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山崎春美インタビュー(『HEAVEN』三代目編集長)

山崎春美インタビュー(『HEAVEN』三代目編集長)

所収『Quick Japan』Vol.16(構成:竹熊健太郎

山崎春美とは

タコガセネタといったバンドの中心人物であり、1970年代後半から80年代にかけてサブカルチャーシーンにさまざまな影響を及ぼしたライター・編集者の山崎春美

1970年代後半に当時高校生だった山崎は、阿木譲が編集長を務めた雑誌『ロックマガジン』でデビュー。上京後に松岡正剛の「遊塾」へ入塾して『遊』の編集を務めるかたわら、伝説の自販機本『X-magazine Jam』『HEAVEN』などで「鈴木いづみとのベッドインインタビュー」「山口百恵宅のゴミ漁り」などの衝撃的な企画に携わった。

また精神科医香山リカの名付け親であることや、マンガ家・蛭子能収の一般誌デビューを後押ししたことでも知られている。

このほか音楽面でもパンクバンド・ガセネタや、佐藤薫遠藤ミチロウ町田町蔵坂本龍一工藤冬里篠田昌已上野耕路杉山晋太郎宮沢正一らがゲスト参加した前衛音楽グループ・タコの中心メンバーとして活動。

ステージ上で自傷する「自殺未遂ライブ」や、日比谷野外大音楽堂アンダーグラウンドイベント「天国注射の昼」などを開催しインディーズシーンで注目を集めた。

 

タコ・山崎春美の文筆仕事まとめた本『天國のをりものが』」より

 

1980年代初頭、山崎春美禍々しい数々の“伝説”に彩られた、アングラ・シーンで燦然と輝く存在だった。そんな彼の周囲にいた大里俊晴香山リカ山崎春美の時代」を総括するため、後に当時を回顧した貴重な回想録を著した。それが大里のガセネタの荒野』であり、香山のポケットは80年代がいっぱい』である。しかし、肝心の山崎本人は決して多くを赤裸々に語ろうとはしない。以下に再録したインタビューは1997年に山崎春美が当時を回想した貴重なインタビューであるとともに、1980年前後のアングラ・シーンを現代に伝える貴重なオーラル・ヒストリーでもある。

「ガセネタ」は、事実をないがしろにするため/人を欺くため/人を混乱させるために故意に発信される。「ガセネタ」の不死鳥、山崎春美によって、我々はまたもや撹乱されている。

(ガセネタ「グレイティスト・ヒッツ」ライナーノーツより)

はじめに

群雄社の出入りのライターだった僕は、当時、一度だけ山崎春美氏に会ったことかある。たぶん82年か3年頃のことだ。

●そこにいる人物が山崎春美だと認識した瞬間、僕は凍りついた。当時の僕は名もないライターに過ぎず、一方の春美はサブカル各誌総なめの売れっ子ライター。同時に「自殺未遂ギグ」を敢行した過激なカルト・ミュージシャンでもあった。また後期『HEAVEN』の実質的な編集長だったという点も、僕の中で山崎春美という名前を大きく見せていたことは否定できない。「凶凶しきオーラをまとった天才青年」。これが僕から見えた当時の氏の印象である。

●やがて群雄社は倒産し、春美さんも郷里の大阪に帰ったという噂を聞いた。それには「薬物中毒治療のため」というまことしやかな尾鰭までついていた。また、氏と生活を共にしていたロリータ順子さんがこの世を去ったと聞いたのは87年頃のことだ。

●僕はやがて群雄社と『HEAVEN』に関するルポを考え始めたが、ここでどうしても外せないのが山崎春美氏だった。しかし氏にまつわるさまざまな「伝説」を考えると、正直気後れしていたのは事実である。

●ところが昨年の暮れ、思いがけない場所で再び氏と遭遇した。新宿のロフトプラスワンに出演した後、楽屋の前で当の山崎氏本人から声をかけられたのだ。その時の腰の低い、折り目正しい口調からは、かつての凶凶しき「伝説」に彩られた山崎春美は想像もできなかった。年月が人を変えたのか。それとも?

●山崎氏への取材は今年の2月と6月の2回に分けて行われた。インタビューは終始なごやかに行われたが、まとめる段になって愕然としたのは、氏の口から出た人物の多くがすでにこの世を去っているという事実である。

●ちなみに2回目のインタビューは6月28日に行われたが、この日は「ある事件」が解決した特別な日でもある。もちろん偶然に過ぎないのだが「やはり春美オーラは健在だった」と妙なところで感心してしまった。その事件が何かは最後までお読みになればわかるだろう。(竹熊)

群雄社出版『HEAVEN』8号より1981年当時の山崎春美

 

地球ロマンと遊とヘヴンと

Jam』や『HEAVEN』には、工作舎*1から流れてきた人脈が混じってますよね。山崎さんは遊塾*2出身でしよう。

 

山崎 そう……僕以外にだれが居たかな?

