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若者を覆う“ロリコンブーム”の仕掛人 (高取英)

若者を覆う“ロリコンブーム”の仕掛人

高取英(マンガ評論家)

ロリコン学生の殆どが童貞

現在、青少年の間に、〈ロリコン〉が流行しているという。

ウラジミール・ナボコフの小説「ロリータ」が発表されて以来、ロリータ・コンプレックという言葉が心理学上、ひとつの性的傾向を示すものとして定着した。一九五五年に出版されたナボヨフの小説「ロリータ」は、中年男・ハンバート・ハンバートが、十二歳の美少女、ロリータの性の魅力におばれていく作品である。

現在、日本の青少年の間にブームをよんでいるロリコンは、この小説のように、中年男が少女を抱くといったものではない。もっとソフトなブームであり、実際には、「二次元コンプレックス」と呼ばれるように、ほんものの少女ではなく、写真やマンガなどの、美少女を愛する傾向を指している。

ロリコンという言葉を翻訳するなら、美少女嗜好、美少女偏愛、といったところになる。もちろん、ブームをささえているのは、幻想としての少女であり、現実的にいえば、オナペットの対象でしかない。写真や、アニメ、マンガなどの美少女に対するプラトニック・ラブが、現在の青少年の間に流行するロリコンである。

すなわち、はやりのロリコンとは、観念であり、ゲームの要素を多分に含んだものなのである

今年の五月に発刊された『ロリコン大全集』(群雄社出版・発行/都市と生活社・発売)は、ロリコンブームの青少年たちのための集大成ともいえる単行本で、初版二万三千部は完売し、現在、四万部まで版を重ねている。

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ロリコンブームの中心人物で後に出家した蛭児神建が責任編集・監修という名目だが、実質的には群雄社川本耕次小形克宏によって編集された。「いまやロリコンの時代だからよ〜、その決定版を出そうってのよ。『ロリコン大全集』だ!!」(川本耕次

この本は、八〇年から八一年にかけて自動販売機の雑誌『少女アリス』の編集長だった川本耕次氏(二十九歳)が編集したものである。

『少女アリス』の初代編集長は、当時アリス出版の社長でもあった小向一実氏であった。ほどなくして、編集長となった川本耕次氏は、みのり出版で『官能劇画』『月刊Peke』の編集を担当していた編集者である。

ロリコン大全集』は、その川本耕次氏がロリコン本の集大成をはかったものである。

彼は、マンガ誌編集時代に知っていた吾妻ひでお氏にエロティックな美少女マンガを描かせることに成功した。

吾妻ひでお氏は、一部に熱狂的なファンをもつ、教祖であり、SFの星雲賞をマンガ部門で受賞しているマンガ家である。林寛子アグネス・チャンのファンであつた吾妻ひでお氏は、『少女アリス』に美少女マンガを連載し、ロリコンマンガファンに熱烈な支持を受けることとなったのである。

川本氏は語る。

吾妻さんだけじゃなく、藤子不二雄手塚治虫も優秀なマンガ家は、ロリコン気質をもっています。マンガはモラトリアムなんです。みんな大人になりたくないから、今の若者はマンガを読み続けるんです。マンガマニアモラトリアム人間だから、彼らにとってSEX、イコール、ロリコンなんです。大学生は、入学した時はマザコンで、卒業した時はロリコンになります。小さい時から男女共学で育ってきたために、同世代の女にあこがれを持てないんですね。男女共学をやっていると、図々しい女性たちに幻滅しちゃうわけです。ロリコン学生のほとんどが童貞です。女は現実的だから永久就職(結婚)を求めるけれど、男はロマンチックになっていくんで、実際にはSEXできない小学生を夢として求めるようになるんですね

一九四八年に男女共学制が実施された時、男子生徒たちは、あこがれの女子生徒と机を並べることに胸をときめかせたという。石坂洋次郎は、『青い山脈』の中で、恋文事件を描き、ほほえましい男女共学のエピソードを小説にしている。

〽若く明るい歌声に雪崩も消える花も咲く、の主題歌は、時を経て、舟木一夫の「高校三年生」によって〽僕らフォークダンスの手を取れば甘く匂うよ黒髪が、と歌われた。

映画「育い山脈」では、「僕は、新子さんが好きだ―ッ」と叫ぶ男子生徒の心情の告白に、新子も「私も六助さんが好きよ―ッ」と山に向かって叫ぶ、こだまが描かれていた。

一九六三年に公開された映画「高校三年生」では倉石功と姿美千子による高校生が、河原でキスをするシーンが描かれていた。

男女共学による恋愛の讃歌は、このあたりまでである。

一九七三年に、中学三年生の山口百恵は、〽あなたが望むなら、私、何をされてもいいわ、と歌い、「青い果実」の欲望をストレートに表現した。同世代の男子生徒たちが、もし、受験戦争に押しひしがれ、男女交際すらうまくいかなくなっていったとすれば、それとは逆に、山口百恵は、処女を恥とし、性ヘの冒険へと翔んでいく女生徒たちの心理を代表的に歌っていたと考えられる。〽あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ、と「ひと夏の経験」で歌った山口百恵は、やがて、〽くせが違う、汗が運う、愛が違う、きき腕違う、ごめんね去年のひとと、また比べている。(「イミテーション・ゴールド」)〽気分次第で抱くだけ抱いて、女はいつも待ってるなんて、坊や、一体何を教わってきたの(「ブレイパックPARTⅡ」)と歌うようになっていく。

〈16歳は体験エイジ〉と女子高生向けの雑誌が書くのに比し、男子生徒たちは、恋もできず、オナペット(「二次元コンプレックス」)に耽溺していったのだろう。

ロリコンブームを語る時、伊藤つかさ松本伊代までも含んで、マスコミはロリコンと称する。しかし、大学生が高校生のスターをあこがれとするのは極めて普通である。

ハイティーン・アイドル歌手の続出と、それに対するあこがれは、大学生や高校生をを市場とする音楽産業の戦略であり、ごく自然である。むしろ、大学生になっても、童貞のままである学生が増加し、彼らが現実に同世代の女子大生と性的な交際をせず、アイドル歌手に夢中であるという、一世代上から見れば幼児的な面がクローズアップされるべきである。

すなわち、学園闘争以後、レジャーランド化した大学で、受験勉強に力をそそぎ、肉体は大人だが、観念は子供の学生たちの〈遊戯〉のひとつが、京大のセーラー服研究会や、早稲田大学の董貞同盟などである

 

オナペット文化の産物

青少年たちがロリコンになっていったとすれば、その原因は、彼らの〈幼児化―大人になりたくない〉とするモラトリアムと、オナニー無害論の普及にある。

七〇年代、半ばより『GORO』の篠山紀信による「激写」がヒットし、『週刊ブレイボーイ』や『平凡パンチ』がますます、ビンナップ(オナベット)雑誌化をはかり、果てはビニ本の登場に至った。「女の口説き方」を特集し、実践と理論を掲載した雑誌が、ビンナップ化していくのは、オナベットの提供のためである。

大学生や高校生の性は一部を除けば解放されてはいない。圧倒的に童貞が増加しつつある。これとは逆に、女子大生、女子高生たちの性の実践と理論化が進み、彼女たちは、「やさしさの世代」の童貞を軽蔑し、中年や一部の性的にオープンな同世代に走るようになった。ロリコンとは、性の体験前で踏みとどまる青少年たちの、オナペット文化の産物なのである。

この過程を図式化すれば、以下のようになる。

 

60年代前半

男はプロに学ぶ 女は処女尊重

60年代後半

男はオナニー無害論が普及し、合言葉は、「オナニーからセックスヘ」

女は恋愛からセックスヘ

70年代前半

男は同棲から結婚へ 女は、婚前交渉が常識化し、処女は恥だと考える

70年代後半

男はオナニーのみの童貞派が増加し、一部のみがんばる

女は、中年がステキと考え、アマチュアのセックステクニックが「婦人誌」によリプロ化

80年代前半

男は、オナニー雑誌、ビニ本に走り、ロリコン青年出現

女は、女子大生がビニ本モデルやノーバン喫茶で働くのが平気。性はますますエスカレート〈16歳は体験エイジ〉とハイティーンを誌がかく。

 

オナペットは、あくまでも、あこがれの対象であり、幻想のものである。空想の中で、自由自在なボーズを描くことが可能なものとは、現実の女性ではない。

現実の大人の女性たちに失望した青少年たちは、処女頭望の人も含めて、女子小学生ヘと対象を移動し、ロリコンとなっていったのである。

 

元祖としての「アリスブーム」

ロリコンブームに先んじて七〇年前後に、アリスブームがあった。

テニスンのイラストで知られる「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の作者であるルイス・キャロル(1832 - 1898)は、本名、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンで数学の教授であった。彼は、「ロリータ」のハンバートのように、想いをとげることが出来ず、アリスのモデルだった少女に恋し結婚を申し込み、拒まれている。ルイス・キャロルは、また、少女たちを写真に撮ることに熱中し、ヌードにして撮影もしていたと伝えられている。

このルイス・キャロルこそ、今のロリコン青年たちの元祖だったといえるだろう。

現在、編集プロダクション・カマル社の代表である桑原茂夫氏(二十九歳)は、七〇年前後に、ルイス・キャロルの少女写真を掲載した『別冊現代詩手帖 ルイス・キャロルの世界』(思潮社)を編集し、八歳の少女サマンサをモデルにした沢渡朔の写真集『少女アリス』(河出書房新社)を編集した。『少女アリス』には少女の「ワレメ」を隠すことのないヌード写真も掲載され、今では、ロリコンのバイブルと呼ばれている。

桑原茂夫氏は、次のように語る。

ルイス・キャロルを編集していて、種村季弘さんにドイツの雑誌『DU』の中に、キャロルの少女写真があるのを見せられ、オヤッと思ったのが、きっかけです。中学生の時に少女雑誌のモデルで、パレリーナのコスチュームをしていた自鳥みずえのファンだったんです。こうした傾向は、みんな、持っているんじゃないかな。アリスに関しては、性的なものがなくて、性的な感覚を呼びおこすものだったが、今のロリコンブームってのは、幼女を触りたいというか、直接的すぎて、抵抗がありますね。モデルのサマンサは、最近、来日したんだけど、公にはしなかったんです。美少女は、謎の少女のままでそっとしておきたいし、ロリコンブームにはのせたくないからです」

『少女仮面』『少女都市』といった少女ものと呼ばれる戯曲を書き、つげ義春のマンガの少女を「笑わぬオカッパの少女論」として特異な少女論を展開して唐十郎は、「少年は海を前に、あらゆる冒険を夢想するのに、少女は喫茶店のTOILEの汚物缶のフタを開け、人生の終わりを覗いてしまう」(『少女仮面』あとがき)と書いている。

その『少女仮画』の編集者でもある桑原氏はいう。

「みんなバラバラで、似たようなことをやっていたんだね。当時は、少女コンプレックスなんていってたね」

 

三流劇画誌に美少女路線登場

桑原茂夫氏が中心となったアリスブームは直接的には、ロリコンブームに引きつがれなかった。アリスブームが〈文学〉であったのに対し、ロリコンブームは、〈まんが〉のイメージが強いからである。しかし、六九年*1、桑原氏が、「少女コンプレックス」の集大成として編集した『少女』(河出書房新社)を、『漫画エロジェニカ』(海潮社・六九年*2六月号)が、ロリータ・コンプレックスという言葉を使い、その後のロリコン・ブームを予見する形で紹介した。

「イメージの冒険14『少女』―謎とエロスの妖精―」(河出書房新社)〈1200円〉が出版された。これは、シリーズとして、『地図』『絵本』『文学』に続く第4弾である。

とりわけ、今回は、慢性的ロリータコンプレックスが増殖しつつある、わが日本列島の状況を照射するすばらしき『少女』特集である。(略)

なにしろ当代日本列島の少女病患者である鬼才たちが論じる好エッセイにくわえて、少女絵、少女写真、少女映画が溝載されたこの奇書は、時、同じくして発行された篠山紀信の『135人の女ともだち』(小学館)が、アッとおどろくベストセラーになるのに比して、深く静かにロングセラーとして伝染病化している」

この記事は、ロリコンブームを病いとしてとらえている。いうまでもなく、「ロリコン」「ビョーキ」と二つの言葉が流行語となっていく前兆であり、冗談半分の書き方である。

アリスブームの仕掛人の桑原茂夫氏と、エロ劇画誌でロリコン路線をいちはやくとりいれる『漫画エロジエニカ』とは、こうして連らなっていたのである。

『漫画エロジェニカ』は、エロ劇画誌の中でどこよりも早く「美少女路線」をとり、性の対象として、少女にターゲットをしぼっていった。少女姦を描いた主な執筆者は、中島史雄村祖俊一ダーティ松本といったマンガ家たちであるが、現在、ロリコンまんが家と称さる谷口敬氏がこの雑誌からデビューしている。

吾妻ひでお氏に次いで、ロリコンまんがの帝王といわれる内山亜紀氏の描くキャラクターは、美少女というよりも、美幼女である。エロ劇画誌で執筆していた内山氏は『少年チャンピオン』に「あんどろトリオ」を連載し、ロリコンに市民権を与えたまんが家と称されている。彼は、幼女のおむつプレイやSMプレイを、少年誌『少年チャンピオン』でも、ポルテージをおとすことなく描いてみせ、少年たちに人気を呼んだ。これは、永井豪の『ハレンチ学園」以来、少年たちも、性的好奇心が強くなっていたことの証明である。

吾妻氏の描く少女たちがアリス(少女処女)的であるのに比し、内山氏の描く幼女は、ロリータ(少女娼婦)的である。

 

少女マンガを読むオトコのコ

ロリコンブームを層として、もっとも担ったのは、マンガの同人誌(ファンジン)である。

原丸太氏によれば、日本最初のロリコン・ファンジンは、ロリコン文芸誌を名乗った『愛栗鼠/アリス』(七八年十二月創刊号)であり、ブームの引き金となったのは、七九年四月から八一年四月まで続いたロリコンマンガ誌『シベール』である。

以後、ロリコン同人誌は続出し、マンガ同人誌の即売会であるコミック・マーケットに二十~三十誌が登場するようになる。ロリコン・マンガ同人誌のいくつかがエロスの対象としたものは、アニメの『ルバン三世』に登場する美少女クラリスや、同じくアニメの『未来少年コナン』に登場する美少女ヒルダなどである。

ロリコンブームのひとつをささえていたのは、こうしたアニメ世代の青少年(中には少女もいた)であり、もうひとつは、少女マンガを読む青少年であった。少女マンガを青少年が熱心に読むようになったのは、「花の二十四年組」と呼ばれる昭和二十四年生まれのマンガ家である萩尾望都大島弓子竹宮恵子山岸涼子たちが七〇年前後に秀れた作品を産みだした頃からだが、ロリコンの青少年たちは、『ポーの一族』(萩尾望都)の美少女メリーベルや、『綿の国星』(大島弓子)の美少女(猫である〉須和野チビ猫なども、あこがれの対象としている。

ロリコン同人誌には、そうしたアニメ、少女まんが、少女趣味(オトメチック)、エロまんがなどの要素が入りまじった、様々なものが続出したのである。

これらロリコン系ファンジンの中心となっている人々の多くは、大学生ぐらいの年齢である。いくつかのグループは、大学の漫研やアニメ研の、一種のダミー団体できえある。

現在のいわゆるロリコン・ファンジン・ブームは、少年・少女・成人向けとオールマイティーの人気マンガ家吾妻ひでお(前出)の力による所が大きく、同氏の影響がさらに『シベール』を媒介として一般に広まったと思うべきであろう。

そしてこのブームをきっかけとして、マンガ、ファンジンにおける性表現のタブーが打ち砕かれ、これにエロチック漫画(いわゆるエロ劇画、三流劇画)出身の内山亜紀(野口正之)などの影響も加わって、今や一種のなだれ状態にあるようである。

「東京におけるロリコン系ファンジン・ブームは1981年夏に一つのピークを迎えた」(「ロリコン・ファンジンの諸相」原丸太)

同人誌『幼女嗜好』(八〇年九月創刊)の、蛭児神建氏は、幼女姦や幼女SMを描くイラストレーターである。彼は、同人誌の販売を行なうコミック・マーケットで、ハンチング、サングラス、マスクで顔を隠し、コートで身をつつむ、不思議なスタイルで登場した。まんがのキャラクターに仮装して、若者が歩く、カーニバルの要素もあるコミック・マーケットで、蛭児神氏は、変質犯罪者ルックスでロリコンマニアのスタアとなったのである。

もちろん、これも「変質犯罪者」ごっこであり、ゲームなのである。

「まあ、なんて言うか、初めは悪い冗談でしてね。このカッコして会場の隅の方から『ニーサン、ニーサン、おもしろい同人誌あるんですがね』と……これがかなりうけましてね。」

蛭児神建氏は『ふゅ―じょんぶろだくと』八一年十月号のインタビューでそう答えている。彼は、成人女性に魅力を感じない理由として、「母性に対する嫌悪と言うんでしょうか」と答え、「少女とは守りたい存在であり、また襲わなければいけない存在である……」と語っているが、もちろん、それは、イラストの上であり、空想の凌辱者にすぎない。

彼は、『ロリコン大全集』の責任・監修者として名を出しているが、キャラクターとしての人気が買われたためであって、実際は川本耕次氏が編集した。

 

変態派、実践派は邪道?

少女写真集は、すでに五十種類は出版されている。沢渡朔の『少女アリス』以後、最も評価の高いものは、山本隆夫写真による『リトルプリテンダー・小さなおすまし屋さんたち』(ミリオン出版)がある。これは五人の少女たちを様々なポーズで撮ったもので、七万部売れたといわれている。ロリコンブームの直前のことである。

十万部以上売れたといわれているのが会田我路写真による『ロマンス』(竹書房)である。その他の写真集にもいえることだが、こうした写真集の購入者は、いわゆるロリコン青少年に限らず、ふつうの大人も多いと考えられることである。すなわち、大人の女性ではスミを入れなければならない部分も、少女モデルはその必要がないために大人の女性の代償としてそれらを求めるのであろう。

「『もっとポーズを露骨にしろ…』『ワレメちゃんをカットするな!』という人はたぶんロリコンではありません。ロリコンの人はそんな風に考えず『別にヌードでなくて良いからもっとかわいい子を載せろ』とか『化粧なんかしなくてよい』『ヌードよリフリルの付いた服の方がマシ』など、裸ということはそれほど重要ではないのです」(『美少女写真集コレクションーロリコンは裸にこだわらず』ムツ・カツハシ)

もちろん、どんな世界にも過激派が存在する。「あらゆるタブーに挑戦」することを主旨とした同人誌『突然変異』がそれである。

慶応大学の学生が中心となったこの同人誌は石原裕次郎の死亡記事や、面白主義的反原理研の記事などを掲載していたが、「六年四組学級新聞」として、「村田恭子ちゃんのブルマから恥毛が!?」などと、ロリコン記事も掲載していた。そのうち、『ヘイ!バデイー』(白夜書房)に「六年四組学級新聞」連載し始め、女子中学生に声をかけ、変に思われ、母親に通報され、お叱りをうけるわ、『ロリコン白書』(白夜書房)に書いた記事で刑法百七十五条に触れ、警視庁に警告を受けるなど、少々、心やさしきロリコン青年から逸脱している。

この『突然変異』は、マスコミがロリコンブームを取り上げる時、「ヘンタイ」だの「ビョーキ」だのとレッテルをはる時のかっこうの材料にされていて、テレビ朝日の「トゥナイト」でも、その点をクローズアップされた苦い経験をもっている。

ロリコンは、大別して①最も多い観念派=吾妻いでおの美少女ファンたち他、②変態派=幼女のスードを親に許可なく撮るアングラ『ベピ』の会のメンバー、③実践派=ロマン・ボランスキーの少女姦のように、犯罪に結びつくもの、に分れる。この他に売らんかなのロリコン写真集や少女ビニ本を作る金もうけ派もいる。

もちろん、『突然変異』とて、実践派ではない。しかし、多くの心やさしきロリコン青少年たちが、変態派や実践派が存在するために、世間の蔑みの目を気にしていることは事実のようである。

また、妄想として最も過激なロリコンには天使(聖なる者=少女)破壊願望が潜んでいると思われる。

 

ロリコン大学生の行く末は

ロリコンブームは、写真集、イラスト、まんが同人誌、エロ劇画誌などが混然となったものである。

八二年になって、エロ劇画家と同人誌のマンガ家とが共に執筆するロリコン専門誌『レモン・ピープル』(あまとりあ社)が創刊され、近藤昌良氏の少女写真などをメインにするなどロリコン色の強かったエログラフ誌『ヘイ!バディー』が五月号より〈愛しのロリコン誌〉とサブタイトルをいれた。しかし、『レモン・ピープル』は、部数が伸びず、頁数を増やし、豪華本となってマニアのための雑誌に変更するというし、『ヘイ!バディー』は、ロリコン誌と銘うった号の売れ行きが、かんばしくなく、〈愛しのロリコン誌〉のキャッチフレーズを今ではやめている。

再び、“静か”になっていくようである。出版社は、次のブームをさがして暗中模索している。しかし、美少女嗜好者たちがいなくなることはないだろう。ロマンテイックでセンチメンタルな若者たちがなくならない限り。

『ヘイ!バディー』の編集長高桑常寿氏(二十七歳)はいう。

ロリコンブームは、女子大生が強くなって女子高生にも幻想がなくなったことが大きいでしょうね。『ヘイ!バディー』を直接会社に買いにくる人は、学校の先生風のおとなしい人で、教え子の写真を見せるんですね、小学生は可愛いいと思いましたよ。マンガ同人誌『シベール』にかいていた人も中学校の美術の先生だって聞いてますね」

ロリコンブームを担った多くの青少年たちは、現実に少女姦を実行した映画監督のロマン・ボランスイーではなく、少女ロリータの媚態におばれたハンバード・ハンバードでもなく、少女アリスを抱くことが出来ず、少女写真撮影に熱中し、一生童貞だったといわれるルイス・キャロルに近かったのである。

所載:『創』1982年12月号

*1:七九年の誤記かと思われる。

*2:七九年の誤記かと思われる。

70年代の自販機本から、90年代のデジタル系アンダーグラウンドまで!(青山正明×永山薫)

70年代の自販機本から、90年代のデジタル系アンダーグラウンドまで!

