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『ポピーザぱフォーマー』制作秘話―デジタル製作チーフかく語りき―

以下の文章は2018年に『ポピーザぱフォーマー』監督の増田龍治氏インタビューがニュースサイトで公開されて話題になった時、元制作チーフの村井昌平氏*1Twitter上でひっそりと明かした制作秘話です。大変興味深い内容なので書き起こしてみました。また監督のインタビューを補完する内容にもなっているので増田氏の証言と併せてご覧ください。

省力化について

安心モデル制作、緊急CGアニメーション、涙の編集の村井昌平です。

お話でなるべく作業が楽になるよう考えてもらえたのは有難かったのですが、繰り返しで同じシーンを使うパターン以外はあまり省力化にはなってませんでした。

太陽を半分にして画面の半分を影にしたのはお話的にはとても面白かったですが、キャラが見えてる側に寄るだけなのと、真横からでなく斜めから見せるカットが多い上に境界をぼかしてくれと言われたので影はフォグで表現する事になり、逆に重くなりました。そもそも普通のカットのレンダリング時間は大抵1枚10秒以内で済んでいました。

「STOP THE GUN」ではタイムスリップの度にケダモノが倍々で増えるので使いまわしが出来る以上にシーンが重くてえらい事になりました。全然楽では無かったです。面白かったですけども。

ちなみにポピーの指が3本なのは省力化ではなく確か一番最初のスケッチから3本でしたよ。でも指が3本なのは実際助かりました。たまに持つのが大変な物もありましたが。銃とか。ライティングも省力化の為、基本はカット毎に新たに手を入れずに済むよう先に考えて作っていました。後半では少し余裕が出てきたので場面によっては改めてライトを追加・調整しています。

一般に3DCGでは影が黒くなりがちですが、ポピーでは絶対に影が無彩色の黒にはならないように工夫しています。明るい印象にする為ですが、一部で陰惨な印象を与える為にわざと黒にしている所もあります。

 

続篇について

ポピーザぱフォーマーの続篇の話があったというのは自分も聞いてはいますが、正直やっぱり難しいんじゃないかと思いますね。まずは増田さんが話を作れるかどうか。それから作る人間の体力的な部分で、予算と人を増やせば確かに楽に作れるようにはなるでしょうが、果たして楽に作った物が同じだけのテンションを維持できるのかどうか。苦しめば良いという物ではないけど、本気で魂を込めてギリギリまで自分を追い込まないと出来ない物も中にはあります。ただ誰かに自分と同じだけ苦しめと言うのも忍びない。しかし今自分が前と同じ事をやったら今度は死ぬかもしれない…

また少人数だからこそやれたという事もあって人数が多くなると意見やイメージの統一が難しくなって来ます。

それからマシン環境や技術的には以前より格段に上がっているのでやろうと思えば前より遥かに綺麗には作れるでしょうが、もし綺麗にリアルに作ったら、「残酷? 何を言ってるんですか 所詮ポリゴンですよ」という誤魔化しが利かなくなって場合によっては不味い事になるかもしれません。

あの画面作りは、軽くする必要性とチープでポップなデザインとキャラクター性のギリギリのバランスで成り立っているので、何かを変えたら他も変える事になるでしょう。イメージを崩さずアップデートするのは相当難しいのではないかなあと思います

 

予算について

超低予算でしたが、これはポピーが実験だったからです。瑞鷹が自腹を切ってもし大失敗したとしてもそれ程痛くないギリギリの金額でした。増田家への月10万円は原作料を買い切りにしなかった為の数字です。

買い切りにしていればもう少し上がったはずですが、そうしなかったのは結果的には正解だったと思います。DVDが売れた際にその取り分の収入があったはずなので。

ただ苦労に見合う額だったかというと微妙な所かも知れないですね。

ちなみに全体の制作費も1本で10万円でした。音楽やテープ出力などのお金もここに含まれます。

一方瑞鷹社員だった自分達は予算とは関係なく会社から給料をもらっていました。その代わりいくらDVDが売れてもリターンはゼロ。DVDが売れた時やその後コロムビアのゴールドディスク大賞をもらった時には社長のポケットマネーで金一封頂きました。DVDが3巻で13万枚以上売れたのには本当びっくりしました。

