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鼎談/高杉弾・末井昭・南伸坊「素人はバクハツだ!!」

鼎談/高杉弾末井昭南伸坊「素人はバクハツだ!!」

全てはエロ雑誌から始まった!!

画期的な雑誌りで次々と話題をふりまく末井氏

アングラ誌の草分け的存在の高杉氏

そして70年代『ガロ』編集長をつとめた南氏の三快人がくりひろげる大爆笑鼎談!!



いきなり編集長?

──まず、お二人が手掛けた雑誌は当時とても話題になり、その後、いろいろな方面に影響を与えていましたが、あの頃のはどんな状況の中で雑誌を作られていたのでしょうか。

 

末井:それは自動販売機を抜きには語れないんじゃないですかね。自販機本なんかはよくお手本にしてましたよ。

 

高杉:末井さんの『ウイークエンドスーパー』は取り次ぎ本だったけれど、僕がやっていた『Jam』や『HEAVEN』は自販機で売っていましたし。

 

末井:自販機がなきゃ高杉さんみたいな悪どい商売はできませんでしたよ(笑)。だってへんな記事をエロ本に入れていたでしょ。これ書店だったら売れませんよ。

 

高杉:分からないで買った人は自販機を蹴っ飛ばしてた(笑)。

 

──高杉さんはどういう切っ掛けて編集を始めたんですか。

 

高杉:知り合いに八木眞一郎っていうやつがいてね、彼がへんなパロディ雑誌をやっていたのでそれを手伝ったのが最初なんですよ。でもすぐに潰れちゃって、学校もやめちゃったししょうがないからブラブラしていたら、ある日ゴミ捨て場に捨ててあったエロ本を、全部拾って持ち帰って、見てたらその中に普通のエロ本とは違う、ちょっとヘンな雑誌に目が止まってね。ヒマだったもんでその編集部に遊びに行ったんですよ。そこがエルシー企画という所だったんです。

 

──『Jam』の発売元ですよね。

高杉:そうですね。それで『悦楽超特急』という雑誌の編集の人(=佐山哲郎:引用者注)に「じゃ、とりあえず8頁だけやってみない?」って言われてやったのが「Xランド」なんですよ。でも編集のこととかまったくわからないから、切り抜き写真なんて、ホントにハサミで切り抜いてましたね(笑)。でもその企画がウケて、「じゃ、一冊丸ごとやってみないか」ということで作ったのが、『Xマガジン』だったんです。まったくの素人だったんですけどね(笑)。

 

──『Jam』の前身となったものですね。

 

高杉:ええ、それからすぐに『Jam』になったんですよ。南(雑誌を見ながら)この“原爆オナニー大会”っていいね(笑)。結構編集してんじゃない、ちゃんと(笑)。

 

末井:山口百恵のゴミ大公開は? あれ凄かったですよね。

 

高杉:『Jam』の創刊号ですよ。

 

末井:でもこれ、エグイね。使用済みナプキン(笑)、これやらせっていうのはないんですか(大爆笑)。

 

南:キャプションがいいよね。“高一のときの生物のテストの67点”だって(笑)この“ストッキングの包み紙・妹のだろう”って決めつけてるのは?(笑)。

 

高杉:この時は二回行って拾ってきたんですが、一応車のなかで本当に百恵ちゃんの家のゴミか確かめるんだけれど、もうすっごいクサイんですよ(笑)。

 

南:あとこの奇怪なファンレター、っていうのもいいね。ちゃんと活字に起こしている……。完全にイッちゃってるねこの文章。この企画はもう犯罪だね。傑作だよこれは(笑)。

 

末井:この企画は山口百恵だけ?

 

高杉:いえ、『Xマガジン』でかたせ梨乃をやってます。そっちはほとんど話題にならなかったけど(笑)。

 

末井:どうして一回目がかたせ梨乃だったんですか?

 

高杉:それが、かたせ梨乃の住所しか知らなかったの(大爆笑)。ただそれだけ。

 

末井:でもこれ単行本にしたら売れますよ(笑)有名人五十人くらいやってね。

 

高杉:百恵ちゃんをやった時は週刊誌なんかが取材に来ましたね。でも相手は一応取材だから丁寧な口調なんだけれど、もう完全に非難している(笑)。「そんなことしてて良心が痛みませんか」なんていうんですよ(笑)。

 

──『Jam』はどのくらい売れていたんですか?