 

───えーっと松本助六*3とか。

 

山崎 はいはい、まあ彼はライターではあるけれど。僕は給料もらってたから。

 

───『Jam』『HEAVEN』って、工作舎をけっこう意識してたでしょう。それで僕は『遊』*4や『地球ロマン』*5も読んでましたから。それぞれ人脈もつながってましたしね。

 

山崎 なんか『遊』と『地球ロマン』と『HEAVEN』って、考えると僕が一番かかわっていることになるよね。まず僕は半年くらい工作舎の遊塾にいて、それ以降も工作舎で働いてた。『地球ロマン』とはどういう関係かっていうと、(編集長だった)武田崇元さん*6の紹介で、オカルト本のリライトをやってて。だからとても無関係とは言えない。それで『HEAVEN』でしょ......だからそんな風にまとめられると「うわー」って感じで(笑)。

 

───だから、80年代の裏の部分を準備したのがこの三誌だと思うんです。表に『ビックリハウス』『宝島』『OUT』*7があって。

 

山崎 実は『OUT』の創刊号にも原稿書いてるんだよね。同じ版元(みのり書房)で出してた『アラン』*8にもいたことがあって。それから『ロックマガジン』*9でも仕事してた。

 

───その後『宝島』でも連載されてたでしょう。じゃ、山崎さんって当時のサブカル誌にあらかた関係してたわけだ。すごいな(笑)。

 

日芸とガセネタと

(“ガセネタ”たった一度のチラシ)

 

───母校は日芸日大芸術学部)ですよね。『Jam』の主要メンバーはほとんど日芸ですね。年齢はどのくらい離れていたんですか。

 

山崎 四つくらい。当時は結構キツかったけどね。だってみんな四つも上だったんだもん。僕は入学する前の年に大阪から上京して。

 

───それが何年位ですか?

 

山崎 76年が高校三年生で、その年には『ロックマガジン』で書いてた。それから東京で“ガセネタ*10ってバンド作って、日芸に入って美沢さん*11と知り合って。美沢さんがガセネタの音楽を聴いてくれてね。

 

───その頃は高杉さん*12と美沢さんも知り合いだったんですね?

 

山崎 もうそのへん全員知り合い。それで佐內さんの『BEE-BEE』ってミニコミに「何か書かない?」みたいな話になって。

 

───で、エルシーに出入りするようになって『X-マガジン*13や『Jam』になっていくと。

 

山崎 『X-マガジン』では、僕あれでしょ。訳詞を。シド・バレッドとかジミ・ヘンドリックスとか、マーク・ボランとか……。

 

───山崎さんが「ドラッグソング訳詞集」ってのをされて。それで79年に『Jam』が始まっていると。

 

山崎 だから、そう……僕は78年に何をやっていたのかというと、“ガセネタ”をやってた。僕がやってた音楽については、どっちかっていうと僕、もともと音楽ファンでしかないわけね。だけど(自分がステージで)やる段になった時に、僕がひっかきまわしちゃったから。痙攣やったり。基本的に痙攣。あまり細かい事を考えてないから。まず、当時のアンプとか音響設備では歌詞なんてまともに聞こえないわけだし、いくらがんばってもだめでしょ。だからパフォーマンスしかなかったわけだけど。

(“ガセネタ”時代の山崎春美

 (たった4曲しかない“ガセネタ”の名曲「雨上がりのバラード」「父ちゃんのポーが聞こえる」「宇宙人の春」「社会復帰」

 

工作舎と寝不足と

山崎 そんなんでやってて、暴れたりして青春をやっておってですね。で、78年~9年に一体何が……まぁ爆発的にいっぱいあるんですが。浜野*14が“ガセネタ”やめて、バンドは無くなって、それでどうこうしていて。もともと僕は『ロックマガジン』にいて、そこに松岡正剛さん*15が文章書いてたんで、遊塾に入れたんだよね。

 

───じゃあ『Jam』やりながら“ガセネタ”解散して、同時に工作舎に出入りするようになったと。実にめまぐるしい(笑)。

 

山崎 あと、吉祥寺マイナー*16にも出入りしていて。それであのー、女の子とどうした、こうしたのってあって、三角関係みたいな……これが79年。だからいっぱいやったなあって。とにかく一番困ったのが、寝不足で辞めたんですよ、工作舎はね。

 

───大学も行けないくらい?

 

山崎 大学はあんまり行かなかったけど。なにせバンドはあるわ、マイナーには入り浸るは、男女関係あるわ、『Jam』やるわ、それで工作舎はあるわで。まあ一生懸命やりましたけど。だから工作舎のトイレではよく寝た。とにかく寝たかった(笑)。もう全ての原因は寝不足。

 

───じゃあもう79年はそんな事が有象無象にあったんですね…

山崎 そう、女の子の話になると「あの子とも79年、この子とも79年」みたいになってて。キチガイだなぁと思って。二股三股かけてて。

 

印刷ミスとパンクと

───『X-マガジン』とか『Jam』の前半に関しては、どの程度やってるんですか、山崎さんは。

 

山崎 『X-マガジン』はどうだろう。まずね、えーと。編集部には音楽分かる人がいなかった、自信ある人が。高杉さんは『ガロ』全部持っててっていう、そういうタイプでしょ。で美沢さんは一番音楽に強かったけど、別に業界人じゃないでしょ。そこへ僕が来たんで。僕は『ロックマガジン』で書いてたんだから。

 

───音楽に強いってことで山崎さんが?

 

山崎 だからえーと。パンク特集*17ってのはその次ぐらいにやるでしょ。『Jam』の創刊号で。記事は美沢さん。(誰が書いたか)わかんないけど、まぁこれは美沢さん。僕はもうキャッチを見ればどっちが書いたのかだいたいわかる。美沢さん書いてるときと高杉さんが書いてるときと、僕が書いてるときって全然ちがうって。

 

───確かに山崎さんって一発でわかる。高杉さんもわかる。美沢さんは独特に屈折したものがあるけど、文章自体はクリアーな。で、山崎さんの場合は意図的に幼稚な言葉とかまざってて、あー山崎さんって(笑)。

 

山崎 大きくなってからで申し訳ないんですが、馬鹿みたいなんだけど(笑)。

 

───それで、このパンク特集に山崎さんが協力して?

