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漫画ブリッコ盛衰記─なつかしの業界ケンカ史

漫画ブリッコ盛衰記──なつかしの業界ケンカ史

美少女漫画の終末に到る道~誰もが気がつかなかった「昭和60年」の美少女漫画カタストロフ序章

池本浩一

所載『レモンクラブ』1991年8月号~12月号

中森明夫の「おたくの研究」が初掲載された『漫画ブリッコ』1983年6月号)

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ここまでずっと、1年間にわたって「美少女漫画」と呼ばれていた〈エロ漫画〉の新ジャンルが商業誌上の紆余曲折した歴史のなかで、特にエポックとなって重大状況の現場に関わってしまった部分のみをピックアップして書いてきました。

──それぞれの時代に特異点な存在となってしまった代表的な漫画誌の興亡史(これまでロリポップ、プチ・バンドラ、パンプキンなどにふれてきましたが)の一部分について──と、偶然とはいえ行きがかりでそれらの雑誌にかかわってしまったがために波乱の人生を歩むこととなってしまった数々の人物像(これまでに川瀬久樹氏、大塚英志氏、蛭児神建氏、大久保光志氏らの発言などをメインとして取り上げてきましたが)の一断面にスポットをあててきたわけです。

実のところは、ようするに部外者からみたならば単純にばかばかしいだけに過ぎない、新業界人=エリートおたく(嵐獣郎太氏が言うところの〈コミケット・ヒーロー〉たちの成れの果て)同士による、まるで自慰じみた「サル山の小ボス争い」的なケンカではあるのですけれども──、それではなぜ、こんなにまでして彼らが〈美少女漫画同人誌から派生したアニメ系キャラの〉エロ漫画雑誌だけへ執拗なまでにこだわり、またおたがいを憎しみ、怨み、畏れながら寡黙に戦い続けてきたのでしょうか。まるで日蓮大聖人の〈敵は内にあり〉という言葉を思い堀り起こすかのように、あるいは鏡面に映ったおのれ自身にむかって攻撃をしかけ続ける軍鶏のように、激しく敵対しあっていったのでしょうか?

もしかしたら、この世でもっとも信用できない「最大の敵」が自分そのものであるということに無意識のうちに気がついていたのかもしれませんが…。

そうした美少女漫画界にとってのトラウマが増殖されながらに当時の同人誌または商業誌などの主要な関係者の無意識下に巣喰いはびこりはじめていった〈第1潜伏期〉にあたるのが昭和57年末から59年までにかけての「第2次ロリコン同人誌ブーム」のときなのです。

そしてこのときに含蓄されていった不信の心がイッキに解放されてしまう結果となる「昭和60年」(1985年)という慟哭のビッグバンがくることなど、このときには誰すらも気づいてなどはいなかったのでした。

今回からの新シリーズのテーマは《美少女漫画の終末に到る道~誰もが気がつかなかった「昭和60年」の美少女漫画カタストロフ序章》というワケで、コミケットにおける世代交代が生んだセルフ出版=漫画ブリッコの最終兵器〈アオーク〉の残存放射能がおよぼした現在美少女漫画界への影響──について語ってゆくことになるかと思います。

この闘争の結果として漫画ブリッコを去っていったのが大塚英志であり、また「第2次ロリコン商業誌ブーム」の到来を告げる鐘をならしたのがアオークという存在に違いないのです。

そして、アオークといえば当然に触れていかなければならない重要人物こそが森野うさぎでしょう。彼こそが、それまで夢のまた夢のように思われてきた「同人誌の商業化」という概念をモデル化し、また初めての実証実験にも成功して、のちに〈まんがの森商法〉とも呼ばれるようになる「同人誌リンケージによる複合的な利潤追求」を完成させてしまった第一人者なのですから

彼の活躍がなかったなら次の時代を席捲することになるモルテンクラブから現代のMINIESCLUBにいたるまでの「販売活動を重視したサークルによる同人誌制作」が全盛となることもなかったでしょうし、あるいは商業誌でのデビュー以降に即売会を知った漫画家らが「なんの規制もない修整すらもないのが同人誌」と勘違いして続々とコミケットに参加してくるということもなかったでしょうし、コミックハウス系の漫画家が単行本収録を前提にして同人誌原稿を執筆していたようなことや、コミケット直前に発売された号の山賊版誌上の同人誌紹介ページに見開き構成でコミックハウス系漫画家らが参加していたサークルの位置を示した幕張メッセ会場見取り図が載って好評になることや、それらの同人誌の奥付住所がコミックハウス編集部気付になっていたなんていうことすらもなかったであろうと充分に推測できるほどに彼の功績は偉大なものであったのです。

