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鬼畜系サブカルチャーの終焉/正しい悪趣味の衰退

鬼畜系サブカルチャーの終焉/正しい悪趣味の衰退

虫塚虫蔵

日本悪趣味史概説

鬼畜や悪趣味は数十年間隔で定期的にブームになる。3つ挙げるとすれば、大正末期から昭和初期にかけてのエログロナンセンス文化、戦後混乱期に濫造されたカストリ雑誌群、そして世紀末の『危ない1号*1を頂点とする鬼畜ブームである*2

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3つのブームは一見似ているが成立背景が異なり、特に世紀末の「悪趣味」は街が清潔になって汚穢が見えなくなった事の裏返し、怖いもの見たさがあった。

昭和初期も『グロテスク』(1928年-1931年)というインテリ向けの元祖鬼畜本が存在していたが、当局より幾度となく弾圧され発禁処分になったことでも知られている*3

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しかし戦後を迎えると、それまでの激しい言論統制や出版規制から解放され*4、同時に「自由の象徴」として下品で低俗な大衆雑誌「カストリ雑誌が大量に発行されるようになった。これが広く一般に普及したのもまた「悪趣味の時代」だったのではないかと思う。

では90年代の「悪趣味」とは何だったのか?

まずブームの成立過程にはバブル崩壊世紀末」という土壌が大きく作用していたといわれ(加えて宮台真司が95年に案出したキーワード「終わりなき日常」も非常に重要)、特に1995年上半期に起こった阪神淡路大震災地下鉄サリン事件なる「戦後最悪の災害」と類例をみない「国内最大規模の化学テロ事件」が連続して起こったことは、よりいっそう大衆に「世紀末」という意識を強く根付かせた*5

そうした日常の均衡が崩れかけた時代の中で、サブカルチャーが迎えた世紀末とは正に「悪趣味の時代」だったのだ*6

この鬼畜・悪趣味ブームはユリイカ』1995年4月臨時増刊号「悪趣味大全」において様々な文化に「キッチュで俗悪」な文化潮流が存在すると提示・宣言されて以来、神戸連続児童殺傷事件が起こる1997年頃まで続いたとされている*7

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唐沢俊一は世紀末に流行した悪趣味ブームの終焉について次のように語っている*8

鬼畜ブーム初期のライターは、村崎さんにしろ僕にしろ、人が読んで顔をしかめるようなネタを書くのは、今の社会の矛盾や醜悪さをカリカチュアしたもの、あるいは拡大して見せたものがすなわちこれだ、目をそむけちゃいけないよというメッセージを伝えようとしてたんだけど、その後に出てきた若い人たちには、単にストレートにグロテスクなものにはしゃいでるだけ、というタイプが多かった。それじゃ一般に拒否されても当然です。それ以降、鬼畜ブーム、悪趣味ブームが急速に終息していったのも当然でした。

唐沢に言わせれば、ただ死体や畸形を持て囃すだけで何ら思想に昇華できてない人間が増えたから悪趣味ブームは終焉を迎えたという

また鬼畜系の元祖的存在であった青山正明ですら「目で見て明らかに分かるグロテスクさに人気が集中している。表層的な露悪趣味に、終始しているんじゃないか」*9と濫造される「悪趣味」に幻滅し、晩年は「鬼畜系」から「癒し系」に転向を図ったぐらいである*10

『危ない1号』の作家で「猟奇犯罪研究家」を自称する特殊翻訳家柳下毅一郎も悪趣味ブームには懐疑的で「死体も殺人鬼も刺激物として喜んでいる連中が大勢いて、それを説教する人も、自制が働く人もいない。ああいうのは、まっとうな人間がやることじゃないという“つつしみ”が、80年代以降なくなった」とぼやく始末である*11

青山は『危ない1号』第4巻「青山正明全仕事」のあとがきで次のように述べている。

94年11月に日本全国で症例50名前後という眼病疾患、奇病MPPEを患い、失明の恐怖を背負いこんで加速度的に“悟り”の境地へ。本書を最後に、“路線変更”を決意……と、まあ、そんなこたぁ、どうでもいいか……

