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三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンス・ニューウェーヴが残したもの(1982年時点から見たニューウェーブ漫画の黄昏)

月刊『宝島』臨時増刊号『マンガ宝島』JICC出版局 1982年2月

三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンスが残したもの―『アリス』『エロジェニカ』『大快楽』はニューウェーブを起用した

北崎正人

劇画アリス』『漫画エロジェニカ』が78年三流劇画ブームを荷なった劇画誌である。三流劇画誌の中で他のエロ劇画誌とこの2誌は、違った点があった。『劇画アリス』は表2で編集長自ら写真を掲載し、「劇画に愛を」などと、強烈なアピールをする点がそうであり、『エロジェニカ』は、『ガロ』のみで有名だった川崎ゆきおを起用する点である。この2つが、凡百のエロ劇画誌の中から、この2誌を、マンガマニアが注目することになった遠因で、あろう。『劇画アリス』の若い編集長の写真は、〈エロ劇画誌というものは、スケベな中年男が、スケベな変態マンガ家に描かせてつくっているものだ〉という、誤まったイメージを一掃するのに役立ち、『エロジェニカ』が川崎ゆきおを起用したことは、エロ劇画だけではなく、『ガロ』というマイナーな、マンガ誌に理解のある編集者もいるというマンガ・ファンにはうれしい事件であったのである。

マンガ・マニア「迷宮」が発行する『漫画新批評大系』で、三流劇画の特集が組まれたのは、77年のことである。やがで、その「迷宮」の司会によって『漫画エロジェニカ』『劇画アリス』『官能劇画』の編集長座談会が78年春『プレイガイドジャーナル』に掲載されることになった。いわゆる〈三流劇画ムーブメント〉は、この座談会を契機として始まった。

今、考えると〈三流劇画ムーブメント〉とは、日陰の存在であったエロ劇画にスポットライトを浴びせるマスコミ戦略のことを指していたといっていいだろう。言葉を変えれば、マンガ界のゲットーに市民権を与えることである。そして、〈三流劇画ムーブメント〉はそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもなかった。まして、「劇画全共闘」などという愚かなレッテルは、誰がいったかは知らないが、ただの錯覚に過ぎなかったのである。

『報知新聞』が『劇画アリス』をとりあげ『日刊ゲンダイ』『夕刊フジ』が『漫画エロジェニカ』をとりあげその後78年9月に『11PM』が三流劇画の特集を組んだ。そして、『11PM』に出演したエロ劇画家4名のうち、中島史雄小多魔若史清水おさむ3名までが、『エロジェニカ』の執筆者であったことと、編集者の発言が、当局を刺激したために『エロジェニカ』は、ダーティ松本以下5名の作品によって78年、11月号が劇画史上初の発禁の栄誉を荷なうことになったのである。

また『別冊新評』が、当時、最も人気の高かったエロ劇画家「石井隆の世界」を出版し、続いて、79年初春に、「三流劇画の世界」を出版した。〈三流劇画ムーブメント〉は、ここで終止符をうったといってよい。

エロ劇画誌の中で突出した『漫画エロジェニカ』は、その後、いしかわじゅんを起用し「愛国」を掲載し、『劇画アリス』は吾妻ひでお起用し、「不条理日記」を連載する。この頃より、2誌は、エロ劇画誌というよりも、ニューウェーブといわれる作家に執筆を依頼することが多くなっていくのである。

それは、エロ劇画誌の中で『アリス』『エロジェニカ』とセットで〈御三家〉と呼ばれたもう一誌の『大快楽』が、ニューウェーブと呼ばれた、ひさうちみちお宮西計三平口広美を起用し、79年に名作を掲載する頃と一致した時期であった。『劇画アリス』は編集長が交代し、奧平イラ、まついなつきを起用し、『エロジェニカ』は、柴門ふみ鵠沼かを、まっいなつき、山田双葉を起用していくのである。

