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イメージの治癒力──「諦観」と「リズム」でハイな毎日を(青山正明絶筆遺稿)

イメージの治癒力──「諦観」と「リズム」でハイな毎日を

青山正明

現在では、アジアの一部地域、南米や南太平洋の島々、東欧圏等にわずかに存在するにすぎないシャーマン。彼女たちが(シャーマンのほとんどは女性)、独自の方法で多くの人々の心身の病を治したという事例は、文化人類学マイケル・ハーナーをはじめ、医学を含む様々な学際的研究者たちの調査によって、数え切れないほど報告されている。

が、薬草使用にせよ、身体接触にせよ、シャーマンが患者に対して行う施術のほとんどは、今日の医学的知識や技術から見れば、“治療”ではなく“儀式”であって、そんな単なる“おまじないごと”で病気が治ってしまうというのは、説明不可能というか、あり得ないことなのだ。

しかし、事実は事実、シャーマンは先進諸国の医者たちとほぼ同じレベルの治療実績を上げている。ただし、これこそが重要なポイントなのだが、シャーマンがその治癒能力を発揮できる対象(患者)は、そのシャーマンのパワーを心の底から信じている閉ざされた共同体の住民に限定されるということ。これが何を意味するのかというと、神への信仰にも似た、シャーマンに対する絶対的信頼感があってはじめて、治療は成立するのである。

不安、失望、無気力、不信感といったペシミスティックな心が病気を引き起こし、希望、信頼感、絶対に治るといったオプティミスティックな心は病気を退け、癒す。

こういった「心の在り方」と「病気」との深い関係は、西洋社会でも長らく医療の常識・基盤になっていた。15世紀から16世紀に活躍し“医科学の祖”と呼ばれ、酸化鉄、銅といった金属化合物を初めて医薬品として使用したスイスのパラケルススでさえ、一貫して「治療における患者の想像力」の重要性を力説してたのだ。

ところが、17世紀になって“近代哲学の祖”であるデカルトが二元論を提唱したのを機に、「心」と「肉体」とは全くの別物として考えられるようになり、「心=イメージ」は医学の中核の地位を失ってしまう。そして、医者は「心の在り方」を無視して、まるで機械でも取り扱うように患者の「肉体/症状」のみに治療の重きを置くようになった。しかし、今世紀の半ば頃から、分子生物学オステオパシー(骨療法)、精神神経免疫学等々の研究者たちによって、このような二元的アプローチでは病気は治らないことが明らかになり、治療における「イメージ」の重要性が再び見直されるようになりはじめた。

例を挙げていくと切りがないので、ひとつ「プラシーボ効果」なるものを取り上げて説明してみるとしよう。プラシーボとは、「自分を喜ばせる」というラテン語に由来し、現在では、その症状に対して全く利き目のない乳糖等を含む「ニセ薬」を指して言う。ジェローム・フランクの調査によれば、プラシーボは、あらゆる薬物療法、外科的治療の治癒率とほぼ変わらぬ30%から70%の治療実績を上げるものと報告している。また、映画『ジュラシック・パーク』や、TVシリーズ『ER』の原作者として知られるマイケル・クライトンハーバード大学医学部在籍中に、心臓病患者の80%は悲観的心理状態が原因で、楽観的心的状態を引き起こすことによって治ることを発見し、その医療功績を認められている。

と、長々と「心=イメージ」が「肉体/疾病」に及ぼす影響を記してきたが、肯定的なイメージが、肉体にとどまらず、心の状態にも大きく作用することも、ここ最近になって立証、見直されるようになってきた。

“多幸感”や“快感”で心を満たす、ハイな気分で一生を送る方法は色々ある。趣味や娯楽活動、スポーツに打ち込む、知恵を絞って大金を手にする、努力の甲斐あって意中の人と恋愛関係が成立する、等々。しかしながら、努力やら能力やら勤勉やらが報われにくくなっている今の世襲制階級社会において、こうした回りくどい方法を取っても、それが成就する確率は非常に低い。が、だからといって、合法・非合法を問わず、向精神作用を有する物質を摂取してハイになるというのも、有効な手段でないばかりか、最終的には不安、鬱、混乱といった由々しき精神状態をもたらしてしまう。

なぜかと言うと、いわゆるドラッグを鍵に例えるなら、人間の脳内には、その鍵とピッタリ一致する鍵穴(レセプター)が存在する。鍵が鍵穴にはめ込まれて、人ははじめてハイを体験するのであるが、こうした行為を続けていくと、レセプターは次第に消耗/減少していき、いくらドラッグの量をふやそうがトベなくなるばかりか、レセプターの消耗/減少によって、前述したような精神状態の悪化をもたらしてしまう。