しかし眼病による路線変更とかは実は言い訳で、青山は鬼畜・悪趣味ブームに嫌気がさしての転向ではないかと思う。吉永嘉明によれば青山は「俺は鬼畜じゃない。あれはシャレなのにマジに鬼畜と言われてしまう」という葛藤があったという。青山は「真の鬼畜というにはあまりに感じやすい人」だったのだ。吉永も『危ない1号』を降りた理由の一つとして「作り手より読者のほうが過激になっていった」ことを述べている。

自分が「妄想にタブーなし!」と宣言して書いていた冗談を真に受けて犯罪に走る人間がいるのを青山は負い目にしてた節もあるだろう。実際の青山は健康面にも気を使いすぎるほどの繊細さと人懐っこさを持っていたという。

現実の自己像と鬼畜系のギャップは、青山の鬱を加速させた遠因になったのではないだろうか。ライターのばるぼら「『良識なんて糞食らえ!』のノリを本気で実行する人間が現れることについての想像力の欠如が『危ない1号』以降の青山の迷走につながっている」と推察している*12

鬼畜ライターを自称していた村崎百郎も自身が「鬼畜」であるのに、世間がしっかりと機能してなければ「鬼畜」を名乗れる建前や立場がないのであろう。これについて特殊漫画根本敬は次のように語っている*13

90年代の悪趣味ブームを支えていた人たちっていうのは教養があって知的な人が多かったし読んでいる方も「行間を読む」術は自ずと持っていたと思うんですよ

それに「影響受けました!」っていう第二世代、第三世代が出てくるにつれどんどん崩れて、次第に単に悪質なことを書いてりゃいいや、みたいな”悪い悪趣味”が台頭してくるようになるだいたい趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね

村崎さんにしろ、オレの漫画にしろ、結局世の中がちゃんとしていてくれないと、立つ瀬がないわけですよ。でも、世の中がどんどん弛緩していっちゃって、もう誰もがいつ犯罪者になるのか、わからないような状況になっちゃったのが鬼畜ブームの終わり以降。とりわけ90年代終わりからここ数年、特に激しいじゃない?

ここまで通して分かるように鬼畜ブームの作家というのは、鬼畜の皮を被っておきながら、ゲスな文脈で反語的に正義や哲学、世の真理といったメッセージを読者に伝えていたわけで、そこには冷徹な観察眼とリテラシー能力があった

しかし、書き手の意図や真意までを見抜けなかった中二病読者や薬物中毒者には、青山も村崎も辟易させられたろうし、不甲斐なさも感じていたはずであ*14

結局、青山正明は2001年6月に引きこもってた実家で「赤いきつね」を食べた直後に首をくくって自殺。村崎百郎に至っては電波系キチガイの逆恨みを買って、2010年7月に自宅で滅多刺しにされて殺されてしまった*15

やはり鬼畜ブームで一番ゲスだったのは、書き手でも何でもなく表面的にしか文章を読み解けない無知文盲な読者達だったのだ。こうした鬼畜ブームを象徴する最悪の例酒鬼薔薇聖斗その人なのである。

ニッポン戦後サブカルチャー』の講師である宮沢章夫は次のように述べている。

おそらく『危ない1号』において青山が発したメッセージの「良識なんて糞食らえ!」にしろ「鬼畜」という概念にしろ「妄想にタブーなし!」にしろ、すべて「冗談」という、かなり高度な部分におけるある種の「遊び」だったはずだ。しかし、良識派に顰蹙をかうのは想定内だっただろうが、一方で冗談が理解できずにまともに受け止めた層が出現したのは想定外だったということか。

の後はインターネットの普及もあって往事の雑誌ブームは跡形も無くなり*16サブカル系雑誌も軒並み潰れ「理知的な悪趣味」は失われていったその代わり、2ちゃんねる的な匿名性を持った無責任で無秩序な「デジタルの悪趣味」が台頭するようになる。