 

山崎 いや、僕……あー使われてるっていう。

 

───使われてる(笑)。

 

山崎 それから人間(バンド)のネタを提供してるじゃん。

 

───じゃあコーディネイターみたいな事をやってたんですか、この時は。

 

山崎 そういう事です。それで、この“スピード”*18の記事、知ってます?

 

───バンド名の部分にシール貼ってる(笑)。

 

山崎 “スピード”って貼ってある、シールが。シール何百枚もだぁーって。

 

───バンド名間違えたんだね。誤植で。

 

山崎 僕聞いて呆れたけど。

 

───“フリクション*19“スピード”を“フリクション”にしちゃったんだ、これ。

 

山崎 そうなんだけど。一枚一枚貼ってったの。ゴメンナサイ、話とんじゃって。で、“INU*20も記事に出てたでしょ。ここらへんのミュージシャンは全部、当時のマスコミのおさえ方からすると全然違うニュアンスでおさえてるんだけど。結果的に言うとほとんど正しかったと思うけど。

 

───そうですね。

 

山崎 それは驚くけど。あんまりそういう風に考えた事ないんだけど。みんな知り合いだし近すぎて。


(『Jam』2号より「おわび」)

 

蛭子能収と恩人と

───『Jam』でいうと、前半はそれほど関わってないわけですね。途中の号で「よいこ新聞」やってるじゃないですか。

 

山崎 あれは高杉さんと僕と。つまり共同作業、もう完全にそう。二人とも若かったから出来たんじゃないかな。このキャッチ?「明るい幼稚園」っていうのは工作舎で松岡さんが僕につけたイメージキャッチ。それから別の号で、このね、左ページが蛭子さん*21のマンガで右ページに文章のコラム入れるっていう構成、こういう風にやろうっていったのは僕だけど。











(『Jam』特別ゲリラ号より蛭子能収「地獄に堕ちた教師ども」)

 

───『Jam』の最終号ですね、この構成おもしろかったですよ。

 

山崎 それで、なんかの雑誌で蛭子さんが「山崎さんがいなかったら今の僕は無かったんですよ」って言ってたってのを聞いてびっくりして。

 

───僕も蛭子さんのエッセイを読んだことがあって、『ガロ』でデビューしたんだけど鳴かず飛ばずで、ある日、高杉と山崎という二人の「恩人」がやってきて、それから今の自分が始まった、みたいなことを。

 

山崎 なんでかっていうと、もともと高杉さんは『ガロ』を創刊号から持ってるんだから。それで蛭子能収蛭子能収って言ってて。僕は僕でガセネタやってるとき、浜野との間でかなり面白がっていたんだよね。『超能力』とか『疲れる社員たち』とか。ああいうマンガって考えられないものだったから。

 

───で、蛭子さんに会いに行った時、覚えてる事ってあります?

 

山崎 池袋で。喫茶店で。あの人が入ってきたとき、僕はこの人が蛭子さんかなとか思ったんだけど。向こうもヘンだなとは思ってたんだけど、キョロキョロして。こっちはあきらかにその喫茶店にそぐわない雰囲気で立ってるんだから。でもう、いつまでもそんなことやってるわけにいかないから、蛭子さんですかって。そしたら向こうが「あーっ」て言ったのは覚えてる。

 

───で、『Jam』に書いてもらったと。

 

山崎 一回も面白いと思ったことないけどね、『Jam』に載ってからは、『ガロ』に描いてた最初の頃だけでしょうね。

 

───いや『Jam』のだって面白いと思いまたけどね。

 

山崎 でもその前あるでしょ、『ガロ』の。なんか夢の中に一杯十円玉があったりとか、そういうイメージが凄かったからね*22。(復活してからは)、そういうのが全くなくなっちゃって。そうした方がたぶん売れたよね。たぶん。でも蛭子さん、未だに山崎さんと高杉さんに感謝してると。未だに言うもんね。だけど僕一番思ってたのは、根本(敬)さんが出てきた時。見て「あっ? これ、蛭子さん危ないな」って(笑)。で、ああいった人が出てきたから別の所へ転進して行ったんだろうね。芝居とかなんとかね。

 

鈴木いづみと篠崎順子と

───80年にエルシー企画とアリス出版が合併*23して、『Jam』が『HEAVEN』にリニューアルしますよね。で、それとは別に、アリス出版で変な本も出していたでしょう? 確かSさん*24が編集長をした。

 

山崎 『ノイズ1999』*25。僕の「鈴木いづみベッドインタビュー」*26ですね。編集部で「誰か小説家いないか?」って話になって、鈴木いづみを提案したらみんなが飛びついたの。鈴木いづみ、なんだか忘れ去られた存在だったのね。それで提案したら、ワーっと盛り上げたのはSさんだったのをよく覚えてる。

(日本では大変に珍しい雑誌企画。伝説の作家・鈴木いづみとのベッド・インタビュー)

 

───なるほど。それ以前から鈴木さんとは知り合いで?