アンダーグラウンドでいこう! 自販機本からハッカー系まで(青山正明×永山薫

宝島社『別冊宝島345 雑誌狂時代!』1997年11月15日発行

 

──今回は、いわゆるアングラ系の雑誌の流れみたいなものを振り返ってみたいんですが…。

 

青山:あんまり昔のこと覚えてないんだけど、面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』*1の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と変物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』*2の1号目を作ったんです。

 

永山:高杉弾に原稿依頼をして断わられたという(笑)。

 

青山:メジャーでいうと、工作舎が『遊』*3を出してて、みんなああいうアカデミックなものも面白いんじゃないか、と思い始めてた。フーコー面白いんじゃないか、とかね。その流れをエロ本もかぶってましたね。

 

永山:当時のカウンターカルチャーとかサブカルチャーとか、そのあたりっていうのは『宝島』がある程度押さえてたんだけど、そこに納まりきれない部分が自販機本なんかに噴出してたみたいなところがあった。実際、山崎春美*4なんかにしても、オレなんかにしてもそうだけど、自販機本と『宝島』と両方で書いてたライター、多かったですね。

 

70年代末、『宝島』から自販機本へ!?

青山:『宝島』も76~77年くらいにマリファナ特集*5やったりとかして、飛ばしてたんだけど、やっぱりだんだん商業路線になっていって、そこで押さえきれないものが出てきた。それが自販機本、エロ本に流れていったんですね。そのときやっぱり中核でいちばん面白かったのが、群雄社が出してた『ジャム』と『ヘヴン』。『ヘヴン』は、羽良多平吉*6さんがアートディレクターで、ビジュアル的にもカッコイイっていうのがあった。音楽情報も入ってたし、エロ情報も入ってたしで、もうごちゃ混ぜ。『ジャム』でいちばん話題になったのはやっぱり山口百恵のゴミ箱あさりですよね。かたせ梨乃のもやってたな。

 

永山:かたせ梨乃なんてやってたっけ?

 

青山:やってました。でっかいタンポンとか出てきて、体でかいからやっぱりタンポンもでかいなって、山口百恵のほうは確か妹の学校のテストの破ったヤツが入ってて、10点とか、20点とか、それぐらいだったの。それとか、痔の人の肛門の写真のアップをズラーッと並べたり。とにかくグロを思いっ切りやって、そこに思想、カルチャーが入って、エロが入って、薬物が入って、当時はインディーズの走りの時代でもあったから、ナゴムとかそこらへんも出てきてた。

 

永山:だから、エロ本が解放区になってたんだね。写真ページでとりあえずエロやれば、一色活版ページは何やってもいい、と。

 

青山:それがそのまま『ヘイ!バディー』とか『ビリー』*7とかにつながっていった。

 

同じ白夜系でもビミョーに違う

 

白夜書房刊『Billy』『Hey!Buddy』/ともに1985年廃刊)

──白夜書房系でいえば、その頃、『ニューセルフ』とか『ウイークエンドスーパー』*8とかもありましたよね。

 

青山:そのへんの末井さん*9が作ったものって、僕はよく見てなかったんですよね。

 

永山:僕も青山くんもそうなんだけど、そういう意味ではエロ本のメインストリームからちょっとズレてたから

 

青山:『ニューセルフ』とか『写真時代』とか、確かにすごかったんだろうけど、出てくる人が大物じゃないですか。赤瀬川原平さんとか、南伸坊さんとか。僕らはどっちかっていうと『ビリー』『バディ』にくっついてたから。

 

永山:同じ白夜系でも、末井班と中沢班ではかなりノリが違ってたよね。重複してるライターもいたんだけどね。

 

青山:『バディー』は元アイドル系のエロ雑誌だったのが、ロリコンブームの先駆けでそっちのほうにいっちゃって。『ビリー』も最初はカルチャー色が強くて…。

 

永山:インタビュー雑誌みたいなヤツじゃなかったっけ?

 

青山:そうですね。もともとB5判くらいの。それで、全然売れなくて、リニューアルしてA4のエロ本になった。

 

永山:最初に『ビリー』をああいうふうにアブノーマルにリニューアルしたのが小林小太郎。だからあの人が実質的に変態版『ビリー』の初代編集長みたいな感じになりますね。

 

青山:それで獣姦ものやったり、スカトロやったりして、さんざん怒られて(笑)。

 

永山:小林さんはのちに叶夢書房に移って、『TOO NEGATIVE』*10を作る。

 

青山:そうですね。で、内紛があってスタッフ全員引き連れて吐夢から出て、「NGギャラリー」*11というのを作って。そこでいろんなアングラな商品売ったりとかして、今はコビー雑誌の『ウルトラネガティブ』を作ってる。

 

エロ本はあんまり目立っちゃダメ!?

永山:『ビリー』がすごかったのはコンテキストさえ変えちゃえば文化になるようなことを、文化にしないでやってたっていうこと。それがやっぱり面白いと思うんですよ。そのへんが『バディ』とは違うところで、『バディ』は完全にゴールデン街文化。高取英さんとか、流山児祥さんとか…。

 

青山:そのへんの人たちが関わって、結構硬派なエロとか、ネタとかもやってたけど、主導はロリコン。それで8万部までいきましたからね。ただ、『ビリー』にしても『バディ』にしても、失敗したのは、A4のグラフ誌であんなことやっちゃったっていう。やっぱり目立ちますからね。目立つところに置かれちゃうし。それで当局に怒られてつぶれたっていう。それをうまくやったのが三和出版で、いま出てる『お尻倶楽部』*12とか、あの手の本は小さいA5の判型で出てる。A5だったらある程度許されるんですよね。置かれる場所も限定されるし。

 

モノクロページのコラムはほとんど放し飼い状態だった

永山:当時『ビリー』のあとを継いたのが『クラッシュ』だっけ。『ビリー』『ビリーボーイ』ときて、『クラッシュ』。だんだん情報誌性が出てきたんだよね。それと、AVに関しては白夜が『ビデオ・ザ・ワールド』*13を出して。

 

青山:『ビデオ・ザ・ワールド』も初期の頃は僕にも原橋書かせてくれて、死体写真とか載せたんですよ。そしたら読者からクレームがひどくて。「なんでエロ本買って興奮しようと思ってんのに死体写真なんか載せるんだ」って。

 

永山:モノクロページのコラムは、ほとんど放し飼い状態で、解剖ビデオとか出てましたよね。

 

青山:A4グラフ誌で当局に目をつけられて、過激なことができなくなったっていうのと、エロの流れとして、エログロナンセンスの受け皿であったエロ本一色ページというのもだんだん美少女路線、カタログ情報路線に押されていって、そういう情報を扱う本がなくなっちゃったっていうのが80年代半ば。エログロナンセンスアンダーグラウンドみたいなもののブランクの時期が数年続いた。そこからまたポツポツと、『アリスクラブ』*14のようなロリコン誌が出たり、さっきの三和出版の『お尻倶楽部』みたいなスカトロ雑誌なんかが90年代になってパッと出てくる。そういうふうにエログロ路線っていうのは、80年代終わりくらいからA5判の形で復興し始めましたよね。だけど、そのなかでカルチャー絡みのものとか、ドラッグ絡みのものとか、へんてこ情報っていうのはあまりなかった。

 

不毛の80年代後半から90年代へ…死体とか奇形とか、もう飽きちゃってあまり関心ないね

永山:それで『危ない1号』*15につながっていくわけね。

(世間に衝撃を与えた青山正明氏編集の『危ない1号』)

 

青山:『危ない1号』とか、子供向けではあるけど、その前に出た『GON!*16。『GON!』が出て、『BUBKA*17が出て、おかしな情報がそういうものに集約されていったという…

 

永山:そういう流れありますね。あと、最近の白夜でいえば、不良雑誌がありますよね。『BURST』*18っていうのが。あれはすごく面白いですね。

 

青山:あれはヘンでいいですね。サイケデリックの特集号は買いましたよ。かつてのアングラ精神を受け継いでるっていうか、いま本で買えるもので面白いものというと、やっぱり『GON!』『BUBKA』『BURST』ということになるかな。

 

──『危ない1号』は?

 

青山:あれは自分が関心持ってるテーマでメジャーには取り上げられないエグイものを、ずっとやっていこうかなっていうんで出したもので。ただ、やっぱり売れる部分っていうのは必要だから、死体とか奇形とか、あそこらへんに逃げはしたんだけど、でも、そんなものちょっと見れば飽きちゃうし、もうあまり関心ない。今後の方向というか、やりたいところっていうのはコミュニケーションと精神世界ですね。精神病の原因の9割以上はコミュニケーションの問題なんです。あと、不倫の問題とか、セックスレスとか、そういうことにもコミュニケーションの間題が噴出してる。

 

素人がエログロを実践する時代

永山:不倫っていえば、僕らとは全然関係ないところで、スワッピング雑誌とか一時ガーッと出てきましたよね。『スウィンガー』とか『アップル通信』とか。あと、投稿写真のブームっていうのがあって、『投稿写真』とか『熱烈投稿』*19とか、これもいろいろ出てる。

 

青山:投稿も最初は普通のハダカだったりセックスしてるところだったのが、そこにピアスが絡んできたり、ウンコが絡んできたりして、だんだんマニアックになってますよね。そのへんはつまり素人参加なんだけど、そういうところにエログロが面白い展開として現われてますね。結局、今あるエログロって、さっきの『GON!』とか『BUBKA』みたいなガキ向けに流れるか、もしくはエロの投稿方面ですよね。本当にコアとして面白いエログロっていうのが、やっぱり出てない。

 

永山:『危ない1号』だけなんじゃない?(笑)

 

青山:『危ない1号』はそれを目指してはいるんですけどね。立場的には、僕は今は「元編集長」なんで……。

 

永山:オレなんか勝手に決めつけちゃうんだけど、今の若い敏感な連中っていうのは、『クイックジャパン*20読みながら、『危ない1号』出るのを待ってるっていう感じなんじゃないかな。

 

青山:『クイックジャパン』は、作ってる編集者にこだわりがありますからね。ただ、あれもなんていうか、ある意味、発掘本みたいなとこがありますよね。

 

永山:だから今は『お宝ガールズ*21みたいな“お宝ブーム”になってるでしょう。全般にそうなんですけど、ここ何年かずーっとみんな後ろ向きになってて。

 

青山:それはありますね。新しいものが出ない。だけど、細分化されてるなかで個別に見ていくと、たとえばテクノ系の音楽情報誌なんだけど、『ラウド』『エレキング』『リミックス』あたりは面白い。行間から読み取れるカルチャーは、『GON!』や『BUBKA』より先いってる。あと、薬物関係ではミニコミレベルではあるけれど『オルタード・ディメンション』と、コミケで売ってるんだけど『ミラクルファーマシー』(注・扱ってるのは合法モノのみ)。この2つがイケてるな、と。ホントにアングラではあるけれども。

 

細分化の時代にあえて総合誌を―今はテクノ系音楽情報誌や薬物関係のミニコミに面白いものが

──『突然変異』の時代は、この手の細分化されたものってあったんですか?

 

青山:なかったですよね。やっぱり総合誌志向で。薬も載るし、芸能人ネタも載るし、エロも載るしっていう。

 

永山:だから、もっとはっきりいえば雑誌志向なんですよ。結局、“雑誌を作りたい”みたいな衝動が先にあったような気がするんですよ。当時のミニコミ誌、アングラ誌っていうのは。

 

青山:『中大パンチ*22とか。

 

永山:『月刊太腿』*23とか。いろいろあったよね。

 

青山:だから、僕たちが80年代に送り手として、エロとかグロとか、ドラッグものとか、ヘンな思想とかっていうのを、エロ本なりビデオ雑誌なりでガンガンやってた頃に受け手だった73年前後生まれの連中が、いま送り手になりつつある。そういう連中を全部引き連れたうえで、やっぱり総合誌というものが望まれるっていうか、そういうものを出したいなっていう時代ではありますよね。

 

永山:それはわかるんだけど、でも総合誌っていう発想自体が売れないものになってきている。

 

青山:確かにコンピュータ好きなヤツはコンビュータの本買うし、音楽好きなヤツは音楽の本買うし、両方好きなヤツは両方買うんですよね。総合誌だと食い足りないっていう感じになっちゃうから。

 

永山:だからこれまでも大手が、夢よ再びという感じで何度、何十億もかけてグラフ系の出したりしてるけど、たいていみんな失敗してますよ。そうじゃなくてみんな何を買うかというと、『広告批評』とか、いや、あれはもう流行りじゃないか。『放送批評』とか、『散歩の達人』とかさ。そういうのを買うんですよ*24

 

青山:『ニャン2』*25買ってセンズリこいて、『世紀末倶楽部』*26死体写真と奇形児見て、薬物情報が知りたければ『オルタード・ディメンション』か『ミラクルファーマシー』買って、という形で細分化しちゃってるから。

 

ネットワークの可能性と限界―アングラ系総合誌の役割を今はウェブが果たしている

永山:だから、まとめて総合にする必要はないんだけど、その中核になるような雑誌が欲しいっていうのはありますね。その中核になって、たとえば薬だったらこれを読め、みたいな。その役割をいま果たしているのが、やっぱりネットワーク、ウェブのほうだと思うんだけど。ただ、ウェブっていうのは全読者に対して開かれてるわけじゃなくて、ハードを持ってる人に限定されちゃうっていうのが弱みですよね。そこにたどり着けない人のほうが多いという。

 

青山:そういう意味では、情報は情報としてあるとしても、モノを所有するという欲求自体はあると思うんですよ。本の体裁でもビデオの体裁でも、やっぱり形あるものへのこだわりっていうのは消えないと思う。だから、テクノ専門誌があれば、スカトロとか投稿写真誌がある。『GON!』みたいなヘンテコ情報もある、というふうに分散してるけれど、友達とかへンなもの好きなヤツに訊くと、全部買ってたりするんですよ。だったら、そういうものをひとまとめにした中核になるものが出てきてもおかしくはないな、と。

 

永山:でもそうなるとまた、いい気持ちになろうと思って買ったのに死体の写真なんか載せやがって、とかいうクレームが出るんだよね。オレは純粋に音楽を楽しみたいだけなのに、クスリなんて邪なものが出てるのはけしからんとかさ。出てきますよ。

 

青山:まあね。でも、『ゲームウララ』*27とかやってたクーロン黒沢なんて、さっき言った73年前後生まれの連中のコアになってもよかったんだけどね。『イソターネット』*28とか、面白いことやってたんだけど、いろいろ事情があって、やめちゃった。とにかく核になるにはGON!』とか、『BUBKA』とか、『BURST』とか、まだヤワすぎる。もっと熱くなってほしいな、っていう。

 

永山:一つには流通の問題というのもあるんですけどね。

 

自販機本はなぜ消えたのか?

──流通といえば、昔の自販機本って、なんでなくなっちゃったんですかね?

 

永山:やっぱり当局の締めつけが厳しかったんじゃないですか。「エロ自販機追放」っていう。

 

青山:子供が買えちゃうってところで非難浴びたっていうのと、買うまで内容が見れないというんで、表紙だけ見栄えよくして中身はスカってのが結構あったから。そこに普通の書店で『ビリー』とか『バディ』とか、すごいのが出てきちやったら、なにも危険を冒してまで自販機で買わなくても、ということになりますよね。

 

永山:でも、いろいろあったよね。『EVE*29とかさ。コレって自販機末期の本だけど、結構面白かったんですよ。編集長の原田さんってのが面白い人で、幻の名盤解放同照とか、あの辺ともつきあいがあってさ。湯浅(学)さんとか、根本敬とか、そういう人たちが描いてたりしてね。蛭子(能収)さんとかが描いてたり、結構、『ガロ』系の人たちもいて面白かったな。このへんがヘンなもの系自販機本の最後じゃないかな。

 

 

『ガロ』もやっぱりもったいないといえばもったいないよね

青山:そういえば『ガロ』*30なんて、結構文章ページも充実してるし、核になってもいい本だったという気もするんですけどね。

 

永山:昔からある意味で空白期があまりないですね、あそこは。

 

青山:ずっとマイナーのまま貫き通してますよね。

 

永山:マイナーのカルチャーでずっときてて、そこからいろんな人が出てきたわけだから、もったいないといえばもったいない。ただ、こういう言い方はなんだけれども、歴史的使命っていうか、そういうのは終わっちゃってたっていうのはあるよね。

 

青山:ずっとマイナーできて面白かったっていえば、ペヨトル工房がありますね。『夜想*31とか『銀星倶楽部*32とか。

 

──南原企画*33とかもありました。

 

永山:『月ノ光』とか『牧歌メロン』*34とかね。

 

青山:僕なんかは、南原企画はちよっとマイナーすぎてついていけない。僕の好みでいうと、『ガロ』はマイナーだけど面白い。でも、『月ノ光』や『牧歌メロン』はつまらない。面白みがない。

 

永山:だから、あのへんの流れっていうのは、やおい系なんですよ。やおいっていうのはなかなか男には理解できないんです。

 

青山:ペヨトルの社長さんって、演劇が好きらしくて、そのへんコアにしてサブカル全般を扱ってた。でも当たった特集は『怪物・時型』と『屍体』ぐらいかな?

