを誌上において紹介してくれるような商葉媒体といえば『ぱふ』『ふゅーじょん・ぷろだくと』などのような超マイナー系の漫画評論誌以外にはなかったと思われていたような時代であったわけですから…。

そこへアニメ雑誌系列として初めて、同人誌に対しての誌上書評欄を本格的に開始することによって実質的には初めて同人誌の通信販売活動を積極的に推し進める役割を担ったのが『アニメック23』からの連載となる〈ファンジンは今〉となったわけです。他のアニメ情報誌においては読者層がどうしても未成年者中心となってしまうがために積極的には打ち出すことができないままでいた〈モロに売買仲介そのもの〉である同人誌紹介のページ構成についても『アニメック』の読者層が他誌より5歳以上も高いというヘンな利点に救われてイケイケになったといっていいでしょう。

前回に取り上げた吾妻ひでおFC分派の「美少女学」であるとか、またサークルの代表人をやっぱり『アニメック』の編集者がやっていたという野口正之FC「妖精人形」などのように通販そのものによってサークルの同人誌発行規模を続出してゆくようにまでなってゆきます。

それはサークルによってはその発行規模を200部から2000部へといきなりの10倍増をさせ、現在の同人誌界においてすらも大手サークルとも居並ぶほどの発行部数をいきなりに売り尽くしたというほどの職異的な出来事であったわけです。

もちろんいきなり未経験者に千部以上もの同人誌を発送させようと思ったところでなかなかに出来るはずもありませんから当然にトラブルも起こってくるわけで…、編集部には通販サークルとこまめに連絡をとりながら、または発送作業を実質的に代行までしたり、また在庫不足のときなどには増刷方法のノウハウを伝授したりまでするなど余計な新しい仕事までが増えてきちゃったりなんかもして。

まぁこの同人誌紹介の企画によって、これまで同人誌などというものを手に入れることなど考えもしなかった地方のアニメファンを定期購読者に引き込み、そしてまたロコミによって新たなる同人誌情報めあての読者暦の開拓までが可能となったりと華やかなことであったというのも事実ですからー。

アニメック』による誌上通販によって、有名同人誌が即売会にいかなくても購入することが出来る!!ー感づいてしまった同人誌マニアたちの動きは、それまで即売会中心であった同人誌状況に新たなる展開をおこしてしまいます。

実はコレこそ〈大人数の会員制によって運営をされるFCや学漫タイプのマンモス同人誌サークルが会員数にまかせて群雄割拠していた旧漫画大会的な同人誌即売会〉から〈執筆者がメインのキャプ翼や聖・星矢などの女の子創作系同人誌サークル中心の現代型同人誌即売会〉にコミケットが生まれ変わる本当の原動力となっていってたのです。【以下次号】

(協力/後藤久美子・星☆萌菜架)

ー次回は『クラマガ』というバブルが如何にふくらんでいったのかだっ!!

 

5
とりあえずで、まっさきに書いておきますけども、このところ数ヶ月続けてここに書いている「美少女学のてんまつ」だとか「クラマガ騒動」といった件については、あくまでもこの第3部《ブリッコ盛衰記》の前振りとして、どうしても必要不可決な同人誌史上での出来事であると判断をしたから書いているわけですがー。

なにも一夜が明けたら「商業誌という存在をバックにして超大部数の同人誌を発行する巨大な執筆者集団」がイキナリに存在をしていたというようなワケじゃないですから、当然にソレに到るまでの社会的な経過というものについても書いていかなくてはならないわけでぇ…。

なぜ「内輪にこもりがちなアニメファンクラブタイプの会員制同人誌サークル同士の交歓の場でもあり、あるいは新しい同志を獲得するためのサークル広報の場」であったはずのマンガ同人誌即売会が、どうして現在に多く主流となっているような「非会員制組織で少数執筆者主導によって即売会での同人誌販売を活動の中心にしている」ようなサークルと「サークルが販売している出版物を唯一まとめて効率よく購入できるという利点のためだけに集まってくる何万人ものマニア連中との中間に入って売買上のトラブルを調整するために存在する一種の流通シンジケート組織へと変貌していくようになったのかーだとか、商業誌の編集部が同人誌というモノを商品としていかにつくりあげて、それを内部に取り込んでいったのかーといった(同人誌界における)社会的な情勢についてをまえもって書きつられておかなければ、なんで唐突に「商業誌をバックにした超大部数の同人誌を発行する執筆者サークル」(引用者注:同人誌のみならず『漫画ブリッコ』といった商業誌でも活動していた森野うさぎ中心の同人サークル「スタジオ・アオーク」のことを指すと思われる)が可能になったのか〈本来なら商業誌編集部にとっては作家に同人誌などというお遊びに熱中されることなどは迷惑以外のなにものでもないはずなのですから〉説明がつけられないのではないかと思ったからなのではありますが、なんかいきなりに前振りなしにまったく別の話題に移ってばかりいるような分裂症的な印象をうけてしまっている読者のみなさんもいるようでしたのでー。

あえて言っておきますが、いままでに書いているのはあくまでも本題に入るまえの〈前振り〉ですからーまだ当分の間は続くと思いますけども…、この「同人誌バブル」現象にかかわってくる象徴的な原罪といえるような出来事についてできるだけ多く、具体的に書いておこうと思っておりますので…〔毎回、とにかくいそいで書かなければいけないことが多すぎてどうしても未消化ながらにワープロで打ち出した文章を制限文字数オーバーの為に泣くなく無理やり半分くらいに削って載せているために(さらに私の文章構成能力が拙いばかりに)ただイヤミを言っているだけで論旨がまるではっきりしないわかりにくい文章になってしまってすみません〕。

といったようなワケで今回はまた枕話が長くなってしまいましたがぁ、やっと前回からの続きー。

とにかく、この「クラマガ事件」があったからこそ現在のように〈同人誌という存在が商売として成り立つ〉ということに周辺業界の人々が気がついてしまったのです。

もちろん誤解もけっこうありました。いまでもかなりの同人誌マニアと称する輩ですらも漠然と信じている〈何万部も売りまくってガッポリ儲かる〉式の勘違いが生まれたのがやはりこの「クラマガ事件」からなのですから、のちに同人誌界およびマイナー系の出版業界に与えた影響はことごとくでしょう。

すくなくとも同人誌の通販活動においてサークル側と購読者のあいだにおこるさまざまなトラブルの遠因として〈購読者がサークルに対して抱いている過大評価、およびにサークル側のほうでも自分たちが購読者たちから過大評価をされているのだということに気がついていない〉という認識のズレがあることは事実です。古代同人誌市場における会員制サークルという組織形態においては読者であるところの会員と同人誌の発行者であるところの会長との間では、当然のごとくに自分の所属するサークルの会誌の発行部数がン百部であって原価がナンボだけ印刷費としてかかっているのかトカ、すべてが認知されていたわけですから過大な「儲け主義」だとか「暴利を貪る」といった幻想など出てくるはずもなかったワケです。

ところが同人誌読者がことごとく「会社の成長を見守りつつ株主配当を待つ」ことを止めて「会社へ運転資金を投入し利潤をあげさせることで売買益をねらう」ような存在となってしまってからはもう、株主不在な株式会社みたいなものです。読者自身が〈あのサークルは大手だから〉といった自ら作り上げた虚像にすがりつき、またサークルにしてもその読者が築いた虚像をまもるために、さらに薄利多売へ直進するといった状況が根底にあったワケです。

ーが、それにしても購読者の描いているサークル虚像は大きくなり過ぎているのです。

サークルの皆さん!! 貴方がたの作っている冊子の発行部数のことを通販購読者は5倍増で見つめているのですよ。もしも貴方のサークルが500部の同人誌を発行していたとするなら読者には2500部も刷っているサークルなんだと勘違いされていると思ったほうがいい。

直接に即売会に同人誌を買いにくる読者にしてもほとんどが2倍増に発行部数を錯覚している(500部しか刷ってないサークルだったとしても1000部以上は刷っていると勘違いされている)者がほとんどだということですから、自分のところは弱小サークルだから関係ないやと思わないでくださいね。

そして同人誌を即売会まで買いに行ったことのあるみなさん、あるいは通販で同人誌を買ったことのあるみなさん! 貴方の考えているほどにほとんどのサークルはデカくはないのですよ。

ここのサークルは1万部以上も刷っているに違いないと思ったとすれば、実際のところは2000部から多くても5000部以下だと思ったほうがいいですよ。そして大部数を刷るっていうことは「暴利を貪る」ことじゃあなくて1冊あたりの単価を安くして買いやすい値段にしようっていうことなんですよ。

ーってあたりで同人誌関係者全般へのフォローはいいかな?

どうもこのところテキが多くなっちゃって…(ちなみに前段での発行部数の認識調査は2年前に『アットーテキ』で同人誌棚を担当していた当時に実施したアンケートから)。

まあ、それは置いといてー。

クラリスマガジンがその商業誌上において大々的に取り上げられたのが『アニメック17』(昭和56年4月発行)の特集記事「“ろ”はロリータの“ろ”」からであるということは絶対に忘れないでおいてくださいねーそれ以前には、あくまでも東京の同人誌即売会というローカルかつ限定された場所においての内輪ネタとしての存在にしか過ぎなかったのですから。

全25ページにもわたってアニメ誌の巻頭においてロリコン美少女特集があったという事実ーこれこそ空前絶後といってよい大特集です。

そして、そのなかでアニメ美少女の代表格として大々的に取り上げられていたのが『カリオストロの城』のヒロインであったクラリスというワケだったのです。

そして丸々1ページ近くも使って新聞大見出しなみの大活字で「クラリスマガジンも大活躍だ」としてこのAWSC発行による同人誌を大々的に宣伝しているのです。

東京のロリコンならもっていない人はいないという『クラリス狂専誌』があるのです。その名はズバリ『クラリスMAGAZINE』〉【以下次号】

(協力/後藤久美子・星☆萌菜架)

―当分の間はクラマガ篇をやります。すっ、すみません。

 

フレッシュ・ペーパー【肉新聞】No.10(編集人/青山正明)

Flesh Paper 肉新聞 No.10

編集人=青山正明+股見けい子




 

リーガルドラッグ体験手記 その2 コルゲンコーワ鼻炎ソフトカプセル

序文

その使用が何ら法的なお咎めの対象とならないトビ薬リーガル・ドラッグ。薬草、漢方薬、市販の薬品、はたまたバナナ・シガレットにレタス・オピウムと、その種類はたくさんある。「合法幻覚剤全書」のコーナーでは、それら一つ一つについて詳細なる解説を施している訳であるが、それと併設して、この「リーガル・ドラッグ体験手記」では、それらリーガル・ドラッグを実際に筆者自ら服用し、その効能を実体験にそって綴って行く。先々月号の“ナッメグ”に続いて、第二回の今号は、一般用市販薬である「コルゲンコーワ鼻炎ソフトカプセル」

医師の処方箋無しに買える一般用市販薬に含まれている成分で、トビ薬として有名なものに、ケシから抽出されるコデイン、麻黄から産するエフェドリン、チョウセンアサガオのエキスであるダツラ・アルカロイドベラドンナのエキスであるベラドンナアルカロイドハシリドコロの成分ロートエキス等がある。

今回服用した「コルゲン~カプセル」には、エフェドリンベラドンナアルカロイドがタップリと含まれている。

 

本文

5月28日(土)、荻窪駅近辺の薬局で「コルゲンコーワ鼻炎ソフトカプセル・24カプセル」を1600円で購入。

同日、PM11時、実験開始。ドラッグで飛ぶ(いい気持ちになる)には、それなりのシチュエーション作りが大切だ。いくら良質のマリファナがあったところで、みんなでガヤガヤやっていては素晴らしい体験は期待出来ない。

まず、部屋を暗くして、ろうそくを2本ともす。そしてBGMには、イーノの「オン・ランド」。座禅を組み、ろうそくの沼を見つめながら心を静める。まだカプセルは服用(の)んでいないが、こうやって静かに畑を見つめてすわっているだけで体が宙に浮くようでハイな気分。一回一粒、一日三回の用法であるカプセルをまずは、6つ、水で喉に流し込む。

PM11時半。

体表に薄い電気の膜がかかっているようだ。特に肩から首、後頭部にかけて、皮膚がジンジンしびれる感覚がする。非常に気持ちいい。

PM11時45分。

さらに6カプセルを服用(の)む。

PM12時30分。

心臓の鼓動が激しくなった。しかし、体全体が不快に鼓動するのではなく、左胸部でトコトコと、“心臓が小気味よいリズムを刻んでいる”といった良質のものである。じっとしていると、頭の表皮が激しくしびれ始める。そのうち、そのしびれが頭全体(内も外も)に広がり、頭に大量の麻酔薬を注入されたような状態になる。一寸、気を取り直して、姿勢を正すと、麻痺感は去り、普通の状態へ戻る。しかし、しばらくすると再び頭部が麻痺してくる。

AM1時。

少し嘔吐を催し、フトンに入る。そのまま寝入る。

AM3時。

心臓の鼓動が異常に速い。一分間に200回前後の心拍数である。吐く程ではないが、気分が悪い。

AM3時15分。

小用に立つ。一歩足を進める度に、心臓の鼓動は速く大きくなり、吐き気が襲って来る。平衡感覚が全く働かず、フラフラとしてまともに歩けない。

先に実験したナツメグと同様、立っていると頭の中に炭酸水でも入っているかのようなシューッという感覚がする。また、ジーという、これもまた炭酸水の泡が無数に飛び散るような音が聞こえる。10歩も歩くと、体中が心臓の鼓動で激しく脈打ち、胃はむかつき、頭の中では、血が沸き立ったような感覚。ジーッというアブラゼミの鳴き声のような音が鼓膜を襲う。幻聴である。

また、視覚が異常をきたし、色と光が日常と異なって見える。

トイレの壁にかけてあった少女の絵(レーノルズの「ヘア君」)のバックの緑が、パーッと輝いて、その光で少女の姿が全く見えなくなっているのだ。

(レーノルズの「ヘア君」のバックの緑が、パーッと輝やいた)

幻聴と幻視。この2つの特異な体験を得られたものの、気分はとても悪い。

横になると気持ちいいが、起きると吐き気。こんな状態が少日回一日中続き、月曜の朝になりようやく元の状態に戻った。

それでも、月・火と食欲がなく、喉が渇き、気分最悪。

 

結語

5~6粒に留めておけば、適度に激しい心臓の鼓動と頭部のしびれで、一日ボーと快適(?)に過ごせるだろう。

12粒というのは、幻聴、幻視は経験出来ても、前記の通り、麻痺感と嘔吐感、そして早鐘のように鼓動する心臓と冷たい血の渦巻く脳。そして著しいめまい。

これらマイナス要素を考えると、2カプセルというのは勧められない。

 

正明君のリーガルドラッグ奮闘記

フレッシュ・ペーパーも、もう来々月の10月号で連載二年目に入ります。連載当初は、ドラッグの事なんかこれっぽっちも知らず、只々ネタ探しに東奔西走。日本では、群雄社出版でレイアウトやってる神崎夢現さんがその道の大家。何回か三鷹の御自宅におじゃまして、参考になる話をたくさん聞かせてもらいました。アリガトサン。他にも、大麻不法所持で逮捕歴のある友人数人にも、体験に根差す貴重な助言をいただきました。

しかしながら、すでに日本の雑誌や文献に紹介済みのネタをゾロ持ち出して書き写してちゃぁ週刊プレイボーイになっちまう。このフレッシュ・ペーパーの執筆に当たっては、本邦未公開の資料、それも信頼ある研究者の筆なる確かな洋書をマスター・ソースにしています。また、併せて専門の薬学書、薬用植物図鑑、漢方大医典等で、日本での研究状況も出来得る限り渉猟し、原稿を認めているつもりです。時間が許せば、もっと足を使って取材もしてみたい。しかし、ウィークデーは仕事があって全く身動きのとれない身上。今年の秋には有給でも取って、白夜の編集の人々とキノコ狩りにでも行きたいなあ。

さてさて、一年余りの連載で買い揃えた資料は凡そ十万円分。知識も大分備わったつもりです。でも、あまり詳しく突っ込んで書きだすと、雑誌としての機能(読み捨て)から逸脱してしまうし、かといって、分りやすく軽薄に手広くやっても僕自身が欲求不満に陥ってしまうし。

また、この雑誌内新聞では、読者が読んですぐ実行出来るようにと、合法ドラッグを主に扱っているのですが、やっぱりドラッグは違法のモノホンでなくっちゃグッド・トリップ出来ないんですよね。

毎月簡単にポイポイ執筆してるみたいだけど、自分で試して“ヒドイ”というので、わざわざ資料を揃えながら掲載を断念したリーガル・ドラッグもたくさんあるんです。エフェドリンの原料である麻黄、総アルカロイド7%という黄速、4月号で紹介した菖蒲根、精神安定剤として有名な漢方香附子。原宿にあるイスクラ薬局に通って、これらを取り寄せ、吸ったり、煎じて飲んだり、オブラードに包んで呑み込んだり……。金はかかるわ、まずいわ、ゲーゲー吐くわ、いやー体を張った原稿です。

体内の二酸化炭素量が増すと幻覚を見るというので、息を4分間止めたり……確かに目前がキラキラしたけど……苦しいだけでした。はたまた、副腎皮質から分泌されるアドレナリンが体内でアドレクロームとなると、これの化学構造がアンフェタミン覚醒剤)と酷似していて、人に幻覚をもたらすということを何かの文献で発見。アドレナリンを分泌するには、肉体を極限状態に置かねばならないというんで3日寝ないで、体中をカミソリで傷つけたり……はしませんでした。あとまあ、バナナの繊維で作ったタバコとか、レタスの芯から作ったオピウム(阿片)だとか……今後、一つ。一つ試してみるつもりです。

一万七千円払ってペヨーテ三つ買っちゃったし、シンセティック・マリファナ(化学合成された合法マリファナ)も入手出来そうだし……先は明るい!