 

山崎 まさか。鈴木いづみ、読んではいたけど、会ったことは。それでその後、鈴木いづみが僕をモデルにしている小説があるんだけど。あれ読むと完全に『HEAVEN』のことを書いているよね。『ラブ・オブ・スピード』って小説。

 

───鈴木さんとは、仲良かったんですか。

 

山崎 話すとすごい疲れる。正直にいうと(自分は)若い頃、もてたんだね。一時期、しかもある種の人々だけに。そん中に、有名人なんかいたら困るよ、絶対(笑)。それで、あれ、群雄社とか『HEAVEN』とかそのへんのことをすごくないがしろに書いている感じがするんだけど、僕が知っている事実関係を照らし合わせると、絶対そうじゃないのにね。その、すごい、僕は彼女がショックを覚えたんだと思うよ。

 

───何に対してですか?

 

山崎 分からない。彼女自身も分からなかったんじゃない。でも直観的に思うのは、あの小説に篠崎さん(ロリータ順子)*27がさんざん出てくるけど、あれは(鈴木が)何か言い残してるなとつくづく思うんだけど。(篠崎さんが出てくる)必然性がないもんだから。鈴木いづみが死んだのって何年だっけ。篠崎さんより1年ぐらい早かったっけ。

 

───鈴木さんは何かショック受けたんでしょうか。山崎さんや篠崎さんに対して。

 

山崎 いや、いつの間に世の中そうなったっけ、って思ったんでしょ。世の中そんなひどく変化したっけって。今の時代に対して。そんなんじゃなかったはずだ、みたいなニュアンスで書いているみたいな。

 

───戸惑い?

 

山崎 戸惑いだね。ちょっと待ってよ、みたいな。そうだよね。自分は最近仕事してなかったから忘れてたけど、みたいな。特に『HEAVEN』の頃、僕も文章書いてて、鈴木さんも書いてて、彼女のニュアンスで。……だから僕めちゃくちゃ悪口書いてあるんだろうと思った。美沢さんから「鈴木いづみが書いてるぞ」って電話かかってきて、ウワッとか思って読んだら、まず思ったことは、ホッとしたの。自分がけなされてなかったから。ところが次に篠崎さんが、めちゃくちゃ書かれているもんで、さあどうしようって考えたのね。モロ“冷感症の女”みたいに、篠崎さんのことを。『HEAVEN』のこともいろいろ書いてるんだけど。で、まあ、それを含めて『HEAVEN』、群雄社自体がそういう(彼女の興味を引く)「磁場」を持ってたっていう言い方でいいのかな。だとしたら、あったと思うよ。でなければ書かなかったと思う。

 

───鈴木さんは何か「磁場」を感じていた。でも、言い残している感じで。

 

山崎 そう言い残している感じで。

 

編集長交代と人間模様と

群雄社出版『HEAVEN』1981年2月号=編集長交代号)

 

───じゃあ、ここらで『HEAVEN』の編集長交代事件の話を。結局、高杉さんが初代編集長を辞められた理由ってのは、山崎さんから見てどうだったんですか。

 

山崎 (高杉氏が)図版なんかそのまんま、なんかその辺の雑誌をパッと掴んで「これいいなあ」みたいな感じで使ってて。向こう(外国)の雑誌勝手に使って、それでレイアウト料取ってるもんだから、主に編集部の山本*28、田中*29あたりがブイブイ言い始めて。それが積もり積もって。パクリというより(高杉氏の)雑誌を作る姿勢にね。経費で自分の為のレコードをバンバン買っていたとか。まあ、今考えて(本当のところは)ちょっとつかみかねるけれど。それで「お前が言わなきゃ駄目じゃないか」みたいになってきて。春美がいわなきゃ駄目じゃないか、みたいに。

 

───よくわからないんですが、どうして山崎さんなんですか?

 

山崎 だから、お前は『宝島』とか『ウィークエンド・スーパー』*30でも書いてると。

 

───山崎さんが他にも露出しているから?

 

山崎 そうです…明らかに(笑)。

 

───(話がよくつかめずに)春美さんは、周囲から嫉妬されてたってこと?

 

山崎 (無視して『HEAVEN』のページを見ている)……このキャッチ、書いたのは僕なんですけど。「日本脳炎」ってページ。結構僕、ここ気に入っていたけど、誰が(このページを)やってるのか(読者には)わかんない。仕方の無い事なんだけれども。何となく自分の中に欲求不満として残っていたんだと思う。それがこのページにも現れていたんだと思うけど。

 

───ああここらへんメチャメチャですよ。精神分裂ぎみで。

 

山崎 あとはもうどうでも良かった。……で、段々しんどくなってきて、結局どっちにするのか(編集長への対応を)決めなきゃいけなくなってきた。それで、結局、僕とオム*31が首謀者ってことになっちゃったんですよ。後の二人(山本・田中)は何もしていないのに。僕はどっちでもいいのに。下から突き上げくらって情けないんですけど。……まあ、僕個人の理由として高杉さんに言いたかったのは、(雑誌の作り方として)もう少しなんとかならないのかっていう真面目指向だったのね。

で結局、社長の明石さんに直訴するしかない、ということになってきた。僕ってそんな事言い出すタイプでもなかったんだけど。高杉さんに(編集長を降りてくれないかと)言ったら「ああ、そう」みたいな感じで。

 

売れっ子と年功序列

───それで高杉さんが編集長を降りて、二代目編集長が近藤さん。でも以前、近藤さんにインタビューした時、「事実上の二代目編集長は春美だ」って言ってましたけど。

 

山崎 なんだろ?(他人が)どういうイメージを持っているのかわからないんだけど……『HEAVEN』の(高杉氏)追い出し号あたりまでのスタッフ・クレジットに、自分より近藤オム君の名前が先に来てる。……僕はこんなに書いているのに、オムは編集者で、僕は(編集スタッフとは)違うのか? みたいのがあったんですけど。

 

───それって年功序列なんですかね。

 

山崎 年功序列なんて関係無いでしょう?