と、ここで特筆すべきは、ドラッグ(鍵)とピッタリ一致するレセプター(鍵穴)脳内に存在するという事実だ。つまり、このことは元来、人の脳や免疫系が、ドラッグと同じ物質(神経ペプチド/化学伝達物質)を自ら生み出していることを意味するのだ。しかも、こうした内因性ドラッグは、レセプターを破壊することもほとんどなく、トビはドラッグと同じにして、なおかつ安全という嬉しい性質を持っている。

では、内因性ドラッグを分泌させ、脳内や免疫系、全身のあらゆる細胞に働きかけ「ハイ」になるにはどうすればいいのだろう。

それは、今まで長々と記してきた「心=イメージ」と「肉体/疾病」の関係と同じく、常にオプティミスティックなイメージを思い描くようにすること、と言いたいところだが、しかし、そこには落とし穴がある。前論を全面否定してしまうようで何だが、希望、願望、信頼感といった楽観的なイメージは、換言すれば“欲望”であり、それが上手く達成されなかったときには、功を奏しないばかりか、かえって悪い精神状態を引き起こしてしまう。そこで、大切なのが、仏教に由来する概念、“諦観”という心の持ち方である。諦観とは、「あきらめる」という意味と共に、「悟る」という意味を持つ。

挫折・絶望と表裏一体である欲望を捨て去り、信じる者は救われる的なオプティミスティックな「イメージ」にも固執することなく、諦観の心──「あるがままを受け入れる」「足ることを知る」といった「イメージ」を常に持つようにして生きる。

そうすれば、必要に応じて「なすべきこと」が頭に思い浮かぶようになるし、また「ハイの状態」もその人の現在の精神状態や置かれた境遇に応じて、自然ともたらされるようになる。

この「オプティミスティックなイメージ」に代わり「諦観のイメージ」を持つことと、もうひとつ大切な概念というか思想に──「リズム」があるのだが、紙数にも限りがあるし、読者の皆さんに欲求不満を与えるようで申し訳ないのだが、ここでは、その一端をちょっと紹介するにとどめておこう。

映画『レナードの朝』の原作者として知られ、昨年『色のない島へ』が邦訳刊行された、アメリカの脳外科医オリヴァー・サックス。彼は日常生活もロクにできない精神薄弱児を対象に、こんな実験をした。

精神薄弱児にコーヒーをスプーンですくって、カップに入れ、そこにお湯を注いで、かき回すといった行為をさせた。その際、1、2、3、4等のリズム(掛け声なり手拍子なり)に合わせて行わせたところ、それまで自力でできなかった、こうした行動ができるようになったというのだ。これは生活全般にも言えることで、毎日決まりきった生活パターン(時間や内容)を心掛けるようにすると、これまた「ハイ」がもたらされる。日常生活にうんざり、刺激を求めて「リズム」を崩すと、却ってロクなことはないのである。テクノも「リズム」重視だしネ。

簡単な紹介になってしまったが、「イメージ=諦観」と「リズム」、このふたつのキーワードに着目することが、「幸福な人生」を送る鍵となり、また「安全かつ良質なハイ」をもたらすうえで重要であることを、各自、心に深く刻み込んでいただきたい。

さらなる、研究成果については、またいつか系統的な書物としてまとめられるよう、40歳にして、学習の毎日を送る青山でありましたぁ。

青山正明 

1960年横須賀生まれ。『危ない1号』編集長、『危ない薬』『アダルトグッズ完全使用マニアル』(いずれもデータハウス)『表も裏もまるかじりタイ極楽ガイド』(宝島社)著者。

カルトムービーやテクノから異端思想、精神世界、そしてロリコン、ドラッグ、変態までディープシーンを広く論ずる鬼畜系文筆家の草分け的存在。

慶応大学在学中に幻の鬼畜カルトミニコミ誌『突然変異』を編集。ロリータや障害者、皇室まで幅広く扱う同誌は熱狂的な支持者を獲得したが、1982年朝日新聞を中心に、椎名誠等々の文化人に「日本を駄目にした元凶」「こんな雑誌けしからん、世の中から追放しろ!」とマスメディアから袋叩きに遭い、ついにどこの書店も置いてくれなくなり、あえなく廃刊。