 

高杉:1万くらいかなあ。自販機本だから表紙が勝負なんですね。表紙しか見られないから。だからヒドイ時には業者の人が表紙をめくっちゃってエロッぽいグラビアを表にして入れてたりしてたんですよ。凄いことするなって思った(笑)

 

末井:表紙が二つあるのもあったね。一枚目はおとなし目で書店用、捲るとまた凄い表紙があってそれが自販機用(笑)。

 

──あの頃はそういう面白い悪知恵ってたくさんありましたよね。

 

末井:うちの社長は凄いですよ。「本を切る」って言うの。

 

──えっ? 切るっていうと…。

 

末井:僕がデザインをしてたんですけれど「末井さんね、本を半分に切るから、そういうふうにレイアウトしてくれ」っていうわけ(笑)。A4の雑誌を半分に切ればA5が2冊できる、だから計3冊できるわけですよ(大爆笑)。

 

南:自由な発想だよなァ(笑)。

 

末井:結局ね、高杉さんも僕もいきなり編集長なわけですよ。「やれ」って言われてね。だから好き勝手と言ってもみんなそれなりに試行錯誤している。で、それがメチャクチャになって行くんですよね。だから編集を十年もやっている人が始めると、こういうふうにはならないんですよ。

 

南:そう、プロは自分勝手しちゃいけないって思っちゃうからね。

 

──じゃ、入っていきなり編集長になってしまうんですね。

 

末井:いきなりも何も一人しかいないですから(大爆笑)。あとね、あの頃はエロ本が作りやすかった、っていうのもあってね。ヌードが入っていればそこそこ売れていたからあとは何をやってもよかったんですよ

 

南:長井さんが終戦直後やってたカストリ雑誌みたいなもんだね(笑)。

 

ガロの作家は安かった!

──お二人の雑誌にはガロ系の作家の方々も随分執筆していましたが……。

 

末井:ガロの作家は安いから(笑)。まあ、ガロが好きだったということもあるんですよね。僕、ガロに投書して載ったことあるんですよ(笑)。

 

高杉:僕も投稿してましたよ。定期購読もしてた(笑)。単行本が出ると直接買いにいったしね。長井さんが風呂敷に包んでくれるのが嬉しくってさ(笑)。

 

末井:僕は恐れ多くて買いには行かなかったけれど、昔のガロも持ってますよ。高く売れるかな(笑)。

 

高杉:ガロには絵がいい人が一杯いたよね。でもストーリーはよく分からないような感じがしたけれど(笑)。

 

末井:でもその分からないのが良かったね。僕はつげ義春さんや林静一さんが好きだったんですけれど、林さんなんか話は分からなくても凄く懐かしいような、情緒があるんですよ。

 

高杉:南さんが編集してたころはなんかモダンな感じでしたよね。

 

末井:糸井さんなんかも入ってきたし。

 

高杉:湯村さんのインパクトは凄かったですねえ。僕は湯村さんが大好きで『HEAVEN』で4色の漫画をやった時まず湯村さんのところに行ったんですよ。最初『ねじ式』をカラーてやりたい、っていうのがあったんだけれど、湯村さんに相談したら湯村さんはエビスさんの大ファンだったもんで「じゃ、まずエピスさんから行きましょう」ってなったんだ。

 

──それが『忘れられた人々』ですね。

 

高杉:そうですね。エビスさんは、『Jam』のころから描いてもらってましたね。池袋で初めて会ったんですけれど。「最近ガロで描いてないようですが、8頁描いてもらえませんか、ギャラはちゃんと払いますから」って言ったら「ホントですか、どういう雑誌ですか」ってなかなか信用してくれない(笑)。物凄いチンピラが来たと思われたみたいで

 

南:そのころ全然ガロに描いてなかった時だしね。ガロに描いてもタダだし、だめだと思ったんじゃない。で、ナベゾ渡辺和博氏)に接触したのは?

