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追悼 山田花子(漫画家)

「死んだふりをしていたら本当に死んでしまったよ」不器用に生きてマイペースで天国に逝った山田花子の脈拍が今も聴こえてくる。


◾︎山田花子(漫画家)



本名は高市由美。旧筆名は裏町かもめ、山田ゆうこ。実妹は漫画編集者の高市真紀。

人間の偽善や心の闇をテーマにしたギャグ漫画を描いて世の中の矛盾を問い続けたが、中学2年生の時から患っていた人間不信が悪化。

1992年3月には統合失調症と診断される。2ヵ月半の入院生活を経て5月23日に退院。翌24日夕刻、団地11階から投身自殺。24歳没。


世界は一家、人類皆キョーダイ
私はお花。みんなの為なら
へし折られても平気なの。

夢と希望は子供を惑わすハルメンの笛吹き
いつも裏切られてもういやッ!

でも歩いて行けば幸福がつかまるかも
私ってなんて甘いんだろう。

■1992年3月制作「魂のアソコ
出典 花咲ける孤独/青林工藝舎


東京都内で起きた、ある投身自殺。当時の新聞には「多摩市の無職A子さん」としてひっそりと掲載された事件ですが、「無職A子さん」とは一部で支持されている少女マンガ家でした。

そして彼女が亡くなるまでの24年間に書き溜め、発行されたマンガ作品はどれも強烈なものばかり……。
出典 自殺した幻の漫画家の、コマ外に添えられた一言が強烈すぎる | RENOTE [リノート]




山田花子は、社会の仕掛けが解ってた。
たぶん、漫画に出てきた“世界の罠”ってやつだと思う。

普通、社会の罠ばかり描いてると読む側も描く側も疲れるから、新しい方向性みつけるんだけど、山田花子ったら最後まで描き続けてくれた。今読んでも何度読んでも「こりゃ狂うわ」って敬意をはらう。
出典 『月刊漫画ガロ』1992年8月号 みぎわパン「ぱんこと花子の底辺の笑い」




特殊漫画家といわれながらも、山田花子がこの世で自分以外に愛したものは、植物や小動物、童謡や童話だった。

最初にそれを聞いた時は「ウソだろ?」と一瞬疑ってしまったが、付き合ってみるとすぐにそれらを本気で愛していることがすぐにわかった。というのも、彼女の本体はメルヘンの上に成り立っていたからである。
出典 山田花子 『神の悪フザケ』 (青林堂改訂版) 解説/手塚能理子「姿優しく色美しく」




だが、はっきりいって純粋な世界を作り上げるなんてなことは、現世においては至難の技だ。煩悩だらけの人間がそれを作りあげるには、残念ながら膨大なウソと膨大な自己犠牲がいる。

山田花子が不器用だったというのは、そのウソと自己犠牲をほんの少しもうまく作りあげられなかったことだ。
また、うまく作りあげたとしても、その結果としてやってくる孤独感こそ、彼女がこの世で一番恐れていたものかもしれない。
出典 山田花子 『神の悪フザケ』 (青林堂改訂版) 解説/手塚能理子「姿優しく色美しく」




私は山田花子の漫画は今でも“メルヘン漫画”だと思っている。差別と疎外の中で、空しく呼吸するあの主人公たちは、ずっと山田花子のメルヘンの世界の裏側にピタリと張り付いて離れることはなかった。この両方の世界を固く結び付けていたのは、まさに山田花子の誰にも負けないくらいに天晴れな業の深さである。
出典 山田花子 『神の悪フザケ』 (青林堂改訂版) 解説/手塚能理子「姿優しく色美しく」




◆団地11階から飛び降り死ぬ
24日夜、日野市百草の住宅・都市整備公団「百草団地」1街区5の3で、女性が二階屋根部分に倒れているのを住民が見つけ110番通報した。

この女性は多摩市内の無職A子さん(24)で、間もなく死亡した。11階の通路にいすが置いてあり、このいすを使って手すりを乗り越え飛び降りたらしい。(日野署調べ)


芸術を志している人が死を選ぶ時、それは命を賭けた最大の芸術を慣行したということになるのではないかと思うのです。彼女は最大の芸術を完成させ、死霊になって私達が驚く様子を見て笑っているのではないでしょうか。
出典 『月刊漫画ガロ』1992年8月号 蛭子能収「それでは山田花子さんさようなら」


『ガロ』1992年8月号 追悼特集



人生は芸術
世界は一心同体少女隊
ぼくらはみんな生きてい隊
キリストはもて遊ばれたいマゾヒスト
愛は心の仕事デス

私A「あたし、もうダメ…」
私B「立て、立つんだジョー!!」

一番好きな子の正体は鏡!?
あんな奴、ハナクソだぜ


山田花子追悼文/根本敬
高市由美(敬称略)から初めて手紙が届いたのは8年程前になるか。茶封筒にキタナイ字で「根本敬大先生様」と書かれ、中を恐る恐る開けると、やっぱりキタナイ字で(しかも鉛筆で)ノートを破ったヤツに、自分がいかにファンであるかが細々と書いてあった。

その後、実は漫画を描いていると知り、見せて貰うと大層見どころがあるので(実は彼女は絵がうまく器用でどんな絵も描ける)ガロに面白いよと紹介したが何故かなかなか載せて貰えず、いつしか音信も跡絶え、気が付くと『ヤングマガジン』で山田花子としてデビューしていたのだった。

それにしても業の深い女だったと山田花子の事を我々(特に実の妹と私)はよくそう言って振り返る。


業の深さといっても、輪廻転生に基づく仏教的な見地から言う処の業とは、必ずしも一致しない。ここで言う業の深さとは、まるで生まれる前からずっと続けていた課題に取り組むかの如く、そうせずにはいられない、狂おしい程の性質(または磁力)の強さを指すのだ。

そうし続ける事(これを唱えて業が深いと言う)は山田花子の性質であると同時に、全世界、全人類に対する、静かで目立たない極めて地味な、それでいてしたたかで一筋縄では行かない復讐的行為であったのだ。
出典 『月刊漫画ガロ』1992年8月号 根本敬 故・山田花子賛江捧グ「マリアの肛門を見た女」




山田花子は神様の目からもこぼれ、仏も見落とす様な、人間の地味な心理や気分や抑圧や、ちょっとしたエゴを見逃さず、その観察の結果を愉快な漫画にしていたわけだが、か細い婦女子が神や仏を越えてしまった以上、生きてなんかいられないわな。

実は山田花子は、絶望、絶望、絶望に次ぐ絶望、更に幾つかの絶望を越えた果てに、燦然と輝く桃源郷がある事を予見していた節もあるのだが、生きながらえたままそこへ辿り着くには、気力、体力共、余りにしんどかったわけだ。
出典 『月刊漫画ガロ』1992年8月号 根本敬 故・山田花子賛江捧グ「マリアの肛門を見た女」




でも、彼女の自殺にはまったく意外性がなかった。たしかに、個人的には高市由美の死は悲しいが、作家・山田花子の自殺には、否定的な気持は沸かない。

例えば麻薬をやってヨイ人間(勝新とか)とよくない人間(宮沢首相とかね)がいるように、自殺してヨイ人間とイケナイ人間がいて、山田花子は前者だ。
出典  『月刊漫画ガロ』1992年8月号 根本敬 故・山田花子賛江捧グ「マリアの肛門を見た女」




そんな人間にとって自殺して早死にするのもひとつの生き方故に冥福はあえて祈らない。それにしても本当に、つくづく業の深い漫画家だった。
出典 『月刊漫画ガロ』1992年8月号 根本敬 故・山田花子賛江捧グ「マリアの肛門を見た女」


根本敬(ねもと たかし/けい)
1981年に『ガロ』で漫画家デビュー。
特殊漫画家」「特殊漫画大統領」を自称する。

因果者・電波系人間探訪の権威にして、名実ともにサブカル界の大御所に位置する。

「因果者」「イイ顔」「電波系」「ゴミ屋敷」といったキーワードを作り出しサブカルチャーへ与えた影響は大きい。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『豚小屋発犬小屋行き』等多数。


「死んだふりをしていたら本当に死んでしまったよ」不器用に生きてマイペースで天国に逝った山田花子の脈拍が今も聴こえてくる。