Underground Magazine Archives

雑誌周辺文化研究互助

米沢嘉博「同人誌エトセトラ」第1回「シベール神話の誕生」




米沢嘉博阿島俊名義で『レモンピープル』創刊号(1982年2月号)から休刊号(1998年11月号)まで18年間にわたり計187回連載していた同人誌紹介記事。創刊当初の題は「ロリコン同人誌ピックアップ」。'82年12月号のリニューアルから「同人誌エトセトラ」に改題。雑誌の性格上男性向け作品を中心としながら全ジャンルを対象とし、時には漫画同人誌の歴史にまでも言及した。休刊6年後の'04年9月、久保書店から350頁超の大著『漫画同人誌エトセトラ'82~'98』として単行本化された。記念すべき連載第1回目には『シベール』が取り上げられている。




漫画同人誌エトセトラ'82~'98―状況論とレビューで読むおたく史

イントロダクション

この本が何であるかの説明と購読のおすすめ

本邦初のロリコンマンガ誌として『レモンピープル』は81年12月に創刊された。それは同時に同人誌の描き手を中心にしたエロチックコミック雑誌のスタートを意味していた。この雑誌で創刊号より連載がスタートした同人誌レビュー「同人誌ピックアップ」は、10回の1頁連載を経て、中とじから平とじに変わった同誌で「同人誌エトセトラ」というタイトルで再スタートを切った。そして98年10月に同誌が休刊するまで、計187回、連載され、20年近くに渡る同人誌の動きを、状況論、事件報告、レビューによってリアルタイムでレポートするという結果になった。

今はプロ作家になった描き手たちの同人誌時代が紹介されているだけでなく、千冊以上に及ぶ同人誌の記録はここにしかない。この本では、この「同人誌エトセトラ」をすべて収録し、年毎にまとめることで、同人誌の流れをレビューと共に読めるようにした。さらに、連載中に何回か試みられた「同人誌の歴史」の部分を取り出し、新たに書き下ろす形で80年までのマンガ同人誌の歴史を序章として収め、連載終了以後の99~04年までの同人誌の大きな流れを巻末の方にまとめてある。明治期から現在までのマンガ同人誌の通史としても、この本は読むことができるはずである。

頁数や構成の関係もあって、連載時のものから図版を省いた部分、単なるアイサツやイベントのお知らせ、次号予告など削ったところもあるが、明らかな間違い以外は書き直していない。予想や未来の不安については当たったところもはずれたところもあるが、それも、その時々のレポートとして読んでもらえればいいだろう。今となっては説明をつけなければ解らない固有名詞、語句については年毎に脚注という形で補足説明してある。

この本は、貴重な記録であると同時に、そのボリュームとカバーされた時代によって二度と書かれることのない一冊であることはまちがいない。同人誌研究の資料としてだけでなく、マンガのもう一つの歴史を書いた本として、様々な発見のための本として、手元に置かれることをお勧めしたい。

阿島俊(米沢嘉博

「美少女」たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル」を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ。

「美少女」たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル』を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ。

米沢嘉博

所載『朝日ジャーナル1984年5月14日号

二年ほど前に話題になった「ロリコンブーム」が実は、マンガ・アニメ同人誌界に端を発していたととは、あまり知られていない。「ロリコン」といっても、じつは美少女をキーワードとする新しい感覚の少年マンガのことだった。SFアニメ、テレビ特撮物などに育てられた若い世代の描き手たちが、生み出したそれは、パロディ的であり、アニメ的であり、必ず、といっていいほど「美少女」が登場した。そういったものを、半ば冗談でくくったネーミングが「ロリコンマンガ」であったわけだ。

この同人誌界でのブームは、やがて「ロリコンマンガ誌」なる商業誌を生み出すことになる。いちはやく創刊されたのが久保書店の『レモンピープル』。一人か二人のプロ以外はすべて同人誌作家いう誌面づくりは、ファン雑誌的側面が強い新しい発表の場として歓迎されていった。もちろん「エロ」の部分が部数を支えていたことはまちがいない。

やがて『プチアップルパイ』(徳間書店)が同じようなスタイルで創刊され、『漫画ブリッコ』(白夜書房)も同様の路線に方針を変更する。新人が中心なので原稿料が安い、という面でのメリットがあったことも見逃せない。しかし、なんといっても、商業誌を成立させるだけの数のマニアがいたことが驚きだ。

昨年秋ごろからこれらの雑誌は部数を伸ばし始めていると聞く。海のものとも山のものともつかぬ無名の新人たちのマンガで理められた雑誌が、数万部という数で定着してしまったのだ。

こうなると似たような企画が次々と出てくるのは当然で、同人誌のマンガだけを集めた『美少女同人誌アンソロジー』(白夜書房)といった単行本が出たり、季刊ムック的な形で『マルガリータ』(笠倉出版)が創刊されたりした。そして、五月には、新雑誌『レモンコミック』も創刊される勢いなのだ。

これら「ロリコンマンガ誌」はかつてマンガマニア相手に出ていた『COM』、あるいは『ガロ』といった雑誌の今ふうの展開としてあるように思えてならない。

マンガは常に大部数のメジャー誌と少部数のマイナー出版の並列という形で続いてきた。つまり少年月刊誌と貸本単行本であり、マンガ週刊誌とマニア誌といった形でである。そうして、マイナーの部分は、用意された「未来」という意味をこれまで持ってきた。

ロリコンマンガまた、そういったものであるのかもしれない。確かに、描き手と読者の距離の近さという一点において、それらのマンガはもっとも先を走っている。

テクニック、ストーリー展開、構成力といった面ではベテランたちにかなわないものの、感性、ファッション性、といった部分ではまちがいなく勝っているのだ。それはマンガに身をさらす時に味わえる「心地良さ」を保証するものでもある。すでにこれらの雑誌からメジャー誌へ移行していった新人も多い。耽美的な世界を描く千之ナイフ、エロ度で人気の高いみやすのんき、それに大友克洋高野文子の中間にあるようなスタイルの藤原カムイなどがそうだ。(嘉)

亀和田武『劇画アリス』+高取英『漫画エロジェニカ』+川本耕次『官能劇画』+迷宮'78編集部「座談会:三流劇画バトルロイヤル」(プレイガイドジャーナル 1978年8月号 特集・ぼくたちのまんが その3 君は三流劇画を見たか 迷宮'78編集)

君は三流劇画を見たか

迷宮'78編集


所載:雑誌『プレイガイドジャーナル』1978年8月号「特集・ぼくたちのまんが その3 君は三流劇画を見たか 迷宮'78編集」

青年まんがという言葉がある。この言葉はそれまで少年まんがのワクの中でしか発揮されていなかったまんがのエネルギーをすくい上げ、更に拡大した場所でそのエネルギーを解放するための言葉だった。けれども実際のところはそれが本来持っていた可能性をどんどんとり落し、社会の常識に自らを合わせてゆく過程を踏むことによってでしか定着してはいかなかった。そして確立したヒエラルキーの中で一流御三家(ビッグ・アクション・ヤンコミ)から二流劇画(ゴラク・週漫etc.)は全く沈潜し熱を無くしてしまっている。

毎週毎週ぼくらの前に送り届けられてくるのは、ベルトコンベヤーに乗っかった500円の定食でしかない。まんがを主食としてきたぼくらとしては、たとえ定食ではあれ食べてしまうのだけれど、いいかげん同じ味には飽き飽きしてしまうし、少女まんがの砂糖菓子やプリンアラモードの最初の新鮮さも薄れかかっている。

まんが総状況の沈滞のさなかに、エロという囲い込みのなかで各々の個を爆発させている三流劇画は、ぼくらの前に毎週送られてくる気の抜けたエンターティンメントよりは余程面白い。所詮三流とか、どうせエロまんがなんていう声も聞こえるけれど、ひと昔前はまんが総体が表現の世界での三流だったし、数年前までは少女まんがも三流のなかのそのまたゲットーだったことを思い出そう。読む読まないはそれぞれの勝手なのだけれど、エロだから読まないなんて偏見はそろそろ捨て去って、まんがはエロも描き得るのだし、それもまたぼくらのまんがだという認識を持ってもいい頃だろう。高宮成河

 

座談会三流劇画バトルロイヤル

選手紹介

亀和田武劇画アリス代表)〈亀〉

自動販売機でしか買えない雑誌の編集者。檸檬社にて『漫画大快楽』『漫画バンバン』の編集に参加、一時代を築く。その後アリス出版に移籍、毎号話題を呼ぶ表紙裏のアジテーションによって知られる。最近号では遂に本人の写真が登場、賛否両論を巻き起こし、名実ともに自動販売機の顔となっている。29才。

高取英(漫画エロジェニカ代表)〈取〉

この道に入って一年有余、『エロジェニカ』編集主任となって独自路線をとり、発行部数を飛躍的に伸ばす。同誌の“コーヒータイム”では少女マンガ論も書き一部マニアの注目を得る。最近、中島史雄に大阪に帰ってお見合いをした話を描かれてクサッており、名実ともに三流劇画の顔となっている。26才。

川本耕次(官能劇画代表)〈川〉

学生時代からの三流マニア、はずみがついて三流劇画の編集を業とするようになる。『官能劇画』の編集を半年やり、現在『Peke』という三流SF少年誌を発行するためにとびまわっている。三流劇画共斗会ギの中央執行委員。本人も劇画を描き、三流劇画の顔になりたがっている。

レフェリー 迷宮'78

葉月了〈葉〉=亜庭じゅん

相田洋〈相〉=米沢嘉博

高宮成河〈宮〉

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

取:そいでさ、入ったときに今の先輩が教えてくれたワケ、うちは中年のオジサマ向けにつくるんだからとか、或いは肉体労働者のトラックの運ちゃん向けとか、そういう感じでネと云うワケよ。ところがねオレはさ、予備校時代に、女がいないときに予備校まで行かずにスタンドに行ってエロまんが読んでね、ワーとしてたワケ。そうすると全然ちがうワケよね、もともとぼくのまわりの編集者ってのは年齢層ももっと巾(はば)広くやってたんだけども、ぼくはこれはもう性の失業者である若い連中向けにやるんだって形で今みたいにやったら、それが何となくあたったってとこ。

川:それは要するにね編集者の方でもね、内容の良し悪しじゃないワケね、はっきり云って載せる規準がさ、この人は原稿オトシたことがないとか、そういうごくつまんない理由で選んじゃう。

亀:そう、要するにポリシーが無いのね。

川:雑誌をする上での編集方針がないワケ。

亀:これは売れるんじゃないかという形で編集者が持ってる規準ってのは実にアイマイでね。

川:要するに今まで築かれてきたものがその中心になってるから、たとえば表紙にみずいろ使って売れると、みずいろ出せば売れるといった......

全:ハハハ

川:いやだけどこれホントなんだよ。だってここんとこ『官能劇画』の表紙みんなピンクだもん。

葉:映画のタイトルでも、黄赤以外は使っちゃいけないってところがあるから。

取:『アリス』の表紙ってのは、筆者名もなければスタイルもない。一種の革命だな。

葉:編集長で売ってるみたいな...

取:あの表2がスゴイね、映画芸術の最後のページの板坂剛みたいで。

葉:で、読者対象としては若い層をねらうという。

宮:つまり今まで云われてきたような、ウチは工員さんやトラックの運ちゃん相手やからというところからもう一歩踏み出して……

取:いや、トラックの運ちゃんも工員さんもオジさまも、どんどんいるんだけども、十八から二五までに焦点を絞ってる。まあ要するにマスターベーションの素材になるようなもの、そういう形でやってる。だから予備校生あたりから、『エロジュニカ』読んでね、どれどれを読んで3回、どれどれを読んで4回って風に来ると、ああヤッタ!!って思うね。逆に云えばつまり性的に飢えててうまく女をひっかけることができない、そういう連中にとってね、エロ劇画ってのはマスターベーションやって欲望を沈静させることによって休制の安全弁になってる面と古びた秩序だった連中にとって眉をしかめさせるような形で体制に対して、バンとストレートになってくる面と、両刃の剣だと思うんだよ。そのへんがむずかしいワケ。

亀:まさにそれは両方あると思うんですよね。

取:それでね、一番やったと思うのはね、中学生が多分学校あたりへ持ってったんだろうな。40名くらいの規模でね、パパ、ママあたりから全く同じ文面でドサッと手紙が来た。

亀:それはありますな。全く同じ文面で来るんですよ。

取:ちゃんと裏に名前書いてあるんだよね。

川:あれは共産党が裏で糸引いてんだからね。

取:ああ、ホント!

全:なになに? それ

川:あのね、石子順石子順

葉:なに! あれ!

取:石子順って代々木なの?

川:あいつがね、裏でね、そういうやつを組織して、要するに子供のマンガをどうするとかさああいう感じで、そういうのをつくって俗悪まんが追放みたいな形でやるワケよ。かたっぱしから……。

宮:ホンマにやってるの?

川:やってるのかたっぱしから目についたやつね、要するに下書きがあるワケよ。おそらく石子あたりが書いてるんじゃないの。それを回してね、それを手書きで書いて、最後に自分の名前を書いて送るワケ。

相:不幸の手紙みたいだな。

宮:そうすると、サンプルみたいなもんはあるワケね、もはや。

川:だってサンプルがないと同じ文にはならないでしょ。それでね、『コミックギャング』にも一回来たんだ。

宮:『ギャング』に! 何がアカン云うとんのやろ。

川:何がいけないんだかどうかわかんない。多分劇画であることがいけないんだよ。何がいけないかっていうと要するにエロだとか何とかじゃなくて、漫画じゃそれほどさわがないのに何で劇画だけさわぐのかっていうと劇画であることがいけないの。

取:ただもう『少年マガジン』にしろ『少年ジャンプ』にしろエロ度ってのはすごいもんね、昔に比べれば。

川:ところがさ、『少年マガジン』では許されても劇画誌では許されないというのもあるワケ。たとえばいまウチ(みのり書房)で出してる『OUT』って雑誌でさ、オメコとオコメをとり違えたようなこの地球をどうするんだみたいなセリフがあったワケよ。それも30級か40級ぐらいのでっかい写植だったんだけど全然問題にならなかったワケ。劇画誌だったら呼ばれるよ。

亀:文学雑誌でオマンコと云っても、実話誌だったらいけないというのは実に屈辱的なんだけど。

川:だからそういう一見セックスを装ってる雑誌ってのは表現の上ですごい制約を受けてる。

葉:セックスを装うこと、それ自体が体制からいえばもうペケだから。

亀:そういうのに関連してね、漫画家と話してて頭にくるのはやっぱりね、最近ちょっと違ってきたんだけど、はくはやっぱり少年まんがを書きたいんだけどって云うんだよね。で、こいつは何てイヤな野郎なんだろうってね、そいつの品性を疑ってしまうってところがあるのね。

川:小多魔若史って知ってますか、そういうまんが家がいるんだけど、もと『ジャンプ』の専属でアシスタントやってたんだけど。

相:柳沢きみおのところかな。

川:ええ、それであまり安い専属料で縛られるのがイヤだってんでとびだして、いまエロまんがを描いてるんだけど、彼に会わせると逆なのが、オレはもう絶対に少年まんがは描かんぞ。もうエロマンガだけで生きてやるんだ、エロマンガだったら少年誌に描いてやってもいいけどそれ以外だったら描かないって。

