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ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて──僕と私の脳内リゾート特集

メディアマンライブトーク──高杉弾とメディアマンのすべて

蓮の花

4才から9才まで川崎の土手の下に住んでたんだけど、そこには蓮の池があって、毎年沢山の花が咲いてすごく綺麗だった。それで実がなると近所の悪ガキと一緒に池にズブズブ入って実を取って食べてたんですよ。蓮の池って結構深いんだけど、水面が鼻ギリギリになるくらいまで入って取ってたの。よっぽど腹が減ってたんだろうね(笑)。味は淡い味でコリコリしててすごく旨い!

それで実を取っている時に、フト見上げると、頭上に蓮の花があって、さらにその上には青空が拡がってる、つまり蓮の花を下から見るっていう、あの極楽のように美しい風景を僕は5才の時に体験しちゃったんだよね。あのときの美しさと気持ちよさは、僕の全ての原点になってるんですよ。

 

自販機本との出会い

『冗談王』が創刊号でつぶれちゃって、僕は大学中退して手伝ってたからいきなり失業(笑)。それでアメリカにいったり原宿でTシャツ売ったりしてブラブラしてたら、ある日ゴミ捨て場でエロ本を拾ったのね。それで家に持ち帰って見てたら、写真がすごくいいんだよ。版元をみたらエルシー企画ってあったんで、次の日さっそく電話して編集部に遊びに行って、そのままアルバイトに入ってスキャンダル『スキャンダル』の「Xランド」という8頁を編集したの。それが自販機本との出会いですね(笑)。

あの頃は自販機本の黄金期で出せば売れるという時代だったから、僕らみたいなわけの分からない奴にも作らせる余裕があったんだね。それに編集者は全共闘世代の人が多かったから、僕らみたいな下の世代に興味を持ってくれたんだと思うよ。それで『Jam』や『HEAVEN』を作ったんだよね。僕はポルノもエロもいまだに好きで、そういう業界とはつかず離れずで付き合ってるんですよ。やっぱりポルノ業界って山師みたいそうなとこあるからさ、そういうの大好きなんだよね(笑)。

 

作文

作文を書き始めたのは大学に入ってからで、『便所虫』と『BEE-BEE』というミニコミ誌を作ってたんですよ。でも内容が過激なんで、教授には疎まれてたし、体育会系からはよく襲撃うけたりしてた(笑)。僕は不良系が好きだからふざけた文章しか書かなかったんだよね。それで『BEE-BEE』が『本の雑誌』主催の第1回全国ミニコミガリ版誌コンテストで優勝して、椎名(誠)さんに「遊びにきなさい」って電話もらったりしてね。

でも本格的に書くようになったのは、『冗談王』という雑誌の編集を手伝ってからだね。その時「高杉弾」っていうペンネームを考えたんですよ。

本当は僕は漫画家になりたかったんですよ。でも絵がダメだったし、その頃不条理漫画は許されなかったからつまらなくなっちゃって、それで作文の方にいってしまったのかなぁ。

 

カメラとステレオ写真

どちらも趣味で始めたんだけど、赤瀬川(原平)さんのおかげでステレオ写真というものが脳内リゾート開発にすごく役立つ、脳内リゾート開発を説明する時に、ステレオ裸眼立体視トマソンは具体的にわかりやすいんだよね。誰も言葉でいえなかったものを面白いんだって思えるようになることが脳内リゾート開発だから。

それに写真ってある意味でその人の頭の中が出るから、いくらいいカメラ使ってもいい写真がとれるわけじゃないでしょ。僕は写真が大好きで、それも他人が撮った極上のものが好きだから、集めているうちにたまっちゃって、それで『写真時代』に「海外面白写真」の連載を始めたんですよ。

 

音楽

音楽も笑いと同じで、人間の悲しみや苦しみを救ってくれるものだから、生きていくためには絶対に必要だと思う。特に音楽って祝祭空間だからさ。ロックコンサートなんてまさにそうだよね。

僕の大好きなボブ・マーリーの曲なんかも虐げられた人達がパワーを持つための音楽だし、そう考えると、アジアや赤道文化圏の音楽、あそこは自然は過酷だし有色人種だから貧乏で虐げられてる、そこで発生した音楽が世界で一番いい音楽だと僕は思ってる。