 

増田さんの持ち味と制作方針について

死がシュールのくだりで恐らくみんな気付いたと思いますが、お察しの通りまず間違いなく増田さんはサイコパスです。葬式で知人の死に顔を見て吹き出してしまった蛭子さんと同種の人間です。感覚も視点も大抵の人とは違う。もちろんそれが悪いという事ではなく、だからこそ作れる面白い話があるんです。

ただサイコパスがそのまま突っ走るとサイコパスにしか分からない話が出来てしまう事がちょくちょくありました。

実家の熊本から送られてきたコンテを瑞鷹内の会議で開いてみんなで頭を抱えて「……分からない!!」ってなる事はしょっちゅうありました。しかし誰にでも分かる話を書いてくれと言ってはせっかくの持ち味を殺してしまうので、増田さんにはひたすらそのまま突っ走ってもらい、それを吉田さん始め瑞鷹内のみんなで分解再構成しつつ一般人や子供にも分かるような形に翻訳して作るということが多かったです(中には「DREAM」などほぼそのままで問題無く、しかも面白い話もありましたが)。またそのままでは4分の枠に収まらない事も多く、これをちゃんと構成して収めるのは吉田さんの仕事でした。

この辺、多分増田さん的には面白くなかったはずで、ステイン(引用者注:増田龍治の次作『ガラクタ通りのステイン』のこと)以後は直接指揮する形にしていると思います。ポピーと以後で作品の雰囲気が異なるのにはそういう事情もあります。

恐らくみんなが想像するのと違って実は増田さんはお話のかなりの部分を計算で作っているそうです。あの話が計算で作られているなんて逆に怖いと思いませんか? 頭の中には今までに見た膨大な作品のデータベースがあるようです。増田作品にはいろんな映画など(ホラーが多い)のオマージュがちりばめられていたりするので探してみると面白いかもしれません。あとこれはおそらく増田さんは与り知らぬところですが、自分や瑞鷹内ではポピーを本気で「子供向きアニメ」として作っていました。相手がキッズステーションである事もありますが、本気でヒットを狙うのに子供というターゲット層は絶対に外せなかったからです。また子供相手に子供騙しが通用しない事もよく分かっていました(ハイジの会社ですからね)。クレクレタコラカリキュラマシーンなどを参考映像として研究していましたが、カリキュラマシーンはまさに大人が本気で子供向きに番組を作っていました。子供目線で子供にも理解できるように作る事。それができれば逆に大人の心にも届くだろうという事でこれも一つの目標でした。

あと、とにかくまずは目立つ事。嫌われてもいいから見た人の印象に残る事。心に何も引っかからず流されるのが一番不味い、という事でこれも重要事項でした

 

キツかった話

増田さんはずっと実家の熊本でシナリオやコンテを書いていたので家で倒れてた自分を直接起こす事はできません。実際に家まで起こしに来たのは制作ダ天使です。

当時3ヶ月程休み無しで毎日会社に泊まり込みで起きてる間中働いて、一週間に一回風呂と洗濯の為に家に帰る生活をしてたのだけど、ある日家に帰って寝たらあまりに疲れ過ぎて全く目が覚めなかった。それで夜になって制作ダ天使が大家さんに言って鍵を開けてもらい部屋に起こしに来たのだけど…うっすらした明かりの中でふと目が覚めたら頭の上から黒い人影が無言でじーっと見下ろしてて、仰天して飛び起きたっていう。

せめて何か声を掛けて欲しい。あれはめちゃくちゃ怖かった…

ダ天使に連れられて頭も体も動かないまま会社に着いた所で泣き崩れてしまいました。本当にあれが限界だったんだと思います

体中が常にどこか痙攣してたし、全身の皮膚がカチカチに硬くなってたし足もよく痺れてました。怖い。当時は伊藤君が入ってくれてすぐの頃で、今まで通り仕事しながらいろいろ教えなきゃいけない上にまだ戦力にはならないという一番きつい時期でした。伊藤君が慣れてからはカットを半分前後任せられるようになり、それまでより遥かに楽になりました。伊藤君はあれは地獄のようにキツイ時期でもう二度とやりたくないって言ってますけど