亀:ああ、それは見識ですな。

取:ダーティ松本もね、百万積まれてもオレは『ビッグコミック』には描かない、そういうのが居るんだよ、やっぱり。

川:村祖(俊一)もそこまで言わなきゃダメだと思うけどね。

亀:だから、そういう、ホントに腰をおちつけてエロをやるってヤツが出てこないとダメだね。

取:あの村祖氏は弁護するけど彼は『ビッグコミック』にも描くし、『少年マガジン』にも描くし、『エロジェニカ』にも描く。そういうのもいなくちゃ。たいてい『ビッグコミック』に行っちゃうと描かないんだけど。

相:羽中ルイはどうですか。

取:あれは『漫画ジョー』の専属。

亀:あいつも、よく「ホントはぼく少年まんがが描きたい」と云ってたんだけど。でも、あいつのは、あいつのエロまんがからにじみ出てくるのがあってね。

取:羽中ルイってのは詩人なのね。高校の時に詩集を出して、今でも書いてる。それでね、彼の高校時代ってのがおもしろいのね。詩と暴力なの、ボクシング3年間やった、まさにけんかエレジーなの。新宿でヤーさんとやったこともあるし。で、その暴力のシーンにちょっと少女を出してさ、誌のポエジーを漂わせてグッと伸びたワケ。

亀:あいつは精神的にはホモなんだよね。檸檬社にいたときに遅くなって、駅がとなりの駅なのね。帰りがいっしょになったら、ボクの家に寄ってくださいっていうんだよ。で、歩きながらボクは昔ボクシングをやって右手だけで他の男を扱えますよみたいなことをね。

全:ギャハハハ

亀:ああイヤだなあって。

全:ハハハハ

亀:で、夜中歩いて、もうスグなのね、歩いて来ませんかとかね。何となくコワくてね。

取:だからその暴力性っての、アレがあったからさァ、ボクシング漫画描きませんかって云ったら、「あしたのジョー」の余韻がまだある。それが消えるころ、やってみたいって云ってたね。

亀:昔描いていたアレ、異常なね、正常なセックス一切やらなかった。どういうのかっていと、カッターナイフでふとももをパーッと切って、それをインサートするとか、それからあとね、女が2人でレズやってると、そこに突然怪人がやってきて、それがフンドシ一丁で、それが女の子に何かやるのかなって思うと、女の子の性器を握力でえぐり取って、これが悪いんだって叫んで読者の方に向って肉塊を投げつるのね

全:ギャハハハ

取:全裸描かないもんね。

宮:三流劇画ってのは不適応者の群れやな。

川:そうよ、その代表が清水おさむだけど。

亀:檸檬社にいたときに担当したけど、巻頭2色から始まるのね。リンゴを男が食べてるの、少女にむりやり浣腸して、バカバカバカッて出たやつを。それを茶色で描いてあってね、ああウンコがおいしいよ、おいしいよって食べてるの。それを見たオレの上の編集長が、「亀和田君、これはマズい。これは茶色で描いてあるからだ。白く直してくれ。そうすればオシッコに見えるかもしれない」って。

全:ギャハハハハ

川:確かに一種変質狂的なところはあるよ。だから飽きもせずああいう話ばっかし描けるワケでね。

宮:でもないと思うよ。ワリと醒めちゃってね、逆手にとっているところはかなりあるはずやけどね。

相:描いているうちに醒めてくる。

宮:三流劇画が面白いっていうのは、その逆手のとり方がおもしろいってのもかなりあるはず。で、ただ単に裸の女ばっかり出てきても、何ともないもんね。ぼくはどういうか読者としては、面白いマンガを読みたいだけやねんけども、少年まんがも面白いりゃいいと、少女まんがも三流劇画も、あれもこれも含めて全部ぼくらのまんがであると。
で、三流劇画としては、ぼくらのまんがという中で今後どんな風にがんばっていってくれるのかという、そこらへんを聞きたいワケ。

亀:ぼくらだってね、ヘタすると『ヤンコミ』になりかねないってところはあってね、そこらへんは、厳に戒めているんだけども。だからアレやりたいとか何かアレしたいと思っても、どうしてもあの『ヤンコミ』の読者ロビーに集中的に現れている傾向ってのは普段に出てくるんじゃないかって気がして、それで、あっちに行くんじゃなくてここで踏んばるってのはね、エロ劇画をエロ劇画たらしめるってことで、やっぱりそこで頑張ってるってことだね 

全 ………

相:高取さんは?

取:だから、あの結局、何ていうのかな、『ガロ』なんかはね30代40代の人向きねってのがね逆にあるの。で、ウチは川崎ゆきおを『ガロ』の更に『ガロ』的なホノボノシリーズで、それで『ビッグコミック』の村祖も使ってそれでボク、少女マンガ家にエロ描かせたいってのが願望でね。で、そのへんが全部バーと出てきたらもう『ビッグコミック』も『少年サンデー』もないんだって感じでね、そんな作家いないかなあ?

相:いないんじゃないんですか。

取:いや竹宮恵子だってスゴいよ。少女まんがでさァ、全裸を描いてる、チンポも描いてんだから、ああいう人も居るわな、確かに。

葉:でもあれは男見たってどうにもならない。

取:いや、あれは男が見るから興奮するの、

宮:わしゃ、なんじゃこんなもんちゅうて、はるけどね。

亀:この前ね、仲間と話したんだけど、ポルノグラフィというか、あの商品化してるね、そういうのってのは他の表現とは全く違ってね、こちらの方に芸術表現ってのがあってね、芸術表現ってのはどういうものかっていうと、かなりすぐれたものであると読者なりそれを見てる者が何ていうかな、無化されてゆくという風なね。ポルノグラフィっていうかそういうものは、自分自身をどんどん際立たせてしまう。いやが応でもいきり立ってしまうようなね。だから全然別のものなんだね、芸術表現と。―いつ聞いてもポルノも芸術だみたいなね、そこらへんが中途半減なのね。

宮:新人編集者としては。

川:全般的に見てこれから難しいんじゃないかって気がするんだけど。つまり作家なんだね。

宮:その作家の絶対数の不足みたいなもん。

亀:ありますね。羽中ルイなんかが出てからもう2年ぐらい。

川:だからエロが描けるというね。そういう人が少ないワケ。たとえば能条純一とか清水おさむとかね、一種際立って変な意味で面白いとか、あのへんはもうある程度わかって、もう先が見えた。それをあとから受けついでゆくという…...。

亀:だからそれをどういくかというと、ここに来て非常に意を強くするんだけど、要するに三流劇画で、エロ劇画誌でね、3つか4つ頑張ってるところがあると何とかなるんじゃないかっところがあるのね

川:あとそれとね、読者が居れば何とかなるという面もある。読者がいるとね、わりと作家もノリやすいでしょ。みんなが手さぐりで歩いてる状態のなかで作家にやれってのもムリだ、みたいな。

取:あのサ、飢えて劇画だ、みたいなヤツが今わりと落ってると思んだけどさ、名古屋かどこかで中卒だと思うけど、上役がおまえ何をアホなことやってるっていうと、イヤぼくはマンガ家になるんですみたいなね。で、、東京へ出てしまうと何かやっぱし食えるのね。

亀:みんなオレたちと同じ年代で家(ウチ)建てるんだよね。だから書いといて下さいよ、三流劇画も家が建ちますって。

川:いや三流劇画だから家が建つんだよ。一人で月に三百枚こなせるのは三流劇画しかないよ。

亀:あがた有為が家建てた、清水おさむが家建てた。

取:清水おさむはマンション。

亀:あっそう。

取:だから当時まだこんなにパッとなってなくてさ、みんな貧乏しながら描いててさ、でもちよっと新人が持ち込みに行けばね、ふっと大丈夫だみたいなね。みんな大学行くようになって自宅あたりで描いてて、でさ、成り上がってさ、化けてさ。そういうのって減ってきてるんだ。

亀:それでさ、ホント驚くんだけど実にまあみんな極貧のなかからアレしてるワケね。

取:だからハングリーハングリー

亀:オレと同じ世代なんだけれどものすごく多いのね、あがた有為もそうだし、飯田(耕一郎)くんの私生活なんてちょっとすごいのだからね、何なんだろうと思うんだけど、それでまたヘタな大学生なんかよりみんな実に教養があってね、あれはもうびっくりする。それで、飯田くんもそうだけれど、あがた有為なんてね市場かなんかで働きながらそれでもう夜フラーと疲れてね、ああオレはここで埋もれてゆくんだろうかなんてね。
取:清水おさむの場合はね、大金持ちの地主の息子であるという締めつけがイヤで家出したんだけどさ。

川:そういうスゴイ純情な人なんじゃないかという気がしたけど、それがこう、なんかイビツな人間になっているっていう、またこのへんがおもしろいんだけど。

亀:それから、アレ(本の雑誌)にも書いたんだけど、批評をもっと活性化しなくちゃいけない。

取:どうしてあの少女マンガを読んでる連中が、野郎、村上知彦

全:ハハハハ

葉:出てくるなァ。

宮:本気にようなり切らんところがあってね、いつも醒めてんねん。

取:川本三郎は劇画をやるけどもわかってないな。川本三郎はオレは悩んでるからね。川本三郎清水あきら、あの二人だね。

取:詩人はダメですよ。

亀:だからそれはホント『漫画主義』の連中にも限界感じちゃうのは、どうしたってその昔、美術青年たちというか、その人たちがジャズの批評をしてたときがあったでしょう。やっぱりあのジャズのそういうパワーと対応し得るような批評じゃなくてやっぱり美術青年としてしか語れないというようなところがあって、劇画のああいうのに見合う評論や方法がまだこうちゃんとできていないというところがあるね。そうするとやっぱり権藤晋高野慎三)とかあそこらへんの、まあ良心的な人なんだけどね、アレ見ても、「稚拙な線にこめられた真摯さに注目」とかね。

葉:そう、そんな風になっちゃう。

亀:セコイんだよね、こちらにしてみれば冗談じゃねえよってのがあってね、ああいうことしかできないっていうのは、やっぱり……

川:読んでないからじゃないかな。権藤晋に会ってね、話したんだけどぜんぜん三流劇画知らなかったよ。

亀:それからやっぱり、あれはね。あれは何か云っちゃ悪いけど頭悪いんじゃないかって。あれはつまり理論として構築するのを怠ってる、放棄してるんだよね。

葉:いままでのところ、いいとこ感覚だけで書いているみたいなとこあるからね。

川:要するに、石井隆しか語られないということがね、みたいな一番いけないと思うよ確かに石井隆ぐらいかもしれないけど、あれははっきり云って特殊な例だと思うから。

亀:しかしやっぱり天才ってのはスゴくって、つまり閉じた状況を打ち破るには20人の亜流が出てもしょうがなくって、天才によってそれが打ち破られるというのがあってね。石井隆一人が出てきたおかげでエロ劇画全部が変わっちゃったってのがあるでしょ。榊まさるが20人出てきたってああはならなかった。だからあれは石井隆一人でああなっちゃったということになるとやっぱりあと何年か天才を待つというね、アレもあるわけで、今から天才の出現を予想してそのための場ってのを確保していないといけないんだし、オレも割とチャランポランなんだけど、そこらへんはしっかりやろうと思ってる。しかし今ある劇画状況とね、それを取り巻く評論というのはちょっとひどいんじゃないか。

川:ま、現実問題として評論も含めてね、読者という存在が確立してないでしょ。いるのかいないかわかんない状況だもの。

亀:こういうところにでも来ない限り読者には会えない。

全:ギャハハハ

取:イヤ、あの、電話でデートってのをやったらバンバン来るんだよネ。

亀:そういうアレでもないと出てこないからね。例えば『大快楽』でもね、モデルのパンティプレゼントってやるでしょ。あれはいっぱい来るんだってね。それ以外の投書ってのは全然来ないしさ、たとえばよく読者欄とかやってるでしょ。あれが全部インチキなの。

取:うちは全部ホント、うちは人気投票で、一部マニアがドーっと来て、20通最低来んの、毎月ね。それで、今度大人のオモチャプレゼントやったら、マニアじゃないスケベー派がバッと。

全:ワハハ

取:そらもう、全然…。

川:でもまあ、『エロジェニカ』だけが例外で、後はほとんどインチキだ。名前見てりゃわかる。

亀:だからぼくは『大快楽』にいた時はせっせといつもお便り書いてた。

全:ホホー

亀:それで最終シメまぎわになると、おまえ半分書けよっていってね。

相:そういった意味じゃ、『エロジェニカ』ってのは、ある程度読者状況つくってるみたいなところが。

取:つくってる。だいたい読者にちよっと会いたいってのがあるからね、願望として。

相:いわゆる『ヤンコミ』読者ロビー……

取:いや、あんな頭でっかちのバカはねェ、あんまりいないわ。

亀:いや、アレは結局、『ヤンコミ』ってのは、確かにオレも買うとね、まっ先にまず石井隆の「天使のはらわた」と「読(ドク)ロ」を読んでしまうんだけどね。「読ロ」を読むたびにまたハラがたったりね、いやーな気持になったりね。

取:この前の読者にさ、『漫画マガジン』と『エロジュニカ』おもしろいって、ちょこっと書いてあってさ、ヒョッとしたらもうまずいのかもしれないって思いだしてね。

亀:そう云えば、清水おさむが二、三日前に会社に来た時に、あの人もアハハなんてやっててね、「エロジェニカにアリスのことが書いてありましたよ」って…

全:ワハハハ

宮:新しいものを作ろうと思ってね、それがまたそっちの方へミーハーが寄って来てね、それをまたダメにして、という状況はいつもある訳で、それをどうかいくぐっていくかが…。

亀:そうですね、確かに具体的な読者とね、こう会うっていのはもちろんすごいインパクトあるだろうし、つまるところはこちらでね、まちがっててもかまわないから、独断でもかまわないから、やっぱりポリシーを持って読者層を設定していくという以外には、結局は、最後に拠るべきところはないだろうって気がするんですけどね。どっちみちいろんなデータでちゃんと資料分析をもしやったとしてもそこから抜けおちてくる部分ってものすごくあるはずですね。こうなったら俺はこれでやってんだという以外は結局ないんじゃないかって気がするワケですね。

 


三流劇画作家 フォーカス・イン

伊集院乱丸

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ダーティ松本

『ハンター』『悦楽号』を中心に久保書店から「内の奴隷人形」「狂った微惑人形」の単行本がでている。「ダーティハリー」からとったペン・ネームのほかに、“劇画変態魔” “劇画屠殺人” “劇画淫殺魔”とも名のり、その名に恥じず男たちはピストルとペニスで暴力的に犯しまくり、女は快楽の遊具として徹底的に凌辱されつくされる。とくに、アヌス責め、サンドイッチ責めのすさまじさは、まさにスーパー・バイオレンスの世界だ。

 

清水おさむ

『アリス』『エロジェニカ』『コマンチ』などで活躍中。上下ともざわざわまつげのきつい眼の髪の長い女を主人公としたストーリィで、作品中一回は必ず、首がとび、胴がとび、内蔵がドバーッととびだす凄惨をきわめるシーンを描かずにはいられない作家。それも、見開きでみせる残酷シーンや愛液ダラダラシーンのド迫力でせまり狂う。また、淫靡や破滅にむかってつきすすんでいく女主人公のいさぎよいハゲシさがとにかくスゴイの一言。

 