死体写真やフリークス、いわば見世物小屋的な露悪趣味は、サイト上の不謹慎な動画・画像コンテンツ(いじめ/強姦/屠殺/リンチ/戦争ポルノ/リベンジポルノ/自殺生配信etc...)へと推移していき、ドラッグやロリコンなどのアングラ情報は深層ウェブに偏在していった。

特殊編集者今野裕一ペヨトル工房主宰/夜想編集長)は、ネット以前と以後のブラックユーモアの違いについて次のように述べている*17

少なくとも村崎百郎がいた90年代前半ぐらいまでは、ブラックなものを笑い飛ばすような楽しさがあったし、実際にうつ病っぽい子でも、まぁ何とかやっていけてたんだよねそれがネットが出てくるようになってから、なんだか現実の死まで行っちゃうような、実際に死んだり病んだりするところまで行ってしまうってのはね、昔はなかったですよ。本当の意味でのヤバさみたいなものが現れるようになってきた

今まで僕や村崎がやってきたようなのとは全く違う、単にネガティブな思いがだだ漏れになってきたブラック95年以降、本当にそういうのに触れる機会が多くなったで、村崎もそういう新手のブラックは処理し切れなかったのかもしれない。

また今野は、2ちゃんねる的な悪趣味を「デジタルの悪意」とし、弟子にあたる村崎百郎の「ゴミ漁り」といった悪趣味は「アナログの悪意」として完全な別物として捉えている*18

村崎や僕がやってきたブラックっていうのは「今朝ゴミ漁りやってきただろ」とか、身体的にわかって共有できた。だけどネットで走っている言葉の裏にある悪意って、身体的につかめない

2ちゃんねる的な、 暗闇でいきなり後ろから殴り倒すみたいな風潮は村崎とは対極的な位置にあるネガティブさで、日本文化の大きなマイナスになってきているよね。言葉が勝手に走っていってしまうようなのはまったく新しい現象で……ものすごいスピードで言葉が流れていく中で、真意が見えないまま、言葉に書かれている別の意味を勝手に読み取り、物語を作ってしまう夜想』もブラックなものには触れてきたけど、それとは対極な部分でのブラックだと思う。

これは新しい時代の新しいブラックの誕生だろうけど……村崎に実はデジタルな悪意はなかったひどいことを言いながら、ダメな奴を励ます。「お前もダメだけど、俺なんかもっとダメ、だけどこんな人間でも立派に生きてるんだぜ」って。生きて生き抜いて他人に肉体を擦り付けながらイヤミを言うのがあいつのやり方なんだけど、それって結局「生きろ」ってことでしょ。

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さいごに

青山正明の没後村崎百郎寄稿した事実上の追悼文を引用して終わらせて頂く。

サブカルチャー”や“カウンターカルチャー”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、“鬼畜系”という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。

 

「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」

編集部の質問に対し、単行本『鬼畜のススメ』著者であり、故・青山正明氏とともに雑誌『危ない1号』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・村崎百郎の答はこうだった。

鬼畜“系”なんて最初からない。ずっと俺ひとりが鬼畜なだけだし、これからもそれで結構だ。

──最も青山氏に近い場所にいた男が初めて記す青山正明論。真の鬼畜とは? そして“アウトロー”とは?

 

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青山正明の遺作となった『危ない1号』第4巻「特集/青山正明全仕事」)

 

青山正明さんの死について書いてほしい」という本誌編集部の依頼を引き受けた理由は二つある。

一つは業界の一部で囁かれている「村崎は青山の自殺を悲しんで落ち込んでいるらしい」*19という超悪質なデマを否定するためであり、もう一つは俺のおかげで“鬼畜編集者”などというありがたくもない肩書きがついたまま死んでしまった青山の名誉を回復させるためである*20

 