当時はようやく放送した番組の反応がインターネットの掲示板などでダイレクトに返ってくるようになった時期でした。

視聴者のコメントは全て目を通していました。また、キッズステーションに直接送られたメールやコメントなども印刷して頂いていました。みんなのコメントは前向きで温かく嬉しい物ばかりでした。本当に有難かった。あれが無ければとても続けていられなかったと思います。視聴者の反応を見て増田さんがお母さんたちの反応を期待してポピーにゴキブリを食わせた話がありましたが、多分あれで一番ダメージを負ったのは自分です

 

音楽やタイトルなどについて

ポピーザぱフォーマーの制作全体の中でプロデューサーである制作魔王や制作ダ天使のセンスや采配による部分はかなり大きかったです。ポピーのサンプルイメージの曲を集めてきたのは制作ダ天使。ポピーのイメージがまだ定まらない時にこれらの曲のイメージは地味に大きく影響しています。Dr.Bombay李博士メテオール(特に「赤い自転車」)、中国娃娃などでした。この辺は完全に制作ダ天使の選曲センスです。夜中に煮詰まって来た時などよくこの辺の曲を大音量でガンガン流してドリンク剤を流し込みながら仕事をしてました

メインテーマの具体的な方針を決めたのは制作魔王で、「耳に残りやすいスカのリズムで、東北訛りの人にスキャットで歌ってもらったら面白そうだ。歌える人に心当たりがあるので当たってみよう」という事で割とストレートに出来上がりました。曲は音楽将軍の手塚さん。作品中の音楽から効果音まで全て手塚さんです。手塚さんはロストユニバーススレイヤーズメダロットなど色々なアニメの音楽をされてる方で、自身も前にCGをやっていたそうで興味を持って引き受けて下さいました。ポピーが音楽に助けられた部分は非常に大きいです。ボーカルは青柳常男さんですね。

ついでにポピーの音楽では多くの人が疑問に思っているであろうロアの曲との類似性ですが、あれはパクリとかそういうのではなく、ガムラン民族音楽)の旋律です。前に音楽将軍に聞いた所、買った音源の著作権フリーの素材の中にガムランがあり、それをアレンジして作ったのがポピーの劇中曲。ロアの曲も同じ素材を使って作ったのではないか、という事でした。

ポピーのタイトルですが、決定には実は自分も噛んでいます。仮題のポピーザクラウンから正式タイトルを付けなきゃいけないという段で、魔王だったかダ天使だったかが出したタイトルが「ポピーのトラウマ大サーカス」で増田さんが「それは無い」と言って候補を沢山送って来ました。自分がその中で「ポピーザぱぁフォーマー」というのから、長いのでパフォーマーにしつつクルクルパーを強調するのにトイザらスのように一字だけひらがなで可愛さキャッチーさを演出、「ポピーザぱフォーマー」としたところそれに決まりました。

タイトルロゴは若子さんが作った物をマキプロできちんと清書してもらいました。この辺すごく普通のアニメっぽいですよね。

 

制作について

2話の製作が終わった頃にOP曲とED曲の完成版が出来、金曜日の夜10時頃に吉田さんから「やっとOPのコンテ出来たよー」と渡され、「収録は月曜日だからそれまでに作ってね。じゃ!」と全員帰ってしまい、土日一人でOPの映像を作りました。月曜日になってもEDの映像をどうするか決まってなかったので任せてもらい、半日でED映像を作りました。あれはカーテンコールのイメージですね。1話2話の劇中音楽が他と違うのは、その時点ではまだ青柳さんの声の入ったメインテーマが出来てなかったからです。

ちなみに各話の編集作業は朝から始めて土壇場の修正作業も並行しつつ夕方には終わります。

出来たらCDに焼いた映像をバイク便で音楽将軍に届けます。音が出来たら何話かまとめて円谷映像の出力参謀にベータカムで出力してもらい、キッズステーションに納品となります。