村祖俊一

『エロジュニカ』『快楽セブン』のほか、〈鳴神俊〉のペン・ネームで『ビッグコミック』『少年マガジン』にも描く。エロ劇画特有の”きたなさ”がなく、犯される女やSMで責められる女は、つねにリンとした美しさをたたえている。とりわけ『エロジェニカ』の〈娼婦マリー〉のプライドの高さは、自分を軽蔑した女学生をヤク中にして売りとばすほど残酷。いわく「私の気も分るだろうさ。てめえのオマン●で客を取ってみりゃあ……」


あがた有為

『大快楽』『コマンチ』『アダムズ』『オリンピア』『アリス』と、いろいろなところに描きまくっているエロ劇画きっての売れっ子。女性も女学生、人妻、OLと多彩で、みなグラマーな肢体。話としては、強姦、SM、レズとなんでもあるが、とくに刺青ものが異色であり、また老人に犯されるといった話は、エロ劇画のなかでも珍しい。たぶん、男に犯されかかったら、さしたる抵抗もせずに体を開いてしまう従順さがウケてる理由だろう。

土屋慎吾

豊満な肉体をもてあました女学生や若妻が、中年のおじさんにネチネチいじめられ、しだいに発情していくというのがテーマで、そのいじめられ方がいかにも中年的で、恥ずかしいポーズをとらせたりしてジラすのが、ウケている。それに女の恥じらい含んだ悶えの描写がうまく、とくに半開きの唇、きつく閉じられた目というのが、なんともエロ劇画的で読者の欲情をさそう。『大快楽』の女体シリーズや『アリス』などで活躍中。

 

玄海つとむ

『大快楽』『アリス』などに描いている。その描写のボルテージもかなりだが、なによりストーリィやネームがしっかりしているのがよい。お得意のテーマは、継母いじめで、女として対等になった娘と養母が、口きたなくののしりあい、恨みあい、男をそそのかして犯しあうといった女同士のみにくいあらそいを繰り広げるといったもの。そして、眼のまわりの黒い女というのが、いかにも気が強く淫乱なふんいきで、テーマにピッタリ。

 

羽中ルイ

『ジョース』『コマンチ』『アリス』『大快楽』と多誌に描く売れっ子。女学生を主人公にしたものが専門。すっきりした線で描かれた女学生が、SEXをおそれつつも、しだいに欲しがっていくというストーリィだが、その反応のクールさが独特のリリシズムを出しており、官能詩人と呼ばれるゆえんとなっている。とりわけ得意なオナニーシーンやレズシーンの透明感は、少女の三白眼とあいまってきれいで淫靡なエロチシズムを感じさせる。


中島史雄

『エロジェニカ』中心だが、『スカット』『オリンピア』にも無く、かの『COM』出身で一時真崎守のアシスタントも経験。レモン・セックスと、いうだけあって少女ものであり、とくに美少女マヤと女教師とのレズビアンを扱った『紫瞬記』シリーズは、ほかのレズもののようなグチュグチュ・シーンがないだけ異彩を放つ。ゆがんだ少女の顔を妙になまめかしく描くことで、ロリータ・コンプレックス読者の劣情をもよおさせる

 

飯田耕一郎

『COM』などの編集人をへて、漫画家となる。『アリス』『大快楽』『官能時代』などのほかに〈耕一郎〉のペン・ネームでギャグをもこなす。おもに女の娘のひとりごとを中心にすすめられるストーリーは、特有のだるいムードをたたえており、ある意味で少女まんが的だ。迫力ある描写で読者をひきつける作家というよりも、ふんいきで酔わせる作家である。とにかく、味のある絶妙なタッチで描かれた少女がなんともカワユイ。


宮西計三

『アリス』『アダムズ』『ドッキリ号』『増刊ヤングコミック』で活躍。巻末の2色ページが多く、大胆な構図とフランス劇画調の洗練されたグロテスクな絵柄で、妖しく美しいファンタジィが素晴らしい。なかでも、眼、舌、汗、衣服のしわなどの気持ちわるいまでの描写のセンスは一見にあたいする。ホモ、女装願望、人形愛など。アブノーマルなテーマのものや、『夢想家ピッピュ』にみられるチャイルドポルノ的な作品がある。

三流劇画ブームの頃/高取英(元『漫画エロジェニカ』編集長)

三バカ劇画ブーム

高取英(元『漫画エロジェニカ』編集長)

『漫画エロジェニカ』(海潮社)1978年11月号が発禁となってから20年の歳月が流れた。それを記念して何か書けとダーティ松本氏がいうのでこれを書く。

当時、『漫画エロジェニカ』は、『漫画大快楽』(檸檬社)そして、自販機本の『劇画アリス』とともに人気のエロ劇画誌で「三流劇画ブーム」などと呼ばれていた。『エロジェニカ』11万部、『大快楽』7万部、『劇画アリス』3万部だったので部数ではダントツのエロ劇画誌であった。『エロトピア』は隔月誌で三誌は月刊誌、つまり、月刊エロ劇画誌のブームだったのである。
『エロジェニカ』のレギュラー執筆陣は、ダーテイ・松本、中島史雄村祖俊一清水おさむ小多魔若史などで、みな個性的でパワフルな劇画家たちであった。

なぜ、ブームになったのかは詳しくは書かない。まだ『ヤング・ジャンプ』も『ヤング・マガジン』もなかった時代、個性的なマンガ家のそろったエロ劇画誌が、『ヤング・コミック』で人気のエロ劇画家・石井隆に続いて注目されたのである。そう、まず石井隆のブームがあった。彼もエロ劇画誌出身であったところから、ブームが始まるきっかけとなったのである。

正確にいうと、78年、話題になったのは『漫画エロジェニカ』と『劇画アリス』で79年になって、『漫画大快楽』が、ひさうちみちお、平ロ広美など『ガロ』出身の漫画家によって話題となる。エロ劇画+ニューウェーブ系の力である。『エロジェニカ』はすでに76年より『ガロ』の川崎ゆきおの連載を続けていて、79年には、いしかわじゅん柴門ふみ、山田双葉(のちに、作家山田詠美)、まついなつきが登場する。『アリス』は、吾妻ひでお、奥平イラ、まついなつきとやはり、ニューウェーブ系を起用していた。

要するに、三誌ともエロ劇画の業界のルール(エロ劇画家以外は掲載しない)を逸脱していたのである。ちゃんとしたエロ劇画誌は当時はむしろ『劇画悦楽号』(サン出版)、『漫画ハンター』(久保書店)の方であった。こちらが本来の主流で、ブームの三誌は邪道であった。それが証拠に、三誌の編集者はその後流転の人生を歩むが、『悦楽号』の櫻木徹郎編集長も、『ハンター』の久保直樹編集長もその後も、立派に業界の主流を担って今も同社に健在である。

ま、三誌は、実は三バカ大将みたいなものだったのだ。

何が三バカといって、編集者がである。そのトップは「俺は全共闘くずれのエロ本屋」だぜ」と出き、表紙に自ら上半身ヌード写真を掲載した『劇画アリス』の亀和田武であった。

その次は、俺だろう。トップでもいいが、ここは先生に敬意(笑)をはらうしかない。そして『大快楽』の小谷哲と、菅野邦明のコンビが三番目だな。二人で一誌だったから*1。三バカだからルールを無視してアホができた(こういうことも理解できずに当時、ブームに嫉妬していた遠山企画*2の塩山ナントカという現在、編プロ・まんが屋の編集者が、エロ劇画のその頃についてようやく最近、出いているが、乗り遅れたさらにバカもいたのかと感動的である)。

おっと、脱線してはいけない。『漫画エロジェニカ』の発禁について書いておかなくてはならない。78年、話題だったのは『漫画エロジェニカ』と『劇画アリス』、部数はダントツで『漫画エロジェニカ』、しかも、TV『11PM』が特集を組み、出席したマンガ家・あがた有為(大快楽に執筆)以外、中島史雄小多魔若史村祖俊一、他計5名、『エロジェニカ』の執筆者で、編集者は、俺と『アリス』の亀和田、そして『官能劇画』の岡村氏など。文句なしに『エロジェニカ』が目立ってしまったのだ。

というわけだ。問題となった劇画作品は、ダーティ・松本の「堕天使たちの狂宴」がダントツ。これは当局がそういったのだから、そうなのだろう。他の4名・4作品は、とばっちりみたいなものだった。

しかし、実は『漫画エロジェニカ』78年10月号の方がすごかったはず。というのは、TVに出ると何かあるというのは、ストリッパーの一条さゆり(やはり『11PM』に出演したところ、引退興行であるにもかかわらず摘発)で証明されていたので、11月号は、やんわりとマンガ家たちはかくように編集部にいわれていたからだ。ダーティ・松本はそれを無視した。

発禁で喜んだのは、上層部と営業部で、「万歳! これで本が売れる!」といったのだから、たいした商魂だった。12月号は、その通りで、12万部ほど刷って、95%が売れた。
面白かったのは、その12月号、11月号発禁の時、すでに刷り上がっていて、連続発禁になると雑誌は亡くなるということで、アルバイトをやとってスミ塗りとあいなった。

「なぁーんだ。写真集かとおもったら、マンガかァ」

と失望の声を上げたアルバイターがいた。ビニ本もない時代、修整前のグラビアが見えると思ったのだとか。夜、スミ塗りをしていたが、12万部は、計算すると、一週間かかる数。しょうがないので、刷り直しになった。

この時、『朝日新聞』は、コラム「青鉛筆」でやや好意的にとりあげたが、『週刊朝日』の穴吹史士記者は、トク名のコラムで、デタラメな記事をかきちらした。いわく、読者の大半は小学生とか、印刷は刑務所だとか(印刷は大日本印刷だった)。

この人、後に、新右翼の野村修介が、「風の会」という団体名で参議院選挙に出馬した時、「虱の会」とカラかったイラストを『週刊明日』に載せ、つるし上げをくらった。その時は、『週刊朝日』の編集長だったのだ。

ああ、やっぱり、こういうことをしでかすのか、と思った。

そのずっと前に、朝日新聞社に他の用でいった時に、蹴りを入れようと思ったら、留守だった。あの時、いれば、少しは身にこたえ、そうしたこともなかったかもしれないが…。

ま、アホのまわりも、アホだったわけだ。また、「三流劇画ブーム」は、劇画全共闘とも一部マスコミなどに書かれたが、これはそもそもは、三流劇画共闘会議という個人ペンネームを、『官能劇画』の川本耕次が使ったのが誤解されたものだ。そういうことも調べず、呉智英は、後に「劇画全共闘」という言葉を批判し、また亀和田武がそうした言葉を使った(ほんとは、使ってはいない)と思いこんで批判している。アホのまわりも、二回いうことないか。

それでも、劇画全共闘という言葉に感動した読者もいたらしく、後に出会った。しょうがないな。

そうだ。発禁の時、裁判を期待するむきもあったが、実は、俺は正式には編集長ではなかったのだ。編集・発行人は、あくまでも当時の社長であって、そうしたことは社長が決めることだったのだ。

社長は、発禁の時、週刊誌の取材に「遠いところで革命とつながっている」とコメントしたのだから、やっぱ、アホだったかも。60年安保くずれのサヨクだった。

澁澤龍彦の『悪徳の栄え』も、ストリッパーの一条さゆりも、有罪なら『漫画エロジェニカ』も有罪。それでよか。

それにしても、初代『エロジェニカ』編集長は、元全共闘(日大)、主流のS編集長も元全共闘と、なんだか元全共闘が多かったね。

それも世代のせいだろう。マンガ評論も書く呉智英早大)も、マンガ家の夏目房之介(青学)も、サン出版の櫻木編集長のそばでエロ劇面誌の編集をしていた作家の関川夏央上智)も元全共闘だ。

サン出版の櫻木編集長は、ダーティ・松本の発禁となった「堕天使たちの狂宴」をすぐに単行本にしてしまった。修整してあるので大丈夫と思ったとか。修整してあっても発禁になったことを知らなかったのだ。そんなアホな。

そうそう、忘れてはいけないのが、79年になってからのことだ。『エロジェニカ』と『大快楽』は、ちょっとした抗争になったのだ。すなわち、『大快楽』の編集者・小谷哲がコラムで『エロジェニカ』を攻撃し始め、さらに『大快楽』の執筆者・板坂剛(日大全共闘の一員だったとか)が、『エロジェニカ』執筆者の流山児祥を攻撃、「流山児殺し完成」とまで書いた。怒った流山児祥は、板坂を呼び出し、白星、下北沢の路上でKOしてしまった。その後、俺は呉智英と新宿の酒場で出くわした。

「勝った方? 負けた方?」

呉智英、ややシンチョーに聞く。

「トーゼン、勝った方」

そう答えると、呉智英はニッコリして、板坂剛の悪口をいいだした。「頭のコワレた奴で、青林堂も困ったもんだよ(板坂は青林堂から本を自費で出していた)」

まーどちらにせよ、みんなアホだったことはまちがいなく、実は『大快楽』にあと一回、文章で攻撃させ、編集部を攻撃するというのがこちらの計画だったのだ。やっぱり一番のアホは俺かも。その時は、もう一人の武闘派のマンガ家、九紋竜が一緒に行くことになっていた。

もっとも、日本刀をもっていくといってたから、そうならなくてよかったのかも(『大快楽』もそれを迎え撃つつもりだったとマンガ家のいつきたかしがいっていた)。

ひさうちみちおによると、小谷哲はキョーフにふるえ、俺たちもいる新宿には行きたくない、殴られるといっていたとか。しかし、大襲撃は考えてもこちらに小さなテロのつもりはなかった。誌面ではオドシたけど。

その前後より、流山児祥(元青学全共闘・副総長)は、亀和田武(元セイケイ大全共闘・構改派)を攻撃していた。

流山児は、麒麟児拳(きりんじけん)というペンネームで政治的なコラムを書いていた亀和田をきらっていて、「プロ学同の亀和田か? ミンセイみたいなもんだ」といっていた。

その亀和田は、俺が流山児に反論するようにいったのに拒絶し、その後、『劇画アリス』の仕事をサボってクビになり、『大快楽』に執筆、なぜか流山児ではなく、文章で俺の攻撃に出た。

今、明かすが亀和田の劇画論にローザ・ルクセンブルク理論をあてはめたものがあるが、あれは俺が教えたものだ。つまり平岡正明の「マリリン・モンロープロパガンダである」に出てくるのを劇画にあてはめることができると。喜んで、それイタダキといった亀和田はこの件では俺の教え子(笑)だったのになんだ!?