 

デジタル系アングラ雑誌の可能性

永山:あと、パソコン系、ゲーム系でもヘンなのありますよね。さっきの『ゲームウララ』もそうだけど、ちょっとハッカー入ってるようなやつ。『ハグニュース』*35とか。どっちもつぶれちゃって、もうないけど。

 

青山:結局いまコアなのが、音楽でいえばロックからテクノになってるみたいに、紙媒体が電子メディアになってきて、そのなかから『ゲームウララ』とかが出てくるんだけど、速度が追いつかないでつぶれちゃうっていう。

 

永山:コンピュータ系だと、カウンターカルチャー色の強いところで、『GURU』*36とか、『デジタルボーイ』*37なんていうのもありましたね。つぶれましたけど。あと、その前にマック系の雑誌で、『マックブロス』*38っていうのが出てて、あれも非常にムチャクチャやってたんだけど、つぶれました。

 

青山:コンピュータ系のやつが、出て、すぐつぶれちゃうっていうのは核になるヤツがいないからじゃないかな。面白い情報を売れる方向に持っていって、なおかつ雑誌媒体として客ウケするところまで考えられる修練を積んだ人。そういう編集者が上にひとりいれば違うと思うんだけど。コンピュータ系の人ってみんな若いから、たとえば30代くらいの人で経験ある人をひとり据えて、『バグニュース』なり『デジタルボーイ』なりを作れば、もっとそれなりになった気がするんですけどね。

 

永山:そういう人はやっぱりあんまり雑誌なんてやらないんじゃない? そういうカリスマ性のある人は、編集者じゃなくてアーティストになっちゃったりとかさ。

 

青山:全部たばねると面白いですね。僕らと、さっきも言った73年前後生まれのコンピュータエイジのヤツらと、さらにその下の酒鬼薔薇の世代。その3世代が連動して、モノを作り出せば、結構面白いものができそうな気がしますけどね。

 

*1:『ジャム』『ヘヴン』

高杉弾山崎春美の自販機本。内容については本文にあるとおり、『ジャム』をリニューアルしたのが『ヘヴン』である。

*2:『突然変異』

青山氏が学生時代に作っていた変態的ミニコミ。キャッチコピーは「脳細胞爆裂マガジン」(3号目からはベーバードラッグ)。表紙イラストを霜田恵美子が書いていたりするのが妙。

*3:『遊』

工作舎発行、松岡正剛編集のヘンな雑誌。

*4:山崎春美

『ヘヴン』のスタッフ。高杉弾とともにその筋で名を馳せた。ロフトプラスワントークに出演したとか。

*5:『宝島』も75~76年くらいにマリファナ特集やったりとか

正確には、75年10月号「マリワナについて陽気に考えよう」。P6参照。

*6:羽良多平古

こだわりのグラフィックデザイナー。「はらだ」ではなく「はらた」と読む。『ジャム』のデザインの一部、『ヘヴン』のアートディレクションを担当していた。

*7:『ヘイ!バディー』とか『ビリー』

前者は80~85年、白夜書房から発行されていたロリコン雑誌。『写真時代』の人脈から高取英南伸坊高杉弾なども執筆していた。後者『ビリー』は「スーパー変態マガジン」というキャッチコピーどおり、スカトロ、フリークス、死体写真など、なんでもアリの困った雑誌。

*8:

『ニューセルフ』とか『ウイークエンドスーパー』

白夜書房発行の伝説のエロ&サブカル誌。今や古本屋で2~3万の値がつくとのウワサ。

*9:末井さん

『ニューセルフ』『ウイークエンドスーパー』『写真時代』『パチンコ必勝ガイド』などを作った末井昭氏のこと。P224参照。

*10:『TOO NEGATIVE』

アート系エログロ雑誌。ボンデージ、フリークス、死体写真までてんこ盛り。

*11:NGギャラリー

『TOO NEGATIVE』の世界を立体化したギャラリー&ショップ。

*12:『お尻倶楽部』

ウンコ大好きなスカトロ雑誌。ほかに『ベビーフェイス』、オシッコ大好きな人には『聖永クラブ』なんてのもある。

*13:『ビデオ・ザ・ワールド』

数あるAV誌のなかでも、バツグンの批評性を備えていた雑誌。

*14:『アリスクラブ』

白夜書房から出ている美少女ロリコン誌。80年代半ばに『アリスくらぶ』というマニアックなロリコンマンガ(ひろもりしのぶ藤原カムイらが描いていた)が出ているが、それとは別物、ロリコンマニアのバイブルである。

*15:『危ない1号』

かつて青山正明が編集長を務めていたデータハウス発行のバッドテイスト雑誌。現在2号目まで発売中。

*16:GON!

ミリオン出版発行の「世紀末B級ニュースマガジン」。編集長は元『ディーンズロード』の比嘉健二氏。P229参照。

*17:BUBKA

GON!』のマネッコ雑誌として創刊。しかし徐々にスタイルを変え、現在ではお宝メインの“ヘンなもの雑誌”に。コアマガジン白夜書房の関連会社)発行。

*18:『BURST』

「本邦初のタトゥー&ストリートマガジン」と発打たれたハイテンションかつディープな不良カルチャー雑誌。

*19:『投稿写真』とか『熱烈投稿』

この2はまだおとなしいほうで、せいぜいアイドルのパンチラや、女子トイレ盗撮、恋人写真くらい。『アップル写真館』とか過激なものになると、ナンパハメ撮り、野外露出、SM調教など治外法権状態に。

*20:クイックジャパン

太田出版発行のサブカル雑誌。かつて飛鳥新社で『磯の毛の謎』を大ヒットさせた赤田祐一氏が編集長。ちなみに表紙デザインは『ヘヴン』と同じ羽良田平吉氏。

*21:お宝ガールズ

アイドルや女優の売れなかった頃のレアな写真(もちろん水着やヌード)を発掘する雑誌。類似誌もたくさん出ている。コアマガジン発行。

*22:『中大パンチ

中央大学に昔あったミニコミ誌。えのきどいちろう氏らが作っていた。P27参照。

*23:『月刊太腿』

同じく中大で杉森昌武氏が作っていたミニコミ誌。

*24:広告批評』P114参照

『放送批評』行政通信発行

散歩の達人』P246参照

*25:『ニャン2』

正式名称は『ニャン2倶楽部Z』。現在最も鬼畜なノリのエロ系投稿写真誌。

*26:『世紀末倶楽郎』

ここ2~3年流行の悪趣味本の一つ。1号目の特集はチャールズ・マンソンシャロン・テート殺人事件。発行はまたまたコアマガジン。アングラはコアマガジンに限る?

*27:『ゲームウララ』

コアマガジンから発行されていたゲーム雑誌。といってもフツーのゲーム紹介とかじゃなくて、裏ソフトとか非合法ネタ満載。いわばゲーム『ラジオライフ』。

*28:『イソターネット』

インターネットの誤植ではなくてクーロン黒沢が主宰していたホームページ。

*29:『EVE』

ピストン原田氏が編集長を務めたカルトな自販機本。ガロ系の人のほか、桜沢エリカとか霜田恵美子とかも執筆していた。

*30:『ガロ』

いろいろあってとうとうつぶれた。合掌。P200参照

*31:夜想

オシャレでグロテスクな世紀末、といった趣の特集本。『劇場・観客』『上海』『飽食』などといったマニアックな特集を連発。

*32:銀星倶楽部

夜想イラストレイテッド」と銘打たれた『夜想』の別冊。丸尾末広吉田光彦山田章博花輪和一といった“いかにも”な人たちが執筆していた。

*33:南原企画

オシャレでグロテスクな世紀末、といった趣の特集本。『劇場・観客』『上海』『飽食』などといったマニアックな特集を連発。

*34:『月ノ光』とか『牧歌メロン』

少年とかレトロとか、なんかそういうものがこちゃ混ぜになった雑誌。『月光』→『月ノ光』→『牧歌メロン』と出世魚のように名前を変えた。『秘密結社』『拷問と刑罰』『未来帝国・満州の興亡』などという特集があった。

*35:『バグニュース』

かつてのコンピュータオタクたちのバイブル。

*36:『GURU』

とてもパソコンとは思えないサブカルコラム満載の雑誌だった。P204参照

*37:『デジタルボーイ』

ハッカー&サブカル風味のコンビュータ・カルチャー誌。

*38:『マックブロス』

技術評論社から出ていたマック情報誌。なんかか妙なテイストがあった。技術評論社というのは、名前からしてカタいイメージがあるが、『AVクリップ』とか『東京オタッキースポット』とかときどきヘンな本を出す。

『ヘイ!バディー』編集長が語る「少女写真講座」

以下の文章は80年代の少女雑誌*1に掲載された少女写真講座である。

現在では不適切な表現も使われているが資料的観点や筆者のオリジナリティを尊重し、そのまま再録した。

白夜書房『Billy』1981年6月創刊号所載「少女の時代」第1回。のちに同社発行の『Hey!Buddy』が少女雑誌化したことで連載はそちらに移籍する。なお撮影者の高桑常寿は同誌編集長で、後に少女写真から足を洗い、1991年よりアフリカ人ミュージシャンのポートレート写真を撮影することが現在まで続くライフワークとなる)

 

ロリコン写真術講座・少女写真とはエロ写真のことだ

文と写真/本誌編集長・高桑常寿

これは本誌編集長であり一方「少女の時代」を本誌連載中の高桑氏の独断的少女写真論だ。軟弱ロリコン写真青年よ。少女写真のあり方を再考せよ!

自分の撮り方にあくまでもこだわれ! などと挑発してみたりして......。しかしそうなのだ、犯罪写真だろうと、パンチラ写真だろうと、始めるなら最後まで完徹すべきである。信念を持って少女写真と取り組むべし。

 

 

少女写真とはエロ写真の事である。そのエロとは極私的なものである。

しかしそれはロリコンムックにあるような割れ目が写っていなくては何のインパクトも持ち得ない少女ヌードや、パンチラを強調するためにワザと顔をカットした写真や、尻と足の線をきれいに見せるために広角レンズでそのアップを狙った写真等が、スケベでオナニーの対象として実用できるからと言うわけではない。

それは単にスケベな写真ではあるが、エロではない。単に盗み撮りであり、単にモデルを使ったヌード撮影にすぎない。エロとはもっと極私的であり、その手ざわりが伝わってくるべきものである。

写真機を通して少女と正面から向き合う。写真機を向けた瞬間に僕とすれ違う、少女の残酷にも成長し続ける肉体自体がエロなのだ。僕はその肉体を写真機で切り盗ればいい。切り盗られるものは、少女の肉体なのか、それとも僕の時間なのか、それは知らない。知らなくてもいい。だがその傷口が、少女写真―エロ写真として痛みのように定着される。その痛みがエロと感じられ、そうして写された、少女と撮影するものとの関係が透けて見えるような写真がエロ写真と呼ばれるにふさわしい。

何もこれは少女写真に限った話ではない。物を撮るにしろ、少女以外の人物を撮るにしろ、撮影する者と撮影される者との関係がエロであり、その関係が何らかの形で見る者を打つ写真がエロ写真だ。撮影する者とされる者との関係は、芸術でもなんでもなく商業主義でもない。もちろん写真を見る者に対するサービス精神は忘れてはならないが、僕には少女といかに関わって写真を撮るかという意識のあり方の方が、少女写真を撮る者にとって、はるかに重要に思われてならない。

何やら荒木経惟氏がずっと言い続けている「写真とはエロである」という主張を、少女写真について言い替えただけのような形になってしまったが、要するにそういう事なのだ。

荒木氏は廃刊になった『絶体絶命』や、今人気の『写真時代』等に少女写真を発表しているが、氏の写真の中でも、少女写真と妻である陽子さんの写真を、僕が特に愛するのは、撮影する者とされる者との関係があらわに写真に表れているからだ。

荒木氏は、林静一氏との対談(『少女』河出書房新社に収められる)の中で次のように語っている。

「私の一種の口説きっていうのは、どういうところを見てどういうところを撮っているかっていうことを的確に教える、シャッター音を聞かせることなんだ。たとえば、あそこから見てれば私のパンツ見えちゃうんじゃないかしらってあたりからカシーンと押す。上に登って跳んでごらんてっていうときは、登ったところを撮るんじゃなくて、降りるところを撮る。そうすると、何を撮ってるのかわかってくるわけ、このおじちゃんいやらしいって。少女の場合は音で、それを連続的にやっていってわからせる。そのとき、嫌がったり、逆に開き直ってくるという女の本性を表すんだね。たとえば、学校で決められた黒い水着を持って一緒に海へいった子がいるんだ。夏の終わりの海は人がいないから、秘密めいた場所、となると、女はカンがいいから“二人だけの空間だ”というふうになるわけね。そこには一種の警戒心と同時に開放的な気分もある。そこからはじまるんだ。」

この荒木氏の語りは何もパンツを撮る方法を語っているのではなく、少女を撮るときの少女と荒木氏の関係のあり方を語っている。少女をどういうふうに撮っているかをわからせて撮る、と荒木氏は言っているのだ。

荒木氏の場合は、事前に少女を撮るという了解を得て撮影に出かけている。だが、スナップの時に少女との関係を作るためにはどうしたらよいのか。それは簡単である。隠し撮りをしなければよい。「あなたを撮ってますよ」という撮り方をすればよい。少女が自分が撮られていると意識できる位置から写真機を向ければよい。それを意識した時に少女から伝わってくる感情、それは驚きであったり、はにかみであったり、喜びであったり、あるいは拒否であったりするが、それに撮る者が反応すればいい。シャッターを押せばいい。それが撮る者と撮られる者の関係である。

少女ヌードもいいし、隠し撮りのパンチラにも存在価値はある。それを撮ることにエロを感じて撮り続けている人も、それはそれなりの写真であるのだから、否定はしない。撮り続けるべきだと思う。いや、僕はそうした、両面に定着されたエロ、撮る者と撮られる者の関係性のないスケベ写真を好んで見る。そうした写真を見たいという欲望は大きい。だが、自分自身で撮ろうとは思わない。ヌードを撮るにしても、割れ目が見えなければ何のショックもないような写真を撮ろうとは思わない。

 

エロ写真=少女写真にはいわゆる技術など必要ない。必要なのはその意気込みだけである。

僕が少女写真を撮り始めるきっかけを作ってくれたのは、倉田和彦というカメラマンだった。倉田氏と始めて(原文ママ)会ったのは四年近く前になる。東京のあるビニ本製作会社に彼と僕は相前後して入社したのだった

それまで彼は京都に住み、ずっと少女のスナップを撮り続けていて、膨大な量のベタと紙焼きを持っていた。「京都新聞には競技会や運動会の案内が出ているから、それを調べて日曜になると自転車で走りまわって撮るんだ」と言って、山と積まれた写真を見せてくれた。ブルマーからすらりとした足を出した少女、体操競技用のレオタードがはちきれんばかりの少女。競泳用の透けるような水着に身を包んだ少女、制服を着て電話をかけながら写真機をいぶかしげに見つめている少女などなどなど、僕はそれらに完全に圧倒されてしまった。そして彼は言った。

ブルマー写真はエロ写真の原点だ」

何がなんだかわからぬうちに、僕は85ミリを付けた一眼レフを買っていた。彼の写真には少女と彼との関係がはっきりと写しこまれていた。だからこそ僕が圧倒されたのだ、と今にして思う。彼の少女写真=エロ写真だったのだ。エロ写真は感動的なのだ!! と言ってもいいのではないかしらん。

エロ写真にはいわゆる技術なんて必要ない。少女写真を撮り始めた僕に当時技術があったわけでもなく、今もそうである。いいなァと思えるものがエロ写真=少女写真であるというだけの事だ。そういう感情が引き起こされる写真は、撮る者と撮られる者との関係が透けて見える。

だいたい今の写真機は、いわゆるバカチョンをはじめとして、一眼レフまで、シャッターを押せば写ってしまう。被写体さえあれば写真機のほうで写真を撮ってくれるのだ。だから技術に関しては写真機に任せっぱなしで一向に差し障りない。それでも不安だという向きは、その辺の本屋でよく見かける「スナップ撮影方入門」とか「ポートレート入門」とかをちょっと立ち読みするくらいで十分だ。

それよりも撮る以前の意識の問題の方がクローズアップされるべきだ。その前にももう一度断っておくが、以下にのべる少女写真=エロ写真とは、少女と撮る者との関係が透けて見えるような写真のことである。

エロ写真を撮るためにはやはり「エロ写真を撮りたい。ボッキする写真を撮りたい」という止めがたい欲望をふくらませなければならない。少女にエロを感じるヘンタイにならなければならない。少女にエロを感じるという事は、ヘンタイに他ならない。それを肝に命じなくてはいけない。ロリコンってやはりヘンタイなのだ。自分はヘンタイなのだという罪の意識を持たねばならない。そういう意識を持たないロリコン写真青年が多すぎる。

そういう青年は一度少女に「ヘンタイ」と呼ばれてみるべきである。彼女らは残酷である。その眼は冷徹にロリコンを見すえている。「チカン」「ヘンタイ」等は彼女らの口ぐせである。それに恥じ入ってしまうようなロリコン青年は、少女写真など写そうと思わない方がいいだろう。それに快感を覚え、「ヘンタイ」と呼ばれるたびに、快感に身をわななかせて射精するというのも問題があるが......。

 

エロ写真にはエロ写真の規則が存在する。その第一条件は美少女であることだ。

ところでエロ写真にはいわゆる技術は必要ないと書いたが、エロ写真にはエロ写真の規則みたいなものが厳然と存在する。エロ写真は、実用に耐えなくてはならないのだ。写真をみながらマスターベーションにいそしむ、それがエロ写真の持つ効用であり、それが最低条件なのだ。芸術ではないのだ。その条件を満たすために、少女写真においてどうすればよいのだろうか。まず被写体―少女探しである。写真は写真機とフィルムがあれば写るものではない。街に出かけて行って被写体―少女を探さねばならない。写真はここから始まるのだ。それからである。被写体の条件探しは。

その条件とはまず顔である。何がなんでも第一に顔がよくなければならない。今まで書いてきた「少女」とは「美少女」以外の何ものでもない。ブスは「少女」とは言わないのだ。だからブスが写っている写真は「少女写真」とは言わないのだ。いくらスタイルが良く、その姿態がなまめかしくてもブスが写っている写真でマスをかこうという気になるか? 雑誌のグラビアの例を出さなくても、それは自明の事だ。

そして顔の写っていない写真も「少女写真」とは呼び難い。耳のアップだけでマスがかけるか!? 尻のアップだけでマスがかけるか!? 指先のアップだけでマスがかけるか!? それはフェチシズムでしかない。ロリコンはフェチとは対照的な位置にあるヘンタイなのだ。フェチで実用を行うのは他の人種にまかせておけばいい。ロリコンとは「この少女はこうするとどういう表情をするのだろうか?」と想像力をカキたてて実用を行う人種なのだ。

第二には少女の服装である。

これは肌の露出が多いほうがいいに決まっているし、ゆったりとしているより、体にフィットしているほうがいい。そしてブルマーがいい。これは説明するまでの事もないだろう。肌や体の線が露出するほど想像力を働かせる部分が少なくはなるが、刺激は大きくなるのだから。そうした意味では、コート、マフラー、手袋といったヨロイが登場する冬は最悪の条件である。

第三には少女の動きである。

少女が左を向いて直立しているとする。撮影しようとするものは少女にとって右横にいるわけである。その時少女が一歩足を前に出すとする。それは右足か左足かのどちらかであるわけだが、どちらの足を踏み出した時にシャッターを押すかという問題でもある。笑ってはいけない。これが大きな問題なのだ。

右足を踏み出した時に見えるものは、尻の割れ目である。その小さな尻の愛らしさには目を瞠る。

左足を一歩前に踏み出した時はどうか。見えるのはマタグラである。ショートパンツをはいていれば、その継ぎ目がツルリと輝く割れ目にくい込んでいるいるかもしれない。巻きスカートの時には、スカートから白い太腿が見え隠れしているかもしれない。

だったらどうするか? 答えは自明であろう。

お尻の割れ目にも未練は残るが、エロ写真の原点は何といってもマタグラなのだ。左足を踏み出した時にこそ、ためらわずシャッターを押すべきである。だがここでも忘れてはならない。必ず少女の顔も入れて写す事を。(おわり)

*1:所載:白夜書房『ヘイ!バディー』1983年11月増刊号『ロリコンランド3』(850円)pp.46-48(引用者が確認したのはテキストデータのみで掲載写真は1982年3月に徳間書店から出版された『アニメージュ増刊 アップル・パイ 美少女まんが大全集』より再録した)

死体写真やマニュアルによって浮かび上がる“死のリアリティ”願望(1993年の死体ブームをめぐるレポート)

死体写真やマニュアルによって浮かび上がる“死のリアリティ”願望

“死の書”ブームは精神世界の行き着く先か。

所載:『アクロス』1994年2・3月合併号

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岡崎京子リバーズ・エッジ』(宝島社「CUTY」連載中)より。「自分が生きてるのか死んでるのかいつも分からないでいるけど/この死体を見ると勇気が出るんだ」

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エイズ患者の死を正面から使ったベネトン・92年の広告。いち早く“タブー”を破り、日本だけでなく各国で論議的になった。

時代は、世紀末であるらしい。この時期になると、死の臭いが濃厚となり、終末論的なムードが盛り上がるのが歴史の常である。エイズというこれまで人類が経験したこともなかつた新しい病の流行が世紀末という空気に拍車をかけているということもあるだろう。例えば、“死"をテーマにした書籍が売れ筋であるのも、“世紀末”の反映であると、とりあえず短絡してみたい。