レゲエのほかにもジミヘンやオーティス・レディングも大好きだし、あとはジャズ。ジャズは植草甚一さんに教えてもらったの。あの人は僕の先生だから。やっぱり自分を支えてくれる音楽ってだいたいの人が持ってるでしょ。

で、音楽はつまりはメディアでしょ。ある精神を違う時代の人達につないでいくという意味でね。だからやっぱりなくてはならないものだと思うよね。

 

モダン・プリミティブ

これって面白い言葉だよね。ヨーロッパの進んだ文化の人達が刺青してるでしょ。最初は絵を入れてたんだけれど、最近流行ってるのがアフリカの原住民が入れてるような文様なの。原始をモダンなものとして捉えてるんだよね。刺青のほかにもピアシングとかボディペインティングもそうだけれど。

これは何故かというと一つはキリスト教世界の成れの果て、もう一つはアイデンティティを求めてる。自分はドイツ人だ、とかさ。でもそういうことをいい始めると世界がどんどん厳密になってしまって、自分の皮膚から内側が俺、ってなってくるでしょ。だから刺青もピアシングもマニキュアも境界線と同じなんだよね。でもそんなこと言ってるの、日本では僕だけなんだけどね(笑)。

 

MONDO

これは日本に入って来たときに誤解されたよね。なんでもかんでもヘンなものをMONDOだってしちゃって。MONDOはもともとはイタリア語でWORLDのことなんだけれど、これを聞いたアメリカ人がすごくヘンな響きにきこえたらしくて、それで60年代にヘンなものを創ってる人達のことをモンドピープルって呼んだのが始まりだよね。

それでラス・メイヤーアンディ・ウォーホルジョン・ウォーターズなんかが「モンドカルチャー」とか「モンドニューヨーク」なんて言い出したの。要するにアメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化をそう呼ぶようになったわけだから、60年代でMONDOはなくなっちゃってるんだよ。

で、MONDOを日本語に訳したらひょっとこだよね。ひょっとこっていうのが一番近い日本語だよ(笑)。

 

トライアングル

ポルノ関係を置いてたから、いかがわし店だって思ってた人もいるかもしれないけれど、あれはあくまでもビデオ屋(笑)、しかも日本で紹介されてないような芸術性の高い作品を紹介したくて始めたんだから。でも自分の意志に反してポルノだけ買いにくるお客さんもいたよね。でも、自分の好きなものばかり並べてて、それをお金と引換にするという行為がだんだんイヤになってきちゃってさ、それで結局2年くらいでやめちゃったんですよ。でも今考えてみるとあそこは高杉弾の脳内リゾートを商品化して売ってるような場所だったかもしれないね。ビデオやポルノや写真集や玩具や、全部面白いものばっかりだったよね。

 

ポルノとエロ

日本ではセックスカルチャーとポルノカルチャーとエロティックカルチャーって全部ごちゃまぜになってるでしょ。僕はそれが嫌いでね、ちゃんと分離してほしいと思ってるんですよ。ヨーロッパなんかではちゃんと分離されてるんで混乱することがないんだよね。要するに日本にはポルノグラフィしかないでしょ。スカートの中を撮ろうとするのはポルノなの。スケベを見せるのがポルノで、スケベな恰好をしてない人に対して猥褻さを感じるのがエロティシズム。だからポルノとエロって別のことなんだよね。僕はその全部が好きだけど(笑)。

 

シーメール

これは十年くらい前に、アメリカのポルノグラフィの中から突然変異みたいにして出てきたもので、本当はアメリカのポルノグラフィの中にしか存在しない。男と女、それからレズ、ホモの組み合わせ以外に何かないかって考えた人がいて、それでシリコンで胸ふくらませてチンチンついてる、両刀使いのヤツを登場させてさ、組み合わせを多くして商売に利用したのがシーメールなの。だから決してプライベートな部分から発生したんじゃないんだよね。タイにもシーメールみたいな人達がたくさんいるけれど、あれはただのゲイですよ。

