前説1. 前回の蛭子能収インタビューで聞き手の山崎春美は「やはりバイオレンスは、平和な笑顔とウラハラに産まれるもんだなァと、つくづく実感したものである」と記している。
確かに蛭子さんの漫画はすぐ人が死ぬし、まったく意味が分からない作品(というより漫画の体裁を装った訳の分からない何か)ばかりである*1。
それなのに本人の風貌はいたって「カワイイおじさん」であるため、昔はよく「漫画と本人にギャップがあり過ぎる」と言われていた。
一方、鬼畜系特殊漫画家の根本敬や山野一は若い頃いわゆる「二枚目」で、蛭子さんとは逆のベクトルでギャップがあったものである。
ちなみに蛭子さんがテレビ露出する以前、読者がイメージしていた作者像の特徴を総合すると「神経質で青白そうな美大くずれのインテリ青年」だったのだが、今にして思えば、だいぶ可笑しな話である。
情報手段が発達していなかった当時、みんなのイメージでは図版右(裸のラリーズ・ブート)のような人が描いていると思いきや、実際は図版左(『私立探偵エビスヨシカズ』書影)のような人だった*2。
いつもはスッとぼけて無意識過剰に見せている蛭子さんであるが、さすがに自身の風貌と作品とのギャップについては強く自覚しているようで、花輪和一*3と初めて会った際の印象も交えて著書『ひとりぼっちを笑うな』の中で蛭子さんは次のように語っている。
花輪和一さんという、結構おどろおどろしい漫画を描く人がいて、彼の漫画のファンだったんです。でも、実際にお会いした花輪和一さんは、漫画のイメージとまるで違う感じの人でした。お笑い芸人さんみたいな見た目の方だったかな。
花輪さんも、勝手にイメージしていた風貌と漫画とにギャップがあったんです。そのときに感じました。「おどろおどろしい漫画を描いている人が、意外とひょうきんだったりすることもあるんだな」って。でも、よくよく考えてみたら、むしろそっちのほうが多いかもしれない。
漫画家に限らず、本人と作品のイメージって必ずしも一致しませんよね。歌手のように表に出る機会の多い人は顔と作品が一致するかもしれないけど、漫画家や絵描き、小説家など、普段あまり表に出ることのない人は、得てしてそういうことが多い気もします。
だから、僕の顔を見て、がっかりしないでほしい……な。
前説2. 赤塚不二夫の名言に「常識人でないとギャグは生み出せないんだよ」「ただバカっつったって、ホントのバカじゃダメだからな。知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの」というのがある。
娘のりえ子いわく赤塚不二夫は常識が分かるからこそ常識のどこを壊せばギャグになるかが、すごく分かっていたという。常識に縛られず、新しい物事に挑戦していくには、やはり「常識」から入らなくてはならないものだ。
そもそも世間一般的に「アウトサイダー」と言われる、まるで常識とは無縁であるように思える異端派の送り手たち(例えば鬼畜系作家や、80年代のエロ本関係者など)にこそ教養ある文化人や常識人が多いことに薄々感づいていたが、これを如実に表したのが根本敬の「だいたい趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね」という言葉だった。
まあモノホンの精神異常者(いわゆる電波系)や、人間味のない鬼畜(ほか特殊全般)といった壊れた人達は「非常識がデフォ」なので、勝手に見世物にはなるだろうが、彼らが送り手の立場になってコンテンツを大衆相手に創造できるかどうかは、かなり怪しい。
つまり「非常識な人間」が意味不明なモノを作ったとしても相手にはまず伝わらない。だから「非常識をよく知る常識的な人間」の方が意味不明なモノでもキチンと処理できるし、コンテンツの形にして相手に広く伝えることが出来るのだ。
やはり「悪趣味」を創造する送り手には、知性・教養をかね備えた上、変態的な才能とユーモア精神(あと少しの社交性)が無いといけない。これらのどれかが欠けると途端に「悪趣味」は「陳腐な悪趣味」になってしまうものだ*4。
前説3. 前置きが超長くなったが、海外アニメの『サウスパーク』や『Happy Tree Friends』は見事に大衆化に成功した「悪趣味」の例である。
両者とも作品世界は、常軌を逸していて、とても常識的とは言えないが、あの手この手で常識を破壊し続ける精神は、まさに知性&変態&常識を知る「完全無欠の常識人」だからこそ出来た業である。
だが、視聴者の大半は「作者は頭おかしいし、正気じゃない」とか「そもそも何を考えて、これを作ったのか理解できない」といった失礼かつ当然の感情を抱かずにはいられないであろう。
ここでサンフランシスコにある『Happy Tree Friends』の制作会社Mondo Media社のインタビューをご覧いただく。このインタビューは特に「作者は頭おかしい」なんて見当違いな誤解をしている人にこそ読んで貰いたい。
モンドメディア社 スペシャルインタビュー
Special interview about HTF in Mondo Media
2011年10月現在、120話以上を公開するハピツリの生みの親、モンドメディア社。ハピツリの誕生秘話や、どのような工程を踏んでストーリーができるかなど、クリエイター陣に突撃インタビューをした。
かわいいキャラクターが残虐でグロテスクな死に至るなど、バイオレンスな描写のギャップが人気の核となるハピツリ。このストーリーは一体どのように誕生したのか、共同制作者のケン・ナヴァロ氏をはじめとする、クリエイター陣に直撃インタビューをした。
ケン・ナヴァロ(以下、KN)/ケン・ポンタック(以下、K)/ジョン・エヴァーシェッド(以下、J)/ウォレン・グラフ(以下、W)
──ハピツリはどのような経緯で作られたのですか?