そこで俺も亀和田を攻撃、決闘となる予定が、亀和田は逃げてしまった。腰抜けだった。ちがうというのならいつでも対決してやるよ。連絡してこい。

亀和田は、その後、俺が『創』に執筆すると聞くと書かせろなどワメイたりセコイ奴だった(彼は編集部に同窓生がいた)。

米沢嘉博は、俺と亀和田の闘いを、「内なる寺山修司平岡正明の開い」と評したがマチガイ。俺は、学生時代、新聞会で平岡正明に原稿を依頼した平岡ファンで、亀和田も平岡ファン。そういうことさ。

亀和田は後に、ワイドショーのニュースキャスターとなって「全共闘くずれのエロ本屋だぜ」ときったタンカも忘れて「雅子様雅子様」というようになった。それを中森明夫にヤユされると、「いつそんなこといった?」と反論している。自分のいったことも忘れるのは底抜けのアホだからしょうがない。

いずれにせよ、彼は楽界から去った。同じく、俺もアホで劇団をつくって芝居をやるようになった。でも、業界とはつきあっている。

『大快楽』の菅野・小谷コンビは、なぜか*3コンビ分かれをした。小谷哲が今どうしているのか、わからない。菅野邦明とは数年前、白泉社の仕事を一緒にした。それから、たまに会うチャンスがある*4

20年の歳月は、当時のさまざまな人々を変えていった。ブームの元祖、石井隆は映画監督に転じて成功した。ダーティ・松本は今も健在で、エロ劇画の巨匠になった。中島史雄はその後、メジャーの『ビジネス・ジャンプ』で活躍するようになった。小多魔若史は、痴漢の本を出版し、話題になった。清水おさむは、村岡素一郎の『史疑徳川家康』を劇画化し、高く評価された。村祖俊一はその後『少年チャンピオン』や一般誌とエロ劇画誌の両方で活躍した。

とばっちりを受けた北哲矢、人生美行がどうしているのかは今はわからない。もうマンガはかいていないのだろう。

そういえば、最近、小学館漫画賞を受けた、いがらしみきおが、受賞の時の経歴でデビュー作品をあげ、『漫画エロジェニカ』掲載、と書いてあるのを見て感激した。

若い人は20年前のエロ劇画誌など知らないはず。何度かこの雑誌について書くチャンスも、あったが、伝説の雑誌になるほどのものでもないだろう。

元『大快楽』の菅野邦明とその頃のことを話した時、

楽しかったね。セイシュンだったね。

と彼はいった。

そうだね。みんなアホだったね。

それが、俺の応えだった。

(同人誌『発禁20周年本 真・堕天使たちの狂宴』所載)

 

三流劇画ブーム・抗争は燃え上がった

ぼくが『漫画エロジェニカ』の編集をまかされたのは、1977年、25歳の時であった。

その直前に、この雑誌には、川崎ゆきおの連載が始まっていた。川崎ゆきおは、ぼくの出身大学の新聞に原稿を書いてもらったこともあって、お願いしたのである。エロ劇画誌に、『ガロ』のマンガ家が登場するのは、当時の業界では、掟破りであった。業界では、『ガロ』を別世界と考えていたのだ。

しかし、同じ会社の『快楽セブン』には、渡辺和博の連載も始まっていた。この会社は、唐十郎・編集の文芸誌『月下の一群』、ジャズ雑誌『ジャズランド』、詩の雑誌『銀河』などを発行していて、業界から少しズレていたのだ。社長は安保全学連くずれで、編集局長は日大全共闘くずれであった。『快楽セブン』の編集者は、『ジャズランド』からエロ劇画誌にうつり、彼も67年の羽田闘争に参加したことがあった。この会社にぼくは安西水丸などの紹介で入ったのだ。ぼくは、学生時代から『ヤングコミック』(上村一夫・真崎守・宮谷一彦が三羽ガラスといわれた頃だ)のようなマンガ誌をつくりたいと思っていた。この雑誌は、コラム欄も充実していて、奥成達平岡正明竹中労が、小説では筒井康隆などが書いていた。

『漫画エロジェニカ』をまかされた時、したがって、ぼくは燃えた。ポリシーは、決まっていた。〈掟破り〉だ。まず、読者欄を充実させようと思った。エロ劇画誌に読者はハガキなんかよこさないという、定説をくつがえそうと思ったのだ。同時に、マンガ家の名前を売ろうと思った。エロ劇画誌は、マンガ家名よりも、SEXシーンにしか興味がない、という当時の定説をくつがえそうと思ったのだ。

そのために、読者による人気投票を試み、マンガ家名を書いてもらって、記憶してもらおうと思った。マンガ家の人気投票は、大手の少年誌でもやっている。しかし、それは、公表されることはない。この《掟》を破ろうと思った。人気投票は、雑誌に、正直に毎月発表した。

偶然にも、このことが、執筆マンガ家たちを燃え上がらせることになった。やはり、トップをめざしたく力を入れたのだ。

当時、石井隆がエロ劇画家として大ブームとなっていた。ぼくたちは、石井隆に追いっき、追いこせと考えた。

執筆陣は、ダーティ松本村祖俊一中島史雄清水おさむ、といったマンガ家がレギュラーとなっていた。『ガロ』出身の蟻田邦夫もいた。そして川崎ゆきおだ。

川崎ゆきおがかいていれば、『ガロ』の読者も注目するだろうと思っていた。

確かにこの予想は当り、サン出版の雑誌で『漫画エロジェニカ』に注目、といった記事が掲載された。匿名の記事だったが、後に、米沢嘉博が書いたものだと知った。川崎ゆきおにも触れた記事である。

〈雑誌倫理協会〉というのがあり、この協会に会社は加盟していなかった。この協会は、確か、女子高生の表現には、気を配るようにとか、文書にしていたが、〈掟破り〉をめざしていたので、女子高生はテーマとしてメインにした。

先輩は、「肉体労働者、まぁトラックの運転手などが読むんだ」といったが、ぼくは、マンガ好きの学生中心に方針を変えていった

『快楽セブン』の編集者は、寺山修司の言葉をマネて、「性の失業者/セックス・プロレタリアートのためだ」といったので、それなら学生だろうと思ったのだ。これも〈掟破り〉だったのかもしれない。さらに、月刊エロ劇画誌に、連載ものは無理だ、というのがあった。

これを破ろうと思った。最初は一話完結形式で、村祖俊一が「娼婦マリー」を始めた。

大丈夫なので、連載は、北哲矢・北崎正人の「性春・早稲田大学シリーズ」など、増えていった。

ギャグ以外の全てのマンガ家と打ち合わせをした。テーマ、ストーリー、といったところだ。喫茶店での打ち合わせは、マンガ家が恥ずかしそうに原稿を見せたので、そういう日陰もののようではいけないと、ぼくは大っぴらに原稿を広げた。マンガ家の一人はそのことに感激した。

コラム欄も流山児祥のプロレス論、岸田理生のSF紹介、平井玄のロック論が好評となっていた。少女マンガ論はぼくが書いた。

まかされた時の発行部数は、5万5千部、返品率4割5分。

社長は、「売ってくれれば、何をしてもいい」といった。

結果、『漫画エロジェニカ』は、おそるべきスピードで発行部数を伸ばしていき、我々はあしたのジョーであると宣言した。全盛期には12万部発行、返品率1割へと上昇した。当時のエロ劇画誌のトップになったのだ。

読者のハガキは大量にやってきて、編集部にも、読者が次々に遊びにきた。

ただ残念なのは、こういう時も、東大生、京大生が一番乗りで、アングラ・サブ・カルチャーもエリートが早いのか、と思ったことだ。ほどなく京都府大に「エロジェニカ読者の会」ができた。

『漫画エロジェニカ』がブームになっていくと同時に、『大快楽』(7万部)、『劇画アリス』(3万部)というマンガ誌も、御三家と呼ばれ、セットで、三流劇画ブームといわれることが多くなっていった。

最初は、大阪の情報誌『プレイガイドジャーナル』で、ぼくと、『劇画アリス』『官能劇画』の編集者が座談会をもったのがきっかけであった。77年のことである。この時、司会の人に、「トレンディになって、若者が小ワキにかかえて、原宿や渋谷を歩くようになったら、どうします?」と問われた。「そんなことにはなりませんね」と答えた。「当局に弾圧されたら、どうしますか?」とも問われた。「それは、わからないけど、弾圧されるとしたら、『エロジェニカ』でしょう」とも答えた。

なにしろ、掟破りだったので、どこかで覚悟していたのだろう。

劇画アリス』の編集長・亀和田武は、自らの上半身ヌードを表2に掲載し、気を吐いていた。

執筆陣は、飯田耕一郎井上英樹、つか絵夢子などであった。

77年、『漫画エロジェニカ』と『劇画アリス』がまず、話題になっていった。

日刊ゲンダイ』『夕刊フジ』などで『漫画エロジェニカ』が、『報知新聞』などで『劇画アリス』が記事になった。

そして、78年、9月に『11PM』がエロ劇画の特集を組み、出演したエロ劇画家4名のうち、中島史雄小多魔若史清水おさむと、3名までが『漫画エロジェニカ』のレギュラーであったことと、ぼくが出演して話したことが当局を刺激し、『漫画エロジュニカ』11月号(10月発売)は、発禁となった。

メインは、ダーティ松本の作品であった。彼は人気投票に燃え、性表現をエスカレートさせていた。他に村祖俊一、北哲也、小寺魔若史も問題となった。

NHKニュースはその日のラストに、このことを報道した。表紙が映った。その後、「君が代」が流れた。見ていた表紙のイラストレーターは、「俺の絵が全国ニュースで流れた」とコーフンした。

営業部長は、万才をし、「これで、もっと売れる」といったのだからたいしたものであった。安保全学連くずれの社長は、週刊誌の取材に、「遠いところで革命とつながっている」といったのだから、もうムチャクチャだった。

『別冊新評』は、「石井隆の世界」を出版した後、79年初春に「三流劇画の世界」を出版した。ブームはピークとなった。

79年に入って、『漫画大快楽』は、三条友美あがた有為などエロ劇画家の他に、『ガロ』で活躍していた、ひさうちみちお平口広美がエロ劇画を執筆し始めた。

劇画アリス』は、吾妻ひでおが連載し、奥平イラ、まついなつきが執筆した。

『漫画エロジェニカ』は、いしかわじゅんが『憂国』を連載、山田双葉(後の山田詠美)も連載、柴門ふみペンネームで執筆、いがらしみきおがデビューした。ひさうちみちお吉田光彦も執筆した。

三誌とも、エロ劇画+ニューウェーブ系マンガ家で、話題となったのである。

79年、その『漫画大快楽』のコラム執筆者・板坂剛(元・日大全共闘)が、『漫画エロジェニカ』のコラム執筆者・流山児祥(元・青学全共闘副議長)の批判を始め、「流山児殺し完成」とまで書いた。怒った流山児祥が、白昼、下北沢の路上で板坂剛をKOしてしまった。もう、ムチャクチャであった。流山児祥は、『劇画アリス』の亀和田武(元・成蹊大学全共闘)の批判もした。理由は、亀和田が構改系だったということらしい。「ミンセイみたいなもんだよ」といっていた。ぼくは、『劇画アリス』にマンガ論を書いていたが、これでパーになった。亀和田武は板坂の味方となり『大快楽』で流山児祥ではなくぼくの批判を始めた。頭にきたぼくは彼をKOしようとしたが、彼は逃亡した。それで高橋伴明(こっち側)と戸井十月(向う側)を立合人として果し合いを申し込んだが逃げた。

『漫画大快楽』と、『劇画アリス』をクビになった亀和田VS『漫画エロジェニカ』の抗争といわれるものだ。オーラル派VS武闘派の抗争であった。

次は我々が、『漫画大快楽』の編集者を攻撃するという噂も流れ、『大快楽』のマンガ家の中にも受けて立つという人もいたらしい。こっち側のマンガ家には日本刀で殴り込むと豪語する人もいた。天井桟敷の劇団員(コラム執筆者)も殴り込むといった。

もうハチャメチャであった。

しかし、『漫画大快楽』の編集者は、退社してしまった。

79年、『アリス』は、次の編集者の代で休刊、『大快楽』も編集者が代り、80年に『エロジェニカ』を休刊、エロ劇画ブームは沈滞した。

先日、小学館のパーティで、元『大快楽』の編集者の一人と会って、その頃のことを話した。みんな20代後半であった頃だ。なにしろ若かった。燃えていた。

「面白かったよね」と、元『大快楽』の編集者がいった。

「うん。セーシュンだったね」ぼくはいった。

「もう、あんなムチャクチャもないね」「そうだね」

三流劇画ブームは、歴史のかなただ。でも僕たちは、それをまだ胸にしまっている。

(文中敬称略/月刊『ガロ』1993年9月号「三流エロ雑誌の黄金時代」所載)

*1:俺も亀和田も一人で一誌を編集していた。また『劇画アリス』(亀和田担当)に俺はマンガコラムを掲載していた。

*2:当時、「なぜ『エロジェニカ』ばかりマスコミに取り上げられる。俺なんか30年やってるけど一度もない」と遠山社長がいっていた。それは邪道じゃなかったからさ。喜ぶべきだろう。

*3:知ってるけど、書かない。トホホだから。

*4:板坂剛に会ってるかと聞くと、全然と答えた。編集部のそそのかしもあって、流山児攻撃を書いたという。それにしちゃカワイソウだといっておいた。板坂剛に関していうと、77年だったかに一度会った。名刺がわりに女の股間をストローで吸ってる写真をくれた。 これで、持っていた『エロジェニカ』をあげるのをやめようとした。同席した府川充男が強くすすめたのであげたが…。板坂ファンの『ハードスタッフ』で、俺が雑誌をあげたのをウレシソウに書いている。が、シブシブあげたのが真相。アホらしや

ワンダーキッズ(高木秀隆)/フェアリーダスト(吉田尚剛)インタビュー「ロリータアニメの創り手たち」──アダルトアニメの黎明期

インタビュー「ロリータアニメの創り手たち」

構成・秋野宴

所載『ビデパル』1985年1月号

アダルトアニメは今年(1984年)7月以来今月迄ヒットチャート独占というビデオファンの圧倒的支持によって迎えられた。この分野のパイオニアワンダーキッズ。続いてそのマーケットを決定づけたのはフェアリーダストである。以下に二社のインタビューを併記する。

通常のアダルトビデオの流れは、本番ものブームでそれも次第にエスカレートしてきており、より可愛い子ちゃん、よりハードさをと、しのぎをけずっている。アニメの分野にもそれを引きうつしたように反映している。しかも、アニメはまさにイマジネーションのダイレクトな投射であるという点で生撮り以上に過激である。事実、くりいむしレモンの実売一万本というのは過去に代々木忠の『ザ・オナニー』に追随する本数であり、しかも多数のアニメファンをその数のなかに含んでいるということは、ビデオファン層をおし広げる役割もはたしていると云えるだろう。

現在、他に6メーカーが更にハードなアニメを製作中であるという。今号が店頭に並ぶころにはポチポチとおめみえするだろう。スケベ感覚ドキドキ期待といったところだ。インタビューにこたえる人はフェアリーダストの吉田尚剛氏(現・アミューズメントメディア総合学院代表取締役)とワンダーキッズの高木秀隆氏である。

 

ワンダーキッズ

中島史雄原作の『雪の紅化粧』『少女薔薇刑』の女高生ものから『仔猫ちゃんのいる店』の幼女ものオリジナルまで幅広い作品を製作

ロリータアニメの先駆者的存在。後にブームとなるための要素が全て、ここに集約されている。最新作は今、ベスト10の上位で安泰している。

──第一弾を出すにあたって全くこういうものがなかった訳ですから決断はどのようなところで。

高木:実写ビデオでアダルトはやりたくないというポリシーでアニメというセクションの中からビデオの持つ生の世界を表現したい。これだけロリータものが漫画の世界に定着しているのだからロリータアニメという形でビデオにしてもいいのではないかと
ワンダーキッズの他の業務は。作品の制作販売をやってます。ポニーやソニーの販路をかりて販売しているのですが。オフコース、テラ、スネークマンショー、とかカラオケなどですね。

 

──中島史雄氏の原作について。

高木:中島さんに話をもっていった時、自分の描いた絵が動くということが非常にロマンというか希望というかアニメビデオをやってみたいということで実現したわけです。それで、当初第10弾まで出そうということがあって、そのプロセスで進んでいます。

 

──製作行程に立入ってお聞きしたい。

高木:製作費は1500万くらい。16m/mで撮影しています。音楽はオリジナルで第三弾はマルチチャンネル録音でHi-Fiになっています。セル画は8000枚くらいつかい、人物の動きをナチュラルにしようと心がけています。