アメリカ版リーガル・ドラッグの文献も2冊見つけたし、それらリーガル・ドラッグのカタログも大量に入手したし……ウヒヒヒヒ。今年の夏から誌上でドバーッと大放出しますので期待してて下さいね。

付言ながら、今回の「リーガル・ドラッグ体験手記」でもちょこっと触れたけど、瞑想ってのも実に気持ちいいもんだね。松果腺からLSDが分泌されるっていうしね。

あっ、それから、女性が中絶する時、ヘロインを注射するって知ってた? “中絶してトリップ男性にも中絶手術を!” なーんてね。

 

ベラドンナ

ヨーロッパでは紀元前から毒殺用植物として悪名高いナス科の植物。中世ヨーロッパでは、魔女たちがベラドンナアルカロイド(植物塩基)を用いて、“空飛ぶ軟膏”を作り、これをほうきの柄に塗って肛門や膣に挿入し、トリップしていた(ほうきに股がった魔女というのはこれから出たイメージ)。また、この植物の一滴を眼にさすと、瞳孔が拡大するので、女性が瞳を美しく見せるために好んで用いていた(日本の目薬にも最近まで入っていた)。ベラドンナというのは、イタリア語で美しい貴婦人という意味だ。詳細は11月号を。

 

エフェドリン

重要な漢方薬の一つである麻黄から抽出されるアルカロイド。発汗、解熱、鎮咳作用があり、喘息の特効薬としてよく用いられる。化学構造がアンフェタミン覚醒剤)に酷似していて、反感神経を刺激し、連用で不安や幻覚を見ることがある。以前は、ピュアなエフェドリンが一般用市販薬として販売されていたが、現在では医師の処方箋が無いと入手不可能。カゼ薬、鎮咳薬に微量含まれている。

 

ベラドンナアルカロイドエフェドリンを含んだ主な薬剤。

●コルゲンコーワ鼻炎ソフトカプセル(興和

 di塩酸ノルフェドリン75mg

 ベラドンナアルカロイド0.4mg(3cap中)

コンタック600(住友化学

 ベラドンナアルカロイド0.2mg(1cap中)

●ルル鼻炎カプセル(三共)

 ベラドンナアルカロイド0.2mg

 無水カフェイン50mg(1cap中)

アルペンせきどめ(中外製薬

 リン酸ジヒドロコデイン5mg

 メチルエフェドリン12.5mg(10ml中)

●新エスエスブロン液(エスエス製薬)

 al塩酸メチルエフェドリン45mg(30ml中)

●せきどめベンザ(武田薬品

 dl塩酸メチルエフェドリン25mg(3錠中)

パブロンせき止め液(大正製薬

 リン酸ジヒドロコデイン30ml

 dl塩酸メチルエフェドリン75ml(30mm)

●新コデジール錠(日野薬品)

 リン酸ジヒドロコデイン30mg

 dl塩酸メチルエフェドリン75mg(9錠中)

●サラリン錠(大塚製薬

 ベラドンナエキス3mg(1錠中)

(これは猛烈に効く下剤)

尚、総合感冒薬は割愛しました

 

私は毎日新聞のお嫁さんになりたい!!

(これが毎日新聞1983年5月29日付に掲載された問題のイラスト)

やったね! パチパチパチッ。私は惜しみない拍手を毎日新聞に送りたい。

最近、大麻禍が芸能界を席巻してるみたいだけど、大麻を吸ったことのない芸能人、文化人などいるわけがないのである。

こんなことでいちいち逮捕してたら日本中の芸能人、文化人は皆摑まっちゃうよ……と私は言いたい。まあ、沢田研二クラスとなると、いくらパカパカやってても警察も見て見ぬふりなんだろうけどね。

ところで、先月号のFPでも触れたように、井上陽水らが逮捕された時は、マスコミの大麻総攻撃に反して、只一つ、毎日新聞だけが「大麻で騒ぐなんて後進国」と、担当記者のネーム入りで論陣を張って頑張ってくれたのだが、今回の騒ぎに対しては、過激な毎日さんもダンマリという姿勢かとガッカリしていた。

しっかし、やりました。5月29日付の日曜くらぶで、「マリファナ節考、老人を処分することも、大麻を処分することもいけないことなのであります」と、イラストでマリファナ擁護をやってくれちゃったのでした。日暮真三なる人物は、次のような台詞をふきだしに入れていました。

「それにしても、最近、『大麻を持っているとの情報に基づき』次々に捕まっているけど、誰が情報を流しているんだろうね。気持ちワルイね」

気分爽快。毎日バンザイ! 大麻バンザイ!

 

P.S. 毎日新聞で何度か大麻擁護をブチ上げた記者さん、それが理由で左遷されちゃったみたいです。あくまで、噂ですけど。麻生結氏なき第三書館然り、毎日新聞も、今後はもう大麻解放を謳った記事は載せないでしょうね。(1999年9月/データハウス刊『危ない1号』第4巻「青山正明全仕事」所収)

 

SFロリータポルノ小説「ロリータメコちゃんねたまれた学園」第5回

作/ケイ・マタミーノ

メコは気がついた。頭に鈍痛がある。

「ここはどこかしら」

メコは身動きひとつできない。両手足に重い鎖がつながれている。

「そうだわ、サーティワンで雅美ちゃんと別れたあと、うしろから誰かに口をふさがれて……ああっ、頭が痛いっ」

「路里田メコ。気がついたようね」

一人の女がメコの顔を覗き込んだ。

「あなたは何者なの、何の理由があって私をこんな目に合わせるの」

「私は岩崎純子。青山手の学生よ、先日はあんたんとこのチビをかわいがってやったわ」

「そ、それじゃああなたがあかねちゃんを……」

「そうよ、そして次はあんたの番!」

純子の背後の人影が一歩前へ歩み寄った。彼の姿が薄明りに照らし出されるやいなや、メコは悲鳴をあげた。いつかテレビで見た「エレファントマン」のジョン・メリックのようにまた、彼は重度のレックリングハウゼン病患者だったのだ。それもその筈、その男はジョン・メリックの孫にあたる、ジョン・メリックⅢ世なのだ。ジョンはヨタヨタしながら身動きできないメコの顔に自分の股間を近づけた。

「いや──っ、やめて──っ」

メコは頭を左右に振る。ジョンはすでに全裸になっている。できものだらけの体に、だらりと性器が垂れ下がっている。性殖器だけは正常なのだ。正常どころではなく、40cmはある立派なものだ。エレファントの鼻のようである。ジョンは気味悪い声でメコ、メコと呟きながら、ブラウスとスカートはそのままにしてパンティだけをメコの肢体から剥ぎ取った。手足につながれた鎖のせいでメコは抵抗することすらできない。

「おねがい、やめて──っ」

メコの股間からキラキラ光るものが溢れ出す。あまりの恐しさで失禁してしまったのだ。ジョンはすでに大きくなっている一物を、そのキラキラ光る泉のあたりに力一杯突きつけた。「ああーっ」メコの悲痛な叫びが響いた。あたり一面に処女の鮮血が飛び散った。裂けてしまったメコのメコにジョンは容赦なくものすごい勢いで突進してくる。入れたり出したり、入れたり出したり。……普段おとなしいエレファントが興奮すると恐しい野獣に変身する。ジョンも同じだった。メコは最初の一撃ですでに気を失っていた。ジョンの後ろには3匹の野獣が自分の順番が来るのを待っている。メコのメコやいかに? 次号を待て!

 

Fresh Sex News【セクスポ82】

セクスポ(Sexpo)というのを聞いたことがあるだろうか。セックスとエクスポの合成語で、去年、ニューヨークで催された“性の博覧会”の呼称である。当日、ニューヨークで最も有名でファッショナブルなパーティ・スペースの一つである、パーティ・ファクトリーに4つの会場が構えられ、そこに百店以上の大人のオモチャ屋が設置された。

4日間にわたって開催されたセクスポ82、もちろんその主旨は、今日の成長産業である“セックス産業”の販売促進であることは言うまでもない。

セクスポ82では、性活動の報告、フィルム、ビデオ、本、ランジェリー、クリーム、バイブレーター等がところ狭しと陳列棚にひしめき、数千人の客と多大なパブリシティを勝ち得たという。

ポルノグラフィ禁止をうたう女性団体の争議もあったようだが、大きな騒ぎになる前にセクスポ4日間の幕は閉じられたようだ。主催者側は、来年はもっと出品者を募り、より充実した博覧会にするとのことである。

しかし、こういう大規模な動きというのは日本のセックス産業にはないねー。日本でセックス産業って言うと、トータルすれば年間兆単位の収益をあげているのに、“超大手”とか“メジャー”な会社が一つもなくて、何かウジウジしてて日陰的存在なんだよね。

プレイボーイとか、ペントハウスなんか集英社講談社が出す本じゃないでしょ。あれは、日本で言えば辰巳とか笠倉とか白夜が出して然るべき雑誌ですよ。日本では、オカルト、ドラッグ、バイオレンスを基調にした欧米のようなサブ・カルチャーも存在しないしね。みんなが体制なんだよね、日本文化って。

もっと、恐しくて、刺激的でヘンテコな文化をつくろうよ。高杉弾さん、今度一緒にお食事でもしましょうね、そちらのおごりで。

(伝説のカルト雑誌『Jam』『HEAVEN』元編集長の高杉弾青山正明が業界入りするきっかけを作った、日本のアングラ/サブカル界の元凶的存在)

 

青山正明の時事呆談

新聞読んでます? なーんとびっくらこきました。

小学校六年生の少女が25才くらいの男性と同棲、覚醒剤までやってたっていうんですからねえ。所は大阪、東淀川区内にある小学校の六年生である少女Aは、昨年9月中旬に家出。キタやミナミのゲーム・センターで遊んでいるうちに男と知り合い、西区の民家で同棲。いやー、羨ましい限りですねえ。なんせ、毎日毎晩女子小学生とおまんこしながら覚醒剤ですよこりゃー、我々一般庶民の50年分の快楽を数ヶ月間に濃縮したようなもんですよ

さらに大阪じゃあ、ヤクザ屋さんのこしらえた女子小学生本番ビデオ『処女の泉』というのがあるらしい。いやー、大阪って本当にヤクザですねえ。実に羨ましい。東京でも歌舞伎町なんて所は、おまんこ大好き家出少女がたくさんいて、裏ビデオなんかもドバーッとあるようだけど、規模が小さいしね。それに、最近、“歌舞伎町を浄化しよう”という住民運動なんかも盛んそうだし、ある知り合いの大学教授の話では、5年後を目処に、新宿からセックス産業を一掃し、それをそのまま吉原に持ってって赤線を復活させようなんて計画もあるらしい。

全部が全部ヤクザになっちゃ困るけど、大都市の片隅に無法地域があってもいいと思うけどなあ。

今年の夏は、タイにでも行って少女とお○まん○こしながら、大麻でも吸おっと。金が無くて、海外旅行出来ない貧乏学生の君! 横須賀のドブ板通りで米軍兵士から大麻買って、早朝の歌舞伎町のゲーム・センター前で、家出中学生でもひっかけてボロ下宿に連れ込めばいーんじゃない。勇気と行動力さえあれば何だってやれるさ。

 

 

【サングラス】

ケネディフレイザーというファッション・オブザーバーが、ファッショナブル・マインドという本の中で、「水着は年々小さくなっているが、サングラスはそれと反比例して大きくなっている」と報告していた。

彼女が言うには、「サングラスは、女性にとって上品さの最後の境界」ということらしい。セックス本位の男女の出会いに対して、もっと、“情緒的で本質的な事柄”を尊重したいという女性の欲求が、自らの顔にマスク(サングラス)をつけることにより、“貞節な思い”を守ろうとしているのだ。小股の切れ上がった恥丘もろ出しの水着を身につけた大胆なチンポコ大好き少女でも、サングラスなんかかけてる娘ってのは、少しは羞恥心があるのかもしれないねー。

でも、日本人の女って大きなサングラス似合わないんだよねー。鼻が低いから。

 

Fummy Commodity Of The World 奇妙な商品♡カタログ

ウェット・Tシャツ

今、アメリカの若者の間で流行ってるファッションにWet-T-Shirtsというのがある。よく、エロ本等で、モデルが濡れたTシャツを着て乳首クッキリなんてのがあるでしょ。あれです、あれ。あの濡れたTシャツを普段着にして町に出るというのがウェット・Tシャツなのです。

このウェット・Tシャツ。プレゼントとしても大人気だそうで、アメリカはニュージャージー州にあるW・T・Sという会社では、水の入ったジャー(大きな口広ビン)にTシャツを詰めて通信販売しています。

普段の乾いた状態で見るTシャツと違って、ウェット・Tシャツは濡れている時の色とサイズで品選びをしないと、後で濡らして、「おっ、やばい」ということにもなりかねない。

ウェット・Tシャツなんか着て冷房の効いた茶店なんか入ったらかぜひいちゃうね。

W.T.S.Co.

Box325,Hazlet,Nem Jersey

07730 USA

Wet・T・Shirts $10.95プラス $2.50(手数料)。

サイズはS・M・Lの三種。色は白のみ。

 

キュクロプス・TV・スコープ

先月号でドドーンとやった特殊メイクのネタが今回はちょっと滞ってまして……それでも、まあ、頑張ります。

先日の6月1日映画日、新宿グランドオデヲンで、『13日の金曜日パート3』を観た。もちろん見物は3D(立体)方式によるグログロシーン。

まっ、立体映画なんてのは、『オズの魔法使い』等々、昔からあったんで、お父さんお母さんの年代の人にとっちゃ、そう珍らしい代物でもありますまい。しかし、テクノロジーの80年代。20年も30年も前の立体映画とは迫力に差があって当然。

僕なんか、もうのっけのタイトルでド肝を抜かれてしまった。真っ赤な字がビロビロビローンと鼻先30センチぐらいの所迄伸びて来るんだもんね。音楽もまた、ニューウェーヴ調のリズムで迫力満点。

とにかく、蛇とかバットとかTVのアンテナとか、細くて長い物なら、びっくりして思わず目を閉じてしまう程近くを飛び出して来る。

一番の圧巻シーンは、狂人が両手で青年の頭を押し潰す場面。潰された青年の眼孔から眼球が飛び出て、それがそのままスクリーンから観客の所迄ビョーンと飛んで来るというキワモノ。

監督のスティーブ・マイナーとスーパーバイザーのマーティン・ジェイ・サドフによるスーパー3D。もう、遊園地に行ってシャトル・ループにぶっ続けで一時間乗ったという感覚の映画でした。いっしょに行った股見けい子は、あまりのショックに「止まっていた生理が復活した」というアクシデントに見舞れた。

ところで、この3D方式。既成の映画作品全てこの方式に作り直せるそうで、ジョーズⅢはもろに3Dを売り物にするそうです。

さて、オモシロ商品の紹介に付入ります。アメリカで、キュクロプス・TV・スコープというのが売られてまして、なんでも、これでTVを見ると、番組が全て立体に見えるそうであります。けど、これを使用すると、かなり頭と目が疲れるそうで、子供には使用させてはいけないとのこと。それと、何故か18才未満は申込み不可だそうです。

BS&A

Box02246 Clumbus,

Ohio4 3202 USA

$5.0に送料($5.00)を加算してエア・メイルでどーぞ。

(文責・青山正明+股見けい子)

青山正明「六年四組学級新聞」(ミニコミ誌『突然変異』3号所収)

青山正明「六年四組学級新聞」第2回

初出:突然変異(突然変異社)第3号

 

先月(10月)の17日、私は二階の自分の部屋で独り横たわり、友達ののんこから借りた「おはようスパンク」の第2巻を読んでいました。

すると突然何かおへその下の方に、うずくような感じがしました。あっと思ってスカートの中を覗いて見ると、ももの所まで赤いものがくっついてました。

女の子から女になった私。クラスのみんなはもうすんだのかな。きもちわるいけど、大人になったって感じ。これからは、お姉さんらしくしなくちゃ。しっかりしなくちゃ。

好きな男の子が私のこといやがらないかしら。不潔だなんて言って……。やさしい男の子なら分ってくれるわね。喜んでくれるわね。私、大人になったんですもの。

人はどうして大人になると、悲しい恋をするのかしら。私は、私のこの手で夢をつかむの。ステキな事がいっぱい起こって、ステキな人が私を待っていてくれる。きっと素晴らしいお嫁さんになるわ。たくさんの子供たちに囲まれて……。

 

ここ2~3年、夜半ふと目を覚ますと、そのまま朝まで眠れない事がしばしばでした。台所仕事をしていると、ポッと顔がほてったり……。

歳40も半ばを過ぎた頃、覚悟はしていました。そして、今年。偶然にも一番下の娘にお祝いをしてやったこの年に、とうとうその時を迎えました。

少女の夢を追い、それが実を結び、平和な家庭を築き、子を生み、育て、女としての存在が絶対的なものとなった今。あの時、幼な子から女になったように、今度は再び、女をはなれ、人間としての完成に向かいます。

老年というのは、人生を見下ろす豊かな高みに、ゆっくりした足どりで歩む時期でしょう。時期ここに及んで、私にもまだ一つ夢があります。

若い頃知りあい、ずっと私のそばにいてくれた夫。私の人生というほんとうにささやかなドラマをいっしょにこしらえてきてくれた夫。そんな夫と、そっとお互いの手をとって、安らかな人生の終息を迎える夢が……。

米沢嘉博「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータコンプレックス」(みのり書房『月刊OUT』1980年12月号)

病気の人のためのマンガ考現学/第1回

ロリータコンプレックス

米沢嘉博

所載:みのり書房月刊OUT』1980年12月号 pp.96-97

さて、連載第一回目なので、このページの目論見を記しておくことにしよう。

同病相憐れむとか言って、病気の人にはなんとなく仲間を見つけだして安心したいという気持ちがある。ましてや、ちょっと変ったそれならなおさらのことだ。だが、そういった人達は孤立していることが多く、そのことがますます病気を進行させていく。そこで、この連載が人民を救うテキストとして役立つわけである。つまり、世の中の同じ病気を持つ人達に安心と勇気を与え、人生の指針を示し、さらには連帯を呼びかけるというありがたいものなのである。また、自らの内に巣食う病気を自己診断する為にも役立つだろう。まあ、世の中には進んで病気になりたい人もいるだろうから、そういった人にはガイドブックとして見てもらいたい。

なにはともあれ、ロリコンメカフェチ、SM、ホモ、ピグマリオニズム、コレクター、ディテール症候群……とその筆を進めていくことにする。では、まいる。

 

病気としてのロリコン

精神病理学の分野では、ペトフィリア(幼女嗜好症)と称され、三~十歳ぐらいの少女にしか性的興味を覚えない人を一種の精神病として把える。昨今流行語のロリコンもこの一変種だが、その語源はウラジミール・ナボコフの『ロリータ』というベストセラー小説からきている。ハンバード・ハンバートという中年インテリ男が十三歳の少女ロリータに熱愛を寄せ、狂っていくという内容だが、あのスタンリー・キューブリックが映画化したことで一般的になった。精神病理学的には、正常な女性と正常な交際が出来ない場合に、性的でない「少女」に目を向けるという道をたどるという。普通には、ロリコン少女愛好者に投げかけられる悪口であり、賛辞である。が、少女を愛した数学者ルイス・キャロルの様に、もっと下の年令にいくと「アリス趣味」と言われ、少々危そうな徴候を見せ始める。ハイジコンプレックス―ハイコンの他、ベビコン、ラナコン、マユコン、ヒルダコン......もちろんマイコンとかトウコンとかいうのは少し違うのだけれども、なにやら様々なロリコンのバリエーションが不気味にマンエンしつつあるのだ。

 

ロリコンマンエンマンガ界

さて、この恐しい病気であるロリコンなるものを媒介するものとして、新しい宿主、マンガが今注目されている。

少女マンガ、ことにA子たんなぞのオトメチックラブコメを男共が見ると言われ始めた頃に気がつけばよかったのだ。あるいは、江口寿史の『すすめ!パイレーツ!!』や、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』の女の子がかわいいと評判になった頃に注意しておけばよかったのだ。

いやいや、金井たつおの『いずみちゃんグラフィティ』のパンチラや、柳沢きみおの『翔んだカップル』など、少女がやたら出始めた頃に大事をとっておけばよかったのだ

だが、もう遅い。吾妻ひでおがもてはやされ、高橋留美子の『うる星やつら』が大人気で、細野不二彦の『さすがの猿飛』が面白く、鳥山明の『Dr.スランプ』のあられちゃんが大評判という「今」となっては、もはや手遅れかもしれない

高橋葉介の『宵暗通りのブン』や、藤子不二雄の『エスパー魔美』等も、それに力を貸している。中島史雄村祖俊一内山亜紀(野口正之)等所謂三流劇画のテクニシャン達の単行本が売れ、『リトルプリテンダー』『小さな妖精』等々の少女写真集はレジの横に積み上げられる。今や世界はロリコンで一杯だ!!