ですからもちろん森野うさぎ氏がアオークに到るまでの足跡についてもふれてゆきたいとは思っております──順を追ってゆくことに…。

といったわけで、さて時代を一気にさかのぼってゆくことになりますが、まずはこの「第2次ロリコン同人誌ブーム」がどういったものであったのかについての説明もしなければいけないでしょう。

具体的なところでは創作系美少女モノからアニメ系美少女モノへの創造対象の変転といった状況が最重要なキーワードになっているといっても過言ではありません。

いまでこそ同人誌といえばアニメのエロパロが(それこそ男性向け創作からやおいトルーパーにいたるまで)代名詞で主流のようになってはいますが、かつてレモンピープルを誕生させるまでの礎石とまでなった昭和56年頃までの「第1次ロリコン同人誌ブーム」の時代においては、じつに現在におけるようなポルノ漫画誌としてのアニパロ同人誌は実質的に皆無な状態にあったのです。

まぁたしかにアニキャラのヌードイラスト誌といった類のものが全然なかったわけではありませんでしたが、後に大ブームとなって即売会場でもジャンルとしてブロックが形成されるほどの勢いになった『うる星やつら』系の一連のエロパロ作品のようにストーリィとしての完成度までも求めた漫画作品としてまでもハイレベルなアニパロなどというものなどはいっさい存在していないというような状態であったのだといってよいでしょう。

この時期までのロリコン系同人誌の主流となっていたのは、ロリコンまんが同人誌の元祖『シベール』であり、いまだ続いている老舗『ロータリー』であり、レモンピープルの直接的母胎となった『人形姫』であり、まいなぁぼぉい先生の『美少女草紙』であり、といった創作同人誌系サークルによるものであって、まだアニメ系同人誌によるエロ物としては、やっと『ヴィーナス』や『IMAGESOFIE(美少女自身)』といったところが出てきたばかりにすぎない時期だったのです。

そして、そのころ活躍していた同人のロリコン系作家の多くがレモンピープル誌上などでデビューするようになってしまうことで、創作系ロリコン同人誌によるブームはいったん鎮静していくことになってゆきます(世間の状況はガンダムの映画化をメインに据えた劇場版アニメブームの真っ最中のころ。アニメ系のサークルにしたところで正統派や健全パロディ派がほとんど幅をきかせていた時代なわけです)。

そして徳間書店による健全美少女漫画誌『プチアッブルパイ』が登場するなど現在の〈エロ漫画誌主流〉となっている商業誌状況からは想像もできない展開さえも見せていたのですが、この時期に同人誌即売会では誰さえもが気づかないうちにジャンルを越えた全体の一大潮流としてのサークル再編現象が怒濤の勢いで進行していたのでした!!

それは男性系のサークルにおいてはメカ(少女メカフェチ)系と美少女系(非エロ系が含まれる)という2つの流れをいつの間にか形成する方向に収束してゆきますが、この「再編」を断行していった新世代こそがマクロス派とも呼ばれる昭和40年以降生まれのカラーアニメ世代だったのです──そんな彼らの動きがロリコンの定義そのものすらも覆すようなことに!! 【以下次号】

(協力/後藤久美子・星☆萌菜架)

 

(あぽことかがみあきらが表紙を担当した1984年8月号)

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さて前回から始まった──この新シリーズでは、あの「パンプキンに至る道」を白夜書房が歩みはじめるキッカケとなったシンボル的存在の漫画誌であるところの『漫画ブリッコ』誌上において、幾多もの権力闘争の嵐をくぐりぬけ、ついには誌上における漫画家のプロデューサー覇権を確立させた大人物でもあり(ちょうどそのころ正式に漫画ブリッコの編集人という肩書きへと昇格になった大塚英志氏が共同編集者であった緒方源次郎氏の無きあと完全な独裁体制を確立していった昭和59年初春から60年初夏までにかけての超絶頂時代・後半期にもっとも隆盛を誇っていた)あの秘密結社「アオーク」の首魁的存在でもあった森野うさぎ氏が美少女漫画史上に標した価値と意義についてを書き連ねようとしているワケなのではありますが…。

(先っちょマガジン『ん』スタジオ・アオーク1984年12月23日発行

まずは延々とはなりますが重要な舞台装置ともなっている当時のロリコン系マンガ同人誌への即売会状況についてと商業誌関係における漫画ブリッコの存在位置などについて等々を先月に引き続いて述べていこうとは思っております(ここらへんの情勢についての説明をキチンとしておかないと「まんがの森」という白夜書房の直営する漫画専門書店がこれからはじまる各種事件に関していかにカギとなる役割をしてきたのかについてが分かりにくくなってしまうとは思いますので──特に東京園以外の読者のひとには地理的な関係が分かりにくいかも──ちょっとむかし話につきあっていただきたく思います)。