代表的なものは表に挙げた通りである。

〈93年に出た、“死“をテーマにした本9冊〉

●布施英利「死体を探せ! バーチャル・リアリティ時代の死体」法蔵館

美術評論家であり解剖学者でもある著者が、死体をめぐつて、自らの経験やメディアなど様々な角度からの考察を展開する。

 

●布施英利「図説・死体論」法蔵館

「死体を探せ!」のビジュアル版。一見キワモノ的な写真集といった感じだが、構成が緻密で、自然と“読む"ことを促される。

 

鶴見済完全自殺マニュアル太田出版

文字通り“完璧”を目指した自殺の手引書。弱者への同情が行間にほの見える。全て自分のこととして書いたと著者は語ってくれた。

 

河邑厚徳・林由香里「チベット死者の書 仏典に利められた死と転生」NHK出版

アメリカン・ドラッグカルチャーと「死者の書」が出会ってから、エイズ末期

患者の死の床に至るまでの過程が興味深い。

 

●式田和子「死ぬまでになすべきこと」主婦の友社

主婦向け投稿誌の編集長だから書けた、等身大の“老い”と“死”のマニュアル本。淡々とした筆致に、宗教書にはない感動がある。

 

渡辺格「なぜ、死ぬか」同文書院

日本における分子生物学の草分けが、“死”という現象について語る。冒頭の自身の死への恐怖についての赤裸々な告白がいい。

 

青木新門納棺夫日記」桂書院

富山で発刊され、全国的なベストセラーに。納棺人という死者に接する職業の

著者が“死”を見つめ続けた思索の書である。

 

山口椿「死の舞踏」青弓社

“死"をめぐるエッセイといった趣だが、殺人や自殺の現場とおぼしき写真に吸い寄せられる。死者の、静謐な息づかいが聞こえる。

 

●小池寿子「屍体狩り」白水社

ョーロッパの中世美術から煙草のマークまで、死の図像を題材に綴られたエッセイ集。著者は「死の舞踏学会」唯一の東洋人会員である。

これ以外に、脳死、臓器移植、ホスピスターミナルケア臨死体験などに関するものを含めるとかなりのものになる。“死”をテーマにしたコーナーまで設けている書店もある。医療の現場からアートの領域にわたって、これほど広範囲からのアプローチで死が語られたことがかつてあっただろうか。過去、死を扱った本のジャンルを見ればわかるように、これまで死は、宗教的・哲学的・観念的なものとして語られてきた。人間にとってこれはど普遍的で、誰もが必ず体験するとても具体的な現象が、きわめて高踏的で難解で、それこそ日常から遊離したものとして捉えられてきたフシがある

ところが現在は、死に対するアプローチが多様であるばかりでなく、ある種の傾向として、死を、即物的かつ具体的なものとして見つめ、等身大の平易な言葉で語ろうとする志向が読み取れる。よリダイレクトに直接的な体験として認識しろと促す書物が多いことに気づかされる。それはしばしば死体写真集やマニユアルといった、これまでにない体裁をとったりする。

例えば表に挙げた『死ぬまでになすべきこと』は、「老いるとは尿瓶の助けを借りること」という章に始まり、遺産相続、老人ホーム、墓、献体と、死ぬまでのプロセスで知っておくと便利な情報を集めたマニュアル集だ。そこには“神話”もなければ“ロマン”もない。現代の“死”のありようが、明快に提示されている。今まで“尿瓶”といったきわめてリアルなものを起点に“死”が語られたことがあっただろうか。

現在の死には、もはや高尚な“哲学”は必要ない。あるがままに見つめ、それをどう受けとめるか。考え選択するのはその人の自由だ。そのような“実践の書”をいくつか取り上げ、そこに語られた“死”のあり方を見てみたい。

 

布施英利著『死体を深せ!』『図説・死体論』

(死体標本や解割の光景など、ギヨンとするようなビジュアルに添えられた文は至ってシンブルだ。それが一層、死体そのものを際立たせる)

論考を中心としたテキスト版『死体を探せ!』と、そのビジユアル版『図説・死体論』の2冊が対になった書物である。後者のあとがきの中で著者の布施英利氏は次のように述べている。「(死体写真や絵を)じっと見つめてほしい。見つめているうちに図版が語りかけてくる声が聞こえてくるだろう。その声(それこそが死体論なのだ)に耳を傾けてはしい。(略)現代を、都市を救うのは、死体だ。死体こそ、これから僕たちが生きるうえでもっとも大切な『思想』なのだ」

布施氏のこうした姿勢は、ビジュアル版だけでなく、『死体を探せ!』とも共通している。すなわち、著者は“モノ”でもなく“人間”でもない“死体”をあるがままに直視し、日常に取り込むことによって、今世紀初頭より隠蔽されてきたところの“死”(フィリップ・アリエス『死と歴史』)を、現代という時空間に復権させようと試ているのだ。“死体”の“思想”を語るのではく、“死体”そのものが“思想”であるとする直裁な主張がある。

『死体を探せ!』には、著者の自殺死体目撃談から、解剖学、図像学、歴史、アート、犯罪、メデイア論、都市論などの様々な視点から“死体”にまつわるいろいろな事象が語られている。その根底に流れているのは解剖学者として日々死体に向き合い、解剖という「肉体労働」を通して培われた「健全な」認識である。80年代初頭、藤原新也がインドで撮影した、犬に食べられる人の死体の写真が話題になったが、ちょうど藤原がインドという“自然”が剥き出しの場所で“死体”という“思想”を獲得したように、著者も解剖学を通して藤原と同じ“思想”を得たということであろう。

死体に接するようになって「精神が“健康”になったかもしれない。思想上の変化はない」と答えてくれた著者だが、“死体”を通して現代人(とりわけ日本人)が「健全」さを回復することこそこの本の著者のメッセージだと理解した。

この国に欠けているものは『死体感覚』にほかならない。日本の『都市』は、死体に代表されるような『自然』をひたすら排除する。それを私たちは『脳化』と呼んでいる。脳化都市では『自然』は実体を失い、電子の映像などとなって氾濫する

そこで“自然”を取り戻すために、「プラスティネーション」と呼ばれる技法で処理された死体写真に親しむことが有効であるとする主張がなされる。死体写真といい、加工された死体標本といい、キワモノ的な嗜好と混同されてしまう危険があるのだが、著者はそこにはっきリ一線を引く。ホラービデオなどに代表されるその手の表現は、“死”や“死体”を直視しない人々の幻想の産物だというのだ。研究室にある標本を見て、「『キヤーキヤー騒いでいる』のは、たいてい『見ていない人』だ」という著者の主張は、死に関するテーマヘのマスメディアの反応にそのままあてはめて考えることができるだろう。

88年の連続幼女誘拐殺人事件の容疑者が好んだとされるスプラッタービデオなどのソフトを総称して著者は「電子の幽霊」と呼ぶ。なるほど、「脳化都市」をイメージ化すれば、さながらM容疑者のおびただしい数のビデオテープに囲まれた部屋ということになるであろうか。

「電子の幽霊」が経験として不十分なのはわかる。しかしそれらのキワモノ的なメディアと、加工された死体標本や死体写真集との決定的な差異を説明することは、今のところ困難だと言わざるを得ない。現代の都市に“自然”を取り戻すには、まだまだ様々なかたちの“死体”が必要だということだろうか。

(※書名のない引用は全て『死体を探せ!』より)

 

鶴見済著『完全自殺マニュアル

青木ヶ原の自殺者の遺品から見つかり話題になった『完全自殺マニュアル』。テレビを始めマスコミの反応は、概ね“マニュアル”という表層部分を字義通りにとらえた批判的なトーンのものだった)

有害図書」の指定をめぐって論議されたり、各メデイアにも大々的に取り上げられ、昨年大変話題になった本の1冊である。ちなみに前述の布施英利氏はこの本についてこうコメントしている。

「かつて『死体は語る』という本がベストセラーになったが『完全自殺マニユアル』もそれと同じで、いかに死んだか(死ぬか)ということがポイントになっている。僕の本は(死因はともかく)死んでしまった後の死体を扱っている。別の主題だ。/あまり指摘されないが『完全自殺マニユアル』が売れたのは、彼に文才があるからだと思う」

確かに“死”と向き合うベクトルに違いはあるだろう。『自殺マニユアル』は“死”(あるいは自殺)そのものを問題にしない。“死”を一つの事象としてカッコに括り、「コトバによる自殺装置」と帯にあるように、一粒の毒薬として読者に提示する。それをどう使うかは読者の自由なのだ。しかしその毒薬を手にとって見ているうちに、死がきわめて身近なものとして感じられるようになる。隠蔽されたはずの“死”がリアルに立ち上がってくるのだ。つまり“死”を直視するべし、と啓発する点では布施氏の著作と共通するものがあると言えるのではないだろうか。

文才について言えば、彼のドライで時折ブラックユーモアを感じさせる文体は、著者がよく読んだという初期の村上春樹を紡彿とさせる。民族学者の大月隆寛は、書評で「80年代ニヒリズムの影」を指摘している.(「ダカーポ」12月15日号)。

今から11年前に刊行された『自殺 もっとも安楽に死ねる方法』(1983年)というフランス人の書いた本の翻訳が『自殺マニュアル』を書くヒントになったというが、実際この本、自殺論とぃった社会学的な考察が主で、自殺の手引きの部分は巻末に申し訳程度にあるだけなのだ。必要なのは分析ではない。「今必要なのは、自殺を実践に移すためのテキストだ」(序文)。そしてより徹底して実用的な本書が出来上がったというわけである。

著者は学生時代、人並みにニューアカの洗礼を受けたと語る。「現代思想をやってないと話が通じないって感じでしたからね。だけど今から考えると、あれは何だったんだろうなって思いますね。結局答えはなかったじゃないか。ただの言葉の遊びじゃなかったのかって」

“言葉”や“思想”や“分析”では、最早インパクトを与えないのではないかという疑間があったに違いない。読者に直接作用するマニユアルという形態が最も有効なのではないのかと(この点は初期の山崎浩一に影響を受けたという)。

著者が、主にテレビなどの取材を受けた際、「なぜ若者は自殺に走るのか」といったような質問が一番多かったそうだ。あるいは、このての本を書いたことに対する社会的責任を問うような糾弾調のものもあったという。やはりお茶の間では、いまだに

“自殺”=“不健全” “反社会的"という図式から離れられないということだろうか。しかし一方、実際、読者からの反応は、「生きる勇気がわいた」的な感想も少なくなかったという。逆説的に心の支えとなりうる本書は、著者が狙った通り、生きているのか死んでいるのかわからない「延々」と続く退屈な日常に風穴を開けることにいくらか成功したと言えるのではないか

 

河邑厚徳・林由香里著『チベット死者の書』(バルド・トドゥル)

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8、9世紀にインドの僧によって 書かれた「死者の書」は現在も読まれている。チベット(上)だけでなく、アメリカ(下)ではエイズやガンで死に瀕した人達の心の支えとなっている。

昨年の9月23・24日、2日間にわたって放映されて大反響を呼んだ、NHKスペシャルのタイアツプ本である。著者は番組を制作したプロデユーサーの河邑厚徳氏。河邑氏が1981年に制作した番組に『ドキュメント・がん宣告』がある。今から14年前のこの番組が、『チベット死者の書』を企画するに至る出発点となったと氏は語る。

『がん宣告』は、一人の会社員ががんを宣告され、聞病の末亡くなるまでを記録したドキュメンタリーである。まだ告知も一般的ではなかった時代にあって、ドキュメントという形式で、人が死にゆく様を扱ったのはきわめて異例であり、衝撃的だ。日常の中の等身大の“死”を、真正面から取り上げたのは、おそらくテレビ史上初の試みであったろう。

「この番組の取材中、末期のがん患者の苦脳を目の当りにして、結局最後は苦しんで死んでいくわけですけど、すごく救いがない感じがしたんですね。スタツフもみんなノイローゼみたいになっちやつて。僕自身、人の死の最期の姿がとても悲惨なものに感じたんです」

本来、人は家で死んでゆくものだったのが、1977年より病院で死ぬ人の数がそれを上回るようになる(91年で、75.9%の人が病院で死んでいる)。“死”が日常から消えてしまう時期であり、もちろん“死”などもないに等しい時代だった。河邑氏は番組終了後、もっと違う死に方はないものかと考えるようになる。そしてこの時期、インドヘ取材に行くチャンスがめぐってくる。

藤原新也さんの写真と同じように、ガンジス川で大に食われる赤ん坊の遺体を見たんです。一応撮影もしましたけど。死が当たり前のようにあるインドで、病院で死んでいった彼とはまた違う“死”に触れて、心の重荷が降りたという感じでした。それですべてが終わりじゃないという、輪廻転生の世界が、インドでは現実のものとしてあったんです」

『がん宣告』の後に“死”を扱うとしたら、次のステップを表現したかった。それが西チベットのラダックで、死者を送るために現在も用いられている経典、「チベット死者の書」をテーマにした番組に結実したというわけだ。

この番組で画期的だったのは、死体が頻繁に登場したという点である。『がん宣告』ではラストに主人公の死の直後の映像が象徴的に一瞬使われていたに過ぎず、当時テレビではそれが限界であった。その点で時代の変化を感じさせると河邑氏は言う。

もう一つ印象的だったのは、ラダックで死後行われる儀式が、ただの“未開の地の奇妙な風習”といった風にならないように、アメリカのダイイング・プロジエクトを紹介したことである。サンフランンスコのホスピスの現場で、実際に「チベツト死者の書」を用いている現状は、これが現代においても有用な実践の書であることを証明している。

この経典には死後、人が遭遇するであろうこと、そしてどうすればよいかという「安らかに死ぬための技術」が詳細に記されている。エイズ高齢化社会の到来を契機に、この“究極の実用書”が脚光を浴びたのは、偶然でない。「死者の書」は、“死”が隠蔽された時代において、直接体験的に死と向き合うための手引きとして有効なガイドだということができるだろう。

この番組の反響から、今後マスメデイアが“死”を取り上げていく機会が多くなっていく予感がある。

 

「ゴタクはもう聞き飽きた」(『完全自殺マニュアル』より)

布施英利氏は、「チベット死者の書」にある死後に人間が見る様々な光明をテレビの光になぞらえている。また鶴見済氏も「テレビを消したあとの、あの奇妙な暗さを覚醒させる」のが本の狙いだといっている。そしてNHK版『チベット死者の書』の共著者である林由香里氏は、自分たちの世代は“体験”を奪われた世代であり、「ブラウン管を突き抜けると別世界が広がるという幻想があって、パッと死ぬとその瞬間に別世界が開けて、そこに希望を見出すというようなところはあるかもしヤしない」と言う。

1960年代に生まれたこの3人が、いずれも死について語るときにテレビの体験を持ち出しているのが興味深い。彼らは生まれたときからテレビがあったメデイア世代であり、“死”の存在しない「電脳都市」に育った世代である。だからホラーなどのキワモノに対する抵抗のなさがエスカレートして、現在、“死”をダイレクトに即物的に見つめようとする志向が生じたのか。あるいは高度成長によって崩壊してしまった、本来“死”を支えたはずの村落共同体的な共同幻想の代わりに、自分達の手によって“死”を再構築しようとする意志が芽生え

たのか。理由づけはいくらでもできるだろう。しかし、「ゴタクはもう問き飽きた」のである。例えば『自殺マニュアル』の序文にあるように「身ぶるいするような日常生活」のグロテスクさと、そこから脱するための最後の自由としての自殺というような考え方は、大江健三の『われらの時代』などですでに取り上げられているテーマだ。事実“死”は普遍的なテーマであるし、時代的な問題というよりも、それを取り上げ扱う感性の質の問題なのかもしれない。

取材に際しても、『死体を探せ!』と『完全自殺マニユアル』の著者は、共に安易な世代論や解釈を婉曲に拒んでいるように感じられた。それは無理もないだろう。しかし、臓器移植、脳死ホスピスなどの医療の現場からの要請によって、あるいは高齢化社会の到来によつて、我々が否応なく“死”に直面せぎるを得ないであろう現実を、彼らが鋭敏に感じ取っていることは間違いないようである。

「地球上のどの民族も、かつてはメメント・モリ(死を想え)を出発点として独自の精神文化を作り出して」(『チベット死者の書』)きたのだ。そして現代の社会において、“死”は日常から隔離され、隠蔽されてしまった。時折偶然その“断片"を目撃する程度である。“死”が隔離されることに比例して、我々の“生”もまた希薄なものとなってくる。“生”も“死”も宙づりにされてしまう。そちらの方がむしろ異常な事態なのだ。

そこで、自分自身の手になる“死”(自殺)を通して、あるいは具体的な“死体”を通してそれを実感するしかない。それが今現在の「メメント・モリ」だし、新たな精神文化のありようなのだ。できれば見ないで済ませたい、としてタブー視してきた死を直視する、という流れが生まれてきたのは、現代日本人の精神が成熟に向かいつつある現れなのだと考えられないだろうか。

 

関連リンク

 

因果者列伝・村崎百郎インタビュー(月刊漫画『ガロ』1993年10月号「特集・根本敬や幻の名盤解放同盟」題して「夜、因果者の夜」から)

因果者列伝・村崎百郎インタビュー(工員/江戸川区/O製作所勤務・30歳)

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青林堂『月刊漫画ガロ』1993年10月号「特集・根本敬幻の名盤解放同盟」題して「夜、因果者の夜」

根本敬は言った。「去年初めて神(天・自然)のお導きで村崎さんに会った時、「今だから言えるけど、俺は昔下着泥棒やら強姦やらさんざんやったモンです。」とか、「今でもアパートの住民のゴミを盗んで定期的に調べているんです」等々の話を聞き、初対面ながら「この男は信用できる!」と確信した。

信じられる男の発する熱に、因果者の誠を感じた。自ら進んで業を背負いつづけるものにこそ真理の光を見るのだ。よしこの人の湖に飛び込もう。幻の名盤解放同盟は思った。

■雪焼けした女の健康美

生まれは北海道、わりとまともな町で育ったんだけど、オヤジが公務員で転勤が多くてね、小三くらいの時に過疎の村へ引っ越した。そこが物凄いところでね、村ってのはすごく陰湿なんだ、貧しくて、人の成功はねたむしな、ほんとに狭くて、プライバシーなんかねえんだよ、電話が一応通ってたんだけど、回線が少ないんだかなんだか、受話器を取るとよその家の会話が筒抜けなんだよ。親機と子機みたいに(笑)どこの家の誰が、どういう服着て、どういう飯食って、どういう糞してるか、下手すっと肛門のシワの数まで知ってンだよ(笑)。そういうとこだから、オレはヨソモノだろ、いじめられる対象でしかないわけ。とても言葉では言い尽くせないようないじめを受けたね。村じゃもうクラス全員が敵なんだよ。「オレだけはおまえの友達だ」っていうような顔をして近寄ってきても、二人しか知らないはずのことがクラス全員に知れ渡ってたり、だから(在日)朝鮮人の気持ちとかすごいよく分かるんだよ。ケンカするにも「負けたら生きて行けない」みたいな感じだろ。そりゃケンカも強くなるよ、やり返さねえとこっちが殺されンだから。ヨソモノに対しては思いきり冷たいんだけど、村ってのは妙な共同体意識みたいなモンがあるんだよ。学校焼いちゃったのがいたんだよ。みんな犯人知ってるんだ。下手すると通りの犬まで知ってるってくらいなのにみんな隠すんだよ、警察にばれたりしたらソイツの一生終りだろ。そういう時はかばい合うんだな。オレみたいにとことんいじめを受けたヤツって二通りに分かれるんだ、世の中が嫌になって自殺するタイプと、アレイスター・クロウリーみたいに世界そのものを憎み出すタイプ、オレは後者の方でね。友達が誰もいなくて完全に孤立してたから、よく一人で海とか山をさまよったね、山奥の誰もいないところで何時間もポーッとつっ立ってたりした。耳を研ぎ済ましてると、変な声とか、何キロも先で雪が降ってる音とか聞こえてくるようになるんだよ。

 

■歴史とは性交の具現なり。

小学校の時、日本が実は戦争に負けてたっていうのを知ったのはショックだったね。ジイちゃんに聞かされて、人生における最初の痛恨事だったよ、あれは「丸」なんかみながら軍歌見えたりしてたもんな。でも、従軍慰安婦問題にしてもそうだけど、ああいうのを知っても別にショックじゃねえんだよ、戦争に強姦はつきもんだろ。占領後の強姦とかがあったからこそ、日本軍は強かったんじゃないかね。だからオレは兵隊が強姦してたってより、戦争に負けてたって事の方がショックだったね、負けたのになんで平和なんだろう。周りはノウノウとしてるんだろうって不思議でならなかった。