 

ロリコンの為のマンガ入門

で、ロリコンで何が悪いか!と言われれば別に何処が悪いわけでもなく、マンガの中のカワユイ少女を喜ぶのは、男共にとって当り前なのだ。少女そのものになって少女マンガを楽しむよりはずっとマットウなんである。

が、しかし、病歴が少しづつあなたを犯しつつあるのだよ。

第一期症状―マンガの中にカワユイ少女がやたら気になり始め、そういったマンガばかりを追いかけるようになる。おとめちっくラブコメやら月光、高橋葉介吾妻ひでお高橋留美子等が好みとなる。

第二期症状―はっきりと自分の趣味をロリコンであると自覚を始め、前記のマンガを好む以上に現実の少女達を気にするようになる。自動販売機で『少女アリス』(毎月6日発売)を捜し求め、『リトルプリテンダー』や『12歳の神話』等の写真集を集め、さらにひろこグレース等のポスターを盗み始める。

第三期症状―さらに病気は進み、同好の士を集めてロリータ趣味の同人誌を出したり、少女について語りあったりするようになる。ビデオにその手のCFを集め、少女を求めて色々なものに手を出す。例えばリカちゃん人形やジュニア小説だ。少女以外目に入らずに全て少女に結びつけて考え、行動するようになる。

それでも構わないという人達の為にロリコン(?)マンガ、あるいはロリコンを刺激するマンガ作品をあげておくことにしよう。

弓月光──『エリート狂走曲』『ボクの初体験』etc..….強い少女とマゾ的少年のドタバタ。男共ファンが多いのもうなづける。美少女度B。

高橋留美子──うる星やつら』『ダストスパート』……美少女乱舞のSFコメディ。人気急上昇中で美少女度C。

中島史雄──『幼女と少女がもんちっち』……所謂エロ劇画系の作家だがこの作品と『もんしろちょうちょのパンツ屋さん』は秀作だ。美少女度B。

内山亜紀(野口正之)──『気ままな妖精』……全編これロリコンの為のロリコンエロ劇画。その妄想大系は第三期症状をこえている。美少女度A。

吾妻ひでお──『みだれモコ』『オリンポスのポロン』『純文学シリーズ』etc……ロリコンマニアのアイドル。何も言うことなく、美少女度A。

この他に、ヒルダファンでアリスマニアの和田慎二、少女マンガのちばてつや川崎苑子の『りんご日記』等々沢山あるが、じゅりン子チエは趣味の問題となるだろう。マンガ同人誌『シベール』はコミケットなぞで見かけたら買っておくこと。汚染度90%である。

こういった宿主を経てロリコン菌は広がっていく。その感染経路は未だ明らかではないが、撲滅は遠いと思われる。それから逃れるには南極にでも逃げるしかなさそうだ。

まあ、そういうわけで、病気の人も、病気になりたい人も、それなりに頑張ってほしい。ただ趣味のロリコンと病気のロリコンは基本的に違うものであることは理解しておいた方がいいだろう。今や病気もファッションの時代だからだ。だが、少年が少女を愛することはまったく正しいというところで今回は終り。

次回はディテールにこだわりながらメカフェティシズムを扱かってメカに淫してみることになる。

では、病気にかからず元気ですごしてもらいたい。ごめん。

ロリコン同人誌レビュー「幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント」

ロリコン同人誌レビュー(原丸太 with 志水一夫

幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント

所載:アニメージュ増刊『アップル・パイ美少女まんが大全集』徳間書店 82年3月

同人誌界は、ロリコンがブームであるといわれる。

どこまでをロリコン系ファンジン(以下、「ロリコン誌」と略す)に入れるかという問題もあるが、その数は百の大台に乗ろうとする勢いである。

さすかにまだケガ人こそ出ないものの、日本最初で最大のファンジン(同人誌)即売会「コミケット」(以下「コミケ」と略す)では、毎回いくつかのロリコン誌を争って買う人々の行列ができるようになっているし、プームの過熱ぶりを示すような色々な好ましくない噂も、耳に入ってくる。このブームは、どのようにして起さてきたものなのだろうか。

 

かつてロリコンはマイナーであったのだ

言うまでもないことだが、かつてロリコンはマイナーであった。日本最初の(外国のことは知らない)ロリコン誌は、ロリコン文芸誌とも言うべき内容の『愛栗鼠』(東京「アリスマニア集団・キャロルハウス出版部」78年12月創刊号のみ)だと思われるが、同誌は「コミケ10」の会場の片隅で、紙袋に入れられ、人目を忍ぶようにして細々と売られていたという。

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C10(1978年冬のコミケ)で頒布された日本初のロリコン同人誌『愛栗鼠』(1978年12月創刊号のみ)。アリスマニア集団・キャロルハウス出版部(蛭児神建の個人サークル)発行。数十部程度のコピー誌(蛭児神すら現物を所持していない)かつ性的要素がない文芸誌のためか『シベール』ほどの知名度はない。その後、吾妻ひでおらと協賛関係を結び『シベール』の作家陣も参加した同誌増刊号『ロリータ』(1979年4月発行、同年7月の2号で休刊)が創刊される。

それがどうして、現在のようなブームにまでなったのであろうか。しばらく、その経緯を追ってみることにしよう。

後に多くのロリコン誌に影響を与え一般にロリコン誌の元祖だと思われているロリコン・マンガ誌『シベール』(東京「無気力プロ/シベール編集部」)が創設されたのは79年の4月のことである。

以後、80年春の「コミケ14」まではシベールと『愛栗鼠』の増刊『ロリータ』(79年4月創刊号、7月2号)または『機動戦士ガンダム』のポルノ・パロディー『AMA』(「東京アニメニア・アーミー」79年12月創刊、81年7月4号で終刊)の二誌だけという時代が続くことになる。この時点で現在のようなロリコン誌ブームを予言した人がいたとしたら、ちょっとした超能力だと言えよう。

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『愛栗鼠』臨時増刊号として蛭児神建がC11(1979年春のコミケ)で頒布したロリコン同人誌『ロリータ』。同年7月の2号で休刊。アリスマニア集団・キャロルハウス出版部発行。『シベール』と協賛関係を結んだ唯一の同人誌で、吾妻ひでお沖由佳雄孤ノ間和歩も原稿やイラストを寄稿した。

80年夏の「コミケ15」には、いわゆるロリコン誌のもう一つの方向、即ち必ずしも性的な描写を含まず、ただひたすらアニメの美少女キャラにこたわるという形を持った、クラリス狂専誌『クラリス・マカジン』(別名『クラマガ』、東京「クラリスマガジン編集室」80年8月創刊、同12月2号で体刊)が登場。また早坂未紀の個人画集『FRITHA(フリス)』(東京「トラブル・メーカー」80年9月)の発刊もこの時だった。この頃、『シベール』の影響を直接受けた『ロータリー』(東京「(チヨダ)ロータリー・クラブ」80年7月創刊、現在8号)も創刊しているが、当時は限定わずか13部のコピー誌で、オフ化してコミケに参加し、多くの人々に知られるようになるのは、まだ先のことであった。

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さえぐさじゅんによる『ルパン三世 カリオストロの城』の非エロ同人誌『クラリスマガジン』。1980年8月創刊。同年12月の2号で休刊。ロリコンファンジンの中核としてコミケで人気を博すが、増刷時の未発送トラブル(サークル関係者ではなく再販時の関係者の不祥事)で再販予約を募った『アニメック』誌を巻き込んだ「同人誌史上最大の詐欺事件」と呼ばれる「クラリスマガジン事件」を引き起こした。

この時点では、それぞれの傾向を持ったファンジンが個別的に出てきてこそいるものの、またブームとしてのまとまり、ないしは方向性といったようなものはほとんどなく、ただ一冊一冊のファンジンにそれぞれ人気が集まっているという状態だった。ところが……。

アニメ雑誌ではじめて「ロリコン」なる言葉がクローズ・アップされたのである。『月刊OUT』(みのり書房)80年12月号の米沢嘉博病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータコンプレックス」がそれだ。

米沢がそこで対象にしたのはもちろんプロ作品だが、後にロリコン・マンガの二大宗家の如くに言われるようになる吾妻ひでおと野口正之(内山亜紀)との扱いがとりわけ大きいことは注目される。また「ロリータ・コンプレックス」いう言葉が元来学術用語だということを充分明らかにしていないことにも、注意を要する。意味があいまいなまま「ロリコン」という言葉だけを世に広めてしまったのである。このことは、後に本来のロリータ・コンプレックスとは異なるものまでが「ロリコン」と呼ばれるような状況を生み出してしまうきっかけになったと思われる。また『シベール』の名がはじめて商業誌に現われたのも、この時が最初だと言われる(引用者注:正確にはアリス出版の自販機本『グルーピー』において米沢嘉博が企画したアリス特集で『シベール』を取り上げたのが最初だと考えられる)。

80年冬の「コミケ16」では、『人形姫』(東京「サーカス・マッド・カプセル」80年12月創刊、現在4号)が新登場。またこの頃名古屋では、セーラー服研究誌『すずらん』(愛知「名古屋学院セーラー服研究会」80年12月創刊、現在2号)が出ている。

これとほぼ同時期の『OUT』は、81年1月号の付録の特大ポスター「吾妻ひでお版(青少年向)“眠られぬ夜のために”」によって、ロリコン路線に追い打ちをかけた*1。このポスターによって吾妻は、プティ・アンジェにドロレス(即ちロリータ)を演じさせるなどのアニメ少女キャラ服装バロディー(と呼んでおこう)を行ない、そのロリコン・マンガ家としての地位を不動のものにしたのであった。なお、このポスターの中の「クラリスGOGOチアガール」のイラストのキャプション(説明文)に「クラリスマガジンコミケで売ってた)見てからかぶれてしまったの/カリオストロ見てないのに……」として『クラマガ』の名が出てくるのに、注目しておきたい。

しかし、ここまではほんの前哨戦にすぎなかったのである。


 

ロリコンブームは予言されていた……?

ここに、あの『アニメック』17号(81年4月発行)のロリコン特集「“ろ”はロリータの“ろ”」が登場する。この特集は、その後のいわゆる「ロリコン・ファンジン・ブーム」の方向を決定づけた、あるいは予言した、一つのエポックであった。この特集の登場以前を、私はロリコン誌ブームの「覚醒期」と呼びたい。

この『アニメック』の特集は全25ページ。今から見ると、恐ろしいほどまでにその後のロリコン誌ブームの傾向がエッセンスされている。まず、ロリコン特集とはなっているものの、実はその半分ほどはアニメの美少女キャラ特集に近いものであったということ。このことは、後にいわゆる「二次元コンプレックス」もしくは単なるアニメ美少女キャラ・ファンまでもが「ロリコン」と呼ばれ、あるいは「ロリコン」を自称するようになる、一つのきっかけとなったものと思われる。

この点『アニメック』が「二次元コンプレックス」(この言葉が最初に商業誌に現われたのは、『アニメージュ』80年10月号の吾妻ひでおを囲んた座談会であろう)をロリコンに引き込んだと言っても過言ではない。しかしまた、このことがなければ、現在のようなロリコン誌ブームはなかったというのも、正しい見方であろう。

同特集の5分の1に当たる5ページ分を『ルパン三世カリオストロの城』のヒロイン、クラリスに関する記事で埋めていることも、注目に値いする。主人公ルパンが悪役カリオストロ伯爵を「ロリコン伯爵」呼ばわりする場面があるとは言え、16歳という本来ロリコンの対象となる年齢(14歳以下)とはかけ離れた設定の彼女がその後ロリコン誌の三種の神器の一つのように扱われるようになるのも、やはりこの『アニメック』の特集の影響が大きいのではなかろうか。

同特集では『シベール』と『クラマガ』の内容の一部を、アニメ誌としてはじめて紹介しているが、この二誌がその後のロリコン誌の手本とされたことを考えると、興味深い。

表紙だけとってみても、『シベール』は一部で「某黒本」などと呼ばれているように黒いラシャ紙の無地表紙、『クラマガ』は白のエンボスという特殊用紙に薄緑や水色の印刷という凝った表紙だったが、色こそ違え無地の色紙(特にラシャ紙)の表紙と、白のエンバスに薄色の印刷の表紙のロリコン誌が、後に続出したのである。

アニメック』の同ロリコン特集が、吾妻ひでお村祖俊一中島史雄のインタヴューを掲載していたことも、特筆しておきたい。これはロリコン誌への成人向劇画(いわゆる三流劇画、エロ劇画)の影響を促す、少なくとも原因の二つになったと思われる。ロリコン誌ブーム以前は、同人誌界はもっぱら少年・少女マンガ志向であって(隠れたファンは結構いたにしても)成人向劇画とはほとんど無縁の世界であったことを考えるとその意義は大きい。

更には同特集がSFといわゆるロリコンとを関連づけた記事(安座上学「少女愛好の双曲線──二次元コンプレックス処方箋」)を掲載していたことにも注意しておきたい。これ以後、それまで潜在的に存在していたと思われる SFファンのロリコン趣味を顕在化させるきっかけとなり、ひいては大学SF研を中心とするロリコンブームのSFファンダム(同人誌界)への蔓延の元になったとも考えられるからである。ただこの辺になるともう、一種のニワトリで、この特集があったためにその後の展開があったのか、その気配があったから特集にそれが現れて来たのか、判然とはし難い。しかし仮に後者だとしても、この特集がその後の動きを増幅したということだけは、間違いないと考えられるのである。

さて、『アニメック』17号の発刊とほぼ同じ頃に開かれた「コミケ17」にも、異変が起きていた。前出『ロータリー』のコミケ進出、FC的色彩を持った「シベールFC・ハンバート」(神奈川、会報『ブレザンス』81年4月準備号、同6月創刊、現在4号)の登場、更にアニメ・キヤラ・ヌード専門誌『ヴィーナス』(東京「ムーン・ライン製作室」81年4月準備号、同5月創刊、同11月3号で終刊)の出現、そして『シベール』の終刊である。

81年春というこの時点こそ、後のロリコン誌“ブーム”の「胎動期」だったと言えるだろう。その後『OUT』81年8月号ではカラーを含めた13ページの特集「ルナティック・コレクション“美少女”」をやっている。他各ア二メ誌上で『クラリス・マガジン』再版の予約者募集が行なわれた。これには一万通以上の応募があったという……。

 

ファンジンの世界はロリコンがいっぱい

そして、あの“ロリコンの夏”がやってきた。まさしく「発動期」の到来である。

皮肉なことに『シベール』の終刊は、むしろロリコン誌ブームを本格化・活発化させることになった。これまでは、ブームといってもしょせんは「シベール・ブーム」であり、あるいは「クラマガ・ブーム」であった。その『クラマガ』がなくなり、『シベール』がなくなったのである。残ったのは「もっとクラマガを」「もっとシベールを」という声だけであった。ポスト・シベールをねらい、あるいはポスト・クラマガをねらう人々が出てきたところで、何の不思議があろう。ましてこれまで『シベール』を買う人の列を横目で見ていた人々にとってみれば、正に「チャンス到来」の感があったに違いない。

81年夏の「コミケ18」では、それまでせいぜい10誌にも満たなかったロリコン誌が、突如数10誌にまでふくれあがったのであった。

この時点でのロリコン誌の傾向や種々相に関しては、拙稿「ロリコンファンジンとは何か」(『ふゅーじょんぷろだくと』81年10月号)に詳しい。そこで私は、いわゆるロリコン・ファンジンの中には、X=メルヘンチックなあるいはオトメチックなかわいいものに接したい(見たい、書きたい…以下同)Y=エロチックなあるいはまたセクシャルなものに接したいZ=(主にアニメの)ひいきのキャラクターに接したい、の3つのベクトル方向が様々にからみあって存在すること、そしてそのからみ具合によって、大別して3つ、更に分類して6つにほぼ区分できることを示しておいた。

その6つとは『シベール』に代表される「ロリコン・マンガ誌」的な'A群(主にX―Y方向)。それよりややZ方向の強い『愛栗鼠』のような「ロリコン文芸誌」的または『プレザンス』のような「ファン会誌」的性格を持ったA群。『AMA』や『ヴィーナス』のような「アニメ・パロディー」の延長線上にある'B群(主にY―Z方向)。その中でも『アニベール』(東京「シベール編集部」81年4月創廃刊)や『のんき』(東京「おとぼけ企画」80年12月創刊、現在4号)3号のようなロリ・キャラ専門誌の'B群(主にY―Z方向プラスX方向)。そして『美少女自身・イマージュ・ソフィー』(神奈川「EIRISHA」81年8月創刊)のような「アニメ少女キャラ・ファン会誌的な'C群(X―Z方向中心)、それに『クラマガ』に代表される「特定アニメの少女キャラ・ファン会誌」的なC群(ほぼX―Z方向のみ)である。

更に私は、それ以後のロリコン誌の動向として、XYZ各軸の内のひとつを中心にしものへ移行していくのではないかとしたが、81年冬の「コミケット19」(実行委員会の内事情で、同じ日に晴海の「元祖コミケット」と秋葉原の「新コミケット」が開かれた。私のようなコレクターの身にもなってくれい!!)を見た所では、確かにそういう傾向もないわけではないが、『アンジェ』(東京「アンジェ編集部」81年12月)に代表されるような、A~C群のすべてをひっくるめたようなファンジンも、結構出てきているようである。

他にその後の新しい動きとしては、このロリコン誌ブームを契機として、成人向劇画のファン・クラブが登場してきたことがあられるだろう。「内山亜紀参加野口正之FC連合」(神奈川、会誌『妖精人形』81年12月創刊)の他、野口正之(内山亜紀)のFCがいくかできているようだし、谷口敬のFC「ふらすずめ」、また中島史雄のFCも結成の動きがあると聞いている。

なお、成人向劇画系の出版社から出た『レモンピープル』(81年12月創刊)は、ハッキリと「ロリコン・コミック」を謳っており、『人形姫』に書いていた人々が何人かデヴューをはたしている。

 

ロリコン誌ブームをどうみるか……?