 

───ええ。まあ。それで、山崎さんは(他のメンバーより)「年下」ということが気になっていたわけですか?

 

山崎 そうなんですよ。抑えておこうと僕は思ったんだけども……(編集部に自分より)四つ上が二人いて。田中一策、山本土壺、四つ上ってなんでこんなに多いんだろう? と思ってて。『宝島』に書いてた時も、当時の編集者で村松君も四つ上。とにかくみんな四つ上だった。相当(自分は)若造だったわけで。あちこちでいろんなことやってると……(口ごもって)……って感じなんですよ。

 

───若いのに、(他のメンバーを押しのけて)売れ始めたんじゃないか? みたいな?

 

山崎 ……だから、やっぱりケシカランみたいな。まあ『HEAVEN』の末期には僕も、いろんな人の原稿にずいぶん手を入れちゃって悪かったけど。

 

───じゃあ、みんながやったページとかを山崎さんがかなり、いじったりとか、そういうことはあったんですか。

 

山崎 平気でやってた。

 

───それでちょっと、編集部内の雰囲気がギクシャクしてきたってことあったのかしら。

 

山崎 編集部では、僕なんか一人で浮いてたから。だけど、それは、だって、ちょっと上に高杉さんがいるよね。それから山本、それと田中、トメ*32もいる。そうそう、トメもいるんだ。ああ何てことだ。すごいよな、メンツが。

だから、ちょっと地獄みたいなとこにいたから、そういうね、はい上がってきた気持ちになるんですよ。あんな連中の下にいたらそりゃ、気が狂わなかっただけよかったですよ。恐ろしい。どんな体育系のクラブへも入れる。

 

高杉さんとJ・レノンと

───それで話を戻しますが、高杉さんのことを最初はどう思ってたんですか?

 

山崎 いつ会ったかもよく覚えてないんだけどなんかね、何回が美沢さんと一緒にどっか行たりとか、バンド系だと思うけど。そこにいたんでしょ、きっと。で、紹介されたりして。よく覚えてんのは朝、家で原稿書いてたら高杉さんが来て、すごい普通なの。いわゆる話に聞く編集者が原稿を取りに来るという感じで。それも別に無理してるとかでもなくて、そういうもんなんだろうってやってる感じ。それが、最後のほうどんどんおかしくなったの、関係が。でもまあ、高杉さんは、こっちがちょっとブリッコすると、「しょうがないなあ」って感じでレコード買ってくれたりってこともあったんで(笑)。それはまあ……その場その場では楽しかったんだけど。

ただ(高杉氏に関して)『Jam』の頃で凄いと思ったのは、“ソフトマシーン” *33とか“タンジェリンドリーム” *34のファーストとか、キューピー人形とか、女の子の背中からネジが出てきているのとか、そういったのを僕に5ページくらいやらせてくれたりとか。そういうことでは高杉さんにお世話になってるんですけどね。もう好きなように。どこが音楽ページなんだ? って感じで(笑)。全然音楽の事を書いているようにみえない。でも好きにやらせてくれた、というようなことがあったりとか。

 

───まあ、高杉さんはクールな人って印象ですけど、ただ、去年の明石さん*35の葬式の時、僕はたまたま目撃しちゃったんだけど、泣いてましたね。

 

山崎 え? 泣いてたっていうのは、ちょっと異常な話だから、教えてくる?

 

───いや、あの、あれはね、お通夜の最後に、帰る前に高杉さんがもう一度、明石さんの死に顔見たんですよ。で、見た後に、ちょっとああいう顔見ちゃうと耐えられないよな、ぐっときちゃうよなみたいな感じで。

 

山崎 そう言いながら?

 

───意外な話でした?

 

山崎 僕と高杉さんでいるときと局面が違いすぎる。僕と高杉さんの間に普通とか一般があって。僕と高杉さんがいる時空間があって、別のところに高杉さんが泣く時空間があって、その間にとんでもない普通っていう、一般があって。時々聞くんだよ、高杉さんが泣いたって。本当に驚くんだよ。最初に聞いたときひどく驚いたんだけど。

 

───これ(編集長交代記念特集号)はもう冗談で?

 

山崎 冗談って言っても、もうかなり進んでいたよ……実際。

 

───どこで“クーデター”ってのがあったんですか?

 

山崎 この号(81年2月号)。もう表紙周りは出来ていたから、後ろのキャッチも高杉さんのものなんだけど……中にも高杉さんのページがあったんだけど。だからインサイドジョークみたいなものが酷くなるとこんな風になるんだなあと*36。なんか異常なことやったってのを覚えてる。この次の号も僕が全部書いて。キチガイじみたことをやってるんだよね。

 

───「サナイジュンイチロウ*37が辞めた! 読者一同一分間の黙禱!」……なんて書いてる(笑)。

 

山崎 そうそう。忘れもしない1980年12月に電話がかかってきちゃって。「今、銀座に居るんで」って凄い言い方なんで。

 

───え? 高杉さんから?

