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「おたく文化」の祖、体験ギャグで復活 漫画「失踪日記」の吾妻ひでおさん

読売新聞 2005年3月30日付 東京夕刊

「おたく文化」の祖、体験ギャグで復活 漫画「失踪日記」の吾妻ひでおさん

ギャグ漫画家・吾妻ひでおさん(55)が自らの失踪(しっそう)、ホームレス体験を赤裸々に描いた『失踪日記』(イースト・プレス)が話題だ。おたく文化の祖とも言われ、1970~80年代にカリスマ的人気を誇った作家の新たな代表作となるか。吾妻さんを直撃した。(石田汗太記者)

吾妻ひでおはついに『不条理日記』を超えた!」

70年代からのファンとして、まずはこう叫びたい。それまでもかわいい女の子の描き手として既に定評があったが、78年、「別冊奇想天外」に発表された「不条理日記」は、作者のSFマニアぶりとシュールなギャグが絶妙に融合し、漫画史というより「おたく」史上の記念碑的作品となった。が、この作品を境に吾妻さんの作風はどんどん実験性を強め、自らを追い詰める結果にもなる。

89年と92年の2回、吾妻さんは仕事も家庭も捨てて失踪する。そのてんまつと、アルコール病棟での強制入院生活を描いた本書は、あきれるほど深刻な実体験を、あくまでカラッとした吾妻ギャグで描き、往年のファンだけでなく新たな読者も獲得している。現在6万部。

1回目の失踪ではホームレスとして冬を越し、凍死しかけたことも。てんぷら油をそのまま飲んだり、生ゴミを廃物利用のコンロで「調理」したり、奇想天外のサバイバル生活を送った。

「腐った魚の目玉食って食中毒になりかけたこともある。でも、意外と平気だった」とさらりと言う。

それでも、「カッターやシャーペンなど、マンガを描く七つ道具だけはいつも持っていた」というのが泣かせる。ガス会社の下請け配管工になった2回目の失踪時には、会社の社内報に本名(※ガテンネームの東英夫)で4コマ漫画を描き、それでも周囲が気づかなかったというエピソードさえある。

「文章も下手、しゃべりも苦手。やはり僕の唯一の自己表現は漫画。漫画だけが僕を理解してもらえる手段なんだと気づきましたね」

最初の失踪は、マニアックなファンとの摩擦が原因だった。

不条理日記』以上の作品が描けなかったから。僕のようなナンセンス志向の作家は、自己模倣のマンネリ化が避けられない。ペーソスの方向に逃げられれば楽だったけれど、自分のギャグを捨てたくなかった

つげ義春の『無能の人』や花輪和一の『刑務所の中』にも比肩する本書だが、吾妻さん自身は「いつも通り描いただけで、何の気負いもなかった」という。「ギャグ漫画家は自分を笑い物にするのが基本だから、自己憐憫(れんびん)とは無縁なんです

一時は完全なアルコール依存症に陥ったが、今年で断酒5年目。精神状態はかなり落ち着いたという。「家で待っていてくれた妻のおかげです。でも、昨年は月産4ページでほとんど収入ゼロ。今のおたく文化はよくわからないけれど、コミックマーケットで同人誌売って、生活の足しにしています」

 

◆本当の「私小説

評論家の大塚英志さんは「美少女キャラクターも不条理も『萌(も)え』も、みんな吾妻さんが原点。こういう先人に対して、僕らは黙って頭を垂れるしかない。この本は真の意味で『私小説』だと思うし、ギャグ漫画家として、まだ十分に現役であることを証明している」と語る。

現在書店で入手可能な吾妻作品は、『ななこSOS』『オリンポスのポロン』(ハヤカワコミック文庫)、『やけくそ天使』(秋田文庫)、『吾妻ひでお童話集』(ちくま文庫)など多くはない。本書を機に、この“全身ギャグ漫画家”に再び光が当たることを期待したい。

    

写真=「続編の予定もあります」と吾妻さん

◇イラストは描きおろし(掲載紙の画像は再録せず)