ロリコン誌ブームはファン主導によって生じたものだ、とはしばしばいわれるところである。しかし実際は、かなりプロジン(商業誌)の影響があるということも、また事実てある。

ロリコン誌ブームが起きるに際して最も大きな役割を果たしたと見られるふたつのファンジン、『シベール』と『クラマガ』にしてからが、前者には最初から某有名ロリコン・マンガ家が参加していたし、後者にもさる少女マンガ家が中心スタッフに加わっていたことは、今や公然の秘密である。その他のアニメ・パロディー系ロリコン誌にしたところで、原作のアニメそのものにシャワー・シーンなとのヌード・シーンが多く登場するようになったことと無縁とはいえず、これではとても「ファン主導」などとは言い難いのではなかろうか。ただそれが、他ならぬ『ガンダム』によって最初になされたということに関しては、後の小説版によってより明らかにされることになる、ストーリーの底に隠されたセクシャルな香りをかぎとった、ファンの嗅覚は認めねばなるまいが。

更に、ロリコン誌を見てると、その関係者の中に成人向劇画のファンが結構いることに気付く。成人向劇画の美少女路線横行も、間接的にこのロリコン誌ブームに影響を与えているであろうことも、想像に難くない。何しろ最近の成人向劇画誌の中には、『劇画ロリコン』とか『漫画ロリータ』などという題名のものまであるくらいなのだから。

81年10月号の『OUT』では、阿島俊という人が、ロリコン誌ブームに苦言を呈している。しかも、『ふゅーじょんぷろだくと』の同年10月号のロリコン特集を、予告を見ただけで批判している(同号は『ふゅーじょんぷろだくと』全バック・ナンバー中でも最高に出来の良い一冊であった。ついでに言えば、阿島は同誌を「『ぱふ』から名を変えた」としているが、これは「旧『ぱふ』の編集部が独立した」が正しい)。

しかし 『F式蘭丸』にも書いてあるように、「否定からは何も生まれない」。

かつて同人誌界で、パロディー・マンガがえらく流行ったことがあった。パロディーものなら何でも売れる、という時期があったのである。しかし、パロディーはしょせんパロティーにすぎず、それ以上のものにはなり得ない。ましてやそのほとんどは(友人某君の言葉を借りれば)パロディーともいいがたい単なる似顔マンガにすぎないのであるから。

だが、いわゆるロリコン・マンガは異なる。こんなものであれ、そこにはあくまでマンガとしてのオリジナリティーが存在する(はずである)。かつて三流劇画よエロ劇画よとバカにされ軽蔑された成人向劇画をきっかけとして、あるいは踏み台として、多くのユニークな才能が出現してきたように、同人誌界のロリコン・ブームも、新しい才能を生み出す可能性を持っていると、私は確信している。

そして、かつてロリコンものを中心としていたファンジンやライターが、実力をつけるに従って、ロリコンばなれをしはじめているという現実が、そのことを裏付けているように思われるのである。

よしんば、破廉恥な奴よと笑われてもよい。私はこのブームの行く末を、この目で見極めたいと思っている。

(文中敬称略)

 

*1:このポスターイラストは1981年12月に奇想天外社から発行された『マンガ奇想天外』臨時増刊号「パロディ・マンガ大全集」にも流用され、単行本『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』(復刊ドットコム)に収録された。

吾妻ひでお+谷口敬+野口正之+蛭児神建+早坂未紀+川本耕次「ロリコン座談会:ロリコンの道は深くて険しいのだ」

ともかくブームだそうである、美少女がだ。ならば、とその筋の“権威”の先生方に集まっていただいたわけですが……ああ恐ろしや、恐ろしや。

ロリコン座談会

ロリコンの道は深くて険しいのだ。

所載:ラポート刊『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号「特集 ロリータあるいは私は如何にして正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」



吾妻ひでお(美少女まんが家)

やはりこの人を抜きに美少女を語れない。ちょっと最近騒がれ過ぎかナ、という気もしないでもないが、やはり騒がれるだけのことはあるのだ。一部では「ロリコンの神様」として神棚に祭り、朝に夕に柏手を打つているともいう。

 

野口正之美幼女まんが家)

もはや逃げも隠れもしない、まごうかたなきロリコンの人。最近某少女まんが誌『なかよし』の投稿欄に応募して、めでたく選外Cクラスに入選された。これを機会にロリコンまんが家を廃業して、少女まんが家の道を進みたいとのことである。

 

谷口敬ロリコン劇画家)

絶対に顔写真を載せないよーにとのきついお達しがあったが、それでも載せてしまうのだ。本邦初公開、厚顔の…いやいや紅顔の美青年まんが家。『エロジェニカ』でデビューの後、現在ほ連載ペースで『大快楽』に執筆中である。

 

早坂未紀ロリコン同人誌作家)

同人誌界ではピカ一の実力を誇る彼も、実はというよりやっぱりロリコンである。これだけの腕を持ちながらなかなかプロ誌で本格的に描かないおくゆかしい人。村上もとかさん、吾妻ひでおさん等のアシスタントもしている。

 

川本耕次ロリコン編集者)

『Peke』で野口正之にロリコンまんがを描かせ、『少女アリス』で吾妻ひでおに美少女まんがを描かせた、言ってみれば今のブームの元凶みたいな人。その他にも幻の名作美少女写真集『街には女の子たちがいっぱい』もやはり彼の仕事である。現在は群雄社でエロ本作りに日夜いそしんでいる。

 

蛭児神建ロリコン変質者)

ロリコンの話をすると何故かいつも彼の話が出る。その道の教祖みたいな人。ハンチング、サングラス、マスク、レインコートの格好はついにダミーまでが出回る始末。過激ロリコン同人誌『幼女嗜好』を主宰する。

 

司会・藤本孝人(ただ今独身30才)

老舗ミニコミ誌『漫画の手帖』発行人。一見勤厳実直品行方正サラリーマンである彼が、今回の特集では八面六臂の大活躍。いかに人間の外見がイイカゲンなものかを示してくれた。最近はお見合いの話も沢山持ち込まれるようになったが、やはり彼の好みにあったセーラー服のお見合い写真が来ない限り応じることはないであろう。

 

 

あなたはロリコン?

── 一応今日の座談会はロリコンについてということですので、まず最初に皆さんがロリコンであるかどうかということを確認してみたいと思うのですが

 

野口ロリコンです(キッパリ)

 

谷口:僕が今仕事しているのは『大快楽』なのね。それでその執筆メンバーを見ていると思うんだけど、もしかしたら僕が一番ロリコンなんじゃないかと。

 

──どこかで僕はロリコンじゃない!と主張しておられましたけど。

 

谷口:少なくとも暴力的ではない。

 

川本:僕はロリコンです、言葉の厳密な意味で。最近ハイジコンプレックスとかアリスコンプレックスとか色々あるでしょう。僕はやっぱりセーラー服が(笑)

 

──次に、聞くまでもないでしょうが…

 

吾妻:僕は違います(キッパリ)

 

一同:またまた

 

──まあ反論はひとまず置いといて、早坂さん

 

早坂:僕はみんなからそうだと言われるんですけどね

 

──自覚症状はないと

 

早坂:ないですね。手が震える程度でしょう。

 

蛭児神:私の夢は、胸を張って“私は変質者です”といえるようになりたいということで

 

──変質者とロリコンの違いとは

 

蛭児神:行動力の違いでしょう。

 

──さて、色々と皆さんに伺ったわけですが、吾妻さん。

 

吾妻:え

 

──先程僕は違うとおっしゃいましたが、すると仕事でロリコンしていると

 

吾妻 ……少しはそういうところも……

 

──アニメの美少女なんかは大好きではないと

 

吾妻:いいえ(笑)僕だけ聞かないで下さいよ。今日はロリコンとはどうゆーものか勉強しにきたんだから。

 

早坂:あーそういうこというんだから

 

──吾妻さんのまんがを読んでロリコンに目覚めたという人が沢山いるんですが

 

吾妻:知らない。そんな人がいるんですか

 

──川本さんは『Peke』などで前から吾妻さんのその手の作品を扱ってますけども

 

川本手前味噌になるんだけど、吾妻さんの人生における重要なターニンク・ポイントにはなぜか僕がいるわけ。秋田書店双葉社に描いていた二流の吾妻さんを『Peke』で三流まんが家に仕立てあげちゃった。吾妻ひでおというとマニア作家という概念を作っちゃった責任はほぼ僕にあるんじゃないかと。そのあと『少女アリス』で美少女まんがを描いてもらったら、今度は「SFマニア作家」から「ロリコン作家」ということになってしまって、何か悪い方へ悪い方へ方向づけちゃっているような

 

吾妻:あ、それはありますね(笑)

 

──野口さんなんかも『Peke』でロリコン作家の道を歩み始めた方だと思うんですが。

 

川本:彼は『OUT』の新人まんが賞でデビューしたんです。それで当時みのり書房の編集部をウロウロしてたもんで、原稿料も安くあがるからという安直な発想でたのんでみたんですけど。

 

野口初めてロリコンという言葉聞いたのはこの人からでね(笑)

 

川本その頃は全然ポピュラーじゃなかったんですよね。ただ僕が多少そういう趣味があったのと、野口君にロリコンとしての素質があったから描いてもらったわけで。

 

野口:僕は女の子さえ描いていれば喜んでいるタイプなんですよね(笑)

 

──谷口さんが『ぱふ』に投稿していたものを見ると、その項からすでに女の子がとてもかわいいんですけど。やっぱり常日頃主張しているようにロリコンではないと

 

谷口:読者が僕のことをそういうのと、僕がロリコンではないと言うのでは、質が違うし、かみあわないんですよね。最近そこら辺が分ってきたもんで、読者がそういうんであればそれでもいいと諦らめているんですけど。

 

──セーラー服は割と執着を持って描いていると思うんですけど

 

谷口:全然ないです。……ただ今のセーラー服というのは、上はまあいいですけどスカートが気に入らない

 

一同:(笑)

 

吾妻:スカートは短い方が好きなんですか。

 

谷口:スカートというのはミディですよね、だいたい。膝小僧が半分見える位が一番かわいいんですよね、ミディは。

 

──やっぱりああいう作品は楽しんで描いているわけですね。

 

谷口:いや、楽しいですけど……これでいいのかなというのは若干……

 

──禁断の喜びですか(笑)

 

早坂:世の中でロリコンと呼ばれている人達に妹を持っている人がいますかねえ。僕はわりといないんじゃないかと思うんですけど。

 

蛭児神:私の友人に妹が実際いて、同名の妹を犯しまくるという小説を書いているのがおりますが

 

一同:そりゃビョーキだ(笑)

 

川本:それはあるかもしれないね。妹願望みたいな

 

谷口:ありますね。

 

──実際に妹がいたらこうあってほしいというような?

 

早坂:意識はしてみませんけど、それはあるでしょうね

 

蛭児神:妹願望というのはロリコンであれば誰でもあるでしょうね。私ももし妹がいればああしてやろう、こうしてやろう(身ぶり手ぶりで)

 

一同:(笑)

 

吾妻:ちょっとかんべんして下さいよ(笑)

 

──手塚治虫さんの初期の作品には、よく“僕の妹になってくれ” “いいわ”みたいなラストがありましたが、それでいくと手塚さんなんかは、わりとロリコンの元祖じゃないかと思うんです

 

吾妻:あ、そんな感じしますね。

 

谷口:「火の鳥」の中では近親相姦みたいなものも出てきますよね。妹や母親とセックスをして子孫を沢山作っていくんだみたいに

 

蛭児神:近親相姦というモチーフはロリコンものには多いですね

 

川本:僕は今エロ本を作っているんだけれど、その関係で告白手記なんかをよく書くんです。で近親相姦の告白手記を書く時はいつも妹とやる話になっちゃう。僕は姉はいるんだけれど妹はいない。そのせいか姉とやるというのはどうしても妄想できない。母親というのもだめ。唯一想像できて魅力的な素材だと思うのが妹とやる話でね。でも僕の妹になってくれ、みたいなセリフはよく考えてみるとものすごくヒワイなセリフだと思うんだけど(笑)

 

ロリコンの市民権はどこにある

川本:僕は誰でもロリコン的要素というのは潜在的に持っていると思いますね。それがたまたまこの時期に、アニメの美少女キャラクターとか吾妻さんのまんがとか、野口君の描く美少女とか

 

野口:僕のは美少女じゃないです。美幼女ですよ。

 

川本:(笑)そういうものがキッカケでロリコンしてもいいんだという社会的なステータスを与えられた所はあると思いますね。

 

野口:市民権を得たロリコンですか

 

川本:今の状況で、たとえば吾妻さんがいなくって、野口君もいなくって、東映の美少女キャラもいないとしたら、はたしてロリコンと名乗れるかどうか。なんか今はロリコン吾妻ひでおのファンというとなんとなく格好がつくという所はあると思うのね。そういえば認められるんじゃないかという。

 

野口:この前ね、お見合いしたのね

 

一同爆笑

 

野口:それでね、仲人の人はまんが家ということで先方に紹介してあるわけね。だから当然女の人はそれ以上の予備知識はないのね。それで会ってね、挨拶をするでしょ。で、“どーゆーまんがを描いてるんですか”ってね

 

一同爆笑

 

野口:ああゆう時にスパーッと答えられないのは、やっぱりまだまだ市民権を得ていないと思いましたけどね。それでまあ“色々と描いてます”とか答えましたけど(笑)

 

──やっぱりブームとか言われていますけど、まだ市民権は得ていないと

 

吾妻なんでロリコンがブームになるかわからない。ありゃあブームでするもんかね

 

蛭児神やっばり昔はロリコンというと暗いイメージがあったんですけど、なんか先生方のおかげで楽しく明るいロリコンというイメージができましたね。特に野口さんのまんがというのは楽しいんですよね。楽しんで描いている。アッケラカンとして私は変態ですというふうにやっている。

 

野口:否定はいたしません(笑)誰かに言われたんですけど、僕の描く女の子はメチャメチャにいたぶられていても、女の子が痛がっていないって。なんかいじめられているという感じが僕のまんがから受けられないと言われましたけど(笑)描いてて目一杯楽しんじゃう方だから。やっぱり女の子を描くのは楽しいですよね

 

吾妻:いじめるのが好きなんですか

 

野口:いや、本質的に血を見るのが嫌いだから、ただね、新聞なんかで幼女にイタズラとかなんとかいう記事を見るとね、ドキッとするんですよ。

 

吾妻:自分もいずれそうなるのでは

 

野口:一歩まちがうとね(笑)

 

──実際に横浜でノグチマサユキという人が幼女にイタズラして逮捕されたそうですけど。

 

野口:あ、あれね。あの日辰巳出版の編集の人が電話かけてきたんですよね、確かめに。そしたら“あれ? いる”って(笑)

 

吾妻:あれは、てっきり野口さんだと(笑)

 

──でも神奈川のストリップ劇場で、本番ショーで舞台にあがって逮捕された警官の名前がアズマヒデオでしたけど。

 

一同爆笑

 

吾妻:ううむ

 

わたしのびしょうじょ

──どうなんでしょう。美少女というのは何才くらいを指していうんでしょう、

 

蛭児神:私は14才を越えたら年増ですけど(笑)

 

川本:基本的に年令は関係ないと思うですけど。実際の年令よりも、その少女の持っている内面性がね。たとえば東京の女子高生というのはすごいでしょう。みんなスケバンみたいで。ところが群馬あたりでロードパルかなんか乗って通っている女子高生ってすごくかわいいんですよ、すれてなくて

 

──吾妻さんは、やっぱり胸が出ていても少女は少女であること。

 

吾妻:ああ、そういえばそうですね。でも蛭児神さんなんかは…

 

蛭児神:胸は完全にひらたくなければならない。

 

一同爆笑

 

吾妻:だから差がありますよ。彼は絶対正常な結婚はできない。

 

川本:いやロリコンの人間はだいたい正常なケッコンはできませんよ。僕が最初に吾妻さんの所に電話かけた時に奥さんが出てね。てっきり中学生だと思ったもん

 

──じゃあ吾妻さんのは正常なケッコンではないと(笑)

 

吾妻:正常ですよ、何を言ってんですか。子供もいるもん。だいたい子供のいるロリコンなんてありえないよ

 

蛭児神:そろそろ家のまわりに鉄条網を張らないとあぶないですよ。

 

吾妻:みんなが私の娘をねらっている(笑)だれがやるか

 

── 一生結婚させないで自分のそばに置いておきたいとか

 

吾妻:いやそんなことはない。正常な人間だから

 

一同なぜか爆笑

 

セーラー服とランドセル

吾妻:セーラー服って、でもロリコンなんでしょうかね。

 

谷口:ええとですね(今まで静かだったのに急に身を乗り出して)あのう、10年前にもこういうブームがあったらしいんですよね。その時のブームの主役がセーラー服だった。それをひきずっているというだけじゃないですか。

 

蛭児神:じょしこおせえというのはどうも苦手でしてね、あのキャーキャーいう声を聞いていると、本当にひっぱたいて縄で縛って……

 

一同:やっぱりやりたいんだ(笑)

 

川本:やっぱり理想としては中学生のセーラー服ね。都内の高校生は似合わないよね。胸もまだふくらみかけて、身長も155センチくらい。そういう子がセーラ服を着るべきですよ。

 

蛭児神:セーラー服というのは一年中着ているもので、どう考えても不潔ですが。アブラがテカテカして

 

──同じテカテカでも蛭児神さんの場合はランドセルのアブラがテカテカはいいわけですか

 

蛭児神:あ! あれはいいんですよ、ランドセルは。最近手に入れたんですけど、特に六年間使い込んで、汗のしみこんだ赤いランドセルというのはたまりませんよ。

 

川本:(笑)きっとランドセルを頭からかぶってころげまわっているんだ

 

──今日は持ってこなかったんですか

 

蛭児神:まさか。家に大事に飾ってあります。

 

一同笑いころげる

 

川本:僕なんかはブルーマーかぶってころげまわるくらいですよ、普通の人だから。

 

谷口:あ、ブルマーいいですね。

 

川本:チョウチンブルマーの方じゃなくて、ピッタリしてるジャージーかなんかのやつ。あれがいいんですよ。

 

──レオタードはどうでしょう。

 

川本:ううん。少女のレオタード姿というのはかわいくないです、はっきりいって。

 

谷口:(うなずきながら)かわいくないです。

 

川本:やっぱりレオタードよりはスクール水着じゃないですか。

 

──めいっぱい地味なやつですね。

 

川本:胸に名札をつけていたりするのは、ちょっとカンベンしてほしいけど。

 

──どういった所がいいんでしょう

 

川本:うん、やっぱり同じ格好をしているでしょう。だからかわいい子がすごく目立つのね。

 

リカちゃん人形のクッセツ

──どうなんでしょうか、人形なんていうのは皆さん

 

野口:にんぎょうねえ。いいですねえ。

 

早坂:蛭児神さんの独壇場でしょう、人形の話は。

 

蛭児神:好きですねえ。リカちゃん人形だけで20体ぐらい持っているし。やっぱりフツーに遊んでいてはつまらないんですよね。スーパーヒーローの人形というのはリカちゃん人形と大きさが同じくらいなんですが、ウルトラマンにリカちゃんの服を着せるとこれがなかなかカワイイ。それからGIジョーという人形がありますが。ちなみに私は5体持ってますけど。このGIジョーとリカちゃん人形を合わせると丁度大人と子供の体型になる。

 

一同:ぐわあ(笑)

 

蛭児神:したがって色々な体位を楽しめるんですね

 

吾妻:ビ・ビョーキだ(笑)

 

川本:クッセツしきってる(笑)

 

野口:この前ね、蛭児神さんが僕の所へ遊びにきて、リカちゃん人形とGIジョーの組んずほぐれつの大格闘を見せられちゃいましたけどね(笑)あれ以来人形もなかなかいいんじゃないかなと思ってんですけど。

 

吾妻:あなた出前でリカちゃん人形やってんですか。

 

蛭児神:べつに出前というわけじゃないんですけど

 

──プティ・アンジェ人形なんかは?