〈三流劇画ムーブメント〉の頃から、吾妻ひでおいしかわじゅん、その他ニューウェーブ系の作家たちが名作を生む時期までを総称して〈エロ劇画ルネッサンスと呼ぶ。

この3誌がニューウェーブ系の作家を起用する背景には、『大快楽』が『ガロ』の新人に注目した点と、『アリス』の編集に「迷宮」のメンバーが参画した点、『エロジェニカ』が、少年誌『ペケ』(『コミックアゲイン』)と交流があった点があげられるだろう。この3誌ともが、エロ劇画は、エロ劇画家が描けばよいという凡百のエロ劇画誌の持つ固定観念から自由な編集方針を持っていたのである。

劇画アリス』はまた、SF、ロックに理解があったために、平岡正明の他、鏡明征木高司などのコラムを掲載していた。

『エロジェニカ』は少女マンガに理解があったために、少女マンガ論を掲載し、マンガ作品に美少女路線をしき、ロリコン・ブームの先駆ともなっていた。コラムも、プロレス論(流山児祥)、SF論(岸田理生)、ロック論(平井玄)と、なかなかユニークなものであった。

その『エロジェニカ』と『大快楽』がケンカを始めたのが79年の秋のことである。流山児祥が『大快楽』の板坂剛を路上でKOするまでに論争はエスカレートするのであるが、これは、元全共闘とインチキ全共闘の戦いという60年代末期の香りがするいさましいものでもあった。そして、『劇画アリス』の元編集者が、やはりインチキ全共闘だと路呈するオマケまでついたのである。

『エロジェニカ』と『大快楽』の対立は、マニアの間では、少女マンガに理解のある『COM』派と、劇画主流の『ガロ』派の宿命の対決と呼ばれましたが、本当は、『大快楽』の冗談の度が過ぎたための偶発だったのだろう。

79年(引用者注:正確には80年)劇画アリス』は休刊となり、80年に『大快楽』の編集者は退社し、『エロニェニカ』は出版社がつぶれ、3誌の輝ける時期は終った。

そしてエロ劇画誌はエロ劇画家とニューウェーブ系のマンガ家が並んでかくことはなくなり、ロリコンの星内山亜紀谷口敬たちがどこまで名作を生むかを除いて、再び活気を喪いつつある。

エロ劇画ルネッサンスの名作は、その後、ブロンズ社、けいせい出版、久保書店などの単行本に収録されているが、当時の3誌は今では幻になってしまったのである。


ニューコミック派宣言 ニューウェーブ”から“ロリコン” “中道定着路線”、そして“ニューコミック”へ…

村上知彦

ニューウェーヴ」とは何だったのだろう。名付けられたブームのひとつにすぎなかったのか、それとも、やはり何事かが始まりつつあったのだろうか。

ぼくは今「ニューウェーブ」について、過去形で語っている。「二ューウェーブ」という言葉で語れるものについては、もはや過ぎ去った出来事のようにぼくは感じている。青年まんがと少女まんがと同人誌の結合として始まった「ニューウェーブ」は、それが少年まんがを欠落させていたゆえに、結局はメジャー雑誌の再編過程のなかに、個々の作家が召換されてゆくという結果を迎えており「漫金超」や「マンガ奇想天外」といった、時代を象徴する雑誌を生みはしたが、それらももはや創刊当初のようなインパクトはない。“波”は、たしかに去ったのだ。

ブームとしての「ニューウェーブ」は、すでに「ロリコン」へとその姿を変えている。その中にも、「ニューウェーブ」の影響は、たしかに流れこんでいるものの、それはすでに総体として質的な変化をとげてしまっているものだ。

「二ューウェーブ」とは、波であり流れであった。とすれば、それが向かっている方向こそが問題であったのだ。うねりの大小は、たかだか一時的な現象にすぎない。その波がいったいどこへ向かうのか、果たしてたどり着くことが可能なのか、そのためには何を、どうすればよいのか、それだけをほくらは問題にすべきだったのだ。