 

──音楽について。

高木:今の若い人は音楽で動いているとうところがありますから。事実、アンケート葉書をみると『音楽をたのしめてよかった』という反応があります。音を聴いて映像にひたれる。そこで桃源郷の世界に遊べるというか。

 

──キャラクターについて。

高木:第一弾、第二弾をみていただけるとおわかりと思いますが年令的に16、17才代の世界をつくりあげてしまった。原作では小学校四、五年の感覚なんですがあまりにも年令的に10才前後というのはいたいけなんですよね。

それでいやだと。5、6才あげれば、中学生、高校生であればそういう世界であってもおかしくないんでないかということでキャラクターを決めた訳です中島史雄ファンは怒ってますよ。中島史雄の世界じゃないと。

彩色ですが、アニメの世界では僕らのは異質なんですね。普通アニメでは紗がかかってるんですね。それに色のバランスとかいろんなことが決まってるらしいんです。それをみんなぶち壊してるらしいんです。色を原色にとかもっと鮮明になんて。ビデオは鮮明であるべきだっていう意識があるもんで。アニメーターは大変だったようです。異質なんでしょうね。つくってみて異和感はあったけどそれなりにいいなんていってましたけどやはり、『くりいむレモン』は違いますね。もっとファーとした紗のかかったファンタジックな世界ですね。

 

──ビデ倫について。

高木:僕自身ビデ倫は初体験で第三弾にしては7ヶ所修正して欲しいと。女性の陰部の線の描き方がリアルであると。

一、二本削ってくれればリアルでない。アニメーターは女性の部分は(直しを)今からやると大変だから反転(陰画)するしかない。線画の反転だとちょっとグロっぽいんですけど、そういう加工して再審査に持っていったら、いいですって。逆にその方がとってもリアルになってかえって線がはっきり見えますからね。ヒワイだと思うんですけど。

 

──草分けでやられてその反響は。

高木:『ワンダー=ロリータアニメ』っていう見られ方してましてね。はじめはそうじゃなかったんですよ。ビデオでアニメをやってみようと、よそでやってないアニメをというので始まり、それでアダルト的なものをやったんです。本当は普通のというかアダルトでないものをつくる気はあるんですがそれが何かっていうのが見つからないというのが現実ですね。私達の後続でフェアリーさんにっかつさんと知ってるだけで五社がつくってる。それだけ出てきたならアダルトはそちらにまかせよう。もっと違うものをやっていきたいです。

発売当初の反響はすごかったですね。1日100本200本はすぐ出ました。一時在庫が無くなって一週間くらいオーダーストップですよ。現金書留は一日二回ドサッとくるし。第一、二弾が5000本、三弾が8000本ですか。だんだん伸びてきています。なにしろ営業が二人しかいないので大変です。

 

──新作の工夫は。

高木:キャラクターはアニメ的に可愛く明るく、そして内容はSMの世界ですね。宙づりにしたりとか。それとフィルムからテレシネで1インチにあげる時に単純に引きうつすのではなくてビデオ効果ってありますね。そういうもの、DVとかミラージュをつかってやっています。

 

──アニメーターの人達について。

高木:最初の劇画タッチのアニメにはすごい抵抗があったようですね。第三弾はのりましたよ。『これだよアニメは』って。のりにのってました。

 

──今後の見通しは。

高木:ロリータアニメがどこまでいくかですね。普通の(ロリータものでない)アニメを、自分達は自分達の方法で開拓していきたいと思ってます。

ワンダーキッズは1985年10月21日発売の一般向けOVA『酎ハイれもん LOVE30S』を最後にOVA作品製作とリリースから撤退し、その後倒産した

 

フェアリーダスト

好評『くりいむレモン』シリーズで、近親相姦からSFまで、えんたーていなーする女の子を描いて人気上昇

くりいむレモン』シリーズが、アダルトアニメのブームを定着させたと言える。12作目は予想以上の売れ行き。男性ファンだけではなく、女の子の興味もひいているというナイーブな絵作りが魅力なのかも知れない。

──売れていますね。どのヒットチャートを見ても『くりいむレモン』が第一位です。

吉田:我々はこれまで『マクロス』とか『うる星やつら』とか手がけてきました。ポルノというよりアニメの延長ということでやってますから。単にエロアニメとは思ってません。これが一般のニーズに応えることができた理由だと思います。

 

──実際どれくらい売れてますか。

吉田:一万本は越えてますから。年内に15000は行くのではないかと。

 

──2タイトルともに。

吉田:はい。両方で30000。我々も非常にびっくりしてます。まさかこんなに出るとは。……はじめは5000本を目安にしてましたから。もう一ヶ月で一万本いきまして。すごいパワーですね。これで(美少女アニメの)34が(これまでと)違う傾向の作品なんでまた新しい局面ができるんではないかと思ってます。

 

──美少女アニメを制作する過程を。

吉田:企画段階でまず問題なのがキャラクターデザインをどうするか。ヒロインのそれが常にポイントになります。我々はこれ迄の体験でどういうキャラクターがいいかファンが何を望んでいるか熟知している訳です。現場ではこれまでテレビや劇場用のアニメをやってて子供対象の限界っていうものがあってやりたいことができないわけですよね。で、それがすきなようにやれということで現場がのりにのってですね。

……キャラクターを決定する過程でいろいろコンセプトが出て、基本的には可愛いというところで俗に云うロリコンファンが好むようなものを何十点か出たなかで選んで、どういうコスチュームか、髪の色はどうか、ひとつひとつ検討して、相当時間を費しますね。ストーリーとか設定よりもキャラクターのよしあしが売れゆきを決定しますからね

 

──セル画の使用枚数は。

1、2は6000枚。普通テレビでは3000~5000くらいですから使ってるほうです。3、4は通常枚数より大幅に出ちゃって、4なんか8000枚こえちゃって……。

 

──25分で8000枚! すごいですね。

吉田:驚異的ですよ。観ていただいたら劇場(用アニメ)をはるかに超えた内容になるでしょう。それでビデオ公開の準備をしています。


──セル画を撮影するのは何m/mで。

吉田:テレビなどは16m/mなんですが、その後の展開(劇場公開など)も考えて35mmで撮っています。(※アニメの製作工程はまずキャラクターをおこしセルに描き、それを一枚一枚35m/m(又は16m/m)に撮影する。一定時間内のセル枚数が多ければ多いほど動きはなめらかになる)

製作費は一タイトル全部いれて、2000万円。3、4は音楽をHi-Fiにしているので5000万くらいオーバーしています。1タイトルにかかるスタッフ数100人。普通の生撮りアダルトとは全然規模が違う。知らない人は(アニメなんて)すぐできると思うようですが。

 

──声優さんは。

吉田:主役の女の子がやってます。アニメファンはみんな解かりますから『この人じゃないですか』と云ってきますけど『ちがいます』ていってます。みんなわかりますね

 

──ビデ倫について。

我々も正直云ってビデ倫ってのが全く解からない状態で……どこがよくてどこが悪いか……経験がないんでそのまま出したらむこうはすごいショックだったようですね。判断できない訳ですよ。それで保留ということになって理事会を開いて、これはもう一度やりなおせと

 

──やり直しですか。

吉田:全くリアルそのもので全部男と女のからみでしょう。ものすごくリアルなんですよ。実写よりリアルなんですよ。(ビデ倫の審査員)お年の人達でしょう。言葉がでないというか。『いやー、すごいですね。』って。(やり直しで)我々はガックリですよ。

 

──成人向けアニメのヒットする訳。

吉田:今の若い人はマンガで育ってきてますから割と簡単にマンガに感情移入できるでしょう。それとピーターパンシンドローム的状況という時代背景もあると思いますね。

 

──他社でも製作にかかってるけど。

吉田:わからないですよ。柳の下にドジョウがいるかどうか。ポルノの意識で作ってもマニアがわかってなければ。アニメって簡単なようでなかなか難かしいですから。アニメファンは目が肥えてますからね。

 

──購買層は。

アンケート回答からみると20才前後が圧倒的に多い。この手のファンはすごいですよ。生撮りアダルトのものはレンタルショップでしか流れない。買ってみるということはしない。これは買うんですよ。買ってでも置いておきたいと。そういう意味で今後まだまだビデオマニアはアダルト以外のものに広がる可能性をもった分野だと思いますね。


●シリーズは今、絶好調。11月30日発売の第3、4作目は本誌別ページで紹介。前2作同様、またまたベスト10上位に喰い込むのは間違いないだろう。

 

またまたくりいむレモン美少女アニメの世界へ……連れてってあ・げ・る

構成・深谷智彦

キミは『くりいむレモン』を見たか?! ナヌ? 未だ? 一度ダマされたと思って、ボラれたと思って、観たんさい!

胸キュン少女ワンサカ、ハダカもバッチシ、オ毛々ナシの素晴らしい感動と官能の世界へタイムスリップできるだろう。その魅力的なキャラを一挙に紹介──!

再び登場の、ロリータ・アニメです。ロリータ・アニメといえば『くりいむレモン』です。先月号のAVフォーラムのページでも紹介しましたが、あまりの人気の為、拡大して今月再び贈ろう、とあいなった。

まあ見てくれ! 上だよ上ッ。かーいいったらありゃしない。パート2とガラッと変わって、新作③④は活劇モノ。かーいいアンヨとおテテでしっかり、えんたーていないしているのだ。アダルト物だから中学、高校生のボクたちは観られないけど、『くりいむレモン』GALsは18歳以上お断わり! 青い色香ムンムンの美少女美幼女しかダーメ。当然お酒も煙草もダメ、でもSEXだけはOK。恋に目覚め、性を意識し始める年頃、男と女の情念、けっ、そんなモンくそくらえっ! おままごと、のSEXだーい。だからかーいいんだーい。Part3の『POP♡チェイサー』のコンテを見ると、

カット112・頭、マイちゃん、左手でまさぐるしばいの後、カプッチョ。リオも動く……。
カット113・マイちゃんの右手。
カット117・前カットのポーズから頭上げて、リオ「アッアッ……ね、マイちゃん、もうやめましょ」マイ「いいえ……まだまだサービスしますわ」リオ「……ン……ン……」
カット118・カットいっぱい、ゆっくりPAN。2人とも、口をングングしている(F・O──)。
カット128・ピロピロやってるマイちゃん...。
──どうだ、もうタマンナイでしょ? あっ、立ってきた。ちょっと失礼……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はあ。あれ? 何見てんだよォッ

えっとォ、とにかく、シナリオのまんま、こんーなちっこい女の子が、イヤラシーことをやってくれちゃってます。『くりいむレモン』シリーズは今、アダルトソフトの中では一番売れている。だから新作がバンバン出ちゃうわけ。何でこんなに売れるのか、今更説明するまでもないよね。

おかげで各社がロリータアニメの製作に乗り出し、にっかつサンは内山亜紀の作品をビデオはもちろん、映画でも封切っちゃうというんだからね。ロリータアニメ以外ありえない御時勢になってきた。それもこれも『くりいむレモン』のおかげ。やっぱり元祖はオモシロイし、かーいい。では、その内容を紹介ー。

③『ポップチェイサー
西部の町ネオ・カンサスシティー。荒くれ無法者がまかり通る町に、ひとりのかーいい女ライダーが現る。ジャジャジャーン。「リオ」──少女は名乗った。この、さすらいの女ライダーは、女高生サロンでマイという、これまたかーいい少女と出会った。ここから愛とムフフの大バイオレンスセクシャル活劇が展開──!

④『SF・超次元伝説ラル
死ぬ程かーいい美少女が、ある日、異次元空間ラルにワープしてしまった。そこでラルは、やっぱり発作を起こす程かーいいユリア(ラル国王女)と知り合い、いわゆるダチになる。が、ユリアは悪い悪い騎士団のオッサン共に捕らえられてしまった。ムフフもんの辱かしめをめいっぱいされちゃうユリアを果たして救えるか──!。おぼえていいますかァ♪マクロスも敵わぬSF大冒険ファンタジーかーいい美少女の躍動感──これが今回の売り物。

どんな美少女も思いのまま、アングルも自由自在──“ナマ”が売り物の本番チョメチョメじゃ太刀打ちできないロリータ・ワールド。宇宙企画でも行けなかった大宇宙へ、今夜はワープ。ボクだけの美少女にエスコートされて『くりいむレモン』で夢のデートを!

蛭児神建の引退宣言「魔界に蠢く聖者たち」「蛭児神建日記」ほか

魔界に蠢く聖者たち

蛭児神建

第60話シー・ユー・アゲイン

所載『レモンピープル』1987年11月号

突然ですが……思うところあって、私はペンを折る決心をいたしました。だから勝手ですが、この連載も今回で終わりにさせていただきます。

ペンを折ると申しましても、もちろん文章を書く事自体をやめるわけではありません。私はそれ以外には、おおむね無能な人間ですから……。むしろ、これからこそ本気でバリバリと頑張らねばなりません。

つまり、漫画方面の仕事からいっさい手を引くというだけの話です。蛭児神建という作家は、どうか死んだものと思ってください。実をいえば、もう二年以上も前から考え続けていた事なのです。

L・Pの創刊以来、足かけ6年間…私はこの業界で仕事をしてきました。子供が小学校に入学して、そろそろ卒業しようかという期間ですわね。そして、気がつけば二十九歳。三十に手が届く年になったわけです。

その間、色々な事がありました。亜流誌にも書き、また私自身(これは最初からの約束で、L・P誌上で触れない事に決めていたけど、まあアチラも最後だから……)亜流誌の編集をしながらも、やはりL・Pが一番大切で愛着のある雑誌でしたね。それをさえ、あえて切る事に決めました。

正直に言って、いつまでもダラダラと“井の中の文化人を続けるのが嫌になったのです。私みたいに未熟な青二才が「先生」だのと呼ばれ、妙な権威だのカリスマだのが付くのが、実に気持ち悪い。それは長い間、私にとって手力セ足カセでありました。何度も振り捨てようと努力したのだけど、どうも上手くいかない。

ホめられるのは嫌いじゃないけど、必要以上の評価は精神を廃らせるだけの物です。まして実質に先行して売れる名前など、かえって一種の侮辱です。

漫画やアニメの可能性とやらを信じて、これまで必死で頑張ってきたツモリですけどね。見るだけの物は見た……可能性という言葉を安易に使う人間に限って、その可能性を平然と踏みにじってゆくのも見てきました。その本人に自覚がなく、もちろん罪悪感もないらしいのが、かえって悲しい。

だから、そろそろ自分自身の可能性を追求したいのです。今からでも、本来自分が目指していた、本当に書きたい物にジックリと取り組んでみたいのです。それができる、限界の年齢になってしまいましたし……。

今は文芸そのものが落ち目ですし、たぶんイバラの道でしょう。だからこそ、なおさらにやりたい。『ナマイキな青二才め若僧め』と呼ばれながら、ニタニタと笑い、少しずつでもハシゴ段をよじ登りたい……それが夢なのです。この業界でやれるだけの事は、もうやり尽くしましたしね。私は、根本的に熱血根性の人なのだ。一生、青春していたい人なのだ。

いごこちの良い、それこそヌルマ湯の様な世界ですから、思わず長居をしてしまいました。脳ミソのヒダには、いいかげんアカがたまっています。甘えた考えを切り捨てるためには、全てを捨てるしかない……私の精神は、そこまで腐れかけています。あと半年同じ事を続ければ、完全にダメになってしまうだろう事が自分で分かります。精神だろうが才能だろうが、腐る物はくさります。そんな情ない例……生きながらゾンビになった連中を、私はずいぶん見てきました。