 

蛭児神:ああ、あれは5種類出ていますよね、タカラから。でまあ、大小あわせて1体持ってますが。もう古いアニメですから大変です。キャンディ・キャンディなんか今だに売っているというのにプティ・アンジェの方がずっとかわいいし、性格もいいんだ!キャンディ・キャンディみたいな偽善的なキャラクターは嫌いです。

 

──吾妻さんもだいぶプティ・アンジェにこだわってらっしゃいますけど

 

吾妻:ああ、私も好きなんです。その辺ではあの人と合っている。でも負けるけどね。私は3体しか持っていない。

 

一同爆笑

 

蛭児神:セルなんかはお持ちですか

 

吾妻:いや、もらいもので2・3枚。

 

蛭児神:きんぱくプティ・アンジェというセルがありまして

 

谷口:しかしまともじゃないな

 

吾妻:ああ、水車小屋かなんかに縛られるやつね。

 

蛭児神:もうなんというか、これがじつにかわいい。ウフフフフフフフフフフフフ

 

ロリコンは思想である

──竹宮恵子さんの「私を月まで連れてって!」なんかは、完璧にロリコンまんがだと思いますけど

 

吾妻:あ、そうですね

 

川本ただ、僕は基本的に女にはロリコンは理解できないと思う

 

野口:僕もそう思います

 

川本:大抵みんなファッショナブル・ロリコンでしょう。

 

早坂女の人のロリコンというのは、小さいかわいい女の子も好きだけど、かわいい男の子も好きだという。かわいい子供達が好きなんですよ

 

川本:割と節操がないというかね、思想がないというか。

 

──思想ですか?

 

川本ロリコンてみんな思想を持ってるでしょ。

 

野口:なんか言いわけしてるみたい(笑)

 

川本:いやこだわるポイントを持ってるでしょ。スクール水着にこだわるロリコンとか、ランドセルにこだわるロリコンとかのところが女のロリコンというのは、そういうのなしにただかわいければいい。無節操なロリコンですから、あれはロリコンとして認知できないんじゃないですか。やっぱりロリコンの道はもっと深いんだという。

 

野口:あ、深かったのかあ(笑)

 

早坂:なんか希望に燃えてきた。

 

蛭児神:僕なんかまだまだですねえ

 

早坂:三年くらい山に籠もりますか、ランドセルしょって(笑)

 

川本ただ最近ヤバイなと思うんだけど、本当はロリコンなんて暗くてきたないもので、結局、誰かがいってたんだけども少女は美しいんだけど、その少女を愛する僕たちは美しくないんだと思うのね。それがあたかもロリコンが美しいものと誤解して入ってきている。吾妻さんのまんがなんか、そういう隠れ蓑になっていると思うんだけど、ロリコンとは言えないんだけど、ワタシ吾妻ひでおのファン。だからロリコンなのよというのは非常に格好いい。そういう悪い傾向があると思う。やっぱり少女を愛する者はちっとも美しくないものなんです。

 

早坂:美しくないんだけど、そこで開きなおっちゃって、だからドウダというんだ、○○してやる××してやるというのがロリコンなんでしょう。(了)

 

明日の日本を担う君に──セーラー服の勧め

セーラー服を着たことがある方には解ると思うが、あれは、なかなか着ごこちのよくないもので、胸はきついし、スカートは足にからみて歩きにくいし、およそ合理性とは縁遠い代物なのだ。だから、思春期の少女を心理的におさえつけるのは、なかなか有効なのかもしれない。ところで、私が初めてセーラー服を着たのが、忘れもしない十五の春。

妹から借りた冬物のセーラー服に、ほんのり薄化粧、胸には少々詰物を入れる。セーラー服は素肌にここち良く、鏡の向うから、かわいい女学生が恥ずかしそうにこっちを見てた。そう、体育祭の仮装行列でなかったら、とても男子校生の私がセーラ服を着るチャンスなんてあるもんじゃない。

不思議な充実感に、足どりも軽くグランドに出れば、なぜか眩しいみんなの視線。中でも筋肉質の若い体育教師の目の輝きは、少々やばかったのだが、ここで私がゲイの道に進まなかったのは、ひとえに我家の持病である、痔疾への恐怖からに他ならない。やはり御先祖様に感謝すべきだろう。

ただ、女装癖はその後も長く後遺症として残り、時々、一人密かに鏡の前で、セーラー服を着たり脱いだりしたものだが、衆目の中で熱い視線を受けた時の快感には遠く及ばなかった。今では立派な社会人となり痔疾の心配もなく、明るい日本の為に働いている私の輝やかしい成功例から見ても、明日の世界を担う青少年は、一度は私の様にセーラー服を着てみることを、ひたすらお勧めしたい。

今回は、セーラー服着用のお勧めを書かしていただいた。他に、自然な胸のふくらまし方とか、いかに前のふくらみをかくして、女性用パンティを着用するかとか、いろいろ話しはあるのだが、今回の話題には今ひとつ関係がないので、別の機会に譲りたいと思う。(健全な一社会人)

 

薬師丸ひろ子を見るな!

本当の事を言うと、薬師丸ひろ子ことは他の人と語りたくないのだ。決して、何が恥かしい訳ではないのだが、どーも、肉マンだとか足が太いとか当っている事を指摘されるのがいやだというのが本当のところか。

ひろ子という少女に関して語ることは、ロリコンの行為ではないということを証明しよう。何しろ、ロリコンとは流行っていても、単にビョーキでヘンタイに過ぎないのだから。近くの小学校の運動会へ見学へ行ったり、銀行のポスター盗んだり、デパートのチラシにでている子供服のモデルの女の子を切りぬいてファイルしたりする、そおいうリョーキの世界とは明らかに違うのだ。まず何より彼女は有名のスターである。つまり三原順子伊藤つかさのレベルなのだ。歌こそ歌わねど、メジャーでありながらかつ、普通の女の子なのである。ひろ子はなにしろ学校を無遅刻無欠席の高校2年生なのだ。それでいて全国あまねく名が知れ渡っているところが偉大である。この偶像性を持ちながら、存在感と日常性をもつ女子高校生というリアリズムが、何よりロリコンなどという暗いマイナーな病気の世界と次元を異とするゆえんなのだ。だからもうビョーキでヘンタイの読者、君達は篠塚ひろ美だとかヒロコグレースだとかをウジウジとやっていなさい。ひろ子を見ないで下さい。

もしかして「野性の証明」の頃からセーラー服のイメージがよくなかったのかもしれない。「翔んだカップル」「ねらわれた学園」今度の「セーラー服と機関銃」みんな着てるではないか。これはよくない。ビニ本だとかの一大テーマである、おじさん達の視線もよくない。薬師丸ひろ子は正しく見まもれなければいけない。しかし、最近どーもヘアスタイルが良くない。やはり、ねらわれた学園のころが一番……いけないイケナイ。こおゆう執着を捨てなければ。(上田カズヒロ)

 

ロリコンなんてみにくいんだみにくいんだ!!

世の中の30前後からそれ以上の男全部と、弱冠25才ぐらいの男は、皆ロリコンである。この割合でいくと全男性の60パーセントがロリコンなのだ。だから男を10人見たら、6人はロリコンと思ってまちがいない。私はロリコンが大きらいなのだ。大たいロリコンは、ブサイクで、デブで、ホーケーで、第一みにくいんだ、みにくいんだ、ほんとにもう。何故きらいかといえばロリコンは陰湿なのである。たとえば、午前6時58分どこどこTVのスポットにかわいい女の子が出てるとする、とロリコンたちはクチコミで、わっという間に広め、全国的な規模でこれを考えてみると、なんと午前6時58分になると、喜びと、自分がロリコンであるという後ろめたさを感じつつ、TVの前にロリコンが座っている、南は九州から北は北海道まで、である。

お、おぞましいっ、水子の霊がたたっているとしか思えない。なんで水子の霊かは深く考えてはいけない。そうなのだ、ロリコンがなぜかというと、みんな『かくれロリコン』だからだ。「ボク、ロリでっす。」とあっけらかんと、大衆の面前で白昼ロリコン宣言できるのは何人ぐらいいるのだろーか。これ日本の暗い暗い土壌そのものではないのか。この点において、ホモやレズと同一線上に並ぶのである。ロリコンに市民権を!と叫ぶこともできんのか、いつも四六時中TVの前に座り、同人誌を作り、情報交換するしかノーがないのかっ。とついコーフンして、ロリコンのふがいなさをつい攻撃してしまうのである。また、ロリコンはいじめるのがとても面白いのです。あ、ところで、NHKの『マリコ』観ました?(西密子)

 

ロリータだけが少女でない──芝居の中の少女

少女はなぜ演劇が好きなのだろう。

少女は全体が好きだからであると、ある文豪がこれに応えているが、演劇と、それに絡む少女たちの今日の状況をながめてみると、真相はさだかてはない。

一方、演劇の中において少女とは、特殊な役割をはたしやすい存在であるようだ。少女を扱った芝居や、劇中に不思議な少女の登場する演劇は少なくない。

ところで、演劇における少女というと、状況劇場がまず出てくる。タイトルもズバリ『少女都市』、『少女仮面』といった比較的初期作品は、いわゆる唐の少女ものと呼ばれるものの代表的なものとい唐十郎は、日本の劇作家の中で、もっとも「少女」という存在を問題にした人であり、彼の作品行為のキティには、この、どこかへ行ってしまった少女に対する執拗なこだわりが横たわっているようだ。

初期の単行本『謎の引越少女』にめられた「銀ヤンマ」というファタジーなどはまさに、彼の肉体論ドラマツルギーの起点を示すもであり、同じ本の「笑わぬオカッパの少女論」は(彼の少女論は決してロリコンとは近いところにあるものてはないが)卓抜した少女論のひとつということが出来る。

「銀ヤンマ」という掌篇は、焼け跡の公衆便所に住む少女のお話しである。

──あの人は、銀ヤンマの渦の下で、真赤なフロシキのような堕胎児をひきずったまま、夏草の間を這うようにして逃げた。 R・O・N

 

とりあえずロリコンは性的なSFである

ロリコンは性的なSFである、というと全く何のことやらわからないだろうが、ロリコンに限らず、ホモ、レズ、サド、マゾ、その他、いわゆる「正常な性的関係」以外のすべてのセックスは、SFに似たものである。それらは言わば下半身のSFと言ってもいいかもしれない。抑圧された願望、可能性と想像力、「現実」に対する若干の嫌悪が共通しているなかでもロリコンとSFは、奇妙にペシミスティックなところまで似ている。

では、ロリコンSFというものが沢山書かれているかというと、そうでもない。少女の登場するSFは多いが、それが必ずしもロリコンでないことは、女が出てくるだけでポルノとは言えないのと同様である。

とはいっても全くないわけではない。そのなかで極めつけはと言えばまず星新一の初期の作品「月の光」が挙げられる。これは混血の少女をペットとして飼っている中年の男の話だ。少女は拾子だったのだが、男は全く人間としての教育をせず、美しい一匹のペットとして育てたのだ。ペットとしての少女は男によくなつく。男はもちろん彼女にナニもしない。うっとりとながめているだけだ。

バート・ヤングの「たんぽぽ娘」もロマンティックなロリコンSFである。たんぽぽ色の髪を風に踊らせ、午後の日差しの中に立つ少女は二百四十年の未来から来たのだ。男は、動揺する自分に言いきかせる。「おいおい、わたしは四十四だぞ。」ヤングは、かなりのロリコンのようで、「ジョナサンと宇宙くじら」にも魅力的な少女を登場させている。

魅力的といえば、光瀬龍阿修羅王も、また違った魅力がある。「百憶の昼と千億の夜」の中で、中性的な美少女として登場するが、性別を超えた、凄絶な美しさがあるのだ。

永遠の少年、ブラッドベリにはノスタルジックな少年の物語が多いが、「四月の魔女」は思春期の少女の、心のゆらぎを象徴的に描いた小味な短編である。(小林克彰)

大魔神・蛭児神建の怒り─なつかしの業界ケンカ史

大魔神蛭児神建の怒り──なつかしの業界ケンカ史

池本浩一




吾妻ひでおの漫画に登場した蛭児神建

 

この記事は池本浩一が1990年12月から1991年7月まで『レモンクラブ』(現『コミックMate』編集者の塩山芳明が90年代に編集していたエロ漫画誌)に連載していたコラム「なつかしの業界ケンカ史/大魔神蛭児神建の怒り」の全容である。

今は昔の80年代のコミケ事情やドマイナー系エロマンガ誌をめぐる当事者間の「いざこざ」をコミケ黎明期の怪人・蛭児神建とモルテンクラブを中心に据えて回想した読み物で、これ以上に詳しい資料は今後も出てくることはないだろう。

残念なことに本連載は単行本化されておらず、次章「ブリッコ盛衰記」や「クラリスマガジン騒動記」も興味深いが到底読むことは出来ない。このたび掲載誌から全文を書き起こしたのは、時代の隙間に眠った原稿から80年代のロリコン漫画界の黒歴史ミッシングリンクを暴き出すためである。なお副読本として蛭児神建出家日記―ある「おたく」の生涯』(05年刊)を事前に読んでおくことを推奨する。

さて、このくそ長いケンカ話は、まず池本の独り言から始まる…。

 

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そんでもって先月からの続きというわけじゃあないんですけれども、なんとも前回とりあげたネタ雑誌の…というか『ロリポップ』が遂に休刊てゆーことになっちゃって、ウチんところの塩山編集長なんかも「亜流誌である『ロリタッチ』としても休刊〇〇号なんってのを出さなければ」と頭をひねっている始末で(まぁそれはさておいて)。それにつけても『ロリポップ』の川瀬編集長ってお人はよっぽど「お詫び」に縁のあるご様子で今回もまたなんと最終刊号にまで目次のある最終頁んところに「お詫び」を載せちゃってるんだから、懲りないというのか懲りているというんだか。こと最期におよんでいても角川書店までケンカを売りにいってるんだから(いや!?―お詫び文を書いているワケなんだからケンカ売ってることにはならんのかな?)。フツーだったらイチャモンつけられても「その雑誌だったらもう今月号で休刊となりました。ゴメンなさい!」てぇ理由だってつくとは思うんですけれどもね。

それにしても先月号に載った漫画についての苦情が翌月号でお詫び書いてあるんだからスゲエおお急ぎのクレームが編集部あてに来たんだろうね。直接に確認したワケじゃないから断定的なコトは言わないけれども、やっぱり“御注進組”みたいな連中でもいるんじゃあないスかね?―ほら、かならずクラスなんかにも幾人かいるでしょう。こっちの仲間うちだけってゆうような話しの内容で誰かさんのカゲ口みたいな話題をやってるとよろこんで聞いているクセに、今度はアッチのグループへいって「誰々がこんな悪口をいってましたよ」ってモトの話しを10倍にしてこ報告するようなヤツ。そのくせ今度はまたこっちにやってきて「あいつら、ケンカ仕掛けるつもりで準備していましたよっ」って向こうの情報まで提供してくれたりなんかしてわざわざ人間関係を複雑に仕組んでくれるようなマッチポンプの連中(彼らにしちゃあ親切と真実に目覚めての行動のつもりなんだけれども結局のところは騒動の渦中てな状況に「まぁどうしましょう」ってんでドタバタしているのが嬉しいだけのジャマな輩なんだけどね)。

べつに『ロリポップ』にそういう連中が蔓延っているっていうコトじゃあなくて、どこの世間にもギョウカイにも雑誌の中にだって読者や漫画家やライターや編集なんかのあいだに山ほどもいるんですネぇ、これがっ。

てなところで今月号の本題となりますけれども。今回の塩山指令によれば「蛭児神建とスタジオバトルとのケンカ」をアラ探しせよ―つうことでありまして。舞台となる時代は前回までと全くおんなじ昭和60年(1985年)から昭和62年(1987年)にかけての頃。

なんのこともナイ、この時期っていうのがロリコン漫画オタクの皆々様にとっては豪華オールスターキャストが大勢揃いの華々しい夢のようなエポックの時代だったというワケ。現代より以上にアクの固まりみたいな目立ちたがり屋で個性の強いセミブロの編集者や構成作家たちが、やはり絵柄にクセばっかり強いセミプロ漫画家たちと、我が天下とばかりに跳梁跋扈して暗躍死闘を繰り広げていたハードな時代だったというワケ(善く云えば《宮本武蔵》みたいなこと考えている連中が即売会場に行けばウジャウジャいたということなのだけれどね)。そして、そんな彼らにとってのメインステージこそが晴海へ会場を移してさらに拡大を続けていたコミックマーケットだったという状況。

まぁちょっと読者の皆様や、この前後のコミケットシーンっていうのが、これから後に蛭児神建氏がスタジオバトル批判にいたるまでのまえふりに非常にかかわってくるんですねえ。蛭児神氏としては『レモンピープル』の創刊当時からすでに東京の同人誌界においてはそれなりに名を成していたと自負していて、ロリコン同人界の重鎮をめざしていたという時期になるのだけれども。これからさらに数年前にさかのぼった頃、当時マイナーまんが誌の神様をやっていた吾妻ひでお先生のマンガにキャラクターとして登場したりしてファンのあいだで有名化したのを皮切りに、『ロリコン大全集』(群雄社)みたいな蛭児神建の責任編集と冠したムックが出てしまったり、あげくにはテレビやラジオからも出演依頼がくるといった彼にとっては寵児的な時代があったワケで当然のごとくに彼の周辺には取り巻きの連中もワンサと集まってきていた頃のこと。彼としてはいまだったら自分とこの同人誌も大部数を充分に売れるだろうと踏んで―当然のごとく大部数の同人誌を売ればステータスになるわけだから…。