というワケで、先月に語ったところまで話題を戻しますと…。ときは昭和56年(1981年)末のこと、すでに一時のブームとしてのロリコン系同人誌から、一ジャンルとしての美少女系同人誌の発芽ともいえる現象さえ起こりはじめていたのです。

基本的にはより同人誌指向を強めてゆく過程において女性系サークル全般のマニア化傾向が美形キャラのホモパロ受けやおい(つまりは製作会社の公認FCを取りたいがためにアニメ作品の出来不出来にもかかわらずの翼賛ヨイショに明け暮れる従来型FC活動からはなれてアニメキャラの非現実的な言動そのものを痛烈に批判するフリーな同人活動)へと主流を移してゆき、これまで不可侵であったキャラの尊厳すべてを破壊し得るという自由さを得ることが、オモテ(商業誌)にはできない本音の主張をできる場所としての同人誌(ウラ)の位置づけを確立していった面こそあり、これに影響を受けた男性系サークルにおいてはメカ(少女メカフェチ)系のサークルが考証主義への程度の偏重のあまりに漫画同人としての意味づけを急速に失ってゆき、1枚絵としての完成度を追及する美少女イラスト系の同人誌群のなかへ収束してゆく一方で、漫画としてのストーリーの多様性に目覚めていった美少女系(非エロ系が含まれる)サークルではアニパロでありながらも物語性のある創作漫画としても「読ませる」作品を目指すようにと試行してゆくようになってゆきます。

この動きこそが読者の存在を意識した(つまり販売されることを前提にしている)同人誌活動を本当の意味において目覚めさせていきました。そしてこれら商業誌的な傾倒を顕著としたサークルの存在そのものが、これまで創作的同人誌活動の本流として純粋に漫技を切磋琢磨する場としての役割を担ってきた大学漫研の存在意義すらも変革してゆき後の個人誌サークル全盛時代への下地ともなってゆくのです。

では一方における商業劇画誌と同人誌との関係状況のほうは──。

一部の同人誌作家のあいだにおいてはエロ劇画誌におけるジャンルとして確立された美少女劇画の未来を試行しつつある動きも出始めてはいたのですが、それにおいてさえまだ同人誌界と三流劇画出版社系の商業誌のあいだには交流といえるような状況はあえて無かったともいってよかったかもしれません。

三流劇画ブーム時代における新志向劇画雑誌からの唯一の生き残りであった『漫画大快楽』においてさえも「ロリコン系漫画家がその雑誌内において3人以上に増えるとその劇画誌は衰退し廃刊してしまう」という当時の劇画編集部が共通してもっていたジンクスを破ることさえできなかったのですから。

《この頃にロリコン系の劇画作家といえばメインとなるのは野口正之内山亜紀)先生や谷口敬(野島みちのり)先生、またあるいは五藤加純先生(まだ中森愛先生は編集者をやっていてデビューしていなかった)という当時ではまだまだ新鋭の若手作家で通していたような面々であったり、評論家になってしまうまえの飯田耕一郎先生であったり、まだリアル志向で劇画らしい絵がらだったころの中島史雄先生だとか、エロジェニカでの連載以来の長編巨匠でもあった村狙俊一先生であるとか、またマイナーSF漫画誌Peke』や自販機本『少女アリス』や同人誌の『シベール』などにおいてロリコンの種をバラまき続けてきた始祖神の吾妻ひでお先生なんていうようなヘタすると現在ではその活動すらみることができないような先生方がドシドシおられたワケですがぁ》。

そして、このころ劇画誌史上初めての早過ぎた試みともいえるような「ロリコン系劇画誌」が初刊行されていたという事実もあるのです。

この雑誌こそ『ヤングキッス』という名称で、ちょうどメジャー漫画誌における第一期のヤングコミック雑誌ブームに便乗しているかのような体裁をみせながらも果敢にも史上初の「中とじ美少女コミック」でありました(ちなみに発行元は光彩書房──なんと『プチパンドラ』以前にもこのようなコミック誌を出していたのですねぇ)。この『ヤングキッス』こそは半年で休刊とはなってしまいますがレモンピープル』より以前の存在していた唯一無二の定期刊行コミックであったのです(──あ、ところでこれでもいろいろと各内容には機を使っているつもりなんですよお。なにしろうっかりするとネタの内容が二本柳俊馬先生や小倉智充先生のお書きになるジャンルの領域を微妙に侵して接触してるモンだからヘタすると…)。