 

高杉:渡辺さんには『Jam』の最初の頃から漫画を描いてもらったんですよ。

 

南:その頃まだナベゾ青林堂にいてさ、例によってオレの脇腹をつついて「昨日物凄いヘンな奴に会った」って報告するんだよ(笑)。多分八木さんのことだと思うんだけれど、「革靴、素足にはいてんだけど、そのヒモ靴のヒモがない」ってオレにいいつける(笑)。

ガロの作家は安い、って言えばさ、末井さんが『ニューセルフ』の編集長やってた時に、嵐山(光三郎)さんに原稿を頼んでね、その頃、嵐山さんは(安西)水丸さんと組んでやってたんだけれど、「水丸は高いぞ、だから伸坊にしろ」って言って(大爆笑)。

 

末井:もっと詳しくいうとね「水丸さんにお願いしたいんですけど」って言うと「もっと安いヤツがいるぞ」っていうの。その安いヤツが南さんだった(笑)。

 

──じゃ、ガロ系では南さんが初めて登場したんですか。

 

南:そんなことはないと思うよ。末井さんが面白いと思った人はどんどん登場してたから。

 

末井:僕ガロのファンでしたからね。だから荒木経惟さんもガロでやってましたから、電話番号は南さんに聞いたんです。

 

南:荒木さんは最初ゼロックスで自分の作品をいろんな有名人に送っていて、赤瀬川さんのところにも来たんですよ。それで美学校の授業の時にそれを赤瀬川さんが見せてくれたのね。それでずっと覚えていてね、それで最初は文章をお願いした。花輪さんのこと。それから漫画家じゃない人に漫画のようなことをやってもらう、っていう企画を立てた時に荒木さんに写真漫画を頼んだんですよ。

 

高杉:末井さんの雑誌に荒木さんが登場したのはいつ頃だったんですか?

 

末井:雑誌は『ニューセルフ』の時でしたね。写真エッセイで『地球がタバコを吸っている』っていうのね。火葬場の煙突の写真なんですよ、ただの(笑)。煙りが出ていて遠目で撮っているから確かにそう見えるんですよ。で「ウマイな」なんて思ったりしてね(笑)。だから最初はヌードじゃなかったんですよ。でも荒木さんが連載したのはガロが最初だったんじゃないですか。

 

南:カメラ雑誌ではもちろんやっていたんだろうけれど、普通の雑誌での連載ってのはなかったかもしれない。

 

豪快な作家たち。

高杉:でも白夜書房の雑誌に登場してた人って凄い人が多かったですよね。絶対値が高いっていうか濃い人が一杯いましたね。まず末井さんからしてそうなんだもの(笑)。

 

──高平哲郎さんや、田中小実昌さん、上杉清文さん、巻上公一さん、名前を上げたらキリがないくらいですよね。

 

南:平岡さんは『ニューセルフ』では嵐山さんより早かったね。

 

末井:最初平岡さんの所に行ったら「どういう雑誌?」って聞くんで「オナニー雑誌ですよ」って言ったら「うん、わかった。じゃっオナニー論を書こう」って言った(大爆笑)。

 

南:上杉さんはいつだったっけ?

 

末井:上杉さんは『ニューセルフ』のとき奥成達さんに紹介してもらったんですよ。会ったのは読売ホールでやった「冷やし中華大会」の時だったですけど。僕は第1回目の主催者だったんだけれど、机を片付けていたら、黙ってこう机の端を持ってくれる人がいて、それが上杉さんだったの(大爆笑)。

 

南:スゴク上杉さんの感じ出てるね。ホントのことだから(笑)。オレさ、ずっと前に上杉さんと新宿歩いていたら、糸井さんと会ってね。で、二人は初対面だったから紹介すると、糸井さんはまあ普通の大人の挨拶してんだけど、上杉さん、「あっ」とかいって完全に横向いちゃって横にお辞儀してんだよ(笑)。

 

末井:最初に会った時って自閉症みたいな人になってるよね、上杉さんは(笑)。

 

──『ウイークエンドスーパー』は演劇関係の人達もよく出ていましたよね。

 

末井:あれね、ヌードモデルによく劇団の人を使っていたんですよ。だからじゃないかな。

 

──劇団の人をですか?