小学校五年の夏に海で溺れかけたんだよ。話せば長くなるからはしょるけど、所謂神秘体験をしたわけよ。見ちゃったんだ。どうして助かったか分かんないんだけど、それからだね。凶悪になったのは(笑)。いろんな制約が全部無くなっちゃったんだよな。「人生において、やっちゃいけないなんてことは実は何もないんだ」ってことに気付いたわけだ、やっぱり一回死にかけると「もういつ死んでもいいんだ、後の人生は余録だ」って思うだろ。ホント、やっちゃいけないこととか、超えちゃいけない一線なんてのは実はねえんだよ、(マイクに向かって)オマエ分かってるか? 殺人だってなんだって、人間ってのは生き物殺さなきゃ生きて行けねえんだよ、魚殺すのと人殺すのとどこが違うんだよ。

 

■若きナウマン象は美しく青白きメロディに憑かれた

オレの戦法ってのは、自分がドロドロになりながら相手もそれに引きずり込むっていう最悪のモンでね、いつのまにか体格も良くなってたな、大勢にやられても、その夜一人々々の家へバット持って復讐に行くんだよ。家族団欒のところに、団欒ってのが狙い目なんだ(笑)。寝てる時でもなんでも、玄関破って入ってったから、キチガイって言われてたね。

中学のとき、下級生で気に入らないヤツがいてね、そいつが盲腸にかかったんだよ、退院してた日にシメるわけ(笑)。道で待ち伏せて、思いっき腹にケリ入れるんだよな(笑)。それだけならまだいいんだけど、それに加えて言葉で痛めつけるわけ。うずくまってるところを。自分が言葉でいじめられたから、相手にも言葉でいじめるんだよ、アレはちょっと悪いことしたね(笑)。一度ズタズタにして、泣きながら家に帰ってく奴を先回りしてそいつン家の前でもう一回ぶん殴ったりたこともあったな(笑)。高校進学率は五割以下だったな、もう最低レベルのバカばっかり、小六でかけ算九九が言えねえようなヤツラばっかりなんだよ。高校も近くにあったのはどうしようもないバカ学校で、五教科百点満点でトータル百二十点も取れば合格。一枚科三十点も取りゃ合格なんだよ。英語はみんな零点だから、実質的には四教科各々三十点で合格か(笑)だって文盲がいるんだよ。三十くらいの漁師だったけど。

 

■愛と平和の調べは己が手でのみ作られる

性の目覚めも特殊だったな、田舎のガキってのはみんな結構、親のセックスとか見ちゃったりするんだけど、オレはなかったな。海辺の町だから夏になると観光客が来るんだよ。海水浴に、そういうヤツが文化を持ってくるわけ、つまり、海岸に打ち上げられたり、捨てられたエロ本からそういう情報が入ってくる。で、観光客ってのは都会からやって来て、大自然の中でやっぱり一発キメたくなるモンだろ。使ってないトンネルなんかのところでやってたりするんだよ。だから「岬にカンコーが来てるぞ」っていうとみんなで見に行くんだな、ところがアイツらバカだから見つかっちゃうんだ(笑)。小学五年ぐらいの時、たまたまSM誌を拾ったんだな、これでオレの性的嗜好は決まったね(笑)。今でもそこに入ってた小説のストーリーは克明に覚えてるよ。起承転結の見事な非常にできのいい作品で、それからは町に出るたびにSM誌買い漁ってた。グラサンかけて。もうセックス・イコールSMになったわけだ。

同級生の山田ってのが結構いいオンナだったんだけど、高校卒業する頃には三千円で売春しててよ、三千円で売春して、その金でクルマの免許取ったんだよ、乗らせちゃ乗ってたわけだ(笑)。近くの農業高校では相場が一回五百円ってのがあったけど、とんでもないオンナばっかり(笑)百円でも御免だっていう。

 

■植物図鑑に舌打ちするベジタリアン女と動物図鑑がズリネタの獣姦症男が出会って恋の花咲く。

クマが出るんだよな、ヒグマ。春先ンなると山菜採りなんかが襲われるんだ。毎年何人かクマに殺されてるんだよ。同じクラスの奈美子って女のオフクロも裏山でクマに殺されたんだけど、そういう体験して大きくなったとき、例えばの話、ボーイフレンドにクマのねいぐるみプレゼントされたりしたらどうすンだろな(笑)。クラスの中で七、八人は片親だったり、両方いなかったりだったな。漁師とか土方が多かったから、事故とかヤクザに刺されたりで死ぬのもいたしな。

ヒグマ撃ちの後藤ってオヤジがいてよ、毎年何頭かしとめるんだけど、コイツの持ってるのが村田銃なんだよ。先込めの火縄銃。何でそんなの持ってんのか分かんねえんだけど(笑)。村の英雄で、そこン家に行くとクマが軒下にぶら下がってンだよ。火縄銃だからもう一発勝負だな。失敗したら死ぬわけだよ。クマってのは目をにらむと襲ってこねえんだ。だから目をそらさないで出来るだけ近付いて、眉間を狙うんだな。他の部分の毛皮に傷が付くと安くなるから。子グマを動物園に売ったりもしてた。そいつがある冬の朝、自殺こいたんだ。田んぼの真中で、雪が真っ白く積もってる田んぼの真中まで歩いてって、村田銃の銃口を口に入れて引金引いたんだな。田宮二郎とおンなじよ(笑)。雪の中に真っ赤な花咲かせて、まるで日野日出志のマンガだよ(笑)。みんなで「クマのたたりじゃねえか」って噂したんだけど。

 

■出し入れの関係代名詞は餅つきペッタンの水平線の向こうに見える自分自身の尻の動き

高校ン時は空手やってたな。一意専心ってヤツ。空手を志したきっかけは強姦目的(笑)。もう悪の権化だね。よくテレビなんかで、悪党がオンナに中段突き一発かまして気絶させるってのがあったろ、あれを見て「いける」と思ったんだよな、ありとあらゆる悪いことをしてやろうと思ってたから、人間の、ホントに最低の醜い姿を知ってこそ、その美しさも分かるんじゃねえかっていう気持ちがあってね、でも結局、強姦はやってないんだ。何でか解る? オレはその後のフォローもちゃんとしてるからさ、初めはアレでも、フォローさえすればそりゃ必ずしも強姦とはいえねえんだ。

人生最大の痛恨事ってのが初体験なんだけと、つまんなかったんだよ、きっきも言ったけど、初めに目覚めたのがSMだよ、セックスに対して過大な期待があったんだな、擦り切れるほどオナニーしてたし、ヤカンに水を入れてカリの先に引っかけて、勃起力を鍛えてたんだよ(笑)。そしたら鋼のようなチンコになっちゃったんだな、全然良くなかったんだ。「オレはこんなものに夢を持ってたのか」って、例えようもない喪失感を持ったわけだよ。悩んだね。それでもっと数をこなせば分かるんじゃないかとか、オンナによって色々違うかも知れないと思って色んなオンナとやりまくったわけよ、狂ったように。

オンナとしけ込んでハメ狂ってる時にじいちゃんが死んだんだよ。葬式に出る時間が惜しくて、オンナとやってたんだよ、勉学が忙しいって言ってセックス覚えたての頃は、一日三回はやってたから一年で千回はやったね、それとは別にセンズリもやってたからな。その時のオンナはデバカだったんだけど、そいつの寮に夏中居座ってよ、寮を占領して(笑)。中には一回家にオレを上げてしまったためにその後四年間住まれちゃったってオンナもいたよ(笑)。オレ両腕に傷があるんだけど、これヒステリーのオンナにやられたんだよ。ヒステリー起こすといつも腕を押さえるんだけど、そうするとオンナに引っ掻かれるんだよ。いつもおんなじ場所だからいつまでたっても傷が直らなくて、とうとう消えなくなってな。でもこの傷がオンナに付けられた傷だって見破ったヤツがいたよ。板橋の工場に流れてた奴で「分かる?」って言ったらソイツが「オンナに付けられた傷は消えねえんだよ」って(笑)。

オンナっていうのは、誰でも自分だけの宝みたいなモノを持ってるんだよな。それは例えばアイドルであったり、ミュージシャンだったりするけど、今でいえばエックスとか色々あるだろ。それについて理解を示してやったりするとコロッと引っかかるんだな、「ワタシのことを分かってくれる」って。で、オレは相手が心の扉をほんの少しでも開けるやクイッとチンポをネジリ込んじゃうんだよ。逆に別れるときは、オンナの好きなものをけなしゃいいんだ。楽なモンだよ(笑)。それでも駄目ならそいつの三代前まで遡ってひい婆ァちゃんから始まって、犬猫に至るまで一晩かけて微底的にある事ない事こきおろすワケよ。そこまでやればほとんどのオンナは「もうやめて」つって発狂するわけよ。不通の人間社会にゃ言っちゃいけねぇって事があるけど、そこをいやと言うほど責める訳だもんな。

 

■血と汗と唾と叫び声と透明ちん汁。

やるときは、早くイカないコツってのがあるんだよ。やってる時に親指で踏んばると早くイッちゃうんだな。やってみな。あと人に聞いた話なんだけど、オンナとつき合ってて、やる時は、月に一、二度はコンドームなしでナマでやったほうがいいんだってな、「そうするとオンナは変るよ」って言われたんだけど、アレホントかね、色っぽくなるって言うんだけど。

どんな美人でもずっと一緒にいると飽きるモンだよな、二年も住んでりゃ近親相姦みたいなモンだよ。そうなっちゃうともうやる気も起こらなくなるから、紙袋を頭からかぶせてエロ本見ながらやるんだよ、エロ小説の時もある。でも、動くから活字だと読みにくいんだよな、まあ、もちろん相手には分かんないように縛ってからやるけど(笑)。昔の殿様なんか城下のオンナの初夜権を持ってたりしたろ。オレの好きな話で、そういう殿様はブスでも頭から袋かぶせてやったっていうのがあるんだけど(笑)。エレベーターの中でオンナを押し倒したこともあったな、人が来て結局出来なかったんだけど、大体、会った瞬間に分かるんだよな。「このオンナとはやるな」ってのが、「このオンナを押し倒ねえとオレの人生は先に進まない」みたいな。例えば不良同士で会った瞬間にムシが好かねえってのがあるだろ「コイツとはいつかやるな」という。あれと同じだよ。オレの場合、ムシが好かねえと思った瞬間に手が出るんだな、自転車のハンドル持って後輪で殴るって攻撃が得意だったね。

 

■森羅万象ことごとく我に帰れ

ものすごい執念深いんだよ、オレ、マムシの百倍は執念深いね(笑)。オレの好きな話にこういうのがあるんだけど、南米かどっかの。隣どうしの家で、樽かなんかが風で転がって片方の家の囲いを壊したと。それが元でケンカが始まって、隣どうしで代々ケンカが続くわけだ。ある時、片方の家からものすごく強い男が出て、もう片方の家は全然かなわなくなったと、そうすると弱い方は奴隷のように暮らすしかないわけだよ。でもいくら強いヤツでも年を取るだろ。人間、寿命ってモンがあるから。で、五十年、六十年ジッと耐えてヨボヨボになったところを狙って殺すと、その話を聞いたときは「これだ」と思ったね(笑)。まだ子供の頃だけど、オレも何か恨みを持ってもその場では絶対仕返ししないんだよ二年、三年待って、それからアクション起こすから。ホントに、まずソイツと親友になっちゃって、その後で裏切るとかな。恥辱を受けたりすることが生きるエネルギーになってンだよ(笑)復活こそ我が命(笑)。

東京に出てきたのは十八の時か。そン時オレすごいカッコしてたんだよ。部屋借りようとして不動産屋行って、アパート紹介してもらったわけだ。電話で大家と話したときは感じ良かったんだけど、実際に行ってみたら大家がオレの顔見るなり、「もう決まっちゃいました」って。オレは「そうなんですか」ってその場は引き下がるわけ。それからそこ行くんで一万以上金使ったよ。それも二年くらい経ってから。そこに通い詰めてね、ありとあらゆる嫌がらせをしたね。だから人には親切にした方がいいよ(笑)。ホント。どんなヤツがいるか分かんねえんだから。

引越しのバイトしてた時に、ある店の前にちょっと荷物置いたら、そこのババアにイチャモンつけられてね。それも住所と店の名前はしっかり控えて、後で嫌がらせしたね(笑)。そこの近所の家に電話をかけて「あそこの店のモノですが、もうすぐクビになるんですあそこのババアお宅の悪口言ってますよ」とか、税務署に「あそこ随分脱税してるみたいですよ」とか。しかし、何年も前に一回怒ったばっかりにこんな仕打ちを受けるなんて……想像もつかねえだろうな(笑)。だからオレはその場で負けようが何しようがイイんだよ。ただ、オレは嫌なことも忘れないけど親切にされたらそれは一生忘れないよ。情、さ。そういう部分はちゃんとスジ通すよ。それが間違いだっていうのは自分自身気づいてるけど、間違いだからやめるって気はないね。結果的にそれで地獄に落ちても悔いはないと思ってるから。

ガキが大きくなるの待ってるヤツもいるな。基本的にガキには手を出さないんだけど、中学生ぐらいになれば体格は一人前だろ。ある日、自分の息子がボコボコにぶん殴られて帰ってきたらやっぱりショックだもんな、直接本人を責めるより、ソイツの愛しているものをぶっ壊す方がダメージでかいだろ。

前、越してさ、夜その辺徘徊してたら犬に吠えられたんだよ。頭来てよ。でも顔につながれてるものに手を出すのはフェアじゃねえだろ。そのかわり深夜そこの家に行くんだよ。そうするとイヌは吠えるだろ、オレはすぐ走って隠れるわけ、あんまり自分の家のイヌが吠えれば飼い主は怒るだろ。イヌに「うるせえ」って。オレは何度もそれを繰り返して(笑)。そうすると回りの家にもすごい迷惑かかるだろ。犬の立場はどんどん悪くなるわけだ。「あの犬また吠えて」ってかわいそうにな(笑)。そういうオレの恨みの念が強かったからか、すぐそばで殺人事件があったんだよな。その犬のとこ行く時、いつも通ってた私道の真横、七年位前かな、家が皆東大で、ジイさん名誉教授で大学入れない孫がいて、そいつに刺されたって事件。あの家もよくそこの犬の鳴き声聞いてたはずで、オレのせいもあったのかも知れねえな(笑)。でもそういうひどいことをすればするほど、オレみたいなヤツが他にもいるかも知れないっていう恐怖感も感じるんだよ。だから一つ言っときたいのは、オレは人の何十倍も臆病なんだよ。臆病だからこそ、相手を執ように責めるんだな。それは後で復讐されるのが恐くてたまンないからなんだよ。

 

■天の羽衣をまとった漬物石が座るところ泉湧く

アパート入ったら入ったで、一ヶ月くらいは住人のゴミ漁りを欠かさなかったね。だって回りにどんなヤツが住んでるか不安だろ。そうすると「今、上にいる浜田ってヤツは一昨年の十二月にバイクの事故にあって、それが元で会社もやめて彼女とも別れた」とか「さらにSMマニアで女王様雑誌を毎月買ってる」とかいうことまで全部分かるんだよ、収入から勤め先、電話番号まで、だから自分の名前の入ってるものなんか簡単に捨てるモンじゃないよ、ホントにどういうヤツいるか分かんねえんだから(笑)。

寺山じゃないけど、よく夜道を徘徊したりしたね、新宿、早稲田、神楽坂界隈はよく歩いてたよ。ゴミの山からよくエロ本を漁ってた。部屋にものすごい数のエロ本がたまってたよ。もうエロ本の海(笑)。首までエロ本につかっちゃって、捨てるのももったいなくてね。捨てて誰かに拾われるのもシャクだし。だから捨てるときは小便かけて捨ててた(笑)。イヤなヤツだよな(笑)。ゴミもいつも拾ってると外見で大体何が入ってるか分かるようになるんだな。エロ本捨てるヤツって決まって袋を密封するんだよ。ガムテープで貼って。だから持った時の重さで「SM誌だな」とか「これは写真集」とか分かるんだよ。同じエロ本何度も拾ったりしてな(笑)。古本屋に売って結構金になってた。ゴミの中に『ウイークエンドスーパー』や『HEAVEN』『Jam』なんかがあるとちょっと嬉しいんだよな。パイプ拾ったこともあったよ。夜中に徘徊してると当然オマワリの不審尋問受けるんだけど、コンビニの袋に何か入れて持ち歩いてると何も言われないんだよ。夜中に何も持たないでうろついてるのはやっぱり怪しいもんな。だからオレ、エロ本は金出して買ったことないね。オンナとやる時も買うくらいなら強姦した方がいいと思ってるから(笑)。金出してやるのはオレのプライドが許さない(笑)。

 

■夕日に向かって走ったら製粉工場

パイトは大体、主任とか社長ぶん殴ってやめてたな。東京に出て来てから半年ぐらいはメチャクチャだったね。二十前までは何やっても名前が出ないと思ったから、一通りのことはやらなきゃって気持ちはあったね。

板橋の製粉工場でパイトしてたんだけど、週給制だったんだよ。そういうとこって流れモノがいっぱい来るんだよな。新潟出身の鈴木ってヤツがいたんだけど、当時二十九だったかな、田舎から出てきてるから、「都会のモンにだまされるか」って靴下の中に金を入れてるようなヤツで趣味も全くないんだよ。だいたいああいう所に流れて来るヤツって趣味がなくって、部屋へ帰って野球見て寝ちゃうようなのばっか、でも鈴木はそんなこともしないの、話題なくって、天気の話繰り返すしかないんだよ。それがある時、故郷に新幹線が通るってんで鈴木が一念発起して上越新幹線の駅名全部暗記してよ。それから、顔会わせると、そればっかり繰り返すんだよ、上野、○○、○○ってさ。

こういう工場の休み時間なんていうとみんなもうエロ話しかしないんだよな。たまに勘違いして本読んでるヤツなんかがいるんだけと、かえって下品なんだよ。TPOをわきまえろってンだよ。南方帰りっていうオヤジもいたな。戦争で二万人だか送られて六人しか生き残らなかった中の一人だって言うんだよ。そうなっちゃうともう何にも恐くねえんだな。なにしろ人の肉まで食っちゃったって言うんだから。人の肉食うと体中熱くなるんだってな。そんな人だからヤクザなんか全然恐くねえんだよ。「クギ一本あれば人は殺せる」って言うんだな、ホントに世の中にはそういう人もいるんだから、回りに気を使って礼儀正しく生きてた方がいいよ(笑)。

工場に「荒川少年強姦団」みたいなのがいたんだよ。族アガリの連中で、すごい礼儀正しいし仕事はマジメなんだけど、小学校五年で輪姦してンだよ(笑)。エロ本とか見る前に、もうハメちゃうんだよ。下町のガキで、中学の頃から族に入って特攻隊長とかやってたようなヤツラだから。それでいてオフクロには弱かったりして。すごいワルなんだけど、無邪気でさばさばした連中でな。でもアイツラってマンガ読まねえのな。『ビーパップ』とか、ああいうマンガはやっぱり頭ン中で考えたモンだろ。コイツらのナンパ方法ってのが面白い。気に入ったオンナが歩いてると自転車でぶつかってくンだよ(笑)。で、倒れた女のとこ寄ってって「ゴメン、お詫びしたいからお茶でも」って(笑)。で、やっちゃうんだよ。もう一つ、「土手マン」ってのがあるんだけど、オンナをだまして車に乗っけて、荒川の土手に連れてくるわけだ。あそこってのはもう無法地帯で、夜なんか何があるか分かんねえらしいんだよ、地元のヤツでも夜は出歩かないようなトコ。そこにきて「ヤラセロ」って言うわけ。「やらせなきゃここに放っぽって行くぞ」って(笑)

コイツラで「中森明菜強姦計画」ってのがあったらしいんだよ。「アキナと一発キメるんだったら二、三年くらってもいい」ってヤツラなんだから「車を捕まえたら回りを取り囲んで一人ずつやろう」って(笑)。結局やンなかったけどその理由が「スケジュールが分かんないから」だって(笑)。もうしようがねえよな(笑)。