ところが彼の『幼女嗜好』は思ったほども売れなくってけっこう在庫が残ってしまったという暗い過去のような状況もあるのですよ。これが、彼を儲け主義批判に奔らせた内因とみることもできますけれどもね。そして、そんな―、2年のあいだに東京のコミックマーケットでは或る新興の売れ線サークルが大型の猛威をふるっていたというワケなのです。午後になっても消えない長蛇の列をつくり、これまでにないような高価格の同人誌を売りつけて暴利を貪る悪徳サークルという評判を物ともせずに大量部数を捌いてゆく―コミケ1日で数百万円を売り上げてそれをまた1日で使い果たしちゃったともいう伝説を生んだ、その同人サークルの名をモルテンクラブという…。

蛭児神氏は言う。

「月産20ページが限界の漫画家に本人の迷惑も考えずベッタリとへばり付き、〆切り寸前でもムリヤリに同人誌の原稿を描かせ、その結果として商業誌の連載が遅れたり落ちたりしても平然としてる奴。有名人の手抜き原稿ばかりを集めて同人誌を作り、原価の数倍の高値で売って大儲けする奴。脱税する奴。昔から同人誌をやっている人達──特に、大部分の漫画家からマムシの様に忌嫌われながら、それに気付かずにいる奴。そんな連中を、まとめて漏転と呼ぶわけ」──『レモンピープル』昭和61年3月号「魔界に蠢く聖者たち」第40話〈新春放談!! コミケットに見る漏転文明〉より。

蛭児神氏からみれば自分の知っている作家がモルテンクラブの同人誌に執筆をさせられて、その締め切りに追われているがために氏が「常に王様でいて欲しい」と想っている『レモンピープル』の連載を落としているんだと解釈したときからその闘いは始まったともいえるでしょうか。

このモルテンクラブに対して力をふっかけていた当時の蛭児神氏はというと『レモンピープル』でのエッセイのほかに『プチ・パンドラ』編集長としてもメディアを持ってたワケで、対同人誌サークル相手に仕掛けたケンカにしてはかなりのハンディをモルテンクラブ側は負っいることになるんじゃないかとも思えるかもしれないですけどね。自己顕示欲の人一倍強い―というよりも蛭児神建というかりそめのキャラクターが存在しなければ世間にパフォーマンスすることができないなわけだからこそ、意地になってもあちこちにケンカを売りまくっいたともいえる次第。しかし、この時期の蛭児神氏による一連の“漏転文明批判”っていうのが、結果的にちょうど美少女漫画誌ブームの面を象徴する位置にちゃんときちゃってるんですね(これが彼のねらっていたところなのかもしれないけど)。

で、かんじんのケンカを吹っかられたモルテンクラブ側の言い分といえばちょうど『レモンピープル』昭和61年1月号で戸山優氏が担当する「同人誌ページ・ジャック」にモルテンクラブがとりあげられていのですが「我々が作ろうとしていのは、古くからある『同人誌』ではなく、いわば『自主制作コミック』なのです。運営が成り立っているミニコミ誌みたいなものですね。そのためにも資本回収は完全に行われるよう頑張っています」といった具合で蛭児神氏とはまるで噛み合わなワケ。(本当の闘いはこの数ヶ月後開始される…)

【以下次号】

 

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え~と、前回からのお話しの続きというワケなのですが。ほんとうのところ読者の皆様には果たしてこんな5年以上も昔のギョウカイ状況についてどの程度の予備知識があるんでしょうかねえ。

老婆心ながらに思ってみたところで、そのころにすでに刊行していた美少女系漫画誌のうちでいま現在にまだ生き残っている雑誌なんて究極老舗創始誌の『レモンピープル』くらいなものだし、そんな『レモンピープル』が現行のB5平綴じスタイルになったばかりの当時に亜流誌をしていた『ペパーミントコミック』も『ペリカンハウス』も『メロンコミック』なんてのもみんななくなっちゃっているワケだし、『漫画ブリッコ』だとか『ロリポップ』なんていうA5版の平綴じモノだってみんな消えちゃっているし…。例にするならば『いけないコミック』という名前の美少女漫画雑誌があったかとうかさえも知っている読者が現時点でどれくらいいるのだろうかとも思っちゃうワケ。たとえば、こんど『少年サンデー』で漫画連載のはじまったみやすのんきロリコンメーカーなんていうペンネームをつかってアニメエロパロなんかを劇画ジッパーなんかへ描いていたコトとか、彼が主催していたサークルはコミケットでは超売れ筋のサークルだったりしたような(これってもう7~8年くらい前のことでないんかい)ことなんかもう知らないようなコミケットが晴海以前にどこの会場で開催されていたのかも知らない世代ばかりになっちゃったんだろうなあとも考えちゃうような次第。それこそ『ロリコン大全集』のときの蛭児神建氏じゃないけど「吾妻ひでお先生が描いたロリコン実録漫画に出てくる登場人物をことごとくに全員とも知っていた―というような狭いギョウカイじゃなくなってしまっているのは事実なんだけれども…。

本当にあのころにコミケットに参加していたロリコン系の同人誌サークルの数なんか(いまじゃコミケットに一般創作系サークルとして参加しているような非エロ系統の美少女創作サークルまで含んだとしても)現在の即売会でいうならばコミックレヴォリューションあたりの中規模即売会に参加している男性向け創作サークルの参加数と比べたとしても同じ程度くらいのサークル数しか出ていなかったワケだし、あるいは現在みたいに全国各地の田舎からだってもコミケットに参加してくるなんていうことはありえなかったわけだから当然のように東京近郊あたりでちょっと気のきいた同人誌ゴロみたいなことやっているような連中だったならばコミケットに参加している同人誌関係者なんかすべてお友達っていうような状況だってありえたようなワケ。だからこそ本格的に同人誌オタクをやろうなんて思ったならば、それこそ関東地方の同人誌即売会は言うに及ばず大阪から名古屋あるいは福岡やら新潟にいたるまでの同人誌即売会に出かけていってあちらこちらのサークルと友好関係を築いてコネクションをひろげておかなければ、ほかの同人誌ゴロみたいなことをやっている連中に対して自慢にもならなかったわけだし自分の商売もはかどらないということで(つまるところがオタクにとって絶対に必要不可欠であるところの他人と差別化できるような情報量の格差を見せびらかすようなことができないというコトね)自分の努力圏をある程度に拡大しちゃったならば、あとは19世紀の帝国主義世界とおんなじことでおたがいの系列作家の引き抜きと囲い込み。外の同人誌ゴロなことやっている連中の悪口を並べて風評をおとしめて人望なくしてやろうっ!ていう作戦。みんな人見知りのさみしがり屋で偏執狂なモンだからこうでもしないと友人関係をつくるための基礎もつくることができないのだ。

だからこそ「寄らば大樹の陰」っていうことで協商関係をむすぶために同人誌ゴロの大多数はいつの間にか漫画誌なんかの編集部ゴロを志すことでみんな権力志向、商業誌(とりあえず美少女漫画誌の同人誌紹介のページなどを担当することでサークルに対して圧力をかけ、作家を商業デビューさせることで出版社からはマネジメントの手数料を取り、作家には恩を売りつけて系列作家として捕り込んでゆく)志向してゆく。

そんななかで一番にコネクション作りに精力を使っていたのが『ベパーミントコミック』の編集をやっていた金子順氏。九州方面の即売会にまで進攻していった一番に早かった御仁。とにかく営業範囲がてびろく一時期にはどこかの出版社で美少女アンソロジー本が発行されるとなると必ず絡んでいたほど。いまでもアグミックスのパソコンゲームソフトなんかをてがける一方で東京アニメーター学院で漫画原稿の売り込みの仕方も講師しているらしいけれども。

そして漫画家をブランド化して売り出すのにもっとも成功していたのが戸山優氏。彼が『レモンピープル』の「同人誌ページジャック」で紹介した作家は必ずや同人誌売り上げが伸びて、商業デビューすればヒット間違しというジンクスすらもあったのだ。そして彼がフェアリーダストの契約社員として『くりぃむレモン』シリーズを裏で支えていたというのも周知の事実であったりもする。

あるいは今回白夜書房からの本格青年誌として『コミッククラフト』を創刊させたスタジオ編集部の村上嘉隆氏や、または今夏に新貝田鉄也郎のカードゲームを発売した松永宏樹氏など。ヘタすりゃ、コミケットに行けばみんな、いまだにネタを探しにやって来たりしているモンだからたいへん。そしてさらにはそういった業界人の近くで利益を得ようと巻いている連中も山ほどいたりして―。

そんなわけで美少女漫画誌の編集部周辺にひそんでいたりするとゴロくずれの腰巾着エロ漫画家(コレがまたケッコウ多いんだけれども)あたりからカゲ口みたいな話しがいろいろ聴けてまた面白かったりもする次第。まあ彼らにしたところで、そのみみっちい政治的野望(コミケットでデカイ顔をしたいみたいな)を大看板作家先生や担当編集者を利用してダマすことで明日への希望をつないでいるんだけれど。

とくにこの時期、蛭児神建とモルテンクラブの間に始まったケンカ騒動の頃といえば、もりやねこ、くらむぽん、わたなべわたる、虚遊群など後にブームを起こすような作家が本格デビューをしてきて、あるいは森山塔あたりがまだ元気でいて、または阿乱霊や池田一成が『レモンピープル』でかわらずに原稿を落とし続けることで新人が量産されていった頃。

たしかに、この時期だったならばある程度のエロっぽい漫画さえ描ければポンとデビューだけは出来るというような期待感が同人誌新人の問にあったのも間違いのないところ。

しかしどう転んだところでも原稿料の安さという問題がつねに漫画家にとって頭のいたいトコロで創刊当時の『ハーフリータ』みたいに漫画が連載扱いになるくらいだったら毎月投稿して採用賞金をもらったほうが金額が高いと言われたくらいに安かった(レモンピープルにしたところで現在の一般的な新人漫画家の原稿料からくらべても、その半額くらいにしかあたらないような値段の原稿料だったのだけれど)―とてもじゃないけれども美少女漫画を描いて自立して生活をするなんていうことが夢のような時代だったという背景をわかってもらえるとウレシイ。

ハッキリいって同人誌で原稿料をもらっていたほうが高額だったワケなのだ!―が、しかし蛭児神氏からすれば札束で頬を叩くようなコトをする原稿依頼編集制のサークルなど許せるはずさえなかったのである!!

「某漫画家の連載が毎度あんな状況なのはまず60%以上が連中のせいなんだぜ。地方の読者だって、怒るベきだ。東京でしか買えん同人誌にかかされたしわよせで、あんたらが好きな漫画家を雑誌で見れなくなるんだ。一番の被害者は編集でも漫画家でも無く、あんたら一般の読者なんだぞ!」

蛭児神氏は『プチパンドラ』の誌上で吼え続ける。

【以下次号】

 

3

さて時代は昭和61年の春まだ明けぬ頃のこと。いよいよ、《プチ・パンドラ》編集長であるところの蛭児神建氏と同人誌サークルであるところのモルテンクラブによる同人誌業界人戦争が開始されようとしていた!!

この年《レモンピープル》の1月号で戸山優氏が担当をする「同人誌ページ・ジャック」におけるインタビューに応えて「ゆくゆくは小さな企画・編集スタジオを作ってまんが雑誌の編集請負や自社出版を始めるのが夢です」と語っていたサークル代表のO氏こそ、蛭児神氏が業界生命をなげうって打倒・撲滅に励んでいた犬漏転の首領であるところの大久保光志氏。そして、このときすでに彼が実質的な編集長として白夜書房営業部の藤脇氏を通じて刊行することが確定していたモルテンクラブによる新創刊誌こそが、後に再燃する第2次の商業誌美少女漫画ブームへ火をつけた伝説の《パンプキン》であったのだ。

この当時、白夜書房の営業部では社内の編集部に拠らず営業独自によって漫画本を作ろうとの画策をしていた!!―これまでの漫画編集部に依存をしたやりかたでは「漫画誌に1年以上もかけての連載をしなければ単行本にできるページ数が集められない」といった制約や「描き下ろし漫画原稿とか表紙用カラーイラストといった単行本の発行に必須のさまざまな予定が、雑誌連載中の別仕事といった漫画編集部だけの都合によるスケジュールのせいでいつも妨害をされる」といった難点があり、そのためせっかく「時期をにらんだタイムリーな話題性のある単行本発行を狙っている」営業サイドとしては、雑誌というステップを排除したダイレクトな単行本の発行こそが当然の帰結としてあったワケなのだ! 雑誌編集部経由によらない直接的な単行本という発想と、単行本ならば1万部も売れれば充分に採算がとれるといった状況こそが《パンプキン》にいたる下地にはあり、すでに実績としての万部単位での販売実績のある同人誌サークルとしてのモルテンクラブの存在と、その潜在的読者層の存在から大量部数の売り上げが充分に可能であるとした漫画専門書店のフィクサー高岡書店(あのヒゲの店員で有名な)の証言に動かされた取次による営業後押しもあり、まんがの森という販売手段さえも所持しているといった諸条件がそろってはじめて印税12%という超高率な制作費による単行本形式の新雑誌が誕生したというしだい(一般的に美少女系の漫画単行本での印税なんて平均しても5~8%くらいのもので、まぁ10%以上なんていうことは通常ありえないような数字で、しかもそれをふつうの単行本の初版部数と比べたらン倍の発行部数にもなるような《パンプキン》で刷るんだからまたそうとうなモン。この印税金額を当時のそのほかの平均的な美少女漫画雑誌の製作費と金額で単純比較した場合にしたって、まぁ実際の発行部数にもよるけれども少なとも3倍に近い金額にはなるだろうっていうくらいに余裕があるって具合。当時のメジャー系の漫画誌にもまけない以上の製作費がかけられていた雑誌なのだ)。そして《パンプキン》の編集部としてモルテンクラブは名称も新たにスタジオバトル(翌年さらに有限会社オーエスビー出版と改称)となり再出発を果たしたのだった!! これにおいて東京地区の美少女同人誌関係者向け全員参加可能な誌上戦争の舞台がついに完成になったワケだ。

論戦の主戦場となる2つの漫画誌。かたやB5判ひらとじのレモンピープルサイズで蛭児神建という性格派編集長が日本土俗的おどろしい百鬼夜行な作家達の個性をコレクションしたようなカルト漫画誌。対するはA5判の単行本サイズで美少女同人系の売れっ子作家勢ぞろいという大義のため主義主張の違いも呉越同舟して編集個性を極力排した物量威力にたのんだ究極の同人誌を商業ベースにのせた新機軸のアンソロジー。この《プチ・パンドラ》と《パンプキン》はどっちにしたところで現在の美少女漫画誌の主流となっている《ペンギンクラブ》タイプのコンビニストアでの流通をメインに据えたB5判中とじ雑誌とは傾向も対策もことなった異形の漫画本ではある。

共通点としてはどちらも同人誌系作家によるマニア向け美少女漫画本で、当然のことくにコンビニストア置きを前提とはしていない限定流通指向のモノ。いくらメジャー指向性のある《パンプキン》が逆立ちをしたところで10万部単位を前提にしている雑誌とは違うわけで、ましてや単行本(とくにわたなべわたるの単行本)を出すことを前提の目的として結合している白夜書房営業&スタジオバトル連合にとって大部数の雑誌を作ることなど眼中にないわけでB5中とじ誌は唯一わたなべわたる特集号を市場調査の意味もふくめて13万部刷ったことがあるだけなのである〔このときには白夜書房の営業側がたいへん強気にでた結果にスタジオバトル側が同意したもので、スタジオバトル側としてはオフセット印刷で書籍用紙に刷っている本誌とくらべて活版印刷による刷り上がりの見栄のわるさと更紙の紙質を気にして「売り上げ結果が悪かったらどうする」「単行本の売り上げに影響したらどうする」とかなり気をもんでいたのではあるがその結果としては多く一般書店までも含めた配本であったにもかかわらずに即刻完売という白夜書房の営業側にしてすら予想より以上の売れ行きに驚きを示したのだった―が、この件についてはさらに後日談もある。わたなべわたる特集号の売れ行きに注目した取次よりスタジオバトルに対し「コードはこちらからあげるからわたなべわたるの単行本は白夜書房なんかで出さないで自社発行にしたほうがいい」という誘い掛けなんかまであったりしたのだ。もともとわたなべわたるの単行本というエサは《パンプキン》を出すために白夜書房へ向けた方便としてだけに使っていたにすぎないスタジオバトルとしてはこの魅惑な攻勢にかなり揺らめいてしまい白夜書房との関係が亀裂する遠因とまでなってしまった…〕。どちらの本にしたところで、それまでの商業誌上においてはマニアックすぎて敬遠されていたような「SFネタ」あるいは「ホラーやスブラッター的な刺激臭のつよい内容」の作品も掲載したり、または絵質やストーリーなどでクセがつよ過ぎて一般大衆へのウケがたいへん絶望的なほどに無器用な描き手(絵的には巧いんだけれどもそれまでの少年誌的なワクのなかでは冷や飯をくわされているような作家)を取り込むことによって、既存の同人誌に飽きたらずにより高度な同人誌をもとめていたオタクを絶対的読者層に設定した、嵐獣郎太氏がいうところのインディーズコミックという半アンダーグラウンドな商業レーベルを分野として確立していったのだ〔余談になるが《パンプキン》の白夜書房から社内の漫画誌編集部によって少し遅れて4月に創刊された《ホットミルク》のこと―《漫画ブリッコ》の番頭生活から始まって、幕引きのお務めまでもしたばかりの斎藤O子編集長がいっていた「畳が出てくるような普通の漫画が載っている本(マニア狙いなメカだとか触手が絡みついて女の子を襲うような話が出てこない、日常生活が舞台になってアパートだとか学校なんかで展開するHモノ)にしたいネ」というセリフが《パンプキン》創刊の際にスタジオバトルが目指したところの「インディーズの道」とは対照を際立たせていた。同年の10月に創刊となった《ペンギンクラブ》的な路線を先駆けて初めて美少女漫画誌において同人誌マニア系以外の大衆を読者層として指向した雑誌だったのよね―現況の主流を形成しているコンビニ派とはまったく異なった道を歩みながらA5判中とじ誌として唯一に生き残っているんだから。

それにしても《パンプキン》《プチ・パンドラ)の両誌ともで描いてる作家までが多いのなんて? じゃあ両誌の違いってナニなの?