次に主張しておきたいのは青山正明が鬼畜でも何でもなかった」という純然たる事実である。これだけは御遺族と青山の名誉の為にも声を大にして言っておくが、青山の本性は優しい善人で、決して俺のようにすべての人間に対して悪意を持った邪悪な鬼畜ではなかった。それは当時、青山と一緒に編集をしていた吉永嘉明の『BURST』誌上での証言でも明らかだが、『危ない1号』に「鬼畜」というキーワードを無理矢理持ち込んで雑誌全体を邪悪なものにしたのはすべてこの俺の所業なのだ。

 

俺の提示した“鬼畜”の定義とは「被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル」なのだが、途中からいつのまにか“鬼畜系”には死体写真やフリークスマニアやスカトロ変態などの“悪趣味”のテイストが加わり、そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブームに成長したようだが、「誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、“鬼畜”のイメージや意味なんかどうなってもいい。

 

ムカついたといえば、青山の死亡記事を「麻薬ライター」とか「無名ライター」などと失礼極まりない表現で書いていた『フォーカス』にはマジでムカついた。カン違いしてんじゃねえぞ馬鹿野郎!こっちこそ、たかがノゾキ雑誌の嫌味ったらしいチンカス記事書いてたゲスライターどもなんか、創刊当初に少しだけ載ってた藤原新也氏(この方だけは別格/敬称略しません)以外、ただの一人も憶えてねえし憶える気もねえし印象にも残ってねえんだよ!確かに正統ノゾキ・ジャーナリズムの世界では青山は「無名の麻薬ライター」だったかもしれないが、ドラッグカルチャーやシャブカルチャーの世界では多くのマニアの尊敬を一手に集めるカリスマ・ドラッグマスターだったのも事実なのだ。ドラッグいらずの電波系体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『危ない薬』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、非合法なクスリ遊びをする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。

 

追記/青山を尊敬するジャンキー諸君へ

頼むからこれ以上お前らのシャブ畑に青山の銅像を建てるのは止めてくれ。お前らが青山を尊敬する気持ちも分かるが、たとえ銅像でも、奴を自由で無責任な鳥どもが落とす糞を被るだけの存在にされるのは個人的にどうにも我慢ならねえんだ。

 

— 村崎百郎非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み太田出版アウトロー・ジャパン』第1号 2002年 166-173頁