その後、白夜書房入魂の伝説的ロリコン総合誌『ヘイ!バディー』や三和出版の『サバド』、特殊海外旅行誌『エキセントリック』などの創刊と廃刊に立ち会う。

1995年『危ない1号』を創刊、その年『大麻取締法』により逮捕される。

1996年1月10日、新宿ロフトプラスワンで行われたトークイベント“鬼畜ナイト”は保釈出所したばかりの青山氏を励ます会と言うことで、日本中から鬼畜系あやしげな人たちが30人以上パネラーとして駆けつけた、たとえば村崎百郎や柳下毅一朗、根本敬石丸元章諸氏等が実に「危ないトークショー」を開催。

この伝説の一夜は満員の怪しげな観客とともに次の日の朝6時まで繰り広げられた。その日の一日のトークの内容がデーターハウスより『鬼畜ナイト』として出版され7万部を記録する。

1999年夏、青山氏のライフワークであった過去数十年の貴重な原稿を厳選しまとめ上げた『危ない1号・第4巻』にて完結、廃刊になる。

「やりたかった事はやり尽くした!」との結論があって、天才編集者青山氏は裏社会から表社会に、影から光りに転向を決意。「神なき時代の神=思想」の創造をもくろみつつ、精神神経免疫学、分子栄養学、禅等々を学ぶ。

この遺稿は『BURST』2000年9月号に掲載された。

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解説──天災編集者・青山正明の世界

ばるぼら

青山による書き下ろしの論考『イメージの治癒力──「諦観」と「リズム」でハイな毎日を』は、精神世界への傾倒をにおわせる、いつになく難解な文章だった。

シャーマンの治療とプラシーボ効果デカルトによって切り離された心と体などの話題から始まり、人はもともとドラッグを受け入れる鍵穴(レセプター)を持っている、人間が分泌する内因性ドラッグでハイになるには「諦念」と「リズム」が重要である、「イメージ=諦観」はあきらめと悟りである、毎日同じ生活を繰り返す「リズム」によって人はハイになる……など、青山が模索していた次のステージの片鱗として興味深い内容ではあるのだが、『危ない1号』で見られたハッピーな文体とは違っていた。

この論考と、インタビューで語っていた「今は次の段階に行く充電期間……これからは“癒し”の時代だと思ってるんですけどね。まだ勉強不足と言うところがあって、近い将来そういう本を作れればいいな〜って……」という発言だけでは推測が難しいが、ドラッグと同じだけの幸福感を得られる合法な手段は、もはや精神の安定と充実にしか活路が見い出せなかったのかもしれない。この前後にビデオ紹介コラムなどを書いていたとの情報もあるが、名前を出したオフィシャルな原稿は、結果的にこれが最後のものとなる。

『Crash』1996年3月号掲載の『フレッシュ・ペーパー』最終回では、青山がこれまでの連載を振りかって分析し、ドラッグは最初から書き続けているが、その他の傾向として「ギャグ/グロテスクもの」「ホラー映画」「心理学/思想ネタ」の3つのテーマをあげている。しかしこれら「エロ/グロ/ナンセンス」については「もう飽きた」とのことらしく、今後はプロデュース&編集をメインに活動を続けるという宣言がある。

僕自身は、ドラッグ体験のさらに次のレベル「イメージ&リズム」を基調とした「死ぬまでハイでいられる思想(気づき)」の創造を評論なりエッセイなり小説なりで追及・展開していく心づもりです。

既成の宗教や思想、心理学、それから大脳分子生化学に遺伝子研究と、学際的な探求が要求されるのでかなり時間はかかると思いますが、「エクスタシー思想」の考案こそが僕に課せられた使命だと思ってますんで(俺って、もしかして狂ってる?)、まあ、気長に、そして大いに期待して下さい。 

 青山が追求してきたのはまさに「暇つぶし」であり、その重要なファクターが「快楽」だった。暇つぶしのためにドラッグをやり、テイストレスなジョークネタを探し、ホラー映画を観て、テクノにハマる。しかし逮捕をきっかけに大きな割合を占めていたドラッグについて大っぴらに語れなくなったゆえに、別の快楽を探すことになった青山は、その行く末を人間の精神性と身体性(イメージ&リズム)に定める。

しかしその快楽を分かりやすく伝える言葉を見つけないまま、逝ってしまった。もしかしたらこれらではドラッグを超える快楽は得られないと気付いてしまったのかもしれない、とも考えられるが、答えは永遠にわからない。

2001年6月17日、青山正明は神奈川県の自宅で首を吊って、自殺した。

 

参考文献

『BURST』2000年9月号(コアマガジン

帰って来た?天才編集者 青山正明インタビュー

ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第22回 - WEBスナイパー

ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第55回 青山正明と「Flesh Paper」/『Crash』編(11) - WEBスナイパー