【以下次号】

 

4

いよいよ創刊した《パンプキン》です。この後にスタジオバトルは在庫処理およびに会員向け通販などをのぞいて急速に同人誌そのものからは撤退をしていくことになるワケですが…。

破壊的な同人誌改革を企てるモルテンクラブに対して蛭児神建氏が反敗する武装論拠は結局のところ同人誌出版の違法性についてと脱税問題に関する批判へと展開してゆきます。

「同人誌での金儲けが、何故いけないか? これは道徳観以前の問題なのですよ。つまり、同人誌という存在自体が非常に法的にあいまいな…ハッキリ言えば出版法規に抵触した違法出版物なのです。これが罰せられずにいるのは、単に“子供のお遊び”という観点から、大目に見られているのに過ぎません」「誰であれ収入の全てに課税されるのが現代日本の法律ですが、同人誌の利潤を申告する人などいませんね。でも二、三万ならともかく数十~数百万単位となりますと“脱税”という実刑判決の伴う犯罪行為になるのですよ」

同人誌界のおばけであるモルテンクラブから商業誌界のおばけをめざすスタジオバトルへの華麗なる転身は変わり身のよさとさえもいえるべき!! この転身こそ、もしも同人誌サークルと商業誌の編集部を兼ねて続けていたとしたら当然に生じたであろうもろもろな非難ごうごうを避けるためのケジメとさえもいえるモノであり、またこれは復讐のための開始宣言であったのです!!

それまでモルテンクラブは同人誌のサークルであるというだけで商業誌関係の連中から蔑まれうとまれてきました。

商業誌の編集者は「モルテンの同人誌なんか原稿おとしたってかまわないから」と自分トコの雑誌用の原稿を作品の質のよしあしにも関係なく、ただ締め切りという日付だけを押しつけてむりやり作家にいそがせて原稿をあげさせようとしている…こっちのほうが先に原稿依頼だってしているのに、そんな商業誌というのは偉いのか―大久保光志氏からしてみれば同じ出版というメディアに携わる同士なのになぜ差別を受けるのか理解できなかったでしょう。商業誌の編集たちは自分よりも大きなマスメディアにはへこへこするくせに、相手のメデイアが自分よりも小さいとみれば急にデカイ態度にでて他人を踏みにじる。口では仁義がなんだと言いながら他人を陥れることしか考えないで、とにかく難クセをつけてくる──。

作家に原稿を依頼するという行為だけをとっても同人誌のくせに商業誌作家に原稿を依頼するなんておこがましいと批判され、また原稿科を出しているといえば同人誌らしからぬ行為と罵られるし、その金額が商業誌より高いといってはまた、それこそ札束で顔をはたくような外道と貶されるのです(原稿料が高いとなんで怒られなければないないのか、新聞なんかに載ってる囲碁対局だって伝統ある名人戦よりもずっと最近にできた棋聖戦のほうが賞金額が高いからこそ最高位なんじゃないか)。

復等への対象は商業誌の撮集部に対してだけではありません。原稿依頼を受けてる張本人、かんじんの商業誌作家のセンセイさえもその照準のなかにあったのです。

よりよい本をつくるためにはよりよい作家(つまり商業誌で連載を持つようになったトップランクの漫画描きたち)に作品を描いてもらえばよい―当然の論理です。そのために商業誌よりも高額なまでの原稿料を支払っているにもかかわらずに同人誌だからという理由にもならない理由でいつ原稿をおとされるか判らない。あげくのはてにそのセンセイたちが商業誌の原稿をおとしたときにつかうセリフが「同人誌なんかの原稿を無理やりに依頼されて商業誌の原稿が描けませんでした」じゃああまりに詮ないじゃあないですか。

そういった、これまで自分たちを嘲ってきたすべてもろもろの旧来勢力に対して復讐をする、そのためにはみずから相手と同じ商業誌という土俵に登るということが絶対に必要であったワケです。

そんな《パンプキン》という直接的メディアを保持したからには作家集めのために同人誌サークルを興すような手間はもう必要はなかったということにもなるでしょうし、また単に同人誌も面業誌でも同じ内容のコトをやっていくならば、より収益率のよい方面に戦力を集中させたほうが利益効果もあるわけで、作家に対しても《パンプキン》のみ1本をメインにして描かせたほうが作品の品質を低下させないためには絶対によいという当然の論理!! そのためにほかの商業誌や同人誌に浮気させないよう実質の《パンプキン》専属作家として扱えるだけの体制にすることが重大事だったのでした。

だからこそ彼らはページあたりで1万円以上という現在においてすらも超高額といえるほどの原稿料を作家に対して保証したのです。

掲載誌を何冊もかけもって原稿の枚数をあげなければ生活ができないような環境にいつまでも置かれていたからこそ作家たちは裏切るのだ。そして作家に裏切られ続けたからこそ、あれら面葉誌の編集者たちのように卑屈な大人が生まれてしまったのだと大久保光志氏はそのときに悟っていました。

そんな彼は出版社にいる編集部関連の人間を相手としませんでした。ヒトの企画は盗むし手柄は横取りする―そんな腐った編集部よりも彼は純粋に仕事としてお互いに儲けるということ以外の邪念をもたない営業部の人間ともっぱら付き合っていたのです。

だからこそ出版企画の持ち込みを編集部の頭越しに会社上層部と直談判して決めてしまうようなスタジオバトルのことを編集部の人間は自分たちの存在をおびやかすアウトサイ・ダーとしてよけい毛嫌いするようにもなったのは当然のことではあるかもしれません。しかし大久保光志氏は純枠であったのです。

あまりにもストレートすぎる行動パターンに周囲の出版関係者は翻弄されてしまいました。

大久保光志氏の思考方法を子供じみていると蛭児神建氏は批判します。

「簡単に言えば、作家にヘバリ付いて腐らせ、メジャーへ脱皮するのを邪魔する足枷となり、思い通りにならず甘やかしてくれぬ作家の悪口を言い触らし、逆に自分が批判されれば『名誉毀損だ訴える』などと毎度だだっ子の様に騒いで口を塞ごうとする連中」「集団でしか行動出来ず、一般常識すらない精神的幼児で、自分達の利益しか考えない連中」と罵倒し大久保光志氏に対して名指しで批判してゆきます。

「私はもう二年近くも、ハラワタの煮えくりかえる程お前さんを憎み続けてきた。この手で絞め殺せたらどんなに楽しいかと夢見る程に。間に挟まれて苦しむ奴のことを考えて、出来るだけ表面に出さない様にしてきたけれどね」

これではまるでメディアと世代を賭けた、さらには私怨のいりまじった業界内代理戦争でしょう…。

この闘い〈バトル〉には各誌上でコラムを執筆していた戸山優氏、秋山道夫氏、嵐獣郎太氏などの論客や金子順氏、村上嘉隆氏、松永宏樹氏、川瀬久樹氏などの編集者、あるいは《レモンピープル》《ホットミルク》《ロリポップ》《プチパンドラ》などの雑誌編集部そのものまでが次々と巻き込まれて(スキ好んで突入していった連中もけっこう多いけれど)東西の陣営に色分けられていったのです(もちろん漫画家にしたところ雨宮淳氏をはじめ、超積極的に巻込まれていった者も数知れず…)。そして、もっとも最初に戦禍のなに飛び込んでいったのが《ホットミルク》で同人誌欄を執筆することなったばかりの戸山優氏でした。

コミケの混沌とした現状に対し批判や挑発の姿勢をとっている同人誌の異端児」として蛭児神建&新体操会社両氏の「喜劇漏転文明」を取上げてゆきますが―。

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どうも、ややこしい状況へと集態の拡大をねらっているかのように蛭児神建氏が操りひろげる〈スタジオバトル批判〉。これに対して《ホットミルク》誌上の「同人誌COLUMDUM」において戸山優氏は「コミケの抱えるさまざまな矛盾に対するアンチテーゼとして、この頃目立って増えつつある」傾向として、同人誌即売会で販売していながら即売会や同人誌に対しての批判と挑発的記事をメインに売っている「問題同人誌」の特集をあえて企画することで新体操会社&蛭児神建の両氏によるコピー同人誌「喜劇漏転文明」を「ほとんど中傷そのものではないか」と俎上に載せ、さらには《レモンビープル》で蛭児神氏が展開しているスタジオバトルへの批判キャンペーンまでも「蛭児神さん、LP読みましたケド、未成年者の実名を出しちゃうのはやっぱマズイですよ」と非難攻撃したのです!―戸山優氏はなにしろ蛭児神建氏と同じ《レモンピープル》の誌上においても「同人誌ページ・ジャック」というページをもっており同人誌批評については自分が専門家という自負もあるワケ。それが、よりによって自分が《レモンピープル》の1月号で同人誌をとりあげて紹介したばかりのサークル〈モルテンクラブ〉のことを蛭児神氏が3月号で非難罵倒したってゆーコトになるモンだから、やっぱり戸山優氏としては立場がない(うっかりすると自分まで悪役になりかねない)ワケでありますが…。

それにしても、これがまた世間をビックリさせたーというのが大久保光志氏がまだ未成年であったという事実について―。まぁ東京近郊の同人誌即売会の周辺にいる関係者なんかではトーゼンに彼の年齢はみんな知っていただろうし、そんな彼の若さがまた周囲の彼を見るイロメガネのひとつになっていたことも事実なんだけど…(この戸山優氏による発言の結果、大久保光志氏の行動について「大人げない」と批判することが出来なくなってしまったというのも言えてしまった。なにしろ彼は事実コドモだったわけだから)。

それにしても、まあ《パンプキン》の編集やっていたメンバーのなかに写植の級数指定(ようするに文字の大きさや種類を決めることなんだけれど)の出来る者すらひとりもいないで編集部をやっていたのだからたいしたもの。当然にデザインとかレイアウトなんていうモンにしたってなんにも考えてないし、作家が持ってきた漫画原稿をほとんどそのまま白夜書房の営業部のデスクに持っていくだけの作業しかやってなかった状況―とてもじゃないけれど商業誌で編集作業をやっているなんて書えないレベルなんだけれども。同人誌だってすらほかのサークルじゃあ表紙のデザインやら文字のレイアウトに気をつかっているというのに―さすがに売れている雑誌んところは違うネ(きっと写植屋さんや印刷屋さんが苦労をしていたんだろうけれどネ)。たぶん白夜書房の藤脇さんが細かいところはなんとかしていたんだろうけれども、とにかくお互いの連絡がいいかげんなものだから指定2色刷りページ(ふつうに1色で描いた漫画原稿に〈ココはナニ色で刷る〉と別紙などに指定して書いておいて印刷段階で色を付ける多色刷り印刷方法)にするはずが、色指定の仕方がムチャクチャで理解できずに印刷屋さんがなやんだあげく、4色刷り(ふつうフルカラー印刷のこと)で赤墨2色の原稿を刷り上げてきちゃったコトだとか(なにしろ4色ページが何ページあるのか、1色ページが何ページあるのか、なんて誰も考えてつくっていないから印刷屋さんもワケわからないまま刷ってたみたい。こんなんでよく本を発行できたものだ)、あるいは原稿の縮小率(たとえば普通、B5判の漫画雑誌の原稿はB4の紙に描いた原稿を82%くらい小さく印刷して使用する)を指定していなかったものだから前り上がりのサイズがページによって合わなかったり、写植文字の大きさも「写植20級以下同じ」って(一般的な漫画文字の大きさはこれくらいワープロの活字でいえば、ポイント相当)扉ページに書いてそれだけで終り―なモンだから写植屋さんも打ち上がった写植文字が大きすぎて貼り込み作業が出来なかったり…。

原稿の取り扱いがズサンなところといえば当時の白夜書房の営業部にしたところでひどいもの。単行本の広告用の図版に使用するために必要とあれば原稿用紙の束から1ページだけ引っこ抜いちゃ床にそのまま置きっぱなし。ソレの繰り返しなものだから原稿はバラバラのまま床に山積み状態。だれかが勝手に持っていこうと思えば簡単にできるような状態。まあパンプキン編集部そのものにしても原稿の取り扱いのワルさではあまり感心できるような状態ではない五十歩百歩―というか大久保光志氏はナント事務所のなかでネコを飼っていたのだ。

飯田橋の木造アパートから新宿のワンルームマンションに移ると同時に、ときに多いときにはネコが3~4匹もスタジオのなかでうろついていたのだからどういう状況なのかはわかろうというもの。サカリがついたのノミがわいたのと、騒ぎの連続で、なにしろ密閉状態のワンルームのなかで、トイレの始末もろくに出来ないような仔猫があっちこっちに粗相をするものだから臭いだけでも最悪(輪をかけてペット用消臭剤の匂いまでが狭い密室の中に充満していて頭が痛くなるような環境。玄関のネコ用トイレに足を絡ませて砂をブチ搬けそうになるし、とてもじっくりと編集作業なんかできるような場所じゃないスタジオ情景だったのだ。あまりにも作業効率が悪かったためか、じきにもう少し広い事務所にスタジオは移ることになるのだが…)そんな状況なものだからこそ作家先生たちからはあまりよい印象はとてもじゃないけど得ることができないワケ。

ようするに単にいいかげんだっただけなのだけれども。そんな状況のもとで昭和62年2月発行の《PETITパンドラ⑩》において雨宮淳氏による告発記事「スタジオバトルおよび『パンプキン』編集関係者諸氏に告ぐ!」がそのようなスタジオバトルの実体を世間にあからさまにしたのだっ。

「白夜系雑誌の《パンプキン》の予告にじゅんちゃん先生を執筆者として載せるのをやめてほしいっ! じゅんちゃん先生は貴誌に作品を描く予定はないし、またその気もないっ! これだけ言ってもまだ貴誌の予告が改まらない場合はしかるべき行動をとるつもりだからそのつもりでいるよーに!」と《パンプキン》の次号予告にいつまでも名前が載っていることに不快をしめすとともに「雨宮じゅんが作家生命をかけて描くかもしれない・パンプキン帝国の謎」として「スタジオバトルの社長の月収はなんと260万円? 未だかつて誰も見たことがないという《わたなべわたるテレフォンカード》の謎、創刊号のカラー生原稿はネコのツメとぎ用として使った? おかかえ作家の原稿料はページ1万円!等々… ホントかウソか? その全貌が今、明かされる! 刮目して待て!」という1ページ全面にわたるスタジオバトル攻撃をおこなったのである。

雨宮淳氏は《パンプキン》が創刊した当時、休刊した《メロンコミック》に初出掲載した漫画を再録していたのだが、この際に大久保光志氏が雨宮淳氏に対し「いつまでもページを開けて待っていますからぜひ新作を描いてください」と依頼をしたのに対して雨宮淳氏が「スケジュール的に執筆は無理」ととりあえず連慮をしたような電話上での口約束による経緯があったようで…その後にこじれてしまったらしい。

それにしても雨宮淳氏による「パンプキン帝国の謎」とははたして本当に事実なのだろうか!? いよいよスタジオバトルと蛭児神との因縁に決潜がつくのだろうか。

【以下次号】

【編集部よりのお願い】

池本センセ3行も余っちまったざます。執筆前に行数は確認なすって下さいませね。

 

6

その当時、第1期の美少女マンガ商業誌ブームより以降の低迷からはやくも脱出して新たに再編されつつあった美少女マンガ業界は、あの進化獣〈モルテンクラブ→スタジオバトル→OSB出版〉VS最終妖怪〈蛭児神建―プチ・パンドラ〉による関ヶ原合戦へのと大きく巻き込まれ燃え上がろうとしていた―。

蛭児神氏サイドからコピー同人誌『喜劇漏転文明』という一方的な宣戦布告による第一撃、さらには《レモンピープル》誌上からおこなわれた「魔界に蠢く聖者たち」での商業誌上を利用した追撃に対して、モロに奇襲をうけてしまったスタジオバトルからは即座に《パンプキンNo.2》誌上において、抗議文という体裁をとっての反撃がなされたのである。

「お知らせ。今回発売が大きく遅れた事を読者のみなさんにお詫びするとともに、遅れる原因を作ってくれたプチパンドラ、ロリポップ両誌の編集長・蛭児神建・川瀬久樹に対して抗議する。両氏が作家のみなさんに流した8割返本・休刊した話によって、作家原稿の入稿を大きく遅らせている事は、明らかに悪意をこめた営業妨害であり、今後このような事態が再び起きた場合、当スタジオでは法的手段も考えている。スタジオバトル」。

これはあきらかに《パンプキン》の次号を読みたいと願っている一般読者に対してむけたプロパカンダではあった。読者世論をバックにつけるため、戦略工作の一環としてあえて誌上に掲載をされた抗議文にはちがいない。だが、しかし何人もの画家のあいだに以下のウワサ→〈パンプキンが創刊号だけで休刊になりそうだというのは確実らしい〉〈それなのに作家が動揺をふせぐためにとりあえずで原稿だけはあつめているようだ〉〈どうせ原稿料なんて出ないだろうからムダな原稿は描かないでおいたほうがいいぞ〉という話しが流されていて、それを理由に原稿を遅らせた作家がいたというのも事実なのではあった―。そして作家陣がそんなウワサに納得をしてしまうような素地こそがたしかに白夜書房という出版社そのものにもあったワケなのだ。

さかのぼること4ヶ月前のこと。白夜書房から(正確には少年出版社=コアマガジンから)創刊されたマボロシのビデオ雑誌〈ブイゾーン〉という悪夢の出来事が作家たちの頭の中をよぎっていたのである!!

その前後の状況を説明するためにちょっと《パンプキン》VS《プチパンドラ》戦争から脱線させてもらうことにはなりますが―。

まぁ読者の皆さんのなかには、その《ブイゾーン》というビデオ雑誌がどういうものなのか御存じもないでしょうが(中野の「まんだらけ」みたいなマニア向け古本屋へ行けば在庫はあると思いますんで一度くらい見てみるといいんじゃないでしょうか)、印紙の質はむかしの白夜書房刊の雑誌ではおなじみのパターンで、カラーグラビア32ページ+2色刷り8ページ+更紙の活版印刷始ページという構成。

《ヘイ!バディー》みたいなグラフ誌から《漫画ブリッコ》のようなコミック誌にいたるまで白夜書房ではほとんどの雑誌が、サイズの違いはあったとしてもほぼ似たようなページ割りでおんなじような更紙をつかってた。

これがたとえば文章記事をメインにした《ポルノマガジン》だとか、全ページが説者欄だけで出来ている《投稿写真JR》みたいな雑誌だったならばいいんですけどね、カラーページにいっぱい写真なんかを使わなくちゃいけないビジュアル雑誌の場合では…。

でもって《ブイゾーン》っていう雑誌ですが、表紙イラストが高田明美、巻頭折り込みポスターが田村英樹で―、執筆メンバーとしては、池田憲章・荒牧伸志・出淵裕・山本貴嗣徳木吉春―、どうもビジュアル雑誌というよりもアニメ&特撮マニア誌という気が…。この雑誌の編集をしていた〈STUDIOザガード〉のスタッフというのが、豊島U作、来留間慎一、くあTERO、森野うさぎあさりよしとお、ふじたゆきひさ、町田知之、と、なんなんだ!!―このメンバーでは、まるでスタジオ・アオークじゃあないか。

それにしたって巻頭カラーページ特集『正しい美少女アニメの見方』全14ページでは2ページにわたって、自分のところで作った《魔法のルージュ・りっぷ☆すてぃっく》を取り上げているし(さらには活版ページでも10ページにわたって設定集を載せている)…。連載記事も「あさりよしとおが描く『新日本機甲』―第1回は《空飛ぶ船》に出てきた巨大ロボット・ゴーレムについての解説」だとか「ふじたゆきひさが描く『フィギュアまるごとスクラッチ』で人形の作例がつくれなかった話」だとか「くあTEROが描く『東映TV怪人図鑑』では《秘密戦隊ゴレンジャー》の仮面怪人を1クール分まとめて紹介」なんていったかんじでスキなものを好きで本にしちゃった怒濤のカルトオタク雑誌だったのだ(くらむぼん先生の大昔のハガキイラストも戦っていたゾ)。

とうぜんの如くにこの《ブイゾーン》は創刊翌月には急休刊。そしてスタッフは総入れ替えでクビ。装丁から紙質にいたるまでまったく新しく「日本で初めてのホラー専門誌」ビジュアル・ホラー・マガジン《ヴイゾーン》として再創刊されることになってしまったのだ。

別に大塚英志氏の撤退以後における作家粛正というワケだけじゃないだろうけれども、この《漫画ブリッコ》の休刊から《ホットミルク》創刊にいたるまでの過程で―そんなややっこしい騒動があったばかりの白夜書房である。そのあとに創刊になったばかりの《パンプキン》では作家陣にしたところでやっぱり不安もあろうというもの。

そんな状況が背景にあったとはいえ〈パンプキン休刊〉のウワサにはわざわざと名指しになって、ご丁寧にもウワサの発信元として〈川瀬と蛭児神氏という両編集長が漫画家に対してしゃべりまくっている〉というオマケまでついて作家たちにまっていたのである(―と、それにしてもこんなところでまたも、あの《ロリポップ》誌の編集長であった川瀬氏の名前がでてきてしまった。なんとも彼にしてもよっぽど周囲のメンバーに恵まれているのか、どうもトラブルといえば、まるで相手の方からブチ突っ込んでくるようでよっほど彼に運がないのか、それなければまた…)。

こんどは蛭児神氏からの反駁でる。《プチパンドラ⑥》誌上の『嫌味わたしたち』においてスタジオバトル側からの〈名指し非難の件〉について。

「さぁて…この業界における噂の出所は、やっぱり川瀬の旦那みたいけれどね。あの人だって独自の情報源を持っている事だろうし」

「私に関しては、完全にイイガカリ。大体、私が最初にあの話を聞いたのは―本人の迷惑を考えて、あえて名前は言わないけど―問題の某誌に描いている漫画家からなんだぜ。それに私が知った時点では、既にかなりの漫画家が知っていて…『この世も、ちゃんと正義が有るんだな。読者も馬鹿じゃ無いんだな』と喜んでいた」

「ここで某漫画家から電話連絡! 川瀬の旦那も例の噂を誰だか漫画家から聞いたそうだ。やっぱり本人迷惑を掛けたく無いらしく、その名前は言わなかったそうだけどね。誰だろう? 意外と連中の内部にいそうだな。それに川瀬の旦那も、せいぜい一、二人にしか話して無いそうだ」

「卑しくも商業誌で実名を出してイイガカリを付ける事自体、奴等が好きな言葉で言う『名誉毀損』に当るんだけどね」

と自分が噂の出所あるとういう指摘と非難について全面的な否認と反攻を開始した。蛭児神氏にとっては相手方が土俵に上りさえすればシメタもの。だが、敵方から旧知の盟友であったはずの怪僧バンリキ氏(現・妖奇七郎)が急先鋒として戦いを挑んできた!! ──危うし

【以下次号】

 

7

もとより結論が出ない泥沼と「わかっていながらもケンカ……」を始めてしまった蛭児神建氏とスタジオバトルの美少女漫画論戦。本来ならば蛭児神氏にはせめて建前だけでもモルテンクラブ批判をおこなうにいたった前提であるはずの、美少女漫画における資本主義経済上の成立過程についての分析と美少女系同人誌そのものに蛭児神氏が抱いている理想の定義などにも論陣を展開して欲しかったのではありますが…。

相手方が同じ土俵のうえで商業誌の編集をするような状況にいたった次元となってはただの泥試合(まあ「馬の耳に念仏」だったのが「蛙の面に小便」へ変わったようなレベルだろうか!?)。

「自分が過去に犯し、今は恥として記憶の彼方に忘れたがっている諸々の悪業をだね、目の前で再現されてごらんなさい。こりゃあもう、苦痛ですよ。余りの恥ずかしさに、思わず腹が立ってしまいます。―オタクの直し方・その一、二段目より抜粋」

蛭児神氏が当初に展開したモルテンクラブ批判の成立前提そのものが、〈美少女漫画界の生き神様であった吾妻ひでお氏のファンクラブにおいて誰もがその名前を知っている有名人であった蛭児神建〉〈美少女漫画界においてカルトに独自な展開をしている〈プチパンドラ〉誌の編集長でもある蛭児神建〉〈元祖の美少女漫画誌レモンピープル》誌上でも最古参の論説委員として社説を飾る御意見番としての蛭児神建〉といったエライ人間である自分の立場に対立するのが、モルテンクラブという〈美少女漫画界の新参者でありながら、ほかのサークルで執筆していた作家を金のちからで奪いとることで努力もなくイキナリ売れる本をつくり、同人誌界におけるサークルの序列を乱してのし上がり、大規模な販売戦略によって行列をつくり即売会の平穏をやぶった〉世間知らずのサークルであり、正義の使徒である蛭児神建としては〈彼らがサークル活動としておこなっている劣悪なる同人誌に執筆をさせられるがために、一ヶ月に16ページを描くことができないような遅筆の漫画家が倍額以上にもなるインフレ原稿料につられて神聖な《レモンピープル》の原稿をおとすにいたっている〉ような状況について美少女漫画界の重鎮である自分が美少女漫画界についてのルール〈新興の同人誌サークルふぜいが商業誌の本家である《レモンピープル》に迷惑をかけてしまう不埒〉を教えさとす役割を負い、あるいはまたその彼らが折伏されない場合には彼らを退治して美少女漫画界に平和を取り戻すための正義の戦いを自ら貫徹しなければならない宿命をもっているのだという前提条件があったワケですから―。

「今のコミケットには一種のカースト制度が存在します。この種の雑誌に描いてる作家を頂点として、作家のお友達を自称する連中の貴族階級…。―オタクの直し方・その二、四段目より抜粋」

商業誌、同人誌(つまりは先生と生徒)という状況のもとで、むかし自分が同人誌でオタクだった時代にエライ商業誌の先生に対して知らず知らずのうち迷惑をかけてしまった苦汁を活かして「締め切りどきに長電話をかけてはいけない」とか「むりやりサインをねだってはいけない」などなど…、同人誌界への新参者たちに対して〈カースト身分をわきまえた行動〉についてを教授しなければならないという呪縛にみずからのめりこんでしまっていたのです。

「貴方には、信頼されるだけの価値がありますか? その自信がありますか? だったら価値のある人間になってください。そう難しいことではないですよ。例えば、ほんの少しの才能と努力と運さえあれば誰だって私程度にはなれるのです。―オタクの直し方・その一、七段目より抜粋」

もしかしたら尊大すぎるかとも思える、この「信頼への自信」という言葉はすぐに崩されることとなります。スタジオバトルへの奇襲攻撃から6ヶ月。全面宣戦のノロシをあげてまだ半年を経過したばかりだというのに彼には焦りがでてきていたのかもしれません。

すでに《レモンピープル》誌上の漫画家にしても世代交代が進んでいて、彼とともに創刊当初から執筆していたメンバーはほとんどが入れ替わってしまっており、またこの1~2年のうちにデビューをした若手の執筆メンバーとは、彼が《プチパンドラ》の編集長であるという業務上の遠慮からかほとんど接触はなく、また古くからブレーンとなってくれていた同人誌サークル関係の仲間たちとも交流が途絶えがちとなっていた蛭児神氏はこの半年ほどのあいだに完全なまでに「孤高の人」となりつつあったのでした。

「それは結局(私にオタクの被害を訴え、あーゆー物を書く様にあおり立てた)漫画家の先生たちがその後もヘラヘラと笑いながらオタクさんたちの要求に応じ続けたせいでもありますが―オタクの直し方・その二、二段目より抜粋」

同人誌聖戦の段取りまでを買って出たまではいいけれども「笛吹けど踊らず」で誰もついて来てはくれない。当初に救助を求めてきたはずの漫画家の先生たちは相変らずの体たらく。裏切られたという事実に気がついた蛭児神氏にはもはやスタジオバトルとの地上戦に突入するだけの力は残っていなかったワケです。

あとはボロボロ。

「ある漫画家〔注・かがみあきら氏のこと〕の死を本気で怒り、泣いてくれた貴方…貴方の様な読者のために、できれば本を作りたい―ネコマタスペシャル2、欄外より」

すでに《プチパンドラ》本誌に逃避するべく戦線撤退の気配まで見せ始めた蛭児神建ではありました。が、それをさらに追い撃ちをかけようとする者さえもいたのです。恨まれるだけの悪役にまで成り下がってしまったのか!?―蛭児神建!!

蛭児神建氏の文章に時たま登場する「腐れ坊主」ということば…。その名前の主であるところの怪僧バンリキ氏が《パンプキン》誌上においてコラムライターとなっていたのです。蛭児神氏から罵倒されるだけの立場から今度は同等に言霊をあやつれる状況となっていたのです。

たとえば彼は《レモンピープル》誌上においてこのように書かれたこともありましたが―。

「以前の夏、ある漫画家が死んだ時さ。私の周囲には、それを嘲笑っている人間の方が多かったよ。『これで某〔注・大塚英志氏のこと〕が困るだろう』てな…。わざわざ笑いながら電話してくる腐れ坊主もいた―コミケットに見る漏転文明、五段目より抜粋」

怪僧バンリキ氏は蛭児神氏のことをあきらかなる偽善者と罵りウラミの反論を開始していくのです。

「言っておくと『某作家』が死んだ時に、一番喜び、どんな姿で死んでいったのだろうと楽しげに推測し、歌まで作っていたのはどこのどいつか御存じであろうか。ほかならぬHである―パンプキンNo.3」

そして水掛論となった蛭児神氏の再反駁が…。

「こら、腐れ坊主よ。喧嘩を買ってくれるのは面白いが嘘を書くんじゃない(中略)私は二年近くもお前さんを憎み続けて来た…(以下略)」

このあと《レモンピープル》誌上において蛭児神氏が漏転批判を書くことはありませんでした。

そして彼は以下のような予言を残して去ってゆくのです。

コミケとは非常に危ういバランスの上に成り立っているのです(中略)いつまで国家権力が黙認しているか、大いに疑問です。いつか必ず手痛いしっぺ返しがあるでしょう。同人誌界全体と表現の自由に係わる重大な問題です。それが今年か十年先か予測もつきませんが、少しは次の世代に対する責任感を持つべきではないでしょうか。世間知らずで一般常識すらない精神的幼児で、自分達の利益しか考えない連中には無理かもしれませんがね

さてあれから5年がたちました。

 

8

いまから思えば(とにかくも作画レベルからしたところで作品内容の質からいったとしても)現在よくみかけるような手抜き同人誌より以下のホントどうしようもないような漫画ばっかりが大半を占めていて、まさに鑑賞に耐えられるような作品なんてのは毎回2~3本も載っていればマシというほどに読める漫画なんか載っていなかったパンプキン!!(まるで同人誌用に描きかけていた原稿をめんどうだからと、そのまま載っけてしまったかのように―背景がロクに描いていないというところの状況ではなくストーリーもオチもない、男と女のキャラが濡れ場シーンをやっているだけの12ページ以下のページ数しかないような短編ばかり、しかも「次号につづく」と書いたままで尻切れトンボになってしまうような低レベルの作品ばかりで大半のページ数を占めている―ゴチャゴチャと読みづらいばかり。850円という定価をつけられたパンプキンは、この時代にあってすら高すぎた雑誌であったのかもしれません。―が、しかしそんなにも劣悪な内容であった「パンプキン帝国」が2年半にもわたって業界をノシ続けていたんだゾ、という事実こそが、この第二次美少女コミックブームという〈同人誌からの成り上がりを目指していた作家や編集者〉たちの時代がいかに〈もの珍しさに惹かれた講読者〉たちのノリだけにのみ支えられて続いていた薄っぺらな時代であったのかという証明でもあるでしょう)。

はたしてこの水膨れした帝国にも最期のときはやってきました。が―しかし、それは決して蛭児神建氏による「パンドラ十字軍」によってもたらされた勝利などではありませんでした。

プチパンドラが隔月刊の定期発行になったのは昭和61年4月発行の6号から―。しかしカルト雑誌を目指してしまうという致命的な欠陥のためせっかくの美少女漫画誌ブーム絶頂期なのに波に乗りきれなかったという蛭児神建氏のキャラクター性による災いと、一水社で描いている作家関係には必ずつきものとなっているような、発行人の多田正良氏との私情もつれた人間関係がからんで、実質的には昭和62年4月発行の11号を以て戦線離脱。自滅的に敗退をしていったのです(本当の休刊号となる12号はそれから6ヶ月後の62年10月に発行はされていますが…)。

人間関係を叫んでいた蛭児神氏はその自身が、自らの分身であったはずのプチパンドラ誌との不審と軋轢に死んでいったのです―合掌。

そんないっぽう「パンプキン帝国」の総師である大久保光志氏はこれまで自分が居住しているワンルームマンションに名前だけを置いているにすぎなかったOSB出版をついに新宿厚生年金会館近くのオフィスビルに移して、さらにパンプキンの編集長をシロヲムラサメ氏にすり替えることで自らは表面に出ないかたちとなり院政を敷くことによって政治力と財力と機動力のすべてを手に入れるようになっていたのです。このとき昭和62年6月、パンプキンが17号をかぞえたころ―実はすでに帝国崩懐の前兆は始まっており、大久保光志氏の表面上の編集長退任は近い将来に必ず来るであろう滅亡の日を予知しての行動であったと後世の人は断言しておりますが…。

このころ朝日新聞での投書騒ぎからはじまった美少女ロリコン雑誌に向けての難クセがついたことから、マイナー出版系の業界全体が委縮し自粛ムードとなってゆきこれまでには考えられなかった〈白抜き〉という修正がおこなわれるようになってきていたのです。

いまでこそ、ナニの描写シーンについては白抜き+丸ごとべタ黒消しが当たり前ではありますが、とくにパンプキンの前半期あたりでは形式程度に薄めのスクリーントーンを結合部などに小さく貼っておくだけといったシースルー消しがほとんど―それが当たり前と思っていた読者たちにとっては、結合部どころか性器や恥毛にいたるまで全部が白抜き修正をされるという状況に当惑と不安が呼び起こされ、また販売部数の激減という事態からは後発のパンブキン亜流本を発行していた各社の市場撤退という〈冬の時代〉に移っていきます。

この事態において編集請負のOSB出版側と発行元の白夜書房との関係にも当然にきしみが生じてくることになります。以前にも書いたようにパンプキンの巻頭はページカラーをはじめとした贅沢な造りが「印税12パーセント」という巨額の制作費によって支えられていたことは書きましたが、これにしたところで4万部という発行部数であったならば400万円の制作費となるところが、もし発行部数を半数の2万部にでも減らされようものならばイッキに制作費が200万円にまで減らされてしまうのと同じこと。部数減を主張する白夜書房側の姿勢にOSB出版がウンというはずがない(なにしろ原稿料がページあたり1万円以上という単価で製作しているのだから2万部の発行部数になると完璧な赤字である)。次第に白夜書房と距離を置くようになったOSB出版では遂に戯遊群わたなべわたるの単行本作品集を白夜書房からではなくOSB出版の独自で発行するという手段を選ぶこととなるのですが…、この窮境の策がパンプキンにとっては死人にとどめをさすようなことになってしまうとは、誰ひとり想像すらしなかったことでしょうが―。

パンプキン22号から裏表紙に掲載された「わたなべわたる作品集・素敵に夢時間」および「戯遊群・セブンティーンの頃」の2冊の単行本の広告についてパンプキン23号の納本日に取次会社より《この広告にある書籍についてはウチで取り扱っているものではない。ウチで配本していない書籍の広告を表4に印刷したようなモノは問題があるから表紙を刷りなおすように》といったクレームがねじ込まれてきてしまったのでした。

あせったのはOSB出版。なにしろ前号にも載っているのにいきなり今回の納本日にクレームされるなんて!!―もし文句があるならもっと早く言ってくれたなら裏表紙の差し替えだって印刷に入る前にできたものを…。

けっきょくパンプキン23号については表紙上からさらにカバーをかけて発売をするということで決着することになるのですが―。このときすでにパンプキンは誌名変更をしてバナナキッズとなることが確定しており、いっぱんの読者からみれば事実上の廃刊をさらに濁したようにしか見られなかったのです。

そして大久保光志氏の強引すぎるといわれたほどの原稿の取り立てにくらべて、どちらかといえば「敵をつくることを嫌った」編集長のシロヲムラサメ氏によるパンプキン運営は結果として作家の原稿遅れや入稿のルーズへとつながり、21号あたりから目立ち始めた発行の遅れは、バナナキッズ2号にいたって2ヶ月の遅刊をするまでに陥ってゆきます。そして、ときは昭和63年の後半。

このころからOSB出版は白夜書房以外に稼ぎを拡げるため新規事業としてパソコンゲームへの進出をはかり予算を注ぎ込んで起死回生をねらいます。のですが…、肝心のソフト事業部が半年以上たってもなんら利益を産み出さない!!―漫画雑誌ならば3ヶ月もあれば利益が回収できるというのにバグ取りだなんだとパソコンソフトはいつまでたっても完成しない、明らかなる誤算です。そして運転資金の焦げ付きに決定的痛打となったのはパソコン誌に半年間の掲載し続けた広告費用の未払い。

―漫画以外に生き残りの活路を見いだそうとしたOSB出版の倒産。それは蛭児神氏が『幼女嗜好』の呪縛に倒れたのと同じように、OSB出版の彼らもまた『モルテンクラブ』から飛翔しようとして〈コミケの掌〉から逃れることのできなかった孫悟空―同じ穴のムジナなのだったのでしょうか。(この項・完)