もう悪いことばっかりやってるんだけど、妙に情にモロイとこもあってな、フィリピンパブなんかのオンナに本気で惚れちゃったりするんだよ。やっぱり日本のオンナって生意気だろ。東南アジアのオンナの方が何にも知らない分、素直だもんな。だから国際結婚したヤツもいたよ。アレ大変なんだよ。偽装結婚じゃないって証明するために何度も外務省に足運ばなきゃなンないしな。だからそういう部分はマジメなんだよ。純愛コイてるんだから、真剣な顔して「英語教えてくれ」って来たりしてな、小五でマワしたとは思えねえよな(笑)。

 

■屋根も壁も無いメリオ

メリオってヤツがいたな。高校時代にバイクの事故で首がめり込む程の怪我して、記憶を失っちゃったんだよ。首がめり込んだから、みんなから「メリオ」って呼ばれてたんだけど(笑)。もう記憶がないし、テレビの歌番組ぐらいしか楽しみがないんだよな。あとエロビデオ。でもエロビデオを借りに行っても、ものすごいケチで選ぶのに二時間ぐらいかかるんだよな(笑)。体もちょっと動かなくなってるんだよ。やっぱりちょっとトロくて、いつまで経っても製粉の機械の操作が覚えられないんだよな。それでいて、人が真面目に働いてる横で下らないダジャレとかちっとも似てねえ芸能人のモノマネやったりするんだよ(笑)。悩みのねえヤツ(笑)。性欲もストレートで、エロ本とか見せると途端にボッキするんだよな。横で見てると「ムクムクムクーッ」って(笑)。初体験は池袋のソープ行ったらしいんだけど、話聞くとどうもスマタでやられたらしいんだよな。本人はアナルだって言うんだけど、「ヌルヌルしてた」とか変なこと言うんだよ(笑)。その話聞いて、みんな「こりゃスマタだな」と思うんだけど、メリオにはそうは言わねえんだよな、夢を壊しちゃいけないと思うから(笑)。そういう思いやりはあったね(笑)。だって何ヵ月も前から情報誌買って、ネエちゃんから値段から全部チェックして、やっとボーナスもらってソープ行くようなヤツだよ。そりゃ言えないよな。カラオケに行きゃ、そこのオンナに惚れ込んで仕事中に工場から電話かけるしね。後ろでガチャコンガチャコンいってるとこで(笑)。でも店には一度しか行ってないんだよ。ケチなヤツでき、コイツがある日、腕マクラして寝てたら血の流れが悪くなって、片腕の神経が死にかけちゃったんだよ(笑)。で、片腕がロクに動かなくなっちゃった。アレはかわいそうだったな。

 

■休息無き肉体の赤痢菌がエイズ菌にお早うと大声で挨拶

原田くんっていう、水産高校出身で、土木会社で現場監督やってたヤツがいたんだけど、資格試験目指して、夜学に通いながら昼は工場でバイトしてたんだよ。一緒に工場のフロ入ったらすごいんだよ。夏なんか傷だらけで。どうしたのか聞いたら、ヤクザに、割ったビールビンで腹かき回されたって。ポディビルとか空手やったりして体はたくましいし、勉強もものすごいするんだよ。

現場監督時代に結構ヤクザの嫌がらせを受けたりしたらしいんだけど、現場の交差点の真中にトラック止めてそのまま逃げたりするらしいんだよな。気に食わない現場に日本刀もって殴り込んできたり(笑)。ある日作業員が斬られたんだって、作業員は「もう死んだ」と思ったろうな。そしたらそれが実は峰打ちで、ヤクザのジョークだった(笑)。作業員も色んなヤツがいて、異常に働くヤツがいたらしいんだよ。休み時間も取らずに、なんでかと思ったら便所でシャフ打ってたって(笑)。すぐクビにしたって言ってたけど(笑)。トラックの運ちゃんとかシャブやってるの多いだろ。それでガンガン働いて日本のGNPだいぶあがってると思うけどな。

ソイツのアパートに六、七十のバアさんがいたんだよ。そのバアさんに十歳ぐらい歳下の愛人がいて昼間っからハメ狂うらしいんだな。その声がアバート中響き渡るようなものすごいモンで、再現してくれたんだけど。「ダッメーッ!ダメダメダメ、ダメーッ!」って木造二階のアバートにこだまするんだって、たまにソイツの部屋にも差入れに来たりしたらしいんだよな。老人の性ってのはあるんだよ(笑)。ソイツに聞いたんだけど、漁師ってのは仲間ウチでホモが発覚したりすると海に投げ込まれても文句言えないんだってね。遠洋漁業なんかにずっと出てて、ホモがいたらちょっとな(笑)。軍隊にしても、そういうのがいたら収拾つかなくなっちゃうもんな。

警備員のバイトしてたことがあるんだけと、工務警備の方、トラックの運ちゃんってのはイイ味出してるオヤジが結構いてね。競馬オヤジとか、搬入搬出で待ってる時に話かけてくるんだよ。「にいちゃん、競馬やんないの?」とか。そういうオヤジって言うことがデカイんだよな。「オレは九レースまでで二百万勝ってても次のレースに全部ぶち込む。それが男ってモンよ」とか、結構うたうんだよ。トラックっていっても二トントラックのオヤジだよ。四トンや七トンじゃなくて結職情けねえヤツ(笑)。

現場の休み時間っていうと、みんなで集まって、当然のようにエロ話に花が咲くんだけど(笑)。社員旅行でコンパニオンを呼んだらしいんだよな。コンバニオンってのは望まれればいやらしいことはするけど、膣にだけは入れさせないらしいね。それ以外だったら何してもいいって言われてできる限りのことは全部したっていうオヤジがいたけど(笑)。

 

■突出したヌメリとツヤの持主

大学の友達は結構豪快なのがいたね。高校時代に本屋で万引して、それを売った金でソープばっかり行ってたヤツとかね。ソープ行けるくらいの金額分、いっぺんに万引するんだからハンパじゃないよ。コート着て行ってやるんだけど、全集の端から端まで万引したんじゃねえかっていう(笑)。ソイツは大学時代、傷痍軍人ルポルタージュかなんかやったんだよ。上野のヤツはみんなニセモノだったって(笑)。そういうヤツらと一緒に身障者の差別標語みたいなものを作ってたね。そういう思考ってみんな口には出さなくても持ってるものだろ。それをあえて口に出してみる。みんな笑ってるんだけど、実は心の中で泣いてるんだよな。どん底っていうか、底辺の奥の奥まで堕ちなきゃ、上の世界も視られないんだよ。身をもってドボンと下まで沈まなくちゃ、そういう覚悟がなくちゃいけねえと思う。

「逆さ十文字キリ揉み」っていうへんなオナニーの技を使ってるヤツがいたな。手を交差して、小指でカリをしこくらしいんだけど、あんなので気持ちいいのかね(笑)。鏡を二枚使って、片方に自分のモノを写して、もう片方にそれを反射させて、鏡に写った自分のものをなめるっていうのもあったな。「なめられてるような気持ちになる」って言うんだけど(笑)。

 

■納豆の中にニシキ蛇のうろこの見える朝を迎えて

オレ、喜怒哀楽って言葉が大嫌いなんだよな、人間の感情ってもっと複雑なモンだろ。言葉で表現できない感情もあるはずだよ。普通のマンガでつまんないのは、善いモンと悪モンがステロタイプ化されちゃってるだろ。現実はそんなもんじゃないよな。悪党でも家ではいいオヤジだったり、普良な顔してても、裏じゃとんでもないことやってたりするだろ。そういうマンガばっかり読んでちゃ、想像力の欠如した人間しか生まれないよな。ある一つの事象を見ても、それに対する精神のリアクションってのは無限にあるだろ。いいオンナを見れば、純粋に「ああ、キレイだな」と思う半面「ねえちゃん、一発やらせろよ」って考えも起こるもんだよな。それはどっちが正しくてどっちが悪いってモンじゃなくて、両方とも真実なんだよ。

エロ本とかエロビデオが性犯罪を助長するとか言うヤツがいるだろ。あんなの絶対嘘だよな。そんなものがなくたってやるヤツはやるよ。逆にそういうモノでズリセンかけば、とりあえずその場は収まるだろ。「裏のネエちゃん犯してやる」って計画立てて、「やるっていってもいきなり入口の所で出しちゃ悪いから、一発抜いてから行こう」と思って一発出せばその場は収まっちゃうんだよ、「ああ、オレは何を考えていたんだ」って(笑)。

アメリカなんかでよく猟奇的な事件が起こったりするだろ、地下室に何年も開じ込められたり、そういう事件を聞くと、今、全米でどのくらいの人間が監禁されてるのかとか考えるよな。実は日本にもいるんだろうな、いたる所に何か感じるんだよ。解るんだよオレには、

頭ン中が時々ラジオになるんだよな、周囲数キロ四方の音がいっぺんに聞こえることがあンだよ。三浦百恵を襲ったヤツがいたろ。アレも聞こえたな、電波が来るんだよ、「神の声が聞こえる」って教祖になるようなヤツもいるけどな(笑)。聞こえてくることを真に受けてるとそうなるンだよ。聞こえること自体は必ずしも狂ってるとは言えねえと思う。でも、それに耳貸す様になったら、オシマイ。キチガイになるんだ。

オレの所にも色ンな奴から来るけど、オレは相手にしないね、前どっかで浮浪者が小学生殺した事件があったろ。「水道の蛇口ひねったら命令が来た」って、全然不思議じゃねえもの、オレにすればP・K・ディックっていただろ。SF小説家の。アレもヘンな声がよく聞こえたりしたらしいけど、やっぱり幼児期に虐待を受けてたんだ。

 

■名も知らぬ花の香りの行方

二十五、六歳になった頃、欲とか、悪への指向性みたいなものが一気に失せちゃったんだよな。「もうやってられねえや」と思って。サルじゃねえんだから、早くスケベオヤジになりたいね。女子社員のケツを自然に触れるような。こないだセクハラで訴えられた熊本市議かなんかいただろ、胸まさぐった。ちょっと打たれるモノがあるよ。

誰にも話したことなかったんだけど、昭和天皇崩御された時、実はオレの夢枕に立たれたことがあったんだよ。で「私のことを思いやるように他人にも接しない」って仰って涙が出たね。実際そうなんだよ、皇太子と雅子さんの報道見てもすごいだろ。みんな気を使ってよ。特定の個人にそれだけ気を使うんだから、他人にもそれだけ気を使って碁らせば、世の中もっと争いは減るはずだよな。あんまり恐れ多い話だから今まで人に言えなかったんだけど。でもホントそうだよ。思い出すだけで衿を正したくなるね。その時はさすがに、しばらく復讐も忘れようかと思った程だったから(笑)。それから多少、落ち着いたところはあるね。だから、ホントに他人の立場になってモノ考えれば、世の中の争いことはなくなるはずなんだよ。それはみんなに分かって欲しいね。

何しろ俺みたいなちょっとした恨みを十年二十年単位で復讐しようなんているんだからね、充分想像力を働かせて欲しいな。結局想像力が働かないと目の前の現実に百%占領されちまうんだよ。現実を変革するのは一重に想像力の力にかかってるってワケさ。

■1993年8月9日・新宿滝沢にて

スーパーへんたいマガジンBilly伝説―誌面で流したウンチは200kg! 死体の数は300体! 日本雑誌史上最低最悪の変態雑誌! 毎号こんなどーしようもないクソみたいなド変態内容のため、ついに発禁をくらったBillyのすべてを初公開!

誌面で流したウンチは200kg!

死体の数は300体!

日本雑誌史上サイテーの雑誌!

幻の変態雑誌 Billy伝説

獣姦!ロ●ータ!レ●プ!切腹マニア!スカトロ!死体!奇形児!  毎号こんなどーしようもないクソみたいなド変態内容のため、ついに発禁をくらったBillyのすべてを初公開!

協力:田原大輔  菊池茂夫  加藤明典  S&Mスナイパー編集部  友成純一  下川耿史  白夜書房 (順適当)

(所収:ミリオン出版GON!』1995年10月号)

文・田原大輔

一見普通のグラビア誌。中を開くと、死体、スカトロ、切腹ロリコン、猟奇犯罪、フリークスなどなど、他の雑誌にないブッ飛んだものばかりを集結させた内容。それが日本のB級出版史上に輝く異端中の異端雑誌『ビリー』(㈱白夜書房発行)なのである。

Billy完全解読マニュアル

かつて『ビリー』という雑誌があった。

『ビリー』という雑誌を一言で説明するのはきわめて困難といえよう。いわゆるエロ系雑誌といえば、下半身をムズムズさせる写真や文章で構成されているのが一般である。ところが『ビリー』はこの常識を完全に無視した内容で埋め尽くされていたのだ。

表紙はとくに何の変哲もないモデルの写真。巻頭は、当時人気のあったビ二本モデルのカラーグラビア。と、ここまではよくあるエロ本なのだが、その次からのページがすごい。いきなり写真満載の「切腹特集」や人間の内臓の実物写真、思わず臭ってきそうなスカトロ写真など、いったん勃起しかけたモノも縮み上がってしまいそうなページが次から次へと繰りだされる。

とくに強烈だったのは毎号のように誌面を占拠する死体写真。自殺や事故死、殺人現場などなど、ありとあらゆる人間の死体をこれほど見せ付けた雑誌は、今まで存在しなかった。「死体雑誌」と表現する読者も多い。

だが、『ビリー』は死体やスカトロだけに限定されていない。当時ようやく言葉が知られはじめたロリコンをはじめ、猟奇犯罪、フリークス、スパンキングラバーフェチなどなど、他の雑誌にないブッ飛んだものばかりを集結させた、いわば総合アブノーマル雑誌と言った方がよい。

現在店頭に並んでいるエロ系雑誌のあらゆる要素は、『ビリー』においてほとんど先取りされているのである。まさに『ビリー』こそは、マニアックエロ雑誌の源流とも言っても過言ではない。

 

何でもありの雑誌

見せ物に撤していましたね。気取ったり、媚びたりしないで、実際あるものをそのまま見せ付けた雑誌でした

『ビリー』で記事を書いていた下川耿史氏は、その魅力をこう語る。死体をアートに見せようとか、スカトロに文化史的な意味を見いだそう、なんていうことをこれっぽっちも考えなかった点がすばらしい。

また『ビリー』は「エロ雑誌にしてエロ雑誌にあらず」というモノでもあった。元編集長の中沢慎一氏が言うには、「マスがかけないエロ雑誌を作ろうとしたんです。変態さんを満足させるというより、スゴイもの、インパクトのあるものを楽しんじゃおうという感じでしたね。その意味じゃ、変態さんたちに優しさを持たない雑誌だったかな

スゴければなんでもあり、面白ければそれでいい、と言うのが基本姿勢なのであって、死体やフリークスに特別の思い入れがあったわけではない。インパクトの強いものとして取り上げたものが、死体であり、切腹であり、獣姦やウンコであったに過ぎないのだ。

 

『ビリー』の変遷──『スーパーヘんたいマガジン』に至るまで

★創刊~《『ビリー』草創期》

『ビリー』の創刊は81年6月。誌名はビリー・ジョエルの3人のインバクトある生き方に共感して、「新しいインタビュー雑誌を作ろうとした」(元『ビリー』編集長、中沢慎一氏)という。判型はB5。内容は、ほとんどが著名人や話題の人物へのインタビュー・記事であった。

 ところがこの初代『ビリー』、思うように部数が伸びず、わずか3号で休刊となった。

 

★81年12月~《再生『ビリー』を模索》

『ビリー』が誌面を刷新して、再び書店に並んだのが81年12月号。判型もA4判と大きくなり、新たに「感じる男の感じる雑誌」というサブタイトルも付く。誌面は当時全盛を極めていたビ二本をはじめ、風俗、ピーピング、SM等、一般エロ雑誌の体裁を整えている。

しかし、内容が充実していたにもかかわらず、これまた売れ行き不振に。

 

★82年3月~《「スーパーへんたいマガジン」の誕生》

またもや休刊かと思われた『ビリー』だが、82年2月号で「排泄系ビニ本特集」や、同年3月号でウンコ特集を組むなど、他誌には無い変態色が次第に現われ、それとともに読者も増え出した。そしてその3月号で、サブタイトルが「スーパー変態マガジン」(のちに変態がひらがなに)に変更される。

さらに同年5月号に初めて死体写真を掲載。ここに伝説に残り神話とうたいわれる、超破天荒変態雑誌『ビリー』が誕生する。この後『ビリー』はこの路線で独走することになる。

 

★84年11月《都条令によりやむなく休刊》

無敵の進軍を続けていた『ビリー』だが、84年11月、東京都の条令によって休刊に。

元編集長の中沢氏いわく、「たしかに死体やウンコを見て健全に育つわけはないんですよね。まあ、お説ごもっともというところでしょう

 

★84年12月~《『ビリーボーイ』としての再スタート》

しかし、そのまま負けてしまう『ビリー』ではない。翌12月には『ビリーボーイ』と誌名を変えて再スタート。内容はまったく変更なし

 

★85年8月《終刊 神々の黄昏》

やはり都条令によって休刊を余儀なくされる。『ビリー』の歴史はここに幕を閉じる。

 

★後日談《『クラッシュ』へ引き継ぐ》

『ビリー』の内容の一部は、その後創刊された『クラッシュ』へと受け継がれた。

『ビリー』に思い入れのある編集者は多く、最近では『トゥ・ネガティブ』(吐夢書房)等一部カルトマニア誌にわずかにその幻影をみることができる。

 

Billyのヌードグラビアは意外な大物が―知らなくても生きていけるBillyコラム

『ビリー』はすべてグロ、と思ってら大間違い。巻頭のカラーグラビアの質の高さに驚く。まず当時はビ二本の全盛期。三浦みつ子や渡瀬ミク、沖田真子、青木琴美、大道かつ美に橋本杏子と、ビニ本裏本で人気絶美のギャルたちは、『ビリー』のグラビアの常連だった。次はAV女優。「隣のお姉さん」で一世を風靡した八神康子をはじめ、ビデオクイ~ンの早見瞳、元にっかつ女優で現在新宿ソープ「ヤングレディ」在籍の滝優子といった、有名ビデオギャルも次々に誌面に。また、妊婦SMモデル藤尚美や、刺青ストリッパーのスージー明日香など、マニア向けモデルも登場している。

さらになんと、ロリータアイドルの少女Mや可愛かずみまでもが、『ビリー』のグラビアを飾っている。変態雑誌の常識と質をはるかに越えた内容なのだ。

 

歴代Billy際作見出しBEST3

野を行く変態 雨にむせぶ(84年3月号)

“アウトドア変態”特集の際のタイトル。風光明媚な日本の野山でしめやかに降りそそぐ雨に濡れる変態。変態と蛇び・さびの世界のミスマッチが抒情をそそる。

カンチョー人生20年 オレは浣腸オジサンだ! (84年11月号)

20年のキャリアを前面に押し出しつつも「『浣腸オジサン』という、豪速球のようなネーミングがGOOD。シンプル・イズ・ベストにしてパワフルさも感じられる。

センズリ道を極めた小学校教師 パンクする先生! (83年5月号)

あえてセンズリという表現を使うリアリズム。しかもその道を極めた小学校の先生で、しかもパンクというメチャクチャぶりはまさに『ビリー』の真骨頂。

 

歴代Billy傑作企画BEST3

犯罪専科」(82年8月号)

「ビリー」イコール死体というイメージを確立した企画のひとつ。犯罪というよりも人間の死にスポットを当てた連載で、殺人に自殺、事故死などなど、ありとあらゆる人間の「死にざま」を、生々しい写真と文章で構成。

獣姦ここ掘れワンワン」(83年8月号)

獣姦も「ビリー」の定番ネタのヒトツだが、その中でも生々しさでタンドツの企画。32歳の獣姦マニアが登場し、自らの獣姦人生を赤裸々に語る。キャリアが積んだベテランの話しは、リアルでしかも奥深い。

切腹切り刻む擬態の快感!」(85年1月号)

切腹特集も人気があったが、内容の濃さだったら数あるなかからこの企画。切腹研究のオーソリティが、日本の切腹の歴史から、正しい切腹の作法、さらには切腹のエロティシズムまでを徹底解剖する。

 

狂ったBilly謎の変遷史

1981年6月に創刊された『Billy』はエロ本というより、中途半端な総合男性誌という、もっとも失敗しやすい典型的な内容。ちなみにロゴは白夜が産んだ大スター編集長末井昭の制作。売れない半端なBillyが半ばどーでもいいやとばかりスカトロ物を入れたのか1982年2月号。どーやらこの号の売れ行きは良かったらしく、以降、日本雑誌史上最低最悪の変態雑誌として大売れに売れ、売れ過ぎ目立ち過ぎで当局より発禁処分を受け自爆してしまう。

 

Billy不完全ディスコグラフィ

ロリコン雑誌の『ヘイ!バディー』と並んで80年代の白夜書房を代表する過激雑誌『ビリー』。死体、奇形、同性愛、スカトロ、獣姦、そしてありとあらゆる変態を取り上げた伝説の雑誌だが、創刊時はインタビュー中心の極めて真面目なカルチャー誌だった。

巻頭と巻末のヌードグラビアは篠塚ひろ美と小川恵子。一色ページは16歳の三原順子のインタビューから幕を開ける。誌名にひっかけた「ビリー派宣言」では、川本三郎ビリー・ザ・キッドについて、桑田佳祐ビリー・ホリデイについて、今井智子ビリー・ジョエルについて語る。

しかし、白夜書房の返本率記録を作るほど売れなかったらしく路線変更を余儀なくされる。1982年3月号からは「スーパー変態マガジン」を標榜し過激な誌面を展開。熱い支持を受けるも、1年に4回も不健全図書に指定されてしまい、1984年12月号より『ビリーボーイ』として再出発。若干のパワーダウンはあったものの、やはり不健全図書に指定され、わずか9号で休刊となった。

安田理央著『日本エロ本全史』掲載内容の抄録より)

1981年

6月号(創刊号)

とにかく記録的に売れなかった創刊当初。毎号のように内容一新される。今じゃ完全にB級アイドル?の三原順子も81年当時はかなりのスター。それが創刊号の表紙だった!