まあ、それはさておいてー、ところで白夜書房なのですが、先月にも少し触れてはおきましたがチョットあとあとで意味が出てきちゃうので統一しておきますが『漫画ブリッコ』は創刊当時からある時点までのあいだまで発行元は「セルフ出版」でした!! このセルフ出版というのは白夜書房の2枚看板にあたる出版社名で、辰巳出版蒼竜社とか桃園書房司書房とか、久保書店あまとりあ社とか、一水社光彩書房なんかの関係と同じものだと思ってくれていいです(まぁ会社によっては一応それぞれを別会社としてわけて機能させているところもあればまったく看板だけの会社違いなんていうところもあるんですけどね)。

そしてまだ当時としては『ニューセルフ』だとか『コミックセルフ』なんていう誌名からもわかるように《元々、雑誌自動販売機専用の安価なエロ雑誌ばかりを作っていた三流出版社》としてのセルフ出版という会社名のほうが業界全体としては有名だったワケで、現在の〈発行・白夜書房〉となっている雑誌のほとんとが〈発行・セルフ出版〉となっていたようなワケです。まぁちょうど現在での白夜書房と少年出版社(現・コアマガジン)の間みたいな状況でイメージチェンジの意味もあって、それまでのエロ雑誌出版社としてのセルフ出版から脱却をしてコミックスと写真雑誌の白夜書房としてのウリをもくろんでいたというわけです(あぁーもう紙面がなくなってしまった)

次回にはセルフ出版と漫画ブリッコ編集長の大塚英志氏との間に深まってゆく対立のなかで「アオーク」がいかに登場してきたのかまで書ければと思うっ──!! 【以下次号】

(協力/藤久美子・星☆萌菜架)

 

(悶々が表紙を担当した1985年3月号)

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ところで、ちょっと継ぎ足して書いておきます。前々回に取り上げた第1次ロリコン同人誌ブームにおけるアニメ系同人誌の情景についての記述のなかで、あとから読み返してみたらちょっと誤解にみえそうな部分があったのでいまから補足をしておきますが《美少女自身》は《IMAGESOFIE》においてはアニメ系同人誌におけるエロ物のさきがけな一冊ではありましたが、サークル全体の活動としての《美少女自身》そのものについては、基本的にサークル代表者であった九浜幼七郎さんにはアニパロ指向があったワケなのですがメイン執筆者であった《はこづめやさい》さんがどちらかといえば創作系の指向が強かったためもあってサークル自体としての《美少女自身》は創作系の同人誌として引き続いていきました(よくあるメイン執筆者の力問係によってサークルの方向性がひっばられていく──ってヤツですね)──ですから《美少女自身》全部がアニパロ同人誌というコトではありませんので──。

といったわけで、まあそれくらいにアニメ系のエロ同人誌っていうのが無かった時代だったワケなのですが…。

そんなこんなで美少女系の同人誌界全体としては読者側からのアニメエロパロ指向の需要こそ強くありながら、まだこの時代においては同人誌サークル全体に「アニパロはオリジナル創作系よりもサークルとしてレベルが低い」というおかしなコンプレックスと思い込みによる偏見が根強くあり、執筆者本人にしても作品にたいしての批判を嫌うあまりに「描きたいものをスキに描く」といってはワザと読者からの距離をおくようなエセ芸術至上主義的な活動のポーズが、はばをきかせていたということもあって、非営利を通り越して絶対「損」主義とでもいったような姿勢がまだまだ多くみられていたのです。

この当時の情勢としてはアニメ系FCあるいはマンガ家FCが全盛の時代でもあり『ヴィーナス』のようなアニメキャラヌード同人誌にしたところであくまでもアニメFCブームから派生したアニメキャラ同人誌群の副産物的な存在としてだからこそ存在しえたような状況でした。それゆえに、このころのアニメ美少女系の同人誌活動としては余暇活動的にみられるコピー同人誌が主流であり、またオフセットで印刷をしたとしても原価販売で百部も作って即売会で戯れてドサクサに売っちゃうのがせいぜい──。とてもじゃあないけどナン千部単位で大規模な通信販売をやったり、漫画専門店の同人誌販売コーナーで横いっぱいに各種ならべてみたり、即売会場に超長い行列を並ばせて表紙フルカラーのオフセット印刷でアニメキャラの〇〇〇イラスト集を売るなんていうようなことなど、だれも予想だにしなかったようなところなのです。

この時代にはまだ、同人誌の発行に原価計算あるいはバランスシートといったようなサークル経営上での経済感覚が未発達段階にあったころですから同人誌活動にしてもあくまでも「発行すること=描くこと自体に意義がある」といった学校内クラブ活動的なサークル意識(会員から会費を集めて入った同人誌を原価のまま会員内にのみ頒布するのが前提であって、会員以外に対する会誌の販売はサークルの存在を一般にたいして告知するための目的のみに許されるといった閉鎖的な学漫タイプの活動)で同人誌を作っていたサークルがほとんどだったわけで、当然のごとくに活動資金(資本)の蓄積もできなければ発行部数(運用資産)の増加もありえないといった再生産性のまったくない活動形態であったのです。