一話のCGを作るのにかかる日数は9~14日程。一日のカット数のノルマは7カット前後。コンテと音楽と出力以外は自分がやってました。10話から後はここに伊藤君(CG黒子)が加わります。

あと制作ダ天使にレンダリング後の映像に被写界深度やエフェクトをかけたり、小物類のモデリングをかなりやってもらっていました。

一週間に一本新作を放送するのですが、そのペースでは作れないので、1クール13本のうち半分を先に作ってからスタート、2週間に一本のペースで作り、最終話で追い付くというスケジュールでした。幸いな事に全39話一度も落としませんでした。ただ実は一回だけ落ちた事があります。キッズステーションの番組担当者が1クールを12本だと勘違いしたために納品したテープが机の上で忘れられていたそうです。掲示板を見ると楽しみにしていた視聴者の方に「CGは大変だからね。仕方ないね」って言われてて泣きそうになりました。

最初は1クール分の13話で終わる予定でしたが、好評だったのでもう1クール、さらに1クールと2回延長して合計3クールになりました。

あと当時CMやアイキャッチ、カウントダウンの番組などもありました。初期のアイキャッチなどでは他の会社にモデルごと渡して作ってもらったりしていました。かまくらの奴は自分ですね。あとカウントダウンの時には増田さんがステインで忙しくて出来ないと言われたので仕方なく自分が全部作っています。いろいろ酷いと評判のようです。マラソンのみ伊藤君にアニメーションをやってもらいました。あと地球が壊れるカウントダウンも伊藤君ですね。

 

無声で作るという事

無声でやる以上、全ての説明を表情や目線や身振り手振りで表現しなければなりません。これは大変でしたが、動きで表現するというのはアニメーターの本分でもあり、面白くやりがいもありました。

必然的にトムとジェリーみたいな感じになりますが、ついでに自分は日本人流のカートゥーンを新たに作るつもりで作っていました。これは上手くいったのかどうか…フォロワーは無いような気がします。けものフレンズサーバルちゃんが車にはねられたり、後頭部を蹴られて地面を転げ回る所で吹き出しましたが、あれって多分ポピーのオマージュ的なやつですよね。違うかな?

説明を台詞に頼れない分、感情の表現力をあげる必要があったため、表情には非常に注力しました。

このあたりは制作陣との話し合いで出てきた事ですが、「少人数で非力な生産能力で目立つ作品を作る為には全てに力を入れるのではなく取捨選択が重要になる。目立つ部分、重要な部分にパワーを集中して作ろう。」ということで、それは表情であるという結論になりました。実際キャラのポリゴンからしても全身のポリゴン数の約半分が顔面に集中しています。まばたきや視線も大変重要な部分で、その為の簡単なリグを組んでサッケードなど、Dodgeの分類した眼球運動(というものがあると後に知りました。「眼球運動の分類」でWikipediaを探してみて下さい)を意識した動きをさせていました。

これに首の傾きや瞬きのタイミングを合わせることでかなり生きた感じを出せるようになったと思います。

ケダモノはお面なので表情は手描きですが、適当な感じを出すため、ペンタブはあるのにわざとマウスで描いてました。相当な数描いたと思います。ちなみに設定としては無いですが、CGモデルのケダモノはお面を外して正面から見ると間抜けで可愛い顔をしていますよ。見せられないけど。

当時は参考に出来るキャラクターCGアニメーションがまだトイ・ストーリーぐらいしか無かったので全てが手探りで試行錯誤しながら作っていました。台詞が無いおかげで、言葉の違う国や耳の聞こえない人にも楽しめるという話を後で聞き、なるほどそういえばそうかと納得しました。

 

残酷表現について

これは増田さんの作品では避けて通れない所があって、ギャグとしてやってるので外せなかったりするのですが、決して積極的に流血させたりしていた訳ではなく、出来る限り抑えて子供向きに配慮していました。抑えた結果があれです。一応なるべく鼻血ですませたり、額から垂れる程度にしてはいます。体が半分になっても流血しませんしモツも出ません。断面もパンみたいな感じです。制作者側としてはポピーでは残酷さは決して売りや目的ではないんです。ギャグの結果そうなるだけなのです。血はなるべくテクスチャーだけにしてリアルさを抑えるようにしていました。