KN:最初は当時のスタッフのロードやウォレンと、仕事の合間にとてもかわいいキャラクターが残虐な目に遭うというイラストを冗談で描きあい、お互いにふざけあっていました。ある日、ロードがスプレッドシートポスターにカドルスの原型になる黄色いうさぎを描き、「抵抗は無駄だ」と書き添えて、社内の人々に見えるように自分のデスクに貼り付けたんです。
「このキャラクターを使うように」という“洗脳作戦”が成功を収め、企画会議で提案するようにプロデューサーのジョンに勧められ、短編アニメ制作のチャンスが与えられました。当初は「Banjo Frenzy」(バンジョー・フレンジー)というタイトルでしたが、後に現在のハピツリに改名しました。
──どのように人気が出ていったのですか?
W:実は、人気があったことはまったく知らなかったんです。2000年はインターネットの全盛期でしたが、まだダイヤルアップの時代で、視聴回数もまだ出ない時でした。私たちは、ただ週に1度、ストーリーをウェブ上にアップするという作業を続けていただけです。
KN:もっとも子供用のアニメではないですし、メッセージ性もありません。だから、スポンサーはつかないですし、売りようもないですね(笑)。DVDをリリースすることになった時、800本の販売目標がありました。私は毎日ウェブをチェックして数字を追っていたのですが、日ごとに数字が伸びていき、1ヶ月も経たないうちに目標はクリアするどころか、さらに数字が伸び続けていたので、驚いたのと同時に、「ひょっとして、すごいことになっているのでは?」と気づいたんです。
J:まだ、ダイヤルアップ接続だったインターネットが全盛期を迎えた2000年や、YouTubeが初期の時代(2006年〜)に、すでにウェブ公開を開始していたこと。これが成功につながったのでしょうね。
──マーケットの反応に対する感想を聞かせてください。
K:もちろんうれしいです。これまでプロとして自分がやってきたことの選択は、まちがっていなかったと思わせてくれました。
KN:全米最大のコミックイベント「コミコン・インターナショナル」では、「あなたが原作者のケン・ナヴァロ氏?」と声をかけてきてくれ、私だとわかるととてもエキサイトしてくれました。しかし、ある日、自宅に電話がかかってきて「ハッピーツリーフレンズ」と言われた時には、さすがに引きましたけどね。
──なぜ、あのようにグロくて暴力的なのですか?
K:暴力とは神経質になり、不快だという意味合いがあると思いますが、私たちのストーリーで使用する暴力は、ただの副産物でパンチラインのひとつに過ぎません。
KN:「トムとジェリー」のトムが、ジェリーをぺしゃんこに押しつぶしても、ただ意味もなくおかしいと思えるように、「実際にこんなことはありえない」とか「こんなこと、ばかげている」と思えるものは、ユーモアの一部になりえます。アニメだから行き過ぎると面白い。
──このストーリーで伝えたいことはなんですか?
K:特にメッセージ性があるわけではなく、何かのレッスンがあるわけでもありません。ユーモアをベースに作っている私たちが、楽しくて笑っているから、視聴者たちにも楽しく笑ってもらいたい。そんな純粋なエンターテイメントです。
W:80年代のかわいらしいキャラクターが登場して物語がスタートし、それぞれのキャラクターの個性を生かしたユーモアとジョークが満載のストーリーが展開される。「楽しかったね、はい、おしまい」。そんな感じで、とにかく楽しんでもらいたい。ただそれだけです。
──普段は暴力的な人たちなのでしょうか?