 

末井:そう、あの人達は安いからね(笑)あのころモデルは3万が相場だったけれどうちは1万しか出せなかったから。それで劇団に行って「芸術やりませんか」って言って探すんですよ(笑)。コストパフォーマンスっていうのね。安く作るのウマイですよ、僕は(笑)。

 

南:劇団て言えばさ、前に幻の名作って言われてる『恐怖奇形人間』ってものすごく期待して観たんだけれど、全然セコイの(笑)。それよりもその映画に出ていた一平(山田一平/ビショップ山田)さんの話のほうがずっと面白いよね。一平さんが書いた『ダンサー』っていう本に載ってるんだけどさ。末井一平さん、内臓人間の役をあてがわれたんだけれど、どうしたらいいのか、って困って大森の屠殺所に行ったんだって(大爆笑)。それでとりあえず内臓を買って桶にいれてそれを背負って電車で運んだんだよね(大爆笑)。

 

南:やること極端。絶対にその話のほうが面白い(笑)。

 

末井:でね、それを体に巻き付けて土方さんに見せたら「内臓人間はやめよう」て言われたらしいよ(大爆笑)。

 

高杉:すっげぇー!(笑)

 

──それから(故)鈴木いずみさんも凄い人でしたね。ホントにアングラっていう言葉が一番よく似合っていた人でしたよね。

 

末井:そうそう。高杉さんはいずみさんと結構付き合っていたんだよね。

 

高杉:期間はそんなに長くはなかったですけどね。

 

南:末井さんもよくいずみさんの電話に付き合ってあげてたよね。ものすごい長話聞いてあげてるの。やさしいんだよ、末井さんは。なかなかできないよ。

 

高杉:とにかく元気のある人でさ、夜中に電話があって「今から新宿に来い、来ないと原稿を渡さない」っていうからタクシーで行くと、原稿なんか出来てないの(笑)。

 

末井:なんかさ、そういうことしている自分がいとおしくない?(笑)。

 

高杉:ハハハッ。でさ、カラオケバーを何軒も引きずり回されるの。それでGSの歌を歌わないと怒る(笑)。「知ってるはずだ」って。

 

南:いずみさんが亡くなったのをしばらく知らないでいてね。それで、オレんとこで宴会やって盛り上がってたら、末井さんに電話入って、「いずみさんが死んだって。自殺、首吊り」っていったんだよ。あのタンタンとしてるのがまた、末井さんなんだよなァ。「子供の前でストッキングで首吊ったって」って。さすが「お母さんはバクハツだ」だよな(笑)

 

末井:でも前から「死ぬ」って言ってたんだよ。だからあまり驚かなかった。やることもないし書くこともない、ってよく言ってたもの。

 

南:思い詰めていくとそうなっちゃうんだろうね。書くことなんかなくたって別にいいのにね。

 

高杉:そうですよね。でも「いつ死んでもおかしくない」って感じはありましたよね。

 

──鈴木いずみさんは最初は何をしていた方なんですか?

 

末井:文学はもともとやってたんですよ。それからピンク女優や写真のモデルもやってたし。作家としては五木寛之さんが押してたよね。まあ、とにかく凄い人でしたよ。

 

いい加減も必要ですね。

──「写真時代」は最盛期にはどのくらい売れていたんですか?

 

末井:25万まで行きましたね。

 

高杉:ええっ、それは凄い!

 

南:『写楽』の方が先だったよね。

 

末井:そう、だってあれを真似して作ったんだもの(大爆笑)。判型も同じですよ(笑)。平とじでね。

 

高杉:これだけ堂々という人も珍しいね。

 

──ロゴは?

 

末井:ロゴも……まっ、『写楽』を『写真時代』にしただけで(笑)。『写楽』は面白かったですよ。カメラ雑誌はいっぱいあったけれど唯一あれが面白かったね。

 

南:でも『写楽』はあんまりクダンないことはしなかったからね。だから末井さんはあっちが我慢してた部分を全部やっちゃったわけだよ、オモシロイこと(笑)。それを「写楽」も後追いするみたいになっちゃった。

 

──『写真時代』はホントに写真が面白かったですよね。

 

末井:僕らね、写真を選ぶ基準を決めていたんですよ。いやらしいモノ、危ないモノ、インパクトのあるモノってね。で、創刊号は10万部刷ったんですけど、これね“ヤケクソ十万部”っていってね。その時会社が潰れかかっていて「もうだめだ」って言う状態だったんです。それなら「もういいやっ」ってヤケクソで10万刷ったんですよ(笑)。

 

南:でもそのヤケクソのエネルギーが伝わったんじゃないかな。みんな面白がってやってたし(笑)。

 

高杉:何年続いたんでしたっけ?

 

末井:7年。それで発禁になった(笑)。

 

──警告は何回受けました?