よくトラウマだとか残酷だとかグロいと言われてますが、面白がって褒め言葉のつもりで表現したのがまともに受け止められて一人歩きしてしまってるような気がします。頑張って抑えてるからそこまででは無いんじゃないかなあ。どうでしょうか。

 

放送禁止について

よく放送禁止と言われてますが、放送禁止ではなく、キッズステーションでの再放送の自粛です。どの話も少なくとも一度は放送されています。キッズステーション以外にもTVKテレビ神奈川)など地上波でも放送されていてこちらは自粛はされていなかったと思います。

11話と27話ですが、一応どちらも理由は刃物を使うからとなっています(厳密に言うとほとんどの話が放送出来ないと思いますが…)。

11話の音楽が独特なのと声が入っているのは手塚さんがついノリ過ぎてサービスし過ぎたせいです。自分もあの回は流血をサービスし過ぎました。まあコンテ通りに作ったんですけど…。27話の自粛はちょっと不本意です。ラストが悪かったんですかねえ…

声と言えばカエルですが、あれはプロの声優さんに頼んでちゃんとスタジオで収録しています。

 

ポピーが動き出すまで

自分はフリーターやりながら趣味で絵を描いたりゲーム作ったり山に登ったりしながらふらふらしていた所、全財産の2000円の入った財布を落としてしまい、戻っては来たもののこのままではまずいと思いゲーム会社に就職。その頃、先輩後輩だった自分と増田さん若子さんはタ方の公園で「いつか一緒に何か作ろう」という話をしていました。これが全ての始まり。桃園の誓いならぬ公園の誓い。この話をする為に忙しい真最中の自分を勤務時間中に連れ出した増田さんは後でめっちゃ怒られてました。そりゃそうだ。

ちなみにこの頃自分はナムコミュージアム5のメインホールやワルキューレの部屋やキャラ、ナムコアンソロジー1のレッスルボールのムービーとかを作ってました。この頃、人間のモデリングのコツをつかみました。CGで人間らしい人間を作れる人はこの頃にはまだ少なくノウハウもなかったので、世間に先んじて何かが出来るような予感がありました。その後それぞれ退社。増田さんは無職のまま結婚します。

その後、増田さんがゲーム会社以前に社員だった瑞鷹で当時ハイジのTVアニメのリブートの話*2があり、それに自分が3DCGやデジタル製作のチーフ、増田さんが演出などで参加する予定で自分が先に入社して1年以上かけてデジタル製作の環境を調査して整えていた所、何だかんだあって話は中止になり、自分は東京で、増田さんは実家の熊本で宙ぶらりんの状況になってしまいました。先に吉田さんも同じくハイジの為に呼ばれていたが社内で宙ぶらりん状態に。非常にまずいと思っていましたが、増田さんは自分の計画をねじ込めるチャンスだと大喜び。自分も会社に「せっかく3DCGを作れる環境と人員を揃えたのだから何か作りましょうよ」と説得をするが具体的な話が無いため動けず。しばらくやる事がなくなります。

ちょうどその頃、瑞鷹でCD関係の特許を申請する事になり、その説明書を自分が漫画で描き提出(なぜ?)その実際のCDのサンプルを作る事になりました。熊本の増田家に単身出張して住み込みでやる事に。プログラマーは自分一人。

増田家ではこの少し前に赤ちゃんが生まれていて物凄く可愛かったです。結局半年ほど熊本にいたけど、この間にポピーとケダモノは生まれました。ある日仕事場に行ったら設定画が出来ていました。

見た瞬間に「これはいける!」と思いました。それまで他人のデザインしたキャラで作品を作るのは気が進まないと思っていたけど、見た瞬間そんなのは吹っ飛びました。それだけの力のあるキャラクターデザインでした。自分も世界観の設定画やその他キャラの絵を描き、出来たのが「未来人ポピー」でした。

実は同時期に先に増田さんはこじきの話をやりたいと言っていてそっちの話も進めていましたがこれは瑞鷹内の受けがあまり良くなく、保留にして後に回す事にしました。これが後のステインです