だから私は、自分の内に在る“情熱を失い、腐臭を放ち始めた蛭児神建”を、この手で絞め殺します。全く無名の新人になって、文章修業を最初からやり直します。

これは私を支持してくれた、ファンと呼ばれる人達に対する裏切りかも知れません。しかし、どうか許してください。なおさら、私がジリジリと腐ってゆく姿を見せたくはないのです。それだけを悩んで、長い間フンギリがつきませんでした。正直言って、体の方も限界にきています。

とりあえずは少し休んでから、土方仕事でもしながら、武者修業の賞金稼ぎでも始めるつもりです。

あなたが、もし文章の本を読む人ならば、いずれどこかで再会するかも知れません。私は違うペンネームを名乗っていて、気がつかないかも知れませんが、その時はアリガトウ。

最後に、憶えていていただきたい事があります。

この世には、常識と呼ばれる嘘がいくつか存在します。その中で最も大きなものは〈子供は嘘をつかない〉ですね。これは、アンデルセン以来の歪んだ幻想です。

子供は、大人以上に多く嘘をつきます。自分の失敗をごまかすために……または、周囲の目を自分に向けさせたいために。

もちろん三十過ぎようが、いわゆる聖職につこうが、こうした性癖を残す人はいます。そして、気に入ってくっ付いていたはずの劇画家から『あの人の言う事は99%まで大嘘だから、気にするほうがアホをみますよ』などと言われるハメになります。〈人は、自分自身には嘘をつけない〉
これこそ、大嘘ですね。人は常に、己をダマしながら生きる者です。そしてまた、自分に対して多く嘘をつける人間は、他人に対しても平気で嘘をつけます。それが“真実”だと自分に信じ込ませる事が可能なため、良心の呵責を感じずにすむのです。加害者であるはずの人間が力押しで被害者になったりする例のアレですね。

☆そしてまた(これを言っちゃうと問題があるけど……)文章という存在そのものが、根本的に嘘を含んでいるかも知れないと思うのです。

これは、ある程度は内容のある文章を読む事に慣れ、自分でも書く事を知っている人間にだけ、なんとなく分かる事実です。人間の複雑な感情や思惑が、論理的な言葉などで表現しきれるものではありません。これは、どうしようもない限界です。理路然とした文章を書けば書くほど、それは“真実”から遠ざかったりします。また、言葉そのものに引きずられて、文章の主旨が変わる事もままあります。

まあ…….私自身としては、できるだけ読者に対して正直であろうと努力してきたつもりですがね……。

だから、中途半端な“活字信仰”はやめなさい。最近流行の字漫画(漫画やアニメみたいな話を文字にした小説)は、あまり好きくない。

漫画みたいな話なら、漫画で読めば良いと思うのですが……これには、日本人独特の活字信仰「とにかく、漫画より小説の方が高級なんだ」という、変な意味での(文章側の)思い上がりがあると思います。

小説・漫画・アニメ、それぞれ異なった表現手段であるのにすぎず、それにしか出来ない事があり、それ自体で高級低級の差はないと思うのです。結局は内容の問題なのですよ。

実際……あの手の字漫画にゃあ、そのへんの漫画より情報量が少ない(内容が薄い)作品がヤタラとあるからね……。

ともかく、これでシー・ユー・アゲインなのです。長い間、本当に有難う。

 

蛭児神建日記/最終回

蛭児神建

所載『コミックロリタッチ』1987年11月号

う~んとね唐突だけど、私はペンを折る事に決めたんだ。ダラダラと。“井の中の文化人”をやっているのも、いいかげんにアキたしねェ。そろそろ卒業して、マジに小説家を目指さなきゃイカンとフンギリをつけたんだ。

こうした絶筆宣言はレモンピープル誌上でもやったけど、アチラはまあ事実の一部をピックアップして書いたようなもの。レモンの読者には、あまりキツイ事を書きたくないなって気持ちも有る。

人間てえのは、これがまたナカナカに複雑な生き物で、本音でさえ一つではない。漫画や小説のキャラクターみたいに薄っぺらで単純な性格はしとらんで、誰でも色ーと多面的に絡み合った内側を持っているもんです。人間一人について、全てを正確に文章で書き表そうとしたら、百科事典が何冊有っても足らんでしょうな。

レモンで”文章には本質的にが含まれている”と書いたのは、そうした意味が有るわけなのですな(あれ、理解に苦しんだ人が多いんじゃないかい?)。言葉は、いくつかの真実は示せても“真理”そのものは表現できない。

そーゆー言葉の本質をとても端的に示しているのが、いわゆるコトワザや名言ってヤツ。どんなに心に響く言葉であっても、必ずといってよいほど、全く正反対と思える言葉が同じくらいの説得力を持って存在するわけ。“渡る世間に鬼は無し” “人を見たら泥棒と思えどちらも、正しいといえば正しい。それぞれが多角的な“真理ってヤツの、ごく一部分だけを表しているんだ。

つまり言葉ってのは、ごくごく単純な道具なのだよ。使う人間次第でどーにでもなる。それを使って、いかにして真理に近づくか人間を表現できるかって一生懸命に努力するのが、つまり文学ってヤツの永遠の命題なんだけどね。

それはともあれ、まあペンを折る理由だな。コチラはボチボチと書いてゆこうか。

まず最終的なキッカケとなったのは、身体の不調続きとチョイとしたノイローゼ状態──今回、パンドラの発行がいちじるしく遅れた原因も、おおむねソノせいなのだが──のために、劇画誌のコラムを四本ばかり落とした事だな。以前から「もし原稿を落としたらペンを折る」と公言していたし…まあ、その辺を誤魔化すのは簡単な事だけど根がイコジなまでに正直な私としては、嘘つきや卑怯者にはなりたくない。だいたい反面教師(やっていけない事の見本を実行してくれる人)が多すぎる世界だからなあ。

とはいうものの、ペンを折る事自体はもう二年以上も前から考え続けていたし、そもそもノイローゼの原因での内の最大が、ペンを折るべきかどーか悩んでいたってワケだから、ドウドウ巡りではある。だから私としては、これをむしろ一種のチャンスだと考えているんだ。

マジな話、いいかげん身体も限界だしね。

私は元々、文学とゆーウットーシー分野を目指していた人でね。純文も好きだけど、どちらかといえば幻想文学とか児童文学に趣味は偏るな。だから芥川や直木も嫌いじゃないけど、本当に欲しいのは泉鏡花賞か国際アンデルセン大賞(ムーミンや龍の子太郎がもらった賞だな)だね。しばらく休んで身体を元に戻したら、改めて必死でそれを目指すのさ。もう二十九歳そろそろ限界の年齢になってしまったし。

そんな私が、こんな業界に深入りしてしまったのはまあ、私ってのが意外とナリユキに弱い人でねえ。頼まれると嫌とは言いにくい、お人好しの性格もガンですな。

二十歳頃の私は、ギラギラとハイエナの様に飢えた目をしたガキだったねえ。それは飯を腹一杯喰おうと、マスをかこうと、本をいくら読もうと治まる種類の物では無くて、とにかく自分の内なる物を表現したいとゆー欲望だったな。“とにかく書きたい” そんな想いばかりが胸に満ち溢れて、まだ未熟で表現力が無かったため(ハッキリ言って、今でもそうよ)出口を持たない情熱で爆発寸前だったね。高校では文芸部…十代から純文サークルに参加してはいたけど、なんか欲求不満ではあったんだ。確かに、何か大切な物が足りなかったな。

漫画やアニメなどは、昔から好きで──お蔭で、今でも純文仲間から馬鹿にされていましてな。それに対してムキになって反論してしまう自分を、何だか妙に可愛く思ってしまう──以前、西武池袋線の江古田に有ったアニメーターや漫画家予備軍のタマリ場の喫茶店〈漫画画廊〉に通ったりしていた。時はおりしも、OUTがヤマト特集で火をつけた第一次アニメ・ブームとやらの頃。

そして、漫画同人誌との出会いですかね。

あの頃はまだ、一部のホモ本を除いては、エロ同人誌なんて無くてね。ともかく、みんな漫画が好きでヘタでも一生懸命に描いて、何か新しい物、自分達にしか出来ない事を追究して、利潤なんか考えず、赤字は当然の覚悟として、自分の作品を誰かに見てもらいたい…それだけを考える連中ばかりでしたな、当時のコミケは。今でも、そうしている人達はいるし(おおむね、いわゆるコミケットを見離し始めているよーだけど)私も、同人誌とは本来そうした物だと思いますな。

ともかく、ソンナ情熱に惑わされて、なんか漫画ってモノスゴイ可能性を持ったメディアかも知れんなーと思うよーになってしまった。もしかしたら、漫画その物を変えるだけの才能が有るんじゃねーかと思わせる何人かとも出会ったしね(ま、確かに変わったよーな気もするけど、少なくとも良い方にではねーな。その本人達も、情けねー状態だし)。だから、そんな漫画の行く末を眺めてみたくなってしまったんだ。

そして、私もそんな漫画同人誌に参加してみたくなってね。漫画画廊で出会った漫画家予備軍と一緒に、シャレ半分マジ半分で最初のロリコン同人誌なんてえのを作ってしまった。当時は、それが斬新でアナーキーに思えたんだけどね…。

ともかく、最初は売る側も買う側も恥ずかしそうにしていたソレに、平気で行列が出来始めた頃から何かが狂いだしたな。そんな同人誌ばかりが増え──まあ、それが本人達にとって一番やりたい事であるなら、それはそれで良いわけだけど──そんな物が妙に売れると分かれば、やがては単に金儲けだけを目的として作る連中が出る。

そうなると、もう悩んでしまってね。最初はコチラが蒔いた種とはいえ、そうした本来は邪道であったはずの物があんまり大きな顔をして、全体がそんな目で観られてしまったら、真面目にやっている人達に迷惑がかかる。それこそ、漫画同人誌と言うメディア自体の存続にかかわる。それが、私にずっと付きまとっていた悩みであり一つの原罪意識であったよな。

ましてや、同人誌の世界に妙な権威意識や派閥意識が入り込んでくるこうなると、もう理解できんな。同人誌をやるよーな人間は、世間からチョイと外れちまった若者ばかりでね。それが何故、わざわざ自分達の権威やらカリスマやらをデッチ上げて、一番醜い種類の社会のミニチュアを作らにゃならんのか?

私にも、そんな権威が押し付けられたけどね。それが、どーしょーも無く不愉快でウットーシかった。昔の私はケンカだの人の悪口だのが大嫌いで、誰とでもニコニコと仲良くしていたいとしてたわけだが、そうすると変な奴ばかりが寄ってきてね。気がつけば、妙な派閥に組込まれたみたいになっている。これも、困ったもんだ。

長い年月を宗教団体で過ごした私には、そうした物の怖さが誰よりも身に染みていてね。自分の意志を持っているつもりでいながら、いつの間にか集団の一部と化して、魂を腐らせてゆく。身も心も腐れはてたゾンビには、なりたくねーよな。物を書く人間の魂が自由でなくて、どうしようってのかね。

ともあれまー、ロリコン・ブームだとかゆー馬鹿騒ぎの中で、それで金儲けしよーとゆー商売人が動き、私も乗らされ踊らされ、ふと我に返ると変な意味での有名人になってしまっていた。嫌とは言いにくい、とてもナリユキに流されやすい性格(結局は、意志の弱さだな)による自業自得とはいえ、そんな事で名を売るのは正直言って不本意であったんだけどね。

そしてレモンピープルが創刊し、私も初めての月刊連載などをもらってまがりなりにも商業雑誌に書く事が一番の文章修業になると信じて、それこそ燃えたもんな。

するとまた変な人気が出て、ファンなんかが付いてくれる。そりやまあ嬉しくないと言ったら嘘になるけど、やっぱり理解出来ない話でね。

漫画雑誌における文章記事なんて物は、あくまで西洋料理のパセリみたいな引き立て役であるべきだ。それが、私の主義主張。それに反して、必要以上に目立ってしまう。こりゃもう、言動不一致のジレンマですわ。まして女性ファンが付くとなれば、わけがわかんねーや。金をいただくからには、出来るだけ面白い物を書こうと努力するのは当然の事。でも本当に面白いかどーかは、自分じゃ分からないしね。いったい、ドコがそんなに良いというんだろー?

まあ私の性格的欠点の一つが、時として果てしなく泥沼の自虐へと変化する、必要以上の謙虚さってヤツでね。これはもう、本能みたいに身に付いた性分。自己暗示も兼ねて、タマに思い上がりの演技をしたりもするんだけれど、どーもピンとこないなー。

私は、自分こそ最低の人間だと確信して生きている。無能で不器用で人格も酷いもんだ。実際にそーだもん。ただ自分を最低の基準にするってのは、それ以下の人間の存在を否定する事でね。客観的事実から、そーした連中もいるらしいと分かっていても、やはり納得しにくい。人間はみんな必ず死ぬと論理的に分かっていても、自分もいずれは死ぬとゆー事が信じられないのに似ているな。

私が最低の人問であるから、それ以下は人間で無いとゆー結論が出てしまう。これも困ったもんだ。思い上がりよりタチが悪いかも知れん。パンドラの編集を引き受けたのも、これがまた馬鹿馬鹿しいナリユキでね。一水社光彩書房)の劇画誌に何年か連載を続けていて、ある日とても出来が悪いコラムを書いてしまったんだ。落とすよりはマシだなと、とにかく届けたわけなんだけどね。担当の多田さんが難しい顔をして読んだ後、ボソリと言うには『ヒルコさん、最近忙しいの?』

これは、切られると思ったね。だから情けにすがるつもりで、『いーえ、とてもヒマでヒマで仕事が無くって』と答えた。すると、しばらくしてから『編集、やってみない?』と誘われたわけだ。

好奇心も有って引き受けた後でハッと気が付いたわけだが、それは連載している雑誌の亜流誌を作るって意味なんだよね。義理の板挟みで、かなり苦しんだ。亜流誌がヤタラと増えて、そんな罪悪感を持つ必然性そのものが無くなっても、それはずっと尾を引いたな。

例の、表紙に蛭児神建と名前を入れるとゆー恥知らずなアレも、お上が決めた事でね。編集が作家をさしおいて雑誌の表面に好んで顔を出すなんざ、それこそ最低の行為なんだよ。しかし名前を使われる以上は、蛭児神建が作ってるんだよーって必然性の有る本にしなけりゃならない。う~っ、ジレンマですよ。

まあ最初は四、五号も出れば潰れるだろうと確信していたから、シャレよシャレと自分を誤魔化していたんだけどね。ズルズル続くと、そーもいかなくなる。ともあれ、そうしたジレンマとヤケクソ気分の結果が、あのワケワカラン雑誌。それがまた、一部で変な評価を受けたりする。編集の皆様を含めて、あんたらの目はフシ穴かと言いたい。あれは全て偶然の産物であって、私はそんな有能な人間なんかじゃねーんだよ。

そしてねえ…まがりなりにも編集なぞを始めるとなれば、この業界の責任の一端が肩にのしかかってくる。そして、それまで気がつこうともしなかった業界の問題点も、露骨に見えてくるわけさ。

それらについてはサンザン書いたから、ここではもう触れない。私みたいな仕事をしながらあーゆー事を書くのは、それこそ偽善的と言われても仕方が無いくらいに自己矛盾を引き起こすものだけどね。誰かがやるべきだったし、本当にやるべき人間が何もしなかったしね。ま、損な性分ではあるよ。

しかしね、どんな理由が有ったとしても、たとえ事実であっても、やはり他人様の批判や悪口は原則として良くない事なのだ。だからあーゆー事を始めた以上は、蛭児神建もいずれ潰れなきゃイカンと決めていた。そーでなけりゃケジメがつかんもん。ロリタッチでこの連載をもらった時、適当な死に場所を得たと思ったもんさ。

それからまあ、最後だから書いちゃおうかね。誰もが忘れたがっている業界の古傷に、あえて触れてしまおう。

またパンドラが創刊したかどうかって時期だったと思うけど、漫画家が一人死んじゃってさ。以前にも心臓発作を起こした事の有る人問を、真夏のクソ暑い最中にロクに眠らせもせずにコキ使い、結局はメジャー進出を目前にして孤独な大死にをさせちまった編集連中が、何だか知らんがまるで自分達こそ被害者だとでもゆーよーな態度で『惜しい人を亡くした』だの『漫画界の損失』だのと泣いて見せる…加害者であるはずの人問が強引な力押しで被害者になるって例は、ずいぶん見てきたけど…あれはスゴイわ。そして葬式の席で単行本を出させて欲しいと頼んだり、追悼だの何だのとゆー馬鹿騒ぎで最後の金儲けをする私には、どうしても理解出来なかったよ。そもそも、親友だの面識が有る友人だのとゆー人達は、ボロ雑巾みたいな身体になって仕事をしていた彼を、どーして止めなかったのか? どーして誰も、自分が悪かったとは言ってくれなかったのか?