毎年ごとに購読会員に対して会誌の印刷費用を捻出するために年会費を要求しては全額を使いきってしまってあたりまえと思うような、まるで国家予算的な感覚でのサークル選営がこの時代には当然とまかりとおっていたということです。

このような運営のしかたをやっていたのでは毎年に大量の新入会員が入ってくるか、あるいは慢性インフレ的な会費の大幅値上げでも繰り返さないかぎり、今年やっとコピー誌から発行を始めたというような弱小の新規サークルにとってオフセット本やらフルカラー表紙だなんていうモンは十年たったところで永遠の夢物語でしかありえないということがよくわかるのではないでしょうか。

この時代にもっとも大規模に会員制美少女系同人誌サークルとしての活動をおこなっていた旧世代の典型的な会費制サークルとして吾妻ひでおFC『シッポがない』本部事務局長をやっていた大西秀明氏が主宰していた《美少女学》がよい例としてあげられるでしょう。当初『シッポがない』の分派活動団体『美少女愛好会』として昭和56年に発足。アニメックレモンピープルなどの誌上での告知で会員を増やして百五十名もの会員を抱えることで、昭和58年には『シッポがない』からの独立をはたしています(百名以上の確定購読者をなんらかの形で抱え込まなければオフセットの同人誌など発行できえないと思われていた時代だということをお忘れなく)。

その形式上では会員相互の原稿持ち寄りによる金本位制サークルとはいいながら、会員数が百名をこえてしまうともう実質的には常連の執筆会員と予備軍会員(あきらかな購読会員であると同時に将来の執筆者となるべく編集長の添削指導をうけ続ける。また会費という名の印刷費用を負担し続ける)というべき2段階へとうぜん会員は分離されてゆきます。

基本的にすべての会員に会誌掲戴用のイラスト原稿などを執筆投稿することが事実上装務づけられており実体として『美少女愛好会』は編集長の大西氏自身による作家育成のための個人サークルと化していったわけです。

ノルマとリテークについていけずに脱落する新入会員が多発した時期をへて最終的には大西氏にえらばれた「執筆者エリート」と「執筆者にのし上がることが出来なかった一般人」に会員を選別するフルイとしてサークルは機能してゆくことになります。

当初の同人誌即売会の状況においては2百~3百部ていどの発行部数しかない美少女同人誌を確実に手に入れるためには執筆者に成り上がるか、会費=印刷費を収めることで会員頒布枠の恩恵にあずかるか、しか方法がなかった時代でした。

──2年後に大西氏は《美少女学》を発展解消しエリート会員のみを引き連れてオリジナル系の自主流通出版サークル『グライフ出版』を発足させてゆきます…。

多くの下層会員を支配下に抱えることによってはじめて大部数(といってもン百部ていどが限界)の同人誌を発行することを可能としていた会員制同人誌サークルは時代の役目を終わり消え去ったのです。

そんなころ一般的マニアが即売会に拠らない同人誌購入手段として新たに注目し出したのがアニメ雑誌によって急速に発達してきた同人誌紹介欄でした。一部サークルの余剰な同人誌をさばく手段として利用したところが好評であったために各誌がそろってサークルの在庫も考えずに大特集をするほどの過剰状況となるまでそれほどの時間すらもかかりませんでした。──そんな数百部ていどの小部数しか刷らない同人誌がアニメ誌でとりあげられたとしても通販など出来ようもありません──当然に即日完売してしまい、あとには完売通知に汗するサークルと買えずに悲しむ読者が大量発生という次第。なんとか子算をかけずに同人誌の増刷を可能とする方法はないものだろうかということになってきまして、その結果に生まれた方法というのが『復刻委員会』方式とよばれる変形通販だったのですが、これこそ、のちに「クラマガ集件」として同人誌および商業アニメ雑誌など多くを巻き込んだ大スキャンダルの前奏曲となっていったのです。【以下次号】

(協力/後藤久美子・星☆萌菜架)

 

森野うさぎが表紙を担当した1986年2月終刊号)

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あの事件はー、まさにアニメファン系同人誌がブームの絶頂期となっていた最中に数多くのアニメファンだとか同人誌マニアといった連中を巻き込んでの大スキャンダル事件となっていったのでした…。