 

コメディ

蓮の花と同じで、笑いは僕の原点なんですよ。笑ってごまかすってこともあるし、笑いって人間を不幸から救えるでしょ。人間なんて本当は苦しくてやってられないじゃない。まともに生きてれば辛いことばっかりで。でも笑いはその辛さを救ってくれるんだよね。僕は何があっても笑ってるのが好きなの。だから全てを冗談で乗り切ったりする(笑)。だから笑いっていうのは僕にとってすごく大きな要素なんですよ。だから世界中のコメデイやジョークをすごく気にしながら見てるよ。

サタデー・ナイト・ライブ」なんかを見てるとさ、日本人の笑いってレベル低いなって思う。でもそれはしかたないんだよ、日本には宗教がないから。セックス、差別、宗教ってジョークの三大ネタだから。

 

臨済

何で臨済かというと、僕はいろんな宗派の本を読んだんだけど、臨済って坊主はまさにロックンローラーなんですよ。今でいったらね、キース・リチャーズみたいなやつ(笑)。ブルースマンなんだよね。『臨済録』を読むとさ、とにかくすごい坊さんで、弟子がいやでしかたなくて「おまえらみたいな馬鹿に何も教えることはない」って殴ってばっかりいるの(笑)。実際『臨済録』という本はすごく面白い本で、臨済的な、或は臨済禅的なものの考え方が自分にすごく合ってるんですよ。もう自分の教科書として使ってるから(笑)。それで或る時期から翻訳を始めたんだけれど、まだ出来上がってない。でもこれを高校生なんかにも通じる言葉で翻訳したいんだよね。で、完成したら英訳してアメリカで一儲け(笑)。

 

脳内リゾート開発

脳内リゾート開発っていうのは結論から言うと、無駄なことだよね。裸眼立体視なんか出来なくてもいいって言っちゃえばそれまでだから。生きていく上でトマソンとか知らなくても影響はないわけだから。でも一度知ってしまうといくらでも面白がれる。以前から赤瀬川さんや南(伸坊)さんがやってたことを言葉にしたのが脳内リゾート開発だから。ネーミングは赤瀬川さんなんだけど、この言葉を聞いた時は目から鱗が落ちた(笑)。赤瀬川さんて目から鱗を落させる天才だから。僕は生活っていうことにあまり興味がなくて、だって嫌だと思ってても自然に年はとっていくわけだし、そのうち誰だって死んじゃうんだから。だから人間の一生にあまり必要ないけれど、面白いことをたくさんやって楽しみたいの。

「自分度」の強い人って楽しめないでしょ。唯一の自分っていう関係性で世の中を見ちゃうから。そうすると他人にとっての社会と自分にとっての社会があまりにも違いすぎるんでそこでギャップと思い込みが出来ちゃうよね。

そうじゃなくてさ、社会って人間の数だけあるんだよね。社会っていうのは一人一人の脳味噌が作ってる。そう思えないから真面目になっちゃって、自分で自分を束縛してしまって、楽しむことができないんですよ。

脳内リゾートは本当は誰にでもあるんだけど、開発っていう部分がポイントでさ、それをするかしないか、自分の中のそういうものを重視するかしないか、そこの違いなんですよ、結局ね。

 

大麻と麻薬

僕は人間にとって気持ちのいいことは全ていいことだと思ってる。ただ快楽はつねに不幸と引換だから、好奇心なんかで麻薬に手を出すやつは最悪だけどね。でも麻薬を必要するヤツは絶対にいるんだよ。必要のないヤツがやるから不幸になるの。

もう一つ大きな問題は、大麻は麻薬じゃないってこと。あれは岡倉天心も書いてるけど、昔はお茶の友として使われてたんだよね。仏教関係者もやってたしね。麻薬は依存性があるけれど大麻にはない。法律だって麻薬取締法と大麻取締法って分かれてるでしょ(笑)。

とにかく麻薬であれ大麻であれセックスであれ気持ちいいものはみんないいの。でもそれを説明するのはすごく難しいから、そういうことを語る時には人を選ばないとダメでしょ。「倶楽部イレギュラーズ」読んでる人の中には「この人絶対にラリって書いてる」って思う人もいるだろうし(笑)。