でもね、本当に何より情無かったのは、彼の死を喜んだ連中がいた事。同人誌の愚劣な派閥意識のために、これで編集某(引用者注:オーツカ某=大塚英志のこと)が困るだろう、いい気味だとばかりにね。当時、私の周囲にはそんな連中ばかりだったよ。なにせ彼の死を最初に知ったのが、とても嬉しそうな声の電話だったからね。私も一緒に喜んでくれとでもゆーよーな調子だったよ(これがまあ、後にパンプキンで私の悪口を書いていた奴なんだけど)。冗談じゃねーやい、私は彼の絵が大好きだったんだいっ! 情無いし腹が立つしおかげで素直に泣く事さえ出来なかったよ。そんな気持ちが有って、レモンに「面識の無い漫画家の一人や二人死んだって、涙一つ出ない」と書いたんだ。
すると、その一言のために怒り狂った人がずいぶんいたみたいだね。私を「殺してやりたい」とまで書いた手紙も来た。なんてーのかなー、私はそれがかえって嬉しくてね。初めて正気の人間に出会った気がしてさ…読者って、ファンて、モノスゴイじゃない。たかだか一人の漫画家のために、誰かを本気で殺したくなるくらいに憎めるなんてさ…愚にもつかねー知識のおかげでウジウジ悩む事しできねー私なんかより、ずっと何百倍も純粋でさ…死んだ彼が、むしろ羨ましくなるくらい…それと較べたら、私なんてクズだぞ。

だから長い間、その手紙が私の宝物で何が有ろうと、読者という存在を信頼して今までやってこれたのは、そのおかげだと感謝している。

編集とは何だろうね? 人を殺しても未熟な人間を青田刈りして、その結果どーなろーと全ては本人の責任で、自分のせいじゃ無い。責任を感じる必要も無いそれで良いとゆー仕事なのかね。私は悩んでばかりいて、結局は偉そうな事も言えずハンパな仕事しか出来なかったけどね。

ともあれ、これでペンを折る。やっぱり、まだ死にたくないし…本当に良い物を一本でも書かない内は死ねないし。そろそろ、マジに自分の夢を追わなくてはね。雨宮さんあたりには『自分のホーム・グラウンドを捨てて、いい度胸だな』などと言われそうだけどね。そのくらい背水の陣の覚悟でなければドーショーも無いくらいに、私の精神も腐れかけているんだ。全てを捨てて、必死で壁に激突して、それで消えちまうよーなら、私は元々それだけの男だったという事だ。

ともあれ、今まで有難う。なかなか楽しかったよ。(おわり)



お坊さまになった元ロリコン教祖

土本亜理子ロリコン、二次コン、人形愛―架空の美少女に託された共同幻想」より別冊宝島104『おたくの本JICC出版局 1989年12月 102 - 115頁所載

蛭児神建。現在、埼玉県川口市に住むNさんは、かつてヒルコガミケンの名前で、コミケット同人誌即売会)に君臨した、ロリコン同人誌界の名士だったという。
髪を腰まで伸ばし、ハンチングにサングラス、トレンチコートにマスク。少女の人形を逆さまにぶらさげ、もう片手に鈴を持ってチリンチリン。こんな不気味ないでたちでコミケット会場に出没し、『幼女嗜好』と題した小説同人誌を売る。中身は、幼女に対する執拗なまでの性的興味から、犯し、死に至らしめるものが多いという。

まるで、今回のM事件のようだが、一部にかなりの人気が出て、小説やコラムが商業誌を次々と飾り、やがてロリコン漫画雑誌の編集長にまで出世(?)した。蛭児神さんは、いわゆるロリコンブームの創始者の一人だったという。

と、ここまでの情報は雑誌で調べたもの。ウソかホントか、幼女殺人のMが逮捕されるまで、この人が容疑者のリストに入っていたというのが、雑誌でのもっぱらの噂だった。

教祖とまで呼ばれた人物だが、数年前、ぷっつりと活動をやめ、姿を消したという話も聞いた。この人なら男たちの本音が聞けるかもしれない。そう思って出版社で電話番号を調べた。が、A社でもB社でもわからない。ようやくC社で「昔の番号なら」と教えてもらったが、昼にかけても夜にかけてもつかまらない。何日かかけ続け、ついに本人が電話口に出てくれた時は、こちらがドキッとしてしまった。

「ハア……。ロリコン漫画ねえ。井の中の文化人とでもいいましょうか、いいい私の忌まわしい過去でして。センセイと呼ばれて有頂天になっていた自分を思い出すだけで、布団の端を噛みながら叫び狂いたいほどのことで、とてもお話などできません」

事件で警察の捜査こそ受けなかったが、マスコミから追われていたらしい。取材はていねいに断わられた。あの世界を去って、すでに二年になるという。井の中の文化人、という言葉が耳に残り、「すでに過去ならば」と食い下がってみた。数日後、再び連絡した。「でもですね……」と蛭児神さん。

しばらく間があって、唐突に、「お通夜がなければ」とポツリ。「エッ、お通夜?」「私、じつは今、坊主なんです」

驚いた。三年間務めたロリコン漫画雑誌の編集長をやめて、仏門に入り、修行を終えて葬儀屋互助会と契約する月給十八万円の「サラリーマン坊主」になったというのだ。

なかなか連絡がとれなかったのは、お通夜やお葬式といった、ふいにやってくる“仕事”で、しじゅう家を空けているからだった。

いったいどんな人物なのか。申しわけなかったけれど、おそるおそるの心持ちで約束の場所、大宮駅構内のキングコングの像の前に行ってみた。蛭児神さんは、丸刈り頭だったからすぐ目についた。袈裟をまとえばたしかにお坊さま。茶色のスーツ姿の大柄な男性だった。

「ハンチングにマスクで来ると思いました? あれ、変質者のイメージのパロディだったんです。ロリコン→幼女嗜好→イコール変質者でしょ。どうせそう思われるなら、いっそのこと自分でやって見せてやろう。まあ、一種の変身願望かな。あの姿になるとなんでもやれる勇気が出たんです」

こんな話をしながら喫茶店に入った。なるべく隅の方の席を捜して座った。取材を自分で申し込んだくせに話の糸口がつかめない。とってつけたように年齢を聞いたら三十一歳。もっと年配に見えたが、ほとんど同じ。同級生だと思ったら、何だか急に気がぬけた。

 

「幼女なら自分の自由に動かせる」

青少年向けのエロ漫画には、いわゆるロリコン漫画と美少女漫画の二系統があるらしい。発行部数十四万部と業界ではトップを走る『ペンギンクラブ』は美少女漫画雑誌。編集長で漫画プロダクション「コミックハウス」社長の宮本正生さんによれば、「幼女趣味のロリコン漫画は、同人誌『シベール』の出現でいっとき隆盛を誇ったけれど、やがて美少女漫画に人気が移行した」という。理由はアニパロ。アニメ世代がアニメ作品に出てくる少女キャラクターにエッチをさせるパロディ漫画に人気が集まり、主人公が幼女から少女に変わったというのだ。しかも大人のエロ雑誌に出てくる劇画調の美女ではなく、アニメに出てくる美少女が主人公になった、と。

蛭児神さんは、この幼女から美少女へ、という嗜好の変節期を過ごしたが、自分の求めていたものはやっぱり幼女だったという。

「幼女って、妖精なんですよ。まだ人格が形成されていない白紙の女性。やさしくてあどけなくて、男が勝手に思い込める相手。ただひたむきな愛を一方的に注ぎ込める相手なんです。女性に対する支配的な愛の究極のかたちはひたすら自分を愛してくれることでしょう」

メンソール煙草をひっきりなしに吸いながら、言葉を選び、話を続けた。

「小説で愛を描くのに、大人の女性は空想でさえ動かせなかった。けれど幼女なら、好きに動かせますから」

徹底的に暗い物語を作ったという。不幸な女の子はいつか必ず幸せに、という物語のパターンを壊した、救われない暗い物語。これがコミケットでウケた。すると出始めた商業雑誌が目をつけて引き抜く。日本で初めてのロリコン漫画雑誌『レモンピープル』でデビュー。すでにコミケットで話題の人物でもあったため、またたく間に人気が出た。

「金は入るし、先生扱いだし、ファンは増えて、私の言動が一人ひとりに影響を与える。これは正直いってものすごい快感ですよ。でも、調子に乗って美少女漫画の編集長を請け負ってから、私の歯車が狂いだしたんです」

蛭児神さんにとってのロリータ、幼女は純粋な愛の対象だったという。が、時代はロリコンから、中学高校生ぐらいの美少女にエッチをさせるエロ漫画嗜好へ。ロマンチックからエロチックへの移行は不本意だったが、編集長ともなれば、売れることが第一前提だ。漫画家が不足すると同人誌から次々と引き抜く。作家自身がまだ未熟な状態でアマチュアの独善的な世界から卒業できていないから、作品も彼らの好みに偏ってしまう。プロ意識もないから、原稿の締切りの無視や逃亡は日常茶飯事。いいものができるはずはない。

「この世界で責任感なんて持ち出すのはバカですよ。よけいなお節介。でも、ある時ふっと自分のいる世界そのものがグロテスクに見えてしかたがなくなったんです。男の側からだけのわがままなセックス、そういうものを青少年に読ませていいと思いますか?」

☆○△□……?(絶句)だって、自分がそういう世界を作ってきたわけじゃあ……。

「たしかにそうなんです。だから、私、おかしくなったんです。誰も責任を持たないことに腹を立てて、結局、私自身、自己破産してしまった。最後の一年は、あちこちの雑誌や作家を名指しで非難し、えげつなくこきおろしてもうガタガタ。気が狂う寸前でした」

茶店のテーブルに重苦しい空気が漂う。大宮の街を歩き、場所を変え、食事をしながら話を聞いた。編集長を下りてからの蛭児神さんはまるで迷える仔羊だったらしい。キリスト教の洗礼を受け、レンタルビデオ屋の店員を経て、浄土宗の修行の道に入った。

「今は坊主ですが、これが最終目標ではありません。夏目漱石アンデルセンの世界を楽しみ、トーベヤンソンの小説に夢中になったことが、私に小説への道を開かせた。人が何かを書きたいと考えるきっかけは、いい作品に出会ったからでしょう。作品に対する恩返しは、いい作品を書くことでしかない。なのに私は裏切ってばかりいたのです」

三十歳を前にして、先々の自分に焦りを感じたともいう。わかる気がした。

「失敗を重ねながら生身の女性と出会った」ことも「卒業」への大きなきっかけだったらしい。

「幻想の世界は今も大事にしています。ただかつてのように幻想に逃げたりしない。支配できない愛のよさに気づいたからかもしれません。これって大人の発想ですか?」

吾妻ひでおと『漫画ブリッコ』の時代―ロリコンまんがの果たした役割(大塚英志「ぼくと宮崎勤の'80年代 第10回 マッチョなものの行方」)

ぼくと宮崎勤の'80年代 第10回 マッチョなものの行方

大塚英志

『諸君!』1998年7月号所載

中森明夫の「おたくの研究」が初掲載された『漫画ブリッコ』1983年6月号)

'80年代という時代の特異さは、男たちが作り、消費していく性的メディアが女性たちによって自己表出の場として強引に読みかえられていった点にある。それは性的なメディアの中では少数に属する事例かも知れないが、それを可能にした背景には'80年代のサブ・カルチャーに性的主体としての男を隠蔽する言説が存在したからである。上野千鶴子は'80年代のぼくたちの年代の男たちが「性的主体から降りてしまっている」という奇妙な評価(?)を下しているが、正確には隠蔽されただけで、それは温存されている。そのことが新たな問題となる予感があるが、ここでは男性的なものの隠蔽について検証する。まず'80年代におけるいくつかの言説のあり方を見てみよう。〈おたく〉や〈新人類〉たちの意外なマッチョさがそこにはみてとれるはずだ。

田口賢司中森明夫が彼らの共著である『卒業』の中で菊池桃子を以下のように評していることは以前、指摘した。

田ロ──菊池桃子ってやっぱり遊ぶタイプでしょう、寝るタイプでしょう。

中森──寝るタイプだけど、寝てしまったら、最後までつきまとわれるような納豆のような女でしょう。田ローいや、それを蹴れるかどうかは男の力だから。

彼らはいわゆるニューアカ用語を駆使し、松本伊代そして小泉今日子を賛美し、一転して菊池桃子をこう批判するのだが、彼らの俎上に載せられているこれらの少女アィドルたちの固有名詞は、もはやあの頃、彼女たちが背負わされていたはずの差異にまつわる意味を喚起しない。むしろそういった記号が剥離した今、彼らの発言に見てとれるのは、かつて彼らが賛美していたシミュレーショニズムとは、つまりは他愛のない処女崇拝に他ならなかったことぐらいである。

「寝るタイプ」の女を嫌悪し、「男の力」を口にする田口の屈託のないマッチョさは当時としても余りに古典的な男のディスコースに支えられている。同じことは'81年に発表された田中康夫『なんとなく、クリスタル』にも実は言える。274個の注によって批評的に支えられていたはずのこの小説はしかし当時、新人賞の選考で江藤淳がいみじくも以下のように評したようにこれもまた古典的な「男の力」の小説に他ならない。

気障な片仮名名前のコラージュのなかに、「ナウい」女の子を登場させて、しかも、惚れた殿御に抱かれりゃ濡れる、惚れぬ男に濡れはせぬ、とでもいうべき古風な情緒で「まとめてみた」点は、まことに才気煥発、往年の石原慎太郎庄司薫を足して二で割った趣きがある〉(江藤淳「三作を同時に推す」

『なんとなく、クリスタル』は空虚なぬ個の都市的な記号と対比する確かなものとして、語り手である「私」が恋人・淳一から「女の快感」を与えられ彼に「所属すること」になるという事態が描かれる。つまり田中康夫が当時〈クリスタル〉と形容した都市的な記号の集積からなる生活はしかし「好きな男でなくては濡れない」という男の力によって根拠を与えられるという構図になっている。