 

1982年

1月号

まだまだ誌面は大人しいものの三島由紀夫のそっくりさんSMショーなど当時のエロ本としては過激で奇抜な内容が目立つ。なお緊縛写真やパンチラ写真も掲載されているが、全盛期のBillyには到底及ばない。また本号から山崎春美のスーパー変態インタビューが連載開始(第1回はスターリン遠藤ミチロウ)。






オシッコ放尿記事が狂気の序曲だった2月号

明確に変態路線に舵を切り表紙には「誌面刷新」と銘打たれた。なお冒頭の一色ページでは『スカトピア』発行人の明石賢生ロングインタビュー(聞き手/山崎春美)が掲載されており、群雄社のスカトロ路線が白夜書房のBillyに与えた影響が何となく分かる。ちなみに本号で特集された「人間便器」こと中野泥児(排泄系ビニ本の男性モデル。のちに中野D児に改名)は当時群雄社の社員で、のちにBillyの下請けプロダクション「VIC出版」に移籍し、同誌の名物編集者として名を馳せる。


こーゆー、差別的なブラック企画(中卒マガジン)*1も2月号から多くなってきた。いよいよ来た!

そして3月号からBillyは完全に狂った! 

キャッチコピー「スーパー変態マガジン」の初出号。“変態雑誌”としての意気ごみが表紙からも感じとれる。Billyが狂気に走った歴史的一冊。蛭子能収の変態インタビュー(聞き手/山崎春美)も掲載。

4月号

表紙が何か思わせぶりの表情出していて、いかにもフツーのエロ本とは一線を画していると当時の意気込みが感じとれる。特集はオシッコ! 3000ℓは出てる。

11月号

表紙は当時のロマンポルノスター北原ちあき。“中絶は気持ち良かった”なんて危ない企画や、“さらばわが性春のオ××”なんてふざけたタイトルも目立つ。

12月号

すっかり変態マガジンして貫禄の出てきたこの頃。何といっても売りは獣姦物 “ヒーン馬だって本番なのだ!”なんてサイテーの見出しが堂々表紙に。

 

1983年

1月号

ロリータマニアには嬉しい少女Mが巻頭。しかし、そんな夢をぶち壊す特集“ウンチのお風呂でまっ黄色”思いついた本能を伊良部級の速球で投げつけている。





2月号

いったいどこまで狂ってしまうのかと少なからず周囲を心配させたこの号。新年の特集は“'83年ウンチでオメデトウ!” マジメに生きるのがアホらしい名言。

3月号

巻頭ヌードは当時話題だった北原香織の妊婦ヌード。しかしやっぱり欠かせないのがウンコ。特集は“下痢便バックでやせる!?” わきゃないだろ!!!

4月号

この号で特筆すべきは“こうして僕らは生まれた!!”なんていう出産企画。敬虔なる出産もBillyなりに変態処理。タイのロリータ売春もサイテー企画でいい。

5月号

傑作見出しでも見事BEST3に選ばれた。“センズリ教師”の企画はやはりキラリと光り。内臓はエロスのかたまり、なんて大ウソハッタリの切腹特集がすてきだ。

7月号

完全に狂った特集の“畜生を愛でる夫婦だ!”の獣姦物も凄いが、“死体に胸キュンキュン”なんて死体写真に見出しつけるマヌケぶりはサイテーに立派!

8月号

個人的にはこの企画が歴代最も好きです。“犬、ニワトリ、牛なんでもごされ、ここ掘れワンワン!” おそらく雑誌史上これ程知性を感じさせない企画はない!

9月号

巻頭は当時のオナドル青木彩美。しかし彼女が可哀相になる位内容は超サイテー。インタビュー特集は“生きている変態 オレはアナル男だ!” 琴美が切ない……

10月号

地味な企画(フツーじや超変態)だけど、この号の奇形動物写真はけっこーきてる。双頭の羊とか動物フリークスの大集合!なぜか所ジョージのインタビューが!!

11月号

この頃のBillyは完全にどのページでもヌケなくなった。特にこの号の死体特集“棺桶は僕らのオモチャ箱”はGON!の1億7千倍グロくてサイテー!!

12月号

多分この頃の編集部は見出しを付けるのが最大の喜びじゃなかったのかな。“痛がりません立つまでは” “オレは粗大ゴミじゃ!”なんてノー天気の見出しが続く。

 

1984

1月号

ここまで変態内容にしたズーズーしさが、けっこー有名人インタビューに出ている。高田文夫が今回は登場。きっと消したい過去でしょう。

2月号

“金髪美少女をイジメちゃえ”なんて相変わらず150kmの豪速球タイトルできている。しかしこの2月号表紙が妙にシックなイメージ。せめて表紙だけはと思ったのか。

3月号

おそらくBilly史上でもベストに入る企画だと思う“風船デブ・百貫デブ!” 空気浣腸の企画なのだが、このそう思ったから付けたタイトルが男らしい。

4月号

今や大先生になってしまった山田詠美がインタビューで登場 “日本人のチ○ポはおしんこの味”なんて語っている。“ひとつ目小僧は本当にいた!!!”が傑作!

5月号

とどまるところを知らない変態路線の頂点の頃。“家族そろって糞合戦” “近親相姦までも気持ちイイ!” いったい当局は何をやっていたんだ!

6月号

衝撃写真はフィリピンの犬料理! イグアナごときは手ぬるいって!? 殺られないためのこれが10カ条だ!なんて今なら大ウケの企画も当時すでに押さえている。

7月号

久々表紙にウンコがこんもり!“ウンコは最高” こーまで言いきられてしまってはハイそうですかとうなずくしかなくなってしまう。強いBillyだ。

8月号

隠れた(でもないか)好企画として腹切り物がけっこうあったが、この号の腹切り写真はきている。なぜかジャッキ一佐藤がインタビューに。不思議だ!

9月号

重大な記事が出ている。“ウンコマニアに夜明けはくるか” これは群雄新社のスカトロ専門誌『スカトピア』の廃刊を憂いての緊急企画らしい。バカ過ぎて敬服する。

10月号

やはり、この号最大の企画は“84年変態オリンピック” 自縛マニア、オシメマニアが一堂に揃い、凄絶な死闘を展開したどーしようもない企画。

11月号

ある意味では最高の一冊だ。“オレは完腸オジサン!” 俺の人生はションベンだらけ、とウンチとオシッコマニアの2大巨頭が登場している。

12月号

この号より『Billyボーイ』とボーイがつく。遅ればせながら前号で当局よりおしかりを受け一応改題させられたらしい。内容はまったく反省の色がみえない。

 

1985年

1月号

まったく反省の色もなく再び変態路線まっしぐらのボーイが腕白ぶりを発揮。“異物挿入格闘技戦”と女の身体をオモチャにする最低の企画が力強い。




2月号

表紙は伝説の裏本スタ一、渡瀬ミク。考えてみれば初めて雑誌の格と表紙のモデルがピタリー致した記念すべき号。しかし表紙はフツーのセンスしてるのにな~。

3月号

GON!は気が弱いので本当に小っちゃくしか載せない死体解剖ビデオを、堂々と表紙にデカく入れるこの男らしさ。兄貴と勝手に呼ばせてもらいます。

4月号

表紙は松本伊代じゃないよ、念のため。さすがに改題してちっとは大人になったのかひと頃のパワーに翳りがみえてきた。大判のSM誌と化してくる。

5月号

春になってこれじゃいかんと反省したのか、この号から再び“切腹”がドーンと表紙に登場。“花嫁さんと3P!”なんて下らない見出しで悪趣味が復活。





6月号

当時『週刊宝石』が大ヒットさせた“あなたのオッパイ見せて下さい”やっぱりBillyはやります “あなたのオシッコ見せて下さい”とサイテーのパクリ!

7月号

BilIyの楽しみな企画として殺人物があった。警察と軍隊のために殺人教則本なんていまなら単行本でベストセラーになる企画も入っている。

8月号(最終号)

何とあの三田誠広氏が登場している。良き時代だったとゆのか、太っ腹だったとゆーのか。“刺育”の特集はBillyとしては意外にも初めてだった。

なお終刊号には青山正明が企画した伝説の罰当たり企画(四ッ谷の於岩神社でヌード撮影)も掲載されている(後日、何も知らされていなかったモデルの子以外の全員に呪いが降りかかった話は東京公司のムック本『鬼畜ナイト』に詳しい)。

 

ウーン、大変参考になりました来月からGON!もウンコの企画もタレ流します!

 

1冊2千円前後のプレミア価格が!

現在、『ビリー』は超々レアアイテムになっており、古本屋で手に入れることは非常に難しい。『ビリー』は極めてマニアック&カルトな雑誌であるため、現在所持しているのは熱心な愛読者に限られる。したがって、そう簡単に手抜そうとはしない。今回、この企画のために、神保町をはじめとする古本街や、遠くは八王子や多摩、厚本の方まで探し回ったが、成果は完璧なまでにゼロ。たまたま立ち寄った京王線笹塚駅近くの古本屋に数冊が1000円から1500円程度で入手できたに過ぎない。おそらく、現在『ビリー』の古本相場は、1500円程度と思われる。むしろ値段よりも、モノを探し出すことの方がはるかに難しいのである。もし、古本屋で3000円以下で売られているビリーを見かけることがあったなら、迷わず買うことをお薦めする。

 

*1:中沢慎一インタビュー「社会に受け入れられない部分を本にするのがエロ本屋」

中沢「今、出版社は世間に気を配りながら雑誌を作らなければならない。『ビリー』の頃なんかはさ、〈中卒マガジン〉っていうコーナーやってたんだよ。中学しか出てない人を差別するというひどい企画。差別というのはいけないことなんだけど、でもいけないことだからこそ、そこには面白い何かがあった

東良「うん、タブーだからこそ意味があった。差別というものは厳然とあるわけで、でも世の中では一応『無いもの』とされてる。なので敢えて差別をしてみれば、色んな欺瞞が現れる。差別する側の傲慢さとか、人が人を差別するバカバカしさとか無意味さとか

中沢「だいたいエロ本自体が世に疎まれているような存在だったわけでさ、昔、銀行はエロ本出版社なんかに絶対金貸さなかったんだよ。そういう存在だから、エロ本に書いてあることなんて誰もちゃんと読まないだろう、本気にはしないだろうと。だから好き勝手書けたんだよ

コアマガジン代表取締役社長・中沢慎一インタビュー 「おれは編集の才能はないけど才能のある人物を見抜くのが得意なの」

コアマガジン代表取締役社長

スーパー変態マガジン『Billy』編集発行人

中沢慎一インタビュー

「おれは編集の才能はないけど才能のある人物を見抜くのが得意なの」

インタビュアー:沢木毅彦

(出典:ワニマガジン社『エロ本のほん』1997年12月/絶版)

出版界のサクセスストーリーを築いた白夜書房。その立て役者でもあり、スター編集者といえば末井昭氏(白夜書房編集局長)だが、末井氏の『写真時代』とともに、当時コアな読者層をつかんだ伝説の雑誌がある。スーパー変態マガジンと銘打たれた『Billy』だ。当時の編集発行人、そして現『ビデオ・ザ・ワールド』がある。当時の編集発行人・中沢慎一氏にインタビューした。

歴史に残る伝説の変態雑誌『Billy』

編集志望で編集になったわけじゃないもん

──まずは業界入りのきっかけを教えてください。

「大学4年の時に住んでいたアパートの二階にバンドマンが住んでいたの。その男の彼女というのが、団鬼六さんがやっていた鬼プロの編集者と知合いでさ、『SMキング』という雑誌なんかでモデルをやってたんだよ。そんな顔見知りがきっかけでさ、おれも鬼プロに出入りするようになった。そこで編集者をやっていた杉浦則夫(現カメラマン)さんが独立して、フリーになったの。おれはカメラに興味がなかったんだけど、助手を頼まれてさ、杉浦さんのアシスタントを始めた。仕事を取ってきたのが山崎紀雄(現バウハウス社長)さん。この3人でやってたんだよね」

 

──モデルの調達も中沢さんがやってたんでしょ。

「うん、その頃モデルクラブが少なかったから、女の子を連れてくれば雑誌の仕事もすぐ決まるわけよ。それでおれは卒業して、モデルクラブを始めたの」

 

──就職活動は全然しなかったんですか。

「一切しなかった。モデルの斡旋をちょっとし始めた時、これは美味しい世界だな、食えるかなって思ったから就職する気なんてなかったよ。さしあたって、事務所を始める費用がなかったんで、山崎さんといまのウチの社長(森下信太郎氏)にカネを出してもらって、すぐ始めた。新宿で2LDK借りて、住居兼個人事務所にしたのよ」

 

──で、モデルはどうやって集めていたんですか?

「『ヤングレディ』とかの女性誌で広告を出した。募集見てきた女の子を口説いてね。どこまでOKだとか色々ね。月に2、3人入りゃいいとこだったね。ギャラが1万から2万ぐらい。20何年前の話だからね。モデルクラブ自体がほとんどなかったし、出版社の数も少なかった」

 

──儲りました?

「サラリーマンよりも儲ったと思うよ。でもねぇ、その頃モデルはみんなシンナーやっててさ、仕事のすっぽかしが多くてさ、朝ちゃんと集合場所に行くかどうかとか、気苦労はあったよ。仕事なんていう意識ないんだもん。今のモデルはみんな勤勉でしよ。全然違うよね。モデルなんてロクなもんじゃなかったよ」

 

──モデルクラブ経営は何年続けたんですか?

「2年。やっぱり警察がさ、職安法の関係とかで、挙げようとしてさ、色々調べが入ったのよ。でも、おれんとこはモデルがいい証言をしてくれたの。2割しかピンハネしてなかったからね、おれ。おかげで警察の手入れは受けずに済んだんだよ。

そんなこんなで疲れて辞めて、森下社長(当時はセルフ出版)に誘われて、おれはグリーン企画に入ったの。25歳の時だよね。グリーンの社長さんが山崎さんで、おれがいて、あとMっていう自殺したカメラマン。社員は3人だった」

 

──3人で全部のビニ本作ってたんですか。

「そう。末井さんがセルフで書店売りのエロ本作って、我々はグリーンでビニ本。こっちのビニ本写真をセルフのエロ本にあげて、まあ両方を上手に動かしてたんだよ」

 

──当時のセルフの雑誌のグラビアは限りなくビニ本チックでしもんねえ。

「記事ページは末井さんが担当して、写真は我々が作ってたんだよね。おれは楽だったよ、仕事。あの頃は月4冊ビニ本作ればよかった。1冊につき撮影が1日、レイアウトを社内でやって、2日か3日間。ほとんど毎日遊んでたよ。モデルもプロダクションから調達してたから、探さなくても済んでたしさ。おれの仕事って朝11時に集合場所の新宿の喫茶店に行って、『高野』か『三愛』行ってパンツ探すくらいだよ」

 

──(笑)スケスケ具合いが命、と。

「どこまでスケされるかが勝負だったからさ。いかに女の子(レジの店員)の前で堂々とスケるパンツを買えるか、だよ(笑)」

 

──おれはこういうエロ本をやろう、なんて前向きなこだわりなどはありました?

「全然。編集希望で編集者になったわけじゃないもん、おれ。モデルをたくさん知ってるっていうだけで入ったようなところがあるしさ。それにビニ本なんて編集能力なんていらないもん」

 

──いかにスケパンを堂々と買えるか(笑)

「そうだよ。その後、股間ティッシュを乗せて濡らしてみたりさ。一応、頭は使っていたよ(笑)。その時代が2年ぐらいあって、やっぱり警察の摘発とかあったりでビニ本をやめて、おれはセルフ出版に入ったの。山崎さんは独立して、やがて英知出版を作ったんだよね」

 

編集技術なんて何も知らなかった

中沢さんは、セルフ出版で写真担当となる。社員カメラマン神尾潤氏(現フリー)と組んで、同社のエロ本のヌードグラビア撮影、制作する日々を送る。

その後『コミックセルフ』の編集者になり、『漫画タッチ』が創刊される際、声がかかり「そのかわり編集長をやらせてくれよ」ということで、中沢編集長が誕生。漫画家の石井隆を口説いて引っ張ってきた。写真を撮りたい、という石井隆にヌードモデルを紹介してページを設けた。連載はのちに写真集『名美を探して』として一冊になる。

「『名美を~』は大して利益は出なかったよ。あの頃、はっきり言ってセルフは儲ってなかったんだよ。『ウークエンドスーパー』はダメ、『ズームアップ』はダメ。『映画少年』もダメ。『漫画タッチ』も石井隆の名前が載っててもトントンぐらいでさ。

おれも編集長になったけど、編集技術なんて知らなかったもんな。上司という人がいなかったからさ。漫画のフキダシ(台詞)なんて級数指定しなくたって写植打ってくるからさ。まあ、それを5年か6年やったわけ」

 

──そして、伝説のスーパー変態マガジン『Billy』を手がけるわけですね。

「最初の『Billy』はね、ただのインタビュー雑誌だったの。おれの下にいた高橋君っていうやつがね、大学卒業して入って、そういう雑誌をやりたい、って訴えたの。よし、作れってほとんど彼任せ。映画俳優とか登場してさ。具体的に誰が出たかっていうのは憶えてないなあ。高橋君のやりたいように作らせてたし。で、6号か7号やって、返品7割か8割になって潰れたんだ。高橋君は責任感じて辞めたんだけど、今は講談社で『フライデー』の次長やってるからね、まあ辞めてよかったよね。でね、彼がいなくなったからおれが一人になって、『Billy』をどうしようかっていうことなった。その頃ね、変態写真があったの。結果的に下請けとして組むことになるVIC出版に。中野D児(現AV監督)とかいてさ、オシッコ物とか変態物のビニ本の写真があったのよ。ただ裸の写真載せても売れないだろうっ、てんで変態雑誌にチェンジしたの

変態のインタビューはおれがやったし、ライターは福ちゃん(永山薫)とか参加するようになったよね」

 

基本的に2人で1誌作るっていう個人誌でしたね

スーパー変態マガジンになってから、返品は2割になった。出版社は増え、エロ本黄金期を迎える。『Billy』の編集長をやりつつ、いわゆる「中沢班」を統括し、高寿常務(現カメラマン)編集長によるロリコン雑誌『ヘイ・バディ!』も担当した。

「この2誌と末井さんの『写真時代』が当たって、会社が持ち直したんだよね。基本的にエロ本は2人で1誌を作るという時代でさ、要するに個人誌ですよ。編集長の嗜好が出りゃ、それでいいわけ。組織の上の人間が編集者にああ作れ、こう作れって口出ししても、それで売れる本ができるってことはないわけでさ。一番怖いのは、それで編集者の才能を潰しちゃうっていうことなんだよね。ウチの会社は編集長が何作ってもいいの。だれも口出ししないし、台割のチェックもやんない。おれも今でもしないよ。好きに作れって。編集会議を開いたことも1回もない。おれはできあがった本を見るだけ。それで何も言わないもン

 

『Billy』が都条例に引っかかり、『Billy-Boy』と改めるが、それも同じく条例を食らうかっこうで撤退。版型をA4版にして、SM雑誌を作る気はない中沢さんは、編集長として『ビデオ・ザ・ワールド』を創刊。併行して、東良美季(現ライター・AV監督)編集長の『ボディ・プレス』など、今でも“プレミア物の伝説”となっているエロ本をプロデュースし、コアマガジン社長となった今でも変わらず、「やる気のある奴を編集長にして好きな本を作らせる」

 

「『~ワールド』はね、山崎さんが宇宙企画始めたり、周りのビニ本屋さんがみんなビデオ会社に転身したから、じゃあこれからはAVだろうってことでビデオ誌やることに決めたの。単純なんだよ」

 

―『ビデオ・ザ・ワールド』ってタイトルは?