K:ケン・ナヴァロという人はネガティブなことがあっても、必ずポジティブに捉える、いい意味でとても楽観的な人です。温厚でとてもステキな人格者ですね。ストーリの源がやさしい心を持つ人にあること、それがクオリティにつながるのだと思います。また、私たちは大きな子どもで、決していじわるが好きな集団ではありません。
KN:ストーリーを考案するためのミーティングを毎回8時間持ちますが、今日の取材のように、とにかく私たちは四六時中笑っています。たわいもないことを話し合って笑い、その笑いがピークに達したものを、最後の40分でハピツリのストーリーに仕上げています。
K:ケン(ナヴァロ)は小心者なんです。目玉が2つに割れた時の中身をアニメに描写するために写真のリサーチをしていましたが、吐き気を催して、リサーチが続行できなくなりました。
KN:アニメだから正確さは求められていないので、グレープフルーツを輪切りにした状態を想像して、それを描くことで代用しました(爆)。
──制作過程中、おもしろいことはありましたか?
W:通常8時間のミーティングでは、よく話し、よく笑うと話しましたが、ハピツリのストーリーになったエピソードを話します。私が幼いころ、母が料理中にコンロの火がエプロンに燃え移り、洋服まで燃え始めたんです。それを見た父が急いで毛布を持ってきて母を抱きしめ、火を抑えたということがありました。今となって笑い話ですが、その話をした時、父が持ってきた毛布にも火が移って、一緒に燃えてしまったというストーリーにしてみたらどうかという案が出ました。それが現在公開されている「Who 's to Flame」というストーリーです。
──今後、新しいエピソードはいつ制作される予定ですか?
J:2011年の秋には製作に取り掛かる予定ですので、また、みなさんに観てもらえる日が近いと思います。
KN:私たちのコンセプトスケッチブックには書き溜めているストーリーがたくさんありますし、ストーリーはエンドレスです。
W:すべてストーリーにするまでは死ねないと思っていますから、期待していてください。
インタビューに答えてくれたモンドメディアのスタッフたち
Kenn Navarro
(ケン・ナヴァロ)
「HTFのキャラクターはすべて私の大切な子どもです」とハピツリの生みの親らしい発言のケン・ナヴァロ氏。
共同制作者、ディレクター、脚本、作画、演出、Flash制作、絵コンテ、アニメーター、イラストレーター、カドルス、フリッピー(通常時)、リフティ、シフティの声優と、なんでもこなすHTFの心臓みたいな人。
しいて言うならランピーが好き。「いつもばかげていて、いつもおもしろい。自分の性格の一部を表していると思います」と語る。
「今ではアドビフラッシュがあるので、修正も瞬時に、しかも簡単に行えるんですよ」と、修正もお手のもののケン・ナヴァロ氏。アドビフラッシュを使用して動画にするのもアニメーターのケン・ナヴァロ氏が担当。
Ken Pontac
(ケン・ポンタック)
アニメーションライター。「ストーリーがクリアであること、できる限りおもしろくすることを心がけています。また、ストーリーが各キャラクターの性格に基づくようにしています」と、マジメに答えているが、「いつも赤ちゃんを危険な状態に陥れる父親の行動を見るのが好き」という理由で、好きなキャラはポップ&カブ。
Warren Graff
(ウォレン・グラフ)
アニメーションライター。トゥーシーの声優。複雑なストーリーを作ろうとするとかえって煮詰まるので、極力シンプルに、そしてキャラクターの行動が理にかなうように、それでいておもしろくなるように考えているんだそう。やっぱりランピーが好き。「すごくおもしろくて、ばかげているキャラクター。これは自分の一部にも当てはまりますね」とどこかで聞いたようなコメント。
John Evershed
(ジョン・エヴァーシェッド)
モンドメディア代表取締役社長、エグゼクティブプロデューサー、共同経営者、CEO。ライターの3人にとって自由な環境を整えるよう気を配っている偉い人。HTFでは、ランピーが好き。「どのような役割になってもベストを尽くそうとするところに、自分自身を見いだすことができます。ばかげている性格も憎めないですね」。偉い人はマジメ。
※このインタビューは『HAPPY TREE FRIENDS e-MOOK 宝島社ブランドムック』(2011年12月発行/絶版)に掲載されたもので、最新の情報とは異なります。