彼ら〈新人類〉(『朝日ジャーナル』の分類に従えば田中は「若者たちの神々」になるのだが)たちの'80年代前半に於ける男女関係に関わる思考が、その表層では'80年代的な記号を過剰に鏤(ち)りばめて語られながら、あたかもこの記号の群れに隠蔽されるかの様相を呈しているのは興味深い。ちょうどそれはかつての新左翼運動が、過剰なマルクス主義的言説とは裏腹に永田洋子が当時の指導者にレイプされ、あるいは逮捕された坂口弘慰安婦的に差し出される形でセクトから結婚を強いられる、といった類の「男の力」を暗黙の内に制度化していたことを想起させもする。

それはともかくもこの「男の力」の表現に於て'80年代を通じて顕著なのは、男の側が性的主体であることを当初からサブ・カルチャー的な表層によって隠蔽しようとする傾向にあることである。それはまんが表現に於ても変わらない。例えばぼくは'87年に上梓した『〈まんが〉の構造』の中で、同人誌のロリコンまんがの少女凌辱シーンに以下の傾向が顕著である、と指摘している。テキストとしてはロリコン同人誌の傑作選的な意味あいで刊行されていたアンソロジー『美少女症候群』(ふゅーじょんぷろだくと刊)を用いている。同書に描かれた少女凌辱シーンに於て、一体、彼女たちが「誰に」犯されているかを検証したものだ。

『美少女症候群』には、同人誌から採録された様々な〈少女凌辱〉のイラストレーションが収録されている。その構図はほとんど類型化されており、腰をおろした状態で膝を折り曲げ局部を露出させるという、文章で書くと何のことだかわからないけどかつてビニ本その他でしばしば見られた例のポーズが主流である。さらに局部には異物が挿入されており、少女の苦悶の表情が執拗に描かれている。

さて、これらのイラスト群をながめて気づくのは次の二つの特徴である。

a〈犯す〉主体である男性が描かれていない。

b それに替って少女を凌辱するのがメカニックやグロテスクな異生物である

やや、不毛な気もしたが同書に収録されたイラストやまんがのセックスシーン(連続するコマはそれぞれ1カットとして数えた)は、33カット、それを〈犯す〉主体によって分類したのが別表である。

33例中、男女のセックスシーンは3例。レズが7例と相応の比重を占めるが、半数以上の18例がメカニックや軟体動物風の生物によって少女を〈犯し〉ている。しかも、このメカニックや異生物を操る主体は、当然描かれていない。(大塚英志『〈まんが〉の構造』)

別表は省略するが、33例の内訳を改めて記しておく。男性3、女性7、メカニック9、異生物9、その他5。つまり、'87年の時点でロリコンまんがに於て少女を凌辱する主体として男性が描かれる割合は一割に満たないのである。レイプ、という「男の力」を行使しながら、その主体は空洞化している。

こういった「犯す」側の喪失が当時のいわゆるロリコンまんがの最大の特徴であった。それ以前のエロ劇画との決定的な違いはこの点にある。女性の性的な凌辱が描かれながら、凌辱する「主体」が描かれない。あるいは表現の中から隠蔽される。それはあたかも最近の「従軍慰安婦」をめぐる言説のようだ。それはともかくそこでは強姦者は不在である。

ロリコンまんが、とぼくはエロ劇画と表現技法上の区別を明らかにするため敢えてこのような名称を用いているが、ロリコンまんがはいわゆるチャイルドポルノとは異質の存在である手塚治虫の延長上にある記号的な絵と少女まんが的な文体を用いたポルノグラフィーであり、そこで犯される少女の大半は高校生程度の年齢であり、その点ではそれ以前のポルノグラフィーの凌辱対象と大きく変わっているわけではない。こういった技法面とは別にポルノグラフィーとしてのあり様として両者を隔てるものがあるとすれば、犯す主体としての男性がその画面から削除される傾向にあった点である

こういった犯す主体の喪失という事態は、まんが史的には、いわゆるロリコンんがの定型を確立したと考えられる吾妻ひでお陽射し』('81年)に既に見られるものである。アリス出版が自動販売機専門のエロ雑誌として刊行していた『少女アリス』('79年)に吾妻ひでおが連載した短編の連作をまとめた同書には9編が収録されているが、先の例に従い犯す主体を分類してみると異生物が5男が4となる。更に男が性的な主体である4つのうち1作は少女が人間ではなく、また9作のうち3作は少女の妄想的世界の中での、異類との性的な関係が描かれる。

数年後のロリコン同人誌ほどに顕著ではないが犯す側の喪失は既に定型化されていることがうかがえる。例えば表題作ともなった『陽射し』に於ては、少女に声をかける少年の顔は黒く塗られており、異性を拒否する少女の内的な世界に妄想とも思える異星人が現われ、異生物と夢とも現実ともつかぬ性的関係を持つ、というプロットになっている。興味深いのは、作品全体が主人公の少女の内的世界として描かれている点で、これは吾妻の描くロリコンまんがが24年組以降の少女まんがの強い影響下にあることによるものである。

少女の自閉した世界にあって現実の男性は拒まれ、非日常的な異類としての少年が恋愛の対象となるという、例えば萩尾望都の『ポーの一族』に見られるような構図を吾妻はここで援用したのである

吾妻ひでおは'70年代末から'80年代初頭、いわゆる少年組の次の世代にあたる「ニューウェーブ」(と当時称された)に属する描き手の一人であった。このニューウェーブの中には大友克洋高野文子、あるいは柴門ふみらが含まれており、24年組と比して一定の方向性を欠いていたのは今となっては明らかである。彼らの中にあって吾妻ひでおは二度の失踪を経て時代からフェードアウトしていくが、次の世代に与えた影響は吾妻が最も大きい自動販売機のエロ雑誌に『陽射し』を書いた当時の吾妻は少年週刊誌での長い連載を経て、徐々にカルトな作品をマニア誌に発表し始めた作家であった。例えばぼくが師事したみなもと太郎の時代には少年誌出身のまんが家がエロ雑誌に書くことは凋落を意味したが、わずか数年の後の吾妻ひでおの時代にはむしろそれは快挙となる。まんが界の中にあった少年週刊誌を頂点とするヒエラルキーを最初に崩した一人が吾妻だったのである

後の『エヴァンゲリオン』で反復されるSF小説からの無秩序な引用、いわゆる「不条理ギャグ」(この名称は吾妻の作品「不条理日記」に出自を持つ)など吾妻の与えた影響は〈おたく〉コミックの領域では限りなく大きい。ほぼ前後してデビューし、ほぼ同じ試行錯誤を行ないながら、みなもと太郎吾妻ひでおは次の世代に与えた影響という点では全く異なる。恐らく殆ど影響を残しえなかったみなもとに対し吾妻が強い影響力を持ち得たのは両者の作家としてのピークがわずか数年ずれたことと、吾妻の絵が手塚治虫ふうの記号絵の延長上にあったことの二つが原因であろう

だがこういったまんが史的な検証を行なっている余裕は今はない。それでも一点だけ強調しておきたいのは、いわゆるロリコンまんがを軸として肥大化した'80年代以降の〈おたく表現〉の出自は吾妻ひでおにあり、彼が性的表現に持ち込んだのは、手塚治虫的な絵と萩尾望都24年組が少女まんが表現の中心に置いた内面であった、という点である。

手塚的な絵と24年組的な内面は戦後まんがが獲得し得た最も特徴的な文体であったが、吾妻はこれらの文体がともに「性」を強く暗喩しながら同時に隠蔽してきた表現であることを、この二つを性的メディアに持ち込むことによって明らかにしてしまったのである。

その意味で吾妻ひでおが行なったことは戦後まんがが隠蔽し続けた性を戦後まんがの正統な文体を用いて描くことにあり、彼が沈黙した後に肥大していくロリコンまんがには山本直樹ら一部の例外を除き、こういった批評性は見えなくなっている

だがこういった文脈ゆえに吾妻ひでおが示したロリコンまんがの文体は、まんがの受け手の強い欲望を喚起することになる。劇画の文体が最初から反手塚的な暴力や性を伴うリアリティを体現すべく作られたのとは対照的に、吾妻は決して性を描いてはいけない表現で性を描いた。つまりそこには禁忌の侵犯があったのである

だが、吾妻の文体は画期的であったが故に容易に定型化する。吾妻の文体は商業雑誌を通じて拡大すると同時に、彼の周辺でアシスタントやとりまきをしていた同人誌系のまんが家によって再生産されていく。これらの固有名詞に今日、どれほどの意味があるのかぼくには判断しかねるが、早坂未紀、計奈恵沖由佳雄森野うさぎといった'80年代前半の同人誌系のロリコンまんがの描き手の大半は、吾妻ひでおの周辺にいた人物たちである。

ただ、吾妻と彼らの間には世代的なものとは別のディスコミュニケーションがあったことは指摘しておくべきだろう。吾妻は当初は少女の内面に仮託して描いていた離人症的な世界像をやがて私小説的な短編に収斂させ、私生活においては二度の失踪をする。つげ義春よりもつげ義春らしく吾妻は生きてしまう。そういう「私」への拘泥は彼のエピゴーネンたちには欠落している。

欠落しているからこそ、吾妻が定型化したロリコンまんがの文体の中でも性的な主体が削除されていく部分がより拡大していくのである。〈私〉への拘泥を持たないき手たちには〈私〉が欠落したロリコンまんがの文体は受け入れられ易かった。それに加えて少女を凌辱する場面を描くとき、犯す側が人間でなければ刑法に触れないという奇妙な神話がまんが業界の半ば自主規制のルールと化したこともあって、強姦者を空白にした、いわば「男の力」を隠蔽したポルノグラフィーとしてのロリコンまんがは'80年代を通じて拡大していくことになる

さて、こういったロリコンまんがに於て、犯す男たちが画面から消去されてしまうことで皮肉にもこれらの文体がある程度、男女に共用されてしまうという事態が生じる。
そもそも吾妻ひでおの文体は少女まんが的な〈内面〉表現を一方では擬態していた。また劇画と異なる手塚系のアニメ絵は女性の読み手の抵抗感を軽減する

'84年当時『漫画ブリッコ』には4割程度の女性読者がおり、その多くが高校生ないしは10代後半であった。一つには岡崎京子桜沢エリカの作品が相応に支持を集めていたこともあるが、むしろ吾妻ひでお的なロリコンまんがの方に読者の吸引力はあった。それはこの雑誌の読者欄を見直しても明らかである。読者欄には女性読者のハガキが意図的に採用されているが、そこに添えられた彼女たちのイラストには岡崎京子桜沢エリカの模倣は少ない明らかにアニメ、少女まんが系の絵柄を彼女たちは模倣している

漫画ブリッコ』は雑誌一冊で原稿料総額80万円という編集コスト故にページ単価をぎりぎりまで安くおさえる必要があり、その為、読者欄にハガキを寄せてくる読者のうち、比較的絵が上手そうな連中に声をかけ、まんがを描かせた。ハガキ一枚でまんがが描けるかどうか判断できるのか、と思われるかもしれないが、ハガキ一枚で十分である、とだけ記しておく

そうやって執筆者となった描き手には女の子が多く、それまでの描き手とプラスすると、『漫画ブリッコ』は常時、3割程度女性の描き手に支えられることになる。

雑誌が潰れた後、彼女たちの進路はほぼ3つに分かれた。

一つは岡崎京子桜沢エリカのようにサブ・カルチャー系の雑誌やレディースコミックに作品を発表しながら作家としての地位を獲得していく人々。

二つめは名前を変えるなどして、メジャー系の少女まんが誌で再デビューする人々。

そして、三つめが、そのまま性的なコミックの描き手としてこのジャンルにとどまる人々

無論、これらの進路には描き手自身の才能が強く作用していたが、意外であったのは三つめの描き手の存在である。彼女たちは、性を自分たちの表現に取り込んだ、という点では岡崎京子らのそれに近い。だが、岡崎たちが男たちが描く性を彼女たちのディスコースから描き直す一種のフェミニズムまんがであったのに対し、三つめの選択をした描き手たちはロリコンまんがの文体をそのまま継承してしまう

この類型化された男たちの手による性表現が女性たちに継承されてしまったところに、ロリコンまんがのもう一つの特異点があった。「男の力」が隠蔽されていることが皮肉にもそれを可能にしてしまった。

しかも重要なのは『漫画ブリッコ』に於て最も底辺の、つまり読者あるいは素人に近い描き手であればあるほど、この定型化した文体を援用する傾向にあったことである。そこには性表現の女性たちの領域に於ける大衆化という全く別の事態が進行していたのである。ただそれは決して性表現の解放などではなく、彼女たちのディスコースが男たちの創り出した性表現に容易に回収されていく過程でもあった。実際に実行には移さなかったが、ぼくは女性の描き手による女性向きのポルノグラフィーが成立するのではないか、と当時、考えていた記憶がある

他方ではなるほど、岡崎京子や、あるいはAVに於ける黒木香のように〈わたし〉の表現として、性的メディアが女性たちに作り変えられていくというプロセスが始まりつつあった。そのことは以前、触れた。

'80年代に於ける性的メディアの最大の特徴は、それがもはや男性のみのものではなくなってしまった、という点に尽きる。その中で、黒木や、あるいは岡崎のようなディスコースの批評的な読み換えがなされたことは重要である。

けれども他方で指摘せざるをえないのは、定型化されたポルノグラフィーを'80年代に於て女性の描き手と市場は男たちと共有してしまった、という事態である。

ロリコンまんがに於ては隠蔽してあった「犯す主体」は、性表現が女性の手に渡り、いわゆる〈やおい〉コミック、そしてレディースコミックといった新たな女性向け性表現の場が成立していくにつれて次第にその姿を回復する。

いわゆる〈やおい〉もの、女性読者向けのホモセクシャルものに於て、同性愛カップルの関係が、男役に犯されることによって女役が性的に喜々として従属するという関係が普遍的に描かれ、レディースコミックではエロ劇画の時代に先祖返りしたかと思えるような図式的なポルノグラフィーが描かれるに至る。

〈新人類〉や〈おたく〉表現が隠蔽した「男の力」、マッチョへの信仰は出来すぎたハロディあるいは皮肉として、彼らと同年代の女性たちの性的メディアの中に開花してしまっているのである。だがそれはぼくたちが隠蔽し、延命させたものに他ならない

宮崎勤はその公判に於て犯行そのものは否認せず、しかし、殺害行為の供述に於ては以下のように述べるのみだ。

すなわち、幼女が泣きだすとそれを合図に彼女がネズミ人間を呼び出したが〈その子がまたネズミ人間を裏切ったのでネズミ人間にやられて倒された〉のだと。彼の供述の中には未だ、幼女たちを殺す「主体」は登場せず、「ネズミ人間」によって代行されたままである。

隠蔽された「男の力」はまだ批評の俎上に載せられてはいない。(以下次号)

 

漫画ブリッコ』元編集長の大塚英志によるおたく論。『諸君!』(文藝春秋)で連載中断中だった「ぼくと宮崎勤の'80年代」を加筆・改稿して2004年2月に講談社現代新書から出版後、2007年3月に朝日新聞社より文庫化された同名書籍を底本とし、書き下ろしを加えて星海社から新書化したもの。本稿「マッチョなものの行方」は「新人類と男性原理」と改題され、第6章(pp.117-130)に収録されているが、宮崎勤に言及した最後の一文は削除されている。