 

椰子の実と赤道文化圏

これまでの学問や分類だと、地球を宗教や経済で区切る捉え方でしょ。でも気候で考えた場合、一番暑い赤道っていうのがあって、そこには共通する文化があるはずだって思ったんですよ。で、赤道文化に共通してあるのは椰子の木、さとうきび、要するに砂糖だよね。砂糖は熱帯に住んでる人にとって重要なエネルギー源だから、砂糖を食べないと死んじゃうわけね。

それで暑さに耐えるために脳味噌から脳内麻薬みたいなものを出してなきゃ耐えられない、その麻薬を出すのが砂糖じゃないかと僕は思ってる(笑)。砂糖の副作用が文化を生み出すもんじゃないかと思うわけ。そういう研究してる人っていないかも知れないけど、僕はすごく興味がありますね。

 

コンピュータとデジタル文化

僕も随分前からコンピュータを使ってるけど、デジタル文化って大嫌いなんですよ。でも道具として便利だから、それで使ってるんだけれどね。

世の中にはコンピュータは生き物だ、みたいな言い方する人がいるでしょ。確かにシリコンチップっていうのは組織が生命体と似てるけど、脳味噌の中にあるニューロンと同じ働きをしてるからね。でもそれは結果論であって、ニューロンを創ろうとしてコンピュータをつくったわけじゃないんだから、発生が違うよ。ニューメディアやインターネットが世界を変える、なんて言うけれど、バカヤローだよね(笑)。あと5年もすれば、必要としない人達は撤退すると思いますよ。

 

メディアマン

僕はいろんな仕事をしてるんで、自分のことを他人に説明する時に、自分と他人の間にもう一人の自分を置くと便利だな、って思ってそれで気がついたのがメディアマン。例えばAさんが思ってる高杉弾とBさんが思ってる高杉弾って違うヤツだろうし、その両方の高杉弾は、僕から見たら高杉弾ではないわけですよ。それは僕にとってはどうでもいい事なんだけれど、あちこちに僕の知らない高杉弾がいると分かりにくくなるんで、それで自分と他人の間にメディアマンというのを作って、そのメディアマンからいろんなことを他人に発信してみようと思ったの。だから、ヘンなこと書いてるって思われても、それはメディアマンが書いたことで僕には関係ない(笑)。

 

— 青林堂『月刊漫画ガロ』1997年3月号

 

高杉弾の作文

というようなわけで、世の中の大半は阿呆か間抜けか精薄のいずれかであるような気がするが、一説によると、現代の中高大学生は読めない書けない話せないの三重苦であるからしてこれはもうほとんど文盲の世界であり、これからの日本は彼ら多くの文盲世代を養っていかねばならず、そのためには国家規模の財テクもやむをえない。原発も心要、場合によっては自衛隊の海外派兵、核の保有。インテリなどというものは世の中に存在せず、したがってインテリジェンスなどという幻覚にうつつを抜かしている馬鹿どもは遠からず馬脚をあらわし路頭に迷う。「新しい」とか「カッコいい」とかいったその場しのぎの幻覚に惑わされている輩も同様、次第に精神の不調をきたし挙げ句は脳髄に黴(かび)を発生させて憤死するであろう。

―腐っていく「私」と現代の日本(『百人力新発売』)

 

夜、きれいな夕焼けが終わりに近づき、夜がやってきます。遠くのビルにあかりがついて、テレビはニュースを放送している。空には星がまたたきはじめ、気もちのいい風が窓をふきぬけていく。飛行機のとんでいく音がきこえたかと思うと、どこからともなく静かな音楽が流れはじめ、ここちのよいリズムとともに部屋の中に広がっていきます。植物たちが秘密の会話をささやきはじめ、時間はゆっくりと流れていく。

夜は都会の神秘。夜は都会の暗号。やがて音楽は終わり、部屋はふたたび静寂をとりもどす。テレビ画面に映ったおねえさんが、無音の笑いを投げかけています。夜。子供はなにもすることがない。

―乱調少年大図鑑(「Boom」連載)