 

山崎 いや、オムから。これは何があったのかなって思って......僕も腹くくって「何でもいいから言ってくれ」って言ったら「あんましそんなに大した話じゃないんだけど。ジョン・レノンが殺された」(笑)。思わず「なぁんだ」って言っちゃったんだよね。それで同じ時期に高杉さんも『HEAVEN』辞めて、俺たちもその後マトモにやってたの二冊だけで。

 

デザイナーと最終号と

山崎 それで後期『HEAVEN』のヴィジュアルで評判いいのはさ、最終号の、戸田ツトムさん*38がレイアウトした武田崇元インタビューだと思うけど。文章の一行があんな長くて、対談形式で読めるかっていう、すごいびっくりした。あの文字組みは意図的だね。

 

───うん、でも読めましたよ。

 

山崎 読めたの。だいたい。ラインが長すぎるとむずかしいんだ。

 

───しかも、改行もないですからね。

 

山崎 そのときは、すごい楽しかったの、だから実際。

 

───ヴィジュアルワークですからね、『HEAVEN』といえばまず。当時、ヴィジュアル誌っていうのが、ものすごく輝いていて。羽良多平吉さん*39もいる、大類信さん*40もいる、戸田さんもいるって感じで。

 

山崎 つまりそういう時代だと。グラフィック・デザイナーが群雄割拠しているっていう、とにかく、その、なんてったって、目次でデザイナーの名前をいちいちページごとに記してあるっていう雑誌は、古今東西探してもないっていう。その意味ではあれなの、そういうデザイナー同士を競争させるっていうのは。じゃあ、ひとつ頑張ってくださいって。

ただ僕がつくづくこの最終号で思ったのは、素人に安易に任せちゃいかんなあと。(いい人悪い人の)落差が激しすぎて。せっかく競争原理を持ってきたのに。羽良多さん、戸田さん、類さん……といったうまい人がいて、一方でミニコミみたいなレイアウトする人が。ここで急にガクンと落ちるんですよ。それで羽良多さんたちに悪いなあと思って。

 

───でも、なんだかんだ言って最終号は傑作ですよ。ただこの辺、字が潰れているんだけど。

 

山崎 それは指定ミスです。

 

───ここなんか心霊写真みたいですね。

 

山崎 あっこれも指定間違いです。

 

───間違いと思わせないのが『HEAVEN』の凄い所ですね(笑)。

 

肥満とナチス

───実はもう一冊、幻の最終号*41があったという話ですが。「肥満」と「ナチス」のカップリング特集号だったとか。

 

山崎 死ぬ前に寺山修司が僕のことを色々言ってくれたってのは聞いた事があったんだよね。

 

───(話がつかめずに)へえ……?

 

山崎 それで、せいぜい10分位大山デブ子の話すると思っていたんだけど。僕はトンデモナイ事を言うんじゃないかと思ってて。三島由紀夫太宰治がいるけど、太宰治の方が肥満している印象がある……とかね。

 

───ええと、それは「肥満特集」で、寺山さんにインタビューされたということですか。

 

山崎 そう。で、向こうの人が頭抱えちゃって。三島由紀夫っていうのは身体鍛えていてがっちりしている人だと。で、太宰の方は痩せてて今にも死にそうな人であると。それで(笑)。僕も一生懸命にしゃべったから、聞いてくれた。

 

───じゃあ、一応取材はしたんですね。

 

山崎 うん、やってた。その辺はまともな雑誌にしようという意識があって。まともな雑誌にしようとした矢先でしたが……。

 

───これを出す前に終わっちゃつたと。

 

山崎 そう。「肥満」と「ナチス」同時にやったってのは、だから、やりたいことがいろいろありすぎて、ひとつひとつやってたらだいぶ先になっちゃうから。これもやりたい、あれもやりたいで、終わらないからだと思うんだけど。濃縮すれば、早いだろうから。

 

───それでカップリングに。

 

山崎 羽良多さんも賛成しそうな感じであるし。だから、基本的にすごくエネルギーがある時期ではあるんでしょう。そういうことで、また、巻き込まれるっていう。

 

角谷のシと酒鬼薔薇

それで、休刊後に山崎さん、『ロックマガジン』や『フールズ・メイト』で同じ『HEAVEN』ってタイトルで雑誌内雑誌やってるでしょう。香山リカさん*42野々村文宏さん*43祖父江慎さん*44なんかと一緒に。

 

山崎 祖父江慎は一時期、結核かかったっけ? 多いって結核、高杉さんも結核になったって。高杉さんは病気を売り物にしてたから。

 

───高杉さん、糖尿病もそうでしょ。

 

山崎 いつ死んでもおかしくないとか書いてたね。結核は栄養とらなきゃならないし、糖尿は栄養とっちゃ……。そういえば群雄に出入りしてたカメラマンで、殺されちゃったのいますよ。市川の一家四人殺し事件で。

 

───市川の?

 

山崎 そう。どの死に方もまっとうじゃない。それで、僕が唯一、全然(話が)できないのは、篠崎さん(ロリータ順子)とかね。全然だめなのね、それは、どう考えても。

 

───まあ篠崎さんに関してはそうでしょうね。

 

山崎 だから(『Jam』『HEAVEN』にまつわる)ミュージシャン関係の取材は全部僕に集中するかもしれないけど。この『Jam』に載った“腐ってくテレパシーズ”の角谷の記事*45、書いたのは美沢さんだけど、まあ、僕にも多少責任あるんだけど。彼の「シ」*46は、あの頃一番強烈だった。僕が『Jam』に書いた小説に挿絵も描いてもらったんだ。



(『Jam』特別ゲリラ号より「角谷インタビュー」)

(80年代初頭、東京のアンダーグラウンド・シーンで異彩を放っていた故・角谷美知夫の宅録音源。他に例えようもない、特異な感性から放射される音霊

 

───亡くなったというのは、自殺ですか。

 

山崎 たとえば飲みすぎとか、そんな。

 

───アルコール?