付記「日本悪趣味文化の歴史的変遷」

虫塚虫蔵&宇川直宏&竹熊健太郎EDIT*21

【前史】

(明治)野村文夫「團團珍聞」→宮武外骨「滑稽新聞」

【第一次:エログロナンセンス期】

(大正)宮武外骨「変態知識」→上森健一郎「変態資料」→(昭和)江戸川乱歩夢野久作梅原北明「グロテスク」→阿部定事件<終焉>

【第二次:カストリブーム期以降】

(昭和)「りべらる」→「猟奇」→「奇譚クラブ」/「家畜人ヤプー」(康芳夫)→「裏窓」→「風俗奇譚」→澁澤龍彥「血と薔薇」→大澤正道「黒の手帖」

【第三次:悪趣味/鬼畜ブーム期】

吉行淳之介野坂昭如井上ひさし遠藤周作筒井康隆「面白半分」→今野裕一夜想」→高杉弾山崎春美近藤十四郎隅田川乱一他「X-magazine / Jam」「HEAVEN」→蛭子能収「地獄に堕ちた教師ども」「私はバカになりたい」→青山正明「突然変異」「Hey!Buddy」「Billy」「サバト」→データハウス「悪の手引書」「悪のマニュアル」→根本敬「花ひらく家族天国」「生きるー村田藤吉寡黙日記」→丸尾末広少女椿」→山野一夢の島で逢いましょう」「四丁目の夕日」「貧困魔境伝ヒヤパカ」→秋田昌美「倒錯のアナグラム→(平成)→バクシーシ山下「女犯」→ねこぢるねこぢるうどん」→根本敬「怪人無礼講ララバイ」「亀ノ頭スープ」「豚小屋発犬小屋行き」→青山正明「危ない薬」→バクシーシ山下ボディコン労働者階級」→根本敬「因果鉄道の旅」→鶴見済完全自殺マニュアル氏賀Y太「毒どく」山野一「混沌大陸パンゲア」「どぶさらい劇場」→小林小太郎編「TOO NEGATIVE」→井口昇卯月妙子「ウンゲロミミズ エログロドキュメント」→秋田昌美「スカムカルチャー」→田野辺尚人他「悪趣味洋画劇場」→宝島社別冊宝島」「宝島30」根本敬「人生解毒波止場」→赤田祐一編「Quick Japan」→ユリイカ「悪趣味大全」→映画秘宝編集部「悪趣味邦画劇場」→青山正明吉永嘉明村崎百郎他/東京公司編「危ない1号」「鬼畜ナイト」木村重樹椹木野衣編「ジ・オウムーサブカルチャーオウム真理教」→コアマガジン「BURST」(のち「BURST HIGH」「TATTOO BURST」「DVD BURST」に派生)別冊宝島編集部「トンデモ悪趣味の本」→世紀末倶楽部編集部「世紀末倶楽部」山田花子自殺直前日記」→村崎百郎「鬼畜のススメ」→村崎百郎×根本敬「電波系」→「マンガ地獄変」→根本敬「さむくないかい」→「GON!」「BUBKA」以下便乗系→酒鬼薔薇事件<終焉>(この年「ガロ」休刊)

【鬼畜ブーム以降】

根本敬「神様の愛い奴」→ドクタークラレ編「危ない28号」「コンピュータ悪のマニュアル」→「青山正明全仕事」→「データハウス1号」→「いやらしい2号」→光彩書房編『激しくて変』→早見純『ラブレターフロム彼方』→村田らむこじき大百科」「ホームレス大図鑑」→比嘉健二編実話GON!ナックルズ唐沢俊一×村崎百郎「社会派くんがゆく!」→薬理凶室「図解アリエナイ理科ノ教室」→吉永嘉明「自殺されちゃった僕」→アスペクト編「村崎百郎の本」

追伸*22

鬼畜系 - Wikipedia(文◎虫塚虫蔵)

*1:青山正明の率いる「東京公司」のメンバーが1995年7月に創刊したムック本。データハウスから全4巻が刊行。鬼畜ブームの先駆けであり、商業的に成功したという意味でも特異な存在。後発の便乗本も数えきれないほど出版され、サブカル界を巻き込んだ一大ブームとなったが、それでも『危ない1号』を超える鬼畜本と、青山正明を超える人間は未だ現れていない

*2:鬼畜系サブカルは90年代にいきなり現れたわけでなく、1979年に創刊された伝説的自販機本『Jam』や、それに影響された青山正明が大学時代に創刊した変態ミニコミ誌『突然変異』、そして80年代という時代が生んだ狂気の雑誌、まさに変態による変態のためのスーパー変態マガジン『Billy』や少女犯罪写真集の様相を呈したロリコン系サブカル雑誌『Hey!Buddy』(ともに白夜書房)あたりにそのルーツを見ることが出来る。なお、いずれの雑誌も1985年までに廃刊しており、以後バブル景気~崩壊を挟んだ10年間は、まさに鬼畜系冬の時代だったと言えよう

自販機本『Jam』については高杉弾による紹介記事「百恵ちゃんゴミ箱あさり事件で有名になった自動販売機ポルノ雑誌『Jam』の編集長が明かすその秘密―わしらのフリークランド」参照のこと。

   

*3:昭和初期のエログロナンセンス文化を代表するサブカルチャー専門誌。編集長は梅原北明。1928年(昭和3年)創刊。当局より幾度となく弾圧を受け、グロテスク社、文藝市場社、談奇館書局など当局の弾圧をかわすために発行所を変えつつ、1931年(昭和6年)まで全21冊が出版された。発禁処分の際には新聞に『グロテスク』死亡通知の広告を出した事でも有名。