東京に戻った後、未来人ポピーの準備を進めていましたが、かなり作ったところで実際にアニメーションにさせるには背景が重過ぎる事、世界観が落ち着き過ぎて目立たない事から急遽二人のキャラ以外全部変える事になり、なるべく軽く派手にという事で作ったのがサーカスの広場でした

ポピーは未来人からクラウン(ピエロ)になり、サンプルムービーを作ってみる事になりました。出来たムービーを持って社長が「とりあえず試しにキッズステーションに行ってみるよ」と言って出て行き、数時間後「話決まっちゃったよ」と言って戻ってきました。地獄の始まりでした

キッズステーションの担当の添田さん(制作大王)は物産会社から出向してきた人で本当なら何年か働いて元の会社に帰るはずが、その間に元の会社が倒産して帰る場所がなくなってしまった可哀想な人です

ちょうどオリジナルの番組を欲しがっていた添田さんが軽率にポピーの放送を決めてしまったおかげで全てが動き出した間違いなく恩人です

しばらくすると添田さんは編成局長を経て社長になっていました。しかし元々他所から出向してきた人で一匹狼。社内の派閥争いの中では厳しい立場にありました。キッズステーション制作アニメの流れを作った添田さんの力を削ぐ為に対立する派閥にスケープゴートとして目を付けられたのがポピーでした。おかげで何度も無理難題を押し付けられる羽目に。

ポピーの手を5本指にしてくれというのもそうで、出来なければ放送はさせないと言われ、自分などは本当に頭に来てしまって、「そんな事を言われながらやる事は無い」と言ったのだけど、社長(制作魔王)に添田さんは恩人だし出来る限り何とかしたい」と言われ、それもそうだと考え直し、全員で必死に頭を捻った結果出てきたギリギリの妥協策がアレでした。ウルトラCだと思う。

しかしその後もずっと指に切れ目を入れさせられ、自分としては非常に不本意でした。OPを変更する回があったのも実はこれ絡みで、ポピーの手袋を脱がせてちゃんと5本指な所を見せて欲しいと言われて、やってやんよ、って作ったのがOP回です

確かに厳しい状況や無茶な要求を逆手にとってギャグに昇華して乗り越えた事で面白くなってる部分はありますね。追い詰められてみんなで脳をフル回転させた結果なんだと思いますが若干複雑でもあります。

しかし終わってみれば大変だったけどやりがいのある本当に楽しい仕事でした。今でも忘れられたりせず話題になったりしているのはとても嬉しいです。

 

P.S. 増田さんから参考にと渡された資料は人形劇でもヤン・シュヴァンクマイエルとかストリート・オブ・クロコダイルだったので、もしそっちで作ってたらポピーは芸術的過ぎてヒットはしなかったと思います。でも本人が作りたかったのはそっちだったんだよね。次がステインなのを見ればよく分かるように。まあ何だかんだで上手い事行って良かったです。

 

おまけ…少人数で普通のアニメのような制作方法をした場合に、実作業とは別の所で引っかかるであろう事と、その(半ば無理矢理な)解決方法

ポピーザぱフォーマーで恐らく日本初だったと思われるのは、ほとんど個人制作みたいなやり方でテレビで毎週放送(3クール)したって事ですね。やってみて分かったけどこんなのやろうと思う方がどうかしている。

今後同じような事をやろうという人がいるかどうか分からないけど、少人数で普通のアニメのような制作方法をした場合に、実作業とは別の所で引っかかるであろう事と、その(半ば無理矢理な)解決方法を書いておきます。こういうのは思い出した時に書いておかないと忘れるので。

自分以外の全員がセルアニメ経験者だけど3DCG知らない + 自分だけセルアニメ未経験者で3DCG分かる、という状況でスタート。当然実作業は自分一人、みんなが演出的な部分で「こうした方が良いんじゃない?」と善意から口々に適当な事を言い始める。