 

山崎 違う違う。リン酸ジヒドロコデイン。僕もちょっとやったけど、あの人、全然(身体のこと)気にしてないの。彼の「シ」って異常だもん。精神科医の松本助六と話してた時に、いろんな変わったミュージシャンの話とかしてたんだけど、僕が角谷の話題ふったら、助六が「それは脈絡が違う」と。「僕は境界例の話をしてるんであって、あれは分裂病」みたいな話になったことはあるけど。

だけど、そういう人間を(『Jam』で)もてはやしたりスクープしたわけだから。その後僕が追い討ちかけるようなことしたのは、吉祥寺マイナーの記事書いてくれって言われて、マイナーに出入りするミュージシャンの話を書いて、その中で一番反響が多かったのが、彼のシ。凄かったから。読者の共感の仕方が。

角谷って、お坊ちゃんでしょ。相当裕福な。だから、何が不満だったのか、典型的な例だと思うのね。それが中央線の四畳半で暮らしててさ。ファッションも、すごい変わってるでしょ。坊ちゃんから始まって、生活の条件すべて満たしてるのに、それなのに……。

 

───うん、わかります。

 

山崎 それで、僕が『ロックマガジン』とかで“アフター・ヘヴン”やったのも、アフター・ケアのアフターなのね。

 

───ああ……。

 

山崎 ひとつはね。だって、角谷に1ページ、篠崎さんに1ページとか。やったことあるし。

 

───いわゆる他誌での“アフター・ヘヴン”、“山崎ヘヴン”は、何回やられたんですか。

 

山崎 『ロックマガジン』で3回、あと、『フールズメイト』でも。『ロックマガジン』のやつは、羽良多さんのロゴ、ヘヴンのロゴをそのまま使ってるからね。……ちょっと待って。今テレビのニュースで……。

 

───(テレビ画面を見て)え? 酒鬼薔薇聖斗が捕まった?*47(インタビュー中断。一同、画面に目をやり、テロップを見て仰天する)

 

山崎 え? 14歳……。

 

─── 14歳!

 

山崎 14? へぇ……(そのまま酒鬼薔薇の話題にもつれこみ、インタビュー終了)

 

*1:工作舎

69年、カリスマ編集者・松岡正剛高橋秀元・中上千里夫らと設立した出版社。

*2:遊塾

79年に工作舎が主催した無料の編集塾。松岡のカリスマに惹かれたインテリ青年が多数参加、知的サティアンの様相を呈した。

*3:松本助六

精神科医・ライター。医学生時代、山崎と共に遊塾に参加。

*4:『遊』

71年創刊。独自の編集思想(遊学)に基づく難解な内容、凝りに凝ったレイアウトが日本の出版デザインに多大な影響を及ぼした。

*5:『地球ロマン』

76年創刊。オカルトを「冷たい狂気」と定義し、国家の転覆を夢想する猛毒オカルト雑誌。

*6:武田崇元

東大卒業後『地球ロマン』『迷宮』編集長を経て、現在は八幡書店を主催する秘教神道家。

*7:『OUT』

76年の創刊当時は初期の『QJ』に似たサブカル雑誌だったが、「ヤマト特集」をきっかけにアニメ雑誌に変貌。

*8:『アラン』

『JUNE』に対抗して創刊された少女向け美少年誌。休刊後、同誌編集者の南原四郎がコンセプトを継承し『月光』を創刊。

*9:『ロックマガジン』

76年創刊。編集・発行人である阿木譲の強烈な個性に裏打ちされた、極端なまでに流行を先取りしようとする感性で後世までの語り草になっている。

*10:ガセネタ

山崎春美大里俊晴・浜野純・佐藤隆史によるパンクあるいは《驚異のハードロック》バンド。77年結成、79年解散。15年再結成。

*11:美沢さん

美沢真之助。別名・隅田川乱一。文筆家。詳しくは『QJ』14号の「天国桟敷の人々 隅田川乱一インタビュー」参照。

*12:高杉さん

高杉弾。本名・佐内順一郎。『Jam』『HEAVEN』初代編集長。脳内リゾート研究家。詳しくは『QJ』19号の「天国桟敷の人々 高杉弾インタビュー」参照。

*13:『X-マガジン』

79年創刊。ただしこの誌名は1号きりで、翌号で『Jam』に。

*14:浜野純

ガセネタ解散後、ギタリストを棄て灰野敬二の“不失者”に参加。『Jam』の絶体広告群の一ページにそのコンサートの告知が見られる。

*15:松岡正剛

早稲田大学中退後、「遊学」「言霊編集」「編集工学」を標榜してオブジェ・マガジン『遊』を創刊したカリスマ的編集者。

*16:マイナー

吉祥寺にあった不忠議な磁場を持つ空間として、あまりにも有名になった、日本で数少ない「文学カフェ」ならぬ「音楽カフェ」。『Jam』ではその出張ページが毎号連載された。

*17:パンク特集

『Jam』創刊号(79年2月号)に揚載された。当時の東京ストリート・シーンの先鋭的なバンドが網羅されている。

*18:スピード

“東京ロッカーズ”と称された日本のパンク・ロックグループの一つ。

*19:フリクション

じゃがたら”と並んで、日本のバンド界の“裏”を二分する一方の雄。ちなみに山崎春美は『遊』の81年12月号の特集「流行る」の中で「日本のパンク・ロック」の1位にこのバンドを選んでいた。