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*4:だだし戦後に表現が大きく解放されたとはいえ、刑法175条のわいせつ物の頒布等の取り締まりによって、カストリ雑誌ゾッキ本の摘発が相次いだ。またチャタレー事件など文学作品も「公共の福祉」に反すると弾圧された例がある。PTAが主導した有害図書追放運動や手塚漫画の焚書など、正義の暴走とも取れる一連の運動は、戦後の表現多様化に追い付けない大人達の「老害」では無かったのだろうか。日本国憲法で保障されている「表現の自由」も時代と共に揺らぐ不明瞭で曖昧な存在なのだ。このへんは現代社会論の授業でも取り上げられている

*5:20160619ニッポン戦後サブカルチャー史

*6:バブルのスカシ系文化に対する反発と世紀末的なノリが鬼畜系をブームにしたのでは?と推測。鬼畜系自体、青山正明村崎百郎がブームを主導したとみなされてるけど、青山&村崎が直接ブームの火を付けた訳でなく、93年頃から流行ってたバットテイストに「後押し」をしたというのがしっくり来る。

*7:根本敬ブームの終焉を見たなと思ったのは『ホットドッグプレス』(96年8月25日号)で悪趣味特集やった時ね」とも述べている。その後、神戸の重大事件を受けて本屋の鬼畜・悪趣味コーナーは縮小に向かいブームは収束していった。

*8:アスペクト刊『村崎百郎の本』220頁より。

*9:世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感

*10:新人類世代の閉塞 サブカルチャーのカリスマたちの自殺

*11:世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感

*12:天災編集者! 青山正明の世界 第66回『BACHELOR』における青山正明(3) - WEBスナイパー

*13:アスペクト刊『村崎百郎の本』334-339頁より。

*14:これこそ彼らが興隆していく悪趣味ブームとは対照的に年々活動を縮小させていった大きな理由になっているのではないだろうかと邪推する。

*15:2010年7月23日午後5時頃、村崎は読者を名乗る32歳の男性に東京都練馬区羽沢の自宅で48ヶ所を滅多刺しにされて殺害された。自ら警察に通報して逮捕された容疑者は精神病に通院中で、精神鑑定の結果、統合失調症と診断され不起訴となった。

*16:鬼畜系ないし悪趣味本が売れなくなった背景には、ネットの普及に加えて97年をピークに右肩下がりを続ける出版不況の存在があり、そうこうしてるうちに出版業界に留まらず社会全体までが不景気になってしまった。データハウス社長の鵜野義嗣はインタビューで次のように述べている。

鵜野:『危ない1号』は10万部くらい売れたんじゃないかな?続刊もそれなりに売れました。ただ彼(青山正明)は1年に1冊しか本を作らないんだよね(笑)。めったに会社にも来ないし……。「企画頑張ります!!」ってキラキラした目で言ってくるんだけど3日も続かない。気力が尽きちゃうんでしょうね。

「危ない」系の本は今は絶対ダメですね。「危ない」のに興味を持つのは、経済的に余裕がある時なんですよ。どうやって食っていくか大変な時代に、「危ない」とかそんなことは言ってられない。こういう“すねた本”がうけるのって実は貴族文化なんですよ。

やっぱり生活に余裕がないと本は買わないですよね。水やインスタントラーメンも買えないのに、誰が本を買うかって話です。生命を保つことで精いっぱいなんですね。東日本大震災以降、世の中が無駄遣いはしないという流れになって、売れてた本も全部売れなくなりましたね。

*17:アスペクト刊『村崎百郎の本』126頁より。

*18:アスペクト刊『村崎百郎の本』127頁より。

*19:事実、村崎は本当に落ち込んでいたらしいが、それを明かすのは「村崎百郎」のパブリックイメージに合わないだろうと、言葉の上では否定している(もちろん行間を読める読者には村崎の本意が分かるはずだ)。以下のインタビューは村崎の没後に明かされた彼の本音である。

──波長という意味でも自分の言葉を理解してくれる相手という意味でも、本当に分かりあえる人は少なかったのかもしれませんね。

森園:そうですね。でも青山正明さんとは本当に仲が良くて、自他共に認める親友だったと思います。三人で飲んだりしたこともありますけど、青山さんもすごくいい人でしたから。青山さんの場合はお酒を飲まないから、彼だけクスリをかじりながらでしたけど(笑)。