 

末井:49回(大爆笑)。

 

──『HEAVEN』は1年くらい出ていましたが、どうして終わってしまったんですか。

 

高杉:あれはね、社長がビニ本の方でパクられたんですよ。それでおしまい(笑)。社長がパクられたら余剰の部分をやる余裕がなくなっちゃうでしょ。

 

──『HEAVEN』は編集もさることながら、羽良多平吉さんのデザインも大きかったですね。

 

高杉:平吉さんとはね、工作舎で出会ったんですよね。そこの『遊』って言う雑誌が普段とは違う冗談の雑誌を作りたいっていうんで僕達が呼ばれて、そこで会ったんです。で、僕も平吉さんのファンだったもんで「表紙のデザインやってもらえませんか」って頼んでね。

 

南:あっ、オレその雑誌で山崎(春美)さんて人に取材されたけど、じゃ『遊』の編集部の人だと思ってたんだけど、そうじゃなかったんだ。

 

高杉:そうなんです。

 

──でも『HEAVEN』に載っていた情報って物凄くアングラでしたよね。ああいう情報ってどこから仕入れていたんですか。

 

高杉:半分はウソ(大爆笑)。でもそれでいいんですよ(笑)。写真とかは道で拾った本から切り抜いていたし。

 

南:でも高杉さん自身が面白いと思ったものを選んでるんだから、それが編集なんだよ。

 

高杉:僕も全然勉強してないまったくの素人から編集を始めたんだけれど、末井さんもデザインの勉強していて編集者になったんですよね。

 

南:俺もそうだから末井さんとは似てるんだよね。

 

末井:そうそう。だから文字の方から入ったんじゃないから誤植とかあっても全く気にならないんですよ(笑)

 

南:前に『笑う写真』本にした時さ、オレが文字の校正すると末井さんがさ、「どうせ字なんか読まないって、同じだって」て言うの(笑)。

 

末井:雑誌ってこうペラペラと見るものだからさ、一字違っていても前後の関係ってわかるじゃない(大爆笑)。

 

南:たしかにそうなんだよな(笑)。長井さんが似てんだよ、末井さんに。大体でいい、わかればいいって。南、コらないでいいって(笑)。

 

高杉:時々前後の関係さえ分からなくなるときもあるけれどでも「まっ、いいか」ってなる(笑)。

 

南:エロ劇画雑誌もそうだと思うんだけれど、あの頃はみんなオレ達みたいに素人がイキナリ始めるって言う形だったと思うし、だから元気があったのかもしれないね。抑制きかないからさ、ワガママな素人だから、自分が面白いことをする。末井さんのパチンコ雑誌が売れたのは、末井さんが「パチンコ雑誌」のプロじゃなくて、パチンコ好きになった末井さんの気持ちが前面に出たからでしょ。

 

末井:でもエロは今ダメだよね。締め付けがあるから。警察だけならいいんだけれど、どこかのおばさんの団体とかいろんな所からくるからね、誰を相手にしていいのかわからなくなっちゃうね(笑)。でも確かにあのころはやりたいことができましたよ。やっぱり規制とか会議とかあると皆元気がなくなっちゃう

 

南:ちゃんとした会社になっちゃうとそうなるね。

 

末井:徹夜で一生懸命企画書書いて「これは面白い」って思っても会議で「なにコレ?」って投げたりする。うちの社長のことだけど(笑)。

 

高杉:僕のほうは自販機本だったからよけいそうかもしれないけれど、たいがい版元の編集者と会議をやるもんだけど、僕たちはそういうの一回もなかった(笑)

 

:エロ本作りにお金を出してくれる人がいて「とにかく売れればいい」っていう状況ではあったよね。「売れればいい」っていうのはハッキリしてていいよ。

 

末井:あとね、いい加減だったらよかったんですよ。いい加減っていうのは必要なんですよね。「これは雑誌なんだから」っていうさ。雑誌たる所以ですよ、いい加減さっていうのはね。それがないとつまらない(笑)。

 

南:でもき「会議やらなきゃ売れる」っていうもんでもないんだよね。だってガロなんて会議なくて勝手にやってたけど、売れなかった(笑)。

 

末井:あっ、それはね、ヌードがなかったからじゃないんですか。ヌードを入れていればよかったのに(大爆笑)。

 

南:ハハハ……、いい加減でイイなァ(笑)。

 

1993年7月8日

ガロ編集部

初出:青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」