上司が5人に下っ端一人という状態。みんなの意見調整に自分が走り回って話をまとめる羽目になる。熊本にいる増田さんにも電話で許可取らなきゃいけない。自分のアイデアが採用されて無いと「何で俺の言ったようにしないの?」と怒り始める。なんでみんなで意見統一してから言わないのか。意見調整ばっかりやってて定時で全員いなくなるまで実作業が出来ない。なんでみんな自分を通してお互いの文句を言うのか。いい加減にしろ死ね! となった所で、社長(制作魔王)に「こんなんじゃ作業全然無理です」と相談した所、「現場判断」と言う名の独裁権をもらい、それでようやくまともに作業が出来るようになりました。基本「面白ければOK」ということでアドリブを突っ込めるようにもなりました。一日7、8cutぐらい作らないと間に合わないのに余計な事で手を止めてる余裕は無かった訳で。

まあみんなも3DCGで作品作るなんて初めてだから全員よく分かってなかったんですよね。後から思えばそういう意見調整は進行の仕事だし実作業者が進行を兼ねるのは初めから無理な話でした。もしこの辺をちゃんとやりたいなら進行を別に置くべきですね。

常に予期しない様々な問題が発生するのが現場なので、もし一々上に御意見伺いしてるとその度に手が止まるので、指揮系統を単純にしておく事は重要だと思います。自分の場合すぐ横に吉田さんの机があったので何かあったら即相談できるし場合によっては自分の判断でどうにか出来たので何とかなりました。これは少人数と言えど何人かの共同作業である事の良い所でもあり、こりゃ無理分からんとなった時に人に意見を聞けるのは助かるし時間短縮にもなるので、これは非常に大事な事だと思いますね。

相談と言えば増田さんはよく話に詰まって僕に電話して来てましたね。「ここからどう展開すればいいのか分からん」とか「オチが思い付かない!」とか。電話してくるたびこっちの手が止まるのでしまいに制作ダ天使に「ちょっと控えろ」と怒られてました。

僕がオチやそこまでの筋を考えた話は結構あります。パントマイムとかガンマンとか侍とか。「IN THE MIND」の時はひどかった。ループに入る所までのコンテ送って来て「ここまでしか思いつかなかった」と。苦し紛れにスタンプ制とあのオチにしたけど、あれ思い付かなかったらやばかった。

まあ「ここまで」の所がまず常人には思い付かないのですが…。たくさん話を作っていれば調子良い時悪い時あるのは普通なので人に助けを求めるのは良い事だと思います。そう出来る環境と人間関係も大事だと思います。

「人間謙虚に最後は人柄デース」

ついでにステインの制作上の1話であり、全体の方向性を決めた0話である極楽鳥の夢を見るオチも相談されて僕が考えましたね。ただあれは誰が考えてもあのオチ以外は有り得ない気がしますし、あれがベストだと思います。死者は生者の夢に乗って故郷に帰る。生者は死者の夢に乗って死者を知る。死者は生者に取り込まれる事で命を与えて共に生きる。3つの出来事が同時に起きるシンプルで力強いオチです。

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(本記事は村井昌平様の快諾・監修済です。ご協力ありがとうございました!! )

「今までに無い物を作るんだっていう気概や、何だかもう滅茶苦茶だし、めっちゃしんどいけどめっちゃ楽しい雰囲気が伝わればいいなと思います」(談)

*1:瑞鷹のCGデザイナー。本作のCGは彼1人(途中から2人)が社内で全部作っていた。

*2:頓挫したリメイク版アニメはCGアニメでなく手描きのデジタルアニメが予定されており、背景などで一部3DCGを用いることが検討されていたという。この企画が後の『低燃費少女ハイジ』と絡んだのかは不明だが、ハイジのアニメが採用されている「家庭教師のトライ」のCMのネタ出しには制作魔王(社長)や制作ダ天使(役員)もばっちり噛んでるらしいので、ある意味ポピーの遺伝子を受け継いでるといえる。

「(ハイジのCM企画は)自分が瑞鷹を出た後なのでそれほど良くは知らないです。ただハイジをCMに使いたいというオファーはずっと前から沢山来ていたものの、低燃費少女ハイジほど大々的に使ったのはあれが恐らく初めてですね。ハイジは瑞鷹の最重要コンテンツなのでイメージを崩すCMは勇気が要ったと思います」(談)