きめら:青山さんが亡くなった時、村崎さんがボソッと「青山を殺したのは俺なんだよ」と言ったことを覚えています。多分「救ってやれなかった」という意味だったのかなと思いますけど。それだけ特別な存在だったんでしょうね。

──青山さんも村崎さんと同時期のサブカル界の大スターですからね。その両雄が通じ合っていたというのは分かる気がします。

 

*20:以下、村崎の超長文が続くため脚注に組み込む。

青山が死んでからしばらくして吉永嘉明木村重樹(何となく敬称略)の二人が『BURST』誌の追悼対談で、意訳すると

「青山は鬼畜系ブームの立役者みたいに言われているけど『危ない1号』で鬼畜、鬼畜って騒いでいたのは実は村崎百郎一人で、心根の優しい青山はもの凄く迷惑していて、自分が鬼畜系と呼ばれることを後々までず~っと気に病んでいたし嫌がっていた。『危ない1号』がゴキゲンなハッピー系の雑誌ではなく品性下劣な極悪鬼畜系雑誌に成り下がったのはみんな村崎のせいであいつが一番罪深い!」

「あ~そうそう、村崎のあのガタイと形相で迫られたらパイズリだろうとアナルセックスだろうと断われるオンナはいないよね。押し切られて精神を犯されて消耗した青山さんがカワイソ~!」

などという感じの、まるで俺が青山の寿命を縮めた諸悪の根源みたいな発言をしていて、本屋で立ち読みした俺も「いやまったくあんたらの言う通り!」と激しく共感して思わず雑誌を万引きして持ち帰ろうと考えたが判型が大きいのでちょっと無理だと判断してヤメた……という万引き未遂の話などどうでもいいが、それにしてもこういう大切な真実は、他人から指摘されるよりも、俺が自分の口と尻穴で語るのがキン玉の裏筋というものだろう。だからこの件に関しては徹底的に真面目に書き残すつもりだ(嘘)。

 *

聞くところによると青山の死について、遺族でもないのに「悲しい」だの「涙が止まらない」だの「とてもひと事とは思えない。悲しくて仕事が手につかない」だのとホザいてそれを原稿にして公然と発表している連中がいるそうだが、まったくうらやましいかぎりである。俺は根性がひんまがっている上に、喜怒哀楽の感情をほとんど実感できないキチガイなので、平気で人前で感情を露にする連中のメンタリティが全く理解できねえどころか信用しねえ。ウソつくなよこの野郎! 俺は青山の自殺をダシにして、自分が抱え持つ安っぽいヒューマニズムを確認し、自己憐愍の道具にして自己満足に浸り込む根性の卑しい連中のミエミエの猿芝居なんか見たくもねえんだよ!……って怒ってみせるぐらいの嘘は、鬼畜の俺でも無理すればつけるんだが、とにかく悲しさを実感できねーのは本当だから仕方がない。

一応、通夜も告別式も両方出席したが(通夜には遅刻して行った)、遺族の皆さんは全員、本当に悲しんでいたようなので、ちっとも悲しくない俺は「このたびは突然のことで御愁傷様です。何というか、これが本当の“人生至る所に青山あり”ですなあ! フォッフォッフォッ!(注:“あおやま”と“せいざん”をかけ合わせたギャグのつもり)」というつまんねえギャグをかまして良いものか悪いものか判断がつかなくて少々困ったものだ。

不謹慎ついでに書くと、ご焼香の後での青山との遺体との対面では、こみあげてくる笑いをこらえて窒息しそうになった。何しろ『危ない1号』の中のレビューの仕事で、気色の悪い死体ビデオばかりを二十本近く集めて俺に渡して、鼻からゲロを噴きそうになるくらいウンザリするほど死体映像を見せてくれた張本人が、締めくくりに自分が死体になって見事な死に顔を見せてくれたのである。これはもう笑うしかねえだろ?