*20:INU

芥川賞侯補作家・町田康(当時は町田町蔵)のメジャーデビュー作『メシ喰うな!』は永遠の名作として知られる。『Jam』掲載時の(オリジナルイヌ)のレコードが一枚だけ発売されており、中でも一番の聴きモノは「ガセネタ」というタイトルであるのは因縁深い。

*21:蛭子能収

ご存知、現在はタレントとしても活躍する異能マンガ家。

*22:十円玉

青林工藝舎刊『地獄に堕ちた教師ども』に収録されている「愛の嵐」を参照のこと(初出は『ガロ』76年7月号)。この「愛の嵐」を最後に『Jam』で復活するまで蛭子は3年間にわたり沈黙した。

*23:エルシー・アリス合併

明石賢生率いるエルシー企画と自販機本業界第一位のアリス出版は80年に合併したが、わずか1年で分裂。詳しくは『QJ』15号「エロ本三国志」参照。

*24:Sさん

S氏は謎の歌人にして群雄社編集局長。麻耶十郎の名で官能小説家としても活躍。スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画『コクリコ坂から』原作者。

*25:『ノイズ1999』

新生アリス出版が旧エルシー企画のS氏を編集長に創刊したカルチャー・エロ本。三号で休刊。

*26:鈴木いづみインタビュー

『ノイズ1999』第2号に掲載された「鈴木いづみベッドインタビュー」のこと(聞き手・山崎春美)。鈴木は伝説のサックス秦者・阿部薫(故人)の妻であり『恋のサイケデリック』等の著作を持つこれまた伝説の小説家。86年に自殺。山崎をモデルにした小説は、文遊社から刊行されている『鈴木いづみコレクション3』で読める。

*27:ロリータ順子

篠崎順子。別名・ロリータ順子。享年25歳で自らの吐潰物を喉に詰まらせ事故死。山崎の音楽ユニット“タコ”にボーカルとしても参加。

*28:山本土壺

『HEAVEN』編集者。休刊後は白夜書房集英社でビデオ・ライターとして活躍。

*29:田中一策

東大を三日で中退した後、ゲイ雑誌勤務を経て『HEAVEN』編集者に。現在はワインのソムリエをやっているという噂。

*30:ウィークエンド・スーパー

末井昭編集で70年代末に創刊されたサブカルエロ本。赤瀬川原平南伸坊荒木経惟らの活動拠点だったことでも知られる。

*31:オム(近藤十四郎

別名・近藤オム。『HEAVEN』二代目編集長。詳しくは『QJ』13号「近藤十四郎インタビュー」参照。

*32:トメ(金田トメ)

『HEAVEN』編集者。現在はインターネット裏モノ評論家として活躍。

*33:ソフトマシーン

バロウズの著名な小説の題名だが、ここでは英国で60年代末に結成されたロック・グループを指す。オリジナル・メンバーは、ケヴィン・エアーズやロバート・ワイアットがいた。

*34:タンジェリン・ドリーム

同じく60年代末に結成された。こちらはドイツのロック・パンド。山崎春美と親交の深かった間章がライナーノーツを手掛けたりした。オリジナル・メンバーには映画音楽で名を成したエドガー・フローゼや、70年代日本の中央線カルトの始祖クラウス・シュルツがいた。

*35:明石賢生

エルシー企画および群雄社社長。出版界に数々の伝説を遺し、96年8月に急逝。

*36:インサイド・ジョーク

編集長交代号(『HEAVEN』81年2月号)は、表紙から巻末までほとんど全ページが残ったスタッフによる高杉氏への苦言悪口・当てこすりに費やされているという凄まじい一冊。

*37:サナイジュンイチロウ

佐内順一郎高杉弾

*38:戸田ツトム

グラフィック・デザイナー。工作舎を経てブックデザイン、及びコンピュータDTPの草分けとして活躍。

*39:羽良多平吉

ご存知『QJ』の表紙も手がけるグラフィック・デザイナー。初期YMOのジャケット・デザインや、『HEAVEN』の表紙デザイン等で有名。

*40:大類信

グラフィック・デザイナー。80年代『ロッキング・オン』の表紙・本文レイアウトで有名。

*41:幻の最終号(肥満特集)

「肥満とナチス」特集号は結局未刊行のままで終わったが、その一部の企画は『ロックマガジン』での山崎編集による出張版『HEAVEN』に掲載された。

*42:香山リカ

精神科医。山崎版『アフター・ヘヴン』にもライターとして参加。香山リカ命名山崎春美によるもの。

*43:野々村文宏

後期『HEAVEN』に参加後、雑誌『ログイン』を経て80年代中盤の新人類ブームの担い手に。現在はヴァーチャル・リアリティ、マルチメディアのコンサルタントとして活躍。

*44:祖父江慎

多摩美マン研、工作舎を経てグラフィック・デザイナーとして活躍。『遊』や山崎版『HEAVEN』ではマンガも描いていた。

*45:角谷の記事

『Jam』の最終号というのは実は二つあって、その実質ラスト号に載った「角谷インタビュー」は、高円寺周辺の若者に「パンクの魂」として伝説視させたものだ。この意味不明なフレーズが彼を死にかりたてたのかもしれない。90年8月5日すい臓炎で死去。

*46:角谷の「シ」

ここの文章、いささか分かりにくい理由は竹熊とテープ起こし人が二人とも「詩」と「死」を取り違えていたため。しかし、角谷氏が死んだことは事実であり、なんとなく意味が通じてしまうのがコワイ。

*47:酒鬼薔薇聖斗

前書きにも書いたが、このインタビューが行れた1997年6月28日は、偶然にも酒鬼薔薇が逮捕された日だった。