「世界のビデオを紹介したかったから。世界に目を向けようト。それだけ(笑)」

 

──振り返ってみると、今までの道のりはどのようなものでした?

ウン、楽しかったよ。苦労してないからね

 

──素晴らしいですね。軽いですね(笑)

本作りで悩んだことがないっていうのがいいんじゃないの

 

──ツッコミようがないですよ。

ハハハ(笑)。何も考えてないもの。考えて作った本だって売れてないじゃん。おれなんて、成り行きでここまで来てるしね。編集者になりたくてなったわけじゃないしさ。編集者としての才能はないの。で、おれはね、才能ある人物を見抜くのが得意なの

 

──なるほど。中沢さんの下で本を作っていた東良美季、ハニー白熊(現ライター)、ラッシャーみよし(現編集プロダクション、ラッシュ社長)、青山正明(現データハウス)、永山薫ら。そうそうたる顔ぶれの才能を見抜いていたってことですもんね。

彼らに才能があったってことだよ。ちょっと話をしたら、そいつに才能があるかどうかっていうのは判るの。こういう本を作りたいって思いが伝わってくるもん。そういう奴らが雑誌を作ればいいんだよ。

要は情熱なんですよ。情熱持ってウチに来る奴には本を作らそうって思うじゃん。企画出したら通るからウチは。売れなきゃやめりゃいいんだしさ。おれは、このぐらいの予算で作れ、って言うだけだよ。

そういう意味ではさ、ウチの出版社は才能ある奴が来たら絶対伸びるよ、潰さないから今は人も増えて白夜書房コアマガジンに分かれたけど、派閥がないの、ウチは。トップの人間が仲いいわけ。内部で足の引っ張り合いは絶対しないから。楽でいいと思うよ。その代わり、才能ない奴はしんどいよね。上の人間は何も言わないわけだしさ。口出しも、アドバイスも。森下社長は営業畑出身だから(編集には何も)言わないってこともあるんだけどね

 

うさんくさい人物が好きなの

──エロ本も含めて雑誌界が低迷してるじゃないですか。どう思います?

「まだ可能性あると思うよね。若手で有能な編集者がいて、若手で有能なライター、カメラマンを見出して本を作ればさ。若い奴が作んなきゃダメよ」

 

──エロ本で言いますと、僕もライターとして企画に係わったりしますけど、ここ最近は「そこまで過激にやるとコンビニに置けない」という、ひとつのボーダーで彼ら編集者、まあ営業のセクションも含めて切り返してきますよね。

「コンビニに置かれなくたって、書店で必ず買ってくれる本を作ればいいじゃん。エロ本なんて2人か3人で作れるんだからさ。今はホント、才能の勝負だと思うよ。部数が3万でも4万でも、要は書店まで行っても買いたいと思わせる本を作りゃいいんだよ。万人にウケようとする本となると、逆に難しいでしょ」

 

──これは読者にウケないから、ってふたこと目には言う編集者がよくいるけど、ある意味、逃げですよ。何も考えていないんですよ。自分がただの読者だった頃を振り返ると、こっちに迎合されたらもう物足りなかったでしょ。「背伸び」したいんですよ。7歳の女の子は『セブンティーン』は「幼稚だから」読まない。『non・no』に行っちゃうでしょ。

読者参加の本を作る気は全然ないよね。『ビデオ・ザ・ワールド』も一切読者のお便りは気にしてないからね。ひとつ言えるのはね。おれはまだよそが作っていない本を作ろう、っていう気持ちは常にあったね。たとえば、今も、前科者ばかり扱った本ってないから、おもしろいだろうなあ、でも前科者を毎月探すのは大変だしなぁとか、そんなことばかり考えたりしてるよ」

 

──編集の仕事して、おもしろいなあと思うのはどういうところですか。

「基本的に編集者って人に会うのが仕事だからさ、いろんな人に会うのがおもしろい。『Billy』作ってた時は、毎月いろんなフェチの変態に会って、その人の人生を聞くのがおもしろかったしさ。『ビデオ・ザ・ワールド』作っていちばんおもしろかったのは、村西とおるに会ったことだよね。話がおもしろいもん。基本的におれ、語弊があるけど“うさんくさい人物”が好きなの。佐藤太一(ビデオ安売王etc)とかさ。今の時代にこういう人がいるの? っていう。最近あんまりいないでしょ、うさんくさい人物とか、詐欺師っぽい人物とか。でも才能もこだわりもある若手の編集者って減ってきてるよね、最近

 

──ライターも若い書き手が出てこないですね、エロ本は。「家賃を払ったから今月は酒を我慢」とか夢のないことばっかり書いてるからかな。

「そうそう、そうだよ(笑)」

 

──『別冊宝島』とかのエロ本ネタもこの本も、ライターの顔ぶれは、おなじみの人ばかりやなあト。

「そうなんだよな」

 

──話を戻して、私とエロ本、というタイトルで作文を書け、と言われたらどんなもんでしょう?

「代々木(忠=AV監督)さんが、女の股で食ってきた、って言ったけどさ、おれだってそうだもん。女性らには感謝してますよ。まずこれだよ。自分の人生、威張れるなんて思ったことないしさ。ビニ本とエロ本しか作ってないんだから。でも、まじめにはやってたんだけどね。これからも、エロ本を作っていくつもりだよ。うさんくさいもの、っていいじゃん。おれ、立派なものっていうのがとにかくダメだしさ。まあ、流れに身を任せてきたし、これからもそうだよ

 

──流れに身をゆだねていればキミも社長になれる!ですね。あ、話が飛び過ぎてスミマセン。

「(笑)あとはね、やっぱり、持って生まれた運ってあると思う。オレはツイてるなって思うよ。時代にマッチしたっていう部分もあるからね。これからはエロの才能ある人はコンピュータソフト業界に行くでしょ? そこでおもしろいエッチなゲームを作れば売れるんだしさ。おれの時代はそれがビニ本なりエロ本。そこで少しだけ頭を使って上手く行ったんだね」

 

この原稿と『ビデオ・ザ・ワールド』2月号の原稿と、どちらを優先させるかの局面に立たされた筆者。どちらも“中沢慎一仕事”だ。迫る締切に悩みつつ、つい日本シリーズのTVにチャンネルを合せて最後まで見てしまう。我が巨人軍がからんでいないので、どーだっていいのだが。

「中沢さんってヤクルトの古田やな」

フト思う。他球団をクビになった、決め球の球種が1個しかないようなピッチャーを上手くリードし、安心して投げさせ、それをウィニングショットにしてしまい、三振を取る。投手は一人前に育つ。要は、包容力。売れ線どころをあれもこれもと並べただけの今の「コンビニ球団」巨人軍じゃ勝てへんのヨ。

本作りは情熱があればできるけどさ、続けて行くには愛だよ。扱う対象に愛がないとね

 

ここまでのインタビューは1997年秋頃に行われた。

以下に続くインタビューはサン出版発行『マガジン・バン』誌に掲載された2009年のインタビュー記事の抜粋再録である。

 

全編エロじゃなくてもいいんじゃないか

インタビュアー:東良美季

──ビニール本(大人のオモチャ屋やアダルトショップを中心に流通したエロ本。その性質上、書店売りよりも過激な露出が可能だった)から取次本(書店で流通するエロ本)の編集者になって最初に手がけたのは劇画誌ですか?

「当時、石井隆がすごい人気で、石井隆の原稿を取れれば新しく一冊劇画誌を創刊出来るという話が会社であって、俺が一番下っ端だったから、『じゃあ俺、行って来ます』と。それで会って、石井さんは当時『ヤングコミック』の専属みたいな形だったんだけど、色々とねばって頼んだら『いいよ、描くよ』という話になってさ、それで『劇画タッチ』という雑誌が出来た」

 

──それがひとつ伝説なんですけど、超多忙な石井隆から中沢さんが原稿を取ったという。

「今は中村淳彦が『名前のない女たち』で可哀想なAV女優の話を書いてるけど、あの頃はさ、今以上に悲惨な境遇のヌードモデルがたくさんいたんだよ。親の借金抱えてとか、悪い男に無理矢理犯されて裸の仕事させられてるとか。そういう実話を色々話したら、石井さんの『天使のはらわた』ってそういう話じゃん? 男に騙されたり、レイプされて堕ちる女という。だからすごくノッて来たんだよね。それで何となく気が合ったというか、漫画のネタにもなっただろうしね、付き合いが始まった」

 

──で、初めて編集長になると。中沢さんには元々雑誌編集者になりたいという気持ちがあったんですか?

ないよ。俺は未だに自分に編集の才能があるなんて思ってないもんたださ、あの頃のエロ本の編集者なんて、優秀なヤツいなかったよ。末井さんだけだよ。あの人はすごい才能だと思ったけど、他はさあ、当時のエロ本の編集って、大手から流れてきた人が、嫌々作ってるみたいなのが多かったんだよ。ブンガク崩れで『俺も昔は吉行淳之介の原稿取った』なんて自慢してるようなのばっかりで。もう死んじゃったから言ってもいいと思うけど、『劇画タッチ』の前に『コミックセルフ』という劇画誌のグラビアを手伝ってたんだよ。その編集長がまさにそういう人で、撮影行っても現場で寝てるんだもん。ちょっとこういうのはないよなあと思った。その点我々は若かったからさあ、本作りの熱意だけはあったよね。それにエロ本なんて基本はイイ女連れて来て、エロいグラビア組めば売れるんだからさ」

 

──でも、そう言うわりに中沢さんの本って、『ビリー』にせよ『ビデオ・ザ・ワールド』にせよ、活字の多い、読ませるものが多いじゃないですか?

「それはやっぱ若かったから、安直な作り方はしたくなかったんだよ、きっと。今はさあ、売れればなんでもイイかと思うけど(笑)、若い頃は情熱があるからさあ、ただ単に女の裸並べて売れればイイなんて本は作りたくないじゃん? 他の部分で、ライターの優秀な人見つけて、面白い文章で本が売れたらイイなあと思うよな。いい原稿が載れば雑誌にパワーが出るから、より多くの人にアピール出来るだろうし

 

──ただ、大げさに言うと、そこでエロ本の歴史が少し変わるんですよ。末井さんの本にも出て来ますが、それまでのエロ本編集者って、「エロ本なんてドカタと変態が読むものだ」とか言って、わざと低俗なものを作ってた。少なくとも、あくまでオナニー向けのヌード・グラビアがメインであって、文章なんて本当に添え物だったわけです。それが変わった

「俺はさあ、ある部分をキッチリ押さえておけば、全編エロじゃなくてもいいんじゃないかと思ったんだよ。エロ本とはいえ雑誌なんだから、雑誌における遊びの部分というか、幅があった方がいいんじゃないかと。俺は売れればいいと思ってたから、押さえるところを押さえていれば、すべて読者が歓ぶものばかりじゃなくていいんじゃないか、売れるんじゃないか? と。読者がドカタかどうかというのは考えたこともなかったし、それとさあ、正直全編エロ、『エロとは何か?』って突き詰めるのは大変だろ? 疲れる。だからウチの夏岡(彰=投稿エロ本『ニャン2倶楽部』編集長)なんて偉いと思うよ。ずーっとエロを突き詰めてるじゃん? ああいうのは俺には無理(笑)」

 

スーパー変態マガジン『ビリー』

──しかしそれが結果サブカル色を強くして、白夜の本は大学生とかに支持されるようになる。つまり読者の幅が広がることになる。まあ、僕なんてまさにそういう読者のひとりだったわけですが。で、『劇画タッチ』の後が、『Hey!Buddy(ヘイ!バディー)』『Billy(ビリー)』ですか?

「『ヘイ!バディー』は高桑(常寿)がやりたいと言い出して、俺は発行人だけ。『ビリー』は元々、今は講談社で偉い人になってるけど、高橋さんという人がいて、彼が創刊したエロ一切ナシの、『スタジオ・ボイス』風インタビュー雑誌だった。ところが売れなかった。半年出して返品が七割。これは続けられない。高橋さんも退社することになって、俺が引き継いだはいいけど、さてどうしようと。ちょうどその頃、変態っぽいビニ本が流行ってたから、だったら〈スーパー変態マガジン〉というのはどうだろうと考えた

 

──うん。初期は「毛が見える」とか「透けてる」だけで売れてたビニール本が、その頃になるとどんどん過激にエスカレートしていた。フィストファックとか女の子にオシッコ浴びせるとか、中野D児が男モデルで出た『人間便器』(群雄社)なんてのもあった。今とはずいぶん感覚が違うけれど、当時はそれらをすべてひっくるめて〈変態〉と呼んでいたんですね。で、ある日中沢さんがVIC出版を訪れてみると、そういう変態ビニ本のポジがたくさんあって、「これなら雑誌が作れると思った」という話を聞いたことがある。VIC出版はKUKIの下請けとかで、その手のビニ本を作っていた。

そう。売れない雑誌を引き継いだわけだから、いかに安く作るかを考えた。だからKUKI本体にも借りに行ったし、巻頭のキレイキレイなヌードなんかは、英知出版宇宙企画から借りた

 

──つまりは安く作りたいがための苦肉の策だったわけですが、これもまたエロ本にひとつの変化をもたらすわけです。それまでのエロ本の王道と言えば、櫻木徹郎さん編集の『TheGung(ザ・ギャング)』(サン出版)とか、大川恵子編集長『Gals Action(ギャルズアクション)』(考友社出版)とか。こういう雑誌は、業界では「特写」と呼びますが、撮り下ろしのヌードが主体だった。ところがこれはお金がかかる。一方、『ビリー』や『ヘイ!バディー』は特写をやらないぶん、記事が充実した、撮影の費用に比べれば、文字の原稿料なんてしれてますから。

そうだね。特写は金がかかる。モデル代からカメラマンのギャラ、撮影場所も高い。それよりは、ライターに原稿料払った方が面白いものが出来るとは思ったね

 

──そういう方法論が、結局『ビデオ・ザ・ワールド』の創刊に続いていくわけですが、『ビデオ・ザ・ワールド』を作ろうと思ったきっかけは何だったんですか?

「都条例というものがあって、当時はその〈不健全指定〉というを連続三回、年五回受けるとタイトルを替えなければならなかった。これは青少年の健全な育成というのを目的にしてるから、SMとか変態というのはすべてアウトなんだよ

 

──にもかかわらず、何故か普通のSM雑誌はよかったんですよね。

「都の考え方というのはそうだった。つまり、当時の『SMセレクト』(東京三世社)とか『SMファン』(司書房)とか、ああいう判型の小さなSM雑誌は一部の大人が自分の責任で買うものだと。ところが俺のやってた『ビリー』や『ヘイ!バディー』はA4判グラフ誌だから、若い人が買うと見なされた。で、最終的に『ビリー』は『ビリー・ボーイ』とタイトルを替えるわけだけれど、どちらにせよコンセプトが〈変態〉である限り続かないなと思ったから、新しい雑誌を創刊しようと

 

──何故、次はビデオをテーマにと考えたんですか?

「何ンも考えてないよ。世間で『これからはビデオの時代だ』って言ってるから、じゃあ、ビデオかなあと」

 

──相変わらず短絡的だなあ(笑)。

「そう言うけどさー、エロ本なんて考えて作ったりしないよ。ビデオの時代だから『ビデオ・ザ・ワールド』、それでいいじゃん」

 

──タイトルも当時流行ってた『なるほど!ザ・ワールド』のパクリだし(笑)。

 

エロ本の本質はいかがわしさとウサン臭さ

──さて、そこから30年近い年月が流れて、今は本当にエロ本が売れない時代になっていますが、それに関してはどう思われますか?

時代の変化だろうね。雑誌全体、出版全体が売れない。エロ本は今、かろうじてパソコンを持ってない世代に支えられてる。だから長期的に見れば必ず衰退していく。俺は遠からぬ将来、アダルト雑誌は消えていく運命だと思ってる

 

──若い人は今、何故エロ本を読まないんだろう。やはりインターネットがあるから?

いやそれはさあ、ハッキリ言ってエロ本が面白くないからだよ。我々作ってる方に問題がある。面白い雑誌を作れてない。ただそれには理由もあって、何故かというと世の中に制約が多すぎるから。ウチもそうだけど、今、出版社は世間に気を配りながら雑誌を作らなければならない『ビリー』の頃なんかはさ、〈中卒マガジン〉っていうコーナーやってたんだよ。中学しか出てない人を差別するというひどい企画。差別というのはいけないことなんだけど、でもいけないことだからこそ、そこには面白い何かがあった

 

──うん、タブーだからこそ意味があった。差別というものは厳然とあるわけで、でも世の中では一応「無いもの」とされてる。なので敢えて差別をしてみれば、色んな欺瞞が現れる。差別する側の傲慢さとか、人が人を差別するバカバカしさとか無意味さとか。

「だいたいエロ本自体が世に疎まれているような存在だったわけでさ、昔、銀行はエロ本出版社なんかに絶対金貸さなかったんだよ。そういう存在だから、エロ本に書いてあることなんて誰もちゃんと読まないだろう、本気にはしないだろうと。だから好き勝手書けたんだよ。『ビリー』の頃は身障者団体に怒られて、謝りに行ったこともあったけど、あの頃は世の中が寛容だったというか、『ごめんなさい、もうしません』と言えば許してもらえる時代だった。今はもう無理だよね。ウチもかつて『BUBKAブブカ)』なんか相当芸能スキャンダルをやったけれど、やはりすぐ訴訟になる。それはやはりエロ本出版社が大きくなって金も儲かるようになって、アンダーグランドな存在じゃなくなったということだよ

 

社会に受け入れられない部分を本にするのがエロ本屋

『MAGAZINE・BANG!』T編集長「我が社(サン出版)も数年前に、読者からの投稿写真を一切掲載しないことを決めたんです。未成年のヌードかもしれないし、撮られた女性が同意しているかどうか確約が取れないので。でもそうやってエロ本出版社が健全な本作りをしようとすればするほど、本来持っていたパワーをどんどん失っていくような気がするんです

 

そうだね。エロ本というのはいかがわしさやウサン臭さを持ってるから成り立っているわけで、それを無くしてしまったら、エロ本の存在理由も無くなってしまうよね、きっと

 

──エロ本の本質がいかがわしさやウサン臭さだという、中沢さんがそう思うに至った理由を最後に聞かせてもらえますか?

「それはさあ、俺はビニ本から始めたわけじゃん? エロ出版社なんて女の股ぐらでメシ食って来たんだもの。見えるとか見えないとか言って、楽して本作って来た。本当にくだらないんだけどさ、でも、それはそれで面白いじゃん。つまり基本的には反社会的なんだよ。だからいつ叩かれても仕方ないと思ってずっとやって来たし。でもきっきの差別の話と同じように、世の中にはいかがわしいもの、ウサン臭いものは必ずあるわけでさ。それは人間メシ食えば必ずウンコが出るように、セックスもあればスキャンダルもあるし、ドラッグもあって変態もいると。そういう反社会的というか、社会に受け入れられない部分を本にするのがエロ本屋だと俺は思ってるから。だから反社会的なエロ本屋の本質、それをどう失わずに時代に対応していくか、それが今後の問題だろうけど。まあ難しいだろうな、きっと

(2009年9月2日/於・高田馬場コアマガジン近くのカフェにて)

 

(スーパー変態マガジン『Billy』編集人・小林小太郎インタビュー)

 (インタビューの完全版を収録した白夜書房中心のエロ本クロニクル)