そういう訳で、俺はちっとも悲しくない。無理をすれば“悲しさを実感できないのが悲しい”と言うこともできるが、それは単なるレトリックで俺の感じたことではない。天然の鬼畜なんだからしようがないことなのだろう。

 *

死後に一度だけ青山の“電波”が来たことがある。受信と同時に一瞬意識がさらわれて、どこか知らない広い浜辺で俺は静かに青山と対面していた。青山は長髪にいつもの不精髭でダラしない格好をして美味そうにクサをふかしながらゆっくりと俺に近づいて、瞳孔の開ききった眼をトロ~ンと鈍く輝かせながら照れ笑いを浮かべた。

「いや~とうとうやっちゃいましたよ」

「ああ、そうみたいだねえ……(なげやりな口調で)」

「でもまあ、やってみると、こんなもんですかねえって感じですよ」

「ああ、そうだろうねえ……(ホントにどーでもよさげな口調で)」

「すいませんねえ、忙しいのに通夜も告別式も来てもらっちゃって」

「いやいや、こちらこそ借金も払わず迷惑ばかりかけて……(ミエミエの社交辞令)」

(以下、極めて個人的で退屈な会話が続くが書くのも面倒なので省略)

空の色が限りなく透明に近いブルーだったのは妄想にしても出来すぎていたと思う。そう考えると俺って、わりとイメージ貧困かも(少し反省)。

*21:このまとめ表はTwitterで吉田豪さんに本ブログ記事を取り上げてもらったのを契機に、あの宇川氏と竹熊氏のお二人の手によって作成されたものです。お二人の青天井な知識量と正確な考察力には頭が上がりません。大変感謝しております。また一部箇所は筆者が加筆しており(追加分は宇川氏にも報告済)、その点はご了承ください。

*22:この記事を書いたのち90年代鬼畜系サブカルをめぐって、他所の人間がほぼ主観的な目線と、取るに足らない無価値な一般論から、ブーム全体を断罪あるいは懺悔するような風潮を展開しはじめ、どうにも納得できない違和感を覚えていた。

もし、このまま90年代サブカル歴史修正主義が進めば、かえって時代に「歪み」が生じて「理解」の妨げになり、それこそ「差別的」で「危険性」が生じないのかと、論争当初から私はこの論争自体に完全な不満を覚え、消化不良な感情が日に日に募っていった。

まあ、ほとんどは根本敬の言う「お前は黙ってろ!」案件なんですが、どうも、あのブームは送り手よりも、読み手が変にこじらせた自意識を持っていたようで(今も相変わらずですが)、さらにタチの悪いことにこの論争は当事者不在のもとで行われているため、ますます議論が混乱しているように感じられます(せめて青山正明村崎百郎が生きていたらと思うと残念でならない)。

しかしながら、そうした流れでロマン優光が書いた論考は、90年代サブカルを「本質的」に理解する上で唯一参考になるものでした。是非そちらの記事も御一読願いたいです。

こっから先はただの愚痴なので別に読まなくていいです。先日「お前の論考は不誠実だ/責任転嫁してるのか」と知らない人から色々と空リプで指摘されたので、前掲した追伸をかなりマイルドに書き直しました。まあ、それこそ考え方・感じ方の違いで、それは人それぞれだから、別に良いんですけどね。

正直マウント取るだの取らないだの、本当どうでもいいんですが、まあ、そう言う風に思われたらしゃあないとして、マウントを取った取らないと四方に当たり散らすあなたこそ無意識的積極的にマウントを取りにいってるんじゃないか?と疑問に思います。そういうのは大体全部あなたのマインドの問題です。私とは(あまり)関係ありません。

あと当時の鬼畜・悪趣味を20年越しに蒸し返して、倫理的にどうこうと問うのは最早ナンセンスでしょう。非生産的なマウント合戦も展開するだけ無意味です。それは「総括」でも何でもありませんし、僕にとっても完全に興味関心の埒外の話です。(文◎虫塚虫蔵)