この当時にマニア向けアニメ専門誌の双盤として一般のアニメファンに対してオピニオンリーダー誌的な権威すらもにおわせていた『OUT』およびに『アニメック』の両編集部をも泥沼のなかへと引きずり込んでゆき、そのあげくにはその事件の当事者が『アニメック』誌上においてまさに詐欺犯として決め付けられて本人所在不明のままに顔写真公開のうえ名指しで罵倒されるという人民裁判のオマケまでもつけてしまった、あしかけ4年にもわたって繰り広げられた、アニメ雑誌・同人誌の15年におよぶ歴史上においてすらも最凶最悪なる汚点的な結末を残してしまったあの事件ー、後世のオタク連中にもクラリスマガジン》事件と呼ばれて憶えられ忌み嫌われた、あの大醜聞事件について….、どうしてもふれておかないというわけにはいかないでしょう。

同人誌を大量部数で発行することによる《経済効果》に対して商業誌の編集部がいかに拘わっていったのかー、と同人誌を雑誌上において紹介することを生業とすることになる書評家たちの出現―。と、次々に発現しては同人誌を〈資本主義の道程〉へと進化を誘っては導いてゆく〈神々のみえざる手〉の正体についてのことを…。

なぜならば、この事件によってこそ現在の同人誌界の状況―晴海国際見本市会場やインテックス大阪みたいな巨大会場で何千サークルも集めた即売会が毎月のごとく開催されたり、フルカラープロセス4色+蛍光ピンクを使って表紙を刷って、さらにはタイトルを金箔押しにしたうえビニールコート仕上げといった商業誌以上で手間のかかった表紙印刷に本文ページにも紙替えやら刷色替え、多版刷りといった超豪奢なヒマー杯の同人誌がオフセット印刷で何千部も作られては売られてゆく、あるいは同人誌出身という肩書きをなびかせて愛読者ン万人という持参金つきでメジャーデビューをする新人漫画家がいるーといった現象のすべてがみえてくるに違いないからです。

それまでのアニメ誌にあったような会員募集のための告知板としてのみに機能していたファンジン紹介欄が時代の変化のなかで無理矢理にもその役割を変貌させられていったのがこの時期にあたるワケです。

いまだにこの会員募集の告知板としての形は『アニメージュ』などのアニメ誌に現在でもうかがうことができます。サークルガイドのページを開いてみてください。編集部があくまでもタテマエとしての〈サークル入会申し込み〉のための告知板であるという形式をまもっているために、各サークルはPR欄に会誌の発行形式(つまり季刊とか隔月刊とか)、会員数(要するに全国に愛好者仲間が3名いますとか)、入会金(まあ会員証の発行費用に五百円分必要ですとか)、会費(6ヶ月分の会費が1200円ですみたいなの)などのデータを掲示しなければいけないことにはなっているのではありますがぁー実際にはほとんどのサークルが、会誌の発行形式といっても発行物そのものがコミケごとの単発ネタ本だから当然に不定期刊行物なわけだし、会員数といっても執筆スタッフだけが若干名いるのみだし、とうぜんに入会金はナシで、会費も〈誌代としてン百円+送料・購読者のみを募集〉、といったかんじで事実上は同人誌の通販案内となっているようなコトなのです。

もう8年近くも前の時点ですでにアニメファンサークルという形態そのものが、一般アニメファンの中から突出し始めた一部のアマチュアリエーターたちによって、アニメ級作者やアニメ誌の編集者といった業界人の世界に自分たちが繋がるために必要な中観点として、自らが先生という存在に成り上がるための習作発表の場としてサークルの存在役割を変容させるようになってきており、愛好者同志のなかよしクラブとしての機能よりは会誌販売そのもののための媒介手段へと変貌しちゃっていたのです。

しかし、それにもかかわらずほとんど多くのアニメ情報(同人誌マニア同志が交流するために当時からあった唯一の受け皿でしょう)は、又いまだに現実の同人誌状況を直視もせずに安閑とした記事構成をつづけて(あるいは気がついているにもかかわらずにワザとを閉ざしているのかもしれませんが)いるままにあったのです。

まだそのころにおいては『レモンピープル』すらもやっと創刊したばかりの頃のこと、〈サークル〉の紹介ではなく〈同人誌〉そのものを誌上において紹介してくれるような商葉媒体といえば『ぱふ』『ふゅーじょん・ぷろだくと』などのような超マイナー系の漫画評論誌以外にはなかったと思われていたような時代であったわけですから…。

そこへアニメ雑誌系列として初めて、同人誌に対しての誌上書評欄を本格的に開始することによって実質的には初めて同人誌の通信販売活動を積極的に推し進める役割を担ったのが『アニメック23』からの連載となる〈ファンジンは今〉となったわけです。他のアニメ情報誌においては読者層がどうしても未成年者中心となってしまうがために積極的には打ち出すことができないままでいた〈モロに売買仲介そのもの〉である同人誌紹介のページ構成についても『アニメック』の読者層が他誌より5歳以上も高いというヘンな利点に救われてイケイケになったといっていいでしょう。