現状を分析する。1981年は分裂の年だった。まんが専門誌「ぱふ」の1ヵ月にわたる休刊と、そこからの「ふゅーじょんぷろだくと」の分裂。批評同人誌「漫画新批評大系」の80年2月発行14号から、81年12月発行15号まで一年間の空白と、その発行母体“迷宮”のメンバーが主要に担っていた同人誌即売会“コミック・マーケット”の分裂。その間、批評をもっぱら担っていたのは、ほとんど「マンガ奇想天外」1誌という有様だったが、その「マンガ奇想天外」も、SF誌「奇想天外」の休刊で奇想天外社危機説がささやかれる中、前途は決して明るくないし、「漫金超」は年4回発行を達成できないまま、部数が伸び悩んでいる状態だ。そこへ一周遅れで「マンガ宝島」が一参戦するわけだが、状況は大差ないだろうというのが率直な予想だ。

一方、78年末あたりで出揃ったメジャー系の「ニューウェーブ色」の強い新雑誌群も、模索期を終えてほぼ自らの位置を見定めた。その位置を一言で言ってしまえば、中道定着路線”である。「ニューウェーブ」でも人気のないものにはさっさと見切りをつけ、人気のあるものは、正面に押し出して売ってゆく。そして大半は、既成の作家、作品で埋めてゆくという方向である。ここでは「ニューウェーブ」は「ちょっと格好のいいキャッチフレーズ」といった扱いを受けている。「ギャルズコミック」「ヤングマガジン」「少年少女SFマンガ競作大全集」が生き残り、「ポップコーン」が「ジャストコミック」に変わり、「カスタムコミック」が縮小、「アクションデラックス」「ビッグゴールド」が撤退して行った経緯に、それは如実に現れている。「プチフラワー」が頑張っているのが不思議なくらいだ。

それらメジャーの「中道定着路線」に対し「ニューウェーブ」は何ら有効な対処ができなかった。阻止することはできなくても、利用することぐらいはできたはずである。メジャーに対する一定程度の影響力、発言力を保持することで、一種の二重権力状態をつくりだすひとつのチャンスを、ぼくらは逸してしまったのだ。その結果その後の旧雑誌の露骨な右寄り再編と、かっての「ニューウェーブ」がそれに、意識的と無意識的とにかかわらず、協力されられてゆくさまを、手をこまねいて見ているしかなくなってしまったのである。

ロリコン」ブームは、エロ劇画、少女まんが、アニメ、同人誌などの要素が混然一体となった、「ニューウェーブ色」の強いブームである。本来ならば、三流劇画が領導し、同人誌が補完して、他の全ジャンルに影響を及ぼしていたかもしれないブームである。それが結局のところ、あだち克(原文ママ)作品の売り上げに奉仕させられている。

あるいは、集英社鳥山明の「Dr.スランプ」を森永と原発のCMに売り渡すのを、ほくらはちょっとしたら、阻止できていたかもしれないと思うと、悔しさはかくせない。チャンネルゼロでは、今、いしいひさいちをモデルケースに、キャラクターの自主管理を考えているところだ。うまくいけば、他の作家にも声をかけようと思っている。すでに後手に回っている感はなきにしもあらずだが、手をこまねいているわけにはいかないのだ。

『波』は去った。残されたものは何か。幾人かの作家と、向かうべき方向への確信。とりあえず控えめに、それだけを言っておこうと思う。

大友克洋高野文子ひさうちみちお宮西計三吾妻ひでお高橋葉介さべあのま柴門ふみ近藤ようこ高橋留美子吉田秋生森脇真末味川崎ゆきおいしいひさいち、その他何人かの作家たち。彼らが示したのは、まんがは変わることができるという事実だった。それも、個々の作品ばかりではなく、誌者、出版、すべてを含めた状況全体として、まだまだまんがは変わらねばならないし、未知へ向って踏みだしつづけねばならないのだ。

再び現れようとしている亡霊、既知を粉砕せよ!

“波は去った。ひきしおに流されず、ふみとどまること。

その先に「ニューコミック」はみえるか?