前回に取り上げた吾妻ひでおFC分派の「美少女学」であるとか、またサークルの代表人をやっぱり『アニメック』の編集者がやっていたという野口正之FC「妖精人形」などのように通販そのものによってサークルの同人誌発行規模を続出してゆくようにまでなってゆきます。

それはサークルによってはその発行規模を200部から2000部へといきなりの10倍増をさせ、現在の同人誌界においてすらも大手サークルとも居並ぶほどの発行部数をいきなりに売り尽くしたというほどの職異的な出来事であったわけです。

もちろんいきなり未経験者に千部以上もの同人誌を発送させようと思ったところでなかなかに出来るはずもありませんから当然にトラブルも起こってくるわけで…、編集部には通販サークルとこまめに連絡をとりながら、または発送作業を実質的に代行までしたり、また在庫不足のときなどには増刷方法のノウハウを伝授したりまでするなど余計な新しい仕事までが増えてきちゃったりなんかもして。

まぁこの同人誌紹介の企画によって、これまで同人誌などというものを手に入れることなど考えもしなかった地方のアニメファンを定期購読者に引き込み、そしてまたロコミによって新たなる同人誌情報めあての読者暦の開拓までが可能となったりと華やかなことであったというのも事実ですからー。

アニメック』による誌上通販によって、有名同人誌が即売会にいかなくても購入することが出来る!!ー感づいてしまった同人誌マニアたちの動きは、それまで即売会中心であった同人誌状況に新たなる展開をおこしてしまいます。

実はコレこそ〈大人数の会員制によって運営をされるFCや学漫タイプのマンモス同人誌サークルが会員数にまかせて群雄割拠していた旧漫画大会的な同人誌即売会〉から〈執筆者がメインのキャプ翼や聖・星矢などの女の子創作系同人誌サークル中心の現代型同人誌即売会〉にコミケットが生まれ変わる本当の原動力となっていってたのです。【以下次号】

(協力/後藤久美子・星☆萌菜架)

ー次回は『クラマガ』というバブルが如何にふくらんでいったのかだっ!!

 

5
とりあえずで、まっさきに書いておきますけども、このところ数ヶ月続けてここに書いている「美少女学のてんまつ」だとか「クラマガ騒動」といった件については、あくまでもこの第3部《ブリッコ盛衰記》の前振りとして、どうしても必要不可決な同人誌史上での出来事であると判断をしたから書いているわけですがー。

なにも一夜が明けたら「商業誌という存在をバックにして超大部数の同人誌を発行する巨大な執筆者集団」がイキナリに存在をしていたというようなワケじゃないですから、当然にソレに到るまでの社会的な経過というものについても書いていかなくてはならないわけでぇ…。

なぜ「内輪にこもりがちなアニメファンクラブタイプの会員制同人誌サークル同士の交歓の場でもあり、あるいは新しい同志を獲得するためのサークル広報の場」であったはずのマンガ同人誌即売会が、どうして現在に多く主流となっているような「非会員制組織で少数執筆者主導によって即売会での同人誌販売を活動の中心にしている」ようなサークルと「サークルが販売している出版物を唯一まとめて効率よく購入できるという利点のためだけに集まってくる何万人ものマニア連中との中間に入って売買上のトラブルを調整するために存在する一種の流通シンジケート組織へと変貌していくようになったのかーだとか、商業誌の編集部が同人誌というモノを商品としていかにつくりあげて、それを内部に取り込んでいったのかーといった(同人誌界における)社会的な情勢についてをまえもって書きつられておかなければ、なんで唐突に「商業誌をバックにした超大部数の同人誌を発行する執筆者サークル」(引用者注:同人誌のみならず『漫画ブリッコ』といった商業誌でも活動していた森野うさぎ中心の同人サークル「スタジオ・アオーク」のことを指すと思われる)が可能になったのか〈本来なら商業誌編集部にとっては作家に同人誌などというお遊びに熱中されることなどは迷惑以外のなにものでもないはずなのですから〉説明がつけられないのではないかと思ったからなのではありますが、なんかいきなりに前振りなしにまったく別の話題に移ってばかりいるような分裂症的な印象をうけてしまっている読者のみなさんもいるようでしたのでー。

あえて言っておきますが、いままでに書いているのはあくまでも本題に入るまえの〈前振り〉ですからーまだ当分の間は続くと思いますけども…、この「同人誌バブル」現象にかかわってくる象徴的な原罪といえるような出来事についてできるだけ多く、具体的に書いておこうと思っておりますので…〔毎回、とにかくいそいで書かなければいけないことが多すぎてどうしても未消化ながらにワープロで打ち出した文章を制限文字数オーバーの為に泣くなく無理やり半分くらいに削って載せているために(さらに私の文章構成能力が拙いばかりに)ただイヤミを言っているだけで論旨がまるではっきりしないわかりにくい文章になってしまってすみません〕。

といったようなワケで今回はまた枕話が長くなってしまいましたがぁ、やっと前回からの続きー。

とにかく、この「クラマガ事件」があったからこそ現在のように〈同人誌という存在が商売として成り立つ〉ということに周辺業界の人々が気がついてしまったのです。

もちろん誤解もけっこうありました。いまでもかなりの同人誌マニアと称する輩ですらも漠然と信じている〈何万部も売りまくってガッポリ儲かる〉式の勘違いが生まれたのがやはりこの「クラマガ事件」からなのですから、のちに同人誌界およびマイナー系の出版業界に与えた影響はことごとくでしょう。

すくなくとも同人誌の通販活動においてサークル側と購読者のあいだにおこるさまざまなトラブルの遠因として〈購読者がサークルに対して抱いている過大評価、およびにサークル側のほうでも自分たちが購読者たちから過大評価をされているのだということに気がついていない〉という認識のズレがあることは事実です。古代同人誌市場における会員制サークルという組織形態においては読者であるところの会員と同人誌の発行者であるところの会長との間では、当然のごとくに自分の所属するサークルの会誌の発行部数がン百部であって原価がナンボだけ印刷費としてかかっているのかトカ、すべてが認知されていたわけですから過大な「儲け主義」だとか「暴利を貪る」といった幻想など出てくるはずもなかったワケです。

ところが同人誌読者がことごとく「会社の成長を見守りつつ株主配当を待つ」ことを止めて「会社へ運転資金を投入し利潤をあげさせることで売買益をねらう」ような存在となってしまってからはもう、株主不在な株式会社みたいなものです。読者自身が〈あのサークルは大手だから〉といった自ら作り上げた虚像にすがりつき、またサークルにしてもその読者が築いた虚像をまもるために、さらに薄利多売へ直進するといった状況が根底にあったワケです。

ーが、それにしても購読者の描いているサークル虚像は大きくなり過ぎているのです。

サークルの皆さん!! 貴方がたの作っている冊子の発行部数のことを通販購読者は5倍増で見つめているのですよ。もしも貴方のサークルが500部の同人誌を発行していたとするなら読者には2500部も刷っているサークルなんだと勘違いされていると思ったほうがいい。

直接に即売会に同人誌を買いにくる読者にしてもほとんどが2倍増に発行部数を錯覚している(500部しか刷ってないサークルだったとしても1000部以上は刷っていると勘違いされている)者がほとんどだということですから、自分のところは弱小サークルだから関係ないやと思わないでくださいね。

そして同人誌を即売会まで買いに行ったことのあるみなさん、あるいは通販で同人誌を買ったことのあるみなさん! 貴方の考えているほどにほとんどのサークルはデカくはないのですよ。

ここのサークルは1万部以上も刷っているに違いないと思ったとすれば、実際のところは2000部から多くても5000部以下だと思ったほうがいいですよ。そして大部数を刷るっていうことは「暴利を貪る」ことじゃあなくて1冊あたりの単価を安くして買いやすい値段にしようっていうことなんですよ。

ーってあたりで同人誌関係者全般へのフォローはいいかな?

どうもこのところテキが多くなっちゃって…(ちなみに前段での発行部数の認識調査は2年前に『アットーテキ』で同人誌棚を担当していた当時に実施したアンケートから)。

まあ、それは置いといてー。

クラリスマガジンがその商業誌上において大々的に取り上げられたのが『アニメック17』(昭和56年4月発行)の特集記事「“ろ”はロリータの“ろ”」からであるということは絶対に忘れないでおいてくださいねーそれ以前には、あくまでも東京の同人誌即売会というローカルかつ限定された場所においての内輪ネタとしての存在にしか過ぎなかったのですから。

全25ページにもわたってアニメ誌の巻頭においてロリコン美少女特集があったという事実ーこれこそ空前絶後といってよい大特集です。

そして、そのなかでアニメ美少女の代表格として大々的に取り上げられていたのが『カリオストロの城』のヒロインであったクラリスというワケだったのです。

そして丸々1ページ近くも使って新聞大見出しなみの大活字で「クラリスマガジンも大活躍だ」としてこのAWSC発行による同人誌を大々的に宣伝しているのです。

東京のロリコンならもっていない人はいないという『クラリス狂専誌』があるのです。その名はズバリ『クラリスMAGAZINE』〉【以下次号】

(協力/後藤久美子・星☆萌菜架)

―当分の間はクラマガ篇